« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »

2025年1月28日 (火)

クロワッサン

 朝食に何を食べるかというのは各人あるいは各家庭で様々ダと思いますが、日本人の場合はご飯かパンのいずれかという人は多いのではと想像します(福島県の一部には朝ラーという文化もあるが)。

 ちなみに我が家では日によってご飯だったりパンだったりします。日本では朝のパンといえばいわゆる食パン派が多いのではと想像しますが、実は日本の食パンの水準は世界的に見れば信じられないほど高く(特にヤマザキダブルソフトなんて偏差値80くらいはある)、その味は異次元の旨さを誇ります。当地を含めた海外では高級ホテルでもあれだけのパンは食べられません。

 そんな食パン事情ということもあり、我が家では朝食に食パン以外のパンを食べることも多々あり、その一つが表題のクロワッサンです。価格面はともかく、クロワッサンは食パンほど地域のレベル差が大きくないのも魅力です。クロワッサンはフランス語で三日月を意味し、その名の通り三日月型をしていることが多いパンです。ただ厳密に言えば、三日月形をしているものと菱形をしているものとの2種類の製品が流通しています。

Img_4483_20250204214201  以前NHKの「チコちゃんに叱られる」で三日月形=マーガリン使用、菱形=バター使用と紹介されていて、そうなんだと思っていたのですが、先日当地のスーパーで菱形のクロワッサンを購入したところBUTTER CROISSANTSと表記されていて、「本当だったんだ!」と感動した次第です。

| | コメント (0)

2025年1月26日 (日)

週末の外食

 年末年始の休暇からこちらに戻って2週間、週末の外食が復活しています。

 この週末は久しぶりにポルトガル料理のKUBATA RESTAURANTに繰り出しました。日本ではポルトガル料理よりもスペイン料理の方が断然メジャーですが、当地は隣国のアンゴラ、東に少し行った先のモザンビークと旧ポルトガル領の国が複数ある影響なのか複数のポルトガル料理店があります(逆にスペイン料理店は見かけない)。

 ポルトガルといえば海鮮、この日はハマグリやイカ、タラなどをいただきました。

Img_4487 Img_4488 (左)ハマグリ、(右)イカリング

| | コメント (0)

2025年1月24日 (金)

雨季の湿度

Img_1015  ナミビアの1月、2月は雨季の最盛期です。

 もっとも当地の雨季は日本の梅雨とは違って一日中雨がしとしとと降り続くなんてことはなく、基本的には晴れていて午後から雲が出始め、夕方から夜にザザッと降ってくるイメージなので、むしろ夏の夕立に近い感じです。また基本的に砂漠気候で乾燥しているため、雨が上がるとあっという間に乾燥してしまうため、水たまりはほとんど形成されません。ですから湿度も常に低く、雨季でもせいぜい40~50%台にとどまります。

 しかし、ここ1週間はけっこう雨が多く、降雨時間もそれなりに長くなっているせいか、いつになく湿度が高い印象です。普段であれば気温が上がっても汗ばむことはないんですが、昨日今日はちょっと蒸す感じがします。で、本日職場の冷蔵庫から水の入ったペットボトルを出してきたら…

Img_4493  なんと、水滴が付いています。以前ビールジョッキの話題を出しましたが、当地は乾燥が激しいため、冷えた瓶やペットボトルにも普段は水滴が付きません。それが付くということは、結構湿度が高くなっているものと考えられます。

 そんなことを考えた1月下旬でした。

| | コメント (0)

2025年1月22日 (水)

合唱団が再開しました

Img_4484  日本にいた頃から合唱が趣味の我々です。当地に来てからは縁あって、Cantare Audire Choirという地元の合唱団に交ぜてもらっています。ただ昨年11月末に教会でクリスマスキャロル礼拝でミニコンサートを行ってからはクリスマス休暇に入っていました(当地は12月になると本当に休暇シーズンに入り人がいなくなる)。1月に入って休暇が明け、この日から練習が再開したというわけです。

 ここからしばらくは3月に行われるイースター礼拝のコンサート、5月に予定されているコンサートに向けての練習となります。やっぱり合唱っていいなと思いながら参加しているのでした。

| | コメント (0)

