2018年6月20日 (水)

南米旅行から帰ってきました!

 久しぶりの更新となります.6月9日から19日まで,南米(ボリビア南部&チリ北部)旅行に行ってきました.ホント、いろんな事が起こって感慨深いのですが,ぼちぼちこちらに旅行記録を載せていきます(って,1月の南部アフリカ旅行が未完じゃないかと突っ込まないでください 笑).写真は今回訪問した世界第1位&第2位の塩湖です(ウユニ塩湖&アタカマ塩湖).

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2018年5月24日 (木)

学会に行ってきました

 久しぶりの投稿になりました.5月12~13日に行われたひの新選組まつりの余韻に浸る間もなく日常の現実にさらされています.そんな現実のひとつである学会が行われているため,自分も参加してきました.

 会場は北海道札幌市,当地から行く場合アクセスは空路になるわけですが,一般的に札幌の玄関口となるのは新千歳空港です.

 が,しか~し

 ビザンチン皇帝が出かけるときにそんな常識は通用しません (^.^).今回はもっと東の女満別空港から入りました.理由は現在取り組んでいる位置ゲーム,ケータイ国盗り合戦のためです.これは日本全国を600の国,6000の空に分割し,その地点に行ってスマートホンを操作することでそれらの国,空を獲得していくというゲームです.こうした旅系・集める系に目がない私ですから,数年前から取り組んでいます(現在540の国,3800強の空を獲得済み).北海道のような普段住んでいる土地からみて遠隔にある場所はなかなか行くのが難しいため,なるべくこうしたチャンスは無駄(?)にしたくないからです.学会は水曜日からなんですが,今回は前日(火曜日)の午後に飛びました.

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(左写真1) 飛行機から見えた屈斜路湖,(右同2) 女満別空港

 羽田から1時間40分のフライトで到着,現地は晴れの良いお天気,気温も20度越えでかなり温かかったです.

 空港でレンタカーを借りて,メイン路線である国道39号線を中心に周辺の空を撮りまくりながら東に向かい,この日の夜は旭川に宿泊しました.ホテルにチェックインしたのち,近くにあったジンギスカンが食べられるお店で夕食を取りました.

Img_3751 (写真3) ビールの飲み比べ 🍺

 翌日は早朝に起きて,学会が行われる札幌に向かいます.北海道全図を漠然と眺めると,札幌-旭川ってそんなに離れていないように感じるんですが,実は140キロくらい離れており,特急でも1時間半かかるのでした.

 学会場は中心部のロイトン札幌&ニトリ文化ホール&教育会館の3か所(いずれも徒歩圏内),ロイトンで受付をして,まずは教育会館で行われる生涯教育セミナーへ.これに参加すると専門医を更新するためのポイントが得られるという寸法なんですが,普段自分が専門にしていない領域に関する最新の知見は非常に勉強になりました.

Img_0512 (写真4) 学会場

 午後からはいくつかのシンポジウムに参加するなどして過ごし,夕方からは札幌近辺の空をいくつかとって,今度は新千歳空港へ.空港内のお寿司屋さんに入って夕食と日本酒をいただいたのでした(結局食に走ってしまう自分 笑).

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(写真5,6) お刺身と握り(珍しいニシンの握りがありました)

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2018年4月29日 (日)

南部アフリカ旅行記⑦

 旅行からすでに3か月経っていますが,南部アフリカ旅行記いよいよ後半です(もたもたしてると次の旅行が始まってしまう (゜o゜)).

 1月24日水曜日,今回の旅行も折り返し点を過ぎていよいよ後半となる.この日はヨハネスブルグから飛行機でジンバブエのビクトリアフォールズの町に移動する日程である.モーニングコールは6時,ヨハネスブルグは1泊だけだったのでたいして荷物の出し入れがなかったため,パッキングはスムーズだった.身支度をして朝食のレストランへ,一般的なビュッフェスタイル(卵料理も付くアメリカンスタイル)だったが,ソーセージが固いのがやや難点だった(笑).

P1240598 P1240597 (左写真1) 朝食会場の卵コーナー,(右同2) この日の朝食

 朝食後は再び部屋に戻って準備し,7時30分にロビーに集合である.今回の参加者はみな時間にきちっとしてるので極めてスムーズにバスに乗り込んだ.空港への道中は昨日に続いてガイド氏による南アフリカの政治経済の話題,今日も非常に濃厚なお話が伺えた(笑).

 市内の交通はスムーズで8時過ぎには空港に到着である.ここからジンバブエのビクトリアフォールズに向けてのフライトとなるのだが,ここは国際線になるのでチェックインは自分でやらなければならない.南アフリカ航空のカウンターで手続きを行う.ジンバブエ入国にはビザが必要となるため,係員に「ビザは?」と聞かれたので,「向こうに着いてから取る」と答え,そのままスルーとなった.

 ここで件のガイド氏とお別れしてセキュリティに向かう.近年世界的にどこでもセキュリティは厳しくなっているのだが,ここアフリカ南部地域は緩いらしく,ブザーが鳴ってもササっとチェックするだけだった(機械も古典的.一応アメリカから全身スキャン式の機械も送られているらしいが使われていないとのこと).セキュリティを抜けると続いては出国審査,ここもあっという間に手続きは終わり出発ロビーに出た.

Img_3637 (写真3) 空港のラウンジでワインをいただく

 この段階でまた9時前,搭乗ゲート集合は10時なので,まだ1時間もあるではないか! ということでまずは目の前の免税店で緊急用のウイスキーする.日本から持ってきたものが昨晩でなくなってしまったからだが,今回の旅行ではミニバーが開かなかったり,ミニバーそのものがなかったりと毎日が緊急事態(笑)なのである.今回は760mLサイズを購入した.その後は例によってラウンジに入ってワインを楽しむ時間,朝っぱらからワインを飲めるのが休暇の特権だ.

 時間になったのでゲートに向かうとちょうど搭乗が始まるところだった.我々はグループ一段となってゲートのチェックを抜ける.それぞれ搭乗券とパスポートの写真の乗っているページを見せて通過するのだが,私の直前に通過した一人参加の若い女性のパスポートの生年月日がチラッと見えてしまった ( ゚Д゚).実は自分よりも年上らしい!! ものすごくショックを受けたビザンチン皇帝だった.

P1240623 (写真4) 軽食のビーフサンドイッチ(結局これがこの日の昼食になった 笑)

 10時40分に飛行機は動き始め,まもなく離陸した.安定飛行に入って軽食が配られる.ビーフとなんとかの選択だったが,”なんとか”が聞き取れなかったのでビーフを選択,サンドイッチだった.我々の前方にユダヤ人っぽい人がいたのだが,ちゃんと専用の軽食をもらっていた(コーシェル・フードというわけだ).

P1240839 (写真5) 飛行機からもビクトリアの滝の水煙が見える

 12時過ぎにもうすぐ着陸するというような機内アナウンスがあった.は,早いな(汗).その後徐々に高度を下げていく.窓の外を見ると熱帯雨林が広がっている.その先にもくもくと水煙が,「ビクトリア・フォールズだ!!」はやくもその姿を拝見し,感動に浸った我々である.その後まもなく飛行機は無事にビクトリアフォールズの空港に着陸した.

 機体が停止し外に出ると,「あ,暑い~」,涼しい高原のヨハネスブルグと大違いである.その後一同はなるべく早く入国審査場に向かう.これはここで取得しなければならないビザのためである.これから入国するジンバブエはビザが必要なのだが,これには1回ビザ,2回ビザ,数次ビザの種類があり値段も違う.一度入国してその後第三国に出国,おしまいという流れなら1回ビザで何の問題もないのだが,今回の旅行ではビクトリアの滝の観光のために一度ザンビアに行ってその後ジンバブエに再入国,翌日にはチョベ国立公園に行くためボツワナに出国し,同日夕方にジンバブエ再々入国と都合3回入国することになる.こうなると一番高い数次ビザが必要になるわけだが,ここで強い見方が登場する.それはジンバブエ・ザンビア両国を行き来自由&ボツワナへの一時出国も可というユニビザ(KAZA VISA)である.50米ドルで入手できるので,ジンバブエ数次ビザ+ザンビアビザ(55米ドル+50米ドル=105米ドル)よりも断然安い!! しかしこのビザ,一日の発行枚数が限定されているらしく,ようは早い者勝ちなのだ.我々が急いで審査場に向かったのはそういう理由があったのである.

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(左写真6) 断崖と滝のモニュメント,(右同7) ライオンが捕食する瞬間のモニュメント

 そんな審査場だったが,この日は観光客が少ないのかビザ発行カウンターにはほとんど人が並んでおらず,我々のユニビザ入手はあっさり成功 (^^)v.その後の入国審査から税関も極めてスムーズに通過し,13時には空港の到着ロビーに解放された(添乗員さんがこれまでの最速記録だと言っていた.ひどい時には抜けるのに2時間以上かかることもあるとか).ロビーには動物のモニュメントが飾られるなどアフリカムードいっぱいである.ここで現地ガイドと合流し外に出る(ここのガイドさんは日本人ではなく,英語を話す現地人の方だった).すると我々を待ち構えていたかのように現地人が合唱を始めた.もちろんチップ目当てのパフォーマンスなのだが,妙にハモってて感心した.

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(左写真8) お出迎えの合唱隊,(右同9) ビクトリアフォールズ空港

 ここで利用する車はヨハネスブルグと同様マイクロバス+荷物牽引車である.一同乗り込むとさっそくホテルに出発,ケープタウンやヨハネスブルグと違って周囲は熱帯サバンナである.20分ほど走ってビクトリアフォールズの町に入る.左折するとホテルに向かう交差点の正面向こうに滝の水煙が見え,一同歓声が上がる.

P1240852 (写真10) 周辺はサバンナです

 その後少し走ってこの日から3連泊するホテル・エレファントヒルズに到着,チェックインを済ませてさっそく部屋に入る.エアコンもばっちり利いているリゾートホテルである.バルコニーからはサバンナが見渡せるのだが,サルが出没していて油断すると部屋の中に入って来て荒らされるので,窓は決して開け放たないように念を押された(笑).

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(左写真11) ホテルのフロント,(右同12) ホテルからも滝の水煙が!

 この後の予定は16時頃からザンベジ川のサンセット・クルーズである.ただ先述のようにホテル到着が予想外に早かったため結構空き時間ができた.というわけで,我々はしばらく休んだ後,ホテルのプールに繰り出すことにした.

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(写真13) ザンベジビール

 プールは上下二段に分かれていて,それぞれプールサイドにはビーチチェアが並んでいる.深さは浅いところで1メートルくらい,深いところだと1.8メートルくらいになるようだ.見ると下段のプールサイドは白人客でほぼ満員状態だったため、我々は上段のチェアを占領する(こっちは貸し切りだった).結局下段は白人のみ,上段はカラードのみになっている.これが新手のアパルトヘイトなのか(笑).ここではプールで泳ぐ傍ら地元のザンベジビールをいただいた.それにしても南国のプールは気持ちいい.

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(左写真14) プールでくつろぐ自分,(右同15) 下段は白人専用エリアです(嘘)

 しばらくプールでくつろいだ後部屋に戻り,着替えをして集合場所に向かう.何度も言ってるように今回の旅行には困ったちゃんがいないので何事もスムーズだ.そのままバスに乗り込んでクルーズ船の船着き場に向かう.サバンナ地帯を20分ほど走って到着だ.船はまあまあ大きくて2階建て,2階の方が景色がよさそう(だが日差しや風は強そう)だったのだが,すでに満員になっていたため1階の海に近い部分に陣取った.ドリンクは飲み放題で,その他軽食が出てくるスタイルだ.ビール・ワイン・ビールといただいたのは言うまでもない(笑).

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(左写真16) ザンベジ川,(右同17) 船内の様子

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(左写真18) 乾杯! (右同19) こうしてみても大河だとわかります

 しばらくして船は動き始めまずはザンベジ川の上流に向かう.ザンベジ川はナイル川・コンゴ川・ニジェール川に続くアフリカ大陸第4の川で,ザンビア北部のアンゴラとの国境付近に端を発してザンビア国内を南下,やがてザンビアとジンバブエの国境を流れて,モザンビーク国内に入ってインド洋に達する.ビクトリアの滝があるのはちょうど中流域で我々がクルーズしているのは滝のちょっと上流部分である(ザンベジ川の中流域は急峻な部分が多く,こうしてクルーズができる穏やかな部分は滝の上流側などわずかしかない).お酒を楽しみながら,時々川から姿を現すカバを見つけたり,付近の枝に止っている鳥を観察するなどみな思い思いの時間を過ごしていた.

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(左写真20) 鳥がいます,(右同21) こちらはカバ

 やがて夕暮れ時,サバンナに夕日が沈んでいく.ザンベジ川にも夕日のオレンジが鮮やかに投影されている.嗚呼平和だ(そして休暇だ)と実感する瞬間だった.

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(左写真22) ザンベジ川の夕日,(右同23) 木々も赤く染まります

 日が暮れると周辺はどんどん暗くなり,さらには雲が出て雷までなり始めた.船は急いで桟橋に戻る(時計を見たら予定より30分近く多くクルーズしていたらしい).小雨も振り出したが幸い濡れることもなくバスに乗り込んだ.そのままホテルに戻る.

Thunder1 (写真24) 雷が!!

 この日の夕食はホテルのレストランである.部屋に荷物を置いてすぐに会場へ.こじんまりとしたビュッフェスタイルだった.この日は牛肉に加えてイボイノシシの肉にも挑戦した.食事中にはまたまた男声合唱チームが(空港にいたのと同じユニットかどうかはわからない)演奏にやってきていた.

 食事後は部屋に入ってシャワー… と思ったのだがひねってもお湯が出ない ( ゚Д゚).洗面台の方の水は出るので元栓というわけではなさそう.困ったので添乗員さんに連絡してホテルの係員を呼んでもらった.スパナやらなにやら持って現れた係員,ちょっと蛇口をひねると…

 じゃぁ~~💦

 なんと!お湯が出たではないか!!,さっきまでは何だったんだろう? なんだか狐につままれたような気分になった.とはいえ無事にお湯が出たのでシャワーを浴び,さらには今朝空港で買ってきた緊急用ウィスキーを飲んでさっさと眠りについたのだった.

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2018年4月22日 (日)

APCでの入国

 6月に南米旅行に行ってくるんですが,2018年4月現在日本から南米への直行便は存在しないため,必然的にどこかの都市で乗り換える必要があります.ヨーロッパの主要都市経由,ドバイやドーハといった中東経由なんてのもありますが,値段的に一番安いのはやっぱりアメリカ乗り換え便となります.今回は羽田から飛んで,ロサンゼルス,マイアミと2回乗り換えてボリビアのラパスに入る予定です.

 で,アメリカ乗り換えというと,一般に厳しくて時間がかかるというイメージがあります.昔から不法移民の問題があって厳しかったところに,2001年の同時多発テロが起こり,さらにその後の各地でのテロ事件頻発もあってどんどん厳しくなり,昨年のトランプ政権誕生によりまたまた厳しくなっている感じです.たいていの国ではその国に入国せず,第3国に乗り継ぐだけの人(トランジット客)に対して入国審査はなく,一般的な国際線のセキュリティのみで通過することができます.しかしアメリカの場合,単なるトランジットだけでも正式な入国審査&税関検査が義務づけられているため,ただでさえ混んでいる入国審査の列がさらに長くなることになっているのです.

 アメリカの入国審査では係員にパスポートを提示し,簡単な質疑応答と両手全指の指紋採取,顔写真の撮影を行って通過という流れになります.善良な日本人の場合審査そのものは大した手間がかかるわけではないんですが,とにかく列が長いのが問題なわけです(特に南米系や中東系の人の場合時間が長くなる傾向にあり,そうしたグループの後ろについてしまうと最悪である).

 アメリカ当局もそうした状況は認識しており,近年Automated Passport Control(APC 自動パスポートコントロール)と呼ばれる機械を導入しています.これはアメリカ市民&カナダ市民およびESTA利用の外国人向けのもので,タッチパネル式の機械で質問に答え,指紋採取や写真撮影も機械で行い,最後に出てくるレシートを持って,専用の有人ゲートに進むという流れです.要するにこのルートに乗れる人には危険な人物はいないだろうということで,そうした人々を別の流れに誘導することで審査の時間短縮を図っているわけです(実は2015年にウユニ塩湖に行った際にこの機会を利用したことがある.時間短縮が図られたかは記憶にないが).

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APCの様子(United States Customs and Border Protectionのサイトより)

 ただこのAPC,ESTA入国者すべてが利用できるわけではなく,2008年以降に一度ESTAで入国した記録のある人となっています.この2008年というのはアメリカ入国にあたり両手の指紋採取が義務化された年であり,思うにそれ以降の入国者に関しては名前と指紋の記録を参照することで審査を簡略化できるためと推測しています.

 ただ一方でネット上には,この2008年以降一度以上という条件に加えて,パスポートが更新された後の最初の1回はAPCが使えないという話も見かけます.少なくともアメリカ当局および航空会社のサイトにはパスポート更新云々のことは出てきませんから,推測するにパスポートの期限が来るとESTAも自動的に期限が切れるルールと混同してるんじゃないかという気がするんですが,実際のところはどうなんでしょう.まあ今度行ったときにAPCにチャレンジすればわかるわけですが.

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2018年4月12日 (木)

ESTA

 以前書いたように今年の夏季休暇旅行は6月にアタカマ砂漠方面に決定しています.訪問国はボリビア&チリなんですが,アメリカ合衆国を経由します… そう,ESTAが必要になるわけです.

 アメリカ合衆国は日本を含む一部の外国籍者に対して観光・商用向けに90日以内の滞在であればビザの取得を免除するシステムを取っています.これにより該当者はビザ取得の面倒さから解放され,アメリカ訪問の敷居が下がりました.

 しかし2001年9月の同時多発テロ以降情勢が大きく変わり,アメリカ入国審査は以前にもまして厳しくなりました.その過程の中で登場したのがESTA(Electronic System for Travel Authorization)です.ビザ免除国の国民はアメリカ入国およびトランジットしようとする場合,事前にパソコンなどを使って,ESTAを取得することが義務付けられたのです(取得することが入国の条件になっているあたり,ビザに似ていますが,アメリカ当局はビザではないと言っています).この事前にというのがミソで,他のたとえばビザが必要な途上国に渡航しようとする場合,現地に到着してからの取得も可能だったりするんですが,ESTAはそもそもこれを取得しておかないと,アメリカ行きの飛行機に搭乗できない仕組みになっているのです(そういう意味では入国の条件というより,アメリカに向かう飛行機への搭乗条件といった方が正確かもしれません).

 ESTAは氏名,生年月日,住所,パスポートナンバー等必要事項を入力し,さらにいくつかの質問に答えます.その質問というのは麻薬常習者ではないか? アメリカに不法滞在歴があるか?テロや虐殺をたくらんでいないか? などとほとんどの善良な市民には無関係なものばかりないんですが,唯一,2011年3月以降シリア,イラク,アフガン,イラン,スーダン等に行ったことがあるか?という質問だけは要注意です.イラク戦争・アフガン戦争後にそれらの国に行ったという一般人はほとんどいないでしょうが,イランやスーダンは今でも旅行先としてそれなりの需要があり,出かけている人も多いだろうからです(特にイランは大手旅行会社からも商品が出ている).2011年以降にこれらの国に渡航歴がある人にはESTAが認証されないため,こうした人たちは事前に必要なビザを入手する必要があります.

 ESTAは基本的に身に覚えがなければ認証されるはずなんですが,どこでどう間違って(システムエラー含め)認証拒否なんてことになる可能性もゼロではないため,万一に備えて早めに申請することが推奨されています(万一拒否を喰らった場合,些細な理由でも異議申し立ては認められておらず,ビザの申請が必要になり結構時間がかかるため).

 で,今回3年ぶりにESTAの申請を,必要事項を入力し,質問にはすべて「いいえ」を選択して,支払い用のクレジットカード情報を入力して送信します.待つこと30秒くらい,結果は

 認証は保留されました ( ゚Д゚)

 ん,なんだ?これまではすべて速攻で承認だったのに… ちょっと不安がよぎります.まあトランプ政権になってより審査が厳しくなってるので,機械による処理とはいえ時間がかかるのかなと思い,数分後に再アクセスしたところ無事に承認されていました.

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 これでアメリカ行きの飛行機に乗れることは確定いたしました (^.^).

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2018年4月 9日 (月)

第17回日本旅行医学会大会

 この週末,東京代々木で開催されていた第17回日本旅行医学会大会に参加してきました.

30221669_1687202691377089_143844929 30226609_1687202678043757_849584637  旅行医学とは「人の移動の安全性と快適性を高める医学」と定義されており,飛行機や自動車などでの移動にかかわる医学や現地における医療事情や感染症の現状の把握や啓蒙など多岐にわたっています.臓器別に細分化された専門医の集まりの学会とは全く異なる,横断的な学会です.構成員も医師だけではなく,看護師や薬剤師,理学療法士などのコメディカル,旅行会社の添乗員や航空会社のフライトアテンダント,はたまた旅行に興味のある一般の方々まで広く門戸を開いています.年1回の大会の他,登山医学セミナーやワクチンセミナーなどいくつかのイベントを主催しています.

 旅行と医学なんて,まさに自分のためにあるような学会ですが,参加し始めたのは数年前,業務的にもある程度余裕が出てきてからのことです.一般に学会というと,自分の興味があるシンポジウムなどを聴いて,時々中抜けして観光というパターンも多いんですが,この旅行医学会の講演は興味深いものが多いので,基本的に中抜けはせずにフル参加が定番です.

 この学会では毎年海外の先生方を招聘して,外国における医療事情やトピックなどをお話してもらう企画があるんですが,今年は米国の歯科医療事情,南アフリカの医療事情などがありました.特に南アフリカは最近行ってきたところなので興味深かったです.その他の講演としては最近増えている海外留学に関する安全のための研修システムの話題や,安全な移動のためにというテーマで,渋滞を科学的に考える渋滞学の話題が面白かったです.

 学会の専務理事の先生がおっしゃっていたんですが,海外の安全というとテロなど衝撃的な話題はよく取り上げられるが,現実に日本人が海外で亡くなる最大の原因は疾病(脳血管障害や急性心疾患)であり,不幸にしてこうした疾患に直面した場合,どのように対応すべきかという話題にはほとんど関心が払われていないことは極めて憂慮すべきことであるということをおっしゃっていました.その他にも世界の広い範囲で猛威を振るっているマラリアや狂犬病などの感染症対策など,重要な割には世間の関心が薄い分野をどうやって啓蒙していくのかなど,この学会の果たすべき役割は大きいと感じました.

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2018年4月 8日 (日)

続日本100名城スタンプラリー

 先週末に知人に教えられたんですが,日本城郭協会が続日本100名城スタンプラリーを始めた模様です.

 続日本100名城(日本城郭協会)

Stamp1  日本城郭協会というのは,「日本および世界各国の城郭に関する研究、調査、啓蒙を通じて、民族、歴史、風土に関する知識の普及を図り、もって教育、文化の発展に寄与すること」という理念を実現するために設立された公益財団法人です.この日本城郭協会が日本の城郭にもっと関心を持ってもらおうということで,2006年に日本100名城を発表,翌2007年から始まったのが日本100名城スタンプラリーです.こうした集める系,旅行系のイベントに目がないのが自分の性格です.こりゃやるしかないというわけで,2008年5月の小田原城を皮切りにラリーに参加(同年4月に小田原に転居していた),結局2年8か月後の2011年1月25日に最後の備中松山城をもって100か所制覇が完了しました(その成果はホームページ本編にあります 日本100名城スタンプラリー).

 その後自分の関心は日本の滝100選やよりスケールの大きい位置ゲーである,ケータイ国盗り合戦の方に移っていたんですが,今回100名城スタンプラリーの成功に気をよくした日本城郭協会では,その続編を始めたという感じです.日本100名城は各都道府県最低1城は選定するという方針だったため,十分100名城に入る資格がありそうなのに選外になった城郭もあったのでその辺も網羅する意味もあるのでしょう.

 で,こんな企画が始まれば私自身にやらないという選択肢があるはずもなく,これからどうやって回ろうかと考え始めています.まだ未訪な城はいいんですが,問題はすでに訪問したことがある城です.こうした城にもスタンプ目的で再訪する必要があります.まあ国盗りとセットで行くというパターンでいいわけですが,一方で訪問済みで国盗りも完了している地域はどうするのか(例:佐賀の唐津城)という悩みもあるのでした.

 ちなみに日本城郭協会ではヨーロッパ100名城というのも選定しています.こちらは残念ながらスタンプラリーはないんですが認定制度はあるようです(笑),見てみたら自分はオーストリアのホーエンザルツブルク城,ドイツのローテンブルク,トルコのテオドシウスの大城壁,フランスのシノン城,アンボワーズ城の5か所を制覇していました.10以上登城でまず初級に認定される模様です(こっちもやってみたくなるじゃないか 笑).

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2018年4月 5日 (木)

今年の夏季旅行

 毎年夏季休暇には海外旅行に出かける我が家ですが,昨年は諸事情あって大幅に遅くなり,結局今年の1月に南部アフリカに行ってきたのはこちらのブログでも報告した通りです.

 で,今年2018年の夏季休暇ですが,当初の予定としては各種演奏会等が一段落する10月に出かけようと考えていました.これは6月に東京21合唱団のコンサート,7月は恒例の家族旅行,8月は職場の他のドクターが休暇を取るのでその留守番要員,9月は医師会合唱団の定演としながわ宿場まつりという感じに予定が入っていて,事実上6~9月に長期休暇を取ることが不可能と思われていたからです.

 しか~し! 6月22日に予定されていた東京21合唱団のコンサートが諸事情により10月19日に延期になりました (゜o゜).このため10月の予定がタイトになる一方,6月が丸々空くことに… これは6月に旅行に行けという天の声に違いない! というわけで,今年の夏季休暇は6月に決定しました.

Img_3689  で,行先ですが,熟慮の結果(笑),憧れの地のひとつであるチリのアタカマ高地に決定です.今回利用する旅行会社はラティーノという南米専門の旅行会社で,参加者はたぶん我々だけです(当初他社の団体ツアーも考えたんですが,問い合わせたところ人が集まりそうにない状況だったのでやめた).ルートはアメリカ経由でボリビアのラパスに入り,その後空路でウユニに飛び,乾季のウユニ塩湖を観光,その後陸路南下してチリ国境を越えてアタカマ砂漠に至るというものです.アタカマでは3連泊して周辺の見どころをじっくりと堪能する予定です.

 ボリビア・チリ国境では標高5000メートル近い高所も訪れるので,高山病のリスクがある旅行です.が,過去にマチュピチュやウユニ塩湖で高所旅行の経験はあるので,無理せずに行けば大丈夫だろうと思っています.もう2か月後の話なんですが,これから徐々に準備していきたいと思います.

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2018年3月30日 (金)

南部アフリカ旅行記⑥

 旅行から2か月以上経ってしまいましたが,なんとか最後まで頑張ります(笑).南部アフリカ旅行記その6はヨハネスブルグ編です.

 開けて1月23日火曜日である.この日のモーニングコールはなんと4時!!,今回の旅行で最も早い時間だ.この日の予定は朝の便でヨハネスブルグに向かい,そのまま周辺の観光という流れ,3日間お世話になったホテルとお別れである.スーツケースは昨夜のうちにあらかた整理していたために,この朝はほぼ最後の荷物を詰める程度で完了,指定されていた通りにドアの外に出しておく.その後1階ロビーへ,どうやら我々が一番乗りだった.さすがにこの時間帯に朝食レストランは営業していないので,あとで食べるランチボックスならぬブレックファストボックスを受け取る(さっそく中身をのぞき込む 笑).チェックアウトを済ませて,全員揃ったところで出発となる(予定通り5時15分,今回のツアーは時間にユルイ人がいないのでこの辺は非常にスムーズ).

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(左写真1) 朝食のボックス,(右同2) 中身

 この朝の天気は曇り空,平日のケープタウンは渋滞がひどいらしいのだが,さすがにこれだけ早朝になると混雑はなくスイスイと進んでいく,約20分ほどで空港に到着した.チェックインを済ませてそのままセキュリティへ,油断していてベルトが反応してしまった.外して入りなおそうとしたら,「大丈夫だ」とそのまま係員に促されて通過,南アフリカの国内線は案外ユルイらしい.出発ロビーに入って待合の椅子に座りホテルで受け取ったボックスを食べることにする.中身はパンとケーキ,スナック,リンゴそしてグレープジュースだった(日本人の感覚だと食事というよりおやつという感じ).おにぎりと漬物が欲しいと思ったのはナイショである(笑).食べながら近くを見渡すと,椅子に寝そべって爆睡している家族連れっぽい人たちが係員に起こされているところだった.一言二言やり取りをしていたのだが,何か驚いた様子で急いで荷物を持ってどこかに行ってしまった.もしかして乗るべき飛行に搭乗しそこなったのかもしれない.

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(写真3) タラップから登場するパターンです

 しばらく待ったのち,7時ごろから案内が始まる.この便はボーディングブリッジではなく,バスで連れていかれるパターンだった.順番にバスに乗り込み飛行機へ,機体はA320とケープタウン-ヨハネスブルグという2大メジャー都市を結ぶ路線にしては小型でありほぼ満席の盛況である.7時25分に飛行機は動き始め離陸した.ケープタウンの町とテーブルマウンテンがあっという間に遠ざかっていく.また来る日はあるのだろうかなどと感傷に浸っているうちに安定飛行に入り,さっそく朝食が配られる.この日はフルーツとエッグの選択だったが,私もKもフルーツを選択,味はまあまあだった.その後コーヒー&紅茶が配られたのだが,Kが頼んでないのにミルクを入れられたと文句を言っていた(笑).

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(左写真4) フルーツの朝食,(右同5) ヨハネスブルグ郊外の街並み

 そうこう言っているうちに機体は降下を開始,9時30分に無事にヨハネスブルグのO. R タンボ空港に着陸した.ボーディングブリッジを通ってターミナルに入る.初夏のヨハネスブルグだが,内部は冷房が効いていて涼しい.そのままターンテーブルで荷物を受け取り,トイレを済ませて到着ロビーに出た(トイレの水が普通に流れてちょっと感動 笑).ここで現地日本人ガイドのKさん(ウチのKとは関係ない (^.^),紛らわしいので以下ガイド氏)と合流,そのままバスターミナルに向かった.

P1230450 (写真6) バスターミナル(2011年にも来たことがあります)

 歩くこと数分で到着,外のビルを見てなんか既視感があるなぁと思ったら,2011年にオカバンゴに行った帰りにここに寄っていたのだった(立体駐車場の感じが当時と変わっていない).ここからのバスはケープタウンのような大型バスではなく,マイクロバス,荷物は牽引するコンテナ車に積み込むスタイルだった.治安が悪いとされるヨハネスブルクに,こんないかにも荷物が入ってますよみたいなコンテナを引っ張って大丈夫なのかと不安になる.

 それでも一同バスに乗り込んで出発,これからの予定は,まず郊外のスタークフォンテン洞窟の観光,昼食をはさんで,午後は市内のソウェト地区の観光という流れになる.

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(写真7) 空港からヨハネスブルグ中心部を大きく迂回するように高速道路を走ります

 バスが走り始めるとさっそくガイド氏の解説が始まったのだが,これが凄い! 南部アフリカの古代中世史から始まって,大航海時代の地理上の発見からオランダ人,イギリス人の進出といった歴史,さらには当地の政治経済の話題などがどんどん出てくる.自分はそういう話が大好きなので興味深く聞いていたが,中にはあんまり… という人もいて,そうした参加者は次第に夢の世界に入っていたようだ(一人参加の若い女性も熱心で,質問もしていた.そっち関係の仕事なのか?).

 1時間20分ほどのドライブでまずはスタークフォンテン洞窟に到着,ここは別名人類のゆりかごとも呼ばれている.これは1947年にこの地で初期の人類(猿人)といわれるアウストラロピテクス・アフリカヌスの化石が発見されたからだ.周辺は高原地帯といった趣で,背丈の低い草が生えている.入り口でチケットを渡されるのだが,通常のカードタイプではなく手首に巻くブレスレットタイプだった.

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(左写真8) スタークフォンテン洞窟のレセプション棟,(右同9) これがチケットです

 トイレを済ませてまずは隣接する博物館の見学,ここには地球誕生から始まって生命の誕生,進化,そして人類の誕生,進化といったテーマの解説がされている.ここでもガイド氏が細かく解説してくれて興味深かった.人類が人類たるゆえんは二足歩行の開始であることは広く認められているところであるが,一方で類人猿がなぜ二足歩行を獲得して人類になったのかはいまだ謎が多いとされている(もともと樹上生活をしていたものが,気候変動で森林が後退したため地上に降りて二足歩行を開始したいわれているが,反論も多い.

P1230474 P1230475 (左写真10) 博物館内の展示,(右同11) アウストラロピテクス・アフリカヌスのイメージ(?)

P1230481_2 (写真12) いよいよ洞窟に入る

 続いてはアウストラロピテクスの化石が発見された洞窟へ,各自手渡されたヘルメットを被っての入洞となる(途中かなり狭い部分がありヘルメットがないと頭を強打する危険性が高いため).もちろん今ここに化石が置いてあるわけではないが、狭い洞窟の散策はちょっとした探検気分である.暗い洞内を進んでいくと鍾乳石があり,天井から光が差し込んでいる穴もあった(地上とつながっているわけである).ちなみにこの洞窟で化石が発見されたということについては,この洞窟に居住していたという説のほかに,たまたま地上を歩いていたところ,誤って洞窟内に滑落したという説もあるらしい.この地の発掘,研究に大いに功績のあった人物がロバート・ブルーム博士で,洞窟の出口には博士の像が置かれていた(独特の風貌が素晴らしい).

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(左写真13) 鍾乳石,(右同14) 暗がりでの解説

P1230487 P1230522 (左写真15) 外部から光が注ぐ,(右同16) ブルーム博士と記念写真(笑)

 スタークフォンテン洞窟の見学の後は昼食の時間,この日はヨハネスブルグ市内の”Indaba Siyunimukela”というホテル内のおしゃれなレストランだった.メニューはギリシャ風サラダとブリの照り焼き,デザートである.飲み物はビール(アムステルラガー)を選択した.

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(左写真17) 昼食のレストラン,(右同18) ギリシャ風サラダ

P1230530 P1230533 (左写真19) メインのぶりの照り焼き,(右同20) デザート

 昼食後はバスに乗って次なる目的地に向かうのだが,ちょうど駐車場の木に鳥がいたらしく,みんな入れ代わり立ち代わりバスから降りて観察していたため,南アフリカ人運転手が「こいつらインド人か?」と言ってた(ガイド氏によると,インド人観光客はとにかく勝手に動き回るかららしい 笑).

 さて,午後の観光は市内のソウェト地区,ここはアパルトヘイト時代の旧黒人居住区のひとつである(アパルトヘイト時代,黒人は市内中心部に住むことを許されず,毎日居住区から市街地の職場まで長時間かけて通勤しなければならなかった).数ある黒人居住区の中でここがとりわけ有名なのは,1976年6月16日に起こったいわゆるソウェト蜂起と呼ばれる暴動の舞台となったからだ.きっかけは当時の南アフリカ政府が黒人の教育をアフリカーンス語(19世紀に南アフリカで主導権を握っていたオランダ系白人いわゆるボーア人の言葉)で行う政策を打ち出したことであった.アフリカーンス語をアパルトヘイトの象徴とみなしていた学生たちはこれに反発,1976年6月16日に行われたデモに警官隊が発砲した結果,大混乱となり多数の死者を出す事件となった.この暴動の様子は西側のジャーナリストにより映像として記録されたため,瞬く間に世界中に報道され,南アフリカ政府は強い非難を浴びた.蜂起そのものはまもなく鎮圧されたものの,この事件によって国内では白人の中からもアパルトヘイトに反対する人たちが出始め,国際的には南アフリカに対する経済制裁が一層強化されるようになったことから同国は苦境に立ち,やがてアパルトヘイトを撤回せざるを得なくなった.このためソウェト蜂起はアパルトヘイトの終わりの始まりと言われている.

P1230550 (写真21) ヘクト・ピーターソン博物館

 そんなソウェト蜂起で最初の段階で殺害されたのがヘクト・ピーターソンという当時13歳の少年だった.実は事件で一番最初に殺された少年が彼だったわけではない.しかし彼の遺体が別の少年に抱えている写真が世界で報道され,この写真が事件の象徴のように扱われるに至ったものである.現在ではこの事件の背景や経過を解説するヘクター・ピータースン博物館が開かれ,射殺されたヘクト・ピーターソンが運ばれた場所には記念碑(1976年6月16日記念碑)が建てられている.

P1230553 (写真22) ピーターソンの記念碑

 博物館内は撮影禁止になっていたが,当時の生々しい映像に例のガイド氏による熱心な解説と相まって非常に興味深いものとなっていたのは言うまでもない.記念碑は博物館から徒歩すぐの広場になっていた.ここは定番の撮影スポットともなっており,記念碑はもちろん,その反対側に見える火力発電所の煙突もここを象徴する景色として,多くの観光客が写真を撮っていた(当然我々も撮った).

P1230554 P1230556 (左写真23) 記念写真,(右同24) 火力発電所の煙突

 その後はバスでソウェト蜂起の際に学生たちが行進した道や交差点を車窓から見ながら,少し離れたマンデラハウスへ.ここはネルソン・マンデラが青年期に14年間住んでいた家で,現在は記念館として観光スポットになっている.赤レンガ造りの小さな家で,中には家具や各種書簡などが展示されていた(ここでももちろんガイド氏による現代南アフリカの政界情勢に関する詳しい話があった).

P1230564 P1230567 (左写真25) 8115は番地です,(右同26) マンデラハウス

P1230572 P1230569 (左写真27) 内部の様子,(右同28) 記念撮影

 マンデラハウスの見学の後は,少し周辺の道を歩くことに.ヨハネスブルグの旧黒人居住区というと非常に治安が悪いイメージがあるが,このソウェトは観光地化されているために,生命に危険が及ぶようなことはないらしい(スリや置き引きなどはもちろんある).ガイド氏はヨハネスブルグ在住の数少ない日本人ガイドで,この町に20年以上住んでいるとのこと.ヨハネスブルグの治安に関しては,たしかに良いとは言えないが,日本のメディア等でいわれているような話(リアル北斗の拳など)はかなり煽っている表現だと言っていた.ヨハネスブルグの犯罪は中東やヨーロッパで問題になっているような思想的なものではなく,あくまでも経済活動の一環であり,犯罪者も我が身を犠牲にして犯行に及ぶなどということはなく,基本的には危険な場所に近寄らないという当たり前の結論に落ち着くのだそうだ(市街地を歩くにしても,だれか現地人と一緒に歩くだけで犯罪遭遇率は一気に下がるそうだ).

P1240577P1240575 (左写真29) ソウェト地区には飲み屋さんが多い,(右同30) 街角には謎の土産物屋が

 そんな話をしているうちに待っていたバスに遭遇,そのままホテルに向かうことになる.途中の道路の周辺にはたくさんの住宅が立ち並んでいた.それらの一部は民主化後の政府が貧困層向けに建設した住宅であるが,一方でまるで廃材を組み立てたような粗末な造りの家(というか小屋というか)が無秩序に立ちならんでいる地域も多く見られた.これはいわゆる不法占拠区と呼ばれるもので,アパルトヘイト撤廃後住民の移動が自由になり,農村部からたくさんの人々がヨハネスブルグに流れ込んできた際に形成された地域である.

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(写真31) 粗末な小屋が立ち並ぶ不法占拠区

 これらの住宅は電気や水道も通っていない不便な環境である.しかし,中にはせっかく政府から与えられた住宅を人に貸して自分はこうした不法占拠区に暮らしている人も多いのだそうだ(政府供給住宅には電気や水道はあるものの,こうした公共料金を払えないため).

 そんなこの国の暗部を見ながらホテルに向かう.この日の宿泊先はサニーサイド・パークホテルという植民地時代の邸宅を改造したようなお洒落なホテルだった.チェックインをして荷物を解き,少し休んだ後,夕食に向かう.この日はサントン地区の和食のお店だった(JAPAというお店,JAPANまではいかないが,そこに迫るぞ!という意味らしい).お通しからお造り,茶わん蒸し,焼き物,お寿司と続くコース料理,飲み物は日本酒や焼酎もあって惹かれたが結局ビールにした.最後デザートがコーヒーゼリーでホッとする.

Img_0010 P1240593 (左写真32) この日のホテル,(右同33) 部屋はこんな感じ

 食事後は近くのガソリンスタンド併設の売店で飲料水を購入したのだが,ガイド氏がこれは硬水,こちらは軟水とこれまた詳しく教えてくれた(笑).店を出てふと空を見上げると三日月が輝いている.が,なんか違和感が… そう,欠けている側が反対なのだ.自分がイメージする三日月は向かって左側が欠けている(花王のマーク).しかし目の前の三日月は反対に右側が欠けているのである(日本なら月齢26のいわゆる逆三日月).ここが南半球なんだと実感した瞬間である.

 その後はホテルに戻ってシャワーを浴び,持参したウィスキーで飲みなおしたのだった(そしてこの日でついにウィスキーが無くなった (ToT)/~~~).さあ,明日はいよいよ旅の後半ビクトリアフォールズに向かう日程である.

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2018年3月12日 (月)

3・11祈りのコンサート(第5回)

Img004  すごく久しぶりの更新となりました.1月の旅行以降なにかと忙しくしていたというのが現実だったからです.

 さて,昨日の3月11日は仙台で行われた祈りのコンサートに参加してきました.

 2011年3月11日,宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生,その後の大津波や原発事故等で東北を中心に大きな被害が出ました.現在関東在住の自分も,計画停電等,この震災の影響がないとは言えませんでした.

 この震災では多くの方々が亡くなったり傷ついたりしました.そうした方々の魂や心を慰めるべく始まったのがこのコンサートです.2014年のこの日に第1回が行われ今年で5回目になります(実はその前年2013年にも別な主催で同内容のコンサートが行われており,一部で第0回と呼んでいる).

Dsc_1854  合唱団,ソリスト,オーケストラともに東北地方で活動しているメンバーが中心になっています.東北育ちの自分にとっても縁の深いイベントということで,極力参加するように努めています(5回のうち休んだのは1回だけ).特に今年は日曜日ということで,仕事の問題も少なく参加することができました(過去には終演後当直先に直行なんて年もあった).

Dsc_1853  会場は東二番町通りにある電力ホール,学生時代から何かとお世話になったことのあるホールです.このホールの上手の袖になぜか昔から釣り鐘があるんです.かつてその由来を聞いたことがあったんですが,忘れてしまいましが(安珍・清姫の能か歌舞伎でもやったのでしょうか),今年も安定して定位置に吊るされていました.

 コンサートは実行委員長の挨拶に始まり,14時46分に黙祷,その後モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス,そして同じくモーツァルトのレクイエムと進んでいきます.演奏後は恒例の拍手はご辞退して再び黙祷で終演となりました.

 終わった後は近くでお疲れ様会が行われました.コンサート自体はかなり参加している自分ですが,この会に参加するのは初めてです.ワインがたくさん並んでいたのでワイン好きにはたまりませんでした.

 結局19時頃の新幹線で一路南へ,こうして2018年3月11日も静かに終わったのでした.

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