2017年5月15日 (月)

第20回ひの新選組まつりに参加してきました!

Img153  5月14日に東京の日野市で開催された第20回ひの新選組まつり隊士パレードに参加してきました.2006年の第9回以来毎年参加しているこのお祭り,お祭り自体は土日の2日間開催なんですが,近年は所要が被るケースも多いこともあり日曜日のパレードのみの参加が多くなっています(今年も前日は同窓会の総会だった).

 以前からここでも書いているんですが,今年自分に与えられた役柄は,長州藩士高杉晋作です.

 ある意味新選組まつりと対極に位置する人物なんですが,同じく長州の桂小五郎,土佐の坂本龍馬や薩摩の西郷吉之助と共に,新選組と同時代の人々(以前の名称は新選組と出会った人々)枠の定番となっています.

 で,パレードに参加した感想

 アウェイ感がハンパない ( ;∀;)

 いやぁ,新選組,新選組,会津,会津,新選組とそれに歓声を上げるお客さんの中を行進する長州藩士… 完全アウェイってこういうのをいうんだろうと実感しました💦.元々自分自身が佐幕派で会津&新選組びいきなこともあって,沿道の誠の旗や会津の旗はまともに見られませんでした ( ;∀;).ホント強烈です(笑).

 同時代枠での参加は4回目ですが,かつて扮した松本良順(幕医),井上松五郎(井上源三郎さんの兄)は完全に幕府方の人物だし,昨年の清河八郎(庄内藩)も尊攘派とはいえ,出身は東北の庄内で,しかも新選組の前身浪士組のプロデューサーということもありそれほど違和感はなかったんですが,今年は徹頭徹尾反幕的行動を取っていた革命家の高杉晋作のアウェイっぷりは突出していました.

 とはいえ,そんなことでめげるビザンチン皇帝ではありません.今回は高杉といえばこれだろう!というアイテム,三味線を持参して爪弾きながらパレードに臨みました.詳細は後日,いつ完成するか不明なレポ(まだ第13回,第15回,第19回が未完)になりますが,同じ枠の方々が個性的で素晴らしい方々ばかりだったこともあり,楽しい一日でした.

P5140798 P5140023 (左写真2) 功山寺決起! (右同3) ひのパレのレジェンド神楽教授と

P5140019 C_ywir9uwaejcfvjpg_large (左写真4) 今年のミスター&局長とちゃっかり記念撮影(きゃぁ~撃たないで 笑),(右同5) 沖田総司とのネタ写「労咳コンビ」

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2017年5月 6日 (土)

高杉晋作ゆかりの地

P5030229 (写真1) 高杉晋作終焉の地

 一夜明けた5月3日(憲法記念日)は朝から良いお天気,さっそく観光に繰り出します.まずは市内中心部からというわけで,最初に行ったのが高杉晋作終焉の地.幕末の元治元年禁門の変で朝敵とされ,その後の幕府との第一次征長戦争,列強との馬関戦争によって滅亡の崖っぷちに立たされた長州藩の衰勢を一気にひっくり返したのが高杉晋作の活躍でした.彼の作った奇兵隊や彼の後輩たちが後の明治維新の原動力になったわけですが,高杉自身は肺病(たぶん肺結核)により慶応三年(1867年)の春に亡くなります.その最期の地がここ下関の新地になります(当時ここは庄屋林算九郎の邸だった).

35201aa0000017097_1 (写真2) 萩藩新地会所跡

 終焉の地を見学していたら地元の観光ガイドの方が史跡マップをくれました(以後はそのマップを頼りに散策).ここから北に徒歩数分歩いた場所が萩藩新地会所のあった場所で,元治二年(1865年)1月に功山寺で決起した高杉が伊藤博文らとともにこの地に談判に訪れています.実は幕末期,下関は長州藩ではなく支藩の長府藩の領地だったので会所は出先機関の役割を担っていました.

 この新地会所跡の隣が厳島神社,同名の広島の世界遺産とは無縁ではなく,平安末期に本家厳島神社の分霊を持って平家の人々がこの地にやって来たのですが,壇ノ浦の戦いで敗れた後,地元の人がその分霊を祭って建立したとのゆかりがあります.境内には慶応二年の小倉戦争での戦利品として奇兵隊が持ち帰った太鼓があります(毎年9月の第1土曜日にこの太鼓を打ち鳴らす「太鼓祭り」が行われる模様).

