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2018年2月13日 (火)

ウィンタースポーツの思い出

 平昌冬季オリンピックが始まっている.夏のオリンピックに比べると地味だと言われる冬季オリンピックだが,自分的にはけっこう興味がある.子供時代算数や理科,社会科が好きな一方で体育が大の苦手だった私が,人生で唯一所属したことのある運動部が中学時代のスキー部だからだ.

 ただこれは,当時スキーが大好きだったからスキー部に入ったわけではなく,父親から「中学生になったんだから何か運動部に入れ」といわれて,やむなく入ったのがスキー部だったというのにすぎない.じゃあ,なんでスキー部だったのかというと,

 当時通っていた中学の全運動部中,もっともユルイのがスキー部だった (^.^) 

 からである.

 スキーはウインタースポーツであるから当然冬にしかやれない(現代ならグラススキーなんてのもあるが,地方の中学校にはまったく無縁の存在である).じゃあ夏は何をやるのかというと,一般には基礎トレーニングということになる.ただ,そうした地味な活動を黙々とこなすのは,大会で成績上位を目指す気合の入った学校のスキー部の話であり,気合の入っていない学校のスキー部の場合は夏季≒休みであり,事実上の帰宅部である.自分のスキー部も,夏は事実上の帰宅同好会だった(笑).

 そんな弱小スキー部ではあるものの,もちろん大会は存在する.主な公式戦は市民体育大会(市民大)と中学校体育連盟(いわゆる中体連)主催の大会である(その他スキー場主催の大会もある).スキー種目はアルペン競技とノルディック競技に大別され,前者は滑降,スーパー大回転,大回転,回転に,後者はジャンプと距離(いわゆるクロスカントリー)がある.ただ当時中学生の大会で行われていたのはアルペンでは大回転,ノルディックでは距離だけだった.ノルディックでジャンプが無いのはまあ分かるが(見るからに素人には危険そうだし),アルペンが大回転だけというのは,滑降はスピードが出て危険なのと,回転は旗門が細かくて最低ウェーデルンができないと競技にならないからと思われた(スキー競技者だった自分の父親が言ってたのだが,ジャンプは落ち方を間違えなければ骨折はしても死ぬことはめったにないのに対して,滑降はコースアウトすると冗談ではなく死ぬ可能性があるそうだ).

 で,自分の中学のスキー部であるが,基本的にやる気のない弱小クラブで部員が少なかったこともあり,部員=選手だった(すなわち誰でも大会に出られる 笑).ただし出場種目は本人の適正ではなく1年生が距離,2年生が大回転と決まっていた(3年生は受験のため出場しない).なんでかというと,距離は疲れるので上級生は出たくないという単純な理由である(とことんまで気合の入っていない部活だったわけだ).活動もおおざっぱなので,夏は基本的に帰宅部,雪が降って年が明けた頃の日曜日に1~2回スキー場に練習に行って,あとは大会というのが流れである.部活だから当然顧問の先生もいるのだが,部員同様あまりやる気がないのか,こちらもスキー場での練習日と大会当日以外は顔を出していた記憶がない.

 そんなやる気のない部活だったが大会はそれなりに緊張感があって面白かった.1年時の距離はともかく,2年時の大回転は成績上位なんて考えてもいないので,とにかく旗門をすべてクリアして完走するのが目標だった(旗門不通過で失格になる選手は意外に多いので).

70s_stenmark_ingemar でそんな自分の中学生時代にアルペンの世界で活躍していたのがスウェーデンのインゲマル・ステンマルク選手である.回転と大回転の名手で,1980年のレイクプラシッドオリンピックの両種目で金メダルを獲得,自分たちも日ごろの練習不足は棚に上げて,ステンマルク選手の真似をしてカッコつけていたのを思い出す.

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