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2021年7月30日 (金)

新型コロナウイルスのワクチン

 今も世界中で脅威となっている新型コロナウイルス感染症対策の切り札とされているのがワクチンです.現在日本ではファイザーによるもの(コミナティ筋注)とモデルナによるもの(COVID19ワクチンモデルナ筋注)の2種類による接種が進んでいます(アストラゼネカ製のワクチンも認可はされていますがまだ使用はされていない).

 このワクチンに関して興味深い記事がありました.

 イスラエル、コロナワクチン3回目接種へ 60歳以上 8月1日から

 ただし興味深いというのは3回目の接種を行うところではありません.記事中にある ”これまでに人口930万人の約57%が接種を完了し” という部分です.

 イスラエルは世界でも早い段階で国民への接種が進んでいた国です.春先の3月の段階ですでに国民の50%以上の接種が済んだと話題になっていました.その流れからもう国民の8割くらいは接種しているんじゃないかと思っていたんですが,実はまだ6割にも達していないというのが意外だったのです.これに関して Our World in Data というサイトのデータによると

Isla

 イスラエル国民へのワクチン接種はやはり3月初めの段階で5割を越えたものの,その後伸びが鈍化して今に至っているようです.どうして伸びが鈍ったのかはわかりませんが,今回3回目の接種をと言っているところから供給不足というわけではなく,純粋に打ちたくないという人たちがかなりの数いるということなのかもしれません.

 ちなみに世界で最も早く接種が始まったイギリスは,

British

春以降やや鈍化しているものの順調に伸びていて,7月末の段階で2回接種を済ませた国民が6割弱まできています(イスラエルと同水準).

 一方日本ですが,

Japan

接種開始時期は遅かったものの6月以降急速に伸びていて,7月28日現在1回接種が国民の38.2%,2回接種が27.2%となっています.世の中には日本政府の対応を「遅い」,「失敗だ」と批判している人たちがいますが,接種率の伸びを見る限り決して遅くも失敗でもないように思えます(接種開始が遅かったのは新しいワクチンの認可に慎重な世論があったからで,政府が怠慢だったからとはいえません).

 今後もワクチン接種を粛々と進めていって欲しいです.

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2021年7月29日 (木)

蛇が⁉

 私の通勤経路の途中に自然いっぱいなところがあります.今朝そこを歩いていたら草むらから何やらガサガサという音が… 見たらヘビ🐍がいました.

Dsc_1888

 色や模様からアオダイショウと思われます.しばらく観察していたらそそくさと茂みの中に戻っていきました.

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2021年7月27日 (火)

テルミドールの反動

 久しぶりに歴史の話題.

 今日は7月27日,この日は何があった日なのかと調べてみると,1549年にフランシスコ・ザビエルの乗った船が鹿児島に到着,1939年にアメリカが日米通商航海条約の破棄を通告,1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結,1976年にロッキード事件で田中角栄代議士が逮捕と結構政治的な事件が起きている.

Terumi(写真1)テルミドールの反動

 西洋史に目を向けると,1794年のこの日にテルミドールの反動と呼ばれる大きな事件が起こっていた.1789年7月14日の市民によるバスチーユ監獄襲撃事件に端を発したフランス革命は,本来特権貴族(多くは課税を免除され,国の要職を独占し多額の報酬を得ていた)に対するブルジョワジー(新興富裕市民層)の不満から始まったもので,その主眼は貴族特権の制限であり王政を否定するものではなかった.しかし1791年6月に国王ルイ16世一家がオーストリアに逃亡しようとした(ヴァレンヌ事件)ことから国王に対する信頼は大きく傷つき,また革命が自国に波及するのを恐れたオーストリアやドイツ諸国がフランスに対する干渉を始めると,徐々に革命は先鋭化していく.1792年9月に国民公会が成立すると,王政の廃止が決議され,翌1793年1月21日ルイ16世は処刑された.同年春ごろからフランスは諸外国との戦争で苦戦するようになり,社会不安と物価の高騰から貧民層の支持を受けたより過激な勢力(ジャコバン派)が政権を把握し,同年秋以降フランスはいわゆる恐怖政治(フランス語でテロル,テロの語源)の時代に入る.同年10月以降元王妃マリー・アントワネットをはじめ,ロベスピエールに反対する政治家のみならず,詩人のアンドレ・シェニエや質量保存則で知られる科学者のラヴォアジェら多くの文化人が処刑された.革命と暴力はコインの表裏ではあるが,このフランス革命と後のロシア革命は,政治とは直接かかわらない多くの文化人や宗教家が迫害を受けた点に共通性がある.

Robespierre(写真2)マクシミリアン・ロベスピエール

 1794年に入ると対外戦争が有利になり国内の経済状況も好転する.生活が安定すると恐怖政治は次第に国民の支持を失っていった.ただその間も政権中央ではロベスピエール派による反対派(ダントン派,エベール派など)の粛清が続き,むしろ恐怖政治はエスカレートしていった.こうした中,反対派の策動もありついに同年7月27日にクーデターが発生,ロベスピエールらは逮捕され失脚した(翌日今度は彼ら自身が断頭台の露と消えた).この事件によって1789年からのフランス革命は一応の終息を迎えたとされている(その後ナポレオンが台頭するなどフランス政治はまだまだ安定しない).

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2021年7月26日 (月)

久しぶりのウナギ

 4連休が終わりました.オリンピックは始まりましたが,一方で人流の抑制や不要不急な都道府県を跨ぐ移動は控えるよう要請が出ている連休でした.私はこの4連休行楽の予定はなく,自分の病院と普段応援に行っている病院の当直をひたすらやるという " Stay Hospital " の4連休でした.救急外来を併設した病院ではないので基本的に管理当直(何かあったときのみ対応で,それ以外はテレビを見てもゲームをやっててもOK)なのでさほど苦労はありません.

 連休とともにそんな Stay Hospital が明けて今夜は久しぶりに自宅で夕食でした.4日間病院の食事ばっかりだったので,少しは世俗的なものをということで,お取り寄せでウナギをいただきました.

Img_7466 表面はパリッとしているのに中はふんわりと柔らかい,大変美味しいウナギでした(そういえば今年の土用の丑の日明後日なんですが,ちょっとフライングだったな 笑).明日以降のために英気が養われたのでした.

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2021年7月24日 (土)

東京オリンピック開幕

Emb2  東京オリンピック(東京2020オリンピック競技大会)が開幕しました.

 当初は昨年の同じ時期に開催されるはずだったものが,新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受けて,1年延期になっていたものです.感染症の流行はまだ収束してはいませんが,欧米での感染拡大がひどくとてもスポーツどころでなかった昨年と異なり,ワクチンが開発されてその接種が進み,いわゆる先進国ではスポーツ競技が開催できるようになっているという事情から開催できたものと思われます.

 この大会に関しては2013年9月に開催が決まった後,新国立競技場建設費の問題が起こり,そして昨年のコロナによる延期,その後の組織委員会会長の辞任からいろんな人の辞任や解任等が相次ぎました.この大会は呪われているんじゃないかと心配になったんですが,関係者の努力により無事開催にこぎつけられたのは良かったと思います.コロナ禍の開催に関しては様々な意見があると思いますが,開催された上は最後まで素晴らしいパフォーマンスが発揮されることを期待しています.

 さて,オリンピックといえば自分の記憶にある最古の夏季オリンピックは1976年のモントリオール大会になります.体操でルーマニアのコマネチ選手が10点満点を連発して一世を風靡した大会です(のちにビートたけしのネタになった).冬季大会の記憶最古は1980年のレークプラシッド,この大会ではアルペンスキーのステンマルク選手(スウェーデン)が圧倒的な実力で回転&大回転で金メダルを獲得したのが印象的でした(当時中学生だった自分はスキー部に所属していたのは偶然).またジャンプ70メートル級(今のノーマルヒル相当)で日本の八木選手が銀メダルを獲得したのも記憶に残っています.

