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2021年8月12日 (木)

相沢事件

 今日は8月12日,今から36年前の1985年(昭和60年)のこの日,羽田空港から大阪伊丹空港に向かっていた日航123便が御巣鷹山の尾根に墜落し乗員乗客520人が犠牲となる事故(日航ジャンボ機墜落事故)が起こりました.

 当時私は大学2年生で,夏休み期間中でしたが飲食店のバイトの関係で帰省はせず仙台にいました.この8月12日はバイトではなかったため,アパートでちょうどテレビを見ていたタイミングで臨時ニュースが飛び込んできた記憶があります.この事故では歌手の坂本九さんや阪神タイガースの球団社長の中埜肇さんなど著名人も犠牲になっていますが,当時自分がバイトしていた飲食店チェーンの重役の方もたまたま搭乗していて遭難しています.

800pxtessan_nagata_2  そんな8月12日ですが,歴史をさかのぼるとほかにも大きな事件が起こっています.日航機事故のちょうど50年前,1935年(昭和10年)に起こったのが今回テーマに掲げた相沢事件です.これは当時の陸軍省軍務局長だった永田鉄山少将が相沢三郎中佐により白昼局長室で斬殺された事件です.

 当時日本は満州事変とその後の国際連盟脱退で国際的な孤立を深めていた時期でした.こうした状況の中で陸軍内には軍が中心となって国家経済を統制し,国を高度国防国家へと改造していこうという動きがありました.これを主導していたのが主に陸軍大学校出身のエリート軍人たちで一般に「統制派」と呼ばれています.永田少将はこの統制派のリーダーと目されていました.ただ軍内には当時の政治家や財界の腐敗を糾弾し,天皇親政による国家改造を行おうと考えるグループ(皇道派)もいて,両者による対立が起こっていました.

 昭和10年7月16日に皇道派のドンと目されていた真崎甚三郎大将が教育総監を罷免されると,これが皇道派を軍中央から排除しようという統制派の陰謀であると考えた相沢中佐は8月12日に陸軍省を訪れ,軍務局長室に侵入して凶行に及んだのでした(後に軍法会議にて相沢は銃殺刑となる).この事件により皇道派と統制派の対立は一層激しくなり,翌1936年(昭和11年)の2・26事件でその頂点に達することになるのです.

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