2008年1月27日 (日)

モーツァルト週間

 今日1月27日は有名な作曲家W. A. モーツァルトの誕生日です.今から252年前,1756年のこの日に,ザルツブルグのゲトライデ通り9番地に今も残る家でモーツァルトは生まれました(このブログの左下にあるブログペットの背景になっているのが,その家です).モーツァルトで町おこしをしているザルツブルグでは,彼の誕生日を中心に,毎年”モーツァルト週間”と題してイベントを行っています.今年のモーツァルト週間は1月25日(金)~2月3日(日)だそうです.”週間”といいつつ会期が10日間あるのは置いといて,毎年このイベントには世界中から大物演奏家がやってくることから,クラシックファンの注目を集めています.ただ,開催時期が真冬で一般の人が休暇をとる時期ではないため,夏のザルツブルグ音楽祭に比べると,お年を召したお客さんが多いというウワサもあります.モーツァルトを愛好する我が家でも,一度行ってみたいと話しているんですが,当分行けそうにありません.

 そんなわけで,モーツァルト週間は無理として,先日盛岡で行われたプラハ国立劇場オペラの歌劇「魔笛」の」公演に行ってきました.プラハ国立劇場オペラの本拠地であるスタヴォフスケー劇場は,プラハでもっとも伝統ある劇場で,モーツァルトが生きていた時代からすでに存在し,有名な歌劇「ドン・ジョヴァン二」や歌劇「皇帝ティートの慈悲」が初演された劇場でもあります(2006年秋に放送された”毎日モーツァルト”の特番で,案内人の山本耕史も訪れていた).

 現在ではモーツァルト関連の旅行といえば,ウィーン・ザルツブルグ・プラハの3都市をめぐるツアーが一般的ですが,この3都市を比較すると,

 ザルツブルグ > ウィーン> プラハ

 という感じで,プラハはザルツブルグ,ウィーンに続く3番手というイメージです.しかし,モーツァルトが生きていた時代に彼の音楽を理解した都市という点では,

 プラハ > ウィーン »……» ザルツブルグ

 という順番になるくらい,熱狂的にモーツァルトを応援していたのがプラハの人たちなのです.それゆえ,プラハの人たちが「モーツァルトはプラハの音楽家」というのも理解できることです.そんなプラハの伝統ある歌劇場の引越し公演ということで楽しみに出かけてきました.舞台の詳細や感想についてはウチのKのブログ(女人心)を参照いただくとして,私個人的には,第1幕の夜の女王のアリア(O zittre nicht, mein lieber Sohn)で,夜の女王が舞台いっぱいに広がる衣装を身にまとって歌っていたのが小林幸子を髣髴させて楽しかったです.

Img294

 (写真) 今回の公演のパンフレットです.

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2007年7月23日 (月)

アロイジア

 当ブログに住み着いているブログペット,名前をアロイジアという.知っている人は知っていると思うが,出典はアロイジア・ヴェーバー,あの天才作曲家W. A. モーツアルトを袖にした女性である.

 父とともにザルツブルグの宮廷楽団で働いていたモーツァルトは,日々の単調な暮らしや大司教の束縛を嫌い,1777年辞職願いを出す.そして母とともに就職活動の旅に出た.モーツアルト21歳のときである.将来への希望で胸いっぱいのモーツアルトだったが就職活動はうまくいかない.最初に訪れたミュンヘンでは宮廷音楽家のポストに空きがなく断られ,その後に訪れたのがマンハイムだった.当時のマンハイムにはレベルの高いオーケストラもあり,モーツアルトの期待も大きかったようだが,ここでの就職にも失敗する.

 しかしこの街で彼は一人の女性に出会う(とはいっても当時16歳だから,少女というべきか).この女性がアロイジア・ヴェーバー,ソプラノ歌手の卵であった.彼女は可愛く,歌もメチャクチャ上手かったらしい.モーツアルトはたちまち彼女の虜になってしまった.翌1778年1月には自分の母親をマンハイムにほっぽらかしにして,なんとアロイジアとキルヒハイムという街に演奏旅行に出かけている(さすがにこの時はアロイジアの父親も同行したため,完全に二人っきり(♥)というわけではなかったらしいが).

Img173 デビュー前のアロイジア

 アロイジアに首ったけのモーツアルトは,自分が就職活動中だということも忘れて,彼女をデビューさせるべく,なんとイタリアへ行く計画を立てる.しかし,故郷の父レオポルトが激怒したため,さすがのモーツアルトも計画を断念,泣く泣くアロイジアを置いて次なる目的地パリに出発したのだった.

 だがパリでの就職活動は失敗し,さらには同行していた母親も病気で亡くなってしまう.失意のモーツアルト,普通ならこの段階でザルツブルグに帰るんだろうが(なにせ母親が亡くなったのである.常識的な日本人なら遺骨を抱いて故郷に急ぐところである),モーツアルトはなんと!アロイジアの下に走った.彼にしてみれば愛しいアロイジアに慰めて欲しかったのだろうか.

 しか~し,すでに歌手としてデビューし,人気上昇中だったアロイジアにモーツアルトはあっさりと拒絶される.何しろアロイジアはまだ10代,気分が舞い上がっていて,無職のモーツアルトなど眼中に無かったのだろう.言ってみれば無名の女子高生が芸能界デビューして人気が出て,昔のボーイフレンドに冷たく当たるようなものだ.

Img175 デビュー後のアロイジア,「ホホホ,あたし女優よ~」というセリフが聞こえてきそうな絵です.

 アロイジアにフラレたのがよっぽどショックだったのだろう,故郷の父に宛てた手紙では,

 「― 今日はただ泣きたいだけです.ぼくの心はあまりにも感じやすいのです ―,― ぼくは生まれつき字がへたです.一度も書き方を習ったことが無いからです.でも,生まれてこの方,今回ほど下手に書いたことはありません.書けないのです.ぼくの心は今にも泣き出しそうです! ―」(モーツアルト書簡全集Ⅳより)

 とメチャクチャ弱気なことを書いている.かくして,

 「就職の失敗,母の死,失恋,様々な痛手を抱えたまま,モーツアルトは一人故郷へ帰っていった」(語り 山本耕史、BGM フルートとハープの協奏曲ハ長調K. 299)

 となったのである.しかしそんなひどい目(まさに泣きっ面にハチを地で行くような話しだ)に会いながらも,その後もアロイジアのために曲を書いたりしているから,モーツアルトってよっぽど器が大きいのか,お人よしなのか(おそらく後者だろう)….アロイジアの方も,モーツアルトが有名になった後,彼の求愛を拒否したことを後悔していたらしい.

 かくして私の中でアロイジアは,とても人間臭くて魅力的な人物になったのである.

Img174 この有名なモーツァルトの肖像画を描いたのが,なんとアロイジアの旦那のランゲ氏なのでした.

Aroisia2 そしてこれが我が家に生息しているチンチラ(♀)のナンネルです.しかし,その気位の高さとワガママぶりから,私は密かにアロイジアと呼んでいます(笑).

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2007年2月16日 (金)

久しぶりの山本耕史

 2006年モーツァルトイヤーに,NHK BSで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっていた(案内人には山本耕史氏が起用されていた).好評だったらしく,NHKにはこの手の音楽番組を続けて欲しいという意見があったようで,2007年にはクラシックのピアノ作品をメインとした”ぴあのピア”という10分間番組をやっている.案内人は昨年上半期に朝ドラ「純情きらり」のヒロインを務めた宮崎あおいさんである.

 この”ぴあのピア”,今月はモーツァルト特集ということで,連日モーツァルトのピアノ作品を取り上げているが,先日2月14日はモーツァルトの結婚(フィガロの結婚ではない 笑)がテーマであった.宮崎さんの語りに続いてゲストが登場するのだが,現れたのは,なんと!山本耕史氏,「モーツァルトは他人に愛を与えることで,自分も幸せになっていく人物なんですよ‥‥」と,熱く語ってくれた山本氏であった(おそらく今の山本耕史は芸能界で1,2を争うモーツァルト通であろう).2月14日に登場というのもバレンタインデーにちなんだNHKの粋な計らいなのだろうか.

