2025年1月22日 (水)

合唱団が再開しました

Img_4484  日本にいた頃から合唱が趣味の我々です。当地に来てからは縁あって、Cantare Audire Choirという地元の合唱団に交ぜてもらっています。ただ昨年11月末に教会でクリスマスキャロル礼拝でミニコンサートを行ってからはクリスマス休暇に入っていました(当地は12月になると本当に休暇シーズンに入り人がいなくなる)。1月に入って休暇が明け、この日から練習が再開したというわけです。

 ここからしばらくは3月に行われるイースター礼拝のコンサート、5月に予定されているコンサートに向けての練習となります。やっぱり合唱っていいなと思いながら参加しているのでした。

| | コメント (0)

2024年12月25日 (水)

BCJのメサイアと怪獣酒場

 日本にやってきましたが、最初の数日は人間ドックや歯科検診、ワクチン接種等、自身の体のケアがメインとなります(検診系は万一異常が見つかった場合の対策が必要なため、極力帰国の初期に行うのが原則である)。とはいえ、全日そうしたイベントが詰まっているわけでもないので、その合間に何かコンサートに行きたいなと思っていました。自分が一番好きなジャンルはオペラですが、残念ながら12月22~25日に都内では新国立劇場、藤原歌劇団、二期会等オペラ上演はありません。ということで次は教会音楽関係、こちらは12月24日のクリスマスイブにBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のメサイアコンサートがサントリーホールで開催されます。これはぜひ行きたいと考えチケット入手していました。

Img_4357 Img_4362  所用を済ませた後地下鉄でサントリーホールへ、入場すると会場は華やかな雰囲気に包まれています。開演前に軽くワインを飲んで(笑)自分の気分を盛り上げます。で、客席に行こうとしたら入り口に張り紙がされていました。

Img_4361  曰く、「第2部のハレルヤコーラスでの起立や合唱はご遠慮ください」というもの。確かに昭和の頃は一部でこうした風習がありましたが、平成に入ってコンサートマナーが洗練されたこともあり、完全に過去のものになったと認識していました(というか、この張り紙を見るまでは自分も完全に忘れていた)。しかしこういう張り紙があるということは、遠くない過去(去年か一昨年か、少なくともここ数年以内に)こうした行為が実際に行われたということです。今の若い人はこの風習そのものを知らないと思うので、下手人は私と同年代かそれより上ということで間違いないでしょう(笑)。ただこの張り紙、英文も書かれていますが、こちらには感染上のリスクという語句が付いています。思うにハレルヤコーラスで起立・合唱する風習は海外のお客さんには理解できないため、感染リスク云々が追加されたのかと推察しました。実際に演奏が始まってからも、演奏そのものよりもハレルヤコーラスでこうした行為が行われるのかの方が気になってしまったというのは内緒です(笑)。

Img_4370  終演後の夕食は時間的にも遅くなったのと、この日は普通のレストランは混んでいるだろうと予想していたため、新橋の怪獣酒場に繰り出しました。その名から推察されるようにウルトラ怪獣をモチーフにした居酒屋です。予想通り12月24日にここに来る客は少なく空いていて、快適に飲み食いできました。

Img_4368 Img_4365

(写真左)店内の雰囲気、(写真右)バルタン星人の「白色破壊光線カルパッチョ~季節の白身魚」

| | コメント (0)

2024年12月 4日 (水)

コプト正教のクリスマスコンサート

Img_4325  昨夜は当地のエジプト大使館とコプト正教会主催によるクリスマスコンサートを鑑賞してきました。コプト正教会というのは5世紀のカルケドン公会議(いわゆる第4公会議)の際に分離した東方諸教会(非カルケドン教会とも呼ばれる)のひとつです。同じ時期に分離した教会としてアルメニア正教やシリア正教があります。コプト正教会は古代に五大総主教座とされたうちのひとつ、アレキサンドリア教会の流れをくむ非常に影響力の強い教会でした。5世紀以降エジプトを中心とした北アフリカ地域の重要な教会となりましたが、7世紀以降この地域がイスラム教に席捲された後も一定数の信者を維持しながら現在に至っています。これまでにこうした東方諸教会関係のコンサートに触れたことがなかったため楽しみにしていたのでした。

