2021年2月12日 (金)

歌劇「フィガロの結婚」

Img009_20210212145901  昨日は建国記念日の祝日でした.近年は一部の祝日が移動祝日として月曜日に持ってこられる傾向がありますが,この建国記念日は憲法記念日などと共に日時が決まっている祝日のひとつです.今年は木曜日となりました.月曜が休みで三連休ができるのも嬉しいですが,週の途中に休みがあるのもなんとなくホッとした気分になりいいものです.

 そんな建国記念日は新国立劇場で上演中の歌劇「フィガロの結婚」を鑑賞してきました.

 オペラ好きの我が家ですが,2008年に当地に越して来て以降家訓(?)となっていることがあります.それが「最低年に1回はモーツァルトのオペラを鑑賞すること」.俗にモーツァルトの四大歌劇と呼ばれる「フィガロの結婚」,「ドンジョバンニ」,「コジ・ファン・トゥッテ」,「魔笛」であれば新国立,二期会,藤原歌劇団のどこかで必ずやっているので基本的には見逃すことは無いはずです.しかし昨年2020年は新型コロナの影響で春に劇場が閉鎖になり上演予定作の多くが中止に追い込まれたことから,あわやついに年間鑑賞ゼロか!という事態になりました.しかし12月に小田原市民オペラの魔笛公演を鑑賞できたため,かろうじて義務は果たせています(当初は新国立のコジと藤原のフィガロが予定されていた).

 今回のアンドレアス・ホモキ演出のフィガロは2003年の初出以来2~3シーズン毎に上演され続けている新国立の定番レパートリーです.白と黒以外の色を極力排し舞台装置も極めてシンプルな印象的な舞台となっています.コロナの影響で日本への入国制限が厳しくなっていることで指揮者と一部キャストが変更になっていました(先月のトスカでスカルピア役をやったダリオ・ソラーリがそのままフィガロ役で出演,思えばほぼ3か月日本に滞在しているんだな).

 終演後はこれまた恒例のレストランへ.充実のコース料理でした.

Dsc_1540 Dsc_1541 Dsc_1542 Dsc_1543 Dsc_1544 Dsc_1545 (左上)スタートはスパークリングワイン,(中上)前菜ノルウェーサーモンと赤海老のマリネ,(右上)パスタ 牡蠣とパンチェッタ、ホウレンソウのクリームソース,(左下)鰤とじゃが芋のアルフォルノ,(中下)熟成牛のロースト,(右下)ガトーショコラ、ビスタチオのジェラート

 

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2021年1月27日 (水)

モーツァルトの誕生日

Img_1496  今日1月27日は世間でも非常に有名な作曲家,W. A. モーツァルトの誕生日です.1756年のこの日に今のオーストリア中部の都市ザルツブルクのゲトライデ9番地の集合住宅で生まれました.音楽家だった父親から英才教育を受けて幼い頃からその才能を開花させ,5歳で作曲を開始,8歳で最初の交響曲を作曲など天才ぶりを発揮しました.父に従いザルツブルクの大司教に仕えていましたが,26歳の時に対立してウィーンに移住,以後フリーランスの作曲家として活躍しています.

 そんなモーツァルトの生誕地ザルツブルクでは毎年彼の誕生日を中心とした10日間ほどの期間に,ザルツブルクモーツァルト週間という音楽祭を開催しています.今年は残念ながら新型コロナの影響で中止になってしまいましたが,我が家では2年前の2019年にこのイベントに参加してきました.同年から芸術監督に就任したローランド・ヴィラゾンによりオールモーツァルトのプログラムが組まれたモーツァルト週間,我々は宗教曲メインに鑑賞してきました(毎日コンサートを2つくらい鑑賞).

Img_1797 Img_1598 (左)モーツァルテウムでのコンサート,(右)ここの中庭にある魔笛小屋

 思い出しても素晴らしい経験だったのですが,やっぱりこういうイベントは行けるときに行っておくことがいかに重要か改めて実感しています.

 そんなことを考えた1月27日でした.

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2020年12月25日 (金)

モーツァルト週間中止

 冬のザルツブルクを代表する音楽イベント,モーツァルト週間の中止が決まったとのことです.

 モーツァルト週間 2021年の開催断念を発表

 オーストリア中部にあるザルツブルクは18世紀の著名な作曲家であるW. A. モーツァルトの生まれた街として知られています.モーツァルト自身は故郷が嫌でウィーンに移り住み作曲活動を行っていたわけですが,当市ではそんな事情はお構いなしでモーツァルトで町興しをしています.

