2018年8月13日 (月)

ボリビア&チリ旅行記⑤

 6月の旅行から間もなく2か月,しばらく中断していたボリビア&チリ旅行記を再開します.今回はウユニ塩湖編その2です.

 ウユニ塩湖での一夜が明け6月12日になった.この日も前日に引き続きウユニ塩湖の観光となるのだが,スタートはゆっくりである.これは今回はウユニ塩湖の観光はメインでないというのと,ロストバゲージとなった我々のためにガイドさんが街で下着やその他(特にウチのKのコンタクトレンズ洗浄用の生理食塩水)を購入してきてくれることになったからだ.

 ゆっくりでいいとはわかっているが,体内時計はそれとは関係なく動いているのか,この日も朝5時に目が覚めた.しばらくウダウダしているうちに夜明けを迎える.7時30分ごろに朝食にするためにレストランへ.今はシーズンではないのか客の数は少なめだった.メニューは一般的なビュッフェ,夕食もそうだったがあまり特徴がない感じだ(ただしここボリビアでは特徴がないというのは食事のレベルは高いということを意味する).飲み物はこの日ももちろんコカ茶である.

P6130216 (写真1) ロビーでくつろぐ

 朝食の後は部屋に戻り,何もせずに休息.考えてみたら9日の出発以来,ラパス到着の遅れ,ロストバゲージ騒動があって,さらに昨朝は4時起きと休む暇もなく活動していたわけだから,ここでゆったりと疲れをとるのも悪くないなと思った.

 待ち合わせの時間が近づいてきたためロビーへ,チェックアウトを済ませてソファで待機する.外を見るとちょうど1台の4WDが出発していくところだった.その後しばらくして我々の車も到着,いよいよ出発となる.この日の予定は最初にコルチャニ村で博物館の見学,その後塩湖内に入ってインカワシ島の観光,その後ネタ写真タイムをはさんで塩湖の南岸を抜けて次の宿泊地サンペドロ・デ・ケメスに向かう流れである.

 ホテルを出発してまずはコルチャニ村へ.向かった先はMUSEO DE LA LLAMA Y LA SAL(日本語に訳すとリャマと塩の博物館であろうか),2015年に来た時には入った記憶のない場所だ.ここは「地元の人たちがリャマと塩をどのように利用しているか」をテーマにして紹介展示している博物館だ.リャマや塩の利用がジオラマ(のようなもの)で表現されているコーナーもあるのだが,日本だと結構精密なジオラマが展示されていて見入ってしまうことがあるが,ここのジオラマはその辺で売っているおもちゃを適当に組み合わせた感じで,リアリティが全くないのが逆に面白かった.

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(左写真2) リャマと塩の博物館,(右同3) なんか惹かれるチャチなジオラマ(笑)

 博物館の見学が終わると,続いて塩湖に入っていく.この日はまず三角錐に盛られた塩山が並ぶスポットへ(スペイン語ではMontones de sal=塩の山というらしい).これは採掘された塩を乾燥させるためのものなのだが,その独特の景観も相まって,ウユニを扱った本には必ず登場する有名スポットとなっている.この日も多くの観光客が記念写真を撮っていた(一般にウユニ塩湖では他のグループが写真に写りこまないように,運転手やガイドが場所選びをするのだが,このスポットだけはそうもいかないらしい.

P6130101 P6130105 (左写真4) 塩の山は今回のボリビアで一番他の観光客を目撃したスポットかも,(右同5) 記念撮影

 塩の山を後にして,我々の車は今度は西へひた走る.目的地は塩湖の中ほどにあるインカワシ島である.島と名付けられているのは,塩の湖に浮かぶ島だからだ.ウユニ塩湖は全体での標高差が数十センチと,ほぼまっ平なのであるが,湖内に何か所かこうした島が点在している.インカワシ島はそうした島の中でもっともよく知られた場所である(なお,一部ではインカワシ島を別名魚の島(Isla pescado)と記しているものがあるが,魚の島はインカワシ島から少し離れた場所にある別の島である).雨季の水が多い時期には訪問が困難な場所だが,乾季のこの時期は時速100キロで突っ走れるので問題はない.

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(左写真6) インカワシ島の島影が,(右同7) ようやく到着

 しばらく走っているうちに前方に島影が見えてくる.「おっ!そろそろか」と思わせるが,大平原で遠近感がマヒしているので,実はここから距離がある.それでも徐々に島影が大きくなり,その全貌が見えてきた.インカワシ島は横から見るとなんとなく前方後円墳を彷彿させる形状で,島全体に巨大なサボテンがニョキニョキ生えている.車はそんな島を回り込むようにして上陸ポイントに入っていった.

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(写真8) ウユニ塩湖内にはこうした島がいくつもある

 さすがに有名な場所なので上陸ポイントには結構多くの車がいる.我々もここから島に入っていく.まずは受付を済ませて,その次にトイレへ.昨日のプラヤブランカよりもさらに辺鄙な場所なので,トイレ環境はどうなんだろうと思ったが,予想以上に普通で安心した.

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(左写真9) 受付&トイレ棟,(右同10) 上陸ポイント

 ここでガイドさんから案内があった.インカワシ島にやってきたが,頂上まで登るかどうかはオプションだとのこと.塩湖自体が標高3700メートルであり,そこからさらに30分近い山登りは体力的にもきついので,どうするかは我々の判断に任せるということだった.せっかくここまで来たのだから,登らないという選択肢があるはずもなく,二つ返事で「登ります」と答える.すると今度はレストランの方を指さし,先に昼食を済ませてから登るか?それとも登ってきた後で昼食にするか?とのこと.これに関しては文句なしに後者を選択した.食事後の山登りは胃腸に血液が集まるため非常にきつくなることをかつてマチュピチュで実体験していたからだ(このように過去の教訓を生かしている我々である 笑).

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(左写真11) 珊瑚性の岩がありここがかつて海の中だったことがわかる,(右同12) 振り向けば絶景!

P6130138_2 (写真13) 巨大なサボテン!

 そんなわけで,さっそくインカワシ島の山頂目指して登り始める.標高3700メートルは地上に比べて酸素濃度は約6割である.高地3日目ということで少しは順応しているはずだが,やっぱり息切れするので休み休み登っていく.周囲には巨大なサボテンがたくさん生えている.車から見たときはあまり感じなかったが,とにかくデカい! この地のサボテンの成長速度は1年に1センチ程度だそうだが,優に10メートルは越えているような個体もある(ということは1000年以上生きていることか).登山道には珊瑚性の岩があちこちにみられる.これは太古の昔,ここが海だった証拠であり,改めて大自然の偉大さを感じた.

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(左写真14) 山頂にて,(右同15) 向こうに見えるが魚の島(Iala Pescado)

 そんな登山道を登ること20分,ようやく山頂に到着した.そしてここからの眺めの素晴らしいこと! 地平線の果てまで広がる一面の塩,塩,塩,雪原または雲海を彷彿させる光景である.まさにウユニ塩湖を独り占めという感動を味わったのだった.

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(写真16) 山頂にあった祭壇のようなもの

 しばし山頂の景色を堪能したのち下山の時間となった.山頂付近は一方通行になっているため,帰路は往路とは異なる風景が楽しめる.途中で道が二股になっているところがあり,ガイドさんがこっちは楽なコース,あっちはハードなコースと言ってたので,「なるほど,じゃあ我々は楽な方に行くんだな」と思ってたら,どんどんハードコースに入っていくではないか(笑),仕方ないのでそのままついていったが,たしかにちょっとハードだけど珊瑚の門と呼ばれる天然のアーチなど変わった景色が見られたので良しとしよう.

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(左写真17) 珊瑚の門,(右同18) 門から塩湖を望む記念撮影

 そのまま下って行ったら,一人の白人のおじさんが崖の方をじっと観察していた.我々が近づいていくと,「静かに」というようなジェスチャーをしている.何だろうとその方向を見てみたら,なんと!ビスカーチャが佇んでいた.耳が長いのでウサギの間違われるが,実はネズミに近い動物である(チンチラの親戚).天然物が見られてちょっと感動である.

P6130156 (写真19) ビスカーチャの姿が!

 下山した後は麓のレストランで昼食,さすがに登山の後でおなかが空いている.この日はインカワシ島レストランの名物リャマステーキ,脂身の少ない牛肉といった味わいで美味しかった(前菜は野菜のスープ,デザートはやたら甘いイチゴゼリー).ちなみにリャマの肉は高タンパク低カロリーなのでヘルシーだそうだ.

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(左写真20) 島のレストラン,(右同21) 名物リャマステーキ

P6130257(写真22) 名残惜しいがインカワシを後に

 昼食後インカワシ島を後にして再び塩湖を突っ走る.乾季のウユニ塩湖といえば真っ白い大地に六角形の亀の甲のような文様であるが,コルチャニ村付近など塩湖の東側は車に踏みつけられているため,なかなかきれいな文様にはお目にかかれない.しかしインカワシ付近など奥の方はやってくる観光客も少なく,きれいな文様が見ることができた.そんなウユニ塩湖の奥深くを走りながら,周辺に何もないところで停車,ここでネタ写真の撮影タイムとなる.

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P6130122 (左写真23) きれいな塩の文様,(右同24) ウユニ塩湖お決まりのジャンプ

 3年前にもいろいろ写真を撮って遊んだ自分,今回もジークフリート対ファーフナーなんていうネタを考えて準備していたのだが,ロストバゲージのために残念ながらそれらはすべてボツになってしまった.というわけで今回はあまりアイテムを使わずにできるネタ写真に挑戦,ガイドさんに促されるままにいろんな写真を撮りまくった.

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P6130172 P6130178 P6130186 P6130181 P6130184 (写真25~33) ネタ写の数々

 ネタ写の後は車に乗りそのまま塩湖を南下していく.徐々に前方に山が見えてきた.あそこが塩湖の南岸ということになる.それまで真っ白い大地だったのがあっという間に茶色に変わる.ウユニ塩湖とお別れかと寂しく思うと同時に,これから待ち受ける高地帯への期待が膨らんでくるのだった.

