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2024年6月30日 (日)

週末の外食

 日本時代と違いあまりで歩く用事がないこちらでの生活ですが、たまの気晴らしもかねて毎週土曜日に外食に出かけるのが定番となっています。この週はSardinia Blue Oliveというイタリアンレストランに繰り出しました。ここはテラス席で夕陽を眺めながらのんびり寛げるお店です。ワインを飲みながら前菜、メインと料理をいただきました。

Img_2983 Img_2982(左写真1)牛肉のカルパッチョ、(右同2)ガーリック・スナイル

 この日の前菜に注文したのが牛肉のカルパッチョとガーリック・スナイルすなわちカタツムリ🐌です。日本でもサイゼリアなどでリーズナブルに食べられる食材ですが、基本貝好きの人間にとって貝料理の少ない当地では貴重なメニューといえます。美味しくいただきました。

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2024年6月24日 (月)

ポッキーの後発品

 先日ドイツに行った際、現地のアジア食材店で日本のお菓子であるポッキーを購入しました。ポッキーは江崎グリコが生産しているチョコレート菓子の一種で棒状のビスケットの7割ほどをチョコレートでコーティングしたお菓子です。1960年代にすでに発売されていた同社の「バタープリッツ」にチョコをコーティングしたものです。このタイプのお菓子の先駆けというべきもので、海外でも販売されているほか、その製品をまねたいわゆる後発品もたくさん存在します。

Img_0030(写真)左がStixels、右がポッキーです

 当地ナミビアにもそうしたポッキーの後発品とでもいえる商品が存在します。その名はStixelsといい、南アフリカ製のようです。ポッキーと同概念のお菓子ですが、食べてみると違いがあります。それはプリッツ部分、ポッキーのプリッツはサクサクしたビスケット風味ですが、Stixelsの方はいわゆるドイツ風プリッツェルでサクサク感がありません。この辺は好みの問題になると思いますが、ポッキーになじんだものにとってはやや物足りなさを感じるのでした。

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2024年6月21日 (金)

2024年夏至・冬至

 今日6月21日は日本を含めた北半球では夏至になりますが、こちらナミビアなどの南半球では冬至になります(当たり前ですが)。地軸は公転面に対して23.6度傾いており、これがために時期によって昼夜の長さに違いが出てくるのです。昼が一番長くなる日を夏至、その逆を冬至と呼びますが、6月20日ごろが北半球の夏至、12月20日ごろが冬至です。南半球では逆になるわけです。

 ひと口に日が長い短いといいますが,その様相は緯度によって大きく異なります.北半球の場合東南アジアやインド、アフリカサハラ砂漠などの低緯度地方では夏と冬の昼の長さはそれほど変わらないのに対して,北欧やアラスカといった高緯度地方ではその差が極端になります.試みに東南アジアのクアラルンプール(北緯3度)の夏至と冬至の昼の長さを調べてみると,夏至が12時間20分,冬至が11時間58分とその差は22分しかありません.一方で北欧のストックホルム(北緯59度)の夏至の昼は18時間43分,冬至のそれは6時間9分とその差はなんと!12時間以上となります.一方で南半球はそのそも高緯度地帯の陸地が、ほぼ南米のパタゴニア地方に限られるため、あまり意識されることがありません。ちなみに赤道上では一年を通して昼夜の長さが一緒ですが、この夏至・冬至の日に太陽高度がもっとも低くなります。

 昼が長く,しかも温かい夏至の時期は大勢の人間を混乱なく動かすには都合がいい時期でもあります。このため歴史的に大きな軍事作戦がこの時期に行われています。具体例を挙げると,古くは古代ローマ末期にアジアから西進してきたフン族と西ローマ・ゲルマン連合軍が戦ったカタラウヌムの戦いが451年の6月20日でした。また有名なナポレオンのロシア遠征が1812年6月23日,ワーテルローの戦いが1915年6月18日,第二次世界大戦の独ソ戦の開始であるバルバロッサ作戦が1941年6月22日,同大戦のソ連側の大規模な反撃であるバグラチオン作戦が1944年6月22日に開始されています.日本史方面を見ると本能寺の変が1582年6月21日(天正10年6月2日)のことですし,応仁の乱も本格的な戦いが始まったのは1467年(応仁元年)のこの時期です.