 人気俳優の山本耕史氏は民放などのドラマにも良く出ているはずであるが,我が家ではあまりドラマを見る習慣がないため,久しぶりにフレッシュな山本氏を目撃したのだった(今BSでは大河「新選組!」もやっているが,こちらは再放送のためフレッシュではないのだった).

Yamamotokouji_1 昨年暮れにウチのKが懸賞で当てた山本耕史さんのサイン入り写真.

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2007年1月 8日 (月)

モーツァルトイヤーが去って

 モーツァルトイヤーに沸いた2006年が終わり,2007年になって1週間がたった.振り返ってみても本当にモーツァルト三昧の一年であった.1週間たってみて去年と違うことは,朝早起きしても”毎日モーツァルト”がやっていないことである.当然あの山本耕史さんの声も聞けない.考えてみれば,昨年我が家で山本耕史の話題が出なかった日はなかったと思う(うちのKも毎日モーツァルトで山本氏のファンになった).モーツァルトイヤーの終幕で我が家と山本氏を結ぶ線がなくなってしまったのは寂しい限りである(…と思っている矢先に,BSで大河ドラマ「新選組!」の再放送をやることを知った.まだ縁は切れそうにない 笑).

Bach_2 バロックの巨匠J. S. バッハ 

 それにしても「毎日モーツァルト」なんて番組が存在しえたのも,モーツァルトだからである.「毎日~」は10分間番組とはいえ,1年で240回合計2400分(40時間)の大作である.大河ドラマ全編よりも長いくらいだ.これだけ長期にわたって番組が成り立つのも,”作品数が多くバラエティに富んでいる”,”人生に起伏がある”という点が備わっているからである.作品数だけならJ. S. バッハシューベルト(今年はシューベルト生誕210年である)もかなり多いが,バッハは人生にあまり起伏がないし,シューベルトは作品が歌曲に偏ってしまい,とても1年は持ちそうにない.

Schubert 歌曲の王シューベルト.貧しく代用教員をしながら,友人の援助で生活するなど石川啄木的な人です.

 その一方,劇的という点でいえばワーグナーが良さそうだ.ただ作品数が少なく(主要作品は最初の歌劇「リエンチ」から最後の「パルジファル」まで全部で11本しかない),1ヶ月1作品で引っ張らないと1年持たないことになる.またワーグナーの場合,その人生は放浪あり,裏切りありでとても青少年向けではない.ワーグナーはかなりわがままな性格で,同時代の他の作曲家をけなす一方(特にドニゼッティなどイタリア系の作曲家をけなしている),自分に対しては自信過剰なくらいの意識を持った人物であった.さらに彼は親友のハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)を寝取っている(妻を寝取られたビューローはドイツを去った.後に彼は「ワーグナーは作曲家としては天才だが,人間としては最悪の男だ」と言ったという).更にワーグナーは自分に心酔するバイエルン国王ルートヴィヒ2世にタカって,自分の作品を上演するための専用劇場(バイロイト祝祭劇場)まで作らせ,バイエルン王国を破産に追い込んでいる(結局バイエルンの重臣に呆れられて,ルートヴィヒ2世は謎の死をとげ,王国はプロイセンの傘下に墜ちてしまった).

Wagner 親友の妻を寝取り国をひとつ潰したR. ワーグナー

 いずれにせよ「毎日ワーグナー」はドロドロしすぎて(その音楽も含め),朝の番組としてはふさわしくないと思われるのだった(夜11時の番組ならいいかも.番組のタイトルも「裏切り」,「略奪婚」,「国王の変死」,「バイエルン王国の破産」などさわやかさのカケラもないものになりそうだ).

 そんなわけであらためてモーツァルトの偉大さ(健全さ,さわやかさ)を感じる私であった(モーツァルトは他人に裏切られることはあっても,他人を裏切ることはなさそうだ).

 注: 私もワーグナーの音楽は官能的で,素晴らしい側面もあると思いますが…

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2006年12月20日 (水)

三大レクイエム

 NHKの「毎日モーツァルト」,いよいよ昨日からレクイエム 二短調K.626に突入した.この曲はモーツァルト最後の作品となった未完の曲である.レクイエムは別名”死者のためのミサ曲”とも呼ばれる,カトリックの典礼音楽である(歌詞が"Requiem aeternam ~"で始まるためRequiem(レクイエム)と呼ばれる).

 古くから多くの作曲家によって曲がつけられており,モーツァルトのものは特に有名である.俗に”三大~”という言い方(三大うどん,三大鍾乳洞,三大ガッカリ観光地 etc.)があるが,三大レクイエムといった場合

 ① モーツァルトのレクイエム

 ② ヴェルディのレクイエム

 ③ フォーレのレクイエム

以上の3つを指す.三者三様,同じ歌詞(厳密に言えば若干の違いがある)に曲がついているとは思えないくらいそれぞれ特徴のある名曲である(私は東北大混声合唱団時代,①と③はやったことがある).ちなみに五大レクイエムといった場合には,上記3つに”ケルビーニのハ短調レクイエム”,”ベルリオーズのレクイエム”,”デュリュフレのレクイエム”のうち適宜2つが加わる.また,ルネサンス期の作曲家であるオケゲム,ラ・リュー,ラッススのレクイエムも個人的には好きである.さらに変わったところでは,先日仙台に行った際に再会した友人のY氏による”モノラル三大レクイエムなんてのもある.これは,ワルター指揮のモーツァルトのレクイエム,トスカニーニ指揮のヴェルディのレクイエム,フルトベングラー指揮のブラームスのドイツ・レクイエム(尤もこの曲はラテン語のカトリックの典礼文に曲がついたものではないが)の3つを指す.

 いずれにせよ,古今のレクイエムの傑作のひとつであるモーツァルトのレクイエムはまた,多くの謎に包まれた作品でもある.作曲依頼の経緯もさることながら,モーツァルトの死後の補弼の経緯も謎に満ちている.作曲の経緯は1791年夏に匿名の貴族の使いがやって来て作曲を依頼したといわれており,この依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵であることがわかっている.彼は人に書かせた作品を自分の作品として演奏する人物だったらしい(最近では,借金に苦しんでいたモーツァルトを救うためこの依頼が行われたという説もあるが).

Mozreqcor M. コルボ指揮のモーツアルトのレクイエム.個人的には一番好きな演奏です.

 作曲の依頼は受けたものの,この時期モーツァルトは忙しく,歌劇「魔笛」,歌劇「皇帝ティトスの慈悲」,クラリネット協奏曲の作曲に忙殺されている.結局レクイエムの作曲が本格化したのは1791年10月以降であったと思われる(その後もフリーメイスンのための小カンタータK.623を作曲している.この曲が完成されたモーツァルト最後の作品である).この頃既にモーツァルトは過労からか体調を崩していた.作曲は思うように進まなかったであろう.結局彼は11月20日に寝込んでしまい,その後再び起き上がることは出来なかった.

Mozreqhar Mozreqhog

左 1981年当時物議を醸し出したアーノンクールのCD 右 モーンダー版によるホグウッドのCD

 モーツァルトの死因については当時の記録では「急性粟粒疹熱」とされている.これは今で言えば「リウマチ熱」といわれる,溶連菌による感染症である.発熱,関節痛,湿疹や急性腎不全も引き起こす厄介な病気だ(記録でモーツァルトの手足がむくんできたとあるのは,腎不全の症状と考えられる).現代であれば抗生物質による治療があるが,当時はそんなものはなく致死率の高い疾患であった.

