年末の奈良旅行②
初冬の奈良旅行2日目(そして最終日 笑)の朝になりました.まずは朝食をいただくためにレストランへ.ビュッフェスタイルで,奈良漬もありました(これを食べて車を運転すると酒気帯びになる恐れがある).あとは朝カレーにも惹かれましたが,お腹がいっぱいになりそうなので断念しました.
チェックアウト,大きな荷物をフロントに預けて出発です.この日の目的は奈良市の西ノ京地区そして斑鳩町の法隆寺近辺,ホテルの循環バスのルートではないためタクシーを呼んで出かけます(近鉄の新大宮駅まで歩いて電車という技もあるのだが面倒なので断念).昨日の快晴とは違ってこの日は雲の多い天気,しかも結構寒いです.
まず向かった先は唐招提寺,ここは奈良時代に唐から招聘された僧,鑑真が開基した寺で,ここで戒律を学ぶ僧たちを指導したとされています.南門から中に入っていくと,まず目の前に大きな金堂が経っています.これは奈良時代建立の本堂として極めて貴重な建物です(もちろん国宝).金堂の後ろには,かつて修行僧の学びの場となっていた講堂が建っています.これは元々平城宮の朝集殿(朝堂の南門の外にあり,参集した官人たちが門が開くまで待機する建物)が移築されて講堂となったものです.行動として利用するために改装が施されたとはいえ,平城宮の建物として現存している稀有な例であり,これも国宝に指定されています.
こうした国宝の建物を眺めているだけでなんとなく厳粛な気分になってくるんですが,そういえば今日は随分と観光客が少ないことに気づきました.平日の朝ということもあるんでしょうが,昨日の東大寺や奈良公園の喧騒がウソのようです.ちなみにウチのKはというと,寺院の入り口のチェリオの自販機があると喜んでいました.
(写真6) 玄奘三蔵院伽藍
唐招提寺を後にして近くの道をそのまま南下し,お隣の薬師寺に向かいます.昨日訪問した東大寺にしてもそうなんですが,一般に寺院は南側が正面になっているので,見学に際しては南側から入って拝観するような導線になっています.薬師寺も本来そうすべきなんですが唐招提寺から南下する形になったため北からの訪問になります(北側にも受付がある).まずは境内最北部にある玄奘三蔵院伽藍へ.玄奘三蔵は西遊記の三蔵法師のモデルになった唐代の僧です.17年にわたるインドでの研鑽をへて帰国,持ち帰った膨大な資料の翻訳を行いました.彼によりもたらされた教義から始まったのが法相宗で,その日本での総本山がこの薬師寺というわけです(ほかに興福寺もその系統).この玄奘三蔵院伽藍は期間限定で公開されているのですが,残念ながら我々の訪問日は非公開だったため,外観を眺めるだけでした.
続いては本境内へ.内部は北から順に食堂(僧が食事をとるところ,「ジキドウ」と読む),大講堂,金堂と並び,金堂の南に東塔・西塔一対の五重塔が聳え立ち,その南側に中門があるという構造になっています(そのさらに南側に入り口にあたる南門がある).当寺は飛鳥時代に創建され,平城京への遷都と同時にこの地に移転してきたとされる歴史を持ちます.しかし長年の間に火災等によってオリジナル建物の大半は失われてしまい,奈良時代から残る建物は東塔のみで,その他鎌倉時代に造られた東院堂と室町時代にできた南門以外は近代以降の再建です(その貴重な現存建物である東塔はちょうど解体工事中のため見られないという悲劇も 泣).薬師寺の境内は東大寺や唐招提寺に比べると華やかなイメージがあるんですが,それもこの辺の事情が関わっていると思われました.
(左写真11) 工事中の東塔の代わりに西塔で記念撮影,(右写真11) 食堂内での飲食は禁止のようです(笑)
薬師寺の観光を終えると今度は法隆寺のある斑鳩町地区に向かいます.法隆寺はJR法隆寺駅が最寄りなんですが,薬師寺付近にある近鉄線からの接続は極めて不便なので路線バスで移動することになります.薬師寺東側のバス通りへ.この路線バスは1時間に1本なので,だいたい目途を付けて移動したんですが,若干遅れたため寒い中待たされることになりました(とはいえ遅れる前提で移動して万一時間通りに来たら悲劇だし,この辺はバスの宿命ではある).
バスに乗ること30分,途中金魚で有名な大和郡山駅を経て斑鳩町に入ります.最終目的地は法隆寺なんですが,その前にその北にある法起寺と法輪寺を訪問するために,法起寺前バス停で下車しました.法起寺は聖徳太子が法華経を講じたとされる岡本宮を太子の没後その遺言に従って,山背大兄王が寺に改めたものとされています.このお寺も当時の建物はほとんど残っていませんが,唯一三重塔が現存しており,これは706年頃の創建といわれ,三重塔としては日本最古のものだそうです.
法起寺を見学した後は徒歩10分くらいの場所にある法輪寺に向かいます.ここは山背大兄王が聖徳太子の病気平癒を祈って建てたといわれる古いお寺です.ここにも法起寺のそれと類似した三重塔がありますが,こちらは近代までは残っていたものの,昭和19年に落雷で焼失してしまい,現在あるものは昭和50年に再建されたものです.ただ,ここには薬師如来坐像や虚空蔵菩薩立像などの飛鳥時代の仏像があり,現在は再建された講堂(収蔵庫)に安置されています.
法輪寺を後にしてそのまま細い道を南下していきます.向かう先は法隆寺,十五分ほど住宅街っぽい界隈を歩くと夢殿のある法隆寺東院伽藍エリアにたどり着きました.ただこの段階でお昼過ぎになっており,まずは昼食にしようということと,せっかく観光するのなら南大門からの正攻法でということで,そのまま西へ歩き南大門そばの食堂に入りました.この日頼んだのはありきたりの定食でした(笑).ふと外を見ると,修学旅行の団体が続々と法隆寺の南大門に入っていきます.そういえば昨日の東大寺では修学旅行生はあまりおらず,外国人観光客ばっかりだったなぁと思い出しました.食事をしていたら今度はそうした修学旅行生相手のガイドさんと思しき人たちがやってきました.つかの間の休憩時間ということのようで,用意されていたお弁当を黙々と食べていました.
(写真15) 金堂と五重塔
昼食後はいよいよ法隆寺の観光,南大門から中に入ります.ここから北に向かうとまもなく国宝の中門があるハズなんですが,残念ながら修復工事中でした(今回の奈良観光はあちこち工事中 泣).中門を迂回する形で回廊の中に入ります.ここにはこのお寺を代表する建築物である金堂や五重塔などがあり,これら法隆寺の西院伽藍は世界最古の木造建築群として世界遺産に指定されています(もちろんすべて国宝).
回廊内に入ってみると,先ほど食堂から見かけた修学旅行生が大勢います.それも1校2校ではなく,数えきれないほどの学校数が(制服がそれぞれ違うのでわかる).それらが時間差で次々とやって来ます.どこも拝観の順番待ちで長蛇の列なんですが,五重塔については東西南北四面にそれぞれある,塔本四面具と呼ばれる塑造の群像のうち北側のみに生徒たちが並んでいて,それ以外の面は空いていたのが印象的でした(それを見るように先生に指導されているのか?).ちなみに法隆寺の金堂は見た目は二階建てですが,実際には二階部分には部屋はなくこれは外観を重視したための造りといわれています.我々も修学旅行生の間を縫うように見学したのでした.
回廊の後は北東にある宝蔵院へ,ここは百済観音像や夢違観音をはじめとするこの寺院に伝わる宝物が展示されています.ここにも修学旅行生が大勢いましたが,帯同している社会科の先生と思しき人がいろいろ詳しく解説しているのが興味深く,思わず聞き入ってしまいました(笑).
宝蔵院の見学を終えるとそのまま東に向かいます.東大門を過ぎて少し行くと,昼食前にたどり着いた東院伽藍となります.ここは奈良時代に聖徳太子の遺徳を偲んで建てたられたといわれる伽藍で,特に中央に建つ夢殿は有名です.ただここに来ると,さっきまであれほどいた修学旅行生はおらず,どうやらここは彼らのルートには入っていないようでした.
この後はお隣の中宮寺へ.聖徳太子の母間人皇后によって建てられたとされる尼寺です.夢殿の裏手になりますが,ここにも修学旅行生は全くおらず静かな環境です.本堂が池の中央ににあるという珍しい形状をしています.ここの見ものは国宝の菩薩半跏像,穏やかな表情の仏像で,世界美術史上でも評価が高いのだそうです.
中宮寺を後にしたころから小雨が降ってきました(晴れ男を自負しているので笠は持っていない 笑).少し駆け足で南大門方面に戻りました(結局本降りになることはなかった).法隆寺のほかの箇所も見ようかとも思ってたんですが,天候が怪しいので断念,バスでJR法隆寺駅に行き奈良市内に戻ったのでした.その後はカフェで時間をつぶしてホテルに戻り荷物を受け取って今度は近鉄奈良駅へ,近くの居酒屋で夕食を摂り20時の近鉄特急で京都駅へ,そこから小田原駅停車の最終のひかり号に乗って帰宅したのでした.
あちこち工事中だったのは残念でしたが,自分にとって20年以上ぶりの奈良の仏教観光は充実したものとなりました.
| 固定リンク
« 年末の奈良旅行① | トップページ | 冬至 »
コメント