2009年10月18日 (日)

激動の週末

 こんな派手なタイトルをつけるほどでもないんですが,この週末仙台に行ってきました.

 来年1月に開催されるコンサートに向けて,所属している合唱団関連の合宿が行われたからです.

 で,ついでに仙台で開催されていたプロ野球パ・リーグクライマックスシリーズ(以下CS)第1ステージ開幕戦も見てこようという欲張った企画となりました.なんとかチケットが取れたため,半ば強引に金曜の午後年休を取って一路仙台へ.

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 初めてのCSを迎えたKスタ宮城は満員の大観衆でした.学生時代を仙台で過ごした縁で球団創設以来楽天イーグルスを応援しているんですが,実は私が観戦した試合は目下10連敗中だったんです.ジンクス打破なるかと手に汗握りましたが,結果は打線が爆発しエースが完投とほぼ申し分ない内容での勝利となりました.

 翌土曜日からは合宿で仙台市郊外へ.実は今回の演奏会は仙台の合唱団と共演なので合宿も合同となったからです.

 10月半ば,ちょうど現地は芋煮会のシーズンです.川原の特設会場ではたくさんの人が繰り出して芋煮会をやっていました.

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 土日二日間びっしり練習(夜には宴会も)と非常に充実した週末でした.

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2009年10月 3日 (土)

エルプロさんの公演

 10月最初の土曜日だった本日10月3日は中秋の名月でした.本日当地は朝から雨模様で,お月見は無理かなと思ってたんですが,夜になってから雲が去り,帰宅時に空を見たら綺麗なお月様が顔を出していました.

Meigetu_007  そんな10月3日,実は観劇のために都内に繰り出していました.劇団エルプロダクツの第12回公演です.エルプロダクツ(以下エルプロ)は主に時代劇を取り上げている女性のみの劇団です.例年ひの新選組まつりで六番隊の隊士を担当して見事な殺陣を見せてくれくれています.

 私にとってエルプロの皆さんは特別な存在です.2006年にひのパレ(第9回)に初参加した時,右も左もわからず,一人も知り合いがいなかった私が始めてお知り合いになったのがエルプロの皆さんだったからです.以来公演には必ず駆けつけるようになりました.

 以前は新選組モノを連続して取り上げていた時期もあったようですが,近年は幕末モノとそうでないモノを交互に取り上げているようです.

Image002  前回の公演が2008年5月でしたから,ほぼ1年半ぶりということになります.今回の演目は「羽衣-HAGOROMO-」,赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)モノです.内容等については明日も公演は続きますので,これから見る方のために伏せますが,本来なら一年の大河ドラマにもなりうる素材を2時間という枠にコンパクトにまとめていました.もちろん適度なお笑いや本筋に絡んでいく謎のキャラといったエルプロテイストも健在でした.

 お時間のある方は是非行ってみてはいかがでしょうか(会場:恵比寿エコー劇場 10月4日は11時と16時の2回公演 当日券3500円).

 そんな10月3日は私も応援している楽天イーグルスが球団創設初のクライマックスシリーズ進出を決めた日でもありました.大学生活を仙台で過ごした縁で応援していたんですが,当初はダントツの最下位で,私が応援に行って勝ったためしがありませんでした.しかし徐々に成績を上げ,ついにこの日を迎えたというわけです.

 このように非常の内容の濃い中秋の名月でした.

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2009年10月 1日 (木)

カタカナ

 さて今日から10月です.年度の後半いわゆる後期が始まります.

 先日のしながわ宿場まつりの余韻に浸ってはいますが,お祭りの反動でここ2日間連続で当直でした(泣 ただ救急とかではないので,それほど辛くはありませんが).写真整理→レポ作成は近日中に取り掛かりますので,しばらくお待ちください.

 で,本日の話題はカタカナです.そう,漢字・ひらがな・カタカナのカタカナです.

 なんでカタカナがテーマかというと,先日すごい会話を耳にしたからです.

 シルバーウィークの前半,南九州に出かけていました.城めぐりが主目的だったので,熊本県の熊本城,人吉城,鹿児島の鶴丸城とともに,宮崎県日南市の飫肥城(オビジョウ)にも行きました.ここは武家屋敷など昔風の街並みが保存されている観光地でした.そんな飫肥城跡界隈に小村記念館があります.

 実は日南市は明治日本を代表する外交官,小村寿太郎の出身地だったのです.歴史大好き人間の私,当然中に入って資料を鑑賞します.彼の日記やら当時の外交文書やらが展示されています.シルバーウィークということで,それなりにお客さんも入っていました.

 で,私の前に二人連れの観光客が歩いていました.年配の女性と中年の男性です.会話の雰囲気から親子と思われました.そして中年男性(自分と同じくらいの年齢か?)が,当時の外交文書を見ながらいいました.

 「へぇ,カタカナってこんな昔からあったんやな」(昔の公文書は漢字とカタカナ交じりなので)

 すると傍にいた母親らしき女性が

 「そりゃそうや,昔の人の名前はみんなカタカナや」(女性名のことと思われる)

 「ふーん,カタカナって最近できたもんと思っとった」 と男性,

 その会話を聞きながら後方で凍りついた私…

 カタカナの歴史は古く,9世紀の平安時代に遡るといわれています.元々は漢文を訓読する際に付ける文字として始まったらしいですが,いずれにせよ平仮名に負けないくらいの歴史があります.大日本帝国憲法など戦前の公文書や教科書もみなカタカナ表記が標準でした.思うに件の男性は,カタカナは外来語の表記のために発明されたと思っていたようでした(汗).

Kyushuensei_159 (写真) 飫肥城近くの小村記念館

 

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2009年9月28日 (月)

第19回しながわ宿場まつり!

 昨日9月27日に第19回しながわ宿場まつりに参加してきました。毎年秋の恒例イベントになりつつあるこのお祭り,今年は幕末の学者&剣客である清河八郎に扮しました.

Shinagawa2009_083 (写真1) 文武両道の幕末の剣客清河八郎

 本来なら,新選組(浪士組)を引き連れて「さあ,上洛だ!」と気勢を上げるところでしたが,残念ながら今年は新選組の参加はなしとのことで,ちょっとさびしい登場となってしまいました(泣).

 朝8時過ぎから着付け開始,例年だとタイミングによっては結構待たされるんですが,今年はかなりスムーズに進行しました.今年も常連の方々に加えて,今年初めて参加したという方も見られました.

 パレードは12時から1時間程度歩くだけで,残りの7時間くらいはひたすら自由時間です(このお祭りの趣旨は,時代扮装した人々が商店街を散策することで昔の宿場の雰囲気を出すことにあるのでこれで正解なのです).パレードの方は例年より扮装者が少なめだったような気がしました.

Shinagawa2009_072 (写真2) 当局の追及から逃れる虎尾の会の面々

 今年もいろんな写真を撮ったりして遊びました.詳細は例によってHPにレポをまとめる予定(去年みたいに完成するのが10ヶ月後なんていう事態は避けたいと考えています)です.

 ともに参加して下さった皆々様,ありがとうございました.

Shinagawa20092_126 (写真3) 前列左から 清河八郎,佐々木只三郎 後列左から お蓮(清河の内縁),虚無僧,同心,ウチのK

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2009年8月25日 (火)

写真で遊ぼう

 お仲間のフミヲさんトコで紹介されていたサイトです.

 PhotoFunia

 自分の写真を加工して遊ぼうという企画です.面白そうなのでさっそくやって見ました.

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2009年8月24日 (月)

50周年記念演奏会

 昨日東北大学混声合唱団50周年記念演奏会が行われ,私も出かけてきました.晴れ男の私を歓迎するかのように仙台は快晴のよいお天気でした.ただ首都圏に比べるとだいぶ涼しく,もう秋の気配が感じられます.

Tohokukonsei_002 (写真1) 外観は川内記念講堂時代と変わりません

 会場となったのは大学川内キャンパス内にある萩ホール,旧川内記念講堂です.そのネーミングから一瞬建設にあたって長州藩の援助があったのか(笑)と思いましたが,実は仙台市の花が萩で,そこから来た名前のようです.

Tohokukonsei_004 (写真2) 開演前から行列でした

 旧川内記念講堂は昭和60年当時キャパシティでは仙台一を誇っていましたが,いかんせん施設が古く本格的なコンサートを開催するにはちょっとという感じでした.今回云年ぶりに中に入ったのですが,基本構造は以前と変わっていないものの,内装は見違えるほど立派になり面目を一新していました.

Tohokukonsei_005 Tohokukonsei_008

(写真3,4) 内装は見違えるように立派になってます

 今回の演奏会は4ステ構成,1ステと4ステが現役団員のステージ,2ステと3ステがOB・OGのステージです.第1ステージは委嘱作品で混声合唱組曲「生命の進化の物語」,作曲は合唱団OBの長谷部雅彦氏,実は彼は私の一学年下でしたが,本作では作曲の他,作詞や本番の指揮も自らやるというワーグナーばりの活躍を見せていました.曲は壮大な時の流れをテーマに,人類の進歩と更なる繁栄を願うものでした.

 第2ステージは昭和40年代に現役だった古いOB・OGの方々のステージ,当時の愛称歌の他,大中恩氏の私の動物園や高田三郎氏の水のいのちといった邦人作品の古典を演奏しました.指揮はOBの板橋憲一郎氏でした.

 第3ステージは比較的新しい世代のOB・OGを中心としたステージ,曲は東北大混声のメインジャンルともいうべき宗教曲の小品で,モーツァルトのAve verum CorpsやJ.S.バッハのカンタータ147番の最終コラール,フォーレのラシーヌの雅歌などでした.指揮は合唱団常任指揮者の佐々木正利先生です.

 そして第4ステージは再び現役団員のステージでした.曲はこちらも委嘱作品で,仙台市出身でドイツ在住の作曲家江村玲子先生による「きらめく世紀」という作品です.これも壮大な時の流れをテーマにした作品でした.指揮は3ステと同様常任指揮者の佐々木先生で,作曲者の江村先生がピアノを担当されていました.

 会場ほぼ一杯の聴衆を前に2時間半にわたった演奏会は感動のうちに終了しました.

 終演後は会場を移して交流会となります.既に還暦を過ぎた大OBから二十歳前の現役団員まで混ざっての交流となりました.合間には当然のように愛唱歌の合唱が入ります.数十年にわたって合唱団として歌い継がれている愛唱歌をともに歌うことによって,世代を越えた一体感を感じるのでした.他の機会にちょくちょく顔を合わせる仲間もいますが,云年ぶりの仲間との再開もあって感激もひとしおでした.

Tohokukonsei_025 Tohokukonsei_023

(写真5.6) 交流会の様子,私が抱えている酒は一の蔵という宮城県北の地酒です.この酒蔵が合唱団ゆかりの方で,現役時代花見やコンパで滅茶苦茶お世話になったお酒です.

 考えてみれば,この合唱団には音楽を専門にやっている学生はほとんどいません(東北大学自身に音楽科が存在しない).にも関わらず,毎年オーケストラ伴奏付きの宗教曲を取り上げて演奏していました.この背景には先生から学生にというより,上級生から下級生に連綿と受け継がれるこの種の音楽の伝統というものがありました.私自身,大学入学までクラシックのしかも宗教音楽なんて聴いたこともなかったはずですが,諸先輩の薫陶を受け,また仲間内で集まっては,やれバッハのカンタータがどうしたとか,モーツァルトのこの作品はどうだとか,酒を飲みながら語り合い教養を身につけていったのです.

Tohokukonsei_031 (写真7) 当時の仲間たちと.こうしてみてもみんなあんまり変わってません.

 こんな仲間たちとの生活が,今に続く私の音楽生活の礎となっているのです.

 我が素晴らしき仲間たちよ,本当にありがとう.

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2009年8月 9日 (日)

回天の門

 出張のお供は本,というわけでいつも本を持ち歩いています.最近は藤沢周平さんの蝉しぐれを読んでいましたが,このたび無事に読了しました.

Kaiten

 というわけで,次はどうしようと思って本屋で購入したのが表題の回天の門です.これは同じく藤沢作品で,幕末の志士清河八郎の生涯を扱った作品です.

 清河八郎といえば,特に文久三年の浪士組結成の経緯から一般には策士・山師のイメージがあります.しかし,バックに藩などの後ろ盾を持たない草莽の志士だった清河が己の思想を具現すべく生きていくには,生半可な決意ではできるはずはありません.結果として浪士組の一件は奇策に見えるものの,清河自身の思想は一貫としています(単に幕府側が気付いていなかっただけ).

 清河と作者の藤沢周平さんは共に出羽庄内の出身であり,そんな藤沢さんの清河像がどのようなものか,これから少しずつ読み進めていきたいと思います.

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2009年8月 6日 (木)

訃報 大原麗子さん逝去

 ついさっき久しぶりの100名城記事をアップして,ココログとYahooブログのコメ返しをした直後に,驚くべきニュースが出ていました.

 俳優の大原麗子さん死去

 大原麗子さんといえば,昭和55年放送で私の大好きな大河ドラマ獅子の時代に,薄幸の女おもん役で出演されていた方です.主人公の会津藩士平沼銑次(菅原文太さん),薩摩藩士苅谷嘉顕(加藤剛さん)との絡みが素晴らしく,私はこの作品で彼女の魅力を知りました.その後も大河では近代ものだった「山河燃ゆ」や主演だった「春日局」,幕末モノの「徳川慶喜」などでの姿が印象的でした.

 また超有名なテレビコマーシャルの

 すこし愛して,なが~く愛して

 も忘れられません.

 10年ほど前にギランバレー症候群に罹患され、以来活動を縮小したとは聞いていましたが,まさかこんなに突然亡くなってしまうとは,夢にも思いませんでした.詳しい死因等については不明のようですが,事件性はないとの報道です.

 大原麗子さんのご冥福を心からお祈りいたします.

 自分にはとってかなりショックなニュースでした(本記事は当ココログと別館Yahooブログの両方に載せました).

 そんな大原麗子さんの懐かしいCMです.

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2009年8月 5日 (水)

刑事コロンボ

 我がビザンチン皇室はみんな刑事コロンボが好きです.

 亡き父(先代の皇帝コンスタンチヌス20世)は昭和50年代からビデオデッキを購入して,テレビ放送される際には必ず録画して楽しんでいましたし,その影響からか母親も好きなようでした.もちろん私も大好きで,テレビや父が録画したビデオはよく見ていました(そのビデオは今では擦り切れてそうですが 笑).

 最近一番凝っているらしいのは妹で,定期的に発売されている刑事コロンボDVDコレクションを集めているらしいです.

 刑事コロンボの魅力はもちろん主演俳優のピーター・フォークのキャラクターなんですが,日本では加えてコロンボの吹き替え担当だった,故・小池朝雄さんの存在が大きいと思います.彼の声によるコロンボの名セリフ

 「うちのカミサンがねぇ~」

 はあまりにも有名です.

 刑事コロンボはぼさぼさの頭,よれよれのレインコート,やぶにらみの目など一見さえない風貌ですが,一度怪しいと睨んだ人物にスッポンのように食いついて,ついには犯行を認めさせるなどなかなか敏腕な刑事です.ちなみに彼の愛車はプジョーで,どうやら購入以来15万マイル(240,000km)は走っているらしいです.

 テレビシリーズには1971年からの旧シリーズと,1989年からの新シリーズあわせて60本以上の作品があります.どれも魅力的な作品なんですが,とりわけ私が好きな作品が,第40作殺しの序曲です.これは知能指数が上位2%以内でないと入れない天才組織の中で起こった殺人事件にコロンボが挑む話です.犯人がコロンボの知能を試そうと問題を出したりするシーンも楽しいんですが,なんといってもラストにコロンボが犯人のプライドを刺激して罠にはめるところがいいんですよね.最後に犯人が「あなたは警察に置いとくには惜しい人物だ」と言うのに対して彼が,「とんでもない,上司に叱られる,無断で警察やめたら」と答えるやり取りもたまりません.

 以前妹に会った際に,この殺しの序曲が見たいという話をしていたんですが,今日家に帰ったら郵便が… なんと我が妹がこのDVDを送ってくれたのでした!

 というわけで本日は久しぶりにコロンボを堪能しています.

Koronbo_001 (写真) 送られてきた刑事コロンボです.

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2009年7月27日 (月)

不可能トリック2

 実はミステリー好きな私.先日ミステリー仲間のSARAさんに教えていただいた,究極の不可能トリック作品「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ」の記事を書きました(不可能トリック).

 これは,世に数あるトリックのうちまさに究極というべき,「読者が犯人」というトリックに果敢に挑んだ作品です.なかなか良く出来た作品じゃないかと思いました.

 この時に類似の作品として紹介されたのが,本日読了した「仮題・中学殺人事件」です.作者は辻真先氏,よく見たらこの作品が書かれたのは昭和47年だそうです.そんな昔の作品だったとは… 知らなかった自分の不明を恥じるしかありません.

200907271825000  物語はやたらに強くて優秀な中学生の女の子キリコと同級生でもっさりとした男の子薩次,キリコの兄で新聞記者の克郎の三人が事件に巻き込まれていくところから始まります.

 そして航空機事故で両親を亡くした少女と同じ事故で車いす生活を余儀なくされた少年の物語が絡んでいきます.

 読了後, … うーん,そうか… でも,… なんか釈然としない気が…

 たしかに読者が犯人かもしれないんですが,普遍性という点ではどうなんだろうと考えてしまいました(もちろん,これはこれで面白いんですけどね).

 またまた読んでしまったミステリー作品,これで打ち止めなんでしょうか?

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2009年7月15日 (水)

日光江戸村ネタ写特集

 表題につき記事を書こうとしたんですが,載せる写真が膨大となりココログでは見づらくなりそうな感じとなりました.そのためHPの方にまとめてアップしました.ぜひ御覧下さい(笑).

 第1回日光江戸村扮装イベント

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2009年7月 9日 (木)

不可能トリック

 実はミステリー好きの私(いや21世紀に入ってからはほとんど読んでいないから,ミステリー好きだったというべきか?),20世紀には内外の作品を結構読んでいました.

 国内では横溝正史や松本清張,外国ではA・クリスティやE・クイーンなんかを愛好していました.

 いわゆる本格ミステリーと呼ばれる作品の醍醐味として意外な犯人というのがあります.まあ犯人っぽい人が犯人じゃ面白くないので,「えっ! この人が」という人物を犯人に仕立てるのが本格ミステリーの常とう手段です.

 こうした理念の下,数々の名作が生まれ,動物が犯人,自分自身が犯人,事件を担当する探偵が犯人,作品の語り手が犯人など多くの意外な犯人が登場してきました.

 しか~し,私がミステリーを読んでいた20世紀にはどうしても実現しなかった意外な犯人があったんです.

 それは…

 ミステリーを読んでいる読者が犯人というトリックです.そんなバカな!と思うでしょうが,いろんなトリックが考えつくされた現代において,意外な犯人という新しいパターンはそれ以外なかったのが実情でした.

 それにしても,読者が犯人なんてすごいトリックです.普通に考えてできそうにありません.第一,読者が犯人という以上,読み終わった人全員が「自分が犯人だ」と思わなければ意味がありません.Aという読者は犯人だが,Bという読者は違うというのでは成立しないトリックです.わたしもこんなトリック実現することはないだろうと思っていました.

 しか~し,そんな不可能トリックに果敢に挑戦した作品が21世紀になって書かれていたんです.情報をいただいたのは私のミステリー友達のSARAさんで,彼女のブログ(ミステリーの森)にこの作品の記事が出ていたんです.私が大急ぎで購入したことは言うまでもありません(SARAさんありがとうございます).

Ultimo (写真) ウルチモ・トルッコの表紙.中央の円の部分は鏡になっていて,そこに映し出された自分が実は犯人ということらしいです.

 その作品の題名は ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ です.作者は深水黎一郎氏,この作品で第36回メフィスト賞を受賞したんだそうです.タイトルのウルチモ・トルッコは語感からイタリア語またはスペイン語で究極のトリックを意味すると思われます(英語ならultimate trickでしょうか).

 本が届いて以来少しずつ読んでいたんですが,このたびついに読了しました.

 内容については語るわけにはいきませんが,読み終わって本を閉じた瞬間,「うーん,自分もこの人物を死に至らしめたひとりなんだろうな」とは思ったのでした.ちょっと,おやと思う部分も無きにしも非ずですが,伏線の張り方など結構よくできた作品とは私も思いました.

 これを機会にまたミステリーにハマってみようかとちょっと思ったのでした(これ以上手を広げると1日30時間以上必要な気が… 泣).

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2009年6月25日 (木)

蝉しぐれ

 最近時々静岡方面に出張に行くことが多い私.そんな東海道線各駅停車のお供は本です(東海道線の列車の端に付いているボックスシートを愛用).

 今週から読み始めたのが,表題の蝉しぐれ,説明するまでもなく藤沢周平氏の代表作です.映画化やNHKでのドラマ化もされており,一般にもよく知られた作品と思われます.

20090625190951

 牧文四郎という下級藩士の少年と隣家の少女ふくとの仄かな恋を背景に,藩主の家督をめぐる争いから,牧家を襲う災難,それに屈することなく成長していく文四郎の姿が描かれていく作品です.

 舞台となる海坂藩は架空の藩ですが,そのモデルは藤沢周平自身の出身地である鶴岡を城下町とする庄内藩と言われています.鶴岡市の郊外には,映画「蝉しぐれ」のロケ地が保存されており,映画の様々なシーンが思い出せるようになっています.

 この小説,もちろんはじめて読むわけではなく,何度目かなわけですが,藤沢周平さんの流麗な文章(小川のせせらぎが聞こえてきそうな文章とでも表現すればいいんでしょうか)が好きで,時々無性に読みたくなるのです.はたして何回の出張で読了できるか頑張ってみたいと思います.

 庄内藩といえば,幕末の志士清河八郎の出身地でもありますが,この清河の生涯を扱った作品が回天の門で,残念ながらこちらは未読です.

Kiyokawa

 

 

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2009年4月 1日 (水)

火星の土方歳三

 先日火星シリーズの記事のついでに載せた気になる本,「火星の土方歳三」.

 AMAZONの中古本で見つけて購入したものが昨日の夕方家に届き,一晩で一気に読み通してしまいました.

Hon_005 (写真) 表紙です.左上の美女と右下の緑色人がツボです.羽織っているのが新選組の羽織に似ているのは偶然です(笑).

 火星シリーズはアメリカの作家エドガー・ライス・バロウズ(ERB)が1911年頃から書いたSF作品です.第1作の火星のプリンセスから第11作の火星の巨人ジョーグまで全11本あります.100年近く前の作品ではありますが,決して色あせることのない手に汗握る素晴らしい作品群です.私も初めて読んだ時は時間がたつのを忘れて読みふけったほどです.

 このシリーズの大きな魅力が,その独特の火星世界です.赤色人や緑色人などの様々な人種や種族,バンス(火星ライオン)やキャロット(火星犬),シス(火星スズメバチ)といった火星独自の生物などが織りなす地球とは大きく異なる世界は非常に魅力的でした.

 この火星シーズの世界に新選組の鬼の副長こと土方歳三が飛び込んでいくんですから,いったいどうなるやら,火星シリーズファンにして新選組愛好家としては非常に気になるところです.

 読んでみて,いやー良くかけていると感心しました.ERBの火星ワールドに迷い込んで,ただ困惑する土方歳三がギャグのように描かれるパターンを予想していたんですが,さにあらず.もちろん当初は火星への移動,緑色人の襲撃バンスとの一騎打ち囚われて闘技場でのバトルなどERBワールド定番の場面と,それに戸惑う歳三が描かれます.しかし後半になると逆にERBワールドの中に新選組ワールドを作っていく歳三,火星一の大都市大ヘリウムの治安を守るための組織を結成し,自らその副長となって,不逞の輩をバッサバッサと斬っていくんです.彼の周りには火星の剣術使いが集まり,特に若くて陽気な赤色人の青年に三段突きをやらせる所は素敵過ぎます.もちろん歳三は火星でも女にもてます.奴隷にされていた赤色人の美女を身請けして,「歳三さま…」なんて呼ばれる始末,火星シリーズの世界がいつの間にか燃えよ剣の世界に変わってしまっています.

 まず何より,本を開いてタイトルのページ,目次をすぎて,登場人物が列挙されているページがまずツボです.見事に創元社版の火星シリーズそのまんまなのです.創元社版の登場人物紹介は

 ジョン・カーター…地球人,バージニア出身の騎兵隊大尉

 タルス・タルカス…緑色人,サーク族の副首領

 というふうに,名前・人種・身分出身等の順で列挙されていますが,これが全くそのまんまで,早くもこの本に引き込まれていきます.

 文章そのものは歳三の一人称で語られます.すなわちその時々の彼の気持ちがストレートに表現されているわけで,非常に楽しめます.1869年(明治2年)5月11日新政府軍の銃弾に倒れた歳三の魂は遺体を離れその中空に漂います.彼は自分の遺体を取り囲んで涙する仲間たちについて,(以下本文より引用)

 意外なのは、生前、私とは犬猿の仲だと思っていたあの榎本釜次郎―反りの合わなさ加減は、おおかた衆目の一致するところだろう―が、私の遺骸を前に涙したことだ。生きてるうちにそうしろよ、釜次郎と、私は思わず叫んだ…

 滑稽なのはわたしの直属の上官、あの厚顔な大鳥圭介が、長々と弔辞を述べたことだろう。… おおかた 「ああ土方くん。思えばきみは」とかなんとか、美辞麗句を虚無に並べたに相違あるまいが、それを聞かずにすんだのは幸いであった。

 (引用終了)

 などといかにも彼が言いそうなことがつづられていて,嬉しくなったのでした.

 この本,新選組愛好家でも十分楽しめますが,火星シリーズ(全部とは言わない,せめて冒頭3部作,いや最初の火星のプリンセスだけでも)を知っていて読むと,随所にツボる場面があって涙がでます.

 古書とはいえ,これが100円は安かったなぁ.

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2009年3月28日 (土)

火星シリーズ

 我が家のメインPCがクラッシュして1週間,データを救出すべく業者に依頼した.一昨日連絡があり,どうやらHDDそのものは無事だったらしく,データは救出できそうとのことであった(ちょっと安心).

 とはいえメインが不在となったことから,PCに向かう時間が減ったことも事実,そのためか本を読む時間が増えた.

 私は子供のころSF大好き少年であった.小学校高学年ごろから当時NHKで放送していた少年ドラマシリーズの影響で,眉村卓(謎の転校生,ねらわれた学園 etc.)や光瀬龍(夕映え作戦,その花を見るな etc.)作品などから読み始めたのだが,次第に海外作品にも目を向けるようになった.

Kasepuri (写真) 創元推理文庫から出ていた小西宏氏訳の火星のプリンセスです.ちなみに現在は厚木淳氏の新訳によって全11作品が4冊にまとめられて出版されています.

 当時特に熱中した作品が,本日のテーマ「火星シリーズ」である.作者はアメリカの作家エドガー・ライス・バロウズ(以下ERB),19世紀後半の南北戦争後,南軍の将校だったジョン・カーターがアリゾナの洞窟で襲撃を受け幽体離脱(?),一気に火星に飛ばされる.そこで数々の冒険を繰り広げて,火星の王女と結ばれるという典型的な冒険活劇だ.今で言うスペースオペラの走りのような作品である.

 実はこの火星シリーズの第1作「火星のプリンセス」が執筆されたのは,なんと1911年(明治44年)なのである.アポロ11号の月面着陸はおろか,ガガーリンによる人類初の宇宙飛行から見ても50年も前のことであり,ライト兄弟による飛行機の発明から8年しか経っていない.前年の1910年にはハレー彗星が地球に接近し,人類滅亡かと当時のヨーロッパ人が恐れおののいていた頃だ.しかしこんな時代に書かれた作品でありながら,それなりの科学的考証がなされており(火星が乾いた大地であり,1日が24時間40分弱であること.火星の重力は地球の半分弱であり地球人であるカーターは驚くべき跳躍力を発揮できるなど),決して古臭さを感じさせない作品なのであった.

 今回改めて読み直してみて,すばらしい作品であることを実感したのであった.

 追記: このERBの火星シリーズのパロディ(?)と思われるが,函館戦争で戦死した土方歳三が火星に飛ぶという「火星の土方歳三」(吉岡平 著)なる作品があるらしい.ぜひ一度読んでみたい.

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2008年7月22日 (火)

スーパー刑事ボロンゴ

 ピーター・フォーク主演のアメリカのドラマに「刑事コロンボ」がある.日本でも昭和50年代にNHKで放送していたが,故・小池朝雄さんの素晴らしい吹き替え(特に「ウチのカミサンがねぇ」というセリフ)も相まって,大人気となったシリーズである.

 そんな昭和50年代に同じNHKで放送されていたのが,本日の表題「スーパー刑事ボロンゴである.これもアメリカの作品で,製作はトムとジェリーチキチキマシン猛レースなどで有名なハンナ・バーバラであった.主人公のボロンゴはチキチキ…のケンケンそっくりの風貌で,ボロいコートを羽織ってこれまたボロい車に乗って,相手にびったりと付いて回るというコロンボを髣髴させる作品であった.

 また見てみたいと思ってyou tubeでも探したんですが見つかりませんでした.そこでふと,原語ならどうだろうと,アメリカでのタイトル”Mumbly”で検索したら….ありました,ありました.英語ではありますが,とても懐かしいです.

 http://jp.youtube.com/watch?v=-lurWrg8lwk&NR=1

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2008年7月14日 (月)

ラ・セーヌの星

 今日7月14日はフランスの革命記念日です.

 1789年のこの日,市民がパリのバスチーユ監獄を襲撃,これが全国に波及してフランス革命がはじまりました.日本ではクレール監督の戦前の映画”Quatorze Juillet”の邦題である「巴里祭」の名でも知られています(もちろんこれは日本人が勝手につけた名前であり,現地にそういう名前のお祭りがあるわけではありません).

 さてフランス革命を題材にしたアニメといえば,なんといっても池田理代子さんのベルサイユのばらが有名ですが,それとはちょっと違ったテイストなのが本日の表題,ラ・セーヌの星です.放送されたのが1975年(昭和50年)ですから,なんとアニメ作品としてはベルばらよりも古いことになります.シモーヌというパリの花屋の娘が主人公で,昼間は可憐な少女ですが,夜になると仮面の剣士ラ・セーヌの星となって盗賊や庶民を苦しめる横暴な権力者と戦うというお話です.ベルばらがオスカルやマリーアントワネットら貴族中心に展開していくのと対照的に,こちらはパリの下町の人々が中心で,庶民=虐げられるかわいそうな存在,貴族=横暴な権力者という構図が見られます(王妃も贅沢ばかりする悪い人っぽいイメージで描かれます.もちろん一部に良い貴族もいます).

 これだけならただの勧善懲悪もので,別にフランスを舞台にする必要もないんですが,実はシモーヌがフランス王妃マリー・アントワネットの腹違いの妹という設定がされているのです(マリーの母マリアテレジアは道徳的にむちゃくちゃ厳しい人だから,もし本当に夫フランツ1世に隠し子がいたら,当時敵国だったフランスに隠すというのはありそうな話である).番組前半は勧善懲悪時代劇っぽい感じで進んでいきますが(熱気球を発明したモンゴルフィエ兄弟やパリ滞在中のモーツァルトも出てきます),後半物語は一気に緊張感を増します.三部会の召集から国民議会の結成,バスチーユ襲撃と歴史的事実にそって展開,これまでの市民=弱者,貴族=強者とはいえない状況になってきます.善と悪の境界がはっきりしなくなりシモーヌも自分の役割について悩みます(出生の秘密も知ってしまい悩みが深まります).

Rasenu (写真) ラ・セーヌの星,一部でヤッターマンに出てくるドロンジョ様の若い頃という噂があった

 作風の変化は途中で監督が代わったためとのことですが,かなり見ごたえのある作品だったと思います(ぜひまた見てみたい).どうでもいですが,設定や登場人物からシモーヌは1760年頃の生まれと思われ,そうすると最終回マリーアントワネットが処刑される時30過ぎになっているはずなんですが,とてもそうは見えません(顔認証ではビールが買えそうにありません 笑).

 

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2008年7月13日 (日)

暑い…

 この週末は本当に暑かったですね.ちょっと前までは天気が悪くて湿度は高いものの,暑いという感じはなかったんですが,金曜日からカンカン照りで気温も30℃を越えていたようです.

 さて,この週末久しぶりに活動した私,まず11日は午後から年次を取って都心に出かけました.行き先は三田の慶応大学.

200807111706000

(写真) 三田キャンパスの図書館旧館,重要文化財なそうです.

 いや,別に私は慶応にゆかりはないんですが(幕末の慶応年間なら思いっきり興味があります),縁あって慶応義塾創立150周年記念のイベントの一つである”オックスフォード大学ハートフォードカレッジChoir/東京マドリガル会・慶應義塾創立150年記念選抜オーケストラジョイントコンサート”に参加してきたんです.

 普段はイタリア系のオペラ鑑賞とドイツ系宗教音楽を趣味にしている私ですが,実は学生時代にイギリスのマドリガルもちょこちょこ仲間内でやっていた経緯があり,結構好きなジャンルなのでした.

 会場は慶応義塾三田キャンパスの北館一階にあるホールです.北館は古い建物が多い中,最近できたもののようでした.ホールもこじんまりとしていますが,綺麗な感じでした.

 オックスフォード大学ハートフォードカレッジ合唱団は同大の学生合唱団で,大学や教会関係の演奏を中心に活動しているようです.今回は演奏旅行のような感じで来日しているらしく,この日のコンサートの他にも各地での演奏が予定されているようです.この日の演目はイギリスの古い歌を初め,ビートルズやガーシュウインなども取り上げていました(この辺の選曲は同じイギリスの有名なアンサンブル,キングス・シンガーズに通じるものがあるなと思いました.

 東京マドリガル会はなんと1929年からイギリスマドリガルに取り組んでおり,第二次大戦中も欠かすことなく演奏をやっていたという気合の入った団体です.今回私も一緒に歌わせていただきました.

 慶応の学生オーケストラはイギリスの作曲家ブリテンの「乞食オペラ」からハイライト場面の曲を抜粋して演奏していました(なんと,かれらは著名な指揮者ロリン・マゼール氏の指導も受けたそうです).

200807111629000  コンサート終了後はティーパーティでした.オックスフォードの学生,来日後渋谷に行ったとのこと.イギリスの若者にも人気がある場所なんだろうか(アキバがあんな事件があったばかりだし).

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2008年5月29日 (木)

夫婦春秋

 今年のひの新選組まつりは,本レポもすでに完成しましたが,実はまだまだ紹介しきれない写真や動画があったりします(なにせ総写真枚数600枚!).これらはネタ写特集にしてHPにアップする予定ですが,今回はまた一味違った写真を一枚.

 ひのパレの「出会った人々」に多摩時代の土方歳三お琴さんが出てくるんですが,そんな2人が並んで歩いている写真です.

P5110517

 見た瞬間,これは意を決した二人が故郷を捨てて旅に出た場面のように感じました(二人の目が前方の同じものを凝視しているようにも見えます.二人の幸せな未来なのでしょうか?).

 実際には土方歳三はお琴さんと結ばれることなく,激動の幕末の歴史の渦に巻き込まれていったわけですが,仮にパラレルワールドが存在して,どこかの世界に剣の道ではなく女性の愛を選択した土方歳三がいてもいいんじゃないかと思ったのでした.

Khtnem20080529130047 古写真風にするとこんな感じです.バックの自動車が駕籠なら完璧でした.

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2008年5月12日 (月)

残 zanshin 心

 今年は新選組六番組長井上源三郎の没後140年に当ります.このためひの新選組まつりの企画の一つとして,劇団エルプロダクツ(エルプロ)の舞台が行われました.

 エルプロは主に幕末モノを取り上げている女性ばかりの劇団です.例年ひの新撰組まつりで井上源三郎率いる六番隊隊士を構成し,お祭りでは殺陣等を披露しています(昨年はパフォーマンスコンテストで最優秀賞を受賞).その関係で今回の公演となったようです.

 私も2年前の はなさかづき からエルプロさんの舞台をを見ており,特に今回は新選組モノということで楽しみにしていました.公演は12時と18時の2回で,私が見たのは12時の方です.

 内容は池田屋事件直後の,新撰組の名が一気に有名になった頃いわば新選組絶頂期から始まります.長州系浪士と斬り合う日々を過す新選組の面々に,江戸からやって来た親の敵を探す兄弟や,同じように恋人の敵を探す京の娘,さらには海よりも深い謎を秘めた(?)長州の浪人などが絡んで展開していきます.

 殺伐とした斬り合いの日々を送る新選組の剣客たちの心にと呼ばれるものが広がっていきます.彼らは何のために人を斬るのか,元々は何かの目的や,やむをえない理由があったはずなのに,次第に人を斬ること自体が目的になっていく狂気,毒は三本足の黒猫とともに広がっていきます.殺伐とした隊士たちのなかで温和といわれる山南敬助にも毒は忍び込んでいます.ただ無益な殺生を好まない優しい源さん(井上源三郎)だけは毒に侵されていないようでした.しかしそんな源さんの前にも黒猫が…

 結構重いテーマにも関わらず,あちこちに笑いの要素もちりばめられ(源さんの淡い恋物語(?)も),もちろんエルプロ得意の殺陣もふんだんに盛り込まれていました.

 久しぶりに人斬り集団としての新選組の一面を見た感じがしました.毒によって狂気の世界に入っていく隊士たち.しかしそれだけでは単なる殺人集団であり,私たちの心には響きません.そこには破滅への道を進んでいくことに気づきつつも,決して進路を変えることのない者達からにじみ出る 滅びの美学 が見えるような気がしました.歴史は勝者によって作られます.ただ時として敗者の方がより後世の強い感銘をもたらす場合があります.新撰組とはまさにそういう集団であると再認識したのでした.

 また次回の公演が楽しみになった私でした(とはいってもコンテストの打ち合わせで一番最後が見られなかったのです 号泣).

Zanshin (写真) 今回の公演のチラシ.この腕は誰の腕なんだろう(血管がよく見えて採血が楽そう)なんて考えてしまう私でした. 

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2008年4月23日 (水)

レトロな写真

 某所で紹介されていたんですが,「幕末古写真ジェネレーター」というサイトがあります.

 これはどんな写真でも幕末・明治時代風にしてしまうというものです.

 幕末古写真ジェネレーター

 私もさっそくやってみました.

 まずは今年2月に撮った萩の堀内鍵曲を疾走する新選組.

R23f47zc2o20080423191744  不逞浪士を追いかけているというよりは自分が追われて逃げているように見えます.

 次に昨年のひのパレの集合写真.

Xj6yn20080423090517  オオッ,なんかいい感じに仕上がってるじゃないですか.本当に慶応年間に撮影したように見えます(後方の大日堂と立ち並ぶ旗がいい感じです).

 最後に去年やった坂本龍馬の再現写真をさらに古風にしてみると

Tachiryoma2 Suwariryoma2

 こんな感じに遊べてすごく楽しいです.皆さんもどうぞ.

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2008年4月11日 (金)

喫茶室ルノアール

 久しぶりの更新です.

 諸事情によりネットの引越しが遅れている我が家,いまだに家ではネットが使えない状態になっています(最悪あと2週間くらいかかるかも).とりあえず職場にはLANがありますが,メールのやり取り等には制限があります.

 そんなわけで,外部の無線LANスポットのお世話になっているのですが,最近もっぱらお世話になっているのが本日の表題の店.

Runo (写真) 箱根湯本駅前の喫茶店ルノアール

 箱根登山鉄道の箱根湯本駅前にある喫茶店です.名前のとおり,店内にはルノアールの名画が飾ってあります(さすがに本物ではないようです 笑).最近では夕方などにPC片手にこの店に入り,ケーキセットを注文して,メールチェックしたり自分のブログ&HPのコメへの返信をしています(結構長居することもあり,コーヒー一杯では申し訳ないのでケーキセットにしています 笑).

Mura2 (写真) このようにお店に入る途中の階段には,ルノアールの有名な作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の複製(?)が飾ってあります.

Mura1 (写真) こちらはオルセー美術館にある本物のムーラン・ド・ラ・ギャレット(1991年夏に行った際に撮影.ヨーロッパの美術館はフラッシュを焚かなければ撮影可のところが多いです).

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2008年3月 6日 (木)

赤い月

 本日の表題,なかにし礼さんの小説のことではない.昭和52年に放送されたNHKの少年ドラマシリーズの一作品である.

 少年ドラマシリーズはちょうど私が小学校高学年ごろに放送されていた小中学生向けのドラマシリーズである(毎週月曜~木曜の夕方6時台).作品ジャンルは多岐にわたっていたが,特に眉村卓,光瀬龍らの原作によるSF諸作品が非常に魅力的で,私がSFにハマるきっかけとなった(私が新選組と出会うきっかけとなった,眉村卓氏原作の「幕末未来人」も少年ドラマシリーズだった).

 この「赤い月」はそのシリーズの中でもちょっと異色の作品だった.原作はあのミステリー作家松本清張(高校殺人事件の題名で出版),主人公である高校生の近辺で殺人事件が発生する.当初は偶発的な事件かと思いきや,その背景にはより大きな組織(旧日本軍の莫大な財宝)が関係していたという展開である.タイトルの赤い月は殺人現場となった学校裏手にある沼地から見た月が赤かったことに由来していた気がする.オープニングテーマがトランペットの独奏曲で,サスペンス感を盛り上げているなど(あの音楽,ぜひまた聴きたい.どこかに音源が残っていないだろうか),もう一度見たい作品ではあるが残念ながらDVD化はされていないようだ(ヒロインの女の子がムチャクチャ可愛かった記憶がある).

 ドラマでは赤い月と殺人事件をオーバーラップさせて幻想的な雰囲気を盛り上げていたが,月が赤く見えるのは別に何かの予兆ではなく単なる自然現象である.大気中に水蒸気やチリなどが多く含まれると,月の光のうち波長の短い成分(紫に近いほうの色)が乱反射されてしまい,地上の観測者には赤色主体に見えるという寸法である(ちょうど朝日や夕日が赤いのと同じ理屈).

Redmoon

 先日帰宅しようとして見えた月が赤かったことからこの話を思い出した次第である.

 (写真) 東の空にかかる赤みを帯びた満月

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2008年3月 2日 (日)

チルチル・ミチル VS ヘンゼルとグレーテル

 子供の頃から時々混乱するものに,今回表題に挙げたものがある.

 チルチル・ミチルはベルギーの作家メーテルリンクが書いた「青い鳥」の登場人物で,幸せの青い鳥を探す貧しい兄妹である.一方のヘンゼルとグレーテルグリム童話の登場人物で母親に捨てられて森で魔女に遭遇する兄妹だ(お菓子の家が登場する).

 冷静に見るとストーリーなどまったく違う作品なのだが,時に「あれっ,どっちだっけ」と一瞬考え込むのは,どちらも兄と妹で,家を出て冒険(さすらい?)を繰り広げた後帰宅すること,青い鳥やお菓子の家などのメルヘンチックなアイテムが登場するからだろう.

 青い鳥の方は青い鳥症候群などという使われ方をするように,身も蓋もない言い方をすると,人間の欲には限りがないというもので,幸せの青い鳥を探していろんな国を巡るのだが結局見つからず,家に帰ってみたら家の鳥がそうだったという話である.

 一方のヘンゼルとグレーテルの方は,本当は怖~いグリム童話の例に漏れず,飢饉から口減らしのために子供を捨てる話である.親に捨てられ森をさまよう兄妹はお菓子の家を見つけるが魔女に捕らえられてしまう.しかしグレーテルの計略で魔女をやっつけて家に帰るという話である.

 こんな二つの作品であるが,混乱ついでにチルチル・ミチル兄妹とヘンゼル・グレーテル兄妹が戦ったらどうなるんだろう.おそらくはヘンゼル・グレーテル兄妹の圧勝に終わりそうだ.理由としてグレーテルという童話界屈指の策略家の存在がある.兄妹が魔女をやっつけて家に帰ることができたのは9割方グレーテルの功績である(ヘンゼルはほとんど活躍しない).呑気に青い鳥を追っかけているチルチル・ミチル兄妹は簡単にグレーテルの計略にかかりそうだ(笑).

 追伸) メーテルリンクというと,銀河鉄道999のメーテルを思い出す.松本零士氏は関連を否定しているそうだが,アニメ999のオープニングの最後の歌詞が「きっといつかは君も出会うさ青い小鳥に~」となっているのは偶然だろうか?

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2008年3月 1日 (土)

3月と弥生

 今日から3月である.年度末に向けて周囲が慌しくなってくる季節である.

 ところで3月のことを弥生という.1月=睦月,2月=如月……とそれぞれ別名があるが,12の月のうち別名に月の字が付かないのは3月の弥生と12月の師走のみである.どうしてなのか昔から疑問に感じていたのだが未だに理由を知らない.

 それはともかく,弥生というと女性の名前としても使われている.弥生=3月なのだから,3月生まれであるケースがほとんどなのだが,過去に一人だけ3月生まれじゃない弥生さんにあったことがある(なんでも彼女の親御さんがやよいという名の響きに憧れて付けたのだそうだ).

 作品世界での弥生さんでは,アニメ一休さんに出てくる商人桔梗屋の娘の弥生さん(いつも一休さんをギャフンと言わそうと画策して失敗する)がいるが,その他松本零士の1000年女王(ラー・アンドロメダ・プロメシューム)の地球での名前が雪野弥生だった.作者の設定では1000年女王=機械化帝国の女王であり,1000年女王では自転車に乗ってラーメンの出前をやっていた弥生さんと,銀河鉄道999で鉄郎をネジにしようとした機械化帝国の女王とのギャップの大きさにめまいを覚えるのだった.

Img301 (写真) コミック版の1000年女王

 そんなわけで日もどんどん長くなる3月は春の足音も聞こえ,新しい生活や出会いを予感させる,私にとって心躍る月なのである.

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2008年2月29日 (金)

2月29日

 今日はほぼ4年に一度の2月29日である.ほぼというのは,うるう年は原則として西暦で4で割り切れる年に設定されるのだが,100で割り切れる年には設定しないためである(ただし400で割り切れる年には設定される.これがため西暦2000年はうるう年だった).

 4年に1回しかないとはいえ,この日に生まれる人もいるわけで当然誕生日が2月29日という人が存在する.子供の頃は2月29日生まれの人は4年に1回しか年を取らないのかなどと思っていたのだが,法的には3月1日として処理するらしい.

 さて,そんな2月29日生まれの有名人として作曲家のG. ロッシーニがいる.歌劇「セビリアの理髪師」,「チェネレントラ(シンデレラ)」,「ウイリアム・テル」などの作曲家として有名だ.彼はイタリア出身であるがヨーロッパ各地で活躍し,その作品は大人気を博していた.それがために同時代の作曲家の妬みも買ったようで,あのベートーベンも友人に愚痴をこぼしている.

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送っている.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつか書いている(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).彼はまた作曲が早かったことでも知られている.オペラの作曲というと時間がかかって大変そうというイメージは,後のヴェルディやワーグナー以降の話で,ロッシーニの時代にはウケるオペラをいかに早く書くかが大事だったのである.あの名作「セビリアの理髪師」をロッシーニはわずか3週間で作曲したのだが,ある人がそのことを同時代の作曲家ドニゼッティ(ルチアや愛の妙薬で有名な作曲家)に言ったところ,「そりゃそうさ,それだけ彼は怠け者だってことだ」と答えたという(ドニゼッティもまた,筆が早い作曲家だった.そのためオーケストレーションが結構陳腐で,後にワーグナーに大きなギターと揶揄されている).

Rossini_2 (写真) メタボチックなロッシーニ

 結局1868年に滞在中のパリで亡くなったのだが,死因は大腸がんといわれている.今残されている彼の肖像画を見ると,恰幅がよく今風に言えばメタボリックシンドロームのようだ(高血圧や高脂血症もありそう).食生活と大腸がんは関連があるといわれており,彼の場合もそうだった可能性はある.

 わが身を振り返ってみると,そろそろお腹に余計なものが付着して来ているようで,ロッシーニの後半生は羨ましい一方,まねしてはいけない生活とも思えるのだった.

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2008年1月 9日 (水)

お寺の名前

 私は基本的に理系です.小学校時代から理科が大好きで,高校は理系,大学も理系学部です.しかし全くの文系オンチというわけでもなく,ローマ帝国史やそれに続くビザンチン帝国史,幕末維新史などの歴史も大好きで,関連図書もたくさん読んでいます.ただ,やはり学術的なところでは苦手な分野も多く(特に文学はからっきしダメ),神社仏閣なども得意なほうではありません.

 そんなわけでお寺に関して,ふと思った疑問,寺の名前って基本的に音読みですよね.たとえば土方歳三の菩提寺になっている寺は石田寺と書いて,”せきでんじ”と読みます.土方歳三の出身地の名前である石田村(いしだむら)に由来していることは明らかですが,名前は”いしだでら”ではなく,”せきでんじ”です.

 同様に浅草にあるお寺(浅草寺)も”あさくさでら”ではなく,”せんそうじ”だし,品川にあるお寺(品川寺)も”しながわでら”ではなく,”ほんせんじ”です.浅草(あさくさ),品川(しながわ)といった地名は元からあったハズですから,そこにあるお寺も”あさくさでら”,”しながわでら”にしてもよさそうですが,あえて音読みになっています(一方同じ浅草でも神社の方は”あさくさじんじゃ”と訓読みです).

 やはり仏教は外来の宗教だから音読みで,神社は日本古来だから訓読みということなんでしょう.と思って納得しようとしたんですが,急に疑念が….京都にある有名な清水寺は”きよみずでら”であり,”せいすいじ”ではありませんね.これはいったいどういうことなんでしょう?(山形市にある山寺”やまでら”も訓読みですが,山寺は通称で本来は立石寺”りっしゃくじ”です)

 

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2007年12月24日 (月)

クリスマスオラトリオ本番

 一夜明けて,今日12月23日はいよいよクリスマスオラトリオの本番である.リハーサルは午後からというわけで,午前中は台湾最大の見所”故宮博物院”を訪ねた.ここには清朝の宮殿(紫禁城)に秘蔵されていた中国歴代王朝の秘宝が展示されている.元々は北京の紫禁城にあったのだが,1931年の満州事変から始まる戦乱のため当時の国民党政府によって南京,その後中国各地にに疎開させられた.その後国共内戦で敗れた国民党政府が1948年に台湾に持ち去ったものである.現在北京にも同名の故宮博物院があるが,所蔵品の質では台湾の博物院の方がはるかに上といわれている.収蔵品の数は約70万点近くといわれており,ルーブル美術館などと同様,まともに見学しようとしたら1週間はかかりそうな感じだ.今回は時間がないので,ガイドに案内されて駆け足で見学した(団体旅行最大の欠点である).

Pc230058 故宮博物院にて,団体旅行のバッジをつけています.普段個人旅行ばかりの私には珍しいショットです.

 博物院の見学後は市内のレストランで昼食を摂り(2回目の中華料理),そのまま演奏会会場である”懷恩堂”という市内の教会に向かった.ここはバプテスト教会で,あの李登輝前総統もここの教会員らしい.会場となる礼拝堂はなんとなく体育館のような広々とした造りだった(座席も2階席まであった).

Pc230073 リハーサルにて

 2時過ぎからリハーサルとなったが,練習の方はともかく,2階席最前列に設置された巨大ライトが眩しくて困った(今回のクリスマスオラトリオは台湾初演らしく,テレビカメラも入るというウワサだった).リハ終了後着替えとなり,3時45分に舞台袖の廊下に待機しいたら,指揮者のシュマルフス氏がニコニコしながらやってきて,「ガンバリマショウネ」といっていた(シュマルフス氏は日本語が堪能である).

Img284 これが今回の演奏会のパンフです(巴赫=バッハ,聖誕神劇=クリスマスオラトリオ).

 さあ,そしていよいよ入場,客席は満員である.台湾人ソリストとシュマルフス氏が入場するとひときわ大きな拍手が起こった.

 クリスマスオラトリオは全6部からなるが,今回演奏されるのは前半の1部から3部までである(12月25日用,26日用,27日用).第1部の冒頭合唱はティンパニーと3本のトランペットが活躍する祝典的な楽曲だ.シュマルフス氏のテンポの良い指揮に乗って軽快に始まる.”Jauchzet, frohlocket, auf, preiset die Tage,”(歓呼の声を挙げ,喜び躍れ,いざこの日々を).

 その後レシタチーヴォ,アリア,コラールと粛々と演奏そのものは順調に進んでいったが,気になったのは客席の方.演奏中なのだが,客の出入りが激しい.指揮者を見て集中しようと務めたのだが,どうしても視野に人の動きが入ってしまい,集中し切れなかったのがちょっと残念だった.今回の演奏会はエバーグリーン交響楽団の演奏会というより,懷恩堂のクリスマスコンサートのようで,聴衆は教会の方々が多かったらしく,あまりクラシックのコンサートには慣れていないのかもしれなかった.

 それでも演奏後には大きな拍手が起こり,こうしてクリスマスオラトリオの台湾初演は無事に終了した.

Pc230094 夜の懷恩堂は美しくライトアップされていました.

 終了後にはシュマルフス氏もお迎えして,市内のレストランで打ち上げ夕食会が行われたのでした(3回目の中華料理).

Pc230098夕食会場にて指揮者のシュマルフス先生と記念撮影

 その後は台北名物(?)の夜市に繰り出した我々であった(アジア的な熱気に包まれた繁華街でした).

Pc230109 夜遅いというのにもの凄い人出で賑わっていました.

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2007年12月23日 (日)

台湾に到着

 (この記事は12月24日夜に書いています)

 復活レセプション終了後我々を乗せたバスは一路成田空港を目指した.出発してあっという間に寝てしまった私だったが,途中のトイレ休憩に目を覚ました.時計を見ると午前3時半,場所は福島県の安達太良SAだった.その後再び寝入ってしまい,次に起きた時はもう千葉県だった.疲れた体を休めようと,途中どこかのスーパー銭湯にみんなで寄ったあと,11時過ぎに成田空港に到着した.

 今回私が利用するのは台湾のエバー航空であり,第1ターミナルからの出発となる.いつもの個人旅行なら空港内の書店などを歩き回るのだが,今回は集団行動ということでみんなの後から付いていった.旅行会社(私たちの合唱団となじみの深い”トラベルe旅.COM”という会社である)の人から注意事項の説明等を受け,そのままみんなでセキュリティチェックを通って出国審査場へ,前回の旅行の際スタンプを押されたパスポートのページに余白があったため,そこに押してもらおうと,そのページに航空券をはさんで出したのだが,あっさり無視されて別のページに押されてしまった.その後は免税店を冷やかしたりしながら出発ゲートに向かう.

Pc220020 エバー航空の機体

 出発は14時ということで,13時35分ごろから搭乗開始,乗り込んでしばらく待つがなかなか出発しない(成田空港の発着枠はかなりタイトでしょっちゅう遅れるのだが…).結局30分遅れぐらいでようやく我々は機上の人になった.

 成田から台北までは約3時間半である.水平飛行に入った後,食事となった.今回のメニューは魚と豚肉の選択だった.豚肉のほうを頼んだのだが,カレーピラフが付け合せになっていて旨かった(ヨーロッパ系の旅行会社よりは日本人の口に合うと思われた).昨夜は夜行バスだったので,少し寝ようと思ったのだが,さっぱり寝られず,あっという間に飛行機は台北の国際空港に到着した(桃園国際空港というらしい.台北には他に松山空港というのもあり,こちらは旧陸軍の松山飛行場が前身である).到着後,入国審査をすませ(ここではちゃんとページの余白にスタンプを押してくれた),迎えのバスに乗って一路練習会場に向かった.

 本日の練習会場は,エバー航空のビル(?)だった(今回共演するエバーグリーン交響楽団がエバー航空の系列のためらしい).我々が到着するとすでにオケの面々や指揮者のゲアノート・シュマルフス先生(指揮者のシュマルフス先生とは2年前の暮れにドイツでお世話になっている 関連記事)もすでに来ていた.空港から直行で夕食を摂っていない我々のために,エバーグリーン交響楽団からサンドイッチやミネラルウォーターの差し入れがあり,それにパクつきながら準備をした.

Pc220037 練習の様子

 今回の演奏は指揮はG. シュマルフス氏,オケはエバーグリーン交響楽団,4人のソリストはすべて台湾の方である(個人的にはバスの方がいい味を出していて良かった).私の右隣には合唱指揮の佐々木正利先生が来たため緊張しまくりだったが(笑),何とか無事に練習は終了した(音が響かない会場だったため少し不安になった).

 練習終了後は市内のレストランに移動して皆で台湾料理を堪能したのでした(1回目の中華料理).さあ,いよいよ明日は本番です.

Pc220049 Pc220045 (左)練習後は市内での夕食会です,(右)今回の旅行でお世話になった台湾ビールです.

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2007年12月22日 (土)

「復活」そして旅立ち

 (この記事は12月22日夜に書いています)

 一夜明けていよいよ「復活」本番の日がやってきた.この日の集合は午後2時,ということは12時には当地を出発する必要がある.というわけでこの日は,普段使うことがないため溜まりに溜まった年次休暇を使うことにした(年次休暇などを使って休むと,たちまち業務に支障をきたすため,めったに使えない.一応上からは”適切に年次休暇を消費するように”という通達が来るのだが,こんな紙切れ1枚をよこすなら,人員を増やしてくれと叫びたくなるのだった).とはいっても,そのままでは業務に支障をきたすため、この日は特別に大学病院から応援医師も呼んだ.外来予約も少なめにして,なんとから11時半には外来のめどが付いた.あとは応援医師に頼んでさあ出かけようと思った矢先に……,結局予定より1時間遅れの午後1時に当地出発となってしまった.パートリーダーに遅れる旨を連絡して出発,会場に付いたのは3時半だった.しかし幸いまだリハーサルは始まっていなかった.

 16時ごろからリハーサルになり,その後着替えをして集合場所である盛岡市民文化ホール小ホールに集合,ここで最後のミーティングとなった.合唱指揮の佐々木正利先生から注意事項の伝達があり,いよいよ気分は演奏会モードだ.指揮者の飯森氏もやってきていくつか指示をいただく.そしていよいよ舞台袖に集合する時間である.

Pc210001 パイプオルガンのある小ホールで最後の確認です.

 舞台袖に行くと,大勢のオケの人たちがいた.マーラーの「復活」は規模が大きいのはもちろんだが,ステージ上のほかに,舞台の外にもオケが設置されるため(金管楽器を中心に),それらの人たちも待機していた.

 さあ,いよいよ本鈴が鳴って入場である.「復活」は5楽章からなり,合唱が登場するのは最後の第5楽章のみであるが,演奏途中で入場するのは困難なので,はじめからステージ上で待機することになる.合唱団に続いてオケが入場,そしてひときわ大きな拍手とともに指揮者の飯森氏が入場してきた.

 指揮者のタクトに合わせて静かに」演奏が始まった.100人規模の大オーケストラの演奏はpppからfffまでダイナミックで迫力満点であった.見渡すとステージ上にはオケの人たちがまるで波のように躍動している.指揮の飯森氏は,オケの人波の上で華麗に舞っているかのようだった(昔の宮崎アニメ「風の谷のナウシカ」で,その者青き衣を纏いて,金色の野に降り立つべし”というのがあったが,まるで衣装を着けた飯森氏がオーケストラの野に降り立ったかのような感じであった).マーラーの曲は重厚で,私のように普段フランス革命以前の作品を中心に愛好しているものとっては非常に疲れる曲である(復活の1楽章をピアノで聞いたハンス・フォン・ビューローが「これが音楽だとすれば,私には音楽が分からない」といったそうだが,確かに音が多い).しかしこの夜の演奏はまったく疲労を感じさせないものだった.

 順調に演奏は進み,いよいよ最終5楽章となった.いかにもワーグナー後という感じの派手な楽曲が一段落して,合唱の冒頭”Aufersteh'n ~”が静かに始まった.背筋がぞくぞくする瞬間である.pppから始まった合唱は徐々に盛り上がっていく.この歌詞はフリードリヒ・クロプシュトックによる賛歌「復活」にマーラー自身が加筆したものである.その内容は最後の審判とその後の復活をテーマとした壮大なものである.どんどん曲想が高揚して行き,最後の”Was du geschagen, zu Gott wird es dich tragen!”では感動のあまり声になりませんでした.

 演奏会が終わり,レセプションには飯森氏やソリストの森麻季さん(ソプラノ),寺谷千枝子さん(アルト)も参加して下さった.各先生方からはお褒めの言葉を頂き,我々合唱団員一同,感動的なひと時を過ごすことができたのでした(この時に知ったのだが,この日飯森先生は体調が良くなかった{お話からノロウイルス感染症と思われた}とのことだったが,とてもそうとは思えなかったのは,やはりプロだからですかね).

Pc210009 レセプションでの飯森範親氏

 そしてレセプション終了後,本来なら2次会になだれ込むところですが,私を含めた合唱団員は,次なるイベント,台湾でのクリスマスオラトリオ公演に向けて,待機していたバスに乗り込み,一路成田空港に向かったのでした.

Pc220017 成田空港に向かうバスに乗り込んだ私とK

 

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2007年12月20日 (木)

マーラー「復活」公演前夜

 (この記事は12月22日に書いています)

 さて,2007年ビザンチン帝国のハイライトともいうべき週末が近づいてきた.それは盛岡で行われるマーラーの交響曲第2番「復活」公演,そしてその後の台湾演奏旅行である.本日20日は21日の復活演奏会のオケあわせが行われる.とはいっても仕事が休みになるわけではないから,仕事が終わってからの参加となる.当地から盛岡まで2時間かかるため,19時からの合わせに間に合わせるためには,遅くとも17時には出発する必要がある.というわけでこの日は朝から気合を入れて,火の玉モードに突入(目の中に炎が燃える星飛雄馬状態),外来から病棟,病棟から検査と目を血走らせて飛び回り,16時30分になんと当座の仕事をほぼ片付けて一路盛岡に出発した.当地から盛岡に行く場合,二戸駅まで車で行って(1時間)新幹線に乗っていくのが速くて確実である.結局18時34分に盛岡駅に到着,会場の盛岡市民文化ホールは目の前である.

 行くとちょうどオーケストラの練習をやっていた.マーラーの楽曲は非常に規模が大きい.当然オケ編制もでかく総勢100人を超える.それに加えて200人規模の合唱団だ.市民文化ホールのステージに全部乗るのか不安だったが,オケピットを上げてステージを拡張することで対応できたようだ.

 そしていよいよ合唱との合わせの開始である.今回の演奏会,オケは東京交響楽団,指揮は飯森範親氏である.飯森氏は写真で見る感じでは私と大して違わない年齢に見えるが,以前の練習で「25年前に盛岡の高校の吹奏楽部を指導したことがある」とおっしゃっていたことから,明らかに私より年上であることが判明し(25年前私は高校生),「えー,若い」と思ったのでした.練習は順調に進み,ダメ出しを経て21時過ぎに解散となった.私はそのまま21時41分の新幹線でとんぼ返りして,外来に残っていた書類の片付け等を行ったのだった(泣).

 さあ,明日はいよいよ本番である(どんな演奏になるのか非常に楽しみであった).

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2007年12月12日 (水)

置き字

 いわゆる漢文に置き字と呼ばれるものがある.これは漢文を訓読(日本語として読む)する際に読む必要のない文字のことである.あくまで訓読の際に不要というだけで,決して無意味な文字というわけではない.

 例) 「朝聞道夕死可矣」 訓読 「朝ニ道ヲ聞カバ、夕ベニ死ストモ可ナリ」.この場合最後のが置き字ということになる.

 なんでこんな話題を出したかといえば,仙台市の泉区にある「七北田」という地名を思い出したからである.なんと読むかといえば,”ななきた”,漢字と見比べるとわかるが,最初の二文字ですでに完結している.「七北」で十分であり,最後の「田」は読む必要のない文字となっている.そのため昔仲間内では七北田の最後の田の字は置き字だなどと言っていた(笑).実際に「七北田」を”ななきた”と読める人は少数派である(”ななきただ”とか”ななきたでん”とか呼ばれることもあった).

 そういえばフランス語で母音が付かない語尾の子音は発音しないが,これも一種の置き字なのだろうか.

 例) étudiant(男子学生 エトゥディヤーンと発音し,最後の t は発音しない.ちなみに女子学生になると étudiante と最後に母音が付くため,エトゥディヤーントになる)

 世界に広がる置き字ワールドである.

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2007年12月10日 (月)

コスプレ忘年会2007

 例年忘年会で扮装している私ですが,今年は屋外ロケに繰り出して,撮影した写真をストーリー仕立てで発表しました.その写真集を公開いたします.

  三陸鉄道999(ビザンチン美術館)

 実際にやったのは医療系のネタを交えたものだったんですが,内輪ウケの世界なので,ここでお見せするのは一般向けに再編集したものです.

Pc100002 やり残したネタを実現するため,最後の準備をしています.

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2007年12月 5日 (水)

復活とクリスマスオラトリオ

 今年の12月はイベントが多い.忘年会ももちろんだが,音楽関係のビッグイベントが2つもある.ひとつは12月21日に盛岡市民文化ホールで行われるマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会,もうひとつがその2日後に台湾で行われるバッハのクリスマス・オラトリオの演奏会(第1部~第3部)だ.

Img282 マーラー交響曲第2番「復活」演奏会のチラシです.

 マーラーの「復活」は指揮者が飯森範親氏,オケが東京交響楽団である.ワーグナー以降の作品であり,オケの規模もすこぶるでかい(なんとホルン,トランペットが10本も出てくる! ステージにオケ・合唱団が全員乗るのか心配).演奏時間80分,全5楽章からなり第5楽章に合唱が登場する.普段バッハやヘンデルなど18世紀くらいの作品を中心にやっている者にとっては,ドイツ後期ロマン派の重厚な雰囲気に感動を覚える.曲も次の音が想像できないなど(バロックの作品の場合歌っていると,次の音は大体想像がつく),当初戸惑うことが多かったが,練習しているうちになじんできた感じだ.この感動的な大曲,当日どんな演奏になるか楽しみである.

 そしてもうひとつの企画,12月23日に本番のクリスマス・オラトリオは指揮がG. シュマルフス氏,オケは台湾のエバーグリーン交響楽団だ.会場は台湾の台北である.昨夜(12月4日)盛岡で本番の指揮をするG. シュマルフス先生を迎えての練習があり,私も行ってきた.練習できる時間は少ないが,悔いが残らないように頑張りたいものだ.

Pc040004
盛岡での練習終了後帰り道にて.冬型の気圧配置に覆われた平庭峠は雪で,気温はなんとマイナス6℃でした(寒).

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2007年11月20日 (火)

台湾

 来月台湾に行くことになった.

 私も所属している合唱団が2年前にドイツでお世話になったゲアノート・シュマルフス先生(北西ドイツ音楽大学教授)が,台湾のエヴァーグリーン交響楽団の音楽監督をされているのだが,来月台湾でバッハのクリスマス・オラトリオの演奏会をするとのことで,その合唱団の一員としてである.

 クリスマス・オラトリオBWV 248は,マタイ受難曲BWV 244,ヨハネ受難曲BWV 245,ロ短調ミサ曲BWV 232とともにバッハの四大宗教曲に挙げられる傑作である.全曲を通すと3時間かかる大作だが,本来は1日で演奏されるものではない.12月25日から翌年の1月6日(顕現節)にかけて6回にわけて演奏されるべきものである.曲は第1部から第6部まであり,第1部が12月25日(降誕節第1主日),第2部が12月26日(降誕節第2主日),第3部が12月27日(降誕節第3主日),第4部が新年1月1日,第5部が新年後最初の日曜日に,そして第6部が1月6日の顕現節に演奏される.今回台湾ではこのうち第1部から第3部までを演奏するらしい.本番は12月23日(日),そう12月の3連休の中日である.当初からここの3連休私は非番で,冬の温泉紀行としゃれ込もうと思っていたのだが,台湾に変更になりました(笑).

Img013 シュマルフス教授と(2005年12月31日 デットモルト in ドイツ)

 これまでもドイツやフランスでバッハをやったことはあるが,まさか台湾でやる日が来るとは思わなかった(南国イメージとバッハってあわないよなぁ…).

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2007年11月10日 (土)

敦賀と松本零士

 先週敦賀に行ってきたのだが,ここにはちょっと変わった観光名所がある.それが漫画家松本零士氏の有名な作品,「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像である.駅前のアーケード街の両側に合計28体の像が並んでおり,駅から見て右側に「銀河鉄道999」の像16体が,左側に「宇宙戦艦ヤマト」の像12体が並んでいる.像のコンセプトは999の方は映画版「銀河鉄道999」のもの(鉄郎の顔が大人っぽいバージョン),ヤマトの方は昭和55年に公開された映画「ヤマトよ永遠に」である.

 街の目抜き通りのモニュメントというと,鳥取県境港市の妖怪ブロンズ像が有名であるが,こちらは漫画家水木しげる氏の出身が境港であることに由来するもの,じゃあ松本零士氏は敦賀に関係があるのかというと,実は特にないらしい(松本氏は福岡県生まれ).何でも敦賀開港100周年記念事業のひとつとして1999年に造られたそうである.敦賀が港と鉄道の街ということで999とヤマトになったそうだが,個人的にはせっかく1999年なのだから1000年女王でも良かったのではなどと思ってしまった(ちょっとマイナーか).999もヤマトも私が中高生の頃流行っていて,熱中して見ていた懐かしい作品である.

 ブロンズ像の写真は美術館のほうにアップしました.

 銀河鉄道999 in 敦賀

 宇宙戦艦ヤマト in 敦賀

Img279 市内の周遊バスのイメージも松本零士作品です.

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2007年11月 8日 (木)

氣比神宮

 福井県敦賀市の見所のひとつに氣比神宮がある.702年(大宝2年)に建立されたというから1300年以上の歴史を持つ神社である.江戸時代には,あの松尾芭蕉も訪れたという.

Pb040248 氣比神宮の入り口です.大鳥居が見事です.

 そんな氣比神宮で変わったおみくじを見つけた.名づけて氣比の恋みくじというらしい.要するに恋占いというわけだ.恋の成就ということであれば,同じ敦賀市内にある金崎宮が”恋の宮”として知られているのだが,どうして氣比神宮の方に恋みくじがあるのかは不明である.

Pb040241 氣比の恋みくじだそうです.名物なのかどうかはわかりません.

 せっかくなので挑戦してみることにした.100円を入れてたくさんの御籤の山の中から1枚を採ると……,

Pb040242

Pb040243 (左)愛情運は中吉で,過去のことは忘れて,新しい恋に人生をかけろということだそうです.自暴自棄になると身を滅ぼすそうです.(右)てんびん座で,戌年生まれで,B型で多少年の差がある人がいいのだそうです.上段で決心して縁談を進めろと書いていますが,下段ではまだ早い,2,3年待てと矛盾したことが書かれています(笑).

 見終わった御籤は,神社の結び木に結んできました.

 

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2007年10月14日 (日)

お茶

 鉄道記念日の10月14日,私はオンコール(急な呼び出しに対応する係)のため,遠出はできず,家と病院をブラブラしていた.

 ところでウチのKはお茶の教室に通っているのだが,実は今日地域の文化祭みたいなものがあり,そこで茶席を設けるから来てくれと言われた.できれば和装で来て欲しいという.和装かぁ,私も時々和装をするが,私の持っている着物は新選組衣装など,まともなものではない.まさか新選組のダンダラで行くのも失礼と思い,知らない人が見ると正装にも見える,龍馬紋の着物で出かけることにした(さすがに品位を疑われると困るので,刀やS&Wは持参しなかった 笑).

Pa140005 地域の公民館のようなところで行われていました.

 茶席に出向くと,なにやら着物を着た人たちがたくさんいる.この筋に全く詳しくない私は,畏まって茶菓子を食べ,お茶をいただいたのだった.

 追伸: ところでウチのKが「茶道は総合芸術である」(お茶以外にも,掛け軸や茶碗などの美術,お花や菓子など,他の芸術の要素も包括しているためらしい),と言っていたが,要するに和風芸術界のワーグナーということなのか.

Wagner 諸芸術を総合(aufheben 止揚というべきか)して,従来のオペラ(歌劇)の枠を越えた,楽劇(Musik drama)を作ろうとしたR. ワーグナー

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2007年10月 8日 (月)

秋の三連休Ⅰ~ベルリン国立歌劇場~

 さて,10月6日から8日まで秋の3連休である.2連休でもどこかに出かける私である.3連休なのにどこにも行かないというのはありえないのだった.とはいっても今回は,連休初日の6日に大きなイベントが予定されていたのである.それは,上野の文化会館で行われたベルリン国立歌劇場の引越し公演である.

Img274 今回の公演のパンフレットです.

 ドイツの首都ベルリンはウィーンやパリなどと並ぶクラシック音楽のメッカであり,創立から250年以上の歴史を持つ,ベルリン国立歌劇場も世界的に著明なオペラハウスである.旧東ベルリンにあったことから,東西冷戦時代には影が薄かった時期もあるが(西ベルリンにあったのがベルリン・ドイツ・オペラ),ドイツ統一後,あのバレンボイムを迎えてから再び存在感を増してきている.我が家では私もKも大のオペラ好きのため,今回の公演はそれこそ首をキリンのように長くして待っていたのであった.

Img275 1991年壁崩壊直後に私が訪れた時のブランデンブルク門です.ここは東ベルリン側になります.

 今回我々が鑑賞する演目はモーツァルト作曲の歌劇「ドン・ジョバンニ」である.開演前からすでに大勢の人たちでごった返していた.入り口には大入りの看板も架かっている(関係者に大入り袋が配られたのかは不明).

 定刻になり大きな拍手と共にバレンボイムが登場,ゆっくりと音楽が始まった.舞台はというと,さすがはベルリン国立歌劇場,まったく危なげない演奏であった.演出もどちらかといえば保守的なもので,特に最近のザルツブルグ音楽祭などの奇抜な演出に疲れた人間にはほっとするものでした(とはいっても決して古臭い演出ではなく,舞台の奥行きを深くみせる演出は素晴らしいものだった).

Pa060007 楽しそうな小泉氏です(休憩時間中).

 追伸: 我々の席から程近い2階席正面最前列に,どこかで見たことがある人がいると思ったら,なんと元首相の小泉純一郎さんでした(日本の元首相とビザンチン皇帝の接近遭遇 笑).オペラ好きとは聞いていたが,まさか来ていたとは….終始楽しそうに観劇しておられました(幕間の休憩時間後,小泉氏が席に戻ると会場内から拍手が…,何も知らない楽団はバレンボイムが出てきたのかと戸惑ったのではと心配してしまいました 笑).

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2007年9月12日 (水)

上有住と八つ墓村

 先週末の一関の学会(あまり気合が入っていない)の際,行きには宮古市のとどヶ埼に寄ったのだが,帰りに寄ったのがここ,住田町上有住(かみありす)である.住田町は岩手県の沿岸南部,大船渡市の隣町である.これといった特徴も見当たらない町だが,この住田町唯一のJRの駅が,ここ上有住にある.とはいっても,ここが住田町の中心部というわけではない.中心部は世田米(せたまい)といって車で20~30分離れたところになる.しかもこの上有住駅,上有住という集落の中心にあるわけでもない.上有住の集落へは駅から車で10分位ある.ではなぜにこんな所に駅があるのか.

Kamiarisu 上有住駅周辺の釜石線.急勾配を登るため,北に向かって強く屈曲しています.

 上有住駅のあるJR釜石線は内陸の花巻市(宮沢賢治の出身地)から民話の故郷遠野市を通って沿岸の釜石市に行く路線である.大昔は岩手軽便鉄道といって宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになった路線でもある.この釜石線最大の難所が遠野-釜石間の仙人峠で,あまりの勾配のキツさに線路をループ状にして距離を稼ぐことで,やっと汽車が走れるのだった.上有住駅は遠野市の足ヶ瀬駅と釜石市の陸中大橋駅の中間の山の中にある.

P9090040 上有住駅前です.

 実際に上有住駅に降り立って見ると,駅周囲には人家もなく,完全に秘境駅の面影である.しかしここが秘境駅とされていないのは,駅前に滝観洞(ろうかんどう)という観光スポットがあり,路線バスも走っているからなのであった(つまりここに駅が存在する必然性があるということ).

P9090043 気仙川に架かる太鼓橋を渡って行きます.

 岩手県内陸部の北上山地は西側の奥羽山脈と違って火山性の山地ではなく,安定した古い地層からできている.このため地震に強く(実際,三陸沖で地震が起きても盛岡に比べて,震源に近いはずの北上山地の方が震度が小さいことが良くある),山中には大型の鍾乳洞が良く発達している.日本三大鍾乳洞に数えられる龍泉洞や規模では日本一といわれる安家洞がとりわけ有名だが,ここ滝観洞も洞内落差日本一の滝を持つ鍾乳洞として知られている.ただ,龍泉洞など全国区の鍾乳洞と違って,全ての観光客が安全かつ簡単に探索できるわけではなく,内部は水が滴り,低い天井からは尖った岩があっちこっちに飛び出しているため,入洞に際してはレンタルのゴム長を履き,ヤッケを着て,ヘルメットを被らなければならない(特にヘルメットは必須,被らないで入ると確実に頭部外傷で病院送りになります).

P9090049 滝観洞の内部です.

 そんな曲がりくねった鍾乳洞をある時は這い,ある時はバシャバシャと水溜りを歩いて進んでいくと,最深部のちょっと開けたドームに到着する.ここの天井の大理石の裂け目から落差29mと,鍾乳洞内としては日本一の滝(天岩戸の滝)が流れ落ちている.

P9090053 そしてここが幻想的な,最深部の天の岩戸の滝です.

 実はこの滝観洞,昭和52年公開の映画「八つ墓村」のロケ地になったところである(渥美清が金田一耕助を演じ,「たたりじゃ~」というCMが一世を風靡した作品である).横溝正史の原作にも鍾乳洞が登場し,ここでの冒険が物語の重要な要素になるのだが,そのロケ地に選ばれたのが,この滝観洞なのだった.あまり俗化されず,狭い曲がりくねった感じが原作の雰囲気を出すのにピッタリだったのかもしれない.洞内ところどころに,ロケについて記されたプレートがあった.

P9090059 八つ墓村について記されたプレート.字体が昭和50年代っぽくていいです.

 こんな滝観洞も岩手の隠れた名スポットなのだった.

P9090033 私が参加した学会の様子.あくまでも学会参加がメインです(笑).

 

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2007年9月11日 (火)

しながわ宿場まつり参戦

 ブログ仲間のフミヲさんに誘われて,私も参加することになりました.第17回しながわ宿場まつり.時代扮装をしてパレードを行い,その後参加者は扮装スタイルのまま街を徘徊して宿場の雰囲気を盛り上げようという企画です.

 私が扮するのは幕末の有名人,この人物の活躍がなければ,明治維新は数年遅れたか,下手をすると明治維新なんて来なかったかもしれないというほどの著名人です(笑).

 参加の皆々様,当日はお手柔らかに願います.

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2007年9月 7日 (金)

パヴァロッティ逝く

 世界的なテノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティさんが亡くなったそうです.ドミンゴ,カレーラスと共にイタリアオペラ系3大テノールに数えられていた人です(実際には他の2人はスペイン系なので,純イタリア産はパヴァロッティだけです).

 クラシック大好き人間の私ですが,当初はドイツ系の作品から入ったため最初にパヴァロッティを聞いたときは,「なんか節操のない歌だなぁ」と思っていましたが,気がつくとあの,悪く言えば田舎臭い,野暮ったい,それでいて純粋なほどに輝かしい歌声の虜になっていました.

 残念ながら生で見る機会はありませんでしたが,我が家にもたくさんのLPレコード,CD,ビデオ等があります.私にとって印象深いパヴァロッティの演奏は,ロンドンから出ていた「ラ・ボエーム」(カラヤン指揮)と,ロッシーニの小ミサソレムニス(ガンドルフィ指揮)です.特に後者は私が彼の魅力を知るきっかけになった演奏でした(Domine Deusのテノール独唱なのですが,宗教曲というより,オペラのアリアにしか聴こえない演奏がたまりませんでした).

 昨年すい臓がんの手術を受けて故郷のイタリアで療養していたとのことでしたが,現地時間の6日に亡くなったとのことです.心からご冥福をお祈りします.

Img258 若き頃のパヴァロッティ氏(左端).ちなみにその右隣の女性は著名なソプラノ歌手のミレッラ・フレーニさんですが,彼女とパヴァロッティ氏は幼馴染で同じ保育園に通っていたそうです.件のカラヤンのボエームやガンドルフィの小ミサソレでも共演しています.

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2007年8月 8日 (水)

テッペンカケタカ

 先週末首都圏に出向いた私でしたが,その目的のひとつが劇団エル・プロダクツ(以下エルプロ)の公演を鑑賞することでした.エルプロはひの新選組まつりの隊士パレードで井上源三郎率いる六番隊の隊士を務めている人たちの劇団で,新選組を初めとする時代物を数多く取り上げて活動しています.私は縁あって昨年(2006年)のひのパレで井上源三郎役をやらせていただいたため,面識を得ることができました.エルプロの昨年の公演は「はなさかづき」,戊辰の会津戦争を描いた感動的な作品でした(関連記事はなさかづき).

Dscf0021 第9回ひのパレにてエルプロの皆さんと

 そのエルプロの第10回という節目の公演がこの「テッペンカケタカ」であります.場面は戦国時代,あの織田信長の生き様を描いた作品です.信長といえば,赤穂浪士の討ち入りと並ぶ,日本史のメジャーアイテムであります.そういうネタを扱う以上,通り一遍の解釈や演出では評価を得ることは難しく,相当なオリジナリティーを出す必要があるのではと思いました.HP「斬心」上に公演の案内が掲載され,ポスター(チラシ?)も掲示されたのですが,真っ赤な空とまばらな木が生えた大きな岩,添えられたキャッチコピーは「天辺の欠けた隙間から降りてくるのは何者なのか…」,「人々の願いを叶えるのは誰でもいい。神でも、悪魔でも」と.これを見ただけで「ムム,これはただの作品ではない」と期待を抱かせます.

