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2021年10月27日 (水)

海峡ライン

 鉞の形をした下北半島の刃の部分,津軽海峡に面した地域を走っているのが国道338号線,通称海峡ラインです.今回約15年ぶりにこの道を走行する機会がありました.

 海峡ラインの北の出発点は本州最北端の大間崎です.マグロでも有名な場所なので岬には最北端の碑のほかにマグロをモチーフにしたモニュメントもあります.一方でここは2000年に放送された朝ドラ「私の青空」の舞台になった地でもあり,ロケ関係の資料を展示した観光案内所(大間崎レストハウス)もありますが,コロナ禍のせいか閉鎖されていました.

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(左写真1)大間崎にて,(右同2)マグロのモニュメント

 大間崎を出発しいよいよ海峡ラインに入ります.大間市街地を抜けて海沿いに南下,15分ほどで佐井村に入ります.同村は下北半島西部の海岸沿いに位置する細長い自治体です.村内に大きな平野はなくいくつかの小さな湾内に開けた土地に集落が点在しています.村境を過ぎて8分ほどで村最大の集落である佐井地区へ,ここに村役場や文化館アルサスなどの大型施設があります.

 佐井地区を過ぎると人工物が一気に減り,周囲は大自然の雰囲気が強くなります.しばらくは津軽海峡をそばに見ながらの爽快なドライブですが,約25分ほど南下したところにある福浦地区を過ぎたところから道は山の中に入り急こう配と急カーブが連続する険しい道となります.この部分は今でこそ舗装されて車線通行帯もある2車線道路になっていますが,私が初めてここに来た昭和60年頃はほぼ全線未舗装の林道状態でした.実は昭和の半ば頃までここにはそもそも道路がありませんでした(昭和40年代に陸上自衛隊の施設大隊により作られた).じゃあこの辺の人たちはどうやって移動していたのかというと,船での移動が一般的だったそうで今も航路があります(シィライン).

Img_6640(写真3)仏が浦展望スポット

 福浦漁港から10分ほど南下したところに仏が浦を上から眺められる展望スポットがあり駐車場やトイレも併設されています.休憩を兼ねて寄ってみましたが,ここからの眺めも壮大です(過去写真を調べてみたら,15年前にも訪れていたことが判明!).

Hotoke2 Hotoke1(左写真4)仏が浦を遠望します,(右同5)2006年8月の同じスポット

 展望スポットから数分南下したところが仏が浦駐車場,ここから歩いて仏が浦に行くことができます.ちなみにこの日は佐井港から観光船で仏が浦に行く予定だったんですが,強風のため結構になってしまいました(泣).

 駐車場からは木の階段をひたすら下っていきます.先に述べたようにこの付近の海峡ラインは結構標高が高いところを走っているためです(高低差80m).なので行きはともかく帰りはひたすらな登りで結構堪えます.

Img_6659 Img_6654(左写真6)何年たっても変わらない景色,(右同7)結構な波です

 この日の仏が浦は緊急事態宣言も明けた日曜ということもあり,それなりに人がいました.学生時代も含めると4~5回は来ている場所ですが,年月が経っても変わらない景色というのは素晴らしいものです(以前はここから乗船して軽い散策をする遊覧船があったんですが,今はもうないようです).

 仏が浦といえば奇岩が立ち並ぶさまが見事で,巨大な仏像を彷彿させますがそれ以外にも興味深い岩があります.その一部をご覧ください

Img_6687_20211029150801 Img_6686 Img_6683 Img_6684(左上写真8)犬の横顔のよう,(右上同9)鳥の顔みたい,(左下同10)これも動物の横顔,(右下同11)ウサギかハムスターの立ち姿

 仏が浦を後にして再び海峡ラインを南下します.佐井村最南部の牛滝集落を過ぎるとその先は南端の脇野沢まで完全に自然公園地帯です.途中店などはまったくありません.相変わらず急勾配と急カーブが続く道をひた走ります(昭和60年ごろはひたすらなダートで具合が悪くなったのを思い出す 笑).

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(左写真12)海峡ライン,(右同13)津軽海峡が見えます

 走ること40分強でやがて周囲が開けてくるとまもなくむつ市脇野沢地区に入ります(未舗装時代は脇野沢まできてようやく舗装道路になりホッとした).約15年ぶりの海峡ラインドライブを堪能したのでした.

