内閣制度140年
今日12月22日は日本で内閣制度が始まって140年目の記念日だそうです。
日本の政治制度は7世紀の大宝律令以後は太政官制と呼ばれる制度が続いていました。途中の平安時代には本来律令制度にはない摂政や関白といった者が権力を握ったり、さらに武家政治の時代になると鎌倉時代、室町時代、江戸時代と時代が下るにつれて制度は形骸化していきました。
しかし明治維新によって王政復古の大号令が発せられ、摂政・関白・幕府が廃止され、旧来の太政官制を近代国家に合うように改造して政府機能を持たせることになりました。この制度が17年続いた後、1885年12月22日に内閣制度に変わり、以後140年日本の政府機能はこの内閣制度に依っています。太政官制と内閣制の大きな違いはその名称もそうですが、慣習として公卿しか就任できなかった太政大臣に対して、内閣総理大臣は身分にかかわらず就任できる点があります。
ただ当時はまだ、議会はおろか憲法すら制定されていなかった時代であり、今の内閣制度とはその性格が大きく異なっています。当初の内閣制度は各国務大臣がそれぞれの担当分野について天皇を補佐するという形で、行政権はあくまでも天皇にあるという建前でした。この時代の総理大臣の権限は小さく、各国務大臣の任免権もないため、閣内で意見が一致しない(閣内不一致)とたちまち総辞職に追い込まれるような状態でした。
その後明治40年(1907年)に法律が改正されて総理大臣の権限が一部強化されたほか、大正から昭和初期には、衆議院の第1党の党首が内閣総理大臣に就任するという、現在に近い形ができた時代もありました(政党政治)。しかし政党政治は腐敗に陥り国民の信頼を失うと、代わって軍部が台頭し第二次世界大戦に至ります。戦後日本国憲法が制定されると現在の内閣制度となり、今に至っています。初代総理大臣の伊藤博文から数えて今の高市早苗さんは104代目にして日本憲政史上初の女性総理となります。ちなみに高市内閣の平均年齢は59.4歳だそうですが、初代の伊藤内閣の平均年齢は46.2歳と非常に若かったことが知られています。内閣制度の始まりは明治18年、明治維新期を主導した青年層がそのまま内閣を作ったというイメージです。ちなみにこの時、明治天皇は33歳、江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜は48歳です。国全体が若かったんですね。










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