もうひとつの五稜郭
5月29日日曜日はふと思い立って長野県の佐久市に繰り出しました.目的は続日本100名城の一つである龍岡城を訪問することです.
龍岡城は龍岡藩1万6千石の藩庁で,築城が開始されたのは幕末の元治元年で一応の完成を見たのが慶応3年です.日本100名城正続200城の中で最も歴史が新し城郭になります.そしてこの龍岡城が特記すべきなのは,これが西洋風の五芒星星形城郭(いわゆる五稜郭)であることです.
星形要塞は近世以降のヨーロッパで発達した城郭の形態で,敵の火砲による攻撃を防ぎつつ,攻め寄せる敵兵に効果的に射撃を浴びせることを目的としています.中世までの城は高い城壁を持つことがより強力な防御を持つことを意味しましたが,火砲が発達すると高い城壁は格好の目標となり容易に破壊されうるようになりました.この対策としてより低く厚い城壁が求められるようになったのです.ただし日本では大型の火砲が多数配備される前に戦国の世が終わったこともあり,城はシンボル的なものとなり高い城壁,派手な天守や櫓などを持つ形態のまま幕末に至りました.
(左写真3)現存する唯一の建物である御台所,(右同4)龍岡城隣にある五稜郭公園
しかし列強の脅威が迫る中で従来の城郭ではとても拠点を守ることは困難であり,西洋風の城郭が作られることになります.もちろん代表例は函館の五稜郭ですが,信州佐久にも同じコンセプトの城郭が作られていたのです.ただ龍岡城の広さは函館五稜郭の4分の1と小ぶりで,堀も狭く,付近の小高い山から全体が一望できるなど,とても実戦に耐えうるとは思えず,これは西洋文化に造詣が深かった藩主松平乗謨の個人的な趣味によるものではと考えられています。
明治後廃城となり大半の建物は破却あるいは売却されましたが,唯一御台所のみ現存しています.また現在城内は佐久市立田口小学校の敷地となっています.
(写真5)展望所から見た龍岡城,周囲の緑が五角形を示しています
五稜郭といえばその全体像を眺めてこそその感慨が味わえます.函館の五稜郭はすぐそばに高さ107mのタワーがありますが,龍岡城にはそのような塔はありません.その代わり城の北東部の山の中腹に展望所があり,そこから全体像を把握することができます.
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