南部アフリカ旅行記録
最近空き時間を利用してホームページ本編の編集に努力しているのですが,このほど2018年1月に行ってきた南部アフリカ旅行記録が完成しました.11日間という私の就職後の海外旅行として一番の長編となりました.
最近空き時間を利用してホームページ本編の編集に努力しているのですが,このほど2018年1月に行ってきた南部アフリカ旅行記録が完成しました.11日間という私の就職後の海外旅行として一番の長編となりました.
今年は西日本ではかなり早く梅雨入りしたものの,東日本は梅雨入りしそうでしない日々が続き,先週の月曜日6月14日にようやく梅雨入りしました.その後はほぼ梅雨らしい(?)お天気だったんですが,今朝は久しぶりに良いお天気,まさに梅雨の晴れ間という感じです.
晴れといえばいわゆるいわゆる五月晴れ(さつきばれ)という言葉があります.現在では5月のスカッとするような晴れの日の意味合いで使われることが多いですが,本来の意味は旧暦の五月,すなわち新暦でいえば6月の梅雨の晴れ間をさす言葉です.そういう意味では今朝は典型的な五月晴れの一日だったといえます.
さらに梅雨の晴れ間といえば,北原白秋作詞・多田武彦作曲の合唱組曲「柳河風俗詩」にある同名の合唱組曲の終曲が有名です.白秋が幼少時を過ごした福岡県柳川にやって来た旅芸人の様子を描いた作品です.男声合唱の珠玉の名曲で,この業界では歌ったことが無い人はいないだろうほど有名な1曲です.せっかくなのでyoutubeの演奏を貼っておきます.
尾瀬旅行の最終日の朝を迎えました.昨夜も消灯後すぐ就寝したため朝5時過ぎには目を覚ましました.6月の夜明けは早くすでに明るくなっています.ただ昨日一昨日に比べるとやや雲が多いなという印象です.寝具を片付けて6時に昨夕と同じ食事会場に入ります.ここの食事は部屋ごとにあらかじめ座席が指定されており,そこに着席します.メニューはハムと野菜サラダ,魚(山小屋の特徴として極力ごみが出ないよう全てを食べられるよう処理している),納豆(ウチのKが食べられないもの 笑)そして温泉卵でした.ごみを出さないよう全て平らげたのは言うまでもありません.その後は部屋でコーヒーを飲んで寛ぎ,8時少し前にチェックアウトして外に出ました.空を見上げると早朝と同じく雲が多い天気です.
ヒュッテを後にしてまずは近くにある尾瀬沼ビジターセンターに立ち寄ります.ここは尾瀬保護財団によって管理され,尾瀬地域の自然保護と情報発信を行っている施設です(姉妹施設として尾瀬ヶ原にも山の鼻ビジターセンターがある).中では尾瀬の動植物や遊歩道の状況からクマやオコジョの目撃情報などが展示されていました(さすがにオコジョはなかなか見つけるのが難しいもよう).自分的には鳥の鳴き声が聴ける装置が面白かったです.なおこのビジターセンターは建物が老朽化したこともあり,今年の夏近くの新しい建物に移転するとのことである.
ビジターセンターを後にして尾瀬沼東岸を南下することにします.湖畔には尾瀬では老舗の山小屋である長蔵小屋があります.そのたたずまいからも伝統を感じさせます.東岸の木道沿いからは尾瀬沼の向こうに燧ケ岳が見えて,条件が良ければ逆さ燧を経験できます.植物でも水芭蕉の群生のほか,いろいろな花が見られました(沼のほとりに立つ標識には一級河川尾瀬沼と書いてあって,沼だけど河川なんだ!と感動した).
(左上写真6)尾瀬沼と燧ケ岳をバックに,(右上同7)シラネアオイ,(左下同8)ショウジョウバカマ,(右下同9)タテヤマリンドウ
木道を30分ほど進むと三平下の休憩所に到着しました.ここは尾瀬沼のほぼ最南部に位置し,東岸ルートと南岸ルート,さらには峠を越えて大清水に至る3つの道が交差するところです.どのルートをたどるにせよ休憩場所として最適なところです.荷物を下ろして売店でコーヒーをいただきました.歩いた後のコーヒーもいいものです.その後トイレを済ませて三平峠の方へ歩き始めます.ここを過ぎるともう尾瀬沼は見納めということで,後ろを振り返りながら進みます.
