2022年8月30日 (火)
2022年8月28日 (日)
第62回日本寮歌祭のハズだった日
今日は第62回日本寮歌祭のハズだった日です.
日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で1961年に第1回が開催され,以後年1回開催で行われていましたが,旧制高校を現役で知る方々の高齢化もあり2010年の第50回をもって一旦終了となりました.しかし寮歌を愛好する方々の強い希望もあり,2011年からは中央寮歌祭という名称で継続が図られ,2019年に日本寮歌振興会と中央寮歌祭実行委員会が合同する形で第59回日本寮歌祭として復活した経緯があります.50回の次が59回に飛んでいるのは,この間の中央寮歌祭が51回から58回に当たるとの判断からです.
寮歌とは主に旧制高校の寮で歌われていたものですが,当然のこととして旧制高校を現役で過ごした方々は超高齢化しており,最も若い人でも今年で91歳になります.現役で知る人は減る一方なわけですが,他方こうした寮歌が好きだという若い世代(?)もいて,そうした人たちが始めたのが中央寮歌祭だったわけです.日本寮歌祭も復活して順調かと思われた矢先,2020年初めにコロナ禍が発生,そのあおりを受けて記念すべき第60回は中止になってしまいました.このブログでも何度も書いているように寮歌祭は「大勢の(400人規模)」「高齢者が(90歳以上もザラ)」「閉鎖された会場に」「密集して」「長時間に渡って(約半日)」「大声で歌い騒ぐ」という新型コロナ感染症対策で”やってはいけない”とされていることをことごとくやるイベントです.ほかのイベントが開催される状況になったとしても,これだけはなかなかハードルが高いだろうと思われます.
ただそうしている間にも現役の旧制高校生は次々に鬼籍に入っています.実行委員会としてはどういう形であれ開催したいという強い思いがありました.そこで編み出されたのがコロナ禍での寮歌祭というもので,「参加するのは各校の代表のみ」「一斉高唱はしない」「各校寮歌は音源を流しながら代表者がマスクを着用して歌う(従来の応援登壇は禁止)」というスタイルでした.5~6月に感染が一時落ち着いていた頃にはこのスタイルでの実施を決定し,関係者への参加確認も行われました.はたしてどんな寮歌祭になるのか興味があった私も参加に〇をして申し込んだのは言うまでもありません.
しかし,7月に第7波になると状況は一変,とてもできそうな雰囲気ではなくなり結局8月初めに中止が決まってしまいました.ただ実行委員会では2023年11月26日の日程で会場を抑えており,来年こそは第63回日本寮歌祭として開催したいと強く願っているようです(寮歌祭は中止になってもその回を飛ばして次の番号になるというオリンピックみたいな回数の数え方をします).本当にそうあって欲しいものです.
2022年8月26日 (金)
羅生門と去年マリエンバートで
今日8月26日は何の日だろうと調べてみたら,1950年のこの日黒澤明監督の「羅生門」が封切られた日なんだそうです.
この映画は黒澤監督の代表作の一つとされるほか,翌1951年のベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど,世界的に高い評価を受けた最初の日本映画とされています.この映画の特徴は登場人物それぞれが自分視点で自分の都合で話すため,視聴者はなかなか真実が判らないような造りになている点です.これは当時非常に斬新な手法だったため海外の映画製作者にも大きな影響を与えました.そうした「羅生門」の影響を受けたとされる映画の一つが「去年マリエンバートで」です.監督はアラン・レネ,フランスのヌーベルバーグの監督のひとりとして知られています.
この作品が作られたのは1960年,私が生まれる前です.ですから劇場で実際に観た経験はなく初見はレンタルビデオでした.この作品の存在を教えてくれたのは大学時代の友人で,「変わった映画があるから観てみよう」と誘われてビデオを借りて見たものです(当時友人はビデオデッキを所有していなかったので,私の部屋に入り浸って映画を見ていました).
初めてこの作品を見た感想ですが,ただ
……
でした.「映画にはストーリーが存在する」というのが常識であるとすれば,まさに非常識、何がなんだかわからないうちに終わってしまったという感じでした.
豪華な宮殿(みたいなところ)に女が立っています.そこに男がやってきて
「去年私はあなたに会いました」
みたいなことを言います.でも,女はそんなこと覚えていません.しかし男は,「そんなはずはない,絶対会っている」といいます.で,そんな二人のやり取りを見ている別の男がいます.ただそれだけです.それだけのやり取りがひたすら形を変えて繰り広げられるんです.
結局その後なんどか繰り返し見ましたが,消化不良のままそのままになっていたのです.
しかし自分も歳を重ね,各種情報が手に入るようになった後から改めてこの作品を見直すと,当時は気づかなかった様々な仕掛けが見えてきて,改めて名作だったんだ(笑)と感心したものでした.
要するにこの作品は,ひとつの事象を複数の人物(この場合は女と男と,もうひとりの男)の視点それぞれから見た映像として別々に撮影し,それをバラバラにしてつなぎ合わせた構造になっていたのです.撮影に当たって,これから誰の視点による絵を取るか,役者にも知らされず,役者自身も混乱したそうです.おそらくアラン・レネ監督のみ一人ほくそ笑んでいたんでしょう(笑).
そんなことを考えた2022年8月26日でした.
2022年8月23日 (火)
白河の関
昨日行われた第104回全国高等学校野球選手権大会の決勝で宮城県代表の仙台育英高校が勝利し優勝しました.100年以上に及ぶ高校野球の歴史の中で東北勢の優勝は初めてのことです.過去には第51回大会の三沢商業(青森),第85回大会の東北高校(宮城),第100回大会の金足農業(秋田)など合計8回東北勢の決勝進出はあったのですが,どうしても優勝には手が届かなかったのです.このため東北人にとっては今回の優勝はとても感慨深いわけです.ネット上では「深紅の優勝旗がついに白河の関を越える!」と話題になっていました.
白河の関は下野国と陸奥国との境界にあった関所のことです.江戸から奥州街道を北に向かうとこの関所に行き当たり,ここから陸奥の国となるわけで,まさに東北地方の玄関口と言える場所でした.白河の地は要衝の地として江戸幕府も重要視しており,この地に封じられたのは親藩・譜代の有力大名でした.江戸中期,寛政の改革で知られる老中松平定信はもっとも有名な白河藩主でしょう.現在では国道4号線をはじめ,東北自動車道,東北本線,東北新幹線などの重要路線が付近を通っています.今回ついに優勝旗が白河の関を越えるわけですが,ここで注意が必要です.それは東北地方と他地方との境界は白河の関だけではないからです.江戸から太平洋沿岸を進み常陸の国から入る場合には勿来の関が日本海回りで越後の国から入る場合には鼠ヶ関を通ることになります.もし仮に仙台育英の選手と優勝旗が日本海回りや常磐線回りで帰仙した場合,白河の関は越えなかったことになるのです.最後まで油断できません(笑)
と思っていたら,どうやら東北新幹線で仙台に戻ったようです.
これで無事に白河の関を越えたわけです.
2022年8月22日 (月)
小田原医師会合唱団第12回定期演奏会
私がメインでやっている合唱団のひとつ、小田原医師会合唱団の第12回定期演奏会が行われます。
この合唱団は私が当地に赴任してきた2008年に設立された合唱団です.縁あって同年の立ち上げコンサートに参加する機会を得,その翌年の第1回定期演奏会からは毎年参加していました.当初は4声のアンサンブルを通すことすら難しいレベルだったのですが,団員の努力と指揮者やピアニストの先生方の我慢強いご指導のおかげで年々それらしい形になり,2018年9月の第10回定期では大田桜子先生の委嘱作品を発表するレベルになりました(感無量).翌2019年の第11回では難曲として知られる石井歓の「風紋」にも挑戦しました.
当初2020年に予定されていた第12回ではボブ・チルコットのジャズミサという新境地に挑戦し始めたんですが,コロナ禍が始まってしまったために活動休止に追い込まれ,結局当初の第12回は幻となり現在に至っています.
今年の春ごろから少しずつ練習を再開し今に至っているのですが,今年こそはとかなり演奏規模を縮小したコンサートを予定しています.曲は過去に歌ったものの中から選曲,第2ステージとして合唱団にも縁のある佐治晴夫先生をお招きして講演していただくことになっています.
本日チラシとチケットを受け取ってきました.日時は10月2日(日)の14時開演、会場は2年前に新設オープンした三の丸ホールです.まだまだ不安な世相ですが,なんとかやり遂げたいと思っています.
2022年8月21日 (日)
夏季休暇のゆくえ
旅行が趣味の私,コロナ禍前は夏季休暇として1週間から10日間くらいの海外旅行に出かけるのが定番でした.この習慣はまさに21世紀になった2001年からの伝統で,普段仕事をするのはこの旅行に行くためといっても過言ではない(笑)ほどです.試みに2001年以降の海外旅行先を列挙してみます(カッコ内は夏季休暇とは別に冬期休暇的に行ったもの).
2001年 ニューカレドニア
2002年 タヒチ
2003年 スヴァールバル諸島
2004年 セイシェル諸島、(グアム島)
2005年 パラオ諸島、(パラオ諸島)
2006年 オーストリア
2007年 マダガスカル、(グアム島)
2008年 ナミビア、(フランス)
2009年 イスタンブール、(サイパン島)
2010年 ギアナ高地
2011年 オカバンゴデルタ
2012年 ペルー、(パラオ諸島)
2013年 ドイツ演奏旅行、(カンボジア)
2014年 (ミャンマー)
2015年 オーストラリア、(ウユニ塩湖)
2016年 イスラエル
2017年 (ラオス)
2018年 ボリビア&チリ、(南部アフリカ)
2019年 トルクメニスタン、(ザルツブルク)
一見すると2014年と2017年は夏季休暇を取っていないように見えますが,2014年の分は2015年2月のウユニ塩湖,2017年の分は2018年2月の南部アフリカという大型旅行に振り向けた経緯があります.こうしてみると2000年代初めは日頃がハードだったこともありビーチリゾートメインだったのが,徐々に余裕ができてからは秘境系メインに移行しているなどの傾向が見て取れます.
そしてコロナ禍に入り海外旅行が封印されてからの夏季休暇旅行ですが
2020年 父島
2021年 尾瀬
となっています.2020年はちょうど感染第2波が落ち着いていた時期で,国内では行きたい場所だったものの,まとまった休み(船便の関係で最低6日が必要)がないといけない父島に行きました.翌2021年は当初6月に北海道の礼文島でレブンアツモリソウを見に行こうと張り切っていたのですが,感染第4波を受けて現地の自治体(礼文町)から観光目的での来島自粛要請がでたことからやむなく中止し,代わりにここもまたなかなか行く機会のなかった尾瀬に行きました.
そして今年2022年ですが,当初今年こそは礼文島に行こうと張り切っていたものの,ちょうどチンチラのナンネルさんの様態が悪くなっていた時期だったことから長期間の留守は避けたいとなって中止,その代替として今月末から来月初めにかけて北海道の日本海側(江差や奥尻島,島牧,積丹半島など)を巡ろうと計画していました.しかし,最近の感染第7波の状況(いつどこで感染しても不思議でない)から空路でなければ移動できない場所へ行くと,万一現地で感染した場合帰ってこられないリスクがあることから泣く泣く断念することにしました(自動車で移動できるところなら最悪自力で帰ってこられる).2年連続北海道には縁がない形になってしまいました.代替の代替をどうするか,時期を含めて検討したいと思います(私の辞書に旅行に行かないという言葉はない 笑).
2022年8月20日 (土)
冷やしトマトとルッコラのラーメン
仕事で時々沼津に行くのですが,国道1号線箱根峠を越えて20分ほど下ったところに一番亭三島塚原店さんがあります.たまに気が向いた時に寄るのですが,昨日もそんな気分(笑)だったので寄ってみました.
テーブルに置いてあるメニューを見たらなにやら新しい企画メニューが載っています.曰く「第2弾冷やし麺 冷やしトマトとルッコラのラーメン」だそうです.第1弾だった冷やし瀬戸内レモンらーめんに続く新メニューのようです.紹介文によると、酸味と甘みの爽やかなトマトと野性味あふれるルッコ,鯛の旨味を感じる塩スープで夏にぴったりの一品とのこと.こういう企画ものに目がないのでさっそくいただきました.
一見すると辛そうですが,赤はすべてトマトなので全く辛くはありません.ルッコラの独特の風味(ほんのり胡麻っぽい)や紫タマネギのシャリシャリ感も素敵です.スープはとてもあっさりしていて美味しいのですが,個人的にもう少し酸味があってもいいかなと感じました.ともかくヘルシーであることは間違いないと思います.
2022年8月18日 (木)
医療相談その後
通常の仕事の傍ら,月に1回市の保健センターでの医療相談業務に出かけています.主として自分の専門領域の病気や症状で悩んでいる患者さんからの電話相談に応じるのですが,先月の記事で書いたように新型コロナの第7波を受けて,かかって来る電話がみんなコロナ関係になってしまい、自分領域の電話が入り込む余地がなくなっています.数日前8月の出動日だったのですが,基本的には同じような感じでした.ただ7月は「発熱してしまったのですが、どこに行けば診てもらえるのでしょう」といった問い合わせが多かったのですが,8月は「発熱があったので自分で抗原検査をしたら陽性でした.どうしたらいいでしょう」という風に状況に変化が見られています.感染拡大を受けて自治体によっては抗原検査キットを配っているところもあるほか,薬局などで購入することもできるので,抗原キットがかなり出回っている世相を反映した変化だろうと思われます.発熱外来がひっ迫している状況を受け,神奈川県では若くてリスクの低い人に関しては自分で行った抗原検査の結果を利用して,自分で感染登録をする自主療養を選択できるようにしています.なるべく若くて元気な人は医療機関に行かず家で寝ていてくださいというわけです.
ここ2週間ほどは首都圏などこれまで感染が拡大していた地域はやや縮小傾向を示すものの,地方ではむしろ拡大しているなど感染症流行のフェーズが徐々にに代わってきているのを感じます.とはいえ個々人ができる対策は以前と変わるわけではありません.まずは基本的なマスク,手指消毒等という基本に立ち返って徹底させていく必要があるのは言うまでもありません.
2022年8月16日 (火)
帰国難民
新型コロナウイルス感染症の世界的な流行が始まって2年半,この間ウイルスは当初の武漢株から2021年春のアルファ株,同年夏のデルタ株,さらには2022年初めからのオミクロン株と変異してきました.特にオミクロン株に置き換わって以降は感染力は強いものの,従来株に比べて(ワクチン接種の効果も含めて)重症化率や死亡率が低下していると考えられており,各国ではそれまでの制限を撤廃する動きも見られるようになりました.それに伴い諸国間の往来も戻りつつあり,多くの国では入国時のPCR検査なども行われなくなりました.日本の大手旅行会社も徐々に海外旅行商品を出すようになっています.もちろん個人で航空券を購入しての旅行も可能でそうした旅行者も増えてきているようです.
ただ一方で問題となっているのは,旅行先で感染してしまったケースです.現在日本政府は入国時の検査は行っていないものの,出国72時間以内に実施された陰性の検査証明を検疫所に提出する決まりになっており,これがないと航空会社は日本行きの便への搭乗を拒否することになります.このため旅行の最終段階で陽性が判明してしまった場合,帰りの飛行機に乗れないことになってしまいます.ここで重症化すればさらに大事ですが,幸い軽症だったとしても翌日すぐに陰性化することは稀であり,団体旅行の場合は離団したうえで少なくとも数日から一週間さらなる現地滞在を余儀なくされます.追加の滞在費の負担も大きいですが,帰国後仕事が入っていた場合などは職場への連絡や調整も必要になります.慣れない海外で,しかも病を抱えてこうした事態になるのは非常に辛いでしょう.
それでも数日で無事陰性化すればいいのですが,コロナの場合症状軽快後でもPCR検査がなかなか陰性化しないケースもあります.この場合は陰性化するまでさらに帰国が延びることになります.最近はこうした症状は軽快したのに,検査が陰性化しないため飛行機に乗れない帰国難民が増えているのだそうです.
ちなみに日本の在外公館では,こうした帰国難民対策として症状軽快後も複数回検査で陽性となってしまったケースで,真にやむを得ない場合に「陰性(検査)証明書が取得困難であることを確認する」旨を記した領事レターを発行することにしています(在フィリピン日本国大使館のケース).該当者は陰性の検査証明の代わりにこれをを提出することで飛行機に搭乗することになりますが,領事レターはあくまでも在外公館が航空会社に「この人は症状は軽快しており他人に感染させる危険性は低いのでよろしく頼む」と配慮をお願いする書類に過ぎないため,実際に飛行機に乗れることや日本に入国できることを保証するものではありません(乗せるかどうかの最終判断は航空会社ですし,入国の可否判断は入国審査官となります.もっとも日本人である場合は日本の空港に到着さえできれば法的には入国拒否にはならないハズですが).
この領事レター,旅行者の間でも結構知られるようになったらしく,在外公館への問い合わせも増えているようです.しかし先述のようにこれはあくまでも真にやむを得ない場合にのみ発行されるものです.旅行者の中には早く帰国したい一心からか,1回陽性になっただけの場合や,まだ症状が軽快していないにもかかわらず領事レターの発行を希望する人もいるそうです(この辺は日本渡航医学会のメーリングリストで話題になっている).一部の人たちによるルールを逸脱した要請が在外公館に多数寄せられ,業務を圧迫する事態になるのは厳に慎まなければなりません.この辺のルールが変わるまでは海外旅行はまだ厳しいなと思ったのでした.
2022年8月15日 (月)
お墓参り
この週末はいわゆる盂蘭盆の時期に当たりました.過去にはこの時期に休みを取るドクターが多かったことから自分は留守番に回るパターンが多かったのと,2020年&2021年はコロナ禍の中で行政から行動規制が出されていたこともあって長い間帰省することがなかったのですが,今年は3年ぶりに行動制限が出されていなかったのと,他に休むドクターがいなかったことで本当に久しぶりにお盆の帰省となりました.
8月12日夕方の新幹線で盛岡へ.途中帰省すると定番の一つである一風亭の担々麺を食べてから家に向かいました.
翌13日と14日はあちこちのお墓参り,さすがにお盆だけあってそれなりの人出でした(とはいってもコロナ前に比べると明らかに少ない印象).一通り墓参を終えた後は家族で宮城県の鳴子温泉に繰り出しました.こけしで有名な鳴子温泉ですが,泉質も濃厚な名湯です.学生時代を仙台で過ごした自分ですが,実は鳴子温泉はあまり行ったことがありません.学生身分には高級感があったのが理由と思われます.社会人になってからはより秘境感の強い温泉を好むようになったこともあり,ますます足が遠のいた印象です.
(写真2)鳴子観光ホテルの大浴場(浴場内は写真撮影禁止のため公式HPから拝借)
私が最後に鳴子温泉に行ったのは2008年に温泉気候物理医学会の学術大会が行われた時で,この時の会場が今回も宿泊した鳴子観光ホテルでした.ちなみにこの時の思い出として,部屋の冷蔵庫や夜食のラーメンまですべて学会参加費に込々だったことです.そのことを知らなかった自分は,冷蔵庫のビールは高いからと自販機で買って飲んだのでした(込々なのを知ったのは翌朝のチェックアウトの時 泣).
宿泊後15日は県境を越えて秋田県の湯沢市へ.当地名産の稲庭うどんをいただいてそのまま盛岡に戻り,その日の夕方の新幹線でこちらに戻ったのでした.15日の北東北は一日雨,ちょうど自分が乗るはやぶさ号に連結する予定だったこまち号が雨で遅れたため,はやぶさ号単独の運行でした.
2022年8月12日 (金)
第62回日本寮歌祭中止…
今日自宅のポストを覗いたら一通のハガキが入っていました.差出元は日本寮歌祭実行委員会事務局,今月末に迫った第62回日本寮歌祭についてであることは確実です.早速裏を見ると…
第62回日本寮歌祭8月28日(日)は中止いたします。
とのことです。
日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で1961年に第1回が開催され,以後年1回開催で行われていましたが,旧制高校を現役で知る方々の高齢化もあり2010年の第50回をもって一旦終了となりました.しかし寮歌を愛好する方々の強い希望もあり,2011年からは中央寮歌祭という名称で継続が図られました.そして2019年に日本寮歌振興会と中央寮歌祭実行委員会が合同する形で第59回日本寮歌祭として復活した経緯があります.50回の次が59回に飛んでいるのは,この間の中央寮歌祭が51回から58回に当たるとの判断からでしょう.
そして2020年には記念すべき第60回となるハズでしたが,新型コロナのパンデミックを受けて中止となりました(翌2021年も中止).このブログでも何度も書いているように寮歌祭は「大勢の(400人規模)」「高齢者が(90歳以上もザラ)」「閉鎖された会場に」「密集して」「長時間に渡って(約半日)」「大声で歌い騒ぐ」という新型コロナ感染症対策で”やってはいけない”とされていることをことごとくやるイベントです.ほかのイベントが開催される状況になったとしても,これだけはなかなかハードルが高いだろうと思われます.元々超高齢者が多い寮歌関係者,寮歌祭が開けなかった2年以上の間に鬼籍に入られた方も多く,実行委員会としてはどんな形であれ開催したいという思いが強くありました.その結果生み出されたのが,参加者を数十人規模(通常は数百人)に限定し,マスク着用の上登壇して歌うのは学校関係者のみ(通常は誰でも応援と称して自由に登壇し歌える)という最大限感染対策に留意した形での開催でした.これが今年6月の状況でした.
しかしその後7月に入ってからオミクロン株BA5による第7波の感染拡大の状況を受け,今回の中止の判断となったようです.実行委員会では来年2023年11月26日の会場を抑えており,来年こそは第63回日本寮歌祭として開催したいと強く願っているようです(寮歌祭は中止になってもその回を飛ばして次の番号になるというオリンピックみたいな回数の数え方をします).本当にそうあって欲しいものです.
2022年8月11日 (木)
シン・掲示板
今日は山の日の祝日です.祝日法によるとこの日は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日であると定められていますが,一方でなぜこの日が山の日になったのかについては記載がありません.この辺については,お盆前に祝日を作りたかったのではと言われています(当初は世間的にお盆に入る8月13日の前日12日にしようという意見があったものの,この日は1985年の日本航空123便墜落事故の日と重なるためその前日になったといわれる).子供や大学生にとっては元々夏休み期間であり影響はないのですが,大人にとっては8月に日曜日以外の休日があるというのは結構インパクトがあります.最近は移動祝祭日で月曜休みが多くなりましたが,週の真ん中とかに休日が入るのは勤め人にとってはうれしいものです.
そんな2022年の山の日,特に出かける予定もないので家でゆっくりしているのですが,さる8月1日に閉鎖になったteacup.さんの掲示板の代わりになるものを本日設置しました(名付けてシン・掲示板 笑).
以前も書いたようにSNSが発達したこの時代,web掲示板の役割は限定的なものですが,私のホームページにたどり着いた方がなんらかのメッセージを残せる場はたとえ秘境であってもあった方がいいかなと思ったからです.幸いロケットBBSさんが掲示板を未だ運営しており,今回はそれに乗っかる形にします.無料版なので広告が表示されるなど見づらい点はありますが,秘境なのでその辺は問題ないだろうと思います.
果たして書き込んでくれる人がいるのかわかりませんが運用していきたいと思います.
2022年8月10日 (水)
医局中法度
今日は8月10日、語呂合わせ記念日としては帽子の日(帽子=ハット(8+10)が有名ですが、そのものズバリの法度の日があってもいいでしょう。
試みに調べてみると法度とは、中世から近世にかけて作られたおきて、法とされています。江戸時代の武家諸法度や禁中並公家諸法度が有名です。一方で法度には禁じられていること、してはならないことという意味もあります。「◯△はウチの会社ではご法度だよ」なんていうのは後者の例です。
今に知られる法度の一つである新選組の局中法度は法というよりも後者の禁令の意味が強いものとなっています。一般には
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
の4章からなっています。基本的に全て「◯△してはならない」という禁令です。上記項目に違反した者は切腹となっていますが、第一章の「士道ニ背キ間敷事」はいかようにも解釈可能であるため、一般隊士にとってはかなり恐ろしい項目です。新撰組は内部粛清によって多くの隊士を失ったという歴史があり、この法度がそれに影響を与えたことは間違い無いでしょう。
で、この局中法度にヒントを得て思いついたのが医局中法度です。新選組のトップは組長ではなく局長と呼ばれます。これは元々会津藩預かりの組織だったため自らを会津藩の一部局と位置付けたからとも言われています。一方で大学病院などである専門領域の医師の集団を医局といいそのまとめ役を担当する人物を医局長と呼びます(こちらはあくまでもまとめ役であって、組織のトップではない)。新選組の局中法度をアレンジして医局中法度を作ってしまおうという企画です。実はこれ2007年の第10回ひの新選組まつりの隊士コンテストのネタとして作った者です。当時結構ウケて私は無事にコンテストに合格、この年5番組長武田観柳斎役を頂いたのでした。
一、医道ニ背キ間敷事(医の心を忘れるなということ)
一、医局ヲ脱スルヲ不許(つらくても勝手に病院をやめるなという意味)
一、勝手ニ副業致不可(お金が欲しいからと,勝手に他所の病院でアルバイトをするなということ)
一、勝手ニ診断書取扱不可(自分ひとりの判断で診断書を書くなということ)
という内容になりました。昭和から平成前半ならともかく、今の大学医局には医師を縛る力はないので若い先生は嫌ならいつでも医局を辞めてしまうと知り合いの教授が言っていました(笑)。そんなことを考えた2022年8月10日でした。
2022年8月 7日 (日)
立秋
今日は二十四節気のひとつ立秋です.暦の上では秋などと呼ばれる日です.「もう秋だ」などと言われても現実には夏真っ盛りであり、まだまだ暑い日が続くこともあって,「全然名が体を表してないじゃないか」と怒られる向きもあるのですが,別に立秋の日からスイッチが切り代わって急に秋になるという意味ではありません.6月頃から徐々に気温が上がって夏になってきたものが,この立秋の頃をピークに次第に暑さの勢いを失い秋に向かっていく,いわゆる変曲点的な日ということです(この辺は真冬の一番寒い時期に当たる立春と同じ).
実際に北国に行くと,立秋を過ぎると日中の暑さはさほど変わらないものの,朝夕は冷え込むようになりたしかに夏の終わりを意識します.またスズムシなど秋の虫が鳴き始めるのも立秋が過ぎてからになります.
一方で生活面で言えば,夏の暑いい時期に知人などに出している”暑中見舞い”が立秋を過ぎると”残暑見舞い”に代わります.また長梅雨の年などで立秋までに梅雨が明けないと,その年の梅雨明けは無しという扱いになるそうです.
そんなことを考えた2022年の立春ですが,この日は日曜日,特に出かける予定もなかったので家で一日過ごしていました(せっかくなので宅配でお寿司をいただきました 笑).
2022年8月 5日 (金)
静岡醤油ラーメン
隣県の沼津市に時々出張に出かけています.コロナ禍になってからは感染対策も考慮して自家用車での移動がメインになりました.ルートは箱根新道から国道1号線で所要時間は大体1時間弱といったところです.このルート沿い,箱根峠を越えて10キロくらい下ったところに一番亭三島塚原店というラーメン屋さんがあります.以前ここに書いた冷やしレモンらーめんを出しているお店です(関連記事).
で、この日寄ってみたところまた新しいメニューが登場していました.その名も静岡醤油ラーメン,曰く「3種類の醤油の極上ブレンドとこだわりの手造りレアチャーシュー」とのことです.夏の盛りではありますが,この日は気温が低く過ごしやすい1日だったので(最高気温26℃)思い切って挑戦することにしました.
待つこと数分,ラーメンの登場です.
まずはスープを飲んでみます.3種類のどんな醤油がどうブレンドされているのか,醤油に造詣が深いわけでもない私はよくわかりませんでしたが,醤油そのものの味が前面に出ている印象(出汁が効きすぎていない)でした.麺はこのお店独特の細麺です.レアチャーシューもトロッとして美味しかったです.結論として通常の醤油ラーメンに比べて醤油が前面に出ている(決してしょっぱいわけではない)イメージでした.
リピートしてもいいかなと思いました.
2022年8月 3日 (水)
危険な暑さ
いよいよ8月に入りました.学校では完全な夏休みシーズンです.
夏だから暑いのは当たり前ではありますが,21世紀に入ってから,特にここ数年の暑さは尋常でないものがあります.かつては暑い日を指す気象用語として最高気温25℃以上の「夏日」,同じく30℃以上の「真夏日」,夜間の最低気温が25℃を下回らない「熱帯夜」がありました.しかし21世紀に入って夏の30℃以上が当たり前になったことから,2007年に最高気温35℃以上の「猛暑日」が追加されています.
それでも追加当初は真夏日が続く合間に猛暑日の日があるという感じでしたが,最近では猛暑日が連続していて,お天気コーナーでも真夏日だと「暑さが和らぎました」,夏日だと「過ごしやすい一日でしょう」なんて言われるレベルになっています.
そんな暑い日々ですが,最近耳にすることの多い言葉が表題の「危険な暑さ」です.名前のイメージからは油断すると命にかかわるような暑さなんだろうと思いますが,具体的な定義はあるんだろうかと思って調べたらちゃんとあるようです.一言で暑いといっても気温だけで決まるものではありません.たとえば北海道や西ヨーロッパの夏は気温は高くてもカラッとしていて過ごしやすいなどと言われるように,同じ気温ならば湿度が高い方が不快です.実際の暑さを評価するには,「気温」,「湿度」,「放射熱(地面からの照り返しなど)」,「気流」の要素を総合する必要があり,それが「暑さ指数」(WBGT: 湿球黒球温度)と呼ばれるものです.この暑さ指数が31℃以上の状態を危険な暑さと呼ぶようです.
ちなみに暑さ指数の算出方法は屋内と屋外で異なり,
屋外 WBGT = 0.7×湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度
屋内 WBGT = 0.7×湿球温度+0.3×黒球温度
で計算されます.ここから先は物理の範囲ですが,乾球温度とは通常の温度計で測定した気温,湿球温度とは温度計の球部を湿ったガーゼで覆った温度計で測定した気温(湿度が低い場合は気化熱が増えるので乾球温度に比べて低くなる),黒球温度は黒いグローブのようなもので覆われた温度計で測定される気温で放射熱の影響を受けるものです.
その日の状況によって異なるものの,日本においてはWBGT 31℃以上とは概ね気温35℃以上のことで,これは猛暑日に一致します.すなわち危険な暑さ≒猛暑日ということのようです.
そんなことを勉強した真夏の一日でした.
2022年8月 1日 (月)
掲示板閉鎖
以前ここでもお知らせしていたように,teacup.が運営していたネット掲示板サービスが本日13時で終了になりました.このため私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」に設置されていた掲示板も閉鎖されました.16年間という長いのか短いのか微妙な期間でしたがありがとうございました(とはいっても活気があったのは最初の5年くらいで,後半10年は完全秘境化していましたが 笑).
本日最後の瞬間を見届けようと12時59分過ぎからリロードをしていたのですが,13時5分くらいになってもちゃんと表示されています.「あれっ?13時ぴったりに閉鎖じゃないんだ」と思い書き込みをしたところ,まだ大丈夫でした.その後teacip.のサイトに行ってみたところ,「まだ書き込みができる!」といった同社の他掲示板の新着記事が並んでいました(自分と同じようなことをしている人が多いんだなと感心).そして13時10分過ぎに最後の書き込みをしてリロードしたら,
teacup. byGMOのサービス終了のお知らせ
の表示が出てジ・エンド,本当に終了してしまいました.SNSが発達した時代にあって一つのツールが歴史的な役割を終えたんだなと感慨に浸った瞬間です.
掲示板サービス終了に伴いすべてのデータが消去されます.ただ末期は秘境だったとはいえ,かつてはそれなりに賑わっていた時代もある思い出の掲示板です.それが完全に消えてしまうのは残念という思いもあり,魚拓という形で残しておくことにしました(もちろん新規の書き込みはできませんが).
今回改めて思ったのですが,アナログな紙媒体ならば例えば雑誌が休刊,廃刊になったとしても自分が処分しなければそれは残ります.仮に残しておいたことを忘れてしまっても将来誰かに発見されることもあるでしょう(最近になっても時々新発見がある戦国時代や江戸時代の古文書などはまさにそう).しかしweb掲示板やブログなどデジタルものの場合,所詮は人様のサーバーを借りて運用しているにすぎません.今回のように運営元が閉鎖した場合は自ら残そうと努力しないと問答無用で消えてしまうのです.
今回も運営元の情報をチェックしていたからこそ,魚拓を取ることができましたが,もしも失念していたら知らないうちに消去されていたでしょう.これはブログもそうで,かつては多くの会社がブログサービスをやっていましたが,どんどん無くなり今は数えるほどしかありません(このココログもその数少ない一つ).各社閉鎖に当たって他社ブログへの移行サービスをやっていますが,これも自分でやらなければそのまま消えてしまうことに変わりはありません.デジタル時代は便利なように見えて,自分で努力をしないと情報が簡単に消え去ってしまう時代でもあります(Web魚拓にしてもいつ消えるかわからないのは実は一緒です).ブログに関しては掲示板どころではない大量の思い出が詰まっています.これもどこかの段階で書籍化などアナログな保存方法を考えてもいいのかも… などと思ったのでした.
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