2009年9月17日 (木)

小沢ガールズ

 本日は珍しく政治の話題,でも硬い話ではありません.

 先月30日の衆議院選挙で大量に当選した民主党の新人議員,そのうち小沢一郎氏の指導を受けて当選した人々をマスコミは小沢チルドレンと呼んでいます.これはまあ前回2005年の郵政選挙での小泉チルドレンと対になっていると思うのでまあいいでしょう.

 で,その小沢チルドレンのなかの女性新人議員たちをマスコミは小沢ガールズと呼んでいます.しかし,その面々を見てみると自分より年上の人たちも… でもやっぱりガールズなんでしょうか.たしかに運動競技の世界では年齢に関係なく女子・男子だもんなぁ,などと考えていたら昭和60年頃にささやかれていたフレーズを思い出しました.

 相撲の世界は30過ぎたら年寄で,それに引き換え政治の世界は60過ぎでニューリーダー(*)

 結局政治の世界では年齢に関する基準が世間とは違うということなのでしょう.

 * 中曽根内閣末期,竹下昇・宮沢喜一・安倍晋太郎らが次代を担うニューリーダーなどと呼ばれていた.

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2008年11月13日 (木)

論文とは?

 本日はちょっと硬い記事です.

 当ブログは基本的に政治的な話題を取り扱わないんですが,今日はちょっと特別に.

 最近世間を賑わせた話題に,航空自衛隊の前幕僚長による論文問題があります.国会で参考人招致も行われました.

 実は当初この話題が出たときの私の認識は,「論文の内容がかなり微妙なテーマを扱っており,しかもその趣旨が政府の公式見解と食い違っていれば,自衛隊の幕僚長という立場を考えると問題になりそうだな」というものでした.内容に関してはそれほど関心を持ちませんでした.

 私は戦史にはかなり興味があり,その筋の書物もかなり読んでいます.それゆえ、こういったテーマ(戦争とは所詮政治の延長であり,善悪二元論で単純に語れる性格のものではない)の難しさもわかります.自分の子供時代の日教組全盛期に盛んだった,いわゆる自虐史観に反発する一方で,その対極にありそうな靖国史観にも強い違和感を感じます.一般にマスコミはこういった話題をセンセーショナルに書きたてる傾向があるため,少なくとも航空幕僚長という要職にある方の書いた論文なら,それなりの説得力もあるのだろうと思っていました.その論文を読むまでは…

 今日,件の前幕僚長の論文(某所で最優秀賞を取った論文だそうである)を読む機会がありました(前幕僚長の論文).

 一読して目が点になりました.

 「これは論文なのか?」

 私も一応学位を持った学者の端くれです.今でも稀に論文を書くこともあります.

 論文とは自分(およびその共同研究者)の主張を論理的に述べた文章です.ただ,主張をすれば良いというものではなく,その主張の根拠となるものを示さなくてはなりません.根拠がなくただ主張だけ書き連ねるのは妄想であって論文ではありません.

 他人の論文を読む場合には,書いてある内容を鵜呑みにすることはできません.書いてある内容が真実である保証はないからです(人は活字に書かれた文章は無条件で事実と捉えがちですがこれは危険なことです).あくまでもその文章を吟味し,自分なりに考える必要があります.そして論文を書く側は読者が検証できるように,自分の論文の根拠となった資料(実験ならその方法,他の研究者の意見ならその元論文等)を提示する必要があります.

 そういう意味では,件の論文は論文とはいえないような気がします.あちこちに「~である.」,「~であるといわれている.」,「最近~であるといわれるようになった.」という文章が出てくるんですが,そのほとんどに引用文献が記載されておらず,検証の仕様がないからです(一般に論文には文中必要な箇所に脚注を付け,最後に参考文献リストが載るんですが,この論文にはそのようなものはついていませんでした).これでは言いっ放しの文章であり,とても学術論文と呼べるシロモノではないと感じます(あえて言えばエッセイでしょうか).