Img_4312 Img_4313  会場は市内中心部にある国立劇場、日本では国立劇場と言えば歌舞伎や文楽を上演する場所ですが、ナミビアの国立劇場はその名の通りの劇場です。今回初めて入ったのですが、建物の古さからかつての小田原市民会館を思い出しました。ロビーではエジプトのドリンクやフードのサービスがあります(たしかに開演6時なので夕食を食べてくる人は少ないだろうし、終わってからだと遅いしちょうどいいのかも)。ホール内は中央の指定席部分以外は自由席だったので、前の方に座りました。

Img_4319  開演は6時の予定でしたが、結局20分遅れくらいでスタートです。曲は西方教会の賛美歌もありましたが、曲調が中東風で歌詞はキリスト教という非常に興味深いコプト教の賛美歌も登場しました。一方でエジプト国民の歌も披露されました。こちらはやや政治的で、アラブ諸国の団結を願う歌詞の曲が目立ちました。とはいえ、こうした現代中東の政治的な雰囲気と、あくまでもイエス・キリストの隠喩とはいえ「イスラエルの王」という歌詞が登場する曲を同じ合唱団が歌うというのが感慨深いと感じました。

| | コメント (0)

2024年11月26日 (火)

クリスマスキャロル礼拝

 先日、11月24日の日曜日に市内にあるNederduitsch Hervormde Kerk Windhoek(NHKAと略すらしい)というアフリカーンスの教会で開催されたクリスマスキャロル礼拝に参加し、歌う機会がありました。

 ナミビアは第1次世界大戦前にはドイツ、その後は南アフリカによる支配を受けた歴史があり、宗教的にはキリスト教が盛んな国です。宗派的にはプロテスタントということになります。一方で言語的には南ア同様英語をメインとしながらも歴史的背景からいわゆるボーア人(オランダ系の移民)の言葉であるアフリカーンスも一定数話されています(その他一部ではドイツ語も)。今回参加した教会はこのアフリカーンスの教会ということになります。

Img_4290(写真1)アフリカーンスの教会

 教会の礼拝は毎週日曜日に行われていますが、この日はクリスマスキャロル礼拝と題して、クリスマス関係の歌がたくさん登場する礼拝だったわけです。本来この時期の教会歴ではまだ待降節にすら入っていないのですが、当地は12月になると休暇を取っていなくなる人が多数いるため、こうしたクリスマスイベントは早めに行われる傾向があります。

 今回は現在所属している合唱団Cantare Audire Choirの一員としての参加でした。合唱団の歌として演奏したのは2曲だけでしたが、そのほかにクリスマスの賛美歌も多数歌いました。「神の御子は今宵しも」、「きよしこの夜」、「荒れ野の果てに」といった日本でも定番の賛美歌なのでメロディー的には何の問題もないんですが、言葉がアフリカーンスのため発音に難儀しました(単語だけ見ると、ドイツ語のようにも見えるんですが発音が違うため大変)。とはいえ久しぶりの人前での演奏、感無量でした(そういえば最後の人前での演奏は小田原医師会合唱団が台湾の合唱団と共演した昨年6月以来だ)。

468422873_1048790990591534_3011196929763 468541125_1048791013924865_3985295327445(写真2、3)記念写真

 改めて合唱がやれる幸せを感じています(年内の活動はこれで一応終わりっぽい)。

| | コメント (0)

2024年11月20日 (水)

谷川俊太郎さんの訃報

 日本のニュースを見ていたら詩人の谷川俊太郎さんの訃報が流れていました。

 谷川さんの詩は独特の味があることで知られていました。合唱人としては、木下牧子さんが作曲した「地平線のかなたへ」も印象的ですが、やっぱり個人的には昭和時代のNHKみんなの歌で取り上げられた「誰も知らない」がピカイチです。私と同世代なら誰も知らないどころか、みんな知っている歌ですが、4番の歌詞がオリジナルでは「人食い土人」だったのが、諸般の事情()で「大きな象」に変更されたというのも有名な話です。

 谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

 そんな”誰も知らない”、youtubeにもいくつかアップされていますが、歌詞が修正される前のバージョンを見つけました。

| | コメント (0)

2024年9月29日 (日)

コンサートに行ってきました

461092540_1069819744499576_2113045157445  この土曜日、市内で開催されたコンサートに出かけてきました。

 これはWindhoek Männerchorという男声合唱団主催のコンサートで、これにLet's Sing Vocal Ensembleという合唱ユニットが共演する形のものです。日本にいた頃から合唱を趣味の一つとしていた私ですが、こちらではそうしたイベントが少ないため、このコンサートの存在を知った際に是非行ってみようと思った次第です。ちなみにMännerchorは日本ではメンネルコールと発音され、○△メンネルコールなど、この名前をを冠した合唱団は数多くあります(当たり前ですが全て男声合唱団)。

