青春の歌
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昨日新宿で行われた第49回日本寮歌祭に参加してきました.
音楽というともっぱらクラシック音楽,特に教会音楽を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて何かの折に頭をもたげてきます.前の職場の同僚のご尊父が寮歌愛好家&大学寮の先輩という関係で,寮歌イベントにお誘いをいただくようになり,今回の参加となりました.
日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で昭和36年から開催されているもので,今年で49回目を迎えます.第40回までは日比谷公会堂などのホールで行われていましたが,41回からはより自由な宴会形式に代わったそうです.
今回も北は札幌の北大予科から南は鹿児島の七高造士館,さらには外地の旅順,京城(現ソウル),台北など関係者600人余りが集まって盛大に行われました.
21世紀の今の時代,旧制高校に在学された一番若い方々も90歳近くになっており,このイベントも来年50回をもって一応の終了が決まっているそうですが,何らかの形で受け継いでいきたいという話も出ていました.
当時を懐かしむ方々の中には,旧制高校の少数精鋭主義が日本の近代化を推し進めたのだと力説されていた人もいました.一面の真実ではありますが,明治の日本がそのような少数精鋭主義・エリート主義を取ったのは,当時の日本に大衆広くに高い教育を施して国力を増大させていく余裕もお金もなかったからです.要するに一部の優秀な学生に徹底的な教育を施し、彼らを牽引車として国家の近代化を図る方法を取ったわけです.この方法は貧しい日本が短期間で近代化を成し遂げるには非常に有効な方法だったと思います.
ただある程度近代化が成し遂げられると問題も表面化します.エリートは他者の批判を受け付けず独善的となり,結果不幸な歴史をもたらしたのは広く知られるところです.
とはいえ,青春期に幅広い教養を身につけさせようとした旧制高校の理念は私も大いに賛同するところです.
尚,今の高校も幅広い科目を勉強させますが,これは大学受験が目的であり,厳しい受験後に幅広い教育を行った旧制高校とは意味合いが異なります(戦前は高校の一学年の定員と帝国大学のそれはほぼ1対1で,要するに選ばなければどこかの大学には無試験で入れたそうです).
そんな日本寮歌祭のひとコマ,鹿児島の七高造士館の寮歌です.
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この週末前橋に行ってきました.11月16日に行われた”群馬寮歌祭”にお招きいただいたからです.普段は音楽というとクラシックやアニソンばかりが出てくる私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,何かの折に頭をもたげてくるのでした.
前日夕方都内で別用を済ませてそのまま前橋へ.前橋といえば群馬県の県庁所在地なんですが,利根川を挟んで反対側に高崎という大きな町があり,しかもこちらの方が交通の要衝だったりするためイマイチ地味な印象です.電車を降りた駅前もなんとなく地味でした(県庁所在地の駅前の寂しさとしては山口並みか?).
(写真2) 次々と寮歌が披露されていきます.これは北大予科の方々
さて旧制の高等学校などで歌われた寮歌ですが,旧制高校が廃止されてから58年,当時現役だった方々も最年少で80歳近くになります.いつもいつも思うのですが,皆さん本当に元気です.
寮歌祭は全国各地で行われており,それぞれ地域性があるようですが,ここ群馬の寮歌祭は北大予科,第四高校,新潟高校関係者が多く参加しているようでした.
寮歌祭の様子(第四高等学校の北の都です).
こちらは同じく第四高等学校の南下軍の歌です.
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いやー眠い.さすがに2日続けて6時起きは朝寝坊の私には堪える.
実は寮歌好きな私.普段は音楽というとクラシック関係を中心に愛好しているのだが,深層心理には寮歌があって,何かの折に頭をもたげてくるのだった.
以前の勤務先の同僚のご尊父が寮歌愛好家で,秋田の能代で寮歌の会をやっているとのことでおととしの秋にお招きいただいた.昨年は6月の開催だったのだが,見事我が家のマダガスカル旅行とかぶってしまい参加できなかった.そんなわけで今年は是非参加したいと思い,めったに使わない年次休暇をとって出かけてきた.
しかし能代はムチャクチャ遠い.列車でまっすぐ行っても6時間以上かかる(新幹線利用で).6月10日は朝6時半に家を出た.寮歌の会は夕方からなので,せっかく平日休むのだからと途中仙台に寄って,いよいよ閉店間近の貧食に顔を出したりしたためだ.
結局能代に着いたのは夕方の4時半,ホテルで一休みしてから会場となる料亭金勇に出かける(ここの二階にある154畳の大広間が会場).
