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2022年1月29日 (土)

ゼロ勉共通テスト

 もう2週間前になりますが、大学入学試験の一つの山場である大学入試共通テストが1月15,16の両日全国各地の会場で行われました.新型コロナウイルス感染が拡大フェーズにある中で,東京大学会場前での切りつけ事件や,問題を外部に流してカンニングしようとした事件などいくつかのトラブルはあったものの,全体としては粛々と行われた印象があります.

 例年このテストを事前勉強ゼロで挑戦する企画をやっています.過去には理科にもチャレンジしていた時期もありましたが,歳を取って集中力が失われてきていることから近年はもっぱら社会科のみやっています.今年も地理B,日本史B,世界史Bの3科目に挑戦しました(ちなみに自分が現役の高校生時代に実際に履修したのは地理と世界史で,日本史は未履修です).結果ですが…

 地理B 72点

 日本史B 74点

 世界史B 79点 でした.

Img_7288  地理と日本史はまあこんなものかと思いましたが,世界史に関しては例年80点以上取れていただけに自分的にちょっと納得がいかないところです(昨年は88点).ゼロ勉とはいえ基礎的な知識がやや下がっているのではないかと危機感を抱いたのでした.

 ところで問題文を読んでいて,仮に設問に関する知識がなくともほかの方面の知識から正解にたどり着ける可能性がある問題があるのに気づきました.たとえば世界史Bの設問13はキューバ危機の翌年にアメリカと某国の間で行われた核実験の制限に関するものだが,当該国の選択肢はフランスとイギリスになっており,設問は「交渉相手の首相の国」となっている.設問から交渉相手が首相であることがわかるが,第5共和政のフランスでは首相はもっぱら内政を担当し,核実験のような重要外交案件に出てくることはないため,この交渉そのものを知らなくても当該国がイギリスであることがわかるのです.

 大昔の共通一次試験の時代は単純に年号を答えさせるなど暗記でどうにかなる試験が多かったのですが(だから社会科は暗鬼だなどという誤った認識が広がっていた),近年は良く練られた問題が多くなったなと感じます.

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2022年1月27日 (木)

モーツァルトの誕生日

Img_1496  今日1月27日は世間でも非常に有名な作曲家,W. A. モーツァルトの誕生日です.1756年のこの日に今のオーストリア中部の都市ザルツブルクのゲトライデ9番地の集合住宅で生まれました.音楽家だった父親から英才教育を受けて幼い頃からその才能を開花させ,5歳で作曲を開始,8歳で最初の交響曲を作曲など天才ぶりを発揮しました.父に従いザルツブルクの大司教に仕えていましたが,26歳の時に大司教と対立してウィーンに移住,以後フリーランスの作曲家として活躍しました.

 そんなモーツァルトの生誕地ザルツブルクでは彼のネームバリューを生かして町おこしをしています.市内旧市街には彼の銅像が立ち,空港の名前も”ザルツブルクモーツァルト空港”,毎年彼の誕生日を中心とした10日間ほどの期間にはザルツブルクモーツァルト週間という音楽祭まで開催しています.モーツァルト好きの我が家でもしっかりとこの町おこしに乗り(笑)2019年のモーツァルト週間に参加,たくさんのコンサートを鑑賞してきました.今回のコロナ禍で2021年,2022年のモーツァルト週間は残念ながら中止になってしまいましたが,コロナ禍が終わればまた行ってみたいイベントです.

 ちなみに故郷ザルツブルクに対するモーツァルト自身の気持ちはどうだったのかと考えるとなんか微妙なものがあります.大司教の束縛や当地のオケのレベルの低さや規模の小ささ(予算の乏しさ)など多くの不満を抱えてウィーンに出たという経緯を考えると強い郷土愛があったとは考えにくいところもあります.このように本人の気持ちとは無関係に地元が盛り上がる人物として高知の坂本龍馬との共通性を感じています.

 そんなことを考えた2022年のモーツァルトの誕生日でした(我が家ではスパークリングワイン🍾を開けてお祝いしました).

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2022年1月25日 (火)

カノッサの屈辱

 今日は1月25日、暦的には1月20日大寒から2月4日の立春の間ということで年間で最も寒いシーズンに当たります.

 そんな1月25日は過去にどんな事件が起こっているのか、調べてみると興味深いものが出てきました.

① 1902年1月25日 旭川で-41℃を記録(現在日本での公式最寒記録)

 まさにこの時期にふさわしい出来事です.ただし気象庁の公式記録の対象からは外れているものの、1978年に幌加内町母子里で-41.2℃が記録されています.

② 1573年1月25日(元亀三年12月22日) 三方ヶ原の戦い

 武田信玄の西上作戦に対応して迎撃に出た徳川・織田連合軍でしたが、三方ヶ原で完敗を喫し、一時は家康自身も危機に陥ったとされています.

③ 1077年1月25日 カノッサの屈辱

 そしてもっともインパクトが大きいのがこのカノッサの屈辱でしょう.キリスト教が社会に深く根を下ろした中世ヨーロッパでは教会の権威は絶大なものがありました.さらに中世期を通じて教会は多くの土地の寄進を受けたことにより領主としての権力をも手にしました.その結果中世が本格化する9~10世紀以降世俗の権力者であった神聖ローマ皇帝と対立する場面が増えてきました.具体的には各地に建てられた教会や修道院の人事をめぐる,いわゆる叙任権問題です.ローマ教皇を頂点としたカトリック教会という大きな組織なんだから,その人事権は教皇に属するように思うのはあくまでも現代の感覚です.当時は王や諸侯,騎士たちがそれぞれ所領を持ち独自の基準で政治を行っていた時代でした(封建社会).各地の教会もローマ教会が計画的に立てていたわけではなく,それぞれの領主が自らの領地の都合により造っていたのです.ですからそこに着任する司教や司祭などの聖職者人事もそこの領主が握っていました.

Hugovcluny_heinrichiv_mathildevtuszien_c  しかし世俗の君主が教会の人事権を持つことで聖職者の地位の売買や腐敗などが起こるようになります.こうした事態に危機感を抱いたローマ教皇側は聖職者の叙任権を教会に取り戻そうと画策し始めます.特に1073年に教皇となったグレゴリウス7世はこの方針に積極的で皇帝や諸侯による聖職者の任命を禁止する勅書を発しました.当時の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに強く反発し,教皇を廃位させようと動きます.これに対してグレゴリウス7世は1076年2月にハインリヒ4世を破門するという行動に出ます.当時ハインリヒ4世を取り巻く政治状況は微妙であり,教皇に破門され教会の保護を失うみた反皇帝派の諸侯は新しい皇帝を立てようと画策し始めます.苦境に陥ったハインリヒ4世はやむなく翌1077年1月25日に当時北イタリアのカノッサ城に滞在していたグレゴリウス7世のもとを訪れ,降りしきる雪の中裸足で三日間立ち続けて許しを請いました.これが有名なカノッサの屈辱と呼ばれる事件で,皇帝権に対する教皇権の優位を印象付ける出来事とされています.温暖化が叫ばれている現代でさえ寒いこの季節に3日間裸足で立っているというのは想像しただけでも震えがきそうです.

 結局この事件は教皇が皇帝の謝罪を受け入れ破門は解除されました.しかし体制を立て直した皇帝が反撃に転じます.1080年に教皇は再び皇帝を破門しますが今度は反皇帝派の動きは鈍く,逆に対立教皇(クレメンス3世)を立てられローマは包囲されました.結局グレゴリウス7世は救出されシチリア島のサレルノに逃れたものの,1085年同地で失意の中亡くなりました.

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2022年1月24日 (月)

山城歩き

 コロナ禍になって明らかに運動量が減ったことを自覚しています.学会や研究会が軒並みオンラインになったことや旅行の自粛などどこにも行かない生活が増えたからだと思います.そのことは自分の体重が微妙に増えてきていることからもわかります(笑).

 そんな世相ですが少しでも運動量を増やそうということで,現在取り組んでいる日本の滝100選や続日本100名城と組み合わせることでそれに取り組んでいます.特に山城散策は出会う人もまばらでコロナ時代にぴったりの運動でしょう.この週末はそんな続100名城の一つである隣県の高天神城に行ってきました.

Img_7211 Img_7138(左写真1)この山全体が高天神城,(右同2)搦手門跡

 高天神城は駿河国と遠江国との国境付近に位置する山城で,特に元亀から天正年間頃(1570年代)には徳川家康と武田信玄・勝頼親子との激戦の地となった城郭です.南に追手門,北に搦手門がありそこから登城することができますが、そこ以外は山が急峻で攻め入ることが困難な造りになっています.武田信玄でも落とすことができなかった難攻不落の城でした(その後勝頼の代になって攻略に成功(第一次高天神城の戦い)するも、長篠の戦い後武田氏が衰退していく過程で家康に奪い返された(第二次高天神城の戦い))。

Img_7160 Img_7166(左写真3)堀切,(右同4)土塁

 この日は北の搦手門側から登城します。登り坂が続いて息が上がりますが遊歩道は整備されておりそれほど苦労はしません(滝と違って城は人が住んでいた場所なのでキツイといってもレベルが違う 笑)。この城郭は大きく東側の本丸・三の丸と西側の二の丸・西の丸の2つの部分に分かれています(一城別郭)。中世城郭でまだ石垣が一般的になる前の時代なので,石垣はありませんが、堀切や土塁、曲輪の形は良く残っており往時をしのぶことができました。

Img_7194(写真5)第一次高天神城の戦いで捕虜になった大河内政局が捕らわれた石牢

 全体で4キロのハイキングコース,ちょっとは体重が減ったんではないかと思います(笑)。

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2022年1月22日 (土)

対面石

 1月から新大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まりました。鎌倉幕府を立てた源頼朝を補佐した有力御家人たちを中心とした物語です。大河ドラマの題材は圧倒的に戦国と幕末が多く、今回のような平安末期から鎌倉初期を描く作品は21世紀に入ってからは2005年の「義経」と2012年の「平清盛」に続いて3作品目です(21世紀になってからの作品は戦国10、幕末維新7、その他5)。

 時々静岡県東部の病院に応援出張に出かけているんですが、実はその途中に平安末期の治承四年(1180年)の富士川の戦いに際して挙兵した源頼朝とこれに応じて奥州から駆けつけた源義経が対面したとされる八幡神社があります。そしてその境内には二人が対面の際に腰掛けた石(対面石)が残されています。昨夜は向こうに泊まりだったのでその帰りに寄ってみることにしました。

Img_7130 Img_7112(左写真1)正面大鳥居、(右同2)中鳥居

 八幡神社は静岡県清水町の住宅地に立つこじんまりとした神社です。バス通りに面したところに正面大鳥居がありそこから参道を歩くと中鳥居が見えてきます(中鳥居の手前に駐車場がある)。鳥居を潜ってまっすぐ行くと本殿、寒さ対策なのか感染対策なのか自動ドア形式になっていました。参拝しついでに御神籤も引いてみたら中吉、まあまあです。

Img_7120 Img_7119(左写真3)本殿、(右同4)自動ドアになっています

 参拝後本殿お左奥に進んでいくと、目指す対面石が鎮座していました。2つの石が並んでいるんですが、向かって左側がやや高くなっていることから左に頼朝が、右に義経が座ったと思われます。

Img_7117 Img_7122 (左写真5)中吉でした、(右同6)対面石

 頼朝が座ったと思われる石の側には絡み合った二本の柿の木が生えています。これはねじり柿と呼ばれるもので兄弟が対面した際に頼朝が柿を食したもののそれが渋柿だったためにその種を捻って捨てたところ芽を出した。その二本がお互い幹を絡ませねじり合うように成長したためと言われています。
Img_7128 (写真7)ねじり柿

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2022年1月21日 (金)

氷川きよしの休養

 歌手の氷川きよしさんが今年いっぱいで歌手活動を停止し休養に入るというニュースが流れました。

 氷川きよしが年内で活動休止

 事務所によるとこれは本人の意向によるもので、引退ではなくあくまでもリフレッシュのための休養であるとのことです(期間は未定)。私の母親が氷川きよしの大ファンで、地元で開催されるコンサートはもちろん、仙台や東京にも良く出かけているので、これはさぞショックを受けているのではないかと思い電話をしたところ、「今までたくさん稼いできたんだから疲れたんだろう」と意外にサバサバした様子でした。ただ「明治座のチケットを買っているのだどうなるのか」というので、今年いっぱいは活動するらしいから大丈夫じゃないかと答えておきました。

 母親と氷川きよしで思い出すのが何年か前のレコード大賞です。氷川きよしもエントリーされていたものの結局受賞したのはEXILE、最後彼等のパフォーマンスが流れるのを見ながら、「こんな大勢で出てきて、きよし君は一人で頑張っているのに…」と、氷川きよしが受賞できなかったのはマンパワーが不足しているためという認識だったのが微笑ましかったです。

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2022年1月20日 (木)

大寒

 今日は二十四節気のひとつ大寒です.冬至から約1か月後に当たり,暦の上では1年のうちでもっとも寒い日とされています.二十四節気自体が元々中国から伝わった制度のため,日本の気候実感とはやや異なる印象はありますが,寒い時期であるのは確かです.「大寒の朝に汲んだ水は腐らない」といわれ(寒すぎるので雑菌も繁殖できないからでしょう),かつてはこの日に汲んだ水を保存していたそうですし,酒蔵ではこの時期にお酒を仕込む寒仕込みが行われます(こちらも水が切れなことに加えて低温のため発酵がゆっくりで旨い酒ができるからと思われます).一方で,武道や修行者の間ではこの大寒の時期に寒稽古や寒修行が行われます.

 近年温暖化が言われるようになり、大寒もかつてほど寒くは無くなったようにも感じますが、2022年の大寒は北海道の陸別町では朝の最低気温が-24℃に達したようです.陸別町は寒いことで町おこしをしている自治体として有名で、毎年2月上旬に”しばれフェスティバル”というイベントがあリます.コロナ禍で昨年は中止になってしまいましたが今年は行われる予定だそうです(ただし名物の人間耐寒テストは無し).

 日本で一番寒いのは前述の陸別町など北海道内陸部ですが,世界的に見れば南極を別にすれば最も寒い場所はシベリア東部です(北極は海なので意外に寒くない).その中でも人が定住している場所として最寒と言われるのがロシア・サハ共和国のベルホヤンスクです.試みに今朝のベルホヤンスクの最低気温を調べてみたら

 -47℃!

 さすがレベルが違います(バナナで釘が打てる).ちなみにベルホヤンスクがあるのはほぼ北極圏の北緯66度付近ですが、同緯度にあるノルウェー北部トロムソ(北緯70度)の今日は最低-7℃、最高1℃と日本ではせいぜい北東北レベルです.やっぱり北大西洋海流(メキシコ湾流)の威力はすごいなと感心したのでした.

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2022年1月19日 (水)

当たった模様

 先日家のポストを覗いたら何やら封書が届いていました。差出人はJalux,JALのグッズ販売部門です。開けてみたところ、

 ご当選賞品送付のご案内

Img_7110  昨年末ここでカレンダーを購入したんですが(関連記事),その先着100名キャンペーンに当たった模様です(というか、先着順だとしたら自分が購入した12月上旬段階で購入した人が100人未満だったことになるわけで、それはそれで悲しいぞJAL!)。

 で、注目の商品は…

Img_7111  クリアファイルでした💦。この微妙な感じの賞品がイイなと感じたのでした。先日のお年玉付き年賀はがきといい、今年はちょっと当たり年かもしれません(笑)。

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2022年1月16日 (日)

お年玉付き年賀はがき

 今日はお年玉付き年賀はがきの抽選が行われたようです.

 2022年 年賀状お年玉賞品と当選番号

 お年玉付き年賀はがきが発売されたのは戦後間もない昭和24年(1949年)のことでした.年賀状を出すという習慣は戦前からありましたが,従来は普通の官製はがきを使用したものでした.このお年玉付きというアイデアを出したのは郵政省の官僚ではなく,当時京都在住だった一民間人だったそうです.そして発売と同時にこの企画は大ヒットとなり,以後年賀はがきの取り扱いは右肩上がりで伸びていきました.

 ちなみに第1回の特等商品はミシンだったそうで,その後昭和30年代には電気洗濯機,40年代にはテレビ,60年にはビデオデッキなどその時代の世相を反映したものが多いように感じます.多様性が謳われるようになった21世紀以降はいくつかのアイテムの中から選ぶ仕組みや,はたまた現金・電子マネーといった実用性重視の内容になって興味深いです.

Nengahagaki  で,さっそく調べてみたんですが,今年は3等切手シートが5枚当たりました.過去には1回だけ2等を当てたこともありましたが,それ以外はもっぱらこの切手シートです.でも5枚も当たったのは普段くじ運が悪い自分にしては上出来だなと思ったのでした.

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2022年1月11日 (火)

ワクチン3回目接種

 新年に入り新型コロナウイルス感染症の陽性者が増加してきている世相ですが,本日3回目のワクチン接種を行いました.

Img_7100

 自分の場合,2回目接種からちょうど8か月目でした.過去2回の副反応はというと,

・1回目 局所の痛みのみ

・2回目 局所の痛みと全身倦怠感,発熱なし

だったのですが,果たして今回はどうなりますことやら…

 1月17日追記: 結局2回目と同様、局所の痛みと全身倦怠感がありましたが発熱はありませんでした.

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2022年1月 7日 (金)

七草粥

 今日1月7日は五節句のひとつ人日の節句です.別名を七草の節句とも呼ぶように日本ではこの日に七草粥を食べる習慣があります.その年の無病息災を願うためとされていますが,お正月に食べ過ぎた飲みすぎた胃腸を休める意味合いもあるようです.

 我が家でも年末年始色々豪勢に飲み食いしたのを反省してこの日は七草粥をいただきました.

Img_6946_20220108082801  七草粥に使われるのは春の七草で,それはセリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの七つです.ちなみに七草には秋の七草(ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、クズ、オミナエシ、フジバカマ)というのもありますが,こちらは一部薬用として用いられるものもありますが,基本的には食べられないので秋の七草粥はありません.

 そんなことを考えた2022年1月7日でした.

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2022年1月 6日 (木)

ユリウス暦のクリスマスイブ

 今夜はクリスマスイブです.

 といっても,多くの方々は????となると思います.クリスマスは12月25日,ただしユダヤ教の暦は日没から始まるため,12月24日の日没からクリスマスが始まり,翌25日の日没で終わります(24日の日没から25日の夜明けまでがクリスマスイブ).

 「それはわかってる.でも今日は1月6日じゃないか!」という声が聞こえてきそうです.その通り,今日は1月6日です.グレゴリオ暦では…

 そう,今日が1月6日というのはグレゴリオ暦での話で,暦が違えば日にちも変わってくるのです(江戸時代の日本は和暦を使用していたため,例えば池田屋事件は和暦だと元治元年6月5日ですが,グレゴリオ暦では1864年7月8日となります).

 「とはいえ,グローバリズムが浸透した21世紀,世界中の地域で使用されている暦はグレゴリオ暦,イスラム暦とかもあるけど,キリスト教のイベントで違う暦を持ち出してもしょうがないんじゃ」という声も聞こえてきます.

 しか~し! キリスト教だからこそ異なる暦が問題になってくるのです.イエスやその使徒たちの時代に使われていた暦はユリウス暦です.これは共和政ローマ末期の政治家,ユリウス・カエサル(英語だとジュリアス・シーザー)が制定した暦です.それによると1年を平年365日とし,4年に1度うるう年を設けて366日とします.この暦を使うと計算上1年は365.25日になりますが,実際の地球の公転周期(太陽の周りを1周する時間)は365.2422日なので,1年に0.0078日の誤差が生じます.ただ制定当時としては実用上問題ないものでした.

Jurius(写真1)ユリウス暦を制定したユリウス・カエサル

 しかし,塵も積もれば…の例えもあるように,その後ローマ帝国が衰退し中世を経てルネサンス期になると,その誤差が無視できないようになってきました.具体的には復活祭の基準になる春分の日が明らかに遅くなってきたからです.すなわちユリウス暦制定から1600年を経て,当初の誤差0.0078日が10日ほどの誤差になってきたのです.そこで16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世の肝いりで新しい暦が制定されました.これがグレゴリオ暦で,この暦では3年の平年と1年のうるう年という基本概念はユリウス暦と一緒ですが,例外規定として西暦で100で割り切れる年は基本うるう年とはせず,さらに400で割り切れる年はうるう年とするというものです.この暦を使うと1年は365.2425日となり公転周期との誤差は0.0003日となり,さらに精度の高い暦となりました.

14390800_1079424832154881_3075860_2(写真2)ギリシャ正教の聖堂

 このグレゴリオ暦が現在世界で使われている暦なわけですが,ここで問題が発生しました.それは暦を制定したのがローマ教皇だったこと.すなわち当時ローマカトリックと対立していたプロテスタントや東方正教はこの暦を認めなかったからです.特に東方正教諸教会は自分たちこそが正統という意識があるため,「ローマ教皇なんていう異端の頭目が作った暦なんか使えるか!」という感じで拒否反応が強かったようです.しかしながら国際交流が盛んになる近代以降になると,さすがに日常生活でも独自にユリウス暦を使い続けるのは困難となり,現在ではこれらの地域でも世俗生活ではグレゴリオ暦を使っています.ただ教会暦だけは頑なにユリウス暦の使用にこだわっているということです.なので,東方正教会の多くでは教会暦はユリウス暦であり,クリスマスイブもユリウス暦の12月24日の夜,グレゴリオ暦では1月6日夜となっているのでした(このグレゴリオ暦で1月6日というのも絶対ではなく,22世紀にはさらに誤差が広がり,今より1日遅れの1月8日になる予定です).

Dsc_2255  そんな2022年のユリウス暦のクリスマスイブに当たる今日,関東南部は久方ぶりの雪になりました.

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2022年1月 5日 (水)

レセプト点検

 新年になりすでに通常業務2日目です.

 病院の月初といえばレセプト点検,保険診療を生業としている病院は前月に行った診療内容をレセプトとして保険者(国保とか社保とかいうもの)に請求し診療報酬を受け取る仕組みになっています.すなわちこれが病院収入の柱となるものです.

 レセプトは正確さを求められるもので,やってもいないことを請求する不正請求は論外な行為ですが(悪質な場合は保険指定を取り消される),一方でやっているのに請求し忘れる「請求漏れ」は病院経営にとって痛手となります.このレセプト業務は病院の医事課の重要な仕事で毎月初めは医事課の職員にとって忙しい時期になります.

Img_6945  ただ病名が適切であるかなど,最終的なチェックは医師が行うことになっています.自分の職場では私がこの担当になっているので毎月この時期になるとレセプトの山と格闘しているのでした.