Img_3895  会場は市内南部のOlimpia地区と呼ばれるところ、普段週末に買い物に出かけるショッピングモールに近いところです。開演は19時ですが会場はその前から開いていて、併設のバーで飲食ができるようになっています。見るとビールやワインもあります。しまったタクシーで来るんだったと後悔した私でした(お酒は諦めてコカコーラにした 笑)。

Img_3896  時間になり開演、まずは主催者の挨拶から。主催合唱団Windhoek Männerchorは当地のドイツ系の人々がやっている団体のため、基本的にドイツ語です。今回はフルートとバイオリン、トランペットも参加していました。演奏曲目はドイツ民謡をはじめとしたドイツ語の曲が中心です(指揮者の方がアレンジした作品が多かった)。途中「みんなで歌おう」という企画があり、主としてドイツ民謡でしたが、知っている曲もあって良かったです。前半の締めに共演団体のLet's Sing Vocal Ensembleが参加して合同演奏、ビゼーのカルメンからいわゆる「ハバネラ」と呼ばれる部分を合唱に編曲したものでした。

Img_3897  休憩を挟んだ後半はLet's Sing Vocal Ensembleのステージ、ここは男女9名のユニットでイメージとしてはThe Swingle Singersを意識しているかもしれません。選曲はポップス系やナミビアの民族音楽など幅広い作品を扱っているようでした。最後は再び合同演奏で締められて終演となりました。コンサートというもの自体が久しぶりだったため新鮮な気分で家路につきました。

| | コメント (0)

2024年9月11日 (水)

合唱活動を再開しました

 実は縁があって先月下旬から当地の合唱団に加えていただきました。Cantare Audire Choirという当地のドイツ系コミュニティーの人たちが中心に活動している合唱団です。

 日本では学生時代からずっと合唱活動に取り組んでいた私ですが、さすがにアフリカの首都でも人口が30万人くらいしかいないような土地で合唱活動なんてあるのかと思っていたんですが、当地は過去にドイツの植民地だった関係でドイツ系の住民が多いこと、ルター派の教会があることなどから他のアフリカ諸国に比べれば、合唱の下地はあるようです。この合唱団の存在を知ったのは昨年12月で、ちょうどクリスマスコンサートを開いていて、ナミビアにも合唱団があるんだなと思っていました。そして先日合唱団のfacebookにて新入団員募集のお知らせを見て申し込んだという流れです。

Img_0057_20240921151801 Img_0058_20240921151801  練習は週1回、日本の一般合唱団と同じです。現在は今年のクリスマスコンサートに向けて練習しています。曲目はヴェルディの聖歌四編からAve Maria、ブラームスの宗教的歌曲作品30など、特にヴェルディのAve Mariaは謎の音階と呼ばれる不思議なモティーフが特徴の曲です。昔から知っていて興味深い曲ですが、この年になるまでやったことがなかったという作品です。思いがけず取り組めることになりとても楽しみです。

 結論として、合唱っていいなと改めて感じています。

| | コメント (0)

2024年6月20日 (木)

ドイツ旅行⑥

 さて、6月10日ついにドイツ旅行最終日となりました。当初この日はエルベ川のクルーズ船に乗ろうかと計画していたのですが、前夜オペラの終演が結構遅く(夜10時過ぎ)、そのあとで夕食をのんびり摂ったことで就寝時間も日付を超えていたため朝はのんびりしたい気分になったことから取りやめて、旧市街散策と買い物に充てることにしました。

 遅めの朝食からホテルをチェックアウト、荷物はそのままフロントに預けてさっそく出かけます。この日も晴天で、結局今回の旅行中雨に祟られることはありませんでした(日頃の行いがよいからだとほくそ笑む)。まず向かったのは旧市街で今回まだ行っていないツヴィンガー宮殿です。ここは元々15世紀に当時のドレスデンの市域を拡張する際に作られた土地で、当初は庭園しかなかったところですが、18世紀のアウグスト強王の時代に宮殿が建てられたものです。現在建物内部は博物館になっており、アルテ・マイスター絵画館や数学・物理博物館などが入っています。ホテルから至近なので歩いて行ったのですが、有名な観光地なのに人がほとんどいません。なんでだろうと思って入ったら、

