2013年12月 5日 (木)

モーツァルトの命日

Mozart 今日は12月5日,クラシック界でもっとも著名といっても過言ではないW.A.モーツァルトの命日です.

 1791年のこの日,モーツァルトはウィーンで35歳の短い生涯を終えました.死因については毒殺説などがささやかれていますが,当時の記録から類推すると溶連菌感染によるリウマチ熱に合併した急性心不全と思われます(死期が迫ったころ,体がむくんでいたというような記録があるようです).

 彼が後世に残した作品はオペラ,交響曲といったスケールの大きな曲から器楽曲,歌曲といった小規模な曲まで実に600以上に上ります.そのうち一番最後の作品となったのが映画「アマデウス」にも登場する有名なレクイエムニ短調K.626ですが,彼自身の手によって完成させた最後の作品としては,自身も熱心な会員だったフリーメーソンのための小カンタータ「高らかに我らの喜びを」(K. 623)になります.この曲は1991年11月18日にモーツァルト自身の指揮で演奏されています(そして,その2日後の11月20日に彼は体調を崩して寝込んでしまい,以後回復することはありませんでした).

 モーツァルトの音楽はけっして奇をてらうような感じではなく非常にシンプルで,それでいながら美しく奥が深いという,一見すると矛盾するような概念に富んでいるのが特徴です.そのため,たとえ知らない曲であっても,聴けばモーツァルトの作品とわかってしまうほどです.私個人の好みでは,交響曲第41番(いわゆるジュピター)の最終楽章が非常に好きで,誰かの言葉じゃないですが,聴くと異次元的な感動に襲われます (^。^).

 モーツァルトというと,子供のころに読んだ伝記では,才能はあるのに世間ではあまり認められず,貧しい生活の中で亡くなった(そして死後認められた)みたいなニュアンスで書かれていたのを思い出します.しかし実際のモーツアルトは認められないどころか,当時も人気の作曲家で,かなり華やかな生活をしていたことがわかっています.晩年友人にあてた借金依頼の多さが,貧しい生活をイメージさせるのでしょうが,実際の彼の生活は収入以上にお金を使ってしまう,いわゆる浪費家の生活で,彼自身の収入はかなり多かったようです.今風に言えば,2000万円の年収があるのに2500万円使っているみたいな感じでしょうか(モーツァルトが多額の借金ができたということも,貸す側にすれば返してくれるあてがあるということですし).もっともモーツァルトが付き合っている人たちは王侯貴族などの偉い人が多いですから,服その他にお金がかかったというのもたしかですから一概に非難はできませんが,一般の大人の視点から見れば,子供向けではない人生ということで前述のような子供向けの伝記では脚色がなされた可能性が高いんだろうなと感じています.

そんなことを考えた今年の12月5日なのでした.

交響曲41番ジュピターの最終楽章です.

 

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2008年1月27日 (日)

モーツァルト週間

 今日1月27日は有名な作曲家W. A. モーツァルトの誕生日です.今から252年前,1756年のこの日に,ザルツブルグのゲトライデ通り9番地に今も残る家でモーツァルトは生まれました(このブログの左下にあるブログペットの背景になっているのが,その家です).モーツァルトで町おこしをしているザルツブルグでは,彼の誕生日を中心に,毎年”モーツァルト週間”と題してイベントを行っています.今年のモーツァルト週間は1月25日(金)~2月3日(日)だそうです.”週間”といいつつ会期が10日間あるのは置いといて,毎年このイベントには世界中から大物演奏家がやってくることから,クラシックファンの注目を集めています.ただ,開催時期が真冬で一般の人が休暇をとる時期ではないため,夏のザルツブルグ音楽祭に比べると,お年を召したお客さんが多いというウワサもあります.モーツァルトを愛好する我が家でも,一度行ってみたいと話しているんですが,当分行けそうにありません.

 そんなわけで,モーツァルト週間は無理として,先日盛岡で行われたプラハ国立劇場オペラの歌劇「魔笛」の」公演に行ってきました.プラハ国立劇場オペラの本拠地であるスタヴォフスケー劇場は,プラハでもっとも伝統ある劇場で,モーツァルトが生きていた時代からすでに存在し,有名な歌劇「ドン・ジョヴァン二」や歌劇「皇帝ティートの慈悲」が初演された劇場でもあります(2006年秋に放送された”毎日モーツァルト”の特番で,案内人の山本耕史も訪れていた).

 現在ではモーツァルト関連の旅行といえば,ウィーン・ザルツブルグ・プラハの3都市をめぐるツアーが一般的ですが,この3都市を比較すると,

 ザルツブルグ > ウィーン> プラハ

 という感じで,プラハはザルツブルグ,ウィーンに続く3番手というイメージです.しかし,モーツァルトが生きていた時代に彼の音楽を理解した都市という点では,

 プラハ > ウィーン »……» ザルツブルグ

 という順番になるくらい,熱狂的にモーツァルトを応援していたのがプラハの人たちなのです.それゆえ,プラハの人たちが「モーツァルトはプラハの音楽家」というのも理解できることです.そんなプラハの伝統ある歌劇場の引越し公演ということで楽しみに出かけてきました.舞台の詳細や感想についてはウチのKのブログ(女人心)を参照いただくとして,私個人的には,第1幕の夜の女王のアリア(O zittre nicht, mein lieber Sohn)で,夜の女王が舞台いっぱいに広がる衣装を身にまとって歌っていたのが小林幸子を髣髴させて楽しかったです.

Img294

 (写真) 今回の公演のパンフレットです.

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2007年7月23日 (月)

アロイジア

 当ブログに住み着いているブログペット,名前をアロイジアという.知っている人は知っていると思うが,出典はアロイジア・ヴェーバー,あの天才作曲家W. A. モーツアルトを袖にした女性である.

 父とともにザルツブルグの宮廷楽団で働いていたモーツァルトは,日々の単調な暮らしや大司教の束縛を嫌い,1777年辞職願いを出す.そして母とともに就職活動の旅に出た.モーツアルト21歳のときである.将来への希望で胸いっぱいのモーツアルトだったが就職活動はうまくいかない.最初に訪れたミュンヘンでは宮廷音楽家のポストに空きがなく断られ,その後に訪れたのがマンハイムだった.当時のマンハイムにはレベルの高いオーケストラもあり,モーツアルトの期待も大きかったようだが,ここでの就職にも失敗する.

 しかしこの街で彼は一人の女性に出会う(とはいっても当時16歳だから,少女というべきか).この女性がアロイジア・ヴェーバー,ソプラノ歌手の卵であった.彼女は可愛く,歌もメチャクチャ上手かったらしい.モーツアルトはたちまち彼女の虜になってしまった.翌1778年1月には自分の母親をマンハイムにほっぽらかしにして,なんとアロイジアとキルヒハイムという街に演奏旅行に出かけている(さすがにこの時はアロイジアの父親も同行したため,完全に二人っきり(♥)というわけではなかったらしいが).

Img173 デビュー前のアロイジア

 アロイジアに首ったけのモーツアルトは,自分が就職活動中だということも忘れて,彼女をデビューさせるべく,なんとイタリアへ行く計画を立てる.しかし,故郷の父レオポルトが激怒したため,さすがのモーツアルトも計画を断念,泣く泣くアロイジアを置いて次なる目的地パリに出発したのだった.

 だがパリでの就職活動は失敗し,さらには同行していた母親も病気で亡くなってしまう.失意のモーツアルト,普通ならこの段階でザルツブルグに帰るんだろうが(なにせ母親が亡くなったのである.常識的な日本人なら遺骨を抱いて故郷に急ぐところである),モーツアルトはなんと!アロイジアの下に走った.彼にしてみれば愛しいアロイジアに慰めて欲しかったのだろうか.

 しか~し,すでに歌手としてデビューし,人気上昇中だったアロイジアにモーツアルトはあっさりと拒絶される.何しろアロイジアはまだ10代,気分が舞い上がっていて,無職のモーツアルトなど眼中に無かったのだろう.言ってみれば無名の女子高生が芸能界デビューして人気が出て,昔のボーイフレンドに冷たく当たるようなものだ.

Img175 デビュー後のアロイジア,「ホホホ,あたし女優よ~」というセリフが聞こえてきそうな絵です.

 アロイジアにフラレたのがよっぽどショックだったのだろう,故郷の父に宛てた手紙では,

 「― 今日はただ泣きたいだけです.ぼくの心はあまりにも感じやすいのです ―,― ぼくは生まれつき字がへたです.一度も書き方を習ったことが無いからです.でも,生まれてこの方,今回ほど下手に書いたことはありません.書けないのです.ぼくの心は今にも泣き出しそうです! ―」(モーツアルト書簡全集Ⅳより)

 とメチャクチャ弱気なことを書いている.かくして,

 「就職の失敗,母の死,失恋,様々な痛手を抱えたまま,モーツアルトは一人故郷へ帰っていった」(語り 山本耕史、BGM フルートとハープの協奏曲ハ長調K. 299)

 となったのである.しかしそんなひどい目(まさに泣きっ面にハチを地で行くような話しだ)に会いながらも,その後もアロイジアのために曲を書いたりしているから,モーツアルトってよっぽど器が大きいのか,お人よしなのか(おそらく後者だろう)….アロイジアの方も,モーツアルトが有名になった後,彼の求愛を拒否したことを後悔していたらしい.

 かくして私の中でアロイジアは,とても人間臭くて魅力的な人物になったのである.

Img174 この有名なモーツァルトの肖像画を描いたのが,なんとアロイジアの旦那のランゲ氏なのでした.

Aroisia2 そしてこれが我が家に生息しているチンチラ(♀)のナンネルです.しかし,その気位の高さとワガママぶりから,私は密かにアロイジアと呼んでいます(笑).

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2007年2月16日 (金)

久しぶりの山本耕史

 2006年モーツァルトイヤーに,NHK BSで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっていた(案内人には山本耕史氏が起用されていた).好評だったらしく,NHKにはこの手の音楽番組を続けて欲しいという意見があったようで,2007年にはクラシックのピアノ作品をメインとした”ぴあのピア”という10分間番組をやっている.案内人は昨年上半期に朝ドラ「純情きらり」のヒロインを務めた宮崎あおいさんである.

 この”ぴあのピア”,今月はモーツァルト特集ということで,連日モーツァルトのピアノ作品を取り上げているが,先日2月14日はモーツァルトの結婚(フィガロの結婚ではない 笑)がテーマであった.宮崎さんの語りに続いてゲストが登場するのだが,現れたのは,なんと!山本耕史氏,「モーツァルトは他人に愛を与えることで,自分も幸せになっていく人物なんですよ‥‥」と,熱く語ってくれた山本氏であった(おそらく今の山本耕史は芸能界で1,2を争うモーツァルト通であろう).2月14日に登場というのもバレンタインデーにちなんだNHKの粋な計らいなのだろうか.

 人気俳優の山本耕史氏は民放などのドラマにも良く出ているはずであるが,我が家ではあまりドラマを見る習慣がないため,久しぶりにフレッシュな山本氏を目撃したのだった(今BSでは大河「新選組!」もやっているが,こちらは再放送のためフレッシュではないのだった).

Yamamotokouji_1 昨年暮れにウチのKが懸賞で当てた山本耕史さんのサイン入り写真.

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2007年1月 8日 (月)

モーツァルトイヤーが去って

 モーツァルトイヤーに沸いた2006年が終わり,2007年になって1週間がたった.振り返ってみても本当にモーツァルト三昧の一年であった.1週間たってみて去年と違うことは,朝早起きしても”毎日モーツァルト”がやっていないことである.当然あの山本耕史さんの声も聞けない.考えてみれば,昨年我が家で山本耕史の話題が出なかった日はなかったと思う(うちのKも毎日モーツァルトで山本氏のファンになった).モーツァルトイヤーの終幕で我が家と山本氏を結ぶ線がなくなってしまったのは寂しい限りである(…と思っている矢先に,BSで大河ドラマ「新選組!」の再放送をやることを知った.まだ縁は切れそうにない 笑).

Bach_2 バロックの巨匠J. S. バッハ 

 それにしても「毎日モーツァルト」なんて番組が存在しえたのも,モーツァルトだからである.「毎日~」は10分間番組とはいえ,1年で240回合計2400分(40時間)の大作である.大河ドラマ全編よりも長いくらいだ.これだけ長期にわたって番組が成り立つのも,”作品数が多くバラエティに富んでいる”,”人生に起伏がある”という点が備わっているからである.作品数だけならJ. S. バッハシューベルト(今年はシューベルト生誕210年である)もかなり多いが,バッハは人生にあまり起伏がないし,シューベルトは作品が歌曲に偏ってしまい,とても1年は持ちそうにない.

Schubert 歌曲の王シューベルト.貧しく代用教員をしながら,友人の援助で生活するなど石川啄木的な人です.

 その一方,劇的という点でいえばワーグナーが良さそうだ.ただ作品数が少なく(主要作品は最初の歌劇「リエンチ」から最後の「パルジファル」まで全部で11本しかない),1ヶ月1作品で引っ張らないと1年持たないことになる.またワーグナーの場合,その人生は放浪あり,裏切りありでとても青少年向けではない.ワーグナーはかなりわがままな性格で,同時代の他の作曲家をけなす一方(特にドニゼッティなどイタリア系の作曲家をけなしている),自分に対しては自信過剰なくらいの意識を持った人物であった.さらに彼は親友のハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)を寝取っている(妻を寝取られたビューローはドイツを去った.後に彼は「ワーグナーは作曲家としては天才だが,人間としては最悪の男だ」と言ったという).更にワーグナーは自分に心酔するバイエルン国王ルートヴィヒ2世にタカって,自分の作品を上演するための専用劇場(バイロイト祝祭劇場)まで作らせ,バイエルン王国を破産に追い込んでいる(結局バイエルンの重臣に呆れられて,ルートヴィヒ2世は謎の死をとげ,王国はプロイセンの傘下に墜ちてしまった).

Wagner 親友の妻を寝取り国をひとつ潰したR. ワーグナー

 いずれにせよ「毎日ワーグナー」はドロドロしすぎて(その音楽も含め),朝の番組としてはふさわしくないと思われるのだった(夜11時の番組ならいいかも.番組のタイトルも「裏切り」,「略奪婚」,「国王の変死」,「バイエルン王国の破産」などさわやかさのカケラもないものになりそうだ).

 そんなわけであらためてモーツァルトの偉大さ(健全さ,さわやかさ)を感じる私であった(モーツァルトは他人に裏切られることはあっても,他人を裏切ることはなさそうだ).

 注: 私もワーグナーの音楽は官能的で,素晴らしい側面もあると思いますが…

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2006年12月20日 (水)

三大レクイエム

 NHKの「毎日モーツァルト」,いよいよ昨日からレクイエム 二短調K.626に突入した.この曲はモーツァルト最後の作品となった未完の曲である.レクイエムは別名”死者のためのミサ曲”とも呼ばれる,カトリックの典礼音楽である(歌詞が"Requiem aeternam ~"で始まるためRequiem(レクイエム)と呼ばれる).

 古くから多くの作曲家によって曲がつけられており,モーツァルトのものは特に有名である.俗に”三大~”という言い方(三大うどん,三大鍾乳洞,三大ガッカリ観光地 etc.)があるが,三大レクイエムといった場合

 ① モーツァルトのレクイエム

 ② ヴェルディのレクイエム

 ③ フォーレのレクイエム

以上の3つを指す.三者三様,同じ歌詞(厳密に言えば若干の違いがある)に曲がついているとは思えないくらいそれぞれ特徴のある名曲である(私は東北大混声合唱団時代,①と③はやったことがある).ちなみに五大レクイエムといった場合には,上記3つに”ケルビーニのハ短調レクイエム”,”ベルリオーズのレクイエム”,”デュリュフレのレクイエム”のうち適宜2つが加わる.また,ルネサンス期の作曲家であるオケゲム,ラ・リュー,ラッススのレクイエムも個人的には好きである.さらに変わったところでは,先日仙台に行った際に再会した友人のY氏による”モノラル三大レクイエムなんてのもある.これは,ワルター指揮のモーツァルトのレクイエム,トスカニーニ指揮のヴェルディのレクイエム,フルトベングラー指揮のブラームスのドイツ・レクイエム(尤もこの曲はラテン語のカトリックの典礼文に曲がついたものではないが)の3つを指す.

