2021年3月18日 (木)

緊急事態宣言の解除

 新型コロナウイルス感染症に関連して首都圏の1都3県に出されている緊急事態宣言について,政府は期限となる3月21日をもって解除することを決めたようです.

 1都3県の緊急事態宣言解除へ 諮問委員会が政府方針を了承

 今回の緊急事態宣言は年末年始の感染急拡大を受けて,年明けの1月7日に東京,埼玉,千葉,神奈川の1都3県に出され,その後13日に栃木県、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県及び福岡県の2府5県が追加されていたものです.その後感染が縮小傾向を示したものの,当初の期限だった2月7日では解除されたのは栃木県のみで,その他の1都2府7県は1か月の延長が発表されました.このうち東海2県と関西2府2県,福岡県に関しては2月末での解除となりましたが,首都圏の1都3県は期限の3月7日にさらに2週間の延長となっていました.

 昨年3月に都知事がロックダウンという言葉を使ったことが話題になりましたが,日本の法律では国民の移動を禁止あるいは拘束することは不可能で(逮捕状による逮捕や精神疾患に関連する措置入院といった例外を除く),基本的にはすべてお願いに留まります.飲食店に対しては時短要請に応じない事業者に対して知事が命令することはできますが,社会全体を規制するには程遠いものです.これは憲法に謳われている基本的人権の尊重の精神が最大限生かされ,国民の行動を権力が規制できない法体系になっているからです.海外では強制隔離や外出禁止令を出せる国は多く,そうした措置が大々的に行われている国との違いは歴然です.

 そんなユルイ緊急事態宣言なんて意味あるのかという声が聞こえてきそうですが,一方で日本人は同調圧力や空気に弱いので,緊急事態!という言葉にビビッてなんとなく世間全体がおとなしくなるのと,世界の中では国や自治体の言うことに素直に従う国民が非常に多いので,それでも出せば効果が現れるわけです.

 ただ所詮は法的根拠のない空気ですから,時間が長引けば長引くほど慣れてきてしまい,効果が薄くなります.最近ニュースなどで都市部の人出が増えている報道がありますが,そうした慣れを反映しているのでしょう.こうなってくるともう,宣言そのものが意味をなさなくなるのは必然なのでこのタイミングでの解除は必然と思われます.

 一方で東京都などは解除明けの3月22日から3月31日までの期間について,引き続き不要不急の外出は避けること,飲食店には時短要請をすること(ただし宣言中の20時までから1時間延長して21時まで),イベント入場者数の上限等を掲げており,内容的には宣言期間中とあまり変わらないことになっています(宣言が終わっても中身は変わらない).

 国家が感染症を制御するのは不可能で,結局は国民一人一人の予防行動が重要です.日本が世界水準でいえばこんなユルイ緊急事態宣言で欧米に比べて圧倒的に少ない感染者数,死亡者数に留まっているはひとえに国民一人一人の感染症対策が優れていることの証左です.宣言解除後も対策は徹底しながら食事や旅行も楽しんでいきたいものです.

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2021年2月16日 (火)

記憶にございません

Img_4384  今日は2月16日,バレンタインデーの翌々日です.病院というところは女子率の高い職場なので義理チョコをもらう機会が多いのですが,私自身チョコレート🍫が好きな方ではなく,数年にわたり「義理チョコいらないから義理ワイン🍷下さい」キャンペーンをやった結果,ようやく近年はワインがもらえるようになりました.

 ただ今年はバレンタインデーが日曜日に当たったことも影響し,もらえたワインは例年に比べて少数にとどまりまっています.

 さて実は今日の本題はバレンタインデーではなく、表題の「記憶にございません」というセリフです.実はこれ,今から45年前の今日,衆議院予算委員会で当時世間を騒がせていたロッキード事件を巡る証人喚問が開催された際,証人として出頭した当時の国際興業社長の故・小佐野賢治氏が疑惑を追及する議員からの質問に対して何度も発したセリフなんです(議事録によると正確には「記憶はございません」、「記憶がありません」だったようです).

