2025年5月22日 (木)

第19回国際旅行医学会②

Img_5276(写真1)学会の受付

 前の晩は早く寝たんですが、時差ぼけもあるため夜中に目が覚めてしまいました。ただ頑張って寝直して結局起きたのは朝6時です。身支度をして会場である向かいのヒルトンホテルに入ります。受付で登録時のメールのコピーを出すと係員がネームプレートを印刷してくれました。このプレートを首にかけると、会場内どこでも自由に歩き回れます。会場を見渡すと国際色豊かなのですが、旅行医学という特性上、自国民を海外旅行に送り出している国の人が多い印象です。地元アメリカやカナダ、オーストラリア、英国といった英語圏、フランス、ドイツ、そしてアジアでは日本のほかタイの方が多い印象を受けました。

Img_6018_20250602200601 Img_6125_20250602203301(写真2,3)会場の様子

 会場は巨大なメイン会場と4つの中会議室で開催されます。こうした学会では良くあることですが、同時進行で複数のシンポジウムやワークショップが開催されます。興味があるテーマが同時間帯に重なると悩むんですが、なるべく日本では聴けないようなシンポジウムを中心に選択しました。狂犬病や黄熱といった感染症はもちろんとても重要なのですが、こうした話題は日本の学会でも取り上げられます。今回国際学会だなぁと感じたのは以下のテーマでした。

① Wander Woman(彷徨う女性): 女性旅行者特有の問題について、尿路感染症や性感染症、妊娠など。

② Human Trafficking(人身売買): 特に途上国における子供や女性の誘拐、人身売買の話題。

③ Dark Tourism(ダークツーリズム): 歴史的に負の事件が起こった場所等を巡る観光について。

④ Street Food(ストリートフード): 観光地における屋台などでの飲食のリスクについて。

 もちろんこれらのシンポジウムには優先的に参加したことはいうまでもありません。そのほか会場であるニューオリンズの過去の感染症との戦いや旅行者下痢症、住血吸虫などの寄生虫症の話題も印象深かったです。

Img_5574 Img_5628(左写真4)おやつセミナーのカウンター、(右同5)とある朝のモーニング

 そして学会と言えば、ランチョンセミナーも欠かせません。協賛企業が軽食を提供して行われるセミナーです。日本だと幕の内弁当とお茶が定番ですが、こちらではサンドイッチ(のようなもの)とコーヒー、紅茶でした(どの日もメニューに大差がないので全日は食べませんでした 笑)。

 そのほかポスターセッションは時々意外なものが見つかるので個人的には注目しているところです。ただ数が多いのと、英文であることから写真を撮ってこれから解析するところです。

Img_6092 Img_5279(左写真6)ポスターセッション、(右同7)協賛企業のフロアー

 そして最終日、最後のセッションは旅行をテーマにした物語について、今回は2つの作品を取り上げ、著者によるプレゼンが行われました。会場では著書の販売もあり、流れで自分も購入しました。その後の閉会式では、次回2年後の2027年に会場となるタイの紹介が行われました。うーん、また参加できるといいなと思ったのでした。

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2025年5月21日 (水)

第19回国際旅行医学会①

 専門は神経内科ですが、旅行医学にも関心が深い私です。旅行医学とは主として海外旅行者を対象とした健康問題の予防や治療を扱う医学で、病院や大学などで分類されるいわゆる臓器別医学とは異なる横断的な医学になります。元来旅行好きな私にとっては、まさに自分のためにあるような分野です。こうした学問を扱う学会として日本には日本旅行医学会日本渡航医学会があり、私は両方とも参加しています。ちなみにこの両学会の違いですが、後者は医師や薬剤師、看護師といった医療職中心に、感染症やワクチンなどの話題を主として扱う傾向が高いのに対して、前者は医療職のみならず旅行会社の添乗員やジャーナリストなど医療関係者以外にも門戸を開いており、扱う話題も「渋滞学」や「化粧水」などより幅広い感じです。