2年前にも書いたが,寮歌とは旧制高等学校の寄宿舎の歌である.学制改革があったのが1948年頃だから,実際に旧制高校に在学していた人たちは若くても80歳近くということになる.遠くは大阪,兵庫など全国から総勢60名以上の方々が集まっていた.今回の参加者名簿を見たのだが,旧制一高卒,二高卒など錚々たる顔ぶれが揃っている.私なんかは若い方から数えて五本指に入るくらいだ.
挨拶,乾杯に続いて寮歌が始まる.北国の寮歌の会のためか,およそ北(北大予科)からはじまって弘前,二高,山形,一高,…,七高造士館(第七高等学校は鹿児島にあった)と進んでいった.酒が入るにしたがってどんどんにぎやかになっていくのだが,それにしてもみんな若い! とても70~80歳には見えないくらい元気だ(寮歌の世界では60代はニューリーダーである 笑).
(写真) 職業柄普段元気のない高齢者ばかり見ているので,こんな元気な方々を見るととても感動します.
私も久しぶりにご馳走を堪能して高歌放吟した夜となった.
そして,今日6月11日はまた6時起きで,今度は朝8時大館能代空港発の飛行機で職場にもどったのである.
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実は今日2007年7月10日は早稲田大学の校歌が制定されてちょうど100年になると,午後2時台のNHK総合の番組でやっていた.早稲田大学の校歌といえば,「都の西北早稲田の杜に~」で始まる,おそらくは日本の大学校歌で最も有名な曲であろう.なにしろ,赤塚不二夫の天才バカボンにも,「都の西北早稲田のとなり~」で始まるバカ田大学というパロディーまででてくるほどである.そんな早稲田の校歌が制定されたのが1907年(明治40年)7月10日なのだそうである.ちなみに作詞者は相馬御風,作曲者は東儀鉄笛とのことであった.
さて,番組中に触れられていたのだが,この早稲田の校歌,実はアメリカのアイビーリーグの名門イェール大学の愛唱歌の旋律に類似しているらしい.番組中にもイェール大学の愛唱歌も流れていたが,確かに似ている.特にサビの部分「早稲田,早稲田~」の部分はそっくりであった.実際に当時の書簡から,早稲田の校歌にイェール大学の歌が影響を与えたのは間違いないらしい.
しかし,だからといってこれを単純にパクリだと突き放すのは正しくはない.校歌というものは元々みんなが簡単に愛唱できることが重要であり,他の有名な曲などを引っ張ってきて校歌にするのは世界各地で行われていることらしい.我が岩手県にある盛岡一高の校歌が軍艦マーチの旋律であり,同じく一関一高の校歌が旧制一高の寮歌「春爛漫」であるのも同様の理由であろう.
ちなみに日本の大学で校歌があるのはもっぱら私立大学で,国立大学で校歌がある大学はほとんど聞いたことが無い(大概の国立大学には学生歌と呼ばれる曲があるが,合唱部などを除いては一般の学生にはほとんど知られていない(例 東北大学 青葉萌ゆる).
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私は10月24日に行われた,”能代寮歌を愛する会”に参加した.寮歌は主として旧制高等学校(新制大学の教養課程に相当する)や大学の予科の寄宿舎の歌である.旧制高校には,明治期にできた番号で呼ばれる学校(ナンバースクール,第一高等学校から第八高等学校まである)と,大正期以降にできた地名を冠した学校(ネームスクール,弘前高等学校,松江高等学校など)とがある.
ナンバースクールのうち,第一高等学校の所在地は東京であり,第二高等学校は仙台にあった.この事実を知った時,「どうして仙台なんだろう」というのが正直な感想であった.第一が東京にあるのは理解できる.首都なんだから,まあそういうもんだろう.しかし,どうして第二が仙台なのか.町の規模や歴史から言っても,大阪や京都,名古屋あたりの方が適当なんじゃないかと思ったのである.しかも時代は明治である.戊辰戦争で仙台は奥羽越列藩同盟を作って薩長新政府軍に対抗した都市である.こうした朝敵の汚名を着せられたところに,第二と銘打った高等学校ができたというのが意外だったのである.薩長藩閥政府の時代なのだから,彼らの地元の山口や鹿児島に作っても良さそうなものをと思ったりもした(ちなみに鹿児島には明治34年に第七高等学校造士館が,山口には大正8年に山口高等学校が設置されている).
実はこの,第一(東京),第二(仙台)というパターンを持つものがもうひとつある.それは旧日本陸軍の師団司令部の所在地である.師団というのは司令部を有し,単独で作戦を遂行できる能力を持った戦略単位と呼ばれる部隊である.規模は1万人(平時)~2万人(戦時)で,歩兵・砲兵以下,工兵(道路の修理や架橋,線路の敷設を行う兵種)や補給部隊,野戦病院なども含まれている.戦前の陸軍にはこうした師団が数多くあったが,そのうち第一師団司令部が東京に置かれ,第二師団司令部が仙台に置かれたのである.第一はともかく,なぜ第二が仙台なのかはよく分からない(ちなみに今の陸上自衛隊では第1師団は東京で,第2師団は北海道にある.東西冷戦時代北海道が日本の最前線だったからである).
以下に旧制高校(ナンバースクール)の所在地と陸軍師団司令部の所在地を示します(第一と第二はいずれも東京と仙台ですが,第三以降はバラバラです).
|
旧制高校の所在地 |
陸軍師団司令部の所在地 |
第一 |
東京 |
東京 |
第二 |
仙台 |
仙台 |
第三 |
京都 |
名古屋 |
第四 |
金沢 |
大阪 |
第五 |
熊本 |
広島 |
第六 |
岡山 |
熊本 |
第七 |
鹿児島 |
旭川 |
第八 |
名古屋 |
弘前 |
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昨日10月24日,かねてからお誘いのあった能代での”寮歌を愛する会”に参加してきた.この日は午前中から昼過ぎにかけて,大学病院で医学生の相手をしたり,所用を済ませたりした後,午後1時ごろに車で出かけたのである.
秋田県能代市は秋田県の北西部,日本海に面した町である(元阪急ブレーブスのサブマリン,山田久志投手の出身地でもある).滝沢インターから東北自動車道に入り,十和田インターで降りて国道103号,7号を走る.能代市内に入り,宿泊先のホテルに着いたのは午後4時ごろであった(3時間かかったわけだ).あらかじめ配布されていた案内には,午後5時50分にフロントにタクシーが来るとあったため,時間にフロントに下りてみると,学生服に白線帽,高下駄や学校名が書いた法被を着た人たちが大勢集まっていた.どう見ても私より圧倒的に年配の人ばかりである(自分の親より年上っぽい感じだが,みな生き生きとした表情をしている).「今日はお世話になります」と挨拶をしてから,みんなでタクシーに乗り込んで会場に向かった.
会場となったのは「金勇」という料亭である.ここは明治23年創業で,建物は樹齢260年余りの秋田杉をふんだんに使っているそうで,なんでも国の登録有形文化財になっているらしい.
料亭「金勇」の概観です.ここの2階の大広間を借り切って行われました.
会場に着くと受付を済ませて,ゲスト(遠隔地から参加した人)の控え室に通される.見渡すと,かなりの年配者ばかり.プログラムに記載されている参加者名簿を見ると,東京や大阪,兵庫県から参加している人もいる.学歴も一高(旧制第一高等学校,いまの東大の教養部にあたる)卒,四高(第四高等学校,金沢にあった)卒など凄い学歴の方々ばかりである.自分なんか下手すれば孫の世代なんじゃないかと思ってしまった(勿論,旧制高校卒以外の,新制大学卒の参加者もたくさんいたが).
6時半に宴会場に案内される.地元の会員が拍手で出迎えてくれた.百五十四畳という巨大な大広間で,壁には旧制高校の手ぬぐいなどが掲げられ,雰囲気を盛り上げている.主催者の挨拶,ゲスト代表の挨拶(旧制一高卒の方であった)の後,歓迎寮歌(その年のゲストによって変わるらしく,今年は山口高等学校の寮歌(私の知らない曲)であった)が歌われ,ついで乾杯,ゲストの自己紹介と進んだ.
恐ろしく元気な高齢者の方々.寮歌には若返りの作用もあるそうです.
しばらくビールでのどを潤した後,いよいよ歌の開始である.寮歌は原則的に北から南へ(北大予科,弘前高,二高から五高,七高造士館など)順に歌っていく.それぞれOBは自分の学校の部分をステージに上がって歌うのだが,その他歌いたい人も自由に上がって歌えるスタイルである.私が知っている歌は全体の半分程度あったため,混ぜて歌わせてもらった.
出身母体である旧制弘前高校の法被を着た私(弘前大学北溟寮出身です).
約4時間の会であったが,一番感じたことは「みんな若い!」ということである.80歳を越えたような人たちも多いのだが,とてもそうは思えないような,大きな声をだして歌っていた.参加者の一人が,「寮歌には認知症を抑制する作用ばかりでなく,若返りの作用もある」といっていたのがうなずける感じであった(職業柄、普段元気のない高齢者を相手にしている私には,こんな高齢者もいるんだと感慨を抱いたのであった).
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寮歌は私の青春の歌である.今では主としてクラシックの声楽曲を愛好するようになったが(モーツァルトもそのひとつだ),深層心理には寮歌が眠っていて,ことあるごとに湧き出てくるのだ(カラオケに行ってもたまに寮歌を歌うこともある.私もKも実はカラオケ好きである).
私の職場の同僚のご尊父が大変な寮歌愛好家で,年に1回秋田県能代市で「寮歌を愛する会」を主宰しているとのことであった.私が寮歌好き(今年夏の公舎のバーベキューの会で,酔った私とKが”北溟寮寮歌(都も遠し)”を歌っていた)であることを知った件の同僚が,ご尊父にそのことを知らせたため,私にその会へのお誘いが来た次第である.
会は来週の火曜日,10月24日に行われるのだが,その最終案内が届いた.内容を読んでみると…….「健康保険証,持病のある方は病名,服用中の薬剤名とその薬効を…」,こ,これは,つまり持病の発作が起こるような年頃の人がたくさん参加するということか…,私もとりあえず医者の端くれであるが,何となく不安になってくる.さらに読み進めると,急遽参加する方がいるらしい.一高S23と書いてある.こ,これは…,もしかして昭和23年旧制一高卒業ということか…(自分の親が子供の頃だ),す,すごい.凄すぎる.さらに,ゲストの皆様へ「午後5時50分,寮歌着装にて会場へ」とある.寮歌着装とは??(その後読み進めると,どうやら必ずしも寮歌着装でなくてもいいらしい).
それにしても件の同僚が,「いやー,ウチの親父本当に好きですからねぇ」と半ば困ったようにつぶやいていたが,会にかける熱意がひしひしと伝わってくる案内状であった.さあ,いったいどんな世界が待っているのやら,楽しみでありつつも何となく不安も抱く私であった.
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実は高校時代の私は弊衣破帽に,腰に手ぬぐいぶら下げて高下駄をカランコロンさせて歩くバンカラ学生であった(今ではその片鱗もないが).そんな格好をしていたのはひとえに旧制高等学校に憧れていたからであった.旧制の高等学校は旧制中学(5年制)卒業後に進学(実際には4年修了で受験できたらしいが)するもので,年齢としては今の高3から大学2年(いわゆる教養課程)位の3年間に相当する.授業的には文科と理科に分かれて各種教科(丁度新制大学の教養課程のような授業,当然第2外国語もある)が行われていた.なぜ,こんな旧制高校に憧れていたかといえば,当時の高校生はごく一部の優秀な生徒のみが進学しており,寮で仲間と酒を酌み交わしながら(当然未成年だったはずだ),やれニーチェがどうした,やれヘーゲルがどうしたと難しい学問について語り合っているというイメージがあり,そんな彼らがとてもカッコいいと感じていたからである.
そして旧制高校といえば寮である.旧制高校は明治時代のナンバースクール(第一から第八まである)と以後の都市名がついた高校(ネームスクール),さらには大学予科(北大など)や私立も併せて40位あるのだが,ほとんどの学校に寮があり,多くの学生はそこで生活をしていたのであった.寮にはそれぞれ魅力的な歌(寮歌)があり,当時の私は好んで歌っていたものだった(当時ボニージャックスや加藤登紀子のLPレコードを買ったり,日本校歌寮歌集なるマニアックな本も持っていた).ただ,大学に入って以降はクラシックの声楽曲に目覚めてしまったため,この寮歌愛好は深層心理のなかに深くうずもれてしまった.だが今でも酔っ払った時や旧友に会ったときなどには顕在化するのであった.
さて,何で今日この話題を出したかといえば,先日私の深層心理に訴える出来事があったからである.それは私の職場の方のご尊父が弘前大学北溟寮の出身で,大変な寮歌愛好者であるとのことを伺ったからであった(北溟寮は旧制弘前高等学校の寮である).そして何を隠そうこの私も弘前大学北溟寮出身なのでであった.思いがけぬ偶然に感激した次第であった.
都も遠し 津軽野に あふるる生気 若人の 胸に希望の 春は来て 高なる血潮 紅に 咲くは理想の 花の色 潜む大鵬 みちのおく
であった.
(写真上) 弘前大学時代の私.卒業式の日に寮門前で(このままの格好で卒業式に参加).(写真下) これが日本校歌寮歌集.今はもう絶版だろうなぁ.
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