2019年11月10日 (日)

能代寮歌の写真

 先月の24日に能代で行われた第62回能代寮歌を愛する会の写真が,会を主宰されている先生から届きました.

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全体集合写真

 先日の記事に載せた写真は基本的に自分が写したものなので,自分自身が歌っている場面が写っているものはありません.今回自分が歌っている場面の写真をいただき,楽しかった寮歌祭の様子が思い出されました.

Noshiro6 Noshiro3(左)北溟寮寮歌「都も遠し」高唱,(右)七高造士館の「北辰斜めに」の音頭を取らせていただきました.

 ありがとうございました.

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2019年10月28日 (月)

能代寮歌を愛する会最終回

Img023  またまた久しぶりの更新になってしまいました.10月に入ってからは旅行,その後の台風云々で慌ただしい日々を過ごしておりました.そのあたりの話題もぼちぼち挙げていきたいとは思っていますが,先週の木曜日(10月24日)に毎年恒例になっている能代寮歌を愛する会に今年も参加してきました.

 音楽というと普段はクラシック音楽(特にオペラや教会音楽など声の入っているもの)を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでおり、時に無性に歌いたくなることがあります.寮歌についてはこのブログのカテゴリーにも分類しているほど時々取り上げるテーマになっているわけですが,元来それは明治から戦後まもなく(昭和24年ごろまで)存在した高等教育機関である旧制高等学校の寄宿舎の歌です.明治期に設立された官立の第一高等学校から第八高等学校(いわゆるナンバースクール)から,大正期に設置された新潟高等学校,松本高等学校以下のネームスクール,私立高校,さらには主として外地の帝国大学予科等を含め寮歌の総数は約3000曲にも上ると言われています.こうした寮歌を愛好するイベントが寮歌祭というわけで,かつては全国に数多くの寮歌祭が存在していました.その主体となっていたのはもちろん,寮歌の時代を肌で知っている当時の学生たちでしたが,時代が下るにつれてそうした人々は減少の一途をたどっています.一方で現役での経験はないものの,そうした時代に憧れを感じる戦後世代もいるわけで(私のように 笑),こうした人々も徐々にこうした寮歌祭に参加するようになってきました.

 昔から深層心理で寮歌を愛好していた私がこうした寮歌祭に顔を出すきっかけになったのが,表題の能代寮歌を愛する会です.参加のきっかけは2006年夏のある晩,当時勤務していた病院宿舎の駐車場で開催されたバーベキュー大会でした.当然のようにアルコールが入って気持ちよくなった自分(とK)が勢いで旧制弘前高等学校北溟寮の寮歌「都も遠し」を歌ったところ,同じ宿舎の某ドクターが反応されたのです.なんでも,そのドクターのご尊父が大変な寮歌愛好家で,地元の能代市で毎年寮歌イベントを開催しているとのこと,よろしければ紹介したいがいいかというのです.私に異論などあろうはずもなく,トントン拍子に話が進んでその年の10月24日に開催された第36回能代寮歌を愛する会にゲストとして参加させていただいたのでした(関連記事).その会が自分にとってとても感慨深いもので,以来何度も参加させていただいていました.さらには会で知り合った方々からのお誘いで,他の寮歌イベントにも参加するようになりました.言ってみれば自分が寮歌祭に参加するきっかけとなったのがこの能代の会なわけです.

 能代寮歌は春と秋の年に2回開催され,そのうちの1回がゲストを招いての会となります(残り1回は能代会員のみで開催).それは春だったり秋だったり様々なんですが,今年は秋の会になりました.この日は午前中外来を終わらせてから職場を出発,東海道新幹線と京急線を乗り継いで羽田空港へ,そこから飛行機で秋田空港に飛び,レンタカーを借りて能代に直行するという行程でした(13時過ぎに職場を出て18時に着いたのでほぼ5時間ということになる).

 会場となるキャッスルホテル能代にチェックインし,会場へ.いつもは2階のホールが会場になるのですが,今年は工事中とのことで3階にある別なホールでした.やや手狭でしたが派手な感じで,おめでたいイベントの会場になるんだろうなと思われました.今年の参加者は地元ゲスト併せて50人弱と例年よりも少なめでした(これはここに限らず各地の寮歌祭全体がそういう傾向).プログラムを見て我々の席を探すと,なんと!真ん中の一番前です.こんな一等席でいいんだろうかとビビりました(後から考えたら参加回数の多い人がそこに集められていた感じ,考えてみたら通算12回参加はかなり多い部類だなと感慨に浸ったのでした).