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2021年10月25日 (月)

海自カレー

 日本人の国民食ともいわれるカレーライス🍛ですが,本場インドなどで供されるカレー料理とは明らかに異なります.今世の中に普及している具材に肉やタマネギ,人参,ジャガイモを使い,ルーにはとろみがついているスタイルは明治期に作られたとされています.特に海軍の給食として出されていたもの有名で,ルーにとろみがついているのは揺れる艦内でもこぼれにくくするためであるとか,具材の肉・タマネギ・人参・ジャガイモは栄養はもちろん味付けを砂糖と醤油にすればそのまま肉じゃがに流用できて食糧管理上便利だからなどと言われています.

 海軍の流れをくむ海上自衛隊でもカレーライスは盛んで,現在では毎週金曜日の昼食にカレーが供されるそうです.各護衛艦や基地ごとに独特のレシピがあり,今ではその多くが公開されるなど一般への認知も進んでいます.特に海上自衛隊の基地がある自治体では海自のカレーを町おこしに利用していて,横須賀や呉,大湊などにはその基地に所属する艦艇のレシピを再現したカレーを出すお店があったりします.

 先週末ふとしたことでむつ市を訪問した際にそれを食べる機会がありました.

Img_6601 Ohyodo(左写真1)下北バル,(右同2)護衛艦おおよど

 現在むつ市内7つの店でそれぞれ異なる艦艇や基地のカレーが食べられます(大湊海自カレー).今回お邪魔したのは下北駅前にあるプラザホテルむつの1階に入っている下北バルさん,ここで供されているのは護衛艦おおよどのカレーです.

Img_6599(写真3)おおよどのカレー

 隠し味としてはちみつやコーヒーが入っているとのことで一口食べた瞬間は甘く感じるのですが,後からじわーっと辛さがやってくる辛口カレーです.セットとして牛乳や卵が付いてくるのが海自カレーの定番です.おいしくいただきました.

 

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2021年10月21日 (木)

第62回日本寮歌祭

 今日ポストを覗いたら日本寮歌祭の実行委員会からの連絡が来ていました.それによるとどうやら事務局の方では第62回日本寮歌祭を開催する方向で準備に入ったようです.

Img_6702  日本寮歌祭は戦後の学制改革以前に存在した旧制高等学校の寮歌を懐かしむことを目的に日本寮歌振興会の主催で,1961年に第1回が開催され,形を変えながら毎年行われていましたが,現役で旧制高校を知る人たちの減少,高齢化が進んだことから2010年の第50回を持っていったん終了となりました.しかし寮歌文化を後世に伝えたいと願う方々の努力により,2019年に第59回として復活したものです(2011年から2018年までは中央寮歌祭として活動).しかしながら2020年初めからのコロナ禍により同年8月に予定されていた第60回,2021年8月の第61回はいずれも中止になってしまいました.コロナ禍に入って3密の回避などと言われてきましたが,寮歌祭は「大勢の(400人規模)」「高齢者が(90歳以上もザラ)」「閉鎖された会場に」「密集して」「長時間に渡って(約半日)」「大声で歌い飲む」という少なくとも呼吸器感染症に関しては専門家からやってはいけないとされていることを全てやってしまう(笑)イベントです.おそらく世界中探してもこれ以上の高リスクイベントはないだろうと思われます.それだけに今後開催のハードルは他のイベント以上に高いと思われますが,まずは準備しないことには始まらないということで取り掛かるようです.日程は2022年8月28日(日),場所は第59回の会場だった日暮里のホテルラングウッドとのことです.今から10か月後ですが,無事に開催できる環境になっていることを願っています(正直言って寮歌祭ができる社会状況ならほかのイベントはすべてやれると思う).

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2021年10月20日 (水)

レイテ決戦

 今日10月20日は何かの日だったなぁ,なんだっけ?と思って調べてみたら,太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)のこの日にマッカーサー率いるアメリカ第6軍がフィリピン・レイテ島に上陸,世にいう「レイテ決戦」が始まった日だった.同年6月のマリアナ沖海戦に敗れ,サイパン島やグアム島などの中部太平洋諸島を喪失した日本軍は,次期作戦としてアメリカ軍が次に侵攻してくる地域において一大決戦を挑むという方針を立てた.これが捷号作戦で,米軍の侵攻場所に応じて捷一号(フィリピン),捷二号(台湾),捷三号(内地),捷四号(北海道)とされたが,大方の予想はフィリピン(捷一号)だった.

 捷一号作戦のポイントは米軍が来寇する地点をフィリピン中南部と予想し,同地点に来襲した時点で海空兵力を結集して決戦を挑むというものである.陸上兵力は同地域での決戦には参加せず,万一フィリピン中南部を突破された場合に北部のルソン島において迎え撃つことになっていた.フィリピンは大小7000もの島々からなる島嶼国家であり,敵も船に乗ってやってくること,当時船舶事情が厳しくなっていた日本軍にとってフィリピン中南部で陸上兵力を機動的に運用するのは困難になっていた事情を鑑みれば極めて妥当な作戦と思われた.

 1944年10月10日から11日にかけて沖縄ついで台湾が空襲を受けた.アメリカ機動部隊が台湾沖にいることを確信した海軍は直ちに所在の第二航空艦隊に攻撃命令を出した.こうして発生したのが台湾沖航空戦で,第二航空艦隊は12日から16日にかけて連日アメリカ機動部隊に攻撃を加えた.そして大本営海軍部は10月19日に「敵空母11隻撃沈,8隻撃破」という大戦果を発表した.もしもこれが事実ならアメリカ機動部隊は文字通り全滅である.この大戦果発表に国民は沸き返り,天皇からはお褒めの勅語まで発せられた.

 ところがこの大本営発表の翌日,10月20日に突如アメリカ軍がフィリピン・レイテ島の東岸に上陸を開始したのである.つい先日の台湾沖航空戦で壊滅的損害を受けたはずのアメリカ軍がレイテ島にやってきたという事態に,当該地域に布陣していた陸軍第16師団は驚き,直ちに上級司令部に報告した.種明かしをすれば,台湾沖航空戦の戦果は全くの誤りで,アメリカの空母は1隻も沈んでいなかった.どうしてこんなことになったのかというと,この時の攻撃が専ら夜間&薄暮に行われたからである.昭和19年段階になると米軍の防空システム(対空砲火や迎撃戦闘機)は格段に進化しており,普通に昼間に攻撃をしても大して戦果を挙げられなくなっていたのだ(このことは同年6月のマリアナ沖海戦ですでに明らかになっていた).夜間や薄暮での戦果確認は困難である.実際には炎上墜落する味方機の火柱を敵艦轟沈と誤認したり,複数のパイロットが視認した火炎をそれぞれの戦果として積み上げていった結果が上記の大本営発表だったわけである.ただ海軍側も大戦果を挙げた割には敵機動部隊の活動が継続していることから戦果に疑問を持ち,なんと10月17日頃には実際の戦果は大したことがないことに気づいていたらしい(戦果が上がっていないとわかった後に大本営発表をしたわけである!).間違っていたなら「間違っていた」と訂正すればよいのだが,この時海軍は陸軍や政府にもその事実を伝えなかったのである.

 海軍が真実を隠したことで捷一号作戦は予想外の展開を見せた.現地部隊からの報告を受けた南方軍司令部(主として太平洋方面の陸軍を統括する総軍.総司令官は寺内寿一元帥)では,機動部隊を失った米軍がレイテ島にやってきたのは正気の沙汰ではないと断じ,この上陸部隊を撃滅すべく作戦の変更を決意した(彼らは選挙を間近に控えたルーズベルトが,戦果を焦って敗残の米軍を無理にレイテに突っこませたと考えたらしい).これまでの「陸軍はルソン島でのみ戦う」という方針を捨て,陸海空の総力をレイテにつぎ込んで戦うことにしたのである.

 しかし海軍が何も言わなかったとはいえ,陸軍内にも海軍の戦果に疑問を持っていた者もいた.当時フィリピン防衛の任に当たりマニラに司令部を置いていた第14方面軍司令官の山下大将は,米軍の艦載機の活発さから海軍の戦果は間違いではないかと考えていた.このため急なレイテ決戦への方針転換には反対で,その旨を南方軍に具申した.しかし総司令官の寺内元帥はこれを却下,かくしてレイテ決戦が強行されることになった.

 一、驕敵撃滅の神機到来せり。

 二、第十四方面軍は海空軍と協力し、成るべく多くの兵力を以ってレイテ島に来攻する敵を撃滅すべし。

 公文書に驕敵,神機などという用語が出てきたのはおそらくこれが最初であろう.いかにこの時の総軍幹部が舞い上がっていたかがうかがえる.

 10月下旬当時レイテ島に展開していた陸軍は第16師団2万人のみであり,レイテ決戦への方針変更がなされた時,すでに米軍の攻勢で沿岸の陣地を突破されていた.しかし通信事情が悪かったため上級司令部はこのことを把握できていなかった.こうした中第14方面軍はただちにレイテ島への増援作戦(多号作戦)を開始するが,アメリカ機動部隊が健在の中強行された増援作戦は米軍の迎撃を受けて撃沈される船舶が続出した.この際,兵員は着の身着のままでかろうじて上陸できたケースが多かったが,各種大型火砲や弾薬,食料等の軍需物資の大半を失うことになった.こうして日本軍は泥沼のレイテ戦に突入することになったのである.

 レイテ戦は約2か月後の12月下旬には組織的な戦闘が終結し,以後は米軍による掃討戦となった.残存の日本軍は島からの脱出もできず,食料弾薬もないまま飢餓やフィリピン人ゲリラの襲撃に苦しめられながらの戦いを強いられた.結局昭和20年8月15日の終戦までに約8万人の将兵がレイテ島で亡くなったが,その大半が餓死だったといわれている.

 太平洋戦争で悲惨な戦場としてガダルカナル島の戦いやインパール作戦が知られているが,実はこの2つの戦いは生還者も意外と多い(だからこそ悲惨な実相が今に伝わっているわけである).しかしレイテ島の戦いでは生還者がほとんどおらず,各部隊の最期がどのようなものだったのかもわかっていない(第16師団の牧野師団長,第26師団の山県師団長など首脳級の人物も多く亡くなっているが,その最期も不明な点が多い).

 このように台湾沖航空戦の戦果の誤認に基づき強行されたレイテ決戦は大失敗に終わり,急な作戦変更で貴重な船舶や本来ルソン島に蓄積するはずだった多くの軍需物資も失った.昭和20年1月からはいよいよルソン島の戦いが始まるが,もはや米軍と正面切って戦う戦力は残されておらず,山下大将はルソン島北部の山岳地帯に籠っての持久戦を指揮することになった.このようにレイテ戦は日本が敗戦の坂道を一気に転げ落ちていく端緒的な戦いになったのである.そんなことを考えた令和3年10月20日だった.

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2021年10月18日 (月)

ウチのチンチラさん

 我が家にはペットとしてチンチラがいます(名前はナンネルであるが,我が家の会話では単に「ネズ」とも呼ばれる).実は買い始めた歴史はかなり古く,家に迎えたのは2006年の春です.このブログが開設されたのが同年7月なので,当ブログの歴史よりも古いことになります.

 チンチラはアンデスの高地帯原生のげっ歯類です.大きな声で鳴かない,草食なのでほとんど臭いがない,犬と違い飼い主への情がない(笑)ので留守にしても寂しがることがない,ハムスターなど小型のげっ歯類に比べてずっと長寿といった特徴があります.一方で冷涼乾燥地帯出身なため高温高湿度の日本の夏には耐えられず,飼育にはエアコンが必須となります.場合によっては飼い主が暑苦しい部屋で寝ることを余儀なくされてもチンチラだけはエアコンの利いた涼しい部屋で過ごさせなければなりません(このため時に”チンチラ様”とも呼ばれる).

 そんな我が家のチンチラ,過去に撮った写真を並べてみたんですが,加齢とともに体毛が徐々につややかでなくなっているのを感じます.毎日見慣れていると気が付きませんが,順調に歳をとっているなぁと感じたのでした.

Nezu2006Nezu2009 Nezu2015 Nezu2021

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2021年10月16日 (土)

東京21合唱の練習が再開

 新型コロナウイルス感染症の第5波が収束傾向に向かう中で国による緊急事態宣言が解除されたのが9月末,その後10月に入ってもその傾向が持続していることを受け,私がメインに参加している東京21合唱団の練習がようやく再開されました.

 この合唱団では2018年10月にコンサートを終え,その後2020年10月にバッハのマタイ受難曲を目指して練習を続けてきたのですが,練習が佳境に入った2020年2月に新型コロナのあおりを受けて休止に入りました.その後感染がやや落ち着き,国のGoToキャンペーンが始まった同年9月に一時再開したのですが,11月からのいわゆる感染第3波を受けて再度休止に追い込まれたものです.その後緊急事態宣言の発出・解除を繰り返しましたが,いわゆる第3波,第4波の時は解除のタイミングですでに次の波が始まる状態になっていたため再開には踏み切れませんでした.しかし今回は解除後も収束傾向が続くことと,一般のワクチン接種が進んだことからようやく再開と相成った次第です.

 休止前には50人くらいいた団員ですが,長期の休止を挟んだことや今回比較的周知期間の短い中での再開だったこともあり,この日の参加者は15人程度と寂しいものでした(変なたとえですが戦後の焼け野原からの再開みたいな感じ).以前目標にしていたマタイ受難曲は団員数が回復しないと手が付けられないため,当面はなにか違う曲を中心にやっていく予定です.あとは感染が再拡大しないことを祈るばかりです.

Img_6323_20211019105201  写真は幻となった2020年10月のコンサートのチラシとチケットです.

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2021年10月14日 (木)

靴を購入しました

 私たちは日常生活で靴を履きます.和装の際は草履や下駄も履きますが,私の場合和装は非日常なので,日常に使うのはもっぱら靴です.城郭見物や滝鑑賞の時にはスニーカーやトレッキングシューズも使いますが,普段使いはやっぱり革靴です.大体2足くらいを使いまわしているんですが,そろそろガタが来たため今夜新しいのを買ってきました.

Img_6573_20211015204501  これからおそらく1年以上はお世話になる予定です.

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2021年10月10日 (日)

歌劇「チェネレントラ」

Img013_20211011160601  緊急事態宣言が明けて2度目の週末となった10月9日,久しぶりにオペラ観劇のために新国立劇場に行ってきました(調べたら5月29日のドン・カルロ以来,ちなみにこの時は感染対策を兼ねて自家用車で行った).

 今回の演目はロッシーニのチェネレントラ,セビリアの理髪師と並ぶ彼のオペラ・ブッファの傑作です.原作はペローやグリム童話にも登場するシンデレラの物語です(チェネレントラはシンデレラのイタリア語読み).童話として非常に有名な作品ですが,ロッシーニはオペラ化に当たって本作のメルヘンチックな部分をそぎ落としたため,魔法使いやカボチャの馬車,ガラスの靴といったアイテムは出てきません.魔法使いに代わってチェネレントラを舞踏会に誘うのは王子の教育係の哲学者で,ガラスの靴の代わりに腕輪が本人確認に使われます.全体的に大人の恋愛喜劇という感じです.

Img_6568(写真)中庭と隣のオペラシティ

 初演されたのは1817年で前年に発表されたセビリアの理髪師に比べるとオーケストレーションが大規模になり合唱も多用されるなどかなりの進化が見られます.

 出演者ではタイトルロールのチェネレントラ(本名はアンジェリーナ)には日本が生んだロッシーニ歌いである脇園彩を,相手役の王子ドン・ラミーロにはルネ・バルベラが起用されました.この組み合わせは去年2月コロナ禍がひどくなる直前に行われたセビリアの理髪師公演と同じです.今回も素晴らしい歌を聴かせていただきました(ドン・ラミーノには2幕に高音が連発する難アリアがありますが,今回はその部分がアンコールされたのは感動ものです).そのほか脇を固めるメンバーとしてアリドーロ(王子の教育係)のガブリエーネ・サゴーナ,アンジェリーナの欲深い継父ドン・マニフィコ役のアレッサンドロ・コルベッリ,往時の従者ダンディーニの上江隼人,長姉グロリンダの高橋薫子,次姉ティーズべの齊藤純子の各氏もそれぞれ味のある歌と演技を見せてくれました.

 演出は粟國淳による新作で,物語全体を映画界での出来事に読み替えての演出で,こちらも興味深かったです.

 終演後はレストランへ.緊急事態宣言が明けて,晴れてお酒が提供されるようになりました(歓喜).

Dsc_2104 Dsc_2106 Dsc_2107 Dsc_2108 Dsc_2109 Dsc_2110(左上)シャンパンをいただきます,(中上)前菜(金美人参のムースと貝類のマリネ,(右上)リングイネ カルボナーラ,(左下)いとより鯛のポワレ,(中下)塾成牛いちぼのロースト,(右下)デザート(洋梨のタルト)

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2021年10月 8日 (金)

なんか似ている

 全くの偶然なのだが,なんか似ているというものがある.南半球にある巨大な大陸オーストラリアが日本の四国に似ているという話題は昔からあるのだが,個人的にはオーストラリアはむしろ福島県に似ているのではないかと思っている。

1aus 1fuku(左)オーストラリア,(右)福島県

 オーストラリアの特徴としては底辺が湾のようにくびれている点と上辺に2本の角のような岬がある点で,四国はたしかにそのような特徴を持っているのだが,残念ながら南北が細いというところが今一つなのである.そこへ行くと福島県は東西南北のバランスも良くこっちの方が似ているように思う(位置的にはシドニーがいわき,バースが桧枝岐か).

 もうひとつ似ているものを挙げると,イギリスと宮古島市もそうである.

1uk 1miyako_a4b(左)イギリス,(右)宮古島市

 イギリスは三角形をした大ブリテン島とその西にあるやや小ぶりなアイルランド島からなっているが,宮古島市も同様に,三角形の宮古島とその西の伊良部島から成り立っており,その見た目も似ていると思う.

 で,そんな中に新作が登場した.先日奈良県の十津川村を訪問した際,現地で見かけた村域マップを見ていて思ったのだが,

十津川村ってフランスに似てないか?

1 ___(左)フランス,(右)十津川村

 フランスといえば基本的に四角形で,北西部に突き出したブルターニュが特徴的であるが,十津川村にも北西に突き出した部分がある(大宮神社から護摩山のあたり).これ結構いい線いってるのではと思ったのだった.

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2021年10月 5日 (火)

ノーベル物理学賞

 ことしのノーベル物理学賞の受賞者に真鍋淑郎氏が選ばれたというニュースが流れてきました.

 授賞理由は「地球温暖化を確実に予測する気候モデルの開発」です(クラウス・ハッセルマン氏,ジョルジョ・パリージ氏とともに受賞)。二酸化炭素濃度の上昇に伴う地球温暖化は今では誰でも認識している内容ですが,1960年代にすでにそのモデルを考えていたことが評価されたものです.ノーベル賞を受賞した日本人(日本出身で他国の国籍を持つもの含む)は5部門(物理学賞,化学賞,生理学・医学賞,文学賞,平和賞)合計で28人目ですが,物理学賞はそのうち12名と最多となっています.

 ノーベル物理学賞といえば,20世紀のそうそうたる物理学者たちが多数受賞していますが,1921年の受賞者がアルベルト・アインシュタインです.相対性理論を確立した物理学者として著名ですが,実はこの時の授賞理由は相対性理論ではなく光電効果によるものだったことは良く知られています(光電効果とは物質に光を当てると電子が飛び出す現象,この現象を起こすには光の強さではなく,特定以上の振動数の光が必要であることから,当時主流だった光を波と考える説ではこの現象が説明できなかった).

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2021年10月 4日 (月)

デリバリー

 昨年1月から始まったコロナ禍,世界中の人々にたくさんの不自由や不便を強いているのはご存じのとおりです.我が家でも活動がかなり制限されているのはこのブログの記事の端々から感じられると思います.

 とはいえ,いいことが全くないのかといえばさにあらず,数は少なくてもコロナ禍で良くなった点もあります.その一つがいわゆるデリバリー,私の住んでいる場所は市街地から離れているため,コロナ以前はデリバリーで来てくれる店がほとんどありませんでした(Pizza屋もウチは圏外だった 泣).

 しかしコロナ禍で飲食店が軒並み大きな打撃を受けた結果,デリバリーに力を入れる店が増えたこと,売り上げを増やすために配達範囲を広げる戦略を取ったことから,気が付いたらウチに配達してくれる業者がかなり増えていました.

 で,今夜はウチのKが所用で遅くまで拘束されていたことから夕食はデリバリーを頼むことに.せっかくなのでお寿司🍣にしました.

Img_6564  当然家にあった日本酒をお供にしたのは言うまでもありません.

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2021年10月 2日 (土)

10月になりました

 気が付けば,とうとう10月になりました.新型コロナウイルス感染の第5波が収束に向かい,国から27都道府県に出されていた緊急事態宣言およびまん延防止法重点措置も前日の9月30日をもってすべて解除されました.前記どちらもが出されていない状態は今年の4月4日以来とのことで,実に半年ぶりのようです.とはいえすぐに全てを元に戻すわけではなく,イベントや飲食に関しては今後段階的に制限を解除していくとのことです.

 そんな緊急事態宣言明けの週末,職場のリフレッシュ休暇を利用して紀伊半島南部の山間地域に行ってきました.主要な目的地は奈良県十津川村です.非常に山深く中央の役人もなかなか行けなかったことから,江戸時代までは年貢が免除になっていた地域でした(その代わり戦の時は兵を出すことが定められていた).日本国内(特に北海道・本州・九州・四国)なら大概のところに行っている私もまだ未訪の土地です.まだしばらく海外が封印されるでしょうから行ってみたという感じです.訪問記録に関しては後日アップします.

P9300502 Pa020638 64sasa Pa020694(左上)丸山千枚田,(右上)玉置神社,(左下)笹の滝,(右下)谷瀬の吊橋

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