 ちなみに南半球ではどうなんだろうと思い調べてみました。南半球は北半球に比べて大きな戦争の記録が少ないのですが、それでも第一次ボーア戦争(南アフリカの支配権をめぐってボーア人(オランダ系の植民者)とイギリスが戦ったもの)が始まったのが1880年12月と南半球の夏至の時期に起こっています。

 そんなことを考えた2024年の夏至・冬至でした。

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2024年6月20日 (木)

ドイツ旅行⑥

 さて、6月10日ついにドイツ旅行最終日となりました。当初この日はエルベ川のクルーズ船に乗ろうかと計画していたのですが、前夜オペラの終演が結構遅く(夜10時過ぎ)、そのあとで夕食をのんびり摂ったことで就寝時間も日付を超えていたため朝はのんびりしたい気分になったことから取りやめて、旧市街散策と買い物に充てることにしました。

 遅めの朝食からホテルをチェックアウト、荷物はそのままフロントに預けてさっそく出かけます。この日も晴天で、結局今回の旅行中雨に祟られることはありませんでした(日頃の行いがよいからだとほくそ笑む)。まず向かったのは旧市街で今回まだ行っていないツヴィンガー宮殿です。ここは元々15世紀に当時のドレスデンの市域を拡張する際に作られた土地で、当初は庭園しかなかったところですが、18世紀のアウグスト強王の時代に宮殿が建てられたものです。現在建物内部は博物館になっており、アルテ・マイスター絵画館や数学・物理博物館などが入っています。ホテルから至近なので歩いて行ったのですが、有名な観光地なのに人がほとんどいません。なんでだろうと思って入ったら、

 なんと!月曜日は休館日でした(T_T)

Img_2914 Img_2924(左写真1)ツヴィンガー宮殿入り口、人がいません、(右同2)絶賛工事中

 仕方ないので庭園を眺めるかと思ったら、こちらの方も今絶賛工事中でした。こりゃ人がいないわけだと妙に納得した次第ですが、それでも城壁やなどの鑑賞ポイントをほとんど人がいない空間で堪能できました(地元の小学校の遠足っぽい子供たちはいた)。

Img_2929(写真3)噴水がきれいです

 そんなツヴィンガー宮殿を後にして次に向かったのが初日にも見学した聖母教会です。その日は外観と内部を見学しただけでしたが、実はここドームの上に登ることができるのです。通常の入り口とは違うところから入れるようになっていて、そこから登ります。通常入り口は無料ですが、こちらは入場料として10ユーロ必要です。日本の観光地の感覚だと1000円以上も払うならドームの上までエレベーターか何かで連れて行ってくれそうですが、ドイツはそんなに甘くありません(笑)。階段とスロープをひたすら自分の足で登ります。さすがに日本の城郭のような急階段ではありませんが、日頃の運動不足がたたり結構大変でした。とはいえドームの上からの眺めは素晴らしいの一言です。ドレスデンの旧市街は教会以外に高い建物がないため、市街地を一望できます。先ほど行ったツヴィンガー宮殿やエルベ川、さらには郊外の火力発電所までよく見えました。

Img_2947 Img_2949 Img_2953 Img_2956(左上写真4)聖母教会のドームに登ります、(右上同5)上から見たエルベ川、(左下同6)旧市街、(右下同7)奥に火力発電所が見えます

 ドールを降りた後は昼食タイム、この日は昨夜宿泊ホテル内のレストランで軽食(とアルコール)を頂きます。そして午後は買い物メイン、市内のアジア食材店に行きウィントフックでは入手困難な食材、さらには職場へのお土産のために当地老舗のカフェでバウムクーヘンを購入したりして過ごしました。

 夕方になりそろそろ空港に向かう時間、当初はトラムと電車を乗り継いでいくつもりでしたが、結構くたびれていたためタクシーを呼んでもらうことにしました。さすがタクシーだとあっという間で空港に着いたときはまだ搭乗手続きが始まっていませんでした(笑)。

 しばし待ってほぼ一番乗りで手続き、搭乗券を受け取ります。ここではドレスデンからフランクフルトまでとフランクフルトからウィントフックまでの2枚の券を渡されました。

 が… よく見るとフランクフルト発の搭乗時刻が明朝になっています。どうやら恒例の遅延が確定した模様、「はぁ~」となる瞬間でした。ウソであってほしいと願いましたが、フランクフルトに到着して案内板をみるとやっぱり遅延です。そのまま航空会社のカウンターに向かい、ホテルのクーポンを貰ってこの日も宿泊となったのでした。昨年11月の遅延の際は空港からすぐそばのホテルでしたが、この日は格安航空券だからなのか、結構遠いホテルでした(しかもレストランも無い 泣)。付近に店もないのでこの日は荷物内にあったスナックを食べてさっさと寝ることにしたのでした(翌朝は早いし)。

Img_2972 Img_2973(左写真8)遅延確定、(右同9)フランクフルト空港

 かくして6月11日早朝にフランクフルトを出発、同日夕方にウィントフックに戻ったのでした。遅延については通常なら夜行便でエコノミークラスの狭い座席で眠らなければならなかったところをホテルに宿泊、昼行便になったため無理に寝なくてよくなったのでラッキー!と思うことにしました(思考がポジティブなのは自分の長所)。こうして2024年の海外旅行が終わりましたとさ。

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2024年6月19日 (水)

ドイツ旅行⑤

 今回の旅行のメインイベントのひとつが終わり、6月9日になりました。ドイツ旅行もあと少しでおしまいです(泣)。この日の午前中は引き続きライプツィヒを観光し、午後から再びドレスデンに移動、ゼンパーオーパー(ドレスデン国立歌劇場)で夜に開催されるモーツァルトの魔笛を鑑賞する流れとなります。

Img_2892(写真1)バッハ博物館

 朝食後ホテルをチェックアウト、荷物は引き続き預かってもらい観光に繰り出します。まず向かう先はトーマス教会となりにあるバッハ博物館、ここは絶対に外せないポイントです。昨日のメンデルスゾーン博物館ですら2時間くらい軽く費やしたので、バッハとくればその気になれば一日過ごせそうな気がします。黄色い外観がなんとなくザルツブルクのモーツァルトの生家に似てるなと感じました。この建物は当時バッハと親交の深かった商人ボーゼの家だったそうです。入り口でチケットを購入して早速見学開始、順路に沿って進んでいきます。最初はバッハ一族の家系図から始まり、バッハが実際に弾いたとされるオルガンや当時の楽器などが展示されています(楽器は手前のスイッチを押すとその音が聞けるようになっている)。その後はバッハ作品の鑑賞コーナー、オルガン作品やカンタータなどたくさんの曲が聴けるようになっています。ここだけでも一日費やせること請け合いですが、さすがにそこまではできないのでロ短調ミサ曲のOsannaの原曲である世俗カンタータ「祝されしザクセン」BWV215をじっくり鑑賞しました。順路に従って進んでいくと最後に到着するのがバッハの自筆譜などが展示された部屋となります。さすがに自筆譜を見ると感動します。結局お昼まで博物館を堪能したのでした。

Img_2903 Img_2902(左写真2)マルクト広場、(右同3)特設ステージ

 その後はマルクト広場に移動、ここで日本から合唱団で参加している大学時代の友人と待ち合わせて昼食となりました(広場には特設ステージが用意されていて、この時午後に演奏するらしい団体が練習していた)。ビールとドイツ風の食事で旧交を温めたのでした。

 その後は一旦ホテルに戻って荷物を引き出し、中央駅に向かいます。この後の特急列車でドレスデンに向かいます。この時先にランチをした友人も一緒だったんですが、駅に改札が無いことに驚いていました(ドイツやオーストリアの鉄道には基本改札は無い)。まもなく電車がやって来て載り乗り込んだんですが、なんと遅延が発生しているとのこと。今更仕方ないので車内で待つことにします。結局1時間ほど遅れて電車は出発しました。

Img_2906 Img_2907(左写真4)ライプツィヒ中央駅、(右同5)特急車内

 ドイツ国鉄の誇る国際特急といえば時速300キロで走ることで有名ですが、ライプツィヒードレスデンは路線的には末端部分に当たるためか、そんなスピードは出ずせいぜい130キロくらい、日本で言えば山形新幹線みたいなイメージです。電車はのどかな田園地帯をひた走りました。途中の停車駅は1カ所のみなので約1時間でドレスデンに到着です(この日は日曜日なので中央駅までは行かず、その手前の新市街駅が終点でした(私は密かに新ドレスデン駅と呼んでいます)。下車して構内を歩いていたら盛岡の合唱団の代表ご家族と遭遇、こちらは日中の演奏会を鑑賞して今ライプツィヒに戻るところらしかったです。偶然に驚きながらも我々はトラムで旧市街に向かいます(乗り換え無しで行けるのが嬉しい)。下車後は友人と別れてこの日宿泊のヒルトンホテルに入ります。今回に限らず旅行最後に一番いいホテルに泊まるパターンが多い気がするんですが、今回は終演が遅いため、劇場に近いホテルを探したところここになったというのが正解です。

Pxl_20240609_163006000(写真6)歌劇場前

 準備をしていよいよゼンパーオーパーに向かいます(ウチのKは気合いを入れて和装していた)。行ってみるとすでに開場していて多くのお客さんが来ています。見るとやっぱり着飾った人が多い印象でした。内部は壁や天井にも様々な装飾が施されていて見事です。お上りさん状態であちこちを見渡していると首が痛くなりそうでした(笑)。

Pxl_20240609_182940284 Pxl_20240609_165432318(写真7,8)劇場内

 そして午後7時に開演、あの有名な序曲が始まります。「ジャッジャーン♪、ジャッジャーン♪」、生オペラは昨年4月の新国立の「アイーダ」以来、こうした芸術とは無縁な生活をしているだけに感動もひとしおでした。ついでに思ったのがこの劇場、オケピットが浅くて指揮者の上半身がほぼ見えていること、ここで初期作品を初演したワーグナーが後にオケピットが完全に隠れるバイロイト祝祭劇場を造らせたのは案外ここら辺にも理由があったりしてと思ったのでした。