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(左写真34) まもなく塩湖の終わり,(右同35) あっという間に地面は茶色に

 塩湖を抜けてしばらくは南岸の山沿いを走行する.この辺は完全にオフロードだ.我々のランクルは土煙を上げながらそんな大地をひた走った.30分ほどで遺跡のような場所に到着した.ここが銀河の洞窟(Cueva de las Galaxias)悪魔の洞窟(Cueva del Diablo)と呼ばれる,名前の通り2つの洞窟が並んでいるスポットだ.地球の歩き方など一般のガイドブックには載っていない場所のためか,この時駐車場には誰もいなかった.

P6130281 P6130282 (左写真36) 日本ではあまり知られていない観光スポット,(右同37) まずは銀河の洞窟へ

 車を降りて受付を済ませてまずは銀河の洞窟に入った.ここは2003年8月22日にNemecio CopacとPelagio Huaytaという2人の地元の人間によって発見された洞窟である.太古の昔ここが海だった時代に火山活動で噴出した溶岩が海水によって冷やされてできた地層といわれ,鍾乳洞のようである.洞窟の天井岩に混在している水晶がきらきら光る様子から銀河の洞窟と名付けられたと思われた.発見者の2人は本来は宝探しをしていたらしい.

P6130283 P6130286 (左写真38) 銀河の洞窟の案内,(右同39) 鍾乳洞のようです

 続いてはその隣にある悪魔の洞窟へ.こちらは一転しておどろおどろしい名前であるが,昨日訪問したトゥヌパ山と同様数多くのミイラが安置された洞窟となっている.トゥヌパ山の方はミイラと人間が同居した住居だったが,こちらは墓地だったようで,安置されたミイラを小さな穴から見ることができた.このミイラの人々がどのような文明の人たちであったのかはわかっていないが,なんとも厳かな気分になる場所だった

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(左写真40) 悪魔の洞窟,(右同41) 十字架はもちろん発見後に置かれたもの

P6130289 P6130291 (左写真42) 骸骨が!,(右同43) お墓のようです

 2つの洞窟の見学が終えて車に乗り込み,そのまま南下していく.周辺には荒涼としたアルティプラーノの大地が広がっており,時々ビクーニャの群れに遭遇したりする.約1時間でこの日の宿泊地サン・ペドロ・デ・ケメスに到着した.

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(左写真44) アルティプラーノの荒野,(右同45) ビクーニャの群れ

 ここは人口100人程度のごく小さな村であるが,19世のチリとボリビアの戦争時には最前線となった場所であり,ボリビア人ならだれでも知っている村らしい.ここにあるホテル・タイカ・デ・ピエドラがこの日の滞在先となる.

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(左写真46) ホテル・タイカ・ピエドラ,(右同47) 山荘風のフロント

 見た感じは山荘風,フロントやロビーも質素だがいい感じを醸し出していた.村があるとはいえかなりの辺境地区であり,電気は自家発電,お湯は太陽光を利用して昼間の間に貯めておいたものを使うというスタイルである.そのためシャワーのお湯は夕方から夜にかけてしか出ないとのことだった(溜まっている分がなくなったらお終い).部屋に入ると山荘風の部屋であるが,なんか寒い.一応ヒーターが付いているのだがあまり威力はないようだ.このまま夜になるとシャワーを浴びること自体が試練になりそうなので,夕食前にさっさと利用することにした.

P6130305 (写真48) 客室の様子

 一休みして18時過ぎから夕食となる.やっぱり山荘風のレストランでのコース料理だった.スープ,チキン,チョコムースのデザートという流れだが,メニュー選択の余地はない(まあこんな場所だから当然だが).飲み物としては例によって赤ワインを選択,思えば初めてのアンデスでクスコ(標高3000メートル)に入った時は用心してアルコールを飲まなかった我々が,標高3800メートルのホテルで平気でワインのフルボトルを開けるまで高地慣れしていることに感動を覚えた(夕食が終わるころに地元の人たちの踊りのパフォーマンスもあった).

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(左写真49) 夕食風景(我々の他ドライバーのモセスさんとガイドのアンドレアさん),(右同50) メイン料理のチキン

 食事後部屋に戻ったが,日が暮れたせいか一段と寒い! 結局この日は昼間の格好のまま就寝することになった(さらにエクストラ毛布を重ねた).

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2018年7月 5日 (木)

ボリビア&チリ旅行記④

 ボリビア&チリ旅行記,ウユニ塩湖編その1です.

 いきなり標高3600メートルのラパスに宿泊ということで,ちゃんと眠れるのか心配されたが,途中何度か目が覚めたものの,特に具合が悪くなることもなく朝を迎えた.この日のモーニングコールは4時である.起きて軽く準備をしてから朝食会場のレストランへ.中は薄暗く,やってる気配が感じられない.が,勇気を振り絞って(笑)入ってみると,ちゃんとビュッフェスタイルの朝食が用意されていた.どうやら我々が一番乗りのようで,ハムやチーズにはきちんとラップがかけられていた.

P6110108 P6110111 (左写真1) 朝食のレストラン,(右同2) まだ全てラップがかけられている

 ハムにチーズ,パンと飲み物の朝食をいただく(基本的にコンチネンタルブレックファスト).我々の後から見るからに航空会社関係っぽい人たちがやってきたが,このホテルは朝食が早いことを売りにしているらしいので,そっち関係の宿泊客も多いのかもしれない.

 食事後はいったん部屋に戻る.普通ならスーツケースの整理をするわけだが,昨日ロストバゲージになっているので,その必要がないので楽だ.少し休んだのちロビーへ,チェックアウトを済ませて待っていたら,5時30分に迎えの車がやってきた.さすがにこの時間はまだ真っ暗で道もすいている.昨日の道を逆走して,6時過ぎに空港に到着した.

 空港ではまず,アメリカン航空のカウンターへ.ロストバゲージのその後を確認したかったのだが,この時間はまだだれもいなかった.仕方ないのでウユニ行きのアマゾナス航空のチェックインカウンターへ.このウユニ行きの飛行機は小型なので荷物の重量制限が厳しいので,大きなスーツケースを持っている観光客は時々問題になるのだが,手荷物しかない我々はそんな心配はいらない.チェックインを済ませて搭乗券を受け取ると,そのままセキュリティに向かった.ボリビア国内線のセキュリティはとても緩いので,特に問題なく抜けることができた.

P6110121 (写真3) アマゾナス航空のCRJ100

 出発ロビーに出てゲート前で待つ.しばらくして案内が始まった.ボーディングブリッジを通っていくのかと思ったら,係員に引率されて外に出て,バスで向かうパターンだった.待っていた飛行機は2-2のCRJ-100である.乗り込んでシートベルトを締めると,まもなく動き始め離陸した.

 安定飛行になると恒例の飲み物が配られる.ソフトドリンクであるが,今回はあえてコーヒーを注文した.ラパスでのガイドさんからボリビアのコーヒーは砂糖たっぷりで甘いよと言われていたので,怖いもの見たさで注文したものである.ミルク入りにすると,甘さが少し控えめになるらしいのでミルク入りにした.早速飲んでみると… たしかに甘い.だが,日本のコーヒー牛乳程度の甘さだった.甘いコーヒーを飲みながら外を見ると,アルティプラーノの茶色い大地が広がり,所々に湖がある.やっぱりすごいところだなぁと感心していると,前方に白い大地が見えてきた.「ウユニ塩湖だ!」,3年ぶりの光景に感動もひとしおである.塩湖に突き出すようにそびえるトゥヌパ山の姿も見える.そうこうしているうちに飛行機は降下を開始,塩湖を右手に見ながら8時10分,無事にウユニ空港に着陸した.

P6110136 P6110155 (左写真4) トゥヌパ山が見えます!,(右同5) ウユニ空港

 タラップを降りてターミナルには歩いて向かう.振り返ると飛行機から荷物を下ろす作業をしている.もしかして自分たちの荷物はないかと見ていたが,残念ながらそれらしいものはなかった.日程表によると,空港から出たらそのまま観光に向かうのでトイレを済ませるように指示があったため,荷物を受け取る場所のトイレを使用した.

 その後出発ロビーに出てみたら,我々の名前が書かれたプレートを持った女性が立っている.彼女がガイドのアンドレアさんだった(オペラ好きの人間からすると,アンドレアといえば”アンドレア・シェニエ”のように,男性名のイメージなのだが,-a で終わることからわかるように女性名であってもおかしくはない).ここでも荷物のことを聞かれたので,またまた昨朝のロストバゲージの顛末を説明した(ラパスと違ってこちらは英語ガイドなのでもちろん英語で).こちらでも事務所で確認するとのことだった.そのまま駐車場に向かうと,1台のランクル(トヨタのランドクルーザー)が止まっていた.これが我々が乗る車である.そして我々とガイドのアンドレアさん,運転手のモセスさんの4人で,3泊4日かけてチリ国境までキャラバンよろしく行動を共にするわけである.非常にワクワクする瞬間だ.

P6110164 (写真6) ウユニの町

 出発してさっそく観光かと思っていたら,まずは朝食に行くとのこと.朝食ならラパスのホテルで済ませてきたのだが,「この朝食もツアー代金に含まれているから大丈夫」と,何がどう大丈夫なのかはわからないが,まあラパスの朝食は朝4時だったから,実質昼食みたいなものだな,と言われるまま朝食会場に向かう(ウユニ市内のホテルのレストランだった).メニューはパンやハム,チーズ,フルーツといった定番ものに加えて,温かい卵料理もあったのはうれしい.またここは食器が茶色い焼き物なのが面白かった.朝食を摂りながら今後の観光について打ち合わせをした.

P6110162 P6110163 (左写真7) この日2回目の朝食,(右同8) こんな飾りが!

 朝食後は両替と買い物である.ロストバゲージで防寒具やサングラスも失っているため,このままでは観光に支障をきたすからだ(特にウユニ塩湖でサングラス無しは致命的).ホテルや各種商店が立ち並ぶウユニの繁華街であるが,やたら犬が多い(逆に猫はほとんど見かけない).両替所では予定よりも多めに両替をして,その後地元の雑貨屋でサングラスと帽子,カーディガン等を購入してさっそく着用,いよいよ観光に出発である.

P6110003 (写真9) 列車の墓場

 まず向かったのはウユニの街郊外にある通称「列車の墓場」と呼ばれることろだ.ボリビア南部はもともと鉱物資源が豊富なところであり,この地域で取れた資源を列車で太平洋岸に輸送していた.しかし19世紀末にチリとの戦争(太平洋戦争)に敗れたボリビアは太平洋岸の領土を失い内陸国となっていまう.このため当地の列車はその用途を失い,結果ここで朽ちるに任されてしまったのである(一時期チリが列車の買取を提案したがボリビアが拒否したという).3年前にも訪れた場所であるが,あの時は曇り空だったのがこの日は一面の快晴,同じ場所でも天気によって雰囲気が変わるなと実感した.

P6110011 P6110018 (左写真10) 乗っての撮影は定番です,(右同11) 線路は伸びる

 列車の墓場を後にして,次は北のコルチャニ村へ.ここはウユニ塩湖の入り口にあたる村であり,塩湖の観光に訪れる人々はほぼ例外なく立ち寄るところだ.この日は村一番の産業である塩の工場を見学,ウユニ塩湖はその名の通り塩が無尽蔵にあるため,それを食塩に加工する工場がある(工場とはいっても家内工業レベルだが).ここも3年前に来たところだが,当時の写真を振り返ってみたら,同じ機械で同じような製法で作られていた(食塩1袋1ボリビアーノというのも一緒だった).工場見学の後はトイレと露天の見物,売っているのはセーター類やおみやげ物がメインだ.ここでウチのKが何か履くものが欲しいと言い出した.日本から着てきたスカートにストッキングだけだから下半身が寒いのだそう(そりゃそうだ).あちこち探したがトップスはいっぱい売っているのにボトムスは少ない.それでも,ようやく柄物のボトムスを発見して購入した(これ1枚でだいぶ違うらしい).

P6120027 (写真12) Ojos de agua

 コルチャニ村を出ていよいよ塩湖に入っていく.まず向かうのはは入ってすぐにある”Ojos de Agua”,日本語に訳すと「水の目」と呼ばれるところ(Ojos del salar = 塩の目とも).ここは塩の大地の隙間から水がゴボゴボと湧き出ているスポットである.当然だが一面水に覆われる雨季になると,周囲と一体化してしまうため見られないスポットでもある.まるで温泉のように泡立っているが,もちろんお湯ではないし,炭酸水でもない.塩湖の地下水が湧き出ているポイントである.試みにその水を舐めてみたのだが,予想通り塩辛かった(笑).

P6120028 P6120030 (左写真13) まるで炭酸水のよう,(右同14) 水の目に佇む

 その後塩湖の内部に進んでいく.雨季の鏡張りで知られるウユニ塩湖だが,乾季には一面の塩の原野となる.我々の乗ったランクルは真っ白な大地を滑走していく(雨季はあまりスピードを出せない湖内も乾季には時速100キロでかっ飛ばせる).しばらく行くと前方になにやら造形物が見えてきた.これはダカール・ラリーがこの地を通った時のモニュメントである.

P6120032 P6120036 (左写真15) ダカールラリーのモニュメント,(右同16) 旧ホテル・プラヤ・ブランカ

 そこで車を降り,そのそばにある建物まで歩く.ここはかつて,プラヤ・ブランカという名のウユニ塩湖最古の,そして塩湖内唯一の塩のホテルだったところだ.現在は”Museo de sal”(塩の博物館)となっている.ここも3年前に訪問しトイレを利用している.今回も中に入って見学したが,以前よりも小奇麗になった印象だ(現在は博物館の他,ツアー客の昼食会場としても利用されている.ただしレストランを営業しているわけではなく,ツアーが持ち込んだ食事をとるスペースとしてである).かつて客室だったところもそのまま残されていたが,外部からカギがかけられていた(ちなみにここは塩湖の環境保全のため宿泊施設としてはだいぶ前に休止されているが,数年前までは闇で宿泊可能だったはず.今はどうなのかはわからない).

P6120040 P6120047 (左写真17) もう一つのモニュメント,(右同18) 各国の国旗が並ぶスポット

P6120172 P6120174 (左写真19) 博物館内部の食堂,(右同20) 奥が客室だったところ

 プラヤ・ブランカ見学の後は塩湖を北上する.目的地は北のトゥヌパ山,湖内のいたるところからその雄姿を見ることができる山である(我々はここをウユニ塩湖と呼んでいるが,現地の言葉ではトゥヌパ塩原という言い方をするほど,著名な山).ウユニ塩湖を訪問する日本人観光客は数あれど訪れる人は少ない場所である.秋田県とほぼ同じ面積がある塩湖なので,プラヤ・ブランカからトゥヌパ山までは100キロくらいある.

P6120058 (写真21) はるか先にトゥヌパ山が見える

 雨季には何時間かかるかわからない距離だが,乾季は猛スピードが出せるので問題はない.ただ広い原野を滑走するのでスピード感は感じない.試みにどれくらいスピードが出ているのかと運転席のメーターをのぞいたら,なんと!壊れていた.日本なら整備不良になるが,こういう土地柄なので問題ないのかもしれない.

P6120184 P6120074 (左写真22) コケサ村への門,(右同23) 村側から見たところ

P6120071 (写真24) 遠くにフラミンゴの姿も

 そんなわけで約1時間ちょっとでトゥヌパ山のふもとの村に到着した(コケサ村).乾季ではあるが,この周辺は水が張っており,フラミンゴの姿が見える.村のゲートを通って内部へ(ここに限らずアンデス高地帯の村は入り口にゲートがあるのがパターンで,なんとなくドラクエなどRPGの村を彷彿させる).この段階で13時過ぎ,まずは村の真ん中の公園みたいなところに行きランチタイムである.ガイドと運転手が公園のテーブルに料理を広げて用意してくれる.この日のランチはチキンとライスにサラダだった(ピクニックランチ).

Img_0564 Img_0557 (左写真25) 村の教会,(右同26) 村の中央公園?

Img_0566 Img_0561 (左写真27) ピクニックランチ,(右同28) トイレを含めたチケット

 食事後はトイレ(この周辺全体が観光施設みたいな感じらしく,チケットにトイレ代が含まれているらしい)を使用して,車に乗り山を登っていく.麓ですら標高3700メートルはあるのだからこの辺だと4000メートルにちかいだろう.車内から後ろを見たらウユニ塩湖の白い原野が美しい.対向車が来たらすれ違いが困難な道を揺られること15分程度でちょっと開けた駐車場に到着,ここからは徒歩になる.車を降りて歩き始めるのだが,風が強い! 油断してたら朝買った帽子が吹き飛ばされてしまった.慌てて走って追いかけ無事に回収できたのだが,考えたらここは標高4000メートル!うかつに走ってはいけないのだったと息を整えた.

P6120063 P6120068 (左写真29) サボテンが生えています,(右同30) 細い一本道

P6120193 (写真31) ミイラの洞窟の案内板

 しばらく歩いて行ったら小さな小屋があり,ここから現地のガイドが合流,我々とアンドレアさん含め4人で山に向かう.さらに10分くらい歩いたところが目的地,ミイラのある洞窟だ.ここは古代のこの辺の人々,とりわけ身分の高い人々の住宅跡(?)らしい.日本人の感覚だとミイラとともに生活するというのは想像がつかないが,古代のこの地域の人々にとっては,重要なことだったのだろうと文化の違いを感じた(死者に守られるという感覚なんだろうか).洞窟を出てきた道を引き返す.駐車場からは車に乗って下山,周辺には石垣がたくさん積まれていて興味深かった.

P6120189 P6120187 (左写真32) 洞窟内に安置されたミイラ,(右同33) 同じく

P6120202 (写真34) 石垣があります

 村を後にして塩湖を南下する.本来道など存在しないところだが,車の轍がなんとなく道の役割を果たしている.所々に轍が交差しているポイントがあって,これがちょうど交差点の意味を持っているのか,ドライバーはこうした轍の交差ポイントではちゃんと左右確認していたのが面白かった.

P6120078 (写真35) 塩湖入り口,向こうにホテルが見える

 この後はホテルにチェックインして休憩する流れとなる.この日の宿泊は塩湖東岸にある塩のホテル「ルナ・サラダ」,実は3年前にも泊まっているホテルである.16時半ごろに到着,とても懐かしい感じがしたが,それでも3年前と全く同じではなく,当時玄関だったところは閉鎖されていて,新しく立派な出入り口ができていた.チェックインをして部屋に向かう.全館塩のブロックで造られたホテルである.客室も当然塩なのだが,今回の部屋は床はフローリングだった(床も塩という客室もあるのだが,それだと足が塩まみれになる(笑).部屋に入ったがスーツケースはないので特にすることもなく,そのまま横になりしばらく休む.部屋の窓からは原野が見えた(塩湖ではない).

Img_0588 Img_0593 (左写真36) 3年前の玄関,(右同37) 今はこうなっています

P6120212 Img_0596 (左写真38) フロント,(右同39) 客室の様子

P6120084 (写真40) サンセットを待つ

 約1時間の休憩の後17時半にロビーへ,ここからはサンセットタイムである.車で再び塩湖内に入る.しばらく走ってビューポイントへ,ここでしばしサンセットを待つ.3年前の雨季のサンセットは絶景の一言だったが,乾季のサンセットも白い台地がオレンジ色に染まって素晴らしかった(ただ肝心のサンセットの瞬間は雲が出てきてしまったが).

P6120089 P6120094 (左写真41) 夕日と反対側も美しい,(右同42) 肝心の瞬間に雲が…

 予定ではこの後は夕食に戻って,その後星空観察だったが,防寒具がない我々に夜中の塩湖は厳しすぎるだろうということで,このまま日が暮れるのを待つことになった.ここでアンドレアさんがボリビアの赤ワインを出してきて振る舞ってくれた.ワインに目がない我々である.結局なんやかんやで1本空けた(笑).

 気が付いたら辺りは暗くなっている.今回は星空が見たくて,新月の時期を狙ってやってきたのである.さあと思って車外に出た.

