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2025年12月24日 (水)

2025年のクリスマスイブ

_res_blogd445_constantinus21_folder_1734  今夜はクリスマスイブです。キリスト教においてイエスの誕生を祝うのがクリスマスで、それが12月25日です。ただ聖書にはイエスの誕生日については記載はなく、12月25日は誕生日ではなくあくまでもイエスの誕生を記念する祝日という位置づけです。そしてイエスが生まれたのは夜なので,その聖なる夜(聖夜)をクリスマスイブと呼んでいます。現在では真夜中の12時から日付が変わりますが,キリスト教のベースとなったユダヤ教の暦では日没から日付が変わりました。このため今の暦でいうと12月24日の日没から25日が始まるため,24日の夜がクリスマスイブということになります。時々世間では「クリスマスイブの夜」という表現を見かけますが、これは「アメリカに渡米する」、「馬から落馬する」と同様の重言になります。このようにクリスマスイブは12月24日を指す言葉ではないのですが、日本でその種の誤解があるのは本祭の前夜に行われる宵宮の概念があるからかと思ってたりします。

 イエスの誕生を祝うのがどうして12月25日になったのかについては諸説ありますが、古代末期から中世にキリスト教を受け入れたゲルマン人に冬至を祝う習慣(冬至以降日が長くなるので太陽の復活の日と考えられていた)があったため、それに初期の教会がイエスの誕生が結びつけたものと考えられています。クリスマスの定番モミの木飾りも、キリスト教が誕生した中東ではなく、ヨーロッパの森を連想させるのもその辺に理由がありそうです。

 聖書の記述(ルカ福音書)によると、イエスが誕生した晩野宿をしていた羊飼いのところに天使が現れ、そのことを告げることになっています。聖書の舞台となったイスラエルは決して暑い国ではなく、特にイエスが生まれたとされるベツレヘム周辺は乾燥していて標高も高く、冬は寒くてとても野宿などできる環境にないので、実際のイエスの誕生時期は夏頃だったのではないかと言われています。そんなことを考えた2025年クリスマスイブでした。

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2025年12月22日 (月)

内閣制度140年

 今日12月22日は日本で内閣制度が始まって140年目の記念日だそうです。

 内閣創設140年で式典 高市首相ら三権の長が祝う

 日本の政治制度は7世紀の大宝律令以後は太政官制と呼ばれる制度が続いていました。途中の平安時代には本来律令制度にはない摂政や関白といった者が権力を握ったり、さらに武家政治の時代になると鎌倉時代、室町時代、江戸時代と時代が下るにつれて制度は形骸化していきました。

 しかし明治維新によって王政復古の大号令が発せられ、摂政・関白・幕府が廃止され、旧来の太政官制を近代国家に合うように改造して政府機能を持たせることになりました。この制度が17年続いた後、1885年12月22日に内閣制度に変わり、以後140年日本の政府機能はこの内閣制度に依っています。太政官制と内閣制の大きな違いはその名称もそうですが、慣習として公卿しか就任できなかった太政大臣に対して、内閣総理大臣は身分にかかわらず就任できる点があります。

 ただ当時はまだ、議会はおろか憲法すら制定されていなかった時代であり、今の内閣制度とはその性格が大きく異なっています。当初の内閣制度は各国務大臣がそれぞれの担当分野について天皇を補佐するという形で、行政権はあくまでも天皇にあるという建前でした。この時代の総理大臣の権限は小さく、各国務大臣の任免権もないため、閣内で意見が一致しない(閣内不一致)とたちまち総辞職に追い込まれるような状態でした。

 その後明治40年(1907年)に法律が改正されて総理大臣の権限が一部強化されたほか、大正から昭和初期には、衆議院の第1党の党首が内閣総理大臣に就任するという、現在に近い形ができた時代もありました(政党政治)。しかし政党政治は腐敗に陥り国民の信頼を失うと、代わって軍部が台頭し第二次世界大戦に至ります。戦後日本国憲法が制定されると現在の内閣制度となり、今に至っています。初代総理大臣の伊藤博文から数えて今の高市早苗さんは104代目にして日本憲政史上初の女性総理となります。ちなみに高市内閣の平均年齢は59.4歳だそうですが、初代の伊藤内閣の平均年齢は46.2歳と非常に若かったことが知られています。内閣制度の始まりは明治18年、明治維新期を主導した青年層がそのまま内閣を作ったというイメージです。ちなみにこの時、明治天皇は33歳、江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜は48歳です。国全体が若かったんですね。

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2025年12月21日 (日)

2025年夏至

 今日12月21日は当地の夏至でした。日本では冬至の時期に当たります。、今年の日本の冬至は12月22日ですが、地球の軌道の関係で日本より西にあるナミビアの夏至は1日早くなっています(これは毎年ではなく、今年がたまたまそうということ)。

 夏至と言えば1年のうちで最も昼が長い日というのはよく知られています(逆に冬至の日は一番昼が短い)。この夏と冬での昼の時間の差はその地の緯度に関係し、高緯度ほど極端になっていきます(よく知られているように緯度66.7度よりも高緯度になると夏至には一日中日が沈まない白夜になる一方、冬至には一日中日が昇らない極夜となります)。ナミビアのウィントフックの緯度は南緯23度程度と比較的低いため、夏と冬の差は極端ではありませんが、それでも夜8時でようやく日没という感じになります。

Img_7320 ウィントフック夏至の夕方

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2025年12月20日 (土)

週末の外食

 というわけで、あっという間にまた週末がやってきました。恒例の週末の外食ですが、この日は海鮮料理屋さんであるCape Town Fish Marketへ。過去に何度も来ているお店です。

 いつもなら生牡蠣とスパークリングワインのセットが定番なんですが、この日は趣向を変えてみました。

Img_7315 Img_7316_20251224204601  この頼んだオードブルはマグロのカルパッチョ、マグロを軽く炙って甘めの醤油で味付けし、さらにあられを塗したイメージです。一方メインはフィッシュカレーの辛口、カレーのルウが日本のカレーに近いイメージで、もし白米があったらバッチリだなといつも感じています(写真のライスでも十分に美味しいのですが)。

 そんな週末の外食でした。

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2025年12月18日 (木)

ハイドンのネルソン・ミサ

Img_1386  今日、年明けから合唱団Cantare Audire Choirで練習する曲の案内が流れてきました。それは、J. ハイドンのミサ曲第9番ニ短調、一般にネルソン・ミサと呼ばれる曲です(ホーボーケン番号だと11番ですが、断片のみの2番、消失した3番をを省いて9番とされることが多い)。教会音楽好きな私ですからもちろんその存在は知っていますが、過去に歌ったことはありません(というか、ハイドンの合唱作品自体歌ったことがない)。

 ハイドンの宗教曲、とりわけ傑作とされる作品の多くにはヘンデルとモーツァルトの影響があると言われます。2度にわたるロンドンでの活動期間にヘンデルのオラトリオに触れたこと、ハイドンはモーツァルトよりも年上ですが、長寿だったためモーツァルトの没後に多くのミサ曲を作曲しているからです。

 練習が始まるのは年明け1月下旬からですが、まずは音取りから始めて行こうと思います(本番は来年半ば頃とのこと)。久しぶりの宗教曲のまとまった作品とても楽しみです。

 

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2025年12月16日 (火)

伝播型ワクチン由来ポリオウイルス2型

 ポリオという病気があります。日本語では急性灰白髄炎といい、かつては小児麻痺という呼び方もありました。前者は病巣が主に脊髄の灰白質にあること、後者は主に小児に罹患し一定確率で運動麻痺の後遺症が残ることに名前の由来があります。原因はポリオウイルスで主に経口感染し、発症した場合の特異的な治療法はなく、ワクチンによる予防が強く推奨されています。日本でも1960年頃までは多くの症例がいましたがワクチンの普及によって症例数は激減しました(現在も小児期の定期接種に組み込まれている)。

