2024年になって数日たちましたが、当ブログ恒例の「今年は何の記念イヤー?」です。
① 甲子園球場竣工100年
春や夏の高校野球大会が開催される球場、あるいは昨年久しぶりに日本一になった阪神タイガースの本本拠地が阪神甲子園球場です。今年はその球場が竣工して100年なのだそうです。今年もタイガースの活躍はあるのでしょうか?
② ベートーベン交響曲第9番初演200年
日本では年末になると、なぜか各地で演奏されるのがベートーベンの交響曲第9番です(「合唱付き」などとも呼ばれる)。実はその第九が初演されたのが1824年5月7日のウィーンでした。今年は初演200年の記念イヤーです。
③ バッハのヨハネ受難曲初演300年
後期バロック音楽を代表する作曲家がJ.S.バッハです。数多くの器楽曲なども作曲していますが、そのメインは教会音楽です。特にバッハの4大宗教曲として知られるのが、マタイ受難曲、ロ短調ミサ曲、ヨハネ受難曲、クリスマス・オラトリオです。このうちヨハネ受難曲が初演されたのが1724年4月7日(金)でした。
④ ドイツ農民戦争500年
16世紀のドイツは軍事技術の発展による騎士階級の没落やルターによる宗教改革など社会の変革期でした。そうした時代背景の中で発生したのが農民の大反乱で、これをドイツ農民戦争と呼びます(日本だと江戸時代の百姓一揆を連想しますが、ドイツの方がはるかに規模が大きいので戦争という呼称なのでしょう)。この事件が起こったのが今から500年前の1524年です。
⑤ 永楽帝崩御600年
14世紀後半に朱元璋(洪武帝)によって建国された明の最初の首都は南京でした。しかし洪武帝の死後、跡を継いだ建文帝が同族の王たちを排除するようになると、危機感を抱いた健文帝の叔父朱棣は反乱を起こし帝位を簒奪するとともに都を北京に移します。これが永楽帝で彼の時代に明の基礎が確立しました。今年はその永楽帝没後600年です。
⑥ 正中の変700年
鎌倉時代末期、後醍醐天皇とその腹心たちが倒幕計画を立てたものの事前に露呈し失敗した事件が正中の変です。首謀者が後醍醐天皇であることは周知の事実でしたが幕府側があまり事を荒立てないようにしたかったのか、天皇の罪は問われませんでした。しかし後醍醐はこの後も倒幕計画を継続し、9年後についに成功します。今年はそんな鎌倉幕府滅亡の始まりとなった事件の700年記念です。
⑦ 北条義時没後800年
一昨年の大河ドラマの主人公にして、鎌倉幕府第2代執権が北条義時です。彼の時代に幕府は将軍を中心とする組織から、北条得宗家を中心とする組織へと変わりました。そんな北条義時が亡くなったのが1224年(元仁元年)のことです。
⑧ 中尊寺金色堂建立900年
奥州藤原氏の栄華を今に伝えるのが、平泉町中尊寺にある金色堂です。実際の金色堂は風雪からの保護のために鞘堂と呼ばれる建物の中にあり、さらには周囲をガラスケースで覆われるなど感動は今一つです(笑)。ただし、近くにある歴史公園奥州藤原の郷には実寸大のレプリカが展示されており、日に当たって輝くさまは感動的です。そんな金色堂は1124年(天治元年)藤原清衡によって建てられました。
⑨ ローマ憲法制定1200年
このローマ憲法というのはビザンチン皇帝ユスティニアヌスによるローマ法大全とは別のもので、800年にカール大帝が西ローマ皇帝として戴冠を受けた後、皇帝と教会、諸侯の関係を定めた法律になります。今年はこれが制定されて1200年の年です。
⑩ 聖武天皇即位1300年
奈良時代を代表する天皇が聖武天皇です。ただ彼の時代は長屋王の変や天然痘の流行、藤原広嗣の乱といった社会不安が広がっていた時代でもあり、それに対応するために仏教に帰依し東大寺の大仏も作られています。
⑪ 武則天生誕1400年
中国史上唯一の女帝である武則天、唐第3代皇帝高宗の皇后でしたが病気がちだった皇帝に代わって政治の実権を握り、690年ついに自ら皇帝の位についたものです。彼女の治世には皇族や反対勢力の粛清など血なまぐさい事件も多かったのですが、自身が貴族階級からの支持を得られないという自覚があったため、身分が低くても有能な官僚を登用、政権はむしろ安定したといわれます。
⑫ コンスタンティヌス大帝統一1700年
ローマ帝国は3世紀のディオクレティアヌス帝以降、広くなりすぎた帝国を効率よく統治するため正帝、副帝複数の支配者による分割統治が行われるようになりました。そして4世紀初頭には西のコンスタンティヌスと東のリキニウスによって統治されていたが、両者の対立が深まり戦いとなります。そして今から1700年前の324年に戦いに勝利したコンスタンティヌスにより帝国は久しぶりに単独皇帝の支配になったのです。
⑬ パルティア王国滅亡1800年
紀元前3世紀半ばに中央アジアに起こり、今のイランやイラク方面に勢力を拡大していった国がパルティア王国です。西部国境では当初はアレキサンダーの後継国家であるセレウコス朝シリアと、その後はローマ帝国と接しシリアやメソポタミアの支配権をめぐって何度も戦いを繰り広げました。その中で徐々に国力をすり減らし、224年に新興国ササン朝ペルシャによって滅ぼされました。
⑭ ストラボン没後2000年
紀元前後に活躍した著名な地理学者がストラボンです。彼は主に初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代に地中海およびその周辺を旅し、後に「地理誌」という書物を書きました。この本には地中海世界の地図も描かれていて、この時代としてはかなり正確なものでした。そんなストラボンが亡くなったのが今から2000年前のことです。
⑮ デロス同盟結成2500年
ペルシャ戦争はアテネやスパルタの奮戦によってペルシャが退却したため一応終結しました。しかしペルシャが再び来襲する可能性は高くそのための備えが必要と考えられました。戦後アテネとスパルタの対立を受け、アテネを中心としたポリス連合としてデロス同盟が結成されました。それが今から2500年前の紀元前477年のことです。
こうしてみるといろんな出来事があったようです。個人的にはベートーベンの第九とバッハのヨハネ受難曲が印象深いです。
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