2024年6月20日 (木)

ドイツ旅行⑥

 さて、6月10日ついにドイツ旅行最終日となりました。当初この日はエルベ川のクルーズ船に乗ろうかと計画していたのですが、前夜オペラの終演が結構遅く(夜10時過ぎ)、そのあとで夕食をのんびり摂ったことで就寝時間も日付を超えていたため朝はのんびりしたい気分になったことから取りやめて、旧市街散策と買い物に充てることにしました。

 遅めの朝食からホテルをチェックアウト、荷物はそのままフロントに預けてさっそく出かけます。この日も晴天で、結局今回の旅行中雨に祟られることはありませんでした(日頃の行いがよいからだとほくそ笑む)。まず向かったのは旧市街で今回まだ行っていないツヴィンガー宮殿です。ここは元々15世紀に当時のドレスデンの市域を拡張する際に作られた土地で、当初は庭園しかなかったところですが、18世紀のアウグスト強王の時代に宮殿が建てられたものです。現在建物内部は博物館になっており、アルテ・マイスター絵画館や数学・物理博物館などが入っています。ホテルから至近なので歩いて行ったのですが、有名な観光地なのに人がほとんどいません。なんでだろうと思って入ったら、

 なんと!月曜日は休館日でした(T_T)

Img_2914 Img_2924(左写真1)ツヴィンガー宮殿入り口、人がいません、(右同2)絶賛工事中

 仕方ないので庭園を眺めるかと思ったら、こちらの方も今絶賛工事中でした。こりゃ人がいないわけだと妙に納得した次第ですが、それでも城壁やなどの鑑賞ポイントをほとんど人がいない空間で堪能できました(地元の小学校の遠足っぽい子供たちはいた)。

Img_2929(写真3)噴水がきれいです

 そんなツヴィンガー宮殿を後にして次に向かったのが初日にも見学した聖母教会です。その日は外観と内部を見学しただけでしたが、実はここドームの上に登ることができるのです。通常の入り口とは違うところから入れるようになっていて、そこから登ります。通常入り口は無料ですが、こちらは入場料として10ユーロ必要です。日本の観光地の感覚だと1000円以上も払うならドームの上までエレベーターか何かで連れて行ってくれそうですが、ドイツはそんなに甘くありません(笑)。階段とスロープをひたすら自分の足で登ります。さすがに日本の城郭のような急階段ではありませんが、日頃の運動不足がたたり結構大変でした。とはいえドームの上からの眺めは素晴らしいの一言です。ドレスデンの旧市街は教会以外に高い建物がないため、市街地を一望できます。先ほど行ったツヴィンガー宮殿やエルベ川、さらには郊外の火力発電所までよく見えました。

Img_2947 Img_2949 Img_2953 Img_2956(左上写真4)聖母教会のドームに登ります、(右上同5)上から見たエルベ川、(左下同6)旧市街、(右下同7)奥に火力発電所が見えます

 ドールを降りた後は昼食タイム、この日は昨夜宿泊ホテル内のレストランで軽食(とアルコール)を頂きます。そして午後は買い物メイン、市内のアジア食材店に行きウィントフックでは入手困難な食材、さらには職場へのお土産のために当地老舗のカフェでバウムクーヘンを購入したりして過ごしました。

 夕方になりそろそろ空港に向かう時間、当初はトラムと電車を乗り継いでいくつもりでしたが、結構くたびれていたためタクシーを呼んでもらうことにしました。さすがタクシーだとあっという間で空港に着いたときはまだ搭乗手続きが始まっていませんでした(笑)。

 しばし待ってほぼ一番乗りで手続き、搭乗券を受け取ります。ここではドレスデンからフランクフルトまでとフランクフルトからウィントフックまでの2枚の券を渡されました。

 が… よく見るとフランクフルト発の搭乗時刻が明朝になっています。どうやら恒例の遅延が確定した模様、「はぁ~」となる瞬間でした。ウソであってほしいと願いましたが、フランクフルトに到着して案内板をみるとやっぱり遅延です。そのまま航空会社のカウンターに向かい、ホテルのクーポンを貰ってこの日も宿泊となったのでした。昨年11月の遅延の際は空港からすぐそばのホテルでしたが、この日は格安航空券だからなのか、結構遠いホテルでした(しかもレストランも無い 泣)。付近に店もないのでこの日は荷物内にあったスナックを食べてさっさと寝ることにしたのでした(翌朝は早いし)。

Img_2972 Img_2973(左写真8)遅延確定、(右同9)フランクフルト空港

 かくして6月11日早朝にフランクフルトを出発、同日夕方にウィントフックに戻ったのでした。遅延については通常なら夜行便でエコノミークラスの狭い座席で眠らなければならなかったところをホテルに宿泊、昼行便になったため無理に寝なくてよくなったのでラッキー!と思うことにしました(思考がポジティブなのは自分の長所)。こうして2024年の海外旅行が終わりましたとさ。

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2024年6月19日 (水)

ドイツ旅行⑤

 今回の旅行のメインイベントのひとつが終わり、6月9日になりました。ドイツ旅行もあと少しでおしまいです(泣)。この日の午前中は引き続きライプツィヒを観光し、午後から再びドレスデンに移動、ゼンパーオーパー(ドレスデン国立歌劇場)で夜に開催されるモーツァルトの魔笛を鑑賞する流れとなります。

Img_2892(写真1)バッハ博物館

 朝食後ホテルをチェックアウト、荷物は引き続き預かってもらい観光に繰り出します。まず向かう先はトーマス教会となりにあるバッハ博物館、ここは絶対に外せないポイントです。昨日のメンデルスゾーン博物館ですら2時間くらい軽く費やしたので、バッハとくればその気になれば一日過ごせそうな気がします。黄色い外観がなんとなくザルツブルクのモーツァルトの生家に似てるなと感じました。この建物は当時バッハと親交の深かった商人ボーゼの家だったそうです。入り口でチケットを購入して早速見学開始、順路に沿って進んでいきます。最初はバッハ一族の家系図から始まり、バッハが実際に弾いたとされるオルガンや当時の楽器などが展示されています(楽器は手前のスイッチを押すとその音が聞けるようになっている)。その後はバッハ作品の鑑賞コーナー、オルガン作品やカンタータなどたくさんの曲が聴けるようになっています。ここだけでも一日費やせること請け合いですが、さすがにそこまではできないのでロ短調ミサ曲のOsannaの原曲である世俗カンタータ「祝されしザクセン」BWV215をじっくり鑑賞しました。順路に従って進んでいくと最後に到着するのがバッハの自筆譜などが展示された部屋となります。さすがに自筆譜を見ると感動します。結局お昼まで博物館を堪能したのでした。

Img_2903 Img_2902(左写真2)マルクト広場、(右同3)特設ステージ

 その後はマルクト広場に移動、ここで日本から合唱団で参加している大学時代の友人と待ち合わせて昼食となりました(広場には特設ステージが用意されていて、この時午後に演奏するらしい団体が練習していた)。ビールとドイツ風の食事で旧交を温めたのでした。

 その後は一旦ホテルに戻って荷物を引き出し、中央駅に向かいます。この後の特急列車でドレスデンに向かいます。この時先にランチをした友人も一緒だったんですが、駅に改札が無いことに驚いていました(ドイツやオーストリアの鉄道には基本改札は無い)。まもなく電車がやって来て載り乗り込んだんですが、なんと遅延が発生しているとのこと。今更仕方ないので車内で待つことにします。結局1時間ほど遅れて電車は出発しました。

Img_2906 Img_2907(左写真4)ライプツィヒ中央駅、(右同5)特急車内

 ドイツ国鉄の誇る国際特急といえば時速300キロで走ることで有名ですが、ライプツィヒードレスデンは路線的には末端部分に当たるためか、そんなスピードは出ずせいぜい130キロくらい、日本で言えば山形新幹線みたいなイメージです。電車はのどかな田園地帯をひた走りました。途中の停車駅は1カ所のみなので約1時間でドレスデンに到着です(この日は日曜日なので中央駅までは行かず、その手前の新市街駅が終点でした(私は密かに新ドレスデン駅と呼んでいます)。下車して構内を歩いていたら盛岡の合唱団の代表ご家族と遭遇、こちらは日中の演奏会を鑑賞して今ライプツィヒに戻るところらしかったです。偶然に驚きながらも我々はトラムで旧市街に向かいます(乗り換え無しで行けるのが嬉しい)。下車後は友人と別れてこの日宿泊のヒルトンホテルに入ります。今回に限らず旅行最後に一番いいホテルに泊まるパターンが多い気がするんですが、今回は終演が遅いため、劇場に近いホテルを探したところここになったというのが正解です。

Pxl_20240609_163006000(写真6)歌劇場前

 準備をしていよいよゼンパーオーパーに向かいます(ウチのKは気合いを入れて和装していた)。行ってみるとすでに開場していて多くのお客さんが来ています。見るとやっぱり着飾った人が多い印象でした。内部は壁や天井にも様々な装飾が施されていて見事です。お上りさん状態であちこちを見渡していると首が痛くなりそうでした(笑)。

Pxl_20240609_182940284 Pxl_20240609_165432318(写真7,8)劇場内

 そして午後7時に開演、あの有名な序曲が始まります。「ジャッジャーン♪、ジャッジャーン♪」、生オペラは昨年4月の新国立の「アイーダ」以来、こうした芸術とは無縁な生活をしているだけに感動もひとしおでした。ついでに思ったのがこの劇場、オケピットが浅くて指揮者の上半身がほぼ見えていること、ここで初期作品を初演したワーグナーが後にオケピットが完全に隠れるバイロイト祝祭劇場を造らせたのは案外ここら辺にも理由があったりしてと思ったのでした。

