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2018年2月20日 (火)

歌劇「松風」

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 南アフリカ旅行からほぼひと月が経過しました.季節外れに休暇を取ったこともあり,帰国後はほぼ職場でひたすら仕事の日々だったんですが(余暇は2月6日に宇宙戦艦ヤマト2202を観に行ったくらいか),2月18日日曜日に新国立劇場で上演された歌劇「松風」を観劇してきました.

 松風は日本の古典芸能である能の有名な演目を細川俊夫がオペラ化したものです.そのオリジナルは「撰集抄」や「源氏物語」中にある説話や「古今和歌集」にある歌をベースに室町時代の観阿弥が猿楽としてまとめたもの,罪を得て須磨の地に流された在原行平が愛した地元の娘,松風・村雨姉妹の物語です.

 オリジナルが能とはいえ,歌詞はドイツ語で,楽器も風鈴が用いられる以外は基本的に西洋の楽器です.能の面が登場することもありません.しかし,セリフ回しや構成は普通の西洋オペラとは異質な能の空気に満ちています.語り手たる旅の僧,亡霊である松風・村雨の未練から狂気を経て(おそらくは)成仏していくという一連の流れが,途切れることなく緊張感の高い音楽と踊りでつながっていきます.1幕モノの狂気作品ということでR・シュトラウスの「サロメ」を想像したんですが,エログロなど世紀末的退廃が前面に出ているサロメと違って,もののあわれに代表される日本的な美しさが際立つ作品に仕上がっていました.シンプルな言葉と音楽,そして踊りが融合する舞台は,いわゆる歌劇とはことなる総合芸術作品だなと感心しました(和風のワーグナーか? 笑).

 

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2018年2月15日 (木)

南部アフリカ旅行記⑤

 南部アフリカ旅行記,その5はロベン島&ワイナリー編です.

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(写真1) 朝食のオムレツ

 昨夜も比較的早めに就寝したが,いまだ体内から日本時間が抜けていないのか夜中に一度目が覚めた.ただその後二度寝に成功し,再び目が覚めたのはモーニングコールの直前だった(この日のモーニングコールは6時半).身支度をして朝食会場へ,この日もオムレツを作ってもらい,その他はハムやポークソーセージをチョイスする.テーブルに戻って食事開始,が… 自分のオムレツとKのそれとが入れ替わっていた(具材の違いでわかる).どうやら焼いた人が間違った模様(笑).ソーセージは昨日食べたビーフの方が美味しかった気がする.

P1220203 (写真2) ウォーターフロント地区

 朝食後はいったん部屋に戻って身支度をして8時半にロビーに集合である(昨日同様遅刻者無し).この日の午前中はロベン島観光なので,まずはバスで桟橋方面に向かう.天気は昨日の朝と同様一面どんよりとした曇り空だった.日曜の昨日はガラガラだった道路も,平日の今日は混雑していた.ただそれでも10分もしないで桟橋の駐車場に到着,ここから徒歩で船のターミナルに向かう.この周辺が通称ウォーターフロント地区と呼ばれるケープタウン観光ではよく知られた界隈である.石畳の通りには様々なモニュメントやカラフルな建物が立ち並んでおり,港にはたくさんの船が停泊していた(日本の漁船もいた).

P1220206 (写真3) フェリーターミナル

 ターミナルに入った後受付をすませてセキュリティへ進む.空港のそれと同じような機械が設置されていたが,形式的なものなのか検査は緩かった.ゲートを抜けてそのまま乗船となる.船のサイズは昨日ハウトベイで乗った遊覧船よりは大きく客席は2層になっていた.基本的に自由席なので,展望がよさそうな2階のオープンデッキに行こうとしたが,我々が行くちょっと前に定員に達したらしく,2階に上がる階段が閉鎖されてしまいやむなく1階の船室になった.船は9時に出航という触れ込みだったが,なるべく多くの客を載せたいという会社の思惑なのか,定時になっても動き出さず,ようやく出航した時は9時10分過ぎになっていた.

P1220218 P1220221 (左写真4) ロベン島行きのフェリー,(右同5) ゴルゴ13

 ロベン島はケープタウンの市街地から沖合12キロにある.天気が良ければテーブルマウンテンの山頂からも良く見えるほど大陸からほど近い島であるが,周囲の海流が激しいことからここを抜け出して町に泳ぎ着くのは困難で,その特性から監獄島として利用されてきた.特に南アフリカのアパルトヘイト時代には多くの政治犯を収容していたことで知られ,後に黒人初の南アフリカ大統領となったネルソン・マンデラ氏も1964年から1982年まで18年間ここに収容されている(ゴルゴ13の第50巻と第81巻にこの島が舞台となった作品がある).アパルトヘイトが撤廃された後1996年に監獄は閉鎖され,翌1997年に政府によって博物館化されて現在に至っている(1999年には世界遺産に指定された).

 事前に調べたところによるとロベン島行きの船は結構揺れるので注意ということだったので,沖縄の波照間島に向かう高速船を想像していたのだが,この日は拍子抜けするほど穏やかな航行だった.

P1220229 (写真6) ロベン島が見えてきた

 出航して10分ほどしたころから前方に島影が見えてくる.あれが目指すロベン島らしい.ゴルゴ13だと,島の陸地はすべて監獄で,四方を城壁で囲まれた小さな島のように描かれていたが,実際のロベン島は想像していたよりもずっと大きい島である(面積5.47平方キロ).そのまま島の桟橋に近づいたのだが,先客の船がいて,これが動くまで接岸できないらしくしばらく待機する羽目になった.その後先客が出港してようやく我々の船が着岸,ついにロベン島に上陸となる.

P1220234 Image1_2 (左写真7) ロベン島は意外に広い,(右同8) 漫画ではこんな感じだが

 上陸はしたものの,この島の観光客は勝手に動き回ることはできない.まずは用意されたバスでの島内ツアーだ.降りた順にバスに案内され,満員になり次第出発となる(定員20~30人くらいのバス).車内では英語ガイドによる解説が行われるが,我々に関しては自分たちのガイドさんがイヤホンガイドを使って逐次日本語でも解説してくれるので助かった.

P1220376_2 (写真9) ロべン島へのゲート

 まずはROBBEN ISLANDと書かれたゲートをくぐって内部へ.監獄というイメージからコンクリートの灰色の建物が整然と並んでいるのかと思ってたが,実際は広い敷地内に刑務所棟がポツン,ポツンと立っている感じ.メインは石造りでパッと見はむしろ学校である.ただ塀の上に張り巡らされた有刺鉄線が,ここが監獄であることを示している.敷地内の建物は基本的に刑務所と職員用の施設ばかりだが,そのほかに教会もあるのがキリスト教世界らしい.実はこの教会は今でも現役で,国の博物館となっているこの島で唯一民間の管轄になっているとのこと.近年ではこの教会で結婚式を挙げるというイベントが行われていて一部で人気らしい.

P1220250 P1220298 (左写真10) 石造りの建物,(右同11) 有刺鉄線が

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(写真12) ロベン島教会

 建物の外観を見学しながらバスは島内を巡っていく.建物以外では囚人が使役された採石場が印象的だった(この刑務所では基本的に何の役にも立たないような使役をさせていたらしい.これはあえて生産的でない作業を強いることで囚人に絶望感を植え付ける意味合いがあると思われる).そのほかには第二次大戦時に設置された砲台やトーチカなどもあった.一方でこの島は自然も豊かであり,ペンギンなどの鳥や鹿,カメなどの野生動物の姿も見かけた.特にカメは我々の観光中もしょっちゅう道路を横断して,その都度バスは一時停止していた(この島の道路はカメ優先らしい 笑).また周辺の海ではアワビも取れるほか,ちょうどクジラの姿も目撃した(一瞬だったので残念ながら写真はなし).

