2009年9月15日 (火)

イスタンブール滞在記6 ~9月5日~

 イスタンブールネタをいつまでも引っ張ると,このブログのタイトルと矛盾してしまうので,今回が最終回です.

 さていよいよイスタンブール最終日となりました.昨夜はディナーショーで帰りが遅かったこともあり,この朝はゆっくりです.「これがイスタンブール最後の朝食か」などと感慨に浸りながら朝食です.

 この日はまだ行っていない史跡を見ながら歩くことにしました.まず向かうはトプカプ宮殿隣に広がるギュルハネ公園です.いつも大勢の観光客で大賑わいのトプカプ宮殿とは対照的に公園の方はいたって静かでした.しかし別に散歩のために公園に行ったわけじゃありません.実は公園の先端,マルマラ海と金角湾,そしてボスポラス海峡が一望できる岬に一本の柱が立っているんです.この街へやって来る観光客の99%はその存在すら知らないであろうこの柱,なんとこれ,この街がコンスタンチノープルにすらなっていなかった時代,ビザンチオン時代の史跡なんです.

 3世紀,ローマ帝国が弱体化し始めた頃,しばしば帝国内に侵入してきたゴート人を打ち破った皇帝クラウディウス2世の功績をたたえて建てられた柱なんです.今はゴート人の柱と呼ばれるこの柱,当時はそのてっぺんにクラウディウス2世の像が載っていたと言われています.

Isutanbul5_135 Isutanbul5_134 (写真左) ゴート人の柱,(同右) 今は柱の上にはなにもありません.

 その後,近くのオープンカフェでチャイをいただき,そのまま徒歩で海沿いを歩きます.向かった先はイスタンブールのヨーロッパ側の鉄道の終点,シルケジ駅です.ヨーロッパ各地からやって来る国際列車の終着駅で,かつて有名なオリエント急行もここが終点でした.

Isutanbul5_144 (写真) オリエント急行の終着駅だったシルケジ駅

 その後はガラタ橋で釣り客を冷やかしたり,橋の近くにあるエジプシャンバザールを見学したりして過ごしました.

 その後は近くのカフェでランチを摂りホテルに戻りました.14時に迎えの車がやってきて空港へ.出国審査を経て飛行機に向かおうとセキュリティチェックに行き,「そういえば飲みかけの水が余ってた.こりゃ没収だな」と係員に差し出したら,係員さん手を振って「No problem」といって突っ返してよこしました.最近国際線はすべて液体物持ち込み禁止と思ってたんですが,そうでない国もあるようです(笑).

 こうして機上の人となった我々は一路懐かしい日本へ向かったのでした.

追伸: 我々の帰国直後,イスタンブールを大雨と洪水が襲い,亡くなった方もいたとのニュースが流れました.自分の運の良さを実感するとともに,被害にあわれた方々が一日も早く元の生活に戻れることをお祈りしました.

 これにて本ブログでのイスタンブールネタは一応終了します.今回の旅行の詳細はいつかホームページの旅行記に,また市内の各史跡の詳細は別館ブログビザンチン大学に載せてますので,イスタンブールやビザンチン帝国に興味を持たれた方はどうぞ.

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2009年9月12日 (土)

イスタンブール滞在記5 ~9月4日~

 イスタンブール滞在第5日目です.前日結構ハードに動いたこともあり,この日は少しゆったりすることにしました.

 まず午前中はハマムに出かけます.ハマムとはトルコ式の蒸し風呂のことです.20年くらい前まで日本国内の繁華街にもトルコ風呂と称する施設がありましたが,もちろん全く別物です(笑).

 トルコ人の入浴好きは有名で,中央アジア時代の蒸し風呂の伝統にローマ・ビザンチン風の大浴場が混じって今ある形になったらしいです.今回繰り出したのは,旧市街の中心部にある創業1741年(江戸時代中期)の老舗です(シャーロウル・ハマム).行ってみると入口はこじんまりしているものの中は広々としていました.男性用と女性用があり,ここでKと別れました.男性用に行くと,ちょうどスーパーマリオそっくりのオッサンが待っていました.マリオにチェックのタオル(これを腰に巻く)を渡され,着替え室に入るよう促されます.中には寝台もありました.ここで服を脱ぎ,浴場へ,浴場は一面大理石の広々とした造り,天井にはドームもあり光が差し込んでいます.午前中ということもあるのか他に客はおらず貸切でした.