 特に一般の観光客が減る寒い冬の時期に開催される音楽祭がモーツァルト週間,彼の誕生日である1月27日を挟んで10日間ほどの会期で行われます.その名の通りプログラムはモーツァルト作品を中心に構成されるのですが,2019年にローランド・ヴィラゾンが総監督に就任してからは全プログラムがモーツァルトになり,まさに冬のモーツァルト祭といった感じです.出演者はモーツァルテウム管弦楽団やザルツブルク・カメラータといった地元の楽団を中心に,ウィーンフィル、マーラーチェンバーオーケストラなどの著名オケも参加しています.モーツァルト好きの我が家でも一度は行ってみたいイベントでしたが,2019年にチャンスがあり行ったことがあります(7日間の現地滞在で10のコンサートを鑑賞).

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(写真左)モーツァルト週間2019のプログラム,(同右)モーツァルテウム

 そんなモーツァルト週間,来年の開催まで1か月を切った段階での中止,記事によると現在当地では来年1月17日までのコンサートホールの閉鎖が決まっており,18日以降の再開も不透明であることが理由とのことです.さすがに日本から行くツアーの開催はないでしょうが,伝統ある音楽祭だけに残念です.

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2020年12月 5日 (土)

ヴォルフガング忌

Img001  今日12月5日は著明な作曲家,W. A. モーツァルトの命日です.1791年のこの日彼はウィーンで35年という短すぎる生涯を終えました.死因に関しては諸説ありますが,リウマチ熱に合併した急性心不全,腎不全とも言われています(同時代の作曲家サリエリによる毒殺説もありましたが,これは陰謀論の域を出ません).

 モーツァルト好きの我が家ではこの日,彼の様々な音楽を聴いて偲ぶことが多いのですが,今年は小田原市内でモーツァルトの催し物があったため出かけてきました.

 当地出身の声楽家,飯田裕之さんが立ちあげた小田原オペラの旗揚げ公演としてモーツァルト最晩年の傑作,歌劇「魔笛」が取り上げられたのです.もちろん我が家でも大好きな作品です(生鑑賞したことのあるオペラ作品ではおそらく回数第1位).舞台装置はシンプルに,映像をメインに据えた演出で現代的な感じでした(映像作品として作る意図もあったようです).素晴らしい舞台でした.ただコロナ禍のもとでの準備ということなのか,合唱が基本的に省略されていたため,1幕後半や2幕のザラストロがメインの場面はやや寂しいものになっていました(合唱なしの魔笛は例えるなら,牛肉は入っているが玉ねぎが省略された牛丼かなぁと思いました 笑).

 ともかく今後ますますの活躍が期待される団体です.

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2013年12月 5日 (木)

モーツァルトの命日

Mozart 今日は12月5日,クラシック界でもっとも著名といっても過言ではないW.A.モーツァルトの命日です.

 1791年のこの日,モーツァルトはウィーンで35歳の短い生涯を終えました.死因については毒殺説などがささやかれていますが,当時の記録から類推すると溶連菌感染によるリウマチ熱に合併した急性心不全と思われます(死期が迫ったころ,体がむくんでいたというような記録があるようです).

 彼が後世に残した作品はオペラ,交響曲といったスケールの大きな曲から器楽曲,歌曲といった小規模な曲まで実に600以上に上ります.そのうち一番最後の作品となったのが映画「アマデウス」にも登場する有名なレクイエムニ短調K.626ですが,彼自身の手によって完成させた最後の作品としては,自身も熱心な会員だったフリーメーソンのための小カンタータ「高らかに我らの喜びを」(K. 623)になります.この曲は1991年11月18日にモーツァルト自身の指揮で演奏されています(そして,その2日後の11月20日に彼は体調を崩して寝込んでしまい,以後回復することはありませんでした).

 モーツァルトの音楽はけっして奇をてらうような感じではなく非常にシンプルで,それでいながら美しく奥が深いという,一見すると矛盾するような概念に富んでいるのが特徴です.そのため,たとえ知らない曲であっても,聴けばモーツァルトの作品とわかってしまうほどです.私個人の好みでは,交響曲第41番(いわゆるジュピター)の最終楽章が非常に好きで,誰かの言葉じゃないですが,聴くと異次元的な感動に襲われます (^。^).

