2013年1月 6日 (日)

真冬の秘境駅が…

 今日所用があって盛岡に行ってきました.で,駅で見かけた貼り紙です.

P1060001 秘境駅として一部で人気の山田線大志田&浅岸の両駅が1月1日から3月15日まで,全列車が通過となるんだそうです.

 停車も何も,元々1日1~2往復しか停まってなかったじゃないかなどというツッコミはナシにして,思うにこれは需要がないから通過するというのではなく,乗客とくに観光客に対する配慮からなされた決定なのではないかと思いました.

 山田線の大志田&浅岸両駅は,住所こそ盛岡市ですがなんにもない山奥にひっそりと佇む駅です(だから秘境駅として人気なわけですが).駅といっても短いホームとその上に立つ小さな待合所のみで,付近には店はおろか民家すら全くありません.ですから真冬になにも知らない観光客が物珍しさでうっかりと下車しようものなら,避難する場所はありません.次の列車まで耐えればなんてのは甘い考えで,大志田駅なんかは次の列車は明日までないなんてことになります.

Ohshida1(写真) 2006年の夏に訪問した大志田駅です

 最近ニュースで軽装で冬の富士山に入って動けなくなり救助を要請なんていう事件がありましたが,冬の大志田&浅岸両駅では鉄道の駅でありながら乗客が遭難してしまうなんてことが本当に起こり得るのです.件の決定は,駅で遭難というJR東日本にとって恥ずかしい事件の発生を防ぐためのものではないかと思ったのでした.

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2007年10月24日 (水)

山田線に乗る

 先週末はフリーの週末でした.どこか遠くに出かけようかとも思いましたが,土曜日に盛岡で学術講演会があったためあきらめました.こういう会に参加して,最新の知見等を知ることは,仕事上極めて重要だからです.今回のテーマは「頭痛」と「認知症」,臨床の最前線で活躍されている先生方の貴重なお話を聞くことができました.

 そういうわけで土曜日は講演会に参加したのですが,翌日せっかくだからとJR山田線に乗ってみることにしました.山田線は支線の岩泉線と併せて,全国屈指の秘境路線として,またキハ52,58系が現役で走っている路線として,いわゆるテツの人気を誇っている路線です.私は自分の母親が山田線沿線の川井村出身ということもあり,幼少の頃はよくこの山田線に乗った記憶があります.懐かしさとキハ52系,58系がまもなく現役引退というお話で(キハ58の方は丁度講演会のあった20日が最後,キハ52は11月24日がラストランのようですキハ52系気動車ラストラン記念列車運転),マイルド鉄スーパーライトの私も,なくなる前に一度乗っておこうと考えた次第です.盛岡近郊のJRが一日乗り放題のホリデーパスを購入し,13時46分発の宮古行き快速リアス号に乗車しました.

Kiha4 Kiha1

(左)キハ52の2両編成のリアス号です.(右)これは盛岡赤鬼色というそうです.

 山田線は盛岡から北上山地を横断して宮古に至り,そこから三陸沿いを南下して釜石に至る全線約160キロの路線です.宮古からは三陸鉄道北リアス線,釜石からは同じく南リアス線に接続して,いわゆる三陸縦貫鉄道を形成しています.山田線の名称の由来は,宮古-釜石間に存在する山田町からきていると思われます.一口に山田線といっても,盛岡-宮古間と宮古-釜石間では様相が全く異なります.宮古-釜石間は普通のローカル線といった趣で,運行本数もほぼ1~2時間に1本,1日10往復が運行されています.それに対して盛岡-宮古間は通しで走る列車は1日4往復しかありません.この路線が秘境路線と呼ばれる所以です.

Kiha3_2 Kiha5_2

(左)キハ52 143の名前が,もう1両はキハ52 154でした.(右)決して込んではいませんがそれなりに乗っています.

快速リアス号出発の瞬間の動画です(ビザンチン美術館)

 私が乗った午後の快速リアスはキハ52の2両編成で,乗客は50人ほどいました.13時46分定刻に列車はゆっくりと走り始めます(出力が足りないため,電車のような加速は全く期待できません).盛岡駅から北に向かい,まもなく東北本線と分かれて東に進路を取ります.北上川を渡って住宅地の中を走り,まもなく上盛岡駅に停車しました.上盛岡駅は県立中央病院や岩手大学などの近くです.ここで数人乗って来た人がいました.

