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2022年5月11日 (水)

5月11日

 今日は5月11日,実は当ブログにとっては非常に大切な日です.

 まずはブログ名にもなっているビザンチン帝国の都コンスタンティノープル(現イスタンブール)の開都記念日であることです.古代ローマ帝国の都はもちろんローマ市だったわけですが,3世紀以降産業の衰退が激しく,街には無産市民や無能な元老院が跋扈している状態で,まともな政治が行える環境ではなくなっていました.それどころか下手にこの街にいると政争に巻き込まれて殺される恐れもあり,まともな皇帝はローマには寄り付かなくなっていたのです.またこの頃から東方にはパルチア王国やササン朝ペルシャ帝国といった大国が勃興し,ローマ帝国の東の国境がきな臭くなっていました.ローマ皇帝の第一の仕事が外敵から国を守ることです.東部国境の防衛をスムーズに行うためにも,ローマではなく,より東側に新しい都が置かれることが望まれていました.

 この時に白羽の矢が立ったのが,ビザンチウム(ビザンチオン)と呼ばれるバルカン半島の南東部,ボスポラス海峡に面した港町でした.この街は3方を海に囲まれた要害の地であり,金角湾は天然の良港でした.東方ににらみを利かせる新首都としては絶好の場所だったのです.ディオクレティアヌス帝亡き後の後継者争いに勝利したコンスタンティヌス1世は正式にこの街を新首都としましたが,その開都式が行われたのが330年5月11日なのです.

Istanbul1_233 Isutanbul22_015(左写真1)6世紀に建造された聖ソフィア大聖堂,(右同2)聖堂内にある聖母子とコンスタンティヌス大帝,ユスティニアヌス大帝のモザイク

 続いても同じくビザンチン帝国の話題です.ローマ帝国は395年のテオドシウス帝の死後完全に東西に分裂しましたが,人口や産業の面で劣っていた西の帝国の衰退は激しく,476年にゲルマン人の傭兵隊長によって滅ぼされました.その後旧領はゲルマン人諸部族が群雄割拠する状態になってしまったのですが,その領土を回復しローマ帝国の栄光を取り戻そうとしたのが6世紀の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世です.彼の時代に地中海は再び帝国の内海となり,東ローマ帝国は領土的な最盛期を現出したのです(ただし経済面を含めた全盛期は10世紀末~11世紀初頭のマケドニア朝といわれる).そんなユスティニアヌスが生まれたのが483年5月11日のことでした.

 そして3つ目は新選組関係の話題,近藤勇や沖田総司とともに新選組でもっとも有名な隊士である土方歳三が函館で戦死した日であす.慶応四年(1868年)正月の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争は,その後の上野戦争や会津戦争等を経て,翌明治二年の箱館戦争に至ります.この間新選組は佐幕派勢力として常に闘い続けてきましたが,土方歳三もまた旧幕府軍とともに戦いこの箱館までやってきていたのです.しかし新政府軍の攻勢の前に形勢不利となり,5月11日一本木関門付近の戦いにてついに戦死したとされています(弁天台場に立てこもっていた新選組は5月14日に,五稜郭の本隊は5月18日に降伏した).

Hiji3 Hiji2(左写真3)現在の六本木関門,(右同4)同地にある土方歳三の碑

 このように5月11日はビザンチン帝国と新選組を愛好する当ブログにとって非常に重要な日となっています.

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