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2021年2月26日 (金)

2・26事件

Image_2  今日は2月26日,歴史的には日本の近現代史上に残るクーデター未遂事件である「2・26事件」が起こった日として有名です.

 1936年(昭和11年)2月26日,折からの不況による農村地域の疲弊に対して有効な対策を取れなかった政治に対して強い不満を抱いていた陸軍の青年将校らが,「昭和維新」のスローガンのもとにクーデターを決行,当時東京に駐屯していた歩兵第1連隊,歩兵第3連隊らの兵を率いて,内大臣齋藤実,大蔵大臣高橋是清,教育総監渡辺錠太郎を殺害,侍従長だった鈴木貫太郎(後に終戦時の総理大臣となる)に重傷を負わせるとともに,首相官邸や陸軍省,参謀本部,警視庁といった日本の中枢機関を占拠した事件です.この時首相官邸では総理大臣岡田啓介も襲撃を受けましたが,官邸でクーデター側が最初に襲撃して殺害した義弟松尾伝蔵を岡田と誤認したために危うく難を逃れ,後に救出されています.

 表面的にみれば世相に憤慨した青年将校による崛起ということで,幕末期の尊王攘夷運動を彷彿させる話ですが,事件の背景には陸軍内の派閥抗争がありました.すなわち彼ら青年将校の義憤を利用した陸軍中枢の権力闘争という一面があったわけです.当時の陸軍には財界や政治家の介入を配した国家体制を実力に訴えても作ろうという皇道派と,主として陸軍大学校出の中堅エリートが主体となっていた合法的な手段を用いて軍事優先国家形成を目指す統制派という2つの派閥が対立していました.青年将校たちの背後にいたのはもちろん皇道派です.

 両派の対立はこの前年から既に深刻でした.皇道派のドンとみなされていた真崎甚三郎教育総監が更迭され,後任に統制派の渡辺錠太郎が就任するという皇道派を露骨に冷遇したような人事が行われ,それに反発した皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心人物と目されていた陸軍省軍務局長の永田鉄山少将を白昼省内で斬殺するという事件が起こっていたほどです.

 2・26事件を起こした青年将校たちは,自分たちの真意が天皇の元に届きさえすれば,その主張が実現すると信じていたようです(この点が幕末期に筑波山で決起し,藩内の保守派と内部抗争を繰り広げながらも,登場将軍後見職だった徳川慶喜に真意が届けば自分たちの思いが実現すると信じていた水戸の天狗党と類似しています).しかしながら,勝手に兵を動かして政府の重臣を暗殺するという行動を起こしたことに天皇は激怒,直ちに鎮圧を命じました.当初陸軍首脳はなるべくコトを穏便にすませようといろいろ工作したようです.皇道派はもちろんですが,敵対する統制派も自らに火の粉が降りかかりかねない武力鎮圧には消極的でした(一匹狼で無派閥だった参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐は当初から武力鎮圧に積極的だったといいます).しかし天皇の怒りは強く,ついには自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうとまで言われたため,2月29日の早朝にようやく討伐命令が下りました.ここに至り,反乱将校らは投降を決意,クーデターは失敗に終わったのです.

 将校たちの中には投降せず自決した者もいましたが,多くはあくまでも軍法会議の場で自らの主張を通す道を選びました.しかし事件の塁が軍中枢に及ぶことを恐れたのか,審理は異常に早いスピードで進み,結局民間人含め19名に死刑判決が出されました.事件の背後にいたとされる皇道派の将官にも累は及び,軍法会議にかけられる者はいなかったものの,多くの将官が予備役に編入されるか左遷され,軍中枢から排除されたのです.後の太平洋戦争序盤のマレー戦で勇名をはせた山下奉文大将もこの事件で左遷された皇道派の将軍です.一方でこれがクーデターであることを知らないまま参加させられた一般の下士官兵については上官の命令に従っただけであり罪には問わないとされました.しかし事件後関係部隊は満州に移駐となり,その後の日中戦争,太平洋戦争では激戦地に送られその多くが戦死したとされています.