Pa210065 Pa210067

(左)北上川を渡河します.(右)上盛岡駅

 上盛岡駅をゆっくりと出発し,再び住宅地の中を走り,愛宕山のトンネルをくぐると,まもなく2つ目の駅山岸駅に到着です.ここも住宅地の中の駅です.ここでは乗り降りする人はなく,再び走り始めます.山岸駅を過ぎると徐々に住宅が減り,田んぼや林が多くなってきます.勾配も徐々にきつくなり,ディーゼルエンジンのうなり声が大きくなります.周囲を見ると,所々に三脚に立てたカメラを構えている人の姿があちこちに見えました.まもなく引退の車両を撮影しようというのでしょう.しばらくそんな田園地帯を走った後,3番目の駅である上米内駅に到着です.上米内は駅員もいて列車交換も可能な駅です.新興住宅地の近くにあって,通勤通学に少しは需要があるようです.この日もここで降りた高校生がいました.

Kamiyonai 上米内の駅です(山田線では比較的大きな駅です)

 上米内駅を過ぎると,周囲は一気に山岳地帯の様相を呈してきます.もはや田んぼや畑などの人跡はなくなり,あたりは山と森と源流(上流の澄んだ川)のみの世界です.勾配もかなりきつく,ディーゼルカーは黒煙を吐いてあえぎながら登っていきます.山はかなり険しく,トンネルと鉄橋が次々と現れます(駅間に5~10ヶ所ものトンネルがあります).途中には秘境駅で有名な大志田駅浅岸駅がありますが,リアス号はそのまま通過して行きます.浅岸駅を通過していくつかトンネルをくぐると,周囲は次第に開けた感じになり,エンジン音も次第に静かになってきます.ここが北上山地の分水嶺になる区界駅なのでした.

Oshida Akaoni

(左)秘境駅で有名な大志田駅です(2006年夏に撮影).(右)大志田駅を通過した赤鬼色の列車です(2006年に撮影).

快速リアス号浅岸駅通過です(ビザンチン美術館)

 区界駅は駅員が配置されており,列車交換に使われる駅です.山田線のほとんどの列車が停車する駅ですが,なぜかこのリアス号は停車せず,そのまま速度を落として通過していきました(ここでもカメラを構えた人がいた).区界駅を過ぎると,周囲の景色は大きく変化します.区界までは人跡の乏しい山岳地帯でしたか,ここからは国道106号線や閉伊川と並行して,集落が点々とする農村地帯を走ることになります.宮古まで今度は下る一方なので,エンジン音も静かです.てっぺんの尖がった兜明神嶽(標高1005m)を左手に見ながら高原地帯を列車は進んでいきます.久々にトンネルのない区間をしばらく走って,松草駅を通過します.

Pa210089 区界から見た兜明神嶽です.

 松草駅を過ぎると,周囲は再び山の様相になります.山田線・106号線・閉伊川が並んでカーブしながら美しい渓谷の中を走っていきます(再びトンネルも増えてきます).山間部の平津戸駅川内駅箱石駅を通過して,15時12分陸中川井駅に停車しました.考えてみれば14時1分に上米内駅を出発してから1時間以上も停車していなかったわけで,リアス号は特急列車並みの運行スケジュールで走る快速列車なのでした(笑).陸中川井駅は川井村の中心駅というだけあり,結構開けており,駅前にはタクシーも停まっているようでした.ここでも若干の人の乗降があったようです.

Keikoku 山田線西部はこのような渓谷の中を走ります.

 陸中川井駅を出発すると,再び山間の中を走り,村境を越えると宮古市に入ります.とはいってもここは旧新里村といって,平成の大合併で宮古市になったところです.しばらく走って腹帯駅を通過し,まもなく茂市駅に停車します.茂市駅は旧新里村の中心駅であり,岩泉線の出発駅でもあります.私が乗ったリアス号が茂市に着いた時,向かいのホームには出発を控えた岩泉線の1両きりのディーゼルカーが停まっていました.

Kebara

宮古も目前の花原市駅です.

 茂市駅を過ぎると周囲は徐々に開けてきて,田んぼや人家も増えてきます.蟇目駅を経て,花原市駅を過ぎるとコンビニやスーパーの姿も見られるようになります.千徳駅を通過すると終点宮古駅はもうすぐなのでした.

 宮古駅に着いた私はリアス号を降りると,そのまま向かいのホームに停まっていた盛岡行きの普通列車(1両きりのキハ52国鉄色)に乗り換え,盛岡に戻ったのでした.