Img176 テッペンカケタカのチラシ

 さて,肝心の舞台の方ですが,プロローグは信長誕生,子供は母親の愛情を受けて育つ,でももし母の愛が受けられなかったら…,なんとなく将来の暗い雲が予感されます.そして信長の天下布武の戦いが始まります.既存の価値観にとらわれず,政敵を容赦なく排除する信長,その傍には森蘭丸が控えています.しかし蘭丸には単なる小姓とは思えない,ただならぬ雰囲気が漂っています.時に自分のやっていることが本当に正しいのか自問する信長,しかしそんな時には,彼の分身とも言うべき吉法師が現れ,覇道を進んで王になれと囁きます.そんな信長の苦悩をただ一人理解していたのが明智光秀でした.

 物語のコンセプトは,本能寺の変で主君信長とともに非業の死を遂げた森蘭丸の無念の心が,時代を越えて過去に転生し,信長を王にすべく暗躍するというものでした.そして信長を中心に,秀吉や家康,光秀などの武将たち,蘭丸に協力するために同じく転生した細川ガラシャ,キリスト教の宣教師,さらには群集などが絡んでいくのでした(武将や大衆などの役はコロスという人たちが声色を変えて演じていました).ただ歴史のやり直しを演じている森蘭丸自身も,自分と信長の死についての記憶は失われているのでした.

 物語終盤,真の心を取り戻した信長は呪縛を振り切るべく光秀に自分を倒すよう命じます.驚きつつも信長の苦悩を知っている光秀は本能寺へと向かうのでした.

 この舞台,過去への転生や心を支配しようとするものの存在などSFタッチの作品となっています.人間の強い無念の心が魂を過去に転生させる,という筋立ては1980年代のRPGの名作ファイナルファンタジーを彷彿させました.歴史にifは禁物といいますが,本作品のように歴史の大筋には手を加えず,あくまでもその経過に新たな解釈を入れて,もしこういう背景があったらどのように展開しただろうかと考える筋立て(ある種の知的な遊び心)に非常に好感を抱きました.

 最後は歴史どおりの展開となるため,本能寺にて蘭丸は信長と共に命を落とします.物語の始まりが,非業の死を遂げた蘭丸の無念が過去に転生するというものでしたから,もしかしたら彼の心は再び過去に転生し,三度歴史のやり直しが起こるのではないか,ふと私はそう思いました(もしかすると永遠に繰り返される輪廻の世界では?).しかし舞台のラストに母の愛に包まれ,幸せに満ちた吉法師の姿が演じられました.私はこのシーンを見て,これで輪廻の鎖は断ち切られるだろうと確信しました.あれほど主君を愛した蘭丸が,主君の幸せな表情を見て歴史をもう一度リセットしようなどとは思わないだろうからです.

 戦国モノのお芝居や映画は数多いでしょうが,かなり斬新な脚本で,2時間があっという間でした.役者さんも皆個性は揃いで素晴らしかったです(ひのパレの殺陣とはまた違った楽しさがありました.わずか2日間の公演はもったいないとも思いました).

 追伸: 表題のテッペンカケタカというのはホトトギスの鳴き声だそうです(ホトトギスの鳴き声としては他に特許許可局というのもあって,私はそっちの方が近いのではと思ってたりします).初めてチラシを見たとき,「テッペンハゲタカ」かと思い,しかも配役に宣教師のフロイスの名が…,てっきりフランシスコ・ザビエルの頭の話(てっぺん禿げたか)かと思いました(笑).

Zabieru 髪の毛がテッペンカケテル,F・ザビエルです

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2007年7月25日 (水)

マダガスカルの民族

マダガスカル写真シリーズ10 サカラヴァ族のお墓編

 マダガスカルは日本の1.6倍もある大きな島であり,今でこそひとつの独立国であるが,元々は全島に約19の民族が割拠していた.その中でも現在の首都,アンタナナリブのある中央高地を支配していたメリナ族が最も勢力があり,19世紀初頭に彼らによって全島が統一された.その後フランスの植民地時代を経て,1960年に現在のマダガスカル共和国として独立したが,やはり中央高地のメリナ族が政治の中心であることに変わりはない.

 マダガスカルの諸民族はそれぞれ独自の文化を持っている.死者を埋葬するお墓の形態についても,マダガスカル諸民族は独自のものを作っている.たとえばベレンティー保護区のある南部に住むアンタンドルイ族のお墓は,形のそろった石材を積み上げたものである.一見すると家の土台か何かのように見える.

Haka2 アンタンドルイ族の有力者のお墓.お墓というより祭壇か何かのようです.

 一方,南東部のフォール・ドーファン(タウランニャロ)付近で見られるお墓は,墓石が立ち並ぶ,我々日本人が見てもあまり違和感を感じないものになっている.

Haka1 マダガスカル南東部のフォール・ドーファン付近で見られるお墓

 そんな中,マダガスカル西部に住むサカラヴァ族のお墓はある意味非常に特異的である.その特徴は大胆(すぎる?)な性表現にある.

 マダガスカルの伝統宗教の特徴は,その先祖崇拝である.マダガスカル人は先祖をとても大事にし,死者のために立派な墓を立てることが,子孫の重要な仕事となっている(マダガスカル人の間では現世の家より死んでからの家,すなわち墓の方が重要視される).そういう先祖崇拝の文化を持つ彼らにとって,墓で性を表現することは,子孫繁栄を先祖に祈るという,極めて重要な意味があると思われる.

 このサカラヴァ族のお墓,かつてはマダガスカル西部に広く見られたというが,島が観光化されるとともに,その多くが盗難にあってしまい,いまでは少数しか残されていないという.今回私は,バオバブ並木で有名なムルンダヴァにある,メナベ公園に飾られているお墓のレプリカを見た.

 このレプリカの写真,このブログ上に掲示しようかとも思ったのだが,ちょっと刺激が強いので,最近開館したビザンチン美術館の方にアップしました.興味のある方はどうぞ.

   サカラヴァ族の墓(ビザンチン美術館)

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2007年7月14日 (土)

スターウォーズ異聞

 ビザンチン皇帝の誕生秘話

 さて,普段ビザンチン皇帝を名乗っている私ですが,なぜに皇帝なのか,疑問を持っている方も多いと思います.そこで今回は,「今明かされる皇帝誕生の秘密」です.

マダガスカル写真シリーズ7 ネタ写編パートⅡ

 遠い昔 はるかかなたの銀河系で…

 フォースの極意を知りたいと願う一人の男が,森の惑星に住むという伝説の原猿のもとにやって来た.

Jedai1 男の必死の願いにより弟子入りは許され,厳しい修行が始まった.

Jedai2 原猿の修行は,それはそれは厳しいものじゃった.

Jedai3 過酷な修行に男は必死に耐えた.そして…

Jedai4 ついに男はジェダイの騎士になった(感).しかし…

Jedai5 フォースの力の凄さに,男は次第に慢心していった.

Jedai6 フォースの暗黒面に落ちてしまった男は後に皇帝を名乗るようになった.

 かくしてビザンチン皇帝が誕生した(笑).

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2007年7月13日 (金)

人類の黙示録

 6月30日に行われた「トンデモ本大賞2007」で見事(?),大賞に輝いたのが枡谷猛 著の「人類の黙示録」(文芸社)である.帯を見ると「歴史次元学で読み解く人類の未来図」とある.

 予言を扱った本は1999年以前にはノストラダムス本を中心に,それこそ無数にあったのだが,1999年7月が何事も無く過ぎてしまうと,すっかり忘れ去られたようになっていた(そういえば,1910年にヨーロッパを中心に,ハレー彗星が地球に衝突するのではと,大騒ぎになったそうである).21世紀に入ってからはあまり予言本ははやらないようである(それだけノストラダムスのインパクトが強烈だったというわけだ).

Img169

 そんな中,今回大賞に輝いたこの本は,有名な新約聖書のヨハネの黙示録にでてくるハルマゲドン(ちなみにハルマゲドン=最終戦争と考えている人が多いが,聖書によるとハルマゲドンとは地名のようである)と戦前に流行した大本教の教祖,出口王仁三郎が唱えたという「日本は世界の縮図である!」という説を融合させた予言本である.

 日本が世界の縮図という話は,今でも四国はオーストラリアに似ているとネタにされるが,北海道が北米大陸(知床半島がフロリダ半島なのだそうだ),本州がユーラシア大陸(下北半島がカムチャツカ半島,琵琶湖がカスピ海で中国地方がヨーロッパなのだそうだ),四国がオーストラリア,九州がアフリカ大陸に相当するそうである.南米はというと,なんと台湾らしい(この辺が戦前の日本である.また南極大陸に関しては完全に無視されている).

 さて,この本では黙示録の獣の数字666を,日本で武家政治が続いた年数のことであるといっている(定説の鎌倉幕府成立1192年から大政奉還1867年までは675年であるが,どの時点をもって鎌倉幕府の成立とするかは諸説がある).そして,武家政治の時代に日本で起こったことが,これから世界で起こるのだと主張している.ちなみに京都にあたるのはバグダッドで,江戸はバンコクなのだそうである.

 これから世界で起こることはあまりに多く,とてもここでは紹介しきれないため,興味のある方は是非この本を見て頂くしかないのだが,個人的な感想を言えば,書かれている事柄は凄いのだが,その根拠付けが乏しいというか,ほとんど無いのである.一般にこうした予言本を読む楽しみの一つが,どんな根拠から予言を引き出しているのかを見ることにあるのだが,この本にはそういったものはあまり無く,読み進めているうちに退屈してくるのである.少なくとも五島勉氏の「大予言シリーズ」で見られたような緊張感は全くないのであった.

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2007年7月10日 (火)

早稲田の校歌100周年

 実は今日2007年7月10日は早稲田大学の校歌が制定されてちょうど100年になると,午後2時台のNHK総合の番組でやっていた.早稲田大学の校歌といえば,「都の西北早稲田の杜に~」で始まる,おそらくは日本の大学校歌で最も有名な曲であろう.なにしろ,赤塚不二夫の天才バカボンにも,「都の西北早稲田のとなり~」で始まるバカ田大学というパロディーまででてくるほどである.そんな早稲田の校歌が制定されたのが1907年(明治40年)7月10日なのだそうである.ちなみに作詞者は相馬御風,作曲者は東儀鉄笛とのことであった.

早稲田の校歌はこちらから聴けます

 さて,番組中に触れられていたのだが,この早稲田の校歌,実はアメリカのアイビーリーグの名門イェール大学の愛唱歌の旋律に類似しているらしい.番組中にもイェール大学の愛唱歌も流れていたが,確かに似ている.特にサビの部分「早稲田,早稲田~」の部分はそっくりであった.実際に当時の書簡から,早稲田の校歌にイェール大学の歌が影響を与えたのは間違いないらしい.

 しかし,だからといってこれを単純にパクリだと突き放すのは正しくはない.校歌というものは元々みんなが簡単に愛唱できることが重要であり,他の有名な曲などを引っ張ってきて校歌にするのは世界各地で行われていることらしい.我が岩手県にある盛岡一高の校歌が軍艦マーチの旋律であり,同じく一関一高の校歌が旧制一高の寮歌「春爛漫」であるのも同様の理由であろう.

 ちなみに日本の大学で校歌があるのはもっぱら私立大学で,国立大学で校歌がある大学はほとんど聞いたことが無い(大概の国立大学には学生歌と呼ばれる曲があるが,合唱部などを除いては一般の学生にはほとんど知られていない(例 東北大学 青葉萌ゆる).

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2007年6月30日 (土)

日本トンデモ本大賞

 現在出張で小田原に来ている私が今週末江戸に出向いた最大の目的は,今日イイノホールで行われた”日本トンデモ本大賞2007”に参加することであった.

P6300001 これがチケットです

 トンデモ本とは「著者の意図とは異なる視点から読んで楽しめる本」のことで,1999年に人類が滅亡するとか,相対性理論は間違っていたという著者の無知や勘違いから内容がとんでもなくなってしまった本のことである.したがって,はじめからギャグとして書かれた本や読んで不快になるような本は該当しないことになる.一般には予言ネタ,UFOネタなどのオカルト・疑似科学ものに多いが,時には参考書や広告などにもあるという.

P6300005 会場入口にて

 こうした”トンデモ本”を研究しているのがと学会であり,と学会が毎年企画しているのが”日本トンデモ本大賞”である.言ってみればトンデモ本のレコード大賞というわけで,前年に発売されたトンデモ本のなかから最も”とんでもない”本を投票で決めようというコンセプトである.元々こういったオカルトもの大好き少年だった私(信じるかどうかは別にして)にとっても,たまらない企画である.

 12時半頃に会場に着くと,すでに多くの人たちでごった返していた(入場券は前売りで全て完売という盛況ぶりだった).若い男性が多かったが,中には中年の人や女性,更にはカップルで来ている人もいた.元々こううネタはいわゆるオタク文化に属し,昔はカップルとは無縁のものだったが,最近はオタク文化も市民権を得るようになり,こういう人たちの参加も珍しくなくなったようである.場内では関連書籍(もちろんトンデモ本やオタクものなど)の販売も行われており,学会の雰囲気をかもし出していた(笑).

P6300008_1 会場は大勢の参加者で盛況です.

 定刻になり会が始まる.まずはスタッフによるトンデモ物件の紹介である.これは本のみでなく,トンデモお祭りやトンデモ施設なども紹介されていた.特に今回は長野県の自作花火大会の様子(これが本当に凄い.狭い境内でまるで爆発事故が起こったかのような激しい花火が炸裂していた)や大正時代の高等女学校の卒業写真などが興味を引いた.その後は今年のトンデモ本大賞ノミネート作品の紹介やトンデモ・クラシックコンサート(いわゆる冗談音楽)と続き,最後に投票で選ばれた2007年トンデモ本大賞の発表となった.本年度の大賞には,人々の圧倒的な支持で(有効投票数の6割以上,ちなみに私もこれに投票した),枡谷猛 著 「人類の黙示録」 文芸社が選ばれた.

P6300018 壇上に並ぶスタッフの人たち

 「人類の黙示録」は日本列島が世界の縮図である(北海道が北米大陸,本州がユーラシア大陸,九州がアフリカ大陸など)という前提で,日本の武家社会(鎌倉時代から江戸時代まで)は約666年で,これは黙示録の獣の数字であるということから,将来日本の武家社会で起こったことが,世界規模で起こると予言した凄い本である.その内容はとても簡単にまとめることはできず,私も是非購入して読んでみたいと思った次第である(残念ながら会場では売っていなかったが,出版社の人が会場に来ていたらしく,持ってくれば売れたのにと悔やんでいたらしい).

 久しぶりに大笑いして魂の洗濯をした皇帝でした.

P6300010 私もと学会特製バッグを購入してしまいました(笑).

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2007年5月29日 (火)

神秘の里Ⅱ~ピラミッド~

 神秘の里新郷村の名スポット,キリストの墓を後にして,国道454号線を西に向かうこと5分,ここから林道に入って行くと,新郷村が世界に誇る観光スポット,世界最古のピラミッドがある(なぜか世界遺産には指定されていないようだ).

P5270070 ピラミッドに行くには左の林道に入ります.

 ピラミッドというとエジプトのギザやメキシコのテオティワカンのものが有名であるが,それよりも歴史が古いのがこの新郷村の大石神ピラミッドである.茨城県で発見された古文書に記されていたらしく,なんと!キリストの墓発見の翌日に発見されたというから凄い.偶然とすれば,宝くじの一等前後賞が2年連続で当たるくらいの確率だ.エジプトやメキシコのピラミッドは大地の上に積み上げて作ったピラミッドだが,この大石神ピラミッドは元々あった山がピラミッドになっているのだという.そんなのあり?と思うが,山が多い日本では,わざわざ石を積み上げる必要がないのだそうだ(そりゃそうだが,それじゃピラミッドって…).

P5270048 大石神ピラミッドの案内図です.地元の小学生が遠足に来るのでしょうか.

 林道に車を停めて見てみると,ここが下大石神ピラミッドらしい.何やら巨大な石がデンと構えていた.石には「太陽石」,「方位石(正しく東西南北を示しているのだそうだ)」,「星座石」などの名前がつけられていた.ただの巨石にしか見えないのは私の目が節穴だからだろう.

P5270049 大石神ピラミッドについて解説が書いてあります.

P5270054 P5270057

(左)手前に太陽石,奥に方位石があります.(右)ひときわ大きな星座石(昔は主要な星座が刻まれていたそうですが,今では全く判りません).

 そこからさらに数分林道を走ると今度は上大石神ピラミッドへの入り口があった.熊が出てきそうな獣道を登ること十数分,山頂のようなところに出た.ここにも巨大な石があった(節穴の私の目にはただの石にしか見えなかったが).

P5270068 こんな道を登って行きます(本当に熊が出そうです).

P5270066 これが上大石神ピラミッドの巨石です.特に案内板はありませんでした(ここまで来る人も少ないでしょう).

 休日ではあったが,私以外に観光客はいないようであった.新郷村には今日もひっそりと世界最古のピラミッドが鎮座しているのだった.

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2007年4月15日 (日)

永倉新八

 ひの新選組まつりまで一ヶ月を切り,ネット上でも祭りに関する話題が飛び交っている.新選組のビッグイベントだから,人々の関心も高い.私も徐々に新選組モードに入りつつあり,仕事の最中でも,今年のコンテストはどうしようとか,ついでにどこを観光しようかとかいろいろ考えている(真面目に仕事しろ 笑).

 そんなわけで,この季節になるとブログの記事も幕末や新選組ネタが多くなる(夏になると旅行ネタが,秋には妖怪ネタが多くなるのか 笑).

 さて,今日取り上げるのは新選組副長助勤,二番組長も務めた永倉新八である.松前藩出身で,神道無念流の使い手でもある.試衛館の食客となり,浪士組結成時から近藤や土方と行動をともにしている,生え抜きの幹部だ.剣術も沖田総司や斎藤一に比肩するほどの腕前であったという.慶応4年(1868年)3月の甲州勝沼の戦い後,近藤と袂を分かつが,維新後を生き抜き,晩年小樽新聞の協力で新選組に関する貴重な記録である,「新選組顛末記」を残した.現在我々が新選組について知る事ができるのは,永倉の功績が大である.

 そんな永倉新八であるが,私が以前から思っていたことがある.それは…

 「永倉新八は中村雅俊に似ている」

Nagakura Nakamurashi

左 永倉新八氏(PHP文庫新選組剣客伝から引用),右 中村雅俊さん

 写真の永倉新八,何となく仏頂面の中村雅俊に似ていません?(笑).1989年の大河ドラマ「春日局」で徳川秀忠を演じていた際の中村さんが,とりわけ似ています.

 そんなわけで,中村雅俊演じる永倉新八を是非一度見てみたいと考えている私です(中村さんは幕末物では,高杉晋作や桂小五郎,福沢諭吉を演じたことはあるようですが,さすがに永倉新八はないみたいです).どこかの放送局でやってくれませんかねぇ.

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2007年3月10日 (土)

西洋音楽の源流

 1月28日の「ヨハネ受難曲」の演奏会が終わり,盛岡バッハ・カンタータ・フェラインでは,J. S. バッハの教会カンタータを取り上げて練習している.

 教会カンタータは,バッハの作品の中でも重要な位置を占めるジャンルであるが,実際に西洋音楽の歴史においても教会が果たした役割は極めて大きい.西洋音楽の源流をどこに置くかについては様々な議論があろうが,中世のグレゴリオ聖歌がひとつのトピックであったことは間違いないだろう.もちろんグレゴリオ聖歌以前にも音楽はあったに違いないのだが,残念ながら楽譜などがないため,どのようなものだったのか解っていない(絵画や彫刻と違って,音楽は時間の芸術と呼ばれるように,基本的にその場限りの芸術である.たとえ同じ演奏者が同じ曲を演奏したとしても,全く同じ演奏になるわけではない). 

 グレゴリオ聖歌はカトリック教会の典礼に使われた単旋律の聖歌である.メロディーも単純で,音楽というより節の付いた語りといった方がイメージに近い.このグレゴリオ聖歌に手を加えていくことで,ヨーロッパの教会音楽は大きく発展していくことになる。

 中世音楽の演奏において,故・デビッド・マンロウ氏とロンドン古楽コンソートを忘れることはできない.私が教会音楽に興味を持ち始めた1980年代に,(当時としては)大枚をはたいて購入したのが,D・マンロウ氏による「ゴシック期の音楽」のレコードであった.これは12世紀から14世紀の教会音楽,世俗音楽を集めた3枚組みの名盤である.

