広島旅行①~呉編~
基本的におとなしめのGWを過ごしたビザンチン皇帝ですが,終盤からちょっと本気を出しました(笑).6日のお昼に知人のコンサートを鑑賞した後は直ちに東京駅に移動し,そのまま東海道新幹線に乗車し西に向かいました.行先は広島県です.旅好きの私はもちろん47都道府県すべてに行ったことがあるわけですが,観光の量に関してはかなりの濃淡があります.北海道やかつて住んでいた東北地方はもちろん濃い部類ですが,一方で薄い部分の最上位に来るのが広島県です.もちろん行ったことはあるんですが,例えば同じ中国地方で比較しても,出張でちょくちょく行く岡山は別格として,鳥取・島根・山口と比較しても広島県の訪問頻度はかなり少ないものがあります.県庁所在地の広島市も例外ではなく,最後に訪問したのが2008年10月なのでもう15年前です(新幹線で通過ならしている).そんな本州の都府県で最も訪問濃度の薄い広島県を満喫しようというのが今回の企画です.
新幹線は快調に西へ,がしかし,新大阪を過ぎたあたりから周囲は雨模様に(まあ天気予報がそうだったから覚悟はしていた).広島駅に着いた時には本格的な雨になっていました.慣れない広島駅でちょっと迷いながら,この日宿泊のホテルにチェックインしました(結局夕食は駅弁で済ませた).
翌5月7日は朝から活動開始,JR呉線に乗って40分の呉に向かいました.呉といえば軍港,そっち関係に興味がある自分には外せないポイントです.実は訪問頻度の少ない広島県の中でも呉は初訪問なのでした.
雨の中到着後まず向かったのは大和ミュージアム,大戦中の日本最大の戦艦大和をはじめ,呉と海軍の博物館です.名物の10分の1サイズの大和の模型のほか,実物の零式艦上戦闘機や特攻兵器として知られる人間魚雷「回天」なども展示されています.普段のほほんと生きている者として気が引き締まる思いがしました.
一通り見学した後は歩いて10分ほどの場所にある海上自衛隊呉地方総監部の青山門へ.隔週の日曜日に一般公開されている旧海軍関係の施設を見学するためです(事前に申し込みが必要で,希望者が多い場合は抽選).11時から受付が始まり中に入ります.ここでは係員(多分海曹の方)の案内で見学が進みます.まずは旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊呉地方総監部第1庁舎)です.中央にドームを持つ煉瓦造りの建物は明治40年に竣工したもので,今でも現役で使用されています.我々が向かった青山門方面が正面とされていますが,海に面した側が正面ではないかという議論もあるようです(海に面した側に海岸に降りる急階段がある).
鎮守府庁舎に続いて,旧海軍電話交換所へ.ここはさすがに現役では使われていないものの,空襲にも耐えられる強度を誇っています.戦中の使用目的はよくわかっていないそうですが,戦後すぐには電話交換所として使用されていたようです.すぐ近くには当地の地下に張めぐされていた地下通路への入口もあります(危険なので立ち入りはできない).全体で1時間ほどの見学でした.
その後は市街地に戻り,ハイカラ食堂でランチタイムです.海自&海軍に特化した食堂ですが,この日はもちろん定番の海自カレー(潜水艦そうりゅうのカレー)をいただきました(どうでもいいですがこのお店,一部界隈の人たちが発狂すること間違いなしです 笑).
ランチ後は再び大和ミュージアムへ(再入場できるのが良い).先ほどはパスした特別展を中心に見学しました.そして14時40分頃にタクシーで呉基地のFバースに向かいます.今度は海上自衛隊の護衛艦の一般公開に参加するためです(午前中の鎮守府と同様隔週の日曜日に事前申込制で開催).この時間帯になると雨脚も強まっていました.雨の中見学開始,この日乗船できる艦艇はATS-4203訓練支援艦てんりゅうでした.全長100メートルのヘリ甲板を持つ艦艇で,対空射撃訓練用の標的機を発射する支援艦です.この日甲板には小型の標的機チャカⅢが展示されていました.ヘリ甲板にも立ち入りできましたが,こんなところでジンギスカンとかやったら楽しそうだなと思いました(100%懲戒処分の対象になりそうですが 笑).その後は他の護衛艦の外観を見学,一部しか見えませんでしたが海自最大の護衛艦である「かが」も停泊していました.
(左上写真9)訓練支援艦てんりゅう,(右上同10)76mm速射砲,(左下同11)標的機チャカⅢ,(右下同12)壮観です
1時間ちょっとで見学時間は終了,バスで市街地に戻り,この日最後の観光ポイントである,海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」に行きました.ここは海自の大きな任務である「掃海」をテーマにした展示のほか,退役した潜水艦「あきしお」の内部が見学できるのも魅力となっています(なので”てつのくじら”の異名がある).旧海軍が日露戦争の成功体験から艦隊決戦での勝利に力を注ぎすぎたことから,結果として本来日本の生命線であるはずのシーレーン防衛がおざなりにされ,結果大戦後半にはアメリカ軍によるシーレーンの破壊によって,日本は経済的に干上がってしまい戦争継続が不可能になりました.その反省から戦後の海上自衛隊は海上の安全確保を主要任務とし,掃海もその一環として最重要視されているのでした(朝鮮戦争に日本は基本的に参加していませんが,実はGHQの要請により当時の海上保安庁が掃海活動に当たっており殉職者も出ている).
掃海展示の後はいよいよ潜水艦の見学の時間,昔読んだ本で旧海軍の潜水艦の居住性は最悪だったとありましたが,あきしおは戦後の艦艇なので,それなりに居住性のも考慮が払われているようでした(とはいっても,この中で何週間も作戦行動をとるというのは,訓練以上に個人の適性が重要だろうなと感じた).
資料館の見学でこの日の呉観光は終了,JR線で広島に戻り駅ビル内の店で広島の牡蠣を堪能したのでした.
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