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2019年10月31日 (木)

首里城が…

 今朝起きたら衝撃的なニュースが飛び込んできました.

 沖縄の”象徴”、首里城が焼失

 琉球王国時代の代表的な王城で,近年復元作業が完了したばかりの首里城の主要部分が本日(10月31日)未明以来の火災で焼失したというニュースです.

 戦前には正殿が国宝に指定されていた首里城ですが,第二世界大戦末期の沖縄戦で徹底的に破壊され,戦後はその跡地に琉球大学が置かれるなど,一時は城郭の面影を失っていた時期もありました.しかし大学が郊外に移転した1980年代以降徐々に復元が進められ,21世紀に入るとかつても趣を取り戻した首里城公園となり多くの観光客が訪れる地となりました(1980年頃までは何もないところに守礼門のみがぽつんと立つその光景から,札幌の時計台,高知のはりまや橋とならんで日本三大がっかり観光地と呼ばれていた).

 私が首里城を訪問したのは2010年3月,当時やっていた日本100名城訪問の一環でした.この時にはすでに北殿や南殿などの復元も進み,まったくがっかりではない観光地になっていました.そんな首里城を襲った今回の火災,今年はパリのノートルダム寺院の火災の記憶も新しいだけに,とても残念です.

Shuri2 Shuri12(写真左)首里城の数少ない現存する門である園比屋武御嶽石門,今回の火災でどうなったのでしょうか.(同右)がっかり時代の守礼門

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2019年10月28日 (月)

能代寮歌を愛する会最終回

Img023  またまた久しぶりの更新になってしまいました.10月に入ってからは旅行,その後の台風云々で慌ただしい日々を過ごしておりました.そのあたりの話題もぼちぼち挙げていきたいとは思っていますが,先週の木曜日(10月24日)に毎年恒例になっている能代寮歌を愛する会に今年も参加してきました.

 音楽というと普段はクラシック音楽(特にオペラや教会音楽など声の入っているもの)を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでおり、時に無性に歌いたくなることがあります.寮歌についてはこのブログのカテゴリーにも分類しているほど時々取り上げるテーマになっているわけですが,元来それは明治から戦後まもなく(昭和24年ごろまで)存在した高等教育機関である旧制高等学校の寄宿舎の歌です.明治期に設立された官立の第一高等学校から第八高等学校(いわゆるナンバースクール)から,大正期に設置された新潟高等学校,松本高等学校以下のネームスクール,私立高校,さらには主として外地の帝国大学予科等を含め寮歌の総数は約3000曲にも上ると言われています.こうした寮歌を愛好するイベントが寮歌祭というわけで,かつては全国に数多くの寮歌祭が存在していました.その主体となっていたのはもちろん,寮歌の時代を肌で知っている当時の学生たちでしたが,時代が下るにつれてそうした人々は減少の一途をたどっています.一方で現役での経験はないものの,そうした時代に憧れを感じる戦後世代もいるわけで(私のように 笑),こうした人々も徐々にこうした寮歌祭に参加するようになってきました.

 昔から深層心理で寮歌を愛好していた私がこうした寮歌祭に顔を出すきっかけになったのが,表題の能代寮歌を愛する会です.参加のきっかけは2006年夏のある晩,当時勤務していた病院宿舎の駐車場で開催されたバーベキュー大会でした.当然のようにアルコールが入って気持ちよくなった自分(とK)が勢いで旧制弘前高等学校北溟寮の寮歌「都も遠し」を歌ったところ,同じ宿舎の某ドクターが反応されたのです.なんでも,そのドクターのご尊父が大変な寮歌愛好家で,地元の能代市で毎年寮歌イベントを開催しているとのこと,よろしければ紹介したいがいいかというのです.私に異論などあろうはずもなく,トントン拍子に話が進んでその年の10月24日に開催された第36回能代寮歌を愛する会にゲストとして参加させていただいたのでした(関連記事).その会が自分にとってとても感慨深いもので,以来何度も参加させていただいていました.さらには会で知り合った方々からのお誘いで,他の寮歌イベントにも参加するようになりました.言ってみれば自分が寮歌祭に参加するきっかけとなったのがこの能代の会なわけです.

 能代寮歌は春と秋の年に2回開催され,そのうちの1回がゲストを招いての会となります(残り1回は能代会員のみで開催).それは春だったり秋だったり様々なんですが,今年は秋の会になりました.この日は午前中外来を終わらせてから職場を出発,東海道新幹線と京急線を乗り継いで羽田空港へ,そこから飛行機で秋田空港に飛び,レンタカーを借りて能代に直行するという行程でした(13時過ぎに職場を出て18時に着いたのでほぼ5時間ということになる).

 会場となるキャッスルホテル能代にチェックインし,会場へ.いつもは2階のホールが会場になるのですが,今年は工事中とのことで3階にある別なホールでした.やや手狭でしたが派手な感じで,おめでたいイベントの会場になるんだろうなと思われました.今年の参加者は地元ゲスト併せて50人弱と例年よりも少なめでした(これはここに限らず各地の寮歌祭全体がそういう傾向).プログラムを見て我々の席を探すと,なんと!真ん中の一番前です.こんな一等席でいいんだろうかとビビりました(後から考えたら参加回数の多い人がそこに集められていた感じ,考えてみたら通算12回参加はかなり多い部類だなと感慨に浸ったのでした).

Img_5733 Img_5741(写真)食事は和洋中折衷です

 会は18時30分定刻に開始されました.開会の言葉に続いてこの1年間で新たに物故者となられた方々への黙とう,その後歓迎のあいさつへと進みます.このあいさつと一緒に注意事項の伝達がなされるのが能代流,会のスムーズな運営に協力してほしい旨のお話があります.ただかつては会が長引く最大の要因だった,長挨拶については,参加者の高齢化により,みんな長挨拶をする元気がなくなってきたのか,ここ数年はほとんど問題になっていないように感じられます.その後檄文朗読,追悼&歓迎寮歌,ゲスト代表挨拶を経て乾杯!と進みます.

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 私やKは当然ビールから入り,その後日本酒へと流れていくわけですが,周囲を見渡すと大先輩は非アルコールの方が結構多いです.まあ確かに超高齢者の方が多いのでドクターストップがかかってるんだろうなと思いました.寮歌放吟の時間では北から順番に各地の寮歌が歌われます.日本寮歌祭だとほぼほぼ全部の学校が参加しているので,各校1曲が原則ですが,この能代の会では西国を中心に参加者のいない学校もあるので,そうした学校は一部の超メジャーな寮歌以外は省略され,その分参加者のいる学校に振り分けられます(例えば北大は「都ぞ弥生」と「瓔珞磨く」の2曲,弘前は「都も遠し」,「霞の影に」,「虚空に羽ばたき」の3曲,二高が「空は東北」,「山紫に水清き」の2曲など.省略されない名曲としては五高の「武夫原頭」,七高造士館の「北辰斜め」などがあり,後者に関しては私が音頭を取らせていただきました.会はきわめてスムーズに進み,予定時間である午後10時には終宴となりました.ここ数年はこの後の2次会にも参加させていただいているんですが,今年は翌朝早めに退散するためご遠慮させていただきました.

Img_5755  こうして過去12回参加させていただいた能代寮歌を愛する会ですが,諸事情からゲストを招いての会は今回が最終回とのことです.日本各地の寮歌祭も終了しているところが多いご時世ですので仕方のないところですが,非常に寂しい気持ちになるのでした.

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2019年10月18日 (金)

元気にしています

Pa070774  久しぶりの投稿になりました.最後の記事「観艦式」が9月17日でしたから完全に1か月ぶりということになります.

 この間医師会合唱団の定期演奏会があったり,石井歓さんの没後10年コンサートに参加したり,自分初の中央アジア旅行に行ったり,その直後に台風19号が来たりといろんなことがありました.この辺の話題はぼちぼち上げていきたいと思います.

 写真は先日訪問した中央アジア,トルクメニスタンの地獄の門です.

 

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