 さ,寒~い ( ゚Д゚)

 乾季(真冬)のウユニ塩湖の寒さは格別である.夕暮れちょっとでこれだから,夜中はしばれフェスティバル状態ではないかと想像する.見上げると,わぁ~凄い! 本当に星が降ってきそうな感じ,天の川やその中にある南十字座など満天の星空だった.来てよかったと感慨に浸る瞬間である.とはいえやっぱり寒いので,そこそこで観察を切り上げホテルに戻った.

 その後は夕食,ルナサラダの夕食は基本ビュッフェである.3年前もあんまり印象が濃くなかったのだが今回もやっぱりそうだった(品数は結構多く,決してマズいわけでもないのだが).この日は宿泊客もそんなに多くないのか,レストラン内はゆったりした感じだった.先ほどサンセットでワインを空けてきた我々だが,食事のお供にワインがないのはありえないだろうと結局ここでも白ワインを1本空けた(2012年に初めて標高3000メートルのクスコを訪問した時に高地での飲酒に不安を感じてお酒を控えた面影がないほど高地慣れした我々である 笑).雨季には日本人観光客がたくさん宿泊するホテルだが,この日の日本人客は我々の他,一人旅っぽい女性がいるだけだった.

Img_0570 Img_0007 (左写真43) ルナサラダのレストラン,(右同44) 乾杯!

 夕食後は部屋戻りシャワーを浴びてそのまま爆睡したのだった.明日もウユニ塩湖の観光は続く.

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2018年6月28日 (木)

ボリビア&チリ旅行記③

 ボリビア&チリ旅行記 ボリビア入国編です.

 マイアミ発ラパス行きのアメリカン航空922便は座席が半分も埋まらないほど空いており,我々は3人掛けシートを2人で使う形になった.離陸して安定飛行に入ると例によって食事がやってくる.今回はチキンとパスタの選択だったが,なんとなくパスタを選択した.もうじき高地のラパスに入るのでこの便ではアルコールは控えようと思っていたのだが,誘惑には勝てず(笑),結局ワインをいただいた.

P6100044 P6100045 (左写真1) マイアミの街,(右同2) パスタの機内食

 食後は高地帯に備えて,今回初のダイアモックスを内服する.その後はボリビアへの入国書類の記入を行うのだが,旅行会社が用意してくれた凡例とは書式が変わっていたために非常に苦労することになった.仕方ないので機内Wifiを使ってネットで調べて記入する(便利な時代になったものだ).Kはというと,日本から持ってきたスペイン語の入門書を開いて付け焼刃のスペイン語の勉強をしていた.

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(写真3) スペイン語の学習

 その後は眠り込んでいたらしく,次に気が付いたらちょうど水を配っているところだった.寝起きで喉が渇いていたため,さっそくいただいて時計を見たらそろそろ着陸の時間である.そう思っていたら機内アナウンスが,さかんに「サンタクルス!サンタクルス!」と連呼してる.「ん?この便,サンタクルス経由だったけ?」と思っていたらそのまま着陸態勢に入り,ほどなく着陸した.

 窓から外を見ると,緑が多くラパスっぽくはない.どうやら本当にサンタクルスのようだ.ここでサンタクルス組だけが降りるのかと様子見をしていたら,どうやら全員が降りる雰囲気である.仕方なく我々も降機することに.出口で乗務員に「ラパスは?」と聞いたら,「まずは向こうに行け」というようなことを言われた.仕方ないので人々の流れに乗って歩いていく.向かった先は入国審査,ここはアメリカとは違っていたって平和で,何も言われず入国スタンプが押された.その後ターンテーブルに行って荷物のピックアップの番,予想外の展開にややぐったりとなる我々である.早く出てこないかなぁ,と待っていたのだが…

 いつまでたっても出てこない ( ゚Д゚)

 も,もしかしてロストバゲージか! と思っていたら,本当にロストバゲージになった(しかも2人そろって!).この時近くに同じくロストバゲージになった人が何人かいて,その中の一人が「自分はロサンゼルスからマイアミ経由で来たんだけど,マイアミでの接続時間が短かったからそこで積み残されたに違いない」と言っていたが,そうだろうなと自分も思った.

 ため息をついていても仕方ないので,そのまま係員のもとへ.クレームタグを示して手続きを行う.係員が「今日はこれからどこに行く?」と聞くので,「ラパスだ」と答えると,「では明日ラパスの滞在先に連絡するからそこの住所と電話番号を書け」という.「いや,我々は明日の朝ウユニに発つのでラパスでは連絡が取れない」というと,「じゃあウユニの連絡先を」というので,ウユニの滞在先ホテルを記載した.そして書類を渡されて手続き終了となる.その後は税関を抜ける順番だ.スーツケースなしの手荷物のみなのでチェックもなくスムーズに抜けられた(3年前はスーツケースを開けられてのチェックだったのが懐かしい).

P6100056 (写真4) サンタクルスの空港

 到着ロビーに出るとそのままアメリカン航空のカウンターへ,AA922便の搭乗券を見せると先方は先刻承知の様子で,我々のラパス行きの便はBOA航空667便であること,そのチェックインは10時からなのでそれまでは待機していることを告げられ,さらにお詫びとしてミールクーポンが手渡された(どうやら到着地の変更はラパス上空の悪天候が理由らしかった).

 この段階で朝8時である.時間はたっぷりとあるわけで,一瞬ターミナルから外に出てみた.一般に標高の高い国とされるボリビアだが,ここサンタクルスは標高300メートルほどと高くはなく,冬とはいえ空気は温かった.その後は近くのカフェに入って,さっそくクーポンを使って朝食である.初っ端からの行先変更とロストバゲージで食欲はイマイチだったが,めげずにビールも注文した私だった(笑).

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(左写真5) 緑豊かなサンタクルス,(右同6) 失意の朝食(笑)

 ところで今回の旅行は添乗員なしの現地係員ツアーである.予定ならとっくにラパスについてガイドと合流しているはずだ.飛行機の行先変更については先方も把握しているだろうが,我々の代替便のことは知らないだろう.まずはこの点を連絡しなくてはということで,スマホを立ち上げて現地連絡先に電話を掛けた(当初設定が間違っていたのかなかなかつながらずに焦った).カフェでうだうだしているうちにようやく午前10時になったので,BOA航空のカウンターでチェックイン,早くラパスに行きたい気持ちでいっぱいなので,搭乗券を受け取るとさっさとセキュリティを通って搭乗ゲートに向かった.

P6110061 (写真7) ラパス行き3便がすべて遅延になっています

 ゲート前の電光板で確認すると我々の乗るBOA667便の搭乗開始は11時40分だったが,その時間になっても一向に搭乗が始まる気配はない(飛行機はすでに待機していてボーデイングブリッジに接続されている).どういうことだ,と思いカウンターに行くと「指示があるまで待つように」と言われるばかり.それより遅いほかの空港に向かう便はどんどん出発していく.まるでラパスに結界が張られているかのようだ(泣).再び電光板を見たら,我々が乗るBOA667便が消えているではないか! もしかしてフライトキャンセルかと泣きそうな気分になる.

 この時近くにいたおばさんが声をかけてきた.「ここサンタクルスはとってもいいお天気だけど,ラパスは今お天気が悪いらしいの.でもこんな天気はいつまでも続くはずはないから,私たちは待ってるしかないのよ.この国ではよくあることよ.」,我々の表情がよっぽど悲壮感が漂っていたので気を使ってくれたのだろう.ありがとうおばさん,その通りだよ.と気を取り直す我々だった.電光板を見直したらBOA667便は出発時間変更(13時発)で復活していた.

 とにかく待つしかないので近くのラウンジに入って休むことにする.この時ラパス行きの3つの便に遅延の表示が出ていた.ラウンジはおそらくは同じラパスを目指していると思われる人々でいっぱいだった.ここではさすがにアルコールを飲む気分じゃなかったので,ボリビアとペルーでしか飲めないコカ茶にした.

P6110062 (写真8) ようやく搭乗開始

 そうこうしているうちに13時過ぎにアナウンスがあり,ラウンジの人たちが立ち上がった.スペイン語なのでよくはわからなかったが,我々の前に出る663便の搭乗が始まるらしい.ラパスの天候が回復したのだろう.その次は我々の番かと待っていたら,次のアナウンスがあり667便の搭乗も始まった.

 順番に飛行機に乗り込み着席する.13時30分に機体が動き始め,13時40分無事に離陸した.とりあえずホッとする(今回の旅行でホッとする瞬間が3回あったのだが,その1回目である).安定飛行になり飲み物がやってくる.今回はマンゴージュースを選択した.

 14時30分ごろから機体は降下を開始,外を見ると雪化粧をしたアンデスの山々が美しい.やがて大きな市街地の姿も,ラパスの街である.いや~,ここまで長かったなぁと感慨に浸る.そして無事にラパスのエル・アルト国際空港に着陸した.

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(写真9) ラパスのエル・アルト国際空港

 タラップを降りて外に出ると,ひんやりと空気が冷たい.さすがは冬の標高4000メートルである.まずは深呼吸をしながらゆっくりとターミナルに向かった.ロストバゲージのために荷物を待つ必要がないので,そのまま到着ロビーに出る.見渡すと我々の名前が書かれたボードを持った係員がいる.会釈をしたら気づいたようでこちらにやってきた.「お疲れ様です.大変だったですね.」と流ちょうな日本語を話す現地人の女性だった.我々も朝からサンタクルスで待機だったが,彼女も朝からずっと空港で待機していたとのことだった(状況がころころ変わるため,下手に動くなと事務所から指示があったらしい).「あれ? 荷物は」と聞かれたため,今朝のロストバゲージの顛末を話す.そしたら事務所を通してアメリカン航空に確認するとのことだった.そのまま車に乗り込んで,ラパス市内に向かう.ラパスはすり鉢状の土地に市街地が形成されており,空港はさらに一段高いところにある.このため市内に向かう際は急な坂道を一気に下ることになる.この道は3年前も通ったはずである.

P6110097 (写真10) 市内にあった謎のモニュメント

 市内に向かう車内で,今後の説明がある.こんな時間になってしまったため,ラパスの観光は大幅に縮小すること,レストランで遅い昼食を摂ったらそのままホテルに案内することの2点だ.元々ラパス観光はどうでもよく,さっさとホテルには行って休みたかった我々に異論のあろうはずはなかった.

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(左写真11) ラパスのバスターミナル,(右同12) ハエン通り

 市の中心部に入ってまず行ったのがハエン通り.ラパスは近代以降無秩序に建物が建てられてしまったために,植民地時代の景観はほとんど失われてしまった.そんなラパスで数少ないコロニアル調の風景が楽しめるのがこのハエン通りである.ここには3年前に来た際には,ちょうど地元のお祭りに遭遇して一緒になって踊った思い出がある.あの日は晴れて暑い日だったが,今日は雨(雪?)上がりでひんやりしている.

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(左写真13) ムリリョ広場の大統領府,(右同14) 同じくカテドラル

P6110091 (写真15) ムリリョの像

 その次に向かったのが市内の中心,ムリリョ広場だ.この広場を中心にしてカテドラルや国会議事堂,大統領府が面するまさにラパスの中心である.ムリリョというのはボリビア独立の先駆者で,革命のために戦い1810年に処刑されている.3年前に来た時もそうだったが,やっぱりここはハトが多い(その他,文字盤が反転している時計も健在だった).この頃になると,ようやく青空が広がり始め日差しも出てきた.

P6110090 P6110089 (左写真16) 国会議事堂,(右同17) 左右逆になっている時計

 ムリリョ広場を後にして次はレストランへ,この日は朝サンタクルスの空港で軽食を摂ったきりである.その後なにやかやでこの時間まで来てしまったわけだ.レストランは”La Casona” というホテルに併設されていた(内部はシックな感じ).この日のコースは前菜が野菜スープ,メインが豚肉とパスタの選択だったのでひとつずつ頼んでシェアすることにした.昼食といってもほとんど夕方なので,ちょっと早い夕食のイメージだ.ひんやりとしたラパスでの温かいスープは美味しかった.

P6110100 P6110101 (左写真18) 昼食のレストラン,(右同19) 前菜のスープ

P6110103 P6110102 (左写真20) メインの豚肉料理,(右同21) 葉っぱから入れたコカ茶

 食事の後はサガルナガ通りで買い物という選択肢もあったのだが,くたびれていたこともありホテルに入ることにした.この日の宿泊先は市内中心部にある”Hotel Presidente”というところ,最近のツアーだとラパスではより標高の低い(3300メートル程度)カラコト地区のホテルに宿泊するケースも多いのだが,ガイドさんによると我々が今回このホテルになったのは,ここが朝4時から朝食を提供しているからだそうだ(明日の朝は早い).たしかに冷えたボックス朝食よりも温かい朝食がいいよなと思った.

P6110105 (写真22) ホテル・プレジデンテの部屋

 部屋に入るとまずはシャワータイム,思えば出発直前自宅で風呂に入ったのが日本時間6月9日の11時ごろ,今はラパス時間で6月10日の18時(日本時間だと11日朝7時)だから44時間ぶりである.いやぁ長かった,と感慨に浸る.昼食が遅かったことと,疲れていたこともあってこの日の夕食はなし,お酒は緊急用ウイスキーがロストバゲージになっているため,ミニバーのビールとリキュールをいただいた.

 この長旅でスマホやタブレットのバッテリーが寂しくなっていたのだが,基本充電器類はスーツケースの中,困ったなと思っていたが,そういえばイモトのWifiに変換プラグと充電器があったじゃん! と気づいて急いで充電したのだった(結局この旅行中Wifiはあまりつながらなかったが,この充電器は大活躍だった 笑).そして,お酒が回っていい気持になりあっという間に眠りに落ちていったのである(とはいえ高地で酸素が薄いため,夜中に何度か目が覚めたが).

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2018年6月27日 (水)

ボリビア&チリ旅行記②

 ボリビア&チリ旅行記その2 出国&アメリカ乗り継ぎ編です.

 出発の日,6月9日は土曜日である.前夜は合唱団の練習だったため,そのあと市内の海鮮居酒屋にで前夜祭としゃれこんだのだった.家を出る直前に風呂に入る.なぜなら,これから長い移動が控えており,おそらくラパスのホテルに入るまで,入浴はあり得ないだろうからだ.入浴してさっぱりしたのち,自宅を出て,そのまま最寄り駅から電車に乗った.日本から海外に向かう主たる空の玄関口は成田だが,近年は羽田空港国際線の充実も著しい.今回は自宅からも近い羽田からの出発である(羽田→ロサンゼルス→マイアミ→ラパス と飛ぶ).

P6090002 (写真1) 横浜駅で乗り換える

 お昼過ぎのJR東海道線に乗って東へ,横浜駅で京急に乗り換えて羽田空港国際線ターミナルに着いたのは13時50分ごろだった.

 空港についてそのまま出発ロビーに上がると,まず向かったのはイモトのWIFI!,今回の渡航先は基本的に辺境地区なので,こうしたポータブルWIFIが活躍する機会は多くないだろうと予想されたが,街歩きの日程もあるので,何か使い道もあるだろうということで念のためレンタルすることになったのだ(これが後から重要な意味を持ってくるとはまだ知る由もない).

 イモトの次は空港宅配カウンターで事前に送っておいたスーツケースを受け取る(普段使いのクレジットカードのサービスなので無料).そのままこの日利用するアメリカン航空のカウンターに向かった.手続きをしようとしたら,係員から「自動チェックイン機を使え」という指示が出たのでまずはそちらへ.パスポートを読み込んで,行先(この場合はラパス)を入力すると,搭乗予定便の一覧が表示される.OKをタッチすると,「あと○△円追加すればプレエコにアップグレードできますよ」という悪魔の囁きが… しかし,ここは黙ってNOをタッチして進むと,搭乗券と荷物に着ける細長いタグが出てきた.これら搭乗券とタグを持って今度こそ航空会社のカウンターへ,ここでスーツケースを手放して身軽になった.そのあとは外貨(米ドル)の両替をして,そのままセキュリティに向かう.

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(左写真2) 羽田空港国際線ターミナル,(右同3) 自動チェックイン機

 セキュリティのゲートではノーマルタイプとCTスキャンタイプが並んでいた.面白そうなので自分はCTへ.何か所からチェックが入ったらしくボディーチェックを受けた(日本出国でこれなら,アメリカではどうなるんだとちょっと不安になる).その後の出国審査はあっさり終了して出発ロビーに出た.まだ時間があるので,ラウンジへ.ワインを飲んで寛いでいたら,我々の搭乗便の出発が早まったらしい.こりゃ大変だと搭乗ゲートに行くと,ちょうど優先搭乗が始まったところだった.

Img_3785 Img_3784 (左写真4) ラウンジでワインをいただく,(右同5) 先月のひのパレの記念品が役立ちます

 少し待って我々の搭乗が始まる.今回の座席はもちろんエコノミークラス(アメリカン航空ではメインキャビンと称する)なのだが,その中でも前方に位置し,ちょっとだけ(約10センチ)シートピッチの長いメインキャビンエクストラを選択していた.これは少しでもゆったりしたいというほかに,ロサンゼルス着後なるべく早く降機して入国審査の列に並びたいからという理由からでもあった.着席してシートベルトを締め,まもなく飛行機は動き始める.そして16時35分無事に離陸した.

P6090011 P6090010 (左写真6) 前方プレエコ席の後ろがメインキャビンエキストラです,(右同7) そういわれるとちょっと足元がゆったり

 安定飛行に入り,シートベルト着用サインが消えたところで,時計を現地時刻に合わせる(いつもの習慣).現在日本とロサンゼルスの時差は16時間なので,現地は6月9日深夜1時頃である.しばらくすると夕食のサービスが始まった.この日はチキンとポークの選択,自分がポーク,Kはチキンを選択したのだがチキンはカレーだった.飲み物はもちろんワインである.料理はもっとアメリカンなものをイメージしていたのだが,野菜も多く意外にアメリカンじゃなかった.

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(写真8) 夕食は思ったほどアメリカンではない(笑)

 食事を済ませた後はこれからの長い旅路に備えて少しでも寝ておこうと,眠剤をキメて眠る体制に入る.そのままうとうとして眠りに入り,気が付いたら日付変更線を越えていて,ロスまであと3時間らしい.目の前のテーブルにはパンが置かれていた(この辺は3年前のアメリカン航空でも経験したが,これは朝食ではなく単なるおやつ).この辺から少し揺れるスポットに突入したらしく,機体はけっこう揺れている.ふと隣を見たらKが意外に落ち着いている.昔ならビビッて震え上がっていたものだが,旅慣れて成長したらしい.

 そうこうしているうちに朝食が配られ始めた.サーモンとスクランブルエッグの選択,自分はサーモン,Kはエッグを選んでいたが,今回も思ったよりアメリカンではなかった(さすがにもうすぐ着陸なのでアルコールは控えた).

P6100023 P6100024 (左写真9) サーモン,(右同10) こちらはエッグ

 朝食が終わり,9時過ぎから徐々に降下を開始する.予定到着時刻は10時45分だが,大幅に早まりそうだ(アメリカの場合入国審査時間が読めないので,早く着くのは歓迎である).耳が思ったよりキーンとならないのは,与圧の高いB787だからだろう.そのままどんどん高度を下げ,9時35分無事にロサンゼルス空港に着陸した.

P6100028 (写真11) バスでターミナルに運ばれるパターンでした

 ボーディングブリッジが連結されるのかと待っていたが,そのままタラップで降機,バスで運ばれるパターンだった.メインキャビンエクストラの特権で最初の方のバスに乗ることができ,そのままロサンゼルス空港のTom Bradley国際ターミナルに入る.入国審査は予想通り長蛇の列だった.

 ESTAと書かれた方に歩いていき,まずはAPCの列に並ぶ.こちらは比較的スムーズに順番が回ってきた.言語は日本語を選択してまずはパスポートを読み取らせる,その後質問に答えて,右手の指紋をスキャンするのだが,やり直しの指示が… 顔写真を撮った後レシートが出てきたが見事に×が付いていた(家族は一蓮托生なのかKも×).そのあとは係員に促されるままに審査官の列に並ぶのだが,これが大行列,到着が1時間早まったので余裕があったが,乗り継ぎ時間がタイトだとこりゃかなり焦るなと思った.

 それでもようやく審査の順番が回ってきた.待ち時間は長いが,単なるトランジットの善良な日本人相手の審査は短い.指紋と顔写真を取り直して無事パスポートに入国スタンプが押された(結局ターミナルに入ってスタンプをもらうまで正味1時間かかった).

 審査場を抜けると目の前のエスカレーターを下って今度はターンテーブルのある所に出る.荷物のタグはラパス行きになっているのだが,ここで一度ピックアップして税関を通さなければならないからだ.我々の乗ってきた便のレーンに行ってみたらすでに荷物は出てきていて脇に置かれていた(まあ1時間かかってるからな).その荷物をもって税関へ.申告するものはないので,係員に申告書を渡してそのまま通過した(特に荷物チェックはなし).EXITと書かれた方向に進み,ドアの外に出る.ここで道が左右に分かれているので,我々は右側に進む.なんとなく上り坂の道をスーツケースを引きずって歩く.近くにいた係員がタグを見て,「マイアミ? そっちだ」というので指示された方向に進むと,再預けカウンターがあった.ここで再び荷物を手放す.

 カウンターの目の前には自動ドアがあるが,そこには行かず直前の通路を右に向かう.ここは乗り継ぎ客専用のセキュリティで,ここを通ると大幅に乗り継ぎ時間が短縮される(逆に件の自動ドアから外に出てしまうと,一からターミナルに入り直しになるため大変である).次の搭乗券を見せてセキュリティに入ったが乗り継ぎ客しかいないため空いていた(トランプ政権になって初のアメリカセキュリティだったが,特に厳しくなったとは感じなかった).

 セキュリティを抜けて目の前のエスカレーターを上ると,そこがアメリカン航空の専用ターミナル4だ.この国際線から国内線への乗り継ぎ距離の短さがアメリカン航空(ワンワールド)利用の最大のメリットである(これがANA-ユナイテッドのスターアライアンス系だとターミナル間の移動が長い).まずはマイアミ便の出る46Bゲートに行って確認する.モニターを見たら出発が15分遅れの13時30分になっていた.その後ラウンジで時間をつぶし搭乗時間に再びゲートに行ったら,出発がまた伸びている.当初予定でもマイアミでの乗り継ぎ時間は1時間15分くらいしかない.それがこんなに出発が遅くなって大丈夫なのかと不安になる(まあ,同じアメリカン航空の乗り継ぎなので大丈夫とは思うが…).結局13時30分に搭乗開始となり14時(すなわち当初予定より45分遅れ)で出発した.

P6100033 P6100034 (左写真12) ターミナル4のゲート46B付近,(右同13) すでにワインをしこたま飲んでいます

 安定飛行に入ったところで時計をマイアミ時間に合わせる.ロスとマイアミは3時間差なので針を3時間進める(日本とは13時間差,ちなみにこれ以降再びロスに戻るまで時計はこのままになる).この後飲み物と軽食がやってきたが,国内線のため基本的に有料である.ただこの後マイアミで食事が摂れる時間は絶対なさそうなので,サンドイッチとワイン(笑)を購入して食べた(水はロスのターミナルで購入済み).我々の斜め前方にやたら落ち着きのない黒人のお兄さんがいて,足を通路に投げ出してくつろいでいて,カート移動の邪魔になるため何度も客室乗務員に注意されていた.それに対してなにやら反抗的な態度をとっていたのだが,最後に恰幅の良い男性乗務員に呼び出されて前方に消えていった… と思ったら戻ってきた後は別人のようにおとなしくなっていたが,何か怖いことをされたのだろうかと気になった(笑).

P6100036 P6100039 (左写真14) マイアミ便の機内,(右同15) 有料のサンドイッチとワイン

 食事後眠気がやって来たのでそのままうとうとする.ふと気が付いたらモニターのマップにはカリブ海が! やがて徐々に高度を下げ始め,21時45分マイアミ空港に着陸した.そのまま駐機場に入り,ボーデイングブリッジを通ったのは21時55分だった.当初の遅れに比べると挽回したとはいえ,それでも30分遅れである.乗り継ぎ時間は45分だ.大丈夫だろうかと思いターミナルに入ったら,なんとそこは出発ロビーではないか! 乗り継ぎの際にまたセキュリティがあったら面倒だと思っていただけにラッキーである(天は我を見放していない).そのまま次のラパス便のゲートまで早歩きで向かう(アメリカは出国審査がないので,国内便と国際便が同じターミナルに同居している).

P6100041 (写真16) マイアミ空港のターミナル

 ゲートに到着したらちょうど搭乗が始まるところだった.我々はそのままラパス行きの便に乗り込み出発を待つことになる.

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2018年6月24日 (日)

ボリビア&チリ旅行記①

 さて,ちょっと早い今年の夏季休暇旅行から帰国してまだ1週間たっていませんが,忘れないうちにこちらに記事を載せておきます(いつの日かHP本編に記事がアップされるはずです 笑).まずは事前準備編から.

 毎回旅行に行っても,帰りの飛行機の段階ですでに,「次はどこに行こう」と考えてしまうほど旅行好きの自分,”夏季休暇に旅行に行かない”という選択肢があるはずはない.2018年もどこかに旅行に行くことは10年以上前から確定していた(笑).で,行先であるが近年は「歳を取ったら行きにくくなりそうなところを優先的に行く」というのがマイブームになっている.具体的に言えば辺境地帯ということになるのだが,ちょうど1月に南部アフリカに行ってきたこともあり,アフリカ大陸は今回は選択肢にしなかった(ワールドカップじゃないが,2回続けて同じ大陸にはしない).候補としては,まだ行ったことのない中央アジアやインド洋のレユニオン島も惹かれたのだが,今回はいつか行ってみたい憧れの地のひとつであるチリのアタカマ高地に行こうというのはすんなりと決定した.自分の職場の夏休み期間は6月から10月なのだが,当初は「6月=東京21合唱団の演奏会,7月=母親の接待旅行,8月=他のドクターが休むのでその留守番要員,9月=医師会合唱団の定演」というスケジュールだったために,主要行事が一段落した10月に旅行に行こうと考えていた.しかしその後6月に予定されていた東京21合唱団の演奏会が10月に延期になってしまい,その結果10月の予定が埋まると同時に6月がポッカリ空くことになった.この段階ですでに3月だったのだが,これを受けて今年の夏季休暇は6月に取ってしまおうということになった.

Img_3689  行先はアタカマ高地と決まったが,問題は旅行の形態である.場所は南米,しかもかなりマニアックな場所だ.個人で航空券とホテルを取ってというのは現実的でない.必然的にツアー参加となるわけだが,6月という世間の休みとは異なる時期に企画されるツアーなどあるだろうかと探したところ,クラブツーリズムのアタカマ高地からウユニ塩湖に抜けるツアーがまず引っかかった.このコースは日本からチリの首都サンチアゴに入りそこから空路アタカマに行く.そこで周辺の観光をしながら高地順応を図り,その後ボリビアの国境を越えて,俗に「宝石の道」と呼ばれる独特の景観美が素晴らしいボリビア南部の高地帯を通り乾季のウユニ塩湖に至る.そこで観光を行い,最後はラパスに飛んでそこから帰国という10日間のツアーだった.アタカマの宿泊は2泊だが,「宝石の道」も観光できる魅力的なツアーである.一方で,南米を専門的に扱う旅行会社であるラティーノから出ていた「ウユニ塩湖アタカマ通り抜け11日間」というツアーも目を惹いた.こちらはちょうどクラブツーリズムとは逆コースで,まずラパスに入ってそこから空路ウユニに飛び同じく乾季のウユニ塩湖を観光,その後宝石の道を通ってチリ国境を抜けてアタカマに入るというパターンだった.こちらの魅力はアタカマに3泊することで,より多くの観光時間が取れることである.募集形態は前者が最少催行人数8人の添乗員付き(設定日は6月12日のみ),後者が最少催行人数4人の添乗員なし(現地係員付き 設定日は毎日)である.

 4月上旬,まずはクラブツーリズムに催行状況を確認したところ,未だ2人しか集まっておらず厳しい状況との返事だった(やっぱり 💦).一方のラティーノの方は,こちらも場所がマニアックなこともあって,6月中に催行が確定している日はないとのことである.ただ,もし参加を希望するなら最大限催行に向けて努力するとのことだったため,この段階でラティーノ1本に絞ることにした.

 申込書を送り,手付金を払った数日後,ラティーノから催行決定の連絡がきた.申し込みは我々2人だけという状況は変わらないが,追加料金なしで催行してくれるとのことだった(感謝である).宿泊するホテル,利用する航空会社も早々に決定,この段階ですでに旅行に行くことが確定したため,その後徐々に準備を進めていく.着替え類はもちろんだが,今回はアンデスの高地帯に現地の冬に訪問するわけで,寒いことは容易に想像できた.現地で宿泊するホテルもラパスやウユニ,サン・ペドロ・デ・アタカマはともかく,中盤のアンデス高地帯での2泊はかなり寒いらしいことが分かったので,2016年のしばれフェスティバルで活躍した防寒具を活用することにした(その他乾季のウユニ塩湖名物のトリック写真用のアイテムも 笑).

34774715_1757194434377914_389511579  そうこうしているうちにあっという間に5月下旬,ラティーノから最終案内が届いた.この頃から一気に気分が盛り上がってくる.旅程表を眺めながら,「どんな旅になるんだろう」と想像を膨らませる.恒例となっている旅行前の当直ラッシュ&書類ラッシュもこなしていよいよ出発の日がやってきた.

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2018年6月20日 (水)

南米旅行から帰ってきました!

 久しぶりの更新となります.6月9日から19日まで,南米(ボリビア南部&チリ北部)旅行に行ってきました.ホント、いろんな事が起こって感慨深いのですが,ぼちぼちこちらに旅行記録を載せていきます(って,1月の南部アフリカ旅行が未完じゃないかと突っ込まないでください 笑).写真は今回訪問した世界第1位&第2位の塩湖です(ウユニ塩湖&アタカマ塩湖).

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2018年5月24日 (木)

学会に行ってきました

 久しぶりの投稿になりました.5月12~13日に行われたひの新選組まつりの余韻に浸る間もなく日常の現実にさらされています.そんな現実のひとつである学会が行われているため,自分も参加してきました.

 会場は北海道札幌市,当地から行く場合アクセスは空路になるわけですが,一般的に札幌の玄関口となるのは新千歳空港です.

 が,しか~し

 ビザンチン皇帝が出かけるときにそんな常識は通用しません (^.^).今回はもっと東の女満別空港から入りました.理由は現在取り組んでいる位置ゲーム,ケータイ国盗り合戦のためです.これは日本全国を600の国,6000の空に分割し,その地点に行ってスマートホンを操作することでそれらの国,空を獲得していくというゲームです.こうした旅系・集める系に目がない私ですから,数年前から取り組んでいます(現在540の国,3800強の空を獲得済み).北海道のような普段住んでいる土地からみて遠隔にある場所はなかなか行くのが難しいため,なるべくこうしたチャンスは無駄(?)にしたくないからです.学会は水曜日からなんですが,今回は前日(火曜日)の午後に飛びました.

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(左写真1) 飛行機から見えた屈斜路湖,(右同2) 女満別空港

 羽田から1時間40分のフライトで到着,現地は晴れの良いお天気,気温も20度越えでかなり温かかったです.

 空港でレンタカーを借りて,メイン路線である国道39号線を中心に周辺の空を撮りまくりながら東に向かい,この日の夜は旭川に宿泊しました.ホテルにチェックインしたのち,近くにあったジンギスカンが食べられるお店で夕食を取りました.

Img_3751 (写真3) ビールの飲み比べ 🍺

 翌日は早朝に起きて,学会が行われる札幌に向かいます.北海道全図を漠然と眺めると,札幌-旭川ってそんなに離れていないように感じるんですが,実は140キロくらい離れており,特急でも1時間半かかるのでした.

 学会場は中心部のロイトン札幌&ニトリ文化ホール&教育会館の3か所(いずれも徒歩圏内),ロイトンで受付をして,まずは教育会館で行われる生涯教育セミナーへ.これに参加すると専門医を更新するためのポイントが得られるという寸法なんですが,普段自分が専門にしていない領域に関する最新の知見は非常に勉強になりました.

Img_0512 (写真4) 学会場

 午後からはいくつかのシンポジウムに参加するなどして過ごし,夕方からは札幌近辺の空をいくつかとって,今度は新千歳空港へ.空港内のお寿司屋さんに入って夕食と日本酒をいただいたのでした(結局食に走ってしまう自分 笑).

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(写真5,6) お刺身と握り(珍しいニシンの握りがありました)

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2018年4月29日 (日)

南部アフリカ旅行記⑦

 旅行からすでに3か月経っていますが,南部アフリカ旅行記いよいよ後半です(もたもたしてると次の旅行が始まってしまう (゜o゜)).

 1月24日水曜日,今回の旅行も折り返し点を過ぎていよいよ後半となる.この日はヨハネスブルグから飛行機でジンバブエのビクトリアフォールズの町に移動する日程である.モーニングコールは6時,ヨハネスブルグは1泊だけだったのでたいして荷物の出し入れがなかったため,パッキングはスムーズだった.身支度をして朝食のレストランへ,一般的なビュッフェスタイル(卵料理も付くアメリカンスタイル)だったが,ソーセージが固いのがやや難点だった(笑).

P1240598 P1240597 (左写真1) 朝食会場の卵コーナー,(右同2) この日の朝食

 朝食後は再び部屋に戻って準備し,7時30分にロビーに集合である.今回の参加者はみな時間にきちっとしてるので極めてスムーズにバスに乗り込んだ.空港への道中は昨日に続いてガイド氏による南アフリカの政治経済の話題,今日も非常に濃厚なお話が伺えた(笑).

 市内の交通はスムーズで8時過ぎには空港に到着である.ここからジンバブエのビクトリアフォールズに向けてのフライトとなるのだが,ここは国際線になるのでチェックインは自分でやらなければならない.南アフリカ航空のカウンターで手続きを行う.ジンバブエ入国にはビザが必要となるため,係員に「ビザは?」と聞かれたので,「向こうに着いてから取る」と答え,そのままスルーとなった.

 ここで件のガイド氏とお別れしてセキュリティに向かう.近年世界的にどこでもセキュリティは厳しくなっているのだが,ここアフリカ南部地域は緩いらしく,ブザーが鳴ってもササっとチェックするだけだった(機械も古典的.一応アメリカから全身スキャン式の機械も送られているらしいが使われていないとのこと).セキュリティを抜けると続いては出国審査,ここもあっという間に手続きは終わり出発ロビーに出た.

Img_3637 (写真3) 空港のラウンジでワインをいただく

 この段階でまた9時前,搭乗ゲート集合は10時なので,まだ1時間もあるではないか! ということでまずは目の前の免税店で緊急用のウイスキーする.日本から持ってきたものが昨晩でなくなってしまったからだが,今回の旅行ではミニバーが開かなかったり,ミニバーそのものがなかったりと毎日が緊急事態(笑)なのである.今回は760mLサイズを購入した.その後は例によってラウンジに入ってワインを楽しむ時間,朝っぱらからワインを飲めるのが休暇の特権だ.

 時間になったのでゲートに向かうとちょうど搭乗が始まるところだった.我々はグループ一段となってゲートのチェックを抜ける.それぞれ搭乗券とパスポートの写真の乗っているページを見せて通過するのだが,私の直前に通過した一人参加の若い女性のパスポートの生年月日がチラッと見えてしまった ( ゚Д゚).実は自分よりも年上らしい!! ものすごくショックを受けたビザンチン皇帝だった.

P1240623 (写真4) 軽食のビーフサンドイッチ(結局これがこの日の昼食になった 笑)

 10時40分に飛行機は動き始め,まもなく離陸した.安定飛行に入って軽食が配られる.ビーフとなんとかの選択だったが,”なんとか”が聞き取れなかったのでビーフを選択,サンドイッチだった.我々の前方にユダヤ人っぽい人がいたのだが,ちゃんと専用の軽食をもらっていた(コーシェル・フードというわけだ).

P1240839 (写真5) 飛行機からもビクトリアの滝の水煙が見える

 12時過ぎにもうすぐ着陸するというような機内アナウンスがあった.は,早いな(汗).その後徐々に高度を下げていく.窓の外を見ると熱帯雨林が広がっている.その先にもくもくと水煙が,「ビクトリア・フォールズだ!!」はやくもその姿を拝見し,感動に浸った我々である.その後まもなく飛行機は無事にビクトリアフォールズの空港に着陸した.

 機体が停止し外に出ると,「あ,暑い~」,涼しい高原のヨハネスブルグと大違いである.その後一同はなるべく早く入国審査場に向かう.これはここで取得しなければならないビザのためである.これから入国するジンバブエはビザが必要なのだが,これには1回ビザ,2回ビザ,数次ビザの種類があり値段も違う.一度入国してその後第三国に出国,おしまいという流れなら1回ビザで何の問題もないのだが,今回の旅行ではビクトリアの滝の観光のために一度ザンビアに行ってその後ジンバブエに再入国,翌日にはチョベ国立公園に行くためボツワナに出国し,同日夕方にジンバブエ再々入国と都合3回入国することになる.こうなると一番高い数次ビザが必要になるわけだが,ここで強い見方が登場する.それはジンバブエ・ザンビア両国を行き来自由&ボツワナへの一時出国も可というユニビザ(KAZA VISA)である.50米ドルで入手できるので,ジンバブエ数次ビザ+ザンビアビザ(55米ドル+50米ドル=105米ドル)よりも断然安い!! しかしこのビザ,一日の発行枚数が限定されているらしく,ようは早い者勝ちなのだ.我々が急いで審査場に向かったのはそういう理由があったのである.

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(左写真6) 断崖と滝のモニュメント,(右同7) ライオンが捕食する瞬間のモニュメント

 そんな審査場だったが,この日は観光客が少ないのかビザ発行カウンターにはほとんど人が並んでおらず,我々のユニビザ入手はあっさり成功 (^^)v.その後の入国審査から税関も極めてスムーズに通過し,13時には空港の到着ロビーに解放された(添乗員さんがこれまでの最速記録だと言っていた.ひどい時には抜けるのに2時間以上かかることもあるとか).ロビーには動物のモニュメントが飾られるなどアフリカムードいっぱいである.ここで現地ガイドと合流し外に出る(ここのガイドさんは日本人ではなく,英語を話す現地人の方だった).すると我々を待ち構えていたかのように現地人が合唱を始めた.もちろんチップ目当てのパフォーマンスなのだが,妙にハモってて感心した.

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(左写真8) お出迎えの合唱隊,(右同9) ビクトリアフォールズ空港

 ここで利用する車はヨハネスブルグと同様マイクロバス+荷物牽引車である.一同乗り込むとさっそくホテルに出発,ケープタウンやヨハネスブルグと違って周囲は熱帯サバンナである.20分ほど走ってビクトリアフォールズの町に入る.左折するとホテルに向かう交差点の正面向こうに滝の水煙が見え,一同歓声が上がる.

P1240852 (写真10) 周辺はサバンナです

 その後少し走ってこの日から3連泊するホテル・エレファントヒルズに到着,チェックインを済ませてさっそく部屋に入る.エアコンもばっちり利いているリゾートホテルである.バルコニーからはサバンナが見渡せるのだが,サルが出没していて油断すると部屋の中に入って来て荒らされるので,窓は決して開け放たないように念を押された(笑).

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(左写真11) ホテルのフロント,(右同12) ホテルからも滝の水煙が!

 この後の予定は16時頃からザンベジ川のサンセット・クルーズである.ただ先述のようにホテル到着が予想外に早かったため結構空き時間ができた.というわけで,我々はしばらく休んだ後,ホテルのプールに繰り出すことにした.

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(写真13) ザンベジビール

 プールは上下二段に分かれていて,それぞれプールサイドにはビーチチェアが並んでいる.深さは浅いところで1メートルくらい,深いところだと1.8メートルくらいになるようだ.見ると下段のプールサイドは白人客でほぼ満員状態だったため、我々は上段のチェアを占領する(こっちは貸し切りだった).結局下段は白人のみ,上段はカラードのみになっている.これが新手のアパルトヘイトなのか(笑).ここではプールで泳ぐ傍ら地元のザンベジビールをいただいた.それにしても南国のプールは気持ちいい.

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(左写真14) プールでくつろぐ自分,(右同15) 下段は白人専用エリアです(嘘)

 しばらくプールでくつろいだ後部屋に戻り,着替えをして集合場所に向かう.何度も言ってるように今回の旅行には困ったちゃんがいないので何事もスムーズだ.そのままバスに乗り込んでクルーズ船の船着き場に向かう.サバンナ地帯を20分ほど走って到着だ.船はまあまあ大きくて2階建て,2階の方が景色がよさそう(だが日差しや風は強そう)だったのだが,すでに満員になっていたため1階の海に近い部分に陣取った.ドリンクは飲み放題で,その他軽食が出てくるスタイルだ.ビール・ワイン・ビールといただいたのは言うまでもない(笑).

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(左写真16) ザンベジ川,(右同17) 船内の様子

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(左写真18) 乾杯! (右同19) こうしてみても大河だとわかります

 しばらくして船は動き始めまずはザンベジ川の上流に向かう.ザンベジ川はナイル川・コンゴ川・ニジェール川に続くアフリカ大陸第4の川で,ザンビア北部のアンゴラとの国境付近に端を発してザンビア国内を南下,やがてザンビアとジンバブエの国境を流れて,モザンビーク国内に入ってインド洋に達する.ビクトリアの滝があるのはちょうど中流域で我々がクルーズしているのは滝のちょっと上流部分である(ザンベジ川の中流域は急峻な部分が多く,こうしてクルーズができる穏やかな部分は滝の上流側などわずかしかない).お酒を楽しみながら,時々川から姿を現すカバを見つけたり,付近の枝に止っている鳥を観察するなどみな思い思いの時間を過ごしていた.

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(左写真20) 鳥がいます,(右同21) こちらはカバ

 やがて夕暮れ時,サバンナに夕日が沈んでいく.ザンベジ川にも夕日のオレンジが鮮やかに投影されている.嗚呼平和だ(そして休暇だ)と実感する瞬間だった.

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(左写真22) ザンベジ川の夕日,(右同23) 木々も赤く染まります

 日が暮れると周辺はどんどん暗くなり,さらには雲が出て雷までなり始めた.船は急いで桟橋に戻る(時計を見たら予定より30分近く多くクルーズしていたらしい).小雨も振り出したが幸い濡れることもなくバスに乗り込んだ.そのままホテルに戻る.

Thunder1 (写真24) 雷が!!

 この日の夕食はホテルのレストランである.部屋に荷物を置いてすぐに会場へ.こじんまりとしたビュッフェスタイルだった.この日は牛肉に加えてイボイノシシの肉にも挑戦した.食事中にはまたまた男声合唱チームが(空港にいたのと同じユニットかどうかはわからない)演奏にやってきていた.

 食事後は部屋に入ってシャワー… と思ったのだがひねってもお湯が出ない ( ゚Д゚).洗面台の方の水は出るので元栓というわけではなさそう.困ったので添乗員さんに連絡してホテルの係員を呼んでもらった.スパナやらなにやら持って現れた係員,ちょっと蛇口をひねると…

 じゃぁ~~💦

 なんと!お湯が出たではないか!!,さっきまでは何だったんだろう? なんだか狐につままれたような気分になった.とはいえ無事にお湯が出たのでシャワーを浴び,さらには今朝空港で買ってきた緊急用ウィスキーを飲んでさっさと眠りについたのだった.

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2018年4月22日 (日)

APCでの入国

 6月に南米旅行に行ってくるんですが,2018年4月現在日本から南米への直行便は存在しないため,必然的にどこかの都市で乗り換える必要があります.ヨーロッパの主要都市経由,ドバイやドーハといった中東経由なんてのもありますが,値段的に一番安いのはやっぱりアメリカ乗り換え便となります.今回は羽田から飛んで,ロサンゼルス,マイアミと2回乗り換えてボリビアのラパスに入る予定です.

 で,アメリカ乗り換えというと,一般に厳しくて時間がかかるというイメージがあります.昔から不法移民の問題があって厳しかったところに,2001年の同時多発テロが起こり,さらにその後の各地でのテロ事件頻発もあってどんどん厳しくなり,昨年のトランプ政権誕生によりまたまた厳しくなっている感じです.たいていの国ではその国に入国せず,第3国に乗り継ぐだけの人(トランジット客)に対して入国審査はなく,一般的な国際線のセキュリティのみで通過することができます.しかしアメリカの場合,単なるトランジットだけでも正式な入国審査&税関検査が義務づけられているため,ただでさえ混んでいる入国審査の列がさらに長くなることになっているのです.

 アメリカの入国審査では係員にパスポートを提示し,簡単な質疑応答と両手全指の指紋採取,顔写真の撮影を行って通過という流れになります.善良な日本人の場合審査そのものは大した手間がかかるわけではないんですが,とにかく列が長いのが問題なわけです(特に南米系や中東系の人の場合時間が長くなる傾向にあり,そうしたグループの後ろについてしまうと最悪である).

 アメリカ当局もそうした状況は認識しており,近年Automated Passport Control(APC 自動パスポートコントロール)と呼ばれる機械を導入しています.これはアメリカ市民&カナダ市民およびESTA利用の外国人向けのもので,タッチパネル式の機械で質問に答え,指紋採取や写真撮影も機械で行い,最後に出てくるレシートを持って,専用の有人ゲートに進むという流れです.要するにこのルートに乗れる人には危険な人物はいないだろうということで,そうした人々を別の流れに誘導することで審査の時間短縮を図っているわけです(実は2015年にウユニ塩湖に行った際にこの機会を利用したことがある.時間短縮が図られたかは記憶にないが).

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APCの様子(United States Customs and Border Protectionのサイトより)

 ただこのAPC,ESTA入国者すべてが利用できるわけではなく,2008年以降に一度ESTAで入国した記録のある人となっています.この2008年というのはアメリカ入国にあたり両手の指紋採取が義務化された年であり,思うにそれ以降の入国者に関しては名前と指紋の記録を参照することで審査を簡略化できるためと推測しています.

 ただ一方でネット上には,この2008年以降一度以上という条件に加えて,パスポートが更新された後の最初の1回はAPCが使えないという話も見かけます.少なくともアメリカ当局および航空会社のサイトにはパスポート更新云々のことは出てきませんから,推測するにパスポートの期限が来るとESTAも自動的に期限が切れるルールと混同してるんじゃないかという気がするんですが,実際のところはどうなんでしょう.まあ今度行ったときにAPCにチャレンジすればわかるわけですが.

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2018年4月12日 (木)

ESTA

 以前書いたように今年の夏季休暇旅行は6月にアタカマ砂漠方面に決定しています.訪問国はボリビア&チリなんですが,アメリカ合衆国を経由します… そう,ESTAが必要になるわけです.

 アメリカ合衆国は日本を含む一部の外国籍者に対して観光・商用向けに90日以内の滞在であればビザの取得を免除するシステムを取っています.これにより該当者はビザ取得の面倒さから解放され,アメリカ訪問の敷居が下がりました.

 しかし2001年9月の同時多発テロ以降情勢が大きく変わり,アメリカ入国審査は以前にもまして厳しくなりました.その過程の中で登場したのがESTA(Electronic System for Travel Authorization)です.ビザ免除国の国民はアメリカ入国およびトランジットしようとする場合,事前にパソコンなどを使って,ESTAを取得することが義務付けられたのです(取得することが入国の条件になっているあたり,ビザに似ていますが,アメリカ当局はビザではないと言っています).この事前にというのがミソで,他のたとえばビザが必要な途上国に渡航しようとする場合,現地に到着してからの取得も可能だったりするんですが,ESTAはそもそもこれを取得しておかないと,アメリカ行きの飛行機に搭乗できない仕組みになっているのです(そういう意味では入国の条件というより,アメリカに向かう飛行機への搭乗条件といった方が正確かもしれません).

 ESTAは氏名,生年月日,住所,パスポートナンバー等必要事項を入力し,さらにいくつかの質問に答えます.その質問というのは麻薬常習者ではないか? アメリカに不法滞在歴があるか?テロや虐殺をたくらんでいないか? などとほとんどの善良な市民には無関係なものばかりないんですが,唯一,2011年3月以降シリア,イラク,アフガン,イラン,スーダン等に行ったことがあるか?という質問だけは要注意です.イラク戦争・アフガン戦争後にそれらの国に行ったという一般人はほとんどいないでしょうが,イランやスーダンは今でも旅行先としてそれなりの需要があり,出かけている人も多いだろうからです(特にイランは大手旅行会社からも商品が出ている).2011年以降にこれらの国に渡航歴がある人にはESTAが認証されないため,こうした人たちは事前に必要なビザを入手する必要があります.

 ESTAは基本的に身に覚えがなければ認証されるはずなんですが,どこでどう間違って(システムエラー含め)認証拒否なんてことになる可能性もゼロではないため,万一に備えて早めに申請することが推奨されています(万一拒否を喰らった場合,些細な理由でも異議申し立ては認められておらず,ビザの申請が必要になり結構時間がかかるため).

 で,今回3年ぶりにESTAの申請を,必要事項を入力し,質問にはすべて「いいえ」を選択して,支払い用のクレジットカード情報を入力して送信します.待つこと30秒くらい,結果は

 認証は保留されました ( ゚Д゚)

 ん,なんだ?これまではすべて速攻で承認だったのに… ちょっと不安がよぎります.まあトランプ政権になってより審査が厳しくなってるので,機械による処理とはいえ時間がかかるのかなと思い,数分後に再アクセスしたところ無事に承認されていました.

Photo_2

 これでアメリカ行きの飛行機に乗れることは確定いたしました (^.^).

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