P5030234 P5030235 (左写真3) 厳島神社,(右同4) 奇兵隊が持ち帰った太鼓

 厳島神社を北に抜けてそのまま山陽本線の線路の近くの小道を歩いて北上し桜山神社を目指します.途中には晋作が小倉戦争後に療養していた寓居跡がひっそりと建っていました.

P5030239 (写真5) 高杉晋作療養の地

 桜山神社は別名招魂社といい慶応元年に晋作の発議で建設されたものです.ここには幕末維新の動乱で亡くなった多くの志士たちが祀られています.先ほどの小道を北上し桜山小学校を左手に見ながら少し行ったところに入り口がありました.見上げる階段はちょっとめまいがしますが(笑),気が生い茂っているためさほど苦労せず登れました.

P5030242 (写真6) 招魂社の入り口

 神社に着くとさっそく墓地(?)へ.整然と石碑が並ぶさまは言葉はなくとも強い印象を受けました.立場は異なりますが,同じ尊王攘夷を掲げた水戸の回天神社にある共同墓地を訪れたときと同じ印象でしょうか.石碑は最前列の中央に吉田松陰が(彼の石碑だけ少し大きい),その隣に高杉晋作,久坂玄瑞,吉田稔麿、入江九一といった大物が並んでいたのが印象的でした.

P5030248 P5030247 (写真7,8) 整然と石碑が立ち並びます

 招魂社を後にして下関駅方面に戻ることにします.下関医療センターそばを通って,幕末期の道のルートそのままとなっている路地を南下していきます.その途中に慶応元年ごろにこの地に潜伏中だった晋作が反対勢力に襲撃された際に隠れたとされる井戸(ひょうたん井戸)がありました.

P5030252 P5030256 (左写真9) 昔と同じ路地,(右同10) ひょうたん井戸

P5030263 (写真11) 白石正一郎旧邸跡

 井戸を見学した後は付近の吉田松陰宿泊所跡などを見て,そのまま国道191号線へ出ます.ここには幕末の下関の豪商白石正一郎旧邸跡があります.白石はいわゆる尊攘派の志士を経済的に支援していた人物として知られています.長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞はもちろん,土佐脱藩の坂本龍馬も援助したそうです.奇兵隊は文久三年にそんな彼の家で結成されました.今は邸の痕跡を残すものはなく,記念碑だけがひっそりと建っています.

P5030282 (写真12) 日和山公園への階段

 そのまま191号線を歩いて線路を潜るとここから国道9号線になります.東に数百メートル歩いてちょっと裏道に入るとそこに日和山公園への登り口になります.先ほどの桜山神社(招魂社)の階段と違って日を遮るものもないので疲労の激しい階段でした(笑).なんとか登っていくと公園に到着,ここは関門海峡が一望できる丘になっていて,高杉晋作の立像が立っていました.

P5030280 (写真13) 高杉晋作の立像

 公園散策を終えたらちょうどお昼時だったので駅そばの大丸内のレストランへ.この日は英気を養うためにうな重をいただきました(最近値上がりしているためかうなぎを食べたのはすごく久しぶり).飲み物としてアイス抹茶を注文したんですが,甘い味が付いていました(これが普通なのか?).

 食後はレンタカーで長府に向かいます.

P5030291_2 (写真14) 功山寺の山門

 長府は萩を拠点とする長州藩の支藩である長府藩の中心です.城郭は今の開見台公園のある高台に位置していましたが,城下町はそれよりも北に広がっていました.萩と同じように昔の城下町の風情が良く残っている街です.ここでまずやって来たのが功山寺,ここがいわゆる高杉晋作決起の地です.