 いずれにせよ,古今のレクイエムの傑作のひとつであるモーツァルトのレクイエムはまた,多くの謎に包まれた作品でもある.作曲依頼の経緯もさることながら,モーツァルトの死後の補弼の経緯も謎に満ちている.作曲の経緯は1791年夏に匿名の貴族の使いがやって来て作曲を依頼したといわれており,この依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵であることがわかっている.彼は人に書かせた作品を自分の作品として演奏する人物だったらしい(最近では,借金に苦しんでいたモーツァルトを救うためこの依頼が行われたという説もあるが).

Mozreqcor M. コルボ指揮のモーツアルトのレクイエム.個人的には一番好きな演奏です.

 作曲の依頼は受けたものの,この時期モーツァルトは忙しく,歌劇「魔笛」,歌劇「皇帝ティトスの慈悲」,クラリネット協奏曲の作曲に忙殺されている.結局レクイエムの作曲が本格化したのは1791年10月以降であったと思われる(その後もフリーメイスンのための小カンタータK.623を作曲している.この曲が完成されたモーツァルト最後の作品である).この頃既にモーツァルトは過労からか体調を崩していた.作曲は思うように進まなかったであろう.結局彼は11月20日に寝込んでしまい,その後再び起き上がることは出来なかった.

Mozreqhar Mozreqhog

左 1981年当時物議を醸し出したアーノンクールのCD 右 モーンダー版によるホグウッドのCD

 モーツァルトの死因については当時の記録では「急性粟粒疹熱」とされている.これは今で言えば「リウマチ熱」といわれる,溶連菌による感染症である.発熱,関節痛,湿疹や急性腎不全も引き起こす厄介な病気だ(記録でモーツァルトの手足がむくんできたとあるのは,腎不全の症状と考えられる).現代であれば抗生物質による治療があるが,当時はそんなものはなく致死率の高い疾患であった.

 こうしてレクイエムは未完のため遺され(続唱の終曲,ラクリモサ(涙の日)の8小節目が絶筆といわれる),弟子のジュスマイヤーによって補弼されたのである(モーツァルトは必ずしもテキストの順番どおりに作曲したわけではないため,ラクリモサの8小節以後全てがジュスマイヤーの補筆というわけではなく,その後の奉献唱にもモーツァルト自身の曲は残っている).

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2006年12月18日 (月)

レオポルド・ブログ3

 いよいよ毎日モーツァルト(アマデウス・ブログ参照)も大詰めになり,今週は今日「クラリネット協奏曲 K.622」をやって,明日からは最後の曲「レクイエムニ短調 K.626」となる(「フリーメイスンのための小カンタータ K.623」は省略されるらしい 泣).レクイエムに入ってしまうとしんみりしてしまい,とてもレオポルド・ブログなんて言っていられなくなるため,本記事は12月18日中にアップすることにします.レオポルド・ブログ完結篇です.

レオポルド・ブログ

1785年3月28日

ウィーンにて

Mozartfamily こんにちはモーツァルトです.実は今,ウィーンに来ています.

 息子のヴォルフガングから,是非一度来てくれとの誘いがあったものですからやってきたわけです.あの子の結婚には反対しましたが,私にとってはたった一人の息子だし,私も年ですから旅ができる体力があるうちにあの子に会っておきたかったんです.1月下旬にザルツブルグの家を発って,ミュンヘンに一週間滞在した後,先月11日にウィーンに着きました.

 息子の家は町の中心,シュテファン教会の近くという一等地にあります.部屋数も多く,家具も立派なのが揃っていました.なんでも家賃が460フローリンというから驚くじゃありませんか,ザルツブルグの私の家の家賃が90フローリンなのに.あの子の羽振りがかなりいいらしいことはよくわかりました.

 着いたその日の夜には,早速あの子の予約演奏会があり,私も出かけてきました.新作のピアノ協奏曲やアリアなどが演奏されたのですが,演奏は素晴らしいし,会場は超満員!しかも参加した面々はみな有力な貴族ばかりです.演奏が終わった後には,それらの人たちが私のところにやって来て口々に息子のことを褒め称えるのです.とても嬉しかったのですが,反面ちょっと恥ずかしい感じもしました.

 でもね,もっと嬉しかったのは翌12日のことですよ.この日の夕方に,有名なヨゼフ・ハイドン氏が訪ねてきて,私と一緒に息子の新しい弦楽四重奏曲を鑑賞したんですが,その席上ハイドン氏が「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが,ご子息は,私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です」と言ってくれたんです.社交辞令半分としても,天下のハイドン氏にこんな風に言ってもらえるなんて,父親として涙が出るくらい嬉しかったです.

 ザルツブルグ時代と違って,ここでのあの子はとても生き生きしていて,本当に人生を楽しんでいるという感じがします.嫁のコンスタンツェも結構いい娘だし,夫婦仲はとてもうまく行っているようです.昔は私も息子がウィーンに出ることや,結婚することに反対しましたが,今にして思えばこれで良かったのかもしれません.

 ただ,心配なこともあります.あの子は今,ここウィーンでフリーの作曲家として活躍していますが,それが出来るのはウィーンが自由な街で,特にハプスブルグの皇帝ヨゼフ2世陛下が寛容な方だからです.でも陛下に万一のことがあったり,政治的な混乱が起これば,フリーの音楽家なんて真っ先に吹き飛ばされてしまう存在です.現に隣国のフランスではなにやらきな臭いウワサも聞こえてきますし,出来ることなら,どこかに定職を見つけて腰を落ち着けて欲しいものです.

 私も年をとったせいか,最近すっかり愚痴っぽくなってしまいました(笑).来月にはザルツブルグに戻るつもりです.この記事を読んでくれた皆さん.これからも息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを末永く応援してあげて下さい.

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2006年12月14日 (木)

あ,当たった!

 我が家のくじ運は最悪である.宝くじは100円 or 300円しか当たったことはないし,年末の商店街の抽選もポケットティッシュしか当たったことはない.お年玉つき年賀ハガキの抽選も末等の切手シートしか縁がないし,忘年会等の恒例のビンゴゲームでも商品はもらえない.ましてやテレビや雑誌の懸賞など問題外である.

 そんなくじ運最悪の我が家でついに,賞品が当たったのである.それは,NHK BSでやっている10分間番組「毎日モーツァルト」と連動しているブログ,「アマデウス・ブログ」のプレゼント企画である.アマデウス・ブログが日頃のご愛顧に答えて,案内人の山本耕史さんのサイン入りの本(毎日モーツァルトの赤い本)またはポラロイド写真をプレゼントというものであった.うちのKがそれに応募したところ,なんとポラロイド写真が当たったのであった.

Yamamotokouji これが山本耕史さんのサイン入りポラロイド写真です(NHKのスタジオで収録の合間に撮影したと思われます).

 なんで当選したんだろうと素朴な疑問を抱いたのだが,考えてみれば,企画がブログ上で,世間一般の注目を浴びていないことから,テレビ等の懸賞に比較して競争率が低かったことが考えられた.また狙った賞品が本ではなく写真のほうだったことも勝因かもしれない(実は毎日モーツァルト本は既に我が家にあり,同じ本を貰ってもなぁ,と写真を希望したのである).

 何にせよ,我が家で懸賞があたるという初の快挙であった.山本耕史さんのファンであるウチのKは大喜びで,額に入れて家宝にすると張り切っていた(笑).

Shashinget 山本さんの写真をゲットして嬉しそうなKです.

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2006年12月13日 (水)

レオポルド・ブログ2

 レオポルド・ブログの第2弾をお届けします.

レオポルド・ブログ

1781年12月19日

息子が結婚?

Leopord2  こんにちは,モーツァルトです.いやー,困ったことになりました.ウィーンに住んでいる息子,ヴォルフガングのことです.今年の5月にザルツブルグの大司教と大喧嘩をして,ウィーンに行ってしまい,今はクラヴィーアの教師をして暮らしているらしいんですが,その息子からなんと!結婚したいという手紙が来たんです.

 考えてみればあの子も来月で26ですから,結婚しても全然おかしくはないんですが,問題はその相手です.ウィーンに行った当初,あの子はヴェーバー家に下宿していたんですが,どうやらコンスタンツェとかいう,そこの娘とデキてしまったらしいんです.ヴェーバー家には年頃の娘が何人もいて,息子が生活する環境としてふさわしくないと思い,強引に引っ越させたんですが…….

 もちろん私はこの結婚には反対です.息子にはしっかりとした家柄の娘と結婚して欲しいと思っているからです.あの子には音楽の才能があります.でも音楽の才能だけで食べていけるほど世の中は甘くありません.しっかりとした経済的,社会的バックグラウンドがあってこそ,あの子の才能は花開くのです.そのためにも,社会的にしっかりした家の娘と結婚する必要があります.だからこそ,私はあの子が小さい頃から貴族の家に出入りさせたり,人前に出しても恥ずかしくないように礼儀作法を教えてきたんです.それなのに,下宿屋の娘と結婚だなんて…….しかも息子は以前,ヴェーバー家の娘にひどい目にあわされているんですよ(あの子が私の家内と就職活動でパリに滞在中,家内が亡くなった後,失意のどん底にあったあの子を袖にしたのが,アロイージアという,やはりヴェーバー家の娘でした).私は息子をひどい目にあわせたヴェーバー家を許しません.

 そういえば,ヴェーバーの女主人はかなりやり手だという噂を聞いたことがあります.もしかしたらその女主人が,金づるとして私の息子に目を付け,コンスタンツェとかいう娘とくっつけるよう,何か仕組んだのかもしれません.それも大いに考えられることです.

 とにかく,この結婚話,誰が何と言おうとも,私は絶対に許しません.もし,私の許可なく結婚するようなら,もう親子の縁を切ります.

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2006年12月 7日 (木)

モーツァルトとフリーメイスン

 NHK BSの「毎日モーツァルト」も12月5日(モーツァルトの命日)を迎え,いよいよ大詰めに差し掛かった感がある.この日の曲は“アヴェ・ヴェルム・コルプス”であった.なかなかいい選曲といえよう.久しぶりに案内人の山本耕史さん自身が登場するシーンもありKも喜んでいた(秋の例の特番の際に撮影したと思われる,バーデンの広場を語りながら歩くシーンである).

 アヴェ・ヴェルム・コルプスがK.618であり,以後の作品はケッヘル番号で言えば,ドイツ語による小カンタータ(K.619),歌劇「魔笛」(K.620),歌劇「皇帝ティトスの慈悲」(K.621),クラリネット協奏曲(K..622),フリーメイスンのための小カンタータ(K..623)を経て,最後の曲レクイエム(K..626)に行く流れとなる(その他未完のホルン協奏曲ニ長調もこの時期の作品と考えられている).この時期の作品は声楽曲が多く,しかもフリーメイスンのための曲が2曲もあるのが特徴である(K.620の歌劇「魔笛」もフリーメイスンの思想を色濃く反映した作品である).

Mateki2_2ウィーン国立歌劇場での魔笛の舞台(2006年6月).背景のでっかい目はフリーメイスンの真実の目を表しているのでしょう.

 モーツァルトがフリーメイスンの熱心な会員であったことはよく知られている.フリーメイスンはイギリスの石工の組合を元祖とする団体で,自由・平等・博愛を旗印にした結社である.欧米では著名人の会員が多いため,アメリカ独立戦争やフランス革命にもメイスン会員が多く関わっていたといわれている.仲間同士しか知らない秘密の儀式などがあることから,日本では“秘密結社”であるとか,様々な陰謀を働く団体などと考えられている節があるが,実際のフリーメイスンの組織は世界中にグランドロッジが並立しており,全世界のロッジを統括するような組織はない(ロッジというのはその地域のフリーメイスン構成員(フリーメイソンリーという)の集まるところ).お互いのグランドロッジは全て対等で,相互に承認しあうことでフリーメイスンとしての結束を守っているらしい.このためトップの指示で世界中のフリーメイスンが動くなどということはありえないそうである(フリーメイスン自身は自らを非公開団体と称している).

Mateki1_1賢者ザラストロはフリーメイスンの知恵の象徴です.私もザラストロのような人間になりたいですが,まだまだ修行が足りません(笑).

 そして昨日12月6日に「毎日モーツァルト」で取り上げられた曲が,フリーメイスンの曲であるドイツ語による小カンタータ K.619であった.これはレーゲンスブルグのロッジの依頼で作曲された曲である.実は我が家には「NHK毎日モーツァルト」という番組の本があり,この巻末に番組の放送予定と取り上げる曲が載っている.それによると,当初この小カンタータK.619は予定になかったようである.出版後に変更になったのであろう.深い意味はないと思うが,世の陰謀論者達が「これはフリーメイスンがNHKに圧力をかけて,急遽放送させたに違いない」と言い出すのではないかと不安である(笑).

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