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2022年5月21日 (土)

東大水泳部部歌

 オペラとともに旧制高等学校の寮歌にも興味がある私です.先日新国立劇場に歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」を観劇に行ってきたのですが,実は旧制第一高等学校水泳部の部歌(現在は東京大学水泳部の部歌)「狭霧はれゆく」の元歌がグルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」であるというウワサを聞いていました.寮歌とオペラ,あんまり結びつかなそうな話題ですが,先日新国立の公演を鑑賞して「なるほど」と思う場面がありました.同オペラ第3幕第3場でエウリディーチェが蘇った直後の部分がまさにそれだと確信したのです.

・旧制第一高等学校水泳部部歌「狭霧はれゆく」

 

・グルック作曲 歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」第3幕より

 

 こうして聞き比べると、たしかにそうだよなと思ったのでした.

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2022年5月20日 (金)

歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」

Img20220520_21370600  気が付いたら5月も半ばを過ぎています.新型コロナウイルス感染症はまだそれなりにありますが,ワクチン接種が進んだこと等もあり、GW後の増加も一段落した感があります.世間では何となく以前の日常が戻りつつある印象です(マスクや手指消毒等は継続していますが).

 そんな世相の中初台の新国立劇場で公演中の歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」を観劇してきました.これは18世紀半ばにウィーンやパリで活躍したグルックの代表作です.イタリアが発祥の当時のオペラは歌劇とはいっても演劇の要素は重視されておらず,もっぱら歌手の歌うアリアがメインでした.当時のアリアはダ・カーポ形式と言って,基本的にA-B-Aという形式ですが,特に後半のAの部分はコロラトゥーラ等歌手が自らの技巧を最大限に発揮すべくアレンジして歌い,聴衆はそれに熱狂するというものでした.これに対してアリアをあまり前面に出さず,劇性を重視したオペラを目指そうとしたのがグルックで,このために彼は改革者と呼ばれ後のワーグナーにも影響を与えています.彼の改革はアリアを前面に出さないことに加えて,当時はチェンバロの簡単な伴奏のみだったレティタチーヴォをオーケストラ伴奏にする,合唱を多用するなどがあります.

 オルフェオとエウリディーチェはそんなグルックの代表作として知られ,一般に演奏される機会の稀なモーツァルト以前のオペラの中では例外的に上演頻度の高い作品です.2018年に新国立劇場の芸術監督に就任した大野和士氏が力を入れているというモーツァルト以前のオペラの発演目となりました(本来は昨年ヘンデルのジュリオ・チェーザレが上演される予定だったがコロナで中止になった).指揮者にBCJの指揮も務める鈴木優人氏,演出には自らもダンサーである勅使河原三郎氏を起用するなど意欲的なステージになっています.キャストはオルフェオにカウンターテノールのローレンス・ザッゾ,エウリディーチェにソプラノのヴァルダ・ウィルソン,アモーレには三宅理恵という配役となりました.オルフェオ役の声部は公演ごとに色々変更が見られるのですが,今回はカウンターテノールを利用したオーソドックスなものになるました(ウィーンでの初演の際はカストラート歌手(去勢した男性歌手)を使用).

Img_8171  舞台は1幕から巨大は皿がステージに乗っている感じ,その皿の上でオルフェオがエウリディーチェの死を嘆くく場面が続きます.そこにアモーレが登場,オルフェオに黄泉の国に行ってエウリディーチェを連れ戻すよう許可がでます.喜んで黄泉に下るオルフェオ,得意の竪琴を鳴らしながら黄泉の世界の者たちを虜にしていきます.そしてついにエウリディーチェを迎えることに成功するのですが、その条件が「地上に出るまで相手の顔を見ないこと」,「その理由をけっして教えぬこと」です.オルフェオは試練と呼んでいますが,やっとの思いであえた夫婦が顔も併せられないという(普通なら)非常識な設定にエウリディーチェはだんだんイライラしてきてオルフェオに当たります.ついに耐え切れなくなったオルフェオが振り向いて二人が抱擁,その瞬間約束を破ったエウリディーチェは本当の死を迎え,二人は永遠の別れ…

 にはならず,結局アモーレの尽力でエウリディーチェは蘇り,一同平和に過ごしましたとさ、めでたしめでたし。原作がギリシャ悲劇でありながらハッピーエンドにしてしまうのは当時の世相でしょう.

 主演後はいつものレストランへ,最近は常連客と認識されているらしく,受付で名前を言わなくても案内されました(笑).この日はパスタと🥩メインのコースを選択しました。

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(左上写真3)4種のカルパチョチョ(エビ、サーモン、アジ,ブリ),(右上同4)烏賊とアンチョビ、トマトのアーリオ、(左下同5)この日のメイン,大山鶏と白隠元豆のカチャトーラ,(右下)デザート 赤メロンとレアチーズケーキ

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2022年5月18日 (水)

第63回日本神経学会学術大会

 春は学会シーズン,今週は私の仕事上のメイン学会である日本神経学会の学術大会が開催されています.コロナ禍に入ってから学会はオンライン開催だったり,オンラインと実参加併用のハイブリッド開催だったりするんですが,一昨年昨年と徐々に実参加のウエイトを大きくしていて,今年は7~8割が実参加という印象です.今日は朝から会場となった東京の国際フォーラムに繰り出しました.

Img_8166 Img_8162(左写真1)学会の総合受付(だいぶ空いた時間帯です),(右同2)登録票と参加証(オレンジ色の神が平熱証明書)

 JR有楽町駅からすぐという好立地です.まずは総合受付へ.ここ2年定番の検温所で平熱を確認するとそれを証明するシールを受け取ります.続いては参加登録ですが,ここがなんと!長蛇の列,一昨年岡山での大会に参加した時はガラガラだったので,いかに今年は実参加が多いのかがわかります.登録は事前に用意した2次元バーコードを読み込んで名札や参加チケット等が印刷された紙を受け取るという基本的に人と接触しない形で行われます.本来ならそんなに時間がかかるハズはないんですが,若い参加者はともかく,高齢の大先生だとイマイチ手順が判らず係員を呼び出して… なんていることになるので,それが律速段階になっているようでした(結局9時20分に受付に付いたものの,完了したのは9時50分だった💦.

 その後は自分が受講を予定しているセミナーの会場へ.この日はパーキンソン病と白質脳症のお話でした.

Img_8163 Img_8164(左写真3)セミナー会場,(右同4)帝国ホテルの屋台

 セミナーが終了して外に出たらちょうどお昼時間,国際フォーラムの中庭(?)では帝国ホテルをはじめとする様々な移動販売車が並んでいました.

 午後からは別な用事があったため地元市内の保健センターへ.ここでお茶をいただいたのですが,そこに描かれていたのが熊本県を代表するキャラクターのくまもん,偶然この日の自分のネクタイと一緒だったので感激いたしました。

Img_8168(写真5)くまもん入りのお茶とネクタイ

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2022年5月17日 (火)

もうすぐ梅雨かな

 ここ数日天気のぐずついたな日が続いている当地です.この先の天気もイマイチでこのまま梅雨になってしまうんじゃないかというのも現実的な話になってきます.

 この日は午前中雨で,お昼ごろにはやみましたが付近を歩いていたら,なんとカタツムリ🐌の姿が見えました.また近くにはアジサイがほんのり咲き始めているなど,いかにも梅雨っぽい雰囲気を漂わせ始めています.本当に梅雨入りしてしまうんでしょうか.

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2022年5月13日 (金)

 GWが終わって約1週間が経過しました。先週末は良いお天気でしたが,週が明けてからはぐずついた天気が続いており,今日13日は結構強い雨が降っていました.

Img_8156 Img_8155 この先の天気予報を見てもイマイチな感じで,もしかしたらこのまま梅雨入りしてしまうのではないかと感じてしまいます.過去のデータを見ると,関東甲信の平年の梅雨入りは6月上旬で,2011年と2008年に例外的に5月下旬に入ったこともありますが(2008年が5月27日,2011年が5月29日),さすがに5月中旬の梅雨入りのケースはないようです(ただ最近の温暖化の影響で将来的にはわからない).

Img_8153  まあ今後2週間は旅行の予定もないので,その間の雨は仕方ないかなと思っているのでした.

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2022年5月11日 (水)

5月11日

 今日は5月11日,実は当ブログにとっては非常に大切な日です.

 まずはブログ名にもなっているビザンチン帝国の都コンスタンティノープル(現イスタンブール)の開都記念日であることです.古代ローマ帝国の都はもちろんローマ市だったわけですが,3世紀以降産業の衰退が激しく,街には無産市民や無能な元老院が跋扈している状態で,まともな政治が行える環境ではなくなっていました.それどころか下手にこの街にいると政争に巻き込まれて殺される恐れもあり,まともな皇帝はローマには寄り付かなくなっていたのです.またこの頃から東方にはパルチア王国やササン朝ペルシャ帝国といった大国が勃興し,ローマ帝国の東の国境がきな臭くなっていました.ローマ皇帝の第一の仕事が外敵から国を守ることです.東部国境の防衛をスムーズに行うためにも,ローマではなく,より東側に新しい都が置かれることが望まれていました.

 この時に白羽の矢が立ったのが,ビザンチウム(ビザンチオン)と呼ばれるバルカン半島の南東部,ボスポラス海峡に面した港町でした.この街は3方を海に囲まれた要害の地であり,金角湾は天然の良港でした.東方ににらみを利かせる新首都としては絶好の場所だったのです.ディオクレティアヌス帝亡き後の後継者争いに勝利したコンスタンティヌス1世は正式にこの街を新首都としましたが,その開都式が行われたのが330年5月11日なのです.

Istanbul1_233 Isutanbul22_015(左写真1)6世紀に建造された聖ソフィア大聖堂,(右同2)聖堂内にある聖母子とコンスタンティヌス大帝,ユスティニアヌス大帝のモザイク

 続いても同じくビザンチン帝国の話題です.ローマ帝国は395年のテオドシウス帝の死後完全に東西に分裂しましたが,人口や産業の面で劣っていた西の帝国の衰退は激しく,476年にゲルマン人の傭兵隊長によって滅ぼされました.その後旧領はゲルマン人諸部族が群雄割拠する状態になってしまったのですが,その領土を回復しローマ帝国の栄光を取り戻そうとしたのが6世紀の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世です.彼の時代に地中海は再び帝国の内海となり,東ローマ帝国は領土的な最盛期を現出したのです(ただし経済面を含めた全盛期は10世紀末~11世紀初頭のマケドニア朝といわれる).そんなユスティニアヌスが生まれたのが483年5月11日のことでした.

 そして3つ目は新選組関係の話題,近藤勇や沖田総司とともに新選組でもっとも有名な隊士である土方歳三が函館で戦死した日であす.慶応四年(1868年)正月の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争は,その後の上野戦争や会津戦争等を経て,翌明治二年の箱館戦争に至ります.この間新選組は佐幕派勢力として常に闘い続けてきましたが,土方歳三もまた旧幕府軍とともに戦いこの箱館までやってきていたのです.しかし新政府軍の攻勢の前に形勢不利となり,5月11日一本木関門付近の戦いにてついに戦死したとされています(弁天台場に立てこもっていた新選組は5月14日に,五稜郭の本隊は5月18日に降伏した).

Hiji3 Hiji2(左写真3)現在の六本木関門,(右同4)同地にある土方歳三の碑

 このように5月11日はビザンチン帝国と新選組を愛好する当ブログにとって非常に重要な日となっています.

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2022年5月10日 (火)

医師会合唱団の活動再開

 合唱が趣味の私です.現在メインで活動している団体が東京21合唱団と小田原医師会合唱団です.コロナ禍で厳しい状況に置かれている合唱活動ですが,ワクチンの普及や治療法の進歩による重症化率や死亡率の低下などの社会情勢の変化を受け活動を再開している団体も多くなっています.先月東京21合唱団が活動を再開したのに続き,医師会合唱団も活動を再開しました.

Dsc_2331  コロナ前は市内のクリニックのスタジオをメイン練習会場にしていましたが,今回はより広い空間が確保できる医師会のホールを会場としました.今後は今年の10月2日(日)に設定した第12回定期演奏会を目標に練習に取り組んでいきます.小田原市では老朽化した市民会館に代わり昨年新しいホール(三の丸ホール)が完成しましたが,今回私たちもこの新しいホールで歌うことになります.

 感染に留意しつつ取り組んでいきたいと思います.

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2022年5月 9日 (月)

白龍のじゃじゃ麺

 先日盛岡に行ってきましたが,行った際に高確率で寄るのが白龍さんです.このブログでも何度も取り上げているお店ですが,いわゆる盛岡じゃじゃ麺と呼ばれる分野の老舗店になります.初めて行ったのが自分が高校一年生の時で以来云十年,果たして何回通ったのか想像もつかないくらい通っています.内丸の本店に加えて菜園の川徳デパート店,盛岡駅のフェザン店があります.かつては本店の2軒隣に分店もあり営業時間をずらしていましたが今は閉店して本店に集約されています.一番通ったのは本店ですが,特にフェザン店ができてからはそちらに寄ることも多くなりました.ただ今回は他によるところがあったりしたためお店では食べず,代わりにお持ち帰り品を買って家で食べることにしました.

 今ではネット通販でも買えるのですが,通販の場合付いてくるのは麺と味噌のみです.一方でお店でお持ち帰りを購入すると野菜もついてくるのがポイントです.現地の野菜を盛り付けることで一気にお店の味に近づきます.今日はさっそくそれをいただきました.

Dsc_2330  ちなみにお皿は10年ほど前にお皿付きキャンペーンが行われた際に購入したものです.やっぱり白龍のロゴ入りのお皿に盛りつけるとさらに気分が盛り上がります.チータンタンも作って飲んだのは言うまでもありません.

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2022年5月 8日 (日)

雪の回廊

 世間のGWの最終盤となったこの週末は久しぶりに実家に行ってきました.で,せっかくこの季節に帰ったのだからと母親を連れて八幡平アスピーテラインに繰り出すことに.同路線は岩手県の八幡平市から奥羽山脈を越えて秋田県の鹿角市に抜ける山岳観光道路です.沿線にはたくさんの温泉があることでも知られています.最高地点の見返り峠の標高は1600メートルに達するため緯度を考慮すれば立山の2000メートル級に優に比肩する環境です.例年11月から4月中旬まで冬季閉鎖となるほか,開通前後は夜間通行禁止や荒天による通行止めなどの措置も取られます.

Img_8071(写真1)八幡平アスピーテライン

 非常に雪深い場所でもあり,毎年開通する4月中旬から5月初旬にかけて雪の回廊が見られることでも知られています.今回はその雪の回廊目当てで出かけたのは言うまでもありません.

 高速道路の最寄りである松尾八幡平ICから案内に従って進んでいきます.徐々に標高が上がっていくに従い周囲には残雪が現れてきました.さらに進んでいくと道路脇の雪が徐々に高くなり,峠付近では約5メートルくらいになりました.開通直後の4月中旬は8メートルほどの高さがあったそうですが,約3週間でかなり低くなったようです.それでも普段なかなかお目に掛かれない景色を堪能しました.

Img_8109 Img_8098(左写真2)雪の回廊,(右同3)峠にて

 峠のレストハウスで休憩した後は秋田県側には抜けずに,峠からの別ルートである八幡平樹海ラインで戻ります.こちらも雪の回廊がよく残っているほか,下界ではちょうど水芭蕉が見頃を迎えていました.

Img_8118 Img_8143(左写真4)樹海ラインに残る雪の回廊,(右同5)水芭蕉

 樹海ラインを降りてくる途中に松川温泉があります.乳白色の硫黄泉で有名な温泉ですが,そのすぐそばにあるのが松川地熱発電所です.これは地球内部に存在する熱(地熱)を利用してタービンを回して発電するシステムです.火力発電ならば化石燃料を燃やして,原子力発電ならば核分裂で発生する熱を利用してお湯を沸かしてその蒸気でタービンを回しますが,地熱発電は地中から湧いてくる熱を利用するので原理的には燃料費がかからない発電方法です.もちろん様々な問題点はあるわけですが,火山国である日本では有利な発電方法の一つです.この松川地熱発電所は日本で初めて商業利用された地熱発電所となっています(1966年開業).その独特の外観を持つ冷却塔は,日本の地熱発電所のシンボルマーク的な存在となっています.この日はそんな発電所も見学しました.

Img_8127 Img_8135(左写真6)独特の外観を持つ冷却塔,(右同7)記念写真

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2022年5月 5日 (木)

富士サファリパークの休日

Dsc_2327(写真1)富士山

 世間ではGW,人によっては2日(月)と6日(金)を休みにすると10連休が実現するらしいんですが,私の場合は途中仕事が入っているためそんな連休にはなりません.しかも連休前半は天気が悪い日も多く出かけようという意欲がわきませんでした.そして3日&4日と仕事をして5月5日は天気が良かったため日帰りで出かけることにしました.行った先は静岡県裾野市にある富士サファリパークです.

Img_7998(写真2)サファリのゲート

 富士山麓の標高850メートルにある施設です.我が家では2015年のGW以来7年ぶりの訪問でした.かつては富士サファリクラブという会員カードを利用すると入園料が割引になる制度があったんですが,現在はネットで申し込んでスマホで利用するMy Safariという制度に代わっていました(通常2,700円が2,200円になる).現地に着いたのは9時50分頃で開園から1時間程度の時間帯でしたが,すでに第1駐車場は満車で少し離れた第2駐車場に誘導されました(2015年もGWの訪問でしたが第1駐車場に停められた).

 まずはサファリバスの予約をしようと受付に行ってみましたが,

 な,なんと!

一番早くて15時55分でした(朝からその時間帯までの分は開園1時間足らずですべて埋まったらしい💦).とりあえずその時間帯のチケットを入手して,まずはウォーキングサファリへ.歩いていろんな動物を観察する1周2.5キロのコースです.サファリゾーンは基本的に自動車から観察するのがメインコースですが,ウォーキングコースはそれに対してバックヤード的な感じです(裏側から覗く感じ).途中には餌やりのスポットもあるんですが,人気なのがライオンの餌やり場,結構長い行列になっていました.ゆっくり歩いてウォーキングサファリは2時間ほど完了ですが,この時間帯マイカーサファリは大混雑で,特に人気の動物付近では停車すると後続が大渋滞になるため係員が「右車線の日産の車の方,停まらないでください!」と叫んでいました.

Img_7900 Img_7929(左写真3)ライオンの餌やり,(右同4)キリン観察のテラス

 ウォーキングサファリが終わると大体12時頃,まだおなかが空いていなかったため今度はふれあいゾーンと呼ばれる普通の動物園っぽいところを散策します.こちらには最近話題のカピバラやミーアキャットやカバ,ワオキツネザルのほかアフリカのサファリでは人気の高いリカオンもいます.7年前に来た時はもっと気温が高かったせいか,ダラッと寝ているばかりでしたが,この日は気候が良いのか起きて活動しているようでした.このふれあいゾーンには実際に動物に触れるコーナーもあって,特に猫の館やウサギの館では指名した動物を触ったりできます.7年前に来た時はウサギの館に寄った記憶がありますが,この日は当日分のチケットが完売していたため入ることはありませんでした.また前回はアルマジロに触れるコーナーがありましたが,今回は無くなっていました.

Img_7944 Img_7981(左写真5)ミーアキャット,(右同6)リカオン

 ふれあいゾーンを一通り散策したところで昼食へ.この日はサファリゾーンにほど近いところにあるフロンティアというレストランに入りました.イートインとテイクアウトがあるんですが,感染対策のためか用意されるのはどちらも同じ使い捨て容器のもの,これをテーブルでいただくのは南米やアフリカ奥地のツアー弁当を彷彿させました(サファリだからいいのか 笑).

 昼食後は自家用車サファリに繰り出します.3時近くになっていたため午前中のような混雑はなく,ゆっくりと観察できました.途中の草食獣ゾーンでは時々動物が道路に出てくるので油断するとぶつかるんじゃないかと不安になりました(笑).

Img_8023 Img_8025(左写真7)アムールトラ,(右同8)チーター

 コースを一回りした後はいよいよバスサファリの順番です.基本的なコースは自家用車の時と同じですが,途中3か所餌やりポイントがあります(クマ,ライオン,ラクダ).人間が檻に入って動物の世界を走ると逆に我々が観察されているんじゃないかという気分に浸れるのが面白いと思いました.

Img_7999 Img_8005 Img_8033 Img_8040(左上写真9)ジャングルバス,(右上同10)クマの餌やり,(左下同11)アジアゾウ,(右下同12)サイ

 乗ったバスがほぼ最終に近い時間帯だったこともあって,一周して戻ってきたら辺りはすでに片付けの雰囲気が漂っていました.最後にお土産物屋に立ち寄って家路についたのでした.

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2022年5月 3日 (火)

憲法記念日

 今日5月3日は憲法記念日です.日本国憲法が1947年のこの日に施行されたことを記念して制定された祝日です(公布は前年1946年11月3日でこちらは文化の日になっています).日本国の最高法規として制定されて70年以上,最近はその改正論議も話題になっています.

 この5月3日というのは世界史的にもいろんな事件が起こっているんですが,その中でも興味深いのが1791年のこの日に当時のポーランド王国でヨーロッパ初の近代的成文憲法が成立したことです.18世紀のヨーロッパは王朝全盛期の時代です.フランスやプロイセン,スペイン,ロシアなど大陸諸国は軒並み絶対王政あるいは貴族を含めた寡占政であり憲法に基づく法の支配の概念は未発達でした.イギリスだけは17世紀の革命を経て国王の権力が制限された議会政治が始まっていましたが,同国の憲法は慣習法なので成文化された憲法はありませんでした.そんな時代にポーランドでヨーロッパ発の近代憲法が制定されたのです.この憲法は三権分立,法の支配が明確に規定された画期的なものでした.

 どうして当時のポーランドでこうした憲法が作られたのか,それは当時の同国をめぐる状況に由来します.10~11世紀に建国されたポーランドは16世紀には穀物輸出国として繁栄しました.内政的には国王の権力が制限された貴族政で大小の貴族によるセイムという名の合議制を取っていました.特筆すべきは国王はセイムの同意なしに法律を制定することができないことに加えて,セイム構成員の貴族一人一人に拒否権が与えられていたことです.すなわち全貴族による全会一致が大原則の政治体制だったのです.国勢が盛んな時期はそれで特に問題は起こらなかったものの,17世紀以降新大陸からの穀物輸入が始まり,ヨーロッパが穀物不況になると状況が変化します.不況により貧富の差が拡大すると貴族の中でもマグナートと呼ばれる大貴族の力が強まり,彼らは自己の利益を最優先して自らに不都合や政策には拒否権を濫用するようになったため国政の停滞が起こります.さらにはこの頃から東にロシア,西にプロイセンが勃興してきたためポーランドはその圧迫を受けるようになりました.18世紀に入ると周辺国からの圧力はますます強まり,次第に領土を侵食されるようになります.時あたかも啓蒙主義の時代であり,この状況を打開するためには政治改革による体制の一新しかないと考えた国王スタニスワフ2世ら改革派はフランスのルソーら啓蒙主義者の助言を受けながら憲法の草案を作成,ついに1791年5月3日に画期的な憲法が制定されたのです.

 しかしこの時すでにフランス革命が始まっており,プロイセンやロシア,オーストリアなどの周辺国は革命が自国に波及することを危惧していました.そうしたタイミングでポーランドに新憲法が制定されることは非常に危険なものと認識され,憲法制定のわずか1年後国内の改革反対派と結託したロシア軍が侵入,改革は頓挫し1795年までにポーランドはロシア,プロイセン,オーストリアによって分割され滅亡することになってしまいました.

 現在ウクライナで起こっている戦争のニュースを見聞きすると,およそ200年前のポーランドの憲法記念日のことが強く思い出されます.5月3日はポーランドでも「5月3日憲法」記念日として祝日になっているそうです.

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2022年5月 1日 (日)

新田義貞の側室の墓

 小田原駅周辺から国道1号線箱根方面へは休日を中心に交通量が多く、時に大渋滞になることもあります.そんな場合の抜け道として地元民が利用しているのが小田原駅新幹線口付近城山地区の山間部を通って国道1号線の風祭入生田地区に抜ける裏道です.私も時々利用する道なんですが,その途中に以前から気になっていた看板がありました.

Img_7877(写真1)新田義貞側室の墓の看板

 新田義貞の側室妙貞尼の墓と書かれています.

 新田義貞は鎌倉時代末期から南北朝時代初め頃の武将で,上野国新田荘(今の群馬県太田市や桐生市の辺り)を本拠にした御家人です.後醍醐天皇による討幕運動である元弘の乱において天皇方に付き,足利尊氏とともに鎌倉幕府打倒の立役者となりました(義貞,尊氏ともに当初は幕府方で戦っていたが,途中で寝がえり尊氏は京都の六波羅探題を攻略し,義貞は鎌倉を攻めて北条得宗の北条高時を討った).

 その後の建武の新政下において次第に足利尊氏と対立するようになり,尊氏が反旗を翻すと義貞は事実上の総大将としてその討伐に参加しました(名目上の大将は尊良親王).各地で起こった足利軍との戦いは徐々に劣勢になり,延元三年(1338年)越前藤島(今の福井市)で討ち死にしました.そんな新田義貞の側室の墓がどうしてここに!という感じがします.以前から気になっていましたが,時間があったので行ってみました.

Img_7879 Img_7881(左写真2)あぜ道レベル,(右同3)なにやら看板が

 看板の脇にあるあぜ道のようなところを歩いていきます.しばらく歩いていくと,ほとんど獣道のような感じに… 本当にお墓なんかあるのかと不安になる頃,前方に何やら看板のような人工物が見えます.なんとかそこまで行ってみると…

 ありました.新田義貞の側室妙貞尼のお墓です.途中の道のレベルとは全く違う立派なお墓でした.

Img_7882 Img_7883(左写真4)ありました!,(右同5)お墓です

 傍にあった碑文を読むと,妙貞尼は上野国の豪族澤保氏の娘とのこと.義貞と妙貞尼の間に生まれたのが原澤将監といい,今の群馬県にある原澤家の祖になるのだそうです.このお墓も原澤家の子孫の方が建てたもののようです.

Img_7884(写真6)由来が記された碑文

 それにしてもそんな人物のお墓がなぜここにあるのか.義貞は建武二年足利尊氏討伐のため東下し,箱根・竹之下の戦いに参加しています.もしかしたらその際に同行していてここで亡くなったのかもしれません.戦場に側室を連れてくるんだろうかという疑問もありますが,あるいは元々この地にいたのが,やってきた義貞に見初められたのかも).いずれにせよどのような人生を送ったのか,ネットで調べてもほとんど情報の出てこない人物でした.

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