 案外今回の事件の最大の問題は,こんなエッセイとしか思えない文章を論文と称して書いてしまうような人物が幕僚長の重職に就いていたという事実なのかもしれません(ウチの同僚が「これなら辻政信の方がマシな論文を書きそうだ」と言っていました).

Tsujimasanobu (写真) 辻政信大佐は一部では非常に有名な旧陸軍の参謀です.

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2008年11月 5日 (水)

選挙人の裏切り

 さっきテレビを見たら,アメリカ合衆国大統領選挙で民主党のオバマ候補の当選が確実になったというニュースをやっていた.

 アメリカの大統領選挙は国民による直接選挙ではなく,今回の選挙で選ばれるのはあくまでも実際の大統領選挙で投票をする選挙人である(本当の選挙は来月行われるらしい).

 なんでこんな面倒くさいことをするのかというと,18世紀など今とは比べ物にならないほど交通事情が悪い頃には,全国一斉に選挙を行うのがいろいろな面で困難であり,各地で代表者を選んで,その代表が集まって選挙をする形式の方が便利だったからと思われ,その名残が今でも残るということらしい(まあたしかに馬車で投票箱を輸送中に盗賊に襲われるなんてこともありそうだし).

 本日の選挙では民主党のオバマ候補の方が,自分に投票してくれる(予定の)選挙人を多く獲得する見込みとなったことから件のニュースになったというわけだ.

 そこで,私の頭に浮かんだ素朴な疑問が…

 「その選挙人が裏切って,反対陣営に投票したらどうなるんだろう?」

 選挙人の裏切りというわけである.日本でもある党から立候補して当選しておきながら,いつの間にか反対陣営に移って平気な顔をしている議員もいるから,案外あり得るんじゃないだろうか.もちろん過去には選挙人の裏切りによって,国民の投票結果と異なる大統領が選出された例はなさそうだが,今回確定した選挙人の数と来月の実際の選挙での得票数に差があれば,それは裏切った選挙人となるわけで,ひそかに注目である.

 追記: 不意の裏切りはともかく,11月の選挙が終了してから1ヶ月の間に当選予定の候補にもの凄~いスキャンダルが発覚したりすれば,選挙人が大挙して裏切るなんてことも本当にあるかもしれない.

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2007年7月28日 (土)

参議院選挙

 当ブログでは政治的な話題は原則として取り上げないのだが,今日は明日に迫った参議院選挙のお話.

 直接民主制を採用していないわが国において,選挙での投票は国民が国政に関与できるほとんど唯一の機会である.しかしながら,近年(とはいっても今に始まったわけでもないが)政治家のスキャンダルなどから政治不信といわれ,投票率の低下が嘆かれている.マスコミの中にも,政治不信から有権者が白けてしまって投票に行かないとか,どうせ投票しても政治は変わらないからといった論調が見られる.

 しかし,冷静に考えればわかるのだが,本来なら政治不信が高まった時こそ,投票率が上がるべきなのだ.政治不信だからこそ,より良い議員を選ぶべく投票に行くべきである.良くテレビなどでコメンテーターが「こんなに投票率が低いのは,それだけ国民が怒っている証拠なのだから,政治家はそれを肝に銘じてほしい」などといい,ゲストの政治家も「わかっています」などと殊勝なことを言っているが,実際にはなんの意味もない.政治家にとって一番恐ろしいことは選挙に落ちることである.たとえ大臣だろうが,政党の党首だろうが選挙で落ちればただの人になってしまう.選挙に落ちたくないという緊張感こそが,政治家が一生懸命真面目に仕事をする動機になっているのである.近代議会政治は性善説の上には立っていない.政治家は放っておけば悪いことをするから,選挙で監視するのである.プラトンの哲人政治や古代中国の徳治主義とは根本的に異なっている.

