2023年4月26日 (水)

第26回ひの新選組まつりの案内

Dsc_2590  今日ポストを覗いたら、日野市観光協会からの封書が入っていました.いよいよ来月開催される第26回ひの新選組まつりの案内です.

 私にとっての春の恒例イベントで,2006年以降ほぼ参加し続けているお祭りです.2019年を最後にコロナ禍で3年続けてパレードは中止になっていましたが,コロナが5類に変更されるのに合わせてようやく再開されることになりました.ただこの間における状況の変化(おそらくはスポンサーなどの経済面が大きい印象)から開催計画の見直しがあったようで,今回に関してはパレードは日野地区のみ(これは日野地区と高幡地区を隊士が移動するためのバスが手配できなくなったためと予想),例年配布されていた弁当の廃止(純粋に予算減のためでしょう)、参加人数の制限(合計84名)という風に変更されています.そして従来は移動の時間に充てられていたお昼休みには屯所警備と称して隊士が屯して市民と交流する(笑)ことになっているようです.

Dsc_2592 Dsc_2594  元々は新選組本隊でコンテストにも参加していた私ですが、震災を経た2010年代以降は”新選組と同時代の人々”枠(通称ゆかり隊)での参加も増えていました.本隊とは違った何とも言えないゆるさが魅力的な存在でしたが,おそらくは予算の関係で今年は募集が行われていません.最後のパレードとなった2019年の第22回での私の役が幕臣勝海舟で,それ以降新しい役柄が無かったことからTwitterのアカウントに”〇△まで安房守”という文字を付けていましたが,こちらもようやく終わりになりそうです.ともに参加する方々,見に来て下さる方々よろしくお願いいたします.

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2023年3月 8日 (水)

第26回ひの新選組まつり当選通知!

 私にとっての春の恒例イベントといえばひの新選組まつりです。ただ2020年に始まったコロナ禍でパレードは3年連続で中止になってしまいました。そんな厳しい時期を経て、今年はついに隊士パレードが行われることが実行委員会から1月に発表され,2月には参加募集が行われました.15年以上参加し続けてきたお祭りだけに愛着も深いです(なんたって、このブログのプロフィール写真として使い続けているほど 笑).何気に申し込んでいたのですが,本日実行委員会からメールが来ました.

 この度は、第26回ひの新選組まつり「隊士パレード」へご応募いただきありがとうございました。
抽選の結果【当選】されました。

 なんと!当選です.今年は事前に一般参加は86名に制限,その後の定員の倍近い応募があったことがアナウンスされるなど果たして参加できるのかと思っていましたが,なんとか抽選に通ったようです(普段くじ運は悪い方なのであまり期待していなかった💦).今年のパレードに関しては個人的に思うところもあったので,参加できるのは本当にうれしいです.もっとも期限内に参加費を振り込まないと資格を失うらしいので注意が必要ではあります.

 参加される同志の方々,見に来て下さる方々よろしくお願いいたします.

Shutsujin2_20230308210001 22hino05_20230308205901(写真左)初参加した2006年第9回の自分(井上源三郎役),(同右)今のところ最終参加となっている2019年第22回の自分(右の勝海舟役).

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2023年2月 1日 (水)

第26回ひの新選組まつり募集開始

 先日の記事で触れていた第26回ひの新選組まつりの募集が始まったようです.

 『第26回ひの新選組まつり』新選組隊士パレード参加者募集

 私にとっても春の恒例イベントでしたが,2019年を最後にしてコロナ禍でパレードは3年連続で中止となっていました(2020年は完全中止,2021年はwebのみで開催,2022年は隊士コンテストのみ開催).しかし,ウィズコロナの時代に入ったことと,政府が5月8日から扱いを5類に変更すること等を受けて4年ぶりにパレードを開催することなったものです.

 で,今年の参加要項を見たのですが,従来とはかなり変更点があるようです.

 ① 参加人数がかなり絞られる 2019年までは衣装貸し出し参加者は100名限定でしたが,衣装持参の場合は希望者全員が参加できました.しかし今回は貸出・持参併せて合計86名ということです(この他に地元企業枠はあるようです).

 ② 参加費が上がった 2019年の参加費は(日野市民外の場合)衣装貸し出し5000円,持ち込み2500円でしたが,今年は貸し出し8000円,持ち込み4500円とかなり上がっています.これは以前ほどスポンサー収入が望めなくなっている状況から来るものと思われます.

 ③ パレードの舞台が日野地区のみ 2019年までは午前中は高幡地区,午後は日野地区だったのですが,今年は終日日野地区のみとなっています.これもおそらくはスポンサーの関係で両地区を移動するためのバスの手配ができないなどの理由ではと想像されます(これに伴い着替え場所が従前の高幡不動尊信徒会館&順徳小学校から市民の森ふれあいホールに変更)

 ④ 弁当の廃止 些細なことですが,2019年までは配られたお弁当がなくなり昼食は各自用意となります.パレードの弁当については隊士は「新選組ふるさと弁当」なのに,同時代の人々は「セブンイレブン弁当」だったなど楽しいネタがあったのですが,これも経費削減の一環なのか廃止になるようです(あるいはお祭りに出店する店舗の売り上げアップも期待されているかも).

 その他にはお昼の自由時間が増えて,観客との交流時間が設定されるようです.これはなんだか2009年のパレード終了後の「ふれあいタイム」を想像させます(笑).一方でいつもパレードの末端でまったりと独自の行動をしていた(させられていた?)「新選組と同時代の人々」(通称ゆかり隊)の募集は行われないようです(個人的にはあのまったり感と疎外感が好きだったんですが 笑).

 そんな第26回ひの新選組まつり,とりあえずは応募してみたいなと思ったのでした(自分はもちろん衣装持ち込み).

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2023年1月22日 (日)

第26回ひの新選組まつり

 TwittterのTL上に#ひの新選組まつりというタグが増えているなぁと思っていたら、どうやら第26回ひの新選組まつりの開催告知がされていたようです。

 第26回ひの新選組まつり開催

 毎年春の恒例イベントであるひの新選組まつり、私は2006年の第9回から参加しています.当初はコンテストにも出場してパレードでは隊士として参加するのが定番だったのですが,近年では隊士ではなく新選組と出会った人々の枠で参加することも多くなっています.特に震災以降は2012年の第15回から2019年の第22回までの8回のうち5回同時代枠でした(第15回松本良順,第16回井上松五郎,第19回清河八郎,第20回高杉晋作,第22回勝海舟).しかしコロナ禍によって2020年(第23回)は完全中止,2021年(第24回)はwebのみ,2022年(第25回)はコンテストと法要等のみの開催となりパレードは行われませんでした.今年はパレードも行うとのことですが、どういう形で行われるのか楽しみにしています(昨年の当初アナウンスでは人数を制限して隊士のみ,同時代枠は無しということだったのでその辺がどうなるのかも気になります).募集開始は2月1日とのことです.

22hino28_20230124225101  写真は最後にパレードが行われた2019年(第22回)の記念写真,この時勝海舟役だったため,Twitterではいまだに安房守を名乗っています(笑).

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2022年8月10日 (水)

医局中法度

 今日は8月10日、語呂合わせ記念日としては帽子の日(帽子=ハット(8+10)が有名ですが、そのものズバリの法度の日があってもいいでしょう。

 試みに調べてみると法度とは、中世から近世にかけて作られたおきて、法とされています。江戸時代の武家諸法度や禁中並公家諸法度が有名です。一方で法度には禁じられていること、してはならないことという意味もあります。「◯△はウチの会社ではご法度だよ」なんていうのは後者の例です。

 今に知られる法度の一つである新選組の局中法度は法というよりも後者の禁令の意味が強いものとなっています。一般には

一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可

 の4章からなっています。基本的に全て「◯△してはならない」という禁令です。上記項目に違反した者は切腹となっていますが、第一章の「士道ニ背キ間敷事」はいかようにも解釈可能であるため、一般隊士にとってはかなり恐ろしい項目です。新撰組は内部粛清によって多くの隊士を失ったという歴史があり、この法度がそれに影響を与えたことは間違い無いでしょう。

 で、この局中法度にヒントを得て思いついたのが医局中法度です。新選組のトップは組長ではなく局長と呼ばれます。これは元々会津藩預かりの組織だったため自らを会津藩の一部局と位置付けたからとも言われています。一方で大学病院などである専門領域の医師の集団を医局といいそのまとめ役を担当する人物を医局長と呼びます(こちらはあくまでもまとめ役であって、組織のトップではない)。新選組の局中法度をアレンジして医局中法度を作ってしまおうという企画です。実はこれ2007年の第10回ひの新選組まつりの隊士コンテストのネタとして作った者です。当時結構ウケて私は無事にコンテストに合格、この年5番組長武田観柳斎役を頂いたのでした。

Ikyokuhatto  そんな医局中法度は

一、医道ニ背キ間敷事(医の心を忘れるなということ)
一、医局ヲ脱スルヲ不許(つらくても勝手に病院をやめるなという意味)
一、勝手ニ副業致不可(お金が欲しいからと,勝手に他所の病院でアルバイトをするなということ)
一、勝手ニ診断書取扱不可(自分ひとりの判断で診断書を書くなということ)

 という内容になりました。昭和から平成前半ならともかく、今の大学医局には医師を縛る力はないので若い先生は嫌ならいつでも医局を辞めてしまうと知り合いの教授が言っていました(笑)。そんなことを考えた2022年8月10日でした。

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2022年5月11日 (水)

5月11日

 今日は5月11日,実は当ブログにとっては非常に大切な日です.

 まずはブログ名にもなっているビザンチン帝国の都コンスタンティノープル(現イスタンブール)の開都記念日であることです.古代ローマ帝国の都はもちろんローマ市だったわけですが,3世紀以降産業の衰退が激しく,街には無産市民や無能な元老院が跋扈している状態で,まともな政治が行える環境ではなくなっていました.それどころか下手にこの街にいると政争に巻き込まれて殺される恐れもあり,まともな皇帝はローマには寄り付かなくなっていたのです.またこの頃から東方にはパルチア王国やササン朝ペルシャ帝国といった大国が勃興し,ローマ帝国の東の国境がきな臭くなっていました.ローマ皇帝の第一の仕事が外敵から国を守ることです.東部国境の防衛をスムーズに行うためにも,ローマではなく,より東側に新しい都が置かれることが望まれていました.

 この時に白羽の矢が立ったのが,ビザンチウム(ビザンチオン)と呼ばれるバルカン半島の南東部,ボスポラス海峡に面した港町でした.この街は3方を海に囲まれた要害の地であり,金角湾は天然の良港でした.東方ににらみを利かせる新首都としては絶好の場所だったのです.ディオクレティアヌス帝亡き後の後継者争いに勝利したコンスタンティヌス1世は正式にこの街を新首都としましたが,その開都式が行われたのが330年5月11日なのです.

Istanbul1_233 Isutanbul22_015(左写真1)6世紀に建造された聖ソフィア大聖堂,(右同2)聖堂内にある聖母子とコンスタンティヌス大帝,ユスティニアヌス大帝のモザイク

 続いても同じくビザンチン帝国の話題です.ローマ帝国は395年のテオドシウス帝の死後完全に東西に分裂しましたが,人口や産業の面で劣っていた西の帝国の衰退は激しく,476年にゲルマン人の傭兵隊長によって滅ぼされました.その後旧領はゲルマン人諸部族が群雄割拠する状態になってしまったのですが,その領土を回復しローマ帝国の栄光を取り戻そうとしたのが6世紀の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世です.彼の時代に地中海は再び帝国の内海となり,東ローマ帝国は領土的な最盛期を現出したのです(ただし経済面を含めた全盛期は10世紀末~11世紀初頭のマケドニア朝といわれる).そんなユスティニアヌスが生まれたのが483年5月11日のことでした.

 そして3つ目は新選組関係の話題,近藤勇や沖田総司とともに新選組でもっとも有名な隊士である土方歳三が函館で戦死した日であす.慶応四年(1868年)正月の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争は,その後の上野戦争や会津戦争等を経て,翌明治二年の箱館戦争に至ります.この間新選組は佐幕派勢力として常に闘い続けてきましたが,土方歳三もまた旧幕府軍とともに戦いこの箱館までやってきていたのです.しかし新政府軍の攻勢の前に形勢不利となり,5月11日一本木関門付近の戦いにてついに戦死したとされています(弁天台場に立てこもっていた新選組は5月14日に,五稜郭の本隊は5月18日に降伏した).

Hiji3 Hiji2(左写真3)現在の六本木関門,(右同4)同地にある土方歳三の碑

 このように5月11日はビザンチン帝国と新選組を愛好する当ブログにとって非常に重要な日となっています.

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2022年4月 6日 (水)

隊士パレードが中止

 春の恒例イベントであるひの新選組まつり,コロナ禍の影響で2020年は中止,2021年もオンラインのみでの開催となっていました。そして今年2022年については5月7~8日の日程で,7日に隊士コンテストが,8日にパレードが行われるとアナウンスされていました(規模は例年よりも縮小).

 しかし,昨日実行委員会の方から8日のパレードは中止とする旨の発表があり,観光協会のホームページにも出ていました.

「第25回ひの新選組まつり」開催内容の変更のお知らせ

 理由としては ”新型コロナウィルス感染症拡大の収束が見えず、東京都発表の「リバウンド警戒期間の取り組み」などの状況を鑑みて" とのことです.以前の記事でも書いたのですが,コロナ禍とはいえパレードを行うことのみを目指すのならやりようはあると思います.屋外イベントですから,参加者間の感覚をある程度確保したうえで,マスク着用,大声は禁止を徹底すればいいのです.ただ行われるのは新選組の隊士パレードです.大声で勝鬨,歓声を挙げてナンボというイベントです.マスクをして黙々と行進するなどという形態はありえないだろうと考えます.実行委員会内部でもいろんな議論があったとは思いますが,本来の形でのパレードが難しい以上,中止の判断はやむを得なかったと理解しています.

 一方で7日のコンテストは開催され,関係者およびパレード参加申込者のみが現地観戦,その他はネット配信となるようです.せめてコンテストだけでもということですが,本来このコンテストはパレードで隊を率いる隊長を選ぶコンテストです.パレードがないことが分かっているコンテストというのも参加者は切ないだろうなと感じます.

 それにしても3年連続パレード中止というのは… 仕方ないことですが本当に残念です.

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2022年3月17日 (木)

第25回ひの新選組まつりその後

 例年春の恒例イベントとなっているひの新選組まつり,2006年の第9回から参加をはじめ,以来東日本大震災を受けて中止されたものの同年秋にひっそりと行われた(らしい 笑)第14回を除き毎回参加していました.コロナ禍に入った2020年の第23回は中止,2021年の第24回はオンラインのみでの開催でしたが,今年の第25回は規模を縮小するもののメインである隊士パレードを開催する旨が告知されていました.当初は3月1日が参加の締め切りでしたが,東京都にまん延防止等重点措置が出されている状況に鑑み,締め切りが3月15日に延長されていました.

 で,自分なのですが,熟慮の結果今年の参加を見送ることにしました.理由としては自分が医療従事者であり,感染リスクを避けなければならないというのはもちろんですが,何よりも「感染対策に留意したパレード」というものが想像できなかったからです.

Kachidoki(写真)第8回パレードのワンシーン

 新選組パレードといえば,甲州街道を埋め尽くした観客の中で大勢の隊士が隊列を組んで行進し,要所要所で勝鬨を挙げるというのがキモです.そして行進はともかく勝鬨を挙げる行為は当然飛沫が飛びまくります.感染予防とは真逆の行為です.これを防ごうと思えばマスクを着用しての勝鬨となるでしょう.あるいは勝鬨無しで粛々と行進するスタイルでしょうか.観客に関しても制限が課せられる公算が高いように思います.

 自分の中ではひのパレは大声で勝鬨を挙げてナンボの世界だと思っているので,だんだら羽織を羽織って不織布マスクをしてのパレードというのがどうしても想像できませんでした.もちろん当日例年通りのパレードができるようになっている可能性もゼロではないかもしれませんが,あと2か月でそこまで行くような感じがしません.ほかの行事と違ってこれだけは,不完全な形での開催というのがイメージできないのです.もちろん主催者側の新選組まつりの灯を絶やしてはならないという思いは当然ですが…

 というわけでビザンチン皇帝は今年のパレードはお休みさせていただきます(状況が好転していたらもちろん見物に行きたいです).参加される方々のパフォーマンスはもちろん応援します.

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2022年2月 1日 (火)

第25回ひの新選組まつり

 今日から2月に入りました.世の中は相変わらずですが,自分なりに日常生活を送っています.

 さて,本日日野市観光協会のホームページ上に第25回ひの新選組まつりに関する告知がなされていました.

 『第25回ひの新選組まつり』新選組隊士パレード参加者募集

 春の恒例イベントであるひの新選組まつりですが,新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けて2020年は中止,2021年はまつり関連動画のオンライン公開のみとなり,メインであるパレードは2年連続行われませんでした.今年は果たしてどうなるのかと注目していましたが,実行委員会ではパレードを開催する方向で準備するようです.

 案内によると募集定員は最大150人,主催者が行う新型コロナウイルス感染症対策に協力できる方,応募後、開催内容の変更や中止などの可能性について了承できる方という条件が付いています.恒例の隊士コンテストは行われるようですが,同時代の人々枠は設けないとのことです.

 募集定員に関しては2019年までは衣装貸し出しが100人、衣装持ち込みは制限なしでした。ただ例年の参加者の状況を見ると持ち込み参加者の方が少数なので両者合わせて150人というのは例年に比べて極端に少ないとはいえないように思えます.主催者が行う新型コロナウイルス感染症対策に協力できる方というのも世間の常識があれば大丈夫でしょう(感染対策としてマスクしてパレードするかは不明).同時代の人々枠がないのは、予算の問題なのか着付け会場の密を避けるためなのかはわかりません.一方で例年あったゆかりの地の人々(会津や本庄、行方の同好会の方々)の参加があるのかも不明です.

 今後の状況により規模の縮小や中止もありえるわけですが、さて自分はどうするか… もちろん参加したい気持ちは強いのですが、締め切りが3月1日だそうなのでゆっくり考えたいと思います.

22hino28 写真は2019年第22回のもの、あの年勝安房だった自分は3年後の今もひのパレ最後の勝安房なのでした.

 

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2021年3月13日 (土)

新選組の日

 今日3月13日は新選組の日なんだそうです.

 新選組の母体は文久二年(1862年)に清河八郎の建策によって江戸で集められた浪士組です.翌文久三年(1863年)に浪士組は将軍警護を目的に上洛を果たしました.しかし浪士組を尊王攘夷運動の先兵にしようと密かに計画していた清河の行動により直ちに江戸に帰還することになります.多くの隊士はこれに従いましたが,あくまでも将軍警護という当初の目的を果たすべきだと主張する近藤勇ら試衛館一派や芹沢鴨を中心とする水戸派が浪士組から離脱し京都に残ることになりました.これが壬生浪士組です.ただ京都で活動するためには後ろ盾が欠かせないことから,当時京都守護職だった会津藩主松平容保の預かりとなり,市中警護の任に着くことになりました.この壬生浪士組が会津藩預かりとなったのが文久三年3月13日なので,この日が新選組の日となった次第です(浪士組が結成された2月27日を新選組の日とするものもある).

 新選組といえば毎年5月東京日野市で行われているひの新選組まつりがあります。昨年と今年は新型コロナの影響でパレードは中止になってしまいましたが,2006年からほぼ欠かさず参加しているお祭りです.これに限らずかつては新選組装束で遊ぶことに凝っていた時代があり,代表作としてパリのシテ島にあるノートルダム大聖堂前で黄昏る新選組隊士というのがあります.奇しくも現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一は慶応三年(1867年)のパリ万国博覧会に幕府の随員として参加しています.渋沢栄一も見たであろうノートルダム寺院の風景を新選組装束で眺めるのは格別な思いでした(その後2019年4月に寺院は火災で大きな痛手を受けてしまいました).

Eww8rhuviamnj56 M14lbti5h420210313212359 (写真左)2006年の第9回ひの新選組まつりにて,井上源三郎に扮した私,(同右)ノートルダム大聖堂前で黄昏る新選組隊士(2008年春撮影)

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