2021年12月31日 (金)
2021年10大ニュース
今年も残すところわずかとなりました.大晦日当ブログ恒例,10大ニュースの発表です.コロナ禍での2回目の年末となったわけですが,昨年同様ひの新選組まつりやしながわ宿場まつり、日本寮歌祭といった定番イベントが軒並み中止になっており,例年に比べてネタが少ない印象です.まずは選外の紹介です。
・続日本100名城スタンプラリー: 集める系が好きな私が取り組んでいるものの一つです。今年はコロナ禍で長期旅行が無くなった反動で短い国内旅行が増え、結果いくつかの城郭を回ることができました。
・メインPCを買い替える: 今年は家のメインPCを買い替えました。これまで20年以上使っていたWindowsからMacになりました。元々医師の世界ではMacがメジャーだったのと、最近はiPadを使うことが多くてAppleへの違和感がなくなっているのも要因です。
・志摩マリンランド: 今年の3月で閉園となった志摩マリンランドに行ってきました。せっかくなので当地の美味いものである安乗フグもいただきました。
・秋の下北半島: 秋の晴天の中久しぶりに下北半島に出かけてきました。尻屋崎や仏ヶ浦に加えて大湊の海自カレーも堪能しました。
・山梨ヌーボー: 11月に解禁となる山梨ワインの新種、山梨ヌーボーを堪能してきました。
・十津川村に行ってきました: 山深い奈良県南部の中でもとりわけ奥深いと言われる十津川村に行ってきました。確かに狭い道が多かったのですが、昔に比べるとだいぶ道路が改良された印象です.
(左上)明智光秀ゆかりの福知山城、(中上)新しく購入したiMac、(右上)志摩マリンランドにて、(左下)護衛艦おおよどのカレー、(中下)山梨ヌーボー、(右下)十津川村の谷瀬の吊橋
それでは10位から発表します。
第10位 掲示板のダウングレード
私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」には掲示板が設置されています.かつて2007年~2009年頃は春のひの新選組まつり関係者が多数書き込んでくれてそれなりに盛り上がっていましたが,SNSが急速に普及した2010年以降は過疎化が著しく,年間投稿数一桁という状況になっていました.実はこの掲示板見栄えをよくするためにあえて有料版を使っていたのですが,現在の過疎具合からそこまで経費をかける必要はないだろうと考え,6月1日をもって無料版にダウングレードしました.無料版になると広告が出て見づらくなるのですが,現在の過疎っぷりから実害はないと思われます(関連記事)
第9位 チンチラ15歳
我が家にはペットとしてチンチラがいます(チンチラというと猫の一種と思われる向きもありますが、ウチにいるのは齧歯類の方です)。迎えたのが2006年の春だったので今年で15歳になったことになります。一般的なチンチラの寿命がどのくらいなのかきちんとした統計があるわけではないですが、かなり長生きしている方ではと考えています。チンチラはアンデス高地帯出身なので高温多湿な日本の夏には非常に弱く、飼育にはエアコンが必須です。迎えた当時は岩手県の沿岸北部に住んでいたんですが、当時は家にエアコンが1台しかなく、その唯一の部屋にチンチラが住み、飼い主はエアコンのない部屋で寝泊まりしていたのを思い出します(岩手の沿岸北部はそれでもどうにかなった)。これからも可能な限り長生きしてほしいと思います(関連記事)。
こうして見比べると加齢と共に毛皮の艶が落ちてきているのがわかる
第8位 日本3大桜
日本3大〇△というのも私のライフワーク的なテーマですが,今年は日本三大桜を一気に観桜しました.具体的には福島県三春町の三春滝桜,山梨県北杜市の山高神代桜,岐阜県本巣市の根尾谷淡墨桜の3つです.共通しているのは樹齢1000年をこえる一本の巨木であるというところ,過去には樹勢の衰えから枯死の恐れがあった状態から関係者の努力で見事に復活したところなど様々な歴史があるのも特徴です.
コロナ禍での訪問ということで,前夜近くの旅館に宿泊して朝まだ人が少ない時間に観桜するというソーシャルディスタンスに注意した観桜だったのはいうまでもありません(関連記事).
第7位 オペラ鑑賞
クラシック好きの我が家ですが,鑑賞する分野はかなり偏っていて,主に聴くのは教会音楽とオペラです.とりわけオペラは大好きで関東に越してきてからは年間10回以上生鑑賞しています.コロナ禍に入って昨年春から秋までは新国立劇場をはじめとして多くの舞台が中止になってしまったのですが,今年に関して言えば関係者の努力のおかげで多くの舞台が行われました(客の数を絞るなど劇場側にとっては大きな痛手になるものでしたが).
確認したところ今年我が家で鑑賞したのは新国立劇場では「トスカ」,「フィガロの結婚」,「ルチア」,「ドン・カルロ」,「チェネレントラ」,「ニュルンベルクのマイスタージンガー」,藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」,東京二期会の「こうもり」の合計8本でした.コロナ禍ということを考えるとよく行った方だと思います.どれも印象深かったんですが,特にマイスタージンガーは良かったです(ワーグナー主要作品中唯一生観劇したことがなかった作品でした).この分野は来年もたくさん見に行きたいです.
