2020年6月26日 (金)

ハーメルンの笛吹き男

 梅雨真っ盛り(?)です.

 さて今日6月26日は,グリム童話で知られるハーメルンの笛吹き男の基となった事件が発生した日とされています.1284年のこの日,北ドイツにあるハーメルンの町から130人もの子供たちが忽然と姿を消し,二度と戻らなかったのです.

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 伝承によると,この事件の起こる少し前,街ではネズミが大量発生して人々が困っていました.そこに奇妙な服装をした男がやってきて,自分がネズミを退治してあげるから報酬をくれといいます.人々が同意すると男は笛を吹き始めました.すると,まるで笛に誘われたかのように家々からネズミが外に飛び出し,そのまま町を流れるヴェーザー川に飛び込んで死んでしまい,
町からネズミはすべていなくなったのでした.男は報酬を要求しましたが,人々は約束を破りそれを出し渋ります.怒った男は捨て台詞を残して町を後にしましたが,しばらくして6月26日の朝再び町にやってきました.そして男が笛を吹き始めると家々から子供が出てきて男についていき,そのままいなくなってしまったといいます.

 記録上でたしかなことは,この日ハーメルンから大勢の子供が消えたということのみです.笛吹き男やネズミのくだりはおそらく後世に付けくわえられたものでしょう.しかし,子供たちの大量失踪については今に至るも諸説があり決着はついていません.当時流行した伝染病で死んだのではとか,なにかの自然災害が起こったのでは,はたまた子供十字軍のようなことがこの地域でも発生したのではという説もあります(歴史的に有名な少年十字軍は1212年に発生,この時参加した子供たちの多くは奴隷商人によって外国に売り飛ばされてしまったと言われています).

18(写真)ハーメルンのネズミ捕り男の家,2005年当時はレストランになっていました(今もやっているのかな?)

 このように謎の多い中世ハーメルンの失踪事件ですが,笛吹き男の物語のおかげでこの町は世界的に有名になりました.実は私も2005年の年末にハーメルンに行ったことがあるんですが,街中いたるところにネズミや笛吹き男のモニュメントがあって,完璧にこのネタで町おこしをしていました(昼食で入ったレストランでは,ネズミのしっぽという料理が出てきます.ネズミのしっぽみたいに細く調理された肉料理でしたが,別にネズミの肉を使っているわけではないそうです 笑).

8 15(写真左)ネズミ捕り男の像の前で(若い!),(同右)街で有名な建物ライストハウス

 なおこの話,日本ではハーメルンの笛吹き男といいますが,ドイツ語では Rattenfänger von Hameln といい,これを訳すとハーメルンのネズミ捕り男となります.この時案内してくれた現地のガイドさんが,説明の時盛んに 「ネズミ男」と連呼していて,心の中で「それは,ゲゲゲの鬼太郎では…」 と思ったというのはナイショです(笑).

 そんな昔のことを思い出した2020年6月26日でした.

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2020年6月14日 (日)

夏季休暇の旅行

 毎年夏季休暇に旅行に出かけている我が家,ここ20年くらいは毎年海外に出かけていた.2000年代初頭は普段が激務すぎることの反動からか,のんびりビーチリゾートがメインだった(2001年ニューカレドニア,2002年タヒチ,2004年セイシェルetc.).仕事にやや余裕が出てきた2010年以降は歳を取ったらなかなか行けそうにないところ,いわゆる秘境系に繰り出すようになった(2010年ギアナ高地,2011年オカバンゴ・デルタ,2015年ウユニ塩湖etc.).そんな流れではあったが,今年は所属している合唱団が6月にドイツのライプチヒで行われるバッハ・フェスティバルに参加することが決まったことから,それへの参加を夏季休暇に当てる予定にしていた(その他風の旅行社から出ているインパールへの道や,ロシアのベルホヤンスクなども今後の候補として盛り上がっていた).

 しかしながら,新型コロナウイルスの流行によってドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国が深刻な状態に陥り,バッハ・フェス自体が中止となった.また外務省は全世界を対象に渡航延期勧告を出し,一方世界各国も自身の国に入る日本人をはじめとした外国人に厳しい制限を課すなど,事実上海外旅行は不可能な状況になっている.

 そんなわけで,21世紀に入ってから毎年継続していた我が家の海外旅行も今年は行けない可能性が極めて高い(今後半年以内に劇的に情勢が好転すればあるいは… だが,まあ職場環境から言っても許されそうにない).となると国内旅行ということになるのだが,こちらも全国に緊急事態宣言が出ていた4~5月段階では考えにくい話だったが,その後緊急事態宣言が解除され,各商業施設や文化施設の再開が始まるなど,最近明らかに状況は好転している.

 というわけで今年の夏季休暇は国内旅行を検討することにした(旅行をしないという選択は国などからの要請がない限り基本的にはない 笑).場所としては,「普段ならなかなか行くことが困難な場所」,「なるべく県境を越える回数が少ない場所」という2点を考慮する.で,そんな条件を満たす場所として急浮上したのが小笠原諸島である.

 新幹線や空路の著しい発展で,現在国内の主だった場所へは数時間で行くことができる.例えば知床半島や八重山諸島のような日本の端のようなところでも半日あれば十分たどり着ける.そんな時代にもかかわらず,小笠原諸島だけは例外である.理由は空路がなく船でしか行けないからだ.現在東京から小笠原諸島への移動は貨客船おがさわら丸が唯一の手段で,その所要時間は24時間である.すなわち北海道や沖縄はおろか,アメリカやヨーロッパの大都市に行くよりも時間がかかるのである(しかも船の関係で1週間連続した休みがないとまともに観光できない).

 そんな状況であるから,小笠原は国内では行ってみたい場所だったにもかかわらず,海外に比べて優先順位が低くなるためなかなか行けなかったのである.海外がダメな今年の企画としてはぴったりではないか!ということで,最近我が家で急浮上してきた次第である.しかも小笠原は行政区分上は東京都であり,ウチから出かける場合神奈川-東京の県境を1回越えるだけで済むというのもポイントが高いのだ(あとは空港や巨大ターミナル駅を何度も通過する必要がない点も).

 一方で小笠原のような離島は医療資源が極めて限られていることから,外部からの感染症流入を恐れることから入島を控えるよう要請が出されることもある.小笠原村のホームページを確認したところ,6月一杯はそうした入島自粛要請が出ているようだが,7月以降は段階的に観光客の受け入れを再開するとのことだった.もちろん今後の情勢の変化によって再びの変更はありうるが,その時はその時であり,計画としての旅行を考えることは大丈夫と思われる(小笠原の場合,まずは船の予約を取らなければならないので直前にドタバタと決められるものでもない).

 というわけで,今年の旅行は小笠原になりそうである.

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2020年6月 8日 (月)

倉敷うどん

 本日所用で岡山に行ってきました.新型コロナ関係で出張が激減していたわけですが,国の緊急事態宣言が解除されてぼちぼち再開され始めています.今回沼津よりも西に繰り出したのは約3か月ぶりになりました(ちなみに小田原よりも東は3月25日に大船に行ったのが最後で,東京都内へは3月中旬以降いまだに行ってません).

 岡山に来ると特に帰りに寄るのが同駅新幹線上りホームにあるうどん屋さん「倉敷うどん ぶっかけふるいち」です.駅の立ち食いうどんにしてはやけにレベルが高いので愛用しているお店です(列車内持ち込みもできる).

 この日の夕方もここで食べて帰ろうと思ってたんですが…

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 休みでした😖

 感染症騒ぎの中で4月15日以降閉店しているようです.見渡したらホームの売店も閉まってました💦.仕方ないので小瓶のワインをちびちびやりながら列車が来るのを待つ羽目になりました.

 この後新大阪でひかり号に乗り換えたのですが,駅構内の弁当屋さんがまだ7時前だというのに軒並み売り切れ,乗客の数は全然以前の水準に戻っていないので,おそらくは製造数を絞っていると思うのですが,こちらも残念でした(松阪牛100%使用の2000円越え!のプレミアムビーフサンドが凄く惹かれましたが,こちらも売り切れでした).

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2020年5月24日 (日)

お取り寄せグルメ⑥~宇都宮餃子~

 緊急事態宣言は徐々に解除の方向に向かっていますが,なかなか出かけられない生活はしばらく続きそうです.そんな引きこもりのお供である、お取り寄せグルメの第6弾はカジュアルに宇都宮餃子に挑戦しました.同市の餃子店として「みんみん」と並んで有名な「正嗣(まさし)」の一品です.1箱30個入り,せっかくなので2箱注文しました.

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 箱の裏にレシピが載っています.この日は焼き餃子チャレンジしました.専用たれに付けていただきます.

Img_6414  ちなみに正嗣の実店舗のメニューは焼き餃子と水餃子のみ,ビールはおろかご飯すらありません(水は飲める 笑).まさに究極の餃子専門店なのでした.

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2020年5月17日 (日)

お取り寄せグルメ⑤~山陰ののどぐろ~

 緊急事態宣言による自粛下でのささやかな楽しみ,お取り寄せグルメの第5弾は山陰,島根県浜田市ののどぐろです.一般的にはアカムツという名前の魚なんですが,北陸から山陰の日本海側で獲れるものがのどぐろと呼ばれています.これは口の中が黒いことに由来します.

Img_6395 Img_6396  のどぐろは白身魚の割に脂の含有用が多く,白身のトロなどとも呼ばれています.2017年に家族旅行で山陰の温泉津温泉に宿泊した際の夕食でいただいたことがあります.お取り寄せも肉(ラム🐏)→魚(フグ🐡)→肉(牛🐄)ときたので,次は魚だろうということでノドグロに挑戦しました.とはいえ,さすがに鮮魚状態は厳しいので今回は一夜干しです.合わせるお酒はこの日のために取っておいた(笑)獺祭🍶を開けました.

Img_6399  脂がのって美味しかったです(私は焼き魚をいただくときは醤油等を掛けずそのまま食べます.塩分に気を遣うというのもありますが,そのままで十分に美味しいからです).

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2020年5月16日 (土)

ルートビアの日

 コカ・コーラに代表されるコーラ飲料はいまや世界中どこに行ってもその姿を見ることができるほどメジャーなアメリカ発祥の飲み物です.一方で同じアメリカ発祥でありながら,あまり外国ではお目にかからない飲み物もあります.その代表例が表題のルートビアです.その歴史は18世紀,アメリカの開拓時代に遡り,住民らが自家製したハーブ飲料に起源があるとされています.その後19世紀後半に至りより洗練され,ハーブやスパイスに木の根などの粉末をブレンドして作られるようになりました.アメリカで最初に商業発売したのが,1893年にチャールズ・エルマー・ハイアーによるものとされています.

 以来アメリカではそこそこ人気があり,カフェやファストフード店などではコーラや各種飲料に交じってルートビアのサーバーも普通に存在します.私がルートビアの存在を初めて知ったのはアメリカ1889年の滞在時で,学食でたまたま存在を見かけ,怖いもの見たさで飲んでみたのがきっかけです.その結果は…

「さ、サロンパスの味がする (゜o゜)」

 いや、もちろんサロンパスを食べたことはないのですが💦,その風味はまさにサロンパスなのでした.サロンパスのような臭いがしてやたらに甘い… 好きな方には申し訳ないんですが,お世辞にも美味いとは思えませんでした(色彩はコーラっぽいので,個人的にサロンパスコーラと命名した).そして帰国する際にお土産に持って帰り,仲間内で罰ゲームに使用した思い出があります(ゲームで負けたやつに常温のルートビアを飲ませる).

Imagehtml  アメリカではどこにでもあるルートビアですが,日本での知名度は低いのでコンビニやスーパーではお目にかかる機会はまずないのですが,各種イベントや沖縄物産展などで見ることがあります(沖縄は大戦後アメリカ占領期間が長かったこともあり,そこそこ流通している).

 先述のようにルートビアが発売されたのが1893年のハイアーによるものですが,そのオリジナルが開発されたのが1866年5月16日とのこと,実は今日はルートビアの日だったようです!

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2020年3月15日 (日)

インパールへの道

 太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)3月に,日本が当時占領していたビルマ(現ミャンマー)からインド東部にあるイギリス軍の拠点インパールを占領しようと開始したのがインパール作戦(ウ号作戦)です.作戦構想自体は壮大なものでしたが,補給を無視した杜撰な作戦は大失敗に終わり,参加した3個師団の参戦兵力の半分以上が戦死戦病死する惨憺たる敗北に終わりました.このことから史上最悪の作戦と呼ばれ,インパールという名前そのものが杜撰な作戦の代名詞にもなっています.

 そんな作戦の地であるインパール,戦史好きの自分にとっても行けるものなら行ってみたい地です.しかし,ミャンマーとインドの国境地帯は民族紛争なんかがあって治安が悪く,少なくとも陸路で国境を越える旅は不可能だろうと思っていました.

 し,しかし

 なんと!陸路インパールを目指すツアーがあるらしいのです.

 陸路で行く ミャンマーからインパール、コヒマへの道11日間

 SNS上で出ていたんですが,これは風の旅行社という主としてペルーやモンゴル,ネパールといった山岳国への旅行を得意とする会社です.以前ペルーに行く時にここも候補に入れたことがあるので覚えています.まさか,こんな企画を立てていたとは…

 こんなご時世ですが,参加できるものなら参加したいなと思って日程を見ると…

 2020年3月6日出発

 もう出発日を過ぎています.はたして催行されたのだろうか… そうでなくても来年また企画されるなら参加したいなと思ったのでした.

 奇しくも今日3月15日はインパール作戦において,側面から同地を攻撃するために第15師団(祭兵団)と第31師団(烈兵団)が作戦行動を起こし,国境であるチンドウィン河を渡り始めた日です.

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 図はインパール作戦時の各師団作戦行動図に今回のツアーの日程を重ね合わせてみました(高木俊朗著 インパールより引用改変).当時の兵団がどうしてもたどり着けなかったインパールまで矢印が伸びでいるのが感動的です.

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2020年2月25日 (火)

東北大学混声合唱団創立60周年記念特別演奏会

Img034  さて,世間では新型コロナウイルスの話題が飛び交い,マスクが品薄になっているなどという報道も見られます.2月22~24日は三連休で,中日の23日は令和最初の天皇誕生日だったんですが,恒例の一般参賀も中止になってしまいました(宮内庁発表では諸般の事情に鑑みとしか触れていませんが,コロナ関係であることは間違いないでしょう).

 そんな23日は仙台に出かけてきました.目的は表題の「東北大学混声合唱団創立60周年記念特別演奏会」(なんて長い名前 笑)を聴くためです.

 長い学生時代を過ごした私ですが,その前半を過ごしたのが仙台で,その時代に所属していたのがこの東北大学混声合唱団です.ここに所属していたインパクトはすさまじく,今に至る自分の趣味の多くの部分がここで形成されたと言っても過言でないほどです.それこそ熱心に活動していたわけですが,私に続く後輩たちも連綿と活動を続けてくれています.

 昨年12月には第60回の記念定期演奏会が行われ,聴きに行ってきたわけですが(その時同期の仲間との懇親もありました 参考記事),今回のステージは主に同窓会が主催して主にOB・OG(卒団性)が出演するステージです.1年半ほど前から準備が進められていました.私も誘われていたんですが,いろいろと忙しく練習に顔を出す余裕がないため諦めて聴く側に回った次第です.

Img_6245  今回の演目は第1ステージが前年度の学生指揮者による合唱ゆかりの曲,第2ステージと第3ステージが常任指揮者の佐々木正利先生の指揮で2ステがフォーレのレクイエム,3ステが佐藤真のカンタータ土の歌です.フォーレは合唱団の定演で何度も取り上げた曲で卒団性からのリクエストが多かった作品です.カンタータ土の歌は終曲に「大地讃頌」という中学校の超有名合唱曲が終曲に入っている作品です.2017年には現役が定演で取り上げ,さらにはニューヨークのカーネギーホールで抜粋演奏をしています.卒団性にとっては垂涎のイベントで,私も自分が現役だったらなぁ~と嘆きつつ,OBとしてしっかり賛助金をお支払いしました(OBというのは金だけ出して口は出さないというのが自分のポリシー).2,3ステはオケ版でオケは仙台フィルハーモニー管弦楽団です(自分が現役の頃は宮城フィルで毎年定演でお世話になっていた).

 今回ステージに乗ったのは100人以上,自分が現役の頃を彷彿させました.3つのステージはどれも素晴らしく,昔取った杵柄じゃないですが,そんなに多くなかっただろう練習回数でよくこれだけまとまったな,さすがは同窓生と感動したのでした(自分の同期にいつも辛口な女子がいて彼女も今回参加していたんですが,そんな彼女が「今回の演奏はイイ!」と言ってたのでいいに違いないとは確信していました).

 終演後は交流会もあったんですがそっちはパスして駅前のオイスターバーへ.この前厚岸で食べてきたばかりだろう!というツッコミがありそうですが,私本当に牡蠣が好きなんです♪

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 そんな耳と舌が感動した天皇誕生日でした.

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2020年2月15日 (土)

コンキリエ

 根室の夜が明け,2月4日の朝を迎えました.冬の北海道旅行最終日です.窓の外を見ると昨夜以来の雪は上がり青空が広がっています.準備をした後レストランで朝食を食べ,チェックアウト時間まで部屋でまったりしていました(笑).

 10時にチェックアウト,レンタカーはすでに手放しているので,ここからは公共交通機関を利用しての移動になります.根室駅までは徒歩で向かいました.ホテルを出て周囲を見渡すと一面の銀世界,太陽が反射してまぶしいことこの上ありません.これが雪国の風景だよなぁと懐かしくなったのでした.10分ほどで根室駅に到着,過去根室には何度も来ているんですが,汽車(電車ではない)を利用するのは学生時代以来,ここ根室駅も30年ぶりくらい、平屋の駅舎は昔からこうだったかなぁと感慨深くなりました.

Img_2270_20200308215601 Img_2268(左写真1)根室駅,(右同2)根室本線終点の碑

 根室駅は道東地区では珍しい駅員の配置されている駅です.まずは窓口で切符を購入,根室-釧路片道で2860円でした.発車までまだ時間があるので,駅の隣にある観光案内所内にある土産物屋さんを覗きます.地元のお酒やアクセサリーに加え,終戦後の昭和20年8月18日占守島に侵攻してきたソ連軍を迎え撃ち善戦敢闘した戦車第11連隊(いわゆる士魂部隊)に関する書籍も購入しました.

 そうこうしているうちに11時近くになったため駅に戻ることに.改札が始まりホームに出ると,釧路行きの1両編成のディーゼルカーが停まっています.この日の乗客は10人程度でしたが見るからに観光客っぽい人ばかりでした.定刻に汽車は出発,数分で東根室駅に到着です.根室本線の終点は根室駅ですが,最も東に位置する駅はこの東根室駅なのです(ちょうど線路がぐるっと市街地を回り込んでくる感じなので).

Img_2278_20200308215601 Img_6207(左写真3)1両編成の汽車,(右同4)東根室駅の最東端駅の碑

Img_6208(写真5)花咲線の車窓

 東根室駅を過ぎるとあっという間に市街地は無くなり,周辺は原野と森だけになります.人工物は全くなく,どうしてこんなところに鉄道が走っているんだろうと不思議な気分になるほど最果て感があります.ちなみに根室本線の釧路-根室間は花咲線の愛称がついています.この辺で有名な花咲ガニにちなんだ名称で,実際漁港付近に花咲駅もあったんですが,残念ながら廃駅になっています.エゾジカの密集エリアとしても有名で,時々鹿と汽車の接触事故が起こっています.

Img_6211(写真6)浜中駅にて

 原野地帯を進んでいくと,途中数少ない市街地がある浜中駅に到着,ここはルパン三世の作者の故・モンキーパンチさんの故郷です.ホーム上にはルパンのパネルがありました.浜中駅を出るとすぐにまた原野と森地帯が始まります.この花咲線,ひたすら周辺が原野と森で変わらない風景が延々と続くという,他では味わえない風情があります(シベリア鉄道とかこれが日単位で続くんだろうな).

 浜中を過ぎてまた同じような景色が続きますが,やがて左手に湖が見えてきました.ここが厚岸湖で,まもなく厚岸駅に到着します.ここで途中下車するんですが,理由は近くにある味覚ターミナルコンキリエで牡蠣を食べるため.厚岸といえば牡蠣が有名です.せっかく道東に行くんだから食べたいなぁと思っていたわけです.しかもどうせ食べるならお酒も欲しい(笑).というわけで根室でレンタカーを手放して汽車で来たのはこのためだったのです.

Img_2282(写真7)味覚ターミナルコンキリエ

 ここには普通のレストランと炭焼きスタイル,オイスターバーの3か所の飲食店がありますが今回は行ったのはオイスターバーです.入ってさっそく生牡蠣を注文,お酒はというと最近とみに名が知られつつある厚岸ウイスキーの4種飲み比べです.それぞれ味わいが異なって良かったです(牡蠣とウイスキーは相性がいいと実感).その他いろいろといただきました.

Img_6214 Img_6215 Img_6216 Img_6219 (左上写真8)生牡蠣とウイスキー,(右上同9)アヒージョ,(左下同10)エゾシカのロースト,(右下同11)パスタ

 食事後は駅に戻り,次の汽車に乗って釧路へ,その後バスで空港に向かい,夕方の便で羽田に戻りました.こうして今年の自分の冬休み,しばれフェスティバル&道東の旅4泊5日はお終いです.

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2020年2月13日 (木)

野付半島と納沙布岬

 温泉ホテルでの夜が明け,2月3日の朝を迎えました.この日は節分です.

 特に急ぐ理由もないのでゆったりと朝食(朝食もブッフェでまたまた品数も豪華!)を摂り温泉に浸かって過ごしました.10時にチェックアウトして出発です.この日の目的地は北海道最東の根室,網走には出ずホテルからそのまま内陸を東進して斜里に出ます.そこから国道244号に入って知床半島の付け根を横断する形で太平洋側に抜けました(夏なら知床半島西岸を北上してウトロから知床横断道路というコースもあり).標津町で太平洋に出て海沿いに南下,そのまま海沿いに走って野付半島に入ります.

 野付半島は日本最大規模の砂嘴であり,全長30キロ近くある半島です.トドワラ,ナラワラといった最果て感漂う立木枯れの風景が人気のスポットでもあります.夏はもちろんですが冬でもそこそこ観光客の姿が見られるのでした(冬にはスノーシューを着用して半島先端を歩くツアーもあるみたいですが,今回はパス).もっともトドワラは近年倒木が進みかなり数が減ってしまったとのことですが…

Img_6167 Img_6181(左写真1)野付半島はるか向こうにトドワラがあります,(右同2)ナラワラとエゾジカの群れ

Img_6157(写真3)道端のエゾジカ

 周辺は野生動物も多く生息しており,特にエゾジカは普通に道端を歩いているのが目撃されました.あとここには幕末の万延元年(1860年)から慶応四年(1868年)まで幕府の命により北方警備のためにこの地に派遣されていた会津藩士の顕彰碑と藩士のお墓があります(半島を縦断する道路の真ん中付近にある).極寒のこの地での冬はかなり厳しかったと思われます(当時ロシアの南下に備えて幕府は東北地方の諸藩に命じて蝦夷地の警備を行わせていた).

Img_62112 Img_62152(左写真4)会津藩士の顕彰碑、(右同5)お墓

 野付半島の見学を終えて再び太平洋岸を南下,やがて別海町に入ります(ここは人間の数の7倍牛の数がいるところ).この辺りは周辺みな牧場で,「〇△牧場」という看板をたくさん見かけます.そのまま南下していくと左手に風連湖が見え,いよいよ根室市内です.厚床から国道44号線に左折して市内中心部に向かいます.

 市街地はとりあえず無視してそのままさらに東へ,目的地は本土最東端の納沙布岬,過去には学生時代を含めて何度か来たことがあります(最終訪問は2008年11月).同じ北海道東部でも網走やウトロなどオホーツク海側は流氷などもあって冬でも観光客が多いんですが,ここ根室は空港からも遠いので閑散としていました(土産物屋もすべて閉まっていた).来客も我々の他は仕事で来たっぽい男性グループのみでした.

Img_6194 Img_62192(左写真6)納沙布岬(記念写真),(右同7)荒涼としています

 寒いので早々に立ち去って市内に戻ります.次はヤマト運輸の配送センターへ.しばれフェスで使った荷物一式をスーツケースごとすべて家に発送するためです.この頃から雪が降り始めました.最東端の日没は早く,5時にはもう真っ暗です.ナビに従って進むのですが,市街地を抜けて何もない地帯に.こんなところに本当に配送センターがあるのかと不安になりましたが,ちゃんと存在しました.ここで荷物を発送,身軽になった後は市内のトヨタレンタカーで車を返し,この日宿泊のホテルに入りました.結局夕食はホテルそばにある回転ずし花まるへ,日本酒とお寿司を堪能しましたとさ.

Img_6205 Img_62262 (左写真8)花まる本店,(右同9)お寿司

 

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