Platon 古代ギリシャで智恵を徳をもつ哲人が政治を行って市民を導くという,哲人政治を志向したプラトン(左).右はアリストテレス

 よく「投票率50%の選挙で過半数を得て当選しても,それは民意を反映していない」とか,「国民が怒っていることを示すためにあえて白票を投じよう」といった意見が見られるが,これは(気持ちはわかるが)正しくない.国民が選挙で投票するのは権利であって義務ではない.投票に行かないとか白票を投じるというのは,一見カッコよさそうに見えて,現状の政治に白紙委任しているのと同じことである.これでは政治批判したことにはならない.これは政治家,特に特定の業界・団体の利益を代表するタイプの政治家にとっては痛くも痒くもないどころか喜ばしいことである(以前,M総理大臣が選挙前に「無党派層は寝ていてほしい」と発言して,物議をかもし出したのは,まさに象徴的である).国民ができる政治批判はただひとつ,投票することのみである.

Mousi 古代中国,戦国時代の思想家孟子.有徳の者が徳をもって統治する徳治主義を理想とした.

 ただ「投票したくとも適当な候補者がいない」という意見は多い.しかし,完璧な候補者などいるはずもない.大久保利通のような強力なリーダーシップで国を引っ張っていく政治家や,田中正造のような住民のために全てをなげうつような政治家がそうそういるはずもない.結局は候補者の中から,よりましな候補を選ぶしかないのである.しかしそれでも,国民みんなが投票を行えば,日本の政治は大きくかわるだろう(少なくとも既存の政治家の緊張感は大いに高まるはずである).

 ビザンチン皇帝の考えた国民の政治不信を政治家に判らせる投票行動

作戦1 絶対政権を取りそうにない政党に投票する.

 以前参議院比例区には「UFO党」,「愛酢党」などとても政権を取れそうにない泡沫政党が乱立していた.もちろんこのような政党が本当に政権をとった日本を想像するのも怖いが,たとえばこういった政党から10人くらい当選者が出れば,少なくとも既存の政治家は大いにショックを受けて,少しは国民の方を向くんじゃないか.

作戦2 現職候補を全員落選させる.

 国民が全選挙区で,新人候補者に投票し当選させる.現職候補がいない場合は,より現職との関わりが薄い候補(現職の息子や秘書などは問題外)に投票する.これは既存の政治家に計り知れない衝撃を与えるだろう.なにせ全政党の現職が落選するのである.各党とも国民の怒りを身にしみて感じるに違いない(現在の政治不信を作っているのは今の議員なのだから,ある意味もっとも理にかなった作戦ではないか).ちなみに日本の選挙では現職が有利であるとされる(知名度など)が,アメリカの下院選挙などでは,よほどの業績がない限り,現職が不利なのだそうだ(国民性の違いといえよう).

 とにかく明日の参議院選挙,国民として悔いのない投票行動をしたいものである.

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2006年8月15日 (火)

モーツァルトと小泉純一郎

 今日8月15日は終戦の日,日本にとって特別な日である.そういうわけではないだろうが,今朝またしても”毎日モーツァルト”が流れてしまった.小泉首相の靖国神社参拝のニュースに吹き飛ばされてしまったのである.政治的な理由でこの番組が流れたのは7月5日の北朝鮮のミサイル発射についで2回目である.政治的な話題は本ブログの趣旨にあわないので普段は載せないのだが,今日は特別な日ということでお許し願いたい.

 今朝のニュースを見た私の感想は「何だかなー」であった(実はこれ,7月のミサイル発射の際に受けた感じと極めて似ている.理由は後述).私は昔からプラモデルを作ったり,今でも戦跡を見に行くこともあったりと軍事マニアの部類に入るのであるが,正直言って靖国神社に対する思い入れはあまりない(旧軍の兵器等が展示されている博物館的な興味はあるが).それはいわゆる靖国史観とA級戦犯の問題が引っかかるからである.靖国神社は基本的に軍人・軍属が祭られている軍のための施設である(なぜか文民のA級戦犯も祭られているらしいが,一方で原爆や空襲で亡くなった方や沖縄や外地で戦闘に巻き込まれて亡くなった方は入っていない).もちろん祭られた英霊の99%は一銭五厘の赤紙1枚で召集され,心ならずも戦陣に散った人たちである.しかしそんな彼らと,自らの意思で軍人を志し,軍の中枢にいて国を動かした人たちを一緒に考えることはできないと思う.

