« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月31日 (火)

2024年年越しそば

Img_4397  2024年もいよいよ大晦日です。大晦日といえば年越しそばですが、昨年はナミビアにいたためお店で食べるのは不可能で、東洋水産の袋麺蕎麦を食べました。しかし今年は日本に滞在しているということで、ぜひともお蕎麦屋さんで食べようということで、滞在先の湯瀬温泉からほど近い鹿角市内の老舗蕎麦屋切田屋さんに行ってきました。

 ここはいわゆる二八蕎麦(更科そば)がメインで、数量限定で十割そばのメニューもありました。ただ訪問時十割そばは完売とのことで、通常の二八そばをいただきます。この日は海老天付きしぼり大根蕎麦を注文しました。これはそばつゆに大根のしぼり汁を加え、それに蕎麦を絡めていただくものです。大根の絡みが絶妙で、歯ごたえのある蕎麦とともに美味しかったです。

Img_4394(写真)海老天付きしぼり大根蕎麦

| | コメント (0)

2024年12月30日 (月)

湯瀬温泉

 一時帰国中のビザンチン皇帝です。日本には豊富にあるものの、ナミビアにはほとんどないものが温泉です。そもそも絶対的に水が不足しているナミビアには大浴場というものが基本的に存在しません(プールならありますが…)。帰国したら絶対温泉に行こうと思っていましたが、実家に戻ったついでに県境の秋田県側の湯瀬温泉に繰り出しました。

Img_4391 Img_4392(左写真1)竿灯があります、(右同2)大政奉還が行われそうな風景

 今回宿泊したのは、亀の井ホテル秋田湯瀬、かつて和心の宿 姫の湯という名称だったところです。ここに宿泊したのはおそらく20年ぶりくらいですが、内装等に大きな変化はないように思います。変わった点といえば、ホテルブランドが亀の井ホテルに変わったためなのか、夜泣きそばのサービスが付いているんですが、その中身が大分風の地獄担々麺になっていたことです。お湯はさすがのアルカリ性単純泉、お肌すべすべです。

Img_4389 Img_4393(左写真3)白地獄担々麺、(右同4)雪深い山郷です

| | コメント (0)

2024年12月29日 (日)

盛岡に戻りました

 12月22日未明に帰国したのち、各地を走り回っていましたが27日の夕方にようやく郷里の盛岡に戻りました。夏のナミビアから真冬の日本に戻ってきたわけですが、東京はちょっと寒いけど大したことないなという感想でしたが、盛岡の寒さは別格です。駅に降り立った瞬間、キンという冷気が顔に突き刺さるのを感じ、「これ、これだよ!」と妙に嬉しくなった自分がいます。

Img_4386 Img_4376(左写真1)凍てつく盛岡市内、(右同2)山田線の踏切が閉まっている珍しい瞬間

 これからお正月明けまで寒い北東北で過ごします。盛岡市内を走るJR山田線の踏切が閉まっているという貴重な経験もできましたし(山田線は1日の運転本数が数本なので、基本踏切で引っかかることが珍しい)、白龍のじゃじゃ麺も8か月ぶりに本店で食べることができました。

Img_4382 Img_4385(左写真3)じゃじゃ麺、(右同4)寒くても行列です

| | コメント (0)

2024年12月26日 (木)

崎陽軒のシウマイ弁当

 22日未明に帰国した後、検診等をメインに行っていましたが、その後3日間は業務関係の用事があり新幹線等で各地を移動しました。で東海道新幹線に乗車しながらいただいたのが表題の崎陽軒のシウマイ弁当です。横浜の有名弁当ですが当然ナミビアには存在せず、帰国して機会があれば食べたかった一品です。偶然売店で見つけたので購入しました。

Img_4372 Img_4373  お弁当といえばコンビニ弁当に代表されるように、現在はプラスチック製の容器がほとんどです。そんな中で崎陽軒のお弁当はいまだに木の容器を使用しているのがポイントです。木を使用することでご飯の湿気がうまく吸収されて美味しさが保たれるのだとか、なかなか奥が深いです。さらにご飯も釜で炊くのではなく、蒸気で蒸して作られるため粒が立って独特の食感になっているそうです(上記で蒸すご飯は一般にはイメージしにくいですが、昔の海軍で戦艦などの大型艦では千人単位の乗員の主食を一気に作るため、蒸気でご飯を蒸していたというのを読んだことがある)。