 モーツァルトというと,子供のころに読んだ伝記では,才能はあるのに世間ではあまり認められず,貧しい生活の中で亡くなった(そして死後認められた)みたいなニュアンスで書かれていたのを思い出します.しかし実際のモーツアルトは認められないどころか,当時も人気の作曲家で,かなり華やかな生活をしていたことがわかっています.晩年友人にあてた借金依頼の多さが,貧しい生活をイメージさせるのでしょうが,実際の彼の生活は収入以上にお金を使ってしまう,いわゆる浪費家の生活で,彼自身の収入はかなり多かったようです.今風に言えば,2000万円の年収があるのに2500万円使っているみたいな感じでしょうか(モーツァルトが多額の借金ができたということも,貸す側にすれば返してくれるあてがあるということですし).もっともモーツァルトが付き合っている人たちは王侯貴族などの偉い人が多いですから,服その他にお金がかかったというのもたしかですから一概に非難はできませんが,一般の大人の視点から見れば,子供向けではない人生ということで前述のような子供向けの伝記では脚色がなされた可能性が高いんだろうなと感じています.

そんなことを考えた今年の12月5日なのでした.

交響曲41番ジュピターの最終楽章です.

 

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2008年1月27日 (日)

モーツァルト週間

 今日1月27日は有名な作曲家W. A. モーツァルトの誕生日です.今から252年前,1756年のこの日に,ザルツブルグのゲトライデ通り9番地に今も残る家でモーツァルトは生まれました(このブログの左下にあるブログペットの背景になっているのが,その家です).モーツァルトで町おこしをしているザルツブルグでは,彼の誕生日を中心に,毎年”モーツァルト週間”と題してイベントを行っています.今年のモーツァルト週間は1月25日(金)~2月3日(日)だそうです.”週間”といいつつ会期が10日間あるのは置いといて,毎年このイベントには世界中から大物演奏家がやってくることから,クラシックファンの注目を集めています.ただ,開催時期が真冬で一般の人が休暇をとる時期ではないため,夏のザルツブルグ音楽祭に比べると,お年を召したお客さんが多いというウワサもあります.モーツァルトを愛好する我が家でも,一度行ってみたいと話しているんですが,当分行けそうにありません.

 そんなわけで,モーツァルト週間は無理として,先日盛岡で行われたプラハ国立劇場オペラの歌劇「魔笛」の」公演に行ってきました.プラハ国立劇場オペラの本拠地であるスタヴォフスケー劇場は,プラハでもっとも伝統ある劇場で,モーツァルトが生きていた時代からすでに存在し,有名な歌劇「ドン・ジョヴァン二」や歌劇「皇帝ティートの慈悲」が初演された劇場でもあります(2006年秋に放送された”毎日モーツァルト”の特番で,案内人の山本耕史も訪れていた).

 現在ではモーツァルト関連の旅行といえば,ウィーン・ザルツブルグ・プラハの3都市をめぐるツアーが一般的ですが,この3都市を比較すると,

 ザルツブルグ > ウィーン> プラハ

 という感じで,プラハはザルツブルグ,ウィーンに続く3番手というイメージです.しかし,モーツァルトが生きていた時代に彼の音楽を理解した都市という点では,

 プラハ > ウィーン »……» ザルツブルグ

 という順番になるくらい,熱狂的にモーツァルトを応援していたのがプラハの人たちなのです.それゆえ,プラハの人たちが「モーツァルトはプラハの音楽家」というのも理解できることです.そんなプラハの伝統ある歌劇場の引越し公演ということで楽しみに出かけてきました.舞台の詳細や感想についてはウチのKのブログ(女人心)を参照いただくとして,私個人的には,第1幕の夜の女王のアリア(O zittre nicht, mein lieber Sohn)で,夜の女王が舞台いっぱいに広がる衣装を身にまとって歌っていたのが小林幸子を髣髴させて楽しかったです.

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 (写真) 今回の公演のパンフレットです.

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2007年7月23日 (月)

アロイジア

 当ブログに住み着いているブログペット,名前をアロイジアという.知っている人は知っていると思うが,出典はアロイジア・ヴェーバー,あの天才作曲家W. A. モーツアルトを袖にした女性である.

