2018年4月12日 (木)

ESTA

 以前書いたように今年の夏季休暇旅行は6月にアタカマ砂漠方面に決定しています.訪問国はボリビア&チリなんですが,アメリカ合衆国を経由します… そう,ESTAが必要になるわけです.

 アメリカ合衆国は日本を含む一部の外国籍者に対して観光・商用向けに90日以内の滞在であればビザの取得を免除するシステムを取っています.これにより該当者はビザ取得の面倒さから解放され,アメリカ訪問の敷居が下がりました.

 しかし2001年9月の同時多発テロ以降情勢が大きく変わり,アメリカ入国審査は以前にもまして厳しくなりました.その過程の中で登場したのがESTA(Electronic System for Travel Authorization)です.ビザ免除国の国民はアメリカ入国およびトランジットしようとする場合,事前にパソコンなどを使って,ESTAを取得することが義務付けられたのです(取得することが入国の条件になっているあたり,ビザに似ていますが,アメリカ当局はビザではないと言っています).この事前にというのがミソで,他のたとえばビザが必要な途上国に渡航しようとする場合,現地に到着してからの取得も可能だったりするんですが,ESTAはそもそもこれを取得しておかないと,アメリカ行きの飛行機に搭乗できない仕組みになっているのです(そういう意味では入国の条件というより,アメリカに向かう飛行機への搭乗条件といった方が正確かもしれません).

 ESTAは氏名,生年月日,住所,パスポートナンバー等必要事項を入力し,さらにいくつかの質問に答えます.その質問というのは麻薬常習者ではないか? アメリカに不法滞在歴があるか?テロや虐殺をたくらんでいないか? などとほとんどの善良な市民には無関係なものばかりないんですが,唯一,2011年3月以降シリア,イラク,アフガン,イラン,スーダン等に行ったことがあるか?という質問だけは要注意です.イラク戦争・アフガン戦争後にそれらの国に行ったという一般人はほとんどいないでしょうが,イランやスーダンは今でも旅行先としてそれなりの需要があり,出かけている人も多いだろうからです(特にイランは大手旅行会社からも商品が出ている).2011年以降にこれらの国に渡航歴がある人にはESTAが認証されないため,こうした人たちは事前に必要なビザを入手する必要があります.

 ESTAは基本的に身に覚えがなければ認証されるはずなんですが,どこでどう間違って(システムエラー含め)認証拒否なんてことになる可能性もゼロではないため,万一に備えて早めに申請することが推奨されています(万一拒否を喰らった場合,些細な理由でも異議申し立ては認められておらず,ビザの申請が必要になり結構時間がかかるため).

 で,今回3年ぶりにESTAの申請を,必要事項を入力し,質問にはすべて「いいえ」を選択して,支払い用のクレジットカード情報を入力して送信します.待つこと30秒くらい,結果は

 認証は保留されました ( ゚Д゚)

 ん,なんだ?これまではすべて速攻で承認だったのに… ちょっと不安がよぎります.まあトランプ政権になってより審査が厳しくなってるので,機械による処理とはいえ時間がかかるのかなと思い,数分後に再アクセスしたところ無事に承認されていました.

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 これでアメリカ行きの飛行機に乗れることは確定いたしました (^.^).

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2018年4月 9日 (月)

第17回日本旅行医学会大会

 この週末,東京代々木で開催されていた第17回日本旅行医学会大会に参加してきました.

30221669_1687202691377089_143844929 30226609_1687202678043757_849584637  旅行医学とは「人の移動の安全性と快適性を高める医学」と定義されており,飛行機や自動車などでの移動にかかわる医学や現地における医療事情や感染症の現状の把握や啓蒙など多岐にわたっています.臓器別に細分化された専門医の集まりの学会とは全く異なる,横断的な学会です.構成員も医師だけではなく,看護師や薬剤師,理学療法士などのコメディカル,旅行会社の添乗員や航空会社のフライトアテンダント,はたまた旅行に興味のある一般の方々まで広く門戸を開いています.年1回の大会の他,登山医学セミナーやワクチンセミナーなどいくつかのイベントを主催しています.

 旅行と医学なんて,まさに自分のためにあるような学会ですが,参加し始めたのは数年前,業務的にもある程度余裕が出てきてからのことです.一般に学会というと,自分の興味があるシンポジウムなどを聴いて,時々中抜けして観光というパターンも多いんですが,この旅行医学会の講演は興味深いものが多いので,基本的に中抜けはせずにフル参加が定番です.

 この学会では毎年海外の先生方を招聘して,外国における医療事情やトピックなどをお話してもらう企画があるんですが,今年は米国の歯科医療事情,南アフリカの医療事情などがありました.特に南アフリカは最近行ってきたところなので興味深かったです.その他の講演としては最近増えている海外留学に関する安全のための研修システムの話題や,安全な移動のためにというテーマで,渋滞を科学的に考える渋滞学の話題が面白かったです.

 学会の専務理事の先生がおっしゃっていたんですが,海外の安全というとテロなど衝撃的な話題はよく取り上げられるが,現実に日本人が海外で亡くなる最大の原因は疾病(脳血管障害や急性心疾患)であり,不幸にしてこうした疾患に直面した場合,どのように対応すべきかという話題にはほとんど関心が払われていないことは極めて憂慮すべきことであるということをおっしゃっていました.その他にも世界の広い範囲で猛威を振るっているマラリアや狂犬病などの感染症対策など,重要な割には世間の関心が薄い分野をどうやって啓蒙していくのかなど,この学会の果たすべき役割は大きいと感じました.

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2018年4月 8日 (日)

続日本100名城スタンプラリー

 先週末に知人に教えられたんですが,日本城郭協会が続日本100名城スタンプラリーを始めた模様です.

 続日本100名城(日本城郭協会)

Stamp1  日本城郭協会というのは,「日本および世界各国の城郭に関する研究、調査、啓蒙を通じて、民族、歴史、風土に関する知識の普及を図り、もって教育、文化の発展に寄与すること」という理念を実現するために設立された公益財団法人です.この日本城郭協会が日本の城郭にもっと関心を持ってもらおうということで,2006年に日本100名城を発表,翌2007年から始まったのが日本100名城スタンプラリーです.こうした集める系,旅行系のイベントに目がないのが自分の性格です.こりゃやるしかないというわけで,2008年5月の小田原城を皮切りにラリーに参加(同年4月に小田原に転居していた),結局2年8か月後の2011年1月25日に最後の備中松山城をもって100か所制覇が完了しました(その成果はホームページ本編にあります 日本100名城スタンプラリー).

 その後自分の関心は日本の滝100選やよりスケールの大きい位置ゲーである,ケータイ国盗り合戦の方に移っていたんですが,今回100名城スタンプラリーの成功に気をよくした日本城郭協会では,その続編を始めたという感じです.日本100名城は各都道府県最低1城は選定するという方針だったため,十分100名城に入る資格がありそうなのに選外になった城郭もあったのでその辺も網羅する意味もあるのでしょう.

 で,こんな企画が始まれば私自身にやらないという選択肢があるはずもなく,これからどうやって回ろうかと考え始めています.まだ未訪な城はいいんですが,問題はすでに訪問したことがある城です.こうした城にもスタンプ目的で再訪する必要があります.まあ国盗りとセットで行くというパターンでいいわけですが,一方で訪問済みで国盗りも完了している地域はどうするのか(例:佐賀の唐津城)という悩みもあるのでした.

 ちなみに日本城郭協会ではヨーロッパ100名城というのも選定しています.こちらは残念ながらスタンプラリーはないんですが認定制度はあるようです(笑),見てみたら自分はオーストリアのホーエンザルツブルク城,ドイツのローテンブルク,トルコのテオドシウスの大城壁,フランスのシノン城,アンボワーズ城の5か所を制覇していました.10以上登城でまず初級に認定される模様です(こっちもやってみたくなるじゃないか 笑).

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2018年4月 5日 (木)

今年の夏季旅行

 毎年夏季休暇には海外旅行に出かける我が家ですが,昨年は諸事情あって大幅に遅くなり,結局今年の1月に南部アフリカに行ってきたのはこちらのブログでも報告した通りです.

 で,今年2018年の夏季休暇ですが,当初の予定としては各種演奏会等が一段落する10月に出かけようと考えていました.これは6月に東京21合唱団のコンサート,7月は恒例の家族旅行,8月は職場の他のドクターが休暇を取るのでその留守番要員,9月は医師会合唱団の定演としながわ宿場まつりという感じに予定が入っていて,事実上6~9月に長期休暇を取ることが不可能と思われていたからです.

 しか~し! 6月22日に予定されていた東京21合唱団のコンサートが諸事情により10月19日に延期になりました (゜o゜).このため10月の予定がタイトになる一方,6月が丸々空くことに… これは6月に旅行に行けという天の声に違いない! というわけで,今年の夏季休暇は6月に決定しました.

Img_3689  で,行先ですが,熟慮の結果(笑),憧れの地のひとつであるチリのアタカマ高地に決定です.今回利用する旅行会社はラティーノという南米専門の旅行会社で,参加者はたぶん我々だけです(当初他社の団体ツアーも考えたんですが,問い合わせたところ人が集まりそうにない状況だったのでやめた).ルートはアメリカ経由でボリビアのラパスに入り,その後空路でウユニに飛び,乾季のウユニ塩湖を観光,その後陸路南下してチリ国境を越えてアタカマ砂漠に至るというものです.アタカマでは3連泊して周辺の見どころをじっくりと堪能する予定です.

 ボリビア・チリ国境では標高5000メートル近い高所も訪れるので,高山病のリスクがある旅行です.が,過去にマチュピチュやウユニ塩湖で高所旅行の経験はあるので,無理せずに行けば大丈夫だろうと思っています.もう2か月後の話なんですが,これから徐々に準備していきたいと思います.

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2018年3月30日 (金)

南部アフリカ旅行記⑥

 旅行から2か月以上経ってしまいましたが,なんとか最後まで頑張ります(笑).南部アフリカ旅行記その6はヨハネスブルグ編です.

 開けて1月23日火曜日である.この日のモーニングコールはなんと4時!!,今回の旅行で最も早い時間だ.この日の予定は朝の便でヨハネスブルグに向かい,そのまま周辺の観光という流れ,3日間お世話になったホテルとお別れである.スーツケースは昨夜のうちにあらかた整理していたために,この朝はほぼ最後の荷物を詰める程度で完了,指定されていた通りにドアの外に出しておく.その後1階ロビーへ,どうやら我々が一番乗りだった.さすがにこの時間帯に朝食レストランは営業していないので,あとで食べるランチボックスならぬブレックファストボックスを受け取る(さっそく中身をのぞき込む 笑).チェックアウトを済ませて,全員揃ったところで出発となる(予定通り5時15分,今回のツアーは時間にユルイ人がいないのでこの辺は非常にスムーズ).

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(左写真1) 朝食のボックス,(右同2) 中身

 この朝の天気は曇り空,平日のケープタウンは渋滞がひどいらしいのだが,さすがにこれだけ早朝になると混雑はなくスイスイと進んでいく,約20分ほどで空港に到着した.チェックインを済ませてそのままセキュリティへ,油断していてベルトが反応してしまった.外して入りなおそうとしたら,「大丈夫だ」とそのまま係員に促されて通過,南アフリカの国内線は案外ユルイらしい.出発ロビーに入って待合の椅子に座りホテルで受け取ったボックスを食べることにする.中身はパンとケーキ,スナック,リンゴそしてグレープジュースだった(日本人の感覚だと食事というよりおやつという感じ).おにぎりと漬物が欲しいと思ったのはナイショである(笑).食べながら近くを見渡すと,椅子に寝そべって爆睡している家族連れっぽい人たちが係員に起こされているところだった.一言二言やり取りをしていたのだが,何か驚いた様子で急いで荷物を持ってどこかに行ってしまった.もしかして乗るべき飛行に搭乗しそこなったのかもしれない.

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(写真3) タラップから登場するパターンです

 しばらく待ったのち,7時ごろから案内が始まる.この便はボーディングブリッジではなく,バスで連れていかれるパターンだった.順番にバスに乗り込み飛行機へ,機体はA320とケープタウン-ヨハネスブルグという2大メジャー都市を結ぶ路線にしては小型でありほぼ満席の盛況である.7時25分に飛行機は動き始め離陸した.ケープタウンの町とテーブルマウンテンがあっという間に遠ざかっていく.また来る日はあるのだろうかなどと感傷に浸っているうちに安定飛行に入り,さっそく朝食が配られる.この日はフルーツとエッグの選択だったが,私もKもフルーツを選択,味はまあまあだった.その後コーヒー&紅茶が配られたのだが,Kが頼んでないのにミルクを入れられたと文句を言っていた(笑).

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(左写真4) フルーツの朝食,(右同5) ヨハネスブルグ郊外の街並み

 そうこう言っているうちに機体は降下を開始,9時30分に無事にヨハネスブルグのO. R タンボ空港に着陸した.ボーディングブリッジを通ってターミナルに入る.初夏のヨハネスブルグだが,内部は冷房が効いていて涼しい.そのままターンテーブルで荷物を受け取り,トイレを済ませて到着ロビーに出た(トイレの水が普通に流れてちょっと感動 笑).ここで現地日本人ガイドのKさん(ウチのKとは関係ない (^.^),紛らわしいので以下ガイド氏)と合流,そのままバスターミナルに向かった.

P1230450 (写真6) バスターミナル(2011年にも来たことがあります)

 歩くこと数分で到着,外のビルを見てなんか既視感があるなぁと思ったら,2011年にオカバンゴに行った帰りにここに寄っていたのだった(立体駐車場の感じが当時と変わっていない).ここからのバスはケープタウンのような大型バスではなく,マイクロバス,荷物は牽引するコンテナ車に積み込むスタイルだった.治安が悪いとされるヨハネスブルクに,こんないかにも荷物が入ってますよみたいなコンテナを引っ張って大丈夫なのかと不安になる.

 それでも一同バスに乗り込んで出発,これからの予定は,まず郊外のスタークフォンテン洞窟の観光,昼食をはさんで,午後は市内のソウェト地区の観光という流れになる.

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(写真7) 空港からヨハネスブルグ中心部を大きく迂回するように高速道路を走ります

 バスが走り始めるとさっそくガイド氏の解説が始まったのだが,これが凄い! 南部アフリカの古代中世史から始まって,大航海時代の地理上の発見からオランダ人,イギリス人の進出といった歴史,さらには当地の政治経済の話題などがどんどん出てくる.自分はそういう話が大好きなので興味深く聞いていたが,中にはあんまり… という人もいて,そうした参加者は次第に夢の世界に入っていたようだ(一人参加の若い女性も熱心で,質問もしていた.そっち関係の仕事なのか?).

 1時間20分ほどのドライブでまずはスタークフォンテン洞窟に到着,ここは別名人類のゆりかごとも呼ばれている.これは1947年にこの地で初期の人類(猿人)といわれるアウストラロピテクス・アフリカヌスの化石が発見されたからだ.周辺は高原地帯といった趣で,背丈の低い草が生えている.入り口でチケットを渡されるのだが,通常のカードタイプではなく手首に巻くブレスレットタイプだった.

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(左写真8) スタークフォンテン洞窟のレセプション棟,(右同9) これがチケットです

 トイレを済ませてまずは隣接する博物館の見学,ここには地球誕生から始まって生命の誕生,進化,そして人類の誕生,進化といったテーマの解説がされている.ここでもガイド氏が細かく解説してくれて興味深かった.人類が人類たるゆえんは二足歩行の開始であることは広く認められているところであるが,一方で類人猿がなぜ二足歩行を獲得して人類になったのかはいまだ謎が多いとされている(もともと樹上生活をしていたものが,気候変動で森林が後退したため地上に降りて二足歩行を開始したいわれているが,反論も多い.

P1230474 P1230475 (左写真10) 博物館内の展示,(右同11) アウストラロピテクス・アフリカヌスのイメージ(?)

P1230481_2 (写真12) いよいよ洞窟に入る

 続いてはアウストラロピテクスの化石が発見された洞窟へ,各自手渡されたヘルメットを被っての入洞となる(途中かなり狭い部分がありヘルメットがないと頭を強打する危険性が高いため).もちろん今ここに化石が置いてあるわけではないが、狭い洞窟の散策はちょっとした探検気分である.暗い洞内を進んでいくと鍾乳石があり,天井から光が差し込んでいる穴もあった(地上とつながっているわけである).ちなみにこの洞窟で化石が発見されたということについては,この洞窟に居住していたという説のほかに,たまたま地上を歩いていたところ,誤って洞窟内に滑落したという説もあるらしい.この地の発掘,研究に大いに功績のあった人物がロバート・ブルーム博士で,洞窟の出口には博士の像が置かれていた(独特の風貌が素晴らしい).

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(左写真13) 鍾乳石,(右同14) 暗がりでの解説

P1230487 P1230522 (左写真15) 外部から光が注ぐ,(右同16) ブルーム博士と記念写真(笑)

 スタークフォンテン洞窟の見学の後は昼食の時間,この日はヨハネスブルグ市内の”Indaba Siyunimukela”というホテル内のおしゃれなレストランだった.メニューはギリシャ風サラダとブリの照り焼き,デザートである.飲み物はビール(アムステルラガー)を選択した.

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(左写真17) 昼食のレストラン,(右同18) ギリシャ風サラダ

P1230530 P1230533 (左写真19) メインのぶりの照り焼き,(右同20) デザート

 昼食後はバスに乗って次なる目的地に向かうのだが,ちょうど駐車場の木に鳥がいたらしく,みんな入れ代わり立ち代わりバスから降りて観察していたため,南アフリカ人運転手が「こいつらインド人か?」と言ってた(ガイド氏によると,インド人観光客はとにかく勝手に動き回るかららしい 笑).

 さて,午後の観光は市内のソウェト地区,ここはアパルトヘイト時代の旧黒人居住区のひとつである(アパルトヘイト時代,黒人は市内中心部に住むことを許されず,毎日居住区から市街地の職場まで長時間かけて通勤しなければならなかった).数ある黒人居住区の中でここがとりわけ有名なのは,1976年6月16日に起こったいわゆるソウェト蜂起と呼ばれる暴動の舞台となったからだ.きっかけは当時の南アフリカ政府が黒人の教育をアフリカーンス語(19世紀に南アフリカで主導権を握っていたオランダ系白人いわゆるボーア人の言葉)で行う政策を打ち出したことであった.アフリカーンス語をアパルトヘイトの象徴とみなしていた学生たちはこれに反発,1976年6月16日に行われたデモに警官隊が発砲した結果,大混乱となり多数の死者を出す事件となった.この暴動の様子は西側のジャーナリストにより映像として記録されたため,瞬く間に世界中に報道され,南アフリカ政府は強い非難を浴びた.蜂起そのものはまもなく鎮圧されたものの,この事件によって国内では白人の中からもアパルトヘイトに反対する人たちが出始め,国際的には南アフリカに対する経済制裁が一層強化されるようになったことから同国は苦境に立ち,やがてアパルトヘイトを撤回せざるを得なくなった.このためソウェト蜂起はアパルトヘイトの終わりの始まりと言われている.

P1230550 (写真21) ヘクト・ピーターソン博物館

 そんなソウェト蜂起で最初の段階で殺害されたのがヘクト・ピーターソンという当時13歳の少年だった.実は事件で一番最初に殺された少年が彼だったわけではない.しかし彼の遺体が別の少年に抱えている写真が世界で報道され,この写真が事件の象徴のように扱われるに至ったものである.現在ではこの事件の背景や経過を解説するヘクター・ピータースン博物館が開かれ,射殺されたヘクト・ピーターソンが運ばれた場所には記念碑(1976年6月16日記念碑)が建てられている.

P1230553 (写真22) ピーターソンの記念碑

 博物館内は撮影禁止になっていたが,当時の生々しい映像に例のガイド氏による熱心な解説と相まって非常に興味深いものとなっていたのは言うまでもない.記念碑は博物館から徒歩すぐの広場になっていた.ここは定番の撮影スポットともなっており,記念碑はもちろん,その反対側に見える火力発電所の煙突もここを象徴する景色として,多くの観光客が写真を撮っていた(当然我々も撮った).

P1230554 P1230556 (左写真23) 記念写真,(右同24) 火力発電所の煙突

 その後はバスでソウェト蜂起の際に学生たちが行進した道や交差点を車窓から見ながら,少し離れたマンデラハウスへ.ここはネルソン・マンデラが青年期に14年間住んでいた家で,現在は記念館として観光スポットになっている.赤レンガ造りの小さな家で,中には家具や各種書簡などが展示されていた(ここでももちろんガイド氏による現代南アフリカの政界情勢に関する詳しい話があった).

P1230564 P1230567 (左写真25) 8115は番地です,(右同26) マンデラハウス

P1230572 P1230569 (左写真27) 内部の様子,(右同28) 記念撮影

 マンデラハウスの見学の後は,少し周辺の道を歩くことに.ヨハネスブルグの旧黒人居住区というと非常に治安が悪いイメージがあるが,このソウェトは観光地化されているために,生命に危険が及ぶようなことはないらしい(スリや置き引きなどはもちろんある).ガイド氏はヨハネスブルグ在住の数少ない日本人ガイドで,この町に20年以上住んでいるとのこと.ヨハネスブルグの治安に関しては,たしかに良いとは言えないが,日本のメディア等でいわれているような話(リアル北斗の拳など)はかなり煽っている表現だと言っていた.ヨハネスブルグの犯罪は中東やヨーロッパで問題になっているような思想的なものではなく,あくまでも経済活動の一環であり,犯罪者も我が身を犠牲にして犯行に及ぶなどということはなく,基本的には危険な場所に近寄らないという当たり前の結論に落ち着くのだそうだ(市街地を歩くにしても,だれか現地人と一緒に歩くだけで犯罪遭遇率は一気に下がるそうだ).

P1240577P1240575 (左写真29) ソウェト地区には飲み屋さんが多い,(右同30) 街角には謎の土産物屋が

 そんな話をしているうちに待っていたバスに遭遇,そのままホテルに向かうことになる.途中の道路の周辺にはたくさんの住宅が立ち並んでいた.それらの一部は民主化後の政府が貧困層向けに建設した住宅であるが,一方でまるで廃材を組み立てたような粗末な造りの家(というか小屋というか)が無秩序に立ちならんでいる地域も多く見られた.これはいわゆる不法占拠区と呼ばれるもので,アパルトヘイト撤廃後住民の移動が自由になり,農村部からたくさんの人々がヨハネスブルグに流れ込んできた際に形成された地域である.

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(写真31) 粗末な小屋が立ち並ぶ不法占拠区

 これらの住宅は電気や水道も通っていない不便な環境である.しかし,中にはせっかく政府から与えられた住宅を人に貸して自分はこうした不法占拠区に暮らしている人も多いのだそうだ(政府供給住宅には電気や水道はあるものの,こうした公共料金を払えないため).

 そんなこの国の暗部を見ながらホテルに向かう.この日の宿泊先はサニーサイド・パークホテルという植民地時代の邸宅を改造したようなお洒落なホテルだった.チェックインをして荷物を解き,少し休んだ後,夕食に向かう.この日はサントン地区の和食のお店だった(JAPAというお店,JAPANまではいかないが,そこに迫るぞ!という意味らしい).お通しからお造り,茶わん蒸し,焼き物,お寿司と続くコース料理,飲み物は日本酒や焼酎もあって惹かれたが結局ビールにした.最後デザートがコーヒーゼリーでホッとする.

Img_0010 P1240593 (左写真32) この日のホテル,(右同33) 部屋はこんな感じ

 食事後は近くのガソリンスタンド併設の売店で飲料水を購入したのだが,ガイド氏がこれは硬水,こちらは軟水とこれまた詳しく教えてくれた(笑).店を出てふと空を見上げると三日月が輝いている.が,なんか違和感が… そう,欠けている側が反対なのだ.自分がイメージする三日月は向かって左側が欠けている(花王のマーク).しかし目の前の三日月は反対に右側が欠けているのである(日本なら月齢26のいわゆる逆三日月).ここが南半球なんだと実感した瞬間である.

 その後はホテルに戻ってシャワーを浴び,持参したウィスキーで飲みなおしたのだった(そしてこの日でついにウィスキーが無くなった (ToT)/~~~).さあ,明日はいよいよ旅の後半ビクトリアフォールズに向かう日程である.

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2018年3月12日 (月)

3・11祈りのコンサート(第5回)

Img004  すごく久しぶりの更新となりました.1月の旅行以降なにかと忙しくしていたというのが現実だったからです.

 さて,昨日の3月11日は仙台で行われた祈りのコンサートに参加してきました.

 2011年3月11日,宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生,その後の大津波や原発事故等で東北を中心に大きな被害が出ました.現在関東在住の自分も,計画停電等,この震災の影響がないとは言えませんでした.

 この震災では多くの方々が亡くなったり傷ついたりしました.そうした方々の魂や心を慰めるべく始まったのがこのコンサートです.2014年のこの日に第1回が行われ今年で5回目になります(実はその前年2013年にも別な主催で同内容のコンサートが行われており,一部で第0回と呼んでいる).

Dsc_1854  合唱団,ソリスト,オーケストラともに東北地方で活動しているメンバーが中心になっています.東北育ちの自分にとっても縁の深いイベントということで,極力参加するように努めています(5回のうち休んだのは1回だけ).特に今年は日曜日ということで,仕事の問題も少なく参加することができました(過去には終演後当直先に直行なんて年もあった).

Dsc_1853  会場は東二番町通りにある電力ホール,学生時代から何かとお世話になったことのあるホールです.このホールの上手の袖になぜか昔から釣り鐘があるんです.かつてその由来を聞いたことがあったんですが,忘れてしまいましが(安珍・清姫の能か歌舞伎でもやったのでしょうか),今年も安定して定位置に吊るされていました.

 コンサートは実行委員長の挨拶に始まり,14時46分に黙祷,その後モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス,そして同じくモーツァルトのレクイエムと進んでいきます.演奏後は恒例の拍手はご辞退して再び黙祷で終演となりました.

 終わった後は近くでお疲れ様会が行われました.コンサート自体はかなり参加している自分ですが,この会に参加するのは初めてです.ワインがたくさん並んでいたのでワイン好きにはたまりませんでした.

 結局19時頃の新幹線で一路南へ,こうして2018年3月11日も静かに終わったのでした.

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2018年2月15日 (木)

南部アフリカ旅行記⑤

 南部アフリカ旅行記,その5はロベン島&ワイナリー編です.

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(写真1) 朝食のオムレツ

 昨夜も比較的早めに就寝したが,いまだ体内から日本時間が抜けていないのか夜中に一度目が覚めた.ただその後二度寝に成功し,再び目が覚めたのはモーニングコールの直前だった(この日のモーニングコールは6時半).身支度をして朝食会場へ,この日もオムレツを作ってもらい,その他はハムやポークソーセージをチョイスする.テーブルに戻って食事開始,が… 自分のオムレツとKのそれとが入れ替わっていた(具材の違いでわかる).どうやら焼いた人が間違った模様(笑).ソーセージは昨日食べたビーフの方が美味しかった気がする.

P1220203 (写真2) ウォーターフロント地区

 朝食後はいったん部屋に戻って身支度をして8時半にロビーに集合である(昨日同様遅刻者無し).この日の午前中はロベン島観光なので,まずはバスで桟橋方面に向かう.天気は昨日の朝と同様一面どんよりとした曇り空だった.日曜の昨日はガラガラだった道路も,平日の今日は混雑していた.ただそれでも10分もしないで桟橋の駐車場に到着,ここから徒歩で船のターミナルに向かう.この周辺が通称ウォーターフロント地区と呼ばれるケープタウン観光ではよく知られた界隈である.石畳の通りには様々なモニュメントやカラフルな建物が立ち並んでおり,港にはたくさんの船が停泊していた(日本の漁船もいた).

P1220206 (写真3) フェリーターミナル

 ターミナルに入った後受付をすませてセキュリティへ進む.空港のそれと同じような機械が設置されていたが,形式的なものなのか検査は緩かった.ゲートを抜けてそのまま乗船となる.船のサイズは昨日ハウトベイで乗った遊覧船よりは大きく客席は2層になっていた.基本的に自由席なので,展望がよさそうな2階のオープンデッキに行こうとしたが,我々が行くちょっと前に定員に達したらしく,2階に上がる階段が閉鎖されてしまいやむなく1階の船室になった.船は9時に出航という触れ込みだったが,なるべく多くの客を載せたいという会社の思惑なのか,定時になっても動き出さず,ようやく出航した時は9時10分過ぎになっていた.

P1220218 P1220221 (左写真4) ロベン島行きのフェリー,(右同5) ゴルゴ13

 ロベン島はケープタウンの市街地から沖合12キロにある.天気が良ければテーブルマウンテンの山頂からも良く見えるほど大陸からほど近い島であるが,周囲の海流が激しいことからここを抜け出して町に泳ぎ着くのは困難で,その特性から監獄島として利用されてきた.特に南アフリカのアパルトヘイト時代には多くの政治犯を収容していたことで知られ,後に黒人初の南アフリカ大統領となったネルソン・マンデラ氏も1964年から1982年まで18年間ここに収容されている(ゴルゴ13の第50巻と第81巻にこの島が舞台となった作品がある).アパルトヘイトが撤廃された後1996年に監獄は閉鎖され,翌1997年に政府によって博物館化されて現在に至っている(1999年には世界遺産に指定された).

 事前に調べたところによるとロベン島行きの船は結構揺れるので注意ということだったので,沖縄の波照間島に向かう高速船を想像していたのだが,この日は拍子抜けするほど穏やかな航行だった.

P1220229 (写真6) ロベン島が見えてきた

 出航して10分ほどしたころから前方に島影が見えてくる.あれが目指すロベン島らしい.ゴルゴ13だと,島の陸地はすべて監獄で,四方を城壁で囲まれた小さな島のように描かれていたが,実際のロベン島は想像していたよりもずっと大きい島である(面積5.47平方キロ).そのまま島の桟橋に近づいたのだが,先客の船がいて,これが動くまで接岸できないらしくしばらく待機する羽目になった.その後先客が出港してようやく我々の船が着岸,ついにロベン島に上陸となる.

P1220234 Image1_2 (左写真7) ロベン島は意外に広い,(右同8) 漫画ではこんな感じだが

 上陸はしたものの,この島の観光客は勝手に動き回ることはできない.まずは用意されたバスでの島内ツアーだ.降りた順にバスに案内され,満員になり次第出発となる(定員20~30人くらいのバス).車内では英語ガイドによる解説が行われるが,我々に関しては自分たちのガイドさんがイヤホンガイドを使って逐次日本語でも解説してくれるので助かった.

P1220376_2 (写真9) ロべン島へのゲート

 まずはROBBEN ISLANDと書かれたゲートをくぐって内部へ.監獄というイメージからコンクリートの灰色の建物が整然と並んでいるのかと思ってたが,実際は広い敷地内に刑務所棟がポツン,ポツンと立っている感じ.メインは石造りでパッと見はむしろ学校である.ただ塀の上に張り巡らされた有刺鉄線が,ここが監獄であることを示している.敷地内の建物は基本的に刑務所と職員用の施設ばかりだが,そのほかに教会もあるのがキリスト教世界らしい.実はこの教会は今でも現役で,国の博物館となっているこの島で唯一民間の管轄になっているとのこと.近年ではこの教会で結婚式を挙げるというイベントが行われていて一部で人気らしい.

P1220250 P1220298 (左写真10) 石造りの建物,(右同11) 有刺鉄線が

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(写真12) ロベン島教会

 建物の外観を見学しながらバスは島内を巡っていく.建物以外では囚人が使役された採石場が印象的だった(この刑務所では基本的に何の役にも立たないような使役をさせていたらしい.これはあえて生産的でない作業を強いることで囚人に絶望感を植え付ける意味合いがあると思われる).そのほかには第二次大戦時に設置された砲台やトーチカなどもあった.一方でこの島は自然も豊かであり,ペンギンなどの鳥や鹿,カメなどの野生動物の姿も見かけた.特にカメは我々の観光中もしょっちゅう道路を横断して,その都度バスは一時停止していた(この島の道路はカメ優先らしい 笑).また周辺の海ではアワビも取れるほか,ちょうどクジラの姿も目撃した(一瞬だったので残念ながら写真はなし).

P1220293 P1220268 (左写真13) 採石場,(右同14) 周辺の海には海藻が

 約1時間ほどでバスツアーは終了,トイレ休憩に続いては刑務所内部の見学である.今度も20~30人のグループごとに行動する.まずは雑居房の見学,学校の教室を少し小さくした程度のスペースに60人くらい収容されていたらしい.窓はあるがガラスなどはなく夏はともかく,冬はケープタウン特有の風が吹き込んで非常に寒かったそうだ.そんな環境の中囚人たちに支給された寝具は2枚の筵だけだったとのこと.房にはトイレやシャワーもあるが60人収容でシャワーは2つだけだった.その辺の話をしてくれるガイドは,かつてこの監獄に収容されていた(強盗や殺人といった一般犯罪ではない)元政治犯の方々である.リアルにここで生活していた人たちであるからその証言は生々しく,また思いも深いため熱く語っていたのが印象的である(ガイドさんたちが熱く語るため,この刑務所内ツアーはどうしても時間が押すらしい).

P1220309 P1220313 (左写真15) ここから監獄内の見学へ,(右同16) 雑居房にて

P1220319 P1220311 (左写真17) 囚人に支給されていた筵,(右同18) こちらはトイレスペース

 雑居房の見学に続いて今度は独房(D-sectionと呼ばれていたらしい)になるのだが,その前に間にある運動場を見学する.ここは囚人たちが自由時間にサッカーに興じた空間だったそうだ.独房のあるD-sectionに入る.こちらは3畳程度のスペースの独房が並んでいる.房には一般の房と,何らかの処罰を与えるための房があり,後者の房には窓がなく金網が張り巡らされていた.房の内部に備え付けられているのは椅子を兼用してるらしい台が1つと筵とブリキ缶だけ,房には鉄格子に加えて木の扉も据え付けられている.かつては鉄格子だけだったらしいが,長い歴史の中で合鍵を作って抜け出した囚人がいたために,2重の扉になったらしい.この中の一つがかつてネルソン・マンデラが収容されていた房である.こんな中で生活した18年とはいったいどんなものだったのか… と考えた.

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(左写真19) ネルソン・マンデラが収容されていた房,(右同20) 内部はシンプル

 独房棟の見学を終えて最後に塀で囲まれた広場のようなところに出る.ここは刑務所の中庭で囚人たちの運動場として利用されていた空間だという.

P1220362 (写真21) 運動場の中庭

 こうして監獄内の見学は終了,そのまま外に出て徒歩で桟橋に向かう.時刻は11時40分ごろほぼ予定鳥である.すでに船は着岸しておりそのまま乗り込むのかと思いきや,その前にお土産物屋に寄れということでそちらへ.ロベン島関連のグッズが並んでいた中からTシャツを購入した.そのあとは本当に船に乗り込む.ただ満席に近くならないと出ないらしく,20分くらい足止めされ,出航したのは12時20分ごろだった.

 帰りの船は来た時とは異なるタイプでやや小型の高速船とのこと.かなり揺れるのかと覚悟していたが,往路同様揺れは少なくて拍子抜けする.結局30分かからずにケープタウンの港に到着した.

 ウォーターフロントの港に着いた時分は朝とは違って晴れ間が見え始めていた.周辺も明るくてなんだか朝とは違う場所みたいだ.我々はそのまま歩いて駐車場に向かい待っていたバスに乗り込んだ.この後の予定はケープタウン郊外にあるステレンボッシュにて昼食&ワインのテイスティングである.

 南アフリカ,とりわけケープタウンのあるケープ州は比較的冷涼で,夏の日照時間が多いワインブドウの栽培に適した地である.このため町の郊外には良質のワインを生み出すワイナリーがたくさんあることで知られている.今回訪問するステレンボッシュはケープタウンから車で40分と近場にあるワインの里である.普段から酒好きワイン好きの我々であるから,この南アフリカのワインを堪能する機会は非常に楽しみにしていたもののひとつであった.

P1220755 P1220820 (左写真22) ブドウ畑,(右同23) ゼーヴェンバッハのレストラン

 町を離れて郊外に出てくると徐々に牧歌的な風景が広がってくる.見たら何頭もの牛が歩道を歩いている光景に出くわした(みんなで家出でもしたのか?).一般にアフリカというと砂漠やジャングル,サバンナのイメージがあるが南アフリカ大西洋岸はそうしたステレオタイプでないアフリカが見られる地域である(ヨーロッパ的なアフリカというべきか).この日我々が訪れたワイナリー,ゼーヴェンバッハは小さな湖のほとりにたたずむアフリカっぽくない(笑)ところだった.

P1220773 P1220763 (左写真24) レストラン入り口,(右同25) テーブルです

P1220768 P1220771 (左写真26) 前菜のサラダ,(右同27) マレー風ラザニア

 まずはレストランで昼食,この日のメニューはサラダとマレー風ラザニア,今旅行の食事(機内食と朝食除く)では初めての肉料理である.飲み物に関してはこの後テイスティングが控えていることもありソフトドリンクにしていた人たちもいたのだが,誘惑には勝てず赤ワインを注文した(料理にはやっぱりワインが合うので後悔なし 笑).食事後はレストラン正面の湖畔を散策,緑の芝生がまぶしく,本当に爽やかなヨーロッパ的な気候で気持ちが良かった(付近にはあじさいも咲いていた).

P1220818 P1220766 (左写真28) さわやかな陽気,(右同29) あじさいが!

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(写真30) テイスティングです

 その後はワインのテイスティングへ..案内されてテーブルに着くと,ワインリストとグラスが置かれている.この日はこの中から5種類のワインをテイスティングである(白2,赤2,ロゼ1).ガイドさんが当地のワインについていろいろ解説してくれたんですが,本当に詳しい!この人実はワインが専門なんじゃないかと思ったのだった.中でも面白かったのが赤ワイン,南アフリカにはフランスのピノ・ノワールとサンソー(エルミタージュ)を掛け合わせたピノタージュという独特のブドウがあり,濃くてスモークが利いた風味のワインとなる.「南アでワインに迷ったらピノタージュ」というガイドさんの言葉が印象的だった.テイスティング後はここで醸造されているワイン樽の見学,ずらっと並んだ樽を見て,これらひとつひとつ全部個性が違うんだなぁと考えると非常に感慨深いものがあった.

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(左写真31) テイスティングを楽しむ,(右同32) ワインの樽

 なんやかんやで16時過ぎまでここに滞在,その後バスに乗って町に戻る.約40分でウォーターフロント地区のショッピングモールに到着した.この後は1時間ほどここで自由時間,その後夕食という流れだ.一般に治安に不安がある南アフリカだが,こうしたショッピングモールは例外でたくさんの警備員や防犯カメラが設置されていて,スリや置き引き以外の犯罪とは無縁で安心して買い物ができる場所だ.ほかの参加者はさっそくショッピングに向かっていたが,基本的に買い物に関心が薄い 我々はスーパーをちょっと散策した程度でそのまま外に出た.

P1230401_2 P1230412 (左写真33) ウォーターフロントのショッピングモール,(右同34) 広場

 朝の曇り空とは打って変わりこの時間帯は晴れ渡っている(昨日と一緒だ).外では観光客が歩いていてまさに繁華街である.街角には大道芸人みたいな人もいた.ふと見ると目の前に観覧車がある.朝ロベン島行きの桟橋からも見えていて気になっていたところだ.集合までまだまだ時間があるのでせっかくだから乗ってみることにする.受付で料金を払って乗り込んだ.

P1230410 P1230424 (左写真35) 観覧車,(右同36) 高速回転します

 で,動き出したのだが,なんか速い! 日本だと観覧車はゆっくりと回って町の景色を堪能となるのだが,こちらはちょっと趣が違うらしい.あれよあれよという間に1回転してしまった.こ,これで終わりなのか!と思ってたら,降ろされる気配はなくさらに2回転,3回転目に突入,どうやら何回転もするのがこちら流らしかった(結局4回転で降ろされた).まさにところ変わればである.そうこうしているうちに集合時間になった.

P1230430 P1230433 (左写真37) 夕食の前菜イカ焼き,(右同38) メインのステーキ

 この日の夕食はウォーターフロントのレストラン,ショッピングモールから徒歩圏内.メニューはお昼に続いて肉,しかもステーキである(前菜はイカ焼き).飲み物は日中さんざんワインを飲んだとこともあってビールを選択,結局ぺろりと平らげたのだった.

P1230827 (写真39) ケープタウンの夜景

 夕食の後は昨夜断念したケープタウンの夜景スポットへ,たどり着いたのはいいけれど昨夕同様雲がどんどん広がってくる.結局10分程度の写真タイムをへてそのままホテルに戻ることになった.明日はヨハネスブルグへの移動である.

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2018年2月 9日 (金)

南部アフリカ旅行記④

 南部アフリカ旅行記録,今日はケープ半島編です.

 ケープタウン到着の翌日,2月21日になった.前夜は緊急用ウィスキーを飲んで寝たのだが,未だ体が日本時間から抜け出せていないのか,午前2時30分,午前4時と2度目が覚めてしまい,その都度寝なおすことになった.そして午前5時45分今度は本当に起床した(その後6時に予定通りモーニングコールが来た).

P1210092 P1210091 (左写真1) 朝食のレストラン,(右同2) 朝食

 身支度を整えて,6時半にレストランへ,昨夜の夕食で利用したのと同じ場所である.形式は一般的なビュッフェスタイルで,卵料理も作ってもらえるアメリカンスタイルである.ハムやチーズ,チキンやフィッシュなどに交じってお粥や"miso soup"と称するスープもあった.試しに飲んでみたのだが,出汁が利いていない,純粋にお湯に味噌を溶かしただけという感じがした.食事後8時に出発ということで5分前にロビーへ,すでに全員揃っていて我々が最後だった(団体ツアーの場合,毎回遅れてくる人とかがいたりするが今回はそのような人はいないっぽい).

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(写真3) 日曜日のせいかとても空いている

 時間になり昨日と同じバスに乗ってホテルを出る.朝のケープタウンは渋滞がひどいと聞いていたが,この日は日曜日だったせいか驚くほど空いている.昨日とは打て変わって今日は一面の曇り空,もしかして雨が降って水不足がちょっとは改善するのだろうか.そんなことを考えているうちにバスは海沿いを走っていく.市の中心部にほど近いウォーターフロント地区にはマンションが立ち並んでいる.ここはこの町の最高級住宅地らしく,日本円でワンルーム6000万円くらいするそうだ(!).いったいどんな人たちが住んでいるのか興味深いのだが,見ると意外にたくさんの人が海辺を散策している.一般に治安が悪いといわれる南アフリカだが,この辺りは普通に散歩ができるくらい安全らしい.

P1210101 P1210112 (左写真4) 散歩している人も多い,(右同5) 高級そうな住宅

 海沿いの道を郊外に出るとまもなく,クリフトンベイというエリアに差し掛かる.ちょうど大西洋から入り込んだ湾を形成している地区である.ケープタウン周辺はとにかく風が強いことで知られ,塵や埃だけでなく疫病まですべて吹き飛ばしてくれる(?)様からケープドクターなどと呼ばれているが,このクリプトン・ベイエリアは例外的に風が穏やかである.そのため湾周辺の高台は眺めが良くて風も穏やかと絶好の住宅環境となっている.当然価格は高く,ここも2ベッドロームで2億円くらいするらしい.

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(写真6) 徐々に晴れ間が…

 そんな住宅エリアを後にしてバスは大西洋岸を南下する.ケープ半島はなんとなく千葉県を彷彿させる形をしているが,最初の目的地は半島北西部,ちょうど浦安から市川の海岸部に相当するハウト・ベイである.この港から遊覧船に乗って近くのドイカー島に行き,オットセイの群れを見に行く趣向だ.ホテルを出発した頃は曇り空だったが,この頃から晴れ間が広がって来た.

 8時40分に港に到着,船は100人は優に乗れるサイズの中型船である.乗船しようとしたら,さっそく付近にオットセイの姿が… 写真を撮っていたら現地人がなにやらチップを要求している.ただ飼いオットセイじゃあるまいに,彼の所有物でもあるまいと無視した.我々の乗船は比較的早かったので,中央の見晴らしがよさそうな場所を確保できた.ふと見ると湾の対岸の山に霧が立ち込めていて風情を感じる.

Img_3622 P1210240 (左写真7) ハウトベイ,(右同8) 我々の乗り込む船

 その後も続々と客が乗り込んできて,9時頃に出航となる.湾内ということもあって海は非常に穏やかである.しばらくするとさっそくオットセイの群れに遭遇した.オットセイといえば一匹の強いオスが多数のメスを独占しハーレムを形成し,エサの確保に有利な海岸部に住み,その他のオスはオスどうして群れを作って内陸のやや不便なところに生活するという自然界の厳しい掟に従った社会だ(ライオンやインパラなどサバンナの生き物にも通じる).小さな島にたくさんのオットセイがひしめくさまは壮観である.一方で島の付近には巨大な海藻(昆布のようなもの?)もたくさん漂っていた.

P1210254 Img_3628 (左写真9) 出航!,(右同10) 霧が凄い

P1210271 P1210274 (左写真11) 浮かんでいるのは海藻,(右同12) オットセイの群れ

 40分ほどの遊覧で元の港に到着,下船しようとしたら現地人のバンドが出迎えてくれた(こちらは本当にチップ目当て).その後はトイレ休憩と土産物屋さんの散策をして10時過ぎに再びバスで出発となる.

P1210333 P1210153 (左写真13) 歓迎のバンド,’右同14) これから船に乗る人達

P1210351 (写真15) ハウトベイの展望

 ハウトベイからさらに南下する.ここの大西洋岸を走るコースはチャップマンズ・ピーク・ドライブという風光明媚なドライブコースである.有料道路のゲートを過ぎてすぐに展望の良いスポットがあって,ここで10分ほど景色を堪能した後,いよいよドライブコースの本番となる.道路は海岸沿いの崖に沿ってくねくね曲がりながら走っている.絶景ではあるが,道幅が狭く,ところによっては崖の一部をくりぬいて道路を通した洞門地帯もあり,日本でいえば新潟と富山の県境を走る国道8号線の親不知を彷彿させた(道が狭いため,バスなどの大型車両は南行きの一方通行となっている).

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(左写真16) チャップマンズ・ピーク・ドライブの車窓,(右同17) 洞門地帯も

 こうしたケープ半島西海岸を走った後,道はそのまま半島を横断する形で峠を越え,東海岸に入っていく.しばらくしてサイモンタウンの町に入っていった(ちなみにサイモンタウンを擁する一帯はFalse Bay=ウソ湾と呼ばれるが,これはインド方面からヨーロッパに向かう船がこの湾を喜望峰と勘違いして迷い込むことが多かったからという).

P1210401 P1210396 (左写真18) サイモンタウンの町,(右同19) 砂地を進んでいく

 サイモンタウンは半島東海岸の観光の中心地であり,レストランや洒落た土産物屋が立ち並ぶほか,海軍基地もあるなど南アフリカでも非常に重要な町である.鉄道も通っていて駅もあるのだが,線路やホームが砂に埋もれていて実際に使われているのかは不明である.この町の観光スポットは何といってもケープペンギンのコロニーであり,今回我々の目的ももちろんそこだ.駐車場でバスを降りてそのままコロニーに向かう(最初砂地のところを歩かされたので,これは結構大変かもと思ったが,すぐに普通の舗装路になった).

P1210415 (写真20) コロニー案内図

P1210413 (写真21) ペンギンコロニーの入り口

 渡されたチケットを入り口で提示して中の木道を順路に従って進んでいく.海岸に出ると,おおっ!いるいる,たくさんのペンギン🐧が群れを成して過ごしていた.一人でたそがれて波に打たれている個体もいれば,真昼だというのにイチャついている♥カップルもいる(笑).これだけの数のペンギンを生で見られる機会はそうないだろうと思われた(ペンギン自体その生息域は基本的に南半球である).園内での自由時間もあったため,我々は反対側の観測スポットも散策した(こちらは入り口から階段を下りていかなくてはならないため,行く人が少なく貸し切りに近かった).途中にネグラの様なところがあって,そこで休んでいる個体がいたのだが,「彼は今日非番なんだろうな 笑」などとも考えた.

P1210504 P1210495 (左写真22) 海岸はペンギンで一杯,(右同23) コロニーです

P1210499 P1210475 (左写真24) 黄昏ている個体,(右同25) イチャついている方々

 ペンギン観察を終えるとちょうどお昼時間,この日はサイモンタウンのレストランでランチである.だいたいこの地域のツアーではお昼は名物のロブスターが登場するのだが,近年当地のロブスターが希少になっていることもあり,大型のツアーでは提供されないケースも増えているらしい(我々が当初申し込んでいた10月の阪急のツアーもそうだった).が,今回は少人数のツアーということでやや小ぶりながらもロブスターが振る舞われ,一同感謝していただいた.その他のメニューは前菜のサラダと付け合わせのイカフライ,温かいデザートも美味しかった.

P1210513 P1210517 (左写真26) サラダ,(右同27) これが名物のロブスター

 昼食後はバスに乗り,さらに半島を南下する.この辺りまで来ると周辺には木が少なくなり,荒涼とした原野が広がるなど最果てムードが漂ってくる.ケープ半島南部は緯度にすれば南緯34度で大阪市とほぼ一緒なのだが,当地には南極からやって来る強力な寒流(ベンゲラ海流)が流れているために緯度の割には冷涼で,こうした高緯度っぽい原野が形成されているのである(この寒流のおかげで周辺は一大漁場となり,魚介類が美味い).

P1210543 P1210522 (左写真28) 荒涼とした原野,(右同29) 猿が!

 途中でこの地域特産の猿と遭遇しながら,そうした原野の中の道を進み,ついに半島の突端付近の海岸に到着した.ここが世界史や世界地誌の授業にも登場する有名な喜望峰である.付近には”Cape of Good Hope”と書かれた看板があるが,それがなければただの海岸である(笑).ともあれ,世界的有名地にやって来たわけで,嬉しそうに記念写真を撮ったのだった.

26907718_1601110546652971_406496703 P1210560 (写真30、31) 喜望峰にて,嬉しそう

 海岸での記念写真の後はまたバスに乗り,今度は付近のケープポイントと呼ばれる展望スポットに向かう.実は本物(?)の喜望峰は険しい岬の突端であり,一般人が立ち入るのは極めて危険である.このため付近に観光用の看板が置かれているのだが,この本物の喜望峰を展望できる高台がこのケープポイントなのである.

P1210630 P1210571 (左写真32) ケープポイントにて,(右同33) 登山電車の駅

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(写真34) 岬の突端を望む

 駐車場でバスを降り,そのまま登山電車と呼ばれるケーブルカーに乗って山の上に登る.そこから歩いてほど近いところが展望スポットである.先ほどの海岸とは異なる岬の険しい風景が素晴らしく,アフリカ大陸の端に来たんだなぁという実感がわいた.

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(左写真35) 城塞の様な展望台,(右同36) こちらは喜望峰の海岸方面

 ケープポイントの観光後,駅でトイレを使い,喉が渇いたので水を買って飲んだりして過ごす(この時間違って炭酸水を買ってしまった (゜o゜)).帰路は登山電車利用でも徒歩で下山でも良いと言われていたので我々は景色を堪能しながら徒歩で下山した.その後バスに乗り込み,ケープタウンの町に戻る.

 帰路はチャップマンズ・ピーク・ドライブが一方通行のため,基本的に半島の西岸を北上する.往路ほどの展望はないため疲れたのか眠っていた人が多かった.1時間半くらいでケープタウンに到着,そのままテーブルマウンテンに向かうロープウェイ乗り場に向かった(昨日は強風のため終日運休していた).で,着いてみると… 長蛇の列!! 日曜日というせいもあるのだろうが,凄い人である(昨日運休だった影響もあるだろう).いったいいつ乗れるのやら…(ガイドさんの話では待ち時間1時間くらいとのこと).待つのはいいのだが,直射日光が結構堪える.一同なんとか日陰を探して避難した.

P1220668 (写真37) テーブルマウンテンへのロープウェイ

 それでもなんとか1時間待たずに18時頃にロープウェイに乗ることができた.いよいよ出発である.ガイドさんに床が回転するので窓に捕まらないようにと注意されていたのだが,動き始めると本当に床が動き始める(というか,乗っている立場では窓枠が回転しているように感じる).これはどこに立っていても平等に景色が堪能できるようにとの配慮らしかった.

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(左写真38) テーブルマウンテンの山頂,(右同39) ケープタウンを一望

 10分もかからずにロープウェイは山頂の駅に到着,ここがテーブルマウンテンの上である.駅から外に出るとごつごつした岩場が広がっている.ただ,同じテーブルマウンテンといっても,我々が2010年に行ったギアナ高地のロライマ山に比べると圧倒的に開発が進んでいた(都市に近いのだから当たり前だが).ちなみに山頂のレストハウスでトイレを使ったのだが,水が流れないのはもちろん,手洗い用の水も出なかった.これはもちろん当地を襲っている水不足の影響である(ホテルで水が出ること自体が特別待遇ということだろう).

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(写真40) 中央やや下にある黄色い建物がケープタウンの五稜郭です

 山の上からはケープタウンの町が一望できる.港に沿った市街地やライオンヘッドと呼ばれる小高い丘もきれいに見えた.中心部の我々が宿泊しているホテルもよくわかる.ここで我々は以前から気になっていたことをガイドさんに尋ねる.「ケープタウンの五稜郭はどこですか?」,そう,ケープタウンには函館と同じように五稜郭が存在するのである(17世紀に建てられた旧オランダ領時代の植民地総督の居城).ただ函館と違って付近にタワーがあるわけではないので,なかなかその全貌が拝めないのだ.このテーブルマウンテンからなら見えるかもと思ったからである.するとガイドさん,「中央駅近くの黄色いのがそうですよ」と,見るとたしかに! 五角形の施設があるではないか,この町に来たからにはぜひ見たいと思っていた五稜郭が見れて大満足の我々だった(特にウチのKは函館出身なので感慨深そうだった).

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(左写真41) 往路のライオンヘッドと市街地,(右同42) 帰路には見事なテーブルクロスに

 山の上を一通り散策した後,18時40分過ぎにに再び帰りのロープウェイを待つ行列に並ぶ.今度も1時間近くかかりそうだ(笑).予定では19時から市内で夕食なのだが到底間に合いそうもないのでガイドさんがレストランにその旨を連絡していた.それでもなんとか19時30分にはロープウェイに乗り下界へ向かう.が,この時我々が目にしたのは来た時とは全く異なる景色だった.さきほどまで市街地から海まで晴れ渡っていたのだが,この数十分の間に大きく様変わりし,海は一面の雲に覆われその一部がライオンヘッドの丘を乗り越えて市街地に流れ込んでいるではないか! いわゆるテーブルクロスと呼ばれる光景である.ケープタウンはこの現象が出現しやすいと言われているのだが,まさかジャストタイミングでお目にかかれるとは思ってもいなかった.これもやっぱり日頃の行いの良さなのであろう(笑).

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(写真43) 夕食のイタリアンレストラン

 思いがけずテーブルクロスまで見ることができて大満足で下山,バスに乗り込んで市街地へ.上から見た通り市街地は深い霧に覆われていた.このまま夕食のレストランに向かう.この日はイタリアンレストラン,カジュアルな感じで賑わっていた.メニューはサラダとボンゴレパスタ,デザートはティラミスだった.ワインもいただいたことは言うまでもないが,パスタはやっぱりソフトだった(固めのパスタは日本かイタリア以外では無理らしい 笑).

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(左写真44) 夕食のサラダ,(右同45) ボンゴレパスタ

 夕食後,天気が良ければ夜景を見に行くはずだったが前述のように市街地は霧に包まれたためにこの日は中止,ホテルに戻った.その後はシャワーを浴びて緊急用のウィスキーを飲んでさっさと就寝したのだった.

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2018年2月 5日 (月)

ウユニ塩湖旅行記録が完成しました

 このブログでは先日の南部アフリカ旅行記事を絶賛(笑)連載中ですが,ホームページの方に3年前のボリビア旅行記が完成しました.

 冬の時期に比較的長めの休暇を取った初めての旅行でした.

 ボリビア旅行記

Uyuni205

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2018年2月 3日 (土)

南部アフリカ旅行記③

 南部アフリカ旅行記,南アフリカ入国&植物園編です.

 エチオピアのバレ空港に到着,ここはボーディングブリッヂではなくタラップを降りてバスでターミナルに移動するパターンだった.見ると赤茶けた大地のかなたに昇る太陽が見える.エチオピアの夜明けだ.早くもアフリカ的な景色で感動する.近くにいた日本人グループ(西遊旅行のエチオピアのツアーの人達らしい)が「エチオピアの神様,お天気を下さい」と手を合わせていた(アウトドア系のツアーなのだろう).

P1200040 P1200035 (左写真1) エチオピアの朝日,(右同2) これが乗って来たエチオピア航空機

 その後バスでターミナルへ.建物に入ってエスカレーターで上がったが,日本と違って片側空けをしないのでなんかホッとした(笑).エスカレータの先で添乗員さん&今回の他の参加者の方々と合流,ちなみに今回は我々の他,すでにリタイヤした世代の夫婦2組と1人参加の年配女性,同じく一人参加の若い女性の8人である.

 みんな揃ったところで国際線乗り換えの方に歩いていく.乗り換え便の搭乗口は9番ゲートらしい.一同歩いていたら係員がやってきて,「どこに行くのか?」と聞いてきた.添乗員さんが「ケープタウンだ」と答えたら,「そっちだ」と別方向を指さす.言われるままにそちらに向かう一同,そこはなんだか細い通路で本当にこっちで大丈夫なのかと不安になる.それでも気が付いたら広いところに出た.ここはどこだ?と見上げたら,なんと!9番ゲートだった.どうやら我々はボーディングブリッジの中を歩いてきたらしい.あれっ?普通乗り換えの時って再度セキュリティを通るんじゃないのか?と何となく不安になったがこれがアフリカ流なのかもしれない.

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(写真3) 搭乗口は大賑わい

 待ち時間が1時間ほどあったので散策をしようとしたが,周辺に売店はおろかトイレもない.困ったぞと思い,係員に聞くと「あっちだ」というのでその方向に向かう.行ってみたらセキュリティギリギリのところにあった(知らない人なら気付かないな 笑).

P1200049 (写真4) この旅行最初のビール(笑)

 その後7時45分ごろから搭乗開始,搭乗券のバーコードをかざして通過するのだが,さっきのセキュリティ無しから,もしもブーっと鳴ったらどうしようと思っていたが幸いそんなことはなく無事に通過し機上の人となる.8時25分に飛行機は動き始めまもなく離陸した.ケープタウンまでは約6時間である.安定飛行になると軽食のサンドイッチのサービスの開始,飲み物は今回初のビールを選択した.

 ビールを飲んで気持ちよくなってうとうとしていたらあっという間に今度は昼食の時間(笑),今回はフィッシュとビーフの選択だったので2人ともビーフをチョイス,飲み物はもちろん赤ワインだ(笑).で,何気に見たら同じビーフでもなんか違う.どうやらビーフといっても料理の種類はいつくかあるらしい(蓋が付いた段階ではわからないので適当に配ってると思われる).この時間帯になると画面のフライトマップにリビングストン(ヴィクトリアフォールズの近く)という文字が現れ,いやがうえにも気分が盛り上がった.

P1200050 P1200053 (左写真5) 昼食のビーフ,(右同6) リビングストンの文字が!

 そうこうしているうちに現地時間で13時30分ごろから飛行機は降下を開始,周辺は快晴の良い天気である.そして14時5分にケープタウンの空港に着陸した.

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(写真7) ケープタウンに到着

 この空港はタラップではなくボーディングブリッジでだった.降りた瞬間,あ,暑いと感じる.さすが南半球,今は真夏である.ターミナルに入るとあちこちにポスターが張られている.曰く「水を大切に!」,事前にケープタウンは水不足で大変だと聞いていたが,到着早々にこんな表示を出してるってことはよっぽど深刻なのだろう(1人1日84リットル以下にしようという趣旨の表記もあった).

P1200058 P1200063 (左写真8) 水を大切に,(右同9) 1人1日84L以下で

 そうしたポスターを見ながら入国審査へ.ブースは15,16か所あるのだが稼働しているのは6か所のみ,ちょっと並ぶ時間があったが審査そのものはあっという間に終わった.その次にターンテーブルへ,幸いロストバゲージもなく全員の荷物が無事に出てきた.その後税関は申告するものなどないので緑のゲートを通ってそのまま到着ロビーに出る.そこにはケープタウン滞在中お世話になる現地ガイドさん(日本人の男性)が待っていた.案内されるままにバスに乗る.8人のツアーには不釣り合いなほど大型のバスだった(1人で4席は占領できそうな感じ).

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(写真10) 車窓にテーブルマウンテン

 全員が乗り込んだところで空港を出発し市内に向かう.先ほど飛行機から見た通り,快晴のお天気だった.向こうの方にケープタウン名物のテーブルマウンテンがそびえたっている.当初この日は,そのテーブルマウンテンにロープウェイで登ることと,麓にある植物園(カンパニー・ガーデンズ)観光の予定だったが,強風のため本日はロープウェイが動いていないとのことで,必然的に植物園の観光のみとなった.

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(写真11) カンパニー・ガーデンズ

 カンパニー・ガーデンズは元々ヨーロッパ人としてこの地を最初に植民地化したオランダ人,ヤン・ハン・リーベックが造った農園だったのが,19世紀後半にこの地に進出したイギリス人セシル・ローズの邸宅になり,彼の死後植物園として公開されるようになったものである.敷地は広大でいったいどれほどあるのかわからないが,ここには主に南アフリカ原産の植物がたくさん存在するとのことだった.春にはそれこそたくさんの花が咲いて非常に美しい光景が見られるのらしいが,真夏の今はあんまり花は咲いていなかった(またここには各種有用植物の原種も結構あって興味深かった(ラベンダーの原種とか).

P1200143 P1200151 (左写真12) ここが入り口です,(右同13) 緑がいっぱい

 植物園とされているカンパニー・ガーデンズだが,一方で公園でもあり地元の人々の憩いの場ともなっている.特にこの日は土曜日ということもあり,たくさんの人たちが芝生の上に寝転ぶなど思い思いに寛いでいた(飲食もOKらしい,最もバーベキューは禁止だと思うが 笑).

P1200163 P1200157 (左写真14) 芝生でくつろぐ地元の人々,(右同15) 真夏ですが花も咲いています

P1200146 P1200148 (写真16,17) こんな花も

 ガイドさんの案内で一通り回った後は自由時間となる.ショップで買い物をするもよし,長旅で疲れている人はバスで休んでてもいいということだったが,我々は付属の温室を見学することにした.ここは南アフリカ原産以外の植物もある温室で,隣国ナミビアのウェルウィッチア(奇想天外)やマダガスカルのバオバブの木など,かつて訪れた国の植物を見て懐かしさを覚えたのだった(我が家では2007年にマダガスカル,2008年にナミビアを訪問している).

P1200204 P1200195 (左写真18) バオバブの木,(右同19) 単なる枯草に見えるウェルウィッチア

 時間が来たのでバスに戻る.前述のようにテーブルマウンテンのロープウェイが強風で止まっているため,この後はホテルに直行となる.都市高速のような立派な道路を走って市内中心部に向かう.ふと窓から外を見るとなにやら煙が上がっている.ガイドさんによれば火事だろうとのこと,今乾季のケープタウンでは火事になると消火に時間がかかるのだそうだ.しばらく走ると右手に1967年に世界最初の心臓移植手術が行われたGroote Schuur Hospitalが見えてくる.その病院付近で道は大きく左にカーブしてまもなく今日から3泊することになるホテル,ウェスティン・ケープタウンに到着した.

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(写真20) ウェスティン・ケープタウン

 このホテルはLグレードの高級ホテルである.ロビーも立派だった(ただしホテル周辺には店はなく,夜間は人通りが極端に無くなるので治安の問題もあり外出はするなといわれた).チェックインの後は部屋に入り,長旅の汗を流そうとシャワールームへ,高級ホテルだけあってシャワーとバスタブが別々になっていたが,現在ケープタウンは水不足でバスタブの使用は禁止するとの札がかかっていた(バスタブの栓もない).まあその辺にはこだわりがないので,シャワーだけで十分だったが(笑).このホテルでは17時~19時まで最上階のラウンジで軽食と飲み物(アルコール含む)がフリーだと聞いていたのでちょっと惹かれたが,どうせすぐに夕食だと思い行かなかった.

Img_3609 (写真21) ホテルからもテーブルマウンテンが見えます

 19時になりロビーに集合,この日の夕食はホテルのレストランである.前菜にシーザーサラダにチキンをはさんだパンみたいなのが付けあわされたやつ(名前忘れた 笑),メインがサーモンだった(南部アフリカ最初の食事は魚から来たかという感じ 笑),飲み物は白ワインを選択したことはいうまでもない.美味しかったのだが前菜でかなりお腹いっぱいになってしまったというウワサがあり,完食はできなかった.食後には当地名物のルイボスティーをいただいた.

P1210087 P1210089 (左写真22) 前菜のシーザーサラダ(+α),(右同23) メインのサーモン

 部屋に戻ったのは21時ちょっと前,明日は6時起きということと,長旅の疲労もありさっさと寝るところだが,レストランでワインを1杯しか飲まなかったため,まだ物足りない感じがしたため持参した緊急用ウィスキーがさっそく活躍した(ちなみに部屋にはミニバーがあるはずだったが,なぜか冷蔵庫の扉が開かなかった 笑).さあ,明日は喜望峰である.

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