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2024年3月31日 (日)

再び東京へ

 休暇第2クール(第2クォーター)は実家で過ごしていたのですが、週末の3月30日は再び東京に出ました。目的は合唱団のはしごです(笑)。お昼に東京駅に到着、この日は八重洲口近くのホテルだったので、まずは荷物を預けそのまま昼食のために歩いて銀座に向かいます。最初行きたかったイタリアンレストラン”スケベニンゲン”が残念ながら臨時休業だったので、予定を変更して東銀座の”俺のフレンチ・イタリアン”に行きました。メニューを見ると牡蠣がお勧めとあります。ナミビアでいつも生牡蠣を食べているので、日本では牡蠣は食べないだろうと思っていたんですが、お勧めとあれば食べるしかないと注文します。メインはこちらもお勧めの渡り蟹のトマトクリームパスタ、スパークリングワインも注文したのは言うまでもありません(笑)。どちらも美味しかったです。

Img_1555 Img_1557  食事後は地下鉄で蔵前へ、14時からここで東京マドリガル会の例会に参加します。同会は2008年に私が関東に越してきたタイミングで誘われて参加した団体です。専ら英国マドリガルを歌い研究する目的の団体で1929年創立の老舗団体です。ただ会員の高齢化と長年会を引っ張ってくれた黒沢宏さんが亡くなったこともあり、近年はコンサートは行わず、例会(同会では練習とは言わず例会という)でアンサンブルを楽しむことをメインにするようになっています。大体月一位で活動しているのですが、今月は私の帰国に合わせていただきこの日の開催となったものです。英国から出張で来日していて参加した会員もいたりと久しぶりに充実した例会となりました(そういえば写真がない💦)。

 その後夕方からは赤坂に移動、今度は東京21合唱団の練習にお邪魔します。この合唱団は毎年テーマを決めて活動しているんですが、今年のテーマはマニフィカト、日本語に訳せば「わが心、主をあがめ」という聖句です。8か月ぶりの参加でしたが温かく迎えていただきました。練習後は恒例の中華屋さんでの懇親会、この日は団員に関するサプライズなお祝い事もあったりと大いに盛り上がりました(そういえばこちらも写真がない💦)。それにしても合唱っていいなと再認識したのでした。

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2024年3月28日 (木)

皇帝誕生日

 本日3月28日は当ブログの管理人ビザンチン皇帝コンスタンティヌス21世の誕生日です。何歳になったのかはともかく、ここまで元気に過ごすことができたことに感謝しています。もっとも誕生日とはいっても自分だけの話であり特別祝日になっているわけでもないので、過去20年以上この日は普通に仕事をする日でした(何年かに一回くらいは休日に当たるが、それでも特に特別というわけでもない)。ただ今年の誕生日は過去20年以上なかった実家での誕生日、実はそれに合わせる形で自分の父親の三十三回忌の法要を行いました。父の命日は7月なのですが、せっかく私が帰国するというのでそのタイミングに合わせたものです。朝お寺に出向いて法要を行い、その後はお墓に移動して現在の状況等を墓前に報告したのでした。

 法事後は妹も帰省していたことと、私のお祝いもかねて盛岡市郊外のつなぎ温泉に行きました。宿泊する宿は大観というつなぎ温泉の老舗です(ここの温泉は「源泉かけ流し&加水・加温なし」というあるいみ究極の温泉)。せっかくのなのでこの日はふぐのコースにしたのでした(フグのシーズンは3月いっぱいなのでギリギリセーフという感じ)。てっさ、てっちりはもちろんフグの唐揚げや味噌焼きなどを堪能しました(もちろんひれ酒も 笑)。

Img_1535 Img_1536 Img_1538 Img_1540 Img_1537 Img_1541(左上)てっさ、(右上)てっちり、(左中)唐揚げ、(右中)味噌焼き、(左下)ひれ酒、(右下)雑炊

 実に充実した令和6年の皇帝誕生日でした。

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2024年3月27日 (水)

平泉を歩く

 休暇の第2クールは主に盛岡の実家で過ごしています。岩手時代にお世話になった合唱団(盛岡バッハ・カンタータ・フェライン)の練習にお邪魔したり、ウィントフックに戻る際に持って行きたい物品の購入をしたりしながら過ごしています。とはいえ岩手でぼーっとしているのもつまらないので日帰りで出かけることにしました。

 行き先は平泉です。奥州藤原氏の本拠地として歴史上有名なところです。私も小中学校時代は遠足やフィールドワークで出かけたことがありますが、その後は”近くにいると行かない”の法則に嵌まったのか、まったく行く機会が無いまま云十年経ったという次第です。日本にいた頃は休みは貴重なので、できるだけ普段とは縁遠い遠方ばかりに出かけていたというのも理由です。ただ今回はまとまった休み、しかも実家滞在ということで行ってみようという気分になったのでした。

Img_1464(写真1)中尊寺の入り口

 家から平泉までは90キロくらいあるんですが幸い高速道路が通っているためそれほど時間はかかりません(途中制限速度120キロの区間もある)。インターを出てまずは中尊寺を目指します。平安時代前期に円仁が開山した天台宗の寺院ですが、今に残る姿にしたのは奥州藤原氏初代の清衡です。年度末の平日ということもあるのか駐車場は空いていました。ここから境内に入っていきます。大昔に訪問した際の印象では境内に入るとすぐに金色堂があったような気がしたのですが、実際には金色堂に至るまでに多くの寺院等があり、しかも結構な登り坂が続く構内でした。昔過ぎて記憶が飛んでいるのと、当時は元気で体力もあったので坂道で苦労した記憶が無いせいかもしれません。

Img_1472 Img_1493(左写真2)薬師堂、(右同3)経蔵

 そんな坂道を上った先にようやく金色堂が登場します。とはいえ目の前に見えるのは覆堂で金色堂はその中、さらにガラスケースに守られた中にあります(これは昔からそう)。金色に輝くお堂に加え周囲の装飾が素晴らしく、当時の平泉が京都や鎌倉と対等に渡り合えるだけの勢力だったことを感じます。ただ本来中央の段に並んでいるはずの仏像がありませんでした。これはこの時東京の国立博物館で「中尊寺金色堂」特別展が開催されているため、仏像一式そちらに貸し出されているからでした(まあそれはそれで貴重な経験)。見学後昼食を摂り周辺にある旧覆堂や能楽殿などを見学したのち駐車場に戻りました。

Img_1486 Img_1488 Img_1496_20240427164401 Img_1500(左上写真4)今年は金色堂建立900年とのこと、(右上同5)金色堂の覆堂、(左下同6)旧覆堂、(右下同7)能楽殿

Img_1505(写真8)毛越寺山門

 続いては毛越寺に向かいます。ここも中尊寺と同じく平安初期に円仁によって開山された寺院ですが、その後長らく荒廃していたものを再建したのが奥州藤原氏二代目の基衡でした。ただその後の火災や戦国時代の兵火によって再び荒廃し、江戸時代にはほとんど何もない状態になってしまいました。明治以降発掘調査が行われた結果、基衡時代の遺構がよく遺っていることがわかり、学術的な考証の上に本堂などが再建され、中央の大泉が池などとともに往年の趣を感じさせる景観となっています(本堂の再建が平成元年なので私が昔来た頃には存在しなかった)。

Img_1509 Img_1513(左写真9)本堂、(右同10)大泉が池

 この日はあいにくの天気だったのですが、こうして云十年ぶりに地元の名勝(世界遺産でもある)を訪問出来てよかったなと思ったのでした。

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2024年3月25日 (月)