P5030295_2 (写真15) 有名な高杉晋作の騎馬像

 元治元年の禁門の変やその後の馬関戦争,第一次長州征討で追い詰められた長州藩は幕府に恭順を示す俗論党が主導権を握っていました.これに対して同年12月15日深夜に高杉は彼の意思に賛同したわずかの兵とともに俗論党から政権を奪うべくここで挙兵したのです.当初は100人に満たない勢力でしたが奇兵隊など長州藩内の諸隊が次々に合流し,各地の戦いで勝利し,翌元治二年2月には俗論党は壊滅し,以後長州藩の藩論は倒幕一本になります.そんな高杉決起の寺は新緑がまぶしいところでした(実はここには2010年にも来ているんですがその時は紅葉がきれいでした).

 ちなみにこの功山寺の境内には騎乗した高杉の像が建っているんですが,高知桂浜の坂本龍馬像,東京高幡不動尊の土方歳三像と共に幕末三大像と呼んでいる人もいます.

P5030299_2 (写真16) 下関市立歴史博物館

 続いては功山寺向かいにある下関市立歴史博物館へ.ここはかつて長府博物館という名称だったんですが,昨年リニューアルされて今の名称になったようです.この日は常設展に加えて高杉晋作オンリーの企画展も行われていました(前回訪問した2010年は大河「龍馬伝」の年だったので企画展は坂本龍馬だった).ここの目玉は馬関戦争でフランスに戦利品として持ち去られ,その後貸与という形で戻って来た荻野流一貫目青銅砲です.パリのアンヴァリッドに残されているもう一門よりも小振りな砲で,弾痕がなく馬関戦争当時実際に発射されたわけではないとされています.博物館の後は近くの長府毛利邸や古江小路を散策しました.

P5030313 (写真17) 東行記念館

 長府を後にしてレンタカーでさらに西に向かいます.次なる目的地は吉田地区にある東行庵,そう高杉晋作の墓地になります.東行とは高杉晋作の号で,もちろん平安末期の有名な僧侶西行のパロディです.慶応三年4月に亡くなった高杉は彼自身の遺言にしたがいこの地に葬られました.そして彼の愛人だったおうのが出家して梅処を名乗り初代庵主となったものです.ここには高杉の墓の他,彼ゆかりの品々を展示した東行記念館もあります(ただし東行記念館は東行庵敷地内にあるものの,組織上は下関歴史博物館の分館).まずは記念館に入ります.なんといってもここの注目は高杉が愛用していた道中三味線や瓢が展示されていることです.戦場にも三味線を持っていき弾いていたといわれるほど音楽好きで,いつでも瓢が放せないほど酒好きだった彼らしい品々です.

P5030320 (写真18) 高杉晋作の墓

 記念館を出て境内を散策,ほどなく高杉のお墓を見つけました.酒好きの彼をしのんでいるのか酒瓶がいくつか添えられていたのが印象的です.

 幕末期に肺病で若くして亡くなった著名人といえば高杉のほかに新選組の沖田総司がいます.高杉の墓所はこのようにいつでも誰でも見ることができます.一方で沖田の墓所である東京の専称寺は檀家以外の墓参を原則として認めていません(年に1回の総司忌の日のみ例外).これはかつては沖田の墓も普通に墓参できたのですが,一部の心ないファンの行為により多大な迷惑をこうむったお寺側が今のような処置をとったからです.どちらも幕末期の人気キャラだと思うんですが,こういった違いが出てくるのはファン層が相当に違うせいなんだろうかと複雑な気分になりました.

Dsc_1501  東行庵はまた花の綺麗なところです.桜はさすがに終わっていましたが,ツツジや藤などがきれいに咲いていました.

 これにてこの日の観光は終了,その後は一路この日の宿泊先である徳山に向かいました.

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2016年3月23日 (水)

ハガキが…

 昨日久しぶりに家に帰ったら,一通のはがきが届いていました.今年の年賀状の余りを使ったこのハガキ,第19回ひの新選組まつり参加申し込みの際に同封したものです.

 今月4日が締め切りだったわけですが,それから2週間ちょっとで返事が来たわけです.

 今年は久しぶりに出会った人々枠での参加となりました(2013年の第16回以来).役柄はというと,新選組の前身,浪士組の生みの親ともいうべき,庄内藩士清河八郎です.一般には策士のイメージが強い清河ですが,剣術の方は北辰一刀流免許皆伝,学問の方は幕府の学問所である昌平黌で学ぶなど文武両道の傑物でした.彼の生涯を扱った小説としては藤沢周平の回天の門が有名です.

Kaiten_3  なお,彼の故郷である現・山形県東田川郡庄内町には清河八郎記念館があります(自分も2008年3月に訪問したことがあります 参考記事).

 この機会に再び清河八郎について勉強してみたいなと思ったのでした. 

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2015年2月18日 (水)

今年もこの季節が!

 私がまだ旅行に行っている最中の2月14日,日野市観光協会のホームページに第18回ひの新選組まつりの隊士募集の告知がなされていたようです.

 「第18回ひの新選組まつり」新選組隊士パレード参加者募集

17hino12 (写真1) 昨年の一番隊集合写真

 これによると今年のお祭りは5月9日(土)~10日(日)であり,パレードは10日に行われること,コンテストは昨年同様パレードの前日に行われることが記載されていました.募集は例年通り衣装貸出し隊士,衣装持ち込み隊士,同時代の人物の3カテゴリーで,同時代の役柄については現在実行委員会で検討中とのことです.この同時代の役柄については毎年二転三転するので,当日になるまでどんな役が登場するのかわからないという楽しさがあります.特に幕末系大河の年はそっち関連の役柄が登場することが多いのですが,今年の場合は幕末とはいっても長州系なので,その辺どうなるのかはわかりません.

P2090418 (写真2) 天空の新選組(笑) in ウユニ塩湖

 私はというと,基本は衣装持ち込み隊士なんですが,実際どうするかはこれから思案したいと思います(参加することは間違いないと思います).

 参加する皆様,見に行こうという皆様よろしくお願いいたします.

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2012年5月19日 (土)

薩摩から帰還しました

 みなさんこんばんは,さきほど薩摩遠征から帰ってまいりました.

P5190088(写真1) 城山展望台から桜島を望みます

 17日木曜日16時20分羽田発のANA便だったんですが,なんと機材が最新鋭のボーイング787で,なんだかすごく得した気分になりました(笑).この機体,エコノミークラスは2-4-2の座席配列で,座席ごとにモニターが付いており,客室照明はブルーを基調とし,着陸時にはLEDを使用して虹色になるというファンタスチックなものでした.

P5190101P5190094(左写真2) 尚古集成館,(右同3) 薩摩はすでにこんな大砲を造ってます.新選組もこれからは大砲の時代ですよ~(ネクタイはもちろん誠です)

 観光はというと,定番の城山や鶴丸城跡,幕末期に島津斉彬が造った西洋式工場群である集成館跡などを見てきました.

 その他,焼酎などの飲食もありました(笑)

P5190087 写真は鹿児島中央駅近くで見かけた居酒屋西郷どんです.全国チェーン展開中となっているんですが,肝心の鹿児島でまだ2号店だそうなので,こちらにやってくるのはいつの日か… 楽しみなのでした.

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2012年5月16日 (水)

すでに現実モード

 今日は5月16日,気が付けば5月も半ばを過ぎています(は,早い).例年この時期はひの新選組まつり関連の検索でここにたどり着く人が多いのか,大体アクセス数が通常の1.5倍くらいになります.ブログの右下に検索フレーズランキングを張り付けてるんですが,さっき見たら1位から5位までがひのパレ関係,8位も含めてベスト10のうちなんと6つを占めています.そんな中,上位に食い込んでいる高野長英木造アパート 昭和 メトロン が笑えます.

 さて,2年間放置している第13回レポはともかく,手っ取り早く終わりそうな第15回レポ製作に邁進したい気持ちは満々なんですが,早くも現実モードに引き込まれているビザンチン皇帝です.例年ひのパレが終わると学会シーズンの幕開けということで,今年もさっそく始まっています.手始めに明日から九州は鹿児島に行ってきます.

 鹿児島と言えば薩摩,新選組の翌週が薩摩というのも奇遇ですが(笑),もちろん自由時間はあるので,西郷や大久保の情報を仕入れてきたいと思います(間者か,ばれたら逆にやられそうですが 笑).薩摩と言えば焼酎に黒豚,これらを食す機会も… あればいいなあ(爆).

Img_1818042_65461273_0 もちろん明日はこのネクタイを締めて薩摩の地に乗り込んできます(2004年の大河の年に購入した誠ネクタイ,そういえば以前山口市で開催された研究会の時もこれをしてったなぁ 笑).

 

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2012年4月 1日 (日)

戸定邸

 昨日3月31日は朝から雨降り,おまけに風が強く各地で電車が停まったりして混乱した一日でした.本来この日は出勤しなければならない日だったんですが,急な勤務変更があって一転してお休みになりました.

P3310003(写真1) 案内図

 というわけで,せっかくの休日だからと出かけたのが千葉県松戸市にある表題の戸定邸です.「どこそれ?」という声が聞こえてきそうですが,ここは江戸幕府十五代将軍徳川慶喜の実弟で最後の水戸藩主となった徳川昭武が後半生を過ごした屋敷なんです.

P3310005(写真2) 戸定歴史公園の入り口

 徳川昭武は慶応三年(1867年)に開催されたパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として派遣された人物です.万博に参加する傍ら欧州各国を歴訪し,フランスのナポレオン3世やイギリスのビクトリア女王とも会見しています.日本の歴史上,時の政権の重要人物がヨーロッパに行ったのは彼が初めてだと思います.私が好きな大河ドラマ「獅子の時代」の最初にも登場しています.

 維新後は一時軍人になりますが,明治17年(1884年)に松戸の地に戸定邸を建てて隠居,以後は写真や狩猟,自転車などの趣味に生きて明治43年(1910年)に亡くなっています(31歳で隠居なんて凄い気がしますが,江戸時代には商家でもこれくらいでの隠居はよくあったらしいです).

P3310012(写真3) こちらが戸定邸の正面です

 そんな昭武の晩年の住処である戸定邸,一度行ってみたいなと思いつつ行けないでいたので,この機会にと出かけてきました(雨降りしかも常磐線は大風のためダイヤが乱れていたんですが,構わず出かけました 笑).場所はJR松戸駅から歩いて15分ほどのところです.悪天候もあって観光客はほとんどおらず,貸し切りに近い状態で見ることができました.建物は明治期の建設ではありますが,屋敷の造りは江戸時代の大名屋敷の流れをくんでおり,渡り廊下によっていくつかの棟が連結されている構造になっています.

P3310007(写真4) こちらは併設の歴史館

 そばには昭武や慶喜関連の資料を展示している歴史館もあります.パリ万博関係の資料もあるかなと入ったんですが,その辺の資料は企画展の時にしか出さないのか(この日は常設展でした),ありませんでした(残念).今度企画展の時に再訪したいと思います.

 なお1867年のパリ万博が開幕したのが,今から145年前の今日4月1日なのでした.

 

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2012年2月15日 (水)

地虫鳴く 新選組裏表録

 先日ここで紹介した幕末の青嵐,面白かったので同じ作者(木内昇さん)の同じ新選組作品を購入しました.タイトルは

 地虫鳴く 新選組裏表録

 前作品が近藤,土方ら主として主要幹部の視線で見た新選組の物語だったとしたら,この作品はそういう人物ではない隊士の視線から見た新選組の動きということになります.

G1_064 今回そういう語り部的な役割を担うのは,篠原泰之進尾形俊太郎,そして阿部十郎の3人です.篠原は伊東甲子太郎の古くからの盟友でともに御陵衛士に参加する人物,尾形は新選組が結成された初期(八・一八の政変以前)からの隊士で主に監察方として活躍するなど知名度は高くないですが結構重要な仕事をしていた人物,そして残る阿部は元々大阪から谷三十郎,万太郎兄弟とともに文久三年に入隊した人物です.この三人の視点によって,慶応元年の大坂ぜんざい屋事件から戊辰戦争後明治4年の会津までが描かれる作品です.

