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2018年1月31日 (水)

皆既月食

 昨夜1月31日は日本で皆既月食が見られました.月食は月に地球の影がかかることにより,月が欠けて見える現象です.太陽-地球-月が一直線上に来ないと起こりえないため,これが見られるのは必然的に満月の夜ということになります.今回は日本の多くの地域で比較的長時間観測可能ということで,時差ボケに悩まされつつ観察してみました.お天気が心配されたんですが幸い当地は晴れ,きれいな満月が出ていました.

P1311864 (写真1) 半分くらい欠けてモンスターボール状になったところ

 21時ごろから肉眼で見ても明らかに欠け始め,どんどん明るい部分が少なくなっていきます.最初はよくわかりませんでしたが,徐々に月の欠けた部分が赤く光っているのがわかるようになりました.地球の影に入れば真っ黒になりそうなんですが,光は波である(正確に言えば波としての性質持っている)ために回折という現象が起こり,特に波長の長い赤色の光ほどその現象が強いために赤銅色染まるのです.

 明るい部分がどんどんなくなり,22時過ぎには完全に影に入りました.

P1311962

(写真2) 皆既月食です

 赤銅色に染まった月の海がきれいに見えました.

 その後23時過ぎからは再び月の光が戻ってきたらしいんですが,寒いので家に戻ったのでした.

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2018年1月30日 (火)

南部アフリカ旅行記①

 さて,先々週末から行ってきた南部アフリカ旅行,全体の旅行記録はいつの日かホームページ本編に完成するはずなんですが,今日現在,2011年のオカバンゴ,2013年のアンコールワット,2015年のボリビアとオーストラリア,2016年のイスラエル,2017年のラオスが未完という有様なので,こちらもいつ完成するのかわかりません.ただそこまで放置してしまうと行った時の感動を忘れてしまうため,ブログの方に備忘録的に書いておく習慣があります(それすら未完な時もあるんですが 笑).今回もそういう趣旨で書いておきます.まずは事前準備編!

 我が家の定番の夏の旅行,当初は9月下旬にアイスランドにオーロラを見に行く予定だった.2015年のウユニ塩湖でお世話になった写真家の高坂雄一先生が同行するツアーである.今年我々がしながわ宿場まつりに参加しなかったのも,このツアーと日程が被っていたからだ.

 が… 7月下旬に旅行会社からこのツアーは催行中止になってしまったという連絡が入った.さあ困った,写真家の先生が同行するツアーが中止なんて想定もしていなかったのですっかり途方に暮れてしまった.計画は一から練り直しというわけで,いろいろ考えたのだが,この段階で浮かんだのはまだ行っていない中央アジア.サマルカンドなど定番スポットのあるウズベキスタンの他,カザフスタンや地獄の門で有名なトルクメニスタンなど魅力的な場所である.内陸で寒暖の差が激しそうだから秋口なら気候もちょうど良いのではというのもある.しかし,絶対ここだ!という気分にもならず申し込みには二の足を踏んでいた.

 決めかねていたらウチのKが「アフリカに行きたい」と言い出すではないか.過去我々がアフリカ大陸に足を踏み込んだのは2度,最初が2008年のナミビアで2度目が2011年ボツワナのオカバンゴデルタである.どちらもアフリカ旅行の定番スポットではないのが自分らしい.ただ今回は最初の旅行計画でミソが付いてしまったこともあり,マニアックでない場所もいいかなとは思った.ただ近年アフリカは政情不安等から行ける国が減ってしまっているのが現状である.特にベルホヤンスクと並んで私の憧れの地ナンバー1のマリのトンブクトゥは戦乱でひどい状態になっている.現状で楽に行けそうなのは,北のエジプト,西のモロッコ,東のケニア&タンザニア,そして南の南アやナミビア,ボツワナ等である.さあどうしようと思っているうちに頭にい浮かんだのが,南ア・ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島である.南アフリカのアパルトヘイト時代の負の遺産,南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏も収容されていた有名な監獄島だ.サンフランシスコのアルカトラズと並んで脱出不可能な島といわれている.私の好きなコミック「ゴルゴ13」にこの島を扱ったエピソードがあり,そういえば行ってみたいところだった.それに南アフリカといえばワインもあるし… というわけで俄然南アフリカが候補地として浮上した.

Dsc_1715  そうなるとどうやって行くかが次の問題となる.ケープタウンだけなら航空券とホテルを取って,あとは現地のオプショナルツアーという手もあるが,ケープタウンだけ1週間というのもなんだしなぁと考えると,やっぱりツアー参加がいいだろうということになった.

 次は旅行会社である.一般にケープタウンを含むツアーというと,喜望峰やジンバブエのヴィクトリアフォールズ,ボツワナのチョベ国立公園がセットになったものが多い.ただ行きたいきっかけはロベン島であり,そこは外せない.さらには休みを取る関係上週末の出発が望ましい(金曜または土曜).その辺を勘案した結果出てきたのが,阪急交通社トラピックスの10月13日金曜日出発の10日間のツアーである.南部アフリカの定番コースに加えてロベン島観光もしっかり入っている.ワインに関するイベントがないのがちょっと残念だったが,まあワインはレストランで飲めばいいしと言い聞かせることにして,さっそくいつもの旅行デスクに電話をかけて手配を開始した.ちなみに10月はこのツアー手の目玉のひとつであるヴィクトリアフォールズは渇水期になるのだが,一方でこの時期にしか見られないジャカランダの花が見られるのも魅力である.

 そんなわけで,10月に南部アフリカに行くという方向だったのが… またしても妨害が,今度は旅行会社ではなく自分の周辺の方である.どうにもその時期に国外に出るわけにはいかない状況が生まれたのである.悩んだ結果,この旅行はキャンセルすることになってしまった(最終決断はキャンセル料が発生する直前の9月13日).

 この段階で夏季休暇期間(私の職場だと6月から10月)に旅行に行くのは事実上不可能となった(とはいえ夏季休暇は消化しなければならないので,それ以前に取った有休を夏季休に振り替えた).

 夏季休暇が消滅したことで,あとは野となれ山となれ状態になったわけだが,だからといってあきらめる自分ではない.なんたって有休は山ほどあるのだ(笑).それを使って休暇を取るのになんの躊躇がいよう.2015年には最初からそれを狙ってウユニ塩湖に行ったのだ.その後自分の周辺の状況が落ち着いたこともあり,三度旅行の計画を練ることにする.ただ今度は行先の変更はしない.あくまでも本命はロベン島である.そうして調べていくうちにたどり着いたのが,(実は我が家では定番の)ルックJTB地球の詩シリーズの南部アフリカ10日間のツアーだった.このツアー阪急と同じ10日間なのだが,定番に加えてロベン島やワイナリー,さらにはヨハネスブルグの観光も含んでいる優れもの,しかも出発は1月19日金曜と条件は完璧だ.私はさっそくデスクにこの話を投げ,進めてもらうことにした.

 このツアー,最少催行人数が2人なので,実は申し込んだ瞬間に催行が決まるのである.しかしその後しばらくはJTBのHPに変化はなく,なんとなく不安な気分になってたのだが,11月頃になってようやく催行決定マークが付いた.これでひと安心と思っていたのだが,歳も押し迫った2017年暮れにデスクから電話がかかって来た.

 曰く,当初搭乗予定だった南アフリカ航空便がキャンセルになった.会社では直ちに代替便の手配を行いその結果、往路はエチオピア航空のアジスアベバ経由便を利用すること,復路は当初の南アフリカ航空であるものの,搭乗は1日遅い1月28日になること,そのためヨハネスブルグに1日滞在することになり,全体としてツアー日程が1日延びて11日間になること,この変更によるツアー代金の変更はないことが告げられた(これにより増えたヨハネスブルグのホテルはLグレードの立派なホテルらしい).尚日程そのものが変更になったことから,催行1か月前を切っているものの,ここでのキャンセルにはキャンセル料は貰わないとのことだった.

 自分としては過去の様々ないきさつから,野となれ山となれ状態の中で生まれたツアーであり,1日延びたことなどたいした問題ではない(むしろ1日伸びて何か別なことができるかもとワクワクしているほどだ,キャンセルなんて気持ちは毛頭なく,そのまま話を進めてもらうこととした.

 そして年が明け2018年になった.その後デスクの方から次々に連絡があり,ケープタウンが現在深刻な水不足で,バスタブが使用不可になっているといった話が出ていた.これに関しては我々がもともとバスタブに執着しているわけではないこともあって,さほど気にしていなかった.一方で気にしていたのは,最終日にヨハネスブルグでの1日の方だ.自由時間といわれても,「ああそうですか」と出かけるわけにはいかないのがこの街である.何かオプショナルツアーはないのかということであった.これについてはこの後来るであろう添乗員からの連絡の際に行ってほしいとのことだった.

 で,2018年1月14日に今回のツアーの添乗員さんから電話がかかって来た.話の内容はこれまでにデスクから来たことと変わりない内容だったが,私は最終日の話について振ってみた.すると,現地にあるライオンパークに行くオプショナルツアーを用意していること,料金はひとり140米ドルであること,申し込みは出発前日(すなわち1月18日)までに販売店に伝えてほしい旨が告げられた.販売店というのは自分の場合,カードの旅行デスクのことでありさっそく参加したい旨を連絡した.その間に日程表等も無事に届き,いよいよ旅行という雰囲気が高まって来たのだった.

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現実世界に戻ってます

Dsc_1845_2  旅行から帰って一日明けた今日,さっそく日常に戻りました(貴重な休暇はとことん旅行に充てるため,元々帰宅して1日空けるとかいう習慣がない 笑).先週は日本列島厳寒で,東京都心でも雪が積もったというようなウワサは聞いていたんですが,同じ瞬間自分はヴィクトリアフォールズのホテルで暑さのあまりプールに飛び込んでいたほどなので,まさに他人事でした(笑).

 で,昨日帰路に香港に立ち寄った際,妙に寒いなぁ~(゜o゜) と感じました(香港なんて沖縄よりももっと南).暑いところから来たからそう感じたのかとも思いましたが,外を歩いている人もみな長袖,中にはダウンを羽織っている人も,やっぱりいつになく寒いようでした.香港でこれなんだから,日本はどうなっているんだろうと覚悟しながら成田に降り立った時は,覚悟しすぎたのか,意外に大したことないなという感想でした(北国育ちなので,まあこんなものかという感じ).

 そんな帰国日から一夜明け,今朝は朝から寒い一日,当地でも小雪が舞うほどでした.この時期に南国に出かけた後に風邪をひくパターンが多いんですが,今回はひかずに頑張ろうと思うのでした.

Img_3656  現実に戻った最初の晩は当直になっています(ギリギリまで休暇を楽しむため直前直後に当直というのはお約束 笑).

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2018年1月29日 (月)

南部アフリカに行ってきました

27072646_1606658282764864_191986020  約10日ぶりの更新になりました.

 このブログの右側に張り付けてあるツイッターをご覧になってた方はお気づきだと思いますが(ここでも以前予告はしてましたが),1月19日から休暇を取って旅行に行ってきました.行先は南部アフリカ,観光場所はケープタウン,ビクトリアフォールズといわゆるこの地域の鉄板コースです.

 実は自分にとって南部アフリカは3回目の訪問だったんですが,過去2回はナミビアとボツワナのオカバンゴデルタというマニアックなところばかりだったので,3回目にして初めて王道の観光地に行ってきたというわけです.詳細についてはいずれ最終的にはホームページ本編に上げる予定ですが,まずは備忘録的にこちらにも載せていきたいと思います.

 ちなみに今回の休暇,実は昨年取りそびれた夏休みの代替です.当初は昨年9月下旬にアイスランドの写真ツアーに行くはずが催行中止となり,それではと10月にジャカランダシーズンの南アフリカに行こうとしたらこれまた諸事情で行けなくなったというものです.

 先ほど帰国して無事に帰宅しました.明日からはまた,日常の再開です.

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2018年1月18日 (木)

ゼロ勉センター試験

 先週末に行われた大学入試センター試験,毎年ヒマな時にチャレンジしているんですが,昨夜時間があったので,社会科の問題に挑戦しました.

 

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 毎年世界史Bは必ずやりますが,今年は加えて日本史B,地理Bにも挑戦しました.もちろん受験勉強なんて一切やっていませんから,ゼロ勉です.本来なら試験時間は1科目60分ですが,一通り解答して見直しはしないパターンなので半分の30分くらいで終わりました.

 

 で,採点した結果は…

 

世界史B 82点,日本史B 70点,地理B 85点

 

 世界史82点はまあ例年そのくらいなので予定通りです(昨年は89点で高3の時よりも良かったのは内緒 笑).日本史はそもそも高校時代に履修していない科目なので,これもこんなものです(自分が日本史未履修というと驚く人もいるんですが,当時自分の高校の理系は日本史 or 世界史の選択で両方履修するのはそもそも不可能だった).で,驚きだったのは地理が意外に取れたこと.思うに歴史系と違って,地理は地図やグラフを見て回答する問題が多く,たとえ知識が足りなくても考えることによって正解にたどり着けるからかなと思いました.

 

 ちなみにセンター試験の問題は4択の中から,「正しいものを選べ」,「誤っているものを選べ」というパターンが多いんですが,自分のイメージだと後者の方が易しいように思います.なぜなら,ある選択肢の文章が正しいと確信するよりも,誤っていると確信する方が容易だからです(文章が誤っていることは,その一部を指摘するだけで済む).なので4つの中で3つの誤りを指摘するよりも,1つの誤りを指摘する方が楽なわけです.

 

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 そんなセンター試験,誤選択肢を眺めるのも楽しみなんですが,今年面白かった世界史の誤選択肢です.

 

・ ハンニバルはイッソスの戦いで敗れた(ハンニバルが敗れたのはザマの戦い,イッソスの戦いで敗れたのはアケメネス朝ペルシャのダリウス3世)

 

・ 司馬炎は,蜀を建てた(司馬炎が建てたのは晋)

 

・ ユダヤ教徒は,唯一の神アフラ・マズダを信仰している(アフラ・マズダはゾロアスター教の神)

 

・ ドイツ軍は,スターリングラードの戦いで勝利した(言わずもがな).

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2018年1月14日 (日)

センター試験にムーミンが!

 昨日今日と大学入試センター試験が行われていた.自分の時代は共通一次試験といって,もっぱら国公立大学受験生のための試験であったが,1990年から現在の大学入試センター試験と名前を変え,私立大学も含めた多くの大学が参加する試験となっている.共通一次時代は全受験生が5教科7科目必修だったが,センター試験は大学ごとに受験科目が異なるのが特徴になっている.

 で,昨日行われた地理Bの試験問題にムーミンや小さなバイキングビッケが登場したということで話題になっていた.どうやら北欧諸国をテーマにした問題で,スウェーデンを舞台にしたアニメとして「ニルスのふしぎな旅」を例に出し,それに関してフィンランドとノルウェーを舞台としたアニメはどれかといった設問だった.選択肢に挙げられていたのは「ムーミン」と「小さなバイキングビッケ」である(問題としてはさらに,「これはいくらですか?」という両国の言葉も選ばせる形式になっている.

Mondai  出題側としてはムーミンがフィンランドという回答を正答とする意図だったと思われるが,その日のうちにさっそくネット上で騒動になっているというのだ.

「ムーミンの舞台はフィンランドではなくムーミン谷」 ネット上で「出題ミス」の指摘相次ぐ

 まあたしかにムーミンはフィンランドの作品というイメージは定着していると思うんのだが(実際にフィンランド西部のトゥルクにはムーミンワールドというテーマパークがあるし),舞台がフィンランドなのかといわれると,「ムーミン谷じゃなかったっけ? ムーミン谷ってフィンランドにあるのか?」という声が上がっているそうです.

 更にいうなれば,ビッケがノルウェーというのも疑問だ.たしかにバイキング→沿岸部→ノルウェーということでしょうが,劇中ビッケが外国の人に「ぼくたちスウェーデンから来ました」というセリフを私ははっきりと覚えている.まあ当時ノルウェーはスウェーデン領の一部だったということで,本来ならノルウェー人のビッケもスウェーデン人と名乗った可能性もありますが,こちらも問題としてはどうなんだろうと感じてしまう.特にフィンランドはいっそのこと,「牧場の少女カトリ」にすればどこからも文句の来ない正答になったと思うのだった.

 ちなみに設問のもう一方の柱である言語については,北欧諸国の中でフィンランドのみ言語体系が違うことを理解していれば,どれが正解かはおのずと分かるはずである.

 大学入試センター側の対応が待たれるところである.

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2018年1月12日 (金)

ケープタウンの水不足

 来週末から超遅い(笑)夏季休暇を取って南部アフリカに行ってくるんですが,先日旅行デスクから旅程表などを含む最終案内書が届きました.

 で,その中に1枚の注意書きがありました.

Img_3587  それによると,現在ケープタウンの町は深刻な水不足にあり,一般市民はもちろん,ホテルなどの商業施設でも水の利用制限が行われているとのこと.その一環として,バスタブにお湯を張ることが禁止されているんだそうです.

 実は海外のホテルのバスタブの場合,国によっては蓋がないというケースが結構あります.こうした場合はフロントに言ってフタを貸してもらうことによりお湯を張ることができるようになります.

 これは水事情が潤沢ではない地域のホテルとしては,バスタブは用意しても正直お湯を張っての利用はなるべく控えてほしいという本音があるからです.フタを貸出制にすることにより,少しでもお湯の消費量を抑えようというホテル側の作戦というわけです(わざわざフタを借りる必要があるとなれば,「まあいいか」とバスタブは利用しない人も多くなるでしょう).自分の場合,基本的に海外ではシャワーのみで十分なので今回の話は大して影響はないんですが,「ええっ!」っとなる人もいるんだろうと思います.

 で,そんな案内文の中に気になる表記を発見

Img_3587_2  ケープタウンでは100年来の渇水により…

 ん?100年来?,20世紀初め第一次世界大戦の頃からずっ~っと渇水状態だったということなんでしょうか?

 思うにこれ,「昨年来」と打つべきところを「100年来」と打ち間違えたのでしょう.そんなことを考えた週末でした.

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2018年1月 7日 (日)

ユリウス暦のクリスマス

P9171231  今日1月7日はユリウス暦のクリスマスです.

 「クリスマスは12月25日じゃないの?」という声が聞こえてきそうなんですが,まさにその通りで,12月25日がクリスマスなのは間違いないんですが,つい2週間ほど前に祝われたクリスマスはグレゴリオ暦でのクリスマス,そう暦が違えばクリスマスも違うというわけです.

 イエスやその弟子たちが活動していた1世紀半ば,当時使われていた暦はその100年前に制定されたユリウス暦でした.これは基本的に1年を365日とし,4年に1回うるう年を設けてその年のみ366日とするものです.これによる1年は365.25日であり,実際の地球の公転周期(太陽の周りを1周するのに要する時間)365.2422日との誤差は0.0078日(≒11.23分)/年となります.1年でわずか11分ですから当時としては問題にならない誤差だったわけですが,塵も積もればなんとやらで,16世紀のルネッサンスや大航海時代になるとその誤差は10日ほどになってさすがに無視できなくなってきました.そこで当時のローマ教皇グレゴリウス13世の命によって新しい暦が制定されます.これがグレゴリオ暦で,4年に1度のうるう年という基本はユリウス暦と一緒ですが,例外規定として「100で割り切れる年は基本うるう年なし,ただし400で割り切れる年はうるう年」が追加されました.この暦による1年は365.2425日となり公転周期との誤差は1年で25秒ほどになりほとんど無視できるレベルになったのです(近年ではさらに時々うるう秒を導入して正確を図っている).

 ただここで問題になるのがグレゴリオ暦を導入したのがローマ教皇だったということです.カトリック世界は何の問題もないのですが,当時ローマ教会と対立していたプロテスタント諸教会や東方正教会は宗教上の対立相手であるローマ教皇の定めた暦を認めようとしなかったのです.それでも西ヨーロッパのプロテスタント諸教会は18世紀にはグレゴリオ暦に移行したのですが,東方正教会の多くは近代になっても少なくとも教会の行事に関してはユリウス暦を使い続けているのです.特に東方正教を信仰する大国であるロシアは20世紀のロシア革命に至るまで実生活でもユリウス暦を使い続けていました.日本はすでに明治6年からグレゴリオ暦の採用に踏み切っていたため,1904~1905年の日露戦争においては同じ戦いでありながら日露双方で日付が異なるという奇妙な現象も起こっています(有名な日本海海戦も日本では5月27日ですがロシアでは5月14日でした).

26173474_1584351891662170_339895385  そんなユリウス暦のクリスマス,自分は朝から当直なんですが,昨夜のクリスマスイブ(ユリウス暦の)は都内の合唱団の新年会だったので,クリスマスを兼ねて飲み歌ってきました(笑).

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2018年1月 5日 (金)

今年は何の記念イヤー?

 さて,2018年も5日が過ぎました.今日はこれまた新年恒例となっている,「今年は何の記念イヤー?」の話題です.

① ハプスブルク帝国崩壊100年

 中世末期から近代にかけて中央ヨーロッパに覇を唱えてきたのが歴代神聖ローマ帝国皇帝位を独占したハプスブルク家です.16世紀にはスペインもその傘下に収め,文字通りヨーロッパの主となっていました.しかし近代以降帝国が空中分解し,さらには第一次世界大戦の敗戦により歴史あるハプスブルク帝国は終焉を迎えました.それが今から100年前の1918年のことです.

② きよしこの夜初演200年

 クリスマスの歌としておそらくは誰でもが知っているであろう曲として「きよしこの夜」があります.実はこの曲が作られたのが今から200年前の1818年の事です.作詞はヨゼフ・モール,作曲はフランツ・グルーバーでオリジナルはドイツ語で”Stille Nacht”です.

③ 三十年戦争勃発400年

 ルネッサンス以降イギリス,フランス,オランダといった西ヨーロッパ諸国は封建社会から国王を中心とした中央集権国家へ脱皮し,急速に近代化を進めていきました.一方でドイツを中心とした中央ヨーロッパは逆に国家が分裂し長い停滞期に入ってしまいます.そのきっかけとなったのが今から400年前に勃発した三十年戦争です.当初はドイツ内部におけるカトリックとプロテスタントの宗教戦争として始まったものの,周辺諸国の思惑が絡んで政治的な国際紛争となりました.結局1648年のヴェストファーレン条約によって終結しますが,この戦争でドイツの分裂は決定的となってしまいます.

④ 後醍醐天皇即位700年

 鎌倉幕府滅亡後の建武の新政で知られる後醍醐天皇が即位したのが,今から700年前の1318年のことです.新政自体は1333年の幕府滅亡後に実現しましたが,性急な改革や恩賞を巡る武士たちの不満が大きく,わずか2年で崩壊してしまいました.

⑤ 平清盛生誕900年

 こちらも日本史絡みの話題です.平安末期に一代で権力を握った平清盛が生まれてから900年になります.

⑥ バシレイオス2世によるバルカン半島統一1000年

 当ブログ的には一番の話題です.6世紀のユスティニアヌスの時代に一度領土的な最盛期を迎えたビザンチン帝国は,彼の死後急速に衰退し8世紀には大幅に領土を失って一時は存亡の危機にいたります.しかしその後徐々に勢力を盛り返し,11世紀初めのバシレイオス2世の時代に最盛期を迎えます.その仕上げとなったブルガリア帝国の打倒が完成したのが今からちょうど1000年前の1018年のことです.

⑦ コンスタンティノープル攻囲1300年

 ⑥の記事と関連がありますが,8世紀の初め当時地中海世界を席巻していたウマイヤ朝アラブ帝国によるコンスタンティノープル包囲が行われたのが今から1300年前のことです.ビザンチン帝国最大の危機でしたが,皇帝レオン3世の指導と新兵器”ギリシャの火”の活躍により撃退に成功,この後帝国は復活への道を歩むことになります.

⑧ 唐建国1400年

 中国史では中世期の大国唐が成立したのが今から1400年前の618年です.この年隋の煬帝が殺されて隋が滅亡,同時に李淵が即位して唐が建国されたのです.

⑨ 西ゴート王国建国1600年

 一般にヨーロッパの中世はゲルマン人の大移動とその後の西ローマ帝国の滅亡から始まるとされています.当時西ローマ帝国領だった地域には多数のゲルマン人国家が作られましたが,そのうちイベリア半島に418年に建国されたのがこの西ゴート王国です.当初はキリスト教アリウス派を信仰していたことからローマ教会と対立していましたがのちにカトリックに改宗しています.そして8世紀初頭のウマイヤ朝の地中海世界制覇の渦にのみこまれて滅亡したのは,奇しくも⑦のコンスタンティノープル攻囲の年です.

⑩ 赤眉の乱2000年

 今から2000年前という非常にキリのいい年に起こった事件がこちらです.西暦8年に前漢から禅譲形式で,王莽による新国家「新」が成立しました.しかしこの国はその名に反して(?)復古主義的な政策(周代の政治を理想とした)をとったため,現実政治との乖離がはなはだしく,たちまち民心の離反を招きます.こうした中で起こったのが赤眉の乱で,その混乱の中で王莽は殺されて新はあっという間に滅亡したのでした.

⑪ ハンニバル没後2200年

 第二次ポエニ戦争の主人公ともいうべき人物がカルタゴの将軍ハンニバルです.有名なアルプス越えによってイタリア半島に侵入し,当時の共和制ローマに打撃を与えましたが,最終的に敗北,戦後はカルタゴの再建に活躍したものの政争から国を追われ,亡命先のセレウコス朝シリアで客死したのです.これが今から2200年前の紀元前183年で,奇しくもポエニ戦争で彼の好敵手だったスキピオ・アフリカヌスも同年に亡くなっています.

⑫ 完璧2300年

 完璧という言葉の語源となったのは,戦国時代に秦の昭襄王が趙王の持つ宝物「和氏の璧」を領土を交換しようと持ちかけた際に,その話を怪しんだ趙の使者として秦に赴いた藺相如が自国の面子を失わずに璧も無事に持ち帰った故事によります.その事件が起こったのが今から2300年前の紀元前283年といわれています.

⑬ バビロン第7王朝成立3000年

 古代においてバビロンを都とした王朝はたくさんあり,特に紀元前18世紀ごろのハムラビ王で知られるバビロン第1王朝が有名です.そんなバビロンの諸王朝の中で,国王の名前が1人しか知られていないのがバビロン第7王朝で,その唯一の王マール・ビティ・アプラ・ウスルが即位したのが今から3000年前の紀元前983年のことだそうです(この辺まで来ると「お前見たのか」というレベルではあります 笑).

 というわけで今年もいろんな記念イヤーのある年なのでした.

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2018年1月 4日 (木)

今年の抱負

 (年末は30日&31日が当直だったので,元旦から3日まで帰省していた).月初めの定番業務といえばレセプト点検,特に1月は月初めが休みなのでほかの月と違って点検にかけられる時間が短いのがきついところです.

Securedownload そんな1月4日は毎年恒例,ビザンチン皇帝今年の抱負を考えてみたいと思います.

① 南アフリカ旅行: 抱負というか,これはもう確定事項なんですが,今月下旬に南アフリカ旅行に行ってきます.昨年の夏季休暇の旅行が諸事情で延期になっていて,今回ようやく実現の運びになると2018年も5日が経過しました.自分の勤務は基本的に暦通りなので,今日から通常業務となっていますいうことです.南部アフリカは過去2回行ったことがありますが,ナミブ砂漠&オカバンゴデルタというあまり一般的でない場所ばかりでした(笑).今回は3回目にしてケープタウン,ビクトリアフォールズ,チョベ国立公園という南部アフリカ定番スポットに行ってきます.

② ひの新選組まつり: 春の恒例イベント,ひの新選組まつりに今年も参加したいと考えています.2010年を最後にコンテストは不参加となっているんですが,昨年お祭りのレジェンド神楽教授がコンテストに参加したということを聞いて,自分ももう1回出てみたいなと思いました.特に最後の参加となった2010年に不発に終わった妖術薬玉割り(笑)が未完に終わったままであることは,自分にとっても悔いが残っていることです.今年はなんとかそれを完成させ,自分なりにお祭りに区切りをつけたいと思っています.

③ 三味線を習う: 昨年のひのパレで高杉晋作をやるに当たり自前の三味線を購入しました.趣味として合唱をやっている自分ですが,実は楽器の経験はありません.今回せっかく三味線があるので,一度きちんと勉強してみたいと思っています.

④ 日本の滝100選: 現在ライフワークとなっている日本の滝100選,昨年は大幅にペースダウンしてしまい,新規に訪問したのは北海道のアシリベツの滝以下4か所にとどまってしまいました.まあ近場の難易度の低いところは行きつくしてしまったからでもありますが(今日現在49か所を観瀑済み),今年は何とか二けた10か所を目標に頑張っていきたいと思います.

⑤ 国盗り: 実は数年前からスマホの位置ゲームの一種であるケータイ国盗り合戦を始めていました.全国を600の国および6000の空に分けて,行った場所で国盗りをするゲームです.旅行好き&こうした集める系には目のない自分がハマらないわけがありません(笑).今日現在533の国と3721の空を盗っています.100選滝同様ここから先は難易度の高いところが多くなっていくんですが,いろいろな機会に進めていきたいと思います.

⑥ 夏季休暇の旅行: 南アフリカ旅行を目前にしている段階で鬼が笑うんですが,今年の夏ももちろん旅行に行くつもりです.場所の候補としては,チリのアタカマ高地から乾季のウユニ塩湖に抜けるツアー,まだいったことのない中央アジア(ウズベキスタンやカザフスタン,キルギスなど)が候補なんですが,大穴としてインダス文明で有名なパキスタンも挙げています.ただパキスタンは外務省の海外安全情報で下から2番目に位置付けられており,大手の旅行会社では扱っていないため,この手の旅行に特化した旅行社を使わなければならないのが欠点です.

⑦ しながわ宿場まつり: 秋の定番イベントであるしながわ宿場まつり,昨年は夏季休暇旅行の開催問題との兼ね合いで早々に不参加になってしまいました.今年はぜひ参加したいと張り切っております.

⑧ ホームページの充実: これも毎年挙げているテーマなんですが,自分のホームページの充実です.2001年に産声を上げたサイトも今年で17年,海外旅行記やひの新選組まつりなど定番記事を中心にまだできていない部分がたくさんあります.それらを少しずつでも埋めていければと思います(旅行記なんか,できていないうちに次の旅行が始まるというパターンになっている 笑).

 そんな感じで今年もよろしくお願いいたします.

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