2021年7月 6日 (火)

高松凌雲

 現在NHKで放送中の大河ドラマ青天を衝け,7月4日の第21回は渋沢が1867年(慶応三年)に開催されるパリ万国博覧会に参加する幕府の随員となる下りが描かれました.わずか4年前の1863年(文久三年)には攘夷を叫び,高崎城乗っ取りを企てていたことを思うと隔世の感がありますが,坂本龍馬もそうだったように幕末の日本はまるで早回しのように時代が大きく動いていたわけです.

 1867年のパリ万博において主催者であるフランス政府は元首級の訪仏を希望していましたが,さすがに当時の政情から将軍慶喜自身の渡仏は考えられず,弟の徳川明武を名代として派遣することになります.当時渋沢栄一は慶喜の将軍就任に伴い幕臣になっており,その事務能力の高さから御勘定格陸軍付調役の肩書で主に一行の庶務や会計業務を担当することになります.ドラマではこの幕府一行に加わる面々も登場しましたが,その中で医師である高松凌雲もいました.

Ryoun(写真)高松凌雲

 高松凌雲は1837年(天保七年)に九州筑後の国に農家の三男として生を受けました.長じて武家の養子になったものの脱藩します.やがて医師を志し江戸や大坂でオランダ医学を学び頭角を現しました.1865年(慶応元年)その才が認められ一橋家に召し抱えられ専属医師となります.そして慶喜の将軍就任に伴い,幕府の奥医師という当時の日本の医師の最高位になるなど,渋沢栄一同様あれよあれよという人生を歩んでいます.パリ万博に際して一行の専属医師として派遣され,一方で滞在中は現地の医療を学ぶ役割も期待されていました.

 そんな高松凌雲がパリで学んだ病院が Hotel Dieu です.Hotelと名がついていますが宿泊施設ではなく,フランス最古ともいわれる歴史のある病院です.ここで凌雲はフランス医学の先進性だけではなく,貧民も無料で医療が受けられる施設が整っていることに強い衝撃を受けたそうです.

 帰国後は榎本武揚らとともに蝦夷地にわたり,そこで病院を開き,五稜郭戦争勃発後は新政府軍,旧幕府軍問わず治療するなど,赤十字運動の先駆けのようなことをしています.

 そんな凌雲の医師としての精神に強い影響を与えた Hotel Dieu、私も2008年にフランスに行った際に見てきました.入口に掲げられた看板の下に,フランス革命の基本精神であるLiberté, Égalité, Fraternité(自由,平等,友愛)の言葉が記されています.本日ツイッターでこの話を出したところ,この看板は当時からあったのだろうかという声をいただきました.調べたところ,19世紀後半の写真家シャルル・マルヴィルの写真にも同じ看板がしっかり写っているのを発見し感慨深く思いました.

E5mmsabvgaisxi7 Hoteldieuold (左)2008年春,(右)19世紀後半の同じ場所

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2021年3月 3日 (水)

幕末の3月3日

 今日は3月3日,いわゆる桃の節句です.女の子の健やかな成長を願うというひな祭りが行われる日です.豪華なひな人形を飾り,散らし寿司を食べ,ハマグリのお吸い物を飲み,雛あられや菱餅などを食べる習慣があります.

 そんな華やかなお祭りのイメージがある3月3日ですが,歴史的にはこの日に結構深刻な事件が起こっていたりします.今年の大河ドラマの主人公が幕末の渋沢栄一(「青天を衝け」)ということで,幕末の桃の節句を考えてみました.

 まず,安政元年(1854年)3月3日 日米和親条約締結です.前年の嘉永六年浦賀に来航し,日本にか開国を迫ったペリーが日本との交渉の末に結んだ条約です.これにより江戸時代の太平の眠りは200年ぶりに破られました.

 続いてはその6年後時代が安政から万延にかわる1860年3月3日,時の彦根藩主で大老の井伊直弼が桜田門外で水戸脱藩浪人らに暗殺されました.安政5年の日米修好通商条約締結に反対する勢力への徹底的な弾圧(安政の大獄)からの反動によるものです.この事件で幕府の権威は大きく傷つきました.