P1220293 P1220268 (左写真13) 採石場,(右同14) 周辺の海には海藻が

 約1時間ほどでバスツアーは終了,トイレ休憩に続いては刑務所内部の見学である.今度も20~30人のグループごとに行動する.まずは雑居房の見学,学校の教室を少し小さくした程度のスペースに60人くらい収容されていたらしい.窓はあるがガラスなどはなく夏はともかく,冬はケープタウン特有の風が吹き込んで非常に寒かったそうだ.そんな環境の中囚人たちに支給された寝具は2枚の筵だけだったとのこと.房にはトイレやシャワーもあるが60人収容でシャワーは2つだけだった.その辺の話をしてくれるガイドは,かつてこの監獄に収容されていた(強盗や殺人といった一般犯罪ではない)元政治犯の方々である.リアルにここで生活していた人たちであるからその証言は生々しく,また思いも深いため熱く語っていたのが印象的である(ガイドさんたちが熱く語るため,この刑務所内ツアーはどうしても時間が押すらしい).

P1220309 P1220313 (左写真15) ここから監獄内の見学へ,(右同16) 雑居房にて

P1220319 P1220311 (左写真17) 囚人に支給されていた筵,(右同18) こちらはトイレスペース

 雑居房の見学に続いて今度は独房(D-sectionと呼ばれていたらしい)になるのだが,その前に間にある運動場を見学する.ここは囚人たちが自由時間にサッカーに興じた空間だったそうだ.独房のあるD-sectionに入る.こちらは3畳程度のスペースの独房が並んでいる.房には一般の房と,何らかの処罰を与えるための房があり,後者の房には窓がなく金網が張り巡らされていた.房の内部に備え付けられているのは椅子を兼用してるらしい台が1つと筵とブリキ缶だけ,房には鉄格子に加えて木の扉も据え付けられている.かつては鉄格子だけだったらしいが,長い歴史の中で合鍵を作って抜け出した囚人がいたために,2重の扉になったらしい.この中の一つがかつてネルソン・マンデラが収容されていた房である.こんな中で生活した18年とはいったいどんなものだったのか… と考えた.

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(左写真19) ネルソン・マンデラが収容されていた房,(右同20) 内部はシンプル

 独房棟の見学を終えて最後に塀で囲まれた広場のようなところに出る.ここは刑務所の中庭で囚人たちの運動場として利用されていた空間だという.

P1220362 (写真21) 運動場の中庭

 こうして監獄内の見学は終了,そのまま外に出て徒歩で桟橋に向かう.時刻は11時40分ごろほぼ予定鳥である.すでに船は着岸しておりそのまま乗り込むのかと思いきや,その前にお土産物屋に寄れということでそちらへ.ロベン島関連のグッズが並んでいた中からTシャツを購入した.そのあとは本当に船に乗り込む.ただ満席に近くならないと出ないらしく,20分くらい足止めされ,出航したのは12時20分ごろだった.

 帰りの船は来た時とは異なるタイプでやや小型の高速船とのこと.かなり揺れるのかと覚悟していたが,往路同様揺れは少なくて拍子抜けする.結局30分かからずにケープタウンの港に到着した.

 ウォーターフロントの港に着いた時分は朝とは違って晴れ間が見え始めていた.周辺も明るくてなんだか朝とは違う場所みたいだ.我々はそのまま歩いて駐車場に向かい待っていたバスに乗り込んだ.この後の予定はケープタウン郊外にあるステレンボッシュにて昼食&ワインのテイスティングである.

 南アフリカ,とりわけケープタウンのあるケープ州は比較的冷涼で,夏の日照時間が多いワインブドウの栽培に適した地である.このため町の郊外には良質のワインを生み出すワイナリーがたくさんあることで知られている.今回訪問するステレンボッシュはケープタウンから車で40分と近場にあるワインの里である.普段から酒好きワイン好きの我々であるから,この南アフリカのワインを堪能する機会は非常に楽しみにしていたもののひとつであった.

P1220755 P1220820 (左写真22) ブドウ畑,(右同23) ゼーヴェンバッハのレストラン

 町を離れて郊外に出てくると徐々に牧歌的な風景が広がってくる.見たら何頭もの牛が歩道を歩いている光景に出くわした(みんなで家出でもしたのか?).一般にアフリカというと砂漠やジャングル,サバンナのイメージがあるが南アフリカ大西洋岸はそうしたステレオタイプでないアフリカが見られる地域である(ヨーロッパ的なアフリカというべきか).この日我々が訪れたワイナリー,ゼーヴェンバッハは小さな湖のほとりにたたずむアフリカっぽくない(笑)ところだった.

P1220773 P1220763 (左写真24) レストラン入り口,(右同25) テーブルです

P1220768 P1220771 (左写真26) 前菜のサラダ,(右同27) マレー風ラザニア

 まずはレストランで昼食,この日のメニューはサラダとマレー風ラザニア,今旅行の食事(機内食と朝食除く)では初めての肉料理である.飲み物に関してはこの後テイスティングが控えていることもありソフトドリンクにしていた人たちもいたのだが,誘惑には勝てず赤ワインを注文した(料理にはやっぱりワインが合うので後悔なし 笑).食事後はレストラン正面の湖畔を散策,緑の芝生がまぶしく,本当に爽やかなヨーロッパ的な気候で気持ちが良かった(付近にはあじさいも咲いていた).

P1220818 P1220766 (左写真28) さわやかな陽気,(右同29) あじさいが!

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(写真30) テイスティングです

 その後はワインのテイスティングへ..案内されてテーブルに着くと,ワインリストとグラスが置かれている.この日はこの中から5種類のワインをテイスティングである(白2,赤2,ロゼ1).ガイドさんが当地のワインについていろいろ解説してくれたんですが,本当に詳しい!この人実はワインが専門なんじゃないかと思ったのだった.中でも面白かったのが赤ワイン,南アフリカにはフランスのピノ・ノワールとサンソー(エルミタージュ)を掛け合わせたピノタージュという独特のブドウがあり,濃くてスモークが利いた風味のワインとなる.「南アでワインに迷ったらピノタージュ」というガイドさんの言葉が印象的だった.テイスティング後はここで醸造されているワイン樽の見学,ずらっと並んだ樽を見て,これらひとつひとつ全部個性が違うんだなぁと考えると非常に感慨深いものがあった.

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(左写真31) テイスティングを楽しむ,(右同32) ワインの樽

 なんやかんやで16時過ぎまでここに滞在,その後バスに乗って町に戻る.約40分でウォーターフロント地区のショッピングモールに到着した.この後は1時間ほどここで自由時間,その後夕食という流れだ.一般に治安に不安がある南アフリカだが,こうしたショッピングモールは例外でたくさんの警備員や防犯カメラが設置されていて,スリや置き引き以外の犯罪とは無縁で安心して買い物ができる場所だ.ほかの参加者はさっそくショッピングに向かっていたが,基本的に買い物に関心が薄い 我々はスーパーをちょっと散策した程度でそのまま外に出た.

P1230401_2 P1230412 (左写真33) ウォーターフロントのショッピングモール,(右同34) 広場

 朝の曇り空とは打って変わりこの時間帯は晴れ渡っている(昨日と一緒だ).外では観光客が歩いていてまさに繁華街である.街角には大道芸人みたいな人もいた.ふと見ると目の前に観覧車がある.朝ロベン島行きの桟橋からも見えていて気になっていたところだ.集合までまだまだ時間があるのでせっかくだから乗ってみることにする.受付で料金を払って乗り込んだ.