やがて周囲は森の中となり,峠に向かっての上り坂です.昨日の白砂峠に比べると距離的にはそれほどでないですが,キツイものはキツイと運動不足でなまった体を恨めしく思います(笑).それでも休憩所から30分ほどで三平峠に到着,設置されているベンチに座って休憩です.この時間になると我々とは逆方向,大清水方面から尾瀬沼に向かってくる人がそれなりにいて,すれ違う場面が多くなります.そう今日は土曜日,尾瀬が最も混む曜日でした.朝大清水を出た人たちがちょうどこの時間帯に峠までやってきたということのようです(逆に我々のようにこの時間に尾瀬を離れる人は少数派).
三平峠からはひたすらな下りとなります.とはいえ,壊れかかった木道,石がごろごろする道,沢水があふれた個所などお世辞にも歩きやすいとは言えないところばかり,油断するとケガをする恐れがあるため慎重に下っていきます.だいたい1時間ほど歩いて前方に建物が見えてきて,足元の路面が普通の砂利道になりました.尾瀬を去った寂しさよりも,なんか人里に戻ってきた安心感が上回る感じです.やがて砂利道が舗装道路になってまもなく,一ノ瀬の休憩所に到着しました.
一ノ瀬休憩所は現在営業は休止中ですが,休憩スペースとしての利用は可能です.さっそく荷物を置いて休憩します(長い悪路の下りで結構へばっていた).ストレッチをして外に出ると,大清水行きと書かれたマイクロバスが停まっています.もしかしてこれは… と思い近くにいた運転手っぽい人に,「これ,大清水に行くんですか?」と聞いたところ,「そうです,今日から運行なんです」との答えが.一ノ瀬-大清水間は自動車が通れる道なんですが,基本的に許可車以外の通行禁止,夏季のみシャトルバス運行となっていました.事前に調べた限りでは2021年のバス運行のスケジュールは発表されておらず,今回は大清水までは徒歩で行かなくてはならないと覚悟していたのです.が、バスが運行されているとなれば話は別! 話を聞いたら5分後に出発するということで急いで乗ったのは言うまでもありません.
一ノ瀬-大清水間は徒歩だと1時間かかります(我々の体力だともう少しかかるかも).そこを十数分のバスで移動できるわけですからこの先の行程が楽になります.結局11時15分ごろに大清水の休憩所に到着できました(当初の予定では12時過ぎに到着予定).当初予定よりも早く着いたことから1本前のバスで下山できるんじゃないかということで,ここでお土産品購入&昼食タイム.この日は定番の山菜そばをいただきました.そして11時50分の関越交通バスで車を停めてある戸倉温泉の駐車場に戻ったのでした.
普段使いの時計というと,21世紀に入ってからは携帯電話やスマホで代用できるので,腕時計などは持たないという人もいるようですが(最近はスマートウォッチをしている人も),私は仕事柄普段から腕時計をしています(患者さんの看取りの場面などで,スマホを出して時間確認は構図的に雰囲気が悪い).十数年前にクレジットカードのポイントで入手したシチズンの電波ソーラー時計でした.時間合わせいらずの電池交換いらずというものぐさな自分にぴったりの品です.さすがに革のベルトが1年くらいでヘタってくるので(金属ベルトだと痒くなってしまう),その交換は必要でしたが特に不具合もなく十数年間使い続けてきました.
が…,先日病院のMRI室にうっかり時計を外さないまま入室,作業をしてしまったため
見事に壊れてしまいました(T_T)
自分のせいなので仕方ないのですが,ないと困るものでもあり新しいのを購入しました(またクレジットカードのポイントで交換できないか調べたがもう扱っていない模様).
今回もシチズンの電波ソーラー,文字盤がローマ数字表記になったのが従来と異なります.多分今後10年は使い続けるだろうと思います.