Pxl_20240609_200529711(写真9)ライトアップされたゼンパーオーパー

 終演後は劇場向かいにあるレストランで遅い夕食です(幕間に軽食を摂ってはいましたが)。メニューに生牡蠣を見つけて普段ナミビアで散々食ってるくせに注文してしまったというのは内緒です。それにしてもオペラって最高だなと再確認した夜でした。

Pxl_20240609_204205635 Pxl_20240609_204220195(写真10、11)この日の夕食

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2024年6月18日 (火)

ドイツ旅行④

 明けて6月8日、ライプツィヒ2日目となりました。この日はお昼12時から盛岡バッハ・カンタータ・フェラインを中心とする日本の仲間たちが出演する演奏会があります。それまでは自由と言うことで、午前中は市内観光に出かけることにします。ライプツィヒといえばバッハの存在感が絶大なんですが、それ以外にもワーグナーやメンデルスゾーン、シューマンなんかの関連施設もあります。この日は演奏会の会場(ライプツィヒ大学教会)にほど近い、メンデルスゾーン博物館に出かけました。

Img_2845 Img_2855(左写真1)メンデルスゾーン博物館、(右同2)メンデルスゾーンのパネル(たぶん等身大)

 ここはメンデルスゾーンが晩年を過ごした家、とはいっても彼は38歳で亡くなっているため、30代後半を過ごした家となっています。行ってみるとなんかこじんまりとした施設で、これなら1時間くらいで見学できるかななどと考えながら中に入ります。内部はメンデルスゾーンの生涯などいろいろな展示物がありましたが、例によって日本語のオーディオガイドもあってこれは案外時間がかかるかもと思いました。いろいろと見応えがありましたが、中でも面白いのが自分で指揮棒を振って音楽を奏でるコーナー、指揮台と面するようにスーピーカーが10台くらいあって、自分の指揮に併せてテンポ等が変わります。スピーカーは曲によって楽器になったり声楽になったりするようです。この日はウチのKがメンデルスゾーンの宗教曲に挑戦していました。

Img_2850 Img_2848(左写真3)当時コンサートが開かれたサロン、(右同4)指揮して遊べるコーナー(笑)

 そんな感じで意外と見学に時間がかかり(笑)、コンサートの時間が迫ってきました。そろそろ会場に移動します。今回のコンサートが行われるのはライプツィヒ大学教会です。ここは1240年創立で、15世紀にライプツィヒ大学が設立されるとその一部となった由緒ある教会です。第二次世界大戦後旧東ドイツ時代に政治的な理由で解体されてしまいましたが、ドイツ統一後再建されたものです。訪問時まだ外観の工事が行われていましたが、内部は完成しており洗練された白い礼拝堂はとても美しいものでした。

Img_2859(写真5)外観は工事中の大学教会

 中に入ると客席は満員の盛況、ここもトーマス教会同様演奏者は基本、客席からは見えない構造になっています。時間になり演奏が始まりました。演奏曲目はカンタータ10番、177番、93番の3曲、指揮はクレメンス・フレーミヒ(私の世代には著名なマルティン・フレーミヒの孫らしい)、オケはパウリナー・バロック・アンサンブル(ここ大学教会をメインに活動しているオケらしい)、そして合唱団が盛岡バッハ・カンタータ・フェラインです(実際には仙台、山形、東京からの参加者もいるので東日本と紹介されていた)。開始と同時に優しい演奏が始まり、「ああ、これだ」と懐かしい気持ちになります。本当に素晴らしい演奏で終演後は客席みんな総立ちで演奏者を称えていました(客席からはほぼ見えないのですが)。

Img_2861 Img_2868(左写真6)会場に入ります、(右同7)大学教会内部

 終演後は合唱団の解団式があって、一応ゆかりの人間として参加させていただきました。見るとみんなおそろいのTシャツを着ています。聞くとこれが今回の公式Tシャツとのことでした。ブッフェスタイルの食事とビールを飲みながら懐かしいメンバーと交流を持つことができ嬉しい瞬間でした。

Img_2887(写真8)夕食のラーメン

 解団式後は周辺を散策しつつホテルに戻り、その後夕食に繰り出したのでした(この日は中央駅近くのTAKUMIというラーメン屋さん、ドイツまで来ないとラーメンが食べられない人間はやはりこうなります)。

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2024年6月15日 (土)

ドイツ旅行③

 一夜明け6月7日になりました。この日は基本的にドレスデンからライプツィヒに移動する日程になります。朝起きて朝食を食べてから荷物をまとめてチェックアウト、そのまま中央駅やや西側にあるBusparkplatz Ammonstraßeという場所に向かいます。ここはBusparkと付くようにバスターミナルのようなところです。そう、この日の移動は高速バスなのでした。ただ日本のバスターミナルと違ってコンビニなどの入った建物や掲示板などは全くなく、放送も無いので自分が乗るバスは自分で探さなければなりません。バスがやってくるたびに番号を確認するのですが、うっかり間違えるととんでもないところに連れて行かれる可能性があるので注意が必要です。それでも大体時間通りに我々の乗る番号が掲示されたバスがやってきて無事に乗り込んだのでした。

