先週末はフリーの週末でした.どこか遠くに出かけようかとも思いましたが,土曜日に盛岡で学術講演会があったためあきらめました.こういう会に参加して,最新の知見等を知ることは,仕事上極めて重要だからです.今回のテーマは「頭痛」と「認知症」,臨床の最前線で活躍されている先生方の貴重なお話を聞くことができました.
そういうわけで土曜日は講演会に参加したのですが,翌日せっかくだからとJR山田線に乗ってみることにしました.山田線は支線の岩泉線と併せて,全国屈指の秘境路線として,またキハ52,58系が現役で走っている路線として,いわゆるテツの人気を誇っている路線です.私は自分の母親が山田線沿線の川井村出身ということもあり,幼少の頃はよくこの山田線に乗った記憶があります.懐かしさとキハ52系,58系がまもなく現役引退というお話で(キハ58の方は丁度講演会のあった20日が最後,キハ52は11月24日がラストランのようですキハ52系気動車ラストラン記念列車運転),マイルド鉄スーパーライトの私も,なくなる前に一度乗っておこうと考えた次第です.盛岡近郊のJRが一日乗り放題のホリデーパスを購入し,13時46分発の宮古行き快速リアス号に乗車しました.
(左)キハ52の2両編成のリアス号です.(右)これは盛岡赤鬼色というそうです.
山田線は盛岡から北上山地を横断して宮古に至り,そこから三陸沿いを南下して釜石に至る全線約160キロの路線です.宮古からは三陸鉄道北リアス線,釜石からは同じく南リアス線に接続して,いわゆる三陸縦貫鉄道を形成しています.山田線の名称の由来は,宮古-釜石間に存在する山田町からきていると思われます.一口に山田線といっても,盛岡-宮古間と宮古-釜石間では様相が全く異なります.宮古-釜石間は普通のローカル線といった趣で,運行本数もほぼ1~2時間に1本,1日10往復が運行されています.それに対して盛岡-宮古間は通しで走る列車は1日4往復しかありません.この路線が秘境路線と呼ばれる所以です.
(左)キハ52 143の名前が,もう1両はキハ52 154でした.(右)決して込んではいませんがそれなりに乗っています.
快速リアス号出発の瞬間の動画です(ビザンチン美術館)
私が乗った午後の快速リアスはキハ52の2両編成で,乗客は50人ほどいました.13時46分定刻に列車はゆっくりと走り始めます(出力が足りないため,電車のような加速は全く期待できません).盛岡駅から北に向かい,まもなく東北本線と分かれて東に進路を取ります.北上川を渡って住宅地の中を走り,まもなく上盛岡駅に停車しました.上盛岡駅は県立中央病院や岩手大学などの近くです.ここで数人乗って来た人がいました.
(左)北上川を渡河します.(右)上盛岡駅
上盛岡駅をゆっくりと出発し,再び住宅地の中を走り,愛宕山のトンネルをくぐると,まもなく2つ目の駅山岸駅に到着です.ここも住宅地の中の駅です.ここでは乗り降りする人はなく,再び走り始めます.山岸駅を過ぎると徐々に住宅が減り,田んぼや林が多くなってきます.勾配も徐々にきつくなり,ディーゼルエンジンのうなり声が大きくなります.周囲を見ると,所々に三脚に立てたカメラを構えている人の姿があちこちに見えました.まもなく引退の車両を撮影しようというのでしょう.しばらくそんな田園地帯を走った後,3番目の駅である上米内駅に到着です.上米内は駅員もいて列車交換も可能な駅です.新興住宅地の近くにあって,通勤通学に少しは需要があるようです.この日もここで降りた高校生がいました.
上米内の駅です(山田線では比較的大きな駅です)
上米内駅を過ぎると,周囲は一気に山岳地帯の様相を呈してきます.もはや田んぼや畑などの人跡はなくなり,あたりは山と森と源流(上流の澄んだ川)のみの世界です.勾配もかなりきつく,ディーゼルカーは黒煙を吐いてあえぎながら登っていきます.山はかなり険しく,トンネルと鉄橋が次々と現れます(駅間に5~10ヶ所ものトンネルがあります).途中には秘境駅で有名な大志田駅,浅岸駅がありますが,リアス号はそのまま通過して行きます.浅岸駅を通過していくつかトンネルをくぐると,周囲は次第に開けた感じになり,エンジン音も次第に静かになってきます.ここが北上山地の分水嶺になる区界駅なのでした.
(左)秘境駅で有名な大志田駅です(2006年夏に撮影).(右)大志田駅を通過した赤鬼色の列車です(2006年に撮影).
快速リアス号浅岸駅通過です(ビザンチン美術館)
区界駅は駅員が配置されており,列車交換に使われる駅です.山田線のほとんどの列車が停車する駅ですが,なぜかこのリアス号は停車せず,そのまま速度を落として通過していきました(ここでもカメラを構えた人がいた).区界駅を過ぎると,周囲の景色は大きく変化します.区界までは人跡の乏しい山岳地帯でしたか,ここからは国道106号線や閉伊川と並行して,集落が点々とする農村地帯を走ることになります.宮古まで今度は下る一方なので,エンジン音も静かです.てっぺんの尖がった兜明神嶽(標高1005m)を左手に見ながら高原地帯を列車は進んでいきます.久々にトンネルのない区間をしばらく走って,松草駅を通過します.
区界から見た兜明神嶽です.
松草駅を過ぎると,周囲は再び山の様相になります.山田線・106号線・閉伊川が並んでカーブしながら美しい渓谷の中を走っていきます(再びトンネルも増えてきます).山間部の平津戸駅,川内駅,箱石駅を通過して,15時12分陸中川井駅に停車しました.考えてみれば14時1分に上米内駅を出発してから1時間以上も停車していなかったわけで,リアス号は特急列車並みの運行スケジュールで走る快速列車なのでした(笑).陸中川井駅は川井村の中心駅というだけあり,結構開けており,駅前にはタクシーも停まっているようでした.ここでも若干の人の乗降があったようです.
山田線西部はこのような渓谷の中を走ります.
陸中川井駅を出発すると,再び山間の中を走り,村境を越えると宮古市に入ります.とはいってもここは旧新里村といって,平成の大合併で宮古市になったところです.しばらく走って腹帯駅を通過し,まもなく茂市駅に停車します.茂市駅は旧新里村の中心駅であり,岩泉線の出発駅でもあります.私が乗ったリアス号が茂市に着いた時,向かいのホームには出発を控えた岩泉線の1両きりのディーゼルカーが停まっていました.
宮古も目前の花原市駅です.
茂市駅を過ぎると周囲は徐々に開けてきて,田んぼや人家も増えてきます.蟇目駅を経て,花原市駅を過ぎるとコンビニやスーパーの姿も見られるようになります.千徳駅を通過すると終点宮古駅はもうすぐなのでした.
宮古駅に着いた私はリアス号を降りると,そのまま向かいのホームに停まっていた盛岡行きの普通列車(1両きりのキハ52国鉄色)に乗り換え,盛岡に戻ったのでした.
これが帰りに乗った国鉄色のキハ52 153です.
ちなみに夜7時半で既に山田線は本日の営業終了となります(右上の表示板).
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