2018年12月10日 (月)

盛岡に行ってきました

 地元医師会の忘年会の翌日は盛岡に向かいました.目的は岩手大学合唱団さんの定期演奏会にお邪魔するためです.盛岡訪問は10月上旬の大学講義以来なので約2か月ぶりになります.

 東京駅からはやぶさ号に乗り換えて一路北へ,この日の朝は関東も結構寒かったので東北の方はどうだろうと思ってたんですが,途中の福島県あたりでは曇って雪が積もっていました ( ゚Д゚).

 ただその後仙台あたりからは晴れ始め,盛岡に着いた時にはは快晴の青空が広がる良いお天気でした.電車を降りて駅のホームに降り立った瞬間ひんやりとした空気を感じます.小田原では久しく体験していないこの空気,「これ,これだよ.これが盛岡の冬だ!」と妙に嬉しくなりました.

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Original  せっかく来たのだからと駅の白龍に入って久しぶりのじゃじゃ麺を満喫します (^^)v.その後いろいろやることを片付けて,15時開演のコンサートへ.会場ではいろいろ見知った方々にお会いしました.仙台時代,盛岡時代の知り合いが多かったんですが,弘前時代に一緒に歌っていた仲間ご夫婦とも再会,そういえば彼らの娘さんが岩大合唱団で活動されていたんでした(もうそんな時代になったのね 笑).

Img001  今回のコンサートは4ステ構成,最初の2つが学指揮のステージ,後半の2つが常任指揮者の佐々木正利先生のステージでした.学指揮のものは「こころのうた」と題する邦人作品のオムニバスと岩大合唱団では定番のオリジナルミュージカル,佐々木先生のステージはスロベニアの現代作曲家アンブロージュ・チョビによるモテット4曲とつい先日亡くなられた大中恩さんの合唱曲でした.チョビについては自分もよく知らなかったんですが,思いのほかconservativeな印象を受けました.

 久しぶりに聴いた学生合唱団のコンサート,みんな輝いていて自分にもこんな時代があったんだろうなと感慨にふけったのでした.

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2018年12月 5日 (水)

モーツァルト週間

 12月に入ったとはいうものの,まだまだ気温が高い日が続いています(本当に冬なのか? 笑).

Is  さて12月5日は著明な作曲家W. A. モーツァルトの命日です.1756年オーストリアのザルツブルク(当時はザルツブルク大司教領)で生を受けたモーツァルトは,幼い頃から音楽家で教育者でもあった父親から手ほどきを受けると,めきめきとその才能を発揮し,神童ともてはやされました.当初は父とともにザルツブルクの宮廷音楽家として活動していたものの,大司教の束縛から思うような作曲活動ができないことへの不満等が高まり,1781年以降活動の拠点をウィーンに移し,以後フリーの音楽家として活動していくことになります.

 そんなモーツァルトですが,1791年秋ごろから体調を崩し,この年の12月5日にわずか35歳で亡くなりました.死因に関しては諸説ありますが,当時の記録からは溶連菌感染に起因する多臓器不全(特に心不全,腎不全)だったのではないかと思われます.

 我が家では特にウチのKが大のモーツァルト好きということもあり,オペラを中心にモーツァルト関連のコンサートに出かける機会もあります.2006年の生誕250年の年には夏季休暇の旅行でウィーンやザルツブルクに行きました.ただその後旅行の主眼が秘境系に移っていったこともあり,これ以降クラシック音楽関係の旅行は2013年の合唱団の演奏旅行の他にはありません.

 が,我が家では最近急に音楽関係の旅行に行ってみようじゃないか,という気分が盛り上がっています.すなわち毎年1月下旬にザルツブルクで開催れているモーツァルト週間に行ってみようじゃないかというわけです.これは毎年モーツァルトの誕生日である1月27日を中心として約10日間ザルツブルクで開催されている音楽イベントです.ザルツブルクのイベントといえば夏のザルツブルク音楽祭が有名ですが,あちらは夏の観光シーズンと重なることもあり,それこそチケット代含めた旅行代金は凄いことになります.一方でこちらのモーツァルト週間は真冬で通常の観光客が少ない時期ということもあるのか,価格もだいぶお財布に優しい設定になっています(出演する団体はウィーンフィルをはじめ,夏に負けないんですが).すなわちどうせ行くなら冬の方がお得だぞということで,今回なんとか休暇をひねり出して行ってこようと決意したのでした.とはいえ全日程参加するほどは休めないので,イベントの後半に絞った企画で参加してきます.案内によると主な演目として,交響曲20番,25番,ピアノ協奏曲19番,20番をはじめ,ミサ曲ハ短調やレクイエム,エジプト王タモスなどがあるようです.

 ほぼコンサート漬けの旅行になる予定なんですが,非常に楽しみなのでした.

 動画はモーツァルトが生前完成させ自ら指揮をした最後の作品といわれる,フリーメイソンのための小カンタータ「われらが喜びを高らかに告げよ」 K.623 です.

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2018年10月26日 (金)

第30回能代寮歌を愛する会

Img_4130  10月中旬から後半は産業医の単位集め,合唱団のコンサート,函館行きとイベントが立て続けにあったんですが,その締めくくり(?)として10月24日に秋田県能代市で開催された第30回能代寮歌を愛する会に参加してきました.

 普段はオペラなどクラシック音楽を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,昔から愛好している分野です.全国各地で寮歌イベントが行われているんですが,業務との兼ね合いもあって,ルーチンで参加しているのはこの能代寮歌と8月の中央寮歌祭の2つです.特に能代の寮歌は自分の前任地で一緒だったドクターのご尊父が主催しているイベントということで,できるだけ参加しています.

 会場はJR能代駅からほど近いキャッスルホテル能代です.宿泊先も同ホテルなので当日夕方にチェックインして部屋で荷物を解いたあと会場に向かいました.

 今回の参加者は地元の方も含めて45名程度と例年よりも少なめでした.主催している先生によると,やっぱり高齢化の影響が強くなっているとのこと.考えてみれば旧制高校最後の入学生が昭和25年(1950年)です.その方々が現在では85歳になります.それ以下の年代はすべて新制になってしまうのですから,旧制高校実体験者はいくら長寿の時代とはいえ急激に数を減らしているのが実情です.もちろん私のようにそれ以降でもこうしたジャンルを愛好する人間もいるわけですが,総数としてはやっぱり減少傾向にあるようです(実際に全国各地の寮歌祭も終了または規模縮小となっているところがほとんどです).

 そんな第30回能代寮歌を愛する会,今年も開会の言葉に始まり,黙とう(これは前年以降に鬼籍に入られた方々のため),歓迎寮歌,ゲスト代表挨拶と続き,いよいよ乾杯です.

Img_1072 Img_1067  乾杯の後は寮歌斉唱の時間,今年は北から南へという流れで北大予科から弘前,山形,二高と進んでいきました.各校それぞれ壇に上がって歌うのですが,以前はこうした際に長々とあいさつをして進行係を困らせる方々(笑)がいたんですが,近年はそうした方々も高齢で長挨拶をする元気もなくなってきたのか,去年今年は極めて進行がスムーズでした.

 今回の目玉としては一高水泳部の河童踊りの歌が披露されたこと.腰蓑をつけてユーモラスに踊るさまが面白かったです(これが当時のエリートの姿です 笑).私はというと,近年恒例となった第七高校造士館の北辰斜めの音頭を取らせていただきました.充実した時間でしたが,一方で参加者減少と関係があるのかもしれませんが,定番寮歌として知られる松江高校の青春の歌や台北帝大予科の創業歌などが省略されていたのは寂しかったです.

 閉会後はいったん部屋に戻ったのち有志で二次会に繰り出しました(今年もカラオケのあるスナックでしたが,昨年とは違うお店でした).翌日はオプションの白神山地に観光に出かける人も多かったんですが,我々はそこまでは時間が取れないということで朝ゆっくり起きて家路に向かったのでした(途中稲庭うどんの老舗佐藤養助本店に立ち寄りました).

Img_4126  こちらは2種類のつけダレでいただく二味天せいろです.

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2018年10月23日 (火)

コンサートと函館

Img_4104  産業医の単位をかき集めた週の最後を飾ったのが東京21合唱団第15回コンサートでした.ここは医師会合唱団と並んで,私がメインで活動している合唱団です.邦人作品やポップス系も扱う医師会と違って,こちらは純粋に教会音楽専科(笑)の合唱団です.今回はラインベルガーのミサ曲変ホ長調(カントゥス・ミサ),讃美歌21より,J. S. バッハの教会カンタータ21番という3ステ構成でした.毛色の違う3つのステージということで,スペースオペラとラブコメ,時代劇の豪華三本立てじゃないかと感じるほど濃厚さでした.特にラインベルガーのミサ曲はア・カペラに加えて二重合唱という高難度の二乗という感じで手ごわかったです.

 演奏会当日は夕方から最後の練習を経て本番に臨みました.この日は自分の大学合唱団時代の周辺学年の方々がたくさん来てくれて大感激でした(泣).終演後は恒例の打ち上げを経て終電で帰宅します.近年は演奏会の日は近くに宿泊というパターンが一般的だったんですが,実は翌日からウチのKの実家に遊びに行くことにしていたからです(演奏会用の荷物を置きたかったのと,飛行機が午後なので宿泊すると時間が余ってしまう).

 前回函館に行ったのは2016年のGWだったのでほぼ2年半ぶりでした(新函館北斗駅松前城の桜).今回はKの親姉妹とその子供たち等総勢9人で市内湯の川温泉のホテルに宿泊しました.久しぶりの温泉と豪華ブッフェでみんな喜んでくれたようです.

Img_4109 Img_1054  湯の川といえば,日本城郭協会が今年の春から始めた続日本100名城スタンプラリーのひとつ志苔館があります.せっかく近くまで来たのだからとそちらにも寄ってみました.

Img_1019  ここは14世紀の末に津軽安東氏によって築かれた道南十二館のひとつで,中世から近世にかけてのアイヌと和人の戦いに際しては和人側の最前線となったところです.今回続100名城に選定されたわけですが,Kの実家の人たちは「こんなところがあるなんて知らなかった」と言ってたので,知る人ぞ知る場所だったと思われます(まあ自分も100名城じゃなかったら来てなかったな 笑).

 最後は函館山に上ったんですが,そこの売店で購入したのがこちら.

Img_4140  ドラえもんと新選組のコラボなのでした(笑).

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2018年10月 4日 (木)

盛岡に行ってきました

 気が付いたら10月に突入しています.今年も残すところ3か月か!と考えると感慨深いものがあります(笑).

 そんな10月3日,仕事で盛岡に行ってきました.担当している大学の講義のためなんですが,午前中早いので当日朝一の新幹線では間に合いません.必然的に前泊するか,夜行バス利用かの2択となります.普段は前泊のケースも多いんですが,今回は前日2日夜に医師会合唱団の練習があったため,それに参加してから出かけることにするため,必然的に夜行バスになりました(笑).医師会合唱団はつい先日定期演奏会が終わったばかりなんですが,7日に市民合唱祭があって,それにむけての最後の練習日だったからです.

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(写真1) 東京駅八重洲南口

 練習終了後小田原駅から新幹線で東京へ.八重洲南口にある高速バス乗り場は各地に向かう人たちでごった返していました(やっぱり新幹線に比べると平均年齢が低い印象).

 私の乗るドリーム盛岡(らくちん号)は23時10分定刻に出発しました.この日のバスは比較的すいていて,私の後ろには誰も来なかったので,気兼ねなくリクライニングできました (^^)v.乗車時間は約7時間ちょっとでしたが,すぐに眠剤をキメて寝たので,あっという間についた印象でした.

Img_4060 (写真2) 早朝の盛岡駅

 この日の盛岡は快晴の良いお天気,

 が,寒~い (゜o゜)

 周りを見るとコートを羽織っている人もいました.さすがは北国です.この後まずは市内のスーパー銭湯に寄ってさっぱりしてから大学へ.午前中の担当講義をこなしました(もう10年やっているので,我ながら慣れた感じ.もちろん内容は常にアップデートしてますが).講義を担当するということは必然的に試験問題も作成するんですが,自分の場合お世辞にもまじめな学生だったとは言えないので,学生を悩ませる難問奇問なんか出すはずがないのでした.

P7140065_800x600 (写真3) 白龍のじゃじゃ麺

 終了後は盛岡駅に戻って,久しぶりに駅白龍に行きました.出てくるのは所詮じゃじゃ麺なんですが,場所柄なのか,和服を着た女性の4人組のお客さんがいたりして,もはやB級グルメの面影が感じられなくなっていました.

 じゃじゃ麺の後は新幹線で東京に向かったのでした(盛岡滞在8時間弱!).

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2018年10月 1日 (月)

第28回しながわ宿場まつり

41704058_1557490664397640_921493171  自分にとって秋の恒例イベントのひとつとなっているしながわ宿場まつりに今年も参加してきました.今年はウチのKともども宿場の原点とでもいうべき(?),旅姿での参加となりました.

 が,しか~し

 この週末は台風24号が日本列島を直撃するというウワサで,特にパレードのメイン,江戸風俗行列がある30日は,台風の影響が強く心配されました.実際に台風が先行してやってくる関西では主要なイベントが早々に中止になるなど波紋が広がっていました(しながわがなければ参加したかった,大阪のワクチンセミナーも早々に中止が決定).東京地方も29日はほぼ1日雨模様で,この日に行われるはずだった花魁道中が中止になってしまいました.

 で,明けて9月30日は朝から基本的には曇り模様です.これなら何とかできるんじゃないかと思われたんですが,夕方以降天候の急激な悪化が予想されること,それに伴いJRなどの公共交通機関が運転取りやめを発表したこともあって,恒例の江戸風俗行列は中止,参加者は着替えを行い,12時まで適宜宿場を散策するという趣旨に縮小変更されました.

 雨が降った場合,早く着替えをしても行き場に困ることを過去に経験している我々は,この日は比較的遅めの会場入り,ここで前述の縮小開催を知る.「ありゃ,12時でお終い…,これだったら早く来て時間を有効利用するんだった ((+_+))」と後悔することしきりでした.

P9300574 (写真1) 武士の旅姿です

 それでもなんとか着替えが終わって,いよいよ宿場の散策.しながわ宿場まつりは,江戸時代の人物に扮した人々が商店街を散策することで,当時の宿場の雰囲気を醸し出そうという趣旨のお祭りです.この肩ひじ張らないゆるい雰囲気が魅力でもあります.

 例年だと,お昼のパレードまではノンアルコールでの散策ですが,この日はそのお昼には扮装自体が終わってしまうということもあって,さっそく屋台をめぐってお酒をいただきます(笑). 

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(左写真2) さっそくお酒をいただく,(右同3) ガイドブックを眺める

 今回は日本橋から歩き始めて,南米のチリを目指すというシチュエーションを勝手に作り,ガイドブック片手に散策してみました(屋台の人たちに喜ばれて,ご祝儀におつまみ類をいただきました 笑).

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(左写真4) 旅の安全を祈願,(右同5) 今年の神楽教授は忍者!

 適当に飲み食いしているうちにあっという間に12時に…,名残惜しいですが,衣装を脱いでお終いとなりました.その後も少し散策してホテル村などのブースで飲み食いをし,電車が止まる前に帰宅したのでした(結局自分が帰宅してから雨が降り出すという予定通りの展開でした 笑).

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2018年9月25日 (火)

小田原医師会合唱団第10回記念定期演奏会

 以前ここでも紹介した,小田原医師会第10回記念定期演奏会が,昨日小田原市民会館にて開催されました.

 合唱が趣味の私ですが,この合唱団は東京21合唱団とともに現在メインで活動している合唱団です.結成は2008年春で,縁あって初回の練習から参加しています(これは全くの偶然).その最初の年に結成コンサートが開催され,翌2009年に第1回,以後ほぼ毎年定期演奏会が開催され,今回ついに10回目を数えたことになります.

 10回記念の今回は,縁あって作曲家の大田桜子さんへの委嘱作品を演奏する機会に恵まれました.歌詞は金子みすゞで,これは合唱団の指揮者の先生がみすゞ作品の紹介・普及に努力されている関係でもあります.