Hyoushi 1986年頃に編集した,ゴシック期の音楽の自作楽譜の表紙です(懐かしい)

 12~14世紀は建築史ではゴシック期と呼ばれる.音楽史では,13世紀あたりを境にしてそれ以前をアルス・アンティクァ(旧技術とでも訳すか),以後をアルス・ノヴァ(新技術)とよぶ.12世紀後半,グレゴリオ聖歌の旋律をベースにしながら,それに副旋律を絡ませる多声音楽が作られるようになった.これがオルガヌムと呼ばれるもので,当時建設が進んでいたパリのノートルダム大聖堂にいた作曲家(?)が中心になったことから,彼らをノートルダム学派という.代表的な作曲家にレオニヌス(フランス語読みでレオナン)やペロティヌス(同ペロタン グリコのチョコレートではありません)がいる.レオナンは2声の,ペロタンは4声のオルガヌムを作曲している.13世紀になると低旋律にグレゴリオ聖歌を使う点はオルガヌムと共通であるものの,より自由な歌詞(宗教的な題材のみならず,世俗的な素材である場合も多い)を持つ旋律を絡ませる,モテトゥスと呼ばれる新ジャンルも登場する.モテトゥスの面白さとして,全パート歌詞が違うなんてこともある.例えば13世紀の作品,"On parole de batre(お前さんたち,口を開けば)" では、各パートの歌詞がそれぞれ,街の人々の世間話と物売りのセリフだったりする.「ゴシック期の音楽」には,この3声または4声の魅力的なモテトゥスが沢山収録されているのだった.

 このレコードでゴシック期の音楽の魅力に取り付かれた私は,自分でもこれらの作品を演奏してみたいと思い,仲間数人で歌ったりしたこともあった.とはいっても,ゴシック期の音楽の楽譜など国内では手に入らない時代(今なら手に入るのか不明)であり,D・マンロウのレコードをカセットテープに落として,それこそテープが擦り切れるくらい聴きながら,必死になって採譜したことを良く覚えている(モーツァルトなら一度聴けばすぐに採譜できるのだろうが,私にはそれほどの才能がない 笑).

Gakuhu 私が徹夜で採譜した,13世紀のモテトゥスの楽譜です

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2007年3月 3日 (土)

淮陰侯 韓信

 人間,身の処し方は難しい.特に高い地位にいた人物ほと,世の中の変化に飲み込まれて哀れな晩年を送るケースが多い.ある能力に秀でた者は,その能力が不要な時代になると,途端に取り残されてしまうことになる.紀元前3世紀末の秦滅亡から漢建国にいたる間に活躍した,漢の軍人韓信は,まさにそういう人生を歩んだ典型例である.

 楚漢の興亡は司馬遷の名著「史記」のハイライトのひとつであり,私も大好きな場面だ.楚の項羽との戦いに最終的に勝利した漢の高祖(劉邦)だが,彼自身は決して有能な人物ではなかったようだ.個人的な能力としては項羽の方が遥かに勝っていたであろう(シミュレーションゲーム的にいえば,武力100,統率力95,知力80といったところだろうか).しかし劉邦が勝利することができたのは,彼自身が自分の能力の限界を自覚し,他の有能な人物をうまく使いこなしたからである(劉邦は適材適所の名人である).劉邦の配下のうち,特に優れた3人を「高祖の三傑」と称し,張良蕭何韓信の3人を指す.

Choryo 中国史上稀有な名軍師といわれる張良(河出書房新社 世界の歴史3 中国のあけぼのより)

 張良は戦国七雄のひとつ韓の重臣の家柄に生まれた貴族で,祖国滅亡後は始皇帝の暗殺を計画するなど過激な活動をしていた.劉邦と出会ってからは,その客分として彼の側で主として外交に活躍した(劉邦によると「帷幄のなかに謀をめぐらし,千里の外に勝利を決する」といわれた).蕭何は劉邦と同郷の元下級役人で,法令の虫と言われるほど実務能力に長けていた(秦の都咸陽に入ったとき,他の武将がみな財宝漁りをしているとき,蕭何のみ書庫にあった全国地図や公文書類をかき集めていたという).楚漢攻防戦の間は常に都の長安にいて,劉邦に兵や兵糧・軍事物資を補給し続けたのである(項羽に連戦連敗の劉邦軍が総崩れにならなかったのは,蕭何の功績である).

Shouka 常に前線の兵を餓えさせることがなかったのは,専ら蕭何の功績.(河出書房新社 世界の歴史3 中国のあけぼのより)

 さて残る韓信であるが,淮陰(今の江蘇省)の平民出身と言われている.苦学をして兵法を学んだものの,若い頃は経済的には全く恵まれず,近所の婆さんに食べ物を恵んでもらっていたという.そんな韓信が,ある日町の荒くれ者どもに絡まれた.荒くれ者は「俺の胸を刺してみろ,できなきゃ股をくぐれ」といった.相手は多勢,胸を刺そうとすれば反撃に会い殺されてしまう.韓信は恥を偲んで相手の股をくぐった.これが有名な韓信の股くぐりである.

 韓信は当初項羽に仕えていたが,全く登用されないため,脱走して劉邦の下に行った.ここで蕭何に見出され,彼の推挙で漢軍の大将軍に任命されたのだった(このとき蕭何は「韓信こそ国士無双」と表現した.麻雀の役「国士無双」はこれが出典である).韓信に率いられた漢軍は連戦連勝,たちまち関中(長安を中心とした地域)を奪還する.その後は漢軍主力の指揮を劉邦に渡し,自身は別働隊を率いて北部を転戦した.皮肉にも劉邦の漢軍主力は項羽に大苦戦し,滎陽の線で何度も危機的な状況に陥った.それに対して韓信の軍は趙や燕・斉など北部諸国を順調に攻略していった.こうして紀元前202年の段階で韓信は項羽,劉邦に比肩しうる一大勢力となっていた.この時彼に対して,劉邦の元を離れ,独立勢力として天下を望むよう進言するものがあったが,結局彼は劉邦のために戦い,項羽を破った(垓下の戦い).

Kanshin 蕭何をして,国士無双とまで言わしめた大軍司令官韓信.(河出書房新社 世界の歴史3 中国のあけぼのより)

 楚漢戦争終盤,既に斉王になっていた韓信は,戦後楚王に国替えになった.この時が彼の人生の絶頂期である.いうまでもなく楚は項羽の旧領であり,土地は広く,豊かであった.こういう豊饒の地に用兵の天才とも言うべき韓信が君臨していることは,漢にとっては不気味なことである.更に韓信が,項羽配下の武将鍾離昩を匿っていたことで,高祖の不信を買った.こういう状況下,紀元前201年に「韓信に反心あり」と讒訴するものがあり,彼は捕縛される.これは全くの濡れ衣であったが,楚王から淮陰侯に格下げにされてしまった.この時彼は「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」(飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はお蔵入りになり,兎がいなくなれば猟犬は食べられてしまう)という,戦国時代の軍師范蠡の言葉を引用して高祖をなじったという.

 高祖の仕打ちに不満を募らせた韓信は紀元前196年に今度は本当に謀反を計画したが,これは事前に知られるところとなり,捕らえられ処刑されてしまった.死に望んでの最後の言葉は「蒯通の勧めに従わなかったことが残念だ」(楚漢戦争の最終盤,蒯通は韓信に劉邦の下を離れることを進言したが,劉邦への義理を感じていた韓信はこの進言を拒否した),であったという.

 韓信はその功績が大であるだけに,後半生の転落ぶりが悲劇的である.日本での源義経のようなものであろう.時に主君を越える能力を持つものが,主君に疎まれるのは世の習いである.あれほど気前が良かった高祖が,漢帝国成立後,人が変わったように疑心暗鬼になり功臣の粛清を行ったのも,その一例である.それだけに,家臣としては疑われないよう細心の注意を払うべきだろう.

 三傑の他の二人はその点はしっかりしており,張良は,楚漢戦争終了後すぐに故郷の留に引退して,政治の世界にかかわることなく,高祖の粛清を免れた.蕭何の場合その立場はより危険であった.彼は楚漢戦争中常に都にあって,内政に手腕を発揮していた.その気になればいつでも劉邦に取って代われる地位にあったわけである.そのため彼は,劉邦に無用な嫌疑を受けぬよう,自分の一族の男たちの中で従軍できそうなものを片っ端から戦地に送ったり,時には都でわざと悪政を行い,自分の評判を落とすなど涙ぐましい努力をしている(戦地にいた高祖は,蕭何が賄賂を取っているというウワサを耳にして安心したという).

 韓信の場合功績は抜群ながら,「これだけの功績がある自分が罰せられるはずがない」という驕りというか,世の中に対する甘さがあったと言われても仕方がないであろう.

 追) 楚漢の攻防については,司馬遼太郎の「項羽と劉邦」も名著だが,個人的にはこの作品に出てくる韓信が,なんか覇気がないというか,意識が悪そうな感じでなじめないのであった.

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2007年2月18日 (日)

"今からでも間に合う”再放送

 2月17日の朝日新聞の記事によると,最近ドラマの再放送のあり方に変化が見られるという.

  華麗なるドラマ再放送 終了を待たずに土日昼に特集

 ドラマの再放送と言えば,昔は本放送後半年~1年位後に平日の夕方などにやっているパターンがほとんどだった.しかし,最近では土日の午後を中心に,例えば第2話放送直前に第1話の再放送をやったり,連続ドラマの中盤や終盤などに”今からでも間に合う”と称して,それまでのダイジェスト編を放送したりするらしい.連続ドラマと言うものは,続けて観ないと,話の筋についていけなくなり,興味を失って観なくなることも多いから,これはこれで有効な方法なのだろう.

 考えてみれば,放送直前に前回の再放送をやる,というスタイルはNHKの大河ドラマでは昔から行われていたパターンである.逆に言えば,これまで民放では行われていなかったというのも何だか不思議である(民放の場合,スポンサーとの絡みもあり単純ではないのかもしれないが).

 それにしても,ドラマの中盤に”今からでも間に合う”とダイジェスト編を放送するパターン,昨年の「毎日モーツァルト」でも5月と8月に行われていたが,これは民放ドラマの手法だったのか!」 と普段ドラマに縁のない私は,新鮮な感動を覚えたのでした(2007年1月期の民放最高視聴率ドラマは,あの山本耕史さんも出演しているTBSの「華麗なる一族」だそうです).

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2007年2月16日 (金)

久しぶりの山本耕史

 2006年モーツァルトイヤーに,NHK BSで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっていた(案内人には山本耕史氏が起用されていた).好評だったらしく,NHKにはこの手の音楽番組を続けて欲しいという意見があったようで,2007年にはクラシックのピアノ作品をメインとした”ぴあのピア”という10分間番組をやっている.案内人は昨年上半期に朝ドラ「純情きらり」のヒロインを務めた宮崎あおいさんである.

 この”ぴあのピア”,今月はモーツァルト特集ということで,連日モーツァルトのピアノ作品を取り上げているが,先日2月14日はモーツァルトの結婚(フィガロの結婚ではない 笑)がテーマであった.宮崎さんの語りに続いてゲストが登場するのだが,現れたのは,なんと!山本耕史氏,「モーツァルトは他人に愛を与えることで,自分も幸せになっていく人物なんですよ‥‥」と,熱く語ってくれた山本氏であった(おそらく今の山本耕史は芸能界で1,2を争うモーツァルト通であろう).2月14日に登場というのもバレンタインデーにちなんだNHKの粋な計らいなのだろうか.

 人気俳優の山本耕史氏は民放などのドラマにも良く出ているはずであるが,我が家ではあまりドラマを見る習慣がないため,久しぶりにフレッシュな山本氏を目撃したのだった(今BSでは大河「新選組!」もやっているが,こちらは再放送のためフレッシュではないのだった).

Yamamotokouji_1 昨年暮れにウチのKが懸賞で当てた山本耕史さんのサイン入り写真.

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2007年1月29日 (月)

ヨハネ受難曲演奏会当日!

 ついに1月28日を迎えた.我が盛岡バッハ・カンタータ・フェラインの30周年記念「ヨハネ受難曲」演奏会の当日である.昨年1月にドイツ演奏旅行から帰国して以来約1年間の練習の成果が問われる重要な日である(2007年我が家の10大ニュースの上位に来ることは間違いない).昨日はまるで演奏会への嫌がらせかのように降っていた雪もやみ,天気は上々である.

 オケ合せの初日である1月26日にはいろいろと問題点を指摘されたそうだが(私は都合で欠席させていただきました 泣),前日のゲネプロ(General Probeの略,日本語で言えば舞台総稽古)は予想以上にスムーズに進み,午後8時過ぎには終了となった.その後指揮者から演奏会当日はリハーサルなしの13時半集合と発表された.日本人的な感性から言うと,当日リハーサルがないというのは,何となく不安な気がするが,特に問題がない場合,無用なことをして声に負担をかけることはしないというのが,ドイツ人の合理性なのかと思った.

 家で演奏会衣装に着替えて13時過ぎに会場入りした.13時半の集合時刻になり,全員で発声練習をした後,合唱指揮の佐々木正利先生,ヴィンシャーマン先生から最後の指示を受ける.この後は本番直前の14時50分まで,控え室で演奏会のパンフレットを読んだりして過ごした.控え室からは中津川が見える.遠隔地から参加している方に,盛岡と川の関係についてお話した(盛岡は北上川・中津川・雫石川という3つの川の合流点に形成された城下町で,川が天然の堀の役割を担った要害の地であるが,現代ではその点が仇になって,橋のところで慢性的な渋滞が起こっている).

 時間になったため舞台袖に集合する.さすがに皆,緊張した趣である.本鈴が鳴りいよいよ入場する.チラッと客席を見渡すとかなりお客さんが入っている印象.気分が高まってくる.合唱団入場後,続いてオケが入場,その後チューニングとなる(私は子供のころから,このオケのチューニングを聴くだけで妙にわくわくするのだった).そして,ひときわ大きな拍手とともにソリストとヴィンシャーマン氏が入場してきた.

 しばしの静寂の後,指揮者の手が動き,ヨハネ受難曲第1曲が始まった.テンポは意外とゆっくりである.弦楽器が重厚にリズムを刻み,その上にオーボエ,フルートが悲壮的な旋律を奏でる.緊張が徐々に高まり,それが頂点に達した時,”Herr(主よ)”という呼びかけとともに合唱が登場する.この冒頭の合唱は,これから始まる物語を期待しつつ進んでいく.

 第2曲からは福音史家テノールによる聖句と,登場人物の語りを中心として展開し,節目節目に自由詩によるアリアやコラールが挿入される.コラールは物語の様々な場面で会衆がどのように感じるか,どうするべきなのかを歌い上げる賛美歌であり,ヨハネ受難曲では特に重要な役割を担っている(新バッハ全集ではヨハネ受難曲は40のナンバーから成っており,そのうち11曲をコラールが占める).一方自由詩によるアリアも感動的な曲が多くある.

 短い1部と2部の間には休憩を入れずに演奏は行われた.物語はどんどん展開し,イエスと総督ピラトとの問答,磔を求める群集とそれを煽る律法学者たち,イエスに罪がないことに気付きながら,群集の要求に流されてイエスを引き渡してしまう,人間の弱さの象徴ともいえるピラト.そして十字架に架けられたイエスの死へと続いていく.第39曲の合唱,そして最後のコラールに入ると,元々弱い私の涙腺は決壊を起こしてしまった.そしてコラールの最後”ich will dich preisen ewiglich(わたしはとこしえにあなたをほめ称えます)”とともに2時間の演奏会はあっという間に終了した.しばしの静寂の後,会場は大きな拍手に包まれた(ひそかに,演奏が終わらないうちにフライングで拍手を始める人はいるんじゃないかと恐れていたが,この日は大丈夫だった).

 演奏終了後,ロビーで聴きに来てくれた知人にあったが,みな素晴らしい演奏だったと喜んでくれていた.少なくとも我々が伝えたかった音楽は聴衆の方々の心にも届いたと思われた.

Johannes3 イエス役の多田羅迪夫先生とともに.

 その後出演者一同,盛岡駅前のホテルに移動しレセプションとなった.ここでは共演いただいたソリストの先生方やオーケストラの方々,そして今回の演奏会のためにわざわざドイツからきて頂いたヴィンシャーマン先生のお話を伺いつつ,楽しいひと時を過ごしたのであった.二次会もあったのだが,1月29日から当たり前のように日常業務が待っている私は,朝早起きするために泣く泣く会場を後にした(最近休み明けの朝に酒気帯び運転の検問をやっていることが多いため,遅くまで飲んでいるのは極めて危険である).

Johannes1 ヴィンシャーマン先生は1920年生まれとは,とても思えないほどお若いです.

 明日からまた日常の世界(って,このブログのタイトルが”日常の世界”じゃないか!! 笑)

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2007年1月27日 (土)

浅田次郎とヴィンシャーマン

 1月23日(火)にヘルムート・ヴィンシャーマン氏が盛岡入りし,いよいよ演奏会モード全開となってきた.さる1月25日にはいよいよヴィンシャーマン氏自身による練習も始まり,講義で丁度盛岡に出向いていた私も参加した.そして1月26日にはオーケストラ(東京バッハ・カンタータ・アンサンブル)の面々も交えて,本番の会場である岩手県民会館大ホールでオケ合わせが始まる.仕事の都合で残念ながらこの日の練習には参加できないが,練習後ヴィンシャーマン氏やオケの方々との懇親会があるとのことで,そっちの方には参加しようかと考えていた.

 しか~し! 実はこの1月26日には,縁あってうちの病院に作家の浅田次郎氏がやって来て講演会を開催することになっていたのだった.先日副院長のM先生を通じて,「1月26日に浅田次郎さんが来るから,夜に一席設けるんだけど,先生は新選組に詳しいから是非同席してくれと院長が言ってる」と誘われたのだった(浅田次郎氏は岩手では壬生義士伝の作者として有名である).かくしてヴィンシャーマン氏の歓迎会と浅田次郎氏の歓迎会が重なってしまうという困った事態になったのである(結局M副院長に「はい,喜んで参加させていただきます」と即答した私であったが 笑).

 浅田次郎氏の講演会は病院のホールで18時30分に始まった.浅田氏は翌27日にも,当市の文化ホールで講演をするらしく,2日続けて同じ土地で講演をするのは初めての経験だとおっしゃっていた(内容は現代日本の風潮と儒教教育について等だった).

Asadajirou1 病院のホールで行われた浅田次郎氏の講演会です.

 そして講演後,市内の寿司屋で懇親会が行われたのだった.私も参加したのだが,件の副院長に「新選組の格好で来ないのか」と言われてしまいました(さすがに平日は仕事が忙しくて,いくら私でも着替えて出向く時間はないなぁー.でもこの日はネクタイを新選組にしていました 笑).

Asadajirou2 浅田次郎氏とビザンチン皇帝です(実はネクタイは新選組です).

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2007年1月26日 (金)

講義と法事とヴィンシャーマン

 2007年1月25日は大学医学部で講義をするため,盛岡市に出向いた.授業は10時30分からのため,朝8時に家を出た.例年だとこの季節は積雪で車の運転に難儀するのだが,今年は暖冬のため積雪も少なく快適である.

 10時20分に大学に到着した.医局でパソコンを借りて講義室に向かう.付属病院の方は時々出入りしているのでなんとなく勝手もわかるのだが,講義室の方はさっぱりわからない.教室を覗き込んでその辺にいた学生に「ここ3年生?」と確認して中に入った.私が入っていくと,「教官が来た」と思ったのか学生たちが席に着く.見渡したところ講義室はびっしりと人がいる.かなり出席率はよさそうだ.パソコンをプロジェクターに繋げようとしたのだがうまくいかず,困って医局に電話をすると,医局秘書のM嬢がやってきた.あーでもない,こーでもないとやっているうちに何とかスライドが映し出された.

 今日は180分の講義用に約140枚のスライドを準備した(過去の講演会の経験からスライドのの枚数は1分1枚換算で丁度いい感じである).それらを使いながら講義は無事に終わった(のどが少しかれてしまったが.ちなみに昼休み時間にはおなじみの白龍にいってじゃじゃ麺を食べた).講義が終わると,早速試験対策委員の学生がやってくる.昔から医学部の試験は範囲や分量が膨大で,ある程度的を絞ってもらわないとものすごく厳しい状況に追い込まれるのである.私が担当する分野からは4問が出題されることになっており,学生には「別に皆さんを困らせるような問題は出しませんから」と言っておいた(自分自身が真面目に講義に出席する学生でなかったこともあり,重箱の隅をつつくような難問を出せる立場にもないし).