Img_2798(写真1)ドレスデンのバスターミナル

 係員が車内確認(おそらく予定された人間が乗っているか)の後出発、しばらく市街地を走った後高速道路に入ります。ドイツの高速道路と言えば、アウトバーンの名前と共に法定最高速度が無いことで知られています(実際には制限速度が設けられている区間もあるらしい)。片側2~3車線の快適な道路をバスは快調に飛ばしていきます…

Img_2801(写真2)渋滞…

 が、ライプツィヒまで3分の1ほど行った先で急に渋滞が発生してしまいました(泣)。Googleマップで調べると、この先10キロくらい渋滞しています。その先はスムーズなようなのでおそらくは事故渋滞なんだろうと想像しました。当初1時間半で着くはずでしたが、この渋滞で結局3時間近くかかってしまい、ライプツィヒ中央駅に着いたのはお昼過ぎでした。

 駅前のバス停からこの日宿泊のホテルに向かいます。今回はなるべく中央駅に近い場所をというわけで、駅西口目の前にあるBest Westernという中級ホテルになりました。まだチェックインには早いかなと思ったのですが、もう部屋を使っていいということで中に入ります。荷物を置いて少し休んだ後は昼食を兼ねて中央駅に繰り出しました。ライプツィヒ中央駅はホームが10以上あるドイツ有数のターミナル駅です。1990年代のドイツ統一後再開発が進み、今は駅構内にたくさんの店舗が入ったショッピングエリアにもなっています。当然レストランもたくさんあって悩むんですが、結局イタリアンの店になりました(パスタとワインをいただいた)。食事後も駅構内を散策したんですが、あちこちにバッハの愉快な像が建っています。さすがバッハ音楽祭と感心したのでした。

Img_2810 Img_2805(写真3,4)愉快なバッハ像

 その後は一旦ホテルに戻ったあと、トラム(路面電車)を利用してトーマス教会へ、バッハ音楽祭はこの日が開幕で我々はオープニングコンサートのチケットを取っていたからです。トーマス教会はバッハが人世の後半を過ごした教会で、今に残る著名な教会音楽作品の多くがこのライプツィヒ時代に作曲されました。まさにバッハの聖地という感じで、普段から大勢の観光客がやってくるんですが、この日は音楽祭ということでいつも以上に賑わっていました。

Img_2829(写真5)トーマス教会

 開演30分くらい前に教会に入場、ここにはかつて2013年に演奏旅行で来たことがあります。普通のコンサートだと入り口の奥にステージが設けられてそこで演奏というパターンが多いんですが、トーマス教会は聖歌隊や器楽の席は上の階に設置され、地上階の聴衆からはその姿が見えないという特徴があります。これによって独特の響きができあがることになります。

Img_2819 Img_2822(左写真6)チケット、(右同7)教会内部

 時間になってコンサートの開始、この日のプログラムは前半はバッハのオルガン作品や独唱カンタータ、後半はベルクのヴァイオリン協奏曲とメンデルスゾーンの詩篇42編(ラテン語だとSicut cervus desiderat)が演奏されました。バッハ音楽祭のオープニングにメンデルスゾーン?という向きもあるかもしれませんが、メンデルスゾーンはバッハを再発見した人物であるのに加え、バッハの教会音楽に大きな影響を受けた作曲家なのです。途中休憩も無くコンサートは終了、ナミビアに移ってからこういうイベントとは無縁の生活を送っていただけに感慨もひとしおでした。

 終演後はまだ外が明るかったこともあり徒歩でホテルに移動、一休みした後夕食に繰り出したのでした。

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2024年6月13日 (木)

ドイツ旅行②

 LCCの狭い機内でなんとか頑張って眠り、6月6日朝無事にフランクフルトの空港に着陸しました。やや眠い目をこすりながらターミナル内に入ります。まずは近くの電光板で乗り継ぎ便のチェックをします。ドレスデン行きの便は時間変更も無く予定通りのようでした。今回の旅行の目的地はドイツなので、そのまま入国審査に向かいます。特に問題は無く通過し、そのまま乗り継ぎ便のターミナルへ。乗り継ぎ時間は約2時間なのでラウンジ利用も無くそのままゲートに向かいます。ここで待っていたら係員がやって来て、キャリーケース持参の乗客になにやら説明しています。どうやら飛行機が小さくてキャリーケースは座席の収納スペースに入れられないこと。貨物室に預かるのでこのタグを付けてくれということのようです。幸い我々は普通のバックパックなので大丈夫でしたが、確かに乗り継ぎ便のパターンによってはありうる話だと思ったのでした(日本でも離島便とかはそんな感じ)。

Img_2723(写真1)ドレスデン行きの飛行機

 さて時間になり搭乗が始まりますが、この便はボーディングブリッジではなくバスで駐機場まで連れて行かれるパターンでした。向かった先には予想通り小さい飛行機が停まっています(1列4人シート)。そういえば今回の旅行では預けられるスーツケースが1人1個でした。3月に日本に帰った際は1人2個だったのでこの違いはなんだろうと思ってたのですが、思うに飛行機の小ささに関係するようです。

Img_2726(写真2)ドイツの森

 全員乗り込んだところで機体は動き始めやがて離陸します。ドレスデンまでは約1時間のフライトです。窓から外を見ると青々とした緑の大地が広がっています。普段赤茶けたナミビアの地を見慣れているものにとっては感慨深いものがありました。短い国内線ということで食事の提供は無く、飲み物も小型のミネラルウォーターのみ、あっという間にドレスデン空港に着陸の時間となりました。

 ドレスデン空港は非常にこじんまりとした空港です。飛行機の発着も少なそうで、この時間帯他の便の姿は見えませんでした。ここもボーディングブリッジではなくバスでターミナルに向かう流れです。あまり人気の無いターミナル内を歩き荷物を受け取るターンテーブルに着きます。幸いロストバゲージになることも無く荷物と合流、そのまま階下に降りて電車のホームに出ました。ドレスデン空港から市内へは電車が便利だからです。とはいえ空港の閑散具合~想像できるように、電車も30~60分に1本なので下手すれば1時間近く待たされることもあります。ただこの日はすぐに電車が来たためほとんど待つこと無く乗ることができました(ドイツの電車は改札がないためぼーっとしていると無賃乗車をしてしまう危険がある。乗車前にホームにある自販機で切符を購入し、時刻を刻印しなければならない)。

 空港から市内へは20分ほどです。途中でエルベ川を渡るところがあって畔の教会なんかがバーンと見える箇所があり感動しました(パリ地下鉄6号線のセーヌ川を渡ってエッフェル塔がバーンと見える場所と同じ種類の感動)。ドレスデン中央駅に着いた後はまずこの日宿泊のホテルに向かいます。荷物だけ預ける予定だったんですが、もう部屋を使っても良いとのことで部屋に入ります。荷物を置いた後しばし寛ぐことができました。

 この段階でほぼお昼だったので、まずは昼食です。この日はホテル目の前にあるラーメン屋さん"Ramen 1974"というお店に入りました(1974年創業なんだろうか)。ドイツまで来てラーメン?と思われる向きもあるかもしれませんが、ドイツまで来ないとラーメンが食べられない環境に我々は住んでいるわけです。味噌ラーメンと餃子、そしてサッポロビールを注文しました(即席麺以外のラーメンは2ヶ月ぶり)。

Img_2734 Img_2730(左写真3)味噌ラーメン、(右同4)メニュー

 食事後は市電に乗って旧市街の中心に繰り出します。まず向かうのはエルベ川畔に建つドレスデン城。ドイツは正式名称がドイツ連邦共和国というように、その成り立ちから多くの国の連合体と呼べる国家で、今で言う地方分権の国です(その逆にフランスは中央政府が圧倒的に強い)。ここドレスデンは元々ザクセン王国の首都として栄えた町になります。そんなドレスデンの中心ともいえるのがドレスデン城なわけですが、特にここの地上階にある「緑の丸天井」と呼ばれるスポットは18世紀初頭にこの地を治めたアウグスト強王の時代に収集された数多くの宝物が展示されている場所として知られます。過去に盗難事件などもあったことから極めて厳重に管理されており、見学は時間予約制、荷物の持ち込みは禁止され内部には常に多数の係員が立っています。この日は13時30分に予約をしていたため、まずはここから見学します。入り口に日本語のオーディオガイドもあって、それを聴きながらの見学です。ガイドを利用した見学は見所を余すこと無く見学できるのがメリットですが、一方で時間がかかる欠点があり、当初ドレスデン城全体で1時間半程度の見学を予定していたんですが、この緑の丸天井だけで2時間以上かかってしまいました(笑)。

Img_2736 Img_2743(左写真5)ドレスデン城、(右同6)ゼンパーオーパー

 予想外に時間がかかったことから、ドレスデン城1階の新丸天井部分以降は駆け足の見学となり外に出ました。そこから目の前にそびえ立つのがドレスデン国立歌劇場、ここは19世紀半ばに建てられた歌劇場で、あのR. ワーグナーが指揮者を務めたこともあるところです。設計者の名前からゼンパー・オーパーとも呼ばれます。ワーグナーの初期作品である「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」、R. シュトラウスの「ばらの騎士」が初演された劇場でもあります。建築作品としても非常に優れたもので、オペラ上演の無い日でも見学ツアーが開催される場所ですが、3日後にオペラ鑑賞で訪問する予定なのでこの日は外観だけとしました。

Img_2748(写真7)君主の行進

 その後はドレスデン城の外縁に沿って北東へ、途中にはカトリック教会があります。ドレスデンは歴史的には新教が盛んな都市ですがカトリックの教会も存在します。そこから少し行った壁には軍団の行進が描かれた壁画があります。俗に「君主の行列」と呼ばれる壁画ですが、これ壁に直接絵が描かれているわけではなく、実は無数の陶器絵なのです。アウグスト強王はそれまで中国や日本の特産品だった磁器の国産化(マイセン)を図った国王でもあります。

Img_2757 Img_2751(左写真8)カトリック教会、(右同9)内部

 君主の行進のはす向かいにあるヒルトンホテルを左手に進むとまもなく見えてくるのが聖母教会です。こちらはプロテスタントの教会ですが、実はある意味ドレスデンを象徴する施設です。この教会もアウグスト強王の時代に作られたのですが、第二次世界大戦末期の連合軍によるドレスデン大空襲で崩壊、瓦礫の山になってしまいました。戦後は戦争の惨禍を象徴するものとして存在していましたが、1980年代から再建の動きが始まり、東西ドイツの統一後その動きは加速し2005年に完成しました。再建に当たっては瓦礫と化したかつての石材を丁寧に解析し積み上げられました(この辺にドイツ人の気合いを感じる)。そんな聖母教会はかつて瓦礫の山だったことが想像できないほど美し姿を見せています(石の色彩が場所によって違うところから再建の様子がうかがえる)。

Img_2775 Img_2782(左写真10)聖母教会、(右同11)内部

 その後エルベ川周辺を散策していたら、なんか見たことある人たちを発見、なんと日本時代の合唱仲間でした! まさにエルベ川の奇跡、彼らもこの日到着して市内観光をしていたのです。なんか凄い偶然だなと思ったのでした。

Img_2755 Img_2765(左写真12)エルベ川、(右同13)ネタスポット発見!

 散策を終えてホテルに戻ります。この日の夕食は駅前にある(Googleによると)ドイツ料理を標榜するSchwerelos – Das Achterbahn-Restaurantという長い名前のレストランへ。ただこのお店、注文した料理がUFOのような円盤に乗ってレーンを走って運ばれてくるスタイルで、ドイツ料理店というよりもエンターテイメント性が高いファミレスという感じでした。

 こうして6月6日ドイツ最初の日が暮れたのです。

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2024年4月11日 (木)

宇和島城と内子座

 空けて4月11日です。一週間後はもうウィントフックに戻っているんだなぁと感慨深く感じます。この日の朝もホテルをチェックアウトするんですが寝坊して朝食を食べそこなった(笑)ためまずは食事ができるところを探します。港近くの道の駅があったので行ってみましたが残念ながらまだ営業時間外、仕方ないのでその向かいにあたマックに入りました。マックなんて日本的ではないイメージですが、実はナミビアにはないのでこれはこれでいいのかもしれません(大手ファストフードチェーンではナミビアには唯一ケンタッキーのみがある)。

 朝食後は宇和島城へ、ここも一昨日訪問した高知城と並び現存12天守のひとつで日本100名城でもあります。過去に何度か訪問していますが非常に味わいのある城郭です。宇和島城を建てたのは築城の名手と呼ばれる藤堂高虎ですが、実際に城主として江戸時代を過ごしたのは伊達政宗の庶長子の伊達秀宗を祖とする宇和島藩でした。宇和島伊達家としては幕末の藩主宗城が有名です。年度初めの平日ということでこの日の宇和島城は観光客も少なくのんびりと観光できました。この城郭は入り口から天守まで結構な登り坂が続くので大変ですが、本丸には葉っぱがかなり出てきたとはいえ桜の花が残っていたのは感動でした。

Img_2085_20240511171401 Img_2083 Img_2062 Img_2066 (左上写真1)宇和島城の上り立ち門、(右上同2)登城します、(左上同3)天守と石垣、(右下同4)現存天守

 宇和島城観光の後は一路北上し次の目的地内子町を目指します。内子は古くから大洲街道の要衝だったのですが、江戸時代から明治にかけて高品質な木蝋生産によって経済的に大いに栄えた町です。今でも当時の街並みが保存維持されていて、その通りは八日市道路として日本の道100選になっています。この日は街並みの散策に加えて、ここでの木蝋生産の様子がわかる上芳我邸や大正年間に建設され今に至るまで活用されている内子座も見学しました(内子座はまもなく耐震工事のため長期休館になるらしく、このタイミングで訪問しなければしばらく見られなかったもよう💦)。

Img_2105 Img_2103 Img_2106 Img_2116(左上写真5)内子町の八日町道路、(右上同6)日本の道100選の碑、(左下同7)内子座、(右下同8)同内部

 その後は再び北上して松山市内へ、この日は道後温泉の大和屋本店さんに宿泊です。日本酒が飲めるコーナーやミカンジュースがでる蛇口などもあっていろいろと楽しめる施設でした。特に大浴場はおそらく今回の帰国では最後の大浴場になることが予想されるため何度も入浴し堪能したのでした。

Img_2132 Img_2133(左写真9)地酒の飲み比べ、(右同10)鯛そうめん

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2024年3月31日 (日)

再び東京へ

 休暇第2クール(第2クォーター)は実家で過ごしていたのですが、週末の3月30日は再び東京に出ました。目的は合唱団のはしごです(笑)。お昼に東京駅に到着、この日は八重洲口近くのホテルだったので、まずは荷物を預けそのまま昼食のために歩いて銀座に向かいます。最初行きたかったイタリアンレストラン”スケベニンゲン”が残念ながら臨時休業だったので、予定を変更して東銀座の”俺のフレンチ・イタリアン”に行きました。メニューを見ると牡蠣がお勧めとあります。ナミビアでいつも生牡蠣を食べているので、日本では牡蠣は食べないだろうと思っていたんですが、お勧めとあれば食べるしかないと注文します。メインはこちらもお勧めの渡り蟹のトマトクリームパスタ、スパークリングワインも注文したのは言うまでもありません(笑)。どちらも美味しかったです。

Img_1555 Img_1557  食事後は地下鉄で蔵前へ、14時からここで東京マドリガル会の例会に参加します。同会は2008年に私が関東に越してきたタイミングで誘われて参加した団体です。専ら英国マドリガルを歌い研究する目的の団体で1929年創立の老舗団体です。ただ会員の高齢化と長年会を引っ張ってくれた黒沢宏さんが亡くなったこともあり、近年はコンサートは行わず、例会(同会では練習とは言わず例会という)でアンサンブルを楽しむことをメインにするようになっています。大体月一位で活動しているのですが、今月は私の帰国に合わせていただきこの日の開催となったものです。英国から出張で来日していて参加した会員もいたりと久しぶりに充実した例会となりました(そういえば写真がない💦)。

 その後夕方からは赤坂に移動、今度は東京21合唱団の練習にお邪魔します。この合唱団は毎年テーマを決めて活動しているんですが、今年のテーマはマニフィカト、日本語に訳せば「わが心、主をあがめ」という聖句です。8か月ぶりの参加でしたが温かく迎えていただきました。練習後は恒例の中華屋さんでの懇親会、この日は団員に関するサプライズなお祝い事もあったりと大いに盛り上がりました(そういえばこちらも写真がない💦)。それにしても合唱っていいなと再認識したのでした。

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2024年2月29日 (木)

ロッシーニの誕生日

 今年はうるう年、すなわち約4年に一度2月29日が存在する年です。で、この2月29日生まれの著名人に19世の作曲家G. ロッシーニがいます。彼は1792年のこの日にイタリアのペーザロ市(当時は教皇領)で生まれました。彼の生家は本業ではないものの音楽一家で、彼自身も小さいころから音楽の才能があったようです。18歳で最初のオペラを作曲し、20代で「アルジェのイタリア女」、「セビリアの理髪師」、「チェネレントラ」といった今でも名高い傑作を次々に発表し当時のウィーンで大人気となりました。彼の人気があまりに凄いので、同じ時期ウィーンにいたベートーベンも嫉妬していたとされています。

Rossini1 Rossini2(写真左)晩年のロッシーニ、(同右)若い頃のロッシーニ

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送った人でもあります.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつかの作品は遺しています(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).

 ロッシーニの名前は音楽だけではなく、料理の世界にも残っていますが、残念ながらナミビアにはフランス料理店と呼べる店がなく、今は〇△のロッシーニ風という料理には縁がないのが寂しいところです。

Img_6 Mukaka(写真左)牛フィレ肉のロッシーニ風、(同右)無花果のロッシーニ風

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2023年12月 4日 (月)

クリスマスコンサート

Img_0776  前回の記事でナミビアでは師走の空気を感じないと書いたのですが、日本と同じように存在するものにクリスマスがあります。

 日本だと教会云々が無関係な印象のクリスマスですが、当地はキリスト教徒が多いお国柄もあり、むしろヨーロッパと同じような正統的な(?)クリスマスです。スーパーにもクリスマス飾りも並んで華やかな商戦が行われているののも同様ですが、やっぱりクリスマスをイメージするもみの木や雪といったものが無縁な南半球ですから、そこはちょっと微妙な感じがします。

 そんな当地ですが、この週末クリスマスコンサートがあったので行ってみました。主催はCantare Audire Choirというドイツ系の合唱団、ドイツ大使館の後援やナミビア国立オーケストラメンバーの賛助出演もあります。楽器のコンサートは先日スワコプムントで体験しましたが、声の入ったコンサートは当地では初めてです。

Img_0744 Img_0777  プログラムは第1部がアカペラのクリスマスキャロル、第2部がサン=サーンスのクリスマス・オラトリオというまさに正統的なクリスマスコンサートです。合唱団は規模的に日本で自分が所属していた東京21合唱団を思い出しました。サン=サーンスもよかったですが、特にアカペラの演奏はこれが合唱だよなぁと改めて感無量となりました。12月に入ったばかりなので、クリスマス本番にはまだ早いのですが、基本的に当地ではクリスマスの時期は旅行に行く人なども多いため、こうしたアマチュア団体のクリスマスコンサートは微妙にクリスマスとはずれるのだと思われます。

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2023年11月20日 (月)

スワコプムントのコンサート

 さて、パリ出張から戻った翌週はスワコプムントの教会で開催されたコンサートに行ってきました。

 スワコプムントは首都のウィントフックからほぼ真西に350キロ、大西洋に面した町、15年前にナミビアに観光に来た際にも立ち寄っています。350キロといえば東京から仙台、あるいは名古屋に相当する距離となります。新幹線の速達タイプを利用し時速300キロで走れば1時間半の距離ですが、当地にはそんな便利なものはないため基本的に自動車での移動になります(スワコプムントの隣町ウォルビスベイには空港があり、数少ないながらも空の便はある)。ナミビアには日本のような高規格自動車専用道路はありませんが、平地が多くて基本道がまっすぐなのと、人口が少なく交通量が圧倒的に少ないため、一般道とはいえ時速100~120キロで走れます。このため途中休憩をはさみながら走ってもだいたい4時間あればつく距離です。

 こちらに来てから、観光でウィントフック以外を訪れたのは9月末のエトーシャ国立公園でしたが、この時はガイド兼運転手を雇ってのものでした。今回は初の自力での観光となったわけです。スワコプムントのコンサートは、当地のドイツ大使館の後援によるもので、ナミビア国立オーケストラのメンバーによる弦楽四重奏曲のコンサートでした。こちらに来てから生の演奏会に飢えていた(笑)ため、うわさを聞いて以来ぜひ行こうと思っていたのでした。

 そして11月18日朝9時ごろに自宅を出発しました。Google Mapを見るとウィントフックースワコプムント間はまっすぐ西に向かう道路と、いったん北上してオカハンジャという街から回り込むような形になている道路があるのですが、真西のルートは途中の多くの区間が砂利道(当地風に言えばグラベルロード)となっているため、後者のルートの方が若干距離は遠いですが早く着きより安全なのでした。

 舗装された道路を特に渋滞することもなく走ります。日本ではこういう長距離路線にはパーキングエリアとか道の駅とかがあり、そこで休憩できますが、当地の道にはそうしたものはなく、代わりに木陰にベンチがあるだけの休憩スポットが定期的にあります。ただトイレがないため、トイレ休憩しようと思えば、町のガソリンスタンドを利用するか、青空トイレ(笑)ということになってしまいます。オカハンジャースワコプムント間は町らしい町が少ないため、町があればそこでガソリンスタンドによるというのが基本です。今回はウィントフックとスワコプムントの中間地点にあるカリビブ(ナミビアのバラン星と呼んでいる 笑)という町のスタンドで給油&トイレ休憩としました。

 予定通り4時間でスワコプムントに到着、町中にあったケンタッキーで昼食を取ります。ただコンサートまでまだまだ時間があったことから、隣町のウォルビスベイにフラミンゴを見に行くことにしました。実は15年前もフラミンゴ目的で行ったのですが、運が悪かったのかフラミンゴが一羽もいないという状況だったため、そのリベンジがしたかったのです。

 車で南下すること40分、フラミンゴがいそうな海辺に到着です。車を停めて行ってみると… おおっ!フラミンゴがたくさんいます。全盛期の何割なのかはわかりませんが、15年前は0でしたから、その時とは比較にならない数でした(よく見るとフラミンゴは一種類ではなく二種類います)。

Img_0580 Img_0583  フラミンゴ鑑賞の後はスワコプムントに戻り、まずはホテルにチェックインです。今回宿泊するのはドイチェスハウスという15年前にも泊まったホテルです。懐かしいからここにしたというのもありますが、実はコンサート会場がこのホテルの真裏にあるという近さからでもありました。15年前の記憶がだいぶ薄れていましたが、そんなに変わっていなかったように感じました(部屋のキーがカード式になっていたのは明らかな違いですが)。

Img_0595 Img_0596  しばし休んだのち、コンサートに向かいます。会場は教会なんですが、正確にいうと聖堂ではなく付属の青少年ホールです。入場無料なのでそのまま中に入るとすでに多くのお客さんが来ていました。ほとんどが白人でドイツ語を話していました。ナミビアはかつてドイツの植民地だった歴史があり、今でもドイツ系住民が多く暮らしています。スワコプムントは国内でもドイツ系コミュニティが大きい町らしく、今日来ている人たちはまさにそうなんだなぁと思いました。

Img_0597  時間になりコンサートの開演です。曲目はハイドン、モーツァルト、ベートーベンという古典派3巨匠の弦楽四重奏曲です。特にハイドンの通称「皇帝」と呼ばれる弦楽四重奏曲はその第2楽章が現在のドイツ国歌(当時はオーストリア国歌)の元ネタの変奏曲であることも、ドイツっぽさがより強く出ていたなと感じました。そのほかのモーツァルトやベートーベンも聞きごたえがありました(一方で楽章ごとに拍手が入ってしまうことなどからは地方のコンサートの限界を感じます)。

 終演後はホテルに戻りレストランへ、スワコプムントの海鮮に舌鼓を打ちました(海鮮スープが旨かった)。

Img_0598 Img_0599(写真)海鮮料理

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