P1230410 P1230424 (左写真35) 観覧車,(右同36) 高速回転します

 で,動き出したのだが,なんか速い! 日本だと観覧車はゆっくりと回って町の景色を堪能となるのだが,こちらはちょっと趣が違うらしい.あれよあれよという間に1回転してしまった.こ,これで終わりなのか!と思ってたら,降ろされる気配はなくさらに2回転,3回転目に突入,どうやら何回転もするのがこちら流らしかった(結局4回転で降ろされた).まさにところ変わればである.そうこうしているうちに集合時間になった.

P1230430 P1230433 (左写真37) 夕食の前菜イカ焼き,(右同38) メインのステーキ

 この日の夕食はウォーターフロントのレストラン,ショッピングモールから徒歩圏内.メニューはお昼に続いて肉,しかもステーキである(前菜はイカ焼き).飲み物は日中さんざんワインを飲んだとこともあってビールを選択,結局ぺろりと平らげたのだった.

P1230827 (写真39) ケープタウンの夜景

 夕食の後は昨夜断念したケープタウンの夜景スポットへ,たどり着いたのはいいけれど昨夕同様雲がどんどん広がってくる.結局10分程度の写真タイムをへてそのままホテルに戻ることになった.明日はヨハネスブルグへの移動である.

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2018年2月13日 (火)

ウィンタースポーツの思い出

 平昌冬季オリンピックが始まっている.夏のオリンピックに比べると地味だと言われる冬季オリンピックだが,自分的にはけっこう興味がある.子供時代算数や理科,社会科が好きな一方で体育が大の苦手だった私が,人生で唯一所属したことのある運動部が中学時代のスキー部だからだ.

 ただこれは,当時スキーが大好きだったからスキー部に入ったわけではなく,父親から「中学生になったんだから何か運動部に入れ」といわれて,やむなく入ったのがスキー部だったというのにすぎない.じゃあ,なんでスキー部だったのかというと,

 当時通っていた中学の全運動部中,もっともユルイのがスキー部だった (^.^) 

 からである.

 スキーはウインタースポーツであるから当然冬にしかやれない(現代ならグラススキーなんてのもあるが,地方の中学校にはまったく無縁の存在である).じゃあ夏は何をやるのかというと,一般には基礎トレーニングということになる.ただ,そうした地味な活動を黙々とこなすのは,大会で成績上位を目指す気合の入った学校のスキー部の話であり,気合の入っていない学校のスキー部の場合は夏季≒休みであり,事実上の帰宅部である.自分のスキー部も,夏は事実上の帰宅同好会だった(笑).

 そんな弱小スキー部ではあるものの,もちろん大会は存在する.主な公式戦は市民体育大会(市民大)と中学校体育連盟(いわゆる中体連)主催の大会である(その他スキー場主催の大会もある).スキー種目はアルペン競技とノルディック競技に大別され,前者は滑降,スーパー大回転,大回転,回転に,後者はジャンプと距離(いわゆるクロスカントリー)がある.ただ当時中学生の大会で行われていたのはアルペンでは大回転,ノルディックでは距離だけだった.ノルディックでジャンプが無いのはまあ分かるが(見るからに素人には危険そうだし),アルペンが大回転だけというのは,滑降はスピードが出て危険なのと,回転は旗門が細かくて最低ウェーデルンができないと競技にならないからと思われた(スキー競技者だった自分の父親が言ってたのだが,ジャンプは落ち方を間違えなければ骨折はしても死ぬことはめったにないのに対して,滑降はコースアウトすると冗談ではなく死ぬ可能性があるそうだ).

 で,自分の中学のスキー部であるが,基本的にやる気のない弱小クラブで部員が少なかったこともあり,部員=選手だった(すなわち誰でも大会に出られる 笑).ただし出場種目は本人の適正ではなく1年生が距離,2年生が大回転と決まっていた(3年生は受験のため出場しない).なんでかというと,距離は疲れるので上級生は出たくないという単純な理由である(とことんまで気合の入っていない部活だったわけだ).活動もおおざっぱなので,夏は基本的に帰宅部,雪が降って年が明けた頃の日曜日に1~2回スキー場に練習に行って,あとは大会というのが流れである.部活だから当然顧問の先生もいるのだが,部員同様あまりやる気がないのか,こちらもスキー場での練習日と大会当日以外は顔を出していた記憶がない.

 そんなやる気のない部活だったが大会はそれなりに緊張感があって面白かった.1年時の距離はともかく,2年時の大回転は成績上位なんて考えてもいないので,とにかく旗門をすべてクリアして完走するのが目標だった(旗門不通過で失格になる選手は意外に多いので).

70s_stenmark_ingemar でそんな自分の中学生時代にアルペンの世界で活躍していたのがスウェーデンのインゲマル・ステンマルク選手である.回転と大回転の名手で,1980年のレイクプラシッドオリンピックの両種目で金メダルを獲得,自分たちも日ごろの練習不足は棚に上げて,ステンマルク選手の真似をしてカッコつけていたのを思い出す.

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2018年2月 9日 (金)

南部アフリカ旅行記④

 南部アフリカ旅行記録,今日はケープ半島編です.

 ケープタウン到着の翌日,2月21日になった.前夜は緊急用ウィスキーを飲んで寝たのだが,未だ体が日本時間から抜け出せていないのか,午前2時30分,午前4時と2度目が覚めてしまい,その都度寝なおすことになった.そして午前5時45分今度は本当に起床した(その後6時に予定通りモーニングコールが来た).

P1210092 P1210091 (左写真1) 朝食のレストラン,(右同2) 朝食

 身支度を整えて,6時半にレストランへ,昨夜の夕食で利用したのと同じ場所である.形式は一般的なビュッフェスタイルで,卵料理も作ってもらえるアメリカンスタイルである.ハムやチーズ,チキンやフィッシュなどに交じってお粥や"miso soup"と称するスープもあった.試しに飲んでみたのだが,出汁が利いていない,純粋にお湯に味噌を溶かしただけという感じがした.食事後8時に出発ということで5分前にロビーへ,すでに全員揃っていて我々が最後だった(団体ツアーの場合,毎回遅れてくる人とかがいたりするが今回はそのような人はいないっぽい).

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(写真3) 日曜日のせいかとても空いている

 時間になり昨日と同じバスに乗ってホテルを出る.朝のケープタウンは渋滞がひどいと聞いていたが,この日は日曜日だったせいか驚くほど空いている.昨日とは打て変わって今日は一面の曇り空,もしかして雨が降って水不足がちょっとは改善するのだろうか.そんなことを考えているうちにバスは海沿いを走っていく.市の中心部にほど近いウォーターフロント地区にはマンションが立ち並んでいる.ここはこの町の最高級住宅地らしく,日本円でワンルーム6000万円くらいするそうだ(!).いったいどんな人たちが住んでいるのか興味深いのだが,見ると意外にたくさんの人が海辺を散策している.一般に治安が悪いといわれる南アフリカだが,この辺りは普通に散歩ができるくらい安全らしい.

P1210101 P1210112 (左写真4) 散歩している人も多い,(右同5) 高級そうな住宅

 海沿いの道を郊外に出るとまもなく,クリフトンベイというエリアに差し掛かる.ちょうど大西洋から入り込んだ湾を形成している地区である.ケープタウン周辺はとにかく風が強いことで知られ,塵や埃だけでなく疫病まですべて吹き飛ばしてくれる(?)様からケープドクターなどと呼ばれているが,このクリプトン・ベイエリアは例外的に風が穏やかである.そのため湾周辺の高台は眺めが良くて風も穏やかと絶好の住宅環境となっている.当然価格は高く,ここも2ベッドロームで2億円くらいするらしい.