 その他のおかずも含めて美味しくいただきました(やっぱり日本の食は最高だ)。

| | コメント (0)

2024年12月25日 (水)

BCJのメサイアと怪獣酒場

 日本にやってきましたが、最初の数日は人間ドックや歯科検診、ワクチン接種等、自身の体のケアがメインとなります(検診系は万一異常が見つかった場合の対策が必要なため、極力帰国の初期に行うのが原則である)。とはいえ、全日そうしたイベントが詰まっているわけでもないので、その合間に何かコンサートに行きたいなと思っていました。自分が一番好きなジャンルはオペラですが、残念ながら12月22~25日に都内では新国立劇場、藤原歌劇団、二期会等オペラ上演はありません。ということで次は教会音楽関係、こちらは12月24日のクリスマスイブにBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のメサイアコンサートがサントリーホールで開催されます。これはぜひ行きたいと考えチケット入手していました。

Img_4357 Img_4362  所用を済ませた後地下鉄でサントリーホールへ、入場すると会場は華やかな雰囲気に包まれています。開演前に軽くワインを飲んで(笑)自分の気分を盛り上げます。で、客席に行こうとしたら入り口に張り紙がされていました。

Img_4361  曰く、「第2部のハレルヤコーラスでの起立や合唱はご遠慮ください」というもの。確かに昭和の頃は一部でこうした風習がありましたが、平成に入ってコンサートマナーが洗練されたこともあり、完全に過去のものになったと認識していました(というか、この張り紙を見るまでは自分も完全に忘れていた)。しかしこういう張り紙があるということは、遠くない過去(去年か一昨年か、少なくともここ数年以内に)こうした行為が実際に行われたということです。今の若い人はこの風習そのものを知らないと思うので、下手人は私と同年代かそれより上ということで間違いないでしょう(笑)。ただこの張り紙、英文も書かれていますが、こちらには感染上のリスクという語句が付いています。思うにハレルヤコーラスで起立・合唱する風習は海外のお客さんには理解できないため、感染リスク云々が追加されたのかと推察しました。実際に演奏が始まってからも、演奏そのものよりもハレルヤコーラスでこうした行為が行われるのかの方が気になってしまったというのは内緒です(笑)。

Img_4370  終演後の夕食は時間的にも遅くなったのと、この日は普通のレストランは混んでいるだろうと予想していたため、新橋の怪獣酒場に繰り出しました。その名から推察されるようにウルトラ怪獣をモチーフにした居酒屋です。予想通り12月24日にここに来る客は少なく空いていて、快適に飲み食いできました。

Img_4368 Img_4365

(写真左)店内の雰囲気、(写真右)バルタン星人の「白色破壊光線カルパッチョ~季節の白身魚」

| | コメント (0)

2024年12月23日 (月)

帰国しました

 年末年始のお休みを利用して一時帰国しました。

 当初の予定では12月19日(木)夕方のルフトハンザ航空の便でウィントフックを発ち、フランクフルトを経由して12月22日の朝に羽田に到着するはずでした。

 が、しか~し

 当日空港に行ってみたら、まさかの搭乗便が欠航になっていました( ノД`)シクシク…。よくよく確認したら朝の段階で欠航のメールが来ていたのですが、この日に限って朝から慌ただしくしていたせいで見ていなかったのです(泣)。メールによると振替便は22日発、なんと!当初予定の3日も後です。今回の帰国は元々短めなので、これで3日も潰れるのは納得できません。そこで空港の係員に掛け合ったところ、同じスターアライアンス系の航空会社を探してくれました。その結果決まった代替便は、翌20日お昼に出るエチオピア航空の便、同日夜にアジズアベバで乗り換えて韓国の仁川空港へ、そこで今度はアシアナ航空に乗り換えて21日夜に羽田に着くというものです。乗り換えは大変ですが、これなら当初予定よりも14時間程度の遅れに留まります(まあそれでも予定が1つ吹き飛んでしまうんですが)。ともかく出発は翌日になったため一旦自宅に戻ります(厄落としを兼ねて市内のステーキ屋に繰り出した)。

Img_4342  そして翌20日改めて空港へ、この日は順調にチェックインができました。その後セキュリテイチェックや出国審査をさっさと済ませて、ラウンジでのんびり寛ぎます。まだお昼だというのにこの段階ですでに結構飲んでいます(笑)。エチオピア航空で東アジアへ向かう便は、経由地のアジズアベバでの乗り換えがタイトで、最初の便が遅延した場合など乗り換えできなかったり、荷物が置いて行かれるなどのトラブルが時々報告されています。普段ルフトハンザを使うのはこうしたミスを防ぐという意味合いもあるんですが、今回は少しでも早く日本に向かうためにやむを得ずこの便を利用するというわけです(なので便が決まったからといっても決して安心できない)。ウィントフックからの最初の便が極めて重要になりますが、幸いにも定刻よりも少し早く出発、幸先がいいなと感じました。その後アジズアベバには予定よりも少し早めに到着、乗り換えもスムーズにいき、余裕で次の便に乗り込みました。空港が混雑していたためか、乗り継ぎ便はやや遅めに出発しました(ただ、次の仁川での乗り換え時間が6時間弱あるためここは無問題)。結局仁川には予定よりも30分遅れで到着、ここで航空会社が変わるため、乗り継ぎカウンターで搭乗券を受け取る必要があります。飛行機を降りて乗り継ぎ方向へ歩きます。セキュリティを抜けた先にカウンターがありそこで無事に次の(最後の)搭乗券を入手できました。到着が遅れたとはいえ、まだ4時間以上時間があります。となれば行先はラウンジというわけで、そこでアルコールと夕食を摂ります。定番のビュッフェですが、辛ラーメンのカップ麺が山積みになっているのはさすが韓国だと思いました(実際付近の韓国人らしい乗客はみな食べていた)。

Img_0178 Img_4347  搭乗開始時間の少し前にラウンジを出てゲートに向かったのですが、ここで遅延が発生、理由はよくある使用機の到着遅れです。この先は羽田に着くだけではありますが、あまり遅くなると電車がなくなってしまう等、困ったことになるからです。結局出発したのは23時ごろ、そこからは偏西風に乗って1時間半ほどで羽田に着きましたが、滑走路からゲートまでに結構時間がかかり、降りてからも荷物が出てくるのに時間がかかり到着ロビーの外に出たのは22日午前1時を回っていたのでした。結局電車はもちろん、空港の宅配カウンターも閉まっており、荷物を抱えて都心のホテルまでタクシーで行くハメになったのでした。

 とはいえこれから少しの間、日本を堪能したいと思います。

| | コメント (0)

2024年12月18日 (水)

コンゴ民主共和国の重症感染症

 今月上旬にアフリカ中部コンゴ民主共和国(以下コンゴ(民))でインフルエンザ様の症状をを示す原因不明の感染症が流行し若者を中心に死者が出ているというニュースがありました。

 コンゴ民主共和国 インフルエンザ似た原因不明の病 約80人死亡

 現地当局やWHOが協力して原因の究明に当たっているとのことでしたが、本日コンゴ(民)の保健省が原因は重症マラリアであったと発表したようです。

 Congo's health ministry says unknown disease is severe malaria

Ka  マラリアはハマダラカによって媒介される原虫によって発症する感染症で、サハラ以南の赤道付近アフリカでは以前から大勢の感染者が出ている深刻な感染症です。一般には高度な発熱、悪寒、頭痛を呈しますが、咳などの呼吸器症状は典型的ではありません。今回は呼吸器症状が前面に出たため、インフルエンザ様とされたと思われます。こうした感染症は典型的な症状はあるものの、陰性症状(この症状があれば逆にこの疾患は否定できる)は無いと考えた方がいいので、こうした感染症を疑う症例を診た場合はあらゆる可能性を排除してはいけないと改めて感じました。

| | コメント (0)

2024年12月17日 (火)

デリーの大気汚染

 最近インドのデリーの大気汚染がひどいという話を聞きました。どのくらいひどいんだろうと思って、そうしたアプリで調べたところ、なんと!

Img_4340

AQIが4桁の場所があります!

 大気汚染を表す指数として近年使われているのがAQIです。Air Quality Indexの略で日本語では大気質指数と呼ばれています。空気中に含まれる様々な有害物質(オゾン、PM10、PM2.5、一酸化炭素、二酸化硫黄、二酸化窒素)の濃度を指数化したものです。指数は有害物質によって違いがありますが、おおよそ

50未満   問題なし

51~100  非常に敏感な人は注意

101~150  心疾患や喘息がある人は注意

151~200  心疾患や喘息のある人、子供、高齢者はかなり注意

201~300  上記の人は屋内避難、それ以外もかなり注意

301~500  全員屋内避難

 となっています。ひどいところでもせいぜい300から500程度までしか想定していないのですから、4桁というのがいかに異次元なものか分かると思います。現地に在住している方の話では、事務所のドアや窓を閉めきって空気清浄機をフル回転させてようやくAQI200程度とか、会議の際は全員N95マスク着用が呼びかけられているとのことです。SNS上の知り合いの方によると、デリーには市内あちこちにゴミ溜め場があり、時々そこが燻って不完全燃焼した煙が発生しているという話を聞いたので、冬季という時期的要因にそうした環境要因が加わって、この恐ろしい数字になったのかと推測しています。ちなみに私のいるウィントフックは79、実家のある盛岡市北部は44のようです。

| | コメント (0)

2024年12月15日 (日)

週末の外食

 師走とはよく言ったもので、あっという間に12月も半分が終わってしまいました。

 そんな12月中旬の外食です。先週はSushiが食べられる店に行った反動で、今週は肉、というわけでこちらも常連となっているステーキ店、Butcher Block Namibia に出かけてきました。前菜は生牡蠣とエビフライ(ここのエビフライは本当に美味い)、メインはもちろんステーキです。この日はサーロインの300gをチョイス、付け合わせは炭水化物ではなくサラダにしてみました。

Img_4333 Img_4334 Img_4335  魚もいいけど、やっぱりナミビアは肉の国だと実感しました。

| | コメント (0)

2024年12月14日 (土)

元禄赤穂事件の日

Chushingura_20201215114601  今日12月14日は元禄赤穂事件の大きな局面である、いわゆる赤穂浪士の討ち入りの日です。旧暦の元禄15年(1702年)12月14日(正確には12月15日未明),元播州赤穂藩家老大石内蔵助以下の旧赤穂藩士四十七人が,本所松坂町の吉良邸を襲撃,吉良上野介義央の首級を挙げた事件です。国内最後の大きな争乱となった島原の乱からすでに65年,太平にすっかりなれた元禄時代の人々に大きな衝撃を与えた一大武装闘争事件といえます。現在ではその前年3月に起こった江戸城松之大廊下で発生した刃傷事件と併せて赤穂事件(元禄赤穂事件)と呼ばれています。歌舞伎仮名手本忠臣蔵の題材になった事件であり,現在でも非常に有名です。かつてはNHKの大河ドラマ(H.11年の元禄繚乱,S.57年の峠の群像など)や民放の年末時代劇などでもしばしば取り上げられていた題材ですが、一方で謎の多い事件であるともいわれています。

