2017年6月21日 (水)

角館にも行ってきました

P6150969 (写真1) 角館の武家屋敷通り

 一週間以上たってしまいましたが,能代の寮歌イベントの翌日は,帰りの飛行機が夕方ということもあって,前日の男鹿半島に続き,少し観光して歩くことにしました.行先は角館,春は桜の名所としても名高い趣のある街です.

 角館は秋田を本拠とする久保田藩の支城(角館城)があった場所です.城郭自体は後の一国一城令によって破却されたものの,当初は蘆名氏,その後は佐竹氏の分家筋の佐竹北家が支配していました.元々城のあった古城山の南麓,檜木内川の左岸に市街地が形成された.街は北側の武士の居住区である内町と南側の町人居住区の外町に分けられ,両者の間には火除け地が置かれています.

P6150925 (写真2) 人力車にて

 明治以降大きな災害がなかったことや,地域の政治経済の中心が隣の大曲に移ったことから市街地の大規模な再開発が行われず,このことが結果として昔ながらの町並みを保存する結果となります.昭和51年(1976年)に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されて以降観光客が増加,さらに平成9年(1997年)の秋田新幹線の開業によってその数は一気に増え現在では外国人観光客の姿も見られるようになっています.学生時代には桜の季節に訪問したこともありましたが,今回は6月の新緑時期の訪問となりました.

P6150914 (写真3) 青柳家の薬医門,当時馬を繋いだとされる石もあります

 まずは人力車にて武家屋敷地帯の散策,有名な青柳家や石黒家の外観や庭の木々を見学,樹齢300年の樅ノ木やしだれ桜が見事でした.角館のしだれ桜は藩政時代,佐竹家二代目義明の妻が京都から輿入れしてきた際に持ってきた苗木が枝分けされて増えて今に至っているといわれているそうです.

 人力車の後は武家屋敷内部の見学です.青柳家は現在人は住んでおらず市が管理する施設となっています.内部は武家屋敷の他,各種の博物館的な要素も兼ね備えています.自分的に注目したのは昔のレコードがたくさん展示されていたコーナー,トスカニーニのベートーベンの英雄のレコードには感動しました(笑).

P6150952 P6150954 (写真4,5) 昔のレコード(SP版)

 青柳家の見学の後は隣の石黒家へ.ここは現在も同家の方が住んでおり,屋敷の一部が一般公開されています.現在角館では座敷に上がれる唯一の武家屋敷となっており,係員の案内で見ることができます.建築から200年は経っているだろう重厚な屋敷は素晴らしいの一言ですが,面白いのは正面の玄関は殿様など偉い人が来た時しか開かず,当主でも横の入り口から出入りしていたらしいことです.当時の身分制度が伺える話です.身分といえば屋敷周囲の塀の高さも身分に寄るらしく,青柳家と石黒家の土塀の境も高さの違いがあり,両家の身分さを反映しているのだそうです.

P6150976_2 P6150966 (左写真6) 石黒家,(右同7) 両家の塀の境

P6150984 P6150986 (写真8,9) 小野田家

P6150979(写真10) 日本の道100選ほかの顕彰碑が埋め込まれた岩

 その後もいくつかの武家屋敷を見学しました.ちなみにこの角館武家屋敷通りは日本の道100選に認定されているところでもあり,100選マニアの自分はもちろん顕彰碑を探したのでした.

 夕方になったので秋田空港へ.フライトまで少し時間があったので,レストランに入って秋田の地酒やおつまみを堪能したのはいうまでもありません.

Img_3092 (写真11) 地酒の利き酒

 こうして今年の能代遠征も無事に終了したのでした.

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2017年6月10日 (土)

東京21合唱団第14回コンサート

 今回は宣伝です.

Img160  自分が活動している合唱団のひとつである東京21合唱団の第14回コンサートが,来る6月23日(金)に開催されます.場所は赤坂の霊南坂教会,開演は19時です.

 日本語の讃美歌と西洋の教会音楽を柱として活動している合唱団で,今回のテーマは”主を待ち望む”として,第1部では讃美歌21とそれを基に編曲した合唱を,第2部はJ. S. バッハのオルゲル・ビュッヘライン(教会暦では待降節からクリスマスまで)をベースに,その元ネタとなったコラールも交えながら演奏します.

 そして第3部はJ. S. バッハのカンタータ131番「主よ,深き淵よりわれ汝を呼ぶ」を取り上げます.これはバッハの中では比較的初期に作られたといわれるカンタータです(有名な106番と同じころ).後期の特にライプチヒ時代のコラールカンタータとは違って,1・3・5曲目に合唱フーガが,2・4曲目がアリア付の合唱コラールという構成になっています.

 梅雨時で夏至の遅い夕暮れ,教会音楽などいかがでしょう (^.^).

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2017年6月 8日 (木)

楽劇「ジークフリート」

Img_3048  2週間ほど前の土曜日に休日出勤をして丸1日拘束されたんですが,その代休を取っても良いといわれていました.ただいつでも良いわけではなく,6月7日までの期間限定… さあどうしようと思っていたんですが,その最終日に新国立劇場で,楽劇「ジークフリート」公演があるじゃないか!というわけで,午後2時開演のマチネの公演に行ってきました.

 ワーグナーのジークフリートは彼が半生をかけて作り上げた舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」四部作の3番目(第2夜)にあたります.ニーベルングの指環は全演奏時間が15時間を越える超大作で,演奏難度も非常に高いため,その知名度の割には演奏される機会が非常に少ない作品です.日本でも(特に4作シリーズとして)演奏される機会はめったにありません.新国立劇場での上演としては2001年から2004年にかけてでキース・ウォーナー演出による全曲演奏(いわゆるトーキョーリング)と,2009年から2010年にかけての同再演があり,自分も再演で全曲観劇しました.その後5年の歳月を経て新演出の公演が始まり,2015年に序夜「ラインの黄金」が,2016年に第1夜「ワルキューレ」が上演され,今回ついに第2夜「ジークフリートの」登場と相成ったわけです.

Dsc_1588 (写真2) ワーグナーは幕間が長いのでホワイエはちょっとした縁日状態になります

 ニーベルングの指環のストーリーを概説すると,世界を支配する力を秘めた黄金の指環をめぐる神々と巨人族,小人族そして人間の争いを背景に,英雄ジークフリートの誕生と成長,彼の死と神々の没落,気高い女性の自己犠牲による救済ということになります.

 前作のワルキューレはジークフリートを宿したジークリンデが神々の長ヴォータンの娘にしてワルキューレの一人であるブリュンヒルデによって逃がされ,一方ヴォータンの怒りにふれたブリュンヒルデは神格を剥奪されて岩山で眠りに着くところまででした.そして今回のジークフリートで,いよいよ英雄ジークフリートが登場,天真爛漫な彼が成長し大蛇を退治して指環を手に入れ,ついには岩山のブリュンヒルデの眠りを覚ますというメルヘンチックな展開です.演奏時間は3幕全体で約4時間,第1幕だけで1時間20分かかります(ジャンニ・スキッキ道化師なら全編が終わっています 笑).音楽はいかにもワーグナー的な重厚で濃密(かつ大げさ)です.

Img_3046 (写真3) 休憩が長いのは歌手の疲労を回復させるためと思われます

 ワーグナーの作品ってストーリーだけを記せば2~3行で終わるところを1時間以上引っ張るので,やたらと問答や独白が多いのも特徴です.その音楽の濃厚さと長大さから,時には「わかった。君たちの気持ちはよ~くわかったから、早く先に進んでくれ ( ゚Д゚)」と叫びたくなることもあります.特に主役とも言えるジークフリートは全編ほぼ出ずっぱりで歌い続けます.ラストの3幕後半では,ここで初登場となる,スタミナ十分のブリュンヒルデと,1~2幕出ずっぱりでかなり疲労している(だろう)ジークフリートが長大な二重唱を歌うので頭が下がります.今回のステージでジークフリートを演じたのはステファン・グールド,世界各地で活躍しているワーグナー歌いです.今回の指環連続公演ではラインの黄金でローゲを,ワルキューレではジークムントを,そしてジークフリートと次回の神々の黄昏ではジークフリートを歌っています.一方でブリュンヒルデを歌ったのはトーキョーリングや昨年のワルキューレで同役を歌った定番のテオリンではなくリカルダ・メルベートでした.

Img_3052_2 Img_3055 (写真4&5) 夕食は牡蠣!

 2時開演のステージも終演はなんと8時過ぎ,さすがに疲れました.で,終演後は新宿で牡蠣三昧の夕食をいただいたのでした(笑).

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2017年6月 4日 (日)

医師会合唱団の合宿

 現在いくつかの合唱団に所属している私ですが,その一つ小田原医師会合唱団の合宿がこの週末に行われました.

20834  場所は箱根湯本ホテル.その名の通り箱根湯本にある古いホテルです.一般に〇△ホテルのように地名がストレートな名前のホテルは創業当時他にホテルがなかったからこそ名乗れるわけで,これが後発になると○△観光ホテル○△グランドホテル○△ロイヤルホテルという風に装飾語が必要になってきます.今回の会場はそうした老舗のホテルでした.合宿初日6月3日は快晴の陽気の中会場入りしました.

16641080_1229805243783505_181497841  現在合唱団では9月の定期演奏会に向けての練習に取り組んでいます.今回は太田桜子さんの混声合唱組曲「私が一番大切にしたいもの」をメインステージに,歌謡デラックス(歌謡曲を合唱にアレンジした作品),ロシア民謡,そして宗教曲の小品をいくつかというステージ構成になる予定です.

Dsc_1579  団員みな普段は忙しい人間が多いので,こうした機会に徹底的に練習するわけです.今回も非常に充実した練習になりました.

 で,大人の合唱団の場合練習と並んで重要なのが夜の懇親会です(学生合唱団の場合はひたすら練習の音楽漬けであるが).今年も各種料理に加えて様々なお酒を堪能した晩となりました(その後二次会にも参加してお勧めの日本酒を痛飲したのでした).

Dsc_1577_2  翌日(6月4日)も朝9時から練習,昨夜のお酒の影響が残っていてちょっと具合が悪かったです(プチ二日酔いという感じか 笑).

 この日も途中1時間の昼食をはさんで夕方までみっちりと練習が行われたのは言うまでもありません.この成果は9月の定期演奏会で発揮される(ハズ)です.

Dsc_1573  合宿中にお誕生日だったドクターもいてバースデーケーキでお祝いされていました !(^^)!

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2017年4月27日 (木)

追悼の例会

 昨夜(4月26日)は都内に出かけてきました.

 現在自分はいくつかの合唱団に所属しているんですが,そのひとつである東京マドリガル会の例会のためです.この会は16世紀の英国マドリガルをメインに歌っている珍しい団体です.会の歴史は非常に古く,最初のコンサートが開催されたのが1929年(昭和4年)のことです.以来1年も休むことなく続けられ,なんと第二次世界大戦中もその活動は途切れることはなかったのです(ドイツ音楽ならともかく,当時の敵国である英国の歌を歌い続けていたわけですからすごいことです.当時は大学の教室などで活動していたそうですが,戦時中とはいえ私立大学の内部にはまだ自由があったことが伺えます).

 こうした長い歴史を持つ会ですが,諸事情からコンサート活動は昨年をもって一区切りとなり,現在は月に1回程度集まって純粋にアンサンブルを楽しむ会となっています(ちなみにこの会では「練習」とは呼ばず「例会」と呼んでいます).

Img_3 (写真1) 数年前のコンサートの様子

 そんなマドリガル会に私が参加するようになったのは,岩手県から神奈川県に居を移した2008年のこと,私の高校の先輩で,当時持っていたもう一つのブログ(Yahooブログ)にコメントを下さっていた方(Sさん)からのお誘いでした.この先輩は音楽,特に合唱音楽に造詣が深く,また同郷岩手など東北出身の若い音楽家を常に応援している方でした(こうした若手音楽家のコンサートやコンクールなどにはいつも駆け付けていて,その辺の世界では有名な存在でした).私が参加している盛岡バッハ・カンタータ・フェラインや東京21合唱団のコンサートにもいつも来て下さいました.

 そんなSさんが亡くなったという知らせが来たのです.

 実は先月21日に盛岡で行われたヨハネ受難曲の演奏会にもSさんは来てくださいました.あの日はコンサート終了後自分は合唱団のレセプションに参加していたんですが,Sさんは東京から聴きに来てくださったほかの方々と会食をしていて,偶然自分が帰りの新幹線に乗るための盛岡駅でばったりとお会いしたのです.その時はいつもと変わりがなく,「自分はこれから夜行バスで帰るんだよ」とおっしゃっていたのを覚えています.まさかそれが最後のお話になるとは…

 聞くところによると,先輩はその晩夜行バスで東京に戻った後まもなく急逝されたとのことでした.