Img_5733 Img_5741(写真)食事は和洋中折衷です

 会は18時30分定刻に開始されました.開会の言葉に続いてこの1年間で新たに物故者となられた方々への黙とう,その後歓迎のあいさつへと進みます.このあいさつと一緒に注意事項の伝達がなされるのが能代流,会のスムーズな運営に協力してほしい旨のお話があります.ただかつては会が長引く最大の要因だった,長挨拶については,参加者の高齢化により,みんな長挨拶をする元気がなくなってきたのか,ここ数年はほとんど問題になっていないように感じられます.その後檄文朗読,追悼&歓迎寮歌,ゲスト代表挨拶を経て乾杯!と進みます.

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 私やKは当然ビールから入り,その後日本酒へと流れていくわけですが,周囲を見渡すと大先輩は非アルコールの方が結構多いです.まあ確かに超高齢者の方が多いのでドクターストップがかかってるんだろうなと思いました.寮歌放吟の時間では北から順番に各地の寮歌が歌われます.日本寮歌祭だとほぼほぼ全部の学校が参加しているので,各校1曲が原則ですが,この能代の会では西国を中心に参加者のいない学校もあるので,そうした学校は一部の超メジャーな寮歌以外は省略され,その分参加者のいる学校に振り分けられます(例えば北大は「都ぞ弥生」と「瓔珞磨く」の2曲,弘前は「都も遠し」,「霞の影に」,「虚空に羽ばたき」の3曲,二高が「空は東北」,「山紫に水清き」の2曲など.省略されない名曲としては五高の「武夫原頭」,七高造士館の「北辰斜め」などがあり,後者に関しては私が音頭を取らせていただきました.会はきわめてスムーズに進み,予定時間である午後10時には終宴となりました.ここ数年はこの後の2次会にも参加させていただいているんですが,今年は翌朝早めに退散するためご遠慮させていただきました.

Img_5755  こうして過去12回参加させていただいた能代寮歌を愛する会ですが,諸事情からゲストを招いての会は今回が最終回とのことです.日本各地の寮歌祭も終了しているところが多いご時世ですので仕方のないところですが,非常に寂しい気持ちになるのでした.

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2019年8月29日 (木)

日本寮歌祭その後

 暑い8月の数少ないイベントのひとつが寮歌祭です.特に今年は約10年ぶりに日本寮歌祭の名前が復活したことからも意義深いものとなりました(それまでの名称は中央寮歌祭).昨日自宅の郵便受けを覗いたら,参加者の方からの封書が届いていました.開けてみたところ

Img_5428  寮歌祭当日の各校の写真,当日の夜NHKで放送されたニュース映像の写真,寮歌祭を取り上げた産経新聞の記事のコピーなどの資料が入っていました.自分が写っている写真もありましたが,こうして眺めているとあの日のことが思い出されます.

 寮歌祭はこれまで旧制高校出身の大先輩に,私のような新制の人間が混ぜていただく感じで来ていたのですが,今年はついに旧制の先輩がゼロになってしまいました(事前申し込みでは来るとなっていた方が1名いらっしゃったんですが,お見えになりませんでした.暑さで家族に止められたのかもしれません).思うに来年以降もこうした流れになっていくのは確実です.幹事である自分としても来年以降は,自分たちの世代のメンバーを積極的に集めて違う形を模索していくべきではないかと考えています.そんな来年の日本寮歌祭(第60回)はオリンピック真っ最中の2020年8月2日に日暮里のホテルラングウッドで開催されます.

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2019年8月 4日 (日)

第59回日本寮歌祭に参加しました

 暑い日が続いていますがみなさんお元気でしょうか.

 例年あまり活動しない自分の8月の中で,ほぼ毎年参加しているのが寮歌祭です.寮歌というのは,旧制高校の寄宿舎の歌のことで,かつて全国に2000曲以上あったと言われます.旧制高校の教育は中等教育を終えた者に,専門的な高等教育を施す前に,一般教養をメインとして主として人格形成を図ることに主眼が置かれたものでした.それは戦後の大学教養部(あるいは教養学部,教養課程など名称は様々)に引き継がれましたが,大学教育のマスプロ化に伴う専任教員の不足や,専門教育の高度化による時間の不足等の現場の事情もあって,次第にその意義を失い,平成に入るころには大学のそほぼ消滅し現在に至っています.

 私の場合専門は医学ですが,一方で歴史や芸術など多くの方面に興味関心を抱いています.これは若い頃に様々な分野の学問に触れて,専門的ではない分野も広く学んだことの賜物です.こうした様々な異なる分野の学問を広くそれなりに深く学ぶというのは,まさに旧制高校の教育であり,私が旧制高校に惹かれる理由の一端はそこにあります.そんな旧制高校を代表する文化である寮歌は私の趣味の一定部分を占めるものとなっています.

 今回参加した第59回日本寮歌祭は,昨年まで中央寮歌祭と称していました.オリジナルの日本寮歌祭は元々日本寮歌振興会の主催で1961年に第1回が東京の文京公会堂で開催され,以後日比谷公会堂や日本武道館を主会場に毎年開催されていました.当時は参加は同窓会単位,当日も各校同窓会が順番にステージで代表的な寮歌高唱を行う発表会形式(コンクール形式とも)で行われていました.しかし時代の流れとともに参加者の高齢化が進んだこともあり,2001年の第41回からは個人単位での参加,パーティ会場での宴会形式に変更されました.ただその後も着実に高齢化が進み,旧制高校を現役で知る人々が減っていったことから2010年の第50回をもって終了となった経緯があります.

 一方でこうした全国規模での寮歌祭の継続を望む人は多く,その中から生まれたのが中央寮歌祭でした.この会の特徴は従来官立の旧制高校主体だった寮歌祭に戦後の新制大学の人々も広く加えた点です.旧制高校を現役で知る方々は今後増えることはなく減る一方なので,このままでは全国各地の寮歌祭はいずれ消滅することになります.他方,現役で寮歌を知らない世代であっても,その理念に共感する人は(私を含めて)多く,そうした人々を積極的に取り入れて,文化としての寮歌を後世に残していこうというのが中央寮歌祭のねらいでした.

 ただ寮歌はあくまでもそれを肌で知っているもののためにあり,そうした人々の消滅と共に寮歌の消滅もやむを得ないと考えている方々も一定数います.この辺の議論は難しいのですが,ともあれ第50回で終了する日本寮歌祭の理念を継承しようという趣旨で,翌2011年から中央寮歌祭が始まり,昨年8回目を迎えました(中央寮歌祭は第1回,第2回という数え方はせず,たとえば昨年ならば中央寮歌祭2018と表記していた).その間日本寮歌祭を主催していた日本寮歌振興会では,寮歌伝承の集いという会を行って活動していたのですが,やはり参加者の高齢化と減少という事実に直面し,今後は中央寮歌祭と合体して新たな日本寮歌祭として復活させることになったのです.50回で終わった日本寮歌祭が今年59回から始まるのは,その間の2011年から2018年までの8回の中央寮歌祭を51回から58回とみなすということのようです.

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(左写真1)受付の様子,(右同2)海軍兵学校

 当日は朝からカンカン照りの猛暑でした.今年の会場は日暮里駅前のホテルラングウッドです(昨年までは新宿の京王プラザ).電車を降りて駅の外に出ると,”日本寮歌祭”のプラカードを持ったお爺さんが立っています(参加者を誘導していましたが,こんなお爺さんを炎天下に立たせなければならないほど寮歌の世界が高齢化しているといえます).

 会場に入るとすでにたくさんの人でごった返していました.名簿を確認すると,私の学校の参加者は3人,自分とKの他に旧制の大先輩が来ることになっています.例年その大先輩に音頭を取ってもらうので,今年もそうしようと思っていたんですが…

 現れません…

 参加費は振り込まれており,申し込みはされているようなのですが,もしかしてこの暑さですから,家族に反対されたのかもしれません (>_<).結局今年は自分が音頭を取って歌うことになりました.

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(左写真3)寮歌伝承の会による楽譜,(右同4)この会を引っ張ってくださる副実行委員長さんの所属校第四高等学校は大所帯です.

 寮歌祭は定刻に開始,開会のあいさつから,この1年間で故人となったかたへの黙とう,檄文朗読と続いていきます.そしてお待ちかねの寮歌高唱の時間,一般に寮歌祭は北から南というのがパターンなんですが,この会は最北と最南をつなぐ数珠上にして毎年始まるところを微妙にずらす形式をとっています.今年は大阪高等学校から始まり,第三高等学校で終わる流れでした.さらに今年は新趣向として,寮歌伝承の会によるプロの歌手による寮歌指導の時間も設けられました.

 学校ごとの歌は各校4分以内と決められているんですが,歌の前の挨拶や巻頭言などで時間がかかり,オーバーしてしまう学校があったため少し押してしまいました(超過すると鐘が鳴る.いつもお世話になっている能代の先生なら「早くしてください!」,「挨拶は手短にお願いします!」とダメ出しされるケースだ).

 とはいえ,ほぼ予定時刻に宴は終了,私はこの会の医務係として具合が悪くなった人への対応を頼まれているんですが,幸い大きな事件はなくホッとしたのでした.

 来年の第60回日本寮歌祭は2020年8月2日今年と同じ会場で行われる予定です.

 ちなにみこの日の模様が夜のNHKニュースで紹介されていた模様です ( ゚Д゚)

 旧制高校の寮歌を歌い継ぐ催し

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2019年7月19日 (金)

第59回日本寮歌祭のプログラム

 自分の趣味の1つが寮歌です.エリートの独善とか言われますが,特に最近は専門以外の教育を軽視して,一般的な教養に乏しい人が多くなっている気がすることと併せて,幅広い教養を身に着ける時期であった旧制高校は自分にとってあこがれの場所でした.

 そんな旧制高校の象徴する存在が寮歌で,かつては全国各地に寮歌祭がありました.しかしながら旧制高校を現役で体験した方々の超高齢化が進んだ結果,全国各地の寮歌祭は次々に終了してしまい,現在残るのは両手で数えられる程度になっています.

 そうした数少なくなった寮歌祭の中でも,現状最大規模を誇るのが夏に行われている中央寮歌祭です.これは2010年に終了した日本寮歌祭の理念を受け継ぐことを目指して,2011年に始まった寮歌祭です.旧制高校の寮歌を残しながら新制や私学等にも広く門戸を開いているのが特徴で,参加者や幹事にも若い人が多いのが特徴です(自分も若手の部類 笑).この中央寮歌祭が紆余曲折の末,今年から新しい日本寮歌祭としてリニューアルされることになりました(関連記事).

Img_5117  昨日家のポストをのぞいたら,その新しい日本寮歌祭の事務局から封書が届いていました.見たら今年のプログラムが完成した模様です。

 デザインは毎年同じような感じなんですが,描かれたテーマが旧制弘前高校の北溟寮です! お城の天守と観桜会,まさにそうした北国の青春の息吹が感じられる表紙になっていました.

 第59回日本寮歌祭は2019年8月4日,日暮里のホテルラングウッドで行われます.

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2019年3月 2日 (土)

第59回日本寮歌祭

 今日自宅のポストに封書が届いていました.

Img_4653  中央寮歌祭の事務局からのものでした(自分も一応幹事の端くれなので 汗).

 内容はというと,今年は従来の「中央寮歌祭」ではなく,「第59回日本寮歌祭」名義で開催するというものでした.

 日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で1961年に第1回が東京の文京公会堂で開催され,以後日比谷公会堂や日本武道館を主会場に毎年開催されました.当時は参加は同窓会単位,当日も各校同窓会が順番にステージで代表的な寮歌高唱を行う発表会形式(コンクール形式とも)で行われていました.しかし時代の流れとともに参加者の高齢化が進んだこともあり,2001年の第41回からは個人単位での参加,パーティ会場での宴会形式に変更されました.ただその後も着実に高齢化が進み,旧制高校を現役で知る人々が減っていったことから2010年の第50回をもって終了となったのです.

 ただこうした全国規模での寮歌祭の継続を望む人は多く,その中から生まれたのが中央寮歌祭です.この会の特徴は従来旧制高校主体だった寮歌祭に戦後の新制大学の人々も広く加えた点です.旧制高校を現役で知る方々は今後減る一方なので,このままでは全国各地の寮歌祭はいずれ消滅することになります.他方,現役で寮歌を知らない世代であっても,その理念に共感する人は(私を含めて)多く,そうした人々を積極的に取り入れて,文化としての寮歌を後世に残していこうというのが会のねらいです.