 父とともにザルツブルグの宮廷楽団で働いていたモーツァルトは,日々の単調な暮らしや大司教の束縛を嫌い,1777年辞職願いを出す.そして母とともに就職活動の旅に出た.モーツアルト21歳のときである.将来への希望で胸いっぱいのモーツアルトだったが就職活動はうまくいかない.最初に訪れたミュンヘンでは宮廷音楽家のポストに空きがなく断られ,その後に訪れたのがマンハイムだった.当時のマンハイムにはレベルの高いオーケストラもあり,モーツアルトの期待も大きかったようだが,ここでの就職にも失敗する.

 しかしこの街で彼は一人の女性に出会う(とはいっても当時16歳だから,少女というべきか).この女性がアロイジア・ヴェーバー,ソプラノ歌手の卵であった.彼女は可愛く,歌もメチャクチャ上手かったらしい.モーツアルトはたちまち彼女の虜になってしまった.翌1778年1月には自分の母親をマンハイムにほっぽらかしにして,なんとアロイジアとキルヒハイムという街に演奏旅行に出かけている(さすがにこの時はアロイジアの父親も同行したため,完全に二人っきり(♥)というわけではなかったらしいが).

Img173 デビュー前のアロイジア

 アロイジアに首ったけのモーツアルトは,自分が就職活動中だということも忘れて,彼女をデビューさせるべく,なんとイタリアへ行く計画を立てる.しかし,故郷の父レオポルトが激怒したため,さすがのモーツアルトも計画を断念,泣く泣くアロイジアを置いて次なる目的地パリに出発したのだった.

 だがパリでの就職活動は失敗し,さらには同行していた母親も病気で亡くなってしまう.失意のモーツアルト,普通ならこの段階でザルツブルグに帰るんだろうが(なにせ母親が亡くなったのである.常識的な日本人なら遺骨を抱いて故郷に急ぐところである),モーツアルトはなんと!アロイジアの下に走った.彼にしてみれば愛しいアロイジアに慰めて欲しかったのだろうか.

 しか~し,すでに歌手としてデビューし,人気上昇中だったアロイジアにモーツアルトはあっさりと拒絶される.何しろアロイジアはまだ10代,気分が舞い上がっていて,無職のモーツアルトなど眼中に無かったのだろう.言ってみれば無名の女子高生が芸能界デビューして人気が出て,昔のボーイフレンドに冷たく当たるようなものだ.

Img175 デビュー後のアロイジア,「ホホホ,あたし女優よ~」というセリフが聞こえてきそうな絵です.

 アロイジアにフラレたのがよっぽどショックだったのだろう,故郷の父に宛てた手紙では,

 「― 今日はただ泣きたいだけです.ぼくの心はあまりにも感じやすいのです ―,― ぼくは生まれつき字がへたです.一度も書き方を習ったことが無いからです.でも,生まれてこの方,今回ほど下手に書いたことはありません.書けないのです.ぼくの心は今にも泣き出しそうです! ―」(モーツアルト書簡全集Ⅳより)

 とメチャクチャ弱気なことを書いている.かくして,

 「就職の失敗,母の死,失恋,様々な痛手を抱えたまま,モーツアルトは一人故郷へ帰っていった」(語り 山本耕史、BGM フルートとハープの協奏曲ハ長調K. 299)

 となったのである.しかしそんなひどい目(まさに泣きっ面にハチを地で行くような話しだ)に会いながらも,その後もアロイジアのために曲を書いたりしているから,モーツアルトってよっぽど器が大きいのか,お人よしなのか(おそらく後者だろう)….アロイジアの方も,モーツアルトが有名になった後,彼の求愛を拒否したことを後悔していたらしい.

 かくして私の中でアロイジアは,とても人間臭くて魅力的な人物になったのである.

Img174 この有名なモーツァルトの肖像画を描いたのが,なんとアロイジアの旦那のランゲ氏なのでした.

Aroisia2 そしてこれが我が家に生息しているチンチラ(♀)のナンネルです.しかし,その気位の高さとワガママぶりから,私は密かにアロイジアと呼んでいます(笑).

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2007年2月16日 (金)

久しぶりの山本耕史

 2006年モーツァルトイヤーに,NHK BSで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっていた(案内人には山本耕史氏が起用されていた).好評だったらしく,NHKにはこの手の音楽番組を続けて欲しいという意見があったようで,2007年にはクラシックのピアノ作品をメインとした”ぴあのピア”という10分間番組をやっている.案内人は昨年上半期に朝ドラ「純情きらり」のヒロインを務めた宮崎あおいさんである.