 A級戦犯の問題に関しては,「東京裁判は連合国側によって一方的に押し付けられたものだ」という意見が今でも見られる.それはその通りなのだが,では東京裁判でA級戦犯とされた人物が全く何の罪もないのかと考えれば,決してそうは言えないのではないか.太平洋戦争が自衛のためやむをえない戦争であったと考える向きが今でもある.昭和16年の状況のみを考えればそうかもしれないが,歴史は流れであり何もないところから急にあの昭和16年の状況になったわけではない.それ以前の昭和8年の満州事変,昭和12年の盧溝橋事件に始まる日中戦争の行き着いた先が昭和16年だったのである.それゆえ昭和16年夏の段階では戦争になるのは必至だったかもしれないが,それ以前ならいくらでも外交的,政治的に解決するチャンスがあったはずである.開戦前,陸海軍ともにアメリカとの戦争になった場合,勝機はないと認識していたのだから,なおさら努力すべきだった.それをしないままずるずると戦争に突入し,結局国を滅ぼしたのだから当時の軍や政府首脳の責任は極めて重いと言うほかない.つまりは東京裁判が連合国によって押し付けられたから(たしかに東京裁判の判決はかなり政治的で正義の裁判とは言えない部分も多い)と感情的に反発しA級戦犯を擁護するのではなく,仮に東京裁判が無かったと考えて,我々日本人自身によるあの戦争に対する総括を行うべきなのである.

 しかしながら日本では戦争が終わるとすぐに「一億総懺悔」というワケのわからないスローガン(?)が出てきて,あの戦争は国民みんなの責任といわんばかりにたくみに戦争責任が隠されてしまったのである.一億総懺悔とはおかしな話で,現代日本なら政府首脳は一応選挙で選ばれた人たちがなっており,その人たちの責任も,まあ突き詰めれば有権者である国民の責任と言えなくもない.しかし当時は25歳以上の男子にのみ選挙権があり(女性には選挙権が無かった),しかも5・15事件以来政党政治が崩壊してからは,国民によって選ばれた人物が国の中枢をになったことはない(選挙で選ばれた議員は大半が大政翼賛会であり,一部の気骨ある議員は活動を妨害されたり迫害を受けた).国民が懺悔する理由などどこにもないのである.懺悔すべきは国策を誤った政府や軍の首脳らであり,我々は戦争に至った経緯と責任の所在を明らかにするための議論を行わなくてはならないのである(もちろんこれは近隣諸国がどう言うからではなく,あくまでも日本人自身で決着をつけるべきものである).

 そんなわけであるから,小泉首相が言う,不戦の誓いをするために靖国神社を参拝するという議論に賛同できないのであった(不戦の誓いなら,毎年政府主催でやっている天皇陛下も出席する戦没者追悼式じゃだめなのか.また不戦を誓う相手も靖国の軍人よりも,罪無くして戦火に倒れた一般国民や戦場となったアジアの人たちの方がより重要ではないのかと感じる).

 ここで最初の話題に戻る.多くの人たちが「よせばいいのに」と思っていることを敢えて強行するという点が,何となく北朝鮮のミサイル発射に通じるものがあると思った次第である(もしかしたら小泉純一郎と金正日は気が会うかもしれない.二人とも芸術を愛するそうだから 笑).果たして番組を流されたモーツァルトはどう思っているのだろうか.我々日本国民に祟るのだけは勘弁してほしいものだ(ミサイル発射後北朝鮮で水害が起こったそうだが,これも祟りなのか?).

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 8月の毎日モーツァルトは夏休み特集で今週はリクエスト(皮肉にも18日はミサイル発射で流れた回が再放送される),来週は声楽曲特集らしい(毎週月曜には山本耕史氏も顔を見せており,ウチのKも大喜びである).

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