Kiha7 Kiha6 これが帰りに乗った国鉄色のキハ52 153です.

Pa200002 ちなみに夜7時半で既に山田線は本日の営業終了となります(右上の表示板).

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2007年8月23日 (木)

秋 秘境駅号

 JR東日本盛岡支社の企画列車で「秘境駅号」というのがある.秘境駅というのは牛山隆信氏の造語で,周辺に人家などがなく,また列車以外の手段での到達が困難な駅のことである.なぜそこに駅があるのか疑問視されるものが多いが,これは以前は鉱山や材木の切り出し場所等で貨客輸送の需要があったが,その後の産業構造の変化から秘境化したものが多いようである(特に北海道).

 我が岩手県の北上山地を走っているJR山田線とその支線の岩泉線は,牛山氏の評価で4位,8位,9位にそれぞれランクされている,押角駅大志田駅浅岸駅というベスト10秘境駅を3つも抱える,全国屈指の秘境駅路線である.

 そんな観光資源(?)を活用しようというのが,この「秘境駅号」で毎年春と秋に運行されている.2007年は春が6月2日に,秋が9月16日,23日,24日に運行される予定である.

 私は昔から旅行好きで,よく列車にも乗っていた,あまりディープではない「テツ」である.9月15~17日の三連休がフリーになることが決まっていたため,せっかくだから秘境駅号に乗ってみようと思い立った.この列車はキハ52の2両編成で1両が指定席,1両は自由席である.当日自由席は混雑が予想されるため,指定席の切符を取ろうと,去る8月16日盛岡駅に出かけた(JRの指定券はちょうど一ヶ月前の午前10時に発売開始である).秘境駅号は人気列車だと聞いていたため,9時55分にみどりの窓口に到着,先客が7~8人並んでいたため,私の番が回ってきたのは10時9分だった.さっそく秘境駅号の指定席を取ろうと思ったら……

 「あー,もうありませんね…」

 という駅員の非情な声,なんとほとんど発売と同時に売り切れたらしかった.どうやら秘境駅号の指定席券はカシオペア・スイート並みのプラチナチケットらしかった(こんなことなら,いわて沼宮内駅で購入チャレンジするんだったと悔やんだ私であった).

Kokutetsuiro 国鉄色の気動車です(秘境駅号ではありません).

 そんなわけで,秘境駅号計画は残念な結果に終わったが,今日明日の2日間,残る9月23日・24日の秘境駅号の指定券が発売になります(23日の分はもう完売したんだろうなぁ).興味のある方は明日10時に発売される,9月24日の切符にチャレンジして下さい(もっとも自由席に並んで乗るという選択肢もありますが).

 追伸: この秘境駅号,以前は東京発の朝一のはやて1号からの接続で走っていたのですが,今年は7時59分発と,盛岡で前泊しないと乗れない運行スケジュールになっています.これは盛岡に観光客を宿泊させようというJRの考えなのでしょうか.

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2007年4月27日 (金)

秘境駅号

 秘境駅というのは牛山隆信氏の造語で,山中など人気のないところにある(なぜこんなところに駅があるのか,その存在が疑問視されるような),鉄道以外での到達が難しい駅のことである.全国に沢山の秘境駅といわれる駅があるのだが,やはり人口密度に比例してか,数的には北海道にもっとも多いようだ.ただ,我が岩手県も人口希薄という点では負けておらず(自慢になるのかわからないが),特に北上山地の山間は,今でも山姥や鬼,人を化かす狸や狐,河童などが住んでいそうな雰囲気をかもし出している.そんな北上山地を走っているJR山田線およびその支線の岩泉線は,牛山氏のランクで第4位の押角駅,第8位の大志田駅,第9位の浅岸駅と,なんとベスト10駅を3つも抱える,大秘境駅地帯であった.

Hikyou3 秘境駅はこんな雰囲気の人家など全くなさそうなところにひっそりとあります.

 秘境駅が注目されるようになって,こうした超ローカル駅にも観光客がチラホラ出没するようになったことから,JR東日本盛岡支社では,山田・岩泉両線の秘境駅を中心に停車するイベント列車「秘境駅号」を,春と秋の年2回走らせるようになった.この列車は山田線・岩泉線を利用して盛岡駅と岩泉駅を往復する列車で,キハ52・58という鉄道ファン垂涎の気動車(昔田舎のローカル線でよく見かけた,あのオレンジとクリーム色のツートンカラーのディーゼルカー.電車ではありません!)を使用している.2両編成で,1両が指定席,もう1両が自由席なのだが,わざわざ歴史的価値の高い古い方の車両(キハ52)を指定席にして鉄道ファンを喜ばせている.

Hikyou2 全国有数の秘境駅「押角駅」にたたずむ私

 秘境駅号は100%観光列車であり,その停車駅は大志田駅,浅岸駅といった普段なら一ヶ月にはたして何人乗り降りするかわからないような駅ばかりである.普段は人気の全くない,鳥のさえずりしか聞こえないような秘境駅が大賑わいを見せるのが,このイベント列車なのである.JR東日本盛岡支社によると,今年春の秘境駅号は6月2日土曜日に運行されるとのことだった(イベント列車 秘境駅号).

Hikyou1 秘境駅「大志田駅」の時刻表.なんと!上下あわせて1日3本しか列車が停まりません(実はこの駅,盛岡市内にあるんです 笑).

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2006年10月30日 (月)

岩手の秘境駅4

 先週末薮川にそばを食べに行った折,ついでにと早坂峠を越えて反対側の岩泉まで足を伸ばした.

 岩泉町は総面積992k㎡と,実に大阪府全体(1894k㎡)の半分にもおよぶ広さを持った町である(本州で1番広い町らしい).もっとも総面積の94%が森林であり,人口は12000人余りに過ぎない(大阪府の人口が880万であるから,人口密度はなんと372分の1である).

 この町はまた,鍾乳洞を多く持つ町としても知られており,日本三大鍾乳洞のひとつ”龍泉洞”をはじめ,安家洞,氷渡洞などがある.また,岩手短角牛や牛乳,さらにはモンドセレクションで度々金賞を受賞しているという,名水”龍泉洞の水”や,その水を使った缶コーヒー,烏龍茶なども有名だ.

 町の中心部は,県内の主要地点からかなり離れていて,近くには高速道路や空港はないが,唯一の公共交通機関としてJR岩泉線がある.岩泉線は,盛岡から太平洋岸に向かうJR山田線の途中,茂市駅から分岐して北に伸びる,全長40kmの路線である.終点の岩泉駅から先には線路はなく,いわゆるどん詰まりの”盲腸線”である.1日の運行本数も全区間往復が3本,部分往復が1本と極めて少ない.起点となる茂市駅のある,JR山田線自体が屈指のローカル線であり,さらにその支線というわけで,いかに凄い路線であるかが良くわかる(ここに匹敵する盲腸線としては,昔北海道にあった美幸線,相生線であろうか).

 そういうわけであるから,当然かなりの赤字路線である.しかし,それでもなおこの路線が廃止されないのは,並行して走っている国道340号線が凄い山道(キック道)であり,道の狭さとカーブのきつさから,路線バスを運行できないからである.この岩泉線にあり,牛山隆信氏の”秘境駅へ行こう”でも,堂々の第4位に挙げられているのが,ここ押角駅である.

 押角駅の凄さは地図を見てもわからない.地図では岩泉線と国道340号線が並行して走っており,所々に集落もある.メイン国道沿いの駅はどう考えても秘境っぽくない.しか~し,この疑念は現地に行くと氷解する.地図で見るとメイン国道に見える340号線は,この区間(岩手大川-岩手和井内間)は幅員2~3m,急カーブと急勾配の連続するキック道なのである.そんな山道(いまにも熊が出てきそうな)のそばに,この押角駅は存在する.

Osikado7 山の中を縫うように走る国道340号線.これでは代替バスは運行できません.

Osikado4 刈屋川にかかる橋です.昔の写真ではもっとボロく,今にも崩れそうでしたが,改修されたのでしょうか?

Osikado1 見ての通り川の水はとても澄んでいます.

 国道から西に草むらの中を歩いていくと,刈屋川に出る.周囲は生活臭がまったくないため,川の水もとてもきれいだ.川にかかったボロイ橋を渡ると,対岸に短いホームが1本あるだけの駅が現れた.板のホーム上には駅舎はなく,時刻表などもフェンスに直接くくりつけられていた.地図を見ると秘境っぽくはないものの,実際に行ってみると,本当に山奥の秘境駅であることがよくわかる駅であった.

Osikado5 ホームに佇む私

Osikado3 フェンスに付けられた時刻表.1日3往復しかありません.

 ちなみに盛岡駅から山田線,岩泉線を直通する,”快速 秘境号”が時々運行されているようです.普段は普通列車にも無視される山田線の大志田,浅岸両駅や岩泉線の各線にのみ停車する凄い汽車です(途中,押角駅には20分くらい停車するようです).

Osikado2 昔のスイッチバック時代の名残の引込み線です.

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2006年9月 9日 (土)

岩手の秘境駅3

 8月3日に学会に出かけた際,行きに立ち寄ったのが今回紹介する三陸鉄道北リアス線,白井海岸駅である.秘境駅という言葉を発明(?)した牛山隆信氏の著書には,わが岩手県内の秘境駅として以前紹介した山田線の大志田,浅岸両駅に加えて,JR岩泉線の押角駅と,この白井海岸駅が挙げられている.

 この白井海岸駅は沿岸北部の普代村というところにあり,私が住んでいるところからも近い.地図を見ると国道45号線から海の方向に入ったところにあるようだった.

Shiraiiriguchi (写真1) 白井海岸駅を示す標識.標識があるだけ親切です(浅岸駅にはありません).

Shirairindou (写真2) 一応舗装された林道を進みます.

 国道45号線を南下中に,白井海岸駅の標識に従って左折する.しばらくは民家も点在する道を進んでいくが,途中から林道の様相を呈してくる(さすがに舗装はされていた).2~3Km行った先にその駅はあった.駅は道路より高い部分にあり,駅前(?)には緑の公衆電話(採算が取れているのか不安になる電話であるが,携帯が圏外であるため需要はあると思う)とトイレがあった.

Shiraiekimae(写真3) 駅前の様子.トイレと公衆電話があり一応駅前っぽい感じです.

 ホームは一面で両脇がすぐトンネルになっている.ホーム上に待合室があり、時刻表やポスターが貼ってあった.列車本数は比較的多く(大志田駅のように上下合せて3本などということはない),地域住民の足になっているのがよくわかる.

Shiraihome (写真4) ホームです.看板にも書いてある通り,この辺はウニが旨いです.

Shiraimachiai (写真5) 待合室です.汽車は上下併せて1日30本近く停まります.

 ところで駅周囲には民家などはなく,あまり利用客がいるようには見えない.また駅名となっている白井海岸についても,たしかにそういう名前の海岸はあるが,海水浴客で賑わうという話も聞かない.

 実はこの白井海岸駅のある三陸鉄道北リアス線は1984年(昭和59年)に開業した比較的新しい路線である.もっとも久慈-普代間は1975年に国鉄久慈線として営業しているが,白井海岸駅は三陸鉄道開業時にできた駅なのである.このため山田線の駅のように昔は人がいたが過疎化のため秘境駅化したわけではなく,恐らく開業時から現在の様子であった可能性が高いのである.

 とはいえ,ここは駅周囲のみを見れば何もないように見えるが,1kmほど行くと小さいながらも集落があり,通勤通学の足として利用されているものと思われる.国道からの距離も近く,山田線の両駅(大志田・浅岸)とはかなり趣が違うというのが感想である.

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2006年8月23日 (水)

岩手の秘境駅2

 先日秘境駅であるJR山田線「大志田駅」について書いた.今回は同線の別な秘境駅である「浅岸駅」について書いてみる.

 浅岸駅は盛岡から宮古方面に向かって大志田駅の次の駅であり,大志田と同様に国道106号線からかなり外れたところにある(浅岸の次が区界でここからは国道106号と並行して走るため,かなり開けた感じになる).アプローチは国道106号線区界の手前から林道に入って向かう.道幅2~3mの狭い道だが,所々に退避スペースがあり,一応舗装もされているなど,国道455号線から大志田駅に向かう林道よりはよっぽどまともであった.

Asagishi6

Asagishi3  国道から分け入って走ること11km,浅岸駅に到着した.駅は1本の線路と1本のホーム,それにホーム上のこじんまりとした駅舎と,大志田駅にそっくりな構造である.大志田駅と同様昔はスイッチバック方式の駅だった.ただ,スイッチバックの引込み線はもう既になく,辛うじて当時引込み線だったと思われる部分が道路になっていて,それと判る程度であった.ただ,大志田駅と違うのは駅前に校舎と思しき建物があることだ.ここは旧中津川小学校だそうである.小学校があったということは,以前はそれなりに人がいたといわけで,少なくともここに駅がある必然性は感じられる.また駅から2~3km程度のところに民家や畑もあり,利用者もそれなりにはいるのだろう(列車の停車本数も5本と,大志田よりも多い).

Asagishi4 Asagishi2

Asagishi1 川井村出身の私の母親は,この浅岸に親戚がいたらしく,よく子供の頃に浅岸駅から歩いて親戚の家に行ったものだと自慢していた.いずれにせよ,駅の構造はそっくりな大志田,浅岸両駅であるが停車本数,アプローチ道路の難易度,周辺の生活感からみて秘境度では大志田駅に軍配が上がるのは間違いないと思われた.

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2006年8月14日 (月)

岩手の秘境駅

 今日も暑い.午前中にお墓参りに行って,実家で昼食をとってから帰ることにする.ただそのまま帰るのもツマラナイので,実家近くの秘境に寄ってみることにした.

 数日前の記事にも書いたが,盛岡から北上山地を横断して宮古市に出る鉄道,JR山田線には俗に秘境駅と呼ばれる駅が存在する.秘境駅とは人家もほとんどなく,アクセスが困難な場所にある無人駅のことで,停車する列車も日に数本といったレベルであることが多い.山田線は地図で見ると判るが,盛岡市と川井村の境の区界駅から宮古寄りは国道106号線に沿って走っているが,区界よりも盛岡寄りでは国道を大きく迂回するように走っている(どうしてこんな経路になっているのかは不明).このため途中の大志田駅,浅岸駅は国道からも遠く,人家もほとんどない場所にひっそりと駅だけが存在するのであった.そして,この2駅こそが全国に誇る山田線の秘境駅である.今日はそのうち大志田駅を訪ねることにした.

Yamadasen_1

 (地図1)山田線の図.区界までは106号線とは別ルートになっている.

Ohsida

 (地図2)大志田駅付近の地図.林道以外なにもありません.

大志田駅はなんと!1日に上下あわせて3本しか列車が停まらない(普通列車すら通過する,だから秘境駅なわけだが).列車で行くと下手をすると丸一日放置状態にされてしまうため,今回は車で行くことにした.国道455号線の外山というところから,大志田駅11kmの標識に従ってわき道に入っていく.道幅2~3mの未舗装の林道である.急勾配,急カーブの連続(いわゆるキック道)で,ところどころ土砂崩れを起こしている.本当にこの先に駅があるのか不安になるような道を走ること30分(こんな道路のため11kmの行程でも30分かかってしまうのだった.もちろん冬季は閉鎖になる),ついに大志田駅に到着した.

Rindou  (写真1)こんな林道を10kmも走ります.

 大志田駅は単線の線路(列車交換用の待避線はない)にホームが1本だけの構造で,ホーム上に待合室が付いている.この駅は国鉄時代は,当時でもめずらしいスイッチバック方式の駅で駅員も常駐していた.列車本数も今よりはずっと多く,1日に何本も停まっていた(母親の生まれ故郷が川井村なため,小学校時代には,夏休みになると毎年山田線で出かけていたものである).

Ohshida1

 (写真2)秘境大志田駅に佇む私

 

 Ohshida2 (写真3)大志田駅の発車時刻.なんと!下りは1日1本しかありません.

 駅構内を見渡すと,ホームから浅岸側に本線からスイッチバック用の引込み線が錆びた状態で残っていた.たしか昔の駅はこの引込み線上にあったはずである.見ると昔の駅舎かと思われる建物が朽ち果てて残っていた.ホーム上で写真を撮ったりしていると,不意に警笛が,見ると盛岡方面から列車がやってくるではないか.顔に快速と書いてある.13時46分盛岡発の,宮古行き快速リアスであった.列車は排気ガスを撒き散らしながら,決して速くはない速度で通過して行った(この辺は勾配がきついため,ディーゼル車は喘ぎながら走っていくのだった.列車には結構乗客も乗っていて,ホームに立っている我々に手を振ってくる人もいた(こんなところで何しているんだろうと思ったかもしれない).

Hikikomi

 快速列車を見送った後,我々も駅を後にする.帰りは線路に沿った林道(こっちは舗装されている)を走って上米内駅に抜けた.

 短い間ではあったが秘境気分を楽しめた探検であった.同行していたKに感想を聞くと,こんな近くに秘境があるとは思わなかったと感心していた.アフリカや南米だけが秘境ではなく,こんな身近(盛岡市内)にも秘境が隠されているのである.

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