2022年1月25日 (火)

カノッサの屈辱

 今日は1月25日、暦的には1月20日大寒から2月4日の立春の間ということで年間で最も寒いシーズンに当たります.

 そんな1月25日は過去にどんな事件が起こっているのか、調べてみると興味深いものが出てきました.

① 1902年1月25日 旭川で-41℃を記録(現在日本での公式最寒記録)

 まさにこの時期にふさわしい出来事です.ただし気象庁の公式記録の対象からは外れているものの、1978年に幌加内町母子里で-41.2℃が記録されています.

② 1573年1月25日(元亀三年12月22日) 三方ヶ原の戦い

 武田信玄の西上作戦に対応して迎撃に出た徳川・織田連合軍でしたが、三方ヶ原で完敗を喫し、一時は家康自身も危機に陥ったとされています.

③ 1077年1月25日 カノッサの屈辱

 そしてもっともインパクトが大きいのがこのカノッサの屈辱でしょう.キリスト教が社会に深く根を下ろした中世ヨーロッパでは教会の権威は絶大なものがありました.さらに中世期を通じて教会は多くの土地の寄進を受けたことにより領主としての権力をも手にしました.その結果中世が本格化する9~10世紀以降世俗の権力者であった神聖ローマ皇帝と対立する場面が増えてきました.具体的には各地に建てられた教会や修道院の人事をめぐる,いわゆる叙任権問題です.ローマ教皇を頂点としたカトリック教会という大きな組織なんだから,その人事権は教皇に属するように思うのはあくまでも現代の感覚です.当時は王や諸侯,騎士たちがそれぞれ所領を持ち独自の基準で政治を行っていた時代でした(封建社会).各地の教会もローマ教会が計画的に立てていたわけではなく,それぞれの領主が自らの領地の都合により造っていたのです.ですからそこに着任する司教や司祭などの聖職者人事もそこの領主が握っていました.

Hugovcluny_heinrichiv_mathildevtuszien_c  しかし世俗の君主が教会の人事権を持つことで聖職者の地位の売買や腐敗などが起こるようになります.こうした事態に危機感を抱いたローマ教皇側は聖職者の叙任権を教会に取り戻そうと画策し始めます.特に1073年に教皇となったグレゴリウス7世はこの方針に積極的で皇帝や諸侯による聖職者の任命を禁止する勅書を発しました.当時の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに強く反発し,教皇を廃位させようと動きます.これに対してグレゴリウス7世は1076年2月にハインリヒ4世を破門するという行動に出ます.当時ハインリヒ4世を取り巻く政治状況は微妙であり,教皇に破門され教会の保護を失うみた反皇帝派の諸侯は新しい皇帝を立てようと画策し始めます.苦境に陥ったハインリヒ4世はやむなく翌1077年1月25日に当時北イタリアのカノッサ城に滞在していたグレゴリウス7世のもとを訪れ,降りしきる雪の中裸足で三日間立ち続けて許しを請いました.これが有名なカノッサの屈辱と呼ばれる事件で,皇帝権に対する教皇権の優位を印象付ける出来事とされています.温暖化が叫ばれている現代でさえ寒いこの季節に3日間裸足で立っているというのは想像しただけでも震えがきそうです.

 結局この事件は教皇が皇帝の謝罪を受け入れ破門は解除されました.しかし体制を立て直した皇帝が反撃に転じます.1080年に教皇は再び皇帝を破門しますが今度は反皇帝派の動きは鈍く,逆に対立教皇(クレメンス3世)を立てられローマは包囲されました.結局グレゴリウス7世は救出されシチリア島のサレルノに逃れたものの,1085年同地で失意の中亡くなりました.

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2022年1月 6日 (木)

ユリウス暦のクリスマスイブ

 今夜はクリスマスイブです.

 といっても,多くの方々は????となると思います.クリスマスは12月25日,ただしユダヤ教の暦は日没から始まるため,12月24日の日没からクリスマスが始まり,翌25日の日没で終わります(24日の日没から25日の夜明けまでがクリスマスイブ).

 「それはわかってる.でも今日は1月6日じゃないか!」という声が聞こえてきそうです.その通り,今日は1月6日です.グレゴリオ暦では…

 そう,今日が1月6日というのはグレゴリオ暦での話で,暦が違えば日にちも変わってくるのです(江戸時代の日本は和暦を使用していたため,例えば池田屋事件は和暦だと元治元年6月5日ですが,グレゴリオ暦では1864年7月8日となります).