開陽丸

 函館滞在2日目、この日はレンタカーで西の江差町に行くことにしました。

 江差町と言えば「江差追分」も有名ですが、幕末好きにとって外せないのが開陽丸です。戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争ですが、当時五稜郭を拠点にしていた旧幕府軍の主力軍艦が開陽丸でした。オランダで建造され、幕末の最終段階の慶応3年(1867年)春に横浜港に入港した当時の新鋭艦です。オランダ留学生だった榎本武揚が乗り込み慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦いの際には大阪にありました。この時鹿児島に撤収しようとした薩摩藩の軍艦「春日丸」を攻撃した阿波沖海戦が起こっています(この海戦は日本初の蒸気船同士の戦いと言われています)。鳥羽・伏見の戦いは幕府側の敗北に終わり、将軍徳川慶喜は江戸に帰還します。このとき慶喜や会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬が乗船したのも開陽丸です(ただし榎本武揚はこの時不在)。

Img_1448(写真1)復元された開陽丸

 慶喜の江戸帰還後、江戸城無血開城が決まり開陽丸も新政府軍への引き渡しが決まりましたが榎本等はこれを拒否し、蟠竜丸や回天丸ら7隻と共に江戸を脱出し北に向かいました。途中の仙台で新選組副長の土方歳三や桑名藩主松平定敬ら幕府軍の残存勢力と合流し、明治元年10月21日鷲ノ木(現在の森町)に上陸します。そこから進軍を開始し五稜郭を占領し拠点とする一方、西に向かい松前城を攻略、さらに江差に向けて進軍しました。開陽丸もこの支援のために江差沖に進出しましたが、11月15日夜の暴風により座礁、やがて沈没してしまいました。主力の開陽丸を失ったことで旧幕府軍はこの地の制海権を失い、翌春の新政府軍の反撃を防ぐことができず敗北に至ります。

Img_1444 Img_1442_20240426162601(左写真2)開陽丸の砲身、(右同3)模型

 沈没した開陽丸ですが、明治以降たびたび引き揚げが試みられます。さすがに船体の引き揚げは困難でしたが銃や刀、弾薬や錨といった数多くの遺留品が引き揚げられました。そして平成2年(1990年)に当時の設計図から船体も復元され、開陽丸記念館として江差の地に存在しているのです。過去北海道には何度もきているものの、江差は未訪だったのでこの機会に是非にとやって来たのです。

Img_1454 Img_1457左写真4)内部の砲、(右同5)寝ている兵ですがかなりやつれているように見えます

 復元された開陽丸は岸壁にででーんと停留しています。後の戦艦や巡洋艦と比較したら小型とはいえ、幕末期の軍艦としてはかなりの大きさです。本来は甲板に上がれるらしいのですが、この日は風が強いため休止とのことで船内のみの見学です。内部には引き揚げられた多くの遺留品の他、操作の様子、ハンモックで休む兵士の人形などもありました。

Img_1462(写真6)鰊そば

 見学後は併設されたお土産屋さんで食事にします。江差と言えば昔はニシン漁で栄えた街、この日はその時代を懐かしむように鰊そばを堪能しました。

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2024年3月24日 (日)

函館へ

 帰国最初の週末はKの実家がある函館に行ってきました。23日午前中に東京駅から東北新幹線はやぶさ号に乗り込みます。盛岡駅でKと合流してそのまま北上、終点の新函館北斗駅で在来線の乗り換えて函館駅へ、まずは駅前のホテルにチェックインしました。その後迎えの車でKのお姉さんの家へ行きました。みんな揃っていて約8ヶ月ぶりの再会にいろんな話に花が咲きました(姪っ子が婚約したというめでたいニュースも)。

 夜は市内の居酒屋に場所を移して宴会、この日ももちろんお魚です。いやぁ~やっぱり魚はうまいです。特に北海道ですからホタテやエビ、ホッキ貝みんな旨い(個人的にはホッケ焼きが最高です)。お酒もたくさんいただいて楽しい時間を過ごしました。

Img_1436 Img_1437(左写真1)刺身盛り、(右同2)うに丼(実は翌朝食べたもの 笑)

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2024年3月22日 (金)

浜離宮の菜の花

Img_1412  帰国第一週前半は人間ドック等でしたが、後半は仕事関連の用事があるためKと分かれてこちらに残留でした。千葉周辺に滞在だったのですが、この日は用事が思いの外早く終わり時間がたくさん余ったのと、天気も良かったので、ちょっと足を伸ばして汐留の浜離宮庭園を訪問しました。

 浜離宮庭園は江戸時代徳川将軍の庭として整備されたところです。海水を引き入れた潮入りの池や、そこに浮かぶ中島などの景観が美しいところです。この日は晴天ですが寒い一日でしたが、多くの観光客、特に外国人観光客の姿が多く見られました。

Img_1422 Img_1430  当初は私が帰国する頃に首都圏の桜の開花が予想されていたため楽しみにしていたんですが、ちょうとそのタイミングで日本は一気に寒くなり桜前線は停滞、3月20日過ぎてもほとんど咲いていませんでした。浜離宮も例外ではなく、園内の桜の木も一輪か二輪程度さいたいるかどうかという感じでした。その代わりとは言ってはなんですが、菜の花がちょうど見頃を迎えていて、青空と都心の高層ビル、菜の花の黄色のコントラストが素晴らしいなと思いました。

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2024年3月20日 (水)

多摩動物公園

 今回の帰国直後は人間ドックを始め、歯科検診等を受診するなど主に健康系のフェイズでした。それらが一段落した3月20日は春分の日ということで、この日は東京日野市にある多摩動物公園に出かけました。東京の動物園といえば上野動物園が有名ですが、この多摩動物公園も規模が大きく、特に昆虫の展示に力を入れているところです。実はこれまで行ったことがなかった場所なので、この機会に行ってみることにしたのでした。

Img_1331(写真1)多摩動物公園

 新宿駅から京王線に乗り高幡不動駅で乗り換えて多摩動物公園駅で下車、目的地は目の前です。入り口でチケットを購入し入場します。ここから右手に進んでいくと昆虫館やライオン、キリンといったアフリカ系の動物エリアがあるのですが、そこは後の楽しみとしてまずはまっすぐ歩いて行きます。こちらには様々な鳥がいるエリアがあります。私は鳥にはあまり詳しくないのですが(そっち方面はKの専門)、インコやフクロウ、イヌワシやオオワシなどがいました。

Img_1335 Img_1341 Img_1347 Img_1348(左上写真2)ベニコンゴウインコ、(右上同3)フクロウ、(左下同4)イヌワシ、(右下同5)コウノトリ

 そこから進んでいくとオーストラリア園へ。ここにはコアラやカンガルーに加えて、最近ここにやってきたタスマニアデビルの姿がありました(まだ慣れていないため時間限定での展示)。絶滅危惧種で現在日本で見られるのはここだけという貴重なものです(知らずにきました(^^ゞ)。

Img_1354 Img_1364(左写真6)コアラ、(右同7)タスマニアデビル

 そしてこの頃から空模様が怪しくなり、やがてポツリ、ポツリと雨が降り出しました。朝は晴天だったことから傘を持ってこなかった我々です。仕方ないので近くにあった屋根のあるシフゾウ広場に避難、しばし様子を見ることにしました。ネットで天気予報を確認したところ、30分程度で小止みになるらしかったので一安心、その後本当に小雨になってきたので移動することにしました。今度は昆虫やライオンの方に行きたかったのでバスで入り口まで戻ることにしました(ここまで結構距離がある)。最寄りのバス乗り場であるオラウータンの館に行くと、ちょうどオラウータンがロープ渡りをしているところでした(近くの人が、「このまま逃げ出したりしないのかなぁ」と言っていた)。

Img_1374Img_1406 (左写真8)ロープを渡るオラウータン、(右同9)フラミンゴ

 無事にバスで入り口に戻り今度は昆虫園のあるエリアへ。ただ時間的にいい頃だったため昼食を摂ることにします。この日は昆虫園とアフリカ園の中間にあるサバンナキッチンというところでいただきました。ただ昼食時間帯で混んでいたため屋外の席になったのですが、この日は結構寒い日だったので震えながら食べることになりました(それでもビールはしっかり飲んだ 笑)。

 食事後はいよいよ昆虫園を見学します(ここは屋内なの温かいというのもポイント高い)。ここのメインはたくさんの蝶が舞っている昆虫生態園、暖かい温室の中、緑いっぱいの空間を蝶が舞う様子は、もしかして極楽浄土ってこんなところかもと感じました。一方昆虫園本館にはキノコを栽培することで知られるハキリアリの生態展示もあって興味深かったです。

Img_1387 Img_1397(写真10、11)昆虫生態園の蝶

 そうこうしているうちに夕方近くになったため動物園を後にして再び都心に戻ったのでした。

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2024年3月19日 (火)

お寿司

 日本に帰って絶対に食べたいなと思っていたのが新鮮な魚介類です。ナミビアも魚介類がないわけではなく、特に生牡蠣が食べられるなど他のアフリカ諸国に比べると断然恵まれた環境にはあるんですが、それでも日本とは比較になりません。人間ドックが終了したあと都内のお寿司屋さんに繰り出し、満を持していただきました。

Img_1312 Img_1314 Img_1315 Img_1316 お供はもちろん日本酒です。いやぁ~素晴らしいなと改めて思ったのでした。

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2024年3月18日 (月)

人間ドック

 8か月ぶりに帰国したわけですが、ただボーっとしているわけにはいきません。まずは自分の体のケアが最重要ということで人間ドックを受けることにします。日本にいた頃は職場の定期健康診断がありましたが、ナミビアの職場にはそのようなものはないので、こうして帰国した際にドックを受診するわけです。今回は東京港区にある某病院で受けました。

 ドックの前夜は夕食を早めに済ませてもちろん禁酒です(笑)。そして朝、銀座線の溜池山王駅で下車しました。ここは日本にいた頃は毎週末合唱団の練習参加のために利用していた駅です。今回全く違う理由で降り立ったのが不思議な気分でした。

418810306_7278088235621812_6113178576061  人間ドックは身体計測(腹囲を含む)、眼底検査、採血、胸部写真、心電図、腹部エコーと進んでいき、最後にメインイベントの胃内視鏡となります。慣れた人なら全く問題ないのでしょうが、自分は咽頭反射が人一倍強いので鎮静付きにしてもらいました(早い話、寝ている間に終わるパターン)。検査後は鎮静剤成分が残っているため運転は禁止といわれましたが、もちろんそんな予定はありません。

 午後はオプションの脳ドックと前立腺ドックを受診、その後簡単な結果説明を受けておしまいとなりました(大きな異常は無し、正式な結果は後日送付とのこと)。

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2024年3月16日 (土)

帰国します

 久しぶりの投稿になりました。

 昨年7月末からナミビアに勤務しているわけですが、今回英気を養うことを目的に休暇を取って一時帰国することになったものです。出発日である3月14日の夕方、ウィントフック郊外にある国際空港にやってきました。今回利用するルートはルフトハンザのフランクフルト経由です。まずはチェックインカウンターへ。昨年11月のパリ出張の際、搭乗2時間半前に行ったら長蛇の列という反省を生かしてこの日は3時間前に到着、まだ数人しか並んでいませんでした(我々が搭乗手続きを始めた頃から続々と人が並び始めたので、このちょっとの差が大きいんだなと実感)。ルフトハンザのこのルートはエコノミークラスでもスーツケース1人2個預けられるのが魅力です。今回は帰路大量の日本食材を持ってくる予定なのでこれは助かります(笑)。

 手続きはあっという間に終わったため、出発までまだ2時間半以上あります。特にやることもないので、セキュリティ検査と出国審査を抜けて出発ロビーへ、プライオリティパスで利用できる空港ラウンジに入り、さっそくワインを飲みながら時間をつぶしました。

Img_1298(写真1)夕暮れのウィントフック空港

 やがて時間になり搭乗開始、ウィントフックの空港はボーディングブリッジやバスなどはなく、搭乗口から各自歩いて飛行機に向かいます。3月に入ってからのナミビアは晴天の日が多くなり、雨季から乾季に切り替わってきた感じがするのですが、この日も晴天、見上げると月が輝いていました。乗り込んで座席に座ろうとしたら、私とKの座席が離れています。確か隣り合わせで頼んだはずだったのですが、そういえば1か月くらい前に使用機変更のために座席も変更になったと連絡があったので、その際にずれたと思われます。Kの隣のおじいさんに代わってくれないかとお願いしたのですが、「自分は足が悪いから替われない」とのこと、そういえばKの座席の列は足元の広い座席でした。まあ足が悪いなら仕方ないと諦めて分かれて座ることにしました(まあ離陸したらあとは寝るだけだから)。ウィントフックの空港は羽田や成田のように混んでいるわけでもないためほぼ時間通りに出発、アフリカ大陸を北上していきます。安定飛行になったタイミングで時計を1時間遅らせます。そうこの時期ヨーロッパはまだ夏時間になっていないため、ナミビアとドイツには1時間の時差があるのです。

 安定飛行になった後は飲み物が配られる時間、ウィントフック―フランクフルト間はルフトハンザとは言っても系列のLCCの運行なので国際線でもアルコールは有料になります。さっきまでラウンジで飲んできたとはいえ、欲望には勝てずワインを購入してしまいました(笑)。

 食事後はさっさと眠ることに。エコノミークラスの窮屈な座席(LCCなのでさらに狭い)でどのくらい眠ったのかわからないうちに、気が付いたら機内モニターはヨーロッパになっていました。そうこうしているうちに飛行機は着陸態勢に入り、無事フランクフルトに到着しました。

 フランクフルトは昨年7月から4回利用している空港、勝手はわかっています。トランジットの方向に歩きながら途中の電光板で乗り継ぎ便の様子をチェック、特に遅延も内容で一安心です。そのままその辺にあるスターアライアンスのチェックイン機へ、実は今回乗り継ぎ便がANAだったためウィントフックでは搭乗券が発行されず、ここで受け取らなくてはならないからです。この機械で搭乗券を発行… と思ったんですがうまくいきません。近くにいた係員に聞いたら同じスターアライアンスでもANAは一度外に出てチェックインしないとだめだと言われたため、やむなく入国審査を通って外に出ます。そのままANAのカウンターに行ったのですが、出発までまだ5時間くらいあるせいか係員が誰もいません。近くのラウンジで時間をつぶそうかとも思ったのですが、ラウンジの利用にも搭乗券が必要なので詰んでいます。困ったなぁと思ったら近くに先ほど見たのとは違うチェックイン機を発見、見たらANAのマークもあったため、ここで無事に搭乗券を発行できました。

 搭乗券を入手できればこっちのもの、そのまま近くのラウンジへ直行です。ここは昨年7月に散々利用したところ、もちろん勝手もわかっています。ここでしばし寛いで、出発1時間前に出国審査、セキュリティと進んでいきます(この辺はスムーズ)。ゲート変更や遅延もなくそのまま羽田行きの便に乗り込みます。航空会社がANAですから当然CAも日本人、これは嬉しいです。

 時間になり離陸、安定飛行になったのちに時計を日本時間に合わせるのはいつものパターン、飲み物のサービスが始まるとなんと!日本酒もあるじゃないですか、もちろんそれをいただいたのはいうまでもありません(機内食もさすがの日系航空会社という感じ)。

Img_1305(写真2)寒い朝の羽田

 ところでこの便はお昼にドイツを出発しますが到着は日本時間の翌朝、すなわち昼行便に見えて実は夜行便というパターン、どこかのタイミングで寝ないと日本に着いてからがキツくなります。逆算して日本着の8時間前から頑張って眠ました(とはいえそうそう眠れるわけでもないが)。

 そして3月16日朝ついに羽田空港に着陸、8か月ぶりの日本は寒かったです(笑)。この後スーツケースを空港宅配で実家に送り、我々はモノレールと山手線を乗り継いで東京駅へ、そこから新幹線に乗り換えて一路盛岡に向かいます。ナミビアは公共交通機関がバスかタクシーしかなく、遠くに行くにはかなり時間がかかるのですが、500キロ以上の距離を2時間ちょっとで行ってしまう日本の新幹線は偉大だなと実感しました。

 盛岡駅到着後は日本での最初の食事となります。とくればもうここしかないというわけで白龍へ。8か月ぶりのじゃじゃ麺を食べて感慨に浸ったのでした。

433421611_7271567916273844_5963193244907 432470046_7278083992288903_7377476793303(左写真3)じゃじゃ麺、(右同4)ちーたんたん

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2024年3月 8日 (金)

乾季の到来か?

 2月は夕方になると連日雨が降ってきて、時にはバケツをひっくり返したような大雨の日もあり、いよいよ雨季が本気を出してきたかと感じていた当地ですが、3月の声を聴くと一転して雨量が減り、特に今週月曜日以降は連日快晴または晴れの良いお天気が続くようになりました。先週までの雨季はどこへやら、乾季が始まったような気配です。果たしてこのまま乾季になるのか?

432228112_7243989205698382_1940784055137 Nj(写真左)今週のウィントフック市内、(同右)2月には大雨の後虹が出る日もあったんですが

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2024年3月 3日 (日)

耳の日

 3月3日は耳の日です。33を「ミミ」=「耳」と読ませる一種のシャレから来ているわけですが、Wikipediaによると前述のシャレのほかに、3の形自体が耳の形に似ていることもあって、1956年に日本耳鼻咽喉科学会が制定したものだそうです。いずれにせよ日本に限った記念日だと思っていました。

 が、しか~し

 ナミビア保健・社会サービス省(日本で言えば厚労省)のフェイスブックアカウントによると、この日はWorld Hearing Day(世界耳の日)という国際的な日なんだそうです。調べたところ、3の形が耳に似ているからとのこと。確かにこれは日本語の話ではなく、造形なので国際的にもわかりやすいんでしょうね(こちらの制定は2007年とのこと)。

 WHOでは毎年テーマを決めていて、今年2024年は「Changing mindsets: Let’s make ear and hearing care a reality for all!」(意識を変える:⽿と聞こえのケアを全ての⼈に!)とのことです。耳を大切にしていきたいですね。

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2024年3月 2日 (土)

3月になりました

 気が付けば3月です。2024年も6分の1が終わったのか(笑)というのと、自分が当地にやってきてから7か月が経過したというのが非常に感慨深いです。

 そんなナミビアのウィントフックは現在雨季なのですが、ここ数日は曇りの日が減ってきたように感じます。そろそろ乾季への移り変わりの時期になったのかもしれません。今朝所用で出かけたのですが、その帰り、家の近くの道路が水浸しになっていて、係員が作業をしている場面を目撃しました。その後帰宅したら、断水していました。どうやらさっきの水浸しと関係がありそうでした(あとで聞いたら水道管が破裂したらしい)。ただでさえ水が貴重な国ですから、非常にもったいないなと思いました。

Img_1278  乾燥が著しい当地ですが、駐車場ではブロックの隙間から植物が生えているのを目撃、生命の逞しさを感じます。

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