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(写真6) 徐々に晴れ間が…

 そんな住宅エリアを後にしてバスは大西洋岸を南下する.ケープ半島はなんとなく千葉県を彷彿させる形をしているが,最初の目的地は半島北西部,ちょうど浦安から市川の海岸部に相当するハウト・ベイである.この港から遊覧船に乗って近くのドイカー島に行き,オットセイの群れを見に行く趣向だ.ホテルを出発した頃は曇り空だったが,この頃から晴れ間が広がって来た.

 8時40分に港に到着,船は100人は優に乗れるサイズの中型船である.乗船しようとしたら,さっそく付近にオットセイの姿が… 写真を撮っていたら現地人がなにやらチップを要求している.ただ飼いオットセイじゃあるまいに,彼の所有物でもあるまいと無視した.我々の乗船は比較的早かったので,中央の見晴らしがよさそうな場所を確保できた.ふと見ると湾の対岸の山に霧が立ち込めていて風情を感じる.

Img_3622 P1210240 (左写真7) ハウトベイ,(右同8) 我々の乗り込む船

 その後も続々と客が乗り込んできて,9時頃に出航となる.湾内ということもあって海は非常に穏やかである.しばらくするとさっそくオットセイの群れに遭遇した.オットセイといえば一匹の強いオスが多数のメスを独占しハーレムを形成し,エサの確保に有利な海岸部に住み,その他のオスはオスどうして群れを作って内陸のやや不便なところに生活するという自然界の厳しい掟に従った社会だ(ライオンやインパラなどサバンナの生き物にも通じる).小さな島にたくさんのオットセイがひしめくさまは壮観である.一方で島の付近には巨大な海藻(昆布のようなもの?)もたくさん漂っていた.

P1210254 Img_3628 (左写真9) 出航!,(右同10) 霧が凄い

P1210271 P1210274 (左写真11) 浮かんでいるのは海藻,(右同12) オットセイの群れ

 40分ほどの遊覧で元の港に到着,下船しようとしたら現地人のバンドが出迎えてくれた(こちらは本当にチップ目当て).その後はトイレ休憩と土産物屋さんの散策をして10時過ぎに再びバスで出発となる.

P1210333 P1210153 (左写真13) 歓迎のバンド,’右同14) これから船に乗る人達

P1210351 (写真15) ハウトベイの展望

 ハウトベイからさらに南下する.ここの大西洋岸を走るコースはチャップマンズ・ピーク・ドライブという風光明媚なドライブコースである.有料道路のゲートを過ぎてすぐに展望の良いスポットがあって,ここで10分ほど景色を堪能した後,いよいよドライブコースの本番となる.道路は海岸沿いの崖に沿ってくねくね曲がりながら走っている.絶景ではあるが,道幅が狭く,ところによっては崖の一部をくりぬいて道路を通した洞門地帯もあり,日本でいえば新潟と富山の県境を走る国道8号線の親不知を彷彿させた(道が狭いため,バスなどの大型車両は南行きの一方通行となっている).

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(左写真16) チャップマンズ・ピーク・ドライブの車窓,(右同17) 洞門地帯も

 こうしたケープ半島西海岸を走った後,道はそのまま半島を横断する形で峠を越え,東海岸に入っていく.しばらくしてサイモンタウンの町に入っていった(ちなみにサイモンタウンを擁する一帯はFalse Bay=ウソ湾と呼ばれるが,これはインド方面からヨーロッパに向かう船がこの湾を喜望峰と勘違いして迷い込むことが多かったからという).

P1210401 P1210396 (左写真18) サイモンタウンの町,(右同19) 砂地を進んでいく

 サイモンタウンは半島東海岸の観光の中心地であり,レストランや洒落た土産物屋が立ち並ぶほか,海軍基地もあるなど南アフリカでも非常に重要な町である.鉄道も通っていて駅もあるのだが,線路やホームが砂に埋もれていて実際に使われているのかは不明である.この町の観光スポットは何といってもケープペンギンのコロニーであり,今回我々の目的ももちろんそこだ.駐車場でバスを降りてそのままコロニーに向かう(最初砂地のところを歩かされたので,これは結構大変かもと思ったが,すぐに普通の舗装路になった).

P1210415 (写真20) コロニー案内図

P1210413 (写真21) ペンギンコロニーの入り口

 渡されたチケットを入り口で提示して中の木道を順路に従って進んでいく.海岸に出ると,おおっ!いるいる,たくさんのペンギン🐧が群れを成して過ごしていた.一人でたそがれて波に打たれている個体もいれば,真昼だというのにイチャついている♥カップルもいる(笑).これだけの数のペンギンを生で見られる機会はそうないだろうと思われた(ペンギン自体その生息域は基本的に南半球である).園内での自由時間もあったため,我々は反対側の観測スポットも散策した(こちらは入り口から階段を下りていかなくてはならないため,行く人が少なく貸し切りに近かった).途中にネグラの様なところがあって,そこで休んでいる個体がいたのだが,「彼は今日非番なんだろうな 笑」などとも考えた.

P1210504 P1210495 (左写真22) 海岸はペンギンで一杯,(右同23) コロニーです

P1210499 P1210475 (左写真24) 黄昏ている個体,(右同25) イチャついている方々

 ペンギン観察を終えるとちょうどお昼時間,この日はサイモンタウンのレストランでランチである.だいたいこの地域のツアーではお昼は名物のロブスターが登場するのだが,近年当地のロブスターが希少になっていることもあり,大型のツアーでは提供されないケースも増えているらしい(我々が当初申し込んでいた10月の阪急のツアーもそうだった).が,今回は少人数のツアーということでやや小ぶりながらもロブスターが振る舞われ,一同感謝していただいた.その他のメニューは前菜のサラダと付け合わせのイカフライ,温かいデザートも美味しかった.

P1210513 P1210517 (左写真26) サラダ,(右同27) これが名物のロブスター

 昼食後はバスに乗り,さらに半島を南下する.この辺りまで来ると周辺には木が少なくなり,荒涼とした原野が広がるなど最果てムードが漂ってくる.ケープ半島南部は緯度にすれば南緯34度で大阪市とほぼ一緒なのだが,当地には南極からやって来る強力な寒流(ベンゲラ海流)が流れているために緯度の割には冷涼で,こうした高緯度っぽい原野が形成されているのである(この寒流のおかげで周辺は一大漁場となり,魚介類が美味い).

P1210543 P1210522 (左写真28) 荒涼とした原野,(右同29) 猿が!

 途中でこの地域特産の猿と遭遇しながら,そうした原野の中の道を進み,ついに半島の突端付近の海岸に到着した.ここが世界史や世界地誌の授業にも登場する有名な喜望峰である.付近には”Cape of Good Hope”と書かれた看板があるが,それがなければただの海岸である(笑).ともあれ,世界的有名地にやって来たわけで,嬉しそうに記念写真を撮ったのだった.

26907718_1601110546652971_406496703 P1210560 (写真30、31) 喜望峰にて,嬉しそう

 海岸での記念写真の後はまたバスに乗り,今度は付近のケープポイントと呼ばれる展望スポットに向かう.実は本物(?)の喜望峰は険しい岬の突端であり,一般人が立ち入るのは極めて危険である.このため付近に観光用の看板が置かれているのだが,この本物の喜望峰を展望できる高台がこのケープポイントなのである.

P1210630 P1210571 (左写真32) ケープポイントにて,(右同33) 登山電車の駅

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(写真34) 岬の突端を望む

 駐車場でバスを降り,そのまま登山電車と呼ばれるケーブルカーに乗って山の上に登る.そこから歩いてほど近いところが展望スポットである.先ほどの海岸とは異なる岬の険しい風景が素晴らしく,アフリカ大陸の端に来たんだなぁという実感がわいた.

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(左写真35) 城塞の様な展望台,(右同36) こちらは喜望峰の海岸方面

 ケープポイントの観光後,駅でトイレを使い,喉が渇いたので水を買って飲んだりして過ごす(この時間違って炭酸水を買ってしまった (゜o゜)).帰路は登山電車利用でも徒歩で下山でも良いと言われていたので我々は景色を堪能しながら徒歩で下山した.その後バスに乗り込み,ケープタウンの町に戻る.

 帰路はチャップマンズ・ピーク・ドライブが一方通行のため,基本的に半島の西岸を北上する.往路ほどの展望はないため疲れたのか眠っていた人が多かった.1時間半くらいでケープタウンに到着,そのままテーブルマウンテンに向かうロープウェイ乗り場に向かった(昨日は強風のため終日運休していた).で,着いてみると… 長蛇の列!! 日曜日というせいもあるのだろうが,凄い人である(昨日運休だった影響もあるだろう).いったいいつ乗れるのやら…(ガイドさんの話では待ち時間1時間くらいとのこと).待つのはいいのだが,直射日光が結構堪える.一同なんとか日陰を探して避難した.

P1220668 (写真37) テーブルマウンテンへのロープウェイ

 それでもなんとか1時間待たずに18時頃にロープウェイに乗ることができた.いよいよ出発である.ガイドさんに床が回転するので窓に捕まらないようにと注意されていたのだが,動き始めると本当に床が動き始める(というか,乗っている立場では窓枠が回転しているように感じる).これはどこに立っていても平等に景色が堪能できるようにとの配慮らしかった.

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(左写真38) テーブルマウンテンの山頂,(右同39) ケープタウンを一望

 10分もかからずにロープウェイは山頂の駅に到着,ここがテーブルマウンテンの上である.駅から外に出るとごつごつした岩場が広がっている.ただ,同じテーブルマウンテンといっても,我々が2010年に行ったギアナ高地のロライマ山に比べると圧倒的に開発が進んでいた(都市に近いのだから当たり前だが).ちなみに山頂のレストハウスでトイレを使ったのだが,水が流れないのはもちろん,手洗い用の水も出なかった.これはもちろん当地を襲っている水不足の影響である(ホテルで水が出ること自体が特別待遇ということだろう).

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(写真40) 中央やや下にある黄色い建物がケープタウンの五稜郭です

 山の上からはケープタウンの町が一望できる.港に沿った市街地やライオンヘッドと呼ばれる小高い丘もきれいに見えた.中心部の我々が宿泊しているホテルもよくわかる.ここで我々は以前から気になっていたことをガイドさんに尋ねる.「ケープタウンの五稜郭はどこですか?」,そう,ケープタウンには函館と同じように五稜郭が存在するのである(17世紀に建てられた旧オランダ領時代の植民地総督の居城).ただ函館と違って付近にタワーがあるわけではないので,なかなかその全貌が拝めないのだ.このテーブルマウンテンからなら見えるかもと思ったからである.するとガイドさん,「中央駅近くの黄色いのがそうですよ」と,見るとたしかに! 五角形の施設があるではないか,この町に来たからにはぜひ見たいと思っていた五稜郭が見れて大満足の我々だった(特にウチのKは函館出身なので感慨深そうだった).

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(左写真41) 往路のライオンヘッドと市街地,(右同42) 帰路には見事なテーブルクロスに

 山の上を一通り散策した後,18時40分過ぎにに再び帰りのロープウェイを待つ行列に並ぶ.今度も1時間近くかかりそうだ(笑).予定では19時から市内で夕食なのだが到底間に合いそうもないのでガイドさんがレストランにその旨を連絡していた.それでもなんとか19時30分にはロープウェイに乗り下界へ向かう.が,この時我々が目にしたのは来た時とは全く異なる景色だった.さきほどまで市街地から海まで晴れ渡っていたのだが,この数十分の間に大きく様変わりし,海は一面の雲に覆われその一部がライオンヘッドの丘を乗り越えて市街地に流れ込んでいるではないか! いわゆるテーブルクロスと呼ばれる光景である.ケープタウンはこの現象が出現しやすいと言われているのだが,まさかジャストタイミングでお目にかかれるとは思ってもいなかった.これもやっぱり日頃の行いの良さなのであろう(笑).

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(写真43) 夕食のイタリアンレストラン

 思いがけずテーブルクロスまで見ることができて大満足で下山,バスに乗り込んで市街地へ.上から見た通り市街地は深い霧に覆われていた.このまま夕食のレストランに向かう.この日はイタリアンレストラン,カジュアルな感じで賑わっていた.メニューはサラダとボンゴレパスタ,デザートはティラミスだった.ワインもいただいたことは言うまでもないが,パスタはやっぱりソフトだった(固めのパスタは日本かイタリア以外では無理らしい 笑).

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(左写真44) 夕食のサラダ,(右同45) ボンゴレパスタ

 夕食後,天気が良ければ夜景を見に行くはずだったが前述のように市街地は霧に包まれたためにこの日は中止,ホテルに戻った.その後はシャワーを浴びて緊急用のウィスキーを飲んでさっさと就寝したのだった.

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2018年2月 7日 (水)

宇宙戦艦ヤマト2202第4章

Img002  昨夜,現在公開中の宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち第4章を鑑賞してきました.

 自分の世代は小学校の終わりに宇宙戦艦ヤマトが始まり,中学時代にガンダムが始まりを経験した世代です.当時これらの作品に大いにハマりました.2012年4月にヤマトの第1作がリメイクされた時には,期待半分不安半分(笑)で観に行ったんですが,面白かったためその後も公開されるたびに観に行っています.今回公開されたのは続編(旧作なら映画版の「さらば~」とテレビ版の「ヤマト2」に相当)の第4章です.テレビ版にすると第11話~第14話にあたり,全編のほぼ中間地点になります.

 以下ネタバレ注意

 物語的には地球を出発したヤマトがテレザート星に到着し,所在のガトランティス軍と激戦を繰り広げる場面です.旧作でもこの辺はデスラー総統の再登場が目玉でしたが,今回もやっぱりそうでした(「ヤマトの諸君!」という名台詞も登場 (^.^)).大まかなな流れはテレビ版のヤマト2を踏襲し,デスラーとヤマトとの第1回戦,テレザート星近郊におけるゴーランド提督のミサイル艦隊との戦い,テレザート星でのザバイバル将軍と空間騎兵隊との戦いを経て,古代らがテレサに会うという流れでした.ただ細部には本作のオリジナル要素がちりばめられており,特に旧作ヤマト2では典型的な悪女にされていたサーベラー(そういえば声優はドロンジョ様で有名な小原乃梨子さんだった 笑)により深い設定がなされていて面白かったです.一方でこれは今回に限ったことではないんですが,前作2199で細かく描かれていたヤマト艦内の人間模様の描写が大幅に縮小されてしまったのは残念なところです(前作では結構目立ってた主計科や保安科がほとんど登場しない).とはいえ,いよいよ佳境に入る第5章が楽しみではあります.

Img_3660  鑑賞後はここに来ると定番になっている牡蠣のお店に(^.^).この夜も生牡蠣とワインをいただいたのでした.

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2018年2月 5日 (月)

ウユニ塩湖旅行記録が完成しました

 このブログでは先日の南部アフリカ旅行記事を絶賛(笑)連載中ですが,ホームページの方に3年前のボリビア旅行記が完成しました.