Img_5252(写真1)夕陽のウィントフック空港

 そんな旅行医学の国際版といえるのが、国際旅行医学会(the International Society of Travel Medicine: ISTM)で2年に1回学術大会が開催されます。いつか参加できたらいいなと漠然と思っていたんですが、今回ひょんなことから参加する機会を得ました。会場はアメリカ南部、ミシシッピー川下流にあるニューオリンズです。日本から行っても十分遠い場所(直行便がなく、最低1回の乗り継ぎが必要)ですが、アフリカ南部地域からだとさらに遠く感じるところです。経路はいくつかありますが、今回は一旦ドイツのフランクフルトに出て、そこからアメリカのヒューストンに入り、そこで乗り換えてニューオリンズに至る経路になりました。約28時間の行程です。ウィントフックーフランクフルトは日本に戻る際にもよく使う路線なので勝手はわかります。フランクフルトでの乗り継ぎ時間は4時間です。立ち寄ったラウンジにはヨーロッパ版(?)の日清カップヌードルがあり美味しくいただきました(味噌ベジタブルという名前、おそらくベジタリアン向けでしょう)。ここからは人生初の大西洋を横断するルートです。座席のモニターにモントリオール、ボストン、ニューヨークといった地名が登場するとテンションが上がりました。約11時間のフライトでヒューストンに到着です。

Img_5258 Img_5264(左写真2)ヨーロッパのカップヌードル、(右同3)北米北東部

 チケットを見るとここでの乗り継ぎ時間は1時間半、アメリカの入国空港としてはかなりタイトな時間です。アメリカに入る場合は最初の空港で入国審査を受け、荷物を引き取って税関を抜ける必要があるからです(出発地の空港で最終目的地までのタグが付いていても一旦引き出さなければならない)。で、最大の律速段階が入国審査です。コロナ前にトランジットでアメリカを経由していた頃は、導線が”アメリカ市民”、”ESTA”、”その他外国人”の3種で、ESTA対応国民は専用の機械で指紋認証、顔写真撮影を行いそこでクリアできれば極めてシンプルな窓口を通過できたんですが、今回のヒューストンにはそのような機械はなく、結局”外国人”の列に向かいます。一般に厳しいとされるアメリカの入国審査ですが、善良な日本人はそれほど時間はかかりません。一方で南米系や一部中東系に対しては厳しく時間がかかります。したがって自分の前にそうした人たちがいると、ものすごい待ち時間がかかってしまうので、その辺の見極めが重要です(なんならESTA国民10人の方が非ESTA国民2人よりも早いなんてことも)。とはいえ係員に強制的に「そこの列に行け」と言われてしまうこともあって難しいところです。幸い私の列には難しい人物はおらず、サクサクと手続きは完了、目の前のエスカレーターを降りてターンテーブルに向かいます。

 入国審査に時間がかかったときなどは、すでに自分の荷物が出ていて脇に寄せられていた… なんてこともありますが、今回はスムーズに抜けられたせいか、まだ出てきていませんでした。約10分ほどで荷物が出てきました。取り出して税関へ、幸い何も言われず通過できました(運が悪いと中を開けてチェックされる)。税関の先は到着ロビー方面と乗り換え口方面の二股に分かれています。ここは乗り継ぎ方面に進んで、荷物の再預けを行います(ここで間違って到着ロビーに行ってしまうと振り出しに戻る悲劇となる…)。その後はセキュリティチェックを経て出発ロビーに出ました。到着からここまで40分程度、今回はかなりうまくいったと思います。

 乗り継ぎ便は10分ほど遅れて出発、ヒューストンとニューオリンズの距離は550キロほどなので飛行機だと1時間半くらい、それこそ飲み物が出たなぁと思う頃には到着でした。ここはもう国内線扱いなので面倒な手続きもなく到着ロビーに出ます。ニューオリンズのルイ・アームストロング空港はこじんまりとした空港です(日本で言えば仙台空港クラスか?)。ここからはタクシーで市内のホテルに向かいます(ニューオリンズ空港-ダウンタウンは35ドルの定額制)。今回の学会場はミシシッピー川岸のヒルトンホテル、宿泊もそこにできたら楽だったんですが、さすがにお高いため、その向かいのホテルに宿泊しました。

Img_5273 Img_5272(左写真4)ニューオリンズ、(右同5)今回宿泊のホテル

 着いたのは夕方、移動の疲れと時差ぼけもあってけだるい気分です。この日は外には出ずホテル内のレストランで夕食にしました。

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2025年1月 3日 (金)

何の記念イヤー?

