2024年12月25日 (水)

BCJのメサイアと怪獣酒場

 日本にやってきましたが、最初の数日は人間ドックや歯科検診、ワクチン接種等、自身の体のケアがメインとなります(検診系は万一異常が見つかった場合の対策が必要なため、極力帰国の初期に行うのが原則である)。とはいえ、全日そうしたイベントが詰まっているわけでもないので、その合間に何かコンサートに行きたいなと思っていました。自分が一番好きなジャンルはオペラですが、残念ながら12月22~25日に都内では新国立劇場、藤原歌劇団、二期会等オペラ上演はありません。ということで次は教会音楽関係、こちらは12月24日のクリスマスイブにBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のメサイアコンサートがサントリーホールで開催されます。これはぜひ行きたいと考えチケット入手していました。

Img_4357 Img_4362  所用を済ませた後地下鉄でサントリーホールへ、入場すると会場は華やかな雰囲気に包まれています。開演前に軽くワインを飲んで(笑)自分の気分を盛り上げます。で、客席に行こうとしたら入り口に張り紙がされていました。

Img_4361  曰く、「第2部のハレルヤコーラスでの起立や合唱はご遠慮ください」というもの。確かに昭和の頃は一部でこうした風習がありましたが、平成に入ってコンサートマナーが洗練されたこともあり、完全に過去のものになったと認識していました(というか、この張り紙を見るまでは自分も完全に忘れていた)。しかしこういう張り紙があるということは、遠くない過去(去年か一昨年か、少なくともここ数年以内に)こうした行為が実際に行われたということです。今の若い人はこの風習そのものを知らないと思うので、下手人は私と同年代かそれより上ということで間違いないでしょう(笑)。ただこの張り紙、英文も書かれていますが、こちらには感染上のリスクという語句が付いています。思うにハレルヤコーラスで起立・合唱する風習は海外のお客さんには理解できないため、感染リスク云々が追加されたのかと推察しました。実際に演奏が始まってからも、演奏そのものよりもハレルヤコーラスでこうした行為が行われるのかの方が気になってしまったというのは内緒です(笑)。

Img_4370  終演後の夕食は時間的にも遅くなったのと、この日は普通のレストランは混んでいるだろうと予想していたため、新橋の怪獣酒場に繰り出しました。その名から推察されるようにウルトラ怪獣をモチーフにした居酒屋です。予想通り12月24日にここに来る客は少なく空いていて、快適に飲み食いできました。

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(写真左)店内の雰囲気、(写真右)バルタン星人の「白色破壊光線カルパッチョ~季節の白身魚」

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2024年12月 4日 (水)

コプト正教のクリスマスコンサート

Img_4325  昨夜は当地のエジプト大使館とコプト正教会主催によるクリスマスコンサートを鑑賞してきました。コプト正教会というのは5世紀のカルケドン公会議(いわゆる第4公会議)の際に分離した東方諸教会(非カルケドン教会とも呼ばれる)のひとつです。同じ時期に分離した教会としてアルメニア正教やシリア正教があります。コプト正教会は古代に五大総主教座とされたうちのひとつ、アレキサンドリア教会の流れをくむ非常に影響力の強い教会でした。5世紀以降エジプトを中心とした北アフリカ地域の重要な教会となりましたが、7世紀以降この地域がイスラム教に席捲された後も一定数の信者を維持しながら現在に至っています。これまでにこうした東方諸教会関係のコンサートに触れたことがなかったため楽しみにしていたのでした。

Img_4312 Img_4313  会場は市内中心部にある国立劇場、日本では国立劇場と言えば歌舞伎や文楽を上演する場所ですが、ナミビアの国立劇場はその名の通りの劇場です。今回初めて入ったのですが、建物の古さからかつての小田原市民会館を思い出しました。ロビーではエジプトのドリンクやフードのサービスがあります(たしかに開演6時なので夕食を食べてくる人は少ないだろうし、終わってからだと遅いしちょうどいいのかも)。ホール内は中央の指定席部分以外は自由席だったので、前の方に座りました。

Img_4319  開演は6時の予定でしたが、結局20分遅れくらいでスタートです。曲は西方教会の賛美歌もありましたが、曲調が中東風で歌詞はキリスト教という非常に興味深いコプト教の賛美歌も登場しました。一方でエジプト国民の歌も披露されました。こちらはやや政治的で、アラブ諸国の団結を願う歌詞の曲が目立ちました。とはいえ、こうした現代中東の政治的な雰囲気と、あくまでもイエス・キリストの隠喩とはいえ「イスラエルの王」という歌詞が登場する曲を同じ合唱団が歌うというのが感慨深いと感じました。

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2024年11月26日 (火)

クリスマスキャロル礼拝

 先日、11月24日の日曜日に市内にあるNederduitsch Hervormde Kerk Windhoek(NHKAと略すらしい)というアフリカーンスの教会で開催されたクリスマスキャロル礼拝に参加し、歌う機会がありました。

 ナミビアは第1次世界大戦前にはドイツ、その後は南アフリカによる支配を受けた歴史があり、宗教的にはキリスト教が盛んな国です。宗派的にはプロテスタントということになります。一方で言語的には南ア同様英語をメインとしながらも歴史的背景からいわゆるボーア人(オランダ系の移民)の言葉であるアフリカーンスも一定数話されています(その他一部ではドイツ語も)。今回参加した教会はこのアフリカーンスの教会ということになります。

Img_4290(写真1)アフリカーンスの教会

 教会の礼拝は毎週日曜日に行われていますが、この日はクリスマスキャロル礼拝と題して、クリスマス関係の歌がたくさん登場する礼拝だったわけです。本来この時期の教会歴ではまだ待降節にすら入っていないのですが、当地は12月になると休暇を取っていなくなる人が多数いるため、こうしたクリスマスイベントは早めに行われる傾向があります。

 今回は現在所属している合唱団Cantare Audire Choirの一員としての参加でした。合唱団の歌として演奏したのは2曲だけでしたが、そのほかにクリスマスの賛美歌も多数歌いました。「神の御子は今宵しも」、「きよしこの夜」、「荒れ野の果てに」といった日本でも定番の賛美歌なのでメロディー的には何の問題もないんですが、言葉がアフリカーンスのため発音に難儀しました(単語だけ見ると、ドイツ語のようにも見えるんですが発音が違うため大変)。とはいえ久しぶりの人前での演奏、感無量でした(そういえば最後の人前での演奏は小田原医師会合唱団が台湾の合唱団と共演した昨年6月以来だ)。

468422873_1048790990591534_3011196929763 468541125_1048791013924865_3985295327445(写真2、3)記念写真

 改めて合唱がやれる幸せを感じています(年内の活動はこれで一応終わりっぽい)。

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2023年12月 4日 (月)

クリスマスコンサート

Img_0776  前回の記事でナミビアでは師走の空気を感じないと書いたのですが、日本と同じように存在するものにクリスマスがあります。

 日本だと教会云々が無関係な印象のクリスマスですが、当地はキリスト教徒が多いお国柄もあり、むしろヨーロッパと同じような正統的な(?)クリスマスです。スーパーにもクリスマス飾りも並んで華やかな商戦が行われているののも同様ですが、やっぱりクリスマスをイメージするもみの木や雪といったものが無縁な南半球ですから、そこはちょっと微妙な感じがします。

 そんな当地ですが、この週末クリスマスコンサートがあったので行ってみました。主催はCantare Audire Choirというドイツ系の合唱団、ドイツ大使館の後援やナミビア国立オーケストラメンバーの賛助出演もあります。楽器のコンサートは先日スワコプムントで体験しましたが、声の入ったコンサートは当地では初めてです。