Pxl_20240609_200529711(写真9)ライトアップされたゼンパーオーパー

 終演後は劇場向かいにあるレストランで遅い夕食です(幕間に軽食を摂ってはいましたが)。メニューに生牡蠣を見つけて普段ナミビアで散々食ってるくせに注文してしまったというのは内緒です。それにしてもオペラって最高だなと再確認した夜でした。

Pxl_20240609_204205635 Pxl_20240609_204220195(写真10、11)この日の夕食

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2024年6月18日 (火)

ドイツ旅行④

 明けて6月8日、ライプツィヒ2日目となりました。この日はお昼12時から盛岡バッハ・カンタータ・フェラインを中心とする日本の仲間たちが出演する演奏会があります。それまでは自由と言うことで、午前中は市内観光に出かけることにします。ライプツィヒといえばバッハの存在感が絶大なんですが、それ以外にもワーグナーやメンデルスゾーン、シューマンなんかの関連施設もあります。この日は演奏会の会場(ライプツィヒ大学教会)にほど近い、メンデルスゾーン博物館に出かけました。

Img_2845 Img_2855(左写真1)メンデルスゾーン博物館、(右同2)メンデルスゾーンのパネル(たぶん等身大)

 ここはメンデルスゾーンが晩年を過ごした家、とはいっても彼は38歳で亡くなっているため、30代後半を過ごした家となっています。行ってみるとなんかこじんまりとした施設で、これなら1時間くらいで見学できるかななどと考えながら中に入ります。内部はメンデルスゾーンの生涯などいろいろな展示物がありましたが、例によって日本語のオーディオガイドもあってこれは案外時間がかかるかもと思いました。いろいろと見応えがありましたが、中でも面白いのが自分で指揮棒を振って音楽を奏でるコーナー、指揮台と面するようにスーピーカーが10台くらいあって、自分の指揮に併せてテンポ等が変わります。スピーカーは曲によって楽器になったり声楽になったりするようです。この日はウチのKがメンデルスゾーンの宗教曲に挑戦していました。

Img_2850 Img_2848(左写真3)当時コンサートが開かれたサロン、(右同4)指揮して遊べるコーナー(笑)

 そんな感じで意外と見学に時間がかかり(笑)、コンサートの時間が迫ってきました。そろそろ会場に移動します。今回のコンサートが行われるのはライプツィヒ大学教会です。ここは1240年創立で、15世紀にライプツィヒ大学が設立されるとその一部となった由緒ある教会です。第二次世界大戦後旧東ドイツ時代に政治的な理由で解体されてしまいましたが、ドイツ統一後再建されたものです。訪問時まだ外観の工事が行われていましたが、内部は完成しており洗練された白い礼拝堂はとても美しいものでした。

Img_2859(写真5)外観は工事中の大学教会

 中に入ると客席は満員の盛況、ここもトーマス教会同様演奏者は基本、客席からは見えない構造になっています。時間になり演奏が始まりました。演奏曲目はカンタータ10番、177番、93番の3曲、指揮はクレメンス・フレーミヒ(私の世代には著名なマルティン・フレーミヒの孫らしい)、オケはパウリナー・バロック・アンサンブル(ここ大学教会をメインに活動しているオケらしい)、そして合唱団が盛岡バッハ・カンタータ・フェラインです(実際には仙台、山形、東京からの参加者もいるので東日本と紹介されていた)。開始と同時に優しい演奏が始まり、「ああ、これだ」と懐かしい気持ちになります。本当に素晴らしい演奏で終演後は客席みんな総立ちで演奏者を称えていました(客席からはほぼ見えないのですが)。

Img_2861 Img_2868(左写真6)会場に入ります、(右同7)大学教会内部

 終演後は合唱団の解団式があって、一応ゆかりの人間として参加させていただきました。見るとみんなおそろいのTシャツを着ています。聞くとこれが今回の公式Tシャツとのことでした。ブッフェスタイルの食事とビールを飲みながら懐かしいメンバーと交流を持つことができ嬉しい瞬間でした。

Img_2887(写真8)夕食のラーメン

 解団式後は周辺を散策しつつホテルに戻り、その後夕食に繰り出したのでした(この日は中央駅近くのTAKUMIというラーメン屋さん、ドイツまで来ないとラーメンが食べられない人間はやはりこうなります)。

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2024年6月16日 (日)