 今年2025年は何の記念イヤーなのか、毎年恒例ですが調べてみました。

① ラジオ放送開始100年 メディアでも話題となっているネタですが、今年は日本でラジオ放送が始まって100年の記念イヤーです。世界的にはその5年前の1920年に始まっていますが、日本では1923年の関東大震災後の情報混乱による被害が大きく、正確な情報を素早く伝える手段としてラジオ放送の開始が期待されました。そして1925年(大正14年)3月22日に東京放送局(JOAK)が放送を開始したのが始まりで、以後全国に普及していくことになります。

② 異国船打払令200年 17世紀前半から太平の世を謳歌してきたわが国ですが、19世紀に入ると欧米食の船が頻繁に姿を見せるようになりました。当初幕府は薪水給与令をだして対応していましたが、フェートン号事件や大津浜事件等を受けて、外国船は全て打払うよう方針を替えました。これが異国船打払令で、17年後に天保の薪水給与令が出るまで続けられました。

③ 近松門左衛門没後300年 17世紀後半から18世紀初頭にかけての日本では上方を中心に元禄文化が花開きました。この時代を代表するものが人形浄瑠璃や歌舞伎狂言ですが、そうした作品を数多く送り出し、時代を象徴する人物の一人とされているのが近松門左衛門です。代表作として「曽根崎心中」や「碁盤太平記」などが知られています。

④ テノチティトラン建設700年 現在のメキシコのあたりに勢力を持っていたアステカ帝国、その首都だったのがテノチティトランで現在のメキシコシティの場所に該当します。当時はテスココ湖の浮かぶ島の上に形成された都市で最盛期には30万人もの人口を誇っていたといわれています。16世紀にスペイン人コルテスによって征服され破壊された後、その上に今に続くメキシコシティの街が形成されました。そんなテノチティトランが建設されたのが今から700年前です。

⑤ チャガタイ・ハン国建国800年 13世紀前半にユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国ですが、広すぎる帝国を一元支配するのは不可能でその初期から分割しての支配が行われていました。このうち主に中央アジア方面を任されたのがチンギス・ハンの次男チャガタイで、彼の支配領域がチャガタイ・ハン国とよばれます。これが建国されたのが今から800年前です。

⑥ 遼滅亡900年 10世紀に成立した宋王朝は周辺の遊牧民国家に対して軍事面では劣勢で、周辺国に資金や物資を与えることで国の安定化を図っていました。そうした宋の周辺国の中でも有力なのが遼で、10世紀に耶律阿保機によって建国されました。五代十国時代の後晋を援助する見返りに燕雲十六州を獲得し、その後宋代になってもこの地を支配し続けるなど強勢を保っていましたが、12世紀に入って女真族の金が勃興すると、宋と金の挟撃にあい1125年に滅亡しました。

⑦ バシレイオス2世崩御1000年 もっとも切りがよく、当ブログ的な話題がこちらです。11世紀ビザンチン帝国の最盛期を作り上げた皇帝バシレイオス2世が崩御したのが今から1000年前の1025年です。7世紀以降イスラム教徒の侵攻やスラブ民族の移住等で衰退していた帝国を盛り返し、黄金期と呼ばれる時代を作り上げたのがこの皇帝です。その人生は戦争に明け暮れ華やかさはないものの、ローマ皇帝=軍人という建前をまさに具現した皇帝でした。

⑧ 第1回ニカイア公会議1700年 キリスト教が成立したあとの数世紀は、教義を巡る問題がしばしば発生しました。これを解決するために行われたのが公会議で、8世紀までに7回の公会議が行われました。その記念すべき第1回公会議となったのが第1回ニカイアの公会議です。今のトルコのニカイアが会場となり、当時教義上の問題となっていたアリウス派の扱いについて話し合いが行われ、最終的にアリウス派は異端として追放されました。

⑨ 諸葛亮の南征1800年 三国時代の重要人物である諸葛亮、その活躍は特に三国志演義において著しいのですが、劉備が没したあと北伐が始まる前に行われたのが南征です。これは当時蜀漢に対して反抗的な姿勢を見せていた現四川省南部の豪族をを従属させることを目的とした遠征となります。諸葛亮自らが遠征軍を率いたことから、その本気ぶりがうかがえます。

⑩ 後漢成立2000年 紀元前3世紀末に成立した前漢は次第に皇室が弱体化し、末期には外戚の王氏の専横が目立つようになります。紀元前10年ごろから王氏の一員である王莽の権勢が増大し、とうとう紀元8年には皇帝位を簒奪し、新という国家を樹立しました。しかし新王朝の政治はあまりにも現実を無視したものだったためすぐに立ち行かなくなり社会が混乱、このなかから赤眉軍、緑林軍による反乱(いわゆる赤眉の乱)、が起こり社会は大混乱に陥ります。その中から現れた漢王室の一人である劉秀が漢を再興して光武帝として即位したのが今から2000年前の紀元25年のことです。

⑪ 晋滅亡2400年 春秋時代と戦国時代の境目をどこに置くかは議論がありますが、一般には春秋時代の大国晋が韓魏趙3国に分裂した時(紀元前403年)とされています。しかしこの時も旧宗主国である晋はわずかな領地とともに存続を許されていました。しかし時代が進み紀元前376年になると韓・魏連合軍によって晋は最終的に滅ぼされたのでした。

⑫ 古代オリンピック発祥2700年 近代オリンピックはフランスのクーベルタン男爵によって19世紀に始められた体育競技会ですが、その元となったのが古代ギリシャで行われていた古代オリンピックです。参加資格がギリシャ人である成人男性のみに限られるなどの制約はあったものの、競技会期間中は戦争が中断されるなど、後の平和の祭典としてのオリンピックの萌芽が見られます。そんな古代オリンピックが始まったのが今から2700年前のことなのです。

 こうしてみるといろいろな出来事がありますが、注目したのはバシレイオス2世の崩御、後漢の成立、古代オリンピックの開始でしょうか。

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2024年1月28日 (日)

ゼロ勉共通テスト

 さる1月13日と14日の両日、日本での大学入試の大きな山である大学入学共通テストが行われました。この試験、自分が現役の頃は共通一次試験という名前で、その後平成2年から大学入試センター試験と名が変わり、今から3年前の令和3年から今の名称になりました。この、

 共通一次試験 ➡ 大学入試センター試験 ➡ 大学入学共通テスト

 という名称の変換がフランス革命時の 国民会議 ➡ 立法議会 ➡ 国民公会 という流れを連想させて面白いなと感じています。

 さて、そんなセンター試験や共通テストにゼロ勉で臨んだら何点取れるかという企画を例年やっているんですが、今年もやってみました。ただ受験生と同じく2日間で全科目やる時間と気力はないため、1日1科目ずつ取り組んでこのほど完了しました。受験科目は国語、英語(リーディング&リスニング)、数学(1A & 2B)、社会科(世界史、日本史、地理)、理科(物理、化学、生物、地学)の5教科12科目です(本来なら理系は社会1科目、理科2科目なんですが余興なので…)。結果です。

国語 179点(現文 86点、古文 43点、漢文 50点)

英語 リーディング 77点、リスニング 75点

数学 1A 91点、2B 72点

社会科 世界史 79点、日本史 52点、地理 80点

理科 物理 64点、化学 73点、生物 78点、地学 67点

でした。感想です。

 国語 予想以上にできたので純粋に嬉しいです。第1問がモーツァルトに関連した評論文だったので出だしから快調に飛ばせたのがラッキーでした。古文はもともと苦手だったのでやや苦戦、昔から得点源だった漢文が今でも通用したのは感動です。

 英語 (リーディング)個々の問題の難易度はそれほどではないですが、とにかく文章量が多い。制限時間以内にこれを読みこなすのはかなり大変だと思います。文章を読んでから問題文を読んでいてはとても間に合わないため、先に問題を見てから英文を見ないと時間切れになります(それでも最後はかなり焦った、後半ボロボロ失点しているのはそのせい)。(リスニング)問題1と2は文章を2回読んでくれますが、問題3以降は1回なので、油断してボーっとしていたらわからなくなりました。集中力が必要だと思います。

 数学 1Aは昔の数学Ⅰの範囲なのでなんとか付いていくことができました。2Bは微分積分はどうにかできましたが、数列はかなり微妙、空間座標(ベクトル)はかなり忘れていて失点してしまいました。昔は一番得点できる科目でしたが相当忘れています。

 社会科 共通テストは資料が多いので先に問題に目を通し該当資料を読み解く方式を採用しないと時間切れになります。ただ近年確実に知識が衰えていることを痛感、特に日本史は高校時代未履修の科目とはいえ60点いかなかったのはショックでした。地理と世界史は近年点数が拮抗していましたが、今年ついに地理の方が上になりました。地理は知識がなくとも考察で解ける問題が多いので仕方ないでしょう(ただ趣味を世界史と謳っている人間にとっては悲しい)。

 理科 昔は数学、社会と並んで得点源だった科目ですが、生物・化学は今の仕事に就いてからもそれなりになじみがありますが、物理の劣化は衝撃的です。やっぱり普段使っていない分野ほど劣化していくなと感じました。地学はまあこんなものでしょう。

 というわけで、久しぶりに良い頭の体操になりました。

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2023年4月23日 (日)

第31回日本医学会総会②

 4月21日から始まった第31回日本医学会総会,主として産業医の単位集め目的の私も参加しています.22日はほぼ1日会場で各種イベントに参加したのち合唱団の練習へ,終了後の懇親会を経ていったん帰宅しました.そして最終日の22日は眠い目をこすりながら朝7時に家を出て東京に向かいました.すでに受付は終わっているのでこの日は直接会場へ向かいます.朝から3連続で産業医の講習会に参加しました(昨日と併せて合計6単位ゲット!!).終わった後はしばし会場を散策,日本医学会総会は医学関係者向けの講演のほか、市民向けの企画も多数行われています.子供向けのセッションもあって,”医師&看護師のおしごとを体験しよう”というコーナーや自然科学系のクイズコーナーもあって,ちょうど自分が通りかかった時には「2度ノーベル賞を受賞した科学者は誰でしょう?」というクイズが出されていて,それに対して「キュリー夫人」と正解していた賢そうな子供がいました.

 午後2時からはメインホールで閉会式前の特別公演が3つ行われます.ここからは一般市民も参加可能なためウチのKも合流して聴講しました.その3つとは

Dsc_2587 Dsc_2588 「はやびさ2が拓いた新しい科学の地平」 津田雄一先生

「iPS細胞 進捗と今後の展望」 山中伸弥先生

「COVID-19これまで、そしてこれから」 尾身茂先生

 まさに現在の自然科学系のラスボス感満載の方々で,これだけの講演を一気に聴けるのはさすが日本医学会だなと感心したのでした(参加費が高いからなぁ 笑).

 ラスボス3講演の後は閉会式,次回の第32回日本医学会は4年後の2027年に大阪を中心とした関西で開催されること,次期会頭は大阪大学心臓血管外科の澤芳樹先生で日本医学会120年の歴史で外科医が会頭になるのは初めてらしいです.

 閉会式の後は総会最後のイベントとして,著名なピアニストの辻井伸行さんのミニコンサートがありました.演奏曲目はショパンの英雄ポロネーズやリストのラ・カンパネラなどで,私の世代だと「これでベートーベンのテンペストが入ったら”赤い激流”だなと妙に盛り上がってしまいました.素晴らしい演奏をもって第31回日本医学会は終了,私とKはせっかく東京に出てきたのだからと八重洲にあるオイスターバーで牡蠣とワインを堪能してから帰宅しました.こうして充実した週末が終わったのでした.

Img_0793 Img_0794 生牡蠣12ピース

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2023年4月22日 (土)

第31回日本医学会総会①

 以前から予告していたように,この週末東京の国際フォーラムにて第31回日本医学会総会が開催されています.国内に医学系の学会は星の数ほどありますが,それらの中で主要な多くの学会はこの日本医学会の分科会という位置付けになっています.そのためかこの学会に参加すると分科会各学会認定の認定医あるいは専門医の更新単位が自動的に付与される仕組みになっているため,複数の認定医・専門医を所持しているものにとってはポイントの二重取り,三重取りができる学会となっています.特に産業医は最大6単位が取れるという魅力があります.そんな巨大な学会にも拘らず今回で31回目というのはどういうことかというと,この学会開催が4年に1度とオリンピックやサッカーのワールドカップ並みの開催頻度だからです.現在進行中の単位ガバガバ大作戦の一環として今回は私も参加してきました.

Img_0785 Img_0786  学会企画そのものは4月半ばからすでに始まっていましたが,本格開催は21日から,この日は天皇皇后両陛下や岸田総理大臣なども参加して開会式が行われました(ビザンチン皇帝である私はその日甲府に行っていたため参加していません 笑).私の参加は翌22日から,この日は朝7時に家を出て一路東京に向かいました.会場である国際フォーラムに着いたのは8時過ぎ,まずは地下の受付で二次元バーコードを提示して参加証を受け取ります.その後ほかの学会ではほとんど見かけなくなったコンベンションバッグを貰います.この時「ご自由にどうぞ」というお茶を貰ったのですが,一見何の変哲もないおーいお茶に見えて,実はこれ学会オリジナルの非売品なのでした(ここまでするかという感じ 笑).