 役柄からわかるように,篠原は伊東の傍にいて次第に佐幕化していく新選組からどうやって離脱するのか,尊攘派の志士たちとどうやってコンタクトを取るのか思い悩む甲子太郎の姿をあぶり出します.一方で尾形は主として土方の命で監察の山崎とともに伊東一派の動きを巧みに観察する役割を担っています.そして残る阿部ですが,彼はいったい自分は何のためにこんなことをやっているのかという目に見えない葛藤と戦いつつ,日々の暮らしを送っています.本作では3人の中でもこの阿部十郎がもっとも重要な枠割を担っているように感じます.当時の新選組の大多数の隊士は,みなそれぞれ思いはあったはずですが,当時の時流のあまりの速さについていくことができず,結果漫然と隊士としての仕事をコツコツやるだけのマシーンになってしまっていたのです,そういう幹部ではない隊士の鬱々とした気分が作品全体に漂っています.

 語り手3人のうち2人が御陵衛士になる人物ということもあり,物語は伊東甲子太郎とその周辺が中心になります.そういう意味では非主流派視線からの新選組物語ともいえます.出張のお伴にと思って読みはじめましたが,面白かったので一気に読んでしまいました.

 

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2012年2月 2日 (木)

幕末の青嵐

 この冬は全国的に気温が低く,日本海側を中心にたくさんの雪が降っているようです.南国九州の鹿児島でも雪マークが出ていました.鹿児島の雪なんて,西郷どんが決起した西南戦争以来ではなどと考えてしまいました(ウソウソ).

 さて,今日のテーマは久しぶりに新選組,先日近くの書店を覗いたら平積みになっていた本です.

G1_058 タイトルは新選組幕末の青嵐,著者は木内昇氏,字面だけだと男性かと思いますが実は女流作家です(きうち のぼり さんとおっしゃいます.「漂砂のうたう」で第144回直木賞を受賞されています).実は本作は著者の処女作にあたります.

 本作の特徴は新選組の歴史(下澤寛氏の新選組始末記をベースにした正統的なもの)を継時的に,かつ重要な局面に区切って,しかもその場面ごとに重要な位置にいた人物の目線で見たものとなっている点です.重要な人物といっても近藤や土方,沖田といった主要人物だけではなく,たとえば遠景の光の巻の「今の若いものは」の章は浪士組を率いて上洛した旗本,鵜殿鳩翁の視線でにわかに天下の雑群を率いる羽目になり困惑した様子が描かれていますし,初期には清河八郎や山岡鉄太郎が主役の章もあります.一方で新選組を物心両面で支えた佐藤彦五郎が中心となる部分もあり,通して読むことで一面的ではない,さまざまな人物の思いが錯綜した新選組の歴史絵巻を楽しむことが出来ます.

 出張のお供に少しずつ読んできたんですが,魅力的な文章と相まって,久しぶりに楽しめる本に出会ったなと思いました.

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2011年11月15日 (火)

11月15日

 今日は11月15日,太陽暦と太陰暦の違いはありますが,慶応三年のこの日京都の近江屋に潜伏中だった坂本龍馬が刺客に襲われて暗殺されました(現在の暦なら,1867年12月10日になるんだそうです).例年この時期になると各地でいろんなイベントが行われたり(先週末の京都の提灯まつりもその一つ),テレビでも取り上げられたりします.

 ふとそんな11月15日に近年どんなことをやっていたのか,ブログの記事から追ってみました.

 2006年11月15日(水) 第1回境港妖怪検定の合格証とバッジが自宅に届きました.ちなみにこの2日後の夜に京都に旅立っています(龍馬関係ではなく,久しぶりの来日だったニコラウス・アーノンクール氏のコンサート鑑賞が目的).

 2007年11月15日(木) なんの変哲もない平日だった模様,この3日後に風邪をひいています(笑).

 2008年11月15日(土) 特にこれといって何もない土曜日だったようです.ただ夕方から合唱団の練習に繰り出し,そのまま翌16日の群馬寮歌祭に参加するため前橋に移動しています.

 2009年11月15日(日) この年は前日の14日に提灯行列が行われたため京都に,そしてこの15日はそこから1000キロ以上離れた盛岡で重要な練習があったため,朝一の飛行機で盛岡に行ってました.

 2010年11月15日(月) この日は職場の歓迎会があって,近くの天ぷら屋に出かけていました.帰宅後すぐに爆睡したらしいです.

 そして,今日2011年11月15日(火)です.この日は当直というオチでした(笑).結局坂本龍馬と関係あることはあまりやっていないのでした.

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