 冬の時期に比較的長めの休暇を取った初めての旅行でした.

 ボリビア旅行記

Uyuni205

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2018年2月 4日 (日)

立春とひのパレ

 今日は立春,春が立つという字面からわかるように,冬の寒さが緩み始め春に向かっていく時期ということになります(解析学的に言えば変曲点という感じか?).実際に1年で一番寒いのが1月下旬から2月初めなのでそういうイメージでいいかもしれません.暦上は冬至と春分のちょうど中間地点に位置し,この立春から春分までの間に初めて吹く強い南風を春一番などと呼んでいます.

 そんな立春ですが,自分にとって春といえば新選組まつり(笑),2006年以来ほぼ毎年参加している恒例イベントです.今年は5月12~13日に開催されることが発表されているようです.

 第21回ひの新選組まつり 新選組隊士パレード参加者募集

 で,ここに至るまで話題を出していなかったのは,実は5月のどこかの週末に医師会合唱団の合宿が入る可能性が急浮上して,もしかしたら日程が被ってしまうかもと焦っていたからです(先日正式に日程が被らないことが確定した).

 参加形態は例年通り,①衣装貸出し参加,②衣装持ち込み参加,③同時代の人々参加 の3パターン,自分の場合①はあり得ないので②と③の二択となります.③についての役柄はその年の大河ドラマの影響を強く受けるパターンが多いので,今年は薩摩藩が多いんじゃないかと思ってたんですがさにあらず,昨年メンバーに西郷隆盛が加わった程度で,はっきり言えばマイナーチェンジのレベルです.過去には会津目線の「八重の桜」はもちろんのこと,「篤姫」や「花燃ゆ」の年でさえ,関連の人物が多数登場していました.にもかかわらず今年は,西郷のみ… 大久保一蔵も島津斉彬も影も形もありません.しかも昨年は,同時代の人々を希望する際にはその役にかける思いを作文にして提出する,という企画もあったんですが,今年の要綱を見る限りその辺も無くなっているようです.

 そんな大河ドラマ色の極めて薄い同時代の人々,ただしひのパレは発表後も次々に内容が変わっていくという側面もあります.なので今後同時代枠も随時変更が加えられていく可能性がありますので要注目です. ちなみに俗に維新の三傑といわれる西郷・大久保・木戸(桂)のうち西郷と桂はほぼ毎年ひのパレに登場しますが,大久保は過去登場したのを見たことがありません.思うに大久保は西郷・桂と違って活躍したのが主として維新後で,維新前は西郷の陰に隠れて陰謀を施していたイメージがあるからかもしれません.

20hino65 (写真) 昨年第20回の出会った人々

 で,自分なんですが,参加する気は満々なんですが,果たしてどうするか… 今年こそ痛恨のくす玉ネタに区切りをつけるべきか(準備できればですが),悩んでいるのでした(締め切りが3月2日(金)必着だそうなので,2月いっぱい悩みたいと思います(笑).

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2018年2月 3日 (土)

南部アフリカ旅行記③

 南部アフリカ旅行記,南アフリカ入国&植物園編です.

 エチオピアのバレ空港に到着,ここはボーディングブリッヂではなくタラップを降りてバスでターミナルに移動するパターンだった.見ると赤茶けた大地のかなたに昇る太陽が見える.エチオピアの夜明けだ.早くもアフリカ的な景色で感動する.近くにいた日本人グループ(西遊旅行のエチオピアのツアーの人達らしい)が「エチオピアの神様,お天気を下さい」と手を合わせていた(アウトドア系のツアーなのだろう).

P1200040 P1200035 (左写真1) エチオピアの朝日,(右同2) これが乗って来たエチオピア航空機

 その後バスでターミナルへ.建物に入ってエスカレーターで上がったが,日本と違って片側空けをしないのでなんかホッとした(笑).エスカレータの先で添乗員さん&今回の他の参加者の方々と合流,ちなみに今回は我々の他,すでにリタイヤした世代の夫婦2組と1人参加の年配女性,同じく一人参加の若い女性の8人である.

 みんな揃ったところで国際線乗り換えの方に歩いていく.乗り換え便の搭乗口は9番ゲートらしい.一同歩いていたら係員がやってきて,「どこに行くのか?」と聞いてきた.添乗員さんが「ケープタウンだ」と答えたら,「そっちだ」と別方向を指さす.言われるままにそちらに向かう一同,そこはなんだか細い通路で本当にこっちで大丈夫なのかと不安になる.それでも気が付いたら広いところに出た.ここはどこだ?と見上げたら,なんと!9番ゲートだった.どうやら我々はボーディングブリッジの中を歩いてきたらしい.あれっ?普通乗り換えの時って再度セキュリティを通るんじゃないのか?と何となく不安になったがこれがアフリカ流なのかもしれない.

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(写真3) 搭乗口は大賑わい

 待ち時間が1時間ほどあったので散策をしようとしたが,周辺に売店はおろかトイレもない.困ったぞと思い,係員に聞くと「あっちだ」というのでその方向に向かう.行ってみたらセキュリティギリギリのところにあった(知らない人なら気付かないな 笑).

P1200049 (写真4) この旅行最初のビール(笑)

 その後7時45分ごろから搭乗開始,搭乗券のバーコードをかざして通過するのだが,さっきのセキュリティ無しから,もしもブーっと鳴ったらどうしようと思っていたが幸いそんなことはなく無事に通過し機上の人となる.8時25分に飛行機は動き始めまもなく離陸した.ケープタウンまでは約6時間である.安定飛行になると軽食のサンドイッチのサービスの開始,飲み物は今回初のビールを選択した.

 ビールを飲んで気持ちよくなってうとうとしていたらあっという間に今度は昼食の時間(笑),今回はフィッシュとビーフの選択だったので2人ともビーフをチョイス,飲み物はもちろん赤ワインだ(笑).で,何気に見たら同じビーフでもなんか違う.どうやらビーフといっても料理の種類はいつくかあるらしい(蓋が付いた段階ではわからないので適当に配ってると思われる).この時間帯になると画面のフライトマップにリビングストン(ヴィクトリアフォールズの近く)という文字が現れ,いやがうえにも気分が盛り上がった.

P1200050 P1200053 (左写真5) 昼食のビーフ,(右同6) リビングストンの文字が!

 そうこうしているうちに現地時間で13時30分ごろから飛行機は降下を開始,周辺は快晴の良い天気である.そして14時5分にケープタウンの空港に着陸した.

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(写真7) ケープタウンに到着

 この空港はタラップではなくボーディングブリッジでだった.降りた瞬間,あ,暑いと感じる.さすが南半球,今は真夏である.ターミナルに入るとあちこちにポスターが張られている.曰く「水を大切に!」,事前にケープタウンは水不足で大変だと聞いていたが,到着早々にこんな表示を出してるってことはよっぽど深刻なのだろう(1人1日84リットル以下にしようという趣旨の表記もあった).

P1200058 P1200063 (左写真8) 水を大切に,(右同9) 1人1日84L以下で

 そうしたポスターを見ながら入国審査へ.ブースは15,16か所あるのだが稼働しているのは6か所のみ,ちょっと並ぶ時間があったが審査そのものはあっという間に終わった.その次にターンテーブルへ,幸いロストバゲージもなく全員の荷物が無事に出てきた.その後税関は申告するものなどないので緑のゲートを通ってそのまま到着ロビーに出る.そこにはケープタウン滞在中お世話になる現地ガイドさん(日本人の男性)が待っていた.案内されるままにバスに乗る.8人のツアーには不釣り合いなほど大型のバスだった(1人で4席は占領できそうな感じ).

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(写真10) 車窓にテーブルマウンテン

 全員が乗り込んだところで空港を出発し市内に向かう.先ほど飛行機から見た通り,快晴のお天気だった.向こうの方にケープタウン名物のテーブルマウンテンがそびえたっている.当初この日は,そのテーブルマウンテンにロープウェイで登ることと,麓にある植物園(カンパニー・ガーデンズ)観光の予定だったが,強風のため本日はロープウェイが動いていないとのことで,必然的に植物園の観光のみとなった.

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(写真11) カンパニー・ガーデンズ

 カンパニー・ガーデンズは元々ヨーロッパ人としてこの地を最初に植民地化したオランダ人,ヤン・ハン・リーベックが造った農園だったのが,19世紀後半にこの地に進出したイギリス人セシル・ローズの邸宅になり,彼の死後植物園として公開されるようになったものである.敷地は広大でいったいどれほどあるのかわからないが,ここには主に南アフリカ原産の植物がたくさん存在するとのことだった.春にはそれこそたくさんの花が咲いて非常に美しい光景が見られるのらしいが,真夏の今はあんまり花は咲いていなかった(またここには各種有用植物の原種も結構あって興味深かった(ラベンダーの原種とか).

P1200143 P1200151 (左写真12) ここが入り口です,(右同13) 緑がいっぱい

 植物園とされているカンパニー・ガーデンズだが,一方で公園でもあり地元の人々の憩いの場ともなっている.特にこの日は土曜日ということもあり,たくさんの人たちが芝生の上に寝転ぶなど思い思いに寛いでいた(飲食もOKらしい,最もバーベキューは禁止だと思うが 笑).

P1200163 P1200157 (左写真14) 芝生でくつろぐ地元の人々,(右同15) 真夏ですが花も咲いています

P1200146 P1200148 (写真16,17) こんな花も

 ガイドさんの案内で一通り回った後は自由時間となる.ショップで買い物をするもよし,長旅で疲れている人はバスで休んでてもいいということだったが,我々は付属の温室を見学することにした.ここは南アフリカ原産以外の植物もある温室で,隣国ナミビアのウェルウィッチア(奇想天外)やマダガスカルのバオバブの木など,かつて訪れた国の植物を見て懐かしさを覚えたのだった(我が家では2007年にマダガスカル,2008年にナミビアを訪問している).

P1200204 P1200195 (左写真18) バオバブの木,(右同19) 単なる枯草に見えるウェルウィッチア

 時間が来たのでバスに戻る.前述のようにテーブルマウンテンのロープウェイが強風で止まっているため,この後はホテルに直行となる.都市高速のような立派な道路を走って市内中心部に向かう.ふと窓から外を見るとなにやら煙が上がっている.ガイドさんによれば火事だろうとのこと,今乾季のケープタウンでは火事になると消火に時間がかかるのだそうだ.しばらく走ると右手に1967年に世界最初の心臓移植手術が行われたGroote Schuur Hospitalが見えてくる.その病院付近で道は大きく左にカーブしてまもなく今日から3泊することになるホテル,ウェスティン・ケープタウンに到着した.

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(写真20) ウェスティン・ケープタウン

 このホテルはLグレードの高級ホテルである.ロビーも立派だった(ただしホテル周辺には店はなく,夜間は人通りが極端に無くなるので治安の問題もあり外出はするなといわれた).チェックインの後は部屋に入り,長旅の汗を流そうとシャワールームへ,高級ホテルだけあってシャワーとバスタブが別々になっていたが,現在ケープタウンは水不足でバスタブの使用は禁止するとの札がかかっていた(バスタブの栓もない).まあその辺にはこだわりがないので,シャワーだけで十分だったが(笑).このホテルでは17時~19時まで最上階のラウンジで軽食と飲み物(アルコール含む)がフリーだと聞いていたのでちょっと惹かれたが,どうせすぐに夕食だと思い行かなかった.

Img_3609 (写真21) ホテルからもテーブルマウンテンが見えます

 19時になりロビーに集合,この日の夕食はホテルのレストランである.前菜にシーザーサラダにチキンをはさんだパンみたいなのが付けあわされたやつ(名前忘れた 笑),メインがサーモンだった(南部アフリカ最初の食事は魚から来たかという感じ 笑),飲み物は白ワインを選択したことはいうまでもない.美味しかったのだが前菜でかなりお腹いっぱいになってしまったというウワサがあり,完食はできなかった.食後には当地名物のルイボスティーをいただいた.

P1210087 P1210089 (左写真22) 前菜のシーザーサラダ(+α),(右同23) メインのサーモン

 部屋に戻ったのは21時ちょっと前,明日は6時起きということと,長旅の疲労もありさっさと寝るところだが,レストランでワインを1杯しか飲まなかったため,まだ物足りない感じがしたため持参した緊急用ウィスキーがさっそく活躍した(ちなみに部屋にはミニバーがあるはずだったが,なぜか冷蔵庫の扉が開かなかった 笑).さあ,明日は喜望峰である.

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2018年2月 2日 (金)

パレストリーナの命日

Giovanni_pierluigi_da_palestrina  今日2月2日は夫婦の日とか,ツインテールの日とか言われていますが,ルネッサンス期を代表する作曲家ジョバンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナの命日です(1594年のこの日に没).

 ルネッサンス期の教会音楽は,15世紀のデュファイやオケゲム,16世紀のラッソに代表されるフランドル地方出身の作曲家たちが活躍した時代です.当時の教会音楽がフランドル楽派とによって呼ばれる所以ですが,それはカトリックの中心地ローマも例外ではなく,教皇庁の音楽隊もその主力はフランドル出身者が担っていました.

 そんな時代にイタリア出身の作曲として同時代に大きな足跡を刻んだのが表題のパレストリーナです.ミサ曲やモテットなど数多くの教会音楽を作曲し,教会音楽の父などとも呼ばれています.バッハなど後世の作曲家にも大きな影響を与えました.

 そんなパレストリーナの諸作品の中で,合唱人の間でとりわけ有名なのが,モテット”Sicut Cervus”です.これは詩篇42篇第1節に作曲されたもので,意味は「鹿が泉の水を求めるように,私の魂は,神よ,あなたを求める」というものです.この作品があまりに有名なので忘れられがちなんですが,実はこの作品は第1部で,それに続く第2部が存在します.それが同詩篇第2節に作曲された”Sitivit anima mea”になります.本来は連作で続けて演奏されるものですが,世間では第1部が有名過ぎて,それ単独の作品だと思われている節もあります.両者の認知度のギャップが激しいことから,私は両者を第1体操,第2体操と呼んでいたりします.

Img_3552 Img_3553 (写真) 左が第1部”Sicut cervus”,右が第2部”Sitivit anima mea”

 自分も第2体操の方はほとんどアンサンブルの経験がなかったんですが,最近某所でこれを歌う機会があり非常に感銘を受けました.

 そんなパレストリーナの命日,現代はyoutubeでマイナーな第2部も普通に聴けてしまうから素晴らしい時代です.

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南部アフリカ旅行記②

 南部アフリカ旅行記録,出国編です.

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(写真1) 今回も旅の手帳の記載開始 (^^)v

 今回の旅行,出発は1月19日金曜日である.前述のとおりANA-香港-ヨハネスブルグという予定が変更になり,エチオピア航空-アジスアベバ-ケープタウンという流れになった.これに伴い成田出発が1時間くらい遅くなったため,この日職場を出たのは15時過ぎである.東海道新幹線と成田エクスプレスを乗り継いで成田空港第1ターミナルに到着したのは17時30分ごろだった.

P1190001 P1190004 (左写真2) 品川駅から乗り換え,(右同3) 今回は成田エクスプレス

 地下のホームからエスカレーターを何度も乗り換えて出発ロビーへ(どうでもいいけどエスカレーターを乗り換える際にいちいち反対側に回り込まなければならないのはどうにかならないだろうか),まず向かったのは両替屋である.日本円を米ドルに換えようとしたら,係員に「南アフリカに行くのならランドもありますよ」といわれた.ただこの時点では「いいです」と答えて立ち去る(理由は現地で帰ればいいやくらいに思ってた).続いて向かうのはWiFiルーターレンタルのカウンターだ.今回訪問するケープタウンやヨハネスブルグはホテルのネット環境も充実しているため不要かなとも思ったのだが,過去にそういうホテルでもWiFi環境が不安定で苦労したこともあり,最近は念のための意味合いもかねてレンタルすることが多い.

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(写真4) 成田空港第ターミナル南ウイング

 この後スーツケースの受け取りに宅配カウンターへ(スーツケースが最後になるのはもちろんなるべく荷物を持って歩く時間を減らすため).ここであらかじめ送っていたスーツケースを受け取り,コートを預ける.その後柱の陰で最後の荷物詰め替えをして,いよいよルックJTBの団体カウンターに行った.ここで名前を名乗ってeチケットの控えや各種クーポンをもらって受付完了である.ここで初めて今回の旅行の添乗員さんと顔を合わせる.今回は久々に女性だった.

 カウンターでこれからの流れ等の説明を受ける.参加者は8人であること,最終日のライオンパークは全員が参加することになったために代金が半額になった(笑)などが知らされた.ここで両替の有無を聞かれたのでドル両替を済ませたと答えたら,南アフリカランドも1万円分くらいは替えた方がいいといわれた.

 その後は航空会社のカウンターでチェックインとなる.行列はさほどでもないのだが,これが結構時間がかかる.ふと自分の隣りを見たら日本語がペラペラな黒人男性が手続きをしていた.なんでもラゴスまで行くらしい.ラ,ラゴス!ナイジェリアの首都じゃないか!すごいなと感心する自分だった.

 チェックインを済ませた後,近くにあった両替屋でランドに交換しようとしたらここにはないと言われ,結局さっきの両替屋を勧められることになる.「さっき断ったばかりだからちょっと恥ずかしいな」と思ったが,幸いさっきとは違うカウンターだったので大丈夫だった.

P1190011 (写真5) すごい数の国際線です

 その後は特にすることもないので,さっさとセキュリティを抜けることにする.不要な荷物はすべてバックパックに詰めて機械に通す.ゲートの方は昨年2月にラオスに行った際はまだ従来のゲートだったが,今回はいつの間にか全身スキャン型になっていた.

 セキュリティに続いては出国審査の番,一番短い列に並んだはずだが,2~3人前の外国人(と思われる)が手間取っていて,気が付いたら周辺の列にどんどん抜かされてしまった(笑).出国審査を抜けるとそこは免税店エリアである.直行便利用の場合はここで緊急用ウィスキー(海外旅行先のホテルで夜間に急に酒が飲みたくなった場合用,ミニバーは高いし,さらにはホテルによってはミニバーがない場合も多いので)を購入するのだが,今回は経由便のため事前購入してすでにスーツケースに入っている.ほかに用事もないので,ラウンジで時間をつぶすことにした.今回利用するのはプライオリティパスやクレジットカードのラウンジではなく,JTBのラウンジである(そういえばラオス旅行の際も利用した).ここはワインやビールなどの飲み物はもちろん,パンやカレーライス,ラーメンやうどんもすべて無料という素晴らしいところだ.ここでこの日初めてのワインをいただき,パンも食べた.ラーメンやカレーも惹かれたが,これからすぐ機内食が出るはずなのでやめた.

26804908_1598388390258520_168817315 P1190012 (左写真6) 空港ラウンジ,(右同7) この日最初のワイン

26805187_1598420310255328_621590216 (写真8) 42番ゲートから出発します

 17時25分に搭乗口である42番ゲートへ,見渡したところあんまり人がいない.これは空いているのではと思って搭乗したら予想通りガラガラだった.エチオピア航空のこの便は最新型,ボーイング787である.20時20分少し遅れて飛行機は動き出し,離陸した.安定飛行に入るとさっそく飲み物のサービスが開始された.ワインを注文したのはいうまでもない(笑).向こう側の席を見るとさっきの日本語ペラペラ黒人が他の日本人客としゃべっている.話を総合するとどうやら宮崎のサッカーチームの選手らしい.

P1190018 P1190019 (左写真9) エビ料理,(右同10) こちらはパスタ

 そんなこんなしているうちに1回目の食事サービスの開始,この回はエビとパスタの選択である.自分はエビ,Kはパスタを選択,味は異国風中華丼といった感じでまあまあだった(付け合わせの白菜が懐かしいい風味).その後も空いている機内でゆったりと寛いでいるうちに徐々に降下開始,まもなく香港に着陸である.この便は一応成田-アジスアベバ便となっているが,途中香港に着陸して乗客の乗り降りがあるからだ(通しの客かは降機しない).機内では何となくエチオピアっぽい音楽が流れ始め,香港時間の1月20日0時20分香港に着陸した.

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(写真11) 香港からはたくさんの人が乗り込んできた

 飛行機が止まるとまずは香港で降機する人たちが去っていく.それと入れ替わるように係員が乗り込んできて清掃を始め,その後香港からの乗客が乗り込んでくるのだが,先ほどまでとは打って変わって大賑わい,ほぼ満席の大盛況である.乗客が乗り終わると飛行機は動き始め,1時30分アジスアベバに向けて離陸した.

P1200022 P1200021 (左写真12) 香港からアジスアベバに向かう,(右同13) 非常設備等案内の映像,映ってる人もエチオピア風

 安定飛行に入るとまずは時計をエチオピア時間に合わせる.国際線に乗るときは離陸してベルト着用サインが消えた瞬間に到着地の時間に合わせるのが自分流である.現地は香港より5時間遅れ,日本から見ると6時間遅れだ.ここからアジスアベバまでは約10時間,到着は現地の朝になる.深夜便だし,そろそろ気合を入れて(笑)寝ることにする.眠剤を内服しようかと思った瞬間に… 機内食がやって来た ( ;∀;).今度は魚とチキンの選択,断るという選択肢もあったのだが,何となく魚を選択してしまった(Kはその瞬間トイレに行っていたため,結局貰いそこなった 笑).

P1200024 (写真14) 機内食その2は魚の揚げ物,付け合わせの白菜はさっきと一緒(笑)

 食事が終わって一段落した後,今度こそ寝ようと眠剤を服用し,そのまま眠りに入った.国際線に乗る際はトイレに行きやすいように通路側の席を取るのだが,これは便利な一方寝ている最中に隣の人に起こされる可能性がある.今回も隣の人のトイレで何度か起こされ,寝たり起きたり状態だった.それでも数時間は眠ったんじゃないかと思っているうちにモニター画面にはソマリアが映っている.最初に寝てから6時間経っていた.

P1200027 P1200030 (左写真15) 機内食その3は中華粥,(右同16) まもなく着陸

 現地時間の4時30分過ぎに機内の照明が明るくなった.朝食サービスの開始である.この日の朝食は中華粥っぽいのが登場,結構おいしかった.飲み物は寝起きでボーっとしていることもありアルコールはやめた(笑).その後徐々に高度を下げていき,現地時間6時30分アジスアベバのバレ国際空港に着陸した.

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