 なんと!月曜日は休館日でした(T_T)

Img_2914 Img_2924(左写真1)ツヴィンガー宮殿入り口、人がいません、(右同2)絶賛工事中

 仕方ないので庭園を眺めるかと思ったら、こちらの方も今絶賛工事中でした。こりゃ人がいないわけだと妙に納得した次第ですが、それでも城壁やなどの鑑賞ポイントをほとんど人がいない空間で堪能できました(地元の小学校の遠足っぽい子供たちはいた)。

Img_2929(写真3)噴水がきれいです

 そんなツヴィンガー宮殿を後にして次に向かったのが初日にも見学した聖母教会です。その日は外観と内部を見学しただけでしたが、実はここドームの上に登ることができるのです。通常の入り口とは違うところから入れるようになっていて、そこから登ります。通常入り口は無料ですが、こちらは入場料として10ユーロ必要です。日本の観光地の感覚だと1000円以上も払うならドームの上までエレベーターか何かで連れて行ってくれそうですが、ドイツはそんなに甘くありません(笑)。階段とスロープをひたすら自分の足で登ります。さすがに日本の城郭のような急階段ではありませんが、日頃の運動不足がたたり結構大変でした。とはいえドームの上からの眺めは素晴らしいの一言です。ドレスデンの旧市街は教会以外に高い建物がないため、市街地を一望できます。先ほど行ったツヴィンガー宮殿やエルベ川、さらには郊外の火力発電所までよく見えました。

Img_2947 Img_2949 Img_2953 Img_2956(左上写真4)聖母教会のドームに登ります、(右上同5)上から見たエルベ川、(左下同6)旧市街、(右下同7)奥に火力発電所が見えます

 ドールを降りた後は昼食タイム、この日は昨夜宿泊ホテル内のレストランで軽食(とアルコール)を頂きます。そして午後は買い物メイン、市内のアジア食材店に行きウィントフックでは入手困難な食材、さらには職場へのお土産のために当地老舗のカフェでバウムクーヘンを購入したりして過ごしました。

 夕方になりそろそろ空港に向かう時間、当初はトラムと電車を乗り継いでいくつもりでしたが、結構くたびれていたためタクシーを呼んでもらうことにしました。さすがタクシーだとあっという間で空港に着いたときはまだ搭乗手続きが始まっていませんでした(笑)。

 しばし待ってほぼ一番乗りで手続き、搭乗券を受け取ります。ここではドレスデンからフランクフルトまでとフランクフルトからウィントフックまでの2枚の券を渡されました。

 が… よく見るとフランクフルト発の搭乗時刻が明朝になっています。どうやら恒例の遅延が確定した模様、「はぁ~」となる瞬間でした。ウソであってほしいと願いましたが、フランクフルトに到着して案内板をみるとやっぱり遅延です。そのまま航空会社のカウンターに向かい、ホテルのクーポンを貰ってこの日も宿泊となったのでした。昨年11月の遅延の際は空港からすぐそばのホテルでしたが、この日は格安航空券だからなのか、結構遠いホテルでした(しかもレストランも無い 泣)。付近に店もないのでこの日は荷物内にあったスナックを食べてさっさと寝ることにしたのでした(翌朝は早いし)。

Img_2972 Img_2973(左写真8)遅延確定、(右同9)フランクフルト空港

 かくして6月11日早朝にフランクフルトを出発、同日夕方にウィントフックに戻ったのでした。遅延については通常なら夜行便でエコノミークラスの狭い座席で眠らなければならなかったところをホテルに宿泊、昼行便になったため無理に寝なくてよくなったのでラッキー!と思うことにしました(思考がポジティブなのは自分の長所)。こうして2024年の海外旅行が終わりましたとさ。

| | コメント (0)

2024年6月19日 (水)

ドイツ旅行⑤

 今回の旅行のメインイベントのひとつが終わり、6月9日になりました。ドイツ旅行もあと少しでおしまいです(泣)。この日の午前中は引き続きライプツィヒを観光し、午後から再びドレスデンに移動、ゼンパーオーパー(ドレスデン国立歌劇場)で夜に開催されるモーツァルトの魔笛を鑑賞する流れとなります。

Img_2892(写真1)バッハ博物館

 朝食後ホテルをチェックアウト、荷物は引き続き預かってもらい観光に繰り出します。まず向かう先はトーマス教会となりにあるバッハ博物館、ここは絶対に外せないポイントです。昨日のメンデルスゾーン博物館ですら2時間くらい軽く費やしたので、バッハとくればその気になれば一日過ごせそうな気がします。黄色い外観がなんとなくザルツブルクのモーツァルトの生家に似てるなと感じました。この建物は当時バッハと親交の深かった商人ボーゼの家だったそうです。入り口でチケットを購入して早速見学開始、順路に沿って進んでいきます。最初はバッハ一族の家系図から始まり、バッハが実際に弾いたとされるオルガンや当時の楽器などが展示されています(楽器は手前のスイッチを押すとその音が聞けるようになっている)。その後はバッハ作品の鑑賞コーナー、オルガン作品やカンタータなどたくさんの曲が聴けるようになっています。ここだけでも一日費やせること請け合いですが、さすがにそこまではできないのでロ短調ミサ曲のOsannaの原曲である世俗カンタータ「祝されしザクセン」BWV215をじっくり鑑賞しました。順路に従って進んでいくと最後に到着するのがバッハの自筆譜などが展示された部屋となります。さすがに自筆譜を見ると感動します。結局お昼まで博物館を堪能したのでした。

Img_2903 Img_2902(左写真2)マルクト広場、(右同3)特設ステージ

 その後はマルクト広場に移動、ここで日本から合唱団で参加している大学時代の友人と待ち合わせて昼食となりました(広場には特設ステージが用意されていて、この時午後に演奏するらしい団体が練習していた)。ビールとドイツ風の食事で旧交を温めたのでした。

 その後は一旦ホテルに戻って荷物を引き出し、中央駅に向かいます。この後の特急列車でドレスデンに向かいます。この時先にランチをした友人も一緒だったんですが、駅に改札が無いことに驚いていました(ドイツやオーストリアの鉄道には基本改札は無い)。まもなく電車がやって来て載り乗り込んだんですが、なんと遅延が発生しているとのこと。今更仕方ないので車内で待つことにします。結局1時間ほど遅れて電車は出発しました。

Img_2906 Img_2907(左写真4)ライプツィヒ中央駅、(右同5)特急車内

 ドイツ国鉄の誇る国際特急といえば時速300キロで走ることで有名ですが、ライプツィヒードレスデンは路線的には末端部分に当たるためか、そんなスピードは出ずせいぜい130キロくらい、日本で言えば山形新幹線みたいなイメージです。電車はのどかな田園地帯をひた走りました。途中の停車駅は1カ所のみなので約1時間でドレスデンに到着です(この日は日曜日なので中央駅までは行かず、その手前の新市街駅が終点でした(私は密かに新ドレスデン駅と呼んでいます)。下車して構内を歩いていたら盛岡の合唱団の代表ご家族と遭遇、こちらは日中の演奏会を鑑賞して今ライプツィヒに戻るところらしかったです。偶然に驚きながらも我々はトラムで旧市街に向かいます(乗り換え無しで行けるのが嬉しい)。下車後は友人と別れてこの日宿泊のヒルトンホテルに入ります。今回に限らず旅行最後に一番いいホテルに泊まるパターンが多い気がするんですが、今回は終演が遅いため、劇場に近いホテルを探したところここになったというのが正解です。

Pxl_20240609_163006000(写真6)歌劇場前

 準備をしていよいよゼンパーオーパーに向かいます(ウチのKは気合いを入れて和装していた)。行ってみるとすでに開場していて多くのお客さんが来ています。見るとやっぱり着飾った人が多い印象でした。内部は壁や天井にも様々な装飾が施されていて見事です。お上りさん状態であちこちを見渡していると首が痛くなりそうでした(笑)。

Pxl_20240609_182940284 Pxl_20240609_165432318(写真7,8)劇場内

 そして午後7時に開演、あの有名な序曲が始まります。「ジャッジャーン♪、ジャッジャーン♪」、生オペラは昨年4月の新国立の「アイーダ」以来、こうした芸術とは無縁な生活をしているだけに感動もひとしおでした。ついでに思ったのがこの劇場、オケピットが浅くて指揮者の上半身がほぼ見えていること、ここで初期作品を初演したワーグナーが後にオケピットが完全に隠れるバイロイト祝祭劇場を造らせたのは案外ここら辺にも理由があったりしてと思ったのでした。

Pxl_20240609_200529711(写真9)ライトアップされたゼンパーオーパー

 終演後は劇場向かいにあるレストランで遅い夕食です(幕間に軽食を摂ってはいましたが)。メニューに生牡蠣を見つけて普段ナミビアで散々食ってるくせに注文してしまったというのは内緒です。それにしてもオペラって最高だなと再確認した夜でした。

Pxl_20240609_204205635 Pxl_20240609_204220195(写真10、11)この日の夕食

| | コメント (0)

2024年6月18日 (火)

ドイツ旅行④

 明けて6月8日、ライプツィヒ2日目となりました。この日はお昼12時から盛岡バッハ・カンタータ・フェラインを中心とする日本の仲間たちが出演する演奏会があります。それまでは自由と言うことで、午前中は市内観光に出かけることにします。ライプツィヒといえばバッハの存在感が絶大なんですが、それ以外にもワーグナーやメンデルスゾーン、シューマンなんかの関連施設もあります。この日は演奏会の会場(ライプツィヒ大学教会)にほど近い、メンデルスゾーン博物館に出かけました。

Img_2845 Img_2855(左写真1)メンデルスゾーン博物館、(右同2)メンデルスゾーンのパネル(たぶん等身大)

 ここはメンデルスゾーンが晩年を過ごした家、とはいっても彼は38歳で亡くなっているため、30代後半を過ごした家となっています。行ってみるとなんかこじんまりとした施設で、これなら1時間くらいで見学できるかななどと考えながら中に入ります。内部はメンデルスゾーンの生涯などいろいろな展示物がありましたが、例によって日本語のオーディオガイドもあってこれは案外時間がかかるかもと思いました。いろいろと見応えがありましたが、中でも面白いのが自分で指揮棒を振って音楽を奏でるコーナー、指揮台と面するようにスーピーカーが10台くらいあって、自分の指揮に併せてテンポ等が変わります。スピーカーは曲によって楽器になったり声楽になったりするようです。この日はウチのKがメンデルスゾーンの宗教曲に挑戦していました。

Img_2850 Img_2848(左写真3)当時コンサートが開かれたサロン、(右同4)指揮して遊べるコーナー(笑)

 そんな感じで意外と見学に時間がかかり(笑)、コンサートの時間が迫ってきました。そろそろ会場に移動します。今回のコンサートが行われるのはライプツィヒ大学教会です。ここは1240年創立で、15世紀にライプツィヒ大学が設立されるとその一部となった由緒ある教会です。第二次世界大戦後旧東ドイツ時代に政治的な理由で解体されてしまいましたが、ドイツ統一後再建されたものです。訪問時まだ外観の工事が行われていましたが、内部は完成しており洗練された白い礼拝堂はとても美しいものでした。

Img_2859(写真5)外観は工事中の大学教会

 中に入ると客席は満員の盛況、ここもトーマス教会同様演奏者は基本、客席からは見えない構造になっています。時間になり演奏が始まりました。演奏曲目はカンタータ10番、177番、93番の3曲、指揮はクレメンス・フレーミヒ(私の世代には著名なマルティン・フレーミヒの孫らしい)、オケはパウリナー・バロック・アンサンブル(ここ大学教会をメインに活動しているオケらしい)、そして合唱団が盛岡バッハ・カンタータ・フェラインです(実際には仙台、山形、東京からの参加者もいるので東日本と紹介されていた)。開始と同時に優しい演奏が始まり、「ああ、これだ」と懐かしい気持ちになります。本当に素晴らしい演奏で終演後は客席みんな総立ちで演奏者を称えていました(客席からはほぼ見えないのですが)。

Img_2861 Img_2868(左写真6)会場に入ります、(右同7)大学教会内部

 終演後は合唱団の解団式があって、一応ゆかりの人間として参加させていただきました。見るとみんなおそろいのTシャツを着ています。聞くとこれが今回の公式Tシャツとのことでした。ブッフェスタイルの食事とビールを飲みながら懐かしいメンバーと交流を持つことができ嬉しい瞬間でした。

Img_2887(写真8)夕食のラーメン

 解団式後は周辺を散策しつつホテルに戻り、その後夕食に繰り出したのでした(この日は中央駅近くのTAKUMIというラーメン屋さん、ドイツまで来ないとラーメンが食べられない人間はやはりこうなります)。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