元禄赤穂事件
今日12月14日は江戸時代の1702年(元禄十五年),太平の世を騒がせた大事件「赤穂浪士の討ち入り」が起こった日です(正確には旧暦なので新暦の12月14日とはやや時期がずれる).
良く知られているようにこの事件には伏線があり,前年元禄十四年3月14日に赤穂藩主浅野長矩が江戸城松之廊下で高家筆頭吉良上野介義央に突然斬りつけるという刃傷事件が発生,当時江戸城では朝廷からの使者を迎える儀式の最中だったこともあり(浅野長矩自身が朝廷からの勅使を饗応する役だった),将軍徳川綱吉は激怒,長矩は即日切腹となりました.一方で吉良は抵抗しなかったことからおとがめなしとされたのです.この不祥事の結果赤穂浅野家は改易となってしまいました.
件の討ち入りは一般にこの長矩の仇を討ったということで義挙とされています.この話は当時の庶民の間で評判となり,人形浄瑠璃や歌舞伎の演目となって人気を呼びました.仮名手本忠臣蔵はその代表作品です.近代以降のこの話を取り上げた映画やテレビドラマは数多く,NHKの大河ドラマでもたびたび取り上げられています(1964年「赤穂浪士」,1975年「元禄太平記」,1982年「峠の群像」,1999年「元禄繚乱」).
しかしながら歌舞伎やドラマの内容は史実そのままではありません.現代的な視点で考えればあの日の討ち入りは,深夜武装した集団が民家を襲撃し,そこの主人と使用人を一方的に殺害した恐るべきテロ事件ということになります.主君の仇を討ったという点も,浅野長矩は吉良義央に殺されたわけではないのでそもそも仇ではないという議論になります.この事件に関しては近年かなり研究が進んだこともあって,従来の浅野=善,吉良=悪 という構図では語れないことが知られるようになっています.そのせいか特に21世紀に入ってからは赤穂浪士をテーマにしたドラマ等はかなり減ってきているようです(今の若い人の中には知らない人も).
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