2025年1月21日 (火)

強盗事件

Crimescene1  先週末市内で強盗事件がありました。

 ナミビアのウィントフックは人口も少なく基本的にはのどかな町なんですが、貧富の差が激しいことや失業率が高いこともあって、スリやひったくり、空き巣などの一般犯罪はしばしば発生しています。ただこうした犯罪をする人々は単純にお金が欲しくて行為に及ぶので、常に周囲に目を配る、隙を見せないなどの対策を取ることにより、被害に遭遇する確率を下げることができます。テロなど犯人側が自らの命を気にしない事件と違い、金が欲しいだけの犯人は自分が逮捕されるリスクは取らないのです。

 そんなウィントフックで市内のダイヤモンド取引会社に押し込み強盗があったのです。報道に寄れば5人組の銃を持った強盗が押し入り、警備員を射殺しダイヤを奪ったとのことです。駆けつけた警察官との銃撃戦の末、犯人のうち1人は死亡、2人は拘束されたとのことですが、残り2人が未だに逃走中ということです。別な報道では1月20日にダイヤの取引が予定されていて、社内に多数のダイヤが運び込まれていたことから、内部関係者が絡んだ犯行との見方が広がっています。

 ナムダイヤ強盗:2人が死亡、事前の警告にもかかわらず数百万のダイヤモンドが盗まれた

 当地ではなかなかない凶悪事件ということで、市民には緊張が走っています。

| | コメント (0)

2025年1月19日 (日)

週末の外食

 ウィントフックに戻ってきて1週間が経過しました。この間特に変わったことはなく過ごしております。

Img_4480(写真1)ナミビアのステーキ

 で、さっそく週末の外食が再開しました。帰国中はなるべく日本のものをというわけで、刺身(貝や青背の魚など)や鍋料理中心に食べていましたが、こちらに戻っての初外食はやっぱりステーキです(日本滞在中もステーキは食べなかった 笑)。この日は定番のButcher Block Namibiaに繰り出しました。やっぱりナミビアのステーキは美味しいです。ワイン(この日はスパークリング)も一緒に堪能したのはいうまでもありませんが、この日はデザートもいただきました。

Img_4477 Img_4482(左写真2)ワイン、(右同3)デザート

| | コメント (0)

2025年1月11日 (土)

ウィントフックに戻りました

Img_4468  年末年始の短い一時帰国を終え、ウィントフックに戻ってきました。

 今回は往路でいきなりの飛行機の欠航があったりと大波乱だった反動なのか、復路は極めてスムーズに帰ってこられました。真冬の日本から真夏のナミビア、環境の違いも強烈です。しばらくは体調に留意しながらこちらの生活感を取り戻していきます。

Img_4469 Img_4471

| | コメント (0)

2025年1月 7日 (火)

七草粥

Img_4456  今日1月7日は五節句のひとつ人日の節句です.別名を七草の節句とも呼ぶように日本ではこの日に七草粥を食べる習慣があります.その年の無病息災を願うためとされていますが,お正月に食べ過ぎた飲みすぎた胃腸を休める意味合いもあるようです.

 我々も帰国で年末年始、いろんな美味しい物を食べ過ぎたのを反省してこの日は七草粥をいただきました.七草粥に使われるのは春の七草で,それはセリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの七つです.この七草の覚え方ですが、私の世代だと嘉門達夫の「同時通訳」というネタで覚えました。ちなみに七草には秋の七草(ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、クズ、オミナエシ、フジバカマ)というのもありますが,こちらは一部薬用として用いられるものもありますが,基本的には食べられないので秋の七草粥はありません.

 

嘉門達夫「同時通訳」

 そんなことを考えた2025年1月7日でした.

| | コメント (0)

2025年1月 6日 (月)

一風亭の担々麺

Img_4454  盛岡に戻ってくると必ず食べたいものがいくつかあります。白龍のじゃじゃ麺や焼き肉屋さんの冷麺などが代表ですが、一風亭の担々麺もそうした食べ物の一つです。盛岡を代表する担々麺のお店で、高松店と矢幅店の2店舗があります。コロナ前に盛岡の合唱団の強化練習の際には練習会場に近い高松店をよく利用したものです。今回は盛岡市南部に用事があって出かけたついでに矢巾店の方に行ってきました。.

 ここの名物はもちろん担々麺で,その独特の風味からウチのKが「魔性の麺」と呼ぶほどハマる一品です。ただそれ以外にもとろみあんかけのしょうゆラーメンなど魅力的なメニューもあるんですが、やっぱりこの日も担々麺をいただきました。美味しかったです。

| | コメント (0)

2025年1月 5日 (日)

函館訪問

 一時帰国中の年末年始は湯瀬温泉で過ごしたわけですが、明けて1月4~5日の週末はウチのKの実家がある函館に行ってきました。こちらに訪問したのは昨年3月以来ですが、今回は姪っ子が入籍したとのことで、そのお祝いも兼ねての会合となりました。

Img_4418 Img_4423

(左写真1)マイナス7.1℃、(右同2)結構雪が降っています

 実家のある盛岡は寒さはそれなりで、雪は少なかったのですが、函館はというと雪もそれなりにあり、しかも気温はマイナス7.1℃でした🥶。親戚一同で湯の川温泉に宿泊してお正月懐石を満喫したのでした(もちろん温泉も)。

Img_4427 Img_4426 Img_4429 Img_4431   

 (左上写真3)お正月料理、(右上同4)毛ガニ、(左下同5)お造り、(右下同6)キンキの唐揚げ

 翌日には郊外のトラピスト修道院を訪問しましたが、残念ながら新年のお休みということで外観のみ見学、トラピスト修道院といえばクッキーやバターなどが有名なので、ナミビアへのお土産に買っていきたかったのです(ここでは買えませんでしたが、駅の産直場で購入しました)。短い滞在でしたが楽しかったです。

Img_4435 Img_4441(写真7,8)トラピスト修道院

| | コメント (0)

2025年1月 3日 (金)

何の記念イヤー?

 今年2025年は何の記念イヤーなのか、毎年恒例ですが調べてみました。

① ラジオ放送開始100年 メディアでも話題となっているネタですが、今年は日本でラジオ放送が始まって100年の記念イヤーです。世界的にはその5年前の1920年に始まっていますが、日本では1923年の関東大震災後の情報混乱による被害が大きく、正確な情報を素早く伝える手段としてラジオ放送の開始が期待されました。そして1925年(大正14年)3月22日に東京放送局(JOAK)が放送を開始したのが始まりで、以後全国に普及していくことになります。

② 異国船打払令200年 17世紀前半から太平の世を謳歌してきたわが国ですが、19世紀に入ると欧米食の船が頻繁に姿を見せるようになりました。当初幕府は薪水給与令をだして対応していましたが、フェートン号事件や大津浜事件等を受けて、外国船は全て打払うよう方針を替えました。これが異国船打払令で、17年後に天保の薪水給与令が出るまで続けられました。

③ 近松門左衛門没後300年 17世紀後半から18世紀初頭にかけての日本では上方を中心に元禄文化が花開きました。この時代を代表するものが人形浄瑠璃や歌舞伎狂言ですが、そうした作品を数多く送り出し、時代を象徴する人物の一人とされているのが近松門左衛門です。代表作として「曽根崎心中」や「碁盤太平記」などが知られています。

④ テノチティトラン建設700年 現在のメキシコのあたりに勢力を持っていたアステカ帝国、その首都だったのがテノチティトランで現在のメキシコシティの場所に該当します。当時はテスココ湖の浮かぶ島の上に形成された都市で最盛期には30万人もの人口を誇っていたといわれています。16世紀にスペイン人コルテスによって征服され破壊された後、その上に今に続くメキシコシティの街が形成されました。そんなテノチティトランが建設されたのが今から700年前です。

⑤ チャガタイ・ハン国建国800年 13世紀前半にユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国ですが、広すぎる帝国を一元支配するのは不可能でその初期から分割しての支配が行われていました。このうち主に中央アジア方面を任されたのがチンギス・ハンの次男チャガタイで、彼の支配領域がチャガタイ・ハン国とよばれます。これが建国されたのが今から800年前です。

⑥ 遼滅亡900年 10世紀に成立した宋王朝は周辺の遊牧民国家に対して軍事面では劣勢で、周辺国に資金や物資を与えることで国の安定化を図っていました。そうした宋の周辺国の中でも有力なのが遼で、10世紀に耶律阿保機によって建国されました。五代十国時代の後晋を援助する見返りに燕雲十六州を獲得し、その後宋代になってもこの地を支配し続けるなど強勢を保っていましたが、12世紀に入って女真族の金が勃興すると、宋と金の挟撃にあい1125年に滅亡しました。

⑦ バシレイオス2世崩御1000年 もっとも切りがよく、当ブログ的な話題がこちらです。11世紀ビザンチン帝国の最盛期を作り上げた皇帝バシレイオス2世が崩御したのが今から1000年前の1025年です。7世紀以降イスラム教徒の侵攻やスラブ民族の移住等で衰退していた帝国を盛り返し、黄金期と呼ばれる時代を作り上げたのがこの皇帝です。その人生は戦争に明け暮れ華やかさはないものの、ローマ皇帝=軍人という建前をまさに具現した皇帝でした。

⑧ 第1回ニカイア公会議1700年 キリスト教が成立したあとの数世紀は、教義を巡る問題がしばしば発生しました。これを解決するために行われたのが公会議で、8世紀までに7回の公会議が行われました。その記念すべき第1回公会議となったのが第1回ニカイアの公会議です。今のトルコのニカイアが会場となり、当時教義上の問題となっていたアリウス派の扱いについて話し合いが行われ、最終的にアリウス派は異端として追放されました。

⑨ 諸葛亮の南征1800年 三国時代の重要人物である諸葛亮、その活躍は特に三国志演義において著しいのですが、劉備が没したあと北伐が始まる前に行われたのが南征です。これは当時蜀漢に対して反抗的な姿勢を見せていた現四川省南部の豪族をを従属させることを目的とした遠征となります。諸葛亮自らが遠征軍を率いたことから、その本気ぶりがうかがえます。

⑩ 後漢成立2000年 紀元前3世紀末に成立した前漢は次第に皇室が弱体化し、末期には外戚の王氏の専横が目立つようになります。紀元前10年ごろから王氏の一員である王莽の権勢が増大し、とうとう紀元8年には皇帝位を簒奪し、新という国家を樹立しました。しかし新王朝の政治はあまりにも現実を無視したものだったためすぐに立ち行かなくなり社会が混乱、このなかから赤眉軍、緑林軍による反乱(いわゆる赤眉の乱)、が起こり社会は大混乱に陥ります。その中から現れた漢王室の一人である劉秀が漢を再興して光武帝として即位したのが今から2000年前の紀元25年のことです。

⑪ 晋滅亡2400年 春秋時代と戦国時代の境目をどこに置くかは議論がありますが、一般には春秋時代の大国晋が韓魏趙3国に分裂した時(紀元前403年)とされています。しかしこの時も旧宗主国である晋はわずかな領地とともに存続を許されていました。しかし時代が進み紀元前376年になると韓・魏連合軍によって晋は最終的に滅ぼされたのでした。

⑫ 古代オリンピック発祥2700年 近代オリンピックはフランスのクーベルタン男爵によって19世紀に始められた体育競技会ですが、その元となったのが古代ギリシャで行われていた古代オリンピックです。参加資格がギリシャ人である成人男性のみに限られるなどの制約はあったものの、競技会期間中は戦争が中断されるなど、後の平和の祭典としてのオリンピックの萌芽が見られます。そんな古代オリンピックが始まったのが今から2700年前のことなのです。

 こうしてみるといろいろな出来事がありますが、注目したのはバシレイオス2世の崩御、後漢の成立、古代オリンピックの開始でしょうか。

| | コメント (0)

2025年1月 1日 (水)

謹賀新年

Nenga2025  謹賀新年

 みなさま明けましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

| | コメント (0)

« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »