2022年6月28日 (火)

しながわ宿場まつり2022

 自分にとって秋の恒例行事になっているのがしながわ宿場まつりです。例年9月の最終土日の2日間開催されるのですが、特に日曜日のお昼に行われる江戸風俗行列が非常に楽しく,初参加の2007年以来ほかの用事と被らない限り積極的に参加しています(江戸時代の扮装をしながらホテル村でワインを飲むのが素晴らしい)。

 ただほかのイベントに漏れず、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けて2020年,2021年は中止となってしまいました。ワクチン接種が進みコロナ禍が落ち着きを見せる2022年果たしてどうなるのか注目していましたが、先日公式サイトに規模を縮小して開催する旨が出ていました。

 しながわ宿場まつり公式サイト

 例年2日間で行われるところ、今年は日曜日1日のみの開催となり、例年土曜日に行われていた花魁道中は中止、フリーマーケットの募集もなし、日曜日の江戸風俗行列は規模を縮小して開催とのことです。規模縮小ということは参加人数を少なくするということだと思いますが、一番減らされそうな部分が一般参加枠でしょうから、果たしてどうなるのか(そもそも一般枠はあるのか)引き続き注目したいと思います。

 何はともあれ、日本寮歌祭といい規模縮小であっても開催を目指しているのはうれしい話題です。

Shinagawa2010_052 P9270767_2(写真)過去印象深かった参加回。上は仲間と与力・同心・岡っ引き・盗賊をやったとき、下はウチのKと八百屋お七と火消をやったとき。

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2022年6月20日 (月)

渋沢栄一の里

 先日の埼玉旅行,ときがわ温泉と並ぶ柱が渋沢栄一の里を訪ねることでした.2021年の大河ドラマ青天を衝けの主人公であり,日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の出身地血洗島村は今の深谷市にあります.ドラマが放送されていた昨年のうちに行ってみたかったんですが,ちょうど新型コロナのデルタ株が流行っていたタイミングだったために断念したものです.今回ようやく行くことができました.

 まず向かうのは渋沢栄一記念館,ここには渋沢栄一に関する書簡や写真などの資料が多数展示されているほか,講義室では渋沢のアンドロイドによる講義を聴くことができます(予約制).この日は課外学習と思われる中学生グループが来ていました.

Img_8369 Img_8383(左写真1)渋沢栄一記念館、(右同2)渋沢栄一のアンドロイド

 続いては記念館から車で数分の旧渋沢邸中の家(なかんち)です.ここは渋沢栄一の生家があった場所で,現在ある屋敷は明治28年に建てられました.栄一は晩年になっても時間を作ってはこの地を訪れていたそうです.ただ今年の春から耐震工事に入ったらしく今は外観しか見ることができないのが残念でした(我々が行くと工事中というケースは結構多く,過去にはアヤソフィア寺院,アンコールワット,延暦寺根本中堂などがそうだった).

Img_8389 Img_8390(左写真3)渋沢栄一生家中の家、(右同4)若き渋沢の像

 次は幼少期の栄一にとって学問の師でもあった尾高惇忠の生家を訪ねます.中の家が明治期に新築された建物であるのに対し,ここは江戸時代後期の建物が残っているという,違う意味でも重要なところです.内部は土間を通路として部屋の一部を見学するスタイルでした(ここの2階に文久三年の「高崎城乗っ取り計画」の謀議が行われた部屋があるが現在は非公開).ここには藍玉や藍の葉も植えられていました.

Img_8399 Img_8400(左写真5)尾高惇忠生家、(右同6)内部の様子

 尾高惇忠の生家訪問を終えたタイミングでちょうど昼時,この日は地元の小料理屋さんで深谷名物の煮ぼうとうをいただきました.ほうとうといえば山梨が有名ですが,味噌味でかぼちゃが入った山梨版に対して,こちらは醤油味であっさりした感じでした(二日酔いのお昼にいい感じ 笑).

Img_8401(写真7)煮ぼうとう

 昼食後は誠之堂・清風亭へ.こちらも渋沢栄一ゆかりの場所です.誠之堂は栄一の喜寿を祝って大正5年に当時の第一銀行の行員たちの出資により建てられた煉瓦造り・洋風の建物(イギリスの農家をイメージしたらしい),一方の清風亭は大正15年に第一銀行頭取の佐々木勇之助の古希を祝って誠之堂の隣に建てられた白壁が特徴的な建物です.どちらも当時東京世田谷にあった第一銀行の保養施設清和園内にありましたが平成11年に深谷市に移築され今に至っています.

Img_8404 Img_8408 Img_8414 Img_8416(左上写真8)誠之堂、(右上同9)誠之堂内部、(左下同10)清風亭、(右下同11)清風亭内部

 この後は郊外の畠山重忠公史跡公園へ.ここは鎌倉時代初期の有力御家人畠山重忠の館跡に整備された公園です.青天を衝けに続いて放送されている鎌倉殿の13人にも登場する武将でそのキャラから坂東武者の鑑と称賛された人物です.近くの道の駅でも渋沢栄一と並んで畠山重忠グッズが売られており,うまく時流に合わせているな(笑)と感心したのでした.

Img_8425 Img_8421(左写真12)畠山重忠墓所、(右同13)しげただの像

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2022年6月19日 (日)

ときがわ温泉

 先日ちょっと近場の旅行に行ってきました.目的地は埼玉県西部,普段神奈川県に居住している人間としては旅行といえば北海道とか紀伊半島など離れた場所に目が行くため,観光ではなかなか行くことがない場所です.いろいろと廻ったのですが,その中の一つが表題のときがわ温泉です.実はここ,ある意味で非常に有名な温泉なんです.それは日本で一番pHが高い(アルカリ性が高い)温泉としてです.そのpHは11.3になり水酸化ナトリウムのモル濃度でいうと0.005mol/Lになります.アルカリ性の温泉と言えば,皮膚の角質が溶けてヌルヌルする,いわゆる美肌の湯として知られています.そのアルカリ度日本一のお湯です(ちなみに酸性日本一の温泉は秋田県の玉川温泉でこちらはpH 1.2でモル濃度0.06mol/L).

 場所はJR八高線明覚駅から西に10キロほど山の中に入ったところにあります.旅館ときがわという一軒宿ですが,現在は宿泊営業はしておらず,昼夕2部制各2組,合計1日4組限定の食事付き貸し切り営業となっています(利用時間は4時間).宿泊はできないためこの日は隣の越生町に宿を取って行くことにしました.当初は車で行くことを考えていましたが,旅館のサイトの料理を見て「これは絶対お酒が飲みたくなるやつだ(笑)」と思ったので宿泊所に車を置いてタクシーで往復することにしました(結果的に大正解).

Img_8454 Img_8456(左写真1)旅館ときがわ,(右同2)部屋です

 ついたところは本当に山の中,暖簾に柚子の文字が書かれていて柚子にこだわった温泉のようです.まずは部屋に案内されますが,結構立派な造りです.お茶を頂いた後さっそく温泉に入ります.貸し切りの浴室は岩風呂で埼玉県としては珍しい源泉かけ流しの湯でした.さっそく入って見ると,たしかに角質が溶けてヌルヌルします.とはいえ過去に入ったことがあるほかのアルカリ性泉に比べてそれほど強烈という感じはしませんでした.思うにこの温泉は湧出量が多くないため浴槽内のお湯の滞留時間が比較的長く,湧出段階ではpH 11.3でも空気中の二酸化炭素と反応してどんどんアルカリ度が下がっていくからだろうと想像しました.

Img_8468 Img_8474(左写真3)貸し切りの浴室,(右同4)源泉pH 11.3のお風呂

 しばし温泉を堪能した後は夕食の時間,柚子懐石の登場です.次々と出てくる料理は完璧に山のものオンリーでした(お造りは湯葉と蒟蒻,焼き物は岩魚,御凌ぎはとろろ蕎麦,揚げ物は野菜と鮎の天ぷら).日本酒との相性が抜群で車で来なくて良かったと思いました.

Img_8457 Img_8460(左写真5)前菜は2段重ね,(右同6)岩魚の塩焼き

 食事の後は少し休んでから再び温泉を堪能したのでした.

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2022年5月31日 (火)

もうひとつの五稜郭

 5月29日日曜日はふと思い立って長野県の佐久市に繰り出しました.目的は続日本100名城の一つである龍岡城を訪問することです.

 龍岡城は龍岡藩1万6千石の藩庁で,築城が開始されたのは幕末の元治元年で一応の完成を見たのが慶応3年です.日本100名城正続200城の中で最も歴史が新し城郭になります.そしてこの龍岡城が特記すべきなのは,これが西洋風の五芒星星形城郭(いわゆる五稜郭)であることです.

P5290588 Img_8196(左写真1)龍岡城大手門跡,(右同2)堀と郭

 星形要塞は近世以降のヨーロッパで発達した城郭の形態で,敵の火砲による攻撃を防ぎつつ,攻め寄せる敵兵に効果的に射撃を浴びせることを目的としています.中世までの城は高い城壁を持つことがより強力な防御を持つことを意味しましたが,火砲が発達すると高い城壁は格好の目標となり容易に破壊されうるようになりました.この対策としてより低く厚い城壁が求められるようになったのです.ただし日本では大型の火砲が多数配備される前に戦国の世が終わったこともあり,城はシンボル的なものとなり高い城壁,派手な天守や櫓などを持つ形態のまま幕末に至りました.

P5290605 Img_8191(左写真3)現存する唯一の建物である御台所,(右同4)龍岡城隣にある五稜郭公園

 しかし列強の脅威が迫る中で従来の城郭ではとても拠点を守ることは困難であり,西洋風の城郭が作られることになります.もちろん代表例は函館の五稜郭ですが,信州佐久にも同じコンセプトの城郭が作られていたのです.ただ龍岡城の広さは函館五稜郭の4分の1と小ぶりで,堀も狭く,付近の小高い山から全体が一望できるなど,とても実戦に耐えうるとは思えず,これは西洋文化に造詣が深かった藩主松平乗謨の個人的な趣味によるものではと考えられています。

 明治後廃城となり大半の建物は破却あるいは売却されましたが,唯一御台所のみ現存しています.また現在城内は佐久市立田口小学校の敷地となっています.

Img_8203(写真5)展望所から見た龍岡城,周囲の緑が五角形を示しています

 五稜郭といえばその全体像を眺めてこそその感慨が味わえます.函館の五稜郭はすぐそばに高さ107mのタワーがありますが,龍岡城にはそのような塔はありません.その代わり城の北東部の山の中腹に展望所があり,そこから全体像を把握することができます.

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2022年5月29日 (日)

コンスタンティノープルの陥落

 今日5月29日は当ブログにとっては非常に重要な日です.私はハンドルネームでビザンチン皇帝コンスタンティヌス21世を名乗っていることからわかるように、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を愛好しています。そんな帝国の都がコンスタンティノープルで君府とも呼ばれます。11世紀の最盛期には人口50万を擁し,中世に入って都市が衰退していた当時のヨーロッパでは群を抜いて巨大な都市だったのです。コンスタンティノープルはその成立の日と滅亡の日がはっきりわかっている年です。すなわちローマ皇帝コンスタンテゥヌス1世(大帝)により330年5月11日に開都式が開催され、その約1100年後にメフメト2世率いるオスマントルコ軍の攻撃を受け,1453年5月29日についに陥落して帝国は滅亡に至ったのです。

 ビザンチン帝国というのは,別名を東ローマ帝国,中世ローマ帝国といわれるように、古代ローマ帝国の後継国家です。ビザンチンという名前はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の古名であるビザンティウム(ビザンチオン)から来ており,国家が存在した時期はちょうど西洋史における中世と呼ばれる時代区分に一致します.

 中世という言葉は,西洋史の歴史用語で古代と近代の間の時代という意味です.私が中学生頃の西洋史観では中世というのは迷信と疫病のはびこる暗黒時代とされていました.すなわち古代ギリシャ・ローマの文明が衰退し,ルネッサンスによって復興するまでのつなぎの時代とみなされていたわけです.もちろんこれは西欧の立場から見た話しであって,同じ時代イスラム圏は文明の中心として栄えていたわけですし,キリスト教世界においてもビザンチン帝国がその中心として繁栄していました.これらの世界においては暗黒時代どころか黄金期だったわけです.

 現在においては西欧においても中世は何もない時代ではなく,様々な社会や文化の発展がみられた時代であるという認識に変わっています.そんな発展途上の西欧社会の人々にとって,キリスト教世界の中心地だったコンスタンティノープルが異教徒の手に落ちたことは衝撃的な事件でした.この歴史的大事件当時に作曲家として活躍していたギョーム・デュファイはコンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆きという曲を作っています.

 そんな感慨にふけった2022年5月29日でした.

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2022年5月22日 (日)

日本旅行医学会大会

 学会ウィークですが、6月18日~21日に行われた第63回日本神経学会学術大会に引き続き,5月21日~22日には第20回日本旅行医学会大会が開催されました.旅行医学とは「人の移動の安全と快適性を高める医学」と定義付けられています.医療者であり大の旅行好きである身としては,まさに自分のためにあるような学会です(笑).その存在を知った瞬間に入会し,その後試験も受けて現在は認定医にもなっています.

 2019年までは毎年4月に代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催されていましたが,2020年の大会はコロナ禍で中止となり2021年からは5月にオンライン形式で行われるようになっています.今年もオンラインでした(オンライン開催はどこにいても参加できるメリットがありますが,リアルだと必ずあるランチョンセミナーがないのが残念 笑).今年のテーマは昨年に引き続き留学生の旅行医学でした.コロナ禍で国と国との往来が制限されており,なかなか留学のハードルが高くなっている世相ではありますが,今後徐々に往来が増えてくるだろうことから2年連続でこのテーマとなった模様です.

Dsc_0050_640x480 Dsc_0055_640x480(写真は過去のものです)

 講演の内容はウイルス変異のメカニズム,テロに遭遇した場合の対応,留学用ワクチン接種の話題,危険ドラッグの話題,エレベーターの地震対策等でした.自分自身にとっても興味深いテーマばかりで学びの多い時間となりました.

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2022年5月 8日 (日)

雪の回廊

 世間のGWの最終盤となったこの週末は久しぶりに実家に行ってきました.で,せっかくこの季節に帰ったのだからと母親を連れて八幡平アスピーテラインに繰り出すことに.同路線は岩手県の八幡平市から奥羽山脈を越えて秋田県の鹿角市に抜ける山岳観光道路です.沿線にはたくさんの温泉があることでも知られています.最高地点の見返り峠の標高は1600メートルに達するため緯度を考慮すれば立山の2000メートル級に優に比肩する環境です.例年11月から4月中旬まで冬季閉鎖となるほか,開通前後は夜間通行禁止や荒天による通行止めなどの措置も取られます.

Img_8071(写真1)八幡平アスピーテライン

 非常に雪深い場所でもあり,毎年開通する4月中旬から5月初旬にかけて雪の回廊が見られることでも知られています.今回はその雪の回廊目当てで出かけたのは言うまでもありません.

 高速道路の最寄りである松尾八幡平ICから案内に従って進んでいきます.徐々に標高が上がっていくに従い周囲には残雪が現れてきました.さらに進んでいくと道路脇の雪が徐々に高くなり,峠付近では約5メートルくらいになりました.開通直後の4月中旬は8メートルほどの高さがあったそうですが,約3週間でかなり低くなったようです.それでも普段なかなかお目に掛かれない景色を堪能しました.

Img_8109 Img_8098(左写真2)雪の回廊,(右同3)峠にて

 峠のレストハウスで休憩した後は秋田県側には抜けずに,峠からの別ルートである八幡平樹海ラインで戻ります.こちらも雪の回廊がよく残っているほか,下界ではちょうど水芭蕉が見頃を迎えていました.

Img_8118 Img_8143(左写真4)樹海ラインに残る雪の回廊,(右同5)水芭蕉

 樹海ラインを降りてくる途中に松川温泉があります.乳白色の硫黄泉で有名な温泉ですが,そのすぐそばにあるのが松川地熱発電所です.これは地球内部に存在する熱(地熱)を利用してタービンを回して発電するシステムです.火力発電ならば化石燃料を燃やして,原子力発電ならば核分裂で発生する熱を利用してお湯を沸かしてその蒸気でタービンを回しますが,地熱発電は地中から湧いてくる熱を利用するので原理的には燃料費がかからない発電方法です.もちろん様々な問題点はあるわけですが,火山国である日本では有利な発電方法の一つです.この松川地熱発電所は日本で初めて商業利用された地熱発電所となっています(1966年開業).その独特の外観を持つ冷却塔は,日本の地熱発電所のシンボルマーク的な存在となっています.この日はそんな発電所も見学しました.

Img_8127 Img_8135(左写真6)独特の外観を持つ冷却塔,(右同7)記念写真

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2022年5月 5日 (木)

富士サファリパークの休日

Dsc_2327(写真1)富士山

 世間ではGW,人によっては2日(月)と6日(金)を休みにすると10連休が実現するらしいんですが,私の場合は途中仕事が入っているためそんな連休にはなりません.しかも連休前半は天気が悪い日も多く出かけようという意欲がわきませんでした.そして3日&4日と仕事をして5月5日は天気が良かったため日帰りで出かけることにしました.行った先は静岡県裾野市にある富士サファリパークです.

Img_7998(写真2)サファリのゲート

 富士山麓の標高850メートルにある施設です.我が家では2015年のGW以来7年ぶりの訪問でした.かつては富士サファリクラブという会員カードを利用すると入園料が割引になる制度があったんですが,現在はネットで申し込んでスマホで利用するMy Safariという制度に代わっていました(通常2,700円が2,200円になる).現地に着いたのは9時50分頃で開園から1時間程度の時間帯でしたが,すでに第1駐車場は満車で少し離れた第2駐車場に誘導されました(2015年もGWの訪問でしたが第1駐車場に停められた).

 まずはサファリバスの予約をしようと受付に行ってみましたが,

 な,なんと!

一番早くて15時55分でした(朝からその時間帯までの分は開園1時間足らずですべて埋まったらしい💦).とりあえずその時間帯のチケットを入手して,まずはウォーキングサファリへ.歩いていろんな動物を観察する1周2.5キロのコースです.サファリゾーンは基本的に自動車から観察するのがメインコースですが,ウォーキングコースはそれに対してバックヤード的な感じです(裏側から覗く感じ).途中には餌やりのスポットもあるんですが,人気なのがライオンの餌やり場,結構長い行列になっていました.ゆっくり歩いてウォーキングサファリは2時間ほど完了ですが,この時間帯マイカーサファリは大混雑で,特に人気の動物付近では停車すると後続が大渋滞になるため係員が「右車線の日産の車の方,停まらないでください!」と叫んでいました.

Img_7900 Img_7929(左写真3)ライオンの餌やり,(右同4)キリン観察のテラス

 ウォーキングサファリが終わると大体12時頃,まだおなかが空いていなかったため今度はふれあいゾーンと呼ばれる普通の動物園っぽいところを散策します.こちらには最近話題のカピバラやミーアキャットやカバ,ワオキツネザルのほかアフリカのサファリでは人気の高いリカオンもいます.7年前に来た時はもっと気温が高かったせいか,ダラッと寝ているばかりでしたが,この日は気候が良いのか起きて活動しているようでした.このふれあいゾーンには実際に動物に触れるコーナーもあって,特に猫の館やウサギの館では指名した動物を触ったりできます.7年前に来た時はウサギの館に寄った記憶がありますが,この日は当日分のチケットが完売していたため入ることはありませんでした.また前回はアルマジロに触れるコーナーがありましたが,今回は無くなっていました.

Img_7944 Img_7981(左写真5)ミーアキャット,(右同6)リカオン

 ふれあいゾーンを一通り散策したところで昼食へ.この日はサファリゾーンにほど近いところにあるフロンティアというレストランに入りました.イートインとテイクアウトがあるんですが,感染対策のためか用意されるのはどちらも同じ使い捨て容器のもの,これをテーブルでいただくのは南米やアフリカ奥地のツアー弁当を彷彿させました(サファリだからいいのか 笑).

 昼食後は自家用車サファリに繰り出します.3時近くになっていたため午前中のような混雑はなく,ゆっくりと観察できました.途中の草食獣ゾーンでは時々動物が道路に出てくるので油断するとぶつかるんじゃないかと不安になりました(笑).

Img_8023 Img_8025(左写真7)アムールトラ,(右同8)チーター

 コースを一回りした後はいよいよバスサファリの順番です.基本的なコースは自家用車の時と同じですが,途中3か所餌やりポイントがあります(クマ,ライオン,ラクダ).人間が檻に入って動物の世界を走ると逆に我々が観察されているんじゃないかという気分に浸れるのが面白いと思いました.

Img_7999 Img_8005 Img_8033 Img_8040(左上写真9)ジャングルバス,(右上同10)クマの餌やり,(左下同11)アジアゾウ,(右下同12)サイ

 乗ったバスがほぼ最終に近い時間帯だったこともあって,一周して戻ってきたら辺りはすでに片付けの雰囲気が漂っていました.最後にお土産物屋に立ち寄って家路についたのでした.

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2022年5月 1日 (日)

新田義貞の側室の墓

 小田原駅周辺から国道1号線箱根方面へは休日を中心に交通量が多く、時に大渋滞になることもあります.そんな場合の抜け道として地元民が利用しているのが小田原駅新幹線口付近城山地区の山間部を通って国道1号線の風祭入生田地区に抜ける裏道です.私も時々利用する道なんですが,その途中に以前から気になっていた看板がありました.

Img_7877(写真1)新田義貞側室の墓の看板

 新田義貞の側室妙貞尼の墓と書かれています.

 新田義貞は鎌倉時代末期から南北朝時代初め頃の武将で,上野国新田荘(今の群馬県太田市や桐生市の辺り)を本拠にした御家人です.後醍醐天皇による討幕運動である元弘の乱において天皇方に付き,足利尊氏とともに鎌倉幕府打倒の立役者となりました(義貞,尊氏ともに当初は幕府方で戦っていたが,途中で寝がえり尊氏は京都の六波羅探題を攻略し,義貞は鎌倉を攻めて北条得宗の北条高時を討った).

 その後の建武の新政下において次第に足利尊氏と対立するようになり,尊氏が反旗を翻すと義貞は事実上の総大将としてその討伐に参加しました(名目上の大将は尊良親王).各地で起こった足利軍との戦いは徐々に劣勢になり,延元三年(1338年)越前藤島(今の福井市)で討ち死にしました.そんな新田義貞の側室の墓がどうしてここに!という感じがします.以前から気になっていましたが,時間があったので行ってみました.

Img_7879 Img_7881(左写真2)あぜ道レベル,(右同3)なにやら看板が

 看板の脇にあるあぜ道のようなところを歩いていきます.しばらく歩いていくと,ほとんど獣道のような感じに… 本当にお墓なんかあるのかと不安になる頃,前方に何やら看板のような人工物が見えます.なんとかそこまで行ってみると…

 ありました.新田義貞の側室妙貞尼のお墓です.途中の道のレベルとは全く違う立派なお墓でした.

Img_7882 Img_7883(左写真4)ありました!,(右同5)お墓です

 傍にあった碑文を読むと,妙貞尼は上野国の豪族澤保氏の娘とのこと.義貞と妙貞尼の間に生まれたのが原澤将監といい,今の群馬県にある原澤家の祖になるのだそうです.このお墓も原澤家の子孫の方が建てたもののようです.

Img_7884(写真6)由来が記された碑文

 それにしてもそんな人物のお墓がなぜここにあるのか.義貞は建武二年足利尊氏討伐のため東下し,箱根・竹之下の戦いに参加しています.もしかしたらその際に同行していてここで亡くなったのかもしれません.戦場に側室を連れてくるんだろうかという疑問もありますが,あるいは元々この地にいたのが,やってきた義貞に見初められたのかも).いずれにせよどのような人生を送ったのか,ネットで調べてもほとんど情報の出てこない人物でした.

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2022年4月21日 (木)

静岡空港

 先週末は合唱団の久々の練習の後、音威子府そばを堪能したわけですが、その晩はそのまま都内に宿泊しました。翌朝から各地の出張に繰り出すためです。17日日曜日は静岡県、翌18日からは九州中部の出張に出掛けました(当地に出かけたのは2年ぶり)。19日のお昼には用事が済みましたが、同日夜に再び静岡県東部に出向くことになっています。普段なら帰路は羽田行きの飛行機を利用するのですが、この日はせっかくなので静岡空港便を利用することにしました。

 静岡空港は2009年に新規開港した地方空港です.現在日本では地方空港は飽和状態なため,おそらくは最後の新規地方空港になるのではないかと言われています(離島を除く).元々静岡県は高速道路や新幹線などで首都圏や中京圏へのアクセスが良く,大金をかけて新しい空港を作るなら,黙って羽田空港や中部空港を利用すればいいんじゃないかという議論もあり、さらには開港直前に航空法に抵触しそうな樹木の存在が明らかになるなど当時話題になった空港でした.

 開港後は国内線は札幌線や九州線を中心としたほか,国際線として主に中国路線が複数開設され,折からのインバウンドブームに乗ってそれなりの利用者数になっていました(コロナ前の2019年の全旅客利用者数に占める国際線の割合が4割を占めることからも,国際線に依存していたことがわかる).コロナ禍が始まって利用者が大幅に減ってしまったのは他の空港と同様です.

 静岡空港を発着する路線は多くがフジドリームエアライン(FDA)です.この日利用の便もそうでした(JALとのコードシェア便).静岡空港到着は夕方の6時,空港周辺はその名の通り静まり返っていました.

Img_7868 Img_7869(左)FDAのエンブラエル170,(右)空港周囲は静かです

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