Comaneci Stenmark (左)白い妖精ナディア・コマネチ,(右)アルペンの帝王インゲマル・ステンマルク

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2021年7月22日 (木)

海の日

 今日2021年7月22日は海の日の祝日です.本来祝日法での海の日は7月の第3月曜日となっていますが,今年は(去年も)東京オリンピックの関係で変更されたという経緯があります.「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。」日となっており,海洋国家である日本にふさわしい祝日と思います.

 実は自分の父親の命日が7月20日なので,例年海の日の3連休は帰省をしてお墓参りをするとともに,残された母親の接待を兼ねた家族旅行に出かけるのが定番でした.ただ昨年来のコロナ禍で帰省がしにくくなったこともあり,昨年の家族旅行は中止,今年もこの3連休の帰省はありません(その代わり仕事に病院にこもるステイ・ホスピタルになっている 笑).

 そんな海の日,旅行好きの自分はいろんな海に行ってきたなと過去の写真を見つつ感慨にふけっています.ここでは過去に行ったことのある最北の海(北緯80度ノルウェー領スバールバル諸島)と最南の海(南緯34度南アフリカ喜望峰)の写真を挙げておきます.

Kita P1210589(左)スバールバル諸島のエスマルヒ氷河,(右)南アフリカの喜望峰

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2021年7月21日 (水)

ブログ開設15周年!

Imagehtml_20200721215101  今日7月21日は当ブログ「ビザンチン皇帝の日常」が開設されてちょうど15年の節目の日です.

 このブログは私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」を補完する場所として2006年7月21日に産声を上げました.以来15年間で総記事数2224,総ビュー数55万強となっています.記事の内訳をみると

日記・コラム・つぶやき 1009

旅行・地域 559

文化・芸術 261

グルメ 179

歴史 91

という感じで自分の趣味である旅行関係の記事が多い印象です.近年世間ではより手軽に参加できるSNSが全盛ではありますが,記事があっという間に下流に流れ去ってしまうSNSと違い,後からゆっくりと見返すことのできるブログは自分にとって大切なものとなっています.今後も可能な限り続けていく決意です(過去には別ブログとしてYahooブログもやっていた時代もありましたが,運営がハードになってきたこともあり結局ココログ1本に戻っています).

 

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2021年7月20日 (火)

羽田空港の自販機

 梅雨が明け,夏本番という言葉がぴったりするような暑い日が続いています.

 先の週末,出張のため西の方へ行ってきました.行きに寄った羽田空港の出発ロビーで一風変わった自販機が目に入りました.

Dsc_1840 基本的にはマスクなどの衛生用品の自販機なんですが,その最上列に新型コロナ検査キットが並んでいます.送付不要その場でわかる、簡単,唾液検査,15分でわかるというフレーズからPCR検査ではなく抗原検査であることは確実です.最近では航空会社も検査付き航空券なんてのも発売しているので,こうした商品も一定の需要はあるんだと思います.

 ただ有症者はともかく,無症状者における抗原検査の感度は低いのでこれで陰性だから大丈夫とはいえず,あくまでも気休めの域を出ないのが悲しいところです.

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2021年7月16日 (金)

梅雨明け!

 気象庁が本日東北,関東甲信地方が梅雨明けしたらしいと発表しました.

Dsc_1837 Dsc_1838  20世紀のころは梅雨明け宣言!と呼んでいたんですが,年によっては梅雨明けしたはずなのに雨が続き,取り消されたこともあり世間からブーイングを受けたこともあるせいか,21世紀になってからは梅雨明けしたらしいというなんか奥歯にものが挟まったような表現に代わっています.実際には梅雨明けの日付は秋になってから最終決定するらしいので,人知れず変わっているなんてこともあります.また梅雨明けが長引いて立秋(だいたい8月7日ごろ)を過ぎてしまった年は梅雨明けなしということになるんだそうです(記録上梅雨が明けないまま秋になる,つまり夏がなかった).温暖化が進んでいる近年は例がありませんが,1993年の東北地方は春から寒い日が続き,結局梅雨明けしないまま立秋を迎えています(いわゆる大冷害で全国的に米不足が起こった年).

 そんな2021年の梅雨明けの今日は朝から気温が上がり,外は厳しい暑さになっています.いよいよ夏本番です.

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2021年7月14日 (水)

尾瀬旅行記録をアップしました

 先月行ってきた尾瀬旅行記録(尾瀬ヶ原・尾瀬沼縦走)をホームページの国内旅行記にアップしました.ブログ記事から本編へのアップの速さでは近年まれにみるスピードだと思います.

 尾瀬旅行記録

Oze01

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巴里祭

 今日7月14日はフランスの革命記念日です.1789年のこの日,政治に対する不満を募らせた民衆がパリ郊外のバスチーユ監獄を襲撃,この暴動が全国に波及してフランスは革命の激動期に入ったのです.以来この日はフランスでは祝日として祝われています.

 このフランスにとって特別な日である7月14日をテーマにした映画が,Quatorze Juillet で意味はそのまま”7月14日”になります.これはルネ・クレール監督によって1933年に作られた庶民の恋愛劇で,日本では巴里祭という題で公開され人気を博しました.このため,革命記念日自体も日本では巴里祭といういい方をすることがありますが,フランス人に向かってこの7月14日を "Festival de Paris" といってももちろん通用しません(笑).

 映画「巴里祭」,私が見たのは学生時代の名画座でしたが,その哀愁的な挿入歌が素敵だなと思ったのでした.コロナ禍のステイホームの夏,ワインを片手に見たい映画です.

 

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2021年7月10日 (土)

焼きそば弁当

 カップ麺の分野の中でカップ焼きそばはちょっと異色である.焼きそばと銘打っているものの,麺をお湯で戻して湯を切りソースをかけるという調理法であり,一切焼く過程がないにもかかわらず焼きそばを名乗っているからだ.Wikipediaでは「焼きそば風」カップ麺と紹介されている.

 カップ麺の元祖の日清食品もカップ焼きそばの分野では後発メーカーだが,1976年(昭和51年)に同社が発売した日清カップ焼きそばUFOが大ヒットし,現在ではシェア全国1位らしい.ただカップ焼きそばの世界では地域性があって,全国をならすとトップはUFOであるものの,地域によって大きく状況が異なる.たとえば関東では前述のUFOのほかに群馬のまるか食品が出している「ペヤングソース焼きそば」が人気だし,東北地方では東洋水産の「焼きそばバゴォーン」が,北海道では同じく東洋水産の「焼きそば弁当」が大きなシェアを握っているし,四国方面では徳島製粉の「金ちゃん焼きそば」が一定のシェアがあるらしい.

 で今回職場で北海道の有名な焼きそば「焼きそば弁当」を入手しました.自分が知らなかっただけでたくさんの味があることが判明,今回は一番ノーマルなタイプをいただきます.

 焼きそば弁当が他と大きく異なるのが,付属の中華スープの存在.これは麺を戻した後のお湯を再利用してスープを作るというものです.これが意外に美味しいのです.ごちそうさまでした😋.

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2021年7月 7日 (水)

豪雨の爪痕

 先週末から各地で豪雨が続いていますが,3日に静岡県などを襲った豪雨は激しく,特に熱海市伊豆山地区で発生した土石流の被害は全国ニュースにもなっています.一方で自分が時々出張に出かけている沼津市でも激しい雨のために市内を流れる黄瀬川が増水し,県道富士清水線(国道1号線の旧道)の渡川ポイントである黄瀬川大橋が崩落したという話を聞いていました.この道は新国道1号から清水町に入り沼津駅方面に向かう地域の重要な道路です(路線バスも多く走っている).

 災害後初の出張日である昨日,付近を通りました.幸い近くに黄瀬川橋という並行する橋があるため,そちらに迂回することで交通は確保されていますが,その黄瀬川橋から崩落した黄瀬川大橋が見えました.

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 4つある橋脚のうち最も西側にある橋脚が崩れ橋がV字のようになっています.豪雨のすごさを感じる光景でした.地元の方々にとっては重要な橋なので一日も早い復旧を願います(黄瀬川橋側の道は狭いので交差点で右折車がいるとあっという間に渋滞になる).

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2021年7月 6日 (火)

高松凌雲

 現在NHKで放送中の大河ドラマ青天を衝け,7月4日の第21回は渋沢が1867年(慶応三年)に開催されるパリ万国博覧会に参加する幕府の随員となる下りが描かれました.わずか4年前の1863年(文久三年)には攘夷を叫び,高崎城乗っ取りを企てていたことを思うと隔世の感がありますが,坂本龍馬もそうだったように幕末の日本はまるで早回しのように時代が大きく動いていたわけです.

 1867年のパリ万博において主催者であるフランス政府は元首級の訪仏を希望していましたが,さすがに当時の政情から将軍慶喜自身の渡仏は考えられず,弟の徳川明武を名代として派遣することになります.当時渋沢栄一は慶喜の将軍就任に伴い幕臣になっており,その事務能力の高さから御勘定格陸軍付調役の肩書で主に一行の庶務や会計業務を担当することになります.ドラマではこの幕府一行に加わる面々も登場しましたが,その中で医師である高松凌雲もいました.

Ryoun(写真)高松凌雲

 高松凌雲は1837年(天保七年)に九州筑後の国に農家の三男として生を受けました.長じて武家の養子になったものの脱藩します.やがて医師を志し江戸や大坂でオランダ医学を学び頭角を現しました.1865年(慶応元年)その才が認められ一橋家に召し抱えられ専属医師となります.そして慶喜の将軍就任に伴い,幕府の奥医師という当時の日本の医師の最高位になるなど,渋沢栄一同様あれよあれよという人生を歩んでいます.パリ万博に際して一行の専属医師として派遣され,一方で滞在中は現地の医療を学ぶ役割も期待されていました.

 そんな高松凌雲がパリで学んだ病院が Hotel Dieu です.Hotelと名がついていますが宿泊施設ではなく,フランス最古ともいわれる歴史のある病院です.ここで凌雲はフランス医学の先進性だけではなく,貧民も無料で医療が受けられる施設が整っていることに強い衝撃を受けたそうです.

 帰国後は榎本武揚らとともに蝦夷地にわたり,そこで病院を開き,五稜郭戦争勃発後は新政府軍,旧幕府軍問わず治療するなど,赤十字運動の先駆けのようなことをしています.

 そんな凌雲の医師としての精神に強い影響を与えた Hotel Dieu、私も2008年にフランスに行った際に見てきました.入口に掲げられた看板の下に,フランス革命の基本精神であるLiberté, Égalité, Fraternité(自由,平等,友愛)の言葉が記されています.本日ツイッターでこの話を出したところ,この看板は当時からあったのだろうかという声をいただきました.調べたところ,19世紀後半の写真家シャルル・マルヴィルの写真にも同じ看板がしっかり写っているのを発見し感慨深く思いました.

E5mmsabvgaisxi7 Hoteldieuold (左)2008年春,(右)19世紀後半の同じ場所

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2021年7月 5日 (月)

箱根の温泉

 この週末,東日本は各地で大雨となり土砂崩れが起こったところもあるようです.

 私はというと,7月は週末を中心に仕事関係の用事が立て込んでいて,土日両方フリーという週末は,この3&4日だけでした.天気も良くないのであまり遠くに繰り出すのはやめて,それほど遠くない場所の温泉でゆっくりしようと計画していました.行こうと思ってたのは伊豆の河津温泉 福田家さん,川端康成の伊豆の踊子の舞台にもなった有名な旅館です(日本秘湯を守る会の会員旅館でもあります).

 前夜から降り続いていた雨も小降りになった午後1時に車で自宅を出発,箱根新道から箱根峠を目指します.比較的順調に走っていたんですが,峠までさほどない地点の電工案内板に気になる表示が…

 箱根峠(静岡県側)大雨通行止め

 えっ? もしかして三島方面には行けないってこと? そうこうしているうちに前方では渋滞が発生してしまいました(泣).困ったなぁと思っていたらスマホが鳴ります.渋滞中だったので出たら,予想通り旅館の方でした.曰く「あちこちで通行止めが発生しているようなので,もし来るのが難しければキャンセルにしましょうか」というもの.ただ箱根峠からは県道20号線で伊豆スカイラインへ抜けるルートもあるので,「そちらを確認してからお返事します」と答え通話を切った.車が動かない中でネットで調べたところ,そちらのルートも閉鎖されているもよう.これは仕方ないとあきらめて旅館に電話,結局辿り着けそうにないとキャンセルさせていただいた.

 その後も前方の渋滞は続く,「仕方ないから家に帰ろうか」とも思ったが,なんか悔しい.幸い少しずつ進んだのと,諦めてUターンしていく車が多くなったのとでなんとか峠手前の旧道と新道が交差するポイントまでたどり着く.見ると旧道新道双方から峠を目指す車で渋滞しているが,反対方面は全く車がいない.さては箱根の温泉方面には行けるなと確信,そのまま旧道の上り線に入った.

 その後適当なところに車を停めて今夜の宿を探す.去年の7月にGoToトラベルが始まった直後に利用した仙石原の温泉宿(箱根風雅さん)が空いていたため速攻で予約を取り向かう.

Dsc_1811 Dsc_1812 (左写真1)仙石原の温泉宿,(右同2)客室の温泉

 15時半ごろに無事に到着,チェックインを済ませ部屋に入った.今回は温泉付き客室である.が,まずは大浴場へ.この1年間コロナ時代の温泉宿の楽しみ方を研究しているのだが,そこで得た結論が

1.チェックイン開始時間に合わせて旅館(ホテル)に入り速攻で大浴場に行く(お風呂を貸し切りで楽しめる).

2.夕食もなるべく早い時間に済ませる(そのあと世間の動きを見つつ大浴場に入る).

3.可能なら温泉付き客室や個室食できる施設を当たる

である.この日は個室食ではないものの温泉付き客室を確保できた.

 チェックイン後さっそく大浴場へ,予想通り貸し切りだった(笑).その後しばらく部屋で寛ぎ18時に夕食会場へ,この宿の食事は基本和洋のコース料理である.自分の年代にとってはちょうど完食できる量でうれしいのでした(若い人には物足りないかも).

Dsc_1817 Dsc_1819 Dsc_1823 Dsc_1824 (左上写真3)前菜盛り合わせ,(右上同4)お造り,(左下同5)鰻入り特製スープ,(右下同6)フィレステーキ

Dsc_1820_20210705145201(写真7)カべルネ・ソーヴィニヨン

 お酒は最初にスパークリングワインのグラス,次に赤ワインを選択美味しくいただきました.

Dsc_1828(写真8)朝食,このほかに焼き物とお豆腐が出ます

 翌朝も部屋の温泉メインにゆっくりと過ごしました.

 

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2021年7月 1日 (木)

7月になりました

 気が付いたら今日から7月,2021年もなんとなく半分が過ぎてしまったことになります.

Dsc_0723  今年は平年に比べて梅雨入りが遅かった当地ですが,梅雨入り後は一転して梅雨らしい毎日が続いています.今日も朝から強めの雨が降りしきる1日でした.この週末は大雨による災害も予想されているようです.

 皆さんお大事に.

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