元禄赤穂事件と南極
12月14日は元禄赤穂事件の日です.元禄十五年のこの日,大石内蔵助をリーダーとする赤穂浪士47名が江戸郊外本所松坂町にある吉良義央の屋敷を襲撃し,その首を挙げました.後に人気となった歌舞伎や浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」の元ネタとなった事件です.この仮名手本忠臣蔵をベースに現在に至るまで何度も映画やテレビドラマなどに取り上げられていることから,歴史に興味ない人であっても,「ああ,あの事件か」とわかっていただけると思います.
映画やドラマでは赤穂浪士=義士,吉良義央=悪者のイメージが定着していますが,それはあくまでもフィクションであり,すべてが歴史的事実ではないのは言うまでもありません(この辺は羅貫中の「三国志演義」や司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでこれを史実だと勘違いするのに似ている).たとえばこの事件を現代的な視点で見れば,「非合法の武装集団が深夜,郊外の個人宅を襲撃してその主人と使用人を殺害した」という恐るべきテロ事件ということになります.主君の仇を討つということが大義名分に掲げられていますが,そもそも仇となるようなことが本当にあったのかも実はよくわかっていません.ただ当時の世論が浪士たちに同情的だったのは確かなようで,結局幕府は浪士たちに切腹という名誉ある死を与えることになります.
そんな12月14日ですが,世界史的には人類が初めて南極点に到達した日として記憶されています.その偉業を達成したのはノルウェーの探検家ロアルド・アムンゼンを隊長とする5人の隊であり,時に1911年12月14日でした.このアムンゼン隊の栄光の一方で,イギリスのスコット隊の悲劇もよく知られています(アムンゼンに遅れること約1か月,1912年1月17日に南極点に到達したものの,帰路全員が遭難死した).
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