 この事件によって陸軍内の皇道派は壊滅状態となり,以後前年に暗殺された永田鉄山の後継となっていた統制派の東條英機らが台頭してきます.そして予備役になった皇道派の将官が将来陸軍大臣となって再び影響力を持つのを防ぐため,陸海軍大臣は現役の軍人でなければならないとする”軍部大臣現役武官制”が復活することになります.これは結果的に軍部が気に入らなければ大臣を辞任させ後任を出さないことで内閣を潰すこともできるようになったことを意味し,以後政府に対する軍部の発言力は飛躍的に増し,日本は暗い時代に突き進んでいくことになります.

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2021年2月25日 (木)

黒沢宏さんの訃報

Madopro  合唱が趣味の私です.先日東京21合唱団のマタイ公演が延期になった記事を書いたんですが,今回それとは別に所属している東京マドリガル会を主催者している黒沢宏さんが亡くなったという連絡をいただきました.

 マドリガルとは16世紀後半エリザベス朝時代のイギリスで盛んに作られた世俗的,無伴奏な合唱曲のことです.東京マドリガル会は1920年代に英国留学中にこのマドリガルを知り,慣れ親しんだ故・黒澤敬一氏が日本でもこれを歌い研究すべく,帰国後仲間たちと立ち上げたクラブです.1929年(昭和4年)に最初のコンサートが英国大使館で開催され,以来2016年まで年に一度,欠かすことなく88年間のコンサートが開催されていました.第二次大戦中も開催していたというから驚きです(当時同盟国だったドイツやイタリアの音楽ならともかく,英国マドリガルは当時の言い方をすれば完全なる敵性音楽ですから.大戦中は大学の教室でやっていたとのこと).

 1982年に敬一氏が亡くなった後は,子息の宏氏の主催に受け継がれ最近に至っていました.マドリガルに関しては私も学生合唱団時代にその片鱗にふれ,興味を持っていましたが,2008年に関東に引っ越してきた後,縁あってこの東京マドリガル会にお誘いいただき今もお世話になっている次第です.そして昨年1月頃から本格化した新型コロナウイルス感染症の世界的な流行を受け,他の合唱団同様東京マドリガル会も活動が休止となっていました.ただ最近の新規感染者の縮小傾向とワクチン接種の開始を受け,光明が見え始めたところで今回の黒沢宏さんの訃報に接しました.マドリガル会では練習のことを例会と呼んでいるんですが,その例会の際にいろいろな興味深いお話をたくさん聞かせていただいたのが懐かしく思い出されました.黒沢宏さんのご冥福を心からお祈りいたします.

Pa101451  これはは2016年10月に開催された第88回コンサートでの記念写真です.

 

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2021年2月21日 (日)

三保の松原

 この週末,東日本はお天気に恵まれ気温も上がりました.日曜日は特に用事もなかったので隣の静岡県に繰り出しました.行った先は静岡市清水区にある三保の松原,俗に日本三大松原と呼ばれるもののひとつです(他の2つは福井県敦賀市の気比の松原と佐賀県唐津市の虹の松原).

P2210034 (写真1)松林と富士山

 日曜日の晴天ということもあってそれなりに人が来ていました.まずは海岸線を散策します.この日は天気は上々ですがちょっと風があったので波が高かったです.そして三保の松原といえば,松林と共に遠くに富士山が拝める景色も有名です.快晴な上に空気が澄んでいるこの季節は富士山もきれいに見えました.

P2210012 P2210039(左写真2)羽衣の松,(右同3)松林の中

 帰りは松林の中を散策します.ここには羽衣伝説でも知られる羽衣の松があります.とはいえ伝説の松は既に枯れてしまっており,今あるのは通算三代目のものなんだそうです.

P2210053 (写真4)海鮮丼です

 お昼時になったので近くの食堂へ,この日は海鮮丼をいただきました.ボリューム満点でした.

 

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2021年2月19日 (金)

マタイ受難曲演奏会延期

 趣味のひとつが合唱の私です.メインで参加している合唱団として東京21合唱団と小田原医師会合唱団,東京マドリガル会があります.このうち医師会合唱団の方は昨年2月初旬から練習が休止になったままです(まあこちらは医療関係者が趣味でやっている団体なので万一クラスターでも出したら世間で騒がれること必定なので仕方ないです).東京マドリガル会も約1年休止中です(ここは平均年齢が非常に高いのでやむを得ない).もう一つの東京21合唱団の方はやはり昨年2月末から活動休止していたものの,昨年秋に感染状況がやや落ち着いたタイミングで練習を再開しました.しかしその後のいわゆる感染第3波と,国の緊急事態宣言の発出を受けて再び休止に追い込まれ今に至っています.

 で,この東京21合唱団では管弦楽団Collegium Armonia Superiore Japan(ARSと略称)との共催で今年の10月にJ. S. バッハのマタイ受難曲全曲演奏会を開催することになっていました.企画そのものは2018年秋に始まり2020年10月に本番を向かるはずだったんですが,新型コロナの蔓延を受けて昨年4月に1年延期としていたものです(その辺は東京オリンピックと同じ).しかしながら練習が再開できないまままもなく春を迎えるという状況の中で検討が行われ,このたび本年10月予定の演奏会を再び延期することが決まりました.延期先の日程についてはこれから改めて協議していく予定です(世間では新規感染が縮小傾向にあり,ワクチン接種が始まるタイミングではありますがまだまだ予断を許さない状況と考えています).

Chirashi  ひの新選組まつりのパレードや日本寮歌祭の中止も残念でしたですが,こちらは年単位でじっくりと取り組んでいた企画だっただけに余計ショックが大きいです.写真は幻となった2020年10月版のチラシとチケットです.

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2021年2月16日 (火)

記憶にございません

Img_4384  今日は2月16日,バレンタインデーの翌々日です.病院というところは女子率の高い職場なので義理チョコをもらう機会が多いのですが,私自身チョコレート🍫が好きな方ではなく,数年にわたり「義理チョコいらないから義理ワイン🍷下さい」キャンペーンをやった結果,ようやく近年はワインがもらえるようになりました.

 ただ今年はバレンタインデーが日曜日に当たったことも影響し,もらえたワインは例年に比べて少数にとどまりまっています.

 さて実は今日の本題はバレンタインデーではなく、表題の「記憶にございません」というセリフです.実はこれ,今から45年前の今日,衆議院予算委員会で当時世間を騒がせていたロッキード事件を巡る証人喚問が開催された際,証人として出頭した当時の国際興業社長の故・小佐野賢治氏が疑惑を追及する議員からの質問に対して何度も発したセリフなんです(議事録によると正確には「記憶はございません」、「記憶がありません」だったようです).

Osano01  国会の証人喚問は議院証言法という法律に定められてあるように,証人には正しい証言が求められます.噓の証言をした場合,3か月以上10年以下の懲役が課されることになります(議院証言法第6条).議員たちは当然疑惑の有無について聞いてくるわけですが,仮に「そのような事実はありません」と証言した場合,後に虚偽であることが判明すれば,先の議院証言法により処罰を受けることになります.一方で「記憶にありません」なら,本当のところはどうなのか外部からはわからないので法律に引っかからないのではと認識していたと想像されます.まあ本当に無関係なら「そんな事実はありません」といえるはずなので、そういわない段階で世間では「これはクロだな」という空気が広がりました.

 この「記憶にございません」は当時流行語になり,小学生も使っていたのを覚えてます(自分も小学生でした).

 そんなことを思い出した2月16日でした.

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2021年2月12日 (金)

歌劇「フィガロの結婚」

Img009_20210212145901  昨日は建国記念日の祝日でした.近年は一部の祝日が移動祝日として月曜日に持ってこられる傾向がありますが,この建国記念日は憲法記念日などと共に日時が決まっている祝日のひとつです.今年は木曜日となりました.月曜が休みで三連休ができるのも嬉しいですが,週の途中に休みがあるのもなんとなくホッとした気分になりいいものです.

 そんな建国記念日は新国立劇場で上演中の歌劇「フィガロの結婚」を鑑賞してきました.

 オペラ好きの我が家ですが,2008年に当地に越して来て以降家訓(?)となっていることがあります.それが「最低年に1回はモーツァルトのオペラを鑑賞すること」.俗にモーツァルトの四大歌劇と呼ばれる「フィガロの結婚」,「ドンジョバンニ」,「コジ・ファン・トゥッテ」,「魔笛」であれば新国立,二期会,藤原歌劇団のどこかで必ずやっているので基本的には見逃すことは無いはずです.しかし昨年2020年は新型コロナの影響で春に劇場が閉鎖になり上演予定作の多くが中止に追い込まれたことから,あわやついに年間鑑賞ゼロか!という事態になりました.しかし12月に小田原市民オペラの魔笛公演を鑑賞できたため,かろうじて義務は果たせています(当初は新国立のコジと藤原のフィガロが予定されていた).

 今回のアンドレアス・ホモキ演出のフィガロは2003年の初出以来2~3シーズン毎に上演され続けている新国立の定番レパートリーです.白と黒以外の色を極力排し舞台装置も極めてシンプルな印象的な舞台となっています.コロナの影響で日本への入国制限が厳しくなっていることで指揮者と一部キャストが変更になっていました(先月のトスカでスカルピア役をやったダリオ・ソラーリがそのままフィガロ役で出演,思えばほぼ3か月日本に滞在しているんだな).

 終演後はこれまた恒例のレストランへ.充実のコース料理でした.

Dsc_1540 Dsc_1541 Dsc_1542 Dsc_1543 Dsc_1544 Dsc_1545 (左上)スタートはスパークリングワイン,(中上)前菜ノルウェーサーモンと赤海老のマリネ,(右上)パスタ 牡蠣とパンチェッタ、ホウレンソウのクリームソース,(左下)鰤とじゃが芋のアルフォルノ,(中下)熟成牛のロースト,(右下)ガトーショコラ、ビスタチオのジェラート

 

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2021年2月11日 (木)

第61回日本寮歌祭中止

 昨日帰宅してポストを覗いたら一通のハガキが入っていました。見てみると日本寮歌祭実行委員会からのもの,どうやら今年8月14日に予定されていた第61回日本寮歌祭の中止が決まったようです.

Img_7172  日本寮歌祭は戦後の学制改革以前に存在した旧制高等学校の寮歌を懐かしむことを目的に日本寮歌振興会の主催で,1961年第1回が文京公会堂で開催されました.以来形を変えながら毎年行われていましたが,現役で旧制高校を知る人たちの減少,高齢化が進んだことから2010年の第50回を持っていったん終了となりました.しかし寮歌文化を後世に伝えたいと願う方々の努力により,2019年に第59回として復活しました(2011年から2018年までは中央寮歌祭として活動).

 予定では2020年8月に第60回が行われるはずでしたが,新型コロナのパンデミックを受けて中止,2021年に改めて第61回として開催される予定だったものです.

 しかしながらその後いわゆる感染第3波と呼ばれる状況に入りそのまま年を越えて今に至っています.最近になってようやく新規感染者の発生が減少傾向になり,日本でもワクチン接種が始まろうとしています.そうしたなか日本寮歌祭の2年連続での中止が決まりました.

 以前もここで述べたことですが,寮歌祭って「大勢の(400人規模)」「高齢者が(90歳以上もザラ)」「閉鎖された会場に」「密集して」「長時間に渡って(約半日)」「大声で歌い飲む」という今回の感染症に関して専門家からやってはいけないとされていることを全てやってしまうイベントです.おそらく世界中探してもこれ以上のリスクの高いイベントはないだろうというほど,リスクの塊です.開催してクラスターなど発生したら世間から非難されることは必須であり,今回の判断はやむを得ないと思います.

Img_0990  この写真は過去の寮歌祭の様子ですが,高齢者が密集して歌っている様子がわかります.

 実行委員会ではワクチンが普及した後、来年以降改めての開催を模索するとのことですが,果たしてどうなるか注視していきたいと思います(個人的には楽しみなイベントなのでいつか再開してほしいです).

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2021年2月 9日 (火)

スバールバル条約

0212  今日2月9日はスバールバル条約締結の日です.

 スバールバル諸島とは,ノルウェー本土最北端のノールカップからさらに北へ約1000キロ,北極点とのほぼ中間地点に位置する群島です.最大の島がスピッツベルゲン島で,人が定住する街があるところとしては世界最北になります(一番大きな町が人口1400人のロングイヤービーエンでここにジェット機が離着陸できる空港があります).

Hyo9 Malls (左)エスマルヒ氷河,(右)ロングイヤービーエン中心部の商業エリア

 この諸島が歴史に登場するのは1596年で,のオランダ人Willem Barentszがここを「尖った山」という意味でスピッツベルゲン諸島と名づけたのが始まりとされています.その後17世紀から19世紀にかけてはヨーロッパ人による狩猟や沿岸での捕鯨が行われる程度でしたが,18~19世紀に始まった産業革命によって石炭の需要が急増すると,石炭を豊富に埋蔵していたこの島は俄然注目を集めるようになります.20世紀に入って炭鉱が開かれるなど開発が進みました.ただ帝国主義時代だったこともありノルウェーの他,各国が領有権を主張するなど政治的に不安定な状態でした.そのため第一次世界大戦後,1920年2月9日にパリで締結されたのがスバールバル条約です.この条約によって政治的にはノルウェー領と決定しましたが,条約加盟国国民は等しく査証なしで入島でき,自由に経済活動が行うことができるようになりました(加盟国国民ならその気になれば自由に行って一旗揚げる権利がある).ちなみに日本はこの条約の原加盟国14か国のひとつです.

10ji_20210209164001 (写真)真夜中の太陽

 私がスバールバル諸島を訪問したのが2003年6月でした.夏至に近い白夜真っただ中の時期です.真夜中1時だというのに真昼のような明るさで感動したのを覚えています.

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2021年2月 8日 (月)

柿田川公園

Img_7170  この週末は春めいた陽気となりました.たまには自然でゆっくりしたいという思いもあり,静岡県清水町にある柿田川公園に行ってきました.

 柿田川は日本の三大清流のひとつにも数えられているほど水質のきれいな川です.すぐそばが市街地であるにもかかわらず,透き通って川底が見えるくらいです.どうしてこれだけの水質を保っていられるのかというと,それにはちゃんとした理由があります.

 柿田川の水は富士山の雪解け水が地下にもぐりこみ,岩盤内でろ過されてきれいな水となって低地に向かい,清水町内の湧水地点で一気に地上に出て川となるからです.大抵の川は山間地の源流では水質が良くても,中流域・下流域と下るにつれて,さまざまな要因で水質が劣化していきます.普段は比較的水質がよい河川であっても,上流で大雨が降ったりすると一気に下流域で混濁してしまうケースもあります.これに対して柿田川は,上中流域が常に地下に潜っていることで水質が劣化することなく下流域に達するため,常に清流が保たれているわけです(なので地表に出ている柿田川は全長で1.2キロほどしかありません).

Img_7165 Img_7163 (左)市街地そばとは思えない景色,(右)柿田川の湧水ポイント

 そんな柿田川の湧水地点が柿田川公園となっているのです.園内の展望台からは湧水スポットや周辺の景色を楽しむことができました(市街地そばにあるとは思えないような景色が広がっています).この日は日曜日ということもあって,地元の方々と思しき家族づれの姿を見かけました.

Img_7154 Img_7151(左)青々とした水をたたえています,(右)早咲きの桜が咲いていました

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2021年2月 4日 (木)

歌劇「ラ・ボエーム」

Img008_20210205110001  ちょっと時間が経ってしまいましたが,1月31日の日曜日に東京文化会館で行われた藤原歌劇団のラ・ボエーム公演を鑑賞してきました.1896年にイタリアのレージョ劇場で初演されたプッチーニの代表作のひとつです.内容を一言でまとめると19世紀前半,パリの下町の青春群像です.

 実はこのオペラ,主要登場人物がすべて平凡な庶民であるという点で特記すべき作品です.それまでのオペラの登場人物というと,将軍とか国王,貴族,お姫様など社会の上層部の人物でした(主人公がそうでない場合でもかならずそれらの人物は登場した).しかしこのラ・ボエームは主要6人全てが若い芸術家の卵らパリの下町の住民です.本当にその辺の路地裏に転がっていそうな青春模様が繰り広げられるオペラです.19世紀末から20世紀初頭はこうした市井の人々をメインにしたオペラが数多く作られた時代で,レオンカヴァッロの道化師やマスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナといったいわゆるヴェリズモオペラが有名です.

 ラ・ボエームは全4幕構成,典型的な起承転結のスタイルを取っています.第1幕は貧しい若者たちの他愛のない共同生活から始まり,詩人ロドルフォとお針子ミミの出会いと恋の始まりが描かれます.

 続く第2幕はクリスマスイブ,大勢の人出で賑わうカルチェラタンが舞台です.若者たちがカフェで飲み食いしているうちに,画家マルッチェッロのかつての恋人ムゼッタが登場,いろんなドタバタがコミカルに描かれる楽しい幕となっています.

 第3幕は打って変わって寒い雪の早朝、若者たちに恋するだけでは生活ができないという厳しい現実が突きつけられる幕です.すでに病に侵されているミミを,どうしてあげることもできないロドルフォは彼女との別れを決意します.

 そして最後の4幕は,元の共同生活に戻った芸術家たちの生活が描かれる前半,愛するロドルフォのもとに戻ってくるミミのいじらしさと悲しい死別が描かれる後半に分かれます.全編とにかくプッチーニの甘美な音楽と合わせて本当に泣けます(開演に先立って行われる折江忠道総監督による作品解説でも「ボエームは3大泣けるオペラのひとつです(あとの二つは蝶々夫人と椿姫)」と力説していました).

 今回はコロナ対策ということもあって,歌い手は全員フェイスシールド着用,特に人が密集する2幕では合唱を歌い手は前に出ない,子供合唱部分は事前の録音等演出上の工夫がされていました.なにはともあれ,やっぱり泣ける作品だと実感しました.

Dsc_1519  終演後は会館近くの佐渡島料理のお店で夕食(感染対策のため個室)をいただき帰宅の途に就きました.

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2021年2月 3日 (水)

2021年の立春

Dsc_1520  今日は二十四節気のひとつ立春です.ここ20年以上ずっと2月4日がだったので,日付固定日なのかと思っていた方もいるかもしれませんが,立春は太陽黄経(天体をひとつの球とみなした場合の太陽の位置)が315度になった瞬間が属する日とされるため今年は2月3日となります.ちなみに今年太陽黄経が315度になるのは日本時間で2月3日23時59分!惜しくも1分差で2月4日になれなかったわけです.

 立春という名前からはここから春が始まるような雰囲気を感じますが,実際日本では2月初旬は1年でもっとも寒い時期です(陸別町のしばれフェスティバルもこの時期に開催).ただ北国ではこの頃から昼の長さがどんどん長くなり,関東以西では梅が咲き始めるなど春の予感を感じる時期ではあります.

 ところで,立春に対する言葉として立秋があり,こちらは8月上旬にあります.そして立秋を境に暑中見舞いから残暑見舞いに変わることは良く知られています.一方暑中見舞いに対して寒中見舞いというのもありますが,今日立春を過ぎたらどうなるんでしょうか? 残暑に対して残寒という言葉は聞いたことがありません(もちろん残寒見舞いをもらったこともない).

 じゃあそういうものはないのか,と思って調べたら余寒見舞いというのがあるようです.残暑という言葉からは,お盆ごろの蒸し暑い雰囲気が感じられます.これに対してもしも残寒という言葉を使うと,なんか本当に凍えそうな雰囲気です.それに対して余寒なら,まだ寒さが残っている(余っている?)ものの徐々に暖かくなっていくニュアンスが感じられて良いです.微妙な季節感をうまく表現する日本語の機微が感じられる言葉だなあと思いました.

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2021年2月 1日 (月)

2月になりました

 いよいよ今日から2月です.節分から立春を経て,関東以西では梅が咲き始めるなど徐々に春めいてくる季節です.思い起こせば昨年2020年のこの日は北海道陸別町のしばれフェスティバルに参加していました.また一昨年2019年のこの日はザルツブルクのモーツァルト週間に参加しエジプト王タモスの舞台を鑑賞していました.ここ数年活動的な時期だったわけですが,今年は特に遠出の予定はありません(国の緊急事態宣言も継続しそうだし).

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(左写真1)2020年2月1日しばれフェスティバル命の火,(右同2)2019年2月1日モーツァルト週間にてエジプト王タモス

 そんな2021年2月1日,東京日野市の観光協会からひとつの発表がありました.

 第24回ひの新選組まつり 開催内容変更のお知らせ

 記事によると今年の5月に開催予定の第24回ひの新選組まつりにおいて,隊士パレードは行わないことが決定したそうです.祭りそのものは開催の方向で進んでいるようで,どういう内容になるか今後検討していくとのことです.

22hino05 (写真3)第22回ひのパレのひとコマ

 屋外とはいえ集団が集まって勝鬨を挙げるイベントですから,未だ感染症の先行きが見えない状況ではやむを得ない判断だと思います(まさか隊士全員マスクして無言で黙々とパレードなんてありえないですし💦).

 そんなわけでパレードは2年続けて中止,かくして自分にとってのひのパレは今後さらに1年以上2019年第22回の勝海舟のままアップデートされない模様です.

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