楽聖と楽仙
唐の詩人に杜甫と李白という人物がいます.どちらも8世紀の玄宗皇帝の時代,いわゆる盛唐と呼ばれる時代に活躍した詩人です.
杜甫は自身の科挙受験の失敗や,王朝を揺るがした安史の乱による家族の離散や社会の混乱といった経験からか,世の中の実相を鋭く見つめた詩が多くあります.その人物像も眉間にしわを寄せた苦悩のイメージがあり,今では詩聖と呼ばれています.彼を代表する詩が春望で,江戸時代の俳人である松尾芭蕉の「奥の細道」にも引用されているのでご存知の方も多いでしょう.
国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し (以下略)
一方の李白は杜甫とほぼ同時代(10歳くらい年上)に活躍した詩人です.西域の出身といわれ,長じて都の長安に出て一時は玄宗の宮廷で詩を作っていましたが,その自由奔放な性格が災いして都にいられなくなり晩年は各地を放浪することになります(最後は酔って,水面に映った月を取ろうとして溺れたという伝説もあります).ただそんな境遇であっても詩には悲壮感はなく,その作風から詩仙と呼ばれています.彼の代表的な詩が「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」です.
故人西辞黄鶴楼 故人西の方、黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州 煙花三月揚州に下る (以下略)
さて,杜甫の詩聖という言葉を聞いて連想するのが,音楽の世界で楽聖と呼ばれるベートーベンです.
交響曲から小品まで数多くの名曲を世に出した一方で,私生活では飲んだくれの父親や不良の弟など家族のことで苦労し,その肖像画でも眉間にしわが寄っているところは何となく杜甫に通じるものがあって楽聖という呼び方は言い得て妙という気がします.
というわけで,楽聖といういい方があるのなら楽仙というのはないんでしょうか.残念ながら世間ではそういうのはないようですが,あえてふさわしい人物を探すとすると… 思い当たる人物は一人しかいません.
あふれ出る才能で数多くの名曲を書いた一方で自由奔放で善良そうな性格は,水面の月を追い求めそうなイメージです.モーツァルトというと晩年は貧乏で借金というイメージを持ってる方もいるようですが,晩年のモーツァルトも結構収入は多く,ただ収入以上に支出が多かったために借金をしていたというのが実際のようです(年収2000万円の人が3000万円使って借金漬けというイメージ (+o+)).そういえば年が十数年,聖より仙の方が上というのも共通です.今日1月27日はそんなW. A. モーツァルトの誕生日なのでした.
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