2026年になって10日以上が過ぎましたが、恒例の今年は何の年?です。
① 昭和100年(1926年) 日本の歴代元号の中で最長だったのが昭和です。前時代の大正デモクラシーの風潮で、最初の数年こそ平和な時代に見えたものの、不況と政党政治の腐敗によって軍を中心とした国家改造を目指す勢力が伸張しやがて全体主義体制となり第二次世界大戦に至ります。戦後は冷戦時代の中で経済復興、高度経済成長が進み国民生活は豊かになったものの、公害など新たな問題が生じます。そして戦後の国際関係の象徴だった冷戦が終結していく過程で時代は平成へと変わります。
② ガリバー旅行記初版300年(1726年) 誰でもその名を聞いたことがあるであろう小説、ガリヴァー旅行記が出版されたのが今から300年前の1726年です。著者はアイルランドのジョナサン・スウィフトで、発売以来大人気となりました。作中に江戸時代の日本が登場することでも知られています。
③ サン・ピエトロ寺院献納式400年(1626年) カトリックの総本山として知られるバチカンのサン・ピエトロ寺院、その建立は4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌス1世に遡ります。当時は聖ペトロの墓所を守るための聖堂で、ローマ教皇座がある場所ではなかったそうです。14世紀のアビニョン捕囚後に教皇座となったものの、老朽化が激しかったことから15世紀末から新聖堂の建造が始まり、1626年に完成したのが今の聖堂になります。
④ ムガール帝国建国500年(1526年) 近世のインド史に残る重要な国家であるムガール帝国がバーブルによって建国されたのが今から500年前のことです。その後16世紀後半の皇帝アクバルの時代に政治体制が確立します。現代に至るまでインドというのは多様性の塊のような国ですが、アクバルはイスラム教やヒンズー教など様々な利害関係者を上手にまとめ上げて国の運営に当たりました。しかしその後皇帝アウラングゼーブの時代になるとイスラム教への偏重が強くなり国内が不安定化していくことになります。
⑤ 嘉暦の騒動700年(1326年) 鎌倉時代末期は北条得宗家の家督を巡る争いが頻発していましたが、そうした事件のひとつで得宗家の内管領の長崎氏と外戚である安達氏との争いです。
⑥ 西夏滅亡800年(1226年) 10~13世紀の東アジアは漢民族の宋を中心としながらも、周辺諸民族国家が強勢となって宋を圧迫する時代でした。特に女真族の金、契丹族の遼が有名ですが、北西部に位置していたタングート族の西夏も強力な国でした。11世紀に建国すると当初は遼と組み宋を圧迫、後に金が勃興するとこれと同盟して遼を滅ぼし、さらには金によって北宋が滅ぼされると自らの領土を広げるなど、動乱の時代をうまく泳ぎます。しかし13世紀にモンゴルが隆盛になり金が滅ぼされるともはや対抗するすべはなく、1226年に滅亡の憂き目に遭うのでした。
⑦ 北宋滅亡900年(1126年) 10世紀に趙匡胤によって建国された宋は、前時代が地方に藩鎮と呼ばれる軍閥が割拠する状態で国がまとまらなかった反省から、中央集権化、文官優遇の政策を取りました。これは国内統治にはうまくいきましたが、対外的には消極的にならざるを得なく、遼、西夏、金といった周辺国に圧迫されることになります。そして1126年に皇帝欽宗と太上皇徽宗が金に捕らわれると事件(靖康の変)が起こり北宋は滅亡します。
⑧ 渤海国滅亡1100年(926年) 東アジアネタが続きます。今の朝鮮半島北部から中国東北部、ロシア沿海州の一部に勢力を持っていた渤海という国がありました。中央の唐王朝から独立した動きをしていたそれなりに有力な国でしたが、10世紀に入ると弱体化し、当時建国間もない新興国だった遼の耶律阿保機によって攻め滅ぼされてしまいました。
⑨ 聖像破壊運動の始まり1300年(726年) キリスト教は元々ユダヤ教をベースにしていたこともあり、偶像崇拝は禁止されていました。しかし中世初期には布教の都合もあり、イコンと呼ばれる聖画が盛んに利用されました。しかし7世紀に東ローマ帝国がイスラム勢力の侵攻で大幅に領土を失うと、皇帝レオーン3世は偶像崇拝のために神の加護を失った結果であると考え、国中のイコンの破壊を命じました。これが聖像破壊運動で後に西のローマ教会をも巻き込んで、最終的に東西教会の分裂を引き起こすことになります。
⑩ 唐の太宗即位1400年(626年) 7~9世紀にかけて東アジアの中心として周辺諸国に影響を与えた国が唐です。その政治体制を固めたのが第2代皇帝の太宗で、その政治を貞観の治と呼んでいます。
⑪ パルティア滅亡1800年(226年) 紀元前後からローマ(当初共和政、後に帝政)が発展すると、それと西に国境を接するようになったのがパルティア王国です。ゾロアスター教を信仰するイラン系の強力な国で、紀元前1世紀から3世紀にかけてメソポタミアやシリア、アルメニアなどを巡ってローマと何度も戦っています。戦いそのものはパルティア優勢で推移するものの、相次ぐ戦争で国の土台が揺らぎ、ついには新興国ササーン朝ペルシャによって滅ぼされてしまうのでした。
ざっとこんな出来事が出てきました。建国や国の滅亡など歴史の節目といえる事件が多い印象ですが、自分的な一番はやっぱり昭和100年でしょうか。
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