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2024年2月29日 (木)

ロッシーニの誕生日

 今年はうるう年、すなわち約4年に一度2月29日が存在する年です。で、この2月29日生まれの著名人に19世の作曲家G. ロッシーニがいます。彼は1792年のこの日にイタリアのペーザロ市(当時は教皇領)で生まれました。彼の生家は本業ではないものの音楽一家で、彼自身も小さいころから音楽の才能があったようです。18歳で最初のオペラを作曲し、20代で「アルジェのイタリア女」、「セビリアの理髪師」、「チェネレントラ」といった今でも名高い傑作を次々に発表し当時のウィーンで大人気となりました。彼の人気があまりに凄いので、同じ時期ウィーンにいたベートーベンも嫉妬していたとされています。

Rossini1 Rossini2(写真左)晩年のロッシーニ、(同右)若い頃のロッシーニ

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送った人でもあります.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつかの作品は遺しています(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).

 ロッシーニの名前は音楽だけではなく、料理の世界にも残っていますが、残念ながらナミビアにはフランス料理店と呼べる店がなく、今は〇△のロッシーニ風という料理には縁がないのが寂しいところです。

Img_6 Mukaka(写真左)牛フィレ肉のロッシーニ風、(同右)無花果のロッシーニ風

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2024年2月27日 (火)

相撲その後

 先週当地で相撲関連の記事が取り上げられたという話を出したところでしたが、その後状況が大きく変わったようです。

 元横綱 白鵬の宮城野親方「2階級降格」「報酬減額」の懲戒処分

 (日本での)報道によれば元横綱白鵬(宮城野親方)の弟子が暴力事件を起こし引退勧告を受け、親方本人も監督責任等から2階級降格の処分を受けたのことです。報道を読むと、監督責任はともかく、事態を知りながら協会に届けなかったとか、調査を妨害したとかの話は、さすがにアウトだろうと思いました。さすがにこの話題が当地のメディアに出ることはないでしょうが、わずか1週間での暗転に悲しい気分になったのでした。

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2024年2月26日 (月)

2・26事件

Image_2  今日は2月26日,日本の近現代史上に残るクーデター未遂事件である「2・26事件」が起こった日です.

 1936年(昭和11年)2月26日,折からの不況や政財界の腐敗に対して強い不満を抱いていた陸軍の青年将校らが「昭和維新」のスローガンのもとにクーデターを決行,当時東京に駐屯していた歩兵第1連隊,歩兵第3連隊らの兵を率いて,彼らが君側の奸とみなしていた時の内大臣齋藤実,大蔵大臣高橋是清,教育総監渡辺錠太郎らを殺害,侍従長だった鈴木貫太郎(後に終戦時の総理大臣となる)に重傷を負わせるとともに,首相官邸や陸軍省,参謀本部,警視庁といった日本の中枢機関を占拠した事件です.この時首相官邸では総理大臣岡田啓介も襲撃を受けましたが,クーデター側が最初に襲撃して殺害した義弟松尾伝蔵を岡田と誤認したために危うく難を逃れ後に救出されています.

 表面的にみれば世相に憤慨した青年将校による崛起ということで,幕末期の尊王攘夷運動を彷彿させる話ですが,実際には事件の背景として当時の陸軍内にあった派閥抗争がありました.すなわち彼ら青年将校の義憤を利用した陸軍中枢の権力闘争が背景にあったわけです.具体的には陸軍内で皇道派と呼ばれる財界や政治家の介入を配した国家体制を実力に訴えても作ろうという派閥と,主として陸軍大学校出の中堅エリートが主体となったより合法的な手段での軍事優先国家形成を目指す統制派との対立です.青年将校たちの背後にいたのは皇道派の将官たちです.

 皇道派と統制派の対立はこの前年からすでに深刻でした.皇道派のドンである真崎甚三郎教育総監が更迭されて後任に統制派の渡辺錠太郎が就任するという皇道派を冷遇したような人事が行われ,それに反発した皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心人物と目されていた永田鉄山少将(当時陸軍省軍務局長という陸軍省ナンバー3ポストについていた)を白昼省内で斬殺するという事件が起こっていたからです.

 クーデターを起こした青年将校たちは,自分たちの真意が天皇の元に届きさえすれば,自分たちの主張が実現すると信じていたようです(この点が幕末期に筑波山で決起し,藩内の保守派と内部抗争を繰り広げながらも,登場将軍後見職だった徳川慶喜に真意が届けば自分たちの思いが実現すると信じていた水戸の天狗党と類似しています).しかしながら,勝手に兵を動かして政府の重臣を暗殺するという行為に天皇は激怒,直ちに鎮圧を命じます.当初陸軍首脳はなるべくコトを穏便にすませようと工作したようですが(皇道派はもちろん敵対する統制派も自らに火の粉が降りかからないように武力鎮圧には消極的でした.最初から鎮圧に積極的だったのは,どちらの派閥にも属していなかった参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐),天皇の怒りは強く,ついには自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言われたため,ようやく2月29日の早朝に至って討伐命令が下りました.そして同日朝に有名なラジオ放送が流れるに至り,反乱将校らは投降を決意,クーデターは失敗に終わりました.

 将校たちの中には投降せず自決の道を選んだものいましたが,その多くはあくまでも軍法会議の場で自らの主張を通す道を選んだのです.しかし事件の塁が軍中枢に及ぶことを恐れたのか,審理は早いスピードで進み,結局民間人も含め19名に死刑判決が出されました.さらに事件の背後にいたとされる皇道派の将官にも影響は及び,さすがに軍法会議にかけられる者はいませんでしたが,その多くはは予備役に編入されるか左遷され,軍中枢から遠ざけられることになりました.後の太平洋戦争序盤のマレー戦で勇名をはせた山下奉文大将もこの事件で左遷された皇道派の将軍です.

 一方でこれがクーデターであることを知らないまま参加させられた一般の下士官兵については上官の命令に従っただけであり罪には問わないとされましたが,事件後部隊は満州に移駐となり,その後の日中戦争,太平洋戦争では激戦地に送られその多くが戦死したとされています.

 この事件によって皇道派は陸軍中枢から一掃され,以後前年に暗殺された永田鉄山の後継となっていた統制派の東條英機らが台頭してきます.そして予備役になった皇道派の将官が陸軍大臣になって影響力を行使するのを防ぐため,陸海軍大臣は現役の軍人でなければならないとする”軍部大臣現役武官制”を復活させました.これは結果的に軍部が気に入らなければ大臣を辞任させ後任を出さないことで内閣を潰すこともできるようになったことを意味し,以後政府に対する軍部の発言力は飛躍的に増大,日本は暗い時代に突き進んでいくことになります.

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2024年2月23日 (金)

ガインゴブ大統領の葬列

 今月4日に逝去したナミビア共和国第3代大統領 H. ガインゴブ氏、その国葬が週末に行われるのに先立ち、この日は彼の棺が市内各地を回るイベントが行われました。これには当地の生徒児童も参加するためこの日学校は休みとなったようです。その棺が通過する瞬間を目撃できました。

 明日24日は郊外のインデペンデンス・スタジアムにて追悼のセレモニーが、明後日25日は国葬が行われます。

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2024年2月18日 (日)

週末の外食

 気が付けば2月も半ばを過ぎました。最近当地の雨季が本気を出してきた感があり、12月、1月は夕方に夕立程度の雨だったのが、最近は夜間長時間にわたって激しく降る場面も多くなりました。雷の頻度も多く、時に停電が起こったこともあります(南アフリカから転勤してきた人が、「南アに比べてナミビアは停電が少ない」といっていましたが)。

 そんな雨季本番の週末ももちろん外食に繰り出しました。今週行ったのは市内高台にある海鮮レストラン、Cape Town Fish Marketです。市内で海鮮料理ならここだろうという名店だと思います。

 この日注文したのはもちろん生牡蠣、さらにここには12ピースでスパークリングワインとセットになったお得メニューがあるのでもちろんそれを注文です。そのほかにはエビの天ぷら(というか天ぷらとフライを足して2で割った感じ)、サーモンの巻き寿司、フィッシュカレーをいただきました。写真を取り損ねてしまったんですが、このカレーが非常に美味しかったです(日本のカレーに近い)。

Img_1261 Img_1262 Img_1260 Img_1263(写真左上)生牡蠣、(右上)エビフライ、(左下)サーモン巻き、(右下)デザート

 最後はデザートで締め、やはりここは旨いなと再認識したのでした。

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2024年2月16日 (金)

相撲の記事

 当地に来てから業務の関係上、現地の英字新聞を毎日チェックしています。どの新聞も国内政治や経済、南部アフリカ関係の話題が中心で遠い国話しはあまり出てきません。もちろんガザ地区のニュースは時々出てきますが、日本がらみは日本によるナミビア支援の話題を除くと、最近では1月の能登地震の記事があったくらいです。

 そんなナミビアの紙面に久しぶりに日本の話題が登場しました。それも相撲です。

Img_2077_20240303102101  元横綱白鵬の宮城野親方が両国国技館で第14回白鵬杯を開催した記事、これは世界的な規模の少年による相撲大会です。地球の裏側にも届くのですから結構なインパクトのニュースなんだなぁと感心した次第です。

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2024年2月15日 (木)

ウォーターバーグ旅行③

 一夜明け、今回の旅行最終日となりました。この日は特にアクティビティの予定はないためゆっくりです。レストランの朝食ではこの日も目玉焼きを注文、ハムやチーズといったドイツ風の朝食とともにいただきました。一昨日の夕食からここのレストランで5回食事をしたのですが、スタッフはホール係が1名、厨房に1名の2人態勢です。これですべての食事の準備なんてできるわけがありません。思うに複数の系列ロッジを持っていることから、敷地内のどこかに給食センターみたいなところがあって、そこで作った料理を各ロッジのレストランに配送、レストランでは温かい料理の加温のみ行っているのではないか(あとは朝の卵料理)と思ったのでした(ということは敷地内全レストランで同じ食事となる)。

Img_1967 Img_2088_20240303094401(左写真1)庭から見るテーブルマウンテン、(右同2)ホロホロチョウ

 そんなことを考えながら朝食を済ませ、腹ごなしに敷地内を散策します。夏の時期ではありますが、標高の高さもあって非常に快適です。昨日はここに豹が現れたということで2匹目のどじょうならぬ、2匹目の豹を狙っていたんですが、残念ながらこの日は豹の登場はありませんでした(泣)。そんな感じで時間を過ごしているうちにチェックアウトの時間になりました。車に荷物を積み込んでレセプションに向かいます。途中昨日はダマラディクディクがいたエリアを通過しましたが、今日はほかに移動したらしく姿は無し、ただホロホロチョウがあちこちに姿を見せていました。

Img_1989(写真3)レイヨウがいます

 5分ほどでレセプションに到着、ここでチェックアウトを済ませてレシートを受け取ります。電波が届かない、電気が十分に使えないといったデメリットはありますが、日常から解放される空間としては非常にいいところではないかと感じました。ゲート口で先ほどのレシートを見せます。これはチェックアウト手続き(すなわち支払い)をせずに逃げ出す輩を防ぐ目的と思われます(過去にそんな輩がいたのでしょう)。ゲートを出るとそこは一般のグラベルロード、重機の通った跡みたなガタガタ道に悩まされながら西に進み、無事舗装道路に出た時は心底ホッとしました。そこからは来た道を引き返しオチワロンゴの街に戻ります。この日の目的は同地にあるクロコダイルファームの見学です。ここは昨年9月のエトーシャ旅行の際に立ち寄っているのですが、この時は食事のみでファームの見学はできませんでした。なので一度見学してみたいと願っていたわけです。

Img_1203(写真4)クロコダイルファーム

 受付で入場料を払い園内へ。ここでは適当に集まった人数毎にガイドが付いて案内するスタイル、ワニは子供から大人までサイズごとに飼育されている感じでした。ワニは凶暴な動物ですが、陸地に上がった状態ではさほどではなく、水辺にいる時が危険なんだそうです(なので飼育員は常に水辺から離れたところで作業をする)。ここで飼育されているワニは食用にされたり、皮などを加工されて出荷されてるとのことでした。

Img_1250 Img_1206(写真5,6)ワニです

 凶暴なワニとはいえ、生後間もない幼体はそうではないため、そうした幼体を抱いて記念写真を撮るコーナーなどもあったりします。結局1時間近くワニを観察して外に出ました。

Img_1215 Img_1222(写真7,8)ワニの幼体との記念撮影

 その後はせっかくここまで来たのだからとワニ料理を堪能します。私がワニステーキ、Kがワニのスペアリブと偶然9月と同じメニューでしたが当時の写真と見比べるとやや豪勢になった感じがしました(本当はビールをお供にしたいところですが、これから運転して帰るためコカ・コーラで我慢です)。

Img_1257 Img_2063(左写真9)ワニステーキ、(右同10)スペアリブ

 食後はそのまま帰宅へ、オチワロンゴを出た時は快晴の良いお天気だったんですが、南下するに従い徐々に雲が広がり、オカハンジャを通過するときには土砂降りに… 制限速度120キロですが、60キロ程度に減速して進みます(日本の高速道路なら50キロ規制になる感じ)。とはいえオカハンジャを通過して少し行くと、あっという間に晴れに変わりあれほど川のようになっていた路面も乾いていきました(この辺の変化の速さがナミビアっぽい)。結局夕方ごろには無事に帰宅しました。3日間でしたがとても充実した休暇になりました。

Img_2074_20240303094401(写真11)ひたすらまっすぐなナミビアの国道

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2024年2月14日 (水)

ウォーターバーグ旅行②

 一夜明けウォーターバーグの朝を迎えました。支度をして朝食会場となるレストランに向かいます。朝食はハムやサラダ、パンなどがブッフェスタイルで並び、そのほかに卵料理を頼めるスタイルでした(私は目玉焼き、Kはスクランブルエッグを注文)。朝から温かい料理をいただけるのは嬉しいです。

Img_1121(写真1)朝食の卵

 食事後この日は午前中にテーブルマウンテンに登るアクティビティに参加したかったため、レストランの係員に告げたところ、8時にレセプションに集合するようにとの指示を受けました。いったん部屋に戻って歩く支度をしてから自分の車でレセプションに向かいます。途中道端に小型レイヨウの一種であるダマラディクディクがいたので停まって見入っていたらいつの間にか追いついてきた後続車にクラクションを鳴らされてしまいました(泣 まあ追い越しもできない狭い道ですから)。

Img_1122 Img_2089(左写真2)レセプションへの道、(右同3)ダマラディクディク

 車を走らせ無事レセプションに到着、ここにはすでに先着していお客さんもいました。一緒に待っていたらガイドらしき男性がやってきて「Rhino Tracking?」と聞いてきます。ちなみにこれはサイを見に行くトレッキングです。我々が参加予定のはPlateau Hikeなので「No」と答えると、そこで待っていたほかの人たちと一緒に出掛けて行きました。この段階で我々だけが残されたので、もしかしてレストランの係員が間違えたのかと少し不安になります。ただその直後に別なグループとガイドが現れ、「これからPlateau Hikeを始める」みたいなことを言ったので安心して付いていくことになったのでした。このグループはドイツ人の家族らしく二人の息子が両親(結構な年齢っぽい)を連れてきてた感じでした。

Img_1123(写真4)レセプション

 レセプションを出発して高台にあるプラトーロッジ(我々が泊っているウィルダネスロッジとは同経営の別のロッジ)の方に向かって歩いていきます。結構な登り坂ですが車が通れる道なので足元は問題ないので普通に付いていけます。この日は朝から曇り空なので絶好のハイキング日和といえます(ナミビアのピーカンは湿度が低いので脱水のリスク大)。10分くらいでロッジの東屋みたいなところに到着、ここにはまだ工事中のプールがありました。ここからいよいよテーブルマウンテンに向かっての山登りが始まりです。ガイドが先頭になって登山道(といえるかどうか不明)を進んでいきます。基本岩場なので足元に注意が必要ですが、ドイツ人の老夫婦が同行しているためペースはゆっくりで助かりました(そうでなければ我々が律速段階になる可能性大 笑)。さすがに岩場の登りはきつく、喘ぎながら登る我々です。登山途中にはハイラックスの姿も見え、Kが喜んでいました。

P1010029 P1010039(左写真5)こんなところを登っていく、(右同6)野生のハイラックス

 大体30分くらいの登山で開けた場所に出ました。どうやらテーブルマウンテンの上に来たらしいです(意外にあっさりだった)。見渡すと絶景、足元はというと断崖絶壁です。日本だったら100%安全柵かロープが張られるところですが、そんなものはなく完全に自己責任というのがこの国のスタイルです(なので小さい子供を連れてくるのは危険)。ここのロッジのサイトの写真にもここで観光客が万歳した写真が出ていますが、自分たち本当にすごいところに立っているなと感動するのでした。過去にテーブルマウンテンとしてはベネズエラのロライマ山とケープタウンで登ったことがありますが、ロライマ山は山頂の中央付近だったので断崖は見ていないのと、ケープタウンは完全に観光地化されていたために感動の度合いが全く違います。万一ここから転落したらしばらく発見は難しいだろうなと思ったのでした。

Img_1127 Img_1149(左写真7)山の上からの景色、(右同8)展望所にて

 最初の展望地を堪能した後はテーブルマウンテンの上を歩いて次なる展望地へ。テーブルマウンテンという名前のように山の上は平らになっているため基本的に歩くのに難儀はしません。ただ木々が覆い茂っているため磁石がないと方角等はわからず、ここで放りだされたら遭難確定でしょう。その後展望地を2か所巡り眺望を堪能、うち1か所ではガイドが対岸の崖に豹がいるというのでみんな双眼鏡で一生懸命探していました(我々も探したがよくわからなかった 涙)。結局1時間強山の上を散策してから下山となります。こうした登山は登りよりも下りの方が難易度が高く、しかもこの時間帯から小雨がぱらつきだしてきたため足元も悪いため一同細心の注意を払いながら下ります(ドイツ人の息子たちは親を気遣いながら丁寧に下りていた)。結局登り以上の時間をかけてプラトーロッジに到着、ここからは自動車道なので一安心、11時半ごろに出発地点のレセプションに無事到着しました。

Img_1160 Img_1162(左写真9)崖スポット、(右同10)ちょっと怖いです

 ここでドイツ人一家とはお別れ、Kがトイレに行っているうちにレセプションでこの日夕方のRhino Driveの予約をしたのですが、この時朝ロッジのレストランにいた係員が興奮したように現れスマホを見せてくれました。そこにはなんと!豹が写っているではないですか、聞くところによればちょうど我々がテーブルマウンテンに登っていた時間帯にロッジの庭に豹が現れたとのこと、ちょうど自分の部屋の裏庭に豹が寝そべっていたのでした(見たかった!)。夕方の予約を終えて自分の車でロッジに戻ります。朝にダマラディクディクがいたポイントでは同じ個体と思われるものがたたずんでいました。

 ロッジの戻るとちょうどお昼時です。山歩きをしてお腹もすいてきたので昼食にしようとレストランに行きます。が、やってる気配がありません。通りかかった係員に聞いたら、40分前に予約しなければならないとのこと。時計を見たら12時20分だったので、それではと13時に予約を入れ、それまでは外のテーブルで寛ぐことにしました(周辺を散策したらタケノコが生えていた!)。

Img_1175 Img_1173(左写真11)中庭の竹藪、(右同12)タケノコが生えています

 13時ちょいすぎにレストラン前に車が到着、係員が食品用コンテナ(学校給食でパンを入れる容器みたいなの)を持って出てきました。多分あれに我々の昼食が入っているに違いないと思っていたら、数分後に予想通り食事が出てきました。この日は私がミートソースパスタ、Kはエンパナーダ(南米起源の総菜パンみたいなの)でした。

Img_1171Img_2091_20240303065901(左写真13)ミートソースパスタ、(右同14)エンパナーダ

 この後はしばらく部屋で休息、この頃から午前中の筋肉痛が出始めます(まあ普段使わない筋肉を酷使したから)。そして夕方の4時にレストラン前にRhino Drive用の四駆がやってきてそれに乗ります。ロッジを出発した後はレセプションを通過して午前中歩いたプラトーロッジへ、ここでもう一組の客を乗せたのですが、これがなんと日本からの観光客、いや日本人観光客、普通ウォーターバーグなんて来ないだろ(というか存在を知っている日本人が何人いるのか)と思ったのですが、聞くところによるとご家族がウィントフックで働いているとのこと。そ、そうだったのか、案外世の中狭いなお感動したのでした。

Img_1177 Img_1192(左写真15)ドライブコース、(右同16)ウィントフックへ向かう水路

 Rhino Driveはその名の通り、サイを観察する自動車ツアーです。趣旨としては朝見かけたRhino Trackingと同じですが、あちらは徒歩で行くのでこちらの方が断然楽です(笑)。我々を乗せた車はそのままロッジ敷地外へ、昨日の午後に自分がやってきた道を進んですぐにオフロードに入っていきます(さすが四駆)。しばらく行くと水路のようなところを通過、聞くとこのあたりの水源から採取した水をはるか南ウィントフックまで送っているのだとか。ウィントフックはあんなに乾燥しているのに蛇口をひねると普通に水が出るのが不思議だったんですが、こんなところに秘密が隠されていたのかと感動した瞬間でした。

Img_2090 P1010062(左写真17)キリン、(右同18)ダチョウのつがい

 その後キリンやダチョウなどを見ながらサバンナの奥地へ、やがて前方にサイ(白サイ)の姿が現れました。ここで停車し一同徒歩で近づきます(つまり朝のツアーはここまで歩いてくるということのよう)。なるべく彼らを刺激しないようにゆっくりと近づき写真を撮りました。聞くとサイは密猟のためにアフリカ各地で数を減らしており、ここでは公園職員が常に監視しているとのこと、確かに銃を持った係員の姿がありました(ウォーターバーグはテーブルマウンテンで囲まれた地形のため、こうした保護活動に適しているそうです)。結局2か所でサイを間近に観察し、その後こうしたドライブでは定番のドリンクタイムをしてこの日のドライブは終了しました。

Img_1179 Img_1182 Img_2092_20240303070201 Img_1193(左上写真19)白サイの群れ、(右上同20)車の陰から見ます、(左下同21)大迫力、(右下同22)飲み物タイム

 ロッジに戻るとちょうど夕食時間、レストランに行ったのでした(この日のメイン肉はビーフ)。

Img_1194 Img_1196(左写真23)この日のワイン、(右同24)メインディッシュ

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2024年2月13日 (火)

ウォーターバーグ旅行①

 しばらく投稿から間があいてしまいました。実は2月第2週末は3連休だったため、それを利用して北にあるウォーターバーグ国立公園に行ってきました。

 2月10日朝早めに家を出て高速道路をひたすら北上します。日本でもよく見かける片側2車線の高規格道路ですが、無料である一方で、時々人も歩いているというのが日本との違いです(自動車専用道路ではない!)。なのでたまに路肩を自転車が走っていたり、地元民が横断してきたりするのはちょっと怖いものがあります(制限速度は120キロ)。

 約3時間でオチワロンゴという街に到着、ここでトイレ休憩を兼ねてガソリンスタンドに寄ります。日本だと高速道路にはPAやSA、一般道でも各地に道の駅があってトイレに困ることはないんですが、当地はパーキングスポットはあってもトイレはないため、トイレがある休憩スポット=ガソリンスタンドになるのでした(なので小さな町にもガソリンスタンドが結構ある)。トイレと給油を済ませてオチワロンゴから真東に向かう細い道に入ります。この道は進むとすぐに砂利道になります。日本だと砂利道なんてよほど山奥の林道にでも行かなければお目にかかれませんが、ナミビアでは主要道路以外は砂利道が基本です(当地ではグラベルロードと呼ばれる)。小石が転がっていたり水たまりがあったりするのはまだいいんですが、予期しない段差があると車のサスペンションが壊れるのではという恐怖があるのでした。

 砂利道を進むこと50分ほどで、この日最初の目的地Cheetah Conservation Fundに到着です。ここは簡単に言えばチーターの保護施設で、様々な事情で野生にいられなくなったチーターが保護されているところです。チーターは気候の変化や人間の活動範囲の拡大等(密猟を含む)の影響で数が著しく減っているのです。ここではそうした貴重なチーターの姿を見ることができます。この日はチーターを観察するドライブと餌付けを観察しました。

Img_1054 Img_1072(左写真1)チーターの施設、(右同2)チーターがいます

 チーターの見学の後は昼食、この日は家から持参したお弁当をいただきました。

 昼食後は再びオチワロンゴに戻り少し南下、そこから左折して東に向かいます。この道は舗装道路ですが、30キロほど行った先からはまた砂利道に入っていきます。先ほどのチーターに向かう砂利道のような突然の段差はないものの、一面重機が通った跡のようなガタガタ道で、走りにくいことこの上ありません。その後2か所ほどゲートがあり、そこから国立公園内に入ります(ゲートでは車両のナンバーをチェックされる)。周囲には段々テーブルマウンテンが近づき気分が盛り上がります。

Img_1100 Img_1101(左写真3)ナミビアのグラベルロード、(右同4)ロッジの入り口

Img_1102(写真5)テーブルマウンテン

 約30キロほどそんな砂利道を進んでこの日の目的地、Waterberg Wilderness - ONE Namibiaに到着、ここは国立公園内にある民間のロッジです。入り口にもゲートがあり予約の有無を確認されます(ここは宿泊者以外は入れない)。もちろん予約は入れてあるので名前を告げてゲートを通過、構内の道路はこれまで以上の悪路でおそらくは四駆でない車が走れる最低限のレベルと思われます。約5分ほどでレセプションのある建物に到着、ここでチェックインの手続きをします。我々の宿泊するロッジはここからさらに2キロほど奥地にあること、朝食夕食のほか、希望があれば昼食も出せること、ここのアクティビティに参加したい場合はレセプションか、ロッジのレストランの係員に依頼すること等の説明がなされました。

 その後は再び車でロッジのある場所へ、本当に山奥です。時速20キロも出せないような悪路を進んでようやく開けた場所に到着、ここが我々の宿泊地ウィルダネスロッジです。レセプションから連絡がいっているのか係員が待っていました。ここで部屋の鍵を受け取り、まずは部屋へ入ります。室内には蚊帳付きのベッドと扇風機があります。ここは山奥で携帯の電波も届かないところなので、もちろん公共の電気は来ておらず、必要な電気は自家発電、したがってエアコンのような電力をたくさん使う設備はないのでした(もっとも標高も高い山奥なので扇風機で十分といううわさもある)。荷物を運び入れた後はレストランへ、夕食前のこの時間はケーキとお茶がふるまわれることになっているからです。ケーキのほうはこの後の夕食も考えて遠慮しましたがお茶はしっかり堪能しました(ちなみに携帯電話が圏外の地であるが、レストラン周辺のみホテルのWifiが飛んでいて、外部とのやり取りは可能)。

Img_1120 Img_1117(左写真6)こんな感じのロッジです、(右同7)部屋の内部

 しばしのお茶タイムの後は夕食前の運動を兼ねて、ロッジ周辺の散策コースを歩いてみることにします。片道1キロほどのアップダウンも少ないコースでいろんな植物が観察できるコースでした(この日はほかに歩いている人はおらず貸し切り状態(笑)。

 戻った後は夕食のためにレストランへ。前菜のスープとデザートは配られますが、それ以外のサラダやメインはブッフェスタイルでした(この日の肉はゲームミートとチキン)。ワインも一緒に頼んだことは言うまでもありません。

Img_1114 Img_1115(左写真8)レストラン、(右同9)この日のメインプレート

 こうしてウォーターバーグでの1日目の夜は更けていきました。

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2024年2月 6日 (火)

羽虫?

 1月下旬から当地は雨が降ることが多くなりました。雨季が本気を出してきた感じですが、特に先週末の2月2日夜はほぼ夜通し強い雨が降り続きました。私の家は高台にあるので特に被害はありませんでしたが、後から聞いたらところでは、低い土地は結構水浸しだったようです。

 そんな大雨が明けた朝、外に出てみたら共用部分の床になにやら茶色っぽい物体が大量にばらまかれていました。

Img_1043  よく見たら大量の羽虫のようです。すべてお亡くなりになっていましたが、いったいこれだけ大量の虫がどこから湧いてきたんだろうと不思議に思ったのでした(水によって死んだのは確実と思いますが、どこからやってきたのかが不明)。

 そして週明けの朝には、これら大量の虫の死骸は係員によってきれいに片付けられていました。

Img_1050

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2024年2月 5日 (月)

第13回ひの新選組まつりレポが完成しました

 私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」は2001年に誕生しました。その後徐々に発展し(?)今に至るわけですが、実は未完成部分が多々あります。メインの一つである海外旅行記録でも、2011年のボツワナ、2013年のカンボジア、2015年のオーストラリア等が未完成です。国内旅行も書きたいけれどまだという場所がたくさんありますし、日本の道100選も訪問済場所の半分もできていません(100名城、100選滝は訪問済みはすべて完成している)。

 そんな未完の中でも扮装イベント、特にひの新選組まつりの未完成部分は早く完成させたい分野でした。2006年の第9回に初参加以来、2023年の第26回までの実際にパレードが行われたすべてに参加しているのですが、2010年の第13回、2012年の第15回、2016年の第19回、2023年の第26回の4回分が未完となっているのです。ただこの4回が印象に薄い回なのかといえば、さにあらず、むしろ印象深い回ばかりです。特に2010年の第13回は私がこれまで経験したひのパレのある意味頂点ともいえる回でした。理由としてはこの年が唯一、コンテストの日程が前倒しされ、パレード前日にはこれまた唯一の試みであった市村鉄之助コンテストが行われるなど充実していたこと、パレードに参加(隊士・沿道組含め)していた知り合いの数が最多になったことからです。もちろん当時はそんな感慨はなかったのですが、翌年に発生した東日本大震災の影響もあって、卒業していった人も多かったことと、自分自身の心境の変化等もあって振り返るとこの第13回が、ある意味ピークだったことに気づくわけです(その他の2012年の第15回は幕末の医師松本良順として沖田総司に点滴ネタをやった年だし、2016年の第19回は浪士組の清河八郎として近藤勇と歴史的な和解をした回、2023年の第26回はコロナ禍で4年ぶり開催の回でした)。

 しかしながら充実していればこそ、内容が盛りだくさん過ぎてなかなか手が付かず、気が付いたら… となっていました。今回ナミビアに引っ越して、日本時代よりも空き時間ができたことから少しずつ取り組んでいたのですが、このほどついに完成しました。

 第13回ひの新選組まつりレポ

0hino13  14年目にして完成したレポです。もっとも14年の年月によって記憶(特にパレード当日)があやふやになっていることから、内容は従来のものに比べるとかなりプアーなものになっています。その辺はお許しください。

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2024年2月 4日 (日)

ナミビア大統領逝去

 今朝、私の滞在しているナミビア共和国の大統領Hage Geingob氏が亡くなったという政府発表がありました。

 

 以前から持病があり、入退院したりなど健康不安がささやかれていたこと、先月にはがんに罹患していることが発表され、治療のためにアメリカに渡ったりしたなどの情報があったため、全くの驚きというわけではありませんでしたが、渡米の際にはそれほど重篤な感じを受けなかったため、予想以上に急な出来事だったと感じています。

 ただ元々今年大統領選挙が予定されており、憲法上現大統領は今期で勇退が決まっていたため国内には大きな動揺はないようです。元々の任期は来年の3月までなので、そこまでは副大統領が代行として任務を全うし、秋に行われる選挙で決まる新大統領に引き継がれるものと思われます。

 Geingob氏のご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します

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2024年2月 3日 (土)

週末ステーキ

 今日2月3日は日本では節分です。ただ当地にはそのような習慣はないため、この日に何かが行われるというのはありません。ただそんなことにかかわりなく土曜日なので恒例の外食に繰り出しました。行先は先月も行った Bucher Block Namibia というステーキ屋さんです。

Img_1046  この日はスターターとしてサーモンサラダとエビフライを、メインはサーロインステーキを選択しました。ステーキももちろん美味しかったんですが、前菜のエビフライがとても美味しくて、これに中濃ソースをかけたら完璧じゃないかと思ったのでした。

Img_1044 Img_1045(写真左)サーモンサラダ、(同右)エビフライ

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2024年2月 1日 (木)

2月になりました

 今日から2月、日本は真冬ですが南半球のこちらは夏、そして雨季です。ただ雨季とはいっても一日中しとしとと雨が降るなんてことはなく、午前ちゅは晴れていて午後から曇り、夕方にざざっと降るというのがパターンです。ただ最近は徐々に雨量が増えてきた印象があり、雨季が本気を出してきたな(笑)と感じます。

 そんな2月1日ですが、先日公式アナウンスがあった第27回ひの新選組まつりの募集が開始されました。本日更新された日野市観光協会のウェブサイトによると、

① 開催日時 5月11日、12日 例年5月第2週末に開催されるパターンですからいつも通りです。

② 会場 甲州街道、日野宿 どうやら昨年と同じくパレードは日野地区のみのようです(高幡地区は前日のコンテストでのみ使用)

③ 募集人員 86名 これも昨年と同じです。内訳は隊士70名(各隊10名×7隊)、コンテストで選ばれる幹部隊士9名、同じくコンテスト選出の従者7名です。応募者多数の場合は抽選になるようです。コロナ以前にあった新選組と同時隊の人々(通称ゆかり隊)は今年も募集がないようです。

④ 参加費 衣装持ち込み5,500円、衣装貸し出し9,000円(日野市民はそれぞれ500円引き) 昨年に比べてそれぞれ1,000円値上がりしました。スポンサー企業の関係、昨年以来の各種物価高騰の影響が出ているものと思われます。

 規模的にはやや縮小された昨年の路線を踏襲した感じです。お昼のお弁当に関しては案内にはありませんが、諸状況から考えて今年も持参(もしくは現地調達)の印象です。ただ昨年は屯所におにぎりや飲み物が多数置かれたため(参加者1人当たりおにぎりが2個くらいわたる数だった)、結果として昼食を持ってこなくても特に困らなかったんですが、ことしはどうなるかわかりません(個人的にはこちらも縮小はありうると思います)。

 以上、不参加確定者からの情報でした(笑)。

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