Osano01  国会の証人喚問は議院証言法という法律に定められてあるように,証人には正しい証言が求められます.噓の証言をした場合,3か月以上10年以下の懲役が課されることになります(議院証言法第6条).議員たちは当然疑惑の有無について聞いてくるわけですが,仮に「そのような事実はありません」と証言した場合,後に虚偽であることが判明すれば,先の議院証言法により処罰を受けることになります.一方で「記憶にありません」なら,本当のところはどうなのか外部からはわからないので法律に引っかからないのではと認識していたと想像されます.まあ本当に無関係なら「そんな事実はありません」といえるはずなので、そういわない段階で世間では「これはクロだな」という空気が広がりました.

 この「記憶にございません」は当時流行語になり,小学生も使っていたのを覚えてます(自分も小学生でした).

 そんなことを思い出した2月16日でした.

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2021年2月 9日 (火)

スバールバル条約

0212  今日2月9日はスバールバル条約締結の日です.

 スバールバル諸島とは,ノルウェー本土最北端のノールカップからさらに北へ約1000キロ,北極点とのほぼ中間地点に位置する群島です.最大の島がスピッツベルゲン島で,人が定住する街があるところとしては世界最北になります(一番大きな町が人口1400人のロングイヤービーエンでここにジェット機が離着陸できる空港があります).

Hyo9 Malls (左)エスマルヒ氷河,(右)ロングイヤービーエン中心部の商業エリア

 この諸島が歴史に登場するのは1596年で,のオランダ人Willem Barentszがここを「尖った山」という意味でスピッツベルゲン諸島と名づけたのが始まりとされています.その後17世紀から19世紀にかけてはヨーロッパ人による狩猟や沿岸での捕鯨が行われる程度でしたが,18~19世紀に始まった産業革命によって石炭の需要が急増すると,石炭を豊富に埋蔵していたこの島は俄然注目を集めるようになります.20世紀に入って炭鉱が開かれるなど開発が進みました.ただ帝国主義時代だったこともありノルウェーの他,各国が領有権を主張するなど政治的に不安定な状態でした.そのため第一次世界大戦後,1920年2月9日にパリで締結されたのがスバールバル条約です.この条約によって政治的にはノルウェー領と決定しましたが,条約加盟国国民は等しく査証なしで入島でき,自由に経済活動が行うことができるようになりました(加盟国国民ならその気になれば自由に行って一旗揚げる権利がある).ちなみに日本はこの条約の原加盟国14か国のひとつです.

10ji_20210209164001 (写真)真夜中の太陽

 私がスバールバル諸島を訪問したのが2003年6月でした.夏至に近い白夜真っただ中の時期です.真夜中1時だというのに真昼のような明るさで感動したのを覚えています.

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2020年12月 8日 (火)

79年前の今日

 今日は12月8日,今から79年前の1941年(昭和16年)のこの日,日本はアメリカ・イギリスに対して戦闘を開始しました.これにより1937年(昭和12年)に始まっていた日中戦争(双方とも宣戦布告がなされていなかったため,建前としてはあくまでも地域紛争だった),1939年(昭和14年)に始まっていたヨーロッパの戦争と完全にリンクし第二次世界大戦は文字通り世界大戦に拡大しました(戦争の呼称については同年12月12日の閣議で「大東亜戦争」とすると決定されましたが,アメリカ側の呼称である太平洋戦争が用いられることが多い).

 この日のNHKラジオは朝から開戦を報じる臨時ニュースを流していました.有名なニュースですが,これによると「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」とあります.西太平洋というのは普段あまり使われない用語ですが,定義としては日付変更線よりも西側の太平洋ということになります.実際には同日海軍が真珠湾攻撃,フィリピン各地のアメリカ軍基地の爆撃,陸軍がマレー半島のコタバル上陸戦,香港攻略戦を同時進行で行っているので,西太平洋という表現で間違っていないわけですが(ハワイは日付変更線よりも東であり,正確には東太平洋じゃないかというツッコミはあります),これは臨時ニュース発表時にまだ作戦が継続中であり,詳細な地名を出すのが憚られたという事情もあると思われます.

 開戦に至る経緯や評価に関しては当ブログの守備範囲外なので割愛しますが,歴史的な一日に思いをはせているのでした.