 まず討ち入りの前提になった,前年元禄14年3月14日の江戸城松之大廊下での刃傷事件です。第一の謎はなぜ浅野内匠頭長矩があの日松之大廊下で刃傷に及んだか。一応,浅野が「この間の遺恨覚えたか!」と叫んで,吉良上野介に切りつけたことになっているので、それ以前に二人の間に何らかの禍根があったといわれているのですが,江戸城内で刃傷事件に起こすことがどれほど重大なことか,長矩が知らないはずはありません。特にこの日は幕府にとって極めて重要な朝廷からの勅使をもてなす儀式が行われていた日、しかも長矩はその勅使を供応する役だったからです。もしも本当に切りつけたいほどの遺恨があったとしても,もっと人がいない場所で狙うととか、違う日を選ぶなどのするのが自然です。にもかかわらず、最も重要な儀式が行われている最中に、その江戸城で事件を起こしたわけですから,浅野長矩は我を忘れるほど激昂していたと考えられます。これが仮に松之廊下で吉良と浅野が言い争いをしていて,興奮した浅野が切りつけたというならまだ話はわかるのですが、長矩は不意に吉良に切りつけています.つまりなぜ長矩が事件直前に我を忘れてしまうほど激高したのかが不明なのです(外で何かがあり,怒った浅野が吉良のもとに飛んでいって切りつけたわけでもありません).

 第二に動機です。巷では勅旨供応役を拝命した浅野が指南役だった吉良に賄賂を送らなかったために意地悪をされたとか,赤穂と吉良の塩をめぐる争いだとか言われていますがそれを示す一次資料は確認されていません。そもそも浅野長矩が勅使供応役を務めたのはこの時がはじめてでは無く、さかのぼること18年前の天和三年(1683年)にも同じ吉良義央の指南でこの役を無事に務めています。なので何も知らない長矩に吉良が意地悪をしたということは考えられないわけです。結局この刃傷事件は動機もはっきりせず,単に浅野長矩が錯乱して斬りつけただけだったという説もあります。

 とはいえこの刃傷事件の結果,赤穂浅野家は所領没収の上改易となり,藩士たちは路頭に迷うことになりました。江戸時代の大名家というのは今でいう企業のようなもで、改易になるということは会社が倒産することと一緒、従業員たる藩士は失業してしまうことになります。戦国の世で武士が戦で死ぬ時代なら、欠員を補充のために他の大名に仕官するのも比較的容易だったのですが、太平の江戸時代になると、失業した藩士の再就職は容易ではなかったのです。なので当時の武士は主君の命云々よりも、お家(大名家)の存続が大事でした。

 その後紆余曲折を経て,翌元禄15年12月14日の討ち入りに至りますが、ここにも謎があります。刃傷事件の後同年8月に吉良が突然幕府から屋敷の移転を命ぜられていることです。元々吉良邸は江戸城に近い呉服橋(JR東京駅付近)にありましたが、この命令で本所松坂町に転居することになったのです。ここはJR両国駅の近くで,今では都心の一部となっていますが、当時は江戸のはずれの雰囲気で,かなり寂しい所だったといわれています。直前に吉良義央は隠居しており,一般には隠居に伴う移転と考えられています。しかし当時は旧赤穂藩士の襲撃がウワサされており、結果的には幕府が討ち入りをさせるためにわざと転居させたのではないかとも取れるのです(郊外であれば他人の目にも触れにくい)。結局当日浪士たちは幕府の捕り方に誰何されることもなく,吉良邸討ち入りを行うことができました。

 ちなみに浅野=善玉,吉良=悪玉という構図は後の仮名手本忠臣蔵によって確立した虚構の概念であり、史実ではありません。これは「三国志演義」を読んでも歴史としての三国志を理解したことにはならないし、「燃えよ剣」から新選組の真の姿は見えてこないのと一緒です。実際には地元赤穂の領民の間での浅野家の評判は芳しくなく、逆に吉良上野介の領地での評判は良かったともいわれています。21世紀に入ってからメディアでも赤穂浪士を取り上げる頻度が激減しているのは、歴史上の人物をフィクションによる単純な善と悪という色分けで描くことに批判があるからとも思われます(実際に大河ドラマでこの事件が描かれたのは1999年の元禄繚乱が最後となっている)。現代では元禄赤穂事件という呼び方が定着したこの一連の騒動も、20世紀には歌舞伎の演題そのままに忠臣蔵と呼ばれていたものです。

 そんなことを考えた2024年12月14日でした。

| | コメント (0)

2024年12月11日 (水)

