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2019年11月29日 (金)

セリ鍋の会2019

 いろいろあって学生時代が長かった私,その前半を過ごしたのが仙台です.ここで大学合唱団に所属してしまったのが運の尽き(笑),今の趣味に至っているわけです.

 そんな仙台での学生合唱団時代の仲間がこの時期に集まるセリ鍋の会が昨晩行われ,参加してきました.会場は神田にあるすりみやさん,一昨年・昨年もお邪魔したところです.

Img_3368(写真1)セリです

 なんでセリ鍋なのかという声が聞こえてきそうですが,実はセリは仙台地方の隠れた名産だからです(特に仙台の隣りの名取市が一大産地らしい).私が学生時代にはそんな料理が存在することも知らなかったんですが(というか存在したのか?),最近徐々にメジャーになってきているようです.この日はコース料理で,サラダから始まって竹輪,おでん,そしてセリ鍋と進んでいきました.出汁が沸騰し始めたところに鶏肉を投入,その後セリを放り込みます(肉とセリ以外の具材はありません).特にセリの根っこの部分がシャリシャリして美味しいんです(根っこは1分30秒,葉っぱはすぐに食べるのがポイント).みんなあっという間に食べてしまい,追加のセリまでいただきました.お酒は当然宮城の地酒,一ノ蔵&浦霞です.この日は飲み放題コースだったのでしこたまいただいたのは言うまでもありません(とはいえ昨年のこの会で帰路寝過ごして熱海まで行ってしまった反省を生かし,やや酒量はセーブした 笑).

Oden Chikuwa Serinabe (左写真2)おでん,(中同3)竹輪(きりたんぽではありません 笑),(右同4)セリ鍋

 今年の参加者は17人と過去最高を記録(昨年が11名、一昨年が13名),さらに平成期に入団した方も参加するなど世代の広がりも見せてきています.この会でしか会えない人も多いので,お互いの近況や懐かし話に花が咲きました.また来年が楽しみです.

 

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2019年11月26日 (火)

肉を食う

 11月はなかなか家に寄りつけないほど忙しい日々が続いていました.それでも最終週に入って少し余裕が出てきたこともあり,昨夜はウチのKと行きつけにしている焼肉スエヒロさんに行ってきました.場所は箱根湯本駅ほど近くです.

 毎度,焼肉にするにはもったいないようなお肉が出てきます.

76907122_2646577212106294_39071551610379 76773175_2646577218772960_30076770995876

 当然のようにワインと一緒にいただきました(魚もいいけど肉もいいな😃).美味しかったです!

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2019年11月24日 (日)

喜歌劇「天国と地獄」

Img028  11月21日木曜日,この週後半に日生劇場で開催中の東京二期会オペラ,喜歌劇「天国と地獄」公演に行ってきました.

 このオペレッタはオッフェンバックの作曲で1858年にパリで初演されたものです.原題は「地獄のオルフェ」,当時リヴァイヴァルブームが起こっていたグルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」のパロディで,本来は最愛の妻エウリディーチェの死を嘆いたオルフェオが地獄に彼女を向けに行くお話だったものを,お互い愛人を持つなど冷え切った関係でありながら世間体を気にして別れられない夫婦の話に改変されています.ナポレオン3世治世下のパリで大成功を納め,オッフェンバックの代表作のひとつとなっています.オペラそのものを知らない人でも,序曲の最終部分は聴いたことがあるのでないかと思います(自分の世代だと小学校の運動会に必ずかかっていた).ただ,有名な割にはオペラそのものの上演頻度は低いのが現実で,私自身も生鑑賞は過去に1回しかありませんでした(その1回が1991年の弘前市民オペラ).今回はその時以来の何鑑賞ということで楽しみにしたものです.二期会オペラはダブルキャストによる4回公演が定番でなんですが,今回は木曜土曜版の方に行きました.

 オリジナルはフランス語なんですが,今回はアリア等含めてすべて日本語上演でした(セリフ部分は日本語というパターンは「魔笛」や「こうもり」などでもよくありますが,二期会クラスで全編日本語は珍しいかも).演出は鵜山仁氏で指揮者は大植英次氏,天国系は白,地獄系は赤をメインカラーにした演出,非常に楽しい公演でした(個人的にはプルートの雰囲気がブッダっぽくて,イエスっぽいジュピターと併せて聖☆おにいさんを意識しているのかなどと思った).

 それにしてもこの作品の上演頻度の低さの訳って何なんだろう? 同じオペレッタでも「こうもり」はそれこそ各地で頻回に上演されているのに…(オッフェンバックとシュトラウスの政治力の差か 笑).そんなことを考えた11月下旬でした.

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2019年11月20日 (水)

中央アジア旅行記4 ~地獄の門編~

 明けて10月6日,この日目が覚めた6時20分だった.そろそろ現地時間に順応してきたなと感じる.荷物の整理をして7時半に朝食会場へ(昨日の夕食と同じところ).簡単なビュッフェスタイルだが,目玉焼きだけは強制的に全員分出てくるらしい.昨日のゆで卵同様やっぱり黄身が白かった(黄身の色はカロチノイド色素に由来するので,おそらく餌の違いだろう).朝食後は荷物出しのために部屋に戻り,その後ロビーへ,そのまま朝9時にホテルを出発した.

Pa060070 Pa060071 (左写真1)朝の目玉焼き(黄身が薄い),(右同2)ホテル階段の踊り場

 バスは国境に向かって進む.途中ガイドさんが現地の学校の話をしていた.約45分で国境事務所?に到着,ガイドさんとはここでお別れである(後日ウズベキスタンに戻ってきたらまた一緒になるらしい).事務所の入り口で係員にパスポートを見せ中に入る.税関はあるんだかないんだかわからない状態で,そのまま出国審査場へ.我々が並んでいたら現地人が割り込んでくる(我々が日本人だからとか関係なく,割り込みはよくないという概念すらない感じ.まあ文化の違いといえばそれまでだが…).割り込まれないよう添乗員さんが必死に防御してくれたが,結局何人か割り込んできた(その手口は傍から自分のパスポートを窓口に投げ込むパターン.係員もしょうがないと思うのか,数人やり過ごした後でスタンプを押して返してよこす).

Pa060494 Pa060082 (左写真3)国境に向かって走る,(右同4)国境事務所が見えてきました

 割り込みにイラっとしつつも,そんな感じで出国手続きは完了,ウズベキスタン側の建物を出る.出口でもパスポートチェックがあった(ちゃんと出国スタンプが押してあるか確認している感じ).その先は緩衝地帯,どちらの国でもない地帯なので,各自荷物を引きずって歩いていく.200メートルほど行くとトルクメニスタン側の建物に到着した.ここでも入り口でパスポートチェックを受ける.やはりウズベキスタン側の出国記録があるか確認しているようだ.チェック後建物に入る.

 ここで行われるのは,まずは体温測定,日本の空港の検疫だとサーモグラフィーで監視なのだが,ここは係員が一人一人の額に赤外線を当てて測定するパターンだった(36.3℃だった人が高いなと言われたらしい 笑).この日は参加者全員元気だったので,ここはサクッと終了,次が入国審査の順番となる.窓口は2つくらいあるのだが,やっているのかやっていないのかわからない状態でごった返している.どうなっているのかと不安になっていたら,ここでトルクメニスタン側の現地ガイドが登場,ガイドがここまで入って来られることに驚く一方で,やや安心できた.ガイドさんは一同にタバコのもちこみはないか,強い薬(と日本語で言っていたが,要は麻薬のことである)を持っていないかと確認していた(タバコはともかく,麻薬持ち込んだら大変なことになるだろう).

 一同並んで審査を待つのだが,なかなか列が進まない.先頭は何やってるんだろうと思って見たら,入国税(?)みたいなのを払う手続きをしてるっぽかった.それが終わってようやく手続きが始まる.ここはアメリカの入国審査と同様で,両手親指の指紋押しと顔写真撮影が行われる.ただ特に質問はされないので,順番に流れていく感じだった.その次が荷物のX線チェックと人間の金属探知機の番である.荷物チェックと人間チェックが並行して行われるのだが,その先に税関の手荷物検査台があって,そこが律速段階になるのでなかなか進まない.かなり待ち時間があったが,それでもようやく自分の順番が来た.靴まで脱いでゲートを通るがブザーが鳴ってしまう.やり直しかと思ったが,係員は全く気にする風でもなく,そのまま先に行くよう促された.その次が税関,ここでは全員荷物を開けられる(昨年のボリビアからチリへの入国を思い出す).自分は特に問題なく通過できた(他のメンバーには結構念入りに調べられた人もいたらし).税関を抜けた先で一同とりあえずそのまま待機し,全員通過するのを待つことになった.

 長い待ち時間でトイレに行きたくなったのだが,行ってみたら男子トイレにはなぜか鍵がかかっている.周囲に係員もいないため,仕方なく見張りを立てて女子トイレを使った(笑).そうこうしているうちに全員揃い,トルクメニスタン側の国境事務所を出る.ここで最後のパスポートチェックがあった.時計を見たらこの段階で11時,すごく時間がかかった印象だったが,実は1時間15分しか経っていなかった.

Pa060500(写真5)クフナ・ウルゲンチの市場

 事務所の門を出たら,6台の四駆が停まっている.ここからしばらくはこれに分乗して移動することになるらしい.添乗員さん作成のくじを引いて席を決める.自分たちは3号車だった.日程表によれば,まずレストランで昼食の予定だったが,今非常に混雑しているとのことで最初にクフナ・ウルゲンチの観光をすることになった.ここは中世12~13世紀にこの地に栄えたホラズム王国(ホラズム・シャー朝)の都だったところである.当時はアムダリヤ川がこの地を流れていたこともあり,シルクロードでも最大規模の都市のひとつとして栄えたが,13世紀前半(1220年代)にチンギス・ハンの遠征軍によって破壊される.その後再建されたものの,14世紀後半にチムールの侵攻によってふたたび破壊され,さらにアムダリヤ川の流れが変わってしまったことから,結局街自体が放棄されるに至ったのである.ちなみにクフナ・ウルゲンチというのは旧ウルゲンチという意味であり,アムダリヤ川の流れが変わった後,河畔に新しく作られたのが,ウズベキスタン側にあるウルゲンチ市である.チンギス・ハーン&チムールという中世中央アジアの2大征服者によって破壊されたクフナ・ウルゲンチには往時の姿はなく,現在はミナレットや廟などの一部遺跡を残すのみである(それでも2005年にユネスコの世界遺産に登録された).

Pa060505 Pa060523 Pa060515 Pa060518 (左上写真6)14世紀建造のトレベクハニム廟,(右上同7)内部の装飾,(左下同8)ドームの装飾がイスラム的です,(右下同9)現地の方が次々に写真を撮りたがります(笑)

Pa060550(写真10)11世紀に造られた中央アジア最大規模のミナレット

 そんなクフナウルゲンチであるが数は少ないものの残された遺跡はあり,代表的なのが11世紀に造られたという高さ60メートルのクトゥルグ・ティムール・ミナレットや14世紀に建造されたトレベクハニム廟(ここはクフナ・ウルゲンチの遺跡では最大規模),青鉛筆を彷彿させるスルタン・テケシュ廟などがかつての栄華を偲ぶことはできる.比較的こじんまりとまとまっているので徒歩で観光したのだが,この日は日曜日ということもあるのか大勢の観光客で混雑していた.とはいえ外国人は少数派で現地人が圧倒的に多い(まだまだ観光はこれからのお国柄).特に現地人女性はみなカラフルな民族衣装に身を包んでいる(美人が多いという印象).彼らはとても人懐っこくて,外国人を見ると一様にスマホを出してきて一緒に写真を撮ろうと声をかけてくる.とりあえず多くの国民にスマホが普及している模様である.

Pa060570 Pa060576 Pa060594 Pa060563 (左上写真11)青鉛筆みたいあ趣のスルタン・テケシュ廟,(右上同12)イル・アルスラン廟,(左下同13)キャラバンサライの門,(右下同14)ミナレットを背景に記念撮影

Pa060607(写真15)昼食のレストラン

 約1時間ほど観光したのち昼食のレストランへ向かう. トルクメニスタンに入国して最初の食事ということで期待が高まる.着いた先は外観は地味な感んじのレストランだった.この日のメニューは麺(軟らかくてコシのない病 院のラーメンっぽい)入りスープ,チキンライス,デザートにスイカとメロンだった.どうやらデザートのスイカ&メロンはウズベキスタンとトルクメニスタン両国共通らしい.パンとサラダがついてくるのも一緒だった(それにしてもこの日はパン,ライス,麺と炭水化物祭り 笑).ちなみに飲み物ではビールもあったらしいが,我々がトイレに行っているうちに注文しそこなったのであきらめた(この国はワインは高いらしい).食後に薄い紅茶が出るのもウズベキスタンと一緒である(ちなみにこの辺では紅茶はサービスで付いてくるがコーヒーは別料金).

Pa060603 Pa060604 Pa060606 (左写真16)麺入りスープ(味はやや韓国系),(中同17)サラダ,(右同18)チキンとライス

 食後ははやくも今回の旅行のハイライト,地獄の門のあるタルヴァサに向かう.全行程は280キロらしい.クフナ・ウルゲンチを出発してしばらくは路面状態が非常に悪く道のあちこちに穴が開いている.ソ連時代以来修復されていないんじゃないか状態だ.2007年に訪問したマダガスカルを思いだして先が思いやられたが,徐々に状態が良くなり,途中の集落(クフナ・ウルゲンチから地獄の門までに存在した唯一の集落,名前は不明)を過ぎた頃からはほぼ100〜120キロで快走できるようになった.ふと見たらアシガバードへ440キロという案内標識が見えた.

Pa060608(写真19)出発当初はひどい道

 この頃から周辺は徐々に砂漠の様相を呈し始め,あちこちにラクダの姿も見られ始める.これがトルクメニスタン国土の大半を占めるというカラクム砂漠である.日本人一般がイメージする砂漠の姿というと,一面見渡す限りの砂という砂丘のような光景だと思うが,実はそんな砂漠は世界的にはナミブ砂漠など少数派で,普通の砂漠は砂と言うよりも乾いた土と石が転がり,背丈の様々な草が適当に生えているイメージのところが大半である.このカラクム砂漠もそんな感じだった.

Pa060631 Pa060615 (左写真20)砂漠をひた走る,(右同21)青空トイレの時間

 町を出発して約2時間,青空トイレ休憩となる.昨日はヌクスの町近くで場所探しに苦労したがこの日はどこでもトイレし放題である(笑).その後も砂漠をひた走っていく.景色の変化も少なく眠たくなってくる時間帯である.途中ガスリンスタンドみたいなところに停車,これはドライバーさんたちの休憩スポットらしい.便乗して我々も降りる.ここには売店もあって参加者の一人はアイスクリームを買って食べていた.10分ほど休んだ後で出発,さらに砂漠をひた走った.

Pa060635 Pa060638 (左写真22)いよいよ迫ってきました,(右同23)夕暮れのカラクム砂漠

 陽が徐々に西に傾き,夕方の様相を呈し始めた頃,車はメイン道路から脇に逸れ,砂漠の中に入っていく.ここは四駆でないと無理そうな道だ(というかここがあるためにこの日は四駆に分乗しているというウワサ).そんな砂道を15分ほど走ると開けたところに出て,何やら柵に囲まれた場所が見えてきた.よく見ると柵の中が赤く光っている.「おおっ!あれが地獄の門か!」と感動する瞬間である.四駆はその脇をかすめ,やがてテントがたくさん立ち並ぶ場所についた.

Pa060643(写真24)地獄の門そばのテントサイト

 ここが本日我々の宿泊施設である.ここはテントサイトを中心にシャワールーム(ただし水のみでお湯は出ない),トイレ(結構まとも)が設置されていた.自家発電による照明設備もあって深夜12時ごろまで付いてるらしい.事前情報ではここには電気がないということだったが,どうやら3か月ほど前にベルディムハメドフ大統領がここを訪問したらしく,その際に設置されたものらしい(同じように地獄の門にも柵が設置された).どのテントを使うかはくじ引きで決定,1人用テントとはいえ,なんとか2人入れるサイズだったので,我々は1つを物置用にして,もう1つのテントを寝室用にすることにした.テントには各自寝袋の他にマットも用意されているのが有難い(マットがないと夜の底冷えがキツイので).簡単に荷物の整理をしてその後夕食タイムになる.

Pa060645 Pa070648 (左写真25)夕食会場,(右同26)犬がいます

 この日の夕食は近くの大型テント内にイスとテーブルが設定されていた。旅行会社によってはここの夕食はバーベキューとなっているケースもあるが,今回は係員が別なところで焼いた肉を提供するスタイルだった.メニューはトルクメニスタンでは定番のパン,きゅうり,温かいスープ,焼きたてナンと係員が焼いてくれる肉(ラムとチキン,ラムは意臭みもなく美味しい),そしてフルーツ(スイカとメロン)である.飲み物としてミネラルウォーターが付いていたが,この日はビールも注文する.係員に「とても冷たいビール」と「まあまあ冷たいビール」どちらがいいと言われ,まあまあの方を選択したらぬるいのが出てきた ( ̄▽ ̄).それはあんまりなので結局非常に冷たいビールに変更した.食事が始まると我々の周囲には2頭の子犬がやってきた.ここで飼われている犬らしいが,どうやら我々の残飯を狙っているようだった(笑).

Pa060084 Pa060088 Pa060091 (左写真27)スープ,(中同28)焼き立てナン,(右同29)肉です

Pa070749(写真30)炎と煙が見えてきました

 夕食後はさっそく地獄の門に向かう.大統領のおかげて照明が付いたので足元は楽だ(付近にラクダも生息していて,彼らの落し物があちこちにあるので,照明がないとそれを踏んでしまう恐れがある 💦).テントサイトから既に赤い炎がうっすらと見えているのだが,近づくにつれてどんどん大きくなってくる.約5分ほど歩いてとうとう地獄の門に到着した.目の前に巨大な穴が開いており,その中に赤々と炎が上がっている.おおっ!写真で見た光景と一緒だ(←当たり前).

Pa070653 (写真31)ついに着ました!地獄の門

 ついにここまっで来たんだ!と感動の瞬間である.自分的には密かにしばれフェスティバルの命の火的な光景を想像していたのだが,来てみたらやっぱりそうだったので嬉しい.砂漠の真ん中で炎が上がっている光景はやっぱり凄い.その一方で,この炎はすべて天然ガスだから,ここで燃えている分で一般家庭何世帯分のガスになるんだろうなどと庶民的なことも考えてしまった.

Pa070687 Pa070662 (左写真32)最近柵ができました,(右同33)記念撮影

 ちなみに地獄の門には柵が設置されている.ガイドブックには柵がない写真が載っているが,最近大統領が訪問した際に照明と一緒に取り付けられたらしい(自己責任で柵の内側に入り込んでいる人は多かったが,ここで自撮り棒なんか出して夢中になると本当に転落して地獄の業火に焼かれる危険性は高い).

Pa070683 Pa070702(左写真34)赤富士です(ウソです 笑),(右同35)魔笛の火の試練

 周囲を一周した後は現地ガイドと付近の小山に向かう.丘レベルの小山なのだが,山頂付近が地獄の門の炎の反射で赤く光り,赤富士っぽい雰囲気を醸し出していた(暗闇の中にうっすらと赤い山が映る光景から,かなり遠くにあるのかと錯覚したが実はすぐそばにある).山頂に上ると,地獄の門の全景が見下ろせてこれも素晴らしい景色だった.その後も,記念写真の他,魔笛の火の試練の写真やドン・ジョバンニの地獄落ちのシーンを撮ったりして遊んでいるうちに時間は過ぎ,気が付いたら23時近く,付近には誰もおらず貸切になっていた.

 心置きなく地獄の門を堪能した後はテントに戻る.この頃から気温が下がってきたのか寒く感じる(さすが砂漠だ).水シャワーは厳しいのこの日は清拭で代用,その後日本から持ってきた日本酒で乾杯した.しばらくしたら12時を過ぎたのか,発電機の音が消え周囲が真っ暗になった(テントから外をみたら星が綺麗).ほろ酔い気分のまま寝袋にもぐりこんだ(夜中に犬の鳴き声がして結構うるさかった).

 

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2019年11月18日 (月)

日本旅行医学会東京大会

 昨日,東京新宿区で開催された日本旅行医学会の第12回東京大会に参加してきました.

Img_5831  旅行医学とは「人の移動の安全と快適性を高める医学」と定義されています.旅行好きな医師である自分が水を得た魚になるような学会です.当然のように入会して認定医も持っています.この学会は年1回春に開催される大会(いわゆる総会)の他に,サマー医学セミナー(旧登山医学セミナー),ワクチンセミナーなどがあるんですが,毎年秋に行われているのが東京大会です.これはその時旬の話題に加えて,会員発表の場が設けられているのが特徴です.今回は合計8題の会員発表がありました.

 一方で教育講演として行われたのが3題,そのうち2題が薬物をテーマとしたお話でした.つい数日前某有名芸能人逮捕のニュースが駆け巡り,タイミングとしては絶妙でしたが,もちろんこれは偶然の一致です.1題目は「薬物依存の現状と治療について」というテーマで,講師は精神科医の松本俊彦氏,2題目は「薬物乱用に関する最新海外事情」というテーマで,講師は薬学者の舩田正彦氏でした.前者は日本における薬物依存の現状と治療現場の様子が,後者では特に最近話題になっているアメリカやカナダでも大麻の合法化とその実情について詳しく聞くことができました.この辺の話題はとかくテレビのワイドショーなどで興味本位に取り上げられたりするんですが,そうしたものとは異なるエビデンスに基づく系統的なお話は大変印象的でした.

 そのほかの教育講演では近年世界的な流行が問題になっている梅毒のお話がありました.こちらも梅毒診療の第一人者である井戸口一朗氏による講演で,梅毒診療にかける熱い思いを強く感じる(笑)講演でした.こうした第一人者の先生方ってあちこちで講演をされているせいか,話が面白くて飽きさせないのが凄いです.久しぶりに充実した公演を多数聴けた一日でした.

 たくさん勉強した後は新宿の小田急百貨店12階のキンカウーカへ.久しぶりに生牡蠣とワインをいただいたのでした.

Img_5832 Img_5833 (左)生牡蠣6ピースセット,(右)牛フィレ肉のロッシーニ風

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2019年11月15日 (金)

歌劇「ドン・パスクワーレ」

Img025  芸術の秋です.思うに秋から冬にかけてオペラなどのコンサートシーズンが始まるのは,日照時間と関係があるように思います.特に緯度が高いヨーロッパでは夏は9時ごろまで明るい一方で,冬になると日照時間は極端に短くなります.そんな長い夜(松山千春ではない)の楽しみとしてコンサートが盛んになったのではということです.そんな秋も深まった今週の月曜日,新国立劇場で公演中の歌劇「ドン・パスクワーレ」を観劇してきました.なかなか上演される機会の少ない作品ですが,2年目を迎えた大野和士芸術監督がいよいよ本気を出してきたシーズンの2作目ということで期待して出かけました.

 このオペラは19世紀前半のイタリア・オペラを代表する作曲家の一人であるドニゼッティによる喜劇作品です.資産はあるがケチな老人(ドン・パスクワーレ)が若い娘と結婚しようと画策するものの,周囲に邪魔され揶揄されるという内容です.ドニゼッティの喜劇といえば「愛の妙薬」が有名ですが,やや牧歌的な雰囲気を醸し出している「愛の妙薬」に比べると,この「ドン・パスクワーレ」の方がより古典的なオペラ・ブッファらしい内容です(ロッシーニみたいな感じ).しかしながら作曲年代でいえば,前者が1832年に作曲されたのに対し,後者は1842年(初演が1843年)とドニゼッティとしては晩年の作品です.19世紀イタリアの大作曲家ヴェルディがすでに作曲活動に入っている時期であり,「ドン・パスクワーレ」が作曲された1842年は,奇しくもヴェルディ最初の傑作である「ナブッコ」が作曲された年でもあります.

 そんなオペラ史の転換期にどうして古風なオペラ・ブッファをと感じます.しかしこの作品,一見すると単に身の程知らずの老人がやっつけられて終わるというセビリアの理髪師のバルトロ的なノリのように見えながら,作品をよく聴くとドン・パスクワーレの哀愁や彼をやっつける娘(ノリーナ)の微妙な情が表現されるなど,ロッシーニ時代とは違う,革命を経て人間性が重視されるようになった時代の作品であることがわかります.

Img_5824  で,実際の演奏ですがタイトルロールのドン・パスクワーレを歌ったロベルト・スカンディヴィはヴェルディ作品にもよく出演している方ですが,本作ではまさにブッフォ・バスの重厚な歌がさすがでしたし,小悪魔的なノリーナを歌ったハスミック・トロシャンも伸びやかな若さを感じさせる声でした.そして自分的にはエルネスト(ドン・パスクワーレの甥)役のマキシム・ミロノフの軽い,まさにレッジェーロという感じの声が良かったです.前述のようにパスクワーレとノリーナがやや情を表現する役だけに,エルネストの若い素朴な明るさは彼らとの対比がしっかり出ていてよかったと思います.また3幕のみの登場でしたが,新国立劇場合唱団はやっぱり迫力が凄いです.

 とまあ,とりあえず満足したドニゼッティオペラでした.

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2019年11月10日 (日)

中央アジア旅行記3 ~アラル海編~

 10月5日の朝を迎えた.いよいよこの日から本格的な観光が始まる.この日の予定はウズベキスタン西部,カラクルパクスタンの中心都市ヌクスに飛び,そこからアラル海のかつての港町ムイナクを観光である.起床時間は4時だったが,最初に目が覚めたのは3時過ぎ,まだ大丈夫だと2度寝した.その後4時にアラームがなったため起きる(その4分後にホテルのモーニングコールがなった).眠い目をこすりながら荷物をまとめて4時45分に部屋の外に大きな荷物を出す.窓から外を見たら路面が濡れている.どうやら夜中のうちに雨が降ったらしい(砂漠のイメージがある中央アジアも秋から冬にかけては雨が降る).

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(写真1)この日の朝食(紅茶が出がらしっぽい)

 荷物を出した後ロビーに降りる.当初この日は朝が早いため,弁当という噂だったが一応朝食が提供された.パンとバナナ,ヨーグルトというシンプルなものだったが,温かいのみものもあり,コーヒーのほかブラックティーとグリーンティーと書かれているのもあった.お代わりして両方のお茶を飲んで見たのだが,どちらも出がらしの紅茶っぽかった.昨夜の夕食の際も感じたのだが,こちらの紅茶は基本的に出がらしか?と思うほど薄い.疲れが残っていたせいかあんまり食欲はなかったが食べた.食後他の参加者と雑談する.みんないろんなとこに行っている人ばかりだと感心した.

 5時30分出発という触れ込みだったが,バスが10分遅れてやってきた.昨日とは違うバスだ.早朝の道をスイスイと走り15分ほどで空港に到着した.バスを降りてターミナルに向かうのだが,まずは入り口で荷物チェックがあった.続いて航空会社のチェックインカウンターに向かう途中で2回目のチェックを受ける(この辺は南米の国際線を彷彿させる).ただ搭乗手続きは国内線なので,添乗員さんとガイドさんがやってくれるので楽だ.彼らが戻ってきて搭乗券を配られた(この段階では家族等バラバラなので後で整理するらしい).その後搭乗前の通常のセキュリティチェックに進む.グループの一人の手荷物内にハサミのようなものが映ったらしく,中をチェックされていた。

 出発ロビーはゲートが4つしかなく日本の地方空港レベルの大きさだった(売店やカフェもなし).6時55分の搭乗開始ちょっと前に添乗員さんが作ったくじによって我々の最終座席が決まった.この空港にはボーディングブリッジはないらしく,昨日と同様にバスで飛行機まで運ばれるパターンである.外に出たら小雨が降っていた.タラップを上がって飛行機に乗り込む.この日の機体はエアバスA320,3ー3のシートである.座席に着いたらすぐにミネラルウォーターが配られた.

Pa050058(写真2)ひたすらな荒野です

 定刻よりも10分ほど遅れて飛行機は離陸,一路西に向かう.安定飛行になり飲み物のサービスがあったが国内線なので残念ながら(?)ソフトドリンクのみだった(Kはスプライト自分は水).窓から周囲を見渡すと荒涼とした砂漠地帯が広がっていた.よく見ると向こう側に湖っぽいものが点在しているのがわかる.飛行機はこうした何にもないところを飛んでいく.やがて8時25分頃から降下が始まった.徐々に街が見えてきて8時47分定刻より早くヌクスの空港に着陸した.

Pa050060 Pa050061(左写真3)飛行機を降ります,(右同4)ヌクス空港のターミナル

 例によって飛行機からはタラップで降りる.外に出た瞬間空気がひんやりしているのを感じた.意外に涼しい.そのまま歩いてターミナルに入りまずはトイレに行く(荷物が出てくるのに時間がかかるからというのと,中央アジアはトイレ事情が極めて悪いので,トイレがあるときに済ませるのが鉄則なため).その後ターンテーブルから荷物をピックアップするのだが,幸いロストバゲージになることもなく全員分出てきた.

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Pa050342_20191110235901 (左写真5)バスに向かう一同,(右同6)この日宿泊のホテル・ジョリイ

 全員分が揃ったところで外に出てバスに乗り込む.ここのも大型のバスだった.出発してヌクスのダウンタウンへ向かう.まずはこの日宿泊予定のホテルに行って昼食用弁当を積み込むとのこと.黒いビニール袋入りで見た目は風情がまったくない(笑 中身は後述,ちなみにバス内で食べるのは禁止とのこと).ところでヌクスのあるこの地域はカラカルパクスタン共和国といってウズベキスタンの中でも民族的に他地域とは異なる土地である.ガイドさんによると顔つきも他のウズベキスタン人とは異なると言っていた.

Pa050360 Pa050358(左写真7)ムイナクに向かう道,(右同8)青いモスクが

 それはともかく,続いてはこの日のメイン,ムイナクに向かう.町はあっという間になくなり,周囲は徐々に砂漠に変わっていく.ラクダのすがたもちらほら見られた.周囲には綿花畑もあり収穫している様子も見られる.ガイドさんがいろいろと現地の民俗事情を説明しているのだが,そろそろみんなおやすみモードだった(いろんな話が出てきて興味深かったのだが,一番印象に残ったのが結婚式の話で,この国では結婚式にはたくさんの人を招くこと,都市部ではホテルやレストランで,田舎では自宅の中庭で行われること.だいたい夕方7時ごろに始まり,10時から11時ごろまで続くこと,最後の方になると酔っぱらった男たちが喧嘩を始めるが,まあそんなものだということだった).途中うちのKがいつの間にかバス内に侵入していた蜂に刺されたのだが,「アナフィラキシーになったらどうしよう」などと言っていたが数分経って特に症状が出ていなかったので大丈夫だろうということになった.

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(写真9)アムダリヤ川(減ったと言ってもそれなりに大きいです)

 そうこうしているうちにバスは一旦停車,青空トイレの時間である.中央アジアはホテルとレストラン以外には公衆トイレがないので,2時間を超える移動の際にはこうした青空トイレ(男性ならいわゆる”立〇しょ〇”)となる.みんな用を足して出発,ここからあと1時間とのことだったが1時間では到着せず,結局1時間半かかって13時15分頃ムイナクの街に着いた.

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(写真10)アラル海のモニュメント

 ムイナクはアラル海の畔にあり,帝政ロシア・ソ連時代初期には水産業で大いに栄えていた港湾都市であった.しかし周辺での綿花栽培の促進や政策による河川の流路変更などにより,流入する河川であるアムダリヤ川・シルダリヤ川の流量が減少し,結果20世紀の後半以降アラル海の面積はどんどん縮小していった.かつては68000平方キロと湖として世界第4位の大きさを誇っていたものが,現在では小さな湖に分裂してしまい,全部合わせても14000平方キロと往時の5分の1ほどしかない.ムイナクの町もアラル海の湖畔が80キロも後退してしまったために港湾としての機能を完全に失っている.このアラル海の縮小は20世紀最大の環境破壊と言われており,この地にはそうした歴史を紹介する博物館やモニュメントがある.我々はまずアラル海消失のモニュメントと呼ばれるスポットに到着した.ここのカフェを借りてお弁当を食べる予定になっているからだ.

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(左写真11)世界各都市への距離が記されたモニュメント,(右同12)お昼のお弁当

 が…なんと閉店していた! 仕方ないので各自好きなところで食べろということになり,我々は近くの東屋みたいなところで食べた.弁当の内容はパンのほか,チキン,ゆで卵(黄身が妙に白い),りんご,トマト,きゅうり,ヨーグルトとジュース.困ったことに食器が各自スプーンかフォークのどちらかしか入っておらず,フォークだったじぶんはチキンを食べるには良かったものの,ヨーグルトはどうにもならず飲み込む羽目になった.

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(写真13)アラル海が縮小する様子を経時的に示しています

 食事後はモニュメントを見学,形状は傾いた三角錐でそれぞれの面に時代ごとのアラル海の海面が描かれている.付近にはこうしたスポット定番の世界の主要都市まで〇△kmの看板があり,ベルリン・モスクワ・ニューデリーなどに交じって東京もあったが,さらには南極点まであったのは驚いた.モニュメント周辺は荒涼たる砂漠が広がっている.よく見ると付近に船の残骸が並んでいた.ここが船の墓場と呼ばれるスポットで,かつてここが海だった証である.合わせて10艘ほどの船の残骸があった.各自思い思いに船に乗ったり写真を撮ったりして過ごす.墓場といえば,ボリビアのウユニ近郊に列車の墓場というのがあったが,それに続く乗り物の墓場である(そういえば飛行機の墓場ってあるんだろうか?バミューダ海域あるいはソロモン諸島か?).

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(左上写真14)船の墓場,(右上同15)丘の上に先ほどのモニュメントが,(左下同16)朽ち果てた船,(右下同17)記念写真

 30分ほど船の墓場を観光し,その後はムイナク博物館に行く.ここはまだ新しい博物館らしく建物も新しく,庭はまだ整備中だった.外観の大きさの割に内部はこじんまりとしていて,思うにまだ使っていない空間がたくさんあると思われた.中の展示はアラル海縮小の歴史や,港湾都市だった時代に使われていた漁具などの展示,さらには当地を題材にした絵画などもあった.特に絵画に描かれた風景は今の姿とはあまりに異なり,いかにこの地の環境変化が激烈だったかが伺えた.ちなみにこの博物館は新しいせいか,当地にしては珍しくトイレがあり出発前にみんな使っていた.ちなみに博物館の近くには最近できたという空港があった(他の参加者がこの空港にダイレクトに来ればもっと楽だったのにねと言っていた).

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(左上写真18)ムイナク博物館,(右上同19)ラクダのモニュメントが,(左下同20)社会主義っぽい像,(右下同21)アラル海に生息していた鳥

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(左写真22)港湾都市時代にここで作られた魚缶,(右同23)港湾時代の絵,今では面影がありません

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(写真24)牛横断注意

 その後はヌクスの町に戻ることに.来た道をひたすら引き返すという行程である.見渡すと参加者ほぼ全員寝てました(笑).17時10分頃牛の大群が道路を塞いでいて進路を阻まれるという事態に遭遇した(日本でも北海道に行くと「牛横断注意」の標識があるが,こうしてリアルにふさがれる体験はできそうにない).さらに途中綿を積んだトラクターも結構見かけた.当初は帰路に綿花畑で写真を撮ろうと言っていたのだが,その辺に着たころには日没になっていたため企画自体が没となった.そんなこんなで19時30分にようやくホテル(ジョリ・イン)に到着、昨日の高級ホテルとは違って地方の普通のホテルといった趣,ただWiFiは使えた(というか今回の旅行中一番通信状態が良かった気がする).

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(左写真25)ホテルのフロント,(右同26)シンプルな部屋

 チェックイン後部屋に入る.このホテルはフロアの数え方がヨーロッパ式で地上階、1階、2階となり我々の泊まった106号室はイメージ通り1階にあるのだが,添乗員さんが宿泊した116号室がなぜか2階にあるという不思議なことがあった(理由は不明).またトイレの鍵を内側からかけたら出られなくなる事案が発生したとのことで注意するよう言われた(この事案は2人部屋だったので事なきを得たが,一人利用だと誰にも気づかれないという可能性がある)。

 20時から夕食,この日はホテルのレストランだった.メニューは麺のサラダ,赤カブのサラダ,ヌードルスープ,そしてメインが肉じゃがみたいなのだった.デザートはスイカとメロン,これは中央アジアの基本形らしく,この後何度も出てくるパターンである.スイカもメロンも寒暖差のある方が甘く出来上がるのでこの地域にぴったりと言える(たしかに甘くて美味だった).

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(写真27~31)この日の夕食,デザートのスイカとメロンが美味

 食事後は明日のトルクメニスタン入国書類作成の説明会をやった(これがけっこう面倒).終了後部屋に戻り,日本から持ち込んだワインを飲んで寝たのだった.さあ,明日はいよいよトルクメニスタンである.

 

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能代寮歌の写真

 先月の24日に能代で行われた第62回能代寮歌を愛する会の写真が,会を主宰されている先生から届きました.

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全体集合写真

 先日の記事に載せた写真は基本的に自分が写したものなので,自分自身が歌っている場面が写っているものはありません.今回自分が歌っている場面の写真をいただき,楽しかった寮歌祭の様子が思い出されました.

Noshiro6 Noshiro3(左)北溟寮寮歌「都も遠し」高唱,(右)七高造士館の「北辰斜めに」の音頭を取らせていただきました.

 ありがとうございました.

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2019年11月 9日 (土)

迷惑電話

 普段生活していると時々遭遇するのが迷惑電話である.家の方だとよくあるのが「光回線を乗り換えませんか?」というものでNTTだったりauだったり様々である.とはいっても実際にかけてくるのはNTTやau自身ではなく販促を委託された業者である.とにかく契約を取りたい一心で絨毯爆撃のように電話をしてくるので、例えばすでにNTTを利用しているにもかかわらず「NTTどうですか」(→「もう使ってるよ😠」)という電話も来たりする.うっとおしいことこの上ないので,「すみません,知人との付き合いで契約しているものですから,変更は難しいですね」と答えると大抵は引き下がってくれる.もっともこの手の電話は 0120 で始まる番号からかかってくることがほとんどなので,自宅の固定電話をナンバーディスプレイにした後,基本的に 0120 電話には出ないようにしたら遭遇する機会はぐっと減った.

 一方で時々職場にかかってくる迷惑電話もあって,こちらはほぼ節税対策を謳うマンション購入勧誘電話である.ただ○△不動産なんて名乗ったら電話交換段階で撥ねられるので,あの手この手でこちらにつないで来ようとする.よくあるのが”〇▲メディカル”など,医療系メーカーを装ってくるパターン,衣料メーカーかと思いうっかり出るといきなりマンション購入の話が始まる.「あれ?医療系じゃないんですか?」と訊いても「はい」と開き直って一方的にまくし立てる.もっとひどいのになると交換には「◆×病院〇△科の田中です」と名乗ってくるパターン.こうなるとこっちも患者さんの紹介かなと思って出てしまうので,勧誘が始まってしまう.「◆×病院〇△科の田中先生ではないのですか?」と言っても「そんなことは言っていない」と開き直る.マンション購入が節税対策にどれほど有効なのかは知らないが,少なくとも嘘の名前を使って連絡してくる業者にロクなものがあるはずはない.「興味がありません」と言ってもマシンガンのようにひたすら喋りまくってくるので,「興味ございませんので失礼します」と一方的に電話を切るしかない.正直嫌な気分になる電話である.

 この手の電話がかつて自分の携帯にかかってきたことがあった.いったいどこで電話番号が漏れたのかわからないがとにかく来た.携帯の方も基本 0120 には出ないのだが,この時は 080 だったのでうっかり出てしまったのだが,そしたらマンション勧誘電話! 「ビザンチン先生の携帯でよろしかったですか?」と来たのでとっさ的ややガラの悪そうな口調でに,「違います!昨日もそんな電話がかかってきたんだけど,どうなってんの💢」と言い返したら,「ああ手違いのようです」とガチャ切りされ,以来その番号からの電話は来ていない.

 先日久しぶりに職場にこの手の電話がかかってきたので,改めて迷惑だしお互い時間の無駄だからやめてほしいなと思ったのだった(今回は大手検査会社のSRLと誤認させるFRLを名乗ってきた 笑).

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2019年11月 7日 (木)

中央アジア旅行記2 ~出発編~

 10月4日の朝が来た.一応6時半に目覚ましを設定していたが,早く起きすぎてしまった(なんと4時半).まあ普段は寝坊なくせにこうした場合は早起きになるのは自分の宿命なので,諦めて二度寝した.6時半に目覚ましが鳴り,今度は本当に起きる.身支度をしてロビーへ,チェックアウト後空港行きバスの列に並んだ(朝はやや早めなので朝食は空港の予定).バスがやってきて今日もスーツケースを預ける人を尻目にさっさと乗り込んだ(荷物を空港に別送しているものの特権といえよう).バスはほぼ満員の盛況である.定刻にホテルを出発し一路空港に向かい,第2ターミナル→第1ターミナルの順に停車することになっている.今回はウズベキスタン航空利用のため降りるのは第1ターミナル,フロントでは大体20分と聞いていたが結局15分くらいで到着した.

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(写真1)成田空港第1ターミナル

 バスを降りてそのままターミナルに入る.電車で来た場合は地下から延々と上がって来なければならないが,バスだと直接出発ロビーに乗り付けられるのが良いところだ.ターミナルに入りまずは朝食である.これからしばらく食べられそうにないものを食べようということで,杵屋のうどんになった(自分は山菜うどん、Kはきつねうどん).

 その後はユニクロに寄ってKの上着を購入し(砂漠に旅行に行くというのに上着を忘れたらしい 笑),ABCカウンターで宅配で送った荷物を引き取る.その後クラブツーリウムの団体カウンターへ行った.カウンターで係員に声を掛けたら,なんでも添乗員さんが航空機のチェックイン手続きをしているとのことで,荷物を置いて待ってるよう指示された.国際線は個人ごとにチェックインするのが普通だから珍しいパターンだなと思った(ウズベキスタン航空だからか?).その間トイレに行ったりして時間をつぶし,8時半過ぎにカウンターに戻ったら受付が始まっていた.

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(写真2)旅行会社の受付カウンター

 今回の添乗員さんは女性である.周辺を見渡すとやっぱり参加者の平均年齢は高い(今回もうちのKが最年少じゃないのか?と思ったが,若い夫婦の参加者がいてそうではないことが判明 笑).ここで搭乗券を受け取って色々説明をを受ける(まあいつものパターン).その後ウズベキスタン航空のカウンターに向かい各自で荷物を預ける(チェックインは一括でもカウンターに並ぶことからは逃れられないらしい 笑).ウズベキスタン航空は預け荷物がエコノミークラス20キロとやや厳しいのだが,今回はソフトケースなので全く問題なしだった(2人で25キロ).その後はさっさと出国審査へ向かう.この冬から顔認証システムが運用されているので非常にスムーズだった(出国のスタンプが押されないのでちょっとさみしいが 笑).

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(左写真3)電光板でゲートを確認,(右同4)ラウンジで寛ぎます

 審査場を出るとそこは出発ロビー,免税店コーナーが立ち並ぶ地帯だ(法的にはもう国外).まずは搭乗ゲートの確認に向かう.今回は36番ゲート,付近の電光板を見たら予定通りで特に変更はないようだった.その後はラウンジで休むことにする.26番ゲート付近いあるKALラウンジが我々のカードで使えるラウンジである.アルコール飲み放題なのが嬉しい.ビール,日本酒,ワインをいただき朝から酔っ払うことになった(まあ旅行の時はいつもそうだが).その後ちょこちょこ買い物したりしてゲートへ向かう.途中Kが自販機で水を買っていたのだが,何も考えていなかったようで高い酸素水を買わされていた(笑).しばらくして搭乗が始まる.

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(左写真5)ウズベキスタン航空機,(右同6)機体はB767

 乗り込んだ飛行機はB767ー300,2ー3ー2スタイルで我々は真ん中の島だった.座席には個人用モニターも付いている.言語はウズベキ語、英語、ロシア語で残念ながら日本語はない(😢).予定では11時5分発だがなかなか動き出さず,30分遅れでようやく駐機場を出た(例によって滑走路が混んでいるためらしい).が,なかなか出発しない・・ ストライキでも起こったのかと心配になる.それでも12時10分くらいになってようやく離陸した(結局1時間遅れ).上昇の後12時35分にようやくシートベルト着用サインが消えたのでトイレ!と思ったらCAにまだだと制止された(すぐに何やら操作してOKになったが 💦).

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(左写真7)飛行ルート,なんとなくシルクロードです.(右同8)スナックとワイン

 その後時計を現地時間に合わせる(離陸して安定飛行に入った段階で現地時間に合わせるのが私の習慣).まもなくしてスナック(ピーナッツ)と飲み物のサービスが開始された.我々は当然ワインを選択したが,CAが「トマト、オレンジ、ミズ?」と言ってきたのでついでにミズをもらった.飲みながらふと座席ポケットを見たらB787の案内がある.あれっ?この機体787だっけ?と一瞬思ったが,考えてみたら2ー3ー2配列の787はないよなと考えているうちに,Kの座席のポケットには767の案内があった.やっぱりこっちだよなと納得したのだった.見渡したら禁煙マークもあるし(787は禁煙が当たり前時代の設計なので、そもそも禁煙マークがない).その後食事が配られる時間となる.この日のメニューはチキンとビーフの選択だった.我々は二人ともビーフを選択した.味はまあまあである.

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(写真9)機内食はビーフ

 その後はお代わりのワインを飲んだり、iPadでドラクエ4をやったりして過ごす(モニターにUSB充電が付いているので心強い).途中やや記憶を失った時間もあったがそのまま過ごしていた.現地時間で15時過ぎに軽食が配られる.卵サラダを挟んだパンとフルーツゼリー&コーヒー or 紅茶だったが,自分はさらにワインも頼んだ(飲み干した段階でCAがやってきて、「one more?」と聞くのでイエスと答えたら呆れられた(笑).やがて機体は徐々に降下を開始し,17時過ぎにタシケントの空港に着陸した.

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(左写真10)タラップで降ります,(右同11)タシケント空港の外

 飛行機からはタラップを降りてバスで運ばれるパターン,バスは本当に満員になってから出発した(経費節減か?).ただターミナルに向かうまでが異様に遠く,なんか飛行場を一周した感じだった.ターミナルに入るとすぐに入国審査場,すでに形成されていた列に並んでいたら係員が来て「あっちが空いてるから向こうに行け」と指示される.そっちに行ったら本当に誰もいなかった(笑).ウズベキスタンの入国はカードの記載もなくパスポート提出のみ,特に聞かれることもなく通過できた.その後はトイレによってターンテーブルで預け荷物のピックアップの番,幸いロストバゲージもなく無事に出てきた.ちなみにここでは様々な日本の団体グループがいた.クラブツーリズムだけで2組に,ユーラシア旅行社、読売旅行といる.これだけいると間違って違うグループに行っちゃう人がいそうだと思ったが,幸い間違う人はおらずグループごとにまとまって外に出た(そういえば税関はその存在に気づかなかった).外に出ると現地ガイドのアジムさんと合流してバスに乗り込む(立派なバス).出発してシートベルトをするよう指示されたが,座席に埋没していて使い物にならなかったため諦めた(笑).

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(左写真12)車窓からのタシケント市内,(右同13)夕食のレストラン

 タシケント市内は社会主義っぽい無骨な建物が多いなというのが自分の第一印象だった(やっぱり旧ソ連だ).その後夕食のレストランへ,指定された場所でバスを降りたら目の前に韓国レストランがあったので,ここなのかと思ったら違った(笑).本当のお店は地元料理店でメニューは肉のスープ、サモサ、ケバブ、デザートだった.飲み物はもちろんワインを選択する(地元の白を頼んだのだがなんか梅酒っぽい味だった).ここで今回の参加者(18名)を見渡す.やっぱり年配者で旅慣れた人が多そうだ.特に元帥陸軍大将の寺内寿一似の爺さんがいい味を出していて南極以外ほとんど行ってるらしい.一方で若いカップル参加者がいてどうやらうちのKよりも若いらしかった.肝心の料理はというと不味くはなかったが,直前の機内で食べたパンが余計だったらしくあまり入らなかった.

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(左上写真14)肉のスープ,(右上同15)サモサ,(左下同16)ケバブ,(右下同17)デザート

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(写真18)シティホテル

 夕食後は再びバスに乗り込んでホテルに向かう.この日はシティホテルというタシケントでは1、2を争う高級ホテルとのこと.チェックインして部屋に入ったらバスタブもあるし,シャワーのお湯も量も申し分ない(後から聞いたらウズベキスタンにはここ以上に条件のいいホテルはないらしい.一番いいところに最初に泊まってしまったわけだ 💦).さっそくシャワーを浴び,その後日本から持参したワインを飲んで寝ることにした.明日の朝は早いのである.

Pa040325 Pa050329 (左写真19)ホテルのフロント,(右同20)客室の様子

 

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2019年11月 5日 (火)

上大岡混声合唱団第53回定期演奏会

 西沢渓谷を観光して新宿でお寿司を食べたの翌日,11月4日もフリーの1日でした(久しぶりにゆっくり寝た 笑).で,この日はお昼から横浜の県立音楽堂に出かけてきました.目的はここで開催される上大岡混声合唱団の第53回定期演奏会を鑑賞するためです.実はこの合唱団には自分の後半の学生時代にともに活動していた仲間(今では夫妻になっている)が参加しているのでした.今回はチケットをいただいていたので出かけてきた次第です.

75017415_2599976043433078_79590095784593  コンサートは3ステ構成,第1ステージがシューベルトのミサ第2番ト長調,第2ステージが横山智昭さん編曲による「みんなのかぞくのうた」,第3ステージがこの合唱団の指揮者,中村皇さん作編曲による作品集でした.1ステのト長調ミサは小ぶりながらもシューベルトらしい雰囲気を見せる一品です.今回は小アンサンブルにソリストを加えた演奏でした(テノールソロが自分もよく知っている鏡貴之さんだった).普通はこうしたゲストを交えたステージは最後に持ってくるのがパターンですが,あえてそうしなかったのはその後のステージでわかります.第2ステージはNHKの「みんなのうた」の名曲の中から家族をテーマにした作品集です.家族・温かさが染み出てくる演奏で,この合唱団が得意とする分野なんだろうなと感じました.最後のステージはやっぱり長年この合唱団を指導されていた先生の作編曲集ということで,まあこれがメインになるのは自然な流れだなと思いました.演奏はもちろん,作編曲者の思いがよく表現されていたと思いました.

 長年地域に密着して活動している合唱団,自分とこの医師会合唱団もいつの日かそういう存在になれたらいいなと思いました.

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2019年11月 4日 (月)

西沢渓谷に行ってきました

 11月の3連休は事実上自分にとって今年最後の連休となります.そんな3連休の中日,11月3日に山梨県の西沢渓谷に行ってきました.目的はもちろん,その最深部にある日本の滝100選のひとつ七ツ釜五段の滝です.

 前日の2日土曜日は例によって合唱団の練習&宴会に参加,その後は八王子に移動してホテルに宿泊しました.翌3日は東京は曇りから雨模様という予報でしたが,八王子は曇ってはいるものの青空ものぞくまあまあの天気でした.午前9時の特急かいじに乗って一路西に向かいます.中央本線は先日の台風19号で被害を受け一時は運休になっていましたが,つい先週全面復旧になったものです.八王子から約1時間の山梨市駅で下車,ここからバスに乗り換えます.行楽シーズンとはいうものの特に渋滞もなく,時刻表通り約1時間で西沢渓谷入口に到着しました.

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(左写真1)初めはこのように快適な道,(右同2)二股吊り橋

 ここからはいよいよ往復3時間半の歩きになります.西沢渓谷は山梨県を代表する河川である笛吹川の最源流に位置する渓谷で,花崗岩の岩石地帯が川によって削られて形成されました.その渓谷に沿って遊歩道が整備されており,特に紅葉の素晴らしさで知られています.ピークシーズンには凄い人出で遊歩道が渋滞するため,反時計回りの一方通行になっています.この日は紅葉シーズンの3連休ということですごい人出が予想されましたが,意外にそれほどでもなくゆったりと散策できました(台風の影響か?).

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(左写真3)紅葉がきれいです,(右同4)記念写真

 バス停からしばらくは快適な林道,色づいた木々を見ながら歩きます.20分ほどで往路と帰路の分岐部に到着,ここにはきちんとしたトイレがあるので用を済ませます(この先は遊歩道の最深部に簡易なトイレがあるのみ).順路に従って進んでいくと,ゲートがあってここからは車輛は入れないようになっていました.そのまま進んでいくと,向こうから歩いてくる人達に出くわします.「あれっ?この渓谷は一方通行なのに…」と思っていたんですが,逆走してくる人たちは例外なく軽装の人たちです(シンプルなスニーカーのみや短パン,スカート履きの人など).「ははぁ,さては途中で挫折したんだな」と納得しました(途中で挫折した場合は戻ってくるしかない).

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(右写真5)美しい渓流,(右同6)人面洞

 しばらく歩くと西沢山荘が見えてきます.今は営業していないらしいこの建物を横目で見ながらさらに進んでいくと,二股吊り橋に到着,ここで渓谷は二股に分かれており,左手の西沢渓谷と右手の東沢渓谷に分岐します.ただ東沢渓谷は遊歩道がなく上級者でなければ遭難の危険大らしく,立ち入り禁止になっていました.吊り橋を過ぎると遊歩道もこれまでの快適な林道から変わって,岩場やぬかるんだ泥道が多くなります.鎖場はもちろんのこと,最近の雨で川の水量も増えているらしく,油断すると水にハマってしまう場所もありました(まあ,これなら軽装の人は挫折するな).ただ途中には三重の滝,竜神の滝,恋糸の滝などの滝や人面洞,フグ岩,カエル岩など多くの見どころが点在しています.出発から1時間半,母胎淵というポイントを過ぎたあたりに開けた岩場があり,休んでいる人がたくさんいました.ちょうど1時ごろだったためか,みんなお弁当を広げています.我々もここで一休みすることにしてお昼をいただきました(コンビニおにぎり).

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(左写真7)遊歩道も徐々に厳しくなります,(右同8)貞泉の滝

 20分ほど休憩して再び歩き始めます.この辺りから遊歩道は登りになるため,運動不足の身にはややきつくなります.それでもとうとう最深部の七ツ釜五段の滝に到着しました.この滝は七段に渡って落ちており,合計7つの滝つぼを持つことからその名があります.落差は全体でも30メートルほどですが,水平方向に広いのでその全体像を観察するのはなかなか大変でした.その壮観なさまはさすが100選滝です.

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(写真9)そしてこれが七ツ釜五段の滝

 観瀑台からしばし鑑賞後,遊歩道をさらに上ります.やがて見える不動の滝を過ぎると,そこが遊歩道の終点となります.ここにはベンチなどの休憩施設の他トイレもありました(ただし国立公園内の簡素なトイレのため,我慢できる人は下山した先のトイレを使うよう案内がありました).

 ここからの帰り道は昔トロッコが走っていたコースになります.当時のレールが残っていてそれを感じさせました.景色的には往路にはかないませんが,紅葉がきれいなことと,なにより往路に比べると歩きやすい道なので,2時間歩いてくたびれた身には助かりました.結局バス停にたどり着いたのは3時半頃,帰りは1時間半ほどで戻ってきた計算です.当初は4時25分発の山梨市駅行きのバスに乗る予定でしたが,思いのほか早く帰着できたため,3時40分発の塩山駅行きのバスに乗車,こちらも予定通り1時間で駅に到着できました.

 塩山から特急かいじで八王子へ,ホテルに預けていた荷物を引き取ってそのまま新宿に出て,久しぶりに回らないお寿司屋さんで夕食をいただいたのでした(運動した後だったせいか,寿司もお酒も美味しかった😃).

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2019年11月 3日 (日)

眉村卓さん逝去

 日本のSF創世記の作家のひとりである眉村卓さんが亡くなったという記事が出ていました.

 日本SF界の第一世代 眉村卓さん死去

 SFと呼ばれるジャンルは欧米では19世紀から存在し,フランスのジュール・ヴェルヌの「海底二万里」やイギリスのH・G・ウェルズの「宇宙戦争」などの傑作が知られています.一方で日本での歴史は新しく,その始まりは1960年ごろと言われます.この日本SFの創成期を担った作家の一人が眉村卓さんでした.同時代の光瀬龍さんとともに少年少女向け(ジュブナイル)のSF作品に力を入れていた方で,1970年代にNHKで放送されていた「少年ドラマシリーズ」には眉村さんの原作によるドラマが多数放送されました(「なぞの転校生」(原作も同名),「未来からの挑戦」(原作は「ねらわれた学園」と「地獄の才能」),「幕末未来人」(原作は「名残の雪」)など).当時小学校高学年から中学生だった自分はこのシリーズに大ハマりして,SF大好き少年になりました(あまりにSFばかり読むので,中1の時の担任に「違うジャンルの作品も読め」と言われて,横溝正史などのミステリーものに手を出したというのは内緒です 笑).

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(写真)本棚をちょっと漁っただけで眉村さんの作品がたくさん出てきました.

 彼のジュブナイル作品は当時鶴書房や角川文庫,秋元文庫から出ていて,それこそ存在する全作品を買い漁って読んだものでした.いろんな作品がありましたが個人的に記憶に強いのが「ねじれた町」という異次元,超能力ものの作品でした.とある地方の古い城下町に転校してきた少年が,当地で行われている奇妙な風習に出会い,様々な事件に巻き込まれていくという話でした.純粋なジュブナイル作品に少し大人的なテイストな混じった印象的な作品でした.眉村さんの訃報に接し,彼の作品をまた読んでみようと思ったのでした.

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2019年11月 2日 (土)

中央アジア旅行記1 ~事前準備編~

 我が家の夏季休暇の旅行,21世紀に入ってからはほぼ毎年海外に出かけている.当初は勤務地の業務が超ハードだったこともあり,休暇くらい何もしないでのんびりしたいと南半球のビーチリゾートに出かけていた.ただその後徐々にハードさが和らいできたのと,せっかく出かけるのなら歳を取ったら行けなくなりそうな場所に行こうとなって,いわゆる秘境系に繰り出すようになった.近年はアフリカ・南米・東南アジアあたりを順繰りに行く感じになっている.

 そんな我々の旅行先でこれまで空白地帯だったのが中央アジアである.いわゆる旧ソ連の一部だったところ,歴史上は東西文明の交差する場所であり,世界史好きにとっては外せない場所である.そんな中央アジアにこれまで行っていなかったのは,距離的に近いイメージがあり,どうしてもより遠い南米・アフリカを優先したい気分に駆られてしまうこと,ビザを取る必要があって面倒なことがメインの理由と思われた.ただ2018年は冬に南部アフリカ,夏に南米と2つの大型旅行に行ったことで財政状況が悪化(?)したことと,中央アジアの玄関口的な国であるウズベキスタンのビザが不要になったこと等から,そろそろ中央アジアに行くかという感じになってきた.

 さて,中央アジアに行くとして問題はどこの国に行くかである.中央アジアと十把一絡げに言うが,現実にはウズベキスタン,カザフスタン,キルギス,トルクメニスタン,タジキスタンの5か国から構成されている.この中で観光地として圧倒的に有名なのがウズベキスタンで,中世のこの地域の中心地と言えるサマルカンドやブハラ,ヒヴァなど数多くの魅力的な観光地があり,多くの旅行会社から様々なスタイルの旅行商品が出ている(団体ツアーからほぼフリープランまで).一方でその他4か国はややマイナーで商品も少ない.

Img024  で,今回我々が興味を抱いていた国はトルクメニスタン,特にその中央部の砂漠にある地獄の門と呼ばれるスポットである.ソ連時代のガス田調査の際に地面が崩落して湯毒ガスが発生,やむなく火をつけたところ,なんと!50年経った今も燃え続けているという,驚異というかもったいないという場所である.長らく外部に知られることのないスポットだったが,近年メディアなどでも取り上げられるようになった場所である.ここが徐々に火勢が弱まっているのではという話もあり,燃え尽きる前にぜひ行っておかなければと思った次第である.

 そんなトルクメニスタンは天然ガスの埋蔵量が世界第4位というエネルギー大国である一方,大統領が国民を厳しく統制する政治体制から,俗に「明るい北朝鮮」などとも呼ばれている国である.これまで観光には力を入れてこなかったこともあり,ビザを取るのが面倒で個人旅行で行くのは現実的でない場所だ.そのため行くならツアー参加ということになる.今年の場合、休暇に宛てられるのが10月上旬しかなかったため,その時期に催行されるツアーをと検索したところ,クラブツーリズムから出ているウズベキスタン&トルクメニスタン8日間のツアーが見つかったためすぐに申し込んだ(申し込み段階で催行が決定していた).

 その後8月初旬に旅行会社にパスポートを送り(ビザ取得のため)待つことになる.その後9月は所属している医師会合唱団の定期演奏会や石井歓さんの没後10年演奏会などへの出演で忙しくしていて旅行の準備をする時間が取れなかった.それでも9月末にパスポートが戻ってきて,トルクメニスタンのビザを見た頃からようやく準備開始,今回は陸路の国境越えがあることやテント泊の日もあることなどから大型のスーツケースは持ってこないよう案内が出ていた.そこで我々は中型のソフトケースのキャリーバッグを用意する(この手のを元々1個持っていたので,新しくもう1個購入した).そこに必要な荷物を詰めて完成である.昨年夏の南米旅行の際ロストバゲージに会って4日間荷物と出会えなかった経験を持つ我々は荷物がなければないなりに生活できることを知ったので、意外に荷物は少なくコンパクトになった.10月2日に空港宅配業者に荷物を渡し準備は完了である.そして出発前日(10月3日(木))となった.

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(写真)トルクメニスタンのビザ,気分が盛り上がります

 この日は朝から外来業務,その後病棟患者さんの回診等を済ませた.夕方に同僚に申し送りと「行ってきます」の挨拶をしていよいよ出発である.夕方の小田原駅には多くの外国人観光客の姿があったが,これからは自分が彼らの立場になるんだな考えると感慨深いものがある.そして17時42分の新幹線で東京へ,混んでいるがまあ座れる程度だ.東京駅で下車後は八重洲南口のバス停へ向かう.今回は東京駅から空港周辺ホテル行きのバスを利用する.このバス以前はもっと離れたところから乗車したはずだが,今は他の高速バスと同じところに集約された模様(確かにその方が便利だ).行くと係員がいて名前を告げるとチケットを渡された.

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(写真)東京駅八重洲南口のバス停

 17時36分バスがやってきた.スーツケース等を預ける人々を横目にさっさと乗り込み運転手に行き先を告げる.今回の宿泊はマイステイズだ(ここを選んだのはバスが最初に停車するホテルだから… 結構バスでの待ち時間ってバカにならない).定刻になりバスは出発,案内によると渋滞等はない模様.結局19時38分くらいにホテルに着いた.

 チェックインして部屋に荷物を置き夕食に繰り出す.この日はホテルのレストランを予約しておいた.ブッフェスタイルの夕食である.全国ラーメン紀行とかいう企画があるらしくこの日は札幌(?)味噌ラーメンだった.その他ステーキやらカレーやらがあった.飲み物は当然ワインを選択する.例によってボトルを2人で軽く空けてしまった(笑).その後ロビーにあったコンビニ(ファミマ)に寄って買い物して部屋に戻りシャワーを浴びて就寝した.さあ,明日からいよいよ旅行だ!

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(左)ワインを空ける私(蝶ネクタイは朝からです),(右)夕食会場にはヤクルトもありました(日本的な飲み物ということか)

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2019年11月 1日 (金)

歌劇「エウゲニ・オネーギン」

Img022_20191101134001  今日からいよいよ11月に入りました.令和元年も残すところ2か月ということになります.本当に月日の経つのは早いです.

 ちょうど1か月前の10月1日に、新国立劇場の新シーズンが開幕しました.昨年から新しい芸術監督として大野和士氏を迎えた劇場ですが,昨シーズンの演目は新演出の魔笛に始まり,カルメン,ファルスタッフ,タンホイザー,蝶々夫人,トゥーランドットとややオーソドックスな選曲という印象でした.しかし2年目となった今年は,初っ端からチャイコフスキーの「エウゲニ・オネーギン」とう一風変わったところから入るなど,いよいよ本気を出してきた(笑)感があります.もちろん私も初の生鑑賞ということで楽しみにしていました.

 エウゲニ・オネーギンが作曲されたのは1877年から78年頃で,ちょうど交響曲第4番や組曲「白鳥の湖」と同じころです.原作は1830年代に書かれたアレクサンドル・プーシキンによる同名の小説です.内容としては若い貴族エウゲニ・オネーギンの物語ということになるのですが,原作では描かれている彼の背景がオペラ化にあたってすっぽりカットされているため,単純にストーリーだけを追えば,オネーギンが若い真面目な娘の求愛を受けるもののこれを断り,さらには彼の行動に怒った友人に決闘を申し込まれてその友人を殺してしまい,ショックを受けて放浪の旅に出て都会に出てきたら,自分が拒否した娘が侯爵夫人になっていて,その美しさに感激し求愛するも逆に拒否されて失望… という三文小説みたいな展開になっています.

 というわけで,このオペラの魅力は何といってもチャイコフスキーの音楽ということになります.第1幕第2場のオネーギンに恋する娘タチヤーナが手紙を書く場面や第2幕第2場の決闘に臨むレンスキーのアリアが代表的な場面です.今回はオネーギン歌いとして世界中で活躍しているワシリー・ラデュークがオネーギンを,様々なレパートリーで活躍しているエフゲニア・ムラーヴェワがタチヤーナなど,主要キャストにロシア出身の歌手を配置した演奏となりました.演出はモスクワ生まれのドミトリー・ベルトマンのもの,全体が絵画のような美しい舞台でした.

 ちなみにこの公演,自分は当初10月12日の千秋楽で鑑賞する予定だったんですが,旅行直後で疲れているかもしれないと思い,1日の初日にチケットを変更した経緯がありました(翌2日は朝から大学の講義があるので,終演後夜行バスで向かった).その後台風19号の接近により,12日は都内の公共交通機関が運航停止を決めたため,この日の公演は中止になってしまいました.これも運だなぁと思った次第です(逆のパターンで2011年3月の震災直後の「ばらの騎士」公演が自分が行く回のみ中止になったことがある).

Img_5313 Img_5314  ちなみに我が家では終演後のディナーも含めてがオペラ鑑賞です (^^)v

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