 この”ぴあのピア”,今月はモーツァルト特集ということで,連日モーツァルトのピアノ作品を取り上げているが,先日2月14日はモーツァルトの結婚(フィガロの結婚ではない 笑)がテーマであった.宮崎さんの語りに続いてゲストが登場するのだが,現れたのは,なんと!山本耕史氏,「モーツァルトは他人に愛を与えることで,自分も幸せになっていく人物なんですよ‥‥」と,熱く語ってくれた山本氏であった(おそらく今の山本耕史は芸能界で1,2を争うモーツァルト通であろう).2月14日に登場というのもバレンタインデーにちなんだNHKの粋な計らいなのだろうか.

 人気俳優の山本耕史氏は民放などのドラマにも良く出ているはずであるが,我が家ではあまりドラマを見る習慣がないため,久しぶりにフレッシュな山本氏を目撃したのだった(今BSでは大河「新選組!」もやっているが,こちらは再放送のためフレッシュではないのだった).

Yamamotokouji_1 昨年暮れにウチのKが懸賞で当てた山本耕史さんのサイン入り写真.

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2007年1月 8日 (月)

モーツァルトイヤーが去って

 モーツァルトイヤーに沸いた2006年が終わり,2007年になって1週間がたった.振り返ってみても本当にモーツァルト三昧の一年であった.1週間たってみて去年と違うことは,朝早起きしても”毎日モーツァルト”がやっていないことである.当然あの山本耕史さんの声も聞けない.考えてみれば,昨年我が家で山本耕史の話題が出なかった日はなかったと思う(うちのKも毎日モーツァルトで山本氏のファンになった).モーツァルトイヤーの終幕で我が家と山本氏を結ぶ線がなくなってしまったのは寂しい限りである(…と思っている矢先に,BSで大河ドラマ「新選組!」の再放送をやることを知った.まだ縁は切れそうにない 笑).

Bach_2 バロックの巨匠J. S. バッハ 

 それにしても「毎日モーツァルト」なんて番組が存在しえたのも,モーツァルトだからである.「毎日~」は10分間番組とはいえ,1年で240回合計2400分(40時間)の大作である.大河ドラマ全編よりも長いくらいだ.これだけ長期にわたって番組が成り立つのも,”作品数が多くバラエティに富んでいる”,”人生に起伏がある”という点が備わっているからである.作品数だけならJ. S. バッハシューベルト(今年はシューベルト生誕210年である)もかなり多いが,バッハは人生にあまり起伏がないし,シューベルトは作品が歌曲に偏ってしまい,とても1年は持ちそうにない.

Schubert 歌曲の王シューベルト.貧しく代用教員をしながら,友人の援助で生活するなど石川啄木的な人です.

 その一方,劇的という点でいえばワーグナーが良さそうだ.ただ作品数が少なく(主要作品は最初の歌劇「リエンチ」から最後の「パルジファル」まで全部で11本しかない),1ヶ月1作品で引っ張らないと1年持たないことになる.またワーグナーの場合,その人生は放浪あり,裏切りありでとても青少年向けではない.ワーグナーはかなりわがままな性格で,同時代の他の作曲家をけなす一方(特にドニゼッティなどイタリア系の作曲家をけなしている),自分に対しては自信過剰なくらいの意識を持った人物であった.さらに彼は親友のハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)を寝取っている(妻を寝取られたビューローはドイツを去った.後に彼は「ワーグナーは作曲家としては天才だが,人間としては最悪の男だ」と言ったという).更にワーグナーは自分に心酔するバイエルン国王ルートヴィヒ2世にタカって,自分の作品を上演するための専用劇場(バイロイト祝祭劇場)まで作らせ,バイエルン王国を破産に追い込んでいる(結局バイエルンの重臣に呆れられて,ルートヴィヒ2世は謎の死をとげ,王国はプロイセンの傘下に墜ちてしまった).

Wagner 親友の妻を寝取り国をひとつ潰したR. ワーグナー

 いずれにせよ「毎日ワーグナー」はドロドロしすぎて(その音楽も含め),朝の番組としてはふさわしくないと思われるのだった(夜11時の番組ならいいかも.番組のタイトルも「裏切り」,「略奪婚」,「国王の変死」,「バイエルン王国の破産」などさわやかさのカケラもないものになりそうだ).

