2006年12月17日 (日)

レオポルド・ブログ3

 いよいよ毎日モーツァルト(アマデウス・ブログ参照)も大詰めになり,今週は今日「クラリネット協奏曲 K.622」をやって,明日からは最後の曲「レクイエムニ短調 K.626」となる(「フリーメイスンのための小カンタータ K.623」は省略されるらしい 泣).レクイエムに入ってしまうとしんみりしてしまい,とてもレオポルド・ブログなんて言っていられなくなるため,本記事は12月18日中にアップすることにします.レオポルド・ブログ完結篇です.

レオポルド・ブログ

1785年3月28日

ウィーンにて

Mozartfamily こんにちはモーツァルトです.実は今,ウィーンに来ています.

 息子のヴォルフガングから,是非一度来てくれとの誘いがあったものですからやってきたわけです.あの子の結婚には反対しましたが,私にとってはたった一人の息子だし,私も年ですから旅ができる体力があるうちにあの子に会っておきたかったんです.1月下旬にザルツブルグの家を発って,ミュンヘンに一週間滞在した後,先月11日にウィーンに着きました.

 息子の家は町の中心,シュテファン教会の近くという一等地にあります.部屋数も多く,家具も立派なのが揃っていました.なんでも家賃が460フローリンというから驚くじゃありませんか,ザルツブルグの私の家の家賃が90フローリンなのに.あの子の羽振りがかなりいいらしいことはよくわかりました.

 着いたその日の夜には,早速あの子の予約演奏会があり,私も出かけてきました.新作のピアノ協奏曲やアリアなどが演奏されたのですが,演奏は素晴らしいし,会場は超満員!しかも参加した面々はみな有力な貴族ばかりです.演奏が終わった後には,それらの人たちが私のところにやって来て口々に息子のことを褒め称えるのです.とても嬉しかったのですが,反面ちょっと恥ずかしい感じもしました.

 でもね,もっと嬉しかったのは翌12日のことですよ.この日の夕方に,有名なヨゼフ・ハイドン氏が訪ねてきて,私と一緒に息子の新しい弦楽四重奏曲を鑑賞したんですが,その席上ハイドン氏が「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが,ご子息は,私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です」と言ってくれたんです.社交辞令半分としても,天下のハイドン氏にこんな風に言ってもらえるなんて,父親として涙が出るくらい嬉しかったです.

 ザルツブルグ時代と違って,ここでのあの子はとても生き生きしていて,本当に人生を楽しんでいるという感じがします.嫁のコンスタンツェも結構いい娘だし,夫婦仲はとてもうまく行っているようです.昔は私も息子がウィーンに出ることや,結婚することに反対しましたが,今にして思えばこれで良かったのかもしれません.

 ただ,心配なこともあります.あの子は今,ここウィーンでフリーの作曲家として活躍していますが,それが出来るのはウィーンが自由な街で,特にハプスブルグの皇帝ヨゼフ2世陛下が寛容な方だからです.でも陛下に万一のことがあったり,政治的な混乱が起これば,フリーの音楽家なんて真っ先に吹き飛ばされてしまう存在です.現に隣国のフランスではなにやらきな臭いウワサも聞こえてきますし,出来ることなら,どこかに定職を見つけて腰を落ち着けて欲しいものです.

 私も年をとったせいか,最近すっかり愚痴っぽくなってしまいました(笑).来月にはザルツブルグに戻るつもりです.この記事を読んでくれた皆さん.これからも息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを末永く応援してあげて下さい.

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2006年12月12日 (火)

レオポルド・ブログ2

 レオポルド・ブログの第2弾をお届けします.

レオポルド・ブログ

1781年12月19日

息子が結婚?

Leopord2  こんにちは,モーツァルトです.いやー,困ったことになりました.ウィーンに住んでいる息子,ヴォルフガングのことです.今年の5月にザルツブルグの大司教と大喧嘩をして,ウィーンに行ってしまい,今はクラヴィーアの教師をして暮らしているらしいんですが,その息子からなんと!結婚したいという手紙が来たんです.

 考えてみればあの子も来月で26ですから,結婚しても全然おかしくはないんですが,問題はその相手です.ウィーンに行った当初,あの子はヴェーバー家に下宿していたんですが,どうやらコンスタンツェとかいう,そこの娘とデキてしまったらしいんです.ヴェーバー家には年頃の娘が何人もいて,息子が生活する環境としてふさわしくないと思い,強引に引っ越させたんですが…….

 もちろん私はこの結婚には反対です.息子にはしっかりとした家柄の娘と結婚して欲しいと思っているからです.あの子には音楽の才能があります.でも音楽の才能だけで食べていけるほど世の中は甘くありません.しっかりとした経済的,社会的バックグラウンドがあってこそ,あの子の才能は花開くのです.そのためにも,社会的にしっかりした家の娘と結婚する必要があります.だからこそ,私はあの子が小さい頃から貴族の家に出入りさせたり,人前に出しても恥ずかしくないように礼儀作法を教えてきたんです.それなのに,下宿屋の娘と結婚だなんて…….しかも息子は以前,ヴェーバー家の娘にひどい目にあわされているんですよ(あの子が私の家内と就職活動でパリに滞在中,家内が亡くなった後,失意のどん底にあったあの子を袖にしたのが,アロイージアという,やはりヴェーバー家の娘でした).私は息子をひどい目にあわせたヴェーバー家を許しません.

 そういえば,ヴェーバーの女主人はかなりやり手だという噂を聞いたことがあります.もしかしたらその女主人が,金づるとして私の息子に目を付け,コンスタンツェとかいう娘とくっつけるよう,何か仕組んだのかもしれません.それも大いに考えられることです.

 とにかく,この結婚話,誰が何と言おうとも,私は絶対に許しません.もし,私の許可なく結婚するようなら,もう親子の縁を切ります.

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2006年11月28日 (火)

レオポルド・ブログ

 大作曲家W. A. モーツァルト生誕250年の今年,NHKBSで「毎日モーツァルト」という10分間番組を放送しており,好評を博しているようだ.案内人に人気俳優の山本耕史さんを起用していることも人気の理由のひとつと思われる.この番組と連動する形で,夏頃に開設されたのが”アマデウス・ブログ”である.これは,”もし18世紀後半にインターネットがあって、Blogが普及していたら…” モーツァルトはこんなブログを書いていたのではないか,というコンセプトで創められた,一種の知的な遊びである.

 モーツァルトに関しては,膨大な書簡が残されており(中には品性を”?”ものも… 笑),それを分析することによって,こんな性格だったんだろうということも判っている(結構自尊心が高い割りには,人がよくて寂しがり).このアマデウス・ブログはそういったモーツァルトのキャラクターを生かしつつ,当時の出来事を面白おかしく書いている.

 そこで考えたのだが,もし18世紀後半にインターネットがあって,ブログが普及していたら…,アマデウスの父,レオポルド・モーツァルトもまた,ブログを書いたんじゃないかということである.題して”レオポルド・ブログ”である.彼の性格から考えて,こんなブログになったんじゃないかと思う.

レオポルド・ブログ

1781年9月1日

ウィーンの息子のこと

Leopold  こんにちはモーツァルトです.今日はウィーンに住んでいる,私の息子の話です.

 私の息子は”ヴォルフガング=アマデウス”といいます.小さい頃から結構音楽の才能があって,父親の私が言うのもなんですが,これは大物になると思ったものでした.そこで,この子にはなるべく多くの音楽の経験をさせたいと思い,ヨーロッパ中を巡って勉強させたのです.私もサラリーマンですから決して裕福ではないんですが,この子のためと思い何とかお金を工面して頑張りました.時にはあの子に曲芸まがいの演奏をさせてお金をもらったこともありましたが…(泣).

 そんな甲斐あって,あの子も立派に成長し,最近まで私と一緒に,ここザルツブルグの宮廷楽団員として働いていたんです.あの子は作曲が得意で,教会で演奏するミサ曲や交響曲など,結構いい曲を作っていました.親バカといわれるかもしれませんが,私にとっては自慢の息子です.

 ところが,そんな息子が今年のの5月にザルツブルグの大司教であるコロレド卿と喧嘩して出て行ってしまったんです.私もなんとか大司教にとりなして,あの子にも謝るように言ったんですよ.そしたら「自分にもプライドがあるから許せない」とか,「これを分かってくれないなら,もうお父さんじゃない」なんて言うんです.まぁ以前からあの子は「こんな田舎じゃ何もできない」とか,「自分はオペラが書きたい」とか,いろいろ不満があったようですが,世の中には秩序というものがあるわけで,若いあの子にはまだ分からないんですかねぇ.もしかしたら小さい頃から甘やかしすぎたんじゃないかと反省している今日この頃です.

 そんなわけで,息子アマデウスは今ウィーンに住んでいます.クラヴィーアの教師をやったりして,なんとか一人で生活できているようで,父親としては一安心ですが.できるなら故郷に帰ってきて欲しいものです.

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