高松凌雲
現在NHKで放送中の大河ドラマ青天を衝け,7月4日の第21回は渋沢が1867年(慶応三年)に開催されるパリ万国博覧会に参加する幕府の随員となる下りが描かれました.わずか4年前の1863年(文久三年)には攘夷を叫び,高崎城乗っ取りを企てていたことを思うと隔世の感がありますが,坂本龍馬もそうだったように幕末の日本はまるで早回しのように時代が大きく動いていたわけです.
1867年のパリ万博において主催者であるフランス政府は元首級の訪仏を希望していましたが,さすがに当時の政情から将軍慶喜自身の渡仏は考えられず,弟の徳川明武を名代として派遣することになります.当時渋沢栄一は慶喜の将軍就任に伴い幕臣になっており,その事務能力の高さから御勘定格陸軍付調役の肩書で主に一行の庶務や会計業務を担当することになります.ドラマではこの幕府一行に加わる面々も登場しましたが,その中で医師である高松凌雲もいました.
高松凌雲は1837年(天保七年)に九州筑後の国に農家の三男として生を受けました.長じて武家の養子になったものの脱藩します.やがて医師を志し江戸や大坂でオランダ医学を学び頭角を現しました.1865年(慶応元年)その才が認められ一橋家に召し抱えられ専属医師となります.そして慶喜の将軍就任に伴い,幕府の奥医師という当時の日本の医師の最高位になるなど,渋沢栄一同様あれよあれよという人生を歩んでいます.パリ万博に際して一行の専属医師として派遣され,一方で滞在中は現地の医療を学ぶ役割も期待されていました.
そんな高松凌雲がパリで学んだ病院が Hotel Dieu です.Hotelと名がついていますが宿泊施設ではなく,フランス最古ともいわれる歴史のある病院です.ここで凌雲はフランス医学の先進性だけではなく,貧民も無料で医療が受けられる施設が整っていることに強い衝撃を受けたそうです.
帰国後は榎本武揚らとともに蝦夷地にわたり,そこで病院を開き,五稜郭戦争勃発後は新政府軍,旧幕府軍問わず治療するなど,赤十字運動の先駆けのようなことをしています.
そんな凌雲の医師としての精神に強い影響を与えた Hotel Dieu、私も2008年にフランスに行った際に見てきました.入口に掲げられた看板の下に,フランス革命の基本精神であるLiberté, Égalité, Fraternité(自由,平等,友愛)の言葉が記されています.本日ツイッターでこの話を出したところ,この看板は当時からあったのだろうかという声をいただきました.調べたところ,19世紀後半の写真家シャルル・マルヴィルの写真にも同じ看板がしっかり写っているのを発見し感慨深く思いました.
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