« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月28日 (木)

ビザンチン皇帝の誕生日

 みなさんこんばんは.今日3月28日は当ブログの管理人ビザンチン皇帝コンスタンティヌス21世の誕生日です.かつては子供ならともかく,ある程度以上歳を重ねた人間の誕生日がどこまでめでたいのかと疑問を感じていた時期もあったのですが,今では元気で無事にこの日を迎えられたことに感謝する日と考えるようになりました.

Img_1858(写真1)諸葛亮といえば羽扇,これは台湾の露店で買ったものです

 で,自分の生年が1966年なので,とうとう三国志の名軍師諸葛亮(字は孔明)の享年といっしょになってしまいました.

 うーん,なんか感慨深いです.中高生の頃夢中になって読んでいたのが吉川英治の三国志(および横山光輝の三国志),その登場人物として非常に魅力的だったのが諸葛亮です.西暦181年に生まれ,234年に魏の司馬懿と対陣中五丈原(今の陝西省宝鶏市近郊)で病没したと伝えられています.享年53歳,この時魏の司馬懿は諸葛亮の死を悟り総攻撃に打って出ます.しかしこのことを予想していた諸葛亮は自分自身の木像を用意し,敵に向かって押し出させます.これを見た司馬懿は諸葛亮がまだ生きているのではないかと狼狽し退却したとされています.これが「死する孔明生ける仲達(司馬懿の字)を走らす」という言葉です.

 そんな憧れの英雄と歳がならんだと思うと非常に感慨深い誕生日でした.

Img_4679  ちなみに周囲には,「今日はどこか美味しいものを食べに行くんですか?」と聞かれたんですが,当直だったので美味しい(?)病院の検食をいただいたのでした.

| | コメント (0)

2019年3月25日 (月)

退職記念祝賀会

Img_4672 先週のぽかぽか暖かい陽気から一転して,冬が戻ってきたのかとばかりに気温が下がった昨日,お世話になっている大学の教授の退職記念祝賀会に参加してきました.

 前夜は合唱団の練習,その後今月で転勤が決まった団員の送別会に参加して,この日は都内のホテルに宿泊します.

 翌朝起きて東京駅へ.この日は気温は低めながら抜けるような青空でした.8時40分発のはやぶさ号で一路北を目指します.快調に走って行って岩手県内に入り,北上あたりにさしかかったところ,周囲はなんと雪です!!

Img_1843Img_4674 さすが北国!と感心していたんですが,盛岡に着くと天気は晴れ,雪もなくなっていました(考えてみたら北上付近はちょうど奥羽山脈の切れ目に当たり,日本海側からの湿った風がもろに入ってくるため,岩手の中でも雪が多い地域である).改札を出ると,件の「教授祝賀会場行きのバスはこちらです」というプラカードを持った係員が立っていました(や,やるな).案内に従って駅の西口に出ると,会場行きバスがいたので乗り込みます.しばらくして発車し会場へ,この日は市内の高台にあるホテルでした.

 会場に入るとたくさんの花輪が飾られています.県内のみならず,遠く全国各地から来ていました.20世紀と違って医局制度が崩壊し,今や医学部教授の権力なんてたかが知れていますが,それでもこれだけの人脈はあるんだなと感心しました.

Img_1844 やがて12時から写真撮影(これは2班に分かれていて,来賓などお偉いさんが第1班,自分のような庶民は第2班)に進み,その後祝賀会になりました.開会の言葉から来賓の挨拶,お祝いの仕舞いと進み,いよいよ祝宴です.

 シャンパンで乾杯した後はコース料理を堪能します(テーブルにはビールも置かれていましたが,こういう場ではビールを飲まない私は当然ワイン (^^)v).主役は教授なはずですが,自分のように遠隔地に勤務しているものにとって,ここでは久しぶりに会った先生方との親睦がメインになったのは言うまでもありません.

Img_1847(写真)かつていろいろ遊んだ仲間(笑)

 15時ごろに終宴となり再び送迎バスで盛岡駅へ,そのまま新幹線でこちらに戻ってきたのでした(はやぶさとこまちが併結されるタイプだったんですが,この日は秋田県内が強風でこまち号が大幅に遅れたため,併結できず単独運転になった).そして小田原駅でウチのKと合流して近くの居酒屋で夕食となったのでした.

| | コメント (0)

2019年3月23日 (土)

第22回ひの新選組まつりに参加します

2019shinsengumipre 昨日家のポストを覗いたら,一通のハガキが投函されていました.見たら日野市観光協会からのものです.

 2006年から参加し続けているこのお祭りですが,昨年心残りだったコンテストパフォーマンスが完了したことと,近年急速に世代交代が進んでいて,かつて一緒に参加していた人たちがほとんどいなくなってしまったことから,今年は正直参加するかどうか悩みました(まさに函館の土方歳三状態 笑).一時は全く同じ日程に医師会合唱団の合宿が入る可能性もあって,これを機会に自分も卒業しようかとも思ったんですが,合宿の日程は被らないことが判明したことと,少なくなったとはいえ毎年ここでしかお会いできない人たちもいるということで,今年も申し込みをしました.昨年は隊士として参加したので,ことしは同時代の人々枠での申し込みでした.この枠は一昨年から役柄にかける思いなどをPRすることを求められるようになったんですが,まあその辺もなんとか作文した結果私に与えれた役が…

Img_1842

 幕臣勝海舟!

 これまで同時代枠では佐幕派の松本良順や井上松五郎,討幕派の清河八郎や高杉晋作をやったわけですが,今回は立場的には微妙な勝安房守です.幕臣という立場ではありますが,西郷隆盛と親交があり幕末の最終段階ではすべてを投げ出してしまったケイキさんに代わって江戸城の無血開城に努力した人物です.

 勝先生といえば弟子の坂本龍馬や西郷隆盛との絡みもあって,遊ぶには格好のキャラです(少なくとも高杉晋作のような圧倒的なアウェイ感はなさそう).せっかくいただいた役なので,速攻お金を振り込んだのはいうまでもありません.

 そんなわけで今年も参加するひの新選組まつり,皆さんよろしくお願いいたします.

| | コメント (0)

2019年3月22日 (金)

ココログの仕様が…

 自分がメインで(というか今では唯一)使っているブログがこのココログです.

 先日の記事でも紹介したんですが,今回管理ページが大幅に改訂されました(3月19日からだったもよう).で,その新バージョンで初めて投稿したのが前記事,歌劇「ウェルテル」だったわけですが,従来と比べてだいぶ使いづらくなり,正直これは改正ではなく改悪ではないかというのが正直な印象です.

 その第一は従来ココログは,改行をすると自動的にスペースが半行くらい空く仕様になっていて,これがために段落がわかりやすく見やすいブログになっていました.ところが改定後はそれがルーチンではなくなったのです(文章を入力後,通常エディタで<div>を<p>に変更することで従来パターンへの変更は可能なんですが,いちいちそんなことをしなければならないのは正直不具合です.

 次に画像の入力について.従来は画像入力時に場所やサムネイルの大きさが自由に決められていたんですが,改定後はサムネイルの大きさは基本的に決まっていて,変更が非常に面倒になったという点です.また入力した画像と文章との間に隙間がなく,はっきり言って美しく見やすいとはとても思えない出来栄えになります.先の「ウェルテル」の記事でもプログラム画像と文章との隙間がありません.これでも縦方向はまだ我慢できるんですが,従来のように文章を画像の右側に回り込む形式で書こうとしたら

Img008 こんな感じになってしまいます.画像と文章がくっついてしまっていて,お世辞にも見やすいとは言えないですよね.

 そんな感じになってしまったココログ,スマホ時代に対応したという触れ込みなんですが,いったい運営は何を考えているのかわかりません.とりあえずは自分でなんとかする方法を考えていきたいとは思うんですが,そんなストレスを感じてまでココログを使い続ける意味があるのかどうか… 13年間使ってきた愛着のあるものだけに悲しくなっているビザンチン皇帝でした.

続きを読む "ココログの仕様が…"

| | コメント (0)

2019年3月21日 (木)

歌劇「ウェルテル」

Img008
 オペラ鑑賞が大好きな我が家です.新国立劇場のシーズンチケットを購入していることもあって,秋から春のシーズン中は,ほぼ毎月鑑賞している計算になります.今週火曜日の3月19日は表題の歌劇「ウェルテル」を鑑賞してきました.

 このオペラはゲーテの有名な小説である「若きウェルテルの悩み」をマスネがオペラ化したものです.初演は1892年ですから,イタリアのプッチーニが最初の大成功を収めた作品である「マノン・レスコー」の前年にあたります.奇しくもマノン・レスコーの物語はマスネ自身も1884年に先行してオペラ化しています(「マノン」).

 19世紀のフランスのオペラというとグランドオペラと呼ばれるスタイルが一般的です.これは途中にバレエや大合唱が参加するエンターテイメント性の高い幕が挿入されるのが特徴で,非常に舞台が華やかになりますが,一方で物語の進行には全く関係ない部分なので,オペラを劇としてみた場合は,この部分の存在によって劇は停滞することになります.ビゼーの「カルメン」のように起承転結のはっきりしている題材ならそれでもあまり問題になりませんが,本作品のように登場人物の内面の葛藤がメインとなる題材だとグランドオペラのスタイルは全くそぐわないことになります(事実本作品にはそうした幕はない).

 今回の舞台は2016年に制作された二コラ・ジョエル演出の再演です.3年前にも鑑賞していますが,1幕の緑,2幕の青,3幕の灰色と色彩が印象的な舞台です.歌い手はウェルテルにサイミール・ビルグさん,シャルロットに藤村美穂子さん,とにかくこの2人が凄くて圧巻でした.主役級というのはこういう人たちを言うんだろうなと感じた舞台でした.
 

| | コメント (0)

2019年3月11日 (月)

3月11日

 今日は3月11日,8年前に東日本大震災が発生した忘れられない日です.

 8年前の2011年3月11日は金曜日でした.朝から良いお天気で,私の勤務地ではこの日院長も副院長も出張で不在,自分も外来がない日だったので,午前中からお昼にかけては,なんとなくのんびりとした雰囲気が漂っていた記憶があります.

 そんなのんびりムードの昼下がり,2時46分に突然の揺れを自覚しました.日本に住んでいれば地震は日常茶飯事です.ちょっと揺れが大きいなとは感じましたが,すぐに収まるだろうと思いじっとしていたんですが,収まらずむしろ揺れが強くなってきたため,これはただ事ではないと思い,他のドクターと手分けをして病棟に異常がないか確認しに走りました.問題がないことを確認してから医局に戻りテレビを着けたところ,東北の太平洋側を中心とした大きな地震が発生したことを知りました(テロップで仙台市が震度6強と表示されていて青ざめたのを覚えている).

 その後の展開は当時関東地方在住だった人なら理解できると思いますが,津波被害に加えて原子力発電所の事故も重なったことから,人々の不安感が高まり,スーパーから即席めんなどの保存食やミネラルウォーターが消えました.ネット上ではデマ情報が拡散し振り回される人が現れました(この震災は情報通信革命が起こってから初めての広域震災のため,ネット上では玉石混交のたくさんの情報が飛び交い,混乱に拍車をかけた).不安感が社会を包んだためか,過度な自粛ムードが広がり,様々なイベントが自粛の名のもとに中止されました(ちょうど花見シーズンを向かえるところでしたが,そうしたイベントを行うことが許されない雰囲気があった).

 今振り返ると,あそこまで自粛しなければならない理由はなかったと感じるのですが,やっぱり日本人は空気に支配される国民性なんだなと痛感しました.それにしても,当時買い占められた即席めんや水はちゃんと消費されたのか心配になります.

 大震災はいつやってくるかわからない.それに備えるために普段から準備する(我が家でも各種防災用品を準備している)ことは重要です.一方で8年前のように震災の直接的な被災者にならなかった者がどのような行動をとるべきなのかも浮き彫りになりました.そのあたりをしっかりと啓蒙していくことが,いつかやってくるだろう次の大震災での被害を最小限に食い止めることにつながる.そんなことを考えた2019年3月11日でした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 8日 (金)

春の陽気

 3月も1週間が経過しました.ここ数日は雨で気温が下がった日もありましたが,今日は一転して快晴の良いお天気でした.

Img_4655 (写真) 職場近くの桜も咲き始めています. 

 すっかり春の陽気となり,気持ちがいいのでお昼は久しぶりに外に出かけました.いった先は…

 ラーメン屋さん (^^;)

 この日食べたのは味噌バターコーンラーメン,なんかカロリーが高そうなイメージですが,この系統のラーメンに目がない時分でした.

Img_4656  確かにカロリーも高そうですが,もやしやわかめ,海苔なども入っているので少しはバランスがとれているかと…

 久しぶりで美味しかったです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 3日 (日)

3月3日

 今日は3月3日,世間では桃の節句です.ひな祭りといった華やかなイメージの大きいこの日ですが,歴史的には結構重要な事件が起こっている日でもあります.