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(写真)おーいお茶名物の俳句の欄まで凝っているのが凄い!

 8時半から産業医研修会の開始,1時間につき1単位と決まっているため時間ピッタリ行われます.2コマ終わった段階で事前に予約していたランチョンセミナー会場へ移動します.コロナ前は当たり前だったランチョンセミナーですが,久しぶりでワクワクしました.お弁当は崎陽軒の特製弁当,さすが日本医学会気合が入っています.

Img_0788 Img_0789  午後はさらに1コマ産業医研修会を受講し,その後は「COVID19に世界はどう対応したのか」,「感染症予防の究極的手段としての予防接種」という2つの講演を聴いてこの日はお終いとなりました.

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2023年3月26日 (日)

日本神経学会地方会

 今月から実施中の「単位ガバガバ大作戦」,この週末は土曜日に日本神経学会九州地方会,日曜日に同九州地区生涯教育講演会に参加しました.九州まで行ったのかといえばさにあらず,オンラインによるWeb参加です.コロナ禍による数少ない好影響が学会や講演会のオンライン化,従来なら現地に出かけなければならなかったものが自宅や職場から参加できるようになったのは大いなるメリットです.移動の必要もないため,例えば午前中に東京の講演会を聴いて、そのまま午後は福岡での講演会に参加なんていう芸当も可能になったわけです(一方で学会といえば空き時間の観光も楽しみのだったのですが,オンラインだとそっち方面がなくなるのは寂しい).

 開始時間に指定された会議にアクセス,所属と名前,メールアドレスを入力してそのまま参加です.地方会は症例報告がメインなので色々興味深い症例について知ることができます.一方の生涯教育講演会は神経内科領域の様々な疾患に関する最新の知見の講演です.普段自分が担当しない分野についてはボーっと生きていると世間の波に取り残されてしまうため,こうした場で学ぶのが大切です.2日間で7単位をゲットです(この直前までに取っていた単位は24単位なので合計31単位,目標の50単位まで残り19単位です).

Tani 学会の会員マイページから.昨年12月以降の地方会はすべてオンラインでの参加です.

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2023年3月 4日 (土)

日本医学会総会

 医学関係の学会はそれこそ数え切れないほどあります.医師は自らが専門としている基幹学会のほかに関連した様々な学会に所属している場合が多いです.たとえば神経内科医の場合は基幹学会として日本内科学会と日本神経学会に所属し,さらに各自の専門や興味・関心に応じて,脳卒中学会や神経治療学会,神経生理学会,頭痛学会,てんかん学会といったより専門的な学会にも所属します.私の場合は加えて日本旅行医学会,日本渡航医学会,日本温泉気候物理医学会などにも入っています.また直接専門とは異なりますが,産業医業務を行うための資格として日本医師会が認定する産業医資格もあります.

 こうした学会ではその専門性や会員のレベルを維持するために専門医や認定医を定めていることが一般的です.大抵は入会から一定年数を経て受験資格を得て,試験(筆記試験や口頭試験,学会によっては症例の提出なども)を受け合格すれば専門医や認定医となります.資格としての医師は特に問題を起こさない限り資格は維持されますが,専門医・認定医はそうではなく,決められた期間ごとに更新しなければなりません.一般には学会への参加や教育講演の聴講など,学会の定めたルールに従って単位を取得し申請を行うことで更新されます.なので持っている専門医・認定医の数が多ければそれだけ更新のための労力も大きなものになります.

 私もいくつかの専門医・認定医(産業医含む)を持っているのですが,諸事情があり今年の夏までにそれらの更新に必要な単位を揃える必要が出てきました.このうち日本内科学会,日本旅行医学会はすでに規定の単位が集まっているので問題ないのですが,そのほか日本神経学会や産業医はまだまだ数が不足しています.現在そうした学会の単位を集めようキャンペーン(笑)を行っているのですが,日常業務の合間にやる必要があるためなかなか大変です.

