2024年9月29日 (日)

コンサートに行ってきました

461092540_1069819744499576_2113045157445  この土曜日、市内で開催されたコンサートに出かけてきました。

 これはWindhoek Männerchorという男声合唱団主催のコンサートで、これにLet's Sing Vocal Ensembleという合唱ユニットが共演する形のものです。日本にいた頃から合唱を趣味の一つとしていた私ですが、こちらではそうしたイベントが少ないため、このコンサートの存在を知った際に是非行ってみようと思った次第です。ちなみにMännerchorは日本ではメンネルコールと発音され、○△メンネルコールなど、この名前をを冠した合唱団は数多くあります(当たり前ですが全て男声合唱団)。

Img_3895  会場は市内南部のOlimpia地区と呼ばれるところ、普段週末に買い物に出かけるショッピングモールに近いところです。開演は19時ですが会場はその前から開いていて、併設のバーで飲食ができるようになっています。見るとビールやワインもあります。しまったタクシーで来るんだったと後悔した私でした(お酒は諦めてコカコーラにした 笑)。

Img_3896  時間になり開演、まずは主催者の挨拶から。主催合唱団Windhoek Männerchorは当地のドイツ系の人々がやっている団体のため、基本的にドイツ語です。今回はフルートとバイオリン、トランペットも参加していました。演奏曲目はドイツ民謡をはじめとしたドイツ語の曲が中心です(指揮者の方がアレンジした作品が多かった)。途中「みんなで歌おう」という企画があり、主としてドイツ民謡でしたが、知っている曲もあって良かったです。前半の締めに共演団体のLet's Sing Vocal Ensembleが参加して合同演奏、ビゼーのカルメンからいわゆる「ハバネラ」と呼ばれる部分を合唱に編曲したものでした。

Img_3897  休憩を挟んだ後半はLet's Sing Vocal Ensembleのステージ、ここは男女9名のユニットでイメージとしてはThe Swingle Singersを意識しているかもしれません。選曲はポップス系やナミビアの民族音楽など幅広い作品を扱っているようでした。最後は再び合同演奏で締められて終演となりました。コンサートというもの自体が久しぶりだったため新鮮な気分で家路につきました。

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2024年9月11日 (水)

合唱活動を再開しました

 実は縁があって先月下旬から当地の合唱団に加えていただきました。Cantare Audire Choirという当地のドイツ系コミュニティーの人たちが中心に活動している合唱団です。

 日本では学生時代からずっと合唱活動に取り組んでいた私ですが、さすがにアフリカの首都でも人口が30万人くらいしかいないような土地で合唱活動なんてあるのかと思っていたんですが、当地は過去にドイツの植民地だった関係でドイツ系の住民が多いこと、ルター派の教会があることなどから他のアフリカ諸国に比べれば、合唱の下地はあるようです。この合唱団の存在を知ったのは昨年12月で、ちょうどクリスマスコンサートを開いていて、ナミビアにも合唱団があるんだなと思っていました。そして先日合唱団のfacebookにて新入団員募集のお知らせを見て申し込んだという流れです。

Img_0057_20240921151801 Img_0058_20240921151801  練習は週1回、日本の一般合唱団と同じです。現在は今年のクリスマスコンサートに向けて練習しています。曲目はヴェルディの聖歌四編からAve Maria、ブラームスの宗教的歌曲作品30など、特にヴェルディのAve Mariaは謎の音階と呼ばれる不思議なモティーフが特徴の曲です。昔から知っていて興味深い曲ですが、この年になるまでやったことがなかったという作品です。思いがけず取り組めることになりとても楽しみです。

 結論として、合唱っていいなと改めて感じています。

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2024年6月15日 (土)

ドイツ旅行③

 一夜明け6月7日になりました。この日は基本的にドレスデンからライプツィヒに移動する日程になります。朝起きて朝食を食べてから荷物をまとめてチェックアウト、そのまま中央駅やや西側にあるBusparkplatz Ammonstraßeという場所に向かいます。ここはBusparkと付くようにバスターミナルのようなところです。そう、この日の移動は高速バスなのでした。ただ日本のバスターミナルと違ってコンビニなどの入った建物や掲示板などは全くなく、放送も無いので自分が乗るバスは自分で探さなければなりません。バスがやってくるたびに番号を確認するのですが、うっかり間違えるととんでもないところに連れて行かれる可能性があるので注意が必要です。それでも大体時間通りに我々の乗る番号が掲示されたバスがやってきて無事に乗り込んだのでした。

Img_2798(写真1)ドレスデンのバスターミナル

 係員が車内確認(おそらく予定された人間が乗っているか)の後出発、しばらく市街地を走った後高速道路に入ります。ドイツの高速道路と言えば、アウトバーンの名前と共に法定最高速度が無いことで知られています(実際には制限速度が設けられている区間もあるらしい)。片側2~3車線の快適な道路をバスは快調に飛ばしていきます…

Img_2801(写真2)渋滞…

 が、ライプツィヒまで3分の1ほど行った先で急に渋滞が発生してしまいました(泣)。Googleマップで調べると、この先10キロくらい渋滞しています。その先はスムーズなようなのでおそらくは事故渋滞なんだろうと想像しました。当初1時間半で着くはずでしたが、この渋滞で結局3時間近くかかってしまい、ライプツィヒ中央駅に着いたのはお昼過ぎでした。

 駅前のバス停からこの日宿泊のホテルに向かいます。今回はなるべく中央駅に近い場所をというわけで、駅西口目の前にあるBest Westernという中級ホテルになりました。まだチェックインには早いかなと思ったのですが、もう部屋を使っていいということで中に入ります。荷物を置いて少し休んだ後は昼食を兼ねて中央駅に繰り出しました。ライプツィヒ中央駅はホームが10以上あるドイツ有数のターミナル駅です。1990年代のドイツ統一後再開発が進み、今は駅構内にたくさんの店舗が入ったショッピングエリアにもなっています。当然レストランもたくさんあって悩むんですが、結局イタリアンの店になりました(パスタとワインをいただいた)。食事後も駅構内を散策したんですが、あちこちにバッハの愉快な像が建っています。さすがバッハ音楽祭と感心したのでした。

Img_2810 Img_2805(写真3,4)愉快なバッハ像

 その後は一旦ホテルに戻ったあと、トラム(路面電車)を利用してトーマス教会へ、バッハ音楽祭はこの日が開幕で我々はオープニングコンサートのチケットを取っていたからです。トーマス教会はバッハが人世の後半を過ごした教会で、今に残る著名な教会音楽作品の多くがこのライプツィヒ時代に作曲されました。まさにバッハの聖地という感じで、普段から大勢の観光客がやってくるんですが、この日は音楽祭ということでいつも以上に賑わっていました。

Img_2829(写真5)トーマス教会

 開演30分くらい前に教会に入場、ここにはかつて2013年に演奏旅行で来たことがあります。普通のコンサートだと入り口の奥にステージが設けられてそこで演奏というパターンが多いんですが、トーマス教会は聖歌隊や器楽の席は上の階に設置され、地上階の聴衆からはその姿が見えないという特徴があります。これによって独特の響きができあがることになります。

Img_2819 Img_2822(左写真6)チケット、(右同7)教会内部

 時間になってコンサートの開始、この日のプログラムは前半はバッハのオルガン作品や独唱カンタータ、後半はベルクのヴァイオリン協奏曲とメンデルスゾーンの詩篇42編(ラテン語だとSicut cervus desiderat)が演奏されました。バッハ音楽祭のオープニングにメンデルスゾーン?という向きもあるかもしれませんが、メンデルスゾーンはバッハを再発見した人物であるのに加え、バッハの教会音楽に大きな影響を受けた作曲家なのです。途中休憩も無くコンサートは終了、ナミビアに移ってからこういうイベントとは無縁の生活を送っていただけに感慨もひとしおでした。

 終演後はまだ外が明るかったこともあり徒歩でホテルに移動、一休みした後夕食に繰り出したのでした。

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2024年3月31日 (日)

再び東京へ

 休暇第2クール(第2クォーター)は実家で過ごしていたのですが、週末の3月30日は再び東京に出ました。目的は合唱団のはしごです(笑)。お昼に東京駅に到着、この日は八重洲口近くのホテルだったので、まずは荷物を預けそのまま昼食のために歩いて銀座に向かいます。最初行きたかったイタリアンレストラン”スケベニンゲン”が残念ながら臨時休業だったので、予定を変更して東銀座の”俺のフレンチ・イタリアン”に行きました。メニューを見ると牡蠣がお勧めとあります。ナミビアでいつも生牡蠣を食べているので、日本では牡蠣は食べないだろうと思っていたんですが、お勧めとあれば食べるしかないと注文します。メインはこちらもお勧めの渡り蟹のトマトクリームパスタ、スパークリングワインも注文したのは言うまでもありません(笑)。どちらも美味しかったです。

Img_1555 Img_1557  食事後は地下鉄で蔵前へ、14時からここで東京マドリガル会の例会に参加します。同会は2008年に私が関東に越してきたタイミングで誘われて参加した団体です。専ら英国マドリガルを歌い研究する目的の団体で1929年創立の老舗団体です。ただ会員の高齢化と長年会を引っ張ってくれた黒沢宏さんが亡くなったこともあり、近年はコンサートは行わず、例会(同会では練習とは言わず例会という)でアンサンブルを楽しむことをメインにするようになっています。大体月一位で活動しているのですが、今月は私の帰国に合わせていただきこの日の開催となったものです。英国から出張で来日していて参加した会員もいたりと久しぶりに充実した例会となりました(そういえば写真がない💦)。

 その後夕方からは赤坂に移動、今度は東京21合唱団の練習にお邪魔します。この合唱団は毎年テーマを決めて活動しているんですが、今年のテーマはマニフィカト、日本語に訳せば「わが心、主をあがめ」という聖句です。8か月ぶりの参加でしたが温かく迎えていただきました。練習後は恒例の中華屋さんでの懇親会、この日は団員に関するサプライズなお祝い事もあったりと大いに盛り上がりました(そういえばこちらも写真がない💦)。それにしても合唱っていいなと再認識したのでした。

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2024年2月29日 (木)

ロッシーニの誕生日

 今年はうるう年、すなわち約4年に一度2月29日が存在する年です。で、この2月29日生まれの著名人に19世の作曲家G. ロッシーニがいます。彼は1792年のこの日にイタリアのペーザロ市(当時は教皇領)で生まれました。彼の生家は本業ではないものの音楽一家で、彼自身も小さいころから音楽の才能があったようです。18歳で最初のオペラを作曲し、20代で「アルジェのイタリア女」、「セビリアの理髪師」、「チェネレントラ」といった今でも名高い傑作を次々に発表し当時のウィーンで大人気となりました。彼の人気があまりに凄いので、同じ時期ウィーンにいたベートーベンも嫉妬していたとされています。

Rossini1 Rossini2(写真左)晩年のロッシーニ、(同右)若い頃のロッシーニ

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送った人でもあります.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつかの作品は遺しています(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).

 ロッシーニの名前は音楽だけではなく、料理の世界にも残っていますが、残念ながらナミビアにはフランス料理店と呼べる店がなく、今は〇△のロッシーニ風という料理には縁がないのが寂しいところです。

Img_6 Mukaka(写真左)牛フィレ肉のロッシーニ風、(同右)無花果のロッシーニ風

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2023年12月 4日 (月)

クリスマスコンサート

Img_0776  前回の記事でナミビアでは師走の空気を感じないと書いたのですが、日本と同じように存在するものにクリスマスがあります。

 日本だと教会云々が無関係な印象のクリスマスですが、当地はキリスト教徒が多いお国柄もあり、むしろヨーロッパと同じような正統的な(?)クリスマスです。スーパーにもクリスマス飾りも並んで華やかな商戦が行われているののも同様ですが、やっぱりクリスマスをイメージするもみの木や雪といったものが無縁な南半球ですから、そこはちょっと微妙な感じがします。

 そんな当地ですが、この週末クリスマスコンサートがあったので行ってみました。主催はCantare Audire Choirというドイツ系の合唱団、ドイツ大使館の後援やナミビア国立オーケストラメンバーの賛助出演もあります。楽器のコンサートは先日スワコプムントで体験しましたが、声の入ったコンサートは当地では初めてです。

Img_0744 Img_0777  プログラムは第1部がアカペラのクリスマスキャロル、第2部がサン=サーンスのクリスマス・オラトリオというまさに正統的なクリスマスコンサートです。合唱団は規模的に日本で自分が所属していた東京21合唱団を思い出しました。サン=サーンスもよかったですが、特にアカペラの演奏はこれが合唱だよなぁと改めて感無量となりました。12月に入ったばかりなので、クリスマス本番にはまだ早いのですが、基本的に当地ではクリスマスの時期は旅行に行く人なども多いため、こうしたアマチュア団体のクリスマスコンサートは微妙にクリスマスとはずれるのだと思われます。

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2023年11月20日 (月)

スワコプムントのコンサート

 さて、パリ出張から戻った翌週はスワコプムントの教会で開催されたコンサートに行ってきました。

 スワコプムントは首都のウィントフックからほぼ真西に350キロ、大西洋に面した町、15年前にナミビアに観光に来た際にも立ち寄っています。350キロといえば東京から仙台、あるいは名古屋に相当する距離となります。新幹線の速達タイプを利用し時速300キロで走れば1時間半の距離ですが、当地にはそんな便利なものはないため基本的に自動車での移動になります(スワコプムントの隣町ウォルビスベイには空港があり、数少ないながらも空の便はある)。ナミビアには日本のような高規格自動車専用道路はありませんが、平地が多くて基本道がまっすぐなのと、人口が少なく交通量が圧倒的に少ないため、一般道とはいえ時速100~120キロで走れます。このため途中休憩をはさみながら走ってもだいたい4時間あればつく距離です。

 こちらに来てから、観光でウィントフック以外を訪れたのは9月末のエトーシャ国立公園でしたが、この時はガイド兼運転手を雇ってのものでした。今回は初の自力での観光となったわけです。スワコプムントのコンサートは、当地のドイツ大使館の後援によるもので、ナミビア国立オーケストラのメンバーによる弦楽四重奏曲のコンサートでした。こちらに来てから生の演奏会に飢えていた(笑)ため、うわさを聞いて以来ぜひ行こうと思っていたのでした。

 そして11月18日朝9時ごろに自宅を出発しました。Google Mapを見るとウィントフックースワコプムント間はまっすぐ西に向かう道路と、いったん北上してオカハンジャという街から回り込むような形になている道路があるのですが、真西のルートは途中の多くの区間が砂利道(当地風に言えばグラベルロード)となっているため、後者のルートの方が若干距離は遠いですが早く着きより安全なのでした。

 舗装された道路を特に渋滞することもなく走ります。日本ではこういう長距離路線にはパーキングエリアとか道の駅とかがあり、そこで休憩できますが、当地の道にはそうしたものはなく、代わりに木陰にベンチがあるだけの休憩スポットが定期的にあります。ただトイレがないため、トイレ休憩しようと思えば、町のガソリンスタンドを利用するか、青空トイレ(笑)ということになってしまいます。オカハンジャースワコプムント間は町らしい町が少ないため、町があればそこでガソリンスタンドによるというのが基本です。今回はウィントフックとスワコプムントの中間地点にあるカリビブ(ナミビアのバラン星と呼んでいる 笑)という町のスタンドで給油&トイレ休憩としました。

 予定通り4時間でスワコプムントに到着、町中にあったケンタッキーで昼食を取ります。ただコンサートまでまだまだ時間があったことから、隣町のウォルビスベイにフラミンゴを見に行くことにしました。実は15年前もフラミンゴ目的で行ったのですが、運が悪かったのかフラミンゴが一羽もいないという状況だったため、そのリベンジがしたかったのです。

 車で南下すること40分、フラミンゴがいそうな海辺に到着です。車を停めて行ってみると… おおっ!フラミンゴがたくさんいます。全盛期の何割なのかはわかりませんが、15年前は0でしたから、その時とは比較にならない数でした(よく見るとフラミンゴは一種類ではなく二種類います)。

Img_0580 Img_0583  フラミンゴ鑑賞の後はスワコプムントに戻り、まずはホテルにチェックインです。今回宿泊するのはドイチェスハウスという15年前にも泊まったホテルです。懐かしいからここにしたというのもありますが、実はコンサート会場がこのホテルの真裏にあるという近さからでもありました。15年前の記憶がだいぶ薄れていましたが、そんなに変わっていなかったように感じました(部屋のキーがカード式になっていたのは明らかな違いですが)。

Img_0595 Img_0596  しばし休んだのち、コンサートに向かいます。会場は教会なんですが、正確にいうと聖堂ではなく付属の青少年ホールです。入場無料なのでそのまま中に入るとすでに多くのお客さんが来ていました。ほとんどが白人でドイツ語を話していました。ナミビアはかつてドイツの植民地だった歴史があり、今でもドイツ系住民が多く暮らしています。スワコプムントは国内でもドイツ系コミュニティが大きい町らしく、今日来ている人たちはまさにそうなんだなぁと思いました。

Img_0597  時間になりコンサートの開演です。曲目はハイドン、モーツァルト、ベートーベンという古典派3巨匠の弦楽四重奏曲です。特にハイドンの通称「皇帝」と呼ばれる弦楽四重奏曲はその第2楽章が現在のドイツ国歌(当時はオーストリア国歌)の元ネタの変奏曲であることも、ドイツっぽさがより強く出ていたなと感じました。そのほかのモーツァルトやベートーベンも聞きごたえがありました(一方で楽章ごとに拍手が入ってしまうことなどからは地方のコンサートの限界を感じます)。

 終演後はホテルに戻りレストランへ、スワコプムントの海鮮に舌鼓を打ちました(海鮮スープが旨かった)。

Img_0598 Img_0599(写真)海鮮料理

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2023年5月 7日 (日)

春のマチネコンサート

Img20230515_08025045  このGWはこれまで比較的おとなしめの行動をしているビザンチン皇帝ですが,連休終盤の5月6日は東京日暮里のサニーホールで開催された春のマチネコンサートを鑑賞してきました.

 これは若手音楽家(声楽5名,器楽1名)のユニットによるコンサートです.私にとっては構成員の半数が知り合いというなじみ深すぎる演奏会ということになります.コロナ禍の2020年秋に続き2回目のコンサートでした.

 曲目は合唱2曲,日本やドイツ歌曲,そしてオペラのアリアや重唱です.特にオペラは自分の大好きなジャンルなのでワクワクしながら鑑賞しました.合唱2曲は谷川俊太郎作詞・木下牧子作曲の「春に」と岩間芳樹作詞・新実徳英作曲の「聞こえる」で,これらはいずれも医師会合唱団で取り上げたことのある曲だったので感慨深いものがありました.会場では見知った方々も多く,コロナ禍で途絶えていた交流もできました.

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2023年5月 4日 (木)

二期会バッハ・バロック研究会

Img20230505_08222137  GWも深まってまいりました(笑).5月3日の日中は上野の東京文化会館小ホールで行われた二期会バッハ・バロック研究会20周年記念コンサートに行ってきました.二期会というとオペラのイメージがありますが,こうしたバロック音楽の活動も行われています.声楽一般に言えることですが,ここんもコロナ禍で演奏会が開催できず,今回は4年ぶりの公演となりました.

Img_08042 Img_08062  演奏されたのはシュッツやブクステフーデといった初期・中期バロックからテレマン,バッハの後期バロックのアリアや二重唱です.普段こうした分野の研鑽を積んでいる方々の演奏は染み渡るものがありました.あと、東京文化会館は大ホールはちょくちょく来ていましたが,小ホールは初めてでいいホールだなぁと思いました.

Img_08082 Img_08142  終演後は時々行く音威子府TOKYOさんへ.定番の国稀や各種料理に加え,この日は限定メニューの「しん・おといねっぷそば」をいただきました.このメニュー,公式Twitterの初出が4月1日で,エイプリルフールのネタかと思っていたんですが、本当にあったことに感動しました.

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2023年4月30日 (日)

ヨハネ受難曲演奏会

Img20230505_08234974  今日から大型連休,人によっては9連休という人もいるようですが,自分の場合は間にちょこちょこ当直が入ったりするのでこの期間中はそれほど休みではありません.とはいえ初日の29日は仕事がないため昼から出かけていました.向かった先は千葉県白井市,ここの文化会館で開催されたK.M.C.(柏メサイア・クワイア)によるバッハのヨハネ受難曲公演を鑑賞するためです.ここの合唱団には知人が何人か参加しているという縁もあります.

 同じ南関東でも千葉県はあまり来る機会がないところです.その位置関係もよくわからないので白井市と聞いてもピンとこないのですが,全国で最も運賃が高いと揶揄される北総線の沿線と聞いて何となく場所がわかりました.北総線の白井駅から徒歩で会場に向かいます.周囲は完全に住宅地の面影でした(途中で昼めしをと思っていたんですが,飲食店などまったくなさそうな感じ).

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(左)白井文化会館,のどかな風景が広がります.(右)会場の様子

 ヨハネ受難曲はマタイ受難曲やロ短調ミサ曲とならぶバッハの代表作ですが,マタイと違って演奏時間が2時間と短いこともあり,あまり疲労することなく鑑賞できるのが魅力です.ソリストにはよく知った方もいたのですが,特にアルトの谷地畝さんは素晴らしかったです.

 終演後は電車で都心に引き返し合唱団の練習に参加,その後懇親会にも顔を出して最終の新幹線で帰宅したのでした.

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