 このポリオワクチンには経口生ワクチン注射型不活化ワクチンという2つのタイプがあります。経口生ワクチンは弱毒化したウイルスを経口投与するもので、非常に安価で投与しやすいというメリットがあります(飲ませるだけなので注射器や針などの道具も不要)。一方で弱毒化したとはいっても生のウイルスを用いるため、ごく稀ではありますがワクチン由来のウイルスが感染性を獲得して、未免疫者を発症させることがあります。一方の不活化ワクチンは高価ですが、そういう問題はありません。なので一般的にはポリオがまだ流行している地域では生ワクチンを、ほぼ撲滅できた地域では不活化ワクチンを使う傾向があります。ちなみに日本では野生型のポリオは1980年を最後に出ていない他、ワクチン由来ポリオも2014年以来症例がありません。さらに2012年以降は不活化ワクチンに切り替わっているため、今後日本国内で新規のワクチン由来ポリオウイルスが発生する可能性はありません(輸入例はありうる)。

R(写真1)ポリオウイルス

 日本では撲滅状態にあるポリオですが、世界でも撲滅に向けて努力がなされており、現在野生株のポリオがあるのはパキスタン、アフガニスタンの一部に限られています。一方で最近問題になっているのが生ワクチン由来のポリオウイルスです。生ワクチンの特性上発生率をゼロにはできませんが、地域の集団免疫がしっかりしていれば大きな問題にはなりません。しかし接種者の減少などで集団免疫が低下すると、こうしたウイルスによる流行が起こることがあります。アフリカ地域は以前からそうしたワクチン由来ウイルスが問題となっていましたが、近年イスラエル、カナダ、米国といった医療先進国での出現が報告され世間に衝撃を与えました。

597470305_1164751382515860_8949354745996(写真2)ワクチンキャンペーン

 私のいるナミビアでも最近北部のアンゴラとの国境に近いルンドゥという待ちの下水から、この伝播型ワクチン由来ポリオウイルス2型が検出されたという話題が出ました。隣国アンゴラでは以前から問題となっており、陸の国境を有し、人々の往来もそれなりにあるこの地域での検出は驚くことではありません。ただ幸いまだヒトに感染した例は報告されていません。一方でこれを受けてナミビア政府は同地域の10歳未満の子供に対するワクチン接種キャンペーンを始めたようです。

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2025年12月14日 (日)

元禄赤穂事件

Chushingura_20201215114601   今日12月14日は元禄赤穂事件の大きな局面である、いわゆる赤穂浪士の討ち入りが起こった日です。旧暦の元禄15年(1702年)12月14日(正確には12月15日未明)、元播州赤穂藩家老大石内蔵助以下の旧赤穂藩士四十七人が、本所松坂町の吉良邸を襲撃、吉良上野介義央の首級を挙げた事件です。国内最後の大きな争乱となった島原の乱からすでに65年、すっかり太平になれた元禄時代の人々に大きな衝撃を与えた一大武装闘争事件といえます。現在ではその前年3月に起こった江戸城松之大廊下で発生した刃傷事件と併せて赤穂事件(元禄赤穂事件)と呼ばれています。歌舞伎仮名手本忠臣蔵の題材になっており、現在でもよく知られた事件です。かつてはNHKの大河ドラマ(H.11年の元禄繚乱,S.57年の峠の群像など)や民放の年末時代劇などでもしばしば取り上げられていた題材ですが、一方で謎の多い事件であるともいわれています。

 まず討ち入りの前提になった、前年元禄14年3月14日の江戸城松之大廊下での刃傷事件があります。第一の謎はなぜ浅野内匠頭長矩があの日松之大廊下で刃傷に及んだかです。一応、浅野が「この間の遺恨覚えたか!」と叫んで吉良上野介に切りつけたことになっているので、それ以前に二人の間に何らかの禍根があったといわれているのですが、江戸城内で刃傷事件に起こすことがどれほど重大なことか、長矩が知らないはずはありません。特にこの日は幕府にとって極めて重要な、朝廷からの勅使をもてなす儀式が行われていた日、しかも長矩はその勅使を供応する役だったからです。もしも本当に切りつけたいほどの遺恨があったとしても、もっと人がいない場所で狙うととか、違う日を選ぶなどのするのが自然です。にもかかわらず、最も重要な儀式が行われている最中に、その江戸城で事件を起こしたわけですから、浅野長矩は我を忘れるほど激昂していたと考えられます。これが仮に松之廊下で吉良と浅野が言い争いをしていて、興奮した浅野が切りつけたというならまだ話はわかるのですが、長矩は不意に吉良に切りつけています。つまりなぜ長矩が事件直前に我を忘れてしまうほど激高したのかが不明なのです(外で何かがあり、怒った浅野が吉良のもとに飛んでいって切りつけたわけでもありません)。

 第二に動機です。巷では勅旨供応役を拝命した浅野が指南役だった吉良に賄賂を送らなかったために意地悪をされたとか、赤穂と吉良の塩をめぐる争いだとか言われていますがそれを示す一次資料は確認されていません。そもそも浅野長矩が勅使供応役を務めたのはこの時がはじめてでは無く、さかのぼること18年前の天和三年(1683年)にも同じ吉良義央の指南でこの役を無事に務めています。なので何も知らない長矩に吉良が意地悪をしたという構図も考えられないわけです。結局この刃傷事件は動機もはっきりせず、単に浅野長矩が錯乱して斬りつけただけだったという説を唱える学者もいます。

 とはいえこの刃傷事件の結果、赤穂浅野家は所領没収の上改易となり、藩士たちは路頭に迷うことになりました。江戸時代の大名家というのは今でいう企業のようなもで、改易になるということは会社が倒産することと一緒、従業員たる藩士は失業して世間に放り出されることになります。戦国の世で武士が戦で死ぬ時代なら、欠員補充のために他の大名に仕官するのも比較的容易だったのですが、太平の江戸時代になると、失業した藩士の再就職は容易ではなかったのです。なので当時の武士は主君の命云々よりも、お家(大名家)の存続が大事でした(なので大石内蔵助も当初は長矩の弟、浅野長広によるお家再興を第一に考えていました)。

 その後紆余曲折を経て,翌元禄15年12月14日の討ち入りに至りますが、ここにも謎があります。刃傷事件の後同年8月に吉良が突然幕府から屋敷の移転を命ぜられていることです。元々吉良邸は江戸城に近い呉服橋(今のJR東京駅付近)にありましたが、この命令で本所松坂町に転居することになったのです。ここはJR両国駅の近くで、今でこそ都心の一部となっていますが、当時は江戸のはずれ,かなり寂しい所だったといわれています。直前に吉良義央は隠居しており、一般には隠居に伴う移転と考えられています。しかし当時は旧赤穂藩士の襲撃がウワサされており、結果的には幕府が討ち入りをさせるためにわざと転居させたのではないかとも取れるのです(郊外であれば他人の目にも触れにくい)。結局当日浪士たちは幕府の捕り方に誰何されることもなく、吉良邸討ち入りを行うことができました。

 ちなみに浅野=善玉,吉良=悪玉という構図は後の仮名手本忠臣蔵によって確立した虚構の概念であり、史実ではありません。これは「三国志演義」を読んでも歴史としての三国志を理解したことにはならないし、「燃えよ剣」から新選組の真の姿は見えてこないのと一緒です。実際には地元赤穂の領民の間での浅野家の評判は芳しくなく、逆に吉良上野介の領地での評判は良かったともいわれています。21世紀に入ってからメディアでも赤穂浪士を取り上げる頻度が激減しているのは、歴史上の人物をフィクションによる単純な善と悪という色分けで描くことに批判があるからとも思われます(実際に大河ドラマでこの事件が描かれたのは1999年の元禄繚乱が最後で、21世紀になってからは一度もない)。現代では元禄赤穂事件という呼び方が定着したこの一連の騒動も、20世紀には歌舞伎の演題そのままに忠臣蔵と呼ばれていたものです。

 そんなことを考えた2025年12月14日でした。

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2025年12月13日 (土)

ドラゴンクエストⅠ&Ⅱリメイク版

 今年の10月末に発売されたリメイク版ドラゴンクエストⅠ&Ⅱ、そのsteam版を現在チマチマとやっています。Ⅰの方はすでに終わらせ現在Ⅱをやっています。

 ドラクエ2は1987年に任天堂のファミリーコンピューター(いわゆるファミコン)のソフトとして発売されたRPGです。爆発的なヒット作品となり、後の様々なRPGに影響を与えたと言われています。当時私は学生だったので、かなりのめり込んでいたのを覚えています。ただこのドラクエ2、難易度が非常に高かったゲームとしても有名でした。スタートから船を入手するまではほぼ一本道なので迷うことは少ないのですが、船入手後は行ける範囲が一気に広がる割にはヒントが少なくて、何をすればいいのか分からずしばらく彷徨ったことを覚えています。またモンスターとの戦闘バランスが悪く、しょっちゅう全滅して戻されるなんてこともザラでしたし、一応説明書には攻撃は敵味方関係なく素早いものから行われると書かれていましたが、実際にはほとんどランダムで、素早さなんて関係ないのではと感じていました。ダンジョンも破格の難易度で、先述の戦闘バランスの悪さと併せて本作の難易度を高くしていたと思います。

006 Dq22  その後スーパーファミコン版やスマホ版などに移植される毎に上記の問題点は解消され、少なくともスマホ版でのゲームバランスはかなり遊びやすくなったと思います。

 で、今回のリメイク版、昨年発売のⅢは元の設定を重視し、主としてグラフィックの改良が主眼だったように思いましたが、今期は新設定やエピソードが大量に追加され、まったく新しいゲームに生まれ変わったように感じています。まだ中盤ですが、少しずつ遊んでいきます。

 

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2025年12月11日 (木)

日本酒発見!

Img_7308  今回当地のスーパーで日本酒の一升瓶を発見し購入してきました。

 ナミビアのウィントフックはそもそも人口が少ない(首都なのに人口30万人ほど)のに加えて、在留邦人もほとんどいないため日本食レストランがありません(中華レストランでさえ3件くらいしかない)。ただ現地人の間では寿司が人気があるため、寿司を提供するお店はあり、そうしたお店では日本酒を提供するところもあります(Daishoという店が有名で、そこでは熱燗が提供されているが、なぜかお酒メニューではなくホットドリンクメニューに分類されている)。お店で提供されているんだから、どこかで販売されているんだろうとは想像されますが、この2年強一度もみたことがありませんでした。

 が、しか~し、今回職場の同僚が目撃したという情報をくれたため行ってみたところ、白鶴の一升瓶を発見、購入してきた次第です。

 日本酒は帰国から戻ってくるタイミングで四合瓶の美味しそうなのを持ってきています。これらはもったいないのでもっぱら冷やでいただきますが、今回の一升瓶はいわゆる普通の日本酒なので熱燗やひれ酒的な飲み方もいいかなと思っています(もうじき年末ですし 笑)。そんなことを考えた師走の一日でした。

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2025年12月10日 (水)

週末の外食

 さて、コンサートも終わり今年も残すところ3週間ちょっとですが、週末の外食は健在です(笑)。

 今回は時々繰り出す定番のイタリアンレストラン”Francesco"に行ってきました。独特のキャラの女将がいるお店です。この日注文したのは前菜がトマトとモッツァレラチーズ、メインが白身魚になりました。

Img_7296_20251219060801 Img_7297_20251219060801  ワインもいただいたのは言うまでもありませんが、肉ではなく魚メインというのもなかなか良いものです。

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2025年12月 8日 (月)

待降節第2主日の礼拝

Img_7301  Cantare Audire Choirのクリスマスコンサートは終わりましたが今年の合唱活動はまだ終わりません。12月7日の日曜日に市内の教会で行われた礼拝での合唱があったからです。こちらは先日コンサートを開いた合唱団とは別の団体(メンバー数人は被っているが)で、主にドイツ語の賛美歌を歌う合唱団です(合唱団のWhatsAppではUnser Chor ドイツ語で私たちの合唱の意 と名乗っています)。

Img_7303  今年の待降節は11月30日に始まったため、この日の礼拝は待降節第2主日となります。一般的な礼拝の流れの中でそれに関連する合唱を歌うという形でした。聖書朗読や説教等すべてドイツ語なので、なかなか理解ができない部分が多かったのですが、途中クリスマス聖歌のイントロ当てクイズみたいなのもあって楽しかったです。

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2025年12月 7日 (日)

Cantare Audire Choirのコンサート

590066212_25130600049944023_677907315731  合唱が趣味の我が家、日本時代は複数の合唱団に所属して活動していました。アフリカに転勤するにあたり「合唱活動は退職して帰国するまでは無理だろう」と思っていたのですが、ここナミビアはかつてドイツの植民地だったという歴史とルター派の教会が存在するという現実から、なんと一般の合唱団が存在するのでした。縁あって昨年夏から参加させてもらっています。

 そんな合唱団Cantare Audire Choirのクリスマスコンサートが先週12月3日、4日に市内のロッジで開催されました。

 この合唱団のクリスマスコンサートは一昨年は市内の教会で行われ、当時は観客として参加しました。昨年は練習はしていましたが諸事情から独立したコンサートは無く、教会の礼拝での演奏というスタイルでした。今回は本当の(笑)コンサートとして楽しみにしていました。

 コンサートは大きく前半後半に分かれ、前半はラテン語とドイツ語による典礼音楽(マーク・ヘイズのCantate DominoやモーツァルトのAve Verum Corpus、ブラームスのGeistliches Lied等)、後半は英語のクリスマスキャロル(主にラターの曲)という流れでした。

 2日間公演ですが演目は同じです(一昨年のコンサートもそうだったので、これがこちらの文化なのかもしれません)。会場はロッジの中庭(プールサイドというリゾート感満載の場所)という合唱コンサートとしてはあまりないパターンした。

F284bf9505c24007929d7fc06342ba51  そして迎えた初日、19時の開演に対して合唱団の集合は18時30分! 日本だと直前リハーサルとかがありますが、こちらではそういうのは無いようです。すでに観客も来ていて、合唱団は建物の陰で発声練習その後会場に移動して本番という流れになりました。中庭コンサートなので声が飛ぶのかと危惧していましたが、案外届いていたようです。

Ecbf45749fbe4fe2859d434ff1e9fd9a B4ae5d3e2cc84976b5d7845e882bc617  続く2日目は午後から曇り空、雨も降りだした(当地の12月は雨季)ということで急遽ロッジのレストランに会場が変更されました。奇しくも屋外屋内の2種類を体験できたということで、1粒で2度美味しい(笑)コンサートになりました。海外の合唱団の本番、なかなか楽しかったです。

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2025年12月 6日 (土)

年末のラハイナ・ヌーン

 今日12月6日の当地はお昼に太陽が真上に来る日(ラハイナ・ヌーン)でした。ナミビアの首都ウィントフックは南緯22度33分と南回帰線よりも北に位置しています。このため年に2回この日が現れます(いつその日になるかは専ら緯度によって決まり、理論上赤道直下は春分と秋分、南北回帰線上は夏至の日のみ)。

 経度の関係で市内でこの現象がみられるのは(すなわち一日で太陽高度がもっとも高くなる時間)12時42分頃なので理論上、その時間になると影がなくなることになります。

 が、しかし…

Img_7294_20251206150301  ちょうどその時間の当地は曇り空、真上の太陽を拝むことはできませんでした(泣)。ちなみに昨年のこの日は快晴で、その雰囲気を味わえたのですが、晴れのイメージが強いナミビアですが、この時期は雨期ですから、こういう年もあるわけです。ラハイナ・ヌーンは年に2回、この後年明け早々にもありますので、そちらに期待したいと思います。

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2025年12月 5日 (金)

お久しぶりです

Img_6276_20251206145201  久々の投稿になります。確認したら最後の投稿が7月25日ですから4か月以上空いたことになります。この間特に病気になったということはなく、基本的に元気に過ごしていました。9月中旬から約1か月強、休暇で日本に帰っていた時期もあります。

 こんな秘境ブログ誰が見ているのかという気もしますが、またぼちぼちアップしていきます(日本滞在時の話などは過去にさかのぼってアップする場合もあるのでよろしければ見てください。

 それではまたよろしくお願いします。

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