 

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2020年11月11日 (水)

11月11日

 今日11月11日は数字の「1」が4つ並ぶ日です.その見た目から日本では細長いものに関連する記念日が目白押しで「ポッキーの日」,「麺の日」,「もやしの日」などに指定されています.

1974__2 Publicdomainq0026828lmk Fotolia_122918345_subscription_monthly_m  一方で世界史的には第一次世界大戦の休戦が成立した日として知られています(1918年11月11日).

 日本では自らが大きな傷を負うことになった第二次世界大戦の陰に隠れて印象が薄い戦争ですが,19世紀の帝国主義時代のヨーロッパの複雑な国家関係の破綻によって始まり,やがて第二次世界大戦の原因にもなった重要な戦争がこの第一次世界大戦です.この辺の話をすると非常に長くなるので今日は止めますが,ともかくそんな世界史上重要な戦争が収まったのがこの日なのでした.

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2020年6月 4日 (木)

満州某重大事件

 今日は6月4日,今から31年前に北京で天安門事件が起こった日として知られます.当時民主化を求めて集まっていたデモ隊に中国人民解放軍が武力介入し,多数の犠牲者を出した事件です.世界中に衝撃が走り,中国は国際社会から強い非難を浴びました.

 この事件が起こった日,私はたまたま仙台の友人の家に滞在していたんですが,この時ニュースに度々登場したのが北京飯店です.市内にある高級ホテルで,当時日本からの特派員や駐在員の多くがここに滞在していたからです.ただ当時は(今もかもしれませんが)飯店という用語が中華圏でホテルの意味であることが知られていなかったこともあって,テレビを見ていた友人が「北京飯店って中華料理屋じゃないのか?」と言っていたのが強烈に印象に残っています(笑).

 そんな6月4日ですが,今から98年前の1928年(昭和3年)のこの日に同じ中国大陸で地味に大きな事件が起こっています.それが表題の満州某重大事件です.これは当時の日本政府内で使用されていた用語で,世間的には張作霖爆殺事件の名で知られています.

Zhang_zuolin (写真)軍閥張作霖

 1911年の辛亥革命後,清は国民党政府による中華民国として生まれ変わったとされていますが,実際には国民党政府の力が全土に及んでいたわけではなく,地方には軍閥が割拠するという混乱の中にありました(三国志や唐末期みたいな感じ).こうした地方軍閥の中でも有力だったのが満州の奉天(現瀋陽)を拠点にしていた張作霖で,1920年代にはしばしば軍を南下させ北京や揚子江付近まで進出していました.この張作霖を支援していたのが日本の関東軍です.1904~1905年の日露戦争に勝利し満州の権益を手に入れた日本でしたが,続く第1次世界大戦後の民族自決の国際世論の中では,なかなか表立ってそれを強化することができませんでした(特に当時中国大陸に足がかりがなかったアメリカの警戒が強かった).そのため日本としては満州の有力軍閥である張作霖を支援して,彼を利用することにより間接的に満州の利権を独占しようと考えていたのです.

 しかし張作霖は次第に日本の思惑通りに動かなくなり,逆に当時日本との対立が芽生え始めていたアメリカやイギリスに接近し始め,逆に日本の権益を脅かすようになったため,日本の関係者は彼を見限ります.そして1928年に入り,ほかの軍閥を支配下におさめて力を付けた国民党の蒋介石による北伐が本格化すると,国民党軍との戦いを避けて北京から満州に帰還することになりました.この帰還途中だった張作霖の乗った列車が奉天郊外で爆破され,暗殺されたのが事件の概要です.

Zhang_zuolin_20200605100001 (写真)事件現場の様子

 当初は敵対していた国民党軍による犯行とされていましたが,その後関東軍の高級参謀河本大作大佐による謀略であったことが判明しており,後に頻発する関東軍独走の端緒的な事件となりました.この事件によって当時の田中義一内閣が倒れるなど日本の政治にも大きな影響を与えました.しかしながら首謀者とされる河本大佐は軍法会議にかけられることもなく予備役となって軍を離れたのみで,その後は満鉄(南満州鉄道)関連の役員として大陸で活動し続けたと言われています.

 そんな事件もあった6月4日でした.

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2020年4月28日 (火)

UFOの話題

 今日ネットのニュースでアメリカの国防総省がUFOの映像を公開したという話題が出ていました.

 米軍、UFO撮影に成功か 「謎の現象」映像公開(産経新聞)

 記事によるとアメリカ海軍が過去に撮影した3種類の「謎の空中現象」の映像を公開,その中に未確認飛行物体(UFO)のような円盤状の物体が雲の上を高速で飛んでいるような様子も記録されていたそうで,同省によるとは「映像に残された現象の正体は分からないままだ」としているとのことでした.

 これを受けて,今日の午前中の記者会見で河野太郎防衛大臣が,自衛隊がUFOに遭遇した際に備えて「(対応の)手順をしっかり定めたい」と述べたという関連記事も出ていました.

 UFOとの遭遇に備え「手順定めたい」 河野防衛相(産経新聞)

 大臣自身はUFOの存在を信じてはいないそうですが,万一自衛隊がUFOに遭遇した場合の対処法について自衛隊に検討を求めたということです.

 政治の世界とUFOという組み合わせが面白いですが,日本でも1980年代には「宇宙人との友好を進めよう」,「各国政府はUFOに関する機密を開示すべき」と主張する団体としてUFO党(後に「開星論」のUFO党)があり参議院選の比例代表区に候補を建てていた時代もありました(泡沫盛唐の悲しさからか当選者はゼロ).バブルが崩壊後こうした泡沫団体の活動は縮小してしまいましたが,それでもたまに取り上げられることがあります.平成30年2月に立憲民主党の逢坂逢坂誠二議員が提出した質問主意書の中で,「政府は、地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体の存在を確認したことはあるか」,「我が国への武力攻撃には地球外から飛来してきたと思われる飛行物体によるものも含まれるのか」というような質問がなされたことがあります.

 それに対して「「UFOの存在を確認したことはない」,「UFOが攻めてきた場合の対応は検討していない」というような答弁が出ており,一応これが今の日本政府のUFOに対する公式の見解です.今朝の大臣の発言は,この時の答弁から一歩踏み込んだものであり,個人的には注目しています.

 ちなみに世間では UFO=空飛ぶ円盤=宇宙人の乗り物 という認識ですが,UFOとは本来”unidentified flying object”(未確認飛行物体)の略であり,発見段階でその正体が不明な飛行物体はすべてUFOであること,円盤型である必要は全くないことがわかります.宇宙人の乗り物が円盤型になったのはジョージ・アダムスキーが提唱した空飛ぶ円盤のイメージが広がったためです.

 折からの感染症で混乱する世界の中で,アメリカの国防省がこういう話題を出してきたというのは,地球外生命体の存在が確認されつつあることの傍証ではないかという人もいて興味深いと思いました.

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2019年8月27日 (火)

令和元年度富士総合火力演習

Img021_20190829173001  例年だと1年を通してもっとも活動が低下するのが8月なんですが,今年に関して言えばそうでもなく,8月4日の日本寮歌祭,10日の軽井沢での東京マドリガル会コンサート,12日の水族園&野球観戦と結構活動しています.そんな活動的な令和元年8月22日に富士山麓で行われた富士総合火力演習(総火演)の学校予行に行ってきました.総火演は陸上自衛隊最大規模の実弾射撃演習で,今年は8月25日(日)が本番なんですが,その前に何回か予行が行われます(予行とはいえ本番のプログラムと同じように進行する).今回は縁あって22日の学校予行の券が手に入ったので知人らと行ってきました.

 チケットがあるので入場はできるんですが,良い席はお早めにということで,自宅を出たのは早朝3時半です( ̄▽ ̄).周囲がまだ暗い時間に知人の車で出発,途中のコンビニで朝食を買ってこの日の指定駐車場の海苔川に向かいます.到着したのは5時過ぎでしたがすでに何十台かの車列ができていました(一番乗りの車はいったい何時についてるのやら).並んでいる車列を見物したら他県ナンバーのオンパレード,関西方面から来ている人もいました.しばらくウダウダしていたら自衛隊の人がやってきて,「まもなく開門しますので,車輛に戻ってお待ちください!」.一般的には「お車に戻ってお待ちください」と言う場面だが,車を車輛と呼ぶところが自衛隊だなと感心しました.

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 そうこうしているうちに6時半になって駐車場が開門,順番に入っていきます.係員の誘導に従って駐車し車輛を降りてそのまま会場までのシャトルバス乗り場へ.ちょうどタイミングが良くバスに乗り込めました.海苔川の駐車場は一番広いんですが,演習場から一番遠くにあるので結構時間がかかります.この日も30分くらいバスに揺られました.

P8220015  会場についてみるとまだ人出はそれほどでもなく,指定されたDスタンドの上の方の場所を確保できました(一昨年来たときはもっと早い時間だったにもかかわらず,もっと混んでいた.これでもみんなノンビリになってきているのか).この時間には演習の練習が行われており,各種火砲や戦車が走り砲を撃っています.本番と違って警告なく発射するので気を付けていないとびっくりします.その後8時過ぎからは演習場の整備とともに,音楽隊の演奏が行われます.行進曲各種やグレンミラーの作品なども取り上げられていました.

P8220032 P8220036 (写真右が新装備の19式装輪自走155ミリりゅう弾砲)

 そして10時にいよいよ総火演学校予行の開始.予行とは言うものの,プログラムは本番と同じで行われます(ただ観覧する偉い人が本番は防衛大臣なのが,この日は防衛政務官になる).演習は陸上自衛隊の各種装備品を紹介する前段演習と,毎年何らかのテーマに基づいた作戦展開の様子を展示する後段演習とに分かれます.前段演習ではまず火砲の登場,通常の155ミリりゅう弾砲,99式自走りゅう弾砲に加えて,今年度制式化するらしい(?)19式装輪自走りゅう弾砲の姿も見られました(もっとも登場だけで射撃は無しでしたが…).

P8220048 P8220196  その後は迫撃砲や対人火器,対戦車火器,対空火器と続き,最後に戦車と16式機動戦闘車が締められました.装薬量の多い戦車砲の射撃はかなり衝撃が強く,一昨年見に来たときはその迫力に圧倒された記憶があったんですが,今年は予想に反して(?)それほどと感じなかったのは,慣れたせいなのか,はたまた装薬量が減らされていたのか不明なのでした.プログラムでは前段演習の最後に空挺降下があるはずだったんですが,この日は省略されました(時間のせいなのか,天候のせいなのかは不明).

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(写真 10式戦車の射撃)

 15分の休憩を挟んで後段演習に入ります.今年は昨今の情勢を反映して,島嶼部へ侵入してくる敵を捕捉して海空戦力と共同でこれを撃滅するというストーリーで展開されました.前段演習でも登場した各種火器の運用が示されましたが,空海との共同作戦のため,艦艇や航空機が絡む場面はここでは再現できません.なのでそうした部分は会場脇に設置された「スクリーンをご覧ください」になってしまい,結果として全体に占める「スクリーンをご覧ください」の割合が上がってしまいやや間延び感が生じてしまったのは残念でした.演習終了後は各種装備品の展示の時間です.どの装備品も黒山の人だかりができていました.

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(写真左が水陸両用車AAV7、右は擬装した隊員と)

 結局14時過ぎに会場を後にし,家路へと着いたのでした.

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2019年2月26日 (火)

2・26事件

Image_2 今日は2月26日,日本の近現代史上に残るクーデター未遂事件である「2・26事件」が起こった日です.

 1936年(昭和11年)2月26日,折からの不況や政財界の腐敗に対して強い不満を抱いていた陸軍の青年将校らが「昭和維新」のスローガンのもとにクーデターを決行,当時東京に駐屯していた歩兵第1連隊,歩兵第3連隊らの兵を率いて,彼らが君側の奸とみなしていた時の内大臣齋藤実,大蔵大臣高橋是清,教育総監渡辺錠太郎らを殺害,侍従長だった鈴木貫太郎(後に終戦時の総理大臣となる)に重傷を負わせるとともに,首相官邸や陸軍省,参謀本部,警視庁といった日本の中枢機関を占拠した事件です.この時首相官邸では総理大臣岡田啓介も襲撃を受けましたが,官邸でクーデター側が最初に襲撃して殺害した義弟松尾伝蔵を岡田と誤認したために危うく難を逃れ後に救出されています.

 表面的にみれば世相に憤慨した青年将校による崛起ということで,幕末期の尊王攘夷運動を彷彿させる話ですが,実際には事件の背景として当時の陸軍内にあった派閥抗争があります.すなわち彼ら青年将校の義憤を利用した陸軍中枢の権力闘争が背景にあったわけです.具体的には陸軍内で皇道派と呼ばれる財界や政治家の介入を配した国家体制を実力に訴えても作ろうという派閥と,主として陸軍大学校出の中堅エリートが主体となったより合法的な手段での軍事優先国家形成を目指す統制派との対立です.青年将校たちの背後にいたのはもちろん皇道派です.

 皇道派と統制派の対立はこの前年からすでに深刻でした.皇道派のドン的な存在だった真崎甚三郎教育総監が更迭されて後任に統制派の渡辺錠太郎が就任するという皇道派を冷遇したような人事が行われ,それに反発した皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心人物と目されていた永田鉄山少将(当時陸軍省軍務局長という陸軍省ナンバー3ポストについていた)を白昼省内で斬殺するという事件が起こっていたからです.

 クーデターを起こした青年将校たちは,自分たちの真意が天皇の元に届きさえすれば,自分たちの主張が実現すると信じていたようです(この点が幕末期に筑波山で決起し,藩内の保守派と内部抗争を繰り広げながらも,登場将軍後見職だった徳川慶喜に真意が届けば自分たちの思いが実現すると信じていた水戸の天狗党と類似しています).しかしながら,勝手に兵を動かして政府の重臣を暗殺するという行為に天皇は激怒,直ちに鎮圧を命じます.当初陸軍首脳はなるべくコトを穏便にすませようといろいろ工作したようですが(皇道派はもちろん敵対する統制派も自らに火の粉が降りかからないように武力鎮圧には消極的でした.最初から鎮圧に積極的だったのは,どちらの派閥にも属していなかった参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐くらい),天皇の怒りは強く,ついには自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言われたため,ようやく2月29日の早朝に至って討伐命令が下りました.そして同日朝に有名なラジオ放送が流れるに至り,反乱将校らは投降を決意,クーデターは失敗に終わったのです.

 

 将校たちの中には投降せず自決の道を選んだものいましたが,その多くはあくまでも軍法会議の場で自らの主張を通す道を選んだのです.しかし事件の塁が軍中枢に及ぶことを恐れたのか,審理は早いスピードで進み,結局民間人も含め19名に死刑判決が出されました.さらに事件の背後にいたとされる皇道派の将官にも累は及び,軍法会議にかけられる者はいませんでしたが,その多くはは予備役に編入されるか左遷され,軍中枢から遠ざけられることになりました.後の太平洋戦争序盤のマレー戦で勇名をはせた山下奉文大将もこの事件で左遷された皇道派の将軍です.

 一方でこれがクーデターであることを知らないまま参加させられた一般の下士官兵については上官の命令に従っただけであり罪には問わないとされましたが,事件後部隊は満州に移駐となり,その後の日中戦争,太平洋戦争では激戦地に送られその多くが戦死したとされています.

 この事件によって陸軍内の皇道派は壊滅状態となり,以後前年に暗殺された永田鉄山の後継となっていた統制派の東條英機らが台頭してきます.そして予備役になった皇道派の将官が陸軍大臣になって影響力を行使するのを防ぐため,陸海軍大臣は現役の軍人でなければならないとする”軍部大臣現役武官制”を復活させました.これは結果的に軍部が気に入らなければ大臣を辞任させ後任を出さないことで内閣を潰すこともできるようになったことを意味し,以後政府に対する軍部の発言力は飛躍的に増し,日本は暗い時代に突き進んでいくことになります.

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2017年8月25日 (金)

富士総合火力演習

Img169  お盆を過ぎて,そろそろ秋の気配かな,なんて思っていたら逆に暑くなってきた印象のある当地です.そんな暑かった昨日,陸上自衛隊の富士総合火力演習(総火演)に行ってきました.

 もっとも総火演の本番はあさって,8月27日(日)になります.この日に行われたのは総火演の予行,いわばリハーサルということです.ただ予行とはいえ,行われるプログラムは本番と同じです.今回は縁あってチケットが手に入ったので知人らといってきました.

Dsc_0053(写真2) チケットと駐車券

 ただこのイベント,観覧するブロックは決まっているものの,基本的に自由席なので,良い席はお早めにということで自宅発はなんと!朝3時(笑). 県境を越えて,静岡県に入り駐車場として指定されている海苔川駐車場に向かいます.4時過ぎに到着しましたが,すでに20台くらいの車列ができていました(ナンバーも全国様々).

P8240004 (写真3) 駐車場開場待ちの車列

 待つこと2時間近く,6時になりようやく開門,駐車場に車を置いてシャトルバスで会場に向かいます.会場にはすでにたくさんの人が来ていて長蛇の列でしたが,我々もなんとかEブロックのスタンド席を確保できました(総火演にはスタンド席と地べたにシートが敷かれたシート席があって,高い位置から観覧できるスタンド席の方が人気がある).

P8240183 (写真4) 富士山がきれいです

 この段階で朝8時,駐車場に到着から4時間経っています(汗).演習は10時からですが,この時間帯はその演習の演習が行われていました.各種自走砲やヘリなども登場していて早くもテンションが上がります.

 その後演習が行われる広場の整備を行いつつ,9時頃からは音楽隊による演奏と続きます.そして10時いよいよ演習の開始です.演習は陸上自衛隊の装備品を紹介する前段演習と,日本の島嶼部に侵入し上陸した敵を撃破することを想定した後段演習とで構成されます.この演習の肝は普段は見ることのない実弾射撃が見られることにあります.

P8240266_2 P8240287 (左写真5) 各種榴弾砲の射撃,(右同6) 弾着

 各種榴弾砲や迫撃砲もすごかったんですが,なんといっても初速の速い戦車砲の迫力は別格で,予告されてから発射するのでイイんですが,不意に撃たれたらショックで倒れる人が出るんじゃないかと思いました(今回実感したのは,砲身から炎が見えた直後に衝撃波を感じ,少し遅れてドーンという爆発音が聞こえること.昔物理で習った,速度は光>衝撃波>音であることを実体験できた).

Sensha3 (写真7) 90式戦車

Sensha4 (写真8) 10式戦車の射撃

Sensha6_2 (写真9) 74式戦車の射撃

 また今年は総火演初登場の機動戦闘車(MCV)と水陸両用車(AAV)の機動展示もありました.

P8240615P8240620(左写真10) 機動戦闘車,(右同11) 水陸両用車

 今回はウユニ塩湖に行く際に購入したミラーレス一眼を使って撮ったんですが,あとで写真を確認したところ気が付いたポイントがありました.それは,迫撃砲だと砲身から出た火焔が納まるくらいの段階でようやく砲弾が飛び出してくるのに対して,初速が圧倒的に速い戦車砲だと火焔が出た段階ですでに砲弾はかなりの距離を飛んでいるということでした.

P8240340P8240341 P8240342 (写真12,13,14) 迫撃砲弾は火焔が収束したのち飛び出す.

Sensha2 (写真15) 10式戦車の砲弾は火焔が出た段階でもうこんなに飛んでいる(方角から見て左の戦車の砲弾です)

 後段演習ではF2戦闘機も登場したんですが,かなり低い位置を飛行していて爆音が凄かったです(毎年来ている方が,「こんなに低空飛ぶのは見たことない」とおっしゃってました).

 演習終了後は装備品の展示です.どの装備品もたくさんの人だかりができていました(笑).

P8240740 P8240756 (左写真16) 74式戦車と記念撮影,(右同17) 87式偵察警戒車の砲塔って昔の九七式中戦車改の砲塔になんか似てる

 演習中オートバイに乗った偵察隊が飛ぶジャンプ台があるんですが,その下に並ぶのがこちら

P8240780  これは隊員の安全を祈願するお守りのようなものなんだそうです.

 装備品展示も14時には終了,シャトルバスと車を乗り換えて帰宅の途に就いたのでした(充実した一日だった).

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