開陽丸
函館滞在2日目、この日はレンタカーで西の江差町に行くことにしました。
江差町と言えば「江差追分」も有名ですが、幕末好きにとって外せないのが開陽丸です。戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争ですが、当時五稜郭を拠点にしていた旧幕府軍の主力軍艦が開陽丸でした。オランダで建造され、幕末の最終段階の慶応3年(1867年)春に横浜港に入港した当時の新鋭艦です。オランダ留学生だった榎本武揚が乗り込み慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦いの際には大阪にありました。この時鹿児島に撤収しようとした薩摩藩の軍艦「春日丸」を攻撃した阿波沖海戦が起こっています(この海戦は日本初の蒸気船同士の戦いと言われています)。鳥羽・伏見の戦いは幕府側の敗北に終わり、将軍徳川慶喜は江戸に帰還します。このとき慶喜や会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬が乗船したのも開陽丸です(ただし榎本武揚はこの時不在)。
慶喜の江戸帰還後、江戸城無血開城が決まり開陽丸も新政府軍への引き渡しが決まりましたが榎本等はこれを拒否し、蟠竜丸や回天丸ら7隻と共に江戸を脱出し北に向かいました。途中の仙台で新選組副長の土方歳三や桑名藩主松平定敬ら幕府軍の残存勢力と合流し、明治元年10月21日鷲ノ木(現在の森町)に上陸します。そこから進軍を開始し五稜郭を占領し拠点とする一方、西に向かい松前城を攻略、さらに江差に向けて進軍しました。開陽丸もこの支援のために江差沖に進出しましたが、11月15日夜の暴風により座礁、やがて沈没してしまいました。主力の開陽丸を失ったことで旧幕府軍はこの地の制海権を失い、翌春の新政府軍の反撃を防ぐことができず敗北に至ります。
沈没した開陽丸ですが、明治以降たびたび引き揚げが試みられます。さすがに船体の引き揚げは困難でしたが銃や刀、弾薬や錨といった数多くの遺留品が引き揚げられました。そして平成2年(1990年)に当時の設計図から船体も復元され、開陽丸記念館として江差の地に存在しているのです。過去北海道には何度もきているものの、江差は未訪だったのでこの機会に是非にとやって来たのです。
(左写真4)内部の砲、(右同5)寝ている兵ですがかなりやつれているように見えます
復元された開陽丸は岸壁にででーんと停留しています。後の戦艦や巡洋艦と比較したら小型とはいえ、幕末期の軍艦としてはかなりの大きさです。本来は甲板に上がれるらしいのですが、この日は風が強いため休止とのことで船内のみの見学です。内部には引き揚げられた多くの遺留品の他、操作の様子、ハンモックで休む兵士の人形などもありました。
見学後は併設されたお土産屋さんで食事にします。江差と言えば昔はニシン漁で栄えた街、この日はその時代を懐かしむように鰊そばを堪能しました。
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