 ただ一方で寮歌はあくまでもそれを肌で知っているもののためにあり,そうした人々の消滅と共に寮歌の消滅もやむを得ないと考えている方々もいます.この辺の議論は難しいのですが,ともあれ第50回で終了する日本寮歌祭の理念を継承しようという趣旨で,翌2011年から中央寮歌祭が始まり,昨年8回目を迎えました(中央寮歌祭は第1回,第2回という数え方はせず,たとえば昨年ならば中央寮歌祭2018と表記).

 その間日本寮歌祭を主催していた日本寮歌振興会では,寮歌伝承の集いという会を行って活動していたのですが,やはり参加者の高齢化と減少という事実に直面し,今回中央寮歌祭と合体して日本寮歌祭として復活させる方針となったようです.そして復活する日本寮歌祭が第59回であることは,この間の中央寮歌祭を暗に第51~第58回であると認識しているんだろうと思われます.

 そんな第59回日本寮歌祭は2019年8月4日(日)に日暮里のホテルラングウッドで開催されます.

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2018年10月26日 (金)

第30回能代寮歌を愛する会

Img_4130  10月中旬から後半は産業医の単位集め,合唱団のコンサート,函館行きとイベントが立て続けにあったんですが,その締めくくり(?)として10月24日に秋田県能代市で開催された第30回能代寮歌を愛する会に参加してきました.

 普段はオペラなどクラシック音楽を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,昔から愛好している分野です.全国各地で寮歌イベントが行われているんですが,業務との兼ね合いもあって,ルーチンで参加しているのはこの能代寮歌と8月の中央寮歌祭の2つです.特に能代の寮歌は自分の前任地で一緒だったドクターのご尊父が主催しているイベントということで,できるだけ参加しています.

 会場はJR能代駅からほど近いキャッスルホテル能代です.宿泊先も同ホテルなので当日夕方にチェックインして部屋で荷物を解いたあと会場に向かいました.

 今回の参加者は地元の方も含めて45名程度と例年よりも少なめでした.主催している先生によると,やっぱり高齢化の影響が強くなっているとのこと.考えてみれば旧制高校最後の入学生が昭和25年(1950年)です.その方々が現在では85歳になります.それ以下の年代はすべて新制になってしまうのですから,旧制高校実体験者はいくら長寿の時代とはいえ急激に数を減らしているのが実情です.もちろん私のようにそれ以降でもこうしたジャンルを愛好する人間もいるわけですが,総数としてはやっぱり減少傾向にあるようです(実際に全国各地の寮歌祭も終了または規模縮小となっているところがほとんどです).

 そんな第30回能代寮歌を愛する会,今年も開会の言葉に始まり,黙とう(これは前年以降に鬼籍に入られた方々のため),歓迎寮歌,ゲスト代表挨拶と続き,いよいよ乾杯です.

Img_1072 Img_1067  乾杯の後は寮歌斉唱の時間,今年は北から南へという流れで北大予科から弘前,山形,二高と進んでいきました.各校それぞれ壇に上がって歌うのですが,以前はこうした際に長々とあいさつをして進行係を困らせる方々(笑)がいたんですが,近年はそうした方々も高齢で長挨拶をする元気もなくなってきたのか,去年今年は極めて進行がスムーズでした.

 今回の目玉としては一高水泳部の河童踊りの歌が披露されたこと.腰蓑をつけてユーモラスに踊るさまが面白かったです(これが当時のエリートの姿です 笑).私はというと,近年恒例となった第七高校造士館の北辰斜めの音頭を取らせていただきました.充実した時間でしたが,一方で参加者減少と関係があるのかもしれませんが,定番寮歌として知られる松江高校の青春の歌や台北帝大予科の創業歌などが省略されていたのは寂しかったです.

 閉会後はいったん部屋に戻ったのち有志で二次会に繰り出しました(今年もカラオケのあるスナックでしたが,昨年とは違うお店でした).翌日はオプションの白神山地に観光に出かける人も多かったんですが,我々はそこまでは時間が取れないということで朝ゆっくり起きて家路に向かったのでした(途中稲庭うどんの老舗佐藤養助本店に立ち寄りました).

Img_4126  こちらは2種類のつけダレでいただく二味天せいろです.

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2018年8月 6日 (月)

中央寮歌祭2018

 気が付いたらあっというまに8月に突入していました.世間では夏休みシーズン真っ盛りの8月ですが,自分的には真逆で休みとは縁遠い月になります.それは職場の他のドクター(特に家族持ちのドクター)で夏休みをとる人が多いので,そのバックアップ要員として居残らなければならないからです.当然遠出することもありません(まあ,暑いから遠出するメンタリティにもなりませんが).

 そんなビザンチン皇帝が最も活動しない月,8月ですが,ほぼ唯一の例外が表題の中央寮歌祭です.これは2010年に第50回の節目をもって終了となった日本寮歌祭の流れをくむ寮歌祭のひとつとして2011年から始まったイベントです.かつては全国各地で行われていた寮歌祭ですが,近年は旧制高校を現役で過ごした方々の減少や高齢化が著しく,多くの寮歌祭が終了または規模縮小を余儀なくされています.そんな中でこの中央寮歌祭は旧制高校だけではなく,新制大学あるいは私学にも広く門戸を開いているのが特徴で,近年ではそうしたものに関心を持ってくださる若い方々の参加も増えています(他の寮歌祭に行くと圧倒的に若手の自分ですが,この中央寮歌祭では中堅どころのやや若い方という感じになります).

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(左写真1) 今年のプログラムの表紙,(右同2) 歌唱順

 中央寮歌祭は例年8月の第1土曜日に開催されます.今年は8月4日の土曜日,場所は2011年の初回から続く新宿の京王プラザホテルです.この日は朝8時半ごろに家を出て小田急に乗って新宿に向かいました.各地で猛暑が記録されている今年の夏ですが,この日は暑いとはいうものの,そこまで激しい暑さというわけではない印象でした.新宿駅西口からは徒歩で会場に向かいます.入って受付をして,その後は持参した和服に着替えて準備完了です.

Dsc_1944 (写真3) この日は和装です

 11時からいよいよプログラム開始,まずは主催者挨拶やこの1年間に故人となった方々への黙とうと続き,いよいよ寮歌高唱の時間です.北は北大予科から南は七高造士館,さらには台北や旅順といった外地までこの日のプログラムに掲載された学校は54校に及びました.これらは順番に歌っていくわけですが,公平を期すために毎年10校程度ずつずらされていくのがこの寮歌祭の特徴で,今年は陸軍士官学校から始まって,慶応義塾大予科で終わる流れでした(昨年は東京高等学校から始まって第一高等学校で終わる,一昨年は東亜同文書院から始まり第五高等学校で終わるパターン).

Img_0981 (写真4) 今年はお弁当でした

 中央寮歌祭は新宿の京王プラザという高級ホテルが会場である一方,参加費が全国他の寮歌祭とあまり変わらないという構造のため,出される料理が貧弱だといわれます.例年はポテチなどのスナックに始まり,中華系の料理が数品出てデザートはバナナというパターンだったんですが,今年はなんとお弁当でした! 思うに参加者の中には大皿から取り分けるという形式になじめない方もいるので,それならいっそ弁当の方がという議論になったものと思われます(今年の弁当は結構よかったので自分的にはこちらで賛成).

Img_0990 Img_0991 (左写真5) 第四高等学校,(右同6) 北大予科

 寮歌高唱は順調すぎるほど順調に進みました.かつてはこういうイベントになると,長々とあいさつをする方がいて司会役を困らせたものですが,そうした人たちが高齢化して長挨拶をする元気がなくなったのか,ここ数年はそうした事例は見かけなくなりました.一方で近年は若い参加者も増えていて,今年は近畿大学の若い人たちが全員スマホで歌詞を見ながら歌っていたんですが,こういうところに時代の流れを感じたのでした.

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2018年7月28日 (土)

まもなく中央寮歌祭

 久しぶりの更新になります.最後の記事が7月7日のトスカだったので,実に3週間ぶりです.先月の南米旅行の余韻に浸る間もなく日常生活が再開となりました.7月に入ってからは先述のトスカに加えて,毎年恒例の母親の接待旅行(?)なんかもありました(今年は北海道の道東地区,これに関してもレポートをまとめなきゃならないんですが,南米旅行すらまだ半分なのにいつになるやら…).

 で,まもなく8月がやってきます.実は1年12か月の中で私がもっとも活動的でなくなるのが,この8月です.理由としては暑くてあまり動きたくない上に,職場の他のドクター(特に家族持ちのドクター)が夏休みをとる時期にあたるため,必然的に自分が留守番要員になるからです.また,秋以降の活動に備えて資金を蓄積するという思惑もあります.

 そんな8月ですが,まったく活動しないことに決めているというわけでもなく,少ないながらも定番行事は存在します.それが中央寮歌祭,深層心理に寮歌が潜んでいる自分は旧制高校や寮歌が大好きなんですが,現在国内最大規模の寮歌祭です.成り立ち等に関しては以前書いたので省略しますが,何の因果か幹事の末席に連なっているために毎年参加しています(医務係です.つまりは高齢の参加者が具合悪くなった時に対応する係)

 先日帰宅したところ,今年のプログラムが完成した模様で自宅に届いていました.

37775227_1835202433243780_114707995  今年の表紙は松本のようです.松本にあった旧制松本高校には「春寂寥」という寮歌の名曲があります.今年の中央寮歌祭は8月4日に行われる.

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2017年8月11日 (金)

2つの寮歌

 先日の中央寮歌祭'17で隣の席の先輩と話題にしたお話である.

 一般に2500~3000曲はあるとされる寮歌だが,その中でもよく知られた有名な寮歌となるとそれなりに数が絞られる.俗に3大寮歌などと呼ばれる,第一高等学校の「嗚呼玉杯」,第三高等学校の「紅もゆる」,北大予科の「都ぞ弥生」の知名度は抜群だが,これらに負けず劣らず有名なのが鹿児島の第七高等学校造士館の「北辰斜め」だ.映画にもなった素晴らしい寮歌である.

 で,この「北辰斜め」と三重の神宮皇學館大学予科の寮歌「若草萌ゆる」が非常に似ているのである.

 第七高等学校造士館「北辰斜め」

 神宮皇學館予科「若草萌ゆる」

 このため,先の先輩がとある会合の席で,皇學館の関係者の方に,「皇學館の「若草萌ゆる」は七高の「北辰斜め」からメロディーを拝借したものですか?」と聞いたのだそう.それに対する皇學館関係者のご返答が,「それは違う.そもそもその2曲は同じ作曲家による別な作品なので拝借には当たらないし,当地で「若草萌ゆる」を作ったのちに鹿児島に転勤されてそこで「北辰斜めを」を作ったのだ(だからこちらの方が先なのだ).」というものだったらしい.

 中央寮歌祭ではこの2曲とも披露されるのだが,資料を見ると確かに両曲とも作曲は須川政太郎となっており,件の皇學館関係者の話が正しそうである.なるほどなぁ,そういうこともあるんだ,とこの日は妙に感心した.

 ただその後,この件について少し調べたところ,いくつかの疑問がわいてきた.まずは2つの寮歌の成立年代である.

 北辰斜め   大正四年(1915年)

 若草萌ゆる  大正十三年(1924年)

 あれっ,北辰斜めの方が古いんですけど.さらに作曲家である須川政太郎の軌跡である.こちらについては文書の資料が手元にないのでネットの情報であるが,明治17年に和歌山県に生まれ東京音楽学校(現東京藝術大学)を卒業し,大正2年(1913年)鹿児島師範学校の音楽教師として赴任した.その後京都師範学校,彦根高等女学校,半田高等女学校等を歴任した… とあります.先の寮歌の成立年代と同様,作曲者に関しても鹿児島勤務が先であり,その後関西・東海地方に勤務という順番のようである.

 以上を結論付ければ,曲の成立順は「北辰斜め」→「若草萌ゆる」である.同一作曲者による作品であるため,曲が似ているからといってどちらかが借用という性格のものではない(もちろん意識していたかしていないかは別にして,「若草萌ゆる」を作曲した段階で,過去の「北辰斜め」のイメージが頭にあった可能性はある).ということになるのだろう.

 では件の皇學館関係者がどうしてそんなことを言ったのかであるが,単に間違って覚えていたという可能性もあるが,作曲家の件を知っている方であるため,もしかしたら「借用ですか?」と聞かれたことに対して内心穏やかではなく,あえて事実と異なることを言った可能性があるのかなと思ったのだった.

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