 「とはいえ,グローバリズムが浸透した21世紀,世界中の地域で使用されている暦はグレゴリオ暦,イスラム暦とかもあるけど,キリスト教のイベントで違う暦を持ち出してもしょうがないんじゃ」という声も聞こえてきます.

 しか~し! キリスト教だからこそ異なる暦が問題になってくるのです.イエスやその使徒たちの時代に使われていた暦はユリウス暦です.これは共和政ローマ末期の政治家,ユリウス・カエサル(英語だとジュリアス・シーザー)が制定した暦です.それによると1年を平年365日とし,4年に1度うるう年を設けて366日とします.この暦を使うと計算上1年は365.25日になりますが,実際の地球の公転周期(太陽の周りを1周する時間)は365.2422日なので,1年に0.0078日の誤差が生じます.ただ制定当時としては実用上問題ないものでした.

Jurius(写真1)ユリウス暦を制定したユリウス・カエサル

 しかし,塵も積もれば…の例えもあるように,その後ローマ帝国が衰退し中世を経てルネサンス期になると,その誤差が無視できないようになってきました.具体的には復活祭の基準になる春分の日が明らかに遅くなってきたからです.すなわちユリウス暦制定から1600年を経て,当初の誤差0.0078日が10日ほどの誤差になってきたのです.そこで16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世の肝いりで新しい暦が制定されました.これがグレゴリオ暦で,この暦では3年の平年と1年のうるう年という基本概念はユリウス暦と一緒ですが,例外規定として西暦で100で割り切れる年は基本うるう年とはせず,さらに400で割り切れる年はうるう年とするというものです.この暦を使うと1年は365.2425日となり公転周期との誤差は0.0003日となり,さらに精度の高い暦となりました.

14390800_1079424832154881_3075860_2(写真2)ギリシャ正教の聖堂

 このグレゴリオ暦が現在世界で使われている暦なわけですが,ここで問題が発生しました.それは暦を制定したのがローマ教皇だったこと.すなわち当時ローマカトリックと対立していたプロテスタントや東方正教はこの暦を認めなかったからです.特に東方正教諸教会は自分たちこそが正統という意識があるため,「ローマ教皇なんていう異端の頭目が作った暦なんか使えるか!」という感じで拒否反応が強かったようです.しかしながら国際交流が盛んになる近代以降になると,さすがに日常生活でも独自にユリウス暦を使い続けるのは困難となり,現在ではこれらの地域でも世俗生活ではグレゴリオ暦を使っています.ただ教会暦だけは頑なにユリウス暦の使用にこだわっているということです.なので,東方正教会の多くでは教会暦はユリウス暦であり,クリスマスイブもユリウス暦の12月24日の夜,グレゴリオ暦では1月6日夜となっているのでした(このグレゴリオ暦で1月6日というのも絶対ではなく,22世紀にはさらに誤差が広がり,今より1日遅れの1月8日になる予定です).

Dsc_2255  そんな2022年のユリウス暦のクリスマスイブに当たる今日,関東南部は久方ぶりの雪になりました.

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2021年12月24日 (金)

クリスマスイブ

_res_blogd445_constantinus21_folder_1734  今夜はクリスマスイブです.キリスト教においてイエスの誕生を祝うのがクリスマスで,それが12月25日です.ただ聖書にはイエスの誕生日については記載はなく,12月25日は誕生日ではなくあくまでもイエスの誕生を記念する祝日という位置づけです.そしてイエスが生まれたのは夜なので,その聖なる夜(聖夜)をクリスマスイブと呼んでいます.現在では真夜中の12時から日付が変わりますが,キリスト教のベースとなったユダヤ教の暦では日没から日付が変わりました.このため今の暦でいうと12月24日の日没から25日が始まるため,24日の夜がクリスマスイブということになります.時々世間では「クリスマスイブの夜」という表現を見かけますが,これは「アメリカに渡米する」,「馬から落馬する」と同様の重言になります.クリスマスイブは12月24日を指す言葉ではないのですが,日本でその種の誤解があるのは,本祭の前夜に行われる宵宮の概念があるからかと思ってたりします.

 イエスの誕生を祝うのがどうして12月25日になったのかについては諸説ありますが,古代末期から中世にキリスト教を受け入れたゲルマン人に冬至を祝う習慣(冬至以降日が長くなるので太陽の復活の日と考えられていた)があったため,それに初期の教会がイエスの誕生が結びつけたものと考えられています.クリスマスの定番モミの木飾りも,キリスト教が誕生した中東ではなく,ヨーロッパの森を連想させるのもその辺に理由がありそうです.

 聖書の記述(ルカ福音書)によると,イエスが誕生した晩,野宿をしていた羊飼いのところに天使が現れ,そのことを告げることになっています.聖書の舞台となったイスラエルは決して暑い国ではなく,特にイエスが生まれたとされるベツレヘム周辺は乾燥していて標高も高く,冬は寒くてとても野宿などできる環境にないので,イエスの誕生は少なくとも12月など真冬ではなさそうです.

Img_6934  そんな2021年のクリスマスイブ,私は恒例の泊りがけ出張です(笑).

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2021年1月 7日 (木)

ユリウス暦のクリスマス

135853840_3650172111746794_2441801240544  我が家では毎年冬に2回クリスマスを祝います.

 ??? という世間の空気感じますが,実際いつクリスマスを祝うのかはキリスト教の教派によって違いがあります.一般にクリスマスはイエスの誕生を記念するイベント(誕生日というわけではない)で,それは12月25日に行われることになっています.そのこと自体を否定する教会は基本的にありません.

 ただ暦というものは相対的なもので,現在世界で主流となっているグレゴリオ暦は16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世が制定したものです.1年を365日とし,4年に1回の閏年,ただし100で割り切れる年は閏年としないが,400で割り切れる年は閏年とするとするこの暦は1年の誤差が30秒弱と極めて正確な暦です(それ以前の暦は紀元前1世紀にユリウス・カエサルが制定したユリウス暦).

 しかし,制定したのがローマ教皇ということで,フランスやスペインなどのカトリック諸国ではすぐに採用されましたが,宗教的に対立関係にあったプロテスタントが優勢な地域では採用が遅れ,さらに歴史的な対立が深い東方正教諸国では20世紀になっても採用されない国がありました.代表的なのがロシアで,実はここがグレゴリオ暦を採用したのはロシア革命で帝政が倒れた後のことです.

 現在では実生活ではほぼすべての地域でグレゴリオ暦が使用されています(これだけグローバル化が進んだ時代に暦が違っては商売もできません).しかし,宗教上の暦に関しては話は別で,東方正教の一部教会では教会暦としてはいまだにユリウス暦を使用しているのです.ロシア正教や歴史的にその影響を受けている日本の正教会もそうです.

 ですから教会暦としてグレゴリオ暦を使用する地域では現実の(グレゴリオ暦での)12月25日にクリスマスを祝う一方で,ユリウス暦を使用する教会ではユリウス暦での12月25日,すなわちグレゴリオ暦での1月7日にクリスマスが祝われるとうからくりです.イベント好きの我が家ではこうした教会の時間差を利用して,毎冬2回クリスマスを祝っているのでした.

 例年年末年始の我が家

12月24日夜 グレゴリオ暦のクリスマスイブ 🍷+🍖

12月31日からお正月 🍶+🐡+年越しそば

1月6日夜 ユリウス暦のクリスマスイブ 🍷+🍖

1月7日 七草がゆ🍚

Ergxpphvcai91eg  2度のクリスマスとお正月で疲れた胃袋をユリウス暦のクリスマスに七草粥で癒すのでした.

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2020年4月19日 (日)

東方正教の復活大祭

Istanbulk35  復活祭はキリスト教最大のイベントです.先週の日曜日はカトリックやプロテスタントなど西方教会の復活祭だったわけですが,今日はギリシャ正教などのいわゆる東方正教の復活祭(復活大祭)でした.東西で日付が異なるのは採用している暦の違いによるもので,西方教会が16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世が制定したグレゴリオ暦を使用しているのに対し,東方正教はそれを教会暦として必ずしも採用していないことに由来します.このため双方の復活祭の日付は基本的に一致せず1週間から1か月程度ずれるのが一般的です(たまに同日になることもある).今年は1週間違いの4月19日となりました.

