2016年5月11日 (水)

5月11日

 今日は5月11日,自分のサイトのトップページに張り付けてあるブログパーツによると鵜飼開きの日なんだそうですが,自分的には2つの意味で重要な日です.

Istanbul1_233  ひとつ目は当サイトの根幹であるビザンチン帝国の都,コンスタンチノープル開都の日です.元々ローマ帝国の都はローマでしたが,3世紀以降経済の衰退が著しく,国の重心は次第に東方に移っていました.これは3世紀初めのカラカラ帝の時代にローマ市民権の大安売りが行われた結果,働かずに国家に寄生するだけの自由民が増えていったことにも由来します.一方でローマにいる貴族たちは相変わらず権利ばかりを主張して,歴代ローマ皇帝にとって目の上のたんこぶとなっていたのです.

 ただ,3世紀は政治的に混乱の多い時代で,首都移転を実行できるような強力な皇帝はいませんでした.そんな中久しぶりに国内政治を安定させた皇帝がディオクレティアヌスです.そしてその後継者争いに勝利したコンスタンティヌス1世によって首都の移転が実行され,330年のこの日,ボスポラス海峡に面した一地方都市に過ぎなかったビザンティムがコンスタンチノープルとリニューアルされ帝国の新たな都となったのです.

Tosizou  そしてもう一つの5月11日は,自分も愛好している新選組副長土方歳三が函館で戦死したとされる日です(こちらは厳密に言えば旧暦ですが).この前の日曜日にひの新選組まつりが開催されましたが,これも土方歳三の命日に近い週末に開催されているものです.

 そんなわけで5月11日は当ブログにとっても重要な日なのでした.

 

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2015年8月15日 (土)

8月15日

 今日8月15日は終戦の日,1945年のこの日,日本政府がポツダム宣言の受諾を表明したことによる(厳密にいえば正式に終戦になるのは戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印した9月2日).今年はそれから70年という節目の年に当たることもあって,各種メディアでも盛んと関連番組や記事を取り上げている.

 とはいえ,このブログは本来政治的な話題を取り上げないスタンスなので,世間の流れにはあえて背を向けて,終戦以外の8月15日について調べてみた.すると,この日は意外に興味深い出来事がいろいろ起こっていることがわかる.

1.ナポレオン・ボナパルトの誕生日

 フランス革命からジャコバン派の恐怖政治の時代を経て,一介の砲兵将校から皇帝にまで上り詰めた,ナポレオンの誕生日が8月15日である.1769年のことなので,今年で246年目ということになる.

2.刺身の日

 暑い夏とは縁がなさそうな気がするが,8月15日は刺身の日らしい.これは室町時代後期の書記官,中原康冨が文安五年(1488年)8月15日の日記に「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とあり,これが初めて刺身に関する記事が文書に載ったことにちなむとのことである.

3.パナマ運河が開通

 太平洋と大西洋を結ぶ運河であるパナマ運河が完成したのが1914年の8月15日である.運河といえば地中海と紅海を結ぶスエズ運河があるが,実は当初このスエズ運河を作ったフランス人のレセップスがパナマ運河の開設を始めたものの失敗(太平洋と大西洋の高さの違いや地形など,スエズ運河とはあまりにも条件が違い過ぎた),結局アメリカによって建設されたものである.

4.ビザンチン皇帝ミカエル8世戴冠

 もっともこのブログにふさわしそうな話題である.1204年に第4回十字軍によって征服され,一時は消滅したビザンチン帝国であるが,西欧側の混乱の隙をついてコンスタンチノープルを奪回,帝国は再興された.この中心人物がミカエル8世で,彼が戴冠を受けたのが1261年のこの日である.ミカエル8世に始まるパライオロゴス朝はその後1453年の帝国の滅亡まで続くことになる.

 このように終戦以外にもいろんなエピソードがある8月15日であった.

Mika8 (写真) ビザンチン帝国の再興者ミカエル8世

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2015年5月11日 (月)

コンスタンティノープル開都の日

Istanbul647 (写真1) 新市街のガラタ島から見た旧市街

 今日5月11日は当ブログの名称に深いかかわりのある,ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルが前身であるローマ帝国の都になった記念の日です(330年).

 コンスタンティノープルの街としての歴史は非常に古く,紀元前7世紀にさかのぼります.古代ギリシャの都市国家のひとつであるメガラの植民者たちが,バルカン半島の最東端,ボスポラス海峡に面した土地に住み着いたのが始まりとされています.植民者たちのリーダーだったメガラ王ニソスの子ビザスの名にちなみ,ビザンチオンと呼ばれたこの街は平凡な地方都市として歴史を歩んでいきます.他の地中海沿岸都市がそうだったように,この街も古代ローマの地中海制覇の波に飲み込まれ,紀元後は古代ローマの地方都市となりました(この頃から名称もラテン語風にビザンティウムとなる).

Istanbul685 (写真2) 街の突端,今のトプカプ宮殿の隣にはビザンティム時代に立てられた塔があります

 この街の歴史が大きく変わるのは4世紀のことです.3世紀以降内憂外患で弱体化したローマ帝国の立て直しを目指していた皇帝がコンスタンティヌス1世でした.彼が歴史に残した業績のひとつが当時厳しい迫害にさらされていたキリスト教の公認ですが,もうひとつが首都の移転でした.4世紀当時,ローマ帝国の中心部ともいえるイタリア半島は経済的に没落していました.さらに当時は帝国の東にササン朝ペルシャという強力な国が存在し,ローマは国境を挟んで常に緊張状態にありました.ローマ帝国の最大の仕事は異国から国を守ること,このためペルシャとの戦争を指揮しなければならない皇帝にとってローマは戦場から遠すぎ,コンスタンティヌスは国の東方に首都を移転することを考えていたのです.この東方新首都として白羽の矢が立ったのがビザンティウムでした.

Isutanbul2_125 (写真3) イスタンブール中心部(アヤソフィアの近く)に今も残るビザンティム時代の城壁(当時はこのあたりが町はずれ,本当に小さかったんですね).

 ビザンティウムは3方を海に囲まれた要害であり,さらには金角湾という良港にも恵まれて物資の集積にも便利と,こうしたペルシャとの戦争を指揮する場所として最適だったのです.こうしてコンスタンティヌスは平凡な地方都市だったこの街を新しい都にすべく工事を開始,西暦330年5月11日に開都式が行われ正式にローマ帝国の都となりました(遷都とともに町の名前も皇帝の名を取りコンスタンティノープルとなる).

 時代は移り,帝国の西半分はゲルマン人の大移動に飲み込まれて滅びたものの,新首都を含む帝国の東側はその後も15世紀まで存続し続けました.5月11日はそんな記念日なのであります.

 追記: 旧暦と新暦の違いはありますが,当ブログのもう一つの重要キャラ新選組の土方歳三が函館で戦死したのが同じく5月11日です(明治2年).

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2015年3月28日 (土)

皇帝誕生日

 みなさんこんばんは,久しぶりの更新になってしまいました.

 今日3月28日は私,ビザンチン皇帝コンスタンチヌス21世の誕生日です.皇帝の誕生日なんだから当然祝日だろうと思ってたんですが,残念ながら亡国の君主のために祝日は設けてはくれないらしく,ただの土曜日でした(笑).一体何歳になったのか自分でも時々忘れるんですが,とりあえず四捨五入してもまだ0歳側ではあります.

 今日最終回を迎えた朝ドラじゃないんですが,人生はアドベンチャー,守りに入ったらおしまいだろうと思っているので,今年も仕事,趣味双方で新しいことにチャレンジしていきたいと思います.

 ちなみに3月28日生まれの有名人というと,神田うのレディ・ガガ,元横綱北の富士がいます.いずれも強烈な個性の人たちばかりです(個性の強烈さでは自分も負けてないか).

 さらにどうでもいいですが,3月28日は三つ葉の日(3(み)、2(ツー),8(バ)だから),三ツ矢サイダーの日(同前),シルクロードの日(1900年のこの日ヘディンによってシルクロードの古都,楼蘭が発見されたから)なんだそうです.一番最後はかなりまともですが,前2つはトホホな感じがします (^。^).

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2014年2月16日 (日)

イスタンブール旅行記完成

0istanbul1 最近ボチボチとホームページ本編の更新を行っているんですが,ようやく2009年のイスタンブール旅行記が完成しました.ビザンチン皇帝を名乗っているものにとっては非常に重要な旅行記なわけですが,完成までなんと5年近くもかかったことになります(笑).

 イスタンブール旅行記

 旅行記の他にもひの新選組まつりのレポもたまってるなぁ(笑).

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2012年3月18日 (日)

台湾に行ってきます

みなさんこんにちは、ビザンチン皇帝です。
以前から時々話題にしていた台湾での演奏旅行に出発するため空港にきています。
今回は成田ではなく、羽田空港からの出発です。すでに出国審査は完了し、まもなぅ始まる搭乗を待つばかりです。今回は現地にPCを持って行くので、現地の様子もレポできると思います。

それではみなさま、いってきます。

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2009年9月15日 (火)

イスタンブール滞在記6 ~9月5日~

 イスタンブールネタをいつまでも引っ張ると,このブログのタイトルと矛盾してしまうので,今回が最終回です.

 さていよいよイスタンブール最終日となりました.昨夜はディナーショーで帰りが遅かったこともあり,この朝はゆっくりです.「これがイスタンブール最後の朝食か」などと感慨に浸りながら朝食です.

 この日はまだ行っていない史跡を見ながら歩くことにしました.まず向かうはトプカプ宮殿隣に広がるギュルハネ公園です.いつも大勢の観光客で大賑わいのトプカプ宮殿とは対照的に公園の方はいたって静かでした.しかし別に散歩のために公園に行ったわけじゃありません.実は公園の先端,マルマラ海と金角湾,そしてボスポラス海峡が一望できる岬に一本の柱が立っているんです.この街へやって来る観光客の99%はその存在すら知らないであろうこの柱,なんとこれ,この街がコンスタンチノープルにすらなっていなかった時代,ビザンチオン時代の史跡なんです.

 3世紀,ローマ帝国が弱体化し始めた頃,しばしば帝国内に侵入してきたゴート人を打ち破った皇帝クラウディウス2世の功績をたたえて建てられた柱なんです.今はゴート人の柱と呼ばれるこの柱,当時はそのてっぺんにクラウディウス2世の像が載っていたと言われています.

Isutanbul5_135 Isutanbul5_134 (写真左) ゴート人の柱,(同右) 今は柱の上にはなにもありません.

 その後,近くのオープンカフェでチャイをいただき,そのまま徒歩で海沿いを歩きます.向かった先はイスタンブールのヨーロッパ側の鉄道の終点,シルケジ駅です.ヨーロッパ各地からやって来る国際列車の終着駅で,かつて有名なオリエント急行もここが終点でした.

Isutanbul5_144 (写真) オリエント急行の終着駅だったシルケジ駅

 その後はガラタ橋で釣り客を冷やかしたり,橋の近くにあるエジプシャンバザールを見学したりして過ごしました.

 その後は近くのカフェでランチを摂りホテルに戻りました.14時に迎えの車がやってきて空港へ.出国審査を経て飛行機に向かおうとセキュリティチェックに行き,「そういえば飲みかけの水が余ってた.こりゃ没収だな」と係員に差し出したら,係員さん手を振って「No problem」といって突っ返してよこしました.最近国際線はすべて液体物持ち込み禁止と思ってたんですが,そうでない国もあるようです(笑).

 こうして機上の人となった我々は一路懐かしい日本へ向かったのでした.

追伸: 我々の帰国直後,イスタンブールを大雨と洪水が襲い,亡くなった方もいたとのニュースが流れました.自分の運の良さを実感するとともに,被害にあわれた方々が一日も早く元の生活に戻れることをお祈りしました.

 これにて本ブログでのイスタンブールネタは一応終了します.今回の旅行の詳細はいつかホームページの旅行記に,また市内の各史跡の詳細は別館ブログビザンチン大学に載せてますので,イスタンブールやビザンチン帝国に興味を持たれた方はどうぞ.

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2009年9月12日 (土)

イスタンブール滞在記5 ~9月4日~

 イスタンブール滞在第5日目です.前日結構ハードに動いたこともあり,この日は少しゆったりすることにしました.

 まず午前中はハマムに出かけます.ハマムとはトルコ式の蒸し風呂のことです.20年くらい前まで日本国内の繁華街にもトルコ風呂と称する施設がありましたが,もちろん全く別物です(笑).

 トルコ人の入浴好きは有名で,中央アジア時代の蒸し風呂の伝統にローマ・ビザンチン風の大浴場が混じって今ある形になったらしいです.今回繰り出したのは,旧市街の中心部にある創業1741年(江戸時代中期)の老舗です(シャーロウル・ハマム).行ってみると入口はこじんまりしているものの中は広々としていました.男性用と女性用があり,ここでKと別れました.男性用に行くと,ちょうどスーパーマリオそっくりのオッサンが待っていました.マリオにチェックのタオル(これを腰に巻く)を渡され,着替え室に入るよう促されます.中には寝台もありました.ここで服を脱ぎ,浴場へ,浴場は一面大理石の広々とした造り,天井にはドームもあり光が差し込んでいます.午前中ということもあるのか他に客はおらず貸切でした.

 浴場中央の大きな円形の台に寝そべります.浴場内はそれほど熱くはありませんが,じっとしているうちに汗が出てきます.しばらくしていると例のマリオが登場,マッサージ・シャンプー・垢すりとなります.ふにゃふにゃにされました(すごく気持ちよかったです 笑).

 その後は再び台に寝そべって汗を流します.適当なところで浴場を出て,タオルで体を拭き,さっき着替えた部屋に入ってしばらくお休みです.気持ちよくてうとうと寝てしまいました.日本の公衆浴場なら,風呂上りにはコーヒー牛乳なんでしょうが,残念ながらここにはありませんでした.

Isutanbul52_001 Isutanbul52_008 (写真左) グランドバザールの入り口,(同右) バザール内

 ハマムのあとは,近くにある有名なグランドバザールに繰り出します.日本でも「バザールでござ~る」というフレーズで有名になった場所です.ここは15世紀にこの街を攻略したオスマン帝国のスルタン,メフメト2世の命で造られた屋根つきの商店街です.各種宝飾店やお土産物店などが軒を連ねています.中では怪しげな日本語で話しかけてくる店員さんも大勢いました(笑).

Isutanbul5_001 (写真) ドルマバフチェ宮殿

 その後はいったんホテルに戻って休憩,そして再び外出です.今度は新市街にあるオスマン帝国末期の宮殿であるドルマバフチェ宮殿に繰り出しました.オスマン帝国最盛期の宮殿であるトプカプと比べるとこじんまりしてますが,ヨーロッパの影響を強く受けた壮麗な建物はやはりスルタンの栄華を今に伝えるものです.トルコ革命後はイスタンブールにおける大統領の執務所となり,トルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクもここで執務を執っていました.

Isutanbul5_025 Isutanbul42_036 (写真左) チャイ,(同右) ドンドルマ

 宮殿の観光後は新市街のイスティクラル通りを散策してチャイ(トルコの紅茶)をいただいたり,ドンドルマ(トルコアイス)を食べたりして過ごしました.そして夕方再びホテルに戻ってシャワーを浴びた後,ディナーショーに繰り出します.トルコの夜のエンターテイメントといえばベリーダンスです.この夜はガラタ塔最上階のレストランで開催されているベリーダンスショーを堪能しました.

Ista Isutanbul5_075 (写真左) 目が回りそうなダンスです,(同右) ウチのKもスルタンに捧げられてしまいました(笑)

 というわけで,明日はいよいよ帰国の日です.

 

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2009年9月 8日 (火)

イスタンブール滞在記4 ~9月3日~

 まだまだイスタンブールネタが続きそうです.

 さて,滞在4日目となりました.当然のように朝から快晴です(いったい2日目の午前中はなんだったのか).この日はけっこう欲張りな観光を思いつきました.旧市街北西部の見どころをずらっと回って,その後新市街にも足を伸ばそうという計画です.

 イスタンブール旧市街北西部にはビザンチン関係の史跡が結構残っています.さあ出かけようとなりましたが,イスタンブールは人口1000万とほぼ東京並みの規模の都市なんですが,公共交通機関特に電車は東京とは比較にならないほど発達していません(じゃあ,ロスのようにみんなマイカー利用なのかというと,旧市街の道路の狭さから考えてそんなことはなく,要するに人口は多いけれど人の移動は少ない街だということです).特にこの地域は市電も走っていない地域なので,やむを得ずタクシー利用となりました.

Isutanbul4_011 (写真1) カーリエ博物館外観

 向かった先はカーリエ博物館,ここはビザンチン時代コーラ修道院の付属教会堂だったところです.オスマン時代にはモスクに変更されましたが,ビザンチン時代のモザイク画やフレスコ画がたくさん残っているため,現在は博物館になっています.教科書なんかにも出てくる綺麗なモザイク画がたくさんありました.

Isutanbul4_021 (写真2) 祝福を与えるイエス(モザイク画)

 その後は徒歩でテオドシウスの大城壁に向かいます.2日前は街の外側から城壁を眺めたんですが,この日は内側から見てみます.ところどころ登れるところがあったため挑戦してみました(高所恐怖症の人にはお勧めできません).またこの近くにはビザンチン時代の世俗建築物としては唯一現存している宮殿(テクフル・サライ)の廃墟がありました(我々が訪問した時には他に観光客はおらず,近くのコーラ修道院に団体観光客を降ろした観光バスが停まっていました).

Isutanbul4_156 Isutanbul4_166 (左 写真3) テクフル・サライ,(右 写真4) 大城壁に登ってみました

 大城壁を後にして今度はコーラ修道院の反対側へひたすら歩きます.次の目的地はやはりビザンチンのモザイク画が残されているファティエ博物館です.ここもビザンチン時代は教会でオスマン時代はモスクだったところです.コーラ修道院に比べると地味ですが,綺麗なモザイク画がありました.

Isutanbul4_199 Isutanbul4_184 (左 写真5) ファティエ博物館外観,(右 写真6) 内部の様子

 ファティエ博物館の次はそのまま金角湾のフェリエ地区を目指して歩きます.ここには現在のコンスタンチノープル総主教座やビザンチン時代から現在まで一貫して教会であり続けた唯一の教会,モンゴルのマリア教会がありました.

Isutanbul4_208 (写真7) モンゴルのマリア教会

 ここまで見学して13時過ぎとなっていました.海沿いのこの地域まで来るとバスが走っているので,ここからはバスで直接新市街に向かいます.新市街の中心タクシム広場でバスを降り,近くのカフェでランチをとりました.その後は地下鉄で軍事博物館へ,行くとちょうどオスマン時代の有名な軍楽隊の演奏が行われていました.

 その後は軍事博物館内部を見学しました.ここには1453年のオスマン軍の攻撃を防ぐためビザンチン軍が金角湾を封鎖するのに使った鉄鎖が展示されていました.また同年5月29日のオスマン軍最後の総攻撃の様子がジオラマ等で再現されていましたが,これはビザンチン帝国にとっては首都陥落の悲劇の日です.ジオラマではビザンチンの双頭の鷲の旗が引きずり降ろされている場面まで再現されており,ビザンチン皇帝にとっては涙なしには見られない光景でした.

Isutanbul4_234 Isutanbul4_239 (左 写真8) 当時金角湾を封鎖していた鉄鎖,(右 写真9) コンスタンチノープル陥落の日,中央黄色地に双頭の鷲のビザンチン帝国の旗が降ろされています

 その後は地下鉄と市電,徒歩で新市街の金角湾そばに建つガラタ塔に来ました.この塔は6世紀に灯台として建てられ,その後改築を重ねてきたもので,ここに登るとイスタンブールの旧市街を一望に臨める場所です.トプカプ宮殿やアヤ・ソフィア,ブルーモスクといったこれまでに見てきた場所がよくわかりました.

Isutanbul4_295 (写真10) ガラタ塔外観

 その後はホテルに戻りシャワーを浴びて,日没後にラマダンで賑わうヒッポドロームに繰り出しました.イスラムのラマダンの季節は日中飲食ができないため,こうして夜になるとたくさんの屋台が立ち並び,さながら縁日のようになるのでした.

 というわけで,この日は今回の旅行中もっとも充実し,密度の濃い一日でした.

Isutanbul4_298 Isutanbul42_031 (左 写真11) ガラタ塔から旧市街を望みます(緑に覆われた地域),(右 写真12) 大勢の人で賑わう夜のヒッポドローム

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2009年9月 6日 (日)

イスタンブール滞在記3 ~9月2日~

 イスタンブール滞在3日目です.昨日の午前中はなぜか雨だったんですが(笑),午後からは晴れとなり,その続きで3日目も朝から快晴でした.この日はビザンチン帝国とは直接関係ないんですが,イスタンブール観光では欠かせないオスマントルコ時代の宮殿であるトプカプ宮殿を見学することにしました.トプカプ宮殿はちょうど旧市街の先端近くの高台に建っていて,旧市街はもちろん,新市街やアジア側も一望できるロケーションにあります.

Isutanbul3_013 (写真1) トプカプ宮殿入口の皇帝の門

 チケットを買って中に入ろうとするとセキュリティチェックがありました.オスマン帝国時代の財宝が山ほどありますから,悪いことをしようとする人を排除するためかもしれません. 謁見の間や様々な門,後宮(ハレム)はもちろんですが,何といっても財宝の数々に目を見張ります.宝石が惜しげもなくちりばめられた,とても実戦には使えそうにない(笑)短剣や箱,壺や食器などが並べられていました.これらをすべて売却すればトルコ政府の債務はすべてチャラになってお釣りがくるという噂は本当だと感じました.

Isutanbul3_054 (写真2) ハレム内にあるスルタン専用ハマム

 結局朝から昼過ぎまで見学し,宮殿内のレストランで昼食を摂りました.その後は旧市街の少し離れた史跡を見に行こうと路面電車(とはいっても松山や函館にあるような小型のものではなく,数両編成の立派な奴)で繰り出しました.

Isutanbul3_142 (写真3) ヴァレンス帝の水道橋,4世紀の建造物です.

 イスタンブールは海に突き出た岬に作られた街で,実は川などの水源に乏しいという弱点があります.このためビザンチン皇帝たちははるか西の水源から水をひくために立派な水道橋を作ったのです(ヴァレンス帝の水道橋).さすがに今では現役で使用されてはいませんが,4世紀に造られたその一部が現存しています(4世紀,日本でいえば邪馬台国のちょっと後くらいです).

Isutanbul3_153 (写真4) 工事中の旧パントクラトール修道院

 今では水道橋のアーチの下を自動車やバスがビュンビュン走っています. その後,水道橋の近くに建つビザンチン時代の修道院で今はモスクになっているパントクラトール修道院(現ゼイレクジャミィ)を見に行きました.場所がいまいちわからず苦労してたどり着いたんですが,残念ながら工事中で外観の一部しか見られませんでした. その後はイスタンブールの地元民しか行かないようなバザールを通ってホテルに戻りました.

Isutanbul3_161_2 (写真5) 地元の人しかいない商店街

 

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