時計のバンド

 私が普段使いしている腕時計、ソーラー電池の電波時計という手入れ不要の優れもの、ものぐさな私にぴったりの一品です。ただ日本を離れているため電波での時刻修正は不可能なので、微妙なずれが生じてしまうのは仕方がありません(とはいえ帰国した際に電波を受信して合えばいい程度なので実質問題なし)。

 そんな腕時計、時計本体はいいのですが問題はバンドです。金属製バンドだと体質的に痒くなってしまうため、皮のバンドを使っているのですが、汗がしみこむせいか大体1年くらいでダメになり交換することになります。このブログの過去記事を見てもだいたい1年に1回交換していることがわかります。

Img_4331 Img_4332  が、今日ふと思ったんですが、ナミビアに来てから一度も交換していません(そもそも交換用バンドを持ってきていない)。そう思って改めて観察してみると、確かに表面は折れ曲がってへたれているのを感じますが、裏返してみると白いままです。日本にいた頃はだいた1年も経つと汗を吸って真っ黒に変色していたのですが、こちらでは少なくとも1年以上使っているのにほとんど変化が見られません。思うに日本は湿度が高く、常に手首が蒸れていたのに対し、こちらは非常に乾燥しているため蒸れる事が無いのだと思われます。改めて気候の違いに感動したのでした。

| | コメント (0)

2024年12月10日 (火)

ストレスチェック

 ストレスチェック制度というのは、近年精神的な負荷の増大から病気を発症し、労災認定されるケースが増加していることを受けて、平成27年から事業者に義務づけられた制度です。これによって企業は定期的に労働者のストレス状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげることによって、労働者がメンタルヘルス不調になることを未然に防止しようというものです。

 ストレスチェックのやり方は職場によって異なりますが、一般には外部の専門業者に依頼して行われます。私も労働者なので、毎年受検しているわけですが、過去には答案用紙みたいなものに鉛筆で記載して郵送し、後日結果が返ってくるというパターンがメインでした。ただ近年ではeラーニングみたいな感じでオンライン上で質問に答えていくと、その場で結果が表示される(それを自分でダウンロードする)ようなパターンが多くなりました。今の職場もそのオンライン形式行われ、期限が今月中ということでさっそくやってみました。。

 ストレスチェックは深く考えず直感的に答えた方が真実に近いものになります。問題は40問ほどありましたが、それほど時間はかからずに回答できました。で、結果ですが、

Photo_20240116161801  「あなたはストレスをあまりかかえておらず、またストレスの原因となる要素もあまりないようです」

 まあ、そうだろうなとは思いました(笑)。例年ストレスがないといわれるのがストレスだと公言してはばからない私ですが、アフリカ生活2年目に突入してもストレスとは無縁な状態に変わりはないようでした。ただ、今後状況が変わればどうなるのかは不明なので、気を付けていきたいとは思います。

| | コメント (0)

2024年12月 8日 (日)

お寿司がある店

 12月に入り当地では暑い日が続いています。この週末もいつものように外食に出かけました。行った先は時々繰り出しているステーキハウスの一角にある Donkiesbaai Seafood and Sushi というお店、ステーキハウスと同一経営のシーフードレストランです。名前にSushiと付いているようにSushiが食べられます。以前から興味があったんですが、ここに来るといつもステーキに走ってしまうため、今回初めての訪問となりました。

Img_4328  メニューはSushiの他にSashimiやTempura、Edamameなど居酒屋っぽいものが並んでいるほか、Beef Ramen や Spicy miso soup といった頼んでみたいような怖いようなものもあります。結局怖そうなメニューは注文しませんでした。市内には同様のお店として Daisho がありますが、あちらにはあるSakeがここには無いのがちょっと残念でした(結局ワインを注文した)。 

| | コメント (0)

2024年12月 6日 (金)

ラハイナ・ヌーン

 今日12月6日の当地はお昼に太陽が真上に来る日(ラハイナ・ヌーン)でした。ナミビアの首都ウィントフックは南緯22度33分と南回帰線よりも北に位置しています。このため年に2回この日が現れます(いつその日になるかは専ら緯度によって決まり、理論上赤道直下は春分と秋分、南北回帰線上は夏至の日のみ)。

 経度の関係で市内でこの現象がみられるのは(すなわち一日で太陽高度がもっとも高くなる時間)12時42分頃なので、その時間に合わせて外に出てみました。

Pxl_20241206_104212930 Pxl_20241206_103746114(左写真1)真上に来た太陽、(右同2)傘部分以外影のない電灯

 付近にあった電灯を見ると、たしかに傘の部分の影はあるものの、柱部分の影はありません。さらにタイルの隙間に鉛筆を立ててみたところ、見事に影がない写真が取れました! R・シュトラウスの歌劇に「影のない女」というのがありますが、今日の現象とは意味が異なるお話です(笑).

Pxl_20241206_104558954(写真3)影のない鉛筆

 ちなみにこのラハイナ・ヌーン、日本には北回帰線以南の領土は沖ノ鳥島しかないため事実上見ることのできない現象です。

| | コメント (0)

2024年12月 4日 (水)

コプト正教のクリスマスコンサート

Img_4325  昨夜は当地のエジプト大使館とコプト正教会主催によるクリスマスコンサートを鑑賞してきました。コプト正教会というのは5世紀のカルケドン公会議(いわゆる第4公会議)の際に分離した東方諸教会(非カルケドン教会とも呼ばれる)のひとつです。同じ時期に分離した教会としてアルメニア正教やシリア正教があります。コプト正教会は古代に五大総主教座とされたうちのひとつ、アレキサンドリア教会の流れをくむ非常に影響力の強い教会でした。5世紀以降エジプトを中心とした北アフリカ地域の重要な教会となりましたが、7世紀以降この地域がイスラム教に席捲された後も一定数の信者を維持しながら現在に至っています。これまでにこうした東方諸教会関係のコンサートに触れたことがなかったため楽しみにしていたのでした。

Img_4312 Img_4313  会場は市内中心部にある国立劇場、日本では国立劇場と言えば歌舞伎や文楽を上演する場所ですが、ナミビアの国立劇場はその名の通りの劇場です。今回初めて入ったのですが、建物の古さからかつての小田原市民会館を思い出しました。ロビーではエジプトのドリンクやフードのサービスがあります(たしかに開演6時なので夕食を食べてくる人は少ないだろうし、終わってからだと遅いしちょうどいいのかも)。ホール内は中央の指定席部分以外は自由席だったので、前の方に座りました。

Img_4319  開演は6時の予定でしたが、結局20分遅れくらいでスタートです。曲は西方教会の賛美歌もありましたが、曲調が中東風で歌詞はキリスト教という非常に興味深いコプト教の賛美歌も登場しました。一方でエジプト国民の歌も披露されました。こちらはやや政治的で、アラブ諸国の団結を願う歌詞の曲が目立ちました。とはいえ、こうした現代中東の政治的な雰囲気と、あくまでもイエス・キリストの隠喩とはいえ「イスラエルの王」という歌詞が登場する曲を同じ合唱団が歌うというのが感慨深いと感じました。

| | コメント (0)

2024年12月 1日 (日)

12月になりました

 気がつけば12月になっていました。師走という異名もあるように忙しく慌ただしい月というイメージがありますが、日本とは季節が逆になる当地にはあまりそういう雰囲気はなく、のんびりした日常が流れています。とはいえ時間が過ぎるのは早いもので、2024年もあと一月おしまいということになります。

 そんな月の変わり目の週末の外食です。今回は市内北部にあるイタリア料理店Francesco Restaurantに繰り出しました。過去に何回か来たことがあるお店でマダムが独特の店です。今回はスパークリングワインを飲みながら、マダムお勧めのメニューを中心にいただきました。本当にここのマダムお勧めは美味しいです。

Img_4308 Img_4307 Img_4309Img_4310 (左上写真1)トマトとモッツァレラチーズ、(右上同2)マグロのタルタル、(左下同3)シーフードパスタ、(右下同4)カレイの仲間

 満足の週末でした。

| | コメント (0)

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »