コンスタンティノープルの陥落
さて,今日5月29日は君府と呼ばれた,ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルがオスマントルコによって陥落した日です.ハンドルネームでビザンチン皇帝を名乗っていることからもわかるように,私にとってはきわめて重要な日となります.
ビザンチン帝国というのは,別名を東ローマ帝国,中世ローマ帝国といわれるように古代ローマ帝国から連続した国家です.ビザンチンという名前はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の古名ビザンティウム(ビザンチオン)から来ており,年代的には330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がこの地に都を移した時代から,1453年5月29日に街がオスマントルコに征服されるまでの1100年間を指します.
この時代はちょうど西洋史における中世と呼ばれる時代区分に一致します.中世という言葉は,西洋史の歴史用語で古代と近代の間の時代という意味です.私が中学生頃の西洋史観では,中世というのは迷信と疫病のはびこる暗黒時代とされていました.すなわち古代ギリシャ・ローマの文明が衰退し,ルネッサンスによって復興するまでのつなぎの時代とみなされていたわけです.
もちろんこれは西欧の立場から見た話しであって,同じ時代イスラム圏は文明の中心として栄えていたわけですし,キリスト教世界においてもビザンチン帝国がその中心として繁栄していました.これらの世界においては暗黒どころか黄金期だったわけです.現在においては西欧においても中世は何もない時代ではなく,様々な社会や文化の発展がみられた時代であるという認識に変わっています.
そんな発展途上の西欧社会の人々にとって,キリスト教世界の中心地だったコンスタンティノープルが異教徒の手に落ちたことは衝撃的な事件でした.この歴史的大事件当時に作曲家として活躍していたギョーム・デュファイは,コンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆きという曲を作っています.
そんな感慨に浸った令和元年5月29日でした.
最近のコメント