 こうしてレクイエムは未完のため遺され(続唱の終曲,ラクリモサ(涙の日)の8小節目が絶筆といわれる),弟子のジュスマイヤーによって補弼されたのである(モーツァルトは必ずしもテキストの順番どおりに作曲したわけではないため,ラクリモサの8小節以後全てがジュスマイヤーの補筆というわけではなく,その後の奉献唱にもモーツァルト自身の曲は残っている).

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2006年12月18日 (月)

レオポルド・ブログ3

 いよいよ毎日モーツァルト(アマデウス・ブログ参照)も大詰めになり,今週は今日「クラリネット協奏曲 K.622」をやって,明日からは最後の曲「レクイエムニ短調 K.626」となる(「フリーメイスンのための小カンタータ K.623」は省略されるらしい 泣).レクイエムに入ってしまうとしんみりしてしまい,とてもレオポルド・ブログなんて言っていられなくなるため,本記事は12月18日中にアップすることにします.レオポルド・ブログ完結篇です.

レオポルド・ブログ

1785年3月28日

ウィーンにて

Mozartfamily こんにちはモーツァルトです.実は今,ウィーンに来ています.

 息子のヴォルフガングから,是非一度来てくれとの誘いがあったものですからやってきたわけです.あの子の結婚には反対しましたが,私にとってはたった一人の息子だし,私も年ですから旅ができる体力があるうちにあの子に会っておきたかったんです.1月下旬にザルツブルグの家を発って,ミュンヘンに一週間滞在した後,先月11日にウィーンに着きました.

 息子の家は町の中心,シュテファン教会の近くという一等地にあります.部屋数も多く,家具も立派なのが揃っていました.なんでも家賃が460フローリンというから驚くじゃありませんか,ザルツブルグの私の家の家賃が90フローリンなのに.あの子の羽振りがかなりいいらしいことはよくわかりました.

 着いたその日の夜には,早速あの子の予約演奏会があり,私も出かけてきました.新作のピアノ協奏曲やアリアなどが演奏されたのですが,演奏は素晴らしいし,会場は超満員!しかも参加した面々はみな有力な貴族ばかりです.演奏が終わった後には,それらの人たちが私のところにやって来て口々に息子のことを褒め称えるのです.とても嬉しかったのですが,反面ちょっと恥ずかしい感じもしました.

 でもね,もっと嬉しかったのは翌12日のことですよ.この日の夕方に,有名なヨゼフ・ハイドン氏が訪ねてきて,私と一緒に息子の新しい弦楽四重奏曲を鑑賞したんですが,その席上ハイドン氏が「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが,ご子息は,私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です」と言ってくれたんです.社交辞令半分としても,天下のハイドン氏にこんな風に言ってもらえるなんて,父親として涙が出るくらい嬉しかったです.

 ザルツブルグ時代と違って,ここでのあの子はとても生き生きしていて,本当に人生を楽しんでいるという感じがします.嫁のコンスタンツェも結構いい娘だし,夫婦仲はとてもうまく行っているようです.昔は私も息子がウィーンに出ることや,結婚することに反対しましたが,今にして思えばこれで良かったのかもしれません.

 ただ,心配なこともあります.あの子は今,ここウィーンでフリーの作曲家として活躍していますが,それが出来るのはウィーンが自由な街で,特にハプスブルグの皇帝ヨゼフ2世陛下が寛容な方だからです.でも陛下に万一のことがあったり,政治的な混乱が起これば,フリーの音楽家なんて真っ先に吹き飛ばされてしまう存在です.現に隣国のフランスではなにやらきな臭いウワサも聞こえてきますし,出来ることなら,どこかに定職を見つけて腰を落ち着けて欲しいものです.

 私も年をとったせいか,最近すっかり愚痴っぽくなってしまいました(笑).来月にはザルツブルグに戻るつもりです.この記事を読んでくれた皆さん.これからも息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを末永く応援してあげて下さい.

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2006年12月14日 (木)

あ,当たった!

 我が家のくじ運は最悪である.宝くじは100円 or 300円しか当たったことはないし,年末の商店街の抽選もポケットティッシュしか当たったことはない.お年玉つき年賀ハガキの抽選も末等の切手シートしか縁がないし,忘年会等の恒例のビンゴゲームでも商品はもらえない.ましてやテレビや雑誌の懸賞など問題外である.

 そんなくじ運最悪の我が家でついに,賞品が当たったのである.それは,NHK BSでやっている10分間番組「毎日モーツァルト」と連動しているブログ,「アマデウス・ブログ」のプレゼント企画である.アマデウス・ブログが日頃のご愛顧に答えて,案内人の山本耕史さんのサイン入りの本(毎日モーツァルトの赤い本)またはポラロイド写真をプレゼントというものであった.うちのKがそれに応募したところ,なんとポラロイド写真が当たったのであった.

Yamamotokouji これが山本耕史さんのサイン入りポラロイド写真です(NHKのスタジオで収録の合間に撮影したと思われます).

 なんで当選したんだろうと素朴な疑問を抱いたのだが,考えてみれば,企画がブログ上で,世間一般の注目を浴びていないことから,テレビ等の懸賞に比較して競争率が低かったことが考えられた.また狙った賞品が本ではなく写真のほうだったことも勝因かもしれない(実は毎日モーツァルト本は既に我が家にあり,同じ本を貰ってもなぁ,と写真を希望したのである).

 何にせよ,我が家で懸賞があたるという初の快挙であった.山本耕史さんのファンであるウチのKは大喜びで,額に入れて家宝にすると張り切っていた(笑).

Shashinget 山本さんの写真をゲットして嬉しそうなKです.

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2006年12月13日 (水)

レオポルド・ブログ2

 レオポルド・ブログの第2弾をお届けします.

レオポルド・ブログ

1781年12月19日

息子が結婚?

Leopord2  こんにちは,モーツァルトです.いやー,困ったことになりました.ウィーンに住んでいる息子,ヴォルフガングのことです.今年の5月にザルツブルグの大司教と大喧嘩をして,ウィーンに行ってしまい,今はクラヴィーアの教師をして暮らしているらしいんですが,その息子からなんと!結婚したいという手紙が来たんです.

 考えてみればあの子も来月で26ですから,結婚しても全然おかしくはないんですが,問題はその相手です.ウィーンに行った当初,あの子はヴェーバー家に下宿していたんですが,どうやらコンスタンツェとかいう,そこの娘とデキてしまったらしいんです.ヴェーバー家には年頃の娘が何人もいて,息子が生活する環境としてふさわしくないと思い,強引に引っ越させたんですが…….

 もちろん私はこの結婚には反対です.息子にはしっかりとした家柄の娘と結婚して欲しいと思っているからです.あの子には音楽の才能があります.でも音楽の才能だけで食べていけるほど世の中は甘くありません.しっかりとした経済的,社会的バックグラウンドがあってこそ,あの子の才能は花開くのです.そのためにも,社会的にしっかりした家の娘と結婚する必要があります.だからこそ,私はあの子が小さい頃から貴族の家に出入りさせたり,人前に出しても恥ずかしくないように礼儀作法を教えてきたんです.それなのに,下宿屋の娘と結婚だなんて…….しかも息子は以前,ヴェーバー家の娘にひどい目にあわされているんですよ(あの子が私の家内と就職活動でパリに滞在中,家内が亡くなった後,失意のどん底にあったあの子を袖にしたのが,アロイージアという,やはりヴェーバー家の娘でした).私は息子をひどい目にあわせたヴェーバー家を許しません.

 そういえば,ヴェーバーの女主人はかなりやり手だという噂を聞いたことがあります.もしかしたらその女主人が,金づるとして私の息子に目を付け,コンスタンツェとかいう娘とくっつけるよう,何か仕組んだのかもしれません.それも大いに考えられることです.

 とにかく,この結婚話,誰が何と言おうとも,私は絶対に許しません.もし,私の許可なく結婚するようなら,もう親子の縁を切ります.

