渋沢栄一の里
先日の埼玉旅行,ときがわ温泉と並ぶ柱が渋沢栄一の里を訪ねることでした.2021年の大河ドラマ青天を衝けの主人公であり,日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の出身地血洗島村は今の深谷市にあります.ドラマが放送されていた昨年のうちに行ってみたかったんですが,ちょうど新型コロナのデルタ株が流行っていたタイミングだったために断念したものです.今回ようやく行くことができました.
まず向かうのは渋沢栄一記念館,ここには渋沢栄一に関する書簡や写真などの資料が多数展示されているほか,講義室では渋沢のアンドロイドによる講義を聴くことができます(予約制).この日は課外学習と思われる中学生グループが来ていました.
(左写真1)渋沢栄一記念館、(右同2)渋沢栄一のアンドロイド
続いては記念館から車で数分の旧渋沢邸中の家(なかんち)です.ここは渋沢栄一の生家があった場所で,現在ある屋敷は明治28年に建てられました.栄一は晩年になっても時間を作ってはこの地を訪れていたそうです.ただ今年の春から耐震工事に入ったらしく今は外観しか見ることができないのが残念でした(我々が行くと工事中というケースは結構多く,過去にはアヤソフィア寺院,アンコールワット,延暦寺根本中堂などがそうだった).
次は幼少期の栄一にとって学問の師でもあった尾高惇忠の生家を訪ねます.中の家が明治期に新築された建物であるのに対し,ここは江戸時代後期の建物が残っているという,違う意味でも重要なところです.内部は土間を通路として部屋の一部を見学するスタイルでした(ここの2階に文久三年の「高崎城乗っ取り計画」の謀議が行われた部屋があるが現在は非公開).ここには藍玉や藍の葉も植えられていました.
尾高惇忠の生家訪問を終えたタイミングでちょうど昼時,この日は地元の小料理屋さんで深谷名物の煮ぼうとうをいただきました.ほうとうといえば山梨が有名ですが,味噌味でかぼちゃが入った山梨版に対して,こちらは醤油味であっさりした感じでした(二日酔いのお昼にいい感じ 笑).
昼食後は誠之堂・清風亭へ.こちらも渋沢栄一ゆかりの場所です.誠之堂は栄一の喜寿を祝って大正5年に当時の第一銀行の行員たちの出資により建てられた煉瓦造り・洋風の建物(イギリスの農家をイメージしたらしい),一方の清風亭は大正15年に第一銀行頭取の佐々木勇之助の古希を祝って誠之堂の隣に建てられた白壁が特徴的な建物です.どちらも当時東京世田谷にあった第一銀行の保養施設清和園内にありましたが平成11年に深谷市に移築され今に至っています.
(左上写真8)誠之堂、(右上同9)誠之堂内部、(左下同10)清風亭、(右下同11)清風亭内部
この後は郊外の畠山重忠公史跡公園へ.ここは鎌倉時代初期の有力御家人畠山重忠の館跡に整備された公園です.青天を衝けに続いて放送されている鎌倉殿の13人にも登場する武将でそのキャラから坂東武者の鑑と称賛された人物です.近くの道の駅でも渋沢栄一と並んで畠山重忠グッズが売られており,うまく時流に合わせているな(笑)と感心したのでした.
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