 講義の後,今度は親戚の家に行く(親戚で不幸があったため).2時間ほど滞在した後,いよいよ週末のヨハネ受難曲に向けての練習に出向いた.コンサート本番は1月28日(日)であるが,指揮者のヘルムート・ヴィンシャーマン先生は既に1月23日から盛岡入りしており,今日初めての練習が組まれていたのである.練習は合唱団のいつもの練習会場である市内の教会で午後6時から始まった.

 発声練習の後おもむろにヴィンシャーマン氏が登場する.1920年生まれだから今年で87歳になるはずだが(恐ろしいことにカール・リヒターよりも年長である),背筋もしゃきっとしており,とてもそうとは思えないほど若々しい.この日はオルガンとチェロの伴奏で合唱部分を一通りさらったのだった.ヴィンシャーマン氏を目の当たりにしたことでいよいよ私も演奏会モードに入ったのである.

Gakufu 今回私が使っている楽譜.1985年に購入したミニチュアスコアです.

Kuriora こちらは2000年11月のクリスマス・オラトリオ全曲演奏会の際の記念撮影です.

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2007年1月16日 (火)

ヨハネ受難曲演奏会

 今日の記事は宣伝です.

 1月28日(日)に盛岡で私も所属している合唱団,”盛岡バッハカンタータフェライン”の演奏会が行われます.今回の演目はJ. S. バッハのヨハネ受難曲BWV245です.ヨハネ受難曲は,マタイ受難曲BWV244,ロ短調ミサ曲BWV232,クリスマスオラトリオBWV248とともにバッハの四大宗教曲とも呼ばれる傑作です.その一方演奏時間は約2時間とお手ごろです(マタイ受難曲やクリスマスオラトリオは約3時間).

 今回は指揮者にオーボエ奏者でドイツ・バッハゾリステンを主催しているヘルムート・ヴィンシャーマン氏をお迎えします.ヴィンシャーマン氏とはこれまでにも何度か共演させていただいており,今回のヨハネ受難曲でバッハの四大宗教曲は完結ということになります.

 1月14日(日)にも強化練習があり,団員一同いい演奏ができるよう頑張っております.バッハの作品に興味があり,盛岡に来られる方は是非ご来場下さい.

Johannes 演奏会のチラシです.

2007年1月28日(日) 開演15:00(開場14:30)

場所: 岩手県民会館大ホール

指揮: ヘルムート・ヴィンシャーマン

独唱: 五郎部俊朗(福音史家),多田羅迪夫(イエス),小原浄ニ(ピラト,ペテロ),井上しほみヘラー(ソプラノ),佐々木まり子(アルト),鏡貴之(テノール),佐々木直樹(バス)

合唱: 盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(合唱指揮 佐々木正利)

管弦楽: 東京バッハ・カンタータ・アンサンブル

チケット:S席 6000円(指定),A席 4500円(指定),B席 3000円(自由)

チケットは盛岡市内プレイガイドにありますが,本ブログの管理人も取り扱っております(当日券もあるはずです).

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2007年1月 8日 (月)

モーツァルトイヤーが去って

 モーツァルトイヤーに沸いた2006年が終わり,2007年になって1週間がたった.振り返ってみても本当にモーツァルト三昧の一年であった.1週間たってみて去年と違うことは,朝早起きしても”毎日モーツァルト”がやっていないことである.当然あの山本耕史さんの声も聞けない.考えてみれば,昨年我が家で山本耕史の話題が出なかった日はなかったと思う(うちのKも毎日モーツァルトで山本氏のファンになった).モーツァルトイヤーの終幕で我が家と山本氏を結ぶ線がなくなってしまったのは寂しい限りである(…と思っている矢先に,BSで大河ドラマ「新選組!」の再放送をやることを知った.まだ縁は切れそうにない 笑).

Bach_2 バロックの巨匠J. S. バッハ 

 それにしても「毎日モーツァルト」なんて番組が存在しえたのも,モーツァルトだからである.「毎日~」は10分間番組とはいえ,1年で240回合計2400分(40時間)の大作である.大河ドラマ全編よりも長いくらいだ.これだけ長期にわたって番組が成り立つのも,”作品数が多くバラエティに富んでいる”,”人生に起伏がある”という点が備わっているからである.作品数だけならJ. S. バッハシューベルト(今年はシューベルト生誕210年である)もかなり多いが,バッハは人生にあまり起伏がないし,シューベルトは作品が歌曲に偏ってしまい,とても1年は持ちそうにない.

Schubert 歌曲の王シューベルト.貧しく代用教員をしながら,友人の援助で生活するなど石川啄木的な人です.

 その一方,劇的という点でいえばワーグナーが良さそうだ.ただ作品数が少なく(主要作品は最初の歌劇「リエンチ」から最後の「パルジファル」まで全部で11本しかない),1ヶ月1作品で引っ張らないと1年持たないことになる.またワーグナーの場合,その人生は放浪あり,裏切りありでとても青少年向けではない.ワーグナーはかなりわがままな性格で,同時代の他の作曲家をけなす一方(特にドニゼッティなどイタリア系の作曲家をけなしている),自分に対しては自信過剰なくらいの意識を持った人物であった.さらに彼は親友のハンス・フォン・ビューローの妻コジマ(リストの娘)を寝取っている(妻を寝取られたビューローはドイツを去った.後に彼は「ワーグナーは作曲家としては天才だが,人間としては最悪の男だ」と言ったという).更にワーグナーは自分に心酔するバイエルン国王ルートヴィヒ2世にタカって,自分の作品を上演するための専用劇場(バイロイト祝祭劇場)まで作らせ,バイエルン王国を破産に追い込んでいる(結局バイエルンの重臣に呆れられて,ルートヴィヒ2世は謎の死をとげ,王国はプロイセンの傘下に墜ちてしまった).

Wagner 親友の妻を寝取り国をひとつ潰したR. ワーグナー

 いずれにせよ「毎日ワーグナー」はドロドロしすぎて(その音楽も含め),朝の番組としてはふさわしくないと思われるのだった(夜11時の番組ならいいかも.番組のタイトルも「裏切り」,「略奪婚」,「国王の変死」,「バイエルン王国の破産」などさわやかさのカケラもないものになりそうだ).

 そんなわけであらためてモーツァルトの偉大さ(健全さ,さわやかさ)を感じる私であった(モーツァルトは他人に裏切られることはあっても,他人を裏切ることはなさそうだ).

 注: 私もワーグナーの音楽は官能的で,素晴らしい側面もあると思いますが…

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2006年12月20日 (水)

三大レクイエム

 NHKの「毎日モーツァルト」,いよいよ昨日からレクイエム 二短調K.626に突入した.この曲はモーツァルト最後の作品となった未完の曲である.レクイエムは別名”死者のためのミサ曲”とも呼ばれる,カトリックの典礼音楽である(歌詞が"Requiem aeternam ~"で始まるためRequiem(レクイエム)と呼ばれる).

 古くから多くの作曲家によって曲がつけられており,モーツァルトのものは特に有名である.俗に”三大~”という言い方(三大うどん,三大鍾乳洞,三大ガッカリ観光地 etc.)があるが,三大レクイエムといった場合

 ① モーツァルトのレクイエム

 ② ヴェルディのレクイエム

 ③ フォーレのレクイエム

以上の3つを指す.三者三様,同じ歌詞(厳密に言えば若干の違いがある)に曲がついているとは思えないくらいそれぞれ特徴のある名曲である(私は東北大混声合唱団時代,①と③はやったことがある).ちなみに五大レクイエムといった場合には,上記3つに”ケルビーニのハ短調レクイエム”,”ベルリオーズのレクイエム”,”デュリュフレのレクイエム”のうち適宜2つが加わる.また,ルネサンス期の作曲家であるオケゲム,ラ・リュー,ラッススのレクイエムも個人的には好きである.さらに変わったところでは,先日仙台に行った際に再会した友人のY氏による”モノラル三大レクイエムなんてのもある.これは,ワルター指揮のモーツァルトのレクイエム,トスカニーニ指揮のヴェルディのレクイエム,フルトベングラー指揮のブラームスのドイツ・レクイエム(尤もこの曲はラテン語のカトリックの典礼文に曲がついたものではないが)の3つを指す.

 いずれにせよ,古今のレクイエムの傑作のひとつであるモーツァルトのレクイエムはまた,多くの謎に包まれた作品でもある.作曲依頼の経緯もさることながら,モーツァルトの死後の補弼の経緯も謎に満ちている.作曲の経緯は1791年夏に匿名の貴族の使いがやって来て作曲を依頼したといわれており,この依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵であることがわかっている.彼は人に書かせた作品を自分の作品として演奏する人物だったらしい(最近では,借金に苦しんでいたモーツァルトを救うためこの依頼が行われたという説もあるが).

Mozreqcor M. コルボ指揮のモーツアルトのレクイエム.個人的には一番好きな演奏です.

 作曲の依頼は受けたものの,この時期モーツァルトは忙しく,歌劇「魔笛」,歌劇「皇帝ティトスの慈悲」,クラリネット協奏曲の作曲に忙殺されている.結局レクイエムの作曲が本格化したのは1791年10月以降であったと思われる(その後もフリーメイスンのための小カンタータK.623を作曲している.この曲が完成されたモーツァルト最後の作品である).この頃既にモーツァルトは過労からか体調を崩していた.作曲は思うように進まなかったであろう.結局彼は11月20日に寝込んでしまい,その後再び起き上がることは出来なかった.

Mozreqhar Mozreqhog

左 1981年当時物議を醸し出したアーノンクールのCD 右 モーンダー版によるホグウッドのCD

 モーツァルトの死因については当時の記録では「急性粟粒疹熱」とされている.これは今で言えば「リウマチ熱」といわれる,溶連菌による感染症である.発熱,関節痛,湿疹や急性腎不全も引き起こす厄介な病気だ(記録でモーツァルトの手足がむくんできたとあるのは,腎不全の症状と考えられる).現代であれば抗生物質による治療があるが,当時はそんなものはなく致死率の高い疾患であった.

 こうしてレクイエムは未完のため遺され(続唱の終曲,ラクリモサ(涙の日)の8小節目が絶筆といわれる),弟子のジュスマイヤーによって補弼されたのである(モーツァルトは必ずしもテキストの順番どおりに作曲したわけではないため,ラクリモサの8小節以後全てがジュスマイヤーの補筆というわけではなく,その後の奉献唱にもモーツァルト自身の曲は残っている).

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2006年12月 7日 (木)

モーツァルトとフリーメイスン

 NHK BSの「毎日モーツァルト」も12月5日(モーツァルトの命日)を迎え,いよいよ大詰めに差し掛かった感がある.この日の曲は“アヴェ・ヴェルム・コルプス”であった.なかなかいい選曲といえよう.久しぶりに案内人の山本耕史さん自身が登場するシーンもありKも喜んでいた(秋の例の特番の際に撮影したと思われる,バーデンの広場を語りながら歩くシーンである).

 アヴェ・ヴェルム・コルプスがK.618であり,以後の作品はケッヘル番号で言えば,ドイツ語による小カンタータ(K.619),歌劇「魔笛」(K.620),歌劇「皇帝ティトスの慈悲」(K.621),クラリネット協奏曲(K..622),フリーメイスンのための小カンタータ(K..623)を経て,最後の曲レクイエム(K..626)に行く流れとなる(その他未完のホルン協奏曲ニ長調もこの時期の作品と考えられている).この時期の作品は声楽曲が多く,しかもフリーメイスンのための曲が2曲もあるのが特徴である(K.620の歌劇「魔笛」もフリーメイスンの思想を色濃く反映した作品である).

Mateki2_2ウィーン国立歌劇場での魔笛の舞台(2006年6月).背景のでっかい目はフリーメイスンの真実の目を表しているのでしょう.

 モーツァルトがフリーメイスンの熱心な会員であったことはよく知られている.フリーメイスンはイギリスの石工の組合を元祖とする団体で,自由・平等・博愛を旗印にした結社である.欧米では著名人の会員が多いため,アメリカ独立戦争やフランス革命にもメイスン会員が多く関わっていたといわれている.仲間同士しか知らない秘密の儀式などがあることから,日本では“秘密結社”であるとか,様々な陰謀を働く団体などと考えられている節があるが,実際のフリーメイスンの組織は世界中にグランドロッジが並立しており,全世界のロッジを統括するような組織はない(ロッジというのはその地域のフリーメイスン構成員(フリーメイソンリーという)の集まるところ).お互いのグランドロッジは全て対等で,相互に承認しあうことでフリーメイスンとしての結束を守っているらしい.このためトップの指示で世界中のフリーメイスンが動くなどということはありえないそうである(フリーメイスン自身は自らを非公開団体と称している).

Mateki1_1賢者ザラストロはフリーメイスンの知恵の象徴です.私もザラストロのような人間になりたいですが,まだまだ修行が足りません(笑).

 そして昨日12月6日に「毎日モーツァルト」で取り上げられた曲が,フリーメイスンの曲であるドイツ語による小カンタータ K.619であった.これはレーゲンスブルグのロッジの依頼で作曲された曲である.実は我が家には「NHK毎日モーツァルト」という番組の本があり,この巻末に番組の放送予定と取り上げる曲が載っている.それによると,当初この小カンタータK.619は予定になかったようである.出版後に変更になったのであろう.深い意味はないと思うが,世の陰謀論者達が「これはフリーメイスンがNHKに圧力をかけて,急遽放送させたに違いない」と言い出すのではないかと不安である(笑).

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2006年12月 5日 (火)

旧友との再会

 この週末仙台に行ってきた.目的は仙台宗教音楽合唱団(以下 宗音)の演奏会を聴くためである.宗音は西洋の宗教音楽を主に取り上げて演奏会を行っている合唱団であり(宗教団体ではない),私が所属している盛岡バッハカンタータフェライン(以下 MBKV)と同じく,岩手大学の佐々木正利教授の指導を受けている合唱団である.このため交流も盛んで,お互いの演奏会を聴きあったりしている.ただ,MBKVがその名の通り,主にバッハを中心としたバロック時代(シュッツやヘンデルなど)の作品を扱っているのに対して,宗音はバロックから近代に至るまで幅広い時代作品をレパートリーにしている.昨年の演奏会では,近代フランスの作品(M. デュリュフレのレクイエムとオネゲルのクリスマス・カンタータ)を取り上げていた.

 そんな宗音の今年の演目はJ. S. バッハのクリスマスオラトリオである.いうまでもなく,クリスマスオラトリオはバッハの4大宗教曲のひとつに数えられ,演奏時間は3時間におよぶという大曲である(MBKV2000年秋に盛岡で全曲演奏を,200512月にドイツのグラーフィングで1部から3部までを演奏している).

 しかし,クリスマスオラトリオは実際にはひとつの曲というより,6つの教会カンタータの集合体ともいえる作品である.それはキリスト教の降誕節の6つの祝日に演奏される,6つの部分から成り立っているからである.日本ではクリスマスといえば,12月24日のクリスマス・イブばかりがクローズアップされるが,実際の降誕節は12月25日の「主の降誕」から1月6日の「主の公現」までの一連の時期をさす言葉である.クリスマスオラトリオの6つの部分は,それぞれ12月25日(降誕節第1祝日),12月26日(降誕節第2祝日),12月27日(降誕節第3祝日),1月1日(新年),新年後の日曜日(1月2日~1月5日の間の日曜日),1月6日(主の公現日)に演奏されるべく作曲されたのである(尤も,最近では祝日ごとに演奏されるのはヨーロッパでもあまりなさそうだが).

 さて,宗音の演奏会の前日(すなわち12月2日)に仙台入りした私は,東北大時代の友人で,現在茨城県で教員をしているY氏と約10年ぶりに落ち合って飲みに繰り出した.彼は学生時代からクラシック音楽(特にフルトベングラーに関して造詣が深かった)に詳しく,かなりの論客として知られていた人物である.私とはカール・リヒター追悼24時間鑑賞会(リヒターの命日である2月15日に24時間ぶっ通しで,リヒターのレコードを聴くという恐ろしい企画 詳細はホームページ本編の方にあります →カール・リヒター追悼鑑賞会)をやったりした仲である.久しぶりに音楽話等に盛り上がったことはいうまでもない.さらに途中から地元在住で,現在宗音に所属している友人が,明日の演奏会のゲネプロが終わって合流してさらに盛り上がった.

Teien 学生時代所属した東北大学混声合唱団の定期演奏会の集合写真(懐かしい…)

 

 宗音の演奏会のほうはといえば,期待通り素晴らしい出来であった(もちろん些細な事故はあったが).

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2006年11月24日 (金)

晩秋の京都 番外 ~ヴィンシャーマン編~ 

 11月18日アーノンクールのメサイアを鑑賞し,先斗町で夕食をとった我々はそのままホテルに戻った.

 開けて19日朝は6時半に起床し,急いで朝食を摂りホテルをチェックアウトする.引き続き京都見物をしたい気は満々であったが,この日はどうしても,昼までに盛岡に帰らなければならない.私の所属する合唱団(盛岡バッハ・カンタータ・フェライン 以下MBKV)で来年1月に行われる演奏会(J. S. バッハのヨハネ受難曲)で指揮をする,ヘルムート・ヴィンシャーマン氏が盛岡にやってくるからである(普通の練習を10回休むより,この練習1回休む方が罪が重そうだ).練習に辿り着くために,朝8時に京都駅を出発する,伊丹空港行きのリムジンバスに乗りこむ.

 バスに乗ると,早起きの影響でものすごく眠くなってくる.途中ほとんど寝ている状態であった.朝早いためか,40分くらいで空港に辿り着いた(他の客が「今日は早いな」といっているところから,かなり早く着いたらしい).前日バス停を下見に来た際には係員のおじさんに「道路が混むから,出発の2時間前のバスに乗らなきゃダメだ」といわれていたため,気合を入れて早起きしたのだが‥‥.

 チェックインは機械で行うためあっという間である.その後荷物を預けても,まだ時間が1時間位あり,空港のラウンジで時間をつぶすことにした.

 飛行機は予定より10分くらい遅れて出発した.この日は伊丹-仙台間のフライトを利用した.距離的には伊丹-花巻便の方が便利なのだが,本数が少ないのと,仙台便の方が値引き切符が多いので結果的に安いからである.国内便なので,それこそ「あっという間に」仙台に着いた.空港からはバスで仙台駅に行き,下りの”はやて”に乗り換えて,盛岡に着いたのは13時22分であった.盛岡駅から練習会場に直行すると,既に練習が始まっている.我々も中に滑り込んで参加した.

 そして2時ごろ,いよいよヴィンシャーマン氏が登場した.H. ヴィンシャーマン氏は元著名なオーボエ奏者で,現在はドイツ・バッハ・ゾリスデンという主にバロックを演奏する,室内管弦楽団を主催している,バッハ演奏の巨匠のである.1920年生まれであるから今年で86歳になる.が,とてもそうは思えないほど若々しく,背筋もまっすぐだ.昨日京都で見たアーノンクール氏(1929年生)より9歳年上で,さらに何と,1981年に急死したカール・リヒター(1926年生)よりも6歳年長である(要するにリヒターが若くして亡くなったということである).ついでに言うと,ヴィンシャーマン氏とドイツ・バッハ・ゾリスデンの日本での活動を仕切っているのが,梶本音楽事務所で,くしくも今回来日しているアーノンクールと同じである(ヴィンシャーマンもアーノンクールも日本に来ると,休む暇もなく演奏をさせられていることから,私やKは梶本音楽事務所のことを”山椒大夫事務所”と呼んでいる 笑).

Vin1 合唱団を指導するH. ヴィンシャーマン氏

 私がMBKVに入会した1997年以降,ヴィンシャーマン氏とは,1998年盛岡でのロ短調ミサ,1999年のドイツでのロ短調ミサ(Kは参加したが,私は不参加),2001年の盛岡でのクリスマス・オラトリオ,2003年の盛岡と東京でのマタイ受難曲と度々共演させていただいている(それもすごい話だが).今回のヨハネ受難曲で,バッハの四大宗教曲が完結するわけである.それだけに会員の気合も入っているのだが,ヴィンシャーマン氏の練習は熱が入って密度の濃いものであった.氏の手は,昔Jリーグ清水エスパルスにいた,GKのシジマールのようにでかいのだが,このでかい手を大きく振りながら指揮をするのである.時にテンポが大きく変わることもあり,楽譜ばかり見ていると,たちまち周囲とずれてしまう.こんなときは,顔から火が出るほど恥ずかしい思いをする.何とか本番までに暗譜しなくてはと思うのであった.

 練習後は盛岡駅前の店で懇親会となる.ヴィンシャーマン氏はにこやかに,合唱団員一人一人と握手をしながら盛岡の滞在を楽しんでいるようだった(私とKはその後,有志で二次会になだれ込んだ).こうしてビザンチン皇帝の怒涛の京都編が終わったのである.

Vin4  懇親会にて.合唱団員に囲まれるヴィンシャーマン氏.

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2006年11月22日 (水)

晩秋の京都Ⅱ ~アーノンクール編~

 木屋町通りで幕末の史跡を見て回った我々は,遅い昼食をとった後にホテルに戻った.いよいよアーノンクールである.26年ぶりに日本で演奏するアーノンクールに敬意を表して,パリッとした服装に着替えて出かけた(さすがに今年のザルツブルグ音楽祭で,同じアーノンクール指揮のフィガロを観劇した山本耕史氏みたいな,格好いい服は着られなかったが… 笑).

 会場である”京都コンサートホール”は地下鉄「北山駅」下車後,徒歩数分の距離であった.駅で降りると,我々と同じ目的と思しき人々が三々五々歩いている.これら人の波について行くと,なにやら巨大な建物が.あれが目指すホールと思われた.

Kyoto1 京都コンサートホールの外観.丁度小雨がぱらついてきました.

 会場の前では,”チケット譲ってください”と書かれた紙を持った若い人が数名立っていた.「すまぬ.我々も聴きたいのだ」とそのまま通過した.

 中に入るとすでに大勢の人でごった返していた.年配の人も多かったが,意外に若い人も多い.決して安くないチケットだが,この日のために頑張って貯めたのだろう.我々の席は3階席である.音的には問題ないが,アーノンクールを見るにはちょっと遠いのが難点であった.

 午後5時本鈴が鳴って,まずはオケ,次いで合唱団が入場してきた(合唱団,オケの順番のほうが一般的だが).チューニングの後ソリスト,指揮者の入場となる.4人のソリストに続いていよいよアーノンクールが入場してきた.場内の拍手も一段と大きくなる.

Kyoto2 京都コンサートホール内部の様子.

 演奏は比較的静かに始まった(最初のシンフォニアはゆっくりしたテンポであった).アーノンクールの演奏といえば,あの独特のアクセントが有名である.特に1981年のモーツァルトのレクイエム(バイヤー版)の録音は,あまりに衝撃的で当時物議を醸し出したものだった.しかし,演奏スタイルは時期によって変化するのが当然であり,アーノンクール自身も年とともに新しいことを考えたり,発見したりするわけで,「アーノンクールの音楽はこうだ!」式の議論が不毛であるのは言うまでもない.この日の演奏も,昔のアーノンクールのような,「ザクッ,ザクッ」という突き刺さるような造りは少なかった.10月に放送された例の”毎日モーツァルト”の特番で出てきた,今年のザルツブルグ音楽祭のフィガロの序曲のテンポが意外に遅いのに驚いた私だったが,この日のメサイアも冒頭のシンフォニアからゆったりとしたテンポで進んでいった.アーノンクールらしさといえば,第2部の終曲(ハレルヤコーラス)がピアノから始まって,クレッシェンドしてフォルテシモに至ること(一般には最初からフォルテで始まるパターンが多い)や,曲の途中でテンポがどんどん変わっていくことであろうか(ハレルヤコーラスでいえば,後半の"King of Kings, The Lord of Lords"はゆっくり,それと掛け合いになる"Hallelujah"はアップテンポなど).

 合唱はアーノルド・シェーンベルク合唱団.技術的にはかなり高い合唱団である(アーノンクールのあのテンポやアクセントについていけるのだから並の合唱団ではない).アーノンクールは1970年代まではウィーン少年合唱団とウィーン合唱隊という男ばかりのコーラス(この方がオリジナルに近い)を用いていたが,1980年代から現代風の女声を使うようになっている.この理由として当時我々の間では,アーノンクールがウィーン少年合唱団の子供たちが言うことを聞かないため嫌になったからとウワサされていた(真相は不明).

Panfu_1 演奏会パンフです

 ところでヘンデルのメサイアは,バージョンの多彩なことでも有名である.この日の演奏がどの版になるのか,無学な私には判りかねたが(誰か教えてください),気づいた点は以下の通りであった.

 ・第1部,第6曲のアリアがアルトだった(この曲にはバス版,ソプラノ版もある).

 ・第1部後半のPifaが短縮バージョンだった.

 ・第2部前半のAccompagnato ~ Ariosoがソプラノだった(普通はテノールが歌うことが多い).

 ・第2部後半のアリア(Thou art gone up on high.)がアルトだった(バス版の場合もある.リヒターの演奏など).

 ・第3部の有名なバスのアリア(通称ラッパのアリア)の歌詞割りが一般のものと異なっていた("the dead shall be raised incorruptible"の部分.私の記憶が確かなら,ホグウッドの捨子養育院版の演奏と同じ歌詞割りだったように思う).

 演奏そのものは,(合唱が時に不安定だったり,急遽代役となったバスの若いソリスト(なんと1980年生まれ!)が,慣れない異国での極度の緊張のためか,曲が落ちてしまった箇所があったのを除けば)素晴らしいものであった.残念だったのは,最後のアーメンコーラスのカデンツが完全に終わらないうちに拍手を始めた人がいたことであった.さすがにその瞬間,会場内が気まずい雰囲気になったためか,すぐに止めてくれたが,「せっかくの演奏を,せめて余韻ぐらい楽しもうよ」と思ったのは私だけではないだろう.

 演奏終了後カーテンコールがあったが(宗教曲でありアンコールは無い),全てが終わって,オケや合唱団が皆退場した後も拍手が鳴り止まなかった.すると,なんとアーノンクールが独りステージに登場したではないか.客席で帰り支度をしていた我々も驚いたが,会場内さらに大きな拍手に包まれた.アーノンクールのサービス精神に感動した私であった.

Kyoto3 ニコラウス・アーノンクール(左端).今年で77歳になるはずですが,2時間半の演奏会中立ちっぱなしでエネルギッシュに指揮をするなど,年齢を全く感じさせませんでした.

 演奏会後,私とKは先斗町に繰り出してアーノンクールの余韻に浸りつつ夕食にしたのだった.

Ponto1 夜の先斗町です.

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2006年10月26日 (木)

ヘンデルのメサイア

 今日の「毎日モーツァルト」はモーツァルト編曲のオラトリオ・メサイアであった(オラトリオを日本語に訳すと聖譚劇なんだそうです).メサイアはバロック時代の有名な作曲家G. F. ヘンデルの代表作ともいえる名曲である.

Handel_1 ヘンデルの有名な絵です.

 ヘンデルは元々ドイツ人で,ハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長をしていたが,オペラの作曲をやって活躍したいとロンドンに渡り,そのまま居ついてしまったという(選帝侯の許可を受けたのかは不明),なんとなくモーツァルトにも似ている人生を歩んだ人である(旅をしてあちこち走り回っていたのも似ている).ドイツ時代の上司だったハノーヴァー選帝侯が,後年イギリス国王ジョージ1世として海を渡ってイギリスにやって来た時は,ヘンデルもさぞ驚いたに違いない.この時,過去のいきさつから,国王との気まずい雰囲気があり,これを解消するために水上の音楽を作曲したという説があるが,これは事実ではないらしい.

 ロンドンでのヘンデルの人生は浮き沈みが激しく,一時はオペラ劇場の経営に失敗して破産してしまう.こんな失意の時代に作曲され,大評判となり,ヘンデルの名を再び有名にしたのが,このオラトリオ・メサイアである.新約旧約両方の聖書の言葉から,主イエス誕生の預言から受難,復活までを劇的に描いた音楽劇である(第2部終曲のハレルヤ・コーラスはあまりにも有名).

 この曲は当時から非常に人気が高く,同時代人であるJ. S. バッハのマタイ受難曲が,19世紀にメンデルスゾーンによって再演されるまで,人知れず埋もれていたのと対照的である.もっとも有名すぎたために,当時からヘンデル自身による多くの編曲版があって,いったいどれがオリジナル版なのかわからない状態になっているが‥‥(これはメサイアの人気が凄くて,ヘンデルも当時,各地の演奏に引っ張りだこだった.しかし,演奏場所によってオーケストラの人数や編成,歌い手の力量が異なる(ロンドンのような大都市ならフルオーケストラOKで,楽員の技量も問題ないが,地方では規模も小さく,また管楽器がいない,歌手が難しい曲は歌えないなど多くの制約がある)ため,オケ編成や場合によっては曲そのものが違ったいろんなバージョンがあるのだった.

 モーツァルトが編曲したメサイアは,モーツァルト版として知られており楽譜やCD,DVDも出ている.DVDではヘルムート・リリング指揮のものがあり,なかなかいい演奏である.アマデウス・ブログ にも触れられているが,この編曲は18世紀末のテイストで書かれており,本来トランペットだったところがホルンになったり,弦が厚くなったりしている(初めて聴いたときは,「おお!魔笛だ」と思った私だった).

Handeldvd_1 これがヘルムート・リリング指揮のモーツァルト版メサイアです.合唱曲の一部が四重唱になっているなど,ヘンデル版と比較するとなかなか楽しいです.

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2006年9月 2日 (土)

ムンクの「叫び」発見される

 昨日の新聞を見ていたらノルウェーの画家,ムンクの名画「叫び」が発見された旨が報じられていた.この絵はオスロの国立美術館に展示されており,私も2003年にスバールバル諸島に行った際立ち寄って見たことがあったのだが,その1年後に強奪されていたらしい.すっかり忘れていたのだが,何はともあれ無事に見つかってよかった次第である(それにしても強奪した犯人はこの絵をどうするつもりだったのだろう).

Bijutukan  

Sakebi  (写真上) オスロの国立美術館 (写真下) そして,これがムンクの「叫び」

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2006年9月 1日 (金)

夏休みが終わった”毎日モーツァルト”

 今日9月1日から二学期らしい(もっとも私の住む地方ではとっくに二学期になっているのだが).7月31日(月)から夏休みバージョンになっていた”毎日モーツァルト”,来週からは通常バージョンに戻るのかと思いきや,なんと来週は「今からでも間に合う毎日モーツァルト2」が放送されるらしい.「今から~」は確か5月の連休時期に,それまでのダイジェスト編として放送され,1月からの放送を初めから見ていなかったという人でも,話についていけるようにというコンセプトだったと思う.それが1年の半分以上を過ぎた今頃になって「今からでも間に合う~」と言われてもなぁ.しかも今回のはウィーンに移住後のダイジェスト編らしい.従ってこの放送を見てもザルツブルグ時代のことはわからないわけで,名付けるなら「今からでも間に合うウィーン時代のモーツァルト」ではないかなどと野暮なことを考えてしまうのだった.この調子だと12月頃に第3弾があるかもしれない(タイトルは「さらば,今からでも間に合う毎日モーツァルト」だったりして(山本耕史さんの「さらば,毎日モーツァルト」という語りが浮かんできます 笑).

Mozart2  (写真) 白目をむいたモーツァルト.今年ウィーンの街を歩くと,このモーツァルトの絵をいたるところで目にします.

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2006年8月 8日 (火)

はなさかづき

 先週末江戸表に出向いた最大の目的は5月のひの新選組まつりでお世話になったエル・プロダクツ(エルプロ)の公演を見に行くためであった.エルプロは主に時代ものを取り上げて活動している女性ばかりの劇団である.私は今年のひのパレで思いがけなくも六番隊隊長井上源三郎の役をやらせていただいたのだが(ひのパレのレポートについてはホームページの方にアップしてあります第9回ひの新選組まつり参戦記録),この時六番隊の隊士を務めていただいたのがエルプロの皆さんなのであった.パレードの合間に行われた殺陣のパフォーマンスも見事で,これは是非公演を見に行かなくてはと思っていた次第である.

 今回の演目は”はなさかづき”,これは戊辰戦争における会津藩がテーマである.会津藩といえば幕末に京都守護職であった松平容保公の治める藩である.孝明天皇の信頼も厚く,最も勤皇でありながら戊辰戦争では朝敵の汚名を着せられた悲劇の藩として知られている.維新後も不毛の地”斗南”(今の下北半島)に移封され辛酸を舐めさせられている(最もこの斗南移封については,会津藩士自身が猪苗代と斗南のうち斗南を選択したともいわれている).そんな会津の戦いをテーマにした作品であった.

 8月6日11時の公演を観に行くため東京は銀座へと向かう(山高シャッポにロイドめがねではなかったが…… って誰もわからないか 笑).会場は銀座みゆき館劇場という小さな劇場,最初に入った時はあまりにこじんまりとしていてちょっと驚いた.

 さて,舞台である.物語は慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いから9月の会津藩降伏までの出来事が演じられている.会津藩家老で,北越戦争に参加し鬼官兵衛と恐れられた佐川官兵衛とその側近,桜庭百太郎を中心とし,それに会津で小料理屋を営む結城孫八という無駄に男前な店主と,情報屋の田所一矢が絡む形で進んでいく.基本的には史実にそって話は進んでいくのだが,所々に創作やお笑いも交えていた.飯盛山での白虎隊自刃の場面では独自の解釈(城下の炎を城が燃えていると誤認して自刃したとされている部分を,まだ城は燃えていないことを知りつつ,帰還が困難であることを悟って魂となって城を守ろうと自刃したことにした)を出して白虎隊隊士の純粋さを高めるのに成功していたと思う.また会津の伝統芸能である彼岸獅子が所々に登場して演出効果を上げていた(彼岸獅子については,日光口の戦闘で大鳥圭介とともに善戦していた家老の山川大蔵が会津に帰還した際,鶴ヶ城が既に敵に包囲されていたため,彼岸獅子を舞って敵の目を欺いて入城したという話が有名である.このエピソードは昭和55年のNHK大河ドラマ”獅子の時代”でも描かれていたのを覚えている).役者もみな個性的で良かったと思う(特に佐川や山川のキャラクターが良かった).

 とにかくあっという間の2時間であった.私は昔から涙腺が弱く,ちょっと感動するとすぐに涙が出てくるのだが(ハクション大魔王の最終回や赤毛のアンのマシューが死んだ回などは未だに涙なしでは見られない),今回も大いに感動した次第であった.

Hanasakaduki (写真)今回の公演のチラシです.いったいどこで撮影したのでしょうか?

斬心 (エルプロの活動や公演についての情報が見られるサイトです)

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2006年8月 2日 (水)

盛岡さんさ踊り

 いよいよ8月である.しかしここ東北地方はいまだに梅雨が明けていない(今日2日は晴天であり,もしかしたら今日あたり梅雨明けだったりして).例年だと東北地方は7月下旬の梅雨明け後一気に夏になり,8月上旬の夏祭り期間中に盛夏を迎える.そして盂蘭盆の頃には既に朝夕には気温が下がり始め,もう秋の気配となる.このように短い東北の夏であるが,短いからこそ人々の気分も盛り上がるわけで8月上旬に各地で盛大に夏祭りが行われる.有名なところで青森のねぶた祭り,秋田の竿灯祭り,仙台の七夕祭りが俗に東北3大祭りと呼ばれている.このほかでは弘前のねぷたや八戸の三社大祭,山形の花笠まつりなども有名である.わが岩手ではこの時期,盛岡でさんさ踊りが行われる(今年は8月1日から4日までの4日間).実行委員会では「日本一の太鼓パレード」,「東北5大祭り」と鼻息が荒いが,そこまでメジャーかと言われると考え込んでしまうのであった(盛岡のお祭りとしては6月に行われる「チャグチャグ馬っこ」の方が有名な気がする).

 ただ,私はここ数年盛岡に拠点がないためせっかくのお祭りも行く機会が無かったが,昨日8月1日は夕方から盛岡に行く用事があり久しぶりに街を歩いてみた.通りには夜店が並び,観光客や浴衣を着た地元の老若男女でごった返している.数年ぶりに見たのだが以前よりは観客が増えているような気がした.踊りの方は各種団体がそれぞれおそろいの浴衣を着て勇壮に舞い踊っていた(この日は岩手医大や盛岡友愛病院など医療関係の団体も多く参加していた).地元民としては今後も大いに盛り上がって欲しいものである.

Sansa

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2006年7月31日 (月)

夏休みの”毎日モーツァルト”

 今年はモーツァルト生誕250年ということで,1月からNHK BS2およびハイビジョンで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっている.モーツァルトに関するエピソードを交えながら1日1曲ずつ紹介していくスタイルである.案内人に,俳優の山本耕史氏を起用していることもあり人気もあるようだ.当初は速いペースでモーツァルトの人生が進んで行き、このペースで1年持つんだろうかと不安になったが,ウィーンに引っ越したあたりからペースダウンしており,また所々重要な曲では1回限りとせず,数回から1週間くらい引っ張っているため何とか1年持ちそうな感じである.

 さて,その毎日モーツァルトであるが今月は夏休み企画らしく特別バージョンでの放送となっている.以前にもゴールデンウィークの頃に”今からでも間に合う毎日モーツァルト”という企画をやっていたが,さすがに1年の半分以上過ぎた段階で”今からでも間に合う”とは言えないためか,とりあえず今週(7月31日~8月4日)はモーツァルトと街というテーマでザルツブルグやミュンヘンなどが取り上げられるようだ(来週はモーツァルトと女性,再来週はリクエスト企画らしい).ちなみに7月31日の放送では山本氏が珍しく画面に登場していたが,やはりこれは「山本さんをテレビに映してください」という視聴者の声が大きかったためであろうか.

 それにしてもこれまでにも有名音楽家の記念イヤーというのは数多くあったはずだが,これほど世間で盛り上がったのはモーツァルトが初めてではないかと思う(本当は今年はショスタコービッチの生誕100年(こっちの方がキリがいい)なのだが,こっちの方は全然盛り上がっていない.年始めには仙台の新星堂にもショスタコービッチの生誕100年コーナーがあったのだがいつの間にか撤去されていた).これまでも1985年のバッハ,ヘンデルの生誕300年があったが一部のマニア以外では盛り上がらなかった.今後は2013年にヴェルディとワーグナーの生誕200年が控えており,特にバイロイトあたりではすごいことになりそうだが,世間での盛り上がりという点ではあまり期待できないかもしれない.

 そんなこんなで今年もあと5ヶ月,モーツァルトが続くのである(アーノンクールも来日するし).

Mozart (写真)ウィーンのブルク公園にあるモーツァルトの像

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2006年7月27日 (木)

モーツァルトの祟り

 最近,プロ野球セリーグの読売ジャイアンツの調子が悪い.4月は結構良かったが5月以降,特に交流戦開始後は連敗,連敗,また連敗で,その負けっぷりは悲劇を通り越して喜劇的ですらある.世の中の人はその原因を,やれ怪我人が多いとか,FAに頼る補強の仕方が悪いとかいろいろ言っているが,私とKはこれはモーツァルトの祟りだと信じている.今年2006年はモーツァルト生誕250年の記念の年である.そのためNHK BS2およびBS Hivisionで「毎日モーツァルト」という10分間番組を月~金曜日まで毎日放送している(大体朝と夜の2回BS2,BSHiで合計4回同じものが放送されており,ウチのKは毎日その全てを見ているらしい).

 話は5月4日にさかのぼる.この日甲子園で阪神-巨人戦が行われその模様がNHK BS Hivisionで放映されていた(らしい).試合は白熱した展開となり延長戦に突入,民放地上波と違ってNHK BSは試合終了まで中継するため,以後の番組が延期または中止になっていった(らしい).何も知らないKはいつものように,その日最後の「毎日モーツァルト」を見るために21時45分ごろテレビを付け,BS Hivisionにチャンネルを合わせた.すると突然原監督のアップが,なんだこれはと思う間もなく画面に「本日の毎日モーツァルトはお休みします」というテロップが,Kは烈火のごとく怒る.「野球の試合ごときで”モーツァルト”を流すとはけしからん」というわけである.結局試合は延長の末阪神がサヨナラ勝ちを収めたのだが,収まらないのはKで,「こんなことをやっているとモーツァルトの祟りがあるよ」と怒っていたのだった.その後,連休明けの交流戦からジャイアンツの喜劇的な凋落(なにしろ30試合で4勝26敗という,去年の楽天イーグルスをはるかに上回る負けっぷりであった)が始まったのだから,本当にモーツァルトの祟りかもしれないと思った次第である.

 そして今日また「毎日モーツァルト」が野球で流れた.BS Hivisionの巨人-広島戦(東京ドーム)が延長にもつれ込んだのである.結局試合は巨人が勝ったらしいが今回モーツァルトの祟りはどちらに向かうのだろうか,読売か広島か,興味が尽きない私であった.

 注) 毎日モーツァルトが流れたのはこの野球2試合の他,テニスのウィンブルドンで1回,北朝鮮のミサイル発射で1回の計4回である.特に北朝鮮のミサイル発射の時,Kはモーツァルトの祟りで北朝鮮に台風が直撃すると予言していた.

Geburghaus (写真)ザルツブルグのモーツァルトの生家(今度はどこに祟るのだろうか)

 

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