今日6月21日は夏至,1年の中で最も昼の時間が長くなる日です.毎年この時期の記事に書いているんですが,昼が長いということは大軍を動かす軍事作戦を行うのに適した季節ということでもあり,歴史的にはこの時期に大きな戦いが起こることがよくあります.古くは古代ローマ末期にアジアから西進してきたフン族と西ローマ・ゲルマン連合軍が戦ったカタラウヌムの戦いが451年の6月20日に起こりました.また有名なナポレオンのロシア遠征が1812年6月23日,ワーテルローの戦いが1915年6月18日,第二次世界大戦の独ソ戦の開始であるバルバロッサ作戦が1941年6月22日,同大戦のソ連側の大規模な反撃であるバグラチオン作戦が1944年6月22日に開始されています.日本史方面を見ると本能寺の変が1582年6月21日(天正10年6月2日)のことですし,応仁の乱も本格的な戦いが始まったのは1467年(応仁元年)のこの時期です.
そんな夏至ですが日本では梅雨時に当たるため天気が悪く,太陽を拝めないことが多い日でもあります.当ブログの過去記事を参照しても夏至は曇りや雨の日が多かったようです.
が,しか~し! 2021年の夏至は何年か振りの良いお天気,午後にちょっと職場の外に出ていつになく高いところにある太陽を堪能しました.
ちなみに夏至といえば,2003年のこの季節に訪問した北極海北緯80度にあるノルウェー領のスバールバル諸島を思い出します.さすがに夏至とはいえ日が沈む日本と違い,彼の地では24時間日が沈まない白夜(英語ではmidnight sun)が体験できます.
尾瀬旅行2日目です.前夜は消灯後すぐに就寝したこともあってこの日は5時ごろに目が覚めました.さすが6月のこの時期は日の出が早いので周囲はすっかり明るくなっています.起床後はまず寝具を自身で畳んで整理するのが山小屋流です(昔合宿で使った青年の家もそうだった).
6時になると「朝食の支度が出来ました」という館内放送が流れ、宿泊者は食堂へ.座席は来た順に係員に誘導される感じです.朝食はハムに切り身の鮭,漬物が中心で,温泉小屋らしく温泉卵もついていました(ご飯はお替り自由).
実は前夜,この日の予定について考えました.昨日は疲労で三条の滝をパスしたわけですが,はたしてそれを今日に持ってくるか… いろいろ検討したんですが結局断念しました😢.理由はそもそもここから今夜の宿泊地である尾瀬沼東岸まで,まっすぐ行っても11kmと昨日歩いたのとほぼ同じ距離があること,そして最初の下り以外はほぼ平坦地だった昨日に対し,今日は途中白砂峠というけっこうな峠道があるからです.普通に歩いても昨日より大変なのに,さらに往復2時間の登山道を追加するのは我々の体力の限界を超えているだろうと判断しました(滝は別の機会に必ずリベンジします).
そんなわけでこの日はゆっくりと思ってたんですが,朝食が早いこともあり山小屋にいてもすることがないため,結局7時半にはチェックアウトし歩き始めることになりました.滝には向かわないため,まずは昨日来た道を戻ります.赤田代と呼ばれる湿原地帯から南へ向かい,まもなくすると東電分岐にさしかかります.ここを右折すれば東電小屋方面ですが今日はこのまままっすぐ行きます.東電分岐から15分ほどで見晴に到着しました.
昨日も小休止に利用した弥四郎小屋前のベンチでしばしの寛ぎタイム,この先しばらくトイレがないので,公衆トイレで出すものをしっかりと出して支度を整えます.そして8時30分ごろいよいよ尾瀬沼方面に向かって移動開始,見晴の集落から東に延びる木道を進みます.見晴は尾瀬ヶ原の東の端に位置するためここから先はしばらく森林地帯を歩くことになります.そして尾瀬ヶ原と尾瀬沼の間には約200mの標高差があることから,尾瀬沼に向かってほぼ片勾配の峠道となっています(ちょうど碓氷峠みたいな感じ).
見晴の集落が終わると早速登り始めます.基本的には木道が敷かれたルートですが,損壊が著しい個所もありました(尾瀬ヶ原とは違ってこちらは歩く人が少ないので,木道の補修もなかなか進まないのでしょう).
その後は普通の登山道と木道が交互に現れる形でひたすら登っていきます.途中には倒木で迂回を余儀なくされる個所もあり苦労します.とはいえ尾瀬は気温がそこまで高くないのと,森林地帯で直射日光にさらされないことから,全身汗でびしょびしょとまではいきませんでした(昨年9月の父島ハートロックの時ほどはきつくなかった).
見晴を出発して2時間いよいよ岩がごろごろする急こう配を登った先に,ついに「白砂峠」と書かれたプレートを発見,2時間登りっぱなしは堪えましたがそれなりに達成感に浸りました.峠を過ぎるとすぐ下りというわけではなくしばらくは木道を歩きます.さすが標高が高いせいかまだ残雪があり,それが解けでできた水たまりが目に入ります.そしてその水たまりには水芭蕉が生えていました.尾瀬ヶ原はもう見ごろの終盤ですが,標高が高く日差しの少ないこの辺はまだまだこれからのようでした.
そんな水たまり地帯が終わると岩場の急な下りになります.こうした場所は足首のケガを起こしやすいのでポールを使いながら慎重に下ります.かなりの急こう配ですが距離は短く,あっという間に開けた土地に出ました.昨日歩いた尾瀬ヶ原を思わせる風景ですが,ここは白砂田代と呼ばれる森の中にぽっかりと開けた湿原です.ちょうどテラスがあったのでしばし小休止することにしました.
(左写真13)白砂田代(沼尻方面),(右同14)白砂田代(見晴方面)
今日歩いてきた白砂峠越えルート,反対方向からくる人がチラホラいたものの,基本的には人の数は少なく今世間で言われている密とは無縁な世界です.聞こえてくるのは流れる水の音とカエルの鳴き声だけ.声のする方を探してみるんですがカエルの姿は見つけられませんでした.
小休止の後再び歩き始めます.田代が終わると再び森の中に,多少のアップダウンはありますがさほど苦労なく進んでいきます.やがて20分ほどで周囲が開け,目の前に大きな湖が現れました.尾瀬沼です! ついにたどり着いたと感慨深いものがあります.沼のほとりには沼尻休憩所の建物があり普段なら休憩に利用できるんですが,2021年は休業ということでトイレ含め使えない状態のようです.
とはいえ我々はここで大休止,昼食の時間としました.この日はお湯を沸かしてカップヌードルを作ります.こういう環境で食べると美味いんだよなと感慨に浸りました.昼食後は沼の方に近づいてみます.なにやら船着き場のようなところがあったので恐る恐る行ってみました(かつてはボートでも出ていたんでしょうか).
(左写真19)船着き場にて,(右同20)この先も木道が続きます
大休止後再び荷物を担いで沼尻を後にします.尾瀬沼は1周の遊歩道が整備されていますが,西岸と南岸の遊歩道は悪路が多いため,一般に北岸ルートが推奨されています.今回は初尾瀬ということで我々も北岸ルートを歩きました(もっとも南岸ルートの方が沼に近いところを通るため風光は良いという噂です).
(左上写真21)木道も単線になります,(右上同22)北岸からの尾瀬沼,(左下同23)水芭蕉の群生,(右下同24)美しいです
とはいえ北岸も沼がよく見える場所はありますし,その他水芭蕉の群生地も結構あって景色を堪能しながらの散策ができました.歩き始めから40分程度の森の中で左に分岐する小道を発見,こちらは長英新道という燧ケ岳山頂へのルートでもちろん上級者向けです.我々はもちろん直進します(笑).
分岐から間もなく周囲は急に開けて湿原が広がる地域に出ます.この付近が大江湿原と呼ばれる福島県側の沼山峠から下ってきて到達する湿原地帯の南端になります.そのまま歩いていくと,やがてその沼山峠方面と尾瀬沼東岸方面とに分岐する三叉路へに突き当たりました.ここを右折して尾瀬沼東岸へ,まもなく建物が複数姿を現します.このうちの一つ,一番奥まった場所に立つのがこの日の我々の宿泊先,尾瀬沼ヒュッテ,桧枝岐村営の山小屋です.時間的には2時ちょっと前でしたが早々にチェックインして休むことにしました.
通された部屋は昨日の温泉小屋と同じ8畳間でしたが,こちらは個室利用を前提に建てられているためか鍵がついていました(その他支払いにクレカが使えるなどちょっと町っぽさもある).その後はさっさと入浴,ここは温泉ではありませんが,尾瀬の湧水を沸かしたお風呂はとても気持ちがよかったです(基本的に尾瀬の山小屋のお風呂はシャンプー・せっけん不可なんですが,コロナ禍ということで備え付けのもののみ使用可でした).
入浴後はビールを飲んだりして過ごし,5時から夕食,副菜が豊富でおいしかったです.この時間帯になると昨日からの運動による筋肉痛が出てきました.「痛い痛い」と言いながら立ち上がる私でした.消灯はここも9時,もちろんさっさと就寝です.
最近followしきれていなかったんですが,今年のしながわ宿場まつりの中止がきまったそうです.
しながわ宿場まつりは毎年9月最終週末に開催されている品川の商店街のお祭りです.特に2日目の日曜日に開催される江戸風俗行列はお昼にちょっとパレードが行われるものの,基本的には江戸時代の格好をして周辺を散策し,江戸時代の宿場の雰囲気を醸し出すというイベントです.そのユル~い雰囲気が大好きで自分にとって秋の恒例行事となっています.
しかし新型コロナウイルス感染症の流行をうけて昨年は中止となっていました.今年に関しても実行委員会側ではいろいろ検討がなされたようですが,結局中止となったようです.
残念な限りですが、来年こそは開催されるのを楽しみにしていきたいと思ったのでした.
先週後半(6月10~12日)尾瀬に行ってきました.その旅行記録です.
当初の予定では6月6日から1週間の予定で北海道の離島旅行(礼文島&利尻島 etc.)を計画していましたが,北海道の緊急事態宣言が延長になり,現地の自治体からも観光等での不要不急の来島を自粛するよう要請が出たことを受けてこの旅行は取りやめとなり,その代替の企画として計画したものです.地理的には比較的近場ということもあって日程は大幅に短縮し,週の後半のみとしました.尾瀬といえば歌曲「夏の思い出」の舞台として有名ですが,歌にも登場する水芭蕉が見られる時期が今だというのも訪問を決めた理由です.
尾瀬は福島・群馬・新潟3県にまたがる高層湿原です.西側の尾瀬ヶ原と東側の尾瀬沼に大別され両方合わせた大きさは東西6km,南北3kmにもなります.標高の高い場所にある平地ということで信州の上高地に似ていますが,自動車で入れる上高地に対して尾瀬の内部には自動車道はなく徒歩以外に移動手段がないという決定的な違いがあります(なので足腰が弱る前に行っておきたい場所です 笑).今回は尾瀬ヶ原・尾瀬沼両方を見て回るのを計画しましたが,そうなると日帰りは不可能であり,どこかで宿泊する必要があります.幸い尾瀬には山小屋と呼ばれる簡易宿泊所が複数あるため,これらを利用しながらの観光となりました.尾瀬ヶ原・尾瀬沼の縦走は健脚なら1泊2日で可能な行程ですが,日ごろの運動不足で体がなまっている我々の体力と,途中で100選滝のひとつである三条の滝にも寄りたかった事情を踏まえて2泊3日とし,
1日目(6月10日) 群馬県の鳩待峠から尾瀬ヶ原に入り北東に向かい日本の滝100選の一つである三条の滝を見学しその後最寄りの山小屋である温泉小屋に宿泊
2日目(6月11日) 尾瀬ヶ原から東に向かい,白砂峠を越えて尾瀬沼に出て沼を北岸から半周して桧枝岐村営の山小屋である尾瀬沼ヒュッテに宿泊
3日目(6月12日) 尾瀬沼東岸を南下し三平峠を越えて下山する.
という計画になりました.第1日目がちょっとハードですが,初日ということで気力体力とも充実しているだろう(?)と考えたからです.
前述のように尾瀬は徒歩以外の移動手段がない場所です.それこそ日が暮れてしまったら遭難必至になるため,計画には時間的な余裕が求められます.なるべく早朝に現地入りし午後の早い段階で山小屋に着くのが理想となるため,6月9日に群馬県側の尾瀬の玄関口である戸倉温泉の旅館に前泊しました.
そして6月10日6時に旅館で朝食を食べそのままチェックアウト,近くの尾瀬第1駐車場に移動します.ピークシーズンの尾瀬は特に土曜日は大混雑でこの駐車場も満車になるらしいんですが,この日は木曜日ということでかなり空いていました.駐車場から尾瀬の群馬県側の入り口である鳩待峠まではバスか乗り合いタクシーでの移動になります.バスは大体1時間に1本程度で,その間の時間を乗り合いタクシーが埋めている印象です.空いているとはいえ,それなりに尾瀬に向かう観光客はいるのでそれほど待たずに出発できました.
駐車場から狭い道を揺られること20分ほどで鳩待峠に到着,ここからいよいよ徒歩移動となります.トイレを済ませて身支度を整え(靴ひもを締めなおし,スパッツを装着)まずは尾瀬沼の入り口,山の鼻を目指します(この時時計を見たら7時55分).鳩待峠の標高1590mに対して山の鼻は1410m,この180mの標高差を3.3kmで下っていくことになります(平均斜度5.4%).
遊歩道は基本的に木道と木の階段がメインで所々石の階段のところもあります.尾瀬の木道といえば雨上がり後などの濡れた状態では滑りやすいことで知られます.もっともここ数日は天気が良かったのでこの日は日陰を含め木道は乾いていたため問題ありませんでした.ただ下り道は足首を痛める可能性があるため慎重に,また後からくる健脚の方々を先にやり過ごしながらゆっくり進んでいきます.この区間は基本的に雑木林地帯なので展望はありませんが,それでも周辺に咲いている花々を見ながらの移動でした.約1時間で山の鼻に到着,最初の小休止です.売店で尾瀬の植物図鑑やクマ鈴を購入したりトイレを使いました(尾瀬のトイレは1回100円のチップ制となっている).
小休止後いよいよ尾瀬ヶ原に入っていきます.周囲の視界が一気に開け,ガイドブックでもおなじみの尾瀬ヶ原の絶景が広がっています.日ごろの良さもあるのかお天気は一面快晴の青空です.青々とした湿原のかなたに向かって二本の木道がひたすら伸びています.我々が目指す方角には東北地方最高峰である燧ケ岳(標高2,356m)の雄姿が遠くに見えていました.また後ろを振り返ると雪渓の残る至仏山(標高2,228m)が目の前に鎮座しています.早くも尾瀬の絶景に感動する我々でした.
(左写真9)はるか彼方に燧ケ岳が見えます,(右同10)至仏山
ここからの尾瀬ヶ原横断は標高差がほとんどない平坦な湿原に敷かれた木道をひたすら歩いていきます(湿原保護のため木道から外れることは禁止されている).この辺りの木道は複線になっていて原則右側通行です.ピークシーズンの土曜日などは人で渋滞することもあり,おちおち写真も撮れないそうですが,木曜日の朝は人影もまばらで回りを気にせず自分のペースで歩くことができました.しばらく進んでいくと,たくさんの荷物を背負った歩荷の姿も見かけます.自動車の乗り入れができない尾瀬ではヘリコプターとともに歩荷が貴重な輸送手段となっているのです.
「夏の思い出」にも登場する尾瀬を代表する植物が水芭蕉です.雪解け後の水辺や湿原に姿を現し,尾瀬では5月下旬から6月上旬がピークといわれています.ただ近年は温暖化の影響で見ごろが早まっているようで,今年は尾瀬ヶ原付近はすでにピークを過ぎていたようです.とはいえ,まだまだ群生している姿を見ることができました(木道の脇など日陰になっているところに多い).