 日本史関係では特に幕末維新期に重要事件が発生していて,たとえば嘉永七年(1854年)の3月3日に日米和親条約の締結がありました.またその6年後安政七年(1860年)3月3日には有名な桜田門外の変が起こっています.この日大老井伊直弼はひな祭りの祝賀のために江戸城に向かう途中,襲撃を受けたのです.そしてそれから8年後の慶応四年(1868年)3月3日に起こったのが,赤報隊ニセ官軍事件にて首魁とされた相楽総三の処刑です.

Abe2 Ii1Saigou1_2

(写真) 左から日米和親条約締結時の老中首座阿部正弘,桜田門外の変で暗殺された井伊直弼,赤報隊の相楽総三とかかわりの深い西郷隆盛

 一方世界史ではロシアのアレクサンドル2世による農奴解放令が1861年,歌劇「カルメン」の初演が1875年,そして第1次世界大戦でロシアが戦争から離脱することが決定したブレスト・リトフスク条約の締結が1918年の3月3日となっています.

 で,そんないろんな記念日がある2019年3月3日は久しぶりに何の予定もない日曜日でした.最近は日曜日というといろんなイベントや出張などが入ってたんですが,この日は一日何もせずに家でゆっくりとしていました(こんな日曜日いつ以来だろうと思ったらなんと去年の11月以来でした 笑).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 2日 (土)

第59回日本寮歌祭

 今日自宅のポストに封書が届いていました.

Img_4653  中央寮歌祭の事務局からのものでした(自分も一応幹事の端くれなので 汗).

 内容はというと,今年は従来の「中央寮歌祭」ではなく,「第59回日本寮歌祭」名義で開催するというものでした.

 日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で1961年に第1回が東京の文京公会堂で開催され,以後日比谷公会堂や日本武道館を主会場に毎年開催されました.当時は参加は同窓会単位,当日も各校同窓会が順番にステージで代表的な寮歌高唱を行う発表会形式(コンクール形式とも)で行われていました.しかし時代の流れとともに参加者の高齢化が進んだこともあり,2001年の第41回からは個人単位での参加,パーティ会場での宴会形式に変更されました.ただその後も着実に高齢化が進み,旧制高校を現役で知る人々が減っていったことから2010年の第50回をもって終了となったのです.

 ただこうした全国規模での寮歌祭の継続を望む人は多く,その中から生まれたのが中央寮歌祭です.この会の特徴は従来旧制高校主体だった寮歌祭に戦後の新制大学の人々も広く加えた点です.旧制高校を現役で知る方々は今後減る一方なので,このままでは全国各地の寮歌祭はいずれ消滅することになります.他方,現役で寮歌を知らない世代であっても,その理念に共感する人は(私を含めて)多く,そうした人々を積極的に取り入れて,文化としての寮歌を後世に残していこうというのが会のねらいです.

 ただ一方で寮歌はあくまでもそれを肌で知っているもののためにあり,そうした人々の消滅と共に寮歌の消滅もやむを得ないと考えている方々もいます.この辺の議論は難しいのですが,ともあれ第50回で終了する日本寮歌祭の理念を継承しようという趣旨で,翌2011年から中央寮歌祭が始まり,昨年8回目を迎えました(中央寮歌祭は第1回,第2回という数え方はせず,たとえば昨年ならば中央寮歌祭2018と表記).

 その間日本寮歌祭を主催していた日本寮歌振興会では,寮歌伝承の集いという会を行って活動していたのですが,やはり参加者の高齢化と減少という事実に直面し,今回中央寮歌祭と合体して日本寮歌祭として復活させる方針となったようです.そして復活する日本寮歌祭が第59回であることは,この間の中央寮歌祭を暗に第51~第58回であると認識しているんだろうと思われます.

 そんな第59回日本寮歌祭は2019年8月4日(日)に日暮里のホテルラングウッドで開催されます.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 1日 (金)

3月になりました

 すっかりその存在が2千円札みたいになったプレミアムフライデーから一夜明け,気が付いたら3月になっていました.

 花粉症が本格化する時期でもあり,街中でもマスク姿の方を多く見かけます.そういえば自分も昨年はこの時期すごく目が痒くなって,「自分も花粉症か!」と思ったのですが,今年は今のところ大丈夫です.

Img_4552  お昼に近くを散策したら,梅の木にも花がさいていて,季節は春を感じさせます(北国はまだまだ寒いんでしょうが).

 3月といえば異動のシーズン,職場でも転勤者の内示が出て慌ただしい雰囲気になっていました(自分は転勤になりませんが 笑).

 そういえば1か月前はザルツブルクにいたんだよなぁ~ と遠い昔の出来事のように感じてしまうほどいろんなことのあった1か月でした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »