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2025年5月29日 (木)

コンスタンティノープルの陥落

 今日5月29日は当ブログにとっては非常に重要な日です。私はハンドルネームでビザンチン皇帝コンスタンティヌス21世を名乗っていることからわかるように、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を愛好しています。そんな帝国の都がコンスタンティノープルで君府とも呼ばれます。11世紀の最盛期には人口50万を擁し、中世に入って都市が衰退していた当時のヨーロッパでは群を抜いて巨大な都市だったのです。

 コンスタンティノープルはその成立の日と滅亡の日がはっきりわかっている都市でもあります。すなわちローマ皇帝コンスタンテゥヌス1世(大帝)によって開都式が行われ正式に遷都したのが330年5月11日です。そして、その約1100年後にメフメト2世率いるオスマントルコ軍の攻撃を受けて陥落し帝国が滅亡に至ったのが1453年5月29日なのです。

 ビザンチン帝国というのは,別名を東ローマ帝国、中世ローマ帝国といわれるように、古代ローマ帝国の後継国家です。ビザンチンという名前はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の古名であるビザンティウム(ビザンチオン)から来ており、国家が存在した時期はちょうど西洋史における中世と呼ばれる時代区分に一致します。

 中世という用語は、西洋史の歴史用語で古代と近代の間の時代という意味です。私が中学生頃の西洋史観では中世というのは迷信と疫病のはびこる暗黒時代とされていました。すなわち古代ギリシャ・ローマの文明が衰退ししてから、ルネッサンスによって文明が復興するまでのつなぎの時代とみなされていたわけです。もちろんこれは西欧の立場から見た歴史観であって、同じ時代イスラム圏は文明の中心として栄えていたわけですし、キリスト教世界においても西ヨーロッパは混乱していましたが、ビザンチン帝国を中心とする今の東欧圏は逆に繁栄していた時代です。これらの世界においては暗黒時代どころか黄金期だったわけです.

 現在においては西欧においても中世は何もない時代ではなく,様々な社会や文化の発展がみられた時代であるという認識に変わっています。そんな発展途上の西欧社会の人々にとって、キリスト教世界の中心地だったコンスタンティノープルが異教徒の手に落ちたことは衝撃的な事件でした。この歴史的大事件当時に作曲家として活躍していたギョーム・デュファイはコンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆きという曲を作っています。

 そんな感慨にふけった2025年5月29日でした。

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