 浴場中央の大きな円形の台に寝そべります.浴場内はそれほど熱くはありませんが,じっとしているうちに汗が出てきます.しばらくしていると例のマリオが登場,マッサージ・シャンプー・垢すりとなります.ふにゃふにゃにされました(すごく気持ちよかったです 笑).

 その後は再び台に寝そべって汗を流します.適当なところで浴場を出て,タオルで体を拭き,さっき着替えた部屋に入ってしばらくお休みです.気持ちよくてうとうと寝てしまいました.日本の公衆浴場なら,風呂上りにはコーヒー牛乳なんでしょうが,残念ながらここにはありませんでした.

Isutanbul52_001 Isutanbul52_008 (写真左) グランドバザールの入り口,(同右) バザール内

 ハマムのあとは,近くにある有名なグランドバザールに繰り出します.日本でも「バザールでござ~る」というフレーズで有名になった場所です.ここは15世紀にこの街を攻略したオスマン帝国のスルタン,メフメト2世の命で造られた屋根つきの商店街です.各種宝飾店やお土産物店などが軒を連ねています.中では怪しげな日本語で話しかけてくる店員さんも大勢いました(笑).

Isutanbul5_001 (写真) ドルマバフチェ宮殿

 その後はいったんホテルに戻って休憩,そして再び外出です.今度は新市街にあるオスマン帝国末期の宮殿であるドルマバフチェ宮殿に繰り出しました.オスマン帝国最盛期の宮殿であるトプカプと比べるとこじんまりしてますが,ヨーロッパの影響を強く受けた壮麗な建物はやはりスルタンの栄華を今に伝えるものです.トルコ革命後はイスタンブールにおける大統領の執務所となり,トルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクもここで執務を執っていました.

Isutanbul5_025 Isutanbul42_036 (写真左) チャイ,(同右) ドンドルマ

 宮殿の観光後は新市街のイスティクラル通りを散策してチャイ(トルコの紅茶)をいただいたり,ドンドルマ(トルコアイス)を食べたりして過ごしました.そして夕方再びホテルに戻ってシャワーを浴びた後,ディナーショーに繰り出します.トルコの夜のエンターテイメントといえばベリーダンスです.この夜はガラタ塔最上階のレストランで開催されているベリーダンスショーを堪能しました.

Ista Isutanbul5_075 (写真左) 目が回りそうなダンスです,(同右) ウチのKもスルタンに捧げられてしまいました(笑)

 というわけで,明日はいよいよ帰国の日です.

 

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2009年9月 8日 (火)

イスタンブール滞在記4 ~9月3日~

 まだまだイスタンブールネタが続きそうです.

 さて,滞在4日目となりました.当然のように朝から快晴です(いったい2日目の午前中はなんだったのか).この日はけっこう欲張りな観光を思いつきました.旧市街北西部の見どころをずらっと回って,その後新市街にも足を伸ばそうという計画です.

 イスタンブール旧市街北西部にはビザンチン関係の史跡が結構残っています.さあ出かけようとなりましたが,イスタンブールは人口1000万とほぼ東京並みの規模の都市なんですが,公共交通機関特に電車は東京とは比較にならないほど発達していません(じゃあ,ロスのようにみんなマイカー利用なのかというと,旧市街の道路の狭さから考えてそんなことはなく,要するに人口は多いけれど人の移動は少ない街だということです).特にこの地域は市電も走っていない地域なので,やむを得ずタクシー利用となりました.

Isutanbul4_011 (写真1) カーリエ博物館外観

 向かった先はカーリエ博物館,ここはビザンチン時代コーラ修道院の付属教会堂だったところです.オスマン時代にはモスクに変更されましたが,ビザンチン時代のモザイク画やフレスコ画がたくさん残っているため,現在は博物館になっています.教科書なんかにも出てくる綺麗なモザイク画がたくさんありました.

Isutanbul4_021 (写真2) 祝福を与えるイエス(モザイク画)

 その後は徒歩でテオドシウスの大城壁に向かいます.2日前は街の外側から城壁を眺めたんですが,この日は内側から見てみます.ところどころ登れるところがあったため挑戦してみました(高所恐怖症の人にはお勧めできません).またこの近くにはビザンチン時代の世俗建築物としては唯一現存している宮殿(テクフル・サライ)の廃墟がありました(我々が訪問した時には他に観光客はおらず,近くのコーラ修道院に団体観光客を降ろした観光バスが停まっていました).

Isutanbul4_156 Isutanbul4_166 (左 写真3) テクフル・サライ,(右 写真4) 大城壁に登ってみました

 大城壁を後にして今度はコーラ修道院の反対側へひたすら歩きます.次の目的地はやはりビザンチンのモザイク画が残されているファティエ博物館です.ここもビザンチン時代は教会でオスマン時代はモスクだったところです.コーラ修道院に比べると地味ですが,綺麗なモザイク画がありました.

Isutanbul4_199 Isutanbul4_184 (左 写真5) ファティエ博物館外観,(右 写真6) 内部の様子

 ファティエ博物館の次はそのまま金角湾のフェリエ地区を目指して歩きます.ここには現在のコンスタンチノープル総主教座やビザンチン時代から現在まで一貫して教会であり続けた唯一の教会,モンゴルのマリア教会がありました.

Isutanbul4_208 (写真7) モンゴルのマリア教会

 ここまで見学して13時過ぎとなっていました.海沿いのこの地域まで来るとバスが走っているので,ここからはバスで直接新市街に向かいます.新市街の中心タクシム広場でバスを降り,近くのカフェでランチをとりました.その後は地下鉄で軍事博物館へ,行くとちょうどオスマン時代の有名な軍楽隊の演奏が行われていました.

 その後は軍事博物館内部を見学しました.ここには1453年のオスマン軍の攻撃を防ぐためビザンチン軍が金角湾を封鎖するのに使った鉄鎖が展示されていました.また同年5月29日のオスマン軍最後の総攻撃の様子がジオラマ等で再現されていましたが,これはビザンチン帝国にとっては首都陥落の悲劇の日です.ジオラマではビザンチンの双頭の鷲の旗が引きずり降ろされている場面まで再現されており,ビザンチン皇帝にとっては涙なしには見られない光景でした.

Isutanbul4_234 Isutanbul4_239 (左 写真8) 当時金角湾を封鎖していた鉄鎖,(右 写真9) コンスタンチノープル陥落の日,中央黄色地に双頭の鷲のビザンチン帝国の旗が降ろされています

 その後は地下鉄と市電,徒歩で新市街の金角湾そばに建つガラタ塔に来ました.この塔は6世紀に灯台として建てられ,その後改築を重ねてきたもので,ここに登るとイスタンブールの旧市街を一望に臨める場所です.トプカプ宮殿やアヤ・ソフィア,ブルーモスクといったこれまでに見てきた場所がよくわかりました.

Isutanbul4_295 (写真10) ガラタ塔外観

 その後はホテルに戻りシャワーを浴びて,日没後にラマダンで賑わうヒッポドロームに繰り出しました.イスラムのラマダンの季節は日中飲食ができないため,こうして夜になるとたくさんの屋台が立ち並び,さながら縁日のようになるのでした.

 というわけで,この日は今回の旅行中もっとも充実し,密度の濃い一日でした.

Isutanbul4_298 Isutanbul42_031 (左 写真11) ガラタ塔から旧市街を望みます(緑に覆われた地域),(右 写真12) 大勢の人で賑わう夜のヒッポドローム

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2009年9月 6日 (日)

イスタンブール滞在記3 ~9月2日~

 イスタンブール滞在3日目です.昨日の午前中はなぜか雨だったんですが(笑),午後からは晴れとなり,その続きで3日目も朝から快晴でした.この日はビザンチン帝国とは直接関係ないんですが,イスタンブール観光では欠かせないオスマントルコ時代の宮殿であるトプカプ宮殿を見学することにしました.トプカプ宮殿はちょうど旧市街の先端近くの高台に建っていて,旧市街はもちろん,新市街やアジア側も一望できるロケーションにあります.