(左写真12)数は多くありませんが水芭蕉の群生です,(右同13)白いのは仏炎苞という葉が変形したもので花は真ん中のヤングコーンみたいな部分です
尾瀬ヶ原を北東に進んでいくと次第に前方の燧ケ岳が大きく,後方の至仏山が小さくなり確実に歩いてきていることを実感します.尾瀬の湿原には池塘と呼ばれる小さな湖がたくさんあり,空の青さや湿原の緑との色彩の対比が素晴らしいです.池を覗くとイモリが泳いでいる姿も見えました.
山の鼻から40分ちょっとで牛首分岐と呼ばれる木道の分岐点に到着します.ここをまっすぐに進むと竜宮小屋,左に折れるとヨッピ吊橋に向かうことになり人の流れもここで2つに分かれる地点です.分岐点にはベンチの設置されたテラスがあって休憩に便利,我々もここでしばし小休止しました.
(左写真16)牛首分岐,(右同17)至仏山がかなり小さくなりました
10分ほど休んで再び歩き始めます.この日は牛首分岐をまっすぐ竜宮小屋方面に向かいました(時間的に竜宮小屋で昼食にしたかったことが主な理由).この辺りは尾瀬湿原の中央部とでもいえる地域でたくさんの池塘や沢があります.それらの沢の一つを渡ろうとしたら,なにやら沢の対岸に柵がめぐらされています.今当地では鹿の食害が問題になっているそうで,尾瀬の代名詞の水芭蕉も食害で数を減らしているのだとか.この柵もそうした鹿対策の一環のようです(実際柵の内側には水芭蕉が結構あった).
その先には湿原を流れる川がいったん地下に潜ったあと池塘に湧き出る現象”竜宮現象”が見られるスポットがあります.伏流水が池に湧き出るといえば静岡県清水町の柿田川を思い出しますが,そことおんなじできれいな湧き水でした.
そんな湿原を歩いていくとまもなく木道の分岐点とその先に林に囲まれた建物が見えてきます.この分岐点が竜宮十字路という分岐点,ここを左折すると先ほど牛首分岐で左折した先のヨッピ吊橋へ行くことができます.右折すると富士見田代という尾瀬外輪山南側の尾根線へ,まっすぐ進むと尾瀬で最もにぎやかな見晴になります(見晴は山小屋6軒が立ち並び,尾瀬銀座と呼ばれる).十字路にもベンチがあるんですが,この日は見晴方面に向かうためそのまま林と建物方面へ向かいます.この建物が竜宮小屋という山小屋,2021年は休業ということで小屋は閉まっていますが,小屋前のベンチとトイレは使用することができます.我々もベンチの一角に腰を下ろし昼食タイムとなりました(この段階で11時半).この日のお昼は持参したおにぎりと携帯ガスでお湯を沸かして味噌汁を作りました(長時間歩くと塩分の補給も大事).
(左写真22)林の中に竜宮小屋が見えてきます、(右同23)林の中の沢
ここでは約1時間の大休止,食後もしばらくゆっくりと休み先への英気を養いました.その後トイレを済ませ12時20分に出発します.林を抜けて再び湿原地帯になります.前方には朝方は遠くに見えていた燧ケ岳がいよいよ迫ってきた感じがします(だいぶ歩いてきたなと実感).この辺は山に向かってひたすら草原を歩く感じで,母を訪ねてのマルコの気分になりました(笑).燧ケ岳の麓には林が広がりその中に建物の姿が見えます.ここが尾瀬銀座と呼ばれる見晴地区です.姿は見えているがなかなかたどり着かないという遠近法のような感覚が不思議でした.
(左写真24)見晴地区が見えてきました.ここまでくると燧ケ岳が目の前です.(右同25)弥四郎小屋
それでも20分ほどでやっと見晴地区に到着,6軒ある山小屋の一番手前にある弥四郎小屋で小休止します.建物が複数あるだけで都会に見えてしまうのが印象的です.
弥四郎小屋前は三叉路になっていて,来た道をまっすぐ進むと尾瀬沼方面に,左に折れると赤田代地区から三条の滝方面に向かうことになります.この日は三条の滝を訪問する予定なのでもちろん左折します.さっきまで正面に見ていた燧ケ岳を右に臨みながら歩いていきます.改めてこの辺は燧ケ岳の麓なんだと実感したのでした.
この日の予定は赤田代にある温泉小屋に荷物を預けて身軽になった状態で三条の滝までを往復,その後温泉小屋に宿泊というものでした.ただここまでの行程で結構へばっていました.鳩待峠から赤田代まで距離にして約10km,普通の土地ならそれほどでも無いハズですが,2泊分の荷物を背負って慣れない山道や木道の移動は運動不足の我々にはダメージが大きかったようです.しかも温泉小屋から三条の滝までの片道2.2kmは距離こそ大したことはありませんが,標高差200メートルの岩場や鎖場もあるかなりきつい登山道とのこと,特に往路が下りで復路が登りというイやなパターンです.時間的にはまだ1時過ぎ,標準時間で往復できれば十分夕方4時には戻ってこられるんですが… いろいろ考えた末,この日の訪問は断念することにしました(疲労困憊,途中で立ち往生しても困るので).
滝には行かないと決まったことから後は気楽になりゆっくりと温泉小屋を目指します.途中東電小屋へ向かう分岐路(東電分岐)で小休止し,そこからは少し登りになる部分もありましたが,結局1時30分過ぎに本日の宿泊地温泉小屋に到着しました.
受付をするとすでに部屋は使えること,お風呂もすぐに入れるとのことだったのでそのまま中に入りました(今回は別館の個室を利用).通された部屋は8畳間,今回はコロナ禍の平日ということで個室利用ですが,ここは元々相部屋を想定して建てられている関係で部屋に鍵がありませんでした(もっとも何かあれば内部犯行説ほぼ100%です).温泉小屋のある赤田代地区は尾瀬で唯一温泉が湧くところです.泉質は鉄泉でやや赤茶けたお湯が特徴です.一日の汗を流したのは言うまでもありません.
入浴後は小屋の前に設置されているテラスで生ビールをいただきます.時間的には1日で最も気温が上がる時間帯ですが,標高1400mの尾瀬の空気は爽快です.チェアに寝そべってしばしウトウトしていました.
山小屋の夕食は早く,夕方5時スタートです.温泉小屋の夕食は定番のカレーライス(と牛すき小鉢)でした.またまたビールを飲んだのは言うまでもありません(笑).
しばらくしたら夕暮れ,周囲は真っ暗になっていきます.消灯時間は9時,明日に備えてさっさと寝たのでした.
6月に入ってはや一週間が経過しました.最近更新頻度が落ちているのは、要するに日常に変化がなさ過ぎて書くことがないからでもあります(笑).
6月といえば梅雨時です.今年は沖縄や九州地方から近畿,東海など南や西の方は梅雨入りが早かったんですが(5月半ばには梅雨入りした)、関東や東北など東日本・北日本ではまだです.当初は西日本に引き続き5月中の梅雨入りも予想されていましたが、その後は雨が降っても長続きしない天気が続き,梅雨入りしそうでしない感じになっています.週間予報を見ても今日を含めて今週は良い天気が続く模様です(一方日曜日ごろからは雨模様が続くようなので,その辺で梅雨入りするのかもしれません).
梅雨入り前の好天は大陸からの移動性高気圧によりもたらされます.この高気圧は程よい温度で乾燥した高気圧なので,夏の高気圧と異なり,いわゆる爽やかな陽気をもたらします.
今日も当地は朝から爽やかな気候となっており,まさに新緑の春という言葉がぴったりします.
気が付けば6月になりました.「祝日が1日もなく,夏休みや冬休みとも関係がない1年でもっとも嫌な月」と言ったのはドラえもんののび太君ですが,まあ梅雨時で天気もイマイチなので気持ち的には賛同できる部分もあります.一方で今月が終われば2021年も半分が過ぎた計算になりますから時間の流れの速さも実感します(今年はコロナ禍なので余計に時間の速さを感じる).
そんな6月ですが,以前ここでも予告した通り私のホームページの掲示板が従来のプレミアム版から無料版にダウングレードしました.
無料版になると広告が掲載されてちょっと見づらくなるんですが,元々訪問者の少ない秘境掲示板なので全く問題にならないだろうと思います.
今月は尾瀬への旅行のほか,ホームページ本編の作成に力を入れようと思っているのでした.
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