 日本の東方正教は明治以降入って来たロシア正教の流れをくむところが多いため,その影響を強く受けています.復活大祭当日には,「ハリストス復活!実に復活」とあいさつをするのですが,ハリストスとは”キリスト”のロシア語風の呼び方です.

 そんな東方正教の復活大祭シーズンには”パスハの讃詞”と呼ばれる聖歌が歌われます.自分が学生時代には取り寄せの外盤LPレコードでしか聴けませんでしたが,現在はyoutubeで気軽に聴くことができます.

 

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2020年4月12日 (日)

復活祭

 今日は復活祭,キリスト教では1年最大のイベントです.日本ではクリスマスの方が圧倒的にメジャーですが,教義的に重要なのはこっちの方です.

 復活祭は春分の日の後の満月後の最初の日曜日に行われる移動祝日です.早い年だと3月22日頃,最も遅い年で4月25に頃になるので,年によって約1か月の違いが現れます.最近では2008年が3月23日だったのに対し,3年後の2011年は4月24日だった例があります. 

 移動するとはいえ必ず日曜日に祝われるのがポイントです.これは前の週の日曜日(枝の主日)から始まり,聖金曜日に十字架に付けられて死んだイエスが,3日目にあたる日曜日に復活するという一連の流れの中の最後に来るからです(時々3日後によみがえると書かれたものがありますが,金曜日の3日後だと月曜になってしまうのでこれは誤りです).

 敬虔なキリスト教徒の場合,復活祭の1か月半ほど前の灰の水曜日から肉類や卵などを断ついわゆる四旬節に入ります.復活祭はこの自粛が終了する日でもあるので,キリスト教社会ではこの日にケーキを焼いたり特別の料理を作ったりします.学生でいえば試験明けに宴会に繰り出すようなイメージでしょうか(笑).

 復活祭といえば,イースターエッグが有名です.古くから豊穣のシンボルとして知られていた卵を飾って供する週間です.本来は鶏卵を使うのですが,近年は商業化もあってチョコレートなどで卵を形どったものも出回っています.また私的に忘れられないのが大中恩さん作曲による混声合唱組曲「わたしの動物園」終曲の「ひよっこ」という曲です.子供の視点から見たイースターの曲です.

 

 演奏は混声合唱団水曜会のみなさんです.

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2020年4月10日 (金)

ヴィア・ドロローサ

 今日はキリスト教の西方教会における聖金曜日です(使用する暦の関係で東方正教諸教会では来週).イエス・キリストが十字架上で受難したことを記念する日です.新約聖書のマタイ福音書27章1節~61節,マルコ福音書15章全節,ルカ福音書22章1節~65節,ヨハネ福音書18章1節~27節の部分です.

 マタイ福音書の記事によると,前夜ゲッセマネの園で捕らえられ大祭司の尋問を受けたイエスはこの日の朝,総督ピラトの官邸に連行され,ここでの裁判の結果十字架刑が言い渡され処刑されました.この出来事の舞台となったエルサレムにはこの日,イエスが歩いたとされる道が設定されており,ヴィア・ドロローサ(苦難の道)と呼ばれています.私も2016年の秋にイスラエル旅行に行った際に歩いてきました.

Erumap2(図)エルサレム旧市街図

 ヴィア・ドロローサは全部で14のステーションから構成されています.エルサレム旧市街北東部のライオン門からほど近いところの,総督ピラトの官邸があったとされる場所をを第1とし,市街を西に向かいながら、かつてゴルゴダの丘があったとされる聖墳墓教会まで続いていきます.

第1ステーション ピラトの官邸跡で現在はムスリムの学校になっています.

14424745_1078590615571636_81746154736358 14380148_1078591275571570_14164833666734(左)ライオン門,(右)ピラト官邸跡

第2ステーション イエスが十字架を背負わされローマ兵によって鞭打たれたとされる場所です.今は鞭打ちの教会が立っています.

14425520_1078596585571039_90734714099936 14444867_1078596825571015_60605324128448(左)鞭打ちの教会,(右)内部のステンドグラスもその様子が

14435353_1078599752237389_91009239880784(写真)エッケ・ホモアーチ

 そこから少し西に行ったところにエッケ・ホモ教会があります.これは「この人を見よ」の意でピラトがイエスをさして群衆にそう呼びかけた記事に由来します.ここには十字架も置かれていました(毎週金曜日の午後,フランシスコ会の修道士が十字架を持って実際このルートをたどるそうです).

14352564_1078599665570731_18896938581091 14425388_1078600278904003_11415822302201(左)エッケホモ教会,(右)十字架があります

第3ステーション イエスが最初につまずいたとされる場所です.ただこのエピソードは聖書にはなく他の伝承によるものです.現在ここにはアルメニア正教の教会が建っています.

14379736_1079344138829617_12030808311249 14434851_1079344218829609_62632734762016(左)第3ステーション,(右)教会内部

第4ステーション 十字架を背負ったイエスをマリアが目撃した場所となっています.ここも現在はアルメニア正教の教会が建っています.教会内部の古い床にはビザンチン時代のモザイクがあってそこにはマリアのサンダルが描かれています.

14409433_1079344345496263_56853461431687 14352383_1079344538829577_46833075422456(左)アルメニア正教会,(右)教会内部

第5ステーション 兵士たちがイエスの十字架をキレネ人のシモンに担がせたとされるポイントです(マルコ福音書の15章に記事あり).ここの壁にはイエスが触れたとされる岩があって,歴史上数えきれない巡礼者たちが触ったため,かなりすり減っています.

14352571_1079354748828556_53968094634992 14409839_1079354942161870_33224216895474(左)第5ステーション,(右)イエスが触れたとされる壁

第6ステーション ベロニカという女がイエスの顔をハンカチで拭ったとされる場所,ベロニカはマルコ第5章においてイエスの服に触れたことで血の病が癒された女とされています.今はギリシャ正教の聖堂が建っています.

14425340_1079362732161091_77756583327036 14362463_1079362835494414_10109835379304(左)第6ステーション,(右)聖堂内部

第7ステーション イエスが2度目につまづいたとされる場所です.当時ここにイエスの罪状が掲げられたとされています.ちなみに1世紀当時エルサレム市街はここまでで,ここに市外への城門があったとされます(今でこそゴルゴダの丘とされる聖墳墓教会は市内にありますが,穢れを極端に嫌うユダヤ教世界において市内に処刑場があったとは考えにくいと言われています).

14425564_1079362882161076_17989918040027(写真)第7ステーション

第8ステーション イエスがエルサレムの娘たちに語ったとされる場所です(ルカ23章).ここにもギリシャ正教の教会が建っていて,壁には十字架が描かれています(右側の写真の左端).

14380098_1079376538826377_88275227340063 92357775_613918205827371_683591281208721(左)第8ステーション,(右)壁に十字架が

第9ステーション イエスが3度目につまづいた場所とされ,ここから先が当時ゴルゴダの丘があったとされる地点に建つ聖墳墓教会になります.

14435017_1079376925493005_20396040378896 14207853_1079376815493016_63917785143162

 (左)第9ステーション,先に見える入り口はコプト教会です.(右)聖墳墓教会のドーム

14361281_1079398565490841_35463576539594(写真)聖墳墓教会入り口

 聖墳墓教会はキリスト教における一大聖地であり,今でもギリシャ正教・アルメニア正教・コプト教・シリア正教・エチオピア正教,そしてローマカトリックが変な言い方をすれば仲悪く共存しています.特に教会の入り口のドアをどこが管理するかでもめるため,現在ここのカギはイスラム教徒が管理しています.ちなみにエチオピア正教はオスマントルコの時代からここを守ってきた重要な教会ですが,19世紀以降に起こった他教会との勢力争いに敗れ,聖堂は外にひっそりと建っています(言われなければ見過ごすほど). 

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14380105_1079398682157496_69516104037549 (写真)エチオピア教会内部

今の聖墳墓教会を聖地として整備するのに重要な貢献をしたのが4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母ヘレナです.教会入り口には彼女の聖堂のドームがあります.先日この聖墳墓教会も今回の新型コロナウイルスの問題で閉鎖されたというニュースがありました.

第10ステーション 聖墳墓教会に入り階段を登った先,イエスが衣をはぎ取られた場所とされています.今はカトリックの小さな聖堂になっています.

14352386_1079410658822965_25267904794793 14435371_1079410728822958_63083895223576 (左)第10ステーション,(右)小さな聖堂です

第11ステーション イエスが十字架に打ち付けらえた場所とされています.大勢の巡礼者で賑わっています.

14195936_1079411612156203_70429922968631 14380035_1079411715489526_51510310424019

(左)第11ステーション,(右)大勢の巡礼者たち

第12ステーション イエスが息を引き取った場所,まさにゴルゴダの丘の十字架が立てらていた場所とされています(そのポイントには星が描かれていて,そこに触れようとする人々が行列を作っています).

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(左)第12ステーション,(右)十字架のまさにポイント

第13ステーション マリアがイエスの遺骸を引き取ったとされる地点です.今はひっそりと祭壇が置かれています.

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(写真)第13ステーション

第14ステーション 最終ステーションです.ここはイエスが埋葬されたとされる場所です.巨大なドーム内に小さなドームがあってその内部に石棺があります.最大の聖地のためたくさんの巡礼者で長い行列ができています(自分が行ったときは30~40分で入れたんですが,ガイドさんによるとこれはかなり短い方でひどいときは2~3時間待ちになるとのことです).受付の司祭さん(?)に5~6人ずつ中に誘導されて参拝するんですが,30~40秒ほどでさっさと出されます(そうでないといつまでもここにいる人が現れてきりがないのでしょう).この日は写真撮影はダメと言われました.もっともキリスト教の教義ではイエスは復活しますから別にここに遺骸があるわけではなく,そのためこの聖堂は復活聖堂と呼ばれています.

14425421_1079424402154924_74874718274115 14409402_1079424505488247_59383259134303(左)大ドームの中に小ドームがあるマトリョシカ状態,(右)やっぱりギリシャ正教風です

 石棺のある聖堂の向かいには殉教聖堂というギリシャ正教の華やかな聖堂があり,ちょうどミサが行われていました.聖堂の近くにはイエスの遺骸に香油を塗ったとされる石があり,ここでもたくさんの巡礼者が手を触れていました.

14409539_1079424832154881_3075860924131314372079_1079424905488207_11196942440967 (左)殉教聖堂,(右)塗油の石

 

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2019年6月 3日 (月)

新郷村のキリスト祭

 さて,あっという間に6月に入りました.例年私が活動的になる季節です.昨年は6月にボリビア&チリ旅行という大型の海外旅行がありましたが,今年はそういう大型イベントがない代わりに小さいイベントがたくさん用意(?)されています.まず最初の日曜日である6月2日は表題にある,青森県新郷村で開催された第56回キリスト祭にウチのKともども行ってきました.

 新郷村というのは青森県東部,八戸市と十和田湖の中間に位置する小さな自治体です.なんでここでキリスト祭なのかというと,昭和初期にこの地を訪問した竹内巨磨という人物が,村の戸来地区の丘にあった土盛をさして「これこそキリストの墓である!」と言い出したことに由来します.竹内巨磨さんというのは,超古代に日本に高度な文明があったと主張していた人物で,彼の家に代々伝わっていた(とされている)竹内文書によると,ゴルゴダの丘で十字架にかけられたイエスは密かに脱出し,日本のこの地にやってきてここで亡くなったからなのです.にわかには(というか普通は)信じがたい話ですが,このネタを村おこしに利用したい当時の村長の思惑も絡み,徐々にこの話が広がり今に至っているわけです(この辺の話はホームページ本編に記事があります).

 竹内文書自身がすでに偽書であるとの評価が定まっているので,何をかいわんやなんですが,ともかくキリスト祭はこの地で亡くなった(とされる)キリストの霊を慰めるイベントとして,半世紀以上続いている伝統あるお祭りなのです.私の琴線を大いにくすぐるイベントで,いつか参加してみたいと思っていたのですが,今回ついに参加することになりました.

 前日の6月1日は夕方から合唱団の練習に参加,その後来年のコンサートで共演するオーケストラの方々との打ち合わせ&懇親会へと流れました.そして夜11時40分池袋発の夜行バスに乗ります.とはいえこの時間では青森方面まで行くバスはすでに出発しているため,この日のバスは毎度おなじみ盛岡行きのらくちん号でした(笑).

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(左写真1)八戸駅にて,(右同2)いよいよ新郷村に入りました

 翌朝6時30分過ぎにバスは無事に快晴の盛岡駅に到着,コンビニで朝食を調達して朝一の新幹線で八戸へ.ここでレンタカーを借りて一路新郷村に向かいます(新郷村への公共交通機関は非常に不便なので,事実上レンタカーかタクシーになる).村内に入ると,さっそくキリストの墓,ピラミッドなどと書かれた看板が出現しワクワクさせられます.

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(左写真3)キリストの里公園です,(右同4)キリストの里伝承館

 村の中心部を過ぎて5分ほどで戸来地区に到着,ここでは係員が駐車場に誘導してくれました(8時40分頃には到着したため,会場に近い場所に停められた).知る人ぞ知るスポットなので普段はほとんど人がいないところなんですが,今日は年1回のお祭りの日ということで,たくさんの人でにぎわっていました.会場に向かう緩やかな坂にはキリスト祭と書かれた幟が多数はためいていて,非常にシュールな光景でした.

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(左写真5)奥の土盛がキリストの墓,(右同6)慰霊祭は神式です

P6071266(写真7)式次第

 坂を上ったところから階段を上がると2つの土盛りがあり,向かって左側の十代塚がイエスの身代わりとなってゴルゴダの丘で死んだ弟イスキリの墓,右側の戸来塚がイエスの墓とされています.この2つの塚を見上げる広場には来賓用の椅子が並べられ,正面には慰霊祭用のしめ縄や飾り付けがなされていました.そう,キリスト祭(キリスト慰霊祭)はなんと!神式で行われるのです

 開会まで1時間ほどあったので,付近を散策します.お祭り会場からさらに上ったところには十字架が描かれた教会風の建物があります.これがキリストの里伝承館で,竹内文書に描かれたキリスト伝説や当地の風俗などが紹介されています.ここもいつもは貸し切り状態なんですが,この日はたくさんの人で賑わっていました(入場料が一般200円と非常にリーズナブルです).ここでは当地名産の南部せんべいや飲むヨーグルトも売られています.

Img_4935 Img_4956 (左写真8)いよいよ始まりました,(右同9)ナニャドヤラの奉納

 やがて開始時間が近づいたため会場広場に戻り,よさげなポイントで開始を待ちます.時間になりいよいよ第56回キリスト祭の開始です.観光協会の人の挨拶に始まり町長や県知事(代理),地元選出の衆参両院議員の祝辞を経て,いよいよ神主さんの祝詞が始まります.「畏み畏み~」から始まって,いろいろ喋っていくんですが,一番のツボは「イエスキリストの御霊~」という部分,真面目に唱えれば唱えるほどウケてしまうのでした.祝詞に続いて玉串の奉納,その後は地元の人たちによる墓前でのナニャドヤラへと進みます.これは当地に伝わる盆踊りの一種で,「ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ」という不思議な歌詞が有名なんですが,キリスト伝説によるとこれはヘブライ語で「御前に聖名をほめ讃えん」という意味になるのだそうです.

 ところでキリスト祭りが神式で行われ,神主さんが登場するのに,キリスト教の神父さんや牧師さんが登場しないのはなぜなんだろうと不思議に思う向きもあるようなので解説します.先のお話でも分かるように新郷村のキリスト伝説ではイエスは十字架上で死なずに日本に逃れてきたという設定になっています.ここがミソで,そもそもキリスト教とはイエスが十字架上で人々の罪を背負って死に,3日目に復活したという教義から発生した宗教です.新郷村伝説ではそこが完全に否定されているので,これは完全にキリスト教とは無縁の存在となってしまうのです.このためこの伝説はキリスト教の異端どころか,風変わりなユダヤ教のラビが迫害されて国外に逃亡しただけという話であり,キリスト教の聖職者にとっては関わってはいけない存在となっているのです(だから当慰霊祭が神式であるのは必然です).キリスト教では救い主イエスだが,新郷村では逃亡者イエスとなるわけですね.

Img_2009 (写真10)乾杯用のヨーグルト

 踊りの後は全員乾杯でお開きとなります.乾杯といえば普通はお酒になりますが,なにせ新郷村は交通の便が悪く,やってきた観光客の大半は車なので,なんと!地元の飲むヨーグルトが振る舞われて乾杯でした(濃厚で美味しかったです (^^)v).かくして慰霊祭は滞りなく終了しました.

Img_4962 Img_2065 (左写真11)キリストっぷ,(右同12)ロゴが素敵です!

 お祭りの後を少し堪能した後は,公園そばにある売店に向かいます.ここが,その名もキリストっぷというお店,ロゴは某コンビニチェーンを彷彿させます.開店時間が「十字架ら3時まで」とぶっ飛んでいます.以前来たときは平日だったので閉まっていたんですが,この日は開店営業中のキリストっぷが見られました.いろんなキリストグッズが売られていましたが,この日はステッカーやキリストの遺言手ぬぐいなどを購入しました(併設されたカウンターでは軽食も出されていて,外国人観光客がカレーを食べていた).

Img_4970 Img_4966 (左写真13)ラーメン亭えびす屋さん,(右同14)おすすめはキリストラーメン

 キリストっぷを後にして我々が向かったのは地元では有名なラーメン屋さん,もちろん昼食のためですが,ここにはなんと!キリストラーメンがあるのです.出てきたラーメンは醤油味で山菜やキノコなど健康的なもの.どこがどうキリストなのかは謎でした(思うに2枚載った山芋スライスが2つの塚をイメージしているのだろう).こうして新郷村訪問は完了したのでした.

Img_4968(写真15)これがキリストラーメン!

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2019年4月17日 (水)

ノートルダム大聖堂

 パリの有名な歴史的建造物であるノートルダム大聖堂が,4月15日(現地時間)火災にあったというニュースが流れていました.現在は鎮火されたようですが,尖塔や屋根など広い範囲が焼失したとのことです.

P4020088  パリを流れるセーヌ川の中州のひとつであるシテ島があります.この島はパリ発祥の地と言われる場所で,中世以来パリの街の中心地だった場所です.この街の中心に12世紀後半から建築が始まったのがノートルダム大聖堂です.完成まで200年近い年月を要したとされていますから,気の遠くなるような話です.中世ヨーロッパの建築様式としてはロマネスク様式(ローマ風様式)がありましたが,12世紀ごろから始まった新しい様式がゴシック様式です.このパリのノートルダム大聖堂は初期ゴシック様式の最高傑作と言われています.

 パリを代表するランドマークとしてはエッフェル塔や凱旋門も有名ですが,この2つは作られたのが近代以降(どちらも19世紀)であり,歴史の古さという点では大聖堂の足元にも及びません.

P4020099  このように歴史ある素晴らしい文化財が火災で被害を受けたことはとても残念でなりません.フランスのマクロン大統領は再建することを明言していますが,歴史的な考証に耐えうる再建になることを願っています(大阪城状態で再建されるとは思っていませんが…).ただ,現存していたからこその価値というのもあって,これについてはもはや戻ってきません(日本各地の城郭にある天守も現存しているのは12か所にすぎません).

Img010  ちなみに自分は過去3回パリに訪問したことがあり(1991年,1998年,2008年),そのうち最低2回はここを訪問しています.

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2019年1月 6日 (日)

ユリウス暦のクリスマス

 今夜はクリスマスイブです!

 

 ??? という空気になりそうですが,実はユリウス暦では今日が12月24日,今夜がクリスマスイブということになります.

 

 暦というものは相対的なもので,現在世界で主流となっているグレゴリオ暦は16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世が制定したものです.1年を365日とし,4年に1回の閏年,ただし100で割り切れる年は閏年としないが,400で割り切れる年は閏年とするとするこの暦は1年の誤差が30秒弱と極めて正確な暦です(それ以前の暦は紀元前1世紀にユリウス・カエサルが制定したユリウス暦).

 

 しかし,制定したのがローマ教皇ということで,フランスやスペインなどのカトリック諸国ではすぐに採用されましたが,宗教的に対立関係にあったプロテスタントが優勢な地域では採用が遅れ,さらに歴史的な対立が深い東方正教諸国では20世紀になっても採用されない国もありました.代表的なのがロシアで,実はここがグレゴリオ暦を採用したのはロシア革命で帝政が倒れた後のことでした(有名な日露戦争の日本海海戦も,当時すでにグレゴリオ暦を採用していた日本では1905年5月27日ですが,未だユリウス暦だったロシアでは5月14日と記録されています).

 

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 現在では実生活ではほぼすべての地域でグレゴリオ暦が使用されています(これだけグローバル化が進んだ時代に暦が違っては商売もできません).しかし,宗教上の暦に関しては話は別で,東方正教の一部教会では教会暦としてはいまだにユリウス暦を使用しているのです.ロシア正教や歴史的にその影響を受けている日本の正教会もそうで,それらの教会では今夜クリスマスイブの礼拝(降誕祭 晩堂大課)が行われているのでした.

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