Isutanbul3_013 (写真1) トプカプ宮殿入口の皇帝の門

 チケットを買って中に入ろうとするとセキュリティチェックがありました.オスマン帝国時代の財宝が山ほどありますから,悪いことをしようとする人を排除するためかもしれません. 謁見の間や様々な門,後宮(ハレム)はもちろんですが,何といっても財宝の数々に目を見張ります.宝石が惜しげもなくちりばめられた,とても実戦には使えそうにない(笑)短剣や箱,壺や食器などが並べられていました.これらをすべて売却すればトルコ政府の債務はすべてチャラになってお釣りがくるという噂は本当だと感じました.

Isutanbul3_054 (写真2) ハレム内にあるスルタン専用ハマム

 結局朝から昼過ぎまで見学し,宮殿内のレストランで昼食を摂りました.その後は旧市街の少し離れた史跡を見に行こうと路面電車(とはいっても松山や函館にあるような小型のものではなく,数両編成の立派な奴)で繰り出しました.

Isutanbul3_142 (写真3) ヴァレンス帝の水道橋,4世紀の建造物です.

 イスタンブールは海に突き出た岬に作られた街で,実は川などの水源に乏しいという弱点があります.このためビザンチン皇帝たちははるか西の水源から水をひくために立派な水道橋を作ったのです(ヴァレンス帝の水道橋).さすがに今では現役で使用されてはいませんが,4世紀に造られたその一部が現存しています(4世紀,日本でいえば邪馬台国のちょっと後くらいです).

Isutanbul3_153 (写真4) 工事中の旧パントクラトール修道院

 今では水道橋のアーチの下を自動車やバスがビュンビュン走っています. その後,水道橋の近くに建つビザンチン時代の修道院で今はモスクになっているパントクラトール修道院(現ゼイレクジャミィ)を見に行きました.場所がいまいちわからず苦労してたどり着いたんですが,残念ながら工事中で外観の一部しか見られませんでした. その後はイスタンブールの地元民しか行かないようなバザールを通ってホテルに戻りました.

Isutanbul3_161_2 (写真5) 地元の人しかいない商店街

 

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2009年9月 2日 (水)

イスタンブール滞在記2 ~9月1日~

 滞在2日目となりました.この日午前は街の旧市街を取り囲む大城壁を見に行きました.

 今に残るこの城壁は5世紀のテオドシウス2世の時代に造られたものです.以来何度も外敵の侵入を食い止めてこの街を守った城壁です.深い堀を持つ三重の城壁で,大砲がない時代にこれを突破するのは不可能な話でした(結局1453年5月29日の陥落の日まで,この城壁は一度も破られたことがなかったのです).

Isutanbul2_016_3 Isutanbul2_027 (写真) 今に残る大城壁の雄姿

 勇んで出かけたんですが… なんと雨でした(晴れ男なのに).

 500年以上経過しており,堀は埋め立てられてしまいましたが,残る城壁の姿から当時の威容をしのぶことができました.その後,城壁北側の高台にあるピエール・ロッティの喫茶店でチャイ(トルコ式の紅茶)をいただきました.

 その後は城壁周辺の史跡を見学しようと思ってましたが,雨で断念し,旧市街の観光に切り替えます.

Isutanbul2_066 (写真) モザイク博物館内部

 かつてビザンチン帝国の宮殿の床を飾ったモザイク画が展示されているモザイク博物館,6世紀に建造されたビザンチン建築の最高傑作ハギヤ・ソフィア考古学博物館古代オリエント博物館を見学しました.