 そんなわけであらためてモーツァルトの偉大さ(健全さ,さわやかさ)を感じる私であった(モーツァルトは他人に裏切られることはあっても,他人を裏切ることはなさそうだ).

 注: 私もワーグナーの音楽は官能的で,素晴らしい側面もあると思いますが…

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2006年12月20日 (水)

三大レクイエム

 NHKの「毎日モーツァルト」,いよいよ昨日からレクイエム 二短調K.626に突入した.この曲はモーツァルト最後の作品となった未完の曲である.レクイエムは別名”死者のためのミサ曲”とも呼ばれる,カトリックの典礼音楽である(歌詞が"Requiem aeternam ~"で始まるためRequiem(レクイエム)と呼ばれる).

 古くから多くの作曲家によって曲がつけられており,モーツァルトのものは特に有名である.俗に”三大~”という言い方(三大うどん,三大鍾乳洞,三大ガッカリ観光地 etc.)があるが,三大レクイエムといった場合

 ① モーツァルトのレクイエム

 ② ヴェルディのレクイエム

 ③ フォーレのレクイエム

以上の3つを指す.三者三様,同じ歌詞(厳密に言えば若干の違いがある)に曲がついているとは思えないくらいそれぞれ特徴のある名曲である(私は東北大混声合唱団時代,①と③はやったことがある).ちなみに五大レクイエムといった場合には,上記3つに”ケルビーニのハ短調レクイエム”,”ベルリオーズのレクイエム”,”デュリュフレのレクイエム”のうち適宜2つが加わる.また,ルネサンス期の作曲家であるオケゲム,ラ・リュー,ラッススのレクイエムも個人的には好きである.さらに変わったところでは,先日仙台に行った際に再会した友人のY氏による”モノラル三大レクイエムなんてのもある.これは,ワルター指揮のモーツァルトのレクイエム,トスカニーニ指揮のヴェルディのレクイエム,フルトベングラー指揮のブラームスのドイツ・レクイエム(尤もこの曲はラテン語のカトリックの典礼文に曲がついたものではないが)の3つを指す.

 いずれにせよ,古今のレクイエムの傑作のひとつであるモーツァルトのレクイエムはまた,多くの謎に包まれた作品でもある.作曲依頼の経緯もさることながら,モーツァルトの死後の補弼の経緯も謎に満ちている.作曲の経緯は1791年夏に匿名の貴族の使いがやって来て作曲を依頼したといわれており,この依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵であることがわかっている.彼は人に書かせた作品を自分の作品として演奏する人物だったらしい(最近では,借金に苦しんでいたモーツァルトを救うためこの依頼が行われたという説もあるが).

Mozreqcor M. コルボ指揮のモーツアルトのレクイエム.個人的には一番好きな演奏です.

 作曲の依頼は受けたものの,この時期モーツァルトは忙しく,歌劇「魔笛」,歌劇「皇帝ティトスの慈悲」,クラリネット協奏曲の作曲に忙殺されている.結局レクイエムの作曲が本格化したのは1791年10月以降であったと思われる(その後もフリーメイスンのための小カンタータK.623を作曲している.この曲が完成されたモーツァルト最後の作品である).この頃既にモーツァルトは過労からか体調を崩していた.作曲は思うように進まなかったであろう.結局彼は11月20日に寝込んでしまい,その後再び起き上がることは出来なかった.

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左 1981年当時物議を醸し出したアーノンクールのCD 右 モーンダー版によるホグウッドのCD

 モーツァルトの死因については当時の記録では「急性粟粒疹熱」とされている.これは今で言えば「リウマチ熱」といわれる,溶連菌による感染症である.発熱,関節痛,湿疹や急性腎不全も引き起こす厄介な病気だ(記録でモーツァルトの手足がむくんできたとあるのは,腎不全の症状と考えられる).現代であれば抗生物質による治療があるが,当時はそんなものはなく致死率の高い疾患であった.

 こうしてレクイエムは未完のため遺され(続唱の終曲,ラクリモサ(涙の日)の8小節目が絶筆といわれる),弟子のジュスマイヤーによって補弼されたのである(モーツァルトは必ずしもテキストの順番どおりに作曲したわけではないため,ラクリモサの8小節以後全てがジュスマイヤーの補筆というわけではなく,その後の奉献唱にもモーツァルト自身の曲は残っている).

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