Img_2986  そして昨夜はSさんが亡くなったことが明らかになってから初めての例会だったのです.会ではみんなにとってのSさんの思い出などが語られ,追悼のためのマドリガルやルネサンスの宗教曲を歌いました.その席上他の会員がおっしゃってたんですが,「Sさんはいつも裏方のような仕事を嫌な顔一つせずやってくださっていて,そこにいるのが当たり前すぎる存在だった.こうして亡くなったことを知って,そこにぽっかり大きな穴があいたのが分かった」,「いつも普通にふらっと現れる方だったから,今日もひょっこり現れるんじゃないかと思ってしまう」など,生前の人柄がしのばれるお話が出ていました.本当に同感です.

 例会からの帰り道,駅に向かう途中で自分もS先輩の人懐っこい表情を思い出し,いろんなお話をしたけど,もうすることはできないんだと思うと急に涙があふれてきました(親戚の葬儀では涙をながすことなんかない自分なのに).

 S先輩のご冥福を心からお祈りいたします.

 

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2017年4月23日 (日)

この週末は

 先日の九州の記事で温かくなり冷房が欲しいと書いたんですが,その舌の根も乾かぬうちに暖房が欲しい寒い日々に逆戻りした当地です(笑). そんな4月中旬の週末は,ウチのKが活躍するイベントが2つあったので応援がてら出かけていました.

Dsc_1467  その1は4月22日(土)午後に開催された「マーラマポノ フラショー&講演会」,これは市内で循環器科の開業医をされているドクターがやっているフラスタジオが主催して行われたショー&講演会,縁あってウチのKも参加しています.ちなみにマーラマポノ(malama pono)とはハワイの言葉で「お元気で」とか「お大事に」とかいう意味だそうです.

 前半はフラダンスのショー,ハワイ各島のイメージカラーを身に着けて様々な踊りと歌が披露されました(途中で花がばらけるというアクシデントも…).一転して後半はヒプノセラピー(催眠療法)に関する講演,講師はヒプノセラピストの中野日出美さんです.こっち方面の話題に自分は明るくないんですが,講演の中で出てきた前世療法という言葉を聞いて,昔の怪獣番組ダイアモンドアイの前世魔人を思い出してしまいました.

Img_2983  そして昨日4月23日(日)の午後はその2,「第55回木の実会&14th KONOMIKAI PartⅡ 声楽演奏会」です.こちらは合唱&声楽指導者の桑原妙子先生の門下生が日ごろの鍛錬の成果を発表する場としての演奏会です.昨年の今頃も記事にしたんですが,元々は学生の部である木の実会と大人の部であるKONOMIKAIという2つの発表会が別々にあったのが,数年前から合同で開催されるようになったという経緯があるそうです.

 私も所属している小田原医師会合唱団の指揮者の先生やウチのKを始め,団内にも師事している人がいるという縁から私も聴きに行っています.今回は学生・大人合わせて21人の方々(プラスプロの方)の発表でした.ウチのKも緊張しながらも頑張っていたと思います.

 で夜はお疲れさん会とばかりに食事に繰り出しました.この日は魚介系,岩手県産の生牡蠣や地物の活アジのお刺身が美味でした (^.^).

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2017年4月15日 (土)

歌劇「オテロ」

Img149  今週の水曜日(4月12日),東京の初台にある新国立劇場で行われた歌劇「オテロ」公演に行ってきました.

 シェークスピアの有名な作品「オセロ」をオペラ化した作品です(オテロはOthelloのイタリア語読み).

 ヴェルディはその生涯に26作品のオペラを書いていますが,この「オテロ」は最後から2番目,25作品目にあたり初演されたのは1887年です(有名な「アイーダ」から16年後).台本を書いたのはアリゴ・ボーイトという若い詩人兼作曲家,彼は当時ヨーロッパの音楽界を吹き荒れていたワーグナー理論の崇拝者で,自らもワーグナー風のオペラ,メフィストフェーレを作曲しましたが,初演が大失敗に終わり,作曲家としてやっていくことへの限界を感じたようです.そのため,自らが書いた台本を作曲家に売り込む方向に転向しました.そんなボーイトの台本にヴェルディが作曲したのがこのオテロというわけです.

 この作品の最大の特徴はそれまでのイタリアオペラの伝統であったナンバー制が廃止されたことです.これによって,従来のレシタチーヴォ(セリフ部分)・アリア(歌部分)の区別がなくなり,全編音楽が途切れなく展開するようになりました.ワーグナー以降の作品ではおなじみのスタイルですが,ワーグナーのようにライトモチーフの洪水で慣れない観客が混乱するようなことはなく(笑),輝かしい合唱に美しい旋律といったイタリアオペラの良さもしっかりと残っています(特に4幕のデズデーモナによって歌われる「柳の歌」は従来のイタリアオペラ風のアリアです).ストーリーは原作にかなり忠実ですが,オリジナルが5幕構成なのに対して,第1幕部分を丸々カットすることで,劇はシンプルになりデズデーモナの悲劇性とイヤーゴの悪人ぶりがいっそう際立つようになっています.

 演奏に関しても冒頭の合唱から迫力満点で,オテロのカルロ・ヴェントレ,デズデーモナのセレーナ・ファルノッキア,イヤーゴのウラディミール・ストヤノフともよくまとまっていたと思います(演出は舞台上に運河を再現したマリオ・マルトーネのプロダクション).

 ただ今回問題だったのは舞台ではなく客席でした.

 開演後まもなく隣の方からイビキと寝言が… ( ゚Д゚)

 声のした方をチラッと見ると,年配のオッサンが伸びた様に寝ています(明らかに酔っている).その後も時々声を出したり前かがみになって前列の若い人にもたれそうになるなどひどい状態で,とても劇に集中できませんでした.

 前半(1幕&2幕)終了後の休憩時間中に係員に撤去されたようで,後半はようやく楽しめたんですが,オペラのチケットって決して安くないはずなのに,一体このオッサンは何をしに来たのだろうと不思議に思ったのでした.

17814213_1287987954631900_188593876  ともかくこのオテロ,19世紀型のイタリアオペラ愛好者の間には,ヴェルディがワーグナーの軍門に下ったとあまり評価しない人もいるんですが,なんといっても元が完成度の高いシェークスピアの戯曲であり,この劇をアリアとレシタチーヴォで分断すると,せっかくのドラマがぶつ切りになってダメになってしまうので,これはもうこのスタイルしかないんだろうなと感じています.

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2017年3月21日 (火)

ヨハネ受難曲演奏会に参加しました!

Img148  この週末盛岡に行って,当地で開催されたヨハネ受難曲演奏会に参加しました.この公演は盛岡バッハ・カンタータ・フェライン40周年記念演奏会として行われるものです.演奏本番は20日なんですが,オーケストラとの合わせは18日(土)からというわけでこの日に盛岡入りです.前日は静岡県内での出張当直だったので朝早めに帰宅,荷造りは事前に終わらせておいたため,そのまま出発となります.在来線と東北新幹線を乗り継いで15時ごろに盛岡駅に到着,待っていた母親と合流して盛岡市内お墓参りツアーへ繰り出します.そう,世間ではお彼岸なのでした.その後夕方からの練習に参加,終了後は久しぶりの実家入りでした.

 翌19日は本番会場となる盛岡市民文化ホールでの練習になりますが,この日の集合はお昼の12時半ということで久しぶりの朝寝坊,食事は朝昼兼用のブランチになりました(笑).

P3200720  集合時間ちょっと前に会場入り,いよいよステージでのリハーサルが始まります.自分にとってのヨハネ受難曲は2007年以来10年ぶり,オケの音が鳴り始めた瞬間から背筋がぞくぞくしてきます.この日はソロの楽曲も入るのでソリストの皆さんもフル参加となります.今回は40周年記念演奏会ということで,ソリストも合唱団ゆかりの方々(かつて合唱団に参加,あるいは現在も在籍している方々)です.みなさん各地で活躍されている人たちばかりなんですが,こんな人たちとド素人の自分が同じステージに立てるという合唱団の懐の深さに感謝です.

 スケジュール表だとリハーサルは夜の9時までだったんですが,順調に行ったのか5時過ぎに終了,指揮者の先生からは「明日に備えて英気を養ってください」とのお言葉が (^.^).英気を養うということは栄養を摂って気合を入れろということだろうと解釈し,市内のお肉の店に繰り出しました.

P3190713 P3190716  岩手といえば前沢牛が有名ですが,短角牛も魅力です.さしの多い前沢牛は時に胃もたれする恐れがあるので,演奏会前には赤身の短角牛の方が向いています.さらに英気を養うためにワインもいただいたことはいうまでもありません(笑).

P3200721_2  一夜明けて20日はいよいよ演奏会本番,この日は9時半に会場入りしました.ホワイエで発声練習後,ホールでのゲネプロに臨みます.本番直前ということもあり,先生からは無理をしないようにという指示を受けました.約2時間ほどでゲネは終了,昼食&休憩時間となります.朝にコンビニでサンドイッチを購入していたんですが,急に汁物が恋しくなったため駅の立ち食いそば屋に出て山菜そばをいただきました(同じパートの他の方もいた 笑).

 昼食後会場に戻って着替え,いよいよ開演時間となります.演奏の中身に関しては聴いてくださった方々にお聞きするしかないんですが,東京から駆けつけてくださった方々からもよかったと言ってもらえました(個人的には第1部の終曲,ペテロ懺悔のコラールの後,指揮者やソリストが退場する際に拍手無しというのが感動しました.音楽の中身的には拍手する雰囲気じゃないので,お客さんも雰囲気を感じたのでしょうか).

P3200724  終演後は近くのホテルでレセプション,お酒をいただきながらオケやソリストの方々のお話を伺いました.宴はまだまだ続きますが自分は翌日から通常業務のため,19時半過ぎに退出,新幹線に乗り込んだのでした(駅で偶然にも東京の合唱団の人達と再遭遇 笑).はやぶさ号に接続するこまち号の遅れで東京着が10分遅れ,さらに接続の東海道線が人身事故でストップするなど自分に責任のないアクシデントはあったものの,なんとか帰宅できました.こうして2017年自分にとっての10大ニュースの上位に来るだろう演奏会は終了したのでした.

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2017年3月15日 (水)

歌劇 「ルチア」

Img147  一昨日の晩(3月14日),初台の新国立劇場で上演された歌劇「ルチア」(新製作)のプルミエを観劇してきました.ルチアは19世紀前半を代表するイタリアオペラ作曲家,ドニゼッティの代表作で,私も非常に好きな作品のひとつです.

19世紀のイタリアオペラの系譜はロッシーニから,ベルリーニとドニゼッティ,そしてヴェルディからプッチーニに至りますが,ドニゼッティが活躍した時代は18世紀的な歌手の技巧を聴かせるのがメインのオペラから,よりドラマ性を重視したオペラへとの脱却が図られた時代です.歌劇という言葉に示されているように,古来オペラの主役は歌であり,ドラマはあくまでも歌に従属する存在とされていました.実際に当時の聴衆はドラマは二の次で,歌手の美声や超絶技巧を聴くために劇場に通い,素晴らしいアリアの後には割れんばかりの喝采で劇の進行が中断することは日常茶飯事だったのです.

 しかし19世紀に入ると,これではいけない,オペラももっとドラマ性を重視すべきだという考えが生まれてきました.その一方,歌手の見事な技量を堪能したいという声も根強くありました.ところが,こうなると困ったことが起こります.それはドラマ性の重視と歌手の技巧の披露は基本的に両立しないからです.なぜかというと,従来のオペラでは物語が進行してクライマックスになると歌手はあらん限りの技巧を尽くして難しいアリアを歌います.アリアの間,他の登場人物はすることがなくなってしまいますからその間ドラマは止まってしまうことになります.これでは,せっかく盛り上がったドラマに水を刺すことになってしまいます.逆にドラマを重視すると,アリアなんか歌ってる暇はないことになります(ドラマ性をより重視したワーグナー作品にアリアと呼べるものがほとんどないのはその事実を証明しています).

 そこでドニゼッティの時代には,この相反する二つの要求を解決する方法が考え出されました.それは,ヒロインが悲しみのあまり発狂してしまい,狂ったように超絶技巧のアリアを歌うというスタイルです.これなら観客は歌手の技巧を堪能する一方で,発狂してしまったヒロインに共感するというドラマ性も維持することが出来ます.ドニゼッティが活躍した時代には,こういう形式のオペラが多く作られ,こういう作品を狂乱オペラと呼んでいます.ルチアは狂乱オペラの最高傑作といえる作品なのです.