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2022年1月 4日 (火)

らーめんの千草

 昨年末帰省した際,家族で近郊の温泉宿に泊まったのですが,そこの売店で千草のラーメンを見つけました。

2285  これは岩手県久慈市にある「らーめんの千草」監修によるラーメンです.ここは久慈市では有名なお店で、かつて新横浜ラーメン博物館にも出店していたことがあります.鶏出汁の醤油ラーメンで見た目は薄そうですが,意外に濃厚なのが特徴です.久慈のお店では地元の食材を使った「ねぎきのこラーメン」や「まめぶ入りラーメン」なんかが有名です(かつて久慈に住んでいた時はいつもネギきのこラーメンだった).

 買ってきたものを今日さっそくいただきました.まめぶやキノコがなかったので普通の醤油ラーメンパターンです.スープの感じが懐かしかったです.

Img_6944 Image-2(左)この日いただいたもの,(右)久慈のお店です

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2022年1月 3日 (月)

2022年の抱負

Img_6942  新年を迎えて3日目,いわゆる正月三が日の最終日というわけで,明日からは普通の日常が始まります.そんな1月3日は今年1年の抱負を考えてみました.合唱活動や扮装イベント,寮歌祭に関しては社会情勢の影響が大きく,自分の努力だけではどうにもならない部分があるので,ここでは自分でどうにかできそうなものを挙げてみます.

1.健康でいる

 やはりすべての基本となるのはこれです.どんな目標を掲げようと自分が健康でなければ始まりません.暴飲暴食に注意しストレスをためないようにしながら生活していこうと思います.

2.旅行に行く

 自分にとってストレス解消といえば旅行です(転地療養ともいう).海外旅行は今年も(少なくとも上半期は)厳しそうな世相ですが、国内でも行ったことがない場所はまだまだあるので,積極的にそうした場所を探して行ってみたいと思います.

3.なにか試験を受ける

 コロナ禍に入ってからなんか生活が単調化して,ボーっと生きているんじゃないかと思うことがあります.いくつになっても学ぶことが大切だと思うので,「〇△検定」みたいなのでもいいのでなにか試験を受けてみたいと思います(そういえば過去に受験した妖怪検定は今も行われているんだろうか).

4.オペラ観劇

 自分の趣味の一つであるオペラ観劇,昨年はコロナ禍の中でも行ける時には機会を作って行っていました.今年もできる限り鑑賞したいと思います(自分的には5月に新国立で予定されている「オルフェオとエウリディーチェ」が期待).

5.ホームページの作成

 私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」も誕生から20年を迎えました.一時更新頻度がかなり下がっていましたが,コロナ禍になって出かける頻度が減ったおかげで過去2年は100名城や100選滝を中心に結構更新するようになりました.今年は停滞している海外旅行を仕上げたいと思います(次の海外旅行までに過去の旅行記録を完成させることを目指す).

6.歴史の勉強をする

 3の試験とも関連しますが,歴史好きと言いながら最近はあんまり歴史の勉強をしていないように感じます.数年前に河出書房新社の「世界の歴史」シリーズを電子図書で大人買いしたものの,そのままになっているのでこれを読んでみたいと思います.

7.100選滝,100名城関係

 2の旅行と関連しますが,今年は100選滝5か所以上,100名城10か所以上を目標にしておきます.

今年の年末にどれだけ目標を達成できたか検証するのを楽しみにしています.

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2022年1月 2日 (日)

おめでたい食事

 年が明け2022年になりました。年末は28日の仕事納めでお終いだったため実家につかの間の帰省をして大晦日の晩にこちらに戻ってきました(ちょうど紅白歌合戦をやっている時間帯と移動時間が完全に被っていて,家についてテレビをつけたらちょうどゆく年くる年をやっていた).

 そして元旦は朝から時々行っている隣県の某病院へ泊りがけの出張です.まあ救急とは無縁の管理当直のみなので疲労感はありません.食事は患者さんとほぼ同じものを検食としていただくのですが,元旦のお昼は赤飯に加えて病院食としては珍しいお刺身が付きました.2日のお昼は通常に戻りつつある感がしますが,それでも元旦に続いて祝い肴と称する副菜が付いています.

Dsc_2250 Dsc_2251-1  やっぱりこうしたところに季節感を持たせているようです.

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