 そこで登場するのが表題の日本医学会総会です.名前のイメージから日本の医学の総元締め的な印象を受ける学会ですが,実はこれ日本医師会が主宰している学会で,必ずしも医学の総元締めというわけでもありません.ただ影響力はそれなりにあって,この学会の総会に参加すると主要な学会の単位になるというメリットがあります.しかも1回の参加で複数の学会の単位がもらえるというポイントの二重取り三重取りみたいな感じです.特に産業医の単位が最大6単位とれるのは大きなメリットです(産業医は1時間の講習で1単位と決まっているため,普通の講習会ではせいぜい2~3単位).

 なんかいいこと尽くしのように思えますが,この学会参加費が非常に高いという欠点(?)があり,これまでほとんど参加したことがありませんでした.ただ今回背に腹は代えられないということで,参加することにした次第です.今年の日本医学会総会は4月21日(金)~23日(日)の3日間,東京国際フォーラムで行われます.

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2023年2月 6日 (月)

特別展「毒」に行ってきました

Img_9592  立春の日、上野の国立科学博物館で開催中の特別展「毒」に行ってきました.毒という言葉は誰でも身近で聞いたことがある一方で、あまり深く考えたことがないテーマかもしれません.

 毒とは生物に対して何らかの作用を有する物質の中で,その生物に負の影響を与えるものとされています(逆にプラスに働くものが薬).ただ害になるかどうかは生物の種類による他,種類ごとの相対関係もあって複雑です.例えばお菓子のチョコレートは人間が適量を食べる分には問題ありませんが,ペットの犬が食べると毒になります.またヤドクガエルは体内に猛毒を持っていることで知られていますが、その物質は捕食者にとっては毒であるものの、当のヤドクガエル側から見れば身を守るための武器ということになります.さらに言えばアオカビの作るペニシリンは人間から見れば感染症を治療する薬ですが,細菌側から見れば自らに害なす猛毒という相反する存在になります.

Img_9593(写真)オオスズメバチとハブの巨大模型

 今回の「毒」展は1章から4章、終章までの5部構成,第1章はプロローグ,第2章がメイン部分で植物の毒(トリカブトやドクゼリなど),昆虫などの毒(ハチ、クモなど),爬虫類・両生類の毒(ヤドクガエル、コモドオオトカゲなど),海洋生物の毒(フグ、クラゲなど)、菌類の毒(毒キノコなど)、鉱物の毒(ヒ素や水銀など)、人間が作り出した毒(マイクロチップなど)の順に様々な資料が展示されています.スズメバチやイラガの幼虫の巨大模型など迫力がありました.

Img_9594 Img_9610 Img_9623 Img_9625(左上)イラガの幼虫,(右上)コモドオオトカゲ,(左下)ベニテングタケ,(右下)ドクツルタケ

 第3章は毒の進化がテーマ,毒をもつ個体によっては自身が毒を作り出すわけではなく外部から接種した成分を濃縮して利用しているものがいたり,あるいは自らは毒を持たないものの,毒を持つ種に似せることで外敵から身を守る個体がいるなどの話題が取り上げられています.そして第4章は毒と人間というテーマで古代ギリシャで有名なソクラテスやエジプトのクレオパトラなど毒に関係した人物の話題や,毒の利用という意味で蚊取り線香の話題などにも触れていました.

 土曜日ということもあり会場はかなりの賑わいでした(コロナ禍ということで時間帯ごとの入場者を制限してはいましたが).じっくりと見学したのですが3時間以上かかりました.その後昼食を摂り、常設展を見たりして結局夕方まで滞在していたのでした.

Img_9633 Img_9635(左)常設展にあるフーコーの振り子,(右)お土産に購入したベニテングタケのぬいぐるみ

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2023年2月 3日 (金)

認定証が届きました

 今日病院に大型の封書が届きました.差出は日本渡航医学会,中身は昨年11月に受験して合格した日本渡航医学会認定医療職の認定証でした.

Img_9586 無類の旅行好きである一方,職業として医師をやっている自分にとって旅行医学(渡航医学)はまさに自分のためにあるような分野です(笑).この分野の関連学会として日本旅行医学会と日本渡航医学会があります(前者が医療者のみならず広く一般を相手にしているのに対して後者は医療者メインの印象).旅行医学会の方の認定医は以前取得していましたが,今回渡航医学会の認定も無事に得られたというわけです.認定証は普通の和文のもののほかに,英文のものも用意されていて,外来などに飾ったらカッコイイなと思ったのでした.

 自分の好きな分野なので,今後の仕事に活用できたらいいなと思っています.

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