(左)新国立のマイスタージンガー,(中)藤原のラ・ボエーム,(右)二期会のこうもり
第6位 温泉三昧
旅行好きの私ですが,コロナ禍で海外旅行が封印されてしまったため今年は長期の休暇を取りませんでした(昨年は小笠原に行ったのでとりあえず1週間の休みを取った).世の中ではソーシャルディスタンスが叫ばれる中,私が編み出したのが温泉,特に客室に温泉を備えた旅館やホテルです(さらに食事も個食のタイプ).これなら他のお客さんに接することなく旅行を堪能できます(ついでに移動手段が自家用車ならもう完璧).
今年の我が家はこうした貸し切りタイプの温泉に行くのがトレンドになっていました.
第5位 上高地帝国ホテル
前述のように海外旅行が封印されいるため長期の旅行に行けない世相ですが,逆に人があまりいない国内の自然系に短期で行く分にはむしろ行きやすい世の中とも言えます.そんなコロナ禍だからこそ行けた場所が上高地帝国ホテルです.
今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一が設立・経営にかかわった東京の帝国ホテルは日本初の国際水準のホテルですが,その関連施設として1933年(昭和8年)に開業したのが上高地帝国ホテルです.日本を代表する山岳リゾート地である上高地を代表するホテルとしてで,自分も一度は泊まってみたいと思っていましたが,人気が高いので特に夏休みシーズンには予約が取れないことでも有名でした(毎年春にそのシーズンの予約を一斉に受け付けるので,あっという間に埋まってしまう).ただ今年は夏に首都圏に緊急事態宣言が出たことで旅行をキャンセルした人もいて,おかげで空きが出て行くことができました.2泊じっくりと宿泊し山岳リゾートを堪能しました.
第4位 日本の滝100選に挑む
ライフワークの一つになっている日本の滝100選,海外旅行が封印され出かけるのが専ら国内になったことで逆に訪問頻度が上がっている分野です.今年は長野県の三本滝,岐阜県の平湯大滝,奈良県の不動七重の滝,笹の滝,兵庫県の猿尾滝の計5瀑を新規訪問しました(そのほか再訪となったのが山梨の仙娥滝で、行こうと計画していたものの断念に至ったのが福島の三条の滝).今年1月にここに書いた抱負の中で最低5ヶ所の滝に行くと書いたので、とりあえず目標は達成したようです.
(左上)三本滝、(右上)笹の滝、(左下)猿尾滝、(中下)不動七重の滝、(右下)平湯大滝
第3位 間人蟹を食べる
いよいよベスト3の発表、第3位は食べ物の話題です.冬の味覚といえば蟹です.特に山陰から北陸の日本海沿岸では冬に美味しい蟹が採れることで知られています。そんな日本海の蟹の中でも最高峰とされるのが京都府の北、丹後半島の北端にある間人港で水揚げされる間人蟹(たいざがに)です。とにかく漁場から近く、採れた蟹がその日のうちに食べられるという鮮度の良さが魅力です(僅か5隻の小型船で漁をしているため海が時化ると漁ができず食べられないことも)。いつか食べてみたいと願っていましたが、今年ついに食べることができました。新鮮な間人蟹を刺身で、しゃぶしゃぶで、焼きで、茹ででと様々な形で堪能しました。甲羅酒や締めの雑炊も最高でした。ただこれを食べてしまうと、今後これ以上の感動を味わうことができないのではという贅沢な不安もあるのでした(笑)。
第2位 春の尾瀬旅行
第2位は6月の尾瀬旅行、今年我が家が出かけた最も長期間の旅行です(そうは言っても4泊5日ですが)。当初は北海道の離島、利尻島&礼文島に行って自然観察、特にレブンアツモリソウを見ようと張り切っていたのですが、北海道に緊急事態宣言が出てしまい医療環境の脆弱な離島に本土の人間が行くのが憚られる状況になったため中止となり、その代替企画として浮上したものです。
群馬県側の入口である戸倉温泉に前泊、翌朝一番で尾瀬に入りました。初日は尾瀬ヶ原を歩いて北の温泉小屋に宿泊、2日目は尾瀬ヶ原から白砂峠を越えて尾瀬沼へ行き湖畔の尾瀬沼ヒュッテに宿泊、3日目は尾瀬沼東岸を南下して三平峠から大清水に抜けるというルートでした。当初は温泉小屋から北の三条の滝(日本の滝100選)まで行こうと思っていたんですが、3日分の荷物を背負って歩くのは日頃の運動不足で鈍っている我々には厳しく結局断念しました(温泉小屋に連泊してその中日に行くならアリかと思う)。3日間とも晴天に恵まれ、素晴らしい景色を堪能し癒された旅行でした(疲れたけど 笑)。
(左)水芭蕉、(右)尾瀬沼をバックに
第1位 合唱活動再開
そして第1位は合唱活動再開です。
合唱を趣味としている我が家です。現在いくつかの合唱団に所属していますが、コロナ禍の中で、合唱活動が「集まって声を出す」という感染対策として避けるべき行動に当たるとして、コロナ禍の初期段階で全て活動休止に追い込まれました。昨年秋に一時的に再開の動きがあった合唱団もあったものの、冬の第3波により再び休止となっていました。
しかし今年夏の第5波が収束し、9月末の緊急事態宣言解除後も感染の再拡大が見られなかったことから、東京21合唱団が隔週ながら再開しました。ただこの2年間で人々の生活も大きく変わったため、現在参加しているのは往時の半数程度です。それでも次の目標に向けて一歩一歩進んでいこうと頑張っています。
一方医師会合唱団は医療従事者が趣味で行なっている活動で万一でもクラスターなど発生させられないという事情もあるため、正式の再開には至っておらず、代わりに有志による自主練という形で最近2回ほど活動を行いました。また東京マドリガル会も活動再開とまでは行きませんが、久しぶりの例会を開き親睦を深めました。
このように少し明るい兆しが見えてきた合唱界です。オミクロン株の不安もありますが、なんとか来年は本格的な活動ができたらと願っています。
2021年12月30日 (木)
実家の神棚
私の職場は12月28日が仕事納めだったんですが,年内は当直がないので私自身も仕事納めになりました(新年は元旦から働きます 笑).とりあえず大晦日まではフリーということで久しぶりに実家に帰ってきました.
年末に実家に戻るとやらなければならないのが神棚の掃除です.一応31日と29日は避けるべき日とされているため(31日は一夜飾り,29日は九(苦)が入るので不可とされる)必然的に今日30日にやることになりました.
古いお札やしめ縄を撤去し布巾掛けをして新しいものに取り換えます.実は我が家の神棚にはいろんなものが祀られています.自分の高校や大学の合格通知や金運がアップするよう蛇の抜け殻のほか,子供の頃に縁日で買った銃のおもちゃと火薬もあったりします(一応家を守るための装備ということ?).こうした謎アイテムも一緒に布巾掛けをして治めたのでした.
2021年12月27日 (月)
2021年12月26日 (日)
2021年12月24日 (金)
クリスマスイブ
今夜はクリスマスイブです.キリスト教においてイエスの誕生を祝うのがクリスマスで,それが12月25日です.ただ聖書にはイエスの誕生日については記載はなく,12月25日は誕生日ではなくあくまでもイエスの誕生を記念する祝日という位置づけです.そしてイエスが生まれたのは夜なので,その聖なる夜(聖夜)をクリスマスイブと呼んでいます.現在では真夜中の12時から日付が変わりますが,キリスト教のベースとなったユダヤ教の暦では日没から日付が変わりました.このため今の暦でいうと12月24日の日没から25日が始まるため,24日の夜がクリスマスイブということになります.時々世間では「クリスマスイブの夜」という表現を見かけますが,これは「アメリカに渡米する」,「馬から落馬する」と同様の重言になります.クリスマスイブは12月24日を指す言葉ではないのですが,日本でその種の誤解があるのは,本祭の前夜に行われる宵宮の概念があるからかと思ってたりします.
イエスの誕生を祝うのがどうして12月25日になったのかについては諸説ありますが,古代末期から中世にキリスト教を受け入れたゲルマン人に冬至を祝う習慣(冬至以降日が長くなるので太陽の復活の日と考えられていた)があったため,それに初期の教会がイエスの誕生が結びつけたものと考えられています.クリスマスの定番モミの木飾りも,キリスト教が誕生した中東ではなく,ヨーロッパの森を連想させるのもその辺に理由がありそうです.
聖書の記述(ルカ福音書)によると,イエスが誕生した晩,野宿をしていた羊飼いのところに天使が現れ,そのことを告げることになっています.聖書の舞台となったイスラエルは決して暑い国ではなく,特にイエスが生まれたとされるベツレヘム周辺は乾燥していて標高も高く,冬は寒くてとても野宿などできる環境にないので,イエスの誕生は少なくとも12月など真冬ではなさそうです.
2021年12月23日 (木)
久々の東京マドリガル会
趣味が合唱の私ですが,10月にようやく活動を再開した東京21合唱団,11月に自主練という形で活動し始めた医師会合唱団のほかに東京マドリガル会にも所属しています.この団体は1929年に故・黒澤敬一氏によって結成された英国マドリガルを専門に歌う団体です.同年に英国大使館にて第1回のコンサートが開催され,以来毎年コンサートを重ねてきました(第二次大戦中も大学の構内などに会場を移して演奏し続けたそうです.当時英国は敵国だったわけですから,その音楽を演奏するというのは非常にリスクのある行動だったはずです).
その後メンバーの高齢化もあって定期的なコンサートは2016年をもって終了となり,以後は純粋にアンサンブルを楽しむ場として維持されていました(その間2018年春には私の病院でのミニコンサート,2019年夏には軽井沢の教会でのコンサートを行った).そして2020年初頭からのコロナ禍でここも活動休止に追い込まれたのはいうまでもありません.しかも私が所属している合唱団の中でもとりわけ高齢化率の高い団体であり,なかなか再開にこぎつけられませんでした.
しかし9月から感染傾向が落ち着き世間の活動も戻り始めているこのタイミングで,一度みんなで集まろうということで昨夜その集会に参加してきました(この団体では普段の練習のことを”例会”と呼ぶのですが,この日は”例”ではないので”集会”でいいんだと思う).通常レパートリーとしているマドリガルを何曲か歌ったほか,この日はゲストとして調律師で日本古楽史研究家でもある梅岡俊彦さんをお迎えして古いレコード鑑賞会も行われました.
(左写真1)ホーンは紙製です,(右同2)レコードはもちろんSP版
使用されたプレーヤーはいわゆる蓄音機と呼ばれた電気式ではないラッパのようなホーンが付いたものです(ターンテーブル部分は電気で動く).鑑賞したのは古くは1910年録音のバイオリンものや1930年頃の声楽,さらには1950年の本会のコンサートの録音などでした.それにしても物理学の法則に従っているとはいえ,立派な音が鳴ることに感動を覚えました.
いろんな意味で新鮮な喜びのあった集会でした.またぜひ集まりたいものです.
2021年12月21日 (火)
神経学会の地方会
医療関係者である私、旅行医学や温泉医学にも興味が深いのですが,メインでやっているのが神経学(Neurology)です.診療科としては神経内科あるいは脳神経内科などと呼ばれています.本来の名称から言えば神経科でよいのではないかと思われますが,日本では古くから精神科の別称として神経科が使われていたため,こういう呼び方になっています.
そんな神経内科医が多数参加している学会が日本神経学会です.設立は1960年ですが,さらに源流をたどると1902年にできた日本神經學會というのに行き当たります.旧字と新字の違いにしか見えませんが,実はこれが今の日本精神神経学会(精神科医のメイン学会)の前身になります.すなわち日本精神神経学会の中から1960年に分離独立したのが日本神経学会というわけです.これなら現在の診療科名の謎も理解できます.
日本神経学会には専門医および指導医の制度があります.専門医になるには学会が定めたカリキュラムに従って学習し,試験に合格する必要があります.一方の指導医は専門医になったうえで学術論文の執筆や研修医の指導等の実績により認定されます.どちらも5年ごとの更新が必要で専門医は学会等への出席により5年で50単位の習得が,指導医は指導実績の提出が求められます.私も専門医かつ指導医なのですが,このうち専門医の更新が来年3月に迫っています.そういえば単位の方はどうなっていたかと確認したところ,48単位と2単位足りない状態であることがわかりました.手短なところとして12月初めに関東甲信地方会があったのですが(地方会参加で3単位)、別用のため参加できませんでした.ただ次回の関東地方会は3月なので期限キリギリはいやだなぁと思っていたところ,なんと中国・四国地方会がオンラインで開催されることが判明,しかも参加制限なしという優れものです(地域によっては外部の参加を認めないところも多い).参加費も2,000円と関東甲信(3,000円)よりも安価です.早速申し込んだことは言うまでもありません.
2021年12月20日 (月)
小田原三の丸ホール
この週末は強い寒気が入り込んできているとのことで,全国的に気温の低い地域が多かったようです.ただ関東は寒いけれども快晴の良いお天気でした.この日は午後からお城の近くにある三の丸ホールに出かけてきました.
小田原市のホールとして小田原市民会館があったのですが,施設の老朽化が進んだため閉館となり代わって新たに建設されたのが三の丸ホールです.総事業費63億円で,起工したのは2019年4月でした.ただ建物らしい様相を呈してきたのがちょうどコロナ禍が始まった頃の外出自粛時期になったため,出来上がっていく様子がわからないまま今年9月のオープンを迎えました.
前の市民会館がかなり老朽化していたこともあり,旧ホールとのギャップが凄いらしいと噂には聞いていたんですが,なかなかいく機会のないまま3か月が過ぎてしまいました.
で,ようやく1月19日(日)にここで開催されるコンサートに行く機会があり出かけてきました.
それは小田原少年少女合唱隊&マルベリー・チェンバークワイアのクリスマスコンサートです.ここは声楽&合唱指導者として知られる桑原妙子先生が主宰している合唱隊です.少年少女はその名の通り地元の子供たちで、マルベリーはその卒業者たちで構成されています.非常にレベルが高い団体なんですが,このコロナ禍でほかの合唱団と同様に活動ができない状況に陥っていました.特に少年少女に関して言えば、大人のように自己責任でというわけにはいかないことから,未だに集まっての活動ができない状況のようです.
しかし,せっかく新しいホールができたということで関係者の方が努力した結果、今回のコンサートとなったものです.先述のように少年少女の方は活動ができていない状況のため、内容は前半が過去のコンサートのVTR鑑賞、後半はマルベリーの方々による独唱・重唱・アンサンブルを経て,最後に少年少女も参加してのクリスマスソングという流れでした(子供たちはこの日が初めての合わせだったもよう).
この日は巷の多くの教会でクリスマス礼拝が行われていましたが,そうした雰囲気の中素敵な歌声を堪能することができました.
そして肝心のホールですが,まあ昔の市民会館が古すぎた💦こともありますが,近代的な素晴らしいホールになっていたと思います.医師会合唱団もいつかここでコンサートができたらいいな,と強く感じたのでした.
2021年12月18日 (土)
寒い朝
今朝はこの冬一番の寒気が入り込んでいるとのことで、全国的に寒い朝となりました。西高東低の冬型の気圧配置となり北日本や日本海側では大雪になる一方で、関東など東日本の太平洋側は晴れて風の強い日となります(いわゆる空っ風)。
昨夜は沼津に泊まりがけの出張だったんですが、今朝は静岡県東部も快晴の良いお天気でした(寒いですが 笑)。今朝家に戻る途中の国道1号線からは雪を被った見事な富士山の姿を拝むことができました。
一方で空っ風のために紅葉していた紅葉が桜吹雪のように散るため、宿舎の駐車場では車がひどいことになってしまうのでした。
2021年12月17日 (金)
A World of Beauty 2022
2021年も残すところ半月を切りました.思えば今年は20年以上恒例となっていた1週間以上の長期休暇が一度もない年でした(昨年は小笠原諸島に行くために1週間休んだ).来年はどこか遠くに行ける環境になっていることを願うばかりです.
さて,日常生活で使うものにカレンダーがあります.近年ではスマホなどの電子媒体でスケジュール管理ができるので昔ほどカレンダーが重要な場面は少ないのですが,家族内で予定等を共有する関係上家に1つは欲しいところです.
そんな我が家で毎年利用しているのがJALが発行している A World of Beauty というカレンダー,世界各地の絶景をバックにその地域の民族衣装をまとった女性が写っているものです.自分は以前から「世界の美女カレンダー」と呼んでいます.そんな A world of Beauty の2022年版が届きました.
今年の2021年版はコロナ禍の影響なのか,日本を舞台にした月が多かったんですが,来年度版は1月からオーストラリアが背景になっているなど気合が入っています.ただ以前に比べると映り込んでいる女性が小さくなっているのはフェミ関係への対策なんでしょうか.そんなことを思った12月の寒い日でした.
2021年12月16日 (木)
2021年12月14日 (火)
元禄赤穂事件
今日12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日である.旧暦の元禄15年(1702年)12月14日(正確には12月15日未明),元播州赤穂藩家老大石内蔵助以下の浪士四十七人が,本所松坂町の吉良邸を襲撃,吉良上野介義央の首級を挙げた事件である.国内最後の大きな争乱となった島原の乱からすでに65年,太平にすっかりなれた元禄時代の人々に大きな衝撃を与えた一大武装闘争事件である.現在ではその前年3月に起こった江戸城松之大廊下で発生した刃傷事件と併せて赤穂事件(元禄赤穂事件)の一局面とされている.歌舞伎仮名手本忠臣蔵の題材になった事件でもあり,現在でも非常に有名である.NHKの大河ドラマ(H.11年の元禄繚乱,S.57年の峠の群像など)や民放の年末時代劇などでもしばしば取り上げられている.ただ非常に有名な事件でありながら,一方で謎の多い事件でもある.
まず討ち入りの前提になった,前年元禄14年3月14日の江戸城松之大廊下での刃傷事件から謎に満ちている.第一の謎はなぜ浅野内匠頭長矩があの日松之大廊下で刃傷に及んだかである.一応,浅野が「この間の遺恨覚えたか!」と叫んで,吉良上野介に切りつけたことになっているのだが,江戸城内で刃傷事件に起こすことがどれほど重大なことか,長矩が知らないはずはない.もし本当に切りつけたいほどの遺恨が過去にあったのなら,もっと人がいない場所を狙うとかやり方があるはずだ.にもかかわらず江戸城のしかも重要な儀式(朝廷からの勅使をもてなす儀式)が行われている最中に事件を起こしたのだから,浅野長矩は我を忘れるほど激昂していたことになる.仮に松之廊下で吉良と浅野が言い争いをしていて,興奮した浅野が切りつけたというならまだ話はわかる.しかし実際には浅野は不意に吉良に切りつけている.つまり事件直前に浅野が我を忘れてしまった理由が不明なのである(外で何かがあり,怒った浅野が吉良のもとに飛んでいって切りつけたわけでもないようだ).
第二に動機である.巷では勅旨供応役を拝命した浅野が指南役だった吉良に賄賂を送らなかったために意地悪をされたとか,赤穂と吉良の塩をめぐる争いだとか言われているがそれを示す証拠はないようである.結局この刃傷事件は動機もはっきりせず,単に浅野長矩が錯乱して斬りつけただけだったという説もある.
しかしこの刃傷事件の結果,赤穂浅野家は改易となり,藩士は路頭に迷うことになった.江戸時代の大名家というのは企業のようなもので,改易になるということは会社が倒産することとイコール,従業員たる藩士は失業してしまうからだ.戦国の世で戦で死ぬ時代なら他家に仕官するのも容易だったが,太平の江戸時代になると失業した藩士の再就職は容易ではなかった.
その後紆余曲折を経て,翌元禄15年12月14日の討ち入りに至るのだが,ここにも謎はある.刃傷事件の後同年8月に吉良が突然幕府から屋敷の移転を命ぜられていることだ.元々吉良邸は江戸城に近い呉服橋(JR東京駅付近)にあったのだが,この命令で本所松坂町に転居となった.ここはJR両国駅の近くで,今は都心の一部だが,当時は江戸のはずれの雰囲気で,かなり寂しい所だったらしい.これは何を意味するのか.直前に吉良義央は隠居しており,隠居に伴う移転ということも考えられる.しかし旧赤穂藩士の襲撃がウワサされている時期でもあり,幕府が討ち入りをさせるためにわざと転居させたのではないかとも取れるのである(郊外であれば他人の目にも触れにくい).結局当日浪士たちは,幕府の捕り方に誰何されることもなく,吉良邸討ち入りを行うことができたのであった.
ちなみに浅野=善玉,吉良=悪玉という構図は後の仮名手本忠臣蔵によって確立した概念であり,必ずしも史実ではない.これは「三国志演義」を読んでも歴史としての三国志を理解したことにはならないし,「燃えよ剣」から新選組の真の姿は見えてこないのと一緒である.実際には地元赤穂の領民の間での浅野家の評判は芳しくなく,逆に吉良上野介の領地での評判は良かったらしい.近年(平成後半期)メディアでも赤穂浪士を取り上げる頻度が激減しているは歴史上の人物をフィクションによる単純な善と悪という色分けで描くことに批判があるからではないかと思われる.
2021年12月13日 (月)
2021年12月12日 (日)
ニューカレドニアの独立問題
ネットのニュースに上がっていた話題です.
南太平洋のフランス領ニューカレドニアで12日,フランスからの独立の是非を問う住民投票が行われ,反対多数で独立は否定されたとのことです.
ニューカレドニアはオーストラリアの東,ソロモン諸島の南に位置する島嶼で,主島であるグランドテール島と周辺の多数の小島からなっています.日本ではイル・デ・パン島やウベア島などのビーチリゾートの地として,新婚旅行先として人気の高いところです(自分は今から20年前に新婚旅行以外で訪問しています).一方世界有数のニッケル埋蔵量を誇り,その採掘と輸出も重要な産業となっています.
そんなニューカレドニアですが,1980年代より先住民を中心に独立運動が起こりました.世界的な脱植民地の流れもあり1987年には独立の是非を問う最初の住民投票が行われ,結果大差で独立は否決されましたが,一部独立過激派による暴動などが起こっています.その後1998年にフランス政府と独立派勢力等の間でヌメア協定が結ばれ,自治権の拡大が図られる一方で,2018年までに独立の是非を問う住民投票を行うこと,仮に否決されたとしても議会の要請があればその後2回(2020年と2022年)住民投票が実施できることになりました.
それを受けて2018年に独立の可否を問う最初の住民投票(1987年を1回目とすれば2回目ですが)が行われましたが結果は否決でした(反対派約56%).ついで2020年に2回目の投票がありましたが再び否決(反対派約53%).そして今回3回目の投票となったものです.
独立賛成派は現在のコロナ禍の状況の中での住民投票は延期すべきであると投票の実施に反対しており,延期が受け入れられなかったことから住民にはボイコットを呼びかけたようです.そんな中行われた今回の投票では反対約97%の圧倒的多数で独立派三度否決されました.ただ独立派がボイコットを呼びかけたことから投票率は40%台に低迷したとのことです(結果から類推すると独立賛成派の多くが投票しなかったようです).過去2回の住民投票では徐々に賛成反対の割合が拮抗してきていました.そんな流れの中で今回投票が行われたにもかかわらず独立派が投票延期を申し入れていたしかし,新型コロナの流行はニューカレドニアにも及び,結局現地政府が有効な対策を打てなかった(ワクチンの確保等結局フランス本国政府に頼らざるを得なかった)ことから独立反対派の勢いが増している状況でした.このため独立派としては今投票をするのは自分たちに不利であると考えていたようです.
ヌメア協定では今回が最後の投票になるはずですが,独立派は今回の結果を受け入れないと表明しており今後の推移に注目です.
ちなみにアフリカ大陸の東にコモロ諸島という4つの島(グランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島、マヨット島)からなる諸島があります.ここもかつてフランス領だったのですが,1975年にマヨット島を除く3島がコモロ連合として独立しました.しかしコモロ連合は内政の不安定さから経済が低迷する一方で,フランスに残ったマヨット島は本国支援を受けてそれなりの経済を維持しており、現在その格差は非常に大きなものとなっています.ニューカレドニアの独立の話題を耳にするたびに,このコモロの例を思い出すのでした.
2021年12月10日 (金)
細川ガラシャ隠棲の地
先日の丹波丹後旅行関連の最後の話題です.
伊根町の観光の後,その南にある京丹後市の山中にある細川ガラシャ隠棲の地を目指しました.歴史好きな方には有名な人物ですが,明智光秀の娘で戦国大名細川忠興の正室です.本名はたま,ガラシャというのはキリスト教に帰依した際の洗礼名です.元々明智光秀と忠興の父細川幽斉が盟友関係にあったこともあり,主君織田信長の命によって縁組されたといわれています.いわゆる政略結婚ですが夫婦仲は良く三男三女を得ています.
しかし天正十年(1582年)に父光秀が本能寺の変を起こし,その直後の山崎の戦で敗死したことから謀反人の娘となってしまい忠興によって山中に幽閉されてしまいました.その場所が味土野(今の京丹後市弥栄町)で現在はそのことを伝える碑が立っています.歴史好きとして近くに来たのだからぜひ行ってみたいと思い,伊根町から南下しつつ目指しました.Google Mapで検索したところ国道178号線から府道621号,75号を経由して行けるらしいのでそのコースを選択,車を走らせました.
マップを見てもわかるように山中を曲がりくねって走っており,林道レベルの道であることはわかります.ただそうした道を走る機会が多い私ですからさほど心配はしていません.途中2回ほど道を間違えながらもコース通りに進んでいきます.舗装された一車線道路が未舗装になってもまあ予想通りです.
が,その未舗装林道が狭くなり中央が草茫々になるとさすがに「おかしいぞ」となってきます(そういえば途中に「この先京丹後市への通り抜け困難」みたいな看板があった).さすがにこれはヤバいんじゃないかと感じ,途中カーブでやや広くなっている部分で諦めて引き返すことにしました.結局舗装道路に戻ってから改めてカーナビで検索すると(Google Mapを使ったのは当初カーナビで”細川ガラシャ隠棲の地”で検索しても出てこなかったから),どうやらぐるっと北西から回り込んでくるのが正解らしいです.地図にとりあえず道があればそちらで案内してしまう(場合によっては自転車に高速道路を勧めてくるみたいな)Google Mapのワナにハマったと後悔したのでした.
帰宅後Youtubeを検索したら,私と同じコースで同じ場所を目指したバイクの方がいたようで,見たら私が断念したもう少し先で道が本当に獣道になっていて,バイクの方が「無理だなこりゃ」とつぶやき引き返していました.バイクですら無理な獣道ですから,もしもそのまま車で突き進んでいたら立ち往生してしまった可能性があるなぁと思ったのでした(立ち往生はしなくても最悪数キロバックで戻るハメになったかも 汗).
こちらがバイクで目指した方の動画です.
2021年12月 9日 (木)
丹波丹後観光
先日間人蟹を食べに丹後半島方面に行ってきましたが,普段なかなか訪れる機会が少ない場所ということで周辺の観光にも行ってきました.
まずは福知山城,丹後とその南に隣接する丹波地区は織田信長が天下布武を掲げて戦っていた天正年間,その命を受けた明智光秀が数年かけて攻略していった土地です.その前半生が謎に満ちている光秀が歴史の表舞台に登場し一番活躍していた時代にかかわる場所です.福知山城は丹波平定後に光秀が同地の拠点として築いた城です(続日本100名城にも入っている).
ついで黒井城,光秀の丹波征討戦で最大の激戦地となった城です.猛将として知られる赤井直正が拠点とした山城で江戸時代に入って間もなく廃城になったものの,現在でも山頂部に石垣と曲輪が残っています(ここも続日本100名城).麓の興禅寺は江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母だったお福(後の春日局)の生誕地となっていますが,これは光秀の黒井城攻略後,当地を管理したのがお福の父親斎藤利三だったからです.
黒井城の後は西の養父市にある日本の滝100選の天滝渓谷を目指したのですが,残念ながら雨が降ってきたために断念し,その北の香美町にある猿尾滝に行きました.こちらも100選滝で,滝の下段の様子が猿の尾のように見えることからその名があります(猿尾滝は駐車場からすぐにあるのに対し,天滝は遊歩道を1時間ほど歩かなくてはならないので冬の雨の中ではつらい).
そして間人蟹をいただいた翌日は丹後半島の観光,まずは近くにある琴引浜へ.ここは鳴り砂の浜として知られる場所です.最初に付近にある琴引浜鳴り砂文化館で予習をします.鳴り砂の原理や条件,世界各地の同様な場所の紹介がありました.鳴り砂の条件は砂がきれいで乾燥していることであり,当地の冬は雨や雪が多く,また海からのごみの漂着もあって鳴りにくいことを知りました.その後浜へ行くとやっぱり係員が「今日は鳴らんのですよ」と言っていましたが,もしかしたら乾いたところを探して歩けば鳴るかもということで少し期待して浜を歩きました.確かに乾燥したところを探してすり足で歩くと「キュッ,キュッ」と鳴っています.感動の一瞬でした.
琴引浜を後にして丹後半島を海沿いに東に向かいます.丹後松島を過ぎて今度は半島東部の伊根町に入ります.ここは舟屋と呼ばれる海に面した1階に舟を収容するスペースを持つ建物が並ぶ光景で知られる地です.この日は遊覧船に乗って海から舟屋群の様子を眺めました.
そして昼食として地物の魚をふんだんに使った舟屋定食をいただきました.
2021年12月 7日 (火)
間人蟹
冬の味覚といえばカニ🦀です.特に北陸から山陰にかけての日本海で冬場に獲れる雄のズワイガニは越前がに,松葉がになどの名前でよく知られています.この付近のカニが美味しいのはカニが生息する海底が豊かでカニの餌が豊富なため,太って身が詰まったカニになるからだそうです.このため現地では漁港ごとに専用のタグをつけてブランド化と品質の保持を図っています.こうしたブランド蟹の中でも最高峰とされているのが京都府丹後半島の北端付近に位置する間人(たいざ)港に水揚げされる間人蟹です.
ここのカニが他とどう違うのかというと,その鮮度にあります.間人港はカニの漁場から最も近い港なため,日帰りで漁を行うことができます.ここでは朝早くに港を出て午前中に漁を終えて戻り,夕方にセリにかけてそのまま地元の旅館や飲食店で提供されます.すなわち漁から半日くらいで消費者の口の中に入ることになります(世間では一旦生け簀に入るのが普通).このため海が時化て漁ができないと新鮮なものは食べられないので幻のカニとも呼ばれています(ぶっちゃけ運次第).一度でいいから食べてみたいなぁと思っていたんですが,12月5日に思い切って行ってきました(笑).
この日お世話になったのは間人港そばにある海遊館さん,一人あたり間人蟹が1.5杯付くプランです.1.5杯というのは一人1杯が生で供され刺身,焼き,しゃぶしゃぶお好みで,次いで二人に1杯が茹でで供されます.地元のお酒も一緒に頼んだのは言うまでもありません.
感想ですが,まず刺身が旨いです! ズワイガニの刺身は他でも食べたことはあるんですが,まあ焼きやしゃぶに勝るかといえば,そこまでではないと思っていましたが,この日の刺身は本当に旨いです(塩をちょっと付けて食べる).しゃぶしゃぶも身がぷりぷりして美味,茹では鉄板の美味しさでした.一方で焼きは自分で焼くスタイルなので,焼き加減によっては意見が分かれるところでしょう.カニで酒飲みといえば蟹味噌ですが,さすが鮮度抜群だけあって生でも食べられます.もちろん甲羅焼きや甲羅酒も最高でした.今の自分の腹具合だと1.5杯で十分でした.大満足だったのは言うまでもないですが,一方でこれを食べてしまうと以後もうほかのカニでは満足できなくなるのではという点が不安です(笑).
(左上)生は一人1杯,(右上)茹では二人で1杯,(左中)握りも,(右中)カニしゃぶ,(左下)甲羅酒,(右下)間人蟹の証のタグ
2021年12月 2日 (木)
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
12月最初の日は初台の新国立劇場で行われている楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演に出かけてきました.
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はリヒャルト・ワーグナー主要作品中,唯一の喜劇的な作品です.ただロッシーニの喜劇作品のような底抜けの喜劇というわけではなく,喜劇的な題材の中にもワーグナーらしい精神性や哲学性などが散りばめられているのは言うまでもありません.
今回の公演は新国立劇場と東京文化会館,ザルツブルク・イースター音楽祭,ザクセン州立歌劇場による共同制作で本来は昨年6月に上演されるはずでした.しかし新型コロナの感染拡大を受けて中止となり今年あらためての公演となったものです.オペラ愛好家の私ですが,ワーグナー主要作品中唯一生観劇したことのないのがこのマイスタージンガーだったので,昨年段階から行く気満々でした.今回公演最終日にようやく鑑賞することができ感慨深いものがあります.
指揮は新国芸術監督の大野和士,演出はイェンス=ダニエル・ヘルツォークです.キャストはザックスにトーマス・ヨハネス・マイヤー,ヴァルターにシュテファン・フィンケ,ボーグナーにギド・イェンティンス,ペックメッサーにアドリアン・エレート,エーファに林正子etc.です.オケは定番の東フィルや東響ではなく大野和士が音楽監督を務めている都響が起用されました.
演奏は30分の休憩を2回入れて約6時間,正味5時間はワーグナーの中でも「神々の黄昏」と並んで最長レベルです(特に3幕が130分とこれだけで普通のオペラ1本分!).ただ喜劇的な要素が多くストーリーがテンポよく進むことや合唱が多用されるなど苦痛はそれほどでもありません(笑).出演陣は期待にたがわぬ素晴らしい歌唱を聴かせてくださいました.ただ演出に関しては最後ちょっとどうなんだろうと個人的に思いましたが(この作品は強く政治的に利用された過去があるので,特にドイツの演出家にとっては難しいのだとは思います).
終演後は定番のレストランでのディナー,この日もコース料理となりました.
(左上)始まりはスパークリングワイン,(中上)前菜はギアラとトリッパ,(右上)パスタはリングイネのクリームソース,(左下)秋鮭のムニエル,(中下)牛ザブトンのロースト,(右下)モンブランのタルトと栗のジェラート
最近のコメント