2025年12月22日 (月)

内閣制度140年

 今日12月22日は日本で内閣制度が始まって140年目の記念日だそうです。

 内閣創設140年で式典 高市首相ら三権の長が祝う

 日本の政治制度は7世紀の大宝律令以後は太政官制と呼ばれる制度が続いていました。途中の平安時代には本来律令制度にはない摂政や関白といった者が権力を握ったり、さらに武家政治の時代になると鎌倉時代、室町時代、江戸時代と時代が下るにつれて制度は形骸化していきました。

 しかし明治維新によって王政復古の大号令が発せられ、摂政・関白・幕府が廃止され、旧来の太政官制を近代国家に合うように改造して政府機能を持たせることになりました。この制度が17年続いた後、1885年12月22日に内閣制度に変わり、以後140年日本の政府機能はこの内閣制度に依っています。太政官制と内閣制の大きな違いはその名称もそうですが、慣習として公卿しか就任できなかった太政大臣に対して、内閣総理大臣は身分にかかわらず就任できる点があります。

 ただ当時はまだ、議会はおろか憲法すら制定されていなかった時代であり、今の内閣制度とはその性格が大きく異なっています。当初の内閣制度は各国務大臣がそれぞれの担当分野について天皇を補佐するという形で、行政権はあくまでも天皇にあるという建前でした。この時代の総理大臣の権限は小さく、各国務大臣の任免権もないため、閣内で意見が一致しない(閣内不一致)とたちまち総辞職に追い込まれるような状態でした。

 その後明治40年(1907年)に法律が改正されて総理大臣の権限が一部強化されたほか、大正から昭和初期には、衆議院の第1党の党首が内閣総理大臣に就任するという、現在に近い形ができた時代もありました(政党政治)。しかし政党政治は腐敗に陥り国民の信頼を失うと、代わって軍部が台頭し第二次世界大戦に至ります。戦後日本国憲法が制定されると現在の内閣制度となり、今に至っています。初代総理大臣の伊藤博文から数えて今の高市早苗さんは104代目にして日本憲政史上初の女性総理となります。ちなみに高市内閣の平均年齢は59.4歳だそうですが、初代の伊藤内閣の平均年齢は46.2歳と非常に若かったことが知られています。内閣制度の始まりは明治18年、明治維新期を主導した青年層がそのまま内閣を作ったというイメージです。ちなみにこの時、明治天皇は33歳、江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜は48歳です。国全体が若かったんですね。

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2025年2月27日 (木)

ヌヨマ元大統領の葬列

 今月9日未明に逝去したナミビア共和国初代大統領 サム・ヌヨマ博士、その国葬が今週末に行われるのに先立ち、この日は彼の棺が市内各地を回るイベントが行われました。昨年のガインゴブ第3代大統領の時と同じく、今回も学校は休みとなったようです。その棺が通過する瞬間を目撃できました。

 明日3月1日はインデペンデンス・スタジアムにて追悼のセレモニーが、明後日3月2日は郊外の英雄の丘で埋葬が行われます。

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2025年2月 9日 (日)

ナミビア初代大統領の逝去

Nujoma  2月9日未明、かねてより病気療養中だったナミビアの初代大統領サム・ヌヨマ博士が95歳で亡くなりました。

 ナミビアはアフリカ諸国の中でも独立が遅く、それが実現したのは1990年のことでした。19世紀後半にドイツ領南西アフリカとしてドイツの植民地となった当地でしたが、第一次世界大戦でドイツが敗れたことから、戦後成立した国際連盟によって南アフリカの委任統治領となり、同国の影響下に置かれることになりました。そして第二次世界大戦後に国際連盟が解散したことを受けて、南アフリカはナミビアの併合を宣言し同国の一部であると主張します。ただ国際的には受け入れられず、さらには当時南アフリカが推進していたアパルトヘイト政策への批判と併せて、南アフリカの国際的な孤立へと繋がっていきます。

 1960年代からナミビアの独立運動が始まり、南西アフリカ人民機構(SWAPO)がその中心となります。1980年代に入り南アのアパルトヘイト政策の後退にあわせて独立運動も盛り上がり、19903月21日に独立が達成されました(南アのアパルトヘイトの撤廃が1991年、ネルソン・マンデラの大統領就任が1994年とナミビア独立の動きと連動しているのが分かります)。このナミビア独立運動を指導し、独立後初代大統領となったのがサム・ヌヨマ氏でした。まさにナミビアにとっては独立の英雄というわけです。彼は2005年まで大統領の座にあり、その後引退しました。

 ナミビアは独立後現在のムブンバ氏で4代目になりますが、アフリカにありがちな法を無視した政権運営やそれに反発するクーデターなどの政治動乱が一度も無く、政治的に安定しているといわれます。これは歴代大統領がすべてSWAPO出身の同年代で独立闘争時代の同志であったことが大きいのかもしれません(維新の志士が政府高官となった明治政府に似ているとも感じます)。

 ナミビアでは昨年の今頃、現役の大統領だったガインゴブ氏が亡くなり国葬が行われました。ヌヨマ氏もすでに引退した身とはいえ、独立の英雄であることを踏まえれば、ガインゴブ氏と同レベルの国葬が行われることは間違いありません。

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2024年12月17日 (火)

デリーの大気汚染

 最近インドのデリーの大気汚染がひどいという話を聞きました。どのくらいひどいんだろうと思って、そうしたアプリで調べたところ、なんと!

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AQIが4桁の場所があります!

 大気汚染を表す指数として近年使われているのがAQIです。Air Quality Indexの略で日本語では大気質指数と呼ばれています。空気中に含まれる様々な有害物質(オゾン、PM10、PM2.5、一酸化炭素、二酸化硫黄、二酸化窒素)の濃度を指数化したものです。指数は有害物質によって違いがありますが、おおよそ

50未満   問題なし

51~100  非常に敏感な人は注意

101~150  心疾患や喘息がある人は注意

151~200  心疾患や喘息のある人、子供、高齢者はかなり注意

201~300  上記の人は屋内避難、それ以外もかなり注意

301~500  全員屋内避難

 となっています。ひどいところでもせいぜい300から500程度までしか想定していないのですから、4桁というのがいかに異次元なものか分かると思います。現地に在住している方の話では、事務所のドアや窓を閉めきって空気清浄機をフル回転させてようやくAQI200程度とか、会議の際は全員N95マスク着用が呼びかけられているとのことです。SNS上の知り合いの方によると、デリーには市内あちこちにゴミ溜め場があり、時々そこが燻って不完全燃焼した煙が発生しているという話を聞いたので、冬季という時期的要因にそうした環境要因が加わって、この恐ろしい数字になったのかと推測しています。ちなみに私のいるウィントフックは79、実家のある盛岡市北部は44のようです。

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2024年11月15日 (金)

Wagyuのイベント

 ナミビアは牛の飼育が盛んな国です。国土の大半が砂漠という気候から、穀物など食料の多くを輸入に頼っていますが、牛肉だけは別で各地で飼育されています。そんなナミビアの畜産界で最近話題なのが今回のテーマ "Wagyu" です。日本語の響きから分かるように、要は和牛です。牛種はもちろん日本由来なんですが、当地に持ち込まれてWagyuの名前で飼育されています。日本とは気候や飼料などの飼育環境が違いますから、全く同じ物になるはずはなく、日本のものに比べるとサシは控えめで赤身が多い印象があります。とはいえ現地の牛肉に比べると柔らかくてジューシーではあります。当地でも一部のレストランでステーキなどとして供されています。

Img_4082(写真1)Wagyuイベント

 そんなナミビアのWagyu飼育促進のイベントに参加する機会がありました。集まっていたのは当地の農業関係者や金融関係者です。Wagyuの魅力(付加価値が高い)を紹介する一方で、飼育には手間がかかることから資金面が重要であり、融資も大切だというような話をしていました。現在は流通量が少ないため国内メインですが、今後飼育量が増えれば輸出も視野に入れているようです(とはいえ、日本の和牛とは同じステージでは戦えないため、メイン市場はヨーロッパとのこと)。

Img_4076 Img_4079(左写真2)Wagyuの寿司、(右同3)バーベキュー

 イベントの最後にはWagyuの試食会も。オードブルに登場したWagyuの炙り寿司は美味しかったです。一方でメインのWagyuのバーベキューの方ですが、文化の違いといってしまえばそれまでですが、日本人的にはせっかく上質の肉なんだからバーベキューではなく、鉄板で焼くなどすればいいのになと思ったのでした。

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2024年10月18日 (金)

在外選挙

 日本では10月9日に衆議院が解散され、27日に総選挙が実施されます。国内の有権者は当日に投票所に行って投票するか、それ以前に期日前投票をするのが一般的です。ただ私のように在外に生活している場合は投票のためだけに帰国するというのは現実的ではありません(というかそもそも住民票を抜いているため投票券がない)。

Img_3932  そんな在外居住者(税制関係では非居住者というらしい)のための制度が在外投票制度です。これは所定の手続きを行うことによって、居住する地域の在外公館で投票ができるという制度です。ただし全ての選挙に投票できるわけではなく、国政選挙(衆議院、参議院)と最高裁判所判事の国民審査は投票できますが、地方議会選挙や首長選挙には投票できません。ちなみに投票する選挙区は直前に住民票のあった選挙区になります。

 で、今日在外投票をしてきました。会場には係員や立会人などがいて、投票用紙を受け取り別室で記入、指定された封筒に入れて投票を行います。イメージとしては国内の期日前投票に近いのですが、ひとつ決定的な違いがあります。

 それは締め切り

 国内の期日前投票は投票日前日までできますが、在外投票の場合はまったく違います。これは記入された投票用紙を選挙当日(すなわち10月27日)までに当該の地域の選挙管理委員会に確実に届ける必要があるため、その移動日があるからです。当地で実施された投票用紙は係員の手によって南アフリカに運ばれ、そこに集まったアフリカ南部地域他の国の投票用紙と一緒に、また係員によって日本に運ばれることになります(投票用紙は非常に重要なものであり、紛失などのリスクを極力減らすため人間によって運ばれる)。

 そんなわけで当地での投票締め切りは早く、実際の選挙よりも8日も早い10月19日となっていました。国民の貴重な権利である一票を大切に行使したいものです。

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2024年8月15日 (木)

岸田首相の不出馬

 今日は終戦の日、当ブログは基本的に政治的な話題を扱わないのですが、この日だけは例外にしていることが多いのでお許しを。話題は昨日岸田総理大臣が来月行われる自民党総裁選に出馬しない意向を表明したというニュースです。

 自民党という一政党の党首と、日本の行政機関の長である内閣総理大臣は基本的に別物ですが、日本では政権与党最大政党の党首が内閣総理大臣になることが一般的であるため(村山富市氏など例外はある)、今期で自民党の総裁を退くということは、自動的に内閣総理大臣は辞任するということになります(過去には総理総裁分離論なんているのもあった時代もあるが)。いわゆる裏金問題などで世論の批判を受けたことから、そのけじめを付けるためということのようです。このタイミングになったのは、国会が閉幕し主要な外交日程が一段落したことからと思われます。その評価は人によりけりでしょうが、少なくとも外交安全保障政策に関してはよくやっていたと思います。

Img_0042  ちなみに今日のナミビアの英字紙Sunの国際面にこのニュースが載っていました。ロイター通信による記事ですが、興味深かったのが上智大学の中野晃一氏の話として、「自民党の現職総理は、勝利が確実でなければ総裁選に出馬できない。相撲の横綱と同じ、活だけではなく優雅に勝たなければならない」という話です。そういえばそうだったかなと思い調べたら、たしかに現職総理が出るときは無投票になることも多く、基本は無風なようです(ただし自分も記憶のある福田赳夫総理の時の総裁選は予備選で福田氏が大平氏に敗れて本戦に出なかったというケースがありましたが、これが勝利が確実でなければ総裁選には出られないの実例なのでしょう)。

 そんなことを考えた2024年8月15日でした。

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2024年2月26日 (月)

2・26事件

Image_2  今日は2月26日,日本の近現代史上に残るクーデター未遂事件である「2・26事件」が起こった日です.

 1936年(昭和11年)2月26日,折からの不況や政財界の腐敗に対して強い不満を抱いていた陸軍の青年将校らが「昭和維新」のスローガンのもとにクーデターを決行,当時東京に駐屯していた歩兵第1連隊,歩兵第3連隊らの兵を率いて,彼らが君側の奸とみなしていた時の内大臣齋藤実,大蔵大臣高橋是清,教育総監渡辺錠太郎らを殺害,侍従長だった鈴木貫太郎(後に終戦時の総理大臣となる)に重傷を負わせるとともに,首相官邸や陸軍省,参謀本部,警視庁といった日本の中枢機関を占拠した事件です.この時首相官邸では総理大臣岡田啓介も襲撃を受けましたが,クーデター側が最初に襲撃して殺害した義弟松尾伝蔵を岡田と誤認したために危うく難を逃れ後に救出されています.

 表面的にみれば世相に憤慨した青年将校による崛起ということで,幕末期の尊王攘夷運動を彷彿させる話ですが,実際には事件の背景として当時の陸軍内にあった派閥抗争がありました.すなわち彼ら青年将校の義憤を利用した陸軍中枢の権力闘争が背景にあったわけです.具体的には陸軍内で皇道派と呼ばれる財界や政治家の介入を配した国家体制を実力に訴えても作ろうという派閥と,主として陸軍大学校出の中堅エリートが主体となったより合法的な手段での軍事優先国家形成を目指す統制派との対立です.青年将校たちの背後にいたのは皇道派の将官たちです.

 皇道派と統制派の対立はこの前年からすでに深刻でした.皇道派のドンである真崎甚三郎教育総監が更迭されて後任に統制派の渡辺錠太郎が就任するという皇道派を冷遇したような人事が行われ,それに反発した皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心人物と目されていた永田鉄山少将(当時陸軍省軍務局長という陸軍省ナンバー3ポストについていた)を白昼省内で斬殺するという事件が起こっていたからです.

 クーデターを起こした青年将校たちは,自分たちの真意が天皇の元に届きさえすれば,自分たちの主張が実現すると信じていたようです(この点が幕末期に筑波山で決起し,藩内の保守派と内部抗争を繰り広げながらも,登場将軍後見職だった徳川慶喜に真意が届けば自分たちの思いが実現すると信じていた水戸の天狗党と類似しています).しかしながら,勝手に兵を動かして政府の重臣を暗殺するという行為に天皇は激怒,直ちに鎮圧を命じます.当初陸軍首脳はなるべくコトを穏便にすませようと工作したようですが(皇道派はもちろん敵対する統制派も自らに火の粉が降りかからないように武力鎮圧には消極的でした.最初から鎮圧に積極的だったのは,どちらの派閥にも属していなかった参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐),天皇の怒りは強く,ついには自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言われたため,ようやく2月29日の早朝に至って討伐命令が下りました.そして同日朝に有名なラジオ放送が流れるに至り,反乱将校らは投降を決意,クーデターは失敗に終わりました.

 将校たちの中には投降せず自決の道を選んだものいましたが,その多くはあくまでも軍法会議の場で自らの主張を通す道を選んだのです.しかし事件の塁が軍中枢に及ぶことを恐れたのか,審理は早いスピードで進み,結局民間人も含め19名に死刑判決が出されました.さらに事件の背後にいたとされる皇道派の将官にも影響は及び,さすがに軍法会議にかけられる者はいませんでしたが,その多くはは予備役に編入されるか左遷され,軍中枢から遠ざけられることになりました.後の太平洋戦争序盤のマレー戦で勇名をはせた山下奉文大将もこの事件で左遷された皇道派の将軍です.

 一方でこれがクーデターであることを知らないまま参加させられた一般の下士官兵については上官の命令に従っただけであり罪には問わないとされましたが,事件後部隊は満州に移駐となり,その後の日中戦争,太平洋戦争では激戦地に送られその多くが戦死したとされています.

 この事件によって皇道派は陸軍中枢から一掃され,以後前年に暗殺された永田鉄山の後継となっていた統制派の東條英機らが台頭してきます.そして予備役になった皇道派の将官が陸軍大臣になって影響力を行使するのを防ぐため,陸海軍大臣は現役の軍人でなければならないとする”軍部大臣現役武官制”を復活させました.これは結果的に軍部が気に入らなければ大臣を辞任させ後任を出さないことで内閣を潰すこともできるようになったことを意味し,以後政府に対する軍部の発言力は飛躍的に増大,日本は暗い時代に突き進んでいくことになります.

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2024年2月23日 (金)

ガインゴブ大統領の葬列

 今月4日に逝去したナミビア共和国第3代大統領 H. ガインゴブ氏、その国葬が週末に行われるのに先立ち、この日は彼の棺が市内各地を回るイベントが行われました。これには当地の生徒児童も参加するためこの日学校は休みとなったようです。その棺が通過する瞬間を目撃できました。

 明日24日は郊外のインデペンデンス・スタジアムにて追悼のセレモニーが、明後日25日は国葬が行われます。

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2024年2月 4日 (日)

ナミビア大統領逝去

 今朝、私の滞在しているナミビア共和国の大統領Hage Geingob氏が亡くなったという政府発表がありました。

 

 以前から持病があり、入退院したりなど健康不安がささやかれていたこと、先月にはがんに罹患していることが発表され、治療のためにアメリカに渡ったりしたなどの情報があったため、全くの驚きというわけではありませんでしたが、渡米の際にはそれほど重篤な感じを受けなかったため、予想以上に急な出来事だったと感じています。

 ただ元々今年大統領選挙が予定されており、憲法上現大統領は今期で勇退が決まっていたため国内には大きな動揺はないようです。元々の任期は来年の3月までなので、そこまでは副大統領が代行として任務を全うし、秋に行われる選挙で決まる新大統領に引き継がれるものと思われます。

 Geingob氏のご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します

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