日本酒の補充

 ドイツ旅行記執筆の途中ですが、今回は関連した別な話題です。

 今回ドイツ旅行に繰り出した最大の目的は日本の仲間が出演するコンサートの鑑賞含めた音楽イベントだったわけですが、もう一つ別な目的がありました。それはナミビアでは入手困難な日本食材の調達です。以前も話題に出しましたがナミビアはアフリカの中では比較的食材には恵まれています。日本関係でも醤油やマヨネーズ、ミツカン味ぽんなどは入手できます。ただ圧倒的に入手困難なものが多いのは事実なので、その辺を調達したかったわけです(昨年秋にパリ出張の際もそうだった)。今回もブルドック中濃ソーズや桃屋のラー油等を買ってきたのですが、そのほかに重要なのが日本酒です。他の食材は最悪輸送もできるのですが、お酒だけは自分で持ち込むほか手段がないのです。というわけで今回は日本からやってくる友人にお願いして持ってきてもらいました。

448173721_7656598681104097_3846370393626  どれも美味しそうなものばかり、いつ開けるか今から楽しみなのでした。

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2024年6月15日 (土)

ドイツ旅行③

 一夜明け6月7日になりました。この日は基本的にドレスデンからライプツィヒに移動する日程になります。朝起きて朝食を食べてから荷物をまとめてチェックアウト、そのまま中央駅やや西側にあるBusparkplatz Ammonstraßeという場所に向かいます。ここはBusparkと付くようにバスターミナルのようなところです。そう、この日の移動は高速バスなのでした。ただ日本のバスターミナルと違ってコンビニなどの入った建物や掲示板などは全くなく、放送も無いので自分が乗るバスは自分で探さなければなりません。バスがやってくるたびに番号を確認するのですが、うっかり間違えるととんでもないところに連れて行かれる可能性があるので注意が必要です。それでも大体時間通りに我々の乗る番号が掲示されたバスがやってきて無事に乗り込んだのでした。

Img_2798(写真1)ドレスデンのバスターミナル

 係員が車内確認(おそらく予定された人間が乗っているか)の後出発、しばらく市街地を走った後高速道路に入ります。ドイツの高速道路と言えば、アウトバーンの名前と共に法定最高速度が無いことで知られています(実際には制限速度が設けられている区間もあるらしい)。片側2~3車線の快適な道路をバスは快調に飛ばしていきます…

Img_2801(写真2)渋滞…

 が、ライプツィヒまで3分の1ほど行った先で急に渋滞が発生してしまいました(泣)。Googleマップで調べると、この先10キロくらい渋滞しています。その先はスムーズなようなのでおそらくは事故渋滞なんだろうと想像しました。当初1時間半で着くはずでしたが、この渋滞で結局3時間近くかかってしまい、ライプツィヒ中央駅に着いたのはお昼過ぎでした。

 駅前のバス停からこの日宿泊のホテルに向かいます。今回はなるべく中央駅に近い場所をというわけで、駅西口目の前にあるBest Westernという中級ホテルになりました。まだチェックインには早いかなと思ったのですが、もう部屋を使っていいということで中に入ります。荷物を置いて少し休んだ後は昼食を兼ねて中央駅に繰り出しました。ライプツィヒ中央駅はホームが10以上あるドイツ有数のターミナル駅です。1990年代のドイツ統一後再開発が進み、今は駅構内にたくさんの店舗が入ったショッピングエリアにもなっています。当然レストランもたくさんあって悩むんですが、結局イタリアンの店になりました(パスタとワインをいただいた)。食事後も駅構内を散策したんですが、あちこちにバッハの愉快な像が建っています。さすがバッハ音楽祭と感心したのでした。

Img_2810 Img_2805(写真3,4)愉快なバッハ像

 その後は一旦ホテルに戻ったあと、トラム(路面電車)を利用してトーマス教会へ、バッハ音楽祭はこの日が開幕で我々はオープニングコンサートのチケットを取っていたからです。トーマス教会はバッハが人世の後半を過ごした教会で、今に残る著名な教会音楽作品の多くがこのライプツィヒ時代に作曲されました。まさにバッハの聖地という感じで、普段から大勢の観光客がやってくるんですが、この日は音楽祭ということでいつも以上に賑わっていました。

Img_2829(写真5)トーマス教会

 開演30分くらい前に教会に入場、ここにはかつて2013年に演奏旅行で来たことがあります。普通のコンサートだと入り口の奥にステージが設けられてそこで演奏というパターンが多いんですが、トーマス教会は聖歌隊や器楽の席は上の階に設置され、地上階の聴衆からはその姿が見えないという特徴があります。これによって独特の響きができあがることになります。

Img_2819 Img_2822(左写真6)チケット、(右同7)教会内部

 時間になってコンサートの開始、この日のプログラムは前半はバッハのオルガン作品や独唱カンタータ、後半はベルクのヴァイオリン協奏曲とメンデルスゾーンの詩篇42編(ラテン語だとSicut cervus desiderat)が演奏されました。バッハ音楽祭のオープニングにメンデルスゾーン?という向きもあるかもしれませんが、メンデルスゾーンはバッハを再発見した人物であるのに加え、バッハの教会音楽に大きな影響を受けた作曲家なのです。途中休憩も無くコンサートは終了、ナミビアに移ってからこういうイベントとは無縁の生活を送っていただけに感慨もひとしおでした。

 終演後はまだ外が明るかったこともあり徒歩でホテルに移動、一休みした後夕食に繰り出したのでした。

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2024年6月13日 (木)

ドイツ旅行②

 LCCの狭い機内でなんとか頑張って眠り、6月6日朝無事にフランクフルトの空港に着陸しました。やや眠い目をこすりながらターミナル内に入ります。まずは近くの電光板で乗り継ぎ便のチェックをします。ドレスデン行きの便は時間変更も無く予定通りのようでした。今回の旅行の目的地はドイツなので、そのまま入国審査に向かいます。特に問題は無く通過し、そのまま乗り継ぎ便のターミナルへ。乗り継ぎ時間は約2時間なのでラウンジ利用も無くそのままゲートに向かいます。ここで待っていたら係員がやって来て、キャリーケース持参の乗客になにやら説明しています。どうやら飛行機が小さくてキャリーケースは座席の収納スペースに入れられないこと。貨物室に預かるのでこのタグを付けてくれということのようです。幸い我々は普通のバックパックなので大丈夫でしたが、確かに乗り継ぎ便のパターンによってはありうる話だと思ったのでした(日本でも離島便とかはそんな感じ)。

Img_2723(写真1)ドレスデン行きの飛行機

 さて時間になり搭乗が始まりますが、この便はボーディングブリッジではなくバスで駐機場まで連れて行かれるパターンでした。向かった先には予想通り小さい飛行機が停まっています(1列4人シート)。そういえば今回の旅行では預けられるスーツケースが1人1個でした。3月に日本に帰った際は1人2個だったのでこの違いはなんだろうと思ってたのですが、思うに飛行機の小ささに関係するようです。

Img_2726(写真2)ドイツの森

 全員乗り込んだところで機体は動き始めやがて離陸します。ドレスデンまでは約1時間のフライトです。窓から外を見ると青々とした緑の大地が広がっています。普段赤茶けたナミビアの地を見慣れているものにとっては感慨深いものがありました。短い国内線ということで食事の提供は無く、飲み物も小型のミネラルウォーターのみ、あっという間にドレスデン空港に着陸の時間となりました。

 ドレスデン空港は非常にこじんまりとした空港です。飛行機の発着も少なそうで、この時間帯他の便の姿は見えませんでした。ここもボーディングブリッジではなくバスでターミナルに向かう流れです。あまり人気の無いターミナル内を歩き荷物を受け取るターンテーブルに着きます。幸いロストバゲージになることも無く荷物と合流、そのまま階下に降りて電車のホームに出ました。ドレスデン空港から市内へは電車が便利だからです。とはいえ空港の閑散具合~想像できるように、電車も30~60分に1本なので下手すれば1時間近く待たされることもあります。ただこの日はすぐに電車が来たためほとんど待つこと無く乗ることができました(ドイツの電車は改札がないためぼーっとしていると無賃乗車をしてしまう危険がある。乗車前にホームにある自販機で切符を購入し、時刻を刻印しなければならない)。

 空港から市内へは20分ほどです。途中でエルベ川を渡るところがあって畔の教会なんかがバーンと見える箇所があり感動しました(パリ地下鉄6号線のセーヌ川を渡ってエッフェル塔がバーンと見える場所と同じ種類の感動)。ドレスデン中央駅に着いた後はまずこの日宿泊のホテルに向かいます。荷物だけ預ける予定だったんですが、もう部屋を使っても良いとのことで部屋に入ります。荷物を置いた後しばし寛ぐことができました。

 この段階でほぼお昼だったので、まずは昼食です。この日はホテル目の前にあるラーメン屋さん"Ramen 1974"というお店に入りました(1974年創業なんだろうか)。ドイツまで来てラーメン?と思われる向きもあるかもしれませんが、ドイツまで来ないとラーメンが食べられない環境に我々は住んでいるわけです。味噌ラーメンと餃子、そしてサッポロビールを注文しました(即席麺以外のラーメンは2ヶ月ぶり)。

Img_2734 Img_2730(左写真3)味噌ラーメン、(右同4)メニュー

 食事後は市電に乗って旧市街の中心に繰り出します。まず向かうのはエルベ川畔に建つドレスデン城。ドイツは正式名称がドイツ連邦共和国というように、その成り立ちから多くの国の連合体と呼べる国家で、今で言う地方分権の国です(その逆にフランスは中央政府が圧倒的に強い)。ここドレスデンは元々ザクセン王国の首都として栄えた町になります。そんなドレスデンの中心ともいえるのがドレスデン城なわけですが、特にここの地上階にある「緑の丸天井」と呼ばれるスポットは18世紀初頭にこの地を治めたアウグスト強王の時代に収集された数多くの宝物が展示されている場所として知られます。過去に盗難事件などもあったことから極めて厳重に管理されており、見学は時間予約制、荷物の持ち込みは禁止され内部には常に多数の係員が立っています。この日は13時30分に予約をしていたため、まずはここから見学します。入り口に日本語のオーディオガイドもあって、それを聴きながらの見学です。ガイドを利用した見学は見所を余すこと無く見学できるのがメリットですが、一方で時間がかかる欠点があり、当初ドレスデン城全体で1時間半程度の見学を予定していたんですが、この緑の丸天井だけで2時間以上かかってしまいました(笑)。

Img_2736 Img_2743(左写真5)ドレスデン城、(右同6)ゼンパーオーパー

 予想外に時間がかかったことから、ドレスデン城1階の新丸天井部分以降は駆け足の見学となり外に出ました。そこから目の前にそびえ立つのがドレスデン国立歌劇場、ここは19世紀半ばに建てられた歌劇場で、あのR. ワーグナーが指揮者を務めたこともあるところです。設計者の名前からゼンパー・オーパーとも呼ばれます。ワーグナーの初期作品である「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」、R. シュトラウスの「ばらの騎士」が初演された劇場でもあります。建築作品としても非常に優れたもので、オペラ上演の無い日でも見学ツアーが開催される場所ですが、3日後にオペラ鑑賞で訪問する予定なのでこの日は外観だけとしました。

Img_2748(写真7)君主の行進

 その後はドレスデン城の外縁に沿って北東へ、途中にはカトリック教会があります。ドレスデンは歴史的には新教が盛んな都市ですがカトリックの教会も存在します。そこから少し行った壁には軍団の行進が描かれた壁画があります。俗に「君主の行列」と呼ばれる壁画ですが、これ壁に直接絵が描かれているわけではなく、実は無数の陶器絵なのです。アウグスト強王はそれまで中国や日本の特産品だった磁器の国産化(マイセン)を図った国王でもあります。

Img_2757 Img_2751(左写真8)カトリック教会、(右同9)内部

 君主の行進のはす向かいにあるヒルトンホテルを左手に進むとまもなく見えてくるのが聖母教会です。こちらはプロテスタントの教会ですが、実はある意味ドレスデンを象徴する施設です。この教会もアウグスト強王の時代に作られたのですが、第二次世界大戦末期の連合軍によるドレスデン大空襲で崩壊、瓦礫の山になってしまいました。戦後は戦争の惨禍を象徴するものとして存在していましたが、1980年代から再建の動きが始まり、東西ドイツの統一後その動きは加速し2005年に完成しました。再建に当たっては瓦礫と化したかつての石材を丁寧に解析し積み上げられました(この辺にドイツ人の気合いを感じる)。そんな聖母教会はかつて瓦礫の山だったことが想像できないほど美し姿を見せています(石の色彩が場所によって違うところから再建の様子がうかがえる)。

Img_2775 Img_2782(左写真10)聖母教会、(右同11)内部

 その後エルベ川周辺を散策していたら、なんか見たことある人たちを発見、なんと日本時代の合唱仲間でした! まさにエルベ川の奇跡、彼らもこの日到着して市内観光をしていたのです。なんか凄い偶然だなと思ったのでした。

Img_2755 Img_2765(左写真12)エルベ川、(右同13)ネタスポット発見!

 散策を終えてホテルに戻ります。この日の夕食は駅前にある(Googleによると)ドイツ料理を標榜するSchwerelos – Das Achterbahn-Restaurantという長い名前のレストランへ。ただこのお店、注文した料理がUFOのような円盤に乗ってレーンを走って運ばれてくるスタイルで、ドイツ料理店というよりもエンターテイメント性が高いファミレスという感じでした。

 こうして6月6日ドイツ最初の日が暮れたのです。

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2024年6月12日 (水)

ドイツ旅行①

 久しぶりの更新です。6月になりましたが、この上旬は2024年の我が家でも上位に来るだろうイベントがありました。それがドイツ旅行です。 とはいえこの旅行、なんとなく思いついたものでは無く以前から計画されていたものでした。

 我々は日本にいた頃の活動の柱の一つが合唱だったわけですが、特に岩手在住時代に所属しお世話になっていたのが盛岡バッハ・カンタータ・フェラインです。この合唱団はその名の通り、バッハの教会音楽をメインに活動しているわけですが、そうした長年の活動が評価され、2020年ライプツィヒで開催されるバッハ音楽祭に出演団体として招聘されたのです。この話が出たのが前年2019年頃のことで、当時私はもちろん小田原在住だったわけですが、盛岡の合唱団にも籍があった関係で、「これはなんとしても行くしかない!」と決意していたものです。

 しかしながら2020年初頭から始まったコロナ禍のためにこの年のバッハ音楽祭は中止、プログラム全体が2022年に延期されたものの、コロナ禍は収まらずこの年も中止、それでもようやく2024年に設定されることになったのでした。日本も2023年5月からコロナが5類移行になり、合唱団の練習も再開されていたため、3度目にしてようやく実現の運びとなったものです。

 が、しか~し、自分はといえば2023年夏からナミビアに転居しています。当然日本での練習に参加できるはずもなく、せっかくの機会でありながら見送るしかありません。が、日本にいる友人が「演奏会に乗ることはできなくとも、観客で来るのはありじゃない」と言うではありませんか。たしかに6月のドイツは季候も良く、観光には良い季節です。これは行く価値があるなと思い、旅行を計画することにしたのでした。これが2023年12月のことで、善は急げと航空券やホテルの手配を開始、結果2024年6月5日ウィントフック発、6月11日帰着という日程に決まったのでした。日程は合唱団の演奏会に合わせたのはもちろん、前後で航空券が一番安かった日程としました。バッハ音楽祭の会場はライプツィヒですが、今回はせっかくなのでドレスデンも観光したいと考え、航空券はウィントフック→フランクフルト乗り換え→ドレスデン往復としました(実はライプツィヒ往復よりもドレスデンの方が安かった)。

 そうこうしているうちに年が明け、春の帰国や5月のリューデリッツ・エビ祭りを経て6月を迎えました。演奏会がらみとはいえ結局は観光旅行なので準備は直前となり、いよいよ出発の日になりました。

 ドイツのフランクフルトはナミビアから直行便が出ている唯一のヨーロッパの都市です。それだけ利便性が高いのですが、出発は夜なのでこの日は夕方にタクシーで空港に向かいます(先進国なら普通にある市内と空港を結ぶ電車やバスは存在しない)。出発の2時間半くらい前に空港に着きましたが、まだ人が並んでいない時間帯だったせいかチェックインはスムーズ、特にすることも無いためさっさとセキュリティを抜けて出発ロビーに出ます。その後はラウンジでまったり、今ここにいる人たちはみな同じ目的地なので(国際空港と言っても日に何本かしか飛行機が無いため)、周囲が動き出すまでのんびりできるのがいいところです。

Img_2719 ワインを飲みながら寛いでいたら周囲が動き始めたため我々もラウンジを出ます。搭乗ゲートに行くとグループの早い人たちの搭乗が始まっていました。ウィントフックの空港の搭乗はボーディングブリッジでもバスで移動でもなく、徒歩で駐機場まで行くスタイルです。だだっ広い空間に夕日に輝く旅客機の姿は毎回いいものがあります。

Img_2720 全員乗り込んだところで機体が動き始めます(滑走路自体は全く混んでいないため、全員乗り込めば定刻で無くても動き出す)。そのまま待つことも無く離陸、そのまま真北に向かって飛んでいきます。通常の国際便なら安定飛行に入ってシートベルト着用サインが消えた瞬間に渡航先の時間に合わせるのですが、この時期ナミビアとドイツに時差は無いためそれも不要です(時差が無いため時差ぼけも無いのがありがたいところ)。安定飛行になると飲み物が配られますが、この路線はルフトハンザの子会社のLCCのため、エコノミークラスの場合国際線でもアルコールは有料です。とはいえ欲望には勝てず購入してしまいました(笑)。

 その後機内食が配られるとすでに外は真っ暗、先述のようにこの時期ナミビアとドイツの間には時差が無いため、機内で夜を過ごすことになります。ここで寝ないと向こうに着いてから寝不足に悩まされるため、さっさと寝ることにしたのでした(とは言ってもエコノミークラスなので自ずと限界があるが)。

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2024年6月 3日 (月)

冬の到来

 気がつけば6月です。日本など北半球では夏至の最も日が長い時期でこれから夏を迎えるわけですが、こちら南半球は真逆で一年で一番日が短い冬至の季節になります(北半球だと12月のイメージ)。ナミビアのウィントフックは緯度は南回帰線よりも北にありますが、標高が1600メートルと上高地や尾瀬沼レベルの高地にあるのと大西洋岸を強い寒流が流れている影響とで非常に冷涼な気候です。「アフリカ=暑い」というステレオタイプを抱いていると大変なことになります。

 で、そんな当地ですが2週間前あたりから徐々に気温が下がってきていることを自覚、冬が近いなというわけで新たに毛布を購入したりと準備していたんですが、ここ数日一気に低下、今朝とうとう最低気温がマイナスになったようです。

Img_0026_20240605141501  こちらの住居は日本に比べて天井が高く、暖房の利きがイマイチです。非常に寒い朝でした。

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