2017年6月27日 (火)

江ノ島海岸

 江ノ島海岸はどこにあるでしょうか?

 と聞くと,「サザンオールスターズの曲なんかによく登場する,神奈川県藤沢市にある江の島周辺の海岸のこと?」という答えが返ってきそうです(少なくとも関東在住の人間なら90%以上の人はそう答えそう).

 が,残念ながらそれは不正解です.神奈川県には江ノ島(正確には江の島)はありますが,その周辺の海岸は湘南海岸であって江ノ島海岸という名称ではありません.おそらく周辺に江ノ島水族館とか江ノ島電鉄とか、「江ノ島~」を頭に着けたモノが多いことからくる誤解だと思われます.

 で,正解はというと北海道.札幌や小樽から積丹半島をはさんで反対側,渡島半島の付け根部分に位置する島牧村にそれはあります.

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 その名もズバリ「江ノ島海岸」,実は日本の渚100選にも選ばれている,その筋では有名な海岸なのです.

P6251039  今回学会でわざわざ北海道まで来たんですから,終わってすぐ帰るなんてもったいないことはしません.最終日の帰りの飛行機は夜9時発を購入したこともあり,半日は十分に北海道を堪能できます.ということでかねてから行ってみたかった江ノ島海岸にやってきました.

 ここの海岸はいわゆる南国系の白砂ではなく,玉砂利で構成された北方系の海岸です.残念ながら時おり小雨の降る曇り空ということで,絶景の海岸という雰囲気ではありませんでしたが,晴れていたらきっと素晴らしいんだろうなと想像を膨らませてみました(笑).この日はほとんど人影がありませんでしたが,真夏には海水浴やキャンプ,さらには釣りを楽しむ人で賑わうんだそうです.

P6251044  江ノ島海岸の近くには「よってけ!島牧」という名の道の駅があります.地元の物産品の販売のほか,レストランでは生簀にいる魚介類をその場で焼いて食べるバーベキューが人気です.すごく惹かれたんですが,自分の場合魚介のバーベキューを食べてアルコールが無いのは逆に拷問のため(この日はレンタカー利用),諦めて地物のフノリ入り蕎麦にしました(こちらも美味しかったです).

P6251055 P6251056 (写真左) フノリ入り蕎麦,(同右) レストランから見える海辺の原生花園

 食事の後は,島牧村にやって来たもう一つの目的である賀老の滝へ.ここももちろん日本の滝100選に入っている滝です.道の駅近くから細い道を内陸に入っていきます.

P6251047  狭い道で一部すれ違いが難しそうなところもありますが,幸い対向車の姿はほとんどありませんでした.

 どんどん山奥に入っていくと,賀老の滝を示す案内板を発見,そのままさらに進んでいきます.

P6251049 P6251050  そのままさらに進んでいったんですが…

P6251051  き,霧が… ( ̄▽ ̄)

 しかも進むにつれてどんどん濃くなっていきます.なんとか滝に向かう駐車場にたどり着いたんですが(駐車場から滝の展望台までは徒歩10分程度らしい),先が見えないほどの霧です.ヒグマも生息しているらしいこんな山奥,周囲が見えないとクマに遭遇する確率も上がるでしょうし,仮に辿り着いても滝は見えそうにありません.残念ですがこの日は断念することにしました.

P6251052 P6251053 (写真左) 駐車場の案内板,(同右) 滝に向かう遊歩道ですが,ご覧のような霧です(泣).

 滝を見ることはできませんでしたが,「道の駅のバーベキューといい,またここに来る大義名分ができたのだからいいとするか」と例によってポジティブに考えることにしたのでした.その後は洞爺湖から支笏湖を抜けて空港に向かいます.洞爺湖ではちょうど自分の学会と同じ日程でマンガ・アニメフェスタが開催されていたようで,大勢のレイヤーさんが歩いていました.

 空港に帰着後は時間があったので空港内の居酒屋さんへ.北海道の食を堪能したのはいうまでもありません.

Img_3119 19399663_1361216290642399_229123151 こうして金曜日の演奏会から始まった怒涛の週末が終わったのでした.

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2017年6月26日 (月)

北海道に行ってきました

 週明けの更新です.

 この週末は,23日(金)の夜に東京赤坂の霊南坂教会でのコンサートに参加,その後の打ち上げを経て都内に宿泊しました.で,翌24日(土)は朝9時の全日空機で北海道に飛びました.

Img_3096 (写真1) 羽田空港第2ターミナルにて

 目的は第82回日本温泉気候物理医学会(以下温気会)に参加するためです.名前だけ聞くと,「ん?」となる(笑)学会ですが,今年で82回を迎えることでもわかるように,戦前(昭和10年)から歴史のある古い学会です.

 自分も入会してかれこれ17年になります.温泉の名が付くように毎年の学術大会は温泉地で開催されることが多い学会ですが,別に「温泉に浸かれば体にいい」とだけ言っているわけではなく,温泉を利用した健康増進だけではなく,タラソテラピーなどの気候療法やリハビリテーションなどの物理療法なども扱う横断型の学会です.自分もできるだけ参加しているんですが,名前のイメージからかただ参加するだけだと「遊びに行ってるんじゃないか」と疑われる危険性があるため(笑),毎年演題を発表することで,そうした疑念を払しょくして参加しています.

 そんな温気会の今年の会場は北海道南部赤井川村にあるキロロリゾートでした.

Img_3112 (写真2) キロロリゾートのホテル

 ここは冬季にはスキー場としてにぎわう所ですが,夏場には各種イベントなどが行われるようで,今回のような学会もその一部らしいです.ホテルに入ると,学会の名札をぶら下げた人に交じって親子連れなどの観光客の姿も多数ありました.

Img_3110 Img_3111 (左写真3) 学会場であることを示す看板,(右同4) ホテル内部

 受付を済ませた後は発表者用のPCデスクへ.ここで自分が発表するパワーポイントが正常に動くか最終確認をします.OKなら受け付けは完了です.自分が発表するセッションまではまだ時間があるので,シンポジウムや特別講演を聞いて過ごします.今回は北海道での開催ということもあり,近年アトピーや乾癬に効能があると人気が高まっている,道北の豊富温泉からの発表が興味深かったです.

 やがて時間が来たため自分のセッションへ.発表は5分で討論は2分という段取りです.演題のところには残り時間を知らせるデジタル表示がされます(残り1分を切ると赤くなるウルトラマンのよう 笑).発表は順調に進み,ちょうど残り10秒で終わります.その後は参加者からの質問等がありましたが,総じて事故もなく自分の発表は完了したのでした.

 夕方になりこの日の日程は終了,夜は懇親会も行われるんですが自分はパスしてほかの場所に繰り出したのでした.

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2017年6月21日 (水)

角館にも行ってきました

P6150969 (写真1) 角館の武家屋敷通り

 一週間以上たってしまいましたが,能代の寮歌イベントの翌日は,帰りの飛行機が夕方ということもあって,前日の男鹿半島に続き,少し観光して歩くことにしました.行先は角館,春は桜の名所としても名高い趣のある街です.

 角館は秋田を本拠とする久保田藩の支城(角館城)があった場所です.城郭自体は後の一国一城令によって破却されたものの,当初は蘆名氏,その後は佐竹氏の分家筋の佐竹北家が支配していました.元々城のあった古城山の南麓,檜木内川の左岸に市街地が形成された.街は北側の武士の居住区である内町と南側の町人居住区の外町に分けられ,両者の間には火除け地が置かれています.

P6150925 (写真2) 人力車にて

 明治以降大きな災害がなかったことや,地域の政治経済の中心が隣の大曲に移ったことから市街地の大規模な再開発が行われず,このことが結果として昔ながらの町並みを保存する結果となります.昭和51年(1976年)に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されて以降観光客が増加,さらに平成9年(1997年)の秋田新幹線の開業によってその数は一気に増え現在では外国人観光客の姿も見られるようになっています.学生時代には桜の季節に訪問したこともありましたが,今回は6月の新緑時期の訪問となりました.

P6150914 (写真3) 青柳家の薬医門,当時馬を繋いだとされる石もあります

 まずは人力車にて武家屋敷地帯の散策,有名な青柳家や石黒家の外観や庭の木々を見学,樹齢300年の樅ノ木やしだれ桜が見事でした.角館のしだれ桜は藩政時代,佐竹家二代目義明の妻が京都から輿入れしてきた際に持ってきた苗木が枝分けされて増えて今に至っているといわれているそうです.

 人力車の後は武家屋敷内部の見学です.青柳家は現在人は住んでおらず市が管理する施設となっています.内部は武家屋敷の他,各種の博物館的な要素も兼ね備えています.自分的に注目したのは昔のレコードがたくさん展示されていたコーナー,トスカニーニのベートーベンの英雄のレコードには感動しました(笑).

P6150952 P6150954 (写真4,5) 昔のレコード(SP版)

 青柳家の見学の後は隣の石黒家へ.ここは現在も同家の方が住んでおり,屋敷の一部が一般公開されています.現在角館では座敷に上がれる唯一の武家屋敷となっており,係員の案内で見ることができます.建築から200年は経っているだろう重厚な屋敷は素晴らしいの一言ですが,面白いのは正面の玄関は殿様など偉い人が来た時しか開かず,当主でも横の入り口から出入りしていたらしいことです.当時の身分制度が伺える話です.身分といえば屋敷周囲の塀の高さも身分に寄るらしく,青柳家と石黒家の土塀の境も高さの違いがあり,両家の身分さを反映しているのだそうです.

P6150976_2 P6150966 (左写真6) 石黒家,(右同7) 両家の塀の境

P6150984 P6150986 (写真8,9) 小野田家

P6150979(写真10) 日本の道100選ほかの顕彰碑が埋め込まれた岩

 その後もいくつかの武家屋敷を見学しました.ちなみにこの角館武家屋敷通りは日本の道100選に認定されているところでもあり,100選マニアの自分はもちろん顕彰碑を探したのでした.

 夕方になったので秋田空港へ.フライトまで少し時間があったので,レストランに入って秋田の地酒やおつまみを堪能したのはいうまでもありません.

Img_3092 (写真11) 地酒の利き酒

 こうして今年の能代遠征も無事に終了したのでした.

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2017年6月17日 (土)

男鹿半島

 さて,能代の寮歌に行ってきたわけですが,ただ往復するだけではもったいないのでその前後に秋田県内の観光にも行ってきました(本当は寮歌の方で翌日から1泊2日で白神山地の観光に行くのですが,そうするとさらに1日休暇を延ばす必要が生じるためこちらは断念 泣く).

 まずは14日寮歌祭の前に秋田空港から男鹿半島に向かいました.実は自分が小学校の時の修学旅行先がこの男鹿半島でした.以来学生時代に何度か来たことがあるんですが,卒業して就職してからは初めての訪問になりました(すなわち必然的に20年以上ぶりということ).朝の段階での天気予報はいま一つだったんですが,日頃の行いがいいのか(笑),着いた時には晴れの良いお天気でした.

Img_3082  まずは半島南西部にある通称ゴジラ岩へ.怪獣ゴジラが口を開けた状態に見えることからそう呼ばれている岩です.夕方に来ると,ちょうど太陽が口のところに来て,ゴジラが火を吐いているように 見え るそうです.

Img_3087  続いては男鹿水族館GAOへ.昔はただ”男鹿水族館”だったんですが,いつの間にか”GAO”が付いた模様です(由来は不明).ここには日本海の魚を中心に,秋田県の淡水魚な水棲動物をはじめ,さらには熱帯地方の魚や,北極のシロクマや南半球のペンギンやアマゾンの淡水魚など多くの水棲動物が展示されています.水族館は各地にありますが,最近はそれぞれ独自のカラーを打ち出しているところが増えた印象です.

Img_3089_2 P6140856  水族館を後にして次は男鹿半島北西部の突端,入道崎へ.荒涼とした原野が広がる岬の風景は北国に来たなぁという感慨を抱かせます(これが南国鹿児島の佐多岬なんかだと原野ではなく,鬱蒼とした森が広がっている).岬といえばなんといっても灯台が定番で,もちろんここにもあって,しかも日本の灯台50選にも選ばれています.さらにここはちょうど北緯40度に位置するとのことで,それに関するモニュメントも建てられていました.

P6140859_3 P6140870  入道崎は男鹿半島でも多くの観光客が訪れるスポットなので,付近には土産物屋が並んでいるんですが,中でも目を引いたのがこちら.

P6140887  一見普通の海産物を食べさせるお店のようですが…

P6140886 P6140888  なんと!UFOラーメンが ( ゚Д゚).なんでもここの店主がUFOを目撃したとか.頼めばビデオを見せてくれるようです.で,話題のUFOラーメンがこちら.

P6140890  どの辺がUFOなんだろうと思ったんですが,どうやらゆで卵がUFOの光る部分,真ん中に乗ってるタコが宇宙人を表しているようです(笑).

 こうして入道崎を観光後能代に入ったのでした.

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2017年5月15日 (月)

第20回ひの新選組まつりに参加してきました!

Img153  5月14日に東京の日野市で開催された第20回ひの新選組まつり隊士パレードに参加してきました.2006年の第9回以来毎年参加しているこのお祭り,お祭り自体は土日の2日間開催なんですが,近年は所要が被るケースも多いこともあり日曜日のパレードのみの参加が多くなっています(今年も前日は同窓会の総会だった).

 以前からここでも書いているんですが,今年自分に与えられた役柄は,長州藩士高杉晋作です.

 ある意味新選組まつりと対極に位置する人物なんですが,同じく長州の桂小五郎,土佐の坂本龍馬や薩摩の西郷吉之助と共に,新選組と同時代の人々(以前の名称は新選組と出会った人々)枠の定番となっています.

 で,パレードに参加した感想

 アウェイ感がハンパない ( ;∀;)

 いやぁ,新選組,新選組,会津,会津,新選組とそれに歓声を上げるお客さんの中を行進する長州藩士… 完全アウェイってこういうのをいうんだろうと実感しました💦.元々自分自身が佐幕派で会津&新選組びいきなこともあって,沿道の誠の旗や会津の旗はまともに見られませんでした ( ;∀;).ホント強烈です(笑).

 同時代枠での参加は4回目ですが,かつて扮した松本良順(幕医),井上松五郎(井上源三郎さんの兄)は完全に幕府方の人物だし,昨年の清河八郎(庄内藩)も尊攘派とはいえ,出身は東北の庄内で,しかも新選組の前身浪士組のプロデューサーということもありそれほど違和感はなかったんですが,今年は徹頭徹尾反幕的行動を取っていた革命家の高杉晋作のアウェイっぷりは突出していました.

 とはいえ,そんなことでめげるビザンチン皇帝ではありません.今回は高杉といえばこれだろう!というアイテム,三味線を持参して爪弾きながらパレードに臨みました.詳細は後日,いつ完成するか不明なレポ(まだ第13回,第15回,第19回が未完)になりますが,同じ枠の方々が個性的で素晴らしい方々ばかりだったこともあり,楽しい一日でした.

P5140798 P5140023 (左写真2) 功山寺決起! (右同3) ひのパレのレジェンド神楽教授と

P5140019 C_ywir9uwaejcfvjpg_large (左写真4) 今年のミスター&局長とちゃっかり記念撮影(きゃぁ~撃たないで 笑),(右同5) 沖田総司とのネタ写「労咳コンビ」

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2017年5月 8日 (月)

岩国観光

 5月3日は徳山に宿泊,夕食は駅前の小料理屋さんでした(そういえば自分の人生で徳山に宿泊したのは初めてだ!).

 翌4日は朝から一日岩国市の観光となります.岩国といえば錦帯橋と岩国城ですが,それだけではありません.自分的に極めて重要なスポットがあるのです.それが寂地峡五竜の滝,山口県唯一の100選滝です.錦帯橋の架かっている錦川の支流、宇佐川のさらに上流の寂地川に架かる滝です.

 徳山の中心部から国道315号線を北東方面に進み,須々万から国道434号に入って中国山地の奥深くへ,途中には対向車とのすれ違いも困難な個所もありました(いわゆる酷道というやつ).約1時間40分ほどで寂地峡に到着,駐車場に車を停めて散策開始です.寂地峡五竜の滝は連続した5つの滝を一匹の竜に見立てた滝群です.本来寂地峡は大きな峡谷で,滝以外にも見どころはあり,その気になって散策するとそれこそ丸一日かかるんですが,五竜の滝だけを見るならそれほど苦労はありません.駐車場から最奥の滝である竜頭の滝まで遊歩道で15分ほどでした(滝散策の難易度は低い).滝のある寂地川は清流でここは日本の名水100選にもなっています.この日は朝から良いお天気で,春の峡谷散策は非常に気持ちが良かったです.

P5041136_2 P5041146 (左写真1) 中国山地の奥地寂地峡,(右同2) 五竜の滝の最初竜尾の滝です

P5041160 P5041188 (左写真3)登竜の滝,(右同4) 竜頭の滝

 観瀑の後,今度は岩国市内を目指します.これまた約1時間半ほどの距離でした(それにしても岩国市は広い 笑).先ほどの滝の駐車場も結構混んでいたんですが,岩国市内の混みっぷりは半端ではありません(さすがGW).錦川河川敷の大駐車場はすごい数の車でごった返していました.

P5041218 9f9b9_0003025810_3 (左写真5) 岩国寿司と蓮根麺のセット,(右同6) 岩国寿司は本来ビッグサイズです

 さっそく観光と行きたいところですが,ちょうどお昼時ということで錦帯橋目の前にある食堂しらため別館さんへ.地元名物の岩国寿司と蓮根麺のセットを注文しました(どうでもいいが,自分たちが入った直後からわらわらと客がやってきてすごい行列に,相変わらず運がいいな自分 笑).岩国寿司はご飯と具材(錦糸卵や蓮根,魚介など)を何層にも重ねて大量に作り切り分けるスタイルです.一種の押し寿司なんですが,食感はちらし寿司に近いと思いました(元は山城での戦に備えた保存食だったとか).

P5040339 (写真7) 錦帯橋パノラマ写真

 食事の後はいよいよ錦帯橋へ.自分は過去何度か来たことがありますが,ウチのKは初めての訪問だそうです.江戸時代の前期,延宝元年(1673年)に架けられた錦帯橋は世界的にも珍しい木造による5連のアーチ橋です.架橋から270年もの長期にわたって多くの人々の往来を見守ってきましたが,昭和25年の台風によって流失してしまい,現在のものはその翌年に復元されたものです.以前来たときは通行人も少なくゆったりでしたが,この日はGWということでものすごい人でごった返していました(笑).

P5041315 P5041232 (左写真8) 記念写真,(右同9) 大勢の観光客で賑わっています

(写真10) これまた岩国名物シロヘビ

 橋を渡ってそのまま岩国城方面へ,ただし城に登るロープウェイが混雑で40分待ちという情報が入ったため,先に麓のシロヘビ館に行きました.岩国は名物がたくさんある土地ですがシロヘビもまたその一つです.本来はアオダイショウのアルビノなんですが,なぜかこの土地に多く生息しているということで,古くから神聖視され保護されてきた歴史があります.このシロヘビの館は以前来たときは小さな小屋という感じだったんですが,昨年新しい建物に新装されたようでした.

P5041246 P5041272 (左写真11) 新装なったシロヘビ館,(右同12) シロヘビです

 シロヘビの後,少しは空いたかと思いロープウェイへ,さすがに40分待ちという状況は改善されたようでしたがそれでも30分近く待たされました(笑).

P5041299 P5041297 (左写真13) 岩国城模擬天守,(右同14) 山上からの岩国市内と錦帯橋

 ロープウェイに乗ること数分で横山山上に到着,ここから徒歩数分に岩国城の模擬天守が立っています.岩国城は慶長十三年(1608年)に完成しましたが,元和元年(1615年)の一国一城令によって破却されたため,城としてはわずか8年という短命に終わっています.しかも当時の天守があった場所は今とは違って,より錦帯橋よりも遠い場所(今でも天守台がある)にあったことがわかっています.今の場所に天守が建てられたのは純粋に下界から見た時に錦帯橋とのコラボがカッコいいからにすぎません(多分).天守内部には各種刀剣や昔の資料等が展示されています.

P5041302 P5040351 (左写真15) かつて政庁があったとされる場所に建つ錦雲閣,(右同16) 岩国名物蓮根を使ったコロッケ(美味です)

 岩国城見学の後は再びロープウェイで下山,周辺を散策して家路につくことになります.来るときは新幹線だったんですが帰りは飛行機です.車で岩国空港に向かったんですが,市内中心部からは2キロほどで歩いても行ける距離でした.さばを読んで行ったら時間が余りすぎたので売店でお酒を買って飲んでしまいました(もちろんレンタカー返却後です 笑).こうしてGW山口旅行は無事に終了したのでした.

18195122_1308476985916330_211272516 (写真17) 山口の美味い酒大集合\(^o^)/

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2017年5月 6日 (土)

高杉晋作ゆかりの地

P5030229 (写真1) 高杉晋作終焉の地

 一夜明けた5月3日(憲法記念日)は朝から良いお天気,さっそく観光に繰り出します.まずは市内中心部からというわけで,最初に行ったのが高杉晋作終焉の地.幕末の元治元年禁門の変で朝敵とされ,その後の幕府との第一次征長戦争,列強との馬関戦争によって滅亡の崖っぷちに立たされた長州藩の衰勢を一気にひっくり返したのが高杉晋作の活躍でした.彼の作った奇兵隊や彼の後輩たちが後の明治維新の原動力になったわけですが,高杉自身は肺病(たぶん肺結核)により慶応三年(1867年)の春に亡くなります.その最期の地がここ下関の新地になります(当時ここは庄屋林算九郎の邸だった).

35201aa0000017097_1 (写真2) 萩藩新地会所跡

 終焉の地を見学していたら地元の観光ガイドの方が史跡マップをくれました(以後はそのマップを頼りに散策).ここから北に徒歩数分歩いた場所が萩藩新地会所のあった場所で,元治二年(1865年)1月に功山寺で決起した高杉が伊藤博文らとともにこの地に談判に訪れています.実は幕末期,下関は長州藩ではなく支藩の長府藩の領地だったので会所は出先機関の役割を担っていました.

 この新地会所跡の隣が厳島神社,同名の広島の世界遺産とは無縁ではなく,平安末期に本家厳島神社の分霊を持って平家の人々がこの地にやって来たのですが,壇ノ浦の戦いで敗れた後,地元の人がその分霊を祭って建立したとのゆかりがあります.境内には慶応二年の小倉戦争での戦利品として奇兵隊が持ち帰った太鼓があります(毎年9月の第1土曜日にこの太鼓を打ち鳴らす「太鼓祭り」が行われる模様).

P5030234 P5030235 (左写真3) 厳島神社,(右同4) 奇兵隊が持ち帰った太鼓

 厳島神社を北に抜けてそのまま山陽本線の線路の近くの小道を歩いて北上し桜山神社を目指します.途中には晋作が小倉戦争後に療養していた寓居跡がひっそりと建っていました.

P5030239 (写真5) 高杉晋作療養の地

 桜山神社は別名招魂社といい慶応元年に晋作の発議で建設されたものです.ここには幕末維新の動乱で亡くなった多くの志士たちが祀られています.先ほどの小道を北上し桜山小学校を左手に見ながら少し行ったところに入り口がありました.見上げる階段はちょっとめまいがしますが(笑),気が生い茂っているためさほど苦労せず登れました.

P5030242 (写真6) 招魂社の入り口

 神社に着くとさっそく墓地(?)へ.整然と石碑が並ぶさまは言葉はなくとも強い印象を受けました.立場は異なりますが,同じ尊王攘夷を掲げた水戸の回天神社にある共同墓地を訪れたときと同じ印象でしょうか.石碑は最前列の中央に吉田松陰が(彼の石碑だけ少し大きい),その隣に高杉晋作,久坂玄瑞,吉田稔麿、入江九一といった大物が並んでいたのが印象的でした.

P5030248 P5030247 (写真7,8) 整然と石碑が立ち並びます

 招魂社を後にして下関駅方面に戻ることにします.下関医療センターそばを通って,幕末期の道のルートそのままとなっている路地を南下していきます.その途中に慶応元年ごろにこの地に潜伏中だった晋作が反対勢力に襲撃された際に隠れたとされる井戸(ひょうたん井戸)がありました.

P5030252 P5030256 (左写真9) 昔と同じ路地,(右同10) ひょうたん井戸

P5030263 (写真11) 白石正一郎旧邸跡

 井戸を見学した後は付近の吉田松陰宿泊所跡などを見て,そのまま国道191号線へ出ます.ここには幕末の下関の豪商白石正一郎旧邸跡があります.白石はいわゆる尊攘派の志士を経済的に支援していた人物として知られています.長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞はもちろん,土佐脱藩の坂本龍馬も援助したそうです.奇兵隊は文久三年にそんな彼の家で結成されました.今は邸の痕跡を残すものはなく,記念碑だけがひっそりと建っています.

P5030282 (写真12) 日和山公園への階段

 そのまま191号線を歩いて線路を潜るとここから国道9号線になります.東に数百メートル歩いてちょっと裏道に入るとそこに日和山公園への登り口になります.先ほどの桜山神社(招魂社)の階段と違って日を遮るものもないので疲労の激しい階段でした(笑).なんとか登っていくと公園に到着,ここは関門海峡が一望できる丘になっていて,高杉晋作の立像が立っていました.

P5030280 (写真13) 高杉晋作の立像

 公園散策を終えたらちょうどお昼時だったので駅そばの大丸内のレストランへ.この日は英気を養うためにうな重をいただきました(最近値上がりしているためかうなぎを食べたのはすごく久しぶり).飲み物としてアイス抹茶を注文したんですが,甘い味が付いていました(これが普通なのか?).

 食後はレンタカーで長府に向かいます.

P5030291_2 (写真14) 功山寺の山門

 長府は萩を拠点とする長州藩の支藩である長府藩の中心です.城郭は今の開見台公園のある高台に位置していましたが,城下町はそれよりも北に広がっていました.萩と同じように昔の城下町の風情が良く残っている街です.ここでまずやって来たのが功山寺,ここがいわゆる高杉晋作決起の地です.

P5030295_2 (写真15) 有名な高杉晋作の騎馬像

 元治元年の禁門の変やその後の馬関戦争,第一次長州征討で追い詰められた長州藩は幕府に恭順を示す俗論党が主導権を握っていました.これに対して同年12月15日深夜に高杉は彼の意思に賛同したわずかの兵とともに俗論党から政権を奪うべくここで挙兵したのです.当初は100人に満たない勢力でしたが奇兵隊など長州藩内の諸隊が次々に合流し,各地の戦いで勝利し,翌元治二年2月には俗論党は壊滅し,以後長州藩の藩論は倒幕一本になります.そんな高杉決起の寺は新緑がまぶしいところでした(実はここには2010年にも来ているんですがその時は紅葉がきれいでした).

 ちなみにこの功山寺の境内には騎乗した高杉の像が建っているんですが,高知桂浜の坂本龍馬像,東京高幡不動尊の土方歳三像と共に幕末三大像と呼んでいる人もいます.

P5030299_2 (写真16) 下関市立歴史博物館

 続いては功山寺向かいにある下関市立歴史博物館へ.ここはかつて長府博物館という名称だったんですが,昨年リニューアルされて今の名称になったようです.この日は常設展に加えて高杉晋作オンリーの企画展も行われていました(前回訪問した2010年は大河「龍馬伝」の年だったので企画展は坂本龍馬だった).ここの目玉は馬関戦争でフランスに戦利品として持ち去られ,その後貸与という形で戻って来た荻野流一貫目青銅砲です.パリのアンヴァリッドに残されているもう一門よりも小振りな砲で,弾痕がなく馬関戦争当時実際に発射されたわけではないとされています.博物館の後は近くの長府毛利邸や古江小路を散策しました.

P5030313 (写真17) 東行記念館

 長府を後にしてレンタカーでさらに西に向かいます.次なる目的地は吉田地区にある東行庵,そう高杉晋作の墓地になります.東行とは高杉晋作の号で,もちろん平安末期の有名な僧侶西行のパロディです.慶応三年4月に亡くなった高杉は彼自身の遺言にしたがいこの地に葬られました.そして彼の愛人だったおうのが出家して梅処を名乗り初代庵主となったものです.ここには高杉の墓の他,彼ゆかりの品々を展示した東行記念館もあります(ただし東行記念館は東行庵敷地内にあるものの,組織上は下関歴史博物館の分館).まずは記念館に入ります.なんといってもここの注目は高杉が愛用していた道中三味線や瓢が展示されていることです.戦場にも三味線を持っていき弾いていたといわれるほど音楽好きで,いつでも瓢が放せないほど酒好きだった彼らしい品々です.

P5030320 (写真18) 高杉晋作の墓

 記念館を出て境内を散策,ほどなく高杉のお墓を見つけました.酒好きの彼をしのんでいるのか酒瓶がいくつか添えられていたのが印象的です.

 幕末期に肺病で若くして亡くなった著名人といえば高杉のほかに新選組の沖田総司がいます.高杉の墓所はこのようにいつでも誰でも見ることができます.一方で沖田の墓所である東京の専称寺は檀家以外の墓参を原則として認めていません(年に1回の総司忌の日のみ例外).これはかつては沖田の墓も普通に墓参できたのですが,一部の心ないファンの行為により多大な迷惑をこうむったお寺側が今のような処置をとったからです.どちらも幕末期の人気キャラだと思うんですが,こういった違いが出てくるのはファン層が相当に違うせいなんだろうかと複雑な気分になりました.

Dsc_1501  東行庵はまた花の綺麗なところです.桜はさすがに終わっていましたが,ツツジや藤などがきれいに咲いていました.

 これにてこの日の観光は終了,その後は一路この日の宿泊先である徳山に向かいました.

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2017年5月 5日 (金)

下関に行ってきました

 世間はゴールデンウィークの真っ只中です.もっとも自分の場合,当直がちょくちょく入るのと,この時期はどこに行っても混むのとで,GWは特に出かけないというのが基本パターンになっています.

 ただ今年は2日の午後に休みが取れたことと,3&4日が連休で特に予定もないことから,思い立って出かけることにしました.向かう先は山口県!,「なぜにそんなところへ」という声が聞こえてきそうですが,最近行ってなかった地域であるのと,いよいよ来週に迫ったひの新選組まつりで,(新選組とは全然関係ない 笑)高杉晋作をやることになったので,そのゆかりの場所を見て歩きたいと思ったからです.

 5月2日はお昼で職場を上がって,午後2時過ぎの新幹線ひかり号で西に向かいます.名古屋駅でのぞみ号に乗り変えてさらに西へ,6時半ごろに小倉駅に到着しました.下関市内には新下関駅も存在するのですが,基本的にこだま号しか停まらない駅のため,時間的にはのぞみ停車駅である小倉まで行って下関駅まで戻った方が断然速いのでした(小倉-下関はおおよそ10分).

P5020193 (写真1) 下関駅構内

 小倉からの乗り換え電車を降りて近くの階段を下ります.改札口の雰囲気は昔と変わらなかったが,改札の外は様変わりしていました.自分が最後に下関に来たのは2010年秋のとで,この頃は古い駅舎の風情が残っていたんですが,ここ数年で近代化されたようです.駅構内にあった「ヘアサロンゑき」という床屋さん(ここは1980年代に初めて来たときから存在していた)も無くなっており,かわりにおしゃれな店ができていました.駅前のペデストリアンデッキも規模が大きくなっていましたが,駅向かいに聳えるノートルダム下関の威容は変わっていないようでした.

Donbe_101 Donbe_100 (左写真2) 今はなきヘアサロンゑき,(右同3) そのように書いてあります(2010年撮影)

P5020201 (写真4) 寿司・割烹 浪花さん

 駅前のホテルにチェックインして,その後夕食へ.やってきたのは地元では有名なお寿司屋さん「寿司・割烹 浪花」さん,実は7年前にこの地を訪れた際も来ているお店です.下関というとフグ(現地ではフクというが)が有名なんですが,3月いっぱいでシーズンは終了となっています(とはいっても観光客相手に冷凍物などは出すのだが).このためこの日はお店お勧めの旬の魚をいただきました.お刺身の他に稚鮎の天ぷらなども食したんですが,注目だったのはオコゼ! 東国ではあまりなじみのない魚(というか自分的には超人バロムワンのオコゼルゲしかイメージがない)なので,その話をしたところマスターがわざわざ生簀から出して見せてくれたのでした(感謝).一通り食べて大満足の下関の夜でした.

Dsc_1471 Dsc_1474 (左写真5) お刺身,(右同6) 稚鮎の天ぷら

Dsc_1478 Dsc_1479 (左写真7) オコゼのにぎり,(右同8) これが実物です

Dsc_1481 Dsc_1482 (左写真9) 赤貝,(右同10) さざえ

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2017年4月21日 (金)

平家の隠れ里

 一気に気温が上がり,湿度の高さも相まって冷房が欲しいんじゃないかと感じられる昨日今日です(先週までは暖房が欲しかったのに隔世の感 笑).

 さて先日所用で九州に出かけてきました.で,業務の後せっかくここまで来たのだからとレンタカーを駆使して山の中へ(笑).やってきたのは五家荘,平家の隠れ里として知られる場所です.

P4160116 P4160118 (写真1,2) そのものズバリの平家トンネル

 壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の残党は自らの血統を残すため追手を逃れて全国に散りました.そんな彼らが隠れ住んだとされる地が平家の隠れ里で,四国の祖谷渓や大分県の平家山などと並んで有名なのが熊本県の五家荘です.元々は泉村という自他体だったんですが,合併により今は八代市の一部になっています.

P4160120 (写真3) ひたすらこんな道

 この五家荘,隠れ里という言葉がぴったりくるような山奥の地です.東西南北どこからアプローチするにせよ,狭くて曲がりくねった道しかなく,訪問が大変だからです.車がすれ違ることができるポイントが少なく危険なため,この地域では昼間でも車のライトを点けることが奨励されています(山深くて昼でも薄暗いからというのもありますが,カーブミラーで対向車に自らの存在を知らせるためと思われます).

P4160025 P4160017 (左写真4) 食堂,(右同5) 山菜そば

 そんな五家荘の東部,樅木地区にあるのが「五家荘平家の里」です.ここには平安朝をイメージした史料館や能舞台,古い民家を利用した食堂などがあります.この日は食堂で地元の山菜そばをいただきました.そばはつなぎ無しのボソボソと切れるお蕎麦,いわゆる田舎そばです.同じ平家の里である祖谷渓にもこういうお蕎麦があったっけ,もしかして平家名物なのかと思ったのでした.

P4160035 P4160053 (左写真6) 資料館と能舞台,(右7) 桜が残っていました

 資料館と能舞台は食堂から少し登った高台にありました.岩手のえさし藤原の里にもありそうな白と朱色をベースにした平安チックな建物です.史料館は特に古文書が展示されているわけではなく,人形やレプリカを中心とした歴史の解説がメインでした.九州とはいえ,山奥のこの地はまだ桜が残っています.平安調と桜の組み合わせが素敵でした.それにしても,これらの建物の材料をどうやってここまで運んだんだろうと不思議に思いました(もしかしてヘリで運んだ?).

P4160073 (写真8) 樅木の吊り橋です

 山深い五家荘は地形が厳しく,高低差も激しいため,地域の人々の道として吊り橋がたくさんあります.特に樅木の吊り橋は生活用の吊り橋としては日本一らしいです.渡ってみると下は見えるは,揺れるはでスリル満点です.

P4160108 (写真9) 梅ノ木轟の滝

 あと山深い五家荘にはたくさんの滝があります.代表的なのが100選にも入っている栴檀轟の滝ですが轟とはこの地域で滝を指す言葉だそうです.この日は近くの梅ノ木轟の滝を訪問しました.

 とにかく山奥ということがぴったりしすぎる五家荘でした(紅葉が素晴らしいとのことなので,今度はその時期に来てみたい).

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2017年3月12日 (日)

第20回ひの新選組まつり参加通知

 この週末は仙台での祈りのコンサート等で走り回っていたんですが,その間に自宅のポストに1枚のハガキが届いていました.そう,5月に開催されるひの新選組まつりの参加通知です.

 2006年の第9回からほぼフル参加しているお祭りです(震災で中止になった2011年5月の代替で同年秋にひっそりと開催された第14回除く).当初はコンテストから参加がデフォだったんですが,震災を挟んだ心境の変化に加えて,世代交代が進んでいること,当初一緒に参加していた仲間たちの大半が卒業してしまったことなどからコンテストへの情熱も失われてしまい,近年はパレードのみの参加,特にここ数年は衣装持ち込みの本隊参加と新選組と出会った人々枠での参加が半々程度という感じになっています.

 今年に関して言えば,参加したいという思いは相変わらずなんですが,前日に同窓会が入ることが確定している都合もあり,自前衣裳を持って移動するのは面倒なので,準備の不要な出会った人々枠で申し込んでいました.例年だとこの枠は,当初募集されている役柄とお祭り当日に登場する役柄が違っているなど,そのファジーさも楽しかったりするんですが,今年に関して言えば,希望する役柄に対する思いをアピールする欄が用意するなど,単なるオマケとはいえない感じになっていました.

 ただ自分的には何が何でもこの役を!というほどのものはなかったこともあり,特に希望はなしで申し込んでいました.そんな私に与えられた役は…

Img_2949  高杉晋作 ( ゚Д゚)

Takasugisugata  長州藩,バリバリの倒幕派です.

 南部藩出身,会津・新選組びいきの自分が長州とは… (^^;).たしかに昨年は尊王攘夷派の清河八郎をやりましたが,彼は新選組の前身浪士組の創設者であり東北の庄内藩出身,一方の高杉晋作は生粋の長州藩士です.かつて「新選組 in 長州」なんていうイベントをやって遊んでいた自分が,長州藩の代表的人物になるとは想像もしていませんでしたが,これもなにかの縁,頑張ってみたいと思います(まあ政治色が強い桂小五郎や薩摩の大久保一蔵よりは抵抗が少ないか 笑).参加さらる皆様今年もよろしくお願いします.

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