Isutanbul22_032 Isutanbul2_155 (写真) ハギヤ・ソフィアの外観とドーム内

Isutanbul22_046 Isutanbul22_066 (写真左) 古代エジプト新王国とヒッタイト帝国の間で交わされた世界最古といわれる平和条約の条文,(同右) 1453年の籠城戦で金角湾封鎖に使われた鉄鎖

 結局これらを見学しているうちに天気は晴れになりました(笑).

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2009年9月 1日 (火)

イスタンブール滞在記1 ~8月31日~

みなさんお元気ですか,里帰り中のビザンチン皇帝です.

 さて,8月30日の午後に日本を出発して同日夜にイスタンブール入りしました.その晩はそのまま就寝し,いよいよ31日から活動開始です.というわけで,活動の様子を大雑把に報告します(詳細はいつ完成するか判らないレポで).今回宿泊したのは,イスタンブールの旧市街と呼ばれる地域です.ここはちょうどビザンチン帝国時代から街だった地域です.本来なら周辺の新市街の方に大きなホテルがあるんですが,今回見たい場所の多くが旧市街に集中しているため,利便性を考え旧市街に宿をとりました.しかし旧市街はまさに中世そのままに石畳の狭い路地のオンパレードで,大型ホテルなんて存在しません(ていうか存在できません).かわってこの地域にはオスマン帝国時代の政府高官の住居を改造したプチホテルと呼ばれるホテルが多くあり,今回はそのひとつに泊まることにしました.

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(写真1) 今回宿泊のホテル

 イスタンブールはアジアとヨーロッパ両大陸にまたがって広がる大都市です.同じ町でありながらアジア側とヨーロッパ側では電話番号も違うそうです.

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(写真2) 海から見たイスタンブール新市街,左手に見える塔がガラタ塔です

 で,アジアとヨーロッパの境目となっているのがボスポラス海峡です.初日はまず海から街を眺めようと,船に乗りました.海沿いに住居やビルが密集した街の様子は,まさに東西が入り混じるこの街の雰囲気を表していました.

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(写真3) ヒッポドロームに建つオベリスク

 その後旧市街に戻って,ビザンチン時代戦車競技場だったヒッポドローム,同じく当時の地下貯水場だった地下宮殿,6世紀に建てられたハギヤ・イレーネ教会キュチュック・アヤソフィアそして17世紀のオスマン時代に建てられたブルーモスクを見て回りました.

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(写真4,5) ブルーモスク

Istanbul1_180 Istanbul1_203 (写真6 左) 地下宮殿内のメデューサの首,(同7 右) 6世紀に建てられたハギヤ・イレーネ教会

 そして夕方からはボスポラス海峡沿いにあるレストランに繰り出してオスマン料理を堪能,ビザンチン皇帝の里帰り第1日は終わりました(うーん,初日からかなり飛ばしたな 笑).Istanbul1_248

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2008年8月 1日 (金)

8月になりました

 今日からいよいよ8月です.

 先週から今週初めにかけて、このブログのアクセス解析で”NHK ビザンチン帝国”というキーワードが激増していました.さてはと思って調べてみたら,NHK BSハイビジョンのビザンチン帝国の特番が再放送されていたようです.

 NHKのビザンチン帝国は,BSiの特番5回シリーズ(東ローマ帝国 ~繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡~)と並ぶビザンチンものの傑作特番です(他にないというのが悲しいが).中世から近世にかけて約1000年にわたって繁栄と衰亡を繰り返したビザンチン帝国ですが,残念ながらわが国の高校世界史ではビザンチン史は系統的には取り扱われておらず,中世ヨーロッパ史やイスラム史の中で断片的に登場するだけです.

 そんなビザンチン帝国ですが,領土的には6世紀に最盛期を迎えます.皇帝ユスチニアヌスの時代ですが,彼の時代ビザンチン帝国はゲルマン人に奪われたイタリアや北アフリカ,イベリア半島の一部を奪回し,地中海を再びローマの海とすることに成功したのです.実はこのユスチニアヌスが即位したのが西暦527年8月1日,今からちょうど1481年前なのでした(全然キリがよくないが).

6seiki1 (図) 6世紀のビザンチン帝国の領土(自作絵)

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2007年11月24日 (土)

東ローマ帝国の滅亡

 BS iで放送されていた東ローマ帝国の特番「東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡~」が11月22日に最終回を迎えた.これは2003年に放送された東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のスペシャル番組の再々々‥放送で,今回は10月11日から木曜日ごとに放送されていたものである.普段からビザンチン皇帝を名乗っているものにとっては,絶対に見逃せない番組で,私も何度か見ている.

 最終回は,第5回「滅びゆく全世界の支配者」と題して,十字軍から帝都コンスタンチノープルを奪回した後の,パライオロゴス朝時代の物語であった(時代的には13世紀後半から15世紀半ばまで).この時代西ヨーロッパでは国王を中心とした中央集権国家が形成されはじめ,ベネチアやジェノヴァといったイタリアの商業都市が隆盛し、地中海貿易の実権を握っていた.東方では新興イスラム国家であるオスマン・トルコが勃興していた.東ローマ帝国は往年の栄光をすっかり失い,首都とその近郊および小アジア北東部とペロポネソス半島付近にわずかに領土を持つだけの小国家になっていた.かつては世界の富の3分の2が集まるといわれたコンスタンチノープルも,商業上の利益はすべてイタリア都市に持っていかれる有様で衰退していた.小アジアからはトルコが,バルカン半島からはセルビア王国が帝国を脅かしていた….

 と堅い話は置いといて,番組中東方正教を受け入れたセルビアの教会の話が出ていたのだが,その教会の名前に目が点になった.

Pb230002 サボールナ教会(さぼるな教会?)って…,凄い名前だ.礼拝を2回続けてサボると破門されるとか,何か激しそうな教会です.

 今回これを発見したのはKです.過去何回か見ていた私は気がつきませんでした(笑).

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2007年11月 7日 (水)

ビザンチン帝国再放送

 昨日の夜帰宅してテレビをつけたら,NHK BSでなんと!去年放送していたビザンチン帝国の特番が再放送されていた.ビザンチンの特番としてはBS-i の「東ローマ帝国」5回シリーズが有名だが,このNHKの「ビザンチン帝国」もなかなか見ごたえのある作品であった.BS-i の特番が帝国の歴史に沿って,主要な皇帝の視線から見た番組となっているのに対して,NHKの特番は主にビザンチンの文化に着目して,帝国が1000年もの長きに渡って栄えた謎を解き明かそうと試みている.全3部構成で,第1部はモザイク画をはじめとするビザンチン美術について,第2部は帝国の精神的支柱となったキリスト教を通して,当時敵対関係にあったイスラム世界とどのように渡り合ったかを(十字軍以降の西欧のキリスト教徒のイスラムへの対応を知るものとして,同じキリスト教徒でありながらビザンチンのイスラム教徒への対応の巧みさに感動する),第3部では帝国の終末と後の時代に与えた影響を,同じ大学に学ぶギリシャ人の女子学生とトルコ人の男子学生がそれぞれの民族的,宗教的視点から取材していく様子が描かれている.

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 BS-i の「東ローマ帝国」の再放送と時を同じくしてのNHKの再放送,別に対抗したわけでもないだろうが,偶然にしてはすごい話と感動した次第である(ビザンチンと秋は特に結びつかないなぁ,コンスタンティノープルの開都は5月11日,陥落は5月29日でどちらも季節は春だ).秋の夜長にビザンチンについて学ぶのは皇帝として無上の喜びである(大げさ 笑).

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2007年10月26日 (金)

東ローマ帝国再放送

 ものすごく久しぶりのビザンチンネタ.

 最近このブログのアクセス解析で,「東ローマ帝国 BS i」というキーワードが急増している.なんだろうと思って調べてみたら,どうやらBS i で”東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡~”の再放送が行われているらしい(いったい何度目の再放送なんだろう).今回は毎週木曜日の夜8時から放送しているようだ.

 BS i の”東ローマ帝国~”は中世に東西世界の中間にあって,1000年の長きにわたって存在し,繁栄と衰亡を繰り返した大帝国(東ローマ帝国)の物語である.東ローマ帝国とは,このブログのタイトルにもなっているビザンチン帝国とほぼ同義語である(ビザンチン帝国の歴史についてはHPの私の拙文ビザンチン帝国についてを参照下さい).普段ビザンチン皇帝を名乗っているものにとっては見逃すことのできない番組で,私も以前の放送を録画したものを時々見ている.番組は全5回のシリーズで,帝国史上重要な役割を果たした皇帝にスポットをあてた構成となっている.当時の帝国の中心部であったトルコやギリシャはもちろん,イタリア,ウクライナなど周辺国にも取材し,豊富な映像をちりばめた造りとなっており,TBSの木村郁美アナの司会で,一橋大学の大月康弘教授(本放送時は助教授)の解説,さらには夏木マリ氏の朗読を交えながら進行していく.全5回の構成は

 第1話 もうひとつのローマはこうして作られた 

 都をコンスタンチノープルに移したコンスタンチヌス1世の話である.当時4分割されていたローマ帝国の中で,コンスタンチヌス1世が当時は異教とされていたキリスト教を取り入れ,帝国の覇権を争うトーナメント戦に勝利して,帝国を再統一し,やがて東の地に新しい都コンスタンチノープルを建設する様子を描いている.

 第2話 最強の皇帝が残した華麗なる芸術 

 西ローマ帝国の滅亡後,地方の農民出身でありながら,志を掲げて都に上り,軍人として活躍し,ついには皇帝にまで上り詰めた6世紀のユスチニアヌス1世の物語である.内政的にはニカの乱など波乱含みでもあったが,后妃テオドラの助けもあり,彼の時代に帝国はその最大版図を記録した.文化的にも国内各地にモザイク画が作られた.

 第3話 帝国の黄金期に潜む陰謀と策略 

 帝国の最盛期である10~11世紀のマケドニア朝の諸皇帝の話である.元々ビザンチン皇帝位は必ずしも世襲ではなく,運と実力があれば誰でもなることができた.しかし社会が安定してくると,次第に血統を重視する考えもでてくる.そして血統と実力を兼ね備えた皇帝バシレイオス2世が登場し,帝国は最盛期を迎えた.

 第4話 十字軍に救いを求めた大国の誤算 

 12~13世紀の十字軍の時代である.11世紀後半小アジアにセルジュク・トルコが勃興し,国内では内乱が起こるなど帝国は危機を迎える.この時久々に軍人から皇帝になったアレクシオス1世は国内の政治体制を一新するとともに,西方世界に救援を求めた.こうして十字軍が始まり,その間隙を縫って帝国は勢力を盛り返した.しかし,それはまた滅亡の始まりでもあった.

 第5話 滅びゆく「全世界の支配者」

 14~15世紀のパライオロゴス朝の諸皇帝の物語である.かつての栄光を失い小国に転落した帝国に,東から新興国家オスマン・トルコの脅威が迫る.滅亡の危機の中,皇帝マヌエル2世,ヨハネス8世は西方に救援を求める旅に出た.しかし援軍はなく,帝国はついに最後の日を迎える.

Constantinus111 東ローマ帝国(ビザンチン帝国)最後の皇帝コンスタンチヌス11世(私の先祖です ウソ).

 昨日はこのうち第3話の再放送(再々々々放送くらいか)であり,久しぶりにじっくりと見たのでした.

 追伸: BS-i はTBS系である.TBSといえば最近の亀田家騒動を始め,ゴルフの石川遼選手の肉声盗聴未遂事件,朝ズバでの不二家捏造事件などブラックな話題が豊富な放送局である(古くはオウムビデオ事件や石原都知事の発言捏造事件なんてのもあった).しかし,BSの世界ではBS-i はこの「東ローマ帝国~」をはじめ,良質な番組を多く放送していると思う.このギャップは何なのだろうか.関わっているスタッフが違うのだろうが,BSではあまり視聴率を気にしなくてもいいからだろうか(だから思い切った番組が作れるのか?).地上波のTBSの惨状とBS-i を比べると,とても同じ系列とは思えないのだった.

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