2017年5月15日 (月)

第20回ひの新選組まつりに参加してきました!

Img153  5月14日に東京の日野市で開催された第20回ひの新選組まつり隊士パレードに参加してきました.2006年の第9回以来毎年参加しているこのお祭り,お祭り自体は土日の2日間開催なんですが,近年は所要が被るケースも多いこともあり日曜日のパレードのみの参加が多くなっています(今年も前日は同窓会の総会だった).

 以前からここでも書いているんですが,今年自分に与えられた役柄は,長州藩士高杉晋作です.

 ある意味新選組まつりと対極に位置する人物なんですが,同じく長州の桂小五郎,土佐の坂本龍馬や薩摩の西郷吉之助と共に,新選組と同時代の人々(以前の名称は新選組と出会った人々)枠の定番となっています.

 で,パレードに参加した感想

 アウェイ感がハンパない ( ;∀;)

 いやぁ,新選組,新選組,会津,会津,新選組とそれに歓声を上げるお客さんの中を行進する長州藩士… 完全アウェイってこういうのをいうんだろうと実感しました💦.元々自分自身が佐幕派で会津&新選組びいきなこともあって,沿道の誠の旗や会津の旗はまともに見られませんでした ( ;∀;).ホント強烈です(笑).

 同時代枠での参加は4回目ですが,かつて扮した松本良順(幕医),井上松五郎(井上源三郎さんの兄)は完全に幕府方の人物だし,昨年の清河八郎(庄内藩)も尊攘派とはいえ,出身は東北の庄内で,しかも新選組の前身浪士組のプロデューサーということもありそれほど違和感はなかったんですが,今年は徹頭徹尾反幕的行動を取っていた革命家の高杉晋作のアウェイっぷりは突出していました.

 とはいえ,そんなことでめげるビザンチン皇帝ではありません.今回は高杉といえばこれだろう!というアイテム,三味線を持参して爪弾きながらパレードに臨みました.詳細は後日,いつ完成するか不明なレポ(まだ第13回,第15回,第19回が未完)になりますが,同じ枠の方々が個性的で素晴らしい方々ばかりだったこともあり,楽しい一日でした.

P5140798 P5140023 (左写真2) 功山寺決起! (右同3) ひのパレのレジェンド神楽教授と

P5140019 C_ywir9uwaejcfvjpg_large (左写真4) 今年のミスター&局長とちゃっかり記念撮影(きゃぁ~撃たないで 笑),(右同5) 沖田総司とのネタ写「労咳コンビ」

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2017年5月 8日 (月)

岩国観光

 5月3日は徳山に宿泊,夕食は駅前の小料理屋さんでした(そういえば自分の人生で徳山に宿泊したのは初めてだ!).

 翌4日は朝から一日岩国市の観光となります.岩国といえば錦帯橋と岩国城ですが,それだけではありません.自分的に極めて重要なスポットがあるのです.それが寂地峡五竜の滝,山口県唯一の100選滝です.錦帯橋の架かっている錦川の支流、宇佐川のさらに上流の寂地川に架かる滝です.

 徳山の中心部から国道315号線を北東方面に進み,須々万から国道434号に入って中国山地の奥深くへ,途中には対向車とのすれ違いも困難な個所もありました(いわゆる酷道というやつ).約1時間40分ほどで寂地峡に到着,駐車場に車を停めて散策開始です.寂地峡五竜の滝は連続した5つの滝を一匹の竜に見立てた滝群です.本来寂地峡は大きな峡谷で,滝以外にも見どころはあり,その気になって散策するとそれこそ丸一日かかるんですが,五竜の滝だけを見るならそれほど苦労はありません.駐車場から最奥の滝である竜頭の滝まで遊歩道で15分ほどでした(滝散策の難易度は低い).滝のある寂地川は清流でここは日本の名水100選にもなっています.この日は朝から良いお天気で,春の峡谷散策は非常に気持ちが良かったです.

P5041136_2 P5041146 (左写真1) 中国山地の奥地寂地峡,(右同2) 五竜の滝の最初竜尾の滝です

P5041160 P5041188 (左写真3)登竜の滝,(右同4) 竜頭の滝

 観瀑の後,今度は岩国市内を目指します.これまた約1時間半ほどの距離でした(それにしても岩国市は広い 笑).先ほどの滝の駐車場も結構混んでいたんですが,岩国市内の混みっぷりは半端ではありません(さすがGW).錦川河川敷の大駐車場はすごい数の車でごった返していました.

P5041218 9f9b9_0003025810_3 (左写真5) 岩国寿司と蓮根麺のセット,(右同6) 岩国寿司は本来ビッグサイズです

 さっそく観光と行きたいところですが,ちょうどお昼時ということで錦帯橋目の前にある食堂しらため別館さんへ.地元名物の岩国寿司と蓮根麺のセットを注文しました(どうでもいいが,自分たちが入った直後からわらわらと客がやってきてすごい行列に,相変わらず運がいいな自分 笑).岩国寿司はご飯と具材(錦糸卵や蓮根,魚介など)を何層にも重ねて大量に作り切り分けるスタイルです.一種の押し寿司なんですが,食感はちらし寿司に近いと思いました(元は山城での戦に備えた保存食だったとか).

P5040339 (写真7) 錦帯橋パノラマ写真

 食事の後はいよいよ錦帯橋へ.自分は過去何度か来たことがありますが,ウチのKは初めての訪問だそうです.江戸時代の前期,延宝元年(1673年)に架けられた錦帯橋は世界的にも珍しい木造による5連のアーチ橋です.架橋から270年もの長期にわたって多くの人々の往来を見守ってきましたが,昭和25年の台風によって流失してしまい,現在のものはその翌年に復元されたものです.以前来たときは通行人も少なくゆったりでしたが,この日はGWということでものすごい人でごった返していました(笑).

P5041315 P5041232 (左写真8) 記念写真,(右同9) 大勢の観光客で賑わっています

(写真10) これまた岩国名物シロヘビ

 橋を渡ってそのまま岩国城方面へ,ただし城に登るロープウェイが混雑で40分待ちという情報が入ったため,先に麓のシロヘビ館に行きました.岩国は名物がたくさんある土地ですがシロヘビもまたその一つです.本来はアオダイショウのアルビノなんですが,なぜかこの土地に多く生息しているということで,古くから神聖視され保護されてきた歴史があります.このシロヘビの館は以前来たときは小さな小屋という感じだったんですが,昨年新しい建物に新装されたようでした.

P5041246 P5041272 (左写真11) 新装なったシロヘビ館,(右同12) シロヘビです

 シロヘビの後,少しは空いたかと思いロープウェイへ,さすがに40分待ちという状況は改善されたようでしたがそれでも30分近く待たされました(笑).

P5041299 P5041297 (左写真13) 岩国城模擬天守,(右同14) 山上からの岩国市内と錦帯橋

 ロープウェイに乗ること数分で横山山上に到着,ここから徒歩数分に岩国城の模擬天守が立っています.岩国城は慶長十三年(1608年)に完成しましたが,元和元年(1615年)の一国一城令によって破却されたため,城としてはわずか8年という短命に終わっています.しかも当時の天守があった場所は今とは違って,より錦帯橋よりも遠い場所(今でも天守台がある)にあったことがわかっています.今の場所に天守が建てられたのは純粋に下界から見た時に錦帯橋とのコラボがカッコいいからにすぎません(多分).天守内部には各種刀剣や昔の資料等が展示されています.

P5041302 P5040351 (左写真15) かつて政庁があったとされる場所に建つ錦雲閣,(右同16) 岩国名物蓮根を使ったコロッケ(美味です)

 岩国城見学の後は再びロープウェイで下山,周辺を散策して家路につくことになります.来るときは新幹線だったんですが帰りは飛行機です.車で岩国空港に向かったんですが,市内中心部からは2キロほどで歩いても行ける距離でした.さばを読んで行ったら時間が余りすぎたので売店でお酒を買って飲んでしまいました(もちろんレンタカー返却後です 笑).こうしてGW山口旅行は無事に終了したのでした.

18195122_1308476985916330_211272516 (写真17) 山口の美味い酒大集合\(^o^)/

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2017年5月 6日 (土)

高杉晋作ゆかりの地

P5030229 (写真1) 高杉晋作終焉の地

 一夜明けた5月3日(憲法記念日)は朝から良いお天気,さっそく観光に繰り出します.まずは市内中心部からというわけで,最初に行ったのが高杉晋作終焉の地.幕末の元治元年禁門の変で朝敵とされ,その後の幕府との第一次征長戦争,列強との馬関戦争によって滅亡の崖っぷちに立たされた長州藩の衰勢を一気にひっくり返したのが高杉晋作の活躍でした.彼の作った奇兵隊や彼の後輩たちが後の明治維新の原動力になったわけですが,高杉自身は肺病(たぶん肺結核)により慶応三年(1867年)の春に亡くなります.その最期の地がここ下関の新地になります(当時ここは庄屋林算九郎の邸だった).

35201aa0000017097_1 (写真2) 萩藩新地会所跡

 終焉の地を見学していたら地元の観光ガイドの方が史跡マップをくれました(以後はそのマップを頼りに散策).ここから北に徒歩数分歩いた場所が萩藩新地会所のあった場所で,元治二年(1865年)1月に功山寺で決起した高杉が伊藤博文らとともにこの地に談判に訪れています.実は幕末期,下関は長州藩ではなく支藩の長府藩の領地だったので会所は出先機関の役割を担っていました.

 この新地会所跡の隣が厳島神社,同名の広島の世界遺産とは無縁ではなく,平安末期に本家厳島神社の分霊を持って平家の人々がこの地にやって来たのですが,壇ノ浦の戦いで敗れた後,地元の人がその分霊を祭って建立したとのゆかりがあります.境内には慶応二年の小倉戦争での戦利品として奇兵隊が持ち帰った太鼓があります(毎年9月の第1土曜日にこの太鼓を打ち鳴らす「太鼓祭り」が行われる模様).

P5030234 P5030235 (左写真3) 厳島神社,(右同4) 奇兵隊が持ち帰った太鼓

 厳島神社を北に抜けてそのまま山陽本線の線路の近くの小道を歩いて北上し桜山神社を目指します.途中には晋作が小倉戦争後に療養していた寓居跡がひっそりと建っていました.

P5030239 (写真5) 高杉晋作療養の地

 桜山神社は別名招魂社といい慶応元年に晋作の発議で建設されたものです.ここには幕末維新の動乱で亡くなった多くの志士たちが祀られています.先ほどの小道を北上し桜山小学校を左手に見ながら少し行ったところに入り口がありました.見上げる階段はちょっとめまいがしますが(笑),気が生い茂っているためさほど苦労せず登れました.

P5030242 (写真6) 招魂社の入り口

 神社に着くとさっそく墓地(?)へ.整然と石碑が並ぶさまは言葉はなくとも強い印象を受けました.立場は異なりますが,同じ尊王攘夷を掲げた水戸の回天神社にある共同墓地を訪れたときと同じ印象でしょうか.石碑は最前列の中央に吉田松陰が(彼の石碑だけ少し大きい),その隣に高杉晋作,久坂玄瑞,吉田稔麿、入江九一といった大物が並んでいたのが印象的でした.

P5030248 P5030247 (写真7,8) 整然と石碑が立ち並びます

 招魂社を後にして下関駅方面に戻ることにします.下関医療センターそばを通って,幕末期の道のルートそのままとなっている路地を南下していきます.その途中に慶応元年ごろにこの地に潜伏中だった晋作が反対勢力に襲撃された際に隠れたとされる井戸(ひょうたん井戸)がありました.

P5030252 P5030256 (左写真9) 昔と同じ路地,(右同10) ひょうたん井戸

P5030263 (写真11) 白石正一郎旧邸跡

 井戸を見学した後は付近の吉田松陰宿泊所跡などを見て,そのまま国道191号線へ出ます.ここには幕末の下関の豪商白石正一郎旧邸跡があります.白石はいわゆる尊攘派の志士を経済的に支援していた人物として知られています.長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞はもちろん,土佐脱藩の坂本龍馬も援助したそうです.奇兵隊は文久三年にそんな彼の家で結成されました.今は邸の痕跡を残すものはなく,記念碑だけがひっそりと建っています.

P5030282 (写真12) 日和山公園への階段

 そのまま191号線を歩いて線路を潜るとここから国道9号線になります.東に数百メートル歩いてちょっと裏道に入るとそこに日和山公園への登り口になります.先ほどの桜山神社(招魂社)の階段と違って日を遮るものもないので疲労の激しい階段でした(笑).なんとか登っていくと公園に到着,ここは関門海峡が一望できる丘になっていて,高杉晋作の立像が立っていました.

P5030280 (写真13) 高杉晋作の立像

 公園散策を終えたらちょうどお昼時だったので駅そばの大丸内のレストランへ.この日は英気を養うためにうな重をいただきました(最近値上がりしているためかうなぎを食べたのはすごく久しぶり).飲み物としてアイス抹茶を注文したんですが,甘い味が付いていました(これが普通なのか?).

 食後はレンタカーで長府に向かいます.

P5030291_2 (写真14) 功山寺の山門

 長府は萩を拠点とする長州藩の支藩である長府藩の中心です.城郭は今の開見台公園のある高台に位置していましたが,城下町はそれよりも北に広がっていました.萩と同じように昔の城下町の風情が良く残っている街です.ここでまずやって来たのが功山寺,ここがいわゆる高杉晋作決起の地です.

P5030295_2 (写真15) 有名な高杉晋作の騎馬像

 元治元年の禁門の変やその後の馬関戦争,第一次長州征討で追い詰められた長州藩は幕府に恭順を示す俗論党が主導権を握っていました.これに対して同年12月15日深夜に高杉は彼の意思に賛同したわずかの兵とともに俗論党から政権を奪うべくここで挙兵したのです.当初は100人に満たない勢力でしたが奇兵隊など長州藩内の諸隊が次々に合流し,各地の戦いで勝利し,翌元治二年2月には俗論党は壊滅し,以後長州藩の藩論は倒幕一本になります.そんな高杉決起の寺は新緑がまぶしいところでした(実はここには2010年にも来ているんですがその時は紅葉がきれいでした).

 ちなみにこの功山寺の境内には騎乗した高杉の像が建っているんですが,高知桂浜の坂本龍馬像,東京高幡不動尊の土方歳三像と共に幕末三大像と呼んでいる人もいます.

P5030299_2 (写真16) 下関市立歴史博物館

 続いては功山寺向かいにある下関市立歴史博物館へ.ここはかつて長府博物館という名称だったんですが,昨年リニューアルされて今の名称になったようです.この日は常設展に加えて高杉晋作オンリーの企画展も行われていました(前回訪問した2010年は大河「龍馬伝」の年だったので企画展は坂本龍馬だった).ここの目玉は馬関戦争でフランスに戦利品として持ち去られ,その後貸与という形で戻って来た荻野流一貫目青銅砲です.パリのアンヴァリッドに残されているもう一門よりも小振りな砲で,弾痕がなく馬関戦争当時実際に発射されたわけではないとされています.博物館の後は近くの長府毛利邸や古江小路を散策しました.

P5030313 (写真17) 東行記念館

 長府を後にしてレンタカーでさらに西に向かいます.次なる目的地は吉田地区にある東行庵,そう高杉晋作の墓地になります.東行とは高杉晋作の号で,もちろん平安末期の有名な僧侶西行のパロディです.慶応三年4月に亡くなった高杉は彼自身の遺言にしたがいこの地に葬られました.そして彼の愛人だったおうのが出家して梅処を名乗り初代庵主となったものです.ここには高杉の墓の他,彼ゆかりの品々を展示した東行記念館もあります(ただし東行記念館は東行庵敷地内にあるものの,組織上は下関歴史博物館の分館).まずは記念館に入ります.なんといってもここの注目は高杉が愛用していた道中三味線や瓢が展示されていることです.戦場にも三味線を持っていき弾いていたといわれるほど音楽好きで,いつでも瓢が放せないほど酒好きだった彼らしい品々です.

P5030320 (写真18) 高杉晋作の墓

 記念館を出て境内を散策,ほどなく高杉のお墓を見つけました.酒好きの彼をしのんでいるのか酒瓶がいくつか添えられていたのが印象的です.

 幕末期に肺病で若くして亡くなった著名人といえば高杉のほかに新選組の沖田総司がいます.高杉の墓所はこのようにいつでも誰でも見ることができます.一方で沖田の墓所である東京の専称寺は檀家以外の墓参を原則として認めていません(年に1回の総司忌の日のみ例外).これはかつては沖田の墓も普通に墓参できたのですが,一部の心ないファンの行為により多大な迷惑をこうむったお寺側が今のような処置をとったからです.どちらも幕末期の人気キャラだと思うんですが,こういった違いが出てくるのはファン層が相当に違うせいなんだろうかと複雑な気分になりました.

Dsc_1501  東行庵はまた花の綺麗なところです.桜はさすがに終わっていましたが,ツツジや藤などがきれいに咲いていました.

 これにてこの日の観光は終了,その後は一路この日の宿泊先である徳山に向かいました.

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2017年5月 5日 (金)

下関に行ってきました

 世間はゴールデンウィークの真っ只中です.もっとも自分の場合,当直がちょくちょく入るのと,この時期はどこに行っても混むのとで,GWは特に出かけないというのが基本パターンになっています.

 ただ今年は2日の午後に休みが取れたことと,3&4日が連休で特に予定もないことから,思い立って出かけることにしました.向かう先は山口県!,「なぜにそんなところへ」という声が聞こえてきそうですが,最近行ってなかった地域であるのと,いよいよ来週に迫ったひの新選組まつりで,(新選組とは全然関係ない 笑)高杉晋作をやることになったので,そのゆかりの場所を見て歩きたいと思ったからです.

 5月2日はお昼で職場を上がって,午後2時過ぎの新幹線ひかり号で西に向かいます.名古屋駅でのぞみ号に乗り変えてさらに西へ,6時半ごろに小倉駅に到着しました.下関市内には新下関駅も存在するのですが,基本的にこだま号しか停まらない駅のため,時間的にはのぞみ停車駅である小倉まで行って下関駅まで戻った方が断然速いのでした(小倉-下関はおおよそ10分).

P5020193 (写真1) 下関駅構内

 小倉からの乗り換え電車を降りて近くの階段を下ります.改札口の雰囲気は昔と変わらなかったが,改札の外は様変わりしていました.自分が最後に下関に来たのは2010年秋のとで,この頃は古い駅舎の風情が残っていたんですが,ここ数年で近代化されたようです.駅構内にあった「ヘアサロンゑき」という床屋さん(ここは1980年代に初めて来たときから存在していた)も無くなっており,かわりにおしゃれな店ができていました.駅前のペデストリアンデッキも規模が大きくなっていましたが,駅向かいに聳えるノートルダム下関の威容は変わっていないようでした.

Donbe_101 Donbe_100 (左写真2) 今はなきヘアサロンゑき,(右同3) そのように書いてあります(2010年撮影)

P5020201 (写真4) 寿司・割烹 浪花さん

 駅前のホテルにチェックインして,その後夕食へ.やってきたのは地元では有名なお寿司屋さん「寿司・割烹 浪花」さん,実は7年前にこの地を訪れた際も来ているお店です.下関というとフグ(現地ではフクというが)が有名なんですが,3月いっぱいでシーズンは終了となっています(とはいっても観光客相手に冷凍物などは出すのだが).このためこの日はお店お勧めの旬の魚をいただきました.お刺身の他に稚鮎の天ぷらなども食したんですが,注目だったのはオコゼ! 東国ではあまりなじみのない魚(というか自分的には超人バロムワンのオコゼルゲしかイメージがない)なので,その話をしたところマスターがわざわざ生簀から出して見せてくれたのでした(感謝).一通り食べて大満足の下関の夜でした.

Dsc_1471 Dsc_1474 (左写真5) お刺身,(右同6) 稚鮎の天ぷら

Dsc_1478 Dsc_1479 (左写真7) オコゼのにぎり,(右同8) これが実物です

Dsc_1481 Dsc_1482 (左写真9) 赤貝,(右同10) さざえ

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2017年4月21日 (金)

平家の隠れ里

 一気に気温が上がり,湿度の高さも相まって冷房が欲しいんじゃないかと感じられる昨日今日です(先週までは暖房が欲しかったのに隔世の感 笑).

 さて先日所用で九州に出かけてきました.で,業務の後せっかくここまで来たのだからとレンタカーを駆使して山の中へ(笑).やってきたのは五家荘,平家の隠れ里として知られる場所です.

P4160116 P4160118 (写真1,2) そのものズバリの平家トンネル

 壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の残党は自らの血統を残すため追手を逃れて全国に散りました.そんな彼らが隠れ住んだとされる地が平家の隠れ里で,四国の祖谷渓や大分県の平家山などと並んで有名なのが熊本県の五家荘です.元々は泉村という自他体だったんですが,合併により今は八代市の一部になっています.

P4160120 (写真3) ひたすらこんな道

 この五家荘,隠れ里という言葉がぴったりくるような山奥の地です.東西南北どこからアプローチするにせよ,狭くて曲がりくねった道しかなく,訪問が大変だからです.車がすれ違ることができるポイントが少なく危険なため,この地域では昼間でも車のライトを点けることが奨励されています(山深くて昼でも薄暗いからというのもありますが,カーブミラーで対向車に自らの存在を知らせるためと思われます).

P4160025 P4160017 (左写真4) 食堂,(右同5) 山菜そば

 そんな五家荘の東部,樅木地区にあるのが「五家荘平家の里」です.ここには平安朝をイメージした史料館や能舞台,古い民家を利用した食堂などがあります.この日は食堂で地元の山菜そばをいただきました.そばはつなぎ無しのボソボソと切れるお蕎麦,いわゆる田舎そばです.同じ平家の里である祖谷渓にもこういうお蕎麦があったっけ,もしかして平家名物なのかと思ったのでした.

P4160035 P4160053 (左写真6) 資料館と能舞台,(右7) 桜が残っていました

 資料館と能舞台は食堂から少し登った高台にありました.岩手のえさし藤原の里にもありそうな白と朱色をベースにした平安チックな建物です.史料館は特に古文書が展示されているわけではなく,人形やレプリカを中心とした歴史の解説がメインでした.九州とはいえ,山奥のこの地はまだ桜が残っています.平安調と桜の組み合わせが素敵でした.それにしても,これらの建物の材料をどうやってここまで運んだんだろうと不思議に思いました(もしかしてヘリで運んだ?).

P4160073 (写真8) 樅木の吊り橋です

 山深い五家荘は地形が厳しく,高低差も激しいため,地域の人々の道として吊り橋がたくさんあります.特に樅木の吊り橋は生活用の吊り橋としては日本一らしいです.渡ってみると下は見えるは,揺れるはでスリル満点です.

P4160108 (写真9) 梅ノ木轟の滝

 あと山深い五家荘にはたくさんの滝があります.代表的なのが100選にも入っている栴檀轟の滝ですが轟とはこの地域で滝を指す言葉だそうです.この日は近くの梅ノ木轟の滝を訪問しました.

 とにかく山奥ということがぴったりしすぎる五家荘でした(紅葉が素晴らしいとのことなので,今度はその時期に来てみたい).

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2017年3月12日 (日)

第20回ひの新選組まつり参加通知

 この週末は仙台での祈りのコンサート等で走り回っていたんですが,その間に自宅のポストに1枚のハガキが届いていました.そう,5月に開催されるひの新選組まつりの参加通知です.

 2006年の第9回からほぼフル参加しているお祭りです(震災で中止になった2011年5月の代替で同年秋にひっそりと開催された第14回除く).当初はコンテストから参加がデフォだったんですが,震災を挟んだ心境の変化に加えて,世代交代が進んでいること,当初一緒に参加していた仲間たちの大半が卒業してしまったことなどからコンテストへの情熱も失われてしまい,近年はパレードのみの参加,特にここ数年は衣装持ち込みの本隊参加と新選組と出会った人々枠での参加が半々程度という感じになっています.

 今年に関して言えば,参加したいという思いは相変わらずなんですが,前日に同窓会が入ることが確定している都合もあり,自前衣裳を持って移動するのは面倒なので,準備の不要な出会った人々枠で申し込んでいました.例年だとこの枠は,当初募集されている役柄とお祭り当日に登場する役柄が違っているなど,そのファジーさも楽しかったりするんですが,今年に関して言えば,希望する役柄に対する思いをアピールする欄が用意するなど,単なるオマケとはいえない感じになっていました.

 ただ自分的には何が何でもこの役を!というほどのものはなかったこともあり,特に希望はなしで申し込んでいました.そんな私に与えられた役は…

Img_2949  高杉晋作 ( ゚Д゚)

Takasugisugata  長州藩,バリバリの倒幕派です.

 南部藩出身,会津・新選組びいきの自分が長州とは… (^^;).たしかに昨年は尊王攘夷派の清河八郎をやりましたが,彼は新選組の前身浪士組の創設者であり東北の庄内藩出身,一方の高杉晋作は生粋の長州藩士です.かつて「新選組 in 長州」なんていうイベントをやって遊んでいた自分が,長州藩の代表的人物になるとは想像もしていませんでしたが,これもなにかの縁,頑張ってみたいと思います(まあ政治色が強い桂小五郎や薩摩の大久保一蔵よりは抵抗が少ないか 笑).参加さらる皆様今年もよろしくお願いします.

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2017年3月 8日 (水)

ラオス旅行記③

 ラオス旅行記その3は2月4日の後半です.

 昼食後,午後の観光に出発です.まずはレストランから徒歩でルアンパバーン旧市街のメイン通りに向かいます.途中の路地には紙漉きをして売っている人がいました(日本の和紙と同様の製法).通りにはあちこちに露駐の車があったんですが,ガイドさんが一台の車を指して,「あれは中国の車ですね」と言いました.見ると青いナンバープレートで漢字が書かれています(ラオスのナンバープレートは一般に白い).実は中国の雲南省あたりとルアンパバーンは意外に近いので,こうして車で観光にやってくる中国人は多いのだそうです.それだけ国境地帯の治安も安定しているということでしょう(これが中国とミャンマーの国境付近なら… ( ゚Д゚)).ちなみに漢字の川は四川省を,云は雲南省を表すのかなと勝手に推測しました.

P2040205 P2040217 (左写真1) 紙漉をしています.(右同2) 漢字が入った中国のナンバー

P2040226 (写真3) サッカリン通り

 そのまま少し歩くとメイン通りに出ます.ここはサッカリン通りというなんだか甘そうなイメージの通りなんですが,このサッカリンは人工甘味料のことではなく,19世紀のルアンパバーン国王の名前に由来しています.この地は19世紀の末から20世紀の中盤までフランス領となっていたために,今でもフランス風の建物が立ちならんでいるのでした.このあたりには地元の小学校や幼稚園が並ぶほか,ラオス王国の元王族のお姫様(ガイドさんはそういっていたが,相当な高齢な方)が住む宮殿(?)もありました.

P2040221 P2040229 (左写真4) 地元の小学校,(右同5) お姫様の館

P2040237 (写真6) シーサワンウォン通り

 お姫様の宮殿の角からメイン通りはシーサワンウォン通りと名前が変わります.名前の由来は1904年に即位したルアンパバーン国王の名で第二次世界大戦やその後のインドシナ戦争といった激動の時代を生きた人物です.シーサワンウォン通りに入ると道の両側に商店やレストラン,カフェが立ち並ぶなど華やかさが増します.夕方以降毎日開催されるナイトマーケットの会場もこのエリアです.

P2040240 (写真7) 王宮の正面

 通りをしばらく歩いていくと,右手に大きな建物が見えてきました.これがかつてルアンパバーン国王の宮殿だったところで,現代は王宮博物館(国立博物館)となっているところです.さっそく見学に向かいます.門から入ってすぐ右手にあるのはパバーン像安置祠という仏像が納められた祠です.祠といっても立派な建物で,壁には金ぴかの装飾が施されているほか,午前中に訪問したワット・シェントーンと同様に反った屋根などラオス風味の建物です.その反対側を見ると,この宮殿の主だったシーサワンウォン王の銅像が立っています.これは旧ソ連から贈られたものだそうで,言われてみると重厚な感じがソ連っぽいです.

P2040241 P2040243 (左写真8) パバーン像安置祠,(右同9) シーサワンウォン王の像

 そしていよいよ宮殿の中に入っていきます.ここでは靴を脱ぎ,荷物はロッカーに預けてからの見学となります.内部は写真撮影も禁止なのでカメラも持ち込めません(スマホ程度はポケットにしまうなどしていればOK).中には国王が公式の謁見を行った部屋や各種儀式が行われる部屋を始め,国王や王妃の寝室や王族が食事を行った食堂,国王の書斎などのプライベート空間などがあります.また王族が使用していた装備品や,諸外国から贈られた宝物なども展示されていました.宮殿そのものが建設されたのは1909年でフランスの保護領だった時期になり,建設に当たってはフランスの援助もあったため,周辺にある寺院とは違いここは西洋風の造りになっています.

P2040246 (写真10) 巨大なニワトリ

 王宮内部の見学の後は,裏手にあるガレージにあるかつて国王が使用した自動車を見学,年代物のリンカーンなど見る人が見れば感動モノの車体が並んでいたんですが,自分が注目したのはそこではなく,向かい側の建物から顔を出していた巨大ニワトリ!,いったいこれは… ガイドさんに聞いてもよくわからないという謎の存在でした.

P2040264 (写真11) ワットマイの本堂内

 王宮博物館の見学の後はその西隣にあるワット・マイへ.ワットとはラオス語で寺,マイは新しいの意ですから,日本語でいえば新寺という意味になります.実際にこのお寺の建立は18世紀末ですから,午前中に見学したワット・シェントーンより200年以上新しいことになります.ここも屋根は基本的にルアンパバーン様式ですが,後代の王が改築を繰り返したためその他の様式も混在しているのだそうです.このお寺は外壁に見事な黄金の浮彫が描かれているのも特徴なんですが,これはラーマーヤナの物語なのだそう.ラーマーヤナは古代インドの叙事詩で,元々ヒンズー教のものですが,東南アジアの仏教圏に広く知られている物語となっています(カンボジアのアンコールワットにもある).本堂の中では,ちょうどこれから出家するらしい若者を囲んで一族(?)の人たちがイベントをやっていました.なお境内には本堂の他に卒塔婆などが並んでいました.

P2040260 P2040263 (左写真12) ワットマイの外観,(右同13) 外壁はラーマーヤナの物語

P2040344 (写真14) ホテルのプールサイド

ワットマイ見学の後は一旦ホテルに戻っての休憩時間です(次は夕方からプーシーの丘で夕日見学).2時間ほどの自由時間だったので,せっかくだからとホテルのプールに繰り出しました.実際旅行の際にプール付きのホテルに宿泊する機会は多いんですが,観光が忙しすぎて(笑)プールを利用する暇がないのが実情です.今回は貴重な機会となりました(気持ちよかったです).

P2040267 (写真15) ワットマイからプーシーの丘の仏塔が見えます

 夕方になり迎えがやってきて出発です.今度の目的は世界遺産ルアンパバーン市内を一望できるプーシーの丘,特にここから眺める夕日が素晴らしいということです.さっき見学した王宮博物館そばのシーサワンウォン通りから階段を上っていくんですが,市内との標高差は150メートルで,なんと会談が328段もあり息が上がります.それでも15分ほどで丘の上に到着,山頂は世界遺産の夕日を見ようという観光客でごった返していました.まさに立錐の余地もないという感じです.3年前に行ったミャンマー・バガンのシュエサンド・パゴダも大混雑だったがここまでではありませんでした(笑).ここからはほぼ360度のパノラマが堪能できます.市街地(自分が宿泊しているホテルも見えた)やメコン川,支流のナムカーン川が一望できました(すさまじい人混みの隙間からなんとか写真を撮った).

P2040272 P2040323 (左写真16) プーシーの丘への階段,(右同17) 山頂はすごい人!

P2040282 P2040317 (左写真18) ナムカーン川,(右同19) メコン川と夕日

P2040339

(写真20) ナイトマーケットの始まり

 日没後来た道を戻ります.登りと違って下りは楽で,10分もかからないで下界に到着します.降りてみると,さっきまではただの道路だったシーサワンウォン通りにたくさんの露店が出現しています.これがルアンパバーン名物のナイトマーケットです.もっぱら外国人観光客相手の露店なので,野菜などの食料品や日常雑貨はなく,売ってるのはもっぱらお土産物でした(あとはファストフード的な屋台はある).キーホルダーなどの小物に加えて,織物をよく見かけました(ラオスの名産らしい).道路に整然と露店が並ぶさまを見て,店同士でけんかになったり,場所取りで揉めたりしないのか心配になったんですが,ガイドさんによると,どのスペースに出店すのかあらかじめ決められているとのことだった(たしかにそうでもしないと大変なことになりそう.ナイトマーケット実行委員会とかがあるんだろうか 笑).

P2040348 P2040352 (左写真21) アジア的な熱気です,(右同22) これから開店準備です

 そんなナイトマーケットの散策の後は夕食の時間,この夜のレストランはシーサワンウォン通りよりも一本メコン川側に入った通りにあるソン・パオレストランという郷土料理のお店です.ここは日本人が経営しているらしく,日本語表記のメニューもありました.この日のコースは最初に菜の花スープ(塩味あっさり系で美味しい),その後に各種料理の盛り合わせが登場,昨夜のラープは豚肉でしたがこの日は鶏肉,やっぱりハーブ(というかパクチー)が効いています.その他ラオス風の春巻きや野菜炒めがあったんですが,ひときわ注目をひいたのがご飯です.実はラオスの主食はコメはコメでももち米なのです.昨夜のレストランは普通のうるち米だったんですが,この日はついにもち米が登場,赤米を使っているらしく,ぱっと見は赤飯かと思いました.食べてみると確かにもち米で,ごま塩をかけるとまさにお赤飯という感じでした.

Dsc_1293 Dsc_1295 (左写真23) ラオスの郷土料理,(右同24) ラオスの主食はもち米です

 食事をしていると踊り子さんと楽器の人が登場,ここからはラオスの民族舞踊ショーの時間となりました(この日はお客さんが少なくて貸し切り状態,お店のマスターは「いつもはこんなことはないんですが,今日に限って貸し切りなんですよ~」とおっしゃってました 笑).

P2040356 (写真25) 踊り子さんとの記念撮影

 食事後はホテルに戻ります.明日はルアンパバーン名物,早朝の僧侶の托鉢を見学するため,さっさと寝ることにしたのでした.

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2017年3月 2日 (木)

イスラエルのワイン

 今夜は久しぶりに家でゆっくりしています.

 で,夕食に昨年9月のイスラエル旅行で購入したワインを開けました.

Dsc_1404(写真1) Gamlaワイン

  銘柄はGamlaというゴラン高原にブドウ畑のあるワイナリーです.ゴラン高原はイスラエル北部,ガリラヤ湖の東に広がる高原です.元々はシリア領でしたがこの地に設置した砲台からイスラエル側にしきりに砲撃が繰り返されていたこともあって,第三次中東戦争の際イスラエルが占領しそのまま実効支配を続けている土地です(シリアはもちろん国連もこれをイスラエルによる不法占拠とみなしています).同地には1974年以来国連のPKO部隊が展開しており,1996年から2013年までは日本の自衛隊も参加していました.

P9150398 (写真2) ガリラヤ湖から望むゴラン高原

 そんなゴラン高原は標高が高く,昼夜の寒暖差があってブドウ栽培の適地でもあります(元々ワインの起源がこのあたりだから当然か).イスラエルによる占領後この地でブドウ栽培が本格化し多くのブドウ畑が作られ,そこでできたブドウがワインになっています.

 このGamlaはゴラン高原の有名な銘柄で,イスラエルのスーパーなどでも売られていて,現地ガイドさんのご推薦銘柄でもあり購入したという次第です.以来家のワインセラーに眠っていましたが,飲んでみようということで今日開栓した次第です.美味しかったです(酸味,甘味,渋味のバランスが取れていて素直な感じ).

 ただラベルの表示がほとんどヘブライ語のため,ブドウの品種と製造年以外は何が書かれているのか全く分からないのでした(笑).

Img_2902 (写真3) ヘブライ語表記のため全く読めません(^^;)

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2017年2月28日 (火)

ラオス旅行記②

 ラオス旅行記その2です.

 一夜明けて2月4日朝を迎えました.私の目を覚ましたのは目覚まし時計でもモーニングコールでもなく… 鶏の鳴き声(笑).いやホント,町中からけたたましく鶏の鳴き声が聞こえてくるんです.途上国の首都なんかだと,町行く車のクラクションで起こされたり,イスラム世界だとアザーン(朝の祈りの時間を告げる放送)で起こされた経験はあるんですが,鶏の集団に起こされたのは初めてです.

P2040107 (写真1) 霧が立ち込める早朝のルアンパバーン

 窓から外を見渡すと一面の曇り空,ただし朝方霧がかかっているものの次第に晴れてくるのが乾季のルアンパバーンの気候の特徴なんだそうです.身支度を整えてから朝食会場へ,卵料理付きのビュッフェスタイル(いわゆるイングリッシュブレックファスト)でしたが,麺料理のコーナーやご飯も蒸してあるなどラオス風の朝食もいただけます.フランスの影響が強かった国でもあるのでパンもバラエティが豊富です.朝からボリュームたっぷりな食事でした.

P2040110 P2050409 (左写真2) 朝食のパンも充実,(右同3) 卵料理のコーナー

 朝食後8時半にロビーへ,すでに待っていたガイドさんと車に乗りこみ観光に出発です.まずはルアンパバーン郊外にあるタート・クアンシーの滝に向かいます.実は当初の予定ではこの日は終日市内観光,翌日が郊外観光だったんですが,ガイドさんがこの日程だと2日目が非常にタイトになるからということで,初日の午前中に滝に行くことにしたのです(結果的に大正解).車はルアンパバーン市内から南東方向に向かいます.少しすると周辺はラオスの田舎といった風景に変わっていきます.ローカルな雰囲気の中を30分ほどで滝のある自然公園の駐車場に到着しました.周辺にはお土産物屋が立ち並んでいる他,規模の大きなトイレもあるんですが,用を足したのはいいけど手洗い場がなかなか見つからなくて焦りました(入り口の反対側にあった).

P2040003 (写真4) 公園の案内図

 ここからはよく整備された遊歩道を登ってきます.ここはルアンパバーン近郊でも有名な観光地らしく,多くの人で賑わっていました(ただし観光客のほとんどが外国人でラオス人の姿はまれ).少い歩いて最初に姿を現したのがクマ牧場(笑),実はラオスは日本でもおなじみのツキノワグマの生息地なのです.ただ密猟や環境破壊から絶滅の危機にあり,この公園で保護が図られているとのことでした.

(写真5) だるそうに寝てる熊

 P2040130フェンスに囲まれたエリアにはざっと見10頭くらいのツキノワグマがいましたが,基本的に彼らの活動時間は涼しい朝夕に限られるので,気温が上がり始める今時分はだるそうに寝ている個体ばかりでした.

P2040017写真6) なんかシュールな画像

 熊の柵の周囲には世界のクマを紹介するコーナーがあって,そこにはシロクマやヒグマ,ナマケグマやマレーグマ,さらにはジャイアントパンダの像が展示されていましたが(なかなかシュールな感じ),このゆる~い雰囲気はかつて秋田県鹿角市にあった八幡平クマ牧場を思い出しました.

P2040021 (写真7) ブルーの天然プール

 熊牧場の散策後さらに歩いていくと,一面ブルーの天然プールが現れます.ここは滝の下流にあたる場所で,水浴することも可能なところです.今回我々は水浴はしませんでしたが,欧米系の観光客は結構泳ぐそうです(我々のすぐ後にやってきた欧米人が泳ぐ準備をしていた).ちなみにここの水が青いのはこの辺の地質が石灰華(トラバーチン)と呼ばれる炭酸カルシウムを主成分とするものだからだそうです(中国の九塞溝と同じ).

P2040025 (写真8) ドクターフィッシュもいます

 プールを散策していたらガイドさんが,「ここには面白い魚がいるよ」と水に手を浸しました.すると茶色い小さな魚が集まってきて皮膚を盛んに突っついています.そう,これがガラ・ルファという名の鯉の仲間の淡水魚です.人間の角質を食べるとともに皮膚に適度な刺激を与えることで神経を活性化するとのことで,ドクターフィッシュの別名もある魚です(日本でも水族館などで飼育されている).彼らが角質を食べるのは,別にそれが好物だからではなく,生育環境が過酷なためヒトの角質でも食べないと生きていけないからです.そんなドクターフィッシュも生息している公園なのでした.

P2040047 (写真9) 棚田のような光景

 そこからさらに川を遡っていくと,棚田のような光景や,日本でもおなじみの水車があったりとなんとなく懐かしい景色が観られました.そうしてしばらく歩いて目の前に大きな滝が姿を現しました.これがここの目的地クアンシーの滝です.説明によると落差は50m,直瀑ではなく,数段に渡って落ちてくるタイプの滝です(日本で言えば茨城の袋田の滝か).ここでしばし休憩します.実はここからさらに滝の上部に登っていく遊歩道があるらしいんですが,こう配がきついのと今日は時間がないので断念しました(実際この公園は泳げるし,一日がかりで遊びに来てもいい感じ).この滝ではタイ,ラオスと個人旅行しているという高齢の日本人男性と遭遇,私たちのガイドが日本語が話せるとのことで,当地のゴルフ場事情を尋ねていました(笑).

P2040065 (写真10) クアンシーの滝

 しばし写真を撮ったりして寛いだ後,駐車場に戻ります.来た道を引き返すのかと思ったらそうではなく,今度は舗装された快適な道でした(一方通行ではないが,川沿いの遊歩道とちょっと離れた舗装道があるらしい).15分ほどで駐車場に戻り再びトイレを使って車に乗り込んだのでした.

 この後はルアンパバーン市内に戻っての観光です.対向車線にはこれからクアンシーの滝に向かう車がたくさんやってきます.ガイドさんによると昼頃からこの滝は非常に混雑するので,帰りは渋滞になることもあるとか,今回我々は比較的人の少ない午前中に観光することができたわけです.

 約40分ほどで市内へ,まず向かったのはプーシー市場,主に地元の人たちが利用する市場です.近年はラオスでも首都のビエンチェンなどでは現代風のショッピングモールもあるようですが,地方では昔ながらの市場が普通です.野菜や肉,米といった食料品から雑貨品までが,所狭しと並んでいました(スマートホンの店もあった).商店はほとんどが簡単なシートで覆われただけのところが多いんですが,一部2階建てになっている部分がありました.ガイドさんによるとこの2階部分は金製品売り場なので行く人は少ないそうなんですが,それよりも注目はここにエスカレーターがあったこと.なんでもルアンパバーン初のエスカレーターなんだとか.

P2040103 P2040114 (左写真11) カラフルな野菜が並びます,(右同12) アジア的な市場です

P2040097 (写真13) 壊れているエスカレーター しか~し,できてまもなく壊れてしまい,用をなしていないとのことでした.それ以前にこの街の高齢者にはエスカレーターは不評で(乗った直後と降りる直前がダメらしい),修理されなくても苦情はこないとのことだった.

P2040132 (写真14) もち米の煎餅

 市場を後にして次に向かうのは世界遺産ルアンパバーンを代表する寺院,ワット・シェントーンです.ラオスは共産主義国家でありながら,敬虔な仏教徒が多いところです.歴史的には今のラオスの原型といえる,14世紀半ばのラーンサーン王国建国後にスリランカから上座部仏教がもたらされたとされていますが,それ以前に唐朝時代の中国からの大乗仏教が進行された時代もあるとされています.古都ルアンパバーンには数多くの寺院がありますが,その中でも最も歴史が古いのがこのワット・シェントーンでその建立は16世紀半ばとされています.場所はメコン川とナムカーン川の合流部,ちょうど土地が半島のように突き出ている部分の先端です(この寺院からだと両方の川が見える).寺院の近くで車を降りて白い門から中に入ります.入り口付近にはなにやらお煎餅のようなものを売っている人がいましたが,白い普通の煎餅かと思って見たら,もち米の煎餅でした!

P2040159_2 (写真15) キングギドラみたいです(笑)

 ワット・シェントーンには本堂の他,たくさんの建築物があります.まず入り口入ってすぐ右手にあるのが霊柩車庫,ここには1960年に行われたラオス国王サワーン・ワッタナーの葬儀の際に使われた霊柩車が保存されています.たくさんの黄金の龍の背中に棺(というか巨大な壺)が乗った霊柩車は非常に壮麗な感じでした.またここにはたくさんの仏像や壁画も残されており,往時のラオス王朝の威光を忍ばせてくれました.

P2040192 (写真16) 本堂背面のモザイク画

 続いて向かうのが本堂,ここはお寺の中心部ともいうべき場所です.まずはその外観を観察,湾曲した屋根が三重にかさなった,いわゆるルアンパバーン様式といわれる特徴的な屋根です.その湾曲具合が見事で,ラオスでもっとも美しいといわれています.本堂背面の外壁にはマイトーン(黄金の木の意)と呼ばれる巨大な木と様々な動物などがモザイクで描かれています.これは仏教の物語を描いてあるのだそうです.

P2040143 (写真17) 三重の独特の屋根

 本堂の中には巨大な仏像が鎮座していました.体は金色ですが,ミャンマーの大仏のような白塗りの顔ではなく,斜め下から見上げたその姿は,なんとなく奈良の大仏を彷彿させました.大仏周囲には小さな仏像も並んでいるんですが,見ると一体の仏像の上に龍をイメージした樋が走っています.これはラオスのお正月に仏像に水をかけるための仕掛けとのことでした(毎年四月中旬に行われるラオスのお正月=ビーマイ・ラーオの水かけ祭りは有名).

P2040183 (写真18) 本堂の大仏

 一方で本堂の南西部には赤堂(レッドチャペル)と呼ばれる小さな堂があります.ここには16世紀の王セーターティラーによって搬入された寝仏があるのだそうです(我々が訪問した時は鍵がかかって中は見られなかった).その他ミャンマーでよく見かけたパゴダの小型版のようなものもたくさん見かけました.

P2040214 (写真19) ルアンパバーンを代表するフランス料理店エレファント

 ワット・シェントーンの見学を終えると大体12時20分,ちょうど昼食タイムである.この日はルアンパバーンでもっとも有名らしいフランス料理店「エレファント」に行きました.地元の人や観光客に人気の店らしく,ディナーだとなかなか予約が取れないらしいです.この日は前菜&メイン&デザートのチョイスメニュー,自分は前菜にかぼちゃのスープ,メインはポーク,デザートはアイスクリームを選択,飲み物はこの日もラオスビールをいただきました.

P2040212 P2040213 (左写真20) メインのポーク,(右同21) デザートのアイス

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2017年2月15日 (水)

ラオス旅行記①

 さて先日のラオス旅行,正式な旅行記はホームページの旅行記録にアップされるハズなんですが,いったいいつになるのか見当もつかないので(笑),忘れないうちにこちらに備忘録的に載せていきます(そういいながら昨年のイスラエル旅行も未完じゃないかというツッコミはなしで <(_ _)>).

P2030050 (写真1) 京成スカイライナー

 今回の旅行出発は2月3日朝ですが,前日は新国立劇場でプッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観劇したため,その後日暮里に移動して駅前のホテルに前泊しました.当日は京成スカイライナーに乗って成田空港へ,事前に送っておいた荷物を受け取ってJTBの団体カウンターに行きます(団体とはいいつつ今回は我々2人だけのツアーなんですが).ここでeチケットをもらい今度はベトナム航空のカウンターへ.行ってみると激混み!! まさに長蛇の列でした(ハノイ行きとホーチミン行きがほぼ同時に手続きされていたためらしい).それでも30分くらいでどうにか手続きは完了しました.今回の行程はベトナムのハノイ乗り換えでラオスのルアンパバーンに入るのですが,ハノイから先の航空会社が異なるとかで搭乗券はハノイまでのみ,現地のトランジットカウンターで続きの搭乗券をもらう流れとなります.

P2030064 (写真2) 今回はベトナム航空です

 チェックイン終了後,特にすることもないのとこの先も混むことが予想されたため,さっさとセキュリティを抜けることにします.が,意外にも空いていてあっさりと完了(笑),出国審査も終わって搭乗まで時間が余ってしまいました.こういう場合の強い味方(?)ラウンジで時間をつぶすことにしたんですが,今回は旅行会社の方からラウンジ利用サービスが付いていたのでそちらのラウンジへ入ります.アルコールの他軽食が無料サービスだったので,朝食を兼ねていただきました(Kは醤油ラーメン,私はチキンカレー,その他ワインを飲んだのは言うまでもない 笑).かくして朝っぱらからほろ酔い気分で搭乗ゲートに向かうことになりました.

P2030069 (写真3) 機内からは見事な富士山が

 9時15分に搭乗開始となり機内へ,この日の飛行機はボーイング787でした.定刻に出発し本州を関東から関西,中国地方へと横断して東シナ海に抜けるルートです.安定飛行に入るとさっそく飲み物と昼食のサービスが始まりました.食事は和食と洋食の選択で自分は和食でKは洋食,飲み物は2人ともワインでした(笑).昼行便なので無理に眠っていく必要はないんですが,昨夜の睡眠時間が少なかった(日暮里のホテルに入ったのが0時過ぎ)こともあってうつらうつらしていました.気が付いたら飛行機はいつの間にか中国の上海あたりから大陸に入り南西へ進みやがてベトナム領空に入っていきます.その後降下を開始して,現地時間の13時56分(日本時間の15時56分)にハノイのノイバイ国際空港に着陸しました.

 飛行機を降りた感想は,「う~ん,ちょっとぬるいかな」という感じ,ベトナムというと常夏の国のイメージがありますが,南北に細長く南のホーチミンはそれこそ常夏なんですが,北に1500キロ離れたハノイの冬は朝晩など結構冷えるのです.

 人の流れに沿ってイミグレーション方面へ.ただ今回はベトナムには入国しないため,入国審査場直前で横にそれてトランジットカウンターに向かいます.ここでルアンパバーン行きの搭乗券をもらうことになりますが,我々の前に4人の日本人観光客がいました.なんでも阪急交通社のツアーとのことでした(こちらもルアンパバーン行き).ここでは受付のお姉さんがのんびり作業のため手続きはゆったりでした.まあ乗り継ぎ時間はほぼ5時間あるので,まったく焦る必要はないのですが(笑).

P2030076 (写真4) タイガービールでほろ酔い(^.^)

 搭乗券を受け取ると近くのエスカレーターを登ってセキュリティになります.ここでは靴も脱がされるほか,成田では大丈夫だったベルトのバックルが引っかかってしまいました.それでもここを通過して出発の制限エリアに入ります.まずは今度の飛行機が出るゲート26の場所の確認,その後は4時間ちょっとの長~い待ち時間です(本当は5時間だったが,さっきのトランジットで結構時間がつぶれたので4時間になった 笑).ラウンジでゆったりしたいところなんですが,残念ながらハノイの空港は自分のクレジットカードもプライオリティパスも使えるラウンジがありません(ホーチミンにはあるのに 泣).仕方ないので少し空港を散策することにします.ハノイの空港は2013年2月にアンコールワットを訪問した際,帰路のトランジットでも利用したことがあるんですが,その際はもっと小さい空港でした.ここ数年で大きく拡大されたもののようです(調べたら国際線用の新ターミナルとして2014年末に完成した模様,作ったのは日本の大手ゼネコン大成建設).ただ広いとはいっても東西に長いだけなので迷う心配はなさそうです.

 散策程度ではまだまだ時間が余るので,ゲート付近にあるカフェに入って時間をつぶします(東南アジアでは有名なタイガービールと軽食にピザをいただく).ネットを使ったりして時間をつぶし,搭乗開始時間が近づいたところでゲートに向かいました.

Dsc_1288 (写真5) ルアンパバーンへはプロペラ機

 26番ゲートは階段を下りていくパターン,どうやらボーディングブリッジではなくバスで連れていかれるパターンのようです.ゲートで搭乗券とパスポートのチェックを行い,そのままバスに乗り込みます.車内を見渡すと欧米系の観光客が多い印象でした(先ほどの阪急の人たちもいた).全員が乗り込んだところでバスは発車,ハノイ-ルアンパバーンは国際線ですが,乗り込む飛行機はプロペラ機でした.

Dsc_1376 (写真6) 入国カードの裏面

 18時50分定刻にプロペラ機は離陸します.安定飛行に入ると飲み物と軽食が配られましたが,むこうに着いたらすぐに夕食なので軽食はパスして飲み物だけをいただきました.その後ラオス入国のための入国カードが渡されます.カードとはいいつつ,裏に広告が印刷されたペラペラの紙でした.この時欧米系の観光客にはなにやら白い紙も配ってたんですが我々にはなし,どういうことだろう?渡し忘れなのかとちょっと不安を感じます.そうこうしているうちに飛行機は降下体制へ,約1時間ほどのフライトでルアンパバーンの空港に到着しました.

P2030090 (写真7) ルアンパバーン空港のターミナル

 降りてみるとほどよい涼しさという感じ,タラップで降りてそのまま空港のターミナルまで歩いていきます(とても小さい).まずはイミグレーションに向かいますが,ここで先ほどの白い紙の謎が判明,あれはビザ申請用の用紙だったようです.ラオス入国に当たって日本人は14日間以内の滞在ならビザは不要ですが,国によってはビザが必要なため入国前にここで取得する段取りになっているらしかったです.

 欧米系を中心に大半の乗客がビザカウンターに行ってしまったため,イミグレーションはまだがら空き状態,ほぼ一番乗りで通過できました(この便には地元民らしきひとはほとんどいなかった).その後ターンテーブルで荷物のピックアップ,幸いロストバゲージになることもなく出てきました.その先の税関は申告無しゲートを進み,到着ロビーへ.ここで現地ガイドさんと合流になります.我々の名前を掲げたガイドさんは現地人の男性でチャンポンさんという方でした(名前のイメージから長崎で日本語を勉強したのかと思いましたが,後から聞いたらそうではないらしい 笑).

 そのまま車に乗り込んで出発です.ルアンパバーンは世界遺産に認定されたラオスの古都(日本でいえば京都や奈良みたいなイメージか)ですが人口は8万人ほどの小さな町です.空港から少し走るとすぐ市街地ですが,大都会のような煌々とした灯りはありません.約10分ほどで夕食のレストランに到着しました.

P2030091 (写真8) 今回の旅行でさんざんお世話になったラオスビール

 この日の料理はラオスの郷土料理が並びます.まずはラオス北部を代表する麺料理カオ・ソーイです.きしめん風の温麺に辛味噌が乗った担々麺風の一品,見た目ちょっと辛そうでしたが辛かったです(笑).

 続いては各種ラオス料理,定番の豚のラープ(挽肉を各種香草を混ぜて炒めたラオス風そぼろ)や瓜の炒め物,川魚の唐揚げなどが出てきました.ラオスは内陸国で海がないので魚と言えば淡水魚なんですね.これらは他の東南アジア諸国に比べると辛くはなく食べやすかったです.飲み物はラオスのメジャービールであるBeerLao,あっさりした感じのビールでした.

P2030097 P2030099 (左写真9) カオ・ソーイ,(右同10)ラープ

 夕食後はホテルへ,この日から2泊するのがルアンパバーン中心部からちょっと登った丘に建つル・レジデンス・プーヴァオというホテルです.到着するとまずはハイビスカスジュースが登場(自家製石鹸のサービスもあった),チェックイン後部屋に移動となります.リゾート風味満点の部屋でした.

P2030103 (写真11) 部屋はこんな感じ

 この日は移動の疲れと明日からの英気を養うためもあってさっさと寝ることにしたのでした.

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