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2025年2月23日 (日)

ヘンデルの誕生日

Img_0  今日2月23日は今上陛下の誕生日で日本では祝日になります。一方この日はバロック時代を代表する作曲家,G. F. ヘンデルの誕生日でもあります(平成年間まではもっぱらこちらで注目していました)。ヘンデルは1685年の2月23日今のドイツの東部にあるハレという町で生まれました。同年生まれのJ. S. バッハは音楽一家でしたが、ヘンデルの家はそうではなく、彼の父はわが子に法律を学ばせようとしたようです。大学にまで入学しましたが、ヘンデル自身は法律よりも音楽に興味があったようで、父の反対を押し切って音楽の道に進むことになります。

 まずは1703年に北ドイツのハンブルグにあるオペラ劇場の奏者となりました。ここでオペラの作曲も始めています。1706年から1710年にかけて音楽修業のためにイタリアに行き、ローマ、ナポリなどを遊学しています。この時当時イタリアで著名だったA.スカルラッティの薫陶を受けたといわれています。

 1710年に帰国したヘンデルは北ドイツにあるハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長に招聘されました。ちなみに選帝侯とは、神聖ローマ皇帝位の選挙権を持つ有力な諸侯のことです。25歳でこんな重要な宮廷の楽長になったのですから大出世といえます。しかし彼は就任して間もなくロンドンに渡りました。そしてこの地で新作のオペラを発表したのですが、これがウケて大いに気を良くしたようです。当時のロンドンは産業革命前夜で人口が増えていて、新作音楽に対する需要が旺盛だったのです。

 1711年にいったんハノーヴァーに戻りましたが、ロンドンでの成功体験が忘れられなかったのか、なんと宮廷楽長に在職のまま再びロンドンに渡り、以後二度とドイツに戻ることはなかったのです。言ってみれば仕事を放り投げて外国に逃げてしまったようなものです。雇い主のハノーヴァー選帝侯はどんな気分だったのでしょう.

 しかし事実は小説よりも奇なりと申しますか、その後すごいことになるのです ( ゚Д゚)。

 1714年イギリス国王アンが急死し、17世紀以来のスチュアート朝が断絶してしまいます。イギリス議会では各地にいるスチュアート家の親戚筋から新国王を探すことになったのですが(18世紀当時のイギリスではすでに国の主権は議会に移っており、国王は君臨すれども統治せずの存在になっていた)、そこで白羽の矢がたったのが、なんとかつてヘンデルが捨て去った(笑)ハノーヴァー選帝侯その人でした。実は選帝侯ゲオルグはスチュアート家の血を引く人物だったのです。こうして選帝侯ゲオルグが新イギリス国王ジョージ1世としてイギリスにやってくることになりました(ドイツ語のゲオルグが英語ではジョージになります)。この時に過去のいきさつから新国王と非常に気まずい雰囲気になったヘンデルが、国王と和解するために作ったのが有名な水上の音楽と言われていますが、これは事実ではないようです。

 いずれにせよヘンデルはその生涯の大部分をイギリスで過ごし、1727年には正式にイギリスに帰化しました(名前もドイツ式のゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルからイギリス式のジョージ・フレデリック・ハンデルになります)。1759年4月14日に当地で亡くなり、その遺体はウエストミンスター寺院に埋葬されています。

 生前のヘンデルはオペラ作曲家として知られていましたが、その後彼のオペラは忘れ去られてしまい,メサイアなどのオラトリオ作品や協奏曲などが代表作とされるようになりました。しかし近年になり再び彼のオペラにも光が当てられるようになり、実際に上演される機会も増えています(2022年秋に新国立劇場で歌劇「ジュリオ・チェーザレ」(ジュリアス・シーザーのイタリア語読み)が上演されたのが記憶に新しい)。

 そんなヘンデルのオペラ作品でよく知られているのが、歌劇「クセルクセス」でしょう。クセルクセスとは古代のペルシャ戦争期のペルシャ王の名前です。この作品の冒頭に登場するクセルクセスによるアリアが非常に有名な「Ombra mai fù(オンブラマイフ)」です.この曲は一般にソプラノによって歌われる機会が多いのですが、実は役柄であるクセルクセスは男性です。男性のアリアをどうしてソプラノが?と思いますが、これは「アリアは華やかでなければならない」という当時の風潮に原因があります。より高音の方が華やかだということで、当時は少年期に去勢することによって、成人してからも変声期前の声質で歌える男性歌手がたくさんいたのです。こういった歌手をカストラートといい、彼らは女性の音域の声を持ちながら、男性並みのスタミナとパワーで歌うことができました。人権云々が叫ばれる現代では再現できない歌手といえます。このアリアを歌うクセルクセスもカストラートの役柄だったわけです。

 日本でこの曲が有名になったのは,なんといっても1980年代に放送されたキャスリーン・バトルが歌ったニッカウィスキーのCMでしょう。故・実相寺昭雄の映像とともに歴史に残るCMじゃないかと思います(この時代、酒のCMにクラシックというのがたくさんあったと思います)。

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