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2017年12月31日 (日)

謹賀新年

新春のお慶びを申し上げます.

今年も当ブログをよろしくお願いいたします m(__)m

Inugami1976(写真はイメージです)

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2017年十大ニュース

 さて,今年2017年も残すところわずかとなりました.というわけで,大晦日恒例のビザンチン皇帝10大ニュースの発表です.例年もそうなんですが,対象はあくまでも趣味やプライベートなことなので,仕事上のことや世間的な事件等は含まれません.

第10位 パソコンが壊れる

Pc200188 現在パソコンを何台か所有しているわけですが,そのうちの1台,家に置いてあるデスクトップが壊れました(泣).買ってそんなに経つわけではないんですが,夏以降ときどき不具合が発生し始め,年末に至ってとうとう修復困難な感じになってきたというわけです.データはもちろんバックアップを取っているので無事ですが,年末の忙しい中にパソコン移行作業が入ってしまったのは結構きつかったです(特にホームページビルダーをver.6から順にインストール&アンインストールを繰り返すのが 笑 関連記事).

第9位 日本の滝100選に挑む

Ashiri6 現在自分が長期的にというか,ライフワーク的に取り組んでいるのが日本の滝100選です.以前やっていた日本100名城は約3年でクリアしましたが,この滝の方は難易度の高いところや,今現在アプローチのための道が閉鎖されているところもあるなど,いったいいつクリアできるのやらという感じになっています(おまけに近場の楽なところはほぼ訪問してるし).とはいえ,今年も北海道のアシリベツの滝や山口県の寂地峡五竜の滝などいくつかの滝を訪問できました(関連ページ).

第8位 初冬の奈良旅行

Pc040182 奈良といえば京都と並ぶ日本を代表する古都ですが,学会などもよく開催され,頻繁に訪れる機会のある京都と比べて,奈良は訪問する機会が少ない町でした.思い出したら最後に行ったのがなんと!学生時代,ずいぶん行ってないんだなあという思いと,ウチのKが実は奈良は未訪だということもあって,余っている年休を消化する意味も兼ねて1泊2日で奈良に観光に行ってきました.今回は奈良観光の原点とばかりに訪れたのは東大寺や薬師寺,法隆寺といった定番スポットです.比較的天候にも恵まれ楽しい旅行となりました(関連記事①).

第7位 銀の薔薇をもらう

Dsc_1661 クラシック好き,特にオペラに目がない我が家では機会を見つけてはオペラ鑑賞に出かけています.時には海外団体の引っ越し公演に行くこともありますが,メインは新国立劇場や二期会といった国内団体ものです.このうち新国立では今シーズンで契約が終了する飯盛泰次郎芸術監督によるワーグナーの指環4作品の最後,「神々の黄昏」公演が印象的でした.その他7月には二期会の「ばらの騎士」の公演があり,そのプルミエではペア先着70組限定で銀色のばらをプレゼントという企画をやっており,偶然貰えてしまい,非常に印象的なエピソードになったのでした(関連記事).

第6位 寮歌イベントに参加

P8050617 前述の通り,基本的にはクラシック音楽愛好家の自分ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,何らかのきっかけで無性に歌いたくなることがあります.そんな寮歌のイベントとして,今年は6月の「能代寮歌を愛する会」と8月の「中央寮歌祭」に参加しました.どちらもここ数年定番になっている寮歌祭です.寮歌は基本的には現役でそれらを感じていた旧制高校経験者の方々のものですが,そうした方々は年々高齢化し,数が減っているのも事実です.そのためかつては全国にたくさんあった寮歌祭の多くも終了してしまいました.そんな中この2つのイベントは若い人も多数参加している寮歌祭として今後とも発展していってほしいものです(中央寮歌祭の方は実は自分も幹事なんですが 笑)(関連記事①

第5位 ひのパレに高杉晋作で参加

Img153 毎年春の恒例イベントになっているひの新選組まつりに今年も参加しました.今年も同時代の人々枠での参加だったんですが,与えられた役は長州藩の高杉晋作! 南部藩出身で会津・新選組びいきの自分が高杉晋作なんて… とも思ったんですが,せっかくの経験とばかりに自前の三味線を用意してパレードに臨みました.面白いと言えば面白かったんですが,それにしてもアウェイ感がはんぱなかったです(特に高幡不動尊から小学校に移動するときのバスが,会津藩と一緒だったので余計肩身が狭かった 汗).一方で今回高杉晋作役を得たことを機に久しぶりに下関を訪問し,東行庵や功山寺など高杉晋作ゆかりの地を巡ったり,当地のおいしい海産物をいただいたのもよい経験でした(関連記事).

第4位 山陰への家族旅行

P7080029 ここ数年,自分の父親の命日に合わせて家族旅行に出かけるのが定番になってきました(この手のものとしては2014年の北海道に始まり,2015年黒部,2016年長崎と続く).今年は妹がサンライズに乗りたいと言い出したことから,サンライズで行ける場所ということで山陰地区に決定しました(サンライズ瀬戸で四国もありなんですが,より乗車時間の長いサンライズいずもを選択).訪問したのは境港の水木しげるロードを手始めに,松江城や出雲大社,石見銀山,倉吉,鳥取砂丘など,宿泊はすべて温泉地で温泉津温泉に皆生温泉などです.どこも面白かったんですが,特に温泉津温泉で見た石見神楽が大迫力で素晴らしかったです(記事未作成).

第3位 総火演を観に行く

Sensha2 いよいよベスト3の発表,第3位は毎年8月に開催されている陸上自衛隊の総火演です.これは陸自最大規模の実弾射撃演習として知られているイベントです.こっち関係にも興味がある人間として,一度は行ってみたいと思っていたんですが,総火演は世間的にも非常に人気が高く,チケットを入手が困難なプラチナチケットとなっており行けていませんでした.しかし今回縁あってその学校予行のチケットが入手できたため,知人らとともに出かけてきました.演習は陸自の主要装備品を紹介する前段演習と,日本の島しょ部に侵入した敵を撃退する作戦展開を行う後段演習に分かれています.普段お目にかかれない実弾射撃が見られるのがポイントですが,特に初速が早い戦車砲の迫力はすさまじいものがありました.機会があればまた観に行きたいです(関連記事).

第2位 ラオス旅行

P2040183 そして第2位は2月のラオス旅行です.今年は諸事情があって夏季休暇の海外旅行がなかったため,これが今年唯一の海外となりました.自分にとってはアンコールワット,ミャンマーに続く3回目の東南アジアでした.古都ルアンパバーンを中心に寺院や郊外の滝などを観光しました.同じ東南アジアの仏教国ですが,隣国のミャンマーの仏像はちょっとお茶目な表情をしていますが,ラオスのそれは色こそ金ぴかですが,表情は日本にある仏像に相通ずるものがあるなと感じました.一方で食事についても,ラープ(ラオス風肉そぼろ)やカオ・ソーイ(辛い麺料理)といった名物料理のほか,さすがかつてフランス領だったことを感じさせるフランス料理も堪能できました.その他ラオスの朝の風物詩,僧侶の托鉢も見学でき楽しい思い出となりました(関連記事①,④以下未完).

第1位 ヨハネ受難曲演奏会

Img148 というわけで,栄えある今年の第1位は3月20日に盛岡市民文化会館大ホールで行われた,バッハのヨハネ受難曲演奏会となりました.私が遠隔地団員として参加している盛岡バッハカンタータフェラインの40周年記念演奏会として企画されたものです.ヨハネ受難曲自体は過去にもやったことがあるんですが,常任指揮者である佐々木正利先生の指揮での公演は初めてということでワクワクして練習に参加していました.今回は節目の演奏会ということもあり,ソリストもすべて合唱団ゆかりの方々を起用したのも特徴です.合唱経験者ならばだれもが憧れる名曲,第1曲の前奏部分からしびれるようなステージとなりました.次回この曲をやれる機会があるのかどうかはわかりませんが,バッハはいいなと改めて思いました(関連記事).

 その他,ランクインに至らなかった出来事です.

一,祈りのコンサートに参加 東日本大震災で亡くなられた方々,傷ついた方々の魂や心を慰めるために毎年この日に行われているコンサートに今年も参加しました.

二,宇宙戦艦ヤマト2202鑑賞 かつての宇宙戦艦ヤマトの続編的位置づけの「さらば~」,「ヤマト2」のリメイク作品が公開され始めました.昔から好きだったシリーズなので欠かさず見ています.

三,在京白堊会 在京者による高校の同窓会に今年も参加しました.昨年幹事学年だったために当時の仲間が集まり,その縁から今年も飲み会が開催されています.

四,東京21合唱団第14回コンサート 私が東京で参加している合唱団のコンサート,今年も赤坂の霊南坂教会を会場にバッハのカンタータ131番を中心としたプログラムを演奏しました.

五,小田原医師会合唱団第9回定期演奏会 本拠地である小田原で活動している医師会合唱団の定演です.私が参加している合唱団で唯一,邦人作品を取り上げる貴重な存在です.今年は太田桜子さんの作品を中心に演奏しました.

六,セリ鍋の会 大学合唱団の同世代の人間が晩秋に集まって,仙台名物のセリ鍋を食べる会をやっており今年も参加してきました.久しぶりに昔話に花が咲きました.

Img146
Img158Dsc_1517Img160Fb_img_1505701811354Img_3368 昨年は旅行が多くて寮歌祭などが圏外に飛ばされてしまったんですが,今年は順当な感じになっています.ちなみに毎年参加していたしながわ宿場まつりは諸事情のために不参加でした.

 さて,来年はどんな年になりますやら.みなさんよいお年を!

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2017年12月29日 (金)

来年の年賀状

 今日12月29日は仕事納めの翌日です.一般的には年末年始の休みか!となるんですが,明日30日&明後日大晦日が当直なので,現実には今日が年内唯一のフリーの休日となります.

 そんな休日は来年の年賀状作成に邁進していました.

 例年自分の年賀状は送る相手に合わせて,真面目バージョン・砕けバージョンなど何種類かを用意しています.真面目バージョンは旅行の真面目写真のみで,一方の砕けバージョンはその他扮装写真やらなにやらふんだんに盛り込んだ派手な作りになります.この砕けバージョンは例年載せたい写真が多すぎて絞り込むのに苦労するんですが,今年は逆に載せる写真がないことに気づきました… ( ゚Д゚)

 理由としては,まず今年は恒例の夏の海外旅行がなかったこと,そしてそれと微妙に絡むんですが,これまた恒例のしながわ宿場まつりに参加できなかったことがあります.すなわちイマイチ活動が乏しかった一年だったということになるわけです.結局今回は真面目版と砕け版の区別がほとんどいらない状態になったのでした(笑).

Download (写真1) 来年の年賀状.例年になくシンプルです

 そんな29日の夜は昨日に続いて贅沢な夕食とすべく,市内の蟹料理屋さんに繰り出しました (^^)v.

 ズワイガニのしゃぶしゃぶにタラバガニの炭焼き,天ぷら等をいただきました.美味しかったです !(^^)!

Download2 Download7 (写真2,3) かにしゃぶ

Download6 Download5 (左写真4) タラバガニの炭焼き,(右同5) ズワイガニの天ぷら

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2017年12月28日 (木)

仕事納めの日に

 今日12月28日は仕事納めでした.まあ,病院というところは常に動いているところなので,明日以降院内が無人になるなんてことはなく,交代勤務者によって24時間維持されていくことになります.とはいえ通常業務は今日までということで,事務職員は総出で院内の大掃除をやっていました.夕方には幹部職員による挨拶回りなんかもあり,いよいよ年の瀬といった雰囲気です.

 この仕事納めの夕方,いつも利用している旅行デスクから電話がありました.実は年明けの1月下旬に南アフリカに旅行に行こうと計画をしているんですが,その件についてです.曰く,「当初予定していた南アフリカ航空便がキャンセルになってしまった.なんとか代替のチケットを確保したのだが,それはエチオピア航空利用のアジスアベバ経由便である.」というもの.アジスアベバ!自分にとっては未知の世界だ(笑),過去何度か利用している南アフリカ航空とは違う航空会社も面白いなと二つ返事でOKを出しました.その後エチオピア航空のサイトを調べたら,同航空の成田-アジスアベバ便(日本とアフリカ大陸の都市を直行している唯一の路線らしい)に使用している機材はボーイング787とのこと.一般に国際線機内の環境は気圧が標高2400メートル相当と薄く,湿度も5~15%と極度に乾燥しています.このためいわゆるロングフライト血栓症(エコノミークラス症候群)を引き起こすわけですが,ボーイング787は機体材料の改良の結果,気圧は1800メートル相当,湿度も20%以上と従来の機体に比べて大幅に環境改善が図られています.成田-アジスアベバなんて気が遠くなるくらいのロングフライトなので(途中香港に着地するらしいが)機内環境がいいのは嬉しいです(南アフリカ航空の香港-ヨハネスブルク便はエアバスA330).

 で,そんな仕事納めの夜は久々に肉を食べに市内のステーキハウスに出かけました(最近あちこちの忘年会続きでウチのKと食事に行く機会がなかったからなぁ).この日いただいたのはアワビと黒毛和牛ヒレステーキのコース,赤ワインもいただいたことは言うまでもありません(笑)

Dsiyxlgu8aarmor Dsiyyvovoaeaoc9 (左写真1) アワビのステーキ,(右同2) 和牛の握り

Dsiyzu9vaaail_r Dsiya1jv4aemici (左写真3) ヒレステーキ,(右同4) 〆のアイス

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2017年12月26日 (火)

PCが壊れました

 自宅で使っているデスクトップパソコンが…

 壊れました ( ゚Д゚)

 実は数か月前から予兆はあったのです.使用中に突然落ち,再起動したかと思ったら,しばらくして「起動可能なデバイスが見つかりませんでした」という表記が出てうんともすんとも言わなくなるのです.

 こんな場合,強制的に電源を落としてしばらく放置して,再び電源を入れると復活します.「なんかやばいかな」と思いつつも,たまの出来事なのでそのままにしていました.

 しかし,だんだん発生頻度が上がり,1か月前からは2回に1回くらいのペースで発生するようになりました.これはいよいよかと思っているうちに,とうとうほぼ毎回,ひどい時には起動後数分で落ちるようになり,これはいよいよダメだと確信しました(データはやばいなと思った時期からバックアップしてある).

 原因はハードディスクにあることは間違いないので,それを交換するという手も考えたのですが,かりにそうするとOSが購入段階のWindows 8に戻されることになり,そこからまた10にアップグレードするのもなんだかなぁ ( ̄▽ ̄) と考え,思い切って新しいのを購入することにしました(ボーナス月でもあるし).

Pc200188 (写真) 歴代ホームページビルダーのCD-ROM

 今回購入したのはNECのLAVIEです.あんまりメーカーにはこだわりのない自分,前回は富士通でした(笑).データの移行等を無事に済ませたんですが,意外に面倒くさかったのがホームページビルダー,このソフトを使い始めたのが2001年で,自分のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」を立ち上げる際に買ったのが始まりで当時はバージョン6」でした.その後,バージョン10,15,20と購入したんですが,すべてアップデート版でした(その方が安いから).なので再インストールする際にはバージョン6から順番にインストール,アンインストールを繰り返さなければならず結構面倒でした.

 さあ,この新しいPCこんどはどれだけの期間一緒に活動してもらえるのか楽しみです.

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2017年12月24日 (日)

クリスマスソングの集い

Img177 昨日12月23日は市内のスタジオで開催されたクリスマスソングの集い(略称クリソン)に参加してきました.

 このイベントは,地元医師会合唱団関係者が企画・運営を行なっているもので,団員のみならず団員ゆかりの方ならだれでも参加ができる会です.お酒や料理をいただきながら、参加者それぞれが出し物をしたりして大いに楽しもうというイベントで,季節がら事実上医師会合唱団の忘年会という感じでもあります.

Dsc_1819 13時に乾杯とともに宴の開始です(自分は最初の1杯のみ缶ビールで2杯目以降はシャンパン,ワイン,日本酒 (^^)v).しばらく懇談したのち,さっそく各自がこの日のために準備してきた出し物を披露します.独唱,重唱,合唱といった声楽だけではなく,ピアノやフルートなどの器楽やバンド,さらには朗読などそれこそ何でもアリです(うちのKは重唱をやっていた).

Dsc_1815Dsc_1824 料理やお酒は持ち寄りのほか,料理が上手な団員によるホテル並みカレーなども登場しました.時間がたつのも忘れて飲み歌いました.

 ちなみに自分の出し物ですが,全く準備する暇がないまま当日が迫ってきたため,今年のひのパレ用の小道具で購入した三味線をお粗末に弾くことと,いつかやってみたいと思っていた「積水ハウスの歌」の合唱を有志でやってみました.

Dsc_1834(写真) 三味線抱えた自分,この段階でしこたま飲んでます(笑)

 楽しい宴は19時でお開き(それでも6時間!!),例年このイベントではしこたま飲み過ぎて翌日具合が悪くなるパターンなんですが,今年は踊ったりしなかったのが功を奏したのか,例年になく元気に朝を迎えたのでした.

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2017年12月22日 (金)

冬至

 今日は12月22日,冬至です.1年でもっとも夜が長い(昼が短い)日として知られています.調べてみると今日の東京の日の出は6時47分,日の入りが16時32分なので,昼の時間は9時間45分ということになります.昼夜のアンバランスさは緯度が高くなるほど激しくなりますから,東京(北緯35度69分)よりも北にある札幌(北緯43度6分)の昼の時間は9時間ちょうど,さらに高緯度にあるイギリスのロンドン(北緯51度51分)になると7時間50分しか昼がありません.そしてさらに高緯度,北緯66度以北になるとこの日は一日中太陽が昇らない,いわゆる極夜となります(一方で南半球では逆に1年で一番昼が長い夏至にあたる).

 夜が長いとなんとなく陰鬱な気分になりますが,逆に考えると,この日を境にしてあす以降はどんどん日が長くなっていくわけなので,この日を太陽が復活する日として祝う習慣を持つ地域もあります.現在キリスト教世界で祝われているクリスマスも,元をたどればゲルマン人の間にあった冬至を祝う習慣から来たと考えられていますし,南米のインカ帝国にもインティ・ライミと呼ぶ同様の習慣があります(もっともインカ帝国は南半球なので冬至は6月下旬ですが).

 昼が最も短い冬至は屋外での行楽が制限される時期ではありますが,反対にコンサートなどの屋内イベントが盛んになる時期でもあります.特にクラシックのコンサートはまさにこの時期ががピークシーズンで,各地で様々な演奏会が開かれています(日本でもクリスマスコンサートや第九の演奏会など目白押しですね).

 そんな冬至の12月22日,実はベートーベンの有名な作品が初演された日でもあります.それは交響曲第5番「運命」と第6番「田園」,この2曲は1808年のこの日ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されたそうです.アン・デア・ウィーン劇場といえばモーツァルト最晩年の傑作,歌劇「魔笛」が初演された劇場でもあります.当時から庶民向けの劇場だったところですが,まさに音楽が王侯貴族から市民のものへと変換していったベートーベンの時代にふさわしいエピソードだなと感じました(両交響曲の演奏会自体はあまりうまくいかなかったようですが…).

 そんなことを考えた2017年の冬至でした.

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2017年12月21日 (木)

年末の奈良旅行②

 初冬の奈良旅行2日目(そして最終日 笑)の朝になりました.まずは朝食をいただくためにレストランへ.ビュッフェスタイルで,奈良漬もありました(これを食べて車を運転すると酒気帯びになる恐れがある).あとは朝カレーにも惹かれましたが,お腹がいっぱいになりそうなので断念しました.

 チェックアウト,大きな荷物をフロントに預けて出発です.この日の目的は奈良市の西ノ京地区そして斑鳩町の法隆寺近辺,ホテルの循環バスのルートではないためタクシーを呼んで出かけます(近鉄の新大宮駅まで歩いて電車という技もあるのだが面倒なので断念).昨日の快晴とは違ってこの日は雲の多い天気,しかも結構寒いです.

Pc040109 (写真1) 唐招提寺の南大門

 まず向かった先は唐招提寺,ここは奈良時代に唐から招聘された僧,鑑真が開基した寺で,ここで戒律を学ぶ僧たちを指導したとされています.南門から中に入っていくと,まず目の前に大きな金堂が経っています.これは奈良時代建立の本堂として極めて貴重な建物です(もちろん国宝).金堂の後ろには,かつて修行僧の学びの場となっていた講堂が建っています.これは元々平城宮の朝集殿(朝堂の南門の外にあり,参集した官人たちが門が開くまで待機する建物)が移築されて講堂となったものです.行動として利用するために改装が施されたとはいえ,平城宮の建物として現存している稀有な例であり,これも国宝に指定されています.

Img_3498 Img_3502 (左写真2) 金堂,(右同3) 奥の講堂と手前の鼓楼

Img_3503 Img_3504 (左写真4) 宝蔵,(右同5) 経蔵

 こうした国宝の建物を眺めているだけでなんとなく厳粛な気分になってくるんですが,そういえば今日は随分と観光客が少ないことに気づきました.平日の朝ということもあるんでしょうが,昨日の東大寺や奈良公園の喧騒がウソのようです.ちなみにウチのKはというと,寺院の入り口のチェリオの自販機があると喜んでいました.

Img_3509

(写真6) 玄奘三蔵院伽藍

 唐招提寺を後にして近くの道をそのまま南下し,お隣の薬師寺に向かいます.昨日訪問した東大寺にしてもそうなんですが,一般に寺院は南側が正面になっているので,見学に際しては南側から入って拝観するような導線になっています.薬師寺も本来そうすべきなんですが唐招提寺から南下する形になったため北からの訪問になります(北側にも受付がある).まずは境内最北部にある玄奘三蔵院伽藍へ.玄奘三蔵は西遊記の三蔵法師のモデルになった唐代の僧です.17年にわたるインドでの研鑽をへて帰国,持ち帰った膨大な資料の翻訳を行いました.彼によりもたらされた教義から始まったのが法相宗で,その日本での総本山がこの薬師寺というわけです(ほかに興福寺もその系統).この玄奘三蔵院伽藍は期間限定で公開されているのですが,残念ながら我々の訪問日は非公開だったため,外観を眺めるだけでした.

Img_3513 Img_3516 (左写真7) 食堂,(右同8) 大講堂

Img_3519 Img_3524 (左写真9) 金堂,(右同10) 南門から見る薬師寺

 続いては本境内へ.内部は北から順に食堂(僧が食事をとるところ,「ジキドウ」と読む),大講堂,金堂と並び,金堂の南に東塔・西塔一対の五重塔が聳え立ち,その南側に中門があるという構造になっています(そのさらに南側に入り口にあたる南門がある).当寺は飛鳥時代に創建され,平城京への遷都と同時にこの地に移転してきたとされる歴史を持ちます.しかし長年の間に火災等によってオリジナル建物の大半は失われてしまい,奈良時代から残る建物は東塔のみで,その他鎌倉時代に造られた東院堂と室町時代にできた南門以外は近代以降の再建です(その貴重な現存建物である東塔はちょうど解体工事中のため見られないという悲劇も 泣).薬師寺の境内は東大寺や唐招提寺に比べると華やかなイメージがあるんですが,それもこの辺の事情が関わっていると思われました.

Pc040136 Pc040129 (左写真11) 工事中の東塔の代わりに西塔で記念撮影,(右写真11) 食堂内での飲食は禁止のようです(笑)

 薬師寺の観光を終えると今度は法隆寺のある斑鳩町地区に向かいます.法隆寺はJR法隆寺駅が最寄りなんですが,薬師寺付近にある近鉄線からの接続は極めて不便なので路線バスで移動することになります.薬師寺東側のバス通りへ.この路線バスは1時間に1本なので,だいたい目途を付けて移動したんですが,若干遅れたため寒い中待たされることになりました(とはいえ遅れる前提で移動して万一時間通りに来たら悲劇だし,この辺はバスの宿命ではある).

Img_3529(写真12) 法起寺の三重塔

 バスに乗ること30分,途中金魚で有名な大和郡山駅を経て斑鳩町に入ります.最終目的地は法隆寺なんですが,その前にその北にある法起寺と法輪寺を訪問するために,法起寺前バス停で下車しました.法起寺は聖徳太子が法華経を講じたとされる岡本宮を太子の没後その遺言に従って,山背大兄王が寺に改めたものとされています.このお寺も当時の建物はほとんど残っていませんが,唯一三重塔が現存しており,これは706年頃の創建といわれ,三重塔としては日本最古のものだそうです.

Img_3531 (写真13) こちらは法輪寺です

 法起寺を見学した後は徒歩10分くらいの場所にある法輪寺に向かいます.ここは山背大兄王が聖徳太子の病気平癒を祈って建てたといわれる古いお寺です.ここにも法起寺のそれと類似した三重塔がありますが,こちらは近代までは残っていたものの,昭和19年に落雷で焼失してしまい,現在あるものは昭和50年に再建されたものです.ただ,ここには薬師如来坐像や虚空蔵菩薩立像などの飛鳥時代の仏像があり,現在は再建された講堂(収蔵庫)に安置されています.

 法輪寺を後にしてそのまま細い道を南下していきます.向かう先は法隆寺,十五分ほど住宅街っぽい界隈を歩くと夢殿のある法隆寺東院伽藍エリアにたどり着きました.ただこの段階でお昼過ぎになっており,まずは昼食にしようということと,せっかく観光するのなら南大門からの正攻法でということで,そのまま西へ歩き南大門そばの食堂に入りました.この日頼んだのはありきたりの定食でした(笑).ふと外を見ると,修学旅行の団体が続々と法隆寺の南大門に入っていきます.そういえば昨日の東大寺では修学旅行生はあまりおらず,外国人観光客ばっかりだったなぁと思い出しました.食事をしていたら今度はそうした修学旅行生相手のガイドさんと思しき人たちがやってきました.つかの間の休憩時間ということのようで,用意されていたお弁当を黙々と食べていました.

Img_3540(写真15) 金堂と五重塔

 昼食後はいよいよ法隆寺の観光,南大門から中に入ります.ここから北に向かうとまもなく国宝の中門があるハズなんですが,残念ながら修復工事中でした(今回の奈良観光はあちこち工事中 泣).中門を迂回する形で回廊の中に入ります.ここにはこのお寺を代表する建築物である金堂や五重塔などがあり,これら法隆寺の西院伽藍は世界最古の木造建築群として世界遺産に指定されています(もちろんすべて国宝).

Img_3537Img_3532(左写真16) 講堂,(右同17) 回廊

 回廊内に入ってみると,先ほど食堂から見かけた修学旅行生が大勢います.それも1校2校ではなく,数えきれないほどの学校数が(制服がそれぞれ違うのでわかる).それらが時間差で次々とやって来ます.どこも拝観の順番待ちで長蛇の列なんですが,五重塔については東西南北四面にそれぞれある,塔本四面具と呼ばれる塑造の群像のうち北側のみに生徒たちが並んでいて,それ以外の面は空いていたのが印象的でした(それを見るように先生に指導されているのか?).ちなみに法隆寺の金堂は見た目は二階建てですが,実際には二階部分には部屋はなくこれは外観を重視したための造りといわれています.我々も修学旅行生の間を縫うように見学したのでした.

Pc040182(写真18) 記念撮影

 回廊の後は北東にある宝蔵院へ,ここは百済観音像や夢違観音をはじめとするこの寺院に伝わる宝物が展示されています.ここにも修学旅行生が大勢いましたが,帯同している社会科の先生と思しき人がいろいろ詳しく解説しているのが興味深く,思わず聞き入ってしまいました(笑).

Img_3546(写真19) 夢殿

 宝蔵院の見学を終えるとそのまま東に向かいます.東大門を過ぎて少し行くと,昼食前にたどり着いた東院伽藍となります.ここは奈良時代に聖徳太子の遺徳を偲んで建てたられたといわれる伽藍で,特に中央に建つ夢殿は有名です.ただここに来ると,さっきまであれほどいた修学旅行生はおらず,どうやらここは彼らのルートには入っていないようでした.

Img_3548(写真20) 中宮寺の本堂

 この後はお隣の中宮寺へ.聖徳太子の母間人皇后によって建てられたとされる尼寺です.夢殿の裏手になりますが,ここにも修学旅行生は全くおらず静かな環境です.本堂が池の中央ににあるという珍しい形状をしています.ここの見ものは国宝の菩薩半跏像,穏やかな表情の仏像で,世界美術史上でも評価が高いのだそうです.

 中宮寺を後にしたころから小雨が降ってきました(晴れ男を自負しているので笠は持っていない 笑).少し駆け足で南大門方面に戻りました(結局本降りになることはなかった).法隆寺のほかの箇所も見ようかとも思ってたんですが,天候が怪しいので断念,バスでJR法隆寺駅に行き奈良市内に戻ったのでした.その後はカフェで時間をつぶしてホテルに戻り荷物を受け取って今度は近鉄奈良駅へ,近くの居酒屋で夕食を摂り20時の近鉄特急で京都駅へ,そこから小田原駅停車の最終のひかり号に乗って帰宅したのでした.

 あちこち工事中だったのは残念でしたが,自分にとって20年以上ぶりの奈良の仏教観光は充実したものとなりました.

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2017年12月15日 (金)

年末の奈良旅行①

 ちょっと時間が経ってしまったんですが,12月3日~4日の2日間を利用して奈良観光に行ってきました.3日は日曜日ですが4日は月曜,平日です.しかし,今年は諸事情から夏季休暇の旅行に行っていないこともあって有給休暇がたくさん余っているのです.それを少しは消化しなくてはということで,月曜を休みにしたという寸法でした.京都とともに古都として知られる奈良ですが,東海道新幹線ののぞみ全列車が停車し,国際学会なんかも開かれる京都に比べて地味な印象です.自分も奈良市内に最後に訪れたのは学生時代のこと!,ちなみにウチのKはそもそも行ったことがないということなので,じゃあちょっと行ってくるかとなったものです.

Pc030002(写真1) 京都駅

 12月3日朝6時半に家を出て小田原駅へ,7時過ぎのひかり号で一路西に向かいます(小田原駅はのぞみは停車せず,約2時間に1本のひかりが再速達列車).京都駅で降りてJR奈良線の快速列車で奈良市内に入りました.到着後まずは荷物を手放そうということでホテルへ向かいます.駅前のホテルなら何の問題もないんですが,今回はJR東海による新幹線とホテルがセットになった格安プラン利用のため,ホテルは中心部からちょっと離れた場所に建つ奈良ロイヤルホテルでした.このためホテルの巡回バスに乗って向かうことになりました.

Pc030006(写真2) 名物の鹿 

 荷物を置いてついでに記帳した後,再び巡回バスに乗って今度は近鉄奈良駅で下車します(ホテルのバスは ホテル→近鉄奈良駅→JR奈良駅→ホテル という運行ルート).空を見上げると雲一つない快晴!,絶好の観光日和です(もちろん私の普段の行いがいいから 笑).さあ観光開始というわけでまず向かったのは興福寺,平城遷都以来この地に建ち,当時は藤原氏の庇護を受けて栄えていたものの,源平争乱のどさくさで焼き払われ,今ある姿になったのは鎌倉時代とのことです.ここは五重塔や東金堂といった建物の他,国宝館にある有名な阿修羅像も知られています.ただこの日は国宝館が工事中で入ることができませんでした(泣 2018年1月1日リニューアルだそう).周辺はすでに奈良公園エリアになっていて,あちこちに名物(?)の鹿がたむろしています.動物園感覚になりますが,ここの鹿は角こそ処理されていますが一応野性なのでサファリの方がイメージに近いです.初奈良のウチのKは最初は「鹿だ!」と感動していましたが,オカバンゴのアフリカゾウと一緒で30分もすれば慣れてありがたみが無くなってしまうのでした(笑).

Pc030015Img_3459(左写真3) 東金堂,(右同4) 北円堂

Img_3462(写真5) 五重塔
 そんな奈良公園を散策しながら興福寺の次は東大寺へ.奈良の中心スポットです.バス通りから北上して南大門から中に入ります.この門の左右には鎌倉時代に運慶らによって作られた,国宝で名高い一対の金剛力士像があります.向かって左が阿形像、右が吽形像です.阿吽はサンスクリット語由来で始まりと終わり(日本語なら”あん”か?)を意味し,宇宙の始まりと終わりを表すそうです(ちなみに西洋だとクリスマスキャロル”In dulci jubilo(もろびと声上げ)”に登場するα、ωがちょうど阿吽の関係になる).こんな大事なものが入り口の門に置かれているのは,お寺を外敵から守るという意味合いらしいです.

Pc030053Pc030054(左写真6) 阿形像,(右同7) 吽形像

 そんな金剛力士像を見ながら境内へ,日曜日ということもあって大勢の観光客でごった返しているんですが,それにしても外国人観光客の多いこと! 日本人客よりも外国人客の方が多いんじゃないかというほどいろんな言語が飛び交っていました(一番多いのはやっぱり中国語だ 笑).

Pc030052Pc030066(左写真8 南大門),(右同9) 大仏殿 

参道を進んで中門の東の入場口から入ります(ここから先は有料).大仏殿の直前になにやら青銅製の灯篭が立っていました.油断していると見過ごしそうになりますが,実はこれ奈良時代からその姿を留めている国宝の灯籠(八角灯籠)なのです(いわれなければ気付かないかも 💦).

Img_3474_2(写真10) 国宝八角灯籠

 そんな国宝の灯籠を見た後いよいよ大仏殿の中へ,自分にとっては学生時代以来約20年以上ぶりの大仏様です.本当に昔と変わらない姿で佇んでおられました(源平や戦国時代の戦乱で大仏のオリジナル部分の大半は失われたとはいえ,それでも奈良時代の雰囲気は残っていると思われます).

Img_3464(写真11) 大仏!

見学は大仏を時計回りに一周する形で進む一方通行,ほぼ一周して出口付近に来たらなにやら行列になっています.見るとどうやら柱くぐりと呼ばれる場所がある模様(昔来たときは記憶がない,気付かなかっただけか),大きな柱の最下部に穴があいてるんですが,ここは大仏の鼻の孔と同じ大きさなのだそうです.くぐると無病息災が得られるとか,頭がよくなるとかの御利益があるらしいのですが,見ると並んでいるのはほとんど子供… 大人はというと,柱を潜り抜ける我が子の撮影係になっています.穴も子供なら通れるレベルのよう.細見時代ならともかく中年でお腹周りが立派になった自分が通れるのか不安になります.しばらくして順番が回ってきました.「まあ,行ってみよう」と穴くぐりにチャレンジします.コートとジャケットを脱いでチャレンジ… 

が,なかなかキツイ ( ̄▽ ̄)

Pc030085(写真12) 柱くぐり

結構狭いです.結局どうにか頑張って体をくねらせて潜り抜けることに成功しました(こんな狭いところを通ったのは生まれた時以来か? 笑).

Img_3476(写真13) 賓頭盧尊者像

 大仏殿から外に出ると,出口の左手に赤い涎掛けみたいなのをかけた賓頭盧尊者像があります.こちらは一説によれば触った箇所の病気が治るという言い伝えがあるそうで,観光客が盛んに触っていました(頭に触れば頭がよくなるのか?と思いましたが,意外に高さがあって触れませんでした.この段階で午後1時過ぎになっていたのでいったん外に出て昼食,この日は近くの土産物屋兼食堂のようなお店で蕎麦をいただきました.

Img_3480Img_3479_2(左写真14) 大仏池方面から大仏殿を,(右同15) 戒壇堂

 昼食後は再び東大寺に戻って見学の再開です.今度は境内の北東にある戒壇堂へ,ここは天平勝宝6年(754年)に日本最初の受戒施設として,聖武上皇によって建立された戒壇院の一部だった建物です.ここも過去何度も火災で焼失し,今あるのは江戸時代のものといわれています.ただここを有名にしているのは建物ではなく,内部に安置されている国宝の四天王像のおかげです.四天王とは広目天,増長天,持国天,多聞天という仏教を守護する神様のこと,中国など大陸の四天王像はほのぼのとした風貌のものが多いんですが,日本のそれは邪鬼を踏み付け,怒った表情をしているのが特徴です.国宝や重文の仏像は撮影や模写が禁止されているケースがほとんどなので,ここも基本的に資料集などでしかお目にかかれません.大仏殿の大賑わいとは違って,ここに来る観光客は少ないらしく,じっくりと鑑賞できました.

Img_3482(写真16) 転害門

 戒壇堂を後にしてさらに境内を北西へ,やってきたのは転害門です.東大寺の建物は源平期の平重衡の焼き討ちと戦国期の松永・三好の争乱によってそのほとんどが失われてしまったのですが,この転害門はその数少ない生き残りとされています(ただ完全に当時のままというわけではなく,屋根などに鎌倉時代の修復がある).さすがにここまでやって来る観光客は皆無で(笑),完全貸し切り状態でした.

 転害門から再び境内に戻りそのまま正倉院の方に向かいます.東大寺は基本的にお寺ですが,正倉院部分は宮内庁の管轄下にあり基本的に内部は見られません.せめて外観だけでもと思ったんですが,この日は日曜日で見られませんでした(泣).

Pc030099(写真17) 二月堂

 その後境内を南東に進み,大仏殿の北側をかすめて東に進み,二月堂に行きます.ここは旧暦の2月にお水取り(修二会)が行われることからその名があるお堂です.特別なイベント用のお堂であることから特殊な形態をしていて,特に西正面は舞台のような構造でここからは奈良市内が一望できます(京都の清水寺のような感じ).ちょうど自分が来たときには修学旅行と思しき一団が来ていました.

Img_3489(写真18) 東大寺法華堂

 続いてはお隣にある三月堂へ,ここは正式名を東大寺法華堂といい,奈良時代創建以来現存している数少ない建物のひとつです(ほかに転害門や正倉院の校倉).建物自体が国宝なのはもちろんですが,内部にある10の仏像すべてが奈良時代に造られた国宝となっているのです.ここではある程度人数が集まった段階で係員の解説が行われていました.この辺の仏像は一体一体の表情が凄くて,とても8世紀に作られたとは思えないなぁと感じます.

Pc030108(写真19) 春日大社の二之鳥居

 三月堂の見学を終えてそのまま南に進みます.この日最後の観光は春日大社,奈良時代の始まり頃に創建されたという神社です(全国各地にある春日神宮の総本家といった感じ).本来は二ノ鳥居から参道を進んで南門から入ってくるのが王道なんですが,この日は三月堂から南下したため,慶賀門から直接内部に入ります.特別拝観料を払って回廊の中へ,ここはあちこち参拝するところがたくさんあるので,気が付いたらお賽銭用の小銭がすっかりなくなってしまいました(笑).また神社だけあって,ちょうど結婚式を挙げている人たちの姿が見られました.一通り散策したのち,南門から出て参道を下って二ノ鳥居に抜けました.

Pc030107Pc030104(左写真20) 中門と御廊,(右同21) 藤浪之屋の万燈籠

 この後は近鉄奈良駅まで歩いて出て(けっこう距離があった 汗),電車と徒歩でホテルにチェックイン,少し休んでから再び繁華街に繰り出し夕食にしたのでした(鶏鍋のお店にした).

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2017年12月10日 (日)

怒涛の週末

 久しぶりの更新になります(12月1日のばらの騎士以来か…).

 この間いろんな活動をしておりましたが,特に先週後半は7日(木曜日)が毎年恒例となっている霊南坂教会でのチャリティーコンサートの直前練習,8日(金曜日)がその本番,9日(土曜日)が医師会の忘年会(こちらはさらに医師会合唱団での出演もアリ)となっていました.練習やコンサートはイイんですが,それに付随して(笑)宴会も連日続いたことで,だいぶ肝臓を傷めつけているなと反省しています(笑).

 そんな怒涛の週末が明けた今日,12月10日は一転して隣県の病院での出頭当直です.今日は大昔自分も所属していた東北大学混声合唱団の第58回定期演奏会があるので行きたいなと思っていたんですが,結局仕事が優先になってしまったという次第です(この記事を書いている時間,ちょうど演奏が行われているんだろうな).

 で,今朝家を出て出張先に向かうために小田原駅から東海道線に乗ろうとしたんですが,都心の方でトラブルがあったらしく,20分遅れの表示が…

 男が線路に侵入 山手線一時ストップ

 事件があったのは山手線の線路ですが,だいたいこの辺で何かが起こると並行して走っている東海道線にも影響が及ぶのがパターンです.20分待っていたら到着が遅れてしまうのでやむなく新幹線を利用することに… 差額1000円,筋論としてはこの線路侵入男に賠償請求できるんだろうなと思ったのでした(弁護士費用等を考えるとまったく割に合いませんが).

 それでも現地に到着して歩いていたら,気になるものを発見

Img_3554  住宅維新だそうです(笑).気になったのはこのキャラクター,維新と言ってるわけですから西国系の志士なんだと思いますが,やっぱり坂本龍馬なんでしょうね(ピストルは描かれていませんが,足はブーツっぽいし).少なくとも西郷隆盛や高杉晋作ではないことは確実でしょう.

 ちなみに出張先からは富士山が良く見えるのですが,憎らしいほどの(笑)快晴の中,その雄大な姿を拝ませていただきました.

Img_3555  気が付いたら今年も残り3週間,これから年末まで慌ただしい日々が続きそうです.

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2017年12月 1日 (金)

新国立のばらの騎士

Img160  気が付いたら12月に入ってしまいました.別名師走ともいわれますが,師匠も走ってしまうほど忙しい年の瀬ということになります(仕事だけではなく忘年会など宴会方面でも忙しい月です).

 そんな12月に入る直前,11月30日は東京初台の新国立劇場にオペラ観劇に行ってきました(11月はこれで4公演目だ (^.^)).演目はR. シュトラウスの「ばらの騎士」,そういえば7月にも二期会の公演で観た演目です.

 ポストワーグナー時代の重要な作曲家であるR. シュトラウスのオペラ作品,当初は「サロメ」や「エレクトラ」といった不協和音を多用した前衛的な作風だったんですが,1911年に初演されたこの「ばらの騎士」では音楽はむしろ保守的になり,非常に聴きやすい作品に仕上がっています(シュトラウスと台本作家のホフマンスタールは「モーツァルトを意識した」と語っている).

Dsc_1793  作品舞台は18世紀女帝マリアテレジアの時代,権力,財力がある一方で夫が留守がちで今の生活に満足していない美貌の元帥夫人とその愛人である若い貴族オクタヴィアン,夫人の従兄弟で粗野で好色だけどどこか憎めないオックス男爵,成金の新興貴族ファーニナル家の娘ゾフィーの4人がからむ恋愛劇です.タイトルのばらの騎士というのは,当時のウィーンには婚約にあたって男性から女性に銀の薔薇を送る習慣があり(ただしこれは事実ではなくホフマンスタールの創作),この薔薇の運び役の騎士をばらの騎士と呼ぶことに由来します.劇中オックス男爵とゾフィーが結婚することになり,オクタヴィアンがばらの騎士としてゾフィーの下に行くわけですが,そこで2人が恋に落ちて… という展開になります.

 実は自分,若い頃はこのオペラあんまり好きじゃなかったんですが,中年になって改めて観て,「いいなぁ~」となった作品です(歳を経た方がよさがわかる代表的作品かも).今回の公演は2007年初出のジョナサン・ミラー演出の再々再演になります.前回の公演が2015年でしたからわずか2年後の登場ということで飯守芸術監督のお気に入りなのかとも思っています.出演者は元帥夫人にリカルダ・メルベート,今年の6月にジークフリートでブリュンヒルデを歌った方です.大柄で威厳のある夫人を演じていました.オクタヴィアンは当初予定は別の方だったんですが変更でステファニー・アタナソフに,実はオックス役のユルゲン・リンと同じく2015年の公演時といっしょだったので既視感がありました(笑).そしてゾフィー役が同劇場初登場のゴルダ・シュルツ,バイエルンでの同役が絶賛された新鋭ということで期待していたんですが,伸びのある声やちょっとコケティッシュな演技が若いゾフィーっぽくて良かったです(フィガロのスザンナ役なんかピタリかも).

 で,終演後は劇場内のレストランへ.この前日が11月29日の「いい肉の日」だったのに肉を食べていなかったこともあって,肉が出てくるコースをいただいたのでした.

Img_3382 Img_3383  左がメインの国産牛サーロインのタリアータ,右がデザートの林檎のコンボスタです (^^)v.食に音楽に充実した月末でした.

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