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2006年12月 7日 (木)

モーツァルトとフリーメイスン

 NHK BSの「毎日モーツァルト」も12月5日(モーツァルトの命日)を迎え,いよいよ大詰めに差し掛かった感がある.この日の曲は“アヴェ・ヴェルム・コルプス”であった.なかなかいい選曲といえよう.久しぶりに案内人の山本耕史さん自身が登場するシーンもありKも喜んでいた(秋の例の特番の際に撮影したと思われる,バーデンの広場を語りながら歩くシーンである).

 アヴェ・ヴェルム・コルプスがK.618であり,以後の作品はケッヘル番号で言えば,ドイツ語による小カンタータ(K.619),歌劇「魔笛」(K.620),歌劇「皇帝ティトスの慈悲」(K.621),クラリネット協奏曲(K..622),フリーメイスンのための小カンタータ(K..623)を経て,最後の曲レクイエム(K..626)に行く流れとなる(その他未完のホルン協奏曲ニ長調もこの時期の作品と考えられている).この時期の作品は声楽曲が多く,しかもフリーメイスンのための曲が2曲もあるのが特徴である(K.620の歌劇「魔笛」もフリーメイスンの思想を色濃く反映した作品である).

Mateki2_2ウィーン国立歌劇場での魔笛の舞台(2006年6月).背景のでっかい目はフリーメイスンの真実の目を表しているのでしょう.

 モーツァルトがフリーメイスンの熱心な会員であったことはよく知られている.フリーメイスンはイギリスの石工の組合を元祖とする団体で,自由・平等・博愛を旗印にした結社である.欧米では著名人の会員が多いため,アメリカ独立戦争やフランス革命にもメイスン会員が多く関わっていたといわれている.仲間同士しか知らない秘密の儀式などがあることから,日本では“秘密結社”であるとか,様々な陰謀を働く団体などと考えられている節があるが,実際のフリーメイスンの組織は世界中にグランドロッジが並立しており,全世界のロッジを統括するような組織はない(ロッジというのはその地域のフリーメイスン構成員(フリーメイソンリーという)の集まるところ).お互いのグランドロッジは全て対等で,相互に承認しあうことでフリーメイスンとしての結束を守っているらしい.このためトップの指示で世界中のフリーメイスンが動くなどということはありえないそうである(フリーメイスン自身は自らを非公開団体と称している).

Mateki1_1賢者ザラストロはフリーメイスンの知恵の象徴です.私もザラストロのような人間になりたいですが,まだまだ修行が足りません(笑).

 そして昨日12月6日に「毎日モーツァルト」で取り上げられた曲が,フリーメイスンの曲であるドイツ語による小カンタータ K.619であった.これはレーゲンスブルグのロッジの依頼で作曲された曲である.実は我が家には「NHK毎日モーツァルト」という番組の本があり,この巻末に番組の放送予定と取り上げる曲が載っている.それによると,当初この小カンタータK.619は予定になかったようである.出版後に変更になったのであろう.深い意味はないと思うが,世の陰謀論者達が「これはフリーメイスンがNHKに圧力をかけて,急遽放送させたに違いない」と言い出すのではないかと不安である(笑).

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2006年11月29日 (水)

レオポルド・ブログ

 大作曲家W. A. モーツァルト生誕250年の今年,NHKBSで「毎日モーツァルト」という10分間番組を放送しており,好評を博しているようだ.案内人に人気俳優の山本耕史さんを起用していることも人気の理由のひとつと思われる.この番組と連動する形で,夏頃に開設されたのが”アマデウス・ブログ”である.これは,”もし18世紀後半にインターネットがあって、Blogが普及していたら…” モーツァルトはこんなブログを書いていたのではないか,というコンセプトで創められた,一種の知的な遊びである.

 モーツァルトに関しては,膨大な書簡が残されており(中には品性を”?”ものも… 笑),それを分析することによって,こんな性格だったんだろうということも判っている(結構自尊心が高い割りには,人がよくて寂しがり).このアマデウス・ブログはそういったモーツァルトのキャラクターを生かしつつ,当時の出来事を面白おかしく書いている.

 そこで考えたのだが,もし18世紀後半にインターネットがあって,ブログが普及していたら…,アマデウスの父,レオポルド・モーツァルトもまた,ブログを書いたんじゃないかということである.題して”レオポルド・ブログ”である.彼の性格から考えて,こんなブログになったんじゃないかと思う.

レオポルド・ブログ

1781年9月1日

ウィーンの息子のこと

Leopold  こんにちはモーツァルトです.今日はウィーンに住んでいる,私の息子の話です.

 私の息子は”ヴォルフガング=アマデウス”といいます.小さい頃から結構音楽の才能があって,父親の私が言うのもなんですが,これは大物になると思ったものでした.そこで,この子にはなるべく多くの音楽の経験をさせたいと思い,ヨーロッパ中を巡って勉強させたのです.私もサラリーマンですから決して裕福ではないんですが,この子のためと思い何とかお金を工面して頑張りました.時にはあの子に曲芸まがいの演奏をさせてお金をもらったこともありましたが…(泣).

 そんな甲斐あって,あの子も立派に成長し,最近まで私と一緒に,ここザルツブルグの宮廷楽団員として働いていたんです.あの子は作曲が得意で,教会で演奏するミサ曲や交響曲など,結構いい曲を作っていました.親バカといわれるかもしれませんが,私にとっては自慢の息子です.

 ところが,そんな息子が今年のの5月にザルツブルグの大司教であるコロレド卿と喧嘩して出て行ってしまったんです.私もなんとか大司教にとりなして,あの子にも謝るように言ったんですよ.そしたら「自分にもプライドがあるから許せない」とか,「これを分かってくれないなら,もうお父さんじゃない」なんて言うんです.まぁ以前からあの子は「こんな田舎じゃ何もできない」とか,「自分はオペラが書きたい」とか,いろいろ不満があったようですが,世の中には秩序というものがあるわけで,若いあの子にはまだ分からないんですかねぇ.もしかしたら小さい頃から甘やかしすぎたんじゃないかと反省している今日この頃です.

 そんなわけで,息子アマデウスは今ウィーンに住んでいます.クラヴィーアの教師をやったりして,なんとか一人で生活できているようで,父親としては一安心ですが.できるなら故郷に帰ってきて欲しいものです.

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2006年11月27日 (月)

メモリアルイヤー

 今年2006年はモーツァルト生誕250年の記念イヤーというわけで,巷でもかなりの盛り上がりを見せている(ショスタコービッチ生誕100年の方は,ロシアのプーチン大統領の肝いりもありながら,全く盛り上がっていない).テレビでもNHKの「毎日モーツァルト」をはじめ,民放でもモーツァルト特番を放送していた.我が家でもKが大のモーツァルト好きということもあり,「毎日モーツァルト」をそれこそ毎日見たり,モーツァルトのCDや書籍の購入,さらにはモーツァルトが活躍したウィーンやザルツブルグに実際に行ってみるなど,モーツァルトがらみのイベントが多い年であった.

 しかし,始めがあれば終わりがあるのたとえ通り,モーツァルトメモリアルイヤーも残すところあと1ヶ月である.毎日モーツァルトでもいよいよラストイヤーの1791年の話題になっている.うちのKなどは「これほど過ぎてしまうのが寂しい年はない」などといっている(勿論来年になったからといって,モーツァルトが無くなってしまうわけではないが).

 さて,モーツァルトに沸いた2006年に続く,2007年にはどんなメモリアルがあるのだろうか?挙げてみよう.

 1. 井上靖,淡谷のり子,中原中也生誕100年(1907年) えーっ!淡谷のり子と中原中也って同い年だったの?

 2. ヘーゲルの「精神現象学」執筆200年(1807年) 我々一般人にはとても最後まで読めない本ですが…….

 3. 唐滅亡1100年(907年)  李白・杜甫・楊貴妃で有名な唐王朝が滅亡して1100年 

 4. ビザンチン皇帝コンスタンチヌス10世生誕1000年(1007年) 一番きりがいい.でも誰も知らない(泣).

 5. 法隆寺創建1400年(607年),同じく聖徳太子の国書を持った小野妹子が隋の煬帝を怒らせて1400年(いわゆる「日出づる処の天子~」の国書) これはすごい事件だ!

 6. 諸葛亮孔明デビュー1800年(207年) 三顧の礼を受けた諸葛亮が劉備の軍師になる(これもすごい事件.ちなみに劉備の子劉禅が生まれたのもこの年).

 7. 後漢の蔡倫没後1900年(107年) 紙の発明者です.

 8. 倭の奴国王が後漢の皇帝から倭奴国王印を授けられて1950年(57年) 有名な金印です.

 9. 聖山事件2500年(紀元前494年) 古代ローマで起こった貴族と平民の争い(世界史で習った.懐かしい).

 10. ソロンの改革2600年(紀元前594年) 古代ギリシャの有名な政治改革.

 音楽関係のネタがないのが残念ですが,一番の話題は諸葛孔明デビュー1800年でしょうか(ビザンチン皇帝を名乗るものとしては,コンスタンチヌス10世生誕1000年も捨てがたいが…).来年は三国志で盛り上がりますか(笑).

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2006年11月16日 (木)

モーツァルトと坂本龍馬

 地元出身の有名人を使って地域振興を図るのは,世の東西を問わない.私の地元岩手では,宮沢賢治石川啄木が良く引っ張り出される.隣県の仙台市では伊達政宗が,東京の日野市では土方歳三が,鳥取県境港市ではゲゲゲの鬼太郎(水木しげる氏)が有名だ.しかし,その中でも高知の坂本龍馬ほど,地元・訪問客の双方から熱く語られる人物はいないだろう.

 高知を訪れたことがある人にはわかると思うが,高知における坂本龍馬の存在は絶大である.市内,特に桂浜に行くと龍馬の銅像がデンと構えており,一方土産物屋はひたすら,「龍馬,龍馬,龍馬」のオンパレードである.キャラクターグッズもTシャツや携帯ストラップから,ビールに至るまでなんでもある.おまけに空港まで“高知龍馬空港”と命名されており,高知人の龍馬にかける思いの強さが偲ばれる.おそらく,地元民の期待の高さでは日本一ではないかと思う(2006年は大河ドラマに山内一豊が取り上げられたこともあり,高知城などでは,一豊やその妻千代も露出しているが,存在感としては,坂本龍馬の足もとにも及ばない.個人的には一豊より,幕末の土佐藩主山内容堂のほうに関心がある).Ryouma2_1

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桂浜の土産物屋はこの通り,「龍馬!龍馬!龍馬!」である.左の写真にある龍馬ラーメン・うどんって一体….

海外においても状況は似たようなもので,お隣の中国の成都では三国志の英雄,関羽が祭られている.また.泰山の近くでは,孔子の子孫が観光客相手に,論語の一節を色紙に書いて売るという商売をやっているらしい(これは,作家の棟田博氏の著作,続・陸軍よもやま物語に出てくるエピソードである).

ヨーロッパではドイツのライプツィヒのバッハや,同じくドイツのハーメルンでの笛吹き男(現地ではネズミ捕り男というそうです.ねずみ男ではありません 笑)などが知られているが,何といっても凄いのは,ザルツブルグのモーツァルトである.特に今年は生誕250年ということで,ザルツブルグの街は完全にモーツァルト一色になっている(10月に放送された,NHKの“毎日モーツァルト”の特番でも,ザルツブルグを訪ねた山本耕史が「それにしても,どこを見渡しても“モーツァルト”,“モーツァルト”」と感心しているのか,呆れているのかよくわからないことを言っていた.私も今年の夏ザルツブルグを訪れたが,やはり街中が“モーツァルト”,“モーツァルト”であったのは強く印象に残っている(空港名まで“ザルツブルグW.A.モーツァルト空港”であり,この熱の入れようは高知の坂本龍馬そっくりだ).

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今年は街中が「モーツァルト!モーツァルト!モーツァルト」です.ついにはこんなTシャツまで登場(笑).

そんなわけで,東西の2大ご当地スターともいうべき坂本龍馬とモーツァルトであるが,意外な共通点がある.それは,「故郷を捨てて他所で活躍した」という点である(その他,お姉さんの存在も).

モーツァルトは父とともに,生地ザルツブルグの宮廷楽員として働いていたが,雇い主である大司教コロレドと喧嘩別れして,ウィーンに移り住み,フリーの音楽家として数々の名曲を世に送り出した.そして生涯を通じて故郷に帰ったことは数えるほどしかなかった.一方ザルツブルグ側でも,モーツァルトの死後しばらくまで,彼の存在をあえて無視していた様子が見られる(モーツァルトがウィーンで脚光を浴びている事実は伝えられているはずだが……).モーツァルト自身もザルツブルグに対する思い入れはあまりなかったと伝えられている.

 翻って坂本龍馬であるが,彼は土佐藩の郷士身分(下級武士,坂本家は武士ではあるが,生活のため商売もやっていたらしい)で,一時は武市半平太の土佐勤皇党に所属していたこともあったが,一念発起し何と脱藩して江戸に出たのであった(やはり土佐藩という小さな枠組みのなかではなにもできないと思ったのだろうか).江戸に出た龍馬は,勝海舟の弟子になって海軍の創設に奔走し,後には亀山社中,海援隊を作って海運業に活躍した(亀山社中は日本最初の商社といわれる).政治的にも薩長同盟の斡旋や船中八策による,大政奉還への流れを作るなど,幕末維新史に果たした役割はきわめて大きい.

 こんな龍馬であるが,ふるさと土佐への思いはどうだったのだろうか.脱藩後も土佐藩士との付き合いも多かったから,モーツァルトのように冷ややかだったとは考えにくいが,やはりふるさと以上の思い入れはなかったように感じられる.モーツァルトがザルツブルグの枠に収まりきらなかったように,龍馬もまた土佐という枠を超えて,日本というより大きな枠で動いていたからである.

 かくして今日も,東西のご当地スターの故郷には多くの観光客が訪れていると思われる(当の二人は地元での盛り上がりをどう感じているのだろうか?).

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東西の2大ご当地スター(ザルツブルグのモーツァルト像と高知桂浜の坂本龍馬像).

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2006年11月 1日 (水)

アーノンクールとヴィンシャーマン

 いよいよ今日から11月である.1年間盛り上がったモーツァルトイヤーも残すところ2ヶ月となった.NHKの「毎日モーツァルト」もいよいよ終盤にさしかかった感じである(今週はモーツァルトのプロイセン旅行がテーマ.今後は歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」やピアノ協奏曲27番を経て,いよいよラストイヤーの1791年に入る).

 ご当地オーストリアは勿論,日本国内でもモーツァルト関連のコンサートが目白押しだが,NHKでもNHK音楽祭2006と題して,海外の著名演奏家を招いての演奏会が行われる.そのトリを務めるのが,巨匠ニコラウス・アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによるモーツァルトのレクイエムの演奏会だ.アーノンクールは1960年代から,古楽器を用いたバッハなど,バロック音楽のオリジナル演奏を行ってきた古楽器演奏の老舗である(自身もチェロ奏者).

 1960年代といえばカール・リヒターの絶頂期で,「バッハといえばリヒター」という程,リヒターの影響力が大きかった時代である.リヒターは1925年生まれで,幼少時から教会の聖歌隊に所属し,声変わりに合せてソプラノからアルト,テノール,バスとバッハの教会カンタータの全てのパートを歌ったことがあるといわれるほどのバッハ研究家(本職はミュンヘン音楽大学教授,教会カンタータを全て暗譜していたとのウワサあり)であり,自身チェンバロやオルガンの名手でもある.

Vhd2 ドイツのお城で演奏するリヒター(写真左のチェンバロ).

 こんなリヒター全盛期にはアーノンクールの影は薄く,ヨーロッパはともかく日本での注目は低かった.しかし,1981年のリヒター死去の後,徐々に古楽器演奏が注目され始めると,その老舗として大いに脚光を浴びるようになった(グスタフ・レオンハルトと組んで,バッハの教会カンタータ全曲録音もやっている他,マタイ・ヨハネの両受難曲,クリスマス・オラトリオ,ロ短調ミサなどの録音も複数回行っている).

 本来バロックの人というイメージが強かったが,1980年代からはモーツァルトなど古典派以後の曲も取り上げるようになり,最近ではむしろモーツァルトの人という感じになっている(1981年録音のモーツァルトのレクイエム バイヤー版は当時衝撃的な演奏だった).最近では2002年以降,ザルツブルグ音楽祭でモーツァルトのオペラを振って注目されている.今年はアンナ・ネトレプコをスザンナ役にした”フィガロの結婚”を指揮している(毎日モーツァルトの案内人,山本耕史氏もこの舞台を観劇していた.なんてうらやましい!).2005には京都賞受賞のため来日している(この時は演奏は行っていない).

Harnoncourt 若い頃のアーノンクール氏

 そんな巨匠が来日し,しかもモーツァルトのレクイエムを振るというのだから,「こりゃ行くしかない」と,チケットぴあをチェックしていた(5月)のだが‥‥,その後すっかり忘れてしまい,気が付いた時(7月半ば)には既にチケットは売り切れになっていたのだった(泣).しかし,別プログラムで行われる,京都でのコンサート(11月18日,ヘンデルのメサイア)の方のチケットが取れたため,なんとかアーノンクールの顔を拝むことはできることになった.ヘンデルのメサイアも私の大好きな曲で,学生時代には,年末のメサイアコンサート(年末といえば日本ではベートーベンの第九が有名だが,ヨーロッパではむしろこのメサイアの方がメジャー)に合唱団員として参加していた.また2005年末には,所属する盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(以下MBKV)のドイツ演奏旅行でも,ドイツ語版のメサイアを取り上げている.

 そんなわけで11月18日に京都に行くことが決定した.せっかく行くのだから,たっぷりと秋の京都を満喫し,ついでに新選組ゆかりの地なんかも見てこようと考えていた.しかし!予定表を見ると,なんと京都のコンサートの翌日(11月19日)にはMBKVの強化練習(来年1月28日に盛岡でバッハのヨハネ受難曲の演奏会が行われる)が入っているではないか,しかもその日の練習は,本番で指揮をするヘルムート・ヴィンシャーマン氏がやってくるのだ(ヴィンシャーマン氏はオーボエ奏者で,ドイツ・バッハ・ゾリスデンを振っている,バッハ演奏の巨匠だ).いくらなんでも練習を休むことはできないため,18日はコンサート終了後現地に宿泊し,翌朝伊丹空港から飛行機でとんぼ返りすることにした.

Vin H. ヴィンシャーマン氏との記念撮影(2000年,バッハのクリスマスオラトリオ演奏会にて)

 かくして,11月18,19日とアーノンクール,ヴィンシャーマン両巨匠を目にすることになったのだった.

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2006年10月26日 (木)

ヘンデルのメサイア

 今日の「毎日モーツァルト」はモーツァルト編曲のオラトリオ・メサイアであった(オラトリオを日本語に訳すと聖譚劇なんだそうです).メサイアはバロック時代の有名な作曲家G. F. ヘンデルの代表作ともいえる名曲である.

Handel_1 ヘンデルの有名な絵です.

 ヘンデルは元々ドイツ人で,ハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長をしていたが,オペラの作曲をやって活躍したいとロンドンに渡り,そのまま居ついてしまったという(選帝侯の許可を受けたのかは不明),なんとなくモーツァルトにも似ている人生を歩んだ人である(旅をしてあちこち走り回っていたのも似ている).ドイツ時代の上司だったハノーヴァー選帝侯が,後年イギリス国王ジョージ1世として海を渡ってイギリスにやって来た時は,ヘンデルもさぞ驚いたに違いない.この時,過去のいきさつから,国王との気まずい雰囲気があり,これを解消するために水上の音楽を作曲したという説があるが,これは事実ではないらしい.

 ロンドンでのヘンデルの人生は浮き沈みが激しく,一時はオペラ劇場の経営に失敗して破産してしまう.こんな失意の時代に作曲され,大評判となり,ヘンデルの名を再び有名にしたのが,このオラトリオ・メサイアである.新約旧約両方の聖書の言葉から,主イエス誕生の預言から受難,復活までを劇的に描いた音楽劇である(第2部終曲のハレルヤ・コーラスはあまりにも有名).

 この曲は当時から非常に人気が高く,同時代人であるJ. S. バッハのマタイ受難曲が,19世紀にメンデルスゾーンによって再演されるまで,人知れず埋もれていたのと対照的である.もっとも有名すぎたために,当時からヘンデル自身による多くの編曲版があって,いったいどれがオリジナル版なのかわからない状態になっているが‥‥(これはメサイアの人気が凄くて,ヘンデルも当時,各地の演奏に引っ張りだこだった.しかし,演奏場所によってオーケストラの人数や編成,歌い手の力量が異なる(ロンドンのような大都市ならフルオーケストラOKで,楽員の技量も問題ないが,地方では規模も小さく,また管楽器がいない,歌手が難しい曲は歌えないなど多くの制約がある)ため,オケ編成や場合によっては曲そのものが違ったいろんなバージョンがあるのだった.

 モーツァルトが編曲したメサイアは,モーツァルト版として知られており楽譜やCD,DVDも出ている.DVDではヘルムート・リリング指揮のものがあり,なかなかいい演奏である.アマデウス・ブログ にも触れられているが,この編曲は18世紀末のテイストで書かれており,本来トランペットだったところがホルンになったり,弦が厚くなったりしている(初めて聴いたときは,「おお!魔笛だ」と思った私だった).

Handeldvd_1 これがヘルムート・リリング指揮のモーツァルト版メサイアです.合唱曲の一部が四重唱になっているなど,ヘンデル版と比較するとなかなか楽しいです.

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2006年10月16日 (月)

山本耕史と巡るモーツァルト

 おととい10月13日の夜にNHK BS-Hi Visionで”毎日モーツァルト”の案内人,山本耕史氏がモーツァルトの足跡を尋ねてザルツブルグやウィーン,プラハを旅するという企画を放送していた.この夏,私とKもウィーンとザルツブルグに旅行に行ってきたこともあり(このオーストリア旅行についてはHPの方にアップすべくただいま製作中です),是非見たいと思っていたが,この日は夕方から夜にかけて講演会がありリアルタイムでは見られなかったため,家でタイマー録画したものを先ほど鑑賞次第である(Kも所要で出かけていたため不在であった).

 この番組は山本氏がザルツブルグ,ウィーンなどモーツァルトゆかりの地を旅しながら,モーツァルトの生誕から死に至るまでの足跡をたどる形で進んでいく.当然番組のあちこちにはモーツァルトの名曲が流れるわけだ.

 冒頭,NHKのスタジオで山本氏の「役者という仕事柄,これまでいろんな人生とめぐり合ってきた.だが今年のモーツァルトとの出会いほど鮮烈なものはなかった…….」というセリフで番組が始まる.そしてモーツァルトの足跡を辿るべく,「鞄ひとつの気ままな旅」に出た山本氏であった(後からいろんな服装で登場するのだが,鞄ひとつに収まりきるのか?などという野暮なつっこみはやめておこう).

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写真左はザルツブルグ旧市街のメイン通りゲトライデ通り,写真右はモーツァルトの生家(嬉しそうに立っているのは私です).

 まず訪れたのは生地ザルツブルグ.旧市街のゲトライデ通りを歩く山本耕史,モーツァルト一色になった街に驚く.訪れたのは丁度ザルツブルグ音楽祭期間らしく,大勢の観光客でごった返していた.まずはモーツァルトのオペラを鑑賞すべく,祝祭劇場にやってきた(パリッと正装して登場.これも鞄に入れてきたのか?).観劇した作品は「フィガロの結婚」,ニコラウス・アーノンクール指揮で,アンナ・ネトレプコがスザンナを演じる,この夏一番の注目ステージだ(チケットはほとんど発売と同時に売り切れたらしい).ちょっとだけとはいえ,このステージが見れたのは私にとっては予想外の喜びであった.山本氏はオペラを生で見たのは初めてらしく感激した様子,はじめてのオペラ鑑賞がアーノンクールとネトレプコのフィガロなんてと,うらやむ私であった.

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ザルツブルグの祝祭劇場です.私が行ったのは音楽祭1ヶ月前なので,まだ比較的閑散としていました,

 その後旧市街のモーツァルトの生家(Geburtshaus)を訪ね,当時モーツァルト一家が生活していた部屋を見学する.部屋の片隅には一台の古びたクラヴィーアがおいてあり,山本氏はガイドに促されるままにそのクラヴィーアを弾いていた.後でそのクラヴィーアが当時実際にモーツァルトが使っていたものだと聞かされて,「えっ,これモーツァルトが実際に触ったやつなんですか?」と無邪気に感動していた.Geburtshaus見学後,建物の5階に住んでいる人を訪ねてケーキとワインをご馳走になった山本耕史であった.

Mozart5_1 シェーンブルン宮殿です

 その後,ザルツブルグからウィーンに移動しシェーンブルン宮殿(ハプスブルグ家の夏の離宮)の鏡の間で,モーツァルトがマリア・テレジアの御前演奏をした跡をしのび,その模様が描かれた絵を感慨深く見る山本氏であった.その後は市内のモーツァルトの家を訪ねた.ここはフィガロの結婚を作曲した当時住んでいた家で,現在はモーツァルトハウス in ウィーンと呼ばれ多くの観光客でごった返している(この家は以前はフィガロハウスといって比較的地味な観光地であった).

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ウィーン国立歌劇場内の休憩中の様子です.私とKはここで「魔笛」を観劇しました.

 ウィーンの後は,チェコの首都プラハに行く.プラハはモーツァルトが生前最も成功した町である.ここにあるスタヴォフスケー劇場は18世紀当時の様子をそのまま残した劇場で,ここで1787年にモーツァルト自身の指揮で「歌劇ドン・ジョバンニ」の初演が行われている.山本耕史は劇場のガイド(実は昔,劇場の指揮者だった人である)の説明に熱心に耳を傾けていた.

 その後はウィーンに戻り,シュテファン寺院や,妻コンスタンツェが療養に滞在した温泉地バーデン(ウィーン郊外にある奥座敷といった趣,盛岡でいえばつなぎ温泉か?)などを訪ね,最後はモーツァルトが葬られた雨のマルクス墓地を訪ねて終わるのであった.

 この間いくつかの印象的なシーンがあり,ザルツブルグの大司教コロレドとの決別のシーン(役者としての山本耕史の面目躍如のシーン)が特に印象的であった.またバーデンの教会でアヴェ・ヴェルム・コルプスの演奏が行われた場面では,山本氏ではないが涙が出そうなくらい感動した(合唱をやる人間にとっては忘れられない曲である.個人的には未完に終わったレクイエムよりも,モーツァルトの宗教心が純粋な形で表現された名曲と思う).その他最後のほうで,モーツァルトが最晩年,ドイツ語の歌劇魔笛を作曲した小屋(魔笛小屋)が出てきたが,これはザルツブルグのモーツァルティウムの庭に移築されているとのことで,この夏我々もザルツブルグを訪ねた際に探したのだが見つけられなかったところであった.また以前のブログにもアップしたモーツァルトの父,レオポルド・モーツァルトの墓の石版の行方についても知りたい出来事ではあったのだが,番組中で明かされることはなかった.

 こうして2時間のスペシャル番組はあっという間に終わってしまったが,200年以上たっても,これほど人々を熱狂させ続けるモーツァルトの偉大な存在に,改めて感心する私であった.

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2006年10月 2日 (月)

モーツァルトとジェネリック

 ある薬の特許が切れたあとに,他社が発売する同一成分の薬剤のことをジェネリック医薬品(通称ゾロ)という.さらに我が家ではマイナーなメーカーから発売されたパクリ商品のこともゾロと呼んでいる.今年はモーツァルトイヤーということもあり,今回はモーツァルト絡みのゾロのお話です.

 オーストリアのお土産の定番として,モーツァルトクーゲルン(Mozart Kugeln)と呼ばれる丸いチョコレートがある.赤い箱に入った,モーツァルトの顔の絵が描かれた金紙に包まれたお菓子で,見たことのある人も多いと思う.オーストリア全土(主要観光地や空港など)はいうまでもなく,日本国内でも大きなデパートで扱っていることもあるし,ザルツブルグの現地ガイドの話では,中央アジアのカザフスタンでも目撃されてるという情報もある.それほど有名なお菓子なのである.

Zoro みんな一度は眼にしたことがあると思われる赤と金のモーツァルトクーゲルン.

 しか~し!この赤いモーツァルトの顔が描かれたモーツァルトクーゲルン,実はゾロ品なのである.本家のモーツァルトクーゲルンはザルツブルグにある”フュルスト”というカフェで作られたものであり,銀紙に包まれて全体的に青っぽい色調となっている.一つ一つ手作りらしく,形も真球には程遠く,値段も高めである(先発品だから当然か?).

Honke こちらが本家のクーゲルン.銀と青を基調としています.

  どうしてゾロ品のほうが有名になったのか?何でも,モーツァルトクーゲルンを発明したフュルストの主人が特許申請をしなかったためとか.かくして大手お菓子メーカーがこぞってモーツァルトクーゲルンをゾロゾロと発売したのであった.実際ゾロ品のクーゲルンは一種類ではなく,色調は皆,赤と金であるものの,何種類かある.今回写真に載せたものの他に,ミラベル社製のクーゲルンが特に有名である(毎日モーツァルトの案内人の山本耕史がモーツァルトの足跡を辿ってウィーンやザルツブルグを旅する番組が今月放送されるが,取材の時にこのクーゲルンを食べたのだろうか?).

Kugeln 先発品と後発品.並べると先発品のほうが大きめです.後発品はみな赤と金を基調としており,青と銀を基調とした後発品はないようです(本家にはばかっているのか?).

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2006年9月30日 (土)

疑惑(?)の毎日モーツァルト

 NHK BS2およびHi Visionでやっている10分間番組”毎日モーツァルト”,昨日9月29日のテーマは父レオポルトの死であった.自身も優れた音楽家であり(バイオリンのテキストも執筆しており,今でも使われているらしい),早くから息子の才能を見抜いてヨーロッパ各地を旅して研鑽を積ませると共に,積極的に売り出すなど”りえママ”的な行動でも知られている.ザルツブルグの大司教と決別して(勝手に)ウィーンに移り,(勝手に)結婚するなど,成人してからは何かと気まずい雰囲気にもなったが,やはりそこは親子,父レオポルトの死はモーツァルトにとって衝撃的な出来事であったようだ.

 さて,そんな父レオポルトはザルツブルグの新市街にあるザンクト・セバスチャン教会に併設している墓地に眠っている.教会の入り口から入って程なく,ひときわ目立つ墓石がそれである.そこにはレオポルトの他にモーツァルトの妻だったコンスタンツェや,なんと!コンスタンツェの再婚相手であるニッセン氏も眠っている.ザルツブルグで売っている小冊子にはその墓石の写真が載っているのだが,墓石を中心に左右に2枚の石版が写っている.向かって右側の石版がレオポルトの墓標だったらしい.しかし今年の6月に私が現地を訪ねた時には,なんと!石版が1枚しかなかった.向かって右側の石版(つまりレオポルトの石版)がいずこともなく消え去ってしまったのである.現地の日本人ガイドに聞いてもよく分からないとのことだった.私は不思議に思いながら教会を後にしたのだった.

Oldhaka_1 (写真1) 現地の小冊子に載っている墓石.見ての通り石版は2枚あります(見づらいですが,右の石版にLEOPOLD MOZARTの文字が見えます)

Newhaka (写真2) そしてこれが,私が訪ねた時の墓石です.見ての通りレオポルトの石版が綺麗になくなっています(荒らされた形跡がないため,酔っ払いが持っていったわけではないようです).

 昨日の毎日モーツァルトにも,この墓石が登場していたが,やはり私が見たのと同じように右側の石版がなかった(このことから,比較的最近撮影されたらしいことがわかる).しか~し!この直後,なんとレオポルトの石版のアップのシーンがあるではないか,ということはNHKスタッフは石版のありかを知っているわけだ.現地のガイドが知らなくて,NHKが知っているとは…….まさかNHKのスタッフが石版を持ち出してどこかにしまっているのではないだろうな(NHKの倉庫に眠っているなど),などと大いに疑念を抱いた私であった(正直,あのレオポルトの石版はどこにあるんだろう.教えてくれ山本耕史!).

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2006年9月 1日 (金)

夏休みが終わった”毎日モーツァルト”

 今日9月1日から二学期らしい(もっとも私の住む地方ではとっくに二学期になっているのだが).7月31日(月)から夏休みバージョンになっていた”毎日モーツァルト”,来週からは通常バージョンに戻るのかと思いきや,なんと来週は「今からでも間に合う毎日モーツァルト2」が放送されるらしい.「今から~」は確か5月の連休時期に,それまでのダイジェスト編として放送され,1月からの放送を初めから見ていなかったという人でも,話についていけるようにというコンセプトだったと思う.それが1年の半分以上を過ぎた今頃になって「今からでも間に合う~」と言われてもなぁ.しかも今回のはウィーンに移住後のダイジェスト編らしい.従ってこの放送を見てもザルツブルグ時代のことはわからないわけで,名付けるなら「今からでも間に合うウィーン時代のモーツァルト」ではないかなどと野暮なことを考えてしまうのだった.この調子だと12月頃に第3弾があるかもしれない(タイトルは「さらば,今からでも間に合う毎日モーツァルト」だったりして(山本耕史さんの「さらば,毎日モーツァルト」という語りが浮かんできます 笑).

Mozart2  (写真) 白目をむいたモーツァルト.今年ウィーンの街を歩くと,このモーツァルトの絵をいたるところで目にします.

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2006年7月31日 (月)

夏休みの”毎日モーツァルト”

 今年はモーツァルト生誕250年ということで,1月からNHK BS2およびハイビジョンで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっている.モーツァルトに関するエピソードを交えながら1日1曲ずつ紹介していくスタイルである.案内人に,俳優の山本耕史氏を起用していることもあり人気もあるようだ.当初は速いペースでモーツァルトの人生が進んで行き、このペースで1年持つんだろうかと不安になったが,ウィーンに引っ越したあたりからペースダウンしており,また所々重要な曲では1回限りとせず,数回から1週間くらい引っ張っているため何とか1年持ちそうな感じである.

 さて,その毎日モーツァルトであるが今月は夏休み企画らしく特別バージョンでの放送となっている.以前にもゴールデンウィークの頃に”今からでも間に合う毎日モーツァルト”という企画をやっていたが,さすがに1年の半分以上過ぎた段階で”今からでも間に合う”とは言えないためか,とりあえず今週(7月31日~8月4日)はモーツァルトと街というテーマでザルツブルグやミュンヘンなどが取り上げられるようだ(来週はモーツァルトと女性,再来週はリクエスト企画らしい).ちなみに7月31日の放送では山本氏が珍しく画面に登場していたが,やはりこれは「山本さんをテレビに映してください」という視聴者の声が大きかったためであろうか.

 それにしてもこれまでにも有名音楽家の記念イヤーというのは数多くあったはずだが,これほど世間で盛り上がったのはモーツァルトが初めてではないかと思う(本当は今年はショスタコービッチの生誕100年(こっちの方がキリがいい)なのだが,こっちの方は全然盛り上がっていない.年始めには仙台の新星堂にもショスタコービッチの生誕100年コーナーがあったのだがいつの間にか撤去されていた).これまでも1985年のバッハ,ヘンデルの生誕300年があったが一部のマニア以外では盛り上がらなかった.今後は2013年にヴェルディとワーグナーの生誕200年が控えており,特にバイロイトあたりではすごいことになりそうだが,世間での盛り上がりという点ではあまり期待できないかもしれない.

 そんなこんなで今年もあと5ヶ月,モーツァルトが続くのである(アーノンクールも来日するし).

Mozart (写真)ウィーンのブルク公園にあるモーツァルトの像

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2006年7月27日 (木)

モーツァルトの祟り

 最近,プロ野球セリーグの読売ジャイアンツの調子が悪い.4月は結構良かったが5月以降,特に交流戦開始後は連敗,連敗,また連敗で,その負けっぷりは悲劇を通り越して喜劇的ですらある.世の中の人はその原因を,やれ怪我人が多いとか,FAに頼る補強の仕方が悪いとかいろいろ言っているが,私とKはこれはモーツァルトの祟りだと信じている.今年2006年はモーツァルト生誕250年の記念の年である.そのためNHK BS2およびBS Hivisionで「毎日モーツァルト」という10分間番組を月~金曜日まで毎日放送している(大体朝と夜の2回BS2,BSHiで合計4回同じものが放送されており,ウチのKは毎日その全てを見ているらしい).

 話は5月4日にさかのぼる.この日甲子園で阪神-巨人戦が行われその模様がNHK BS Hivisionで放映されていた(らしい).試合は白熱した展開となり延長戦に突入,民放地上波と違ってNHK BSは試合終了まで中継するため,以後の番組が延期または中止になっていった(らしい).何も知らないKはいつものように,その日最後の「毎日モーツァルト」を見るために21時45分ごろテレビを付け,BS Hivisionにチャンネルを合わせた.すると突然原監督のアップが,なんだこれはと思う間もなく画面に「本日の毎日モーツァルトはお休みします」というテロップが,Kは烈火のごとく怒る.「野球の試合ごときで”モーツァルト”を流すとはけしからん」というわけである.結局試合は延長の末阪神がサヨナラ勝ちを収めたのだが,収まらないのはKで,「こんなことをやっているとモーツァルトの祟りがあるよ」と怒っていたのだった.その後,連休明けの交流戦からジャイアンツの喜劇的な凋落(なにしろ30試合で4勝26敗という,去年の楽天イーグルスをはるかに上回る負けっぷりであった)が始まったのだから,本当にモーツァルトの祟りかもしれないと思った次第である.

 そして今日また「毎日モーツァルト」が野球で流れた.BS Hivisionの巨人-広島戦(東京ドーム)が延長にもつれ込んだのである.結局試合は巨人が勝ったらしいが今回モーツァルトの祟りはどちらに向かうのだろうか,読売か広島か,興味が尽きない私であった.

 注) 毎日モーツァルトが流れたのはこの野球2試合の他,テニスのウィンブルドンで1回,北朝鮮のミサイル発射で1回の計4回である.特に北朝鮮のミサイル発射の時,Kはモーツァルトの祟りで北朝鮮に台風が直撃すると予言していた.

Geburghaus (写真)ザルツブルグのモーツァルトの生家(今度はどこに祟るのだろうか)

 

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