Img_0744 Img_0777  プログラムは第1部がアカペラのクリスマスキャロル、第2部がサン=サーンスのクリスマス・オラトリオというまさに正統的なクリスマスコンサートです。合唱団は規模的に日本で自分が所属していた東京21合唱団を思い出しました。サン=サーンスもよかったですが、特にアカペラの演奏はこれが合唱だよなぁと改めて感無量となりました。12月に入ったばかりなので、クリスマス本番にはまだ早いのですが、基本的に当地ではクリスマスの時期は旅行に行く人なども多いため、こうしたアマチュア団体のクリスマスコンサートは微妙にクリスマスとはずれるのだと思われます。

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2023年10月31日 (火)

宗教改革記念日

 今日は10月31日,近年日本ではハロウィンのイメージが定着している日ですが,世界史的にはマルティン・ルターの宗教改革記念日として知られています.

 帝政ローマ初期に誕生したキリスト教は,時の皇帝によるたびたびの迫害に会いながらも徐々に地中海世界に広まり,3世紀には社会的に無視できない勢力となっていきました.そして4世紀前半の皇帝コンスタンティヌス大帝による公認を経て,5世紀のテオドシウス帝の時代に至り帝国の国教とされるまでになったのです.

 中世に入ると特に西ヨーロッパで世俗権力が弱体化し,小国分立の様相を呈してきたこともあって,超国家的な組織である教会の権威・権力は大いに高まりました.この間イスラム勢力の勃興や聖像礼拝を巡る問題もあって,西のローマ教会と東のコンスタンティノポリス教会の対立が深刻化し,11世紀に決定的な分裂にいたります.以後西ヨーロッパはローマカトリック教会の独壇場となり,その権力は11世紀末から13世紀の十字軍時代に絶頂期を迎えました.

 十字軍の失敗後は,さすがにその権勢に陰りが見え始めましたが,世俗領主の側面も持つ高位聖職者の実力はまだまだ強いものがありました.一方でこうした聖職者の堕落も著しく,中世末期から近世にかけてはしばしば教会改革の動きも見られました(この時代の教会の歴史は高位聖職者が堕落してくると,修道院出身の気合の入った聖職者が登場して引き締めに走るといったパターンが多い).一方で学者など外部からの教会批判に対しては厳しい押さえつけが行われていました(15世紀ボヘミアのフスの処刑など).

 ルネサンス期になるとフランスやイギリス,スペインなどヨーロッパ西部では国王による中央集権化が進んだ結果,これらの地域からの教会収入は大きく減ってしまいます.このためローマ教会側は,中央集権が進まず中小諸侯が乱立し,教会領も多かった神聖ローマ帝国(ほぼ現在のドイツ語圏)に目をつけ,この地を主な収入源とするようになりました.こうした中16世紀初めのローマ教皇レオ10世はサン=ピエトロ寺院修復などを目的として,ドイツ国内で大量の免罪符の販売を開始したのです.

Lucas_cranach_i_workshop__martin_lu  これに異議を唱えたのがヴィッテンベルク大学で教鞭をとり,自らも下位聖職者だったマルティン・ルターでした.彼は免罪符販売を批判し,当地の教会にいわゆる「95か条の論題」を打ち付けたのです.時に1517年10月31日,これが宗教改革の始まりとされています.このルターの宗教改革以後も多くの動きがあり,その後西ヨーロッパのキリスト教世界はローマカトリック教会とプロテスタント諸教会に分かれていくことになります.

 今日はそんな宗教改革記念日なのでした.もっともルター派の多いドイツではそれなりに盛り上がりそうですが,キリスト教世界の中では多数派であろうカトリック教徒や正教徒にとっては,宗教的な意味は全くない普通の日となっています.一方でハロウィンはそもそもヨーロッパ原住民であるケルト人のお祭りなので、カトリック、プロテスタント問わず教会関係者には煙たがれるイベントです(子供が絡むイベントだけに無下にもできないようですが…).案外世界で一番ハロウィンが盛り上がるのは日本なのかもしれません.ちなみに私が住んでいるナミビアのウィントフックは10月に入るとハロウィンを飛び越えて一気にクリスマス飾りが売り出されています。

 そんなことを考えた2023年10月31日でした。

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2023年4月 9日 (日)

復活祭のコンサート

Img20230410_12165742  今日4月9日は西方教会における2023年の復活祭です.キリスト教では最も重要なイベントですが,移動祝日なので日にちが固定されているクリスマスに比べると日本ではいまいちマイナーな印象です(あまり商業主義に毒されていない).

 そんな復活祭の日は鎌倉芸術館で開催されたCollegium Armonia Superiore Japan(ARSと略称)のコンサートに行ってきました.ここは私がメインに活動している合唱団である東京21合唱団のマタイ公演で共演する予定になっている団体です.こちらもコロナ禍に翻弄されていたようですが,2021年頃から演奏活動を再開しています.今回はベートーベンの交響曲第4番とドボルジャークのチェロ協奏曲というカップリングでした.

 普段コンサートというとオペラや宗教音楽など専ら声が入った作品ばかり鑑賞している我が家です.純粋に器楽のみのコンサートは久しぶりでした(多分前回のARSのコンサート以来).指揮は当楽団恒例の川崎嘉昭さん,チェロのソロは椿周さんでした.椿さんは幼少時からチェロをやっていて,私がARSと出会った頃からソロをやっていましたが,近年どんどんレベルが上がっていて将来が嘱望される演奏家です(まだ高校3年生!).

 終演後は近くの居酒屋で一杯ひっかけて帰宅したのでした.

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2023年1月16日 (月)

紀元

 今日は1月16日、Wikipediaによると紀元前27年のこの日に古代ローマが共和政から帝政に移行したとあります.紀元前27年1月16日に約100年に渡る共和政末期の混乱を終結させたオクタヴィアヌスに対してローマの元老院がアウグストゥスの称号を贈りました.当時すでにコンスル,プロコンスルとして政治軍事両面での権力を握っていた彼に対して元老院が特別な名称を与えて権威付けしたことから,この時からローマは帝政に移行したとみなされています.ただ当時はまだ共和政を望む人々の影響力も無視できず,事実上皇帝ではあってもあくまでも市民の第一人者(プリンケプス)という体裁を取ったところに特徴があります(元首政).これが一般にイメージされるような帝政の姿になったのは3世紀のディオクレティアヌスの時代以降です(専制君主政).

Caesar_augustus(写真)執政官(コンスル)のアウグストゥス 

 このローマが共和政から帝政に移行した時期に登場したのがキリスト教です.後にヨーロッパがキリスト教世界に入ると,イエス・キリストが生まれた年を紀元1年とする暦が作られました.これがいま私たちが使っている西暦です(ただしイエスの生年に関しては今の紀元1年ではなく,それよりも数年前の紀元前4年ごろとされる).

 一方紀元1年よりも前の時代については紀元前という言葉が付され,一般にはBC(Before Christの略)の語句が用いられます(紀元後はAnno Dominiの略ADとなるがこちらは省略されることが多い).紀元と紀元前の関係というと数学における自然数と負の数との関係が連想されますが,暦には0年という概念がないため,紀元1年の前年は紀元0年ではなく紀元前1年になります.このため紀元10年の20年前は紀元前10年ではなく紀元前11年になるなど計算に注意する必要があります.

 紀元の概念は後付けなので,この前後で何かが大きく変わったというようなことは無いはずですが,キリスト教のお膝元である地中海世界ではローマが共和政から帝政に変わりました.一方で東アジアに目をやると前漢(紀元前202年~8年)から後漢(25年~220年)に変わっていく時期と符合します.偶然とはいえ非常に感慨深いものがあります.ちなみに紀元前後に活躍した世界史上の著名人としては前漢を簒奪して滅ぼした王莽がいます.彼は一時中央を追われていたものの,紀元前1年に哀帝の崩御によって復権し,翌1年に平帝の太傅となって権力を握っています.

Wang_mang(写真)紀元前後に活躍した前漢の外戚王莽

 そんなことを考えた1月16日でした.

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2023年1月 6日 (金)

2022年ユリウス暦のクリスマスイブ

 今夜はクリスマスイブです.

 といっても,多くの方々は????となると思います.クリスマスは12月25日,ただしユダヤ教の暦は日没から始まるため,12月24日の日没からクリスマスが始まり,翌25日の日没で終わります(24日の日没から25日の夜明けまでがクリスマスイブ).

「それはわかってる.でも今日は1月6日じゃないか!」という声が聞こえてきそうです.その通り,今日は1月6日です.グレゴリオ暦では…

 そう,今日が1月6日というのはグレゴリオ暦での話で,暦が違えば日にちも変わってくるのです(江戸時代の日本は和暦を使用していたため,例えば池田屋事件は和暦だと元治元年6月5日ですが,グレゴリオ暦では1864年7月8日となります).近代以前に西洋で使われていた暦であるユリウス暦では今日は2022年12月24日なのです.

「とはいえ,グローバリズムが浸透した21世紀,世界中の地域で使用されている暦はグレゴリオ暦,イスラム暦とかもあるけど,キリスト教のイベントで違う暦を持ち出してもしょうがないんじゃ」という声も聞こえてきそうです.

 しか~し! キリスト教だからこそ異なる暦が問題になってくるのです.イエスやその使徒たちの時代に使われていた暦はユリウス暦です.これは共和政ローマ末期の政治家,ユリウス・カエサル(英語だとジュリアス・シーザー)が制定した暦,それによると1年を平年365日とし,4年に1度うるう年を設けて366日となります.この暦を使うと1年は365.25日の計算ですが,実際の地球の公転周期(太陽の周りを1周する時間)は365.2422日なので,1年に0.0078日の誤差が生じます.ただ制定当時としては実用上問題ないものでした.

 しかし,塵も積もれば…の例えもあるように,その後ローマ帝国が衰退し中世を経てルネサンス期になると,その誤差が無視できないようになってきました.具体的には復活祭の基準になる春分の日が明らかに遅くなってきたからです.すなわちユリウス暦制定から1600年を経て,当初の誤差0.0078日が10日ほどの誤差になってきたのです.そこで16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世の肝いりで新しい暦が制定されました.これがグレゴリオ暦で,この暦では3年の平年と1年のうるう年という基本概念はユリウス暦と一緒ですが,例外規定として西暦で100で割り切れる年は基本うるう年とはせず,さらに400で割り切れる年はうるう年とするというものです.この暦を使うと1年は365.2425日となり公転周期との誤差は0.0003日となり,さらに精度の高い暦となりました.

 このグレゴリオ暦が現在基本の暦なわけですが,ここで問題が発生しました.それは暦を制定したのがローマ教皇だったこと.すなわち当時ローマカトリックと対立していたプロテスタントや東方正教はこの暦を認めなかったからです.特に東方正教諸教会は自分たちこそが正統という意識が強かったため,「ローマ教皇なんていう異端の頭目が作った暦なんか使えるか!」という感じで拒否反応があったようです.しかしながら国際交流が盛んになる近代以降になると,さすがに日常生活でも独自にユリウス暦を使い続けるのは困難となり,現在ではこれらの地域でも世俗生活ではグレゴリオ暦を使っています.ただ教会暦だけはかたくなにユリウス暦の使用にこだわっているのです.

 なので,東方正教会の多くでは教会暦はユリウス暦であり,クリスマスもユリウス暦の12月25日,グレゴリオ暦では1月7日となっているのです(このグレゴリオ暦で1月7日というのも絶対ではなく,22世紀にはさらに誤差が広がり,今より1日遅れの1月8日になる予定).現在戦闘状態にあるウクライナとロシアですが,ウクライナ正教、ロシア正教とも今夜がクリスマスイブになっています.

 ちなみに我が家では例年クリスマスをグレゴリオ暦・ユリウス暦と2回祝う習慣があるのですが,ユリウス暦の今夜はかに🦀とふぐ🐡を食べに行ってきました.かには2021年12月の間人蟹以来,ふぐは2022年1月の浜松以来です.美味しくいただきました(最後はてっちりと雑炊で締める).

Img_9544 Img_9545 Img_9547 Img_9549(左上)蟹味噌,お酒のお供にたまりません,(右上)てっさ,(左下)蟹の炭火焼き,(右下)ズワイガニの蒸籠蒸し

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2022年1月25日 (火)

カノッサの屈辱

 今日は1月25日、暦的には1月20日大寒から2月4日の立春の間ということで年間で最も寒いシーズンに当たります.

 そんな1月25日は過去にどんな事件が起こっているのか、調べてみると興味深いものが出てきました.

① 1902年1月25日 旭川で-41℃を記録(現在日本での公式最寒記録)

 まさにこの時期にふさわしい出来事です.ただし気象庁の公式記録の対象からは外れているものの、1978年に幌加内町母子里で-41.2℃が記録されています.

② 1573年1月25日(元亀三年12月22日) 三方ヶ原の戦い

 武田信玄の西上作戦に対応して迎撃に出た徳川・織田連合軍でしたが、三方ヶ原で完敗を喫し、一時は家康自身も危機に陥ったとされています.

③ 1077年1月25日 カノッサの屈辱

 そしてもっともインパクトが大きいのがこのカノッサの屈辱でしょう.キリスト教が社会に深く根を下ろした中世ヨーロッパでは教会の権威は絶大なものがありました.さらに中世期を通じて教会は多くの土地の寄進を受けたことにより領主としての権力をも手にしました.その結果中世が本格化する9~10世紀以降世俗の権力者であった神聖ローマ皇帝と対立する場面が増えてきました.具体的には各地に建てられた教会や修道院の人事をめぐる,いわゆる叙任権問題です.ローマ教皇を頂点としたカトリック教会という大きな組織なんだから,その人事権は教皇に属するように思うのはあくまでも現代の感覚です.当時は王や諸侯,騎士たちがそれぞれ所領を持ち独自の基準で政治を行っていた時代でした(封建社会).各地の教会もローマ教会が計画的に立てていたわけではなく,それぞれの領主が自らの領地の都合により造っていたのです.ですからそこに着任する司教や司祭などの聖職者人事もそこの領主が握っていました.

Hugovcluny_heinrichiv_mathildevtuszien_c  しかし世俗の君主が教会の人事権を持つことで聖職者の地位の売買や腐敗などが起こるようになります.こうした事態に危機感を抱いたローマ教皇側は聖職者の叙任権を教会に取り戻そうと画策し始めます.特に1073年に教皇となったグレゴリウス7世はこの方針に積極的で皇帝や諸侯による聖職者の任命を禁止する勅書を発しました.当時の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに強く反発し,教皇を廃位させようと動きます.これに対してグレゴリウス7世は1076年2月にハインリヒ4世を破門するという行動に出ます.当時ハインリヒ4世を取り巻く政治状況は微妙であり,教皇に破門され教会の保護を失うみた反皇帝派の諸侯は新しい皇帝を立てようと画策し始めます.苦境に陥ったハインリヒ4世はやむなく翌1077年1月25日に当時北イタリアのカノッサ城に滞在していたグレゴリウス7世のもとを訪れ,降りしきる雪の中裸足で三日間立ち続けて許しを請いました.これが有名なカノッサの屈辱と呼ばれる事件で,皇帝権に対する教皇権の優位を印象付ける出来事とされています.温暖化が叫ばれている現代でさえ寒いこの季節に3日間裸足で立っているというのは想像しただけでも震えがきそうです.

 結局この事件は教皇が皇帝の謝罪を受け入れ破門は解除されました.しかし体制を立て直した皇帝が反撃に転じます.1080年に教皇は再び皇帝を破門しますが今度は反皇帝派の動きは鈍く,逆に対立教皇(クレメンス3世)を立てられローマは包囲されました.結局グレゴリウス7世は救出されシチリア島のサレルノに逃れたものの,1085年同地で失意の中亡くなりました.

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2022年1月 6日 (木)

ユリウス暦のクリスマスイブ

 今夜はクリスマスイブです.

 といっても,多くの方々は????となると思います.クリスマスは12月25日,ただしユダヤ教の暦は日没から始まるため,12月24日の日没からクリスマスが始まり,翌25日の日没で終わります(24日の日没から25日の夜明けまでがクリスマスイブ).

 「それはわかってる.でも今日は1月6日じゃないか!」という声が聞こえてきそうです.その通り,今日は1月6日です.グレゴリオ暦では…

 そう,今日が1月6日というのはグレゴリオ暦での話で,暦が違えば日にちも変わってくるのです(江戸時代の日本は和暦を使用していたため,例えば池田屋事件は和暦だと元治元年6月5日ですが,グレゴリオ暦では1864年7月8日となります).

 「とはいえ,グローバリズムが浸透した21世紀,世界中の地域で使用されている暦はグレゴリオ暦,イスラム暦とかもあるけど,キリスト教のイベントで違う暦を持ち出してもしょうがないんじゃ」という声も聞こえてきます.

 しか~し! キリスト教だからこそ異なる暦が問題になってくるのです.イエスやその使徒たちの時代に使われていた暦はユリウス暦です.これは共和政ローマ末期の政治家,ユリウス・カエサル(英語だとジュリアス・シーザー)が制定した暦です.それによると1年を平年365日とし,4年に1度うるう年を設けて366日とします.この暦を使うと計算上1年は365.25日になりますが,実際の地球の公転周期(太陽の周りを1周する時間)は365.2422日なので,1年に0.0078日の誤差が生じます.ただ制定当時としては実用上問題ないものでした.

Jurius(写真1)ユリウス暦を制定したユリウス・カエサル

 しかし,塵も積もれば…の例えもあるように,その後ローマ帝国が衰退し中世を経てルネサンス期になると,その誤差が無視できないようになってきました.具体的には復活祭の基準になる春分の日が明らかに遅くなってきたからです.すなわちユリウス暦制定から1600年を経て,当初の誤差0.0078日が10日ほどの誤差になってきたのです.そこで16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世の肝いりで新しい暦が制定されました.これがグレゴリオ暦で,この暦では3年の平年と1年のうるう年という基本概念はユリウス暦と一緒ですが,例外規定として西暦で100で割り切れる年は基本うるう年とはせず,さらに400で割り切れる年はうるう年とするというものです.この暦を使うと1年は365.2425日となり公転周期との誤差は0.0003日となり,さらに精度の高い暦となりました.

14390800_1079424832154881_3075860_2(写真2)ギリシャ正教の聖堂

 このグレゴリオ暦が現在世界で使われている暦なわけですが,ここで問題が発生しました.それは暦を制定したのがローマ教皇だったこと.すなわち当時ローマカトリックと対立していたプロテスタントや東方正教はこの暦を認めなかったからです.特に東方正教諸教会は自分たちこそが正統という意識があるため,「ローマ教皇なんていう異端の頭目が作った暦なんか使えるか!」という感じで拒否反応が強かったようです.しかしながら国際交流が盛んになる近代以降になると,さすがに日常生活でも独自にユリウス暦を使い続けるのは困難となり,現在ではこれらの地域でも世俗生活ではグレゴリオ暦を使っています.ただ教会暦だけは頑なにユリウス暦の使用にこだわっているということです.なので,東方正教会の多くでは教会暦はユリウス暦であり,クリスマスイブもユリウス暦の12月24日の夜,グレゴリオ暦では1月6日夜となっているのでした(このグレゴリオ暦で1月6日というのも絶対ではなく,22世紀にはさらに誤差が広がり,今より1日遅れの1月8日になる予定です).

Dsc_2255  そんな2022年のユリウス暦のクリスマスイブに当たる今日,関東南部は久方ぶりの雪になりました.

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