平泉を歩く
休暇の第2クールは主に盛岡の実家で過ごしています。岩手時代にお世話になった合唱団(盛岡バッハ・カンタータ・フェライン)の練習にお邪魔したり、ウィントフックに戻る際に持って行きたい物品の購入をしたりしながら過ごしています。とはいえ岩手でぼーっとしているのもつまらないので日帰りで出かけることにしました。
行き先は平泉です。奥州藤原氏の本拠地として歴史上有名なところです。私も小中学校時代は遠足やフィールドワークで出かけたことがありますが、その後は”近くにいると行かない”の法則に嵌まったのか、まったく行く機会が無いまま云十年経ったという次第です。日本にいた頃は休みは貴重なので、できるだけ普段とは縁遠い遠方ばかりに出かけていたというのも理由です。ただ今回はまとまった休み、しかも実家滞在ということで行ってみようという気分になったのでした。
家から平泉までは90キロくらいあるんですが幸い高速道路が通っているためそれほど時間はかかりません(途中制限速度120キロの区間もある)。インターを出てまずは中尊寺を目指します。平安時代前期に円仁が開山した天台宗の寺院ですが、今に残る姿にしたのは奥州藤原氏初代の清衡です。年度末の平日ということもあるのか駐車場は空いていました。ここから境内に入っていきます。大昔に訪問した際の印象では境内に入るとすぐに金色堂があったような気がしたのですが、実際には金色堂に至るまでに多くの寺院等があり、しかも結構な登り坂が続く構内でした。昔過ぎて記憶が飛んでいるのと、当時は元気で体力もあったので坂道で苦労した記憶が無いせいかもしれません。
そんな坂道を上った先にようやく金色堂が登場します。とはいえ目の前に見えるのは覆堂で金色堂はその中、さらにガラスケースに守られた中にあります(これは昔からそう)。金色に輝くお堂に加え周囲の装飾が素晴らしく、当時の平泉が京都や鎌倉と対等に渡り合えるだけの勢力だったことを感じます。ただ本来中央の段に並んでいるはずの仏像がありませんでした。これはこの時東京の国立博物館で「中尊寺金色堂」特別展が開催されているため、仏像一式そちらに貸し出されているからでした(まあそれはそれで貴重な経験)。見学後昼食を摂り周辺にある旧覆堂や能楽殿などを見学したのち駐車場に戻りました。
(左上写真4)今年は金色堂建立900年とのこと、(右上同5)金色堂の覆堂、(左下同6)旧覆堂、(右下同7)能楽殿
続いては毛越寺に向かいます。ここも中尊寺と同じく平安初期に円仁によって開山された寺院ですが、その後長らく荒廃していたものを再建したのが奥州藤原氏二代目の基衡でした。ただその後の火災や戦国時代の兵火によって再び荒廃し、江戸時代にはほとんど何もない状態になってしまいました。明治以降発掘調査が行われた結果、基衡時代の遺構がよく遺っていることがわかり、学術的な考証の上に本堂などが再建され、中央の大泉が池などとともに往年の趣を感じさせる景観となっています(本堂の再建が平成元年なので私が昔来た頃には存在しなかった)。
この日はあいにくの天気だったのですが、こうして云十年ぶりに地元の名勝(世界遺産でもある)を訪問出来てよかったなと思ったのでした。
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