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 今回の演奏会は3ステ構成,1ステは宗教曲の小品を数曲,2ステは過去9回の演奏会で思い出深かった作品を中心としたステージ,そしてメインの3ステが委嘱作品,混声合唱組曲「みんなを好きに」でした.完成された楽譜が手元に届いたのが演奏会2日前の9月22日,そこに記された初演 2018年9月24日 小田原医師会合唱団第10回記念定期演奏会の文字は,この段階では未来の話であり,これで演奏会ができなかったらどう言うことになるんだろうと不思議な気分でした(奇しくも今回の組曲の2曲目が「不思議」という曲).

Img_1007 Img_1006  演奏会って準備は大変なんですが,当日はあっという間に終わってしまいます.自分にとっても感慨深いコンサートだったので,途中なんどか泣きそうになったというのは内緒です(笑).この日は職場の人や自分の患者さんも来てくれました(あとは母親と妹も 笑).今日職場の人に話を聞いたらなかなか好評でした!

 それにしても結成当初は4声のアンサンブルを構築することすら困難なところから始まったんですが,指揮者の山田浩子先生,ピアニストの田端ゆみ先生の優しく我慢強い(笑)指導と団員の努力によって,10年後委嘱作品を演奏できるようになるとは当時想像もしていませんでした(本当に感謝です).本当にみんなレベルアップしたなと思います(自分だけレベルが変わらず置いてかれている感じ 笑).

 演奏会後の打ち上げでお客さんのアンケートが回ってきたんですが,医師会合唱団のこれまでの演奏会はダンスが入るステージや幕間にバンドが登場したりと,けっこう華やかだったんですが,今回は委嘱作品がメインということで,それに集中するために,そうした要素は押さえた感がありました.これまで毎年聴きに来てくださった方々の中には,そうした要素が少なかったことが寂しい的な声もあったんですが,次回の第11回ではそうした要素も復活するじゃないかと思ってます.

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2018年9月17日 (月)

ボリビア&チリ旅行記⑥

 ボリビア&チリ旅行記,いよいよ宝石の道編の始まりです.

 サン・ペドロ・デ・ケメスでの一夜を過ごし,目が覚めたのは午前5時だった.

 が、寒い!( ゚Д゚)

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(写真1) サン・ペドロ・デ・ケメスの夜明け

 一応暖房も入っているはずなのだが、まったく周囲の寒さにかき消されているようだった.ベッドから出るのは困難で,まさに布団の中以外に居場所がない状態だ(笑).仕方ないのでそのまましばらくじっとしながら外の様子をうかがう.やがて周囲が明るくなってきた.7時になり,そろそろ朝食に向かう時間ということで,どうにか起き上がり.窓までいってカーテンを開けると,朝日がとても綺麗だった.

 身支度をして(というか,ほぼ着の身着のままだが 笑)朝食会場に向かう.朝食は昨夕と同じレストランである(窓が大きくてたくさんある.日光をたくさん取り入れようという構造らしい).辺境地区ということもあり,内容はいたってシンプルだが,温かい目玉焼きとお茶があるのは嬉しい.

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(左写真2) レストラン,(右同3) シンプルな朝食

 朝食後チェックアウトの手続きをしていたら,フロントの人が「今日は寒いよ」と言っていた.「そ、そうなのか… 昨日も十分寒かったが」と恐れおののく自分である.

 8時にホテルを出発,一路南下していく.しばらく周辺は荒涼としたアルティプラーノの大地が広がっている.高地帯であるために背の高い木はなく,茂みのような草の塊があちこちに点在する風景が続く.途中何度かビクーニャの群れを目撃した.

P6130207_2 (写真4) 奇岩地帯

 しばらく進むと,奇岩が立ち並ぶ地帯に到着,さっそく下車して写真撮影タイムである.まるで人工的に彫られたかのような奇岩が立ち並んでいる.昔行ったギアナ高地のロライマ山の山頂もそうなのだが,年中強風にさらされる地域でよくみられる景色である(ここアンデス高地帯もお昼ごろから毎日西寄りの強風が吹き荒れる).

 こうした奇岩地帯が過ぎると,周辺は一気にまっ平らな場所に変わった.ここはチグアナ塩湖といい,それなりの規模を誇る塩湖である.が,塩湖とはいってもウユニ塩湖のような真っ白な大地ではなく,焦げ茶色の平原である(常に風が吹くため周囲の土が恒常的に降り注ぐためらしい).とはいえ,日本では絶対にお目にかかれないだろう大平原の景色は素晴らしい.周辺には山もあり雲がかかっているところもあるのだが,それにしても雲が低い.さすがは標高4000メートル付近だと感動するのだった.

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(左写真5) チグアナ塩湖,(右同6) 思わず万歳

 30分以上走ってようやくチグアナ塩湖を抜け,やや太めの道路(もちろん未舗装)に合流する.そのまま進んでいくとしばらくして,建物がたくさん立ち並ぶところにやってきた.こんなところに村なんかあったのか?と思っていたら,どうやらここはオヤグエ(Ollague)と呼ばれるチリとの国境ポイントとのこと.ガイドさんの話によると今夜以降天候の悪化が予想されており,我々の通る予定の国境ポイントが閉鎖になる可能性があり,その際はこちらを抜ける予定にしているため,その情報収集ということらしい.今現在は快晴の青空が広がっているのだが,これから崩れるということなのだろうか(やや不安になる).

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(左写真7) チリ国境に向かう線路を渡る,(右同8) オヤグエの国境

 ともかく国境ポイントを確認してきた道を引き返す.しばらく走ってトイレ休憩となる.ちなみに国境にはトイレがないので,ここがボリビア側最後のトイレとのこと.見ると大きな山がそびえている.これがボリビア・チリ国境にあるオヤグエ火山であった(うっすらと噴煙が上がっていた).

P6130234 (写真9) 国境近くの休憩スポット(後方がオヤグエ火山)

 その後しばらく進み,右に折れて細い道に入る.いよいよここから宝石の道である.ワクワクする瞬間だ.宝石の道は一部サイクリストにも人気の場所だが,このルートは道として整備されているわけではなく,観光用の4駆がたくさん走っているうちに道になったというところである.そのため轍や凸凹が多く,自転車の走行には極めて厳しい環境となっている(だからこそ,ここを走りたいと言う人も多いのかもしれない).入ってさっそくアップダウンの激しい悪路だった.さすがのランクルも15~20km/時しか出せない環境である.少し進んだところで1台の4駆が止まっている.何かトラブルでもあったのかと,ドライバーが声掛けしたが,大したことはないらしい.いずれにせよこんな辺境地区で何かあったら大変である.

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(写真10) 山が綺麗です

 悪路地帯を抜けるとしばらくは平坦になり,一転してスピードが出せるようになる.ここで今回の旅行用に導入したスマホの登山アプリを起動させる.オフラインでも標高と緯度経度を表示させられる優れものだ.さっそく標高を見ると,

 4229メートル!

Img_0648 (写真11) 登山アプリ

 あっさり4000メートルを越えているではないか.かなり酸素が薄いはずだが,気持ちが昂ているのか具合悪さは全くないのだった.

 そんな山道を進んでいくうちに前方に大きな湖が姿を現した.ここが宝石の道最北部の湖,カニャパ湖(Laguna Kanapa)である.真っ青な湖面と対岸の雪山とのコントラストが素晴らしい! 周辺は枯れ草が生い茂り,地面を踏んだ感触がぶよぶよしてツンドラチックだった.

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(左写真12) カニャパ湖,(右同13) 記念撮影

 天気は晴れなのだが,寒い ( ;∀;).湖面にはたくさんの鳥の姿が見えた.噂ではフラミンゴもいるという話だったが,この日は幼体が1羽いるだけだった.時折鳥たちが飛んだり着水したりしているのだが,この日は一部の湖面が凍っており,運悪くそこに着水しようとした鳥が滑って転びそうになっていた(笑).

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(左写真14) 鴎の間に1羽のフラミンゴの幼鳥が…,(右同15) 一部凍っています

 20分ほど見学してカニャパ湖を後にする.そこから15分ほど行ったところに,この日2つ目の湖であるエディオンダ湖(Laguna Hedionda)がある.ここは宝石の道北部の観光拠点になっているらしく,湖畔にはホテルなどの設備がある(我々は利用しなかったが有料WiFiスポットもある).ちょうどお昼時なので我々もここでランチである.準備ができるまで湖畔の散策をするのだが,さ,寒~い.気温に加えて,宝石の道名物「昼からの西風」が吹き始めたため,体感温度はさらに低くなっている.

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(左写真16) エディオンダ湖,(右同17) 湖畔のホテル

 ただ,ここにはカニャパ湖では見かけなかったフラミンゴの姿が見られた(脚が赤いのでコバシフラミンゴらしい).一般にフラミンゴは人間の近くには寄ってこないので望遠でないと撮影が難しいのだが,ここの個体はあまり気にしないらしく,結構写真が撮りやすかった.

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(左写真18) フラミンゴの群れ,(右同19) 意外に近くにいます

 準備ができたので昼食のレストランへ.とはってもレストランはスペースを貸すだけなので,食材は持ち込み品である(壁に100ボリの表記があったがおそらく賃料と思われる.まあ風がしのげるだけでもうれしい).この日は野菜とチーズ,ハム,黒パンだった.ジュースは白濁タイプのリンゴジュース,海外では珍しい.

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(左写真19) WiFIスポット,(右同20) 昼食会場

 食事後はトイレを済ませて(もちろん有料だが環境は悪くない)出発となる.ちなみにエディオンダ湖周辺には立小便禁止の看板がたくさん立っている.こういうものがあるということは,逆に言えばそういうことをする人が多いということなんだろうなと思った.

P6140314 (写真21) リャマの群れ

 約15分ほどで次の湖,チアルコタ湖(Laguna Charkota)に至る(途中リャマの群れに遭遇).チアルコタとは現地の言葉で黒い岩という意味だそうである.そういわれてみると,周辺には黒い岩がゴロゴロ転がっていた.ここにはあまり鳥はいなかった.

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(左写真22) チアルコタ湖,(右同23) そういえば黒い岩があります

 チアルコタ湖を後にすると,周辺は平らな平原が広がっていた.せっかくだからと車を降りて記念撮影,地球外のどこかの惑星なんじゃないかという感じの光景である.そうこうしてたらキツネの姿が見られた.こうした高原地帯を走りしばらく行くと,この日最後の湖オンダ湖(Laguna Honda)に到着する.綴りのイメージから自動車会社を連想させるが,これまた現地語で深いという意味なんだそう.どうやらこの湖は深いらしい.ここも寒さのために湖面の一部が凍り付いていた(ここにもあまり鳥がいない).

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(左写真24) オンダ湖,(右同25) キツネがいます

 オンダ湖に別れを告げ,再び宝石の道を進む.しばらくはシロリと呼ばれる砂漠地帯を走る.この辺りはもうどこが道路なのかわからず,一面どこでも好きなところを走れる感じだ.見ると2台の四駆が土埃を挙げながら縦走している光景が… 自分が子供の頃に見た朝の情報番組「おはよう720」内のコーナー”キャラバンⅡ”を思い出した.

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(左写真26) キャラバン隊のよう,(右同27) この日の最高地点

 その後も砂漠地帯を疾走しながら徐々に標高を上げていく.アプリを起動させると,4500メートル,4600メートルと次々に自己最高記録を更新し,とうとう4705メートルに達した.富士山よりも1000メートルも高いところを今自分が走っているんだと考えると感慨もひとしおである(アドレナリンが出過ぎているのか,まったく具合は悪くない).

Img_0701 (写真28) ついに標高4700メートル越え!

 この辺りから雲が広がり始め,やがて雪が舞い始めた.ドライバーもやや速度を落として慎重に進んでいく.どうやら4700メートルがピークらしく,その後は徐々に高度を下げていった.しばらく進んでいくと,石の標識があり,ここから西に折れて少し進むと久しぶりの人工物が見えてきた.このがこの日の宿泊先,ホテル・タイカ・デル・デシエルトである.

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(左写真29) 雪が積もっています,(右同30) この日宿泊のホテル

 名前にタイカ(Tayka)とある通り,昨夜泊まったホテルと同系列である.石組みの山荘風なのも一緒だった.周辺には村など人の気配がするものは全くない.本当に何もないところにホテルのみがあるといった感じだ.通勤も不可能と思われるので,従業員は住み込みだと思われる.

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(左写真31) 客室です,(右同32) 洗面台は一段高いところにある

 フロントでチェックインをしてカギをもらう.時計を見たらまだ午後3時だった(かなり順調にやってきたことになる).部屋はツインで山荘風にしてはやや広い印象だ.もちろんシャワー・トイレ付なのだが,なぜか客室から段を上がらないと行けない造りになっている.トイレに行こうと段を上った瞬間,クラっとめまいがした.そう,少し下ってきたとはいえ,このホテル,なんと標高4500メートルにあるのだ.深呼吸しながらでないとトイレにも行けないのだ(笑).部屋に入ったらまずすることは充電だ.デジカメの方は極力写真のチェックはせずに来ているので,コンデジは4本のバッテリーのうち2つ目を使い始めたところ,ミラーレスの方も4本のうち1本目が間もなく切れそうな段階とこの先まだまだ大丈夫である.スマホとタブレットを確実に充電しておくことにする.ちなみにこのホテル,こんな辺境地区にも関わらず無料WiFiがあった! 速度はかなり遅いのだが,とりあえず外部の情報を入手することはできるわけだ.

 それにしても,寒い!

 昨日のホテルも寒かったが,まだ夕方4時前だというのにとにかく寒い.まあ昨日よりさらに標高が高いのだから当然といえば当然だが,夕方でこんな感じなんだから夜中はどうなるのか… ( ;∀;).もちろん暖房はあるはずだが,ひねってもうんともすんとも言わない.もしかして壊れているのかと思い,フロントに告げると「大丈夫,5時になれば入るから問題ない」との返事.どこがどう問題ないのかはわからないが,ともかく5時まで我慢しなければならないことは確実らしい.仕方ないので,ベッドに潜り込んで待つことにした(あまりに暇なのでタブレットでメールチェックなどをした).

 5時になり,予告通り暖房が入り始めた.周辺が徐々に温まり始めたのだが,これで夜中を乗り切れるのか不安になるレベルだ.シャワーも昨日と同じで早い段階に浴びておかないとお湯が尽きる可能性があるのだが,寒いのでそんな気分にもならないのだった.

P6140380 (写真33) レストラン

 そのまま部屋でうだうだしていているうちに日が暮れて周囲は夜になった.7時になり夕食のためにレストランに向かう.造りは昨日のホテルと同じような感じで窓が大きかった.この日のメニューはキヌアスープ,牛肉のコースである.ワインであるが,自分は平気だったが,Kがちょっと具合が悪そうだったので,白のハーフボトルで我慢することに(笑).それにしても標高4500メートルでも平気でワインを飲んでる自分の成長が嬉しかった(もっとも周囲を見渡すと,ほかのお客さんはみなフルボトルを平気で空けている.みんな元気なのか,元気な人しかここには来られないのか,おそらく後者だろう 笑).それにしてもこんな辺境でこうしたきちんとした夕食が摂れるホテルとして,ここは世界でも稀有な場所のひとつじゃないかと思ったのだった(少なくとも世界最高所にあるまともなホテルだろう).

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(左写真34) 前菜のキヌアスープ,(右同35) この日のメインはビーフ

 そんな夕食の席上,ガイドさんからビッグニュースがあった.なんと我々のスーツケースがウユニの空港からこちらに向かっているというのだ! 昨日あたりの噂だと,チリのアタカマに行ってから受け取れるんじゃないかという話だったのだが,なんとここまで届けてくれるというのだ!(帰国後わかったのだが,このまま国境を越えてしまうと,荷物も再度国境越えが必要になり逆に面倒なことになるため,旅行会社の方で車をチャーターしてくれたらしい 感謝である).一気にテンションが上がる我々だった.

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(写真36) 荷物が届き感極まりました(笑)

 夕食後部屋に戻り少ししたら,本当に荷物が届いたのである.今回の旅行でホッとした瞬間が3回あったのだが,その2回目がこの晩だった(1回目はラパスから離陸できたとき).さっそく荷物を開けて着替えや防寒具を出したことは言うまでもない(まさに息を吹き返したという感じ).夕方はテンションが下がって今晩はシャワーは無しにしようかなどと言っていのが嘘のように元気になりシャワーも浴びたのだった(さらにこの日のホテルはお湯の温度も十分で快適だった).また暖房も昨日のホテルに比べると強力で,この頃にはだいぶ過ごしやすくなっていた.

 こうしてロストバゲージから解放され,久しぶりに安心して眠りについたのだった.

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2018年8月13日 (月)

ボリビア&チリ旅行記⑤

 6月の旅行から間もなく2か月,しばらく中断していたボリビア&チリ旅行記を再開します.今回はウユニ塩湖編その2です.

 ウユニ塩湖での一夜が明け6月12日になった.この日も前日に引き続きウユニ塩湖の観光となるのだが,スタートはゆっくりである.これは今回はウユニ塩湖の観光はメインでないというのと,ロストバゲージとなった我々のためにガイドさんが街で下着やその他(特にウチのKのコンタクトレンズ洗浄用の生理食塩水)を購入してきてくれることになったからだ.

 ゆっくりでいいとはわかっているが,体内時計はそれとは関係なく動いているのか,この日も朝5時に目が覚めた.しばらくウダウダしているうちに夜明けを迎える.7時30分ごろに朝食にするためにレストランへ.今はシーズンではないのか客の数は少なめだった.メニューは一般的なビュッフェ,夕食もそうだったがあまり特徴がない感じだ(ただしここボリビアでは特徴がないというのは食事のレベルは高いということを意味する).飲み物はこの日ももちろんコカ茶である.

P6130216 (写真1) ロビーでくつろぐ

 朝食の後は部屋に戻り,何もせずに休息.考えてみたら9日の出発以来,ラパス到着の遅れ,ロストバゲージ騒動があって,さらに昨朝は4時起きと休む暇もなく活動していたわけだから,ここでゆったりと疲れをとるのも悪くないなと思った.

 待ち合わせの時間が近づいてきたためロビーへ,チェックアウトを済ませてソファで待機する.外を見るとちょうど1台の4WDが出発していくところだった.その後しばらくして我々の車も到着,いよいよ出発となる.この日の予定は最初にコルチャニ村で博物館の見学,その後塩湖内に入ってインカワシ島の観光,その後ネタ写真タイムをはさんで塩湖の南岸を抜けて次の宿泊地サンペドロ・デ・ケメスに向かう流れである.

 ホテルを出発してまずはコルチャニ村へ.向かった先はMUSEO DE LA LLAMA Y LA SAL(日本語に訳すとリャマと塩の博物館であろうか),2015年に来た時には入った記憶のない場所だ.ここは「地元の人たちがリャマと塩をどのように利用しているか」をテーマにして紹介展示している博物館だ.リャマや塩の利用がジオラマ(のようなもの)で表現されているコーナーもあるのだが,日本だと結構精密なジオラマが展示されていて見入ってしまうことがあるが,ここのジオラマはその辺で売っているおもちゃを適当に組み合わせた感じで,リアリティが全くないのが逆に面白かった.

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(左写真2) リャマと塩の博物館,(右同3) なんか惹かれるチャチなジオラマ(笑)

 博物館の見学が終わると,続いて塩湖に入っていく.この日はまず三角錐に盛られた塩山が並ぶスポットへ(スペイン語ではMontones de sal=塩の山というらしい).これは採掘された塩を乾燥させるためのものなのだが,その独特の景観も相まって,ウユニを扱った本には必ず登場する有名スポットとなっている.この日も多くの観光客が記念写真を撮っていた(一般にウユニ塩湖では他のグループが写真に写りこまないように,運転手やガイドが場所選びをするのだが,このスポットだけはそうもいかないらしい.

P6130101 P6130105 (左写真4) 塩の山は今回のボリビアで一番他の観光客を目撃したスポットかも,(右同5) 記念撮影

 塩の山を後にして,我々の車は今度は西へひた走る.目的地は塩湖の中ほどにあるインカワシ島である.島と名付けられているのは,塩の湖に浮かぶ島だからだ.ウユニ塩湖は全体での標高差が数十センチと,ほぼまっ平なのであるが,湖内に何か所かこうした島が点在している.インカワシ島はそうした島の中でもっともよく知られた場所である(なお,一部ではインカワシ島を別名魚の島(Isla pescado)と記しているものがあるが,魚の島はインカワシ島から少し離れた場所にある別の島である).雨季の水が多い時期には訪問が困難な場所だが,乾季のこの時期は時速100キロで突っ走れるので問題はない.

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(左写真6) インカワシ島の島影が,(右同7) ようやく到着

 しばらく走っているうちに前方に島影が見えてくる.「おっ!そろそろか」と思わせるが,大平原で遠近感がマヒしているので,実はここから距離がある.それでも徐々に島影が大きくなり,その全貌が見えてきた.インカワシ島は横から見るとなんとなく前方後円墳を彷彿させる形状で,島全体に巨大なサボテンがニョキニョキ生えている.車はそんな島を回り込むようにして上陸ポイントに入っていった.

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(写真8) ウユニ塩湖内にはこうした島がいくつもある

 さすがに有名な場所なので上陸ポイントには結構多くの車がいる.我々もここから島に入っていく.まずは受付を済ませて,その次にトイレへ.昨日のプラヤブランカよりもさらに辺鄙な場所なので,トイレ環境はどうなんだろうと思ったが,予想以上に普通で安心した.

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(左写真9) 受付&トイレ棟,(右同10) 上陸ポイント

 ここでガイドさんから案内があった.インカワシ島にやってきたが,頂上まで登るかどうかはオプションだとのこと.塩湖自体が標高3700メートルであり,そこからさらに30分近い山登りは体力的にもきついので,どうするかは我々の判断に任せるということだった.せっかくここまで来たのだから,登らないという選択肢があるはずもなく,二つ返事で「登ります」と答える.すると今度はレストランの方を指さし,先に昼食を済ませてから登るか?それとも登ってきた後で昼食にするか?とのこと.これに関しては文句なしに後者を選択した.食事後の山登りは胃腸に血液が集まるため非常にきつくなることをかつてマチュピチュで実体験していたからだ(このように過去の教訓を生かしている我々である 笑).

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(左写真11) 珊瑚性の岩がありここがかつて海の中だったことがわかる,(右同12) 振り向けば絶景!

P6130138_2 (写真13) 巨大なサボテン!

 そんなわけで,さっそくインカワシ島の山頂目指して登り始める.標高3700メートルは地上に比べて酸素濃度は約6割である.高地3日目ということで少しは順応しているはずだが,やっぱり息切れするので休み休み登っていく.周囲には巨大なサボテンがたくさん生えている.車から見たときはあまり感じなかったが,とにかくデカい! この地のサボテンの成長速度は1年に1センチ程度だそうだが,優に10メートルは越えているような個体もある(ということは1000年以上生きていることか).登山道には珊瑚性の岩があちこちにみられる.これは太古の昔,ここが海だった証拠であり,改めて大自然の偉大さを感じた.

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(左写真14) 山頂にて,(右同15) 向こうに見えるが魚の島(Iala Pescado)

 そんな登山道を登ること20分,ようやく山頂に到着した.そしてここからの眺めの素晴らしいこと! 地平線の果てまで広がる一面の塩,塩,塩,雪原または雲海を彷彿させる光景である.まさにウユニ塩湖を独り占めという感動を味わったのだった.

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(写真16) 山頂にあった祭壇のようなもの

 しばし山頂の景色を堪能したのち下山の時間となった.山頂付近は一方通行になっているため,帰路は往路とは異なる風景が楽しめる.途中で道が二股になっているところがあり,ガイドさんがこっちは楽なコース,あっちはハードなコースと言ってたので,「なるほど,じゃあ我々は楽な方に行くんだな」と思ってたら,どんどんハードコースに入っていくではないか(笑),仕方ないのでそのままついていったが,たしかにちょっとハードだけど珊瑚の門と呼ばれる天然のアーチなど変わった景色が見られたので良しとしよう.

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(左写真17) 珊瑚の門,(右同18) 門から塩湖を望む記念撮影

 そのまま下って行ったら,一人の白人のおじさんが崖の方をじっと観察していた.我々が近づいていくと,「静かに」というようなジェスチャーをしている.何だろうとその方向を見てみたら,なんと!ビスカーチャが佇んでいた.耳が長いのでウサギの間違われるが,実はネズミに近い動物である(チンチラの親戚).天然物が見られてちょっと感動である.

P6130156 (写真19) ビスカーチャの姿が!

 下山した後は麓のレストランで昼食,さすがに登山の後でおなかが空いている.この日はインカワシ島レストランの名物リャマステーキ,脂身の少ない牛肉といった味わいで美味しかった(前菜は野菜のスープ,デザートはやたら甘いイチゴゼリー).ちなみにリャマの肉は高タンパク低カロリーなのでヘルシーだそうだ.

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(左写真20) 島のレストラン,(右同21) 名物リャマステーキ

P6130257(写真22) 名残惜しいがインカワシを後に

 昼食後インカワシ島を後にして再び塩湖を突っ走る.乾季のウユニ塩湖といえば真っ白い大地に六角形の亀の甲のような文様であるが,コルチャニ村付近など塩湖の東側は車に踏みつけられているため,なかなかきれいな文様にはお目にかかれない.しかしインカワシ付近など奥の方はやってくる観光客も少なく,きれいな文様が見ることができた.そんなウユニ塩湖の奥深くを走りながら,周辺に何もないところで停車,ここでネタ写真の撮影タイムとなる.

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P6130122 (左写真23) きれいな塩の文様,(右同24) ウユニ塩湖お決まりのジャンプ

 3年前にもいろいろ写真を撮って遊んだ自分,今回もジークフリート対ファーフナーなんていうネタを考えて準備していたのだが,ロストバゲージのために残念ながらそれらはすべてボツになってしまった.というわけで今回はあまりアイテムを使わずにできるネタ写真に挑戦,ガイドさんに促されるままにいろんな写真を撮りまくった.

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P6130172 P6130178 P6130186 P6130181 P6130184 (写真25~33) ネタ写の数々

 ネタ写の後は車に乗りそのまま塩湖を南下していく.徐々に前方に山が見えてきた.あそこが塩湖の南岸ということになる.それまで真っ白い大地だったのがあっという間に茶色に変わる.ウユニ塩湖とお別れかと寂しく思うと同時に,これから待ち受ける高地帯への期待が膨らんでくるのだった.

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(左写真34) まもなく塩湖の終わり,(右同35) あっという間に地面は茶色に

 塩湖を抜けてしばらくは南岸の山沿いを走行する.この辺は完全にオフロードだ.我々のランクルは土煙を上げながらそんな大地をひた走った.30分ほどで遺跡のような場所に到着した.ここが銀河の洞窟(Cueva de las Galaxias)悪魔の洞窟(Cueva del Diablo)と呼ばれる,名前の通り2つの洞窟が並んでいるスポットだ.地球の歩き方など一般のガイドブックには載っていない場所のためか,この時駐車場には誰もいなかった.

P6130281 P6130282 (左写真36) 日本ではあまり知られていない観光スポット,(右同37) まずは銀河の洞窟へ

 車を降りて受付を済ませてまずは銀河の洞窟に入った.ここは2003年8月22日にNemecio CopacとPelagio Huaytaという2人の地元の人間によって発見された洞窟である.太古の昔ここが海だった時代に火山活動で噴出した溶岩が海水によって冷やされてできた地層といわれ,鍾乳洞のようである.洞窟の天井岩に混在している水晶がきらきら光る様子から銀河の洞窟と名付けられたと思われた.発見者の2人は本来は宝探しをしていたらしい.

P6130283 P6130286 (左写真38) 銀河の洞窟の案内,(右同39) 鍾乳洞のようです

 続いてはその隣にある悪魔の洞窟へ.こちらは一転しておどろおどろしい名前であるが,昨日訪問したトゥヌパ山と同様数多くのミイラが安置された洞窟となっている.トゥヌパ山の方はミイラと人間が同居した住居だったが,こちらは墓地だったようで,安置されたミイラを小さな穴から見ることができた.このミイラの人々がどのような文明の人たちであったのかはわかっていないが,なんとも厳かな気分になる場所だった

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(左写真40) 悪魔の洞窟,(右同41) 十字架はもちろん発見後に置かれたもの

P6130289 P6130291 (左写真42) 骸骨が!,(右同43) お墓のようです

 2つの洞窟の見学が終えて車に乗り込み,そのまま南下していく.周辺には荒涼としたアルティプラーノの大地が広がっており,時々ビクーニャの群れに遭遇したりする.約1時間でこの日の宿泊地サン・ペドロ・デ・ケメスに到着した.

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(左写真44) アルティプラーノの荒野,(右同45) ビクーニャの群れ

 ここは人口100人程度のごく小さな村であるが,19世のチリとボリビアの戦争時には最前線となった場所であり,ボリビア人ならだれでも知っている村らしい.ここにあるホテル・タイカ・デ・ピエドラがこの日の滞在先となる.

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(左写真46) ホテル・タイカ・ピエドラ,(右同47) 山荘風のフロント

 見た感じは山荘風,フロントやロビーも質素だがいい感じを醸し出していた.村があるとはいえかなりの辺境地区であり,電気は自家発電,お湯は太陽光を利用して昼間の間に貯めておいたものを使うというスタイルである.そのためシャワーのお湯は夕方から夜にかけてしか出ないとのことだった(溜まっている分がなくなったらお終い).部屋に入ると山荘風の部屋であるが,なんか寒い.一応ヒーターが付いているのだがあまり威力はないようだ.このまま夜になるとシャワーを浴びること自体が試練になりそうなので,夕食前にさっさと利用することにした.

P6130305 (写真48) 客室の様子

 一休みして18時過ぎから夕食となる.やっぱり山荘風のレストランでのコース料理だった.スープ,チキン,チョコムースのデザートという流れだが,メニュー選択の余地はない(まあこんな場所だから当然だが).飲み物としては例によって赤ワインを選択,思えば初めてのアンデスでクスコ(標高3000メートル)に入った時は用心してアルコールを飲まなかった我々が,標高3800メートルのホテルで平気でワインのフルボトルを開けるまで高地慣れしていることに感動を覚えた(夕食が終わるころに地元の人たちの踊りのパフォーマンスもあった).

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(左写真49) 夕食風景(我々の他ドライバーのモセスさんとガイドのアンドレアさん),(右同50) メイン料理のチキン

 食事後部屋に戻ったが,日が暮れたせいか一段と寒い! 結局この日は昼間の格好のまま就寝することになった(さらにエクストラ毛布を重ねた).

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2018年7月 5日 (木)

ボリビア&チリ旅行記④

 ボリビア&チリ旅行記,ウユニ塩湖編その1です.

 いきなり標高3600メートルのラパスに宿泊ということで,ちゃんと眠れるのか心配されたが,途中何度か目が覚めたものの,特に具合が悪くなることもなく朝を迎えた.この日のモーニングコールは4時である.起きて軽く準備をしてから朝食会場のレストランへ.中は薄暗く,やってる気配が感じられない.が,勇気を振り絞って(笑)入ってみると,ちゃんとビュッフェスタイルの朝食が用意されていた.どうやら我々が一番乗りのようで,ハムやチーズにはきちんとラップがかけられていた.

P6110108 P6110111 (左写真1) 朝食のレストラン,(右同2) まだ全てラップがかけられている

 ハムにチーズ,パンと飲み物の朝食をいただく(基本的にコンチネンタルブレックファスト).我々の後から見るからに航空会社関係っぽい人たちがやってきたが,このホテルは朝食が早いことを売りにしているらしいので,そっち関係の宿泊客も多いのかもしれない.

 食事後はいったん部屋に戻る.普通ならスーツケースの整理をするわけだが,昨日ロストバゲージになっているので,その必要がないので楽だ.少し休んだのちロビーへ,チェックアウトを済ませて待っていたら,5時30分に迎えの車がやってきた.さすがにこの時間はまだ真っ暗で道もすいている.昨日の道を逆走して,6時過ぎに空港に到着した.

 空港ではまず,アメリカン航空のカウンターへ.ロストバゲージのその後を確認したかったのだが,この時間はまだだれもいなかった.仕方ないのでウユニ行きのアマゾナス航空のチェックインカウンターへ.このウユニ行きの飛行機は小型なので荷物の重量制限が厳しいので,大きなスーツケースを持っている観光客は時々問題になるのだが,手荷物しかない我々はそんな心配はいらない.チェックインを済ませて搭乗券を受け取ると,そのままセキュリティに向かった.ボリビア国内線のセキュリティはとても緩いので,特に問題なく抜けることができた.

P6110121 (写真3) アマゾナス航空のCRJ100

 出発ロビーに出てゲート前で待つ.しばらくして案内が始まった.ボーディングブリッジを通っていくのかと思ったら,係員に引率されて外に出て,バスで向かうパターンだった.待っていた飛行機は2-2のCRJ-100である.乗り込んでシートベルトを締めると,まもなく動き始め離陸した.

 安定飛行になると恒例の飲み物が配られる.ソフトドリンクであるが,今回はあえてコーヒーを注文した.ラパスでのガイドさんからボリビアのコーヒーは砂糖たっぷりで甘いよと言われていたので,怖いもの見たさで注文したものである.ミルク入りにすると,甘さが少し控えめになるらしいのでミルク入りにした.早速飲んでみると… たしかに甘い.だが,日本のコーヒー牛乳程度の甘さだった.甘いコーヒーを飲みながら外を見ると,アルティプラーノの茶色い大地が広がり,所々に湖がある.やっぱりすごいところだなぁと感心していると,前方に白い大地が見えてきた.「ウユニ塩湖だ!」,3年ぶりの光景に感動もひとしおである.塩湖に突き出すようにそびえるトゥヌパ山の姿も見える.そうこうしているうちに飛行機は降下を開始,塩湖を右手に見ながら8時10分,無事にウユニ空港に着陸した.

P6110136 P6110155 (左写真4) トゥヌパ山が見えます!,(右同5) ウユニ空港

 タラップを降りてターミナルには歩いて向かう.振り返ると飛行機から荷物を下ろす作業をしている.もしかして自分たちの荷物はないかと見ていたが,残念ながらそれらしいものはなかった.日程表によると,空港から出たらそのまま観光に向かうのでトイレを済ませるように指示があったため,荷物を受け取る場所のトイレを使用した.

 その後出発ロビーに出てみたら,我々の名前が書かれたプレートを持った女性が立っている.彼女がガイドのアンドレアさんだった(オペラ好きの人間からすると,アンドレアといえば”アンドレア・シェニエ”のように,男性名のイメージなのだが,-a で終わることからわかるように女性名であってもおかしくはない).ここでも荷物のことを聞かれたので,またまた昨朝のロストバゲージの顛末を説明した(ラパスと違ってこちらは英語ガイドなのでもちろん英語で).こちらでも事務所で確認するとのことだった.そのまま駐車場に向かうと,1台のランクル(トヨタのランドクルーザー)が止まっていた.これが我々が乗る車である.そして我々とガイドのアンドレアさん,運転手のモセスさんの4人で,3泊4日かけてチリ国境までキャラバンよろしく行動を共にするわけである.非常にワクワクする瞬間だ.

P6110164 (写真6) ウユニの町

 出発してさっそく観光かと思っていたら,まずは朝食に行くとのこと.朝食ならラパスのホテルで済ませてきたのだが,「この朝食もツアー代金に含まれているから大丈夫」と,何がどう大丈夫なのかはわからないが,まあラパスの朝食は朝4時だったから,実質昼食みたいなものだな,と言われるまま朝食会場に向かう(ウユニ市内のホテルのレストランだった).メニューはパンやハム,チーズ,フルーツといった定番ものに加えて,温かい卵料理もあったのはうれしい.またここは食器が茶色い焼き物なのが面白かった.朝食を摂りながら今後の観光について打ち合わせをした.

P6110162 P6110163 (左写真7) この日2回目の朝食,(右同8) こんな飾りが!

 朝食後は両替と買い物である.ロストバゲージで防寒具やサングラスも失っているため,このままでは観光に支障をきたすからだ(特にウユニ塩湖でサングラス無しは致命的).ホテルや各種商店が立ち並ぶウユニの繁華街であるが,やたら犬が多い(逆に猫はほとんど見かけない).両替所では予定よりも多めに両替をして,その後地元の雑貨屋でサングラスと帽子,カーディガン等を購入してさっそく着用,いよいよ観光に出発である.

P6110003 (写真9) 列車の墓場

 まず向かったのはウユニの街郊外にある通称「列車の墓場」と呼ばれることろだ.ボリビア南部はもともと鉱物資源が豊富なところであり,この地域で取れた資源を列車で太平洋岸に輸送していた.しかし19世紀末にチリとの戦争(太平洋戦争)に敗れたボリビアは太平洋岸の領土を失い内陸国となっていまう.このため当地の列車はその用途を失い,結果ここで朽ちるに任されてしまったのである(一時期チリが列車の買取を提案したがボリビアが拒否したという).3年前にも訪れた場所であるが,あの時は曇り空だったのがこの日は一面の快晴,同じ場所でも天気によって雰囲気が変わるなと実感した.

P6110011 P6110018 (左写真10) 乗っての撮影は定番です,(右同11) 線路は伸びる

 列車の墓場を後にして,次は北のコルチャニ村へ.ここはウユニ塩湖の入り口にあたる村であり,塩湖の観光に訪れる人々はほぼ例外なく立ち寄るところだ.この日は村一番の産業である塩の工場を見学,ウユニ塩湖はその名の通り塩が無尽蔵にあるため,それを食塩に加工する工場がある(工場とはいっても家内工業レベルだが).ここも3年前に来たところだが,当時の写真を振り返ってみたら,同じ機械で同じような製法で作られていた(食塩1袋1ボリビアーノというのも一緒だった).工場見学の後はトイレと露天の見物,売っているのはセーター類やおみやげ物がメインだ.ここでウチのKが何か履くものが欲しいと言い出した.日本から着てきたスカートにストッキングだけだから下半身が寒いのだそう(そりゃそうだ).あちこち探したがトップスはいっぱい売っているのにボトムスは少ない.それでも,ようやく柄物のボトムスを発見して購入した(これ1枚でだいぶ違うらしい).

P6120027 (写真12) Ojos de agua

 コルチャニ村を出ていよいよ塩湖に入っていく.まず向かうのはは入ってすぐにある”Ojos de Agua”,日本語に訳すと「水の目」と呼ばれるところ(Ojos del salar = 塩の目とも).ここは塩の大地の隙間から水がゴボゴボと湧き出ているスポットである.当然だが一面水に覆われる雨季になると,周囲と一体化してしまうため見られないスポットでもある.まるで温泉のように泡立っているが,もちろんお湯ではないし,炭酸水でもない.塩湖の地下水が湧き出ているポイントである.試みにその水を舐めてみたのだが,予想通り塩辛かった(笑).

P6120028 P6120030 (左写真13) まるで炭酸水のよう,(右同14) 水の目に佇む

 その後塩湖の内部に進んでいく.雨季の鏡張りで知られるウユニ塩湖だが,乾季には一面の塩の原野となる.我々の乗ったランクルは真っ白な大地を滑走していく(雨季はあまりスピードを出せない湖内も乾季には時速100キロでかっ飛ばせる).しばらく行くと前方になにやら造形物が見えてきた.これはダカール・ラリーがこの地を通った時のモニュメントである.

P6120032 P6120036 (左写真15) ダカールラリーのモニュメント,(右同16) 旧ホテル・プラヤ・ブランカ

 そこで車を降り,そのそばにある建物まで歩く.ここはかつて,プラヤ・ブランカという名のウユニ塩湖最古の,そして塩湖内唯一の塩のホテルだったところだ.現在は”Museo de sal”(塩の博物館)となっている.ここも3年前に訪問しトイレを利用している.今回も中に入って見学したが,以前よりも小奇麗になった印象だ(現在は博物館の他,ツアー客の昼食会場としても利用されている.ただしレストランを営業しているわけではなく,ツアーが持ち込んだ食事をとるスペースとしてである).かつて客室だったところもそのまま残されていたが,外部からカギがかけられていた(ちなみにここは塩湖の環境保全のため宿泊施設としてはだいぶ前に休止されているが,数年前までは闇で宿泊可能だったはず.今はどうなのかはわからない).

P6120040 P6120047 (左写真17) もう一つのモニュメント,(右同18) 各国の国旗が並ぶスポット

P6120172 P6120174 (左写真19) 博物館内部の食堂,(右同20) 奥が客室だったところ

 プラヤ・ブランカ見学の後は塩湖を北上する.目的地は北のトゥヌパ山,湖内のいたるところからその雄姿を見ることができる山である(我々はここをウユニ塩湖と呼んでいるが,現地の言葉ではトゥヌパ塩原という言い方をするほど,著名な山).ウユニ塩湖を訪問する日本人観光客は数あれど訪れる人は少ない場所である.秋田県とほぼ同じ面積がある塩湖なので,プラヤ・ブランカからトゥヌパ山までは100キロくらいある.

P6120058 (写真21) はるか先にトゥヌパ山が見える

 雨季には何時間かかるかわからない距離だが,乾季は猛スピードが出せるので問題はない.ただ広い原野を滑走するのでスピード感は感じない.試みにどれくらいスピードが出ているのかと運転席のメーターをのぞいたら,なんと!壊れていた.日本なら整備不良になるが,こういう土地柄なので問題ないのかもしれない.

P6120184 P6120074 (左写真22) コケサ村への門,(右同23) 村側から見たところ

P6120071 (写真24) 遠くにフラミンゴの姿も

 そんなわけで約1時間ちょっとでトゥヌパ山のふもとの村に到着した(コケサ村).乾季ではあるが,この周辺は水が張っており,フラミンゴの姿が見える.村のゲートを通って内部へ(ここに限らずアンデス高地帯の村は入り口にゲートがあるのがパターンで,なんとなくドラクエなどRPGの村を彷彿させる).この段階で13時過ぎ,まずは村の真ん中の公園みたいなところに行きランチタイムである.ガイドと運転手が公園のテーブルに料理を広げて用意してくれる.この日のランチはチキンとライスにサラダだった(ピクニックランチ).

Img_0564 Img_0557 (左写真25) 村の教会,(右同26) 村の中央公園?

Img_0566 Img_0561 (左写真27) ピクニックランチ,(右同28) トイレを含めたチケット

 食事後はトイレ(この周辺全体が観光施設みたいな感じらしく,チケットにトイレ代が含まれているらしい)を使用して,車に乗り山を登っていく.麓ですら標高3700メートルはあるのだからこの辺だと4000メートルにちかいだろう.車内から後ろを見たらウユニ塩湖の白い原野が美しい.対向車が来たらすれ違いが困難な道を揺られること15分程度でちょっと開けた駐車場に到着,ここからは徒歩になる.車を降りて歩き始めるのだが,風が強い! 油断してたら朝買った帽子が吹き飛ばされてしまった.慌てて走って追いかけ無事に回収できたのだが,考えたらここは標高4000メートル!うかつに走ってはいけないのだったと息を整えた.

P6120063 P6120068 (左写真29) サボテンが生えています,(右同30) 細い一本道

P6120193 (写真31) ミイラの洞窟の案内板

 しばらく歩いて行ったら小さな小屋があり,ここから現地のガイドが合流,我々とアンドレアさん含め4人で山に向かう.さらに10分くらい歩いたところが目的地,ミイラのある洞窟だ.ここは古代のこの辺の人々,とりわけ身分の高い人々の住宅跡(?)らしい.日本人の感覚だとミイラとともに生活するというのは想像がつかないが,古代のこの地域の人々にとっては,重要なことだったのだろうと文化の違いを感じた(死者に守られるという感覚なんだろうか).洞窟を出てきた道を引き返す.駐車場からは車に乗って下山,周辺には石垣がたくさん積まれていて興味深かった.

P6120189 P6120187 (左写真32) 洞窟内に安置されたミイラ,(右同33) 同じく

P6120202 (写真34) 石垣があります

 村を後にして塩湖を南下する.本来道など存在しないところだが,車の轍がなんとなく道の役割を果たしている.所々に轍が交差しているポイントがあって,これがちょうど交差点の意味を持っているのか,ドライバーはこうした轍の交差ポイントではちゃんと左右確認していたのが面白かった.

P6120078 (写真35) 塩湖入り口,向こうにホテルが見える

 この後はホテルにチェックインして休憩する流れとなる.この日の宿泊は塩湖東岸にある塩のホテル「ルナ・サラダ」,実は3年前にも泊まっているホテルである.16時半ごろに到着,とても懐かしい感じがしたが,それでも3年前と全く同じではなく,当時玄関だったところは閉鎖されていて,新しく立派な出入り口ができていた.チェックインをして部屋に向かう.全館塩のブロックで造られたホテルである.客室も当然塩なのだが,今回の部屋は床はフローリングだった(床も塩という客室もあるのだが,それだと足が塩まみれになる(笑).部屋に入ったがスーツケースはないので特にすることもなく,そのまま横になりしばらく休む.部屋の窓からは原野が見えた(塩湖ではない).

Img_0588 Img_0593 (左写真36) 3年前の玄関,(右同37) 今はこうなっています

P6120212 Img_0596 (左写真38) フロント,(右同39) 客室の様子

P6120084 (写真40) サンセットを待つ

 約1時間の休憩の後17時半にロビーへ,ここからはサンセットタイムである.車で再び塩湖内に入る.しばらく走ってビューポイントへ,ここでしばしサンセットを待つ.3年前の雨季のサンセットは絶景の一言だったが,乾季のサンセットも白い台地がオレンジ色に染まって素晴らしかった(ただ肝心のサンセットの瞬間は雲が出てきてしまったが).

P6120089 P6120094 (左写真41) 夕日と反対側も美しい,(右同42) 肝心の瞬間に雲が…

 予定ではこの後は夕食に戻って,その後星空観察だったが,防寒具がない我々に夜中の塩湖は厳しすぎるだろうということで,このまま日が暮れるのを待つことになった.ここでアンドレアさんがボリビアの赤ワインを出してきて振る舞ってくれた.ワインに目がない我々である.結局なんやかんやで1本空けた(笑).

 気が付いたら辺りは暗くなっている.今回は星空が見たくて,新月の時期を狙ってやってきたのである.さあと思って車外に出た.

 さ,寒~い ( ゚Д゚)

 乾季(真冬)のウユニ塩湖の寒さは格別である.夕暮れちょっとでこれだから,夜中はしばれフェスティバル状態ではないかと想像する.見上げると,わぁ~凄い! 本当に星が降ってきそうな感じ,天の川やその中にある南十字座など満天の星空だった.来てよかったと感慨に浸る瞬間である.とはいえやっぱり寒いので,そこそこで観察を切り上げホテルに戻った.

 その後は夕食,ルナサラダの夕食は基本ビュッフェである.3年前もあんまり印象が濃くなかったのだが今回もやっぱりそうだった(品数は結構多く,決してマズいわけでもないのだが).この日は宿泊客もそんなに多くないのか,レストラン内はゆったりした感じだった.先ほどサンセットでワインを空けてきた我々だが,食事のお供にワインがないのはありえないだろうと結局ここでも白ワインを1本空けた(2012年に初めて標高3000メートルのクスコを訪問した時に高地での飲酒に不安を感じてお酒を控えた面影がないほど高地慣れした我々である 笑).雨季には日本人観光客がたくさん宿泊するホテルだが,この日の日本人客は我々の他,一人旅っぽい女性がいるだけだった.

Img_0570 Img_0007 (左写真43) ルナサラダのレストラン,(右同44) 乾杯!

 夕食後は部屋戻りシャワーを浴びてそのまま爆睡したのだった.明日もウユニ塩湖の観光は続く.

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