 したがってこのオペラではなんといっても,ヒロインであるルチアを歌う歌手の出来不出来が重要なカギを握ります.有名なわりに上演頻度が高くないのはひとえにルチアを歌うことの難しさがあるからです.作品中,ルチアの歌うアリアは2曲だけですが,どちらも非常に難しく,特に後半のアリアはコロラトゥーラを駆使した極めて技巧的な歌と叙情的な歌がなんと延々20分も続きます.今回の公演でルチアを歌うのはロシア生まれのオルガ・ペレチャッコ=マリオッティさん,プロフィールによるとメトロポリタン歌劇場でベッリーニの歌劇「清教徒」のエルヴィーラを歌った人です(清教徒もヒロインが発狂する狂乱オペラ).2幕のアリアは鬼気迫るというか,凄い迫力で圧倒されました.その他今回の公演では,2幕のルチアの狂乱アリアで通常フルートのソロが奏でる部分をグラスハーモニカで演奏していたのも注目でした.この楽器自体普段目にする機会がなく,ましてや生で音を聴く機会もないんですが,その独特の音は狂気の世界にいるルチアの叫びにもの悲しくこだまするようでした.

Dsc_1412  演出に関してはまだまだ公演は続くのであまりネタバレできませんが,この作品の舞台であるグレートブリテン島北部の荒涼とした色彩が出ていたと思います.終幕で岬の突端で仁王立ちしているライモンド役の妻屋秀和さんが騎士長に見えたとか,1幕後半のスコットランドの民族衣装(キルト)を着たエドガルドが女子高生のコスプレに見えてしまったというのはナイショです(笑).

 この公演,3月26日まであと4回あります.素晴らしい割に上演頻度が少ない作品でもありますからぜひ!

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2017年3月11日 (土)

3・11祈りのコンサートに参加しました

 今日3月11日は忘れられない日です.

 6年前のあの日は金曜日,当地は朝から快晴の一日でした.院長も副院長も出張で不在,昼下がりの医局には何となく寛いだ空気がただよっていました.

 そして午後2時46分突然の大きな揺れが,これが東日本大震災の瞬間です.当地は幸い停電にもならなかったので,その後の状況はテレビを通じて伝わってきました.院長&副院長不在の病院では残った幹部職員によって善後策が協議されたのを憶えています.当日は公共交通機関が軒並みストップしたため帰宅できない職員もいて混乱しましたが,同じころ故郷の東北の人達の苦境に比べたら,何も起こってないのと同じでした.

 そんな3月11日に仙台で開催されているのが表題の祈りのコンサートです.震災で亡くなられた方,傷ついた方の魂や心を慰めるのが目的です.演奏曲目はW. A. モーツァルト最晩年に作曲された宗教曲,アヴェ・ヴェルム・コルプス K. 618とレクイエム K. 626,演奏は東北を拠点に活動している合唱団やオーケストラによります.

Img146  現在の運営方式では第4回ですが,実際には震災2年後の2013年から同様の趣旨での演奏会が行われていますので,それを合わせると5回目ということになります.自分は仕事の都合で2014年は参加できませんでしたが,それ以外は毎年参加しています.特に今年は土曜日ということで参加のハードルは低かったです.

 前日の3月10日は出張の当直だったので,朝そこから新幹線を乗り継いで仙台に入りました.リハーサルが終わり,外で昼食を摂り本番に臨みました.

17211798_797578003743389_7193025557 (写真) これはリハーサルのショット(友人提供)

 まずは実行委員長の挨拶に始まり,そして14時46分に黙祷,その後演奏となります.演奏後も拍手はなく,黙祷によって締めとなりました.この演奏会も市民に認知されてきたこと,この日は土曜日ということもあったのか,会場は満員に近いお客さんが入っていました.

 終演後参加者はレセプションとなりますが,自分は次の用事があるため新幹線で東京に向かったのでした.

 追記: 今回の演奏会でバスのソロを歌っていただいたのが,弘前在住の熊木晟二先生,自分が弘前に住んでいた時代にメサイアや市民オペラでお世話になったほか,古くは1986年の東北大混声の定演で奇しくも同じモーツァルトのレクイエムでソロをお願いした先生なのでした.終演後会場でお話しする機会があり嬉しかったです).

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