 そして最後が慶応四年(1868年)3月3日に起こった赤報隊一番組長相楽総三処刑です.これは俗に赤報隊ニセ官軍事件とも呼ばれており,当初新政府の支持を受けて「年貢半減」のスローガンを掲げて東山道を進軍していた赤報隊が,後に「政府の名を騙ったニセ官軍である」とされて密かに処刑された事件です.

Abe2 Ii1Saigou1_2  (写真左)ペリー来航時の老中首座阿部正弘,(同中)桜田門外で暗殺された井伊直弼,(同右)赤報隊事件に関与したとされる西郷隆盛

なにやら血なまぐさい出来事が多いのも,この幕末と呼ばれる時代の宿命なのかもしれません.「青天を衝け」ではそろそろ日米和親条約締結の頃です.今後桜田門外の変は間違いなく出てくるでしょうが,赤報隊事件が起こった時渋沢栄一はヨーロッパに滞在していたはずですから,こちらは完全スルーされるんだろうと想像します.

 そんな2021年桃の節句でした.

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2020年11月15日 (日)

坂本龍馬暗殺

Imagehtml_20201116093601 (写真1)龍馬殉難の現場

 今日は11月15日です.新暦と旧暦の違いはありますが,今から153年前の1867年(慶応3年)11月15日に,京都河原町の近江屋に滞在中だった土佐藩の坂本龍馬が同郷の中岡慎太郎ともに何者かの襲撃を受け,龍馬は即死、中岡も二日後に死亡しました.犯人は佐々木只三郎ら京都見廻組といわれていますが異説も多く,本能寺の変などと並ぶ日本史の謎のひとつです.

P1010098 (写真2)桂浜に立つ龍馬の銅像

 もっとも生前の彼はそれほど世間に知られた存在ではなかったそうです.明治になって新政府内で薩摩・長州の藩閥が幅をきかせるなか,土佐出身者達が自分達の立場を強くするために龍馬の業績をことさらに持ち上げ,彼を英雄に仕立てていったという側面があると思われます.特に日露戦争時に当時の皇后の夢枕に立ったという話は龍馬の名を広めるのに大いに役立ったようです.そして第二次世界大戦後,司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によって一役幕末の著名人の仲間入りをし,その人気は不動のものとなりました.現在では幕末期を代表する英雄として知られ,また日本人が好む歴史上の人物では常に上位にランクされる存在になっています.

 龍馬を生んだ土佐(高知)では文字通り郷土の英雄であり,同地の空港が「高知龍馬空港」と命名されているほか,太平洋に臨む桂浜には巨大な龍馬の銅像が大海原の遥か彼方を見つめるように立っています.

 そんな坂本龍馬の記念日に,昔撮った扮装写真を思い出したのでした.

Tachi Suwari (写真)今に残る坂本龍馬の写真を再現してみました(10年以上前の作品です)

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2020年8月28日 (金)

松本良順ゆかりの医療機関

 先日所用があって,小田原市内の丹羽病院さんに行ってきました.

 廊下を歩いていたら,ふと松本良順の名を見つけたためガン見してしまいました.

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 松本良順は幕末,新選組愛好者の間では非常に有名な人物です.天保三年(1832年)江戸に生まれ,父であり蘭方医の佐藤泰然の助手を務める傍ら,安政四年(1857年)には長崎の海軍伝習所に赴き,当地に来ていたオランダ軍医ポンぺに学びます.その後文久年間には幕府の奥医師となり,将軍家茂の主治医を務めたほか,新選組局長の近藤勇とも親交があったことから上洛の際には屯所を訪れ,隊士の診察や衛生環境整備の指導などを行ったとされています(案内文には「近藤勇,土方歳三、沖田総司の主治医」と書かれていて,愛好にとってはたまりません 笑).

 戊辰戦争時には幕府陸軍の軍医,ついで奥羽越列藩同盟の軍医として傷病兵の手当てに当たりました.会津藩降伏後に一時投獄されたものの許され,明治四年(1871年)に山県有朋の勧めによって兵部省に出仕し,陸軍の初代軍医総監となりました.

Dsc_0748  件の病院は創始者がこの松本良順の教え子だった縁で,開業に際し贈られた書を後に医療法人名としたのだそうです.

 ここには何度も来ているハズなんですが,こんなゆかりがあったとは!と感慨深く思ったのでした.

 同業ということで,2012年の第15回ひのパレではこの松本良順役をやらせていただきました.

P_mryoujun P5130023  (左)松本良順,(右)第15回ひのパレにて

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2020年5月11日 (月)

エアひの新選組まつり

 昨日の日曜日(2020年5月10日)は本来,第23回ひの新選組まつりパレードの日でした.しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で3月25日に早々に中止が決定しました.その後4月に入り政府から緊急事態宣言が出され,世間もコロナ一色の空気になっていきました.GWもいわゆる"Stay Home”で終始し,気が付いたら5月第2週末,すなわち本来ひのパレが行われる(ハズ)の時期となっていました.

 ですが,このまま何もなく終わってしまうのは寂しすぎるのではないかということで,一部よりツイッター上で”エアひの新選組まつり”が盛り上がりました.この辺は少し前に会った”エアコミケ”の影響もあるのかもしれません.”エアひのパレ”の開催日となった5月9日&10日はたくさんの人たちが関連のツイートを流しタイムライン上を賑わせてくれました.自分もいくつか呟きましたが,一方でしょれに触発され,一年間放置されていた昨年のレポを一気に仕上げました.当初はエアひのパレが開催されているうちに完成させようともくろんでたんですが,若干伸びてしまい,結局一部完成してHP上にアップしたのが5月11日未明,完成したのが11日夜になりました.1日遅れですが,5月11日といえば土方歳三の命日ですから,これはこれで許されるんじゃないかと思っています.相変わらず自分中心,しかも1年経って記憶が薄れている中で仕上げたレポですので,分量の割には内容が薄いです.よろしければ見てやってくださいまし.

 第22回ひの新選組まつりレポ

22hino97  ひのパレレポは毎年お祭り後に作成していますが,年によってはお幅に遅れたり,いまだ未完な回があったりします.第9回から第22回までで参加した13回のうちレポが完成しているのは10回分,未完なのは第13回,第15回,第19回の3回です.これだけ未完なのは,この3回に思い入れが少ないからかと感じるかもしれませんがさにあらず.第13回は自分にとって頂点ともいえる回で,史上唯一の3部構成になるはずだった回です.第15回は松本良順,第19回は清河八郎とどちらも自分でやりたくて役を選び参加した回と思い入れはむしろ他の回以上と思います.にもかかわらずここだけ放置されているのは,この思い入れが仇になっているからかもしれません.来年のひのパレまでにこの3つ,何とか完成させたいと決意を新たにしたのでした.

 追記:5月11日は実はコンスタンティノープルの開都の日でもあり,自分にとっては二重の意味で感慨深い日です.

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2020年3月25日 (水)

第23回ひの新選組まつり中止😢

 今日日野市観光協会さんから,5月9~10日に行われる予定だった第23回ひの新選組まつり中止のアナウンスがでました.

 「第23回ひの新選組まつり」を中止します

 2006年からほぼ毎年参加ししているこのお祭り,年に一度ここでしかお会いしない方も多く,私にとっても毎年重要なイベントです.理由はもちろん今話題のウイルスの問題,パレード自体は屋外ではありますが沿道には大勢の人が集まりますし,隊士も隊列を組んで固まって行進,大声で勝鬨を挙げるなど微妙なところがあります.実行委員会で熟慮の結果中止が決まったもののようです.

 ちなみにこのお祭りが事前に中止になったのは2011年に東日本大震災が起こった直後の第14回以来です.この時は地震があったから中止になったというよりは,震災の影響で地元の警察官が大量に出払ってしまい,パレード開催どころじゃなくなったからです(パレードでは道路を封鎖すため大量の警察官が必要).

 仕方がないといえばそれまでですが,これまた残念な話題です.

Shutsujin2_20200331165101  写真は私が初めて参加した第9回のものです(ちょっと若いな).

 ところで2011年は秋にひっそりと第14回が行われた結果,翌2012年は第15回になったんですが,今回中止になった23回はどうなるのか,そっちの方にも興味があるのでした.

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2020年2月13日 (木)

野付半島と納沙布岬

 温泉ホテルでの夜が明け,2月3日の朝を迎えました.この日は節分です.

 特に急ぐ理由もないのでゆったりと朝食(朝食もブッフェでまたまた品数も豪華!)を摂り温泉に浸かって過ごしました.10時にチェックアウトして出発です.この日の目的地は北海道最東の根室,網走には出ずホテルからそのまま内陸を東進して斜里に出ます.そこから国道244号に入って知床半島の付け根を横断する形で太平洋側に抜けました(夏なら知床半島西岸を北上してウトロから知床横断道路というコースもあり).標津町で太平洋に出て海沿いに南下,そのまま海沿いに走って野付半島に入ります.

 野付半島は日本最大規模の砂嘴であり,全長30キロ近くある半島です.トドワラ,ナラワラといった最果て感漂う立木枯れの風景が人気のスポットでもあります.夏はもちろんですが冬でもそこそこ観光客の姿が見られるのでした(冬にはスノーシューを着用して半島先端を歩くツアーもあるみたいですが,今回はパス).もっともトドワラは近年倒木が進みかなり数が減ってしまったとのことですが…

Img_6167 Img_6181(左写真1)野付半島はるか向こうにトドワラがあります,(右同2)ナラワラとエゾジカの群れ

Img_6157(写真3)道端のエゾジカ

 周辺は野生動物も多く生息しており,特にエゾジカは普通に道端を歩いているのが目撃されました.あとここには幕末の万延元年(1860年)から慶応四年(1868年)まで幕府の命により北方警備のためにこの地に派遣されていた会津藩士の顕彰碑と藩士のお墓があります(半島を縦断する道路の真ん中付近にある).極寒のこの地での冬はかなり厳しかったと思われます(当時ロシアの南下に備えて幕府は東北地方の諸藩に命じて蝦夷地の警備を行わせていた).

Img_62112 Img_62152(左写真4)会津藩士の顕彰碑、(右同5)お墓

 野付半島の見学を終えて再び太平洋岸を南下,やがて別海町に入ります(ここは人間の数の7倍牛の数がいるところ).この辺りは周辺みな牧場で,「〇△牧場」という看板をたくさん見かけます.そのまま南下していくと左手に風連湖が見え,いよいよ根室市内です.厚床から国道44号線に左折して市内中心部に向かいます.

 市街地はとりあえず無視してそのままさらに東へ,目的地は本土最東端の納沙布岬,過去には学生時代を含めて何度か来たことがあります(最終訪問は2008年11月).同じ北海道東部でも網走やウトロなどオホーツク海側は流氷などもあって冬でも観光客が多いんですが,ここ根室は空港からも遠いので閑散としていました(土産物屋もすべて閉まっていた).来客も我々の他は仕事で来たっぽい男性グループのみでした.

Img_6194 Img_62192(左写真6)納沙布岬(記念写真),(右同7)荒涼としています

 寒いので早々に立ち去って市内に戻ります.次はヤマト運輸の配送センターへ.しばれフェスで使った荷物一式をスーツケースごとすべて家に発送するためです.この頃から雪が降り始めました.最東端の日没は早く,5時にはもう真っ暗です.ナビに従って進むのですが,市街地を抜けて何もない地帯に.こんなところに本当に配送センターがあるのかと不安になりましたが,ちゃんと存在しました.ここで荷物を発送,身軽になった後は市内のトヨタレンタカーで車を返し,この日宿泊のホテルに入りました.結局夕食はホテルそばにある回転ずし花まるへ,日本酒とお寿司を堪能しましたとさ.

Img_6205 Img_62262 (左写真8)花まる本店,(右同9)お寿司

 

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2019年7月10日 (水)

総司忌の墓参が中止

 新選組隊士の中でも抜群の人気を誇るのが沖田総司です.若くして試衛館の塾頭を務めるなど,剣術の腕も優れており,新選組では一番組長として常に戦闘の最前線に立っていました.有名な池田屋事件でも近藤勇、永倉新八らとともに最初に池田屋に切り込んでいます.

 慶応年間に入ってから体調を崩し(老咳といわれる),幕末の最終段階では新選組の活動からは離脱し療養生活を余儀なくされていましたが,慶応四年5月30日に亡くなりました.享年は25と言われています.

 そんな沖田総司の墓所となっているのが,六本木の専称寺です.かつては誰でも自由にお参りができたのですが,昭和40年代に新選組ブームが起こるとファンがたくさんやってくるようになりました.その中の一部悪質なファンによる迷惑行為が頻発したため,40年代後半には一般の参拝が禁止されることとなってしまい現在に至っています.ただ,これまでは年に1回,新選組友の会(大出俊幸氏主催)主催による総司忌の日のみ一般の参拝が認められてきました(七夕状態ともいえる).

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(左)専称寺の山門,(右)2012年の総司忌の一コマ

 そんな総司忌も今年で45回目,午前中の墓参と午後の講演会という2部制で行われます.本年は7月21日に開催されることがアナウンスされていました.

 しかし…

 7月10日主催者である新選組友の会さんのホームページに,今年の総司忌の墓参は中止になったという告知がされていました.理由は諸事情によりとあるだけですが,まあ他に事情があるとも思えないので,おそらくはお寺側に迷惑をかける輩が多数いたのではと危惧しています(来年以降再開される可能性はあるのか).

 そんな残念な気分になった令和元年7月10日でした.

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2019年5月13日 (月)

第22回ひの新選組まつりに参加しました

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 毎年この時期の恒例イベント,ひの新選組まつりに今年も参加してきました.

 隊士コンテストは去年で卒業したので今年はパレードのみ,2年ぶりに”新選組と同時代の人々”での参加となりました(自分の役は幕臣 勝海舟).同じ隊の方々が本当に素晴らしくて,とても楽しい一日でした.この模様はホームページ本編の方にレポの形でアップする予定です(旅行記録と違ってこちらは確実にアップする予感 笑).

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2017年5月15日 (月)

第20回ひの新選組まつりに参加してきました!

Img153  5月14日に東京の日野市で開催された第20回ひの新選組まつり隊士パレードに参加してきました.2006年の第9回以来毎年参加しているこのお祭り,お祭り自体は土日の2日間開催なんですが,近年は所要が被るケースも多いこともあり日曜日のパレードのみの参加が多くなっています(今年も前日は同窓会の総会だった).

 以前からここでも書いているんですが,今年自分に与えられた役柄は,長州藩士高杉晋作です.

 ある意味新選組まつりと対極に位置する人物なんですが,同じく長州の桂小五郎,土佐の坂本龍馬や薩摩の西郷吉之助と共に,新選組と同時代の人々(以前の名称は新選組と出会った人々)枠の定番となっています.

 で,パレードに参加した感想

 アウェイ感がハンパない ( ;∀;)

 いやぁ,新選組,新選組,会津,会津,新選組とそれに歓声を上げるお客さんの中を行進する長州藩士… 完全アウェイってこういうのをいうんだろうと実感しました💦.元々自分自身が佐幕派で会津&新選組びいきなこともあって,沿道の誠の旗や会津の旗はまともに見られませんでした ( ;∀;).ホント強烈です(笑).

 同時代枠での参加は4回目ですが,かつて扮した松本良順(幕医),井上松五郎(井上源三郎さんの兄)は完全に幕府方の人物だし,昨年の清河八郎(庄内藩)も尊攘派とはいえ,出身は東北の庄内で,しかも新選組の前身浪士組のプロデューサーということもありそれほど違和感はなかったんですが,今年は徹頭徹尾反幕的行動を取っていた革命家の高杉晋作のアウェイっぷりは突出していました.

 とはいえ,そんなことでめげるビザンチン皇帝ではありません.今回は高杉といえばこれだろう!というアイテム,三味線を持参して爪弾きながらパレードに臨みました.詳細は後日,いつ完成するか不明なレポ(まだ第13回,第15回,第19回が未完)になりますが,同じ枠の方々が個性的で素晴らしい方々ばかりだったこともあり,楽しい一日でした.

P5140798 P5140023 (左写真2) 功山寺決起! (右同3) ひのパレのレジェンド神楽教授と

P5140019 C_ywir9uwaejcfvjpg_large (左写真4) 今年のミスター&局長とちゃっかり記念撮影(きゃぁ~撃